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貧困スレ

1チバQ:2009/10/21(水) 21:46:08
労働運動スレより独立
非正規雇用・母子家族などなど貧困にかかわるさまざまな話題を収集するスレ
主にルポ系の記事がメインになりそうな予感

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009102002000236.html
日本の貧困率15・7% 07年 98年以降で最悪
2009年10月20日 夕刊
 厚生労働省は二十日、全国民の中で生活に苦しむ人の割合を示す「相対的貧困率」を初めて発表した。二〇〇七年は15・7%で、七人に一人以上が貧困状態ということになる。十八歳未満の子どもの貧困率は14・2%だった。
 厚労省は国民生活基礎調査の既存データを使い、一九九八、〇一、〇四、〇七の各年にさかのぼり、経済協力開発機構(OECD)が採用している計算方式で算出。〇七年の全体の貧困率は九八年以降で最悪、子どもは〇一年に次ぐ水準だった。
 長妻昭厚労相は同日の会見で「子ども手当などの政策を実行し、数値を改善していきたい」と述べ、同手当を導入した場合に貧困率がどう変化するかの試算も今後公表することを明らかにした。
 政府は六〇年代前半まで、消費水準が生活保護世帯の平均額を下回る層を「低消費水準世帯」と位置付け増減などを調べていたが、その後は貧困に関する調査はしていなかった。相対的貧困率は、全人口の可処分所得の中央値(〇七年は一人当たり年間二百二十八万円)の半分未満しか所得がない人の割合。
 全体の貧困率は九八年が14・6%、〇一年が15・3%、〇四年が14・9%。〇七年は15・7%と急上昇しており、非正規労働の広がりなどが背景にあるとみられる。


関連しそうなスレ
労働運動
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1114776863/l50
社会福祉総合スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1225898224/l50
農業総合スレ(限界集落もこのスレの対象かも・・・)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165378/l50
人口問題・少子化・家族の経済学 (母子家庭など)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1148427444/l50
文部スレ (新卒採用問題なども・・・)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1116734086/l50

101チバQ:2010/04/22(木) 22:34:08
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100415ddm008020057000c.html
デフレの深層:/3 「200円」の衝撃、乱立する低価格弁当 雇用不安が後押し
 <追跡>

 ◇将来見通せず、食費切り詰め
 東京の下町を走る東武亀戸線の東あずま駅(東京都墨田区)。駅前商店街の弁当店「キッチンDIVE(ダイブ)」の店頭に「元祖200円弁当」ののぼりがはためく。午前7時の開店直後から客が来始め、午後9時過ぎの閉店までに1日500個を販売。「09年の売り上げは前年の7割増」。経営者の宗石慶太さん(28)は客の反応に手応えを感じる。

 デフレが進む中、500円の「ワンコイン弁当」はもはや当たり前。今では、200円台の弁当店が各地に乱立している。安さの秘密は薄利多売とコスト削減だ。

 キッチンダイブの仕入れ先は約10社。この中から、安さを優先して仕入れている。原材料費の目安は販売価格の約6割に当たる120円前後。メーンのおかずは1〜2品。幕の内などおかずの多い弁当は作らず、ご飯とおかずに付け合わせが基本だ。コメや野菜が国産、鶏肉や豚肉はブラジル産、白身魚のフライなどは中国産。

 「白身魚のフライ弁当」の場合、原価はご飯40円にのり10円、白身魚のフライ20円、中国産コロッケ13円、スパゲティ20円、野菜炒め10円、漬物10円で計123円。容器代や人件費などを引いた1個当たりの利益はわずか約10円。来月には人通りの多いJR亀戸駅前に移り、「1日2000個をさばく」と宗石さんは話す。

     ■

 格安弁当に目立つのが鶏の空揚げやチキンカツ、コロッケなど揚げ物。安い衣部分でボリュームを稼ぐ。大手冷凍食品メーカーの商品企画担当者(45)は「値段を下げるのに揚げ物を増やすのは業界の常道。衣を分厚くすることもある」と話す。

 仕入れルートはさまざまだが、ある食材問屋関係者は「コンビニエンスストアが大量発注した食材の残りを半値以下で売ることも多い」と話す。

 ネット利用の普及も低価格化に拍車をかける。「さわらのフライ 120円→55円」「100%国産豚肉つみれ 700グラム1400円→420円」。4月上旬、ネット上に食材市場を開く「Mマート」(東京・新宿)のサイトには定価から大幅に割り引かれた格安食材が並んでいた。弁当店や居酒屋、旅館の買い付けが目立ち、ネットに載せたら即日完売するケースも多い。売り手は大手食品問屋で、外食やスーパー向けの売れ残りが中心だ。

 村橋孝嶺代表(74)は「冷凍食品でも賞味期限まで3カ月を切った商品を買わないスーパーが多く、売れ残りが回ってくる。外食チェーンが頻繁にメニューを替えるため、在庫を抱えた問屋が処分するケースも多い」と明かす。

     ■

 格安弁当が売り上げを伸ばす背景には、消費者の格安品志向だけでなく、所得格差の拡大や雇用不安が影を落とす。

 4月上旬、キッチンダイブで弁当を買った学校の用務員の男性(35)は「昼と夜の2食が200円弁当。1日1000円でやりくりする」と話した。半年前、住宅リフォーム会社を解雇され、今の仕事を見つけたのが3月末。手取りは月15万円で食費を抑え2万〜3万円を貯金することが目標だ。「解雇された時、結婚してなくて良かったと思った」。将来不安がのしかかり、食費を切りつめさせる。

 厚生労働省が昨年10月に初めて公表した「相対的貧困率」。07年の国民の年収分布の中央値(228万円)と比べ、その半分に満たない国民の割合は15・7%。国際比較ができる03年段階で世界4位(14・9%)の高さだ。生活保護世帯は05年に戦後初めて100万を突破し、今年1月(速報値)には約131万8000に達した。

