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反・反戦派の方々へ

27壱学生:2003/05/07(水) 16:46
ぼーん氏は丸山真夫の「超国家主義の論理と心理」という論文を読んだ事はありますか?
あなたのしている問題設定は丸山が批判している「大日本帝国」と同じですよ。まともな政治学者なら全員が貴方のような問題設定は拒否するでしょうね。
「内心のみで処理する問題」を大上段で突きつけるのは思想の左右を問わず醜悪極まりありません。
(ちなみに以前丸山真夫を右派の少年に紹介した時、「今時丸山真夫かよ」と読まずに批判されましたが(苦笑)
思想の左右を問わず「正義」を公的な領域で突きつけるような人物は変わらないようですね。)

ぼーん氏は僕の意見を
>さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
>勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。
と批判しますが、僕が拠って立つ「政治的な論理」からすれば正に上記の態度は当然あるべき態度です。
「政治的な論理」からすれば、「明白な法律違反」とか「公共の福祉の重大な侵害」が無ければ、そういう「内心の問題」に干渉しないのは当然でしょう(政教分離の原則は知ってますよね?)。
もちろん「家の財産を持ち出された親類縁者」が民事訴訟を起こすのも自由ですし、訴えが起これば公的な領域で取り扱いますが、
逆に言えばサリン事件以前では「公的な領域」で取り扱う事は出来ません(もちろん違法行為が立証されれば別ですが)。
それが「政治的な論理」に内在する限界です(それにしてもぼーん氏は何が言いたいのかな?公権力により宗教弾圧をしろとでも?)。

まぁぼーん氏が「倫理的な立場」からオウムのような宗教を批判するのは、それはそれで「あり」なのですが、
「政治的な論理」に限界が内在するように、「倫理的な立場」に内在する限界も認識するべきでしょう。
例えば今話題のパナウェーブ研究所にしても、「政治的な論理」からすれば道路交通法違反だとかの微罪でしか扱えません。
そういう「政治的な論理」の限界を無視して公権力が私的領域に干渉するのはより大きな問題が発生するでしょう(自由主義の思想史をしっていれば」当然に気付く問題なのですがね)。

で、話を反戦運動に戻しますと、いわゆる「反戦運動」の究極的終着点が「平和」の実現・戦争の防止である以上、これは「政治的な論理」を無視しては成り立ち得ない訳です。
したがって「政治的な論理」に内在する「個人の内心の問題」には踏み込めません(少なくとも「共有しろ」とは言えません)。
だからこそぼーん氏の問題設定は無意味ですし(ぼーん氏と志しを同じくする仲間内でのみして下さい)、有害ですらあります。

まぁ僕が言う「利己的な人間像」ってのも、「自分と同じく相手も合理的に利益計算が出来る」という点においては
ぼーん氏が言う「他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値」を置いているのかもしれませんが。
でも良くも悪くも人間の能力は様々ですから、「長期的な利益」の計算ができて平和を志向する者もいれば、「短期的な利益」を主眼にして戦争を志向する者ももいるでしょう。
でもそれこそが「現実」に近いでしょう。そういう「現実」を前提にしなければ「平和運動」は政策たり得ないのですよ。
まぁ「政策」として現実に影響を与えなくとも主張しているだけで良い、という立場ならそれも「あり」ですが。




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