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反・反戦派の方々へ

23ぼーん:2003/05/07(水) 09:37
ひとまずお久しぶり。
>>14 >>15
壱学生さん、進歩ないねぇ。僕の去り際に述べたことを、もう一度繰り返しにきました。

ぼーんの宗教、イカフライの宗教、武蔵の宗教、壱学生の宗教、その他もろもろの宗教が
「違う」なんてことは、そんな程度のことは最初から分かっている。
また、「違うこと」それ自体は容認してもいる。

しかし、壱学生の持つ宗教がその宗教内部において人間の価値の等しさを否定しているな
らば、その一点において壱学生のもつ宗教全体の修正を迫る根拠になる。そう言っている
に過ぎない。
「α あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
「β 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」

これについて、ぼーんはかつてこういう意味のことを述べました。
「αを選ぶなら、心のそこから軽蔑するし、議論において人格を尊重することもない。まっ
たく相手にしたくないし、する理由もない。」
傲慢さでもなんでもない。「壱学生は、理念における各個人の等しい価値を認めていない」
という単なる論理的事実があり、それに基づいて感想を述べているに過ぎない。
むしろ傲慢なのは、現実に世界の一部である人間が、そうした世界とは切り離された存在
でいられると思い込んでいる壱学生の方だろう。

さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。

理念を理念そのものとして間違っている、と批判することは無理でも、理念が許容する現
実において、人間の等しい意味での尊重という最低限の基準を失っているならば、その点
において批判を受ける。宗教そのものを批判するのではなく、宗教が公共領域において他
者と両立できなくなっている点を指摘し、修正を迫るという、必要最小限の要求に過ぎな
いんですが。
これは当然、宗教の原理ではないです。異なる宗教を持つ者同士が生きていかねばならな
い、という社会の現実から生まれた要請、つまり、すぐれて「政治的な原理」なんだけど
ね。こんなことも分からないでなんで政治学者なんてやってられるんだろう?と思う人が
多すぎるなぁ。と思うね。

>>15
> 僕を「反・反戦派」と認識するのは、そういう貴方達の未熟さゆえの部分がかなり大きいのですよ。
> 僕の方としては、「筋道だった考え方」ができてさえいれば、「反戦平和」であろうとも「国益が第一」であろうとも一向に構わないんですよ。
> 「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきますから。
> その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つのです。

「平和部屋」に来ている人たちを、とりあえず「はんせーん」叫んでる人たちと同列に認識
しているのは、そういう貴方の未熟さゆえであるということに、半年も経ったら気づいてる
かとも思ったけど、まだ無理みたいね。
『 「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきます』と思うし、
『その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つ』とも思うが、
その行き着く先や現実というものの内実は、随分と違うみたいね。




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