 夕暮れ時、70歳前の白髪の男性が、種類の違う200円弁当を5個も買い込んだ。「買いだめしたのは出歩くのがおっくうなため。一日一食で弁当1個。残りは冷凍しておくんだよ。年金暮らしにはこれが精いっぱいだ」=つづく

102チバQ:2010/04/22(木) 22:34:48
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100416ddm008020111000c.html
デフレの深層:/4 宿探しサイト全盛 1泊2食無料、さらに109円
 <追跡>

 ◇細る旅行代理店
 1泊したら109円あげて2食もつけます−−。利根川の支流、片品川の渓谷にひっそりとたたずむ群馬県沼田市の老神(おいがみ)温泉にある旅館「観山荘」。ネットの宿泊予約サイト「トクー!トラベル」が募集している、宿泊客に109円を支払う「マイナス109円」プランに今年3月から参加した。夫婦で宿泊した神奈川県の会社員、遠藤彰さん(50)は「知らない温泉地だったが、くつろげた」と声を弾ませた。

 近くには草津など有名温泉街があるが、老神温泉の知名度はいまひとつ。売り上げは、ピークのバブル期から3分の1に落ち込む。観山荘の統括責任者、萩原忠和さん(49)は「部屋代などの1人約7500円の費用負担に加えて、109円支払うが、人気サイトに掲載されるので、広告としては安上がり。リピーターが増えれば助かる」と売り上げ反転を狙う。

 この予約サイトが、「マイナス109円」を始めたのは、リーマン・ショック後の09年2月。毎週、20軒程度のホテル・旅館が参加。応募するには、このサイトの年会費5250円を支払わなければならないが、抽選倍率は数十〜数百倍に達する。これまで延べ1146軒の旅館やホテルがこのプランに参加した。格安プランでサイトの知名度を上げ、会員増で収益が増える仕掛けだ。

   ◇  ◇

 格安の宿泊予約サイトの急増は、旅行代理店の足元を揺さぶっている。

 「旅行代理店との取引が、ついにゼロになった」

 静岡・熱川温泉の「紫雲閣ホテルオグラ」の小倉吉太郎社長(46)は驚く。同ホテルは今年、3連休中の3月21日の宿泊客はすべてネット予約で埋まったのだ。

 小倉社長によると、利用客が旅行代理店に払う宿泊費には、15%程度の手数料、12〜15%の宣伝・広告費が含まれている。つまり、ネットを使えば、3割近く安くなる計算。複数の宿泊予約サイトを利用した結果、リーマン・ショック直後に平均60%だった代理店との取引割合は、いまや15%まで低下。予約サイトを利用した中国・韓国など外国人の宿泊客も増えている。

 旅行代理店最大手のJTBは09年3月期に4年ぶりに最終赤字に転落。11年度末までに全店舗の約2割にあたる200店舗近くを閉鎖する計画だ。近畿日本ツーリストも09年12月期に初の3期連続の最終赤字となった。店舗と人員をそれぞれ2割削減し、「個人旅行のネット販売比率を高める」(幹部)。

 「旅行代理店の時代は終わりつつある」。トクーを運営する「クーコム」(東京都渋谷区)の西村恵治社長(44)の鼻息は荒い。

   ◇  ◇

 一方で、ネットは容易に価格比較ができるため、価格競争に拍車をかけ、自分で自分の首を絞める「もろ刃の剣」の側面も持つ。09年の1人当たりの国内旅行消費額は3・2万円で00年比0・5万円も減った。ホテル・旅館予約サイトを運営する「一休」によると、08年7〜9月期から客室の平均単価が05年の上場以来初めて、前年同期比で下落に転じた。09年10〜12月期は取り扱い客室数が4・2%増えたものの、平均単価はホテルで10・4%減、旅館で5・9%減と下落ペースが加速している。

 旅行代理店の仲介を廃すことで、デフレを先導する形の宿泊予約サイトだが、消耗戦は激しくなる一方だ。紫雲閣の小倉社長は「代理店が力を失っており、宿泊価格のさらなる値崩れが心配だ」と不安を隠さない。=つづく

103チバQ:2010/04/22(木) 22:35:25
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100417ddm008020007000c.html
デフレの深層:/5止 マンション、10年で買値の半額 売ろうにも売れない
 <追跡>

 ◇厳冬、地方の商業地
 「買値の半額でも家が売れない」。住宅ローンの返済に行き詰まり、昨年12月から売却先を探す千葉県の製造業勤務の男性(62)は途方にくれる。

 00年に東京都心から1時間半の県西部に3LDKのマンションを2700万円で購入。35年ローンを組んだ。月7万円の返済額は、金利が上がる11年目の今夏、10万円に増える。5年前の役職定年で手取りは月40万円から15万円に、リーマン・ショック後の不況でさらに10万円に削られた。妻はパートで家計を支えたが、返済を断念した。売値はわずか1300万円と見積もられ、700万円が借金として残る。買い手は見つからず、男性は「まだ下げなくてはいけないのか」とデフレの怖さを肌で感じる。

   ◇   ◇

 10年1月1日の公示地価は2年連続で下落。住宅地は全国平均で前年比4・2%減と下落幅は前年(3・2%)から拡大した。08年秋のリーマン・ショックによる経済危機で、マンション業者が相次いで破綻(はたん)、格安物件の「アウトレットマンション」が大量に登場し、地価下落に拍車をかけた。

 JR高崎線で東京・上野から1時間弱の北鴻巣駅前(埼玉県鴻巣市)に立つ分譲マンション「ベルドゥムール北鴻巣」。08年7月に経営破綻した分譲大手ゼファーの物件を地元業者のリベレステ(埼玉県草加市)が格安で買い取った。3LDKの買い取り額は、販売想定価格(3000万円)の半額の1500万円。2〜3割の利益を上乗せして、1900万円台で今年2月に売り出した。現在、73戸中、50戸超が契約済みだ。リベレステ幹部は「格安物件は、まだ出てくる」と指摘している。

   ◇   ◇

 商業地の事情はさらに厳しい。10年の公示地価は商業地全体で6・1%下落。高い収益性が見込まれていた東京・銀座の一等地は25%以上も急落した。デフレによる低価格志向の浸透で、高級ブランドの業績が悪化。ルイ・ヴィトンが10年中としていた大型店出店を撤回したほか、昨年にはヴァレンティノ、ヴェルサーチなど撤退が相次ぎ、ビルの収益が悪化して地価下落につながった。

 高級ブランドに代わって人気はH&M、ユニクロなど低価格のファストファッションに移った。4月末に米フォーエバー21が、グッチの退店跡に入居する。低価格志向が資産デフレにつながった格好だ。


JR仙台駅近くの新築オフィスビル。1階にはアウトドアショップが入っているが、大々的にテナントを募集し空き室が目立つ=仙台市青葉区で2010年4月15日、丸山博撮影 高級店に代わるテナントが見つかる銀座はまだ恵まれている。地方都市はさらに深刻だ。JR仙台駅周辺のオフィス街。ビル仲介大手の三鬼商事によると3月末の新築オフィスビルの空室率は78・1%。08年の公示地価は開発期待の高まりから、駅前商業ビルの上昇率が40%と全国トップとなり、新しいビルの建設ラッシュとなった。だが、その後、企業の撤退が相次ぎ、供給過剰に陥った。

 今年4月末に完成予定の37階建てで東北一の高層ビル「仙台トラストタワー」(森トラスト)ですら入居率は5割程度にとどまる見通し。需要不足は深刻で、テナント争奪の生き残りをかけた戦いは当面続く。

 みずほ証券の石沢卓志チーフ不動産アナリストは「東京の都心部の地価は底値が見える兆しが出てきたが、人口減の続く地方は今後も地価下落が続くだろう」と語る。資産価値下落が消費マインドを冷え込ませ、デフレが進む悪循環を断ち切るのは容易ではない。=おわり(田畑悦郎、井出晋平、永井大介が担当しました)

104名無しさん:2010/04/25(日) 13:45:49
反貧困ネットみえ発足 弁護士や社会福祉士連携
2010年4月25日
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20100425/CK2010042502000020.html

 経済的な問題を抱える失業者や非正規労働者を支援しようと、県内の弁護士や社会福祉士が4月、市民団体「反貧困ネットワークみえ」を立ち上げた。それぞれの分野で貧困問題とかかわってきた専門家が連携し、幅広い支援を目指す。

 昨年末の「年越し派遣村」の活動で脚光を浴び、さまざまな貧困問題を発信している「反貧困ネットワーク」(東京都新宿区)の三重県版。発起人の県社会福祉士会の南川久美子会長(55)が代表、日本司法支援センター三重地方事務所(法テラス三重)の村田直樹弁護士(37)が事務局長を務める。

 社会福祉士や医療関係者、市議、市職員ら約15人がネットワークに参加。各分野で懸案となっている課題や情報、ノウハウをメーリングリストなどを通じて共有し、助けを必要している人を紹介し合う。貧困問題に関する勉強会や講演会も開く。

 岐阜県でも同様の取り組みが始まり、愛知県でも5月中に発足する見通しで、東海三県での連携も図る。

 ネットワークへの参加希望や相談はメールで受け付ける。アドレスは、hanhinkonmie@yahoo.co.jp

◆事務局長の村田弁護士「急いで人脈広げたい」
 「経済的に困っている人を孤立させてはいけない」。事務局長を務める村田弁護士は普段、刑事訴訟の国選弁護人と弁護士費用をすぐに支払うことができない人の民事訴訟を主に担当する。「貧困が原因で事件を起こしたり、トラブルに巻き込まれたりする人が多い」と感じている。

 表面化しにくい貧困問題を吸い上げ、いかに行き届いた支援をするかが課題。例えば以前、相談に乗った多重債務者は法律の知識がなく、生活保護の申請も思い付かなかった。「早く誰かに相談し、適切に対応していたらこじれなかった」との思いがある。

 弁護士や行政など個別の窓口では連携がうまくいかず、切れ目のない支援が難しい。ネットワークは異業種の専門家同士の情報交換の場となる。

 三重の経済情勢について「もっとひどい県もあるが、かなり厳しい」と指摘。「助けを必要としている人は多いが、人間関係が希薄で情報が集まりにくい。急いでネットワークの人脈を広げたい」と意気込んでいる。

 (鈴木龍司)

105名無しさん:2010/05/02(日) 02:45:45
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2010050100187
アジア開銀総会、3日に開幕=旧ソ連諸国初、ウズベキスタンで
 【タシケント時事】アジアの貧困解消や経済発展を目的とするアジア開発銀行(ADB)の第43回年次総会が、ウズベキスタンの首都タシケントで3日午前(日本時間同日午後)、2日間の日程で開幕する。旧ソ連・中央アジア諸国での開催は初めて。総会では、新興国を中心にアジアで力強い経済成長が続いていることを改めて確認した上で、持続可能な成長を促すための金融・財政政策の在り方が中心議題になる見通し。
 これに先立ち、2日午後(同2日夜)には、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国に日本、中国、韓国を加えたASEANプラス3財務相会合が開かれる。また、この13カ国にインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた16カ国(ASEANプラス6)が参加する「東アジアサミット財務相会合」も初めて行われる。(2010/05/01-14:22)

106神奈川一区民:2010/05/30(日) 18:23:43
貧困ビジネスで詐欺 大阪の自称NPO代表ら逮捕
5月30日16時45分配信 産経新聞http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100530-00000520-san-soci

 生活保護の受給者が引っ越したように装い、大阪市から転居に伴う敷金や運送費の扶助をだまし取ったとして、府警捜査2課は30日、詐欺容疑で、大阪市北区に拠点を置く自称NPO団体「あしたばの会」(現・あけぼのの会)代表の畑勲容疑者(47)ら3人を逮捕した。同会は保護申請の段階から複数の路上生活者を囲い込み、保護費をピンハネする貧困ビジネスを展開していたとみられ、府警は同会が関与した不正受給の全容解明を進める。

 ほかに逮捕されたのは、同会メンバーの鍋嶋茂(59)=大阪市北区=と、市から生活保護を受給していた無職、山本一(人かずと)(46)=大阪市東住吉区=の両容疑者。

 逮捕容疑は昨年11〜12月ごろ、生活保護を受けていた山本容疑者が大阪市内から神戸市内に転居したように装い、大阪市から敷金扶助と引っ越し代の名目で計約36万円を受け取り、詐取したとしている。

 府警によると、実際に転居した事実はなく、山本容疑者は扶助金を受給した後も、大阪市に住み続けていた。同会は生活困窮者を支援するNPOを称していたが、大阪府から認証を受けていなかった。

最終更新:5月30日17時15分

107杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2010/06/01(火) 15:24:00
貧困ビジネス 生活保護費を徴収「囲い屋」容疑で逮捕
http://www.asahi.com/national/update/0531/OSK201005310040.html
2010年6月1日4時19分

 生活保護の受給者に引っ越しをさせて大阪市から保護費をだまし取ったとして、大阪府警は31日、指定暴力団山口組関係者で、国から認証を受けていたNPO法人「国民生活支援ネットワーク いきよう会」(解散)元代表の由井覚容疑者(51)=石川県かほく市=ら4人を、詐欺の疑いで逮捕した。捜査関係者らによると、いきよう会は数年前から、生活保護受給者から保護費を徴収する「囲い屋」として大阪市内で活動していたという。
 社会問題化している貧困ビジネスを巡っては、大阪府警は30日にも、架空の転居に伴う生活保護費をだまし取ったとして、別のNPO(自称)幹部ら3人を詐欺容疑で逮捕している。府警は、いきよう会のケースは、保護費が暴力団の資金源になっていた可能性があるとみて調べる。

 捜査4課によると、他に逮捕されたのは、葬儀・引っ越し会社役員田村京子(60)=大阪市天王寺区=、不動産賃貸会社のエイブル昭和町店元店長藤原克行(32)=大阪府東大阪市=、エイブル昭和町店社員菊川洋輔(33)=大阪市阿倍野区=の3容疑者。由井容疑者は容疑を否認し、藤原、菊川両容疑者は容疑を認めているという。
 大阪市は今月下旬、由井容疑者を大阪府警に告訴していた。同課などによると、由井、田村両容疑者は2006年11〜12月、大阪市阿倍野区で、受給者の20代の知人女性を別の住居に転居させたうえ、敷金や引っ越し代などを申請させて、市から約50万円をだまし取った疑いが持たれている。女性は由井容疑者に指示され、保護費を申請する際、病気が悪化しないために転居が必要だと市に説明していた。しかし実際は、病気ではなかったという。
 また、由井容疑者は藤原、菊川両容疑者と共謀し、07年9月、同様にこの女性の40代の母親が腰痛のため引っ越さなければならないとして、市から敷金約30万円を詐取した疑いもあるとしている。
 市関係者や野宿者の支援団体などによると、由井容疑者はホームレスらに当面の生活費として現金を渡す代わりに数倍の金額の「借用書」を書かせ、返済を名目に保護費をピンハネしたり、住まいをあっせんした「手数料」として保護費の大半を徴収したりしていたという。
 「いきよう会」は06年8月、内閣府からNPO法人の認証を受けた。登記簿や定款によると、設立目的は「野宿生活者への宿所提供」。同容疑者は、区役所の窓口に生活保護の申請者を同伴し、対応した職員に声を荒らげたり、同和団体役員を自称する名刺を渡したりしていたという。同会は今年3月末で解散し、内閣府にも解散届を出して受理されている。

108チバQ:2010/06/09(水) 21:54:56
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010060902000054.html
生活困窮 待ったなし 『最小不幸社会』どう聞いた? 戸山団地・丸の内
2010年6月9日 朝刊

菅内閣誕生のニュースを見つめる田中さん=8日午後、東京都新宿区の戸山団地で


 「政治の役割は、最小不幸社会をつくること」。新内閣が発足した八日、菅直人首相は就任会見で、繰り返し使ってきたフレーズを真っ先に掲げた。低迷する景気と雇用、医療や年金の崩壊、混迷する沖縄の米軍基地問題…。世の中が閉塞(へいそく)感で覆われる中、どうすれば、私たちの暮らしから「不幸せ」を取り除くことができるのか。東京都新宿区の戸山団地と、千代田区の丸の内オフィス街で聞いた。 

■戸山団地
 六十五歳以上の高齢者が半数を超え、都会の「限界集落」と呼ばれる戸山団地。昨年、六十二年間連れ添った夫を亡くし、一人暮らしの田中美知子さん(87)は、「不幸な人をなくすのは良いことだけど…」とつぶやいた。

 今年に入り、団地内の一人暮らしの八十代の男性が亡くなった。人ごととは思えない。

 「今は元気だけど、何かあったら、有料老人ホームに入るお金もない。最近、さっさと息を引き取るのが幸せかなと思う。安心して(人生を)終われる社会にしてほしい」。真っ先に訴えるのは社会保障の充実だ。

 遊歩道をつえを突いて歩いていた佐々木徳弥さん(73)は「『不幸をなくす政治』ですか。期待はしないけど、貧乏人の面倒をちゃんとみてほしい」と話す。義足で生活する佐々木さんは高価な義足の新調費用が悩みの種だ。「年金はまた下がった。医療と年金を重点的にやってほしい。お手並み拝見ですね」

 退職した警備会社で今もガードマンのアルバイトを続ける秋葉正勝さん(68)は「人それぞれ人生がある。不幸をなくすなんて…」と首をひねる。妻(60)とフリーターの長男(32)の三人暮らし。「アルバイトは一回八千円。月に十回も入れば年金と合わせて暮らしていけるが、仕事がない。景気対策をしてほしい」と注文をつけた。

 買い物カートを重そうに押していた女性(76)も、菅首相の言葉には「漠然としている」。女性は母と姉を亡くし今は一人暮らし。「たかだか十五万円の年金から税金や保険料が引かれる。年収は二百万円もない。憲法で保障されているはずの『健康で文化的な生活』を送るどころではない」と、格差社会の是正を訴えた。

■丸の内
 一流企業の本社が集まるオフィス街、丸の内。近年は高級ブランド店がビルの一階にズラリと並び、華やかな街に変わりつつある。

 帰宅途中の派遣社員上垣内華世さん(30)=さいたま市=は、派遣先で正社員との格差を実感する身。「最小不幸ということは、少しは不幸な人が残るという意味にも取れますね」と話す。「正社員になるのは今も厳しい。社会から若者を外してしまっている感じ。今後の人材を育てる意識を持って、制度を考えてほしい」と続けた。

 会社員岩瀬真美さん(30)=同市=は「景気が悪く、給料が上がらない」とぼやく。日本航空のような一流企業が経営破綻(はたん)する時代。「賃金がちゃんともらえるだけいいかもしれない」とも考える。

 ただ老後は心配だ。「年金を納めても、あまりもらえないだろうから」

 商社勤めの会社員原田巴宏さん(25)=世田谷区=は独身で、生活には困っていないが「閣僚の発言などで株価が変動し、景気を左右する。先行きが不透明なので、ビジョンをはっきりと示して景気対策に力を入れてほしい」と話す。

 会社員二口鮎子さん(29)=目黒区=は幼いころ父を亡くしたが「不幸」とは感じなかった。「母が働き、保険もあって経済的に十分。幸せだと思えないことが不幸なのかも」

109とはずがたり:2010/06/09(水) 22:12:38
なんか不幸最小化社会理解されてないですねぇ。
個人個人は幸福を各自追及して貰うけど個人がどうしようもないような不幸を社会が,政府が除去していきましょうと云う感じだと思うんだけど皆ピンと来てない気が。。

110チバQ:2010/06/09(水) 23:30:37
誰かが言ってたけど
、生活が第一も最少不幸社会もキャッチフレーズが目指す点に大差はない。けど、不幸というネガティブは単語を使うのが良くないと。

111チバQ:2010/06/22(火) 23:07:54
http://mainichi.jp/select/today/news/20100623k0000m040104000c.html
マツダ11人死傷:ブレーキ痕なし 殺意裏付けか
2010年6月22日 22時8分 更新:6月22日 22時40分


元従業員が車で突っ込んだマツダ本社工場の東正門付近を調べる捜査員ら=広島市南区で2010年6月22日午前10時22分、本社ヘリから小関勉撮影 広島市のマツダ本社工場に乗用車が侵入して11人をはね、1人が死亡、10人が重軽傷を負った事件で、11人がはねられた計7カ所の現場すべてで路面にブレーキ痕がほとんど確認できないことが、県警の調べで分かった。また、殺人未遂容疑などで現行犯逮捕された同市安佐南区上安2、同社元期間社員、引寺(ひきじ)利明容疑者(42)が犯行に使ったとされる乗用車はフロントガラスが割れるなど大きく破損していた。県警はこれらの状況が「殺意を裏付ける可能性が高い」とみて捜査している。

 また、県警は22日、殺人事件に切り替えて広島南署に捜査本部を設置し、同容疑者宅を家宅捜索した。

 捜査本部などによると、乗用車は22日午前7時38分、同市南区仁保(にほ)沖町、マツダ本社工場・宇品地区の東正門で警備員の制止を振り切って構内に侵入し、4カ所で計7人をはねた。乗用車はさらに同社専用の連絡橋を渡って約800メートル離れた本社工場・本社地区=同区と広島県府中町=に入り、構内を1.5周する間に3カ所で計4人をはね、北門から逃げた。

 この間、わずか8分間で、最後にはねられた社員の浜田博志さん(39)=東広島市高屋町=が即死し、36歳と29歳の2人が重傷、他の8人(19〜50歳)が軽傷を負った。

 車はマツダのファミリアで、宇品地区で約2.5キロ、本社地区で約5キロ走り回ったという。はねた各現場にブレーキ痕がほとんど認められないほか、車のフロントガラスに大きなひびが入り、左前部のボンネットも変形しているといい、捜査本部は「かなりのスピードで次々に人をはねた可能性がある」とみている。

 マツダは同日、同県府中町の本社で山内孝社長らが会見し、同容疑者が期間社員として今年3月25日に入社し、4月1〜14日、本社工場でバンパーの成形作業に従事していたと明らかにした。実質勤務は8日間で、「一身上の都合で退職したい」という趣旨の自発的な申し出を受けて退社させた、と説明した。就労中にトラブルはなかったという。

 マツダ本社工場は宇品地区と本社地区に分かれ、デミオやロードスターなど多様な車種を生産する同社最大の国内生産拠点。計約230ヘクタールで、約7000人が働いている。

112チバQ:2010/06/22(火) 23:08:34
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100622-OYO1T00734.htm?from=main1
早朝の工場に悲鳴 従業員「なぜこんなことを」…マツダ車暴走


暴走車に従業員らがはねられたマツダ本社宇品工場。矢印の方向に侵入した(22日午前10時42分、広島市南区で、本社ヘリから)=笹井利恵子撮影 暴走する車と逃げまどう人々で、早朝の自動車工場は大混乱に陥った。広島市南区仁保沖町のマツダ本社宇品工場などで22日朝に起きた無差別殺傷事件。殺人未遂容疑などで逮捕された元マツダ期間社員、引寺(ひきじ)利明容疑者(42)は、車内に包丁を隠し持ち、会社への恨みを口にしていたという。同社の従業員らは「なぜこんなことをするのか」と憤った。

 引寺容疑者の車は、同工場東正門から侵入し、門近くで2人をはねた後、さらに敷地内や北東側の府中工場(広島県府中町)を周回するなど暴走。プレス棟や1号館玄関など計7か所で従業員らをはね、府中町の本社北門から逃げたとみられる。事件当時は、日勤の従業員が出勤する時間帯。夜勤を終えた人も残っており、2工場の各所で人が倒れ、逃げる人や助けを求める人で騒然となった。

 引寺容疑者が逮捕されたのは府中町の住宅街の路上。近くに住む無職吉田寿一さん(63)は、同容疑者の車を目撃した。「左前部のバンパーがへこんで、助手席側のフロントガラスに大きなひびが入っていた。そこに血のようなものがついていたので何事かと思った」と話した。

 宇品工場の東正門前には、広島県警の車両7、8台が門を封鎖するように止まり、警察官十数人が現場検証。事件後も工場は稼働しているが、屋外に出ている従業員の姿はほとんどなかった。

 同工場に勤務する50歳代の従業員は「今日は休みだったが、たまたま工場の前を通りかかったら、騒ぎになっているので驚いた」と話した。

 マツダ本社で行われた記者会見では、山内(やまのうち)孝社長が「被害に遭われた社員と家族の皆様に哀悼の意を申し上げます」と頭を下げた。同社によると、本社工場は宇品、府中両工場合わせて1万6000人が勤務し、うち契約期間を区切って直接雇用される期間社員は約400人という。

 期間社員の待遇について山内社長は「期間社員と正規の社員に格段の差を設けたことはない」と説明した。

「髪ぼさぼさで地味」引寺容疑者
 引寺容疑者は広島市安佐南区の住宅街にある2階建てアパートの2階に住んでいた。この日、カーテンは閉め切られ、ベランダの物干しざおにはバスタオルとシャツが干したままになっていた。

 近所の主婦(52)は「時々、白いワイシャツにネクタイ姿で青い車で出勤する姿を見た。テレビニュースで見覚えのある車を見て驚いた」と話した。別の主婦(31)も「服装は地味でおとなしい感じ。眼鏡を掛けて髪はぼさぼさで、こんな大事件を起こしたことが信じられない」と青ざめていた。

(2010年6月22日 読売新聞)

113とはずがたり:2010/06/23(水) 16:44:57

マツダ11人死傷:「秋葉原のように」 2年前に自己破産
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100623k0000e040049000c.html

送検される引寺利明容疑者=広島県警海田署で2010年6月23日午前8時19分、大西岳彦撮影

 広島市などのマツダ本社工場に乗用車が侵入して11人をはね、1人が死亡、10人が重軽傷を負った事件で、殺人未遂容疑などで逮捕された同社元期間社員、引寺(ひきじ)利明容疑者(42)=同市安佐南区上安2=が、広島県警捜査本部の調べに対し、「秋葉原のような事件を起こそうと思った」と供述していることが、捜査関係者への取材で分かった。逮捕時に引寺容疑者が車内に持っていた包丁(刃渡り約18センチ)が真新しいものだったことも分かった。また、引寺容疑者は、長年にわたり派遣など非正規雇用で職場を転々とし、2年前には自己破産するなど不安定な生活が続いていたことも新たに判明。捜査本部は、無差別殺人に至った動機・経緯について、引寺容疑者のこうした生活実態にも注目しながら解明を進めている。

 捜査本部によると、引寺容疑者は、秋葉原事件(08年6月)に言及し、「秋葉原のような事件をおこしてやろうと思い、工場内で車を止めて振り回すつもりで包丁も持っていった」という趣旨の供述を始めているという。秋葉原事件は、派遣社員だった男が東京・秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、ナイフで刺すなどして7人を殺害、10人が重軽傷を負った。また、捜査関係者によると、包丁は運転席横のドアポケットに入っていた。真新しく、大量殺人を計画して購入した可能性もあるという。

 引寺容疑者は23日午前、殺人未遂などの容疑で送検された。捜査本部は殺人容疑に切り替えて動機などを詳しく調べる。

毎日新聞 2010年6月23日 15時03分

114杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2010/06/27(日) 09:36:27
生活保護300人住まわせ、受診させ… 貧困ビジネスか
http://www.asahi.com/national/update/0626/OSK201006260145.html
2010年6月27日4時1分

 大阪市浪速区の不動産会社が、賃貸アパートに生活保護受給者を住まわせ、実質経営していた診療所の巡回診療を繰り返し受診させていた疑いがあることが、診療所の関係者らへの取材でわかった。診療所は、診療報酬などで得た収入の一部を不動産会社側にコンサルタント料として払っていたという。市は、生活保護の医療扶助を利用した「貧困ビジネス」の可能性があるとみて近く不動産会社などを実態調査する。
 貧困ビジネスは、受給者から家賃や食事代などの名目で保護費の大半を吸い上げたり、引っ越しを繰り返させて転居費をピンハネしたりする形態が多い。受給者の医療費が全額公費負担となる医療扶助は医療機関に直接支払われるため、貧困ビジネス業者と医療機関が協力すれば、実態を把握するのは難しい。
 診療所の元幹部職員の証言や内部資料によると、不動産会社は浪速区と同市西成区、堺市堺区で賃貸アパート4カ所(1カ所は昨年閉鎖)に約300人の受給者を入居させていた。大阪市などによると、同社は受給者の通帳やキャッシュカードを預かり、食事代名目などで保護費を徴収するケースが多いとみられるという。
 診療所は西成区松1丁目にあった「すずクリニック」。元幹部職員によると、医師らはアパート4カ所などを週1回ペースで巡回診療していた。受給者1人あたりの診療報酬が月10万円を超えるケースもあった。市によると、クリニックは別の不動産会社があっせんする受給者も診療し、レセプト(診療報酬明細書)の全件数の9割を受給者が占めていた。元幹部職員は、月に計約1300万〜1900万円のクリニックの総収入の約2割がコンサルタント料名目で不動産会社側に支払われていた、としている。
 クリニックは2月、近畿厚生局の個別指導を受けて必要書類の不備などを指摘され、閉院している。
 元幹部職員は「クリニックは不動産会社が実質的なオーナーだった。医師がどこのアパートを回るか、検査項目をどうするかなど、代表取締役の女性が指示を出していた。巡回診療は、囲い込んだ受給者から医療扶助を安定的に得ることが目的だった」と説明している。
 代表取締役の女性は朝日新聞の取材に「自分はクリニックの職員ではあるが、巡回診療は医師が自分で診療先を決めてやっていた」と説明。受給者を囲い込んでいるのではないかとの指摘には「認知症の人もおり、通帳を預かるケースもある。勝手に金をおろしたり、小遣いを渡さなかったりはしていない」と否定している。(島脇健史)

115チバQ:2010/07/10(土) 01:54:32
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003182554.shtml
首相掲げる最小不幸社会、遠く 貧困・格差深刻化 

街で集め、回収工場に運び込まれた空き缶。わずかな収入が暮らしの支え=神戸市内(撮影・大山伸一郎)

 菅直人首相は最小不幸社会の実現を掲げ、貧困や戦争をなくすことに政治が力を尽くすべきだと訴える。だが、社会を見渡せば厳しい現実が横たわる。今なお解雇や派遣切りが後を絶たず雇用は不安定で、一度レールから外れると貧困から立ち戻ることが難しい。ホームレスになると住民票がないため投票に行けない。貧困や格差の解消は遠く、支援の窓口には生活にあえぐ声が殺到している。(中部 剛)


 「最小不幸社会? ウソつけ!って感じですね」。神戸市長田区の男性(45)は昨秋、非正規従業員として約10年働いたメーカーから雇用契約を打ち切られた。今年4月、やっと運送会社に就職。午後2時から翌朝まで青果を運搬した。

 重さ約20キロの段ボール箱を300〜400個扱う。残業代はなく、月給20万円。重労働に脚や腰が痛んだが、痛み止めの薬を飲んで働き続けた。「妻も子もいる。やっと見つけた仕事だ」。しかし、ある朝、体が動かなくなった。

 男性は仕事を辞めた。ほかの仕事を探すが、見つからない。失業給付は間もなく切れる。「頑張っても、頑張っても報われない。オリンピック選手くらい頑張ったよ」とつぶやいた。

 神戸市中央区にある近畿生活保護支援法律家ネットワークの事務局には連日、各地の失業者や生活困窮者からの電話相談が次々寄せられる。

 2007年10月に開設し、今年5月までの約2年半で1850件、うち兵庫県内から600件の相談があった。「夫と離婚。求職中だが、すべて断られた。子どもに食事を与えられない」(40代女性)、「建設現場の仕事がなくなり、生活保護の申請に行くと、たかりに来たように扱われた」(30代男性)。電話口の向こうから悲痛な声が届く。

 野宿者を支援するNPO法人「神戸の冬を支える会」(神戸市)の炊き出しには毎回、200人以上が集まる。事務局長の青木茂幸さん(54)は「若者を中心に、ネットカフェを渡り歩くようなホームレスが増えている。流動的で、問題の実態がつかみにくい。国はもっと失業者対策に力を入れて」と話す。

 青木さんが重視するのは、野宿者の選挙権の問題だ。住民票がないため、事実上、選挙権を失った状態だ。

 ホームレス法的支援者交流会(鹿児島市)の調査によると、投票権を行使できないホームレスの57%が「投票に行きたい」と回答している。青木さんは「野宿者は投票すらできない。そのことが見過ごされている」と訴える。


【近畿生活保護支援法律家ネットワーク共同代表の辰巳裕規弁護士の話】

 政権交代後、生活保護の母子加算が復活し、労働者派遣法の改正も議論された。ところが政治がごたごたし、派遣法が改正されないまま選挙に突入した。首相は強い社会保障というが、財源とされる消費税増税は経済的に苦しい人を直撃する。非正規労働者であっても安心して暮らせる社会にしなければならない。雇用関係を簡単に切らせないなど、転落する前の手だてがいる。

(2010/07/09 10:25)

116チバQ:2010/07/11(日) 01:41:31
7429 :チバQ:2010/07/10(土) 02:27:35
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100703ddlk10010113000c.html
1票の現場から:’10参院選ぐんま 深夜の弁当工場 /群馬
 ◇せめて子供らに希望を 解雇恐れケガ隠す
 深夜の弁当工場。コンビニエンスストアに並ぶおにぎりの製造ラインで、高崎市在住の30代の男性は、ご飯を成型するプレス機に左手の人さし指をはさんだ。昨年11月。つめがはがれ、透明なビニール手袋の中に、みるみる血がたまった。「痛い?」。製造ラインを管理する正社員に声を掛けられ、即座に「大丈夫です」と応えた。けがをした不注意を理由に、首になるのが怖かったからだ。

 勤務時間は午前0時から同6時まで。時給は約1000円。立ちっぱなしで休憩時間はなし。この時間帯に勤務する十数人の多くが、男性のように南米やアジアから来日した非正規雇用労働者だ。日本人は3〜4人。髪をすっぽり覆う白い帽子と大きなマスクを着用するため、顔から目だけがのぞく。会話はなく、工場で聞こえるのは、車のエンジンのようなモーター音だけだ。

 男性はバブル経済が崩壊して間もない90年代半ば、お金を稼ぐために来日した。友人が住む前橋市内のアパートに居候し、繁華街でボーイとして働いた。やがて日本人女性と結婚し、子供2人に恵まれた。日中はレストランで、深夜から明け方まで弁当工場で働くため、睡眠時間は4時間。

 ベルトコンベヤーで運ばれてくる容器に、手分けして弁当のおかずを詰め込んでいると、自分が機械の一部になったように感じる。ご飯やおかずが余っても、従業員は持ち帰ることができない。正社員には「家畜の餌になるから」と説明された。

 「ここでは日本人でも外国人でも、家畜以下。それでも10万円に満たない毎月の手取りのために働いている」

 最近、職場でタイムカードを押そうとした瞬間、「人員調整のため休んでください」と指示されたことがある。不景気でコンビニ弁当の売り上げが減ったからだ。弁当にふたをしてラベルを張る時、「298円」という値段を見て、デフレも実感した。

 一方、弁当の注文が多い日もある。そういう日は、ベルトコンベヤーの速度が上がり、人間もその速度に合わせて手を動かさなければならない。チャプリンの映画「モダンタイムス」の世界が、この弁当工場で展開されている。

 投票権を持っていないが、自分の子供は十数年後、この国の有権者になる。年間3万人を超す自殺者、親殺しなどの家族間殺人、横行するいじめ……。政治は子供たちに、希望が持てる社会を残せるのか疑問に思う。【鈴木敦子】

117チバQ:2010/07/11(日) 01:42:04
7432 :チバQ:2010/07/10(土) 02:30:17
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100708ddlk10010103000c.html
1票の現場から:’10参院選ぐんま 雇用環境 /群馬
 ◇政権交代後も好転せず 正社員の職探し46万件に
 「すべてが行き詰まっている。子どもの名前を考える精神的な余裕もない」

 雇い止めを言い渡されたのは3月1日のことだった。藤岡市の自動車部品製造工場。前橋市に住む男性(34)は上司に「ちょっと話がある」と呼び出されてピンときた。契約社員として3年近く勤めてきたが、08年秋のリーマン・ショック以降、多くの同僚が辞めさせられてきた。上司には「分かりました」と答えるしかなかった。

 妻は現在、妊娠8カ月。2年前に結婚した時は「契約社員から正社員へ」という夢を描いていた。この会社には年2回、正社員への登用試験があり、登用実績も高いと聞かされていたからだ。しかし、リーマン・ショック以降、登用試験は廃止された。

 預貯金を取り崩す生活は4カ月目。ハローワークや県の就職支援センターに通い、これまで30社以上で面接を受けた。「試用期間3カ月の時給900円」という求人情報を見て面接を受けると、「本当は800円です」と言われてあぜんとした。「ボーナス支給」と書かれていたが「実際は出ませんよ。嫌なら来なくていい。あなたの代わりはいくらでもいるんですから」。

 男性は95年に工業高校を卒業後、高崎市の乾電池製造工場で正社員として働いた。しかし、残業が多く、仕事がきついのを理由に7年後に自主退職した。「なんとかなるという軽い気持ちだったが、考えが甘かった」。その後、職を転々とし、今は父親になるのを目前にしながら、プライドを傷つけられる日々を過ごす。

 職探しが厳しいのは、新卒者も同じだ。今春、大学の建築学科を卒業した男性(22)は在学中、東京都内の建設会社を中心に8社を受けたが、建設不況下で採用枠は限られ、就職浪人の道を選んだ。「もう1年大学に残って職探しを」と留年も考えたが、「大学にいるようでは自分に甘えが生じる。社会に出て厳しさを実感したい」と実家がある伊勢崎市に戻った。

 しかし、採用してくれる企業は見つからず、「考えが甘かった」と自省する日々だ。参院選の投票日が近づくが「政治に期待すれば何が返ってくるのか、リアル感がない」と棄権するつもりだ。

 群馬労働局によると、県内12カ所のハローワークに寄せられた正社員の職探しに関する相談は09年度、46万2264件に達した。リーマン・ショック前の07年度は30万7574件で、約1・5倍に激増した。

 「自公政権下でも、民主党政権になっても雇用環境は何も変わっていない。もうどの党にも期待できない」。間もなく父親になる男性は話す。一方、「人任せにしたくないので投票には行きたいが、投票先がない」とも。男性の耳には今も、工場の片隅で言われた「解雇宣言」がこだまする。

 「契約更新できなくなった。悪いが、契約は今月いっぱいまでで頼む」【鳥井真平】

118チバQ:2010/07/11(日) 02:07:47
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1052/20100708_03.htm
1票のリアル・参院選(番外編)孤立と差別先送り?/「派遣切り」「高校無償化」

最終盤に入る選挙戦。1票の有無にかかわらず届けたい声がある(写真と記事は関係ありません)


 「10万円を手にした瞬間、ほんの少しだけ先の生活が見えた気がした」
 仙台市青葉区の男性(23)は、無意識のうちに友人の金に手を付けた。
 働いていた相模原市の自動車関連工場で昨年7月、派遣切りに遭い、寮も追い出された。
 「しばらく泊めてほしい」。頼った仙台市内の友人は「今日だけにして」と迷惑そうだった。明日からは身の置き場もない。不安に駆られ、友人が外出した瞬間に魔が差した。
 昨年9月、宮城県警に逮捕され、裁判で執行猶予付きの有罪判決を受けた。釈放されても頼れる親族はいない。裁判を担当した弁護士の計らいで、いまは路上生活者らを支援するNPO法人の施設で暮らす。
 「どんな理由があっても、してはいけないことだった。二度と犯罪には手を染めない」と誓う。
 これまで選挙で投票したことはない。自分にとって、意味のないことだと思っていた。「派遣切り」の問題がクローズアップされた昨年8月の衆院選では、「投票に行く心の余裕もなかった」と振り返る。
 今回は投票所に足を運ぶつもりだ。
 「路上生活者や犯罪者は、誰にも悩みを相談できない。一人で苦しみ、自殺する人も多い。派遣切りをやめさせ、孤立者を支援する政策を訴える候補者に投票したい」

 東北朝鮮初中高級学校(仙台市太白区)の尹鐘哲校長(50)は、在日韓国・朝鮮人への新たな差別が生まれたと感じている。
 民主党が政権交代後の実績として挙げる高校無償化。政府は3月に成立した高校無償化法に基づき、私立高校や各種学校のインターナショナルスクールの生徒には就学支援金を支給する。
 だが、朝鮮学校は制度スタート時点で対象から除外され、支給するかどうか、判断は参院選後に先送りされた。尹校長は「朝鮮人軽視の政策。子どもたちが差別を感じ、心に深い傷を負いかねない」と言う。
 同校は現在、生徒数減少の影響で高級部を休校している。中級部の卒業生約10人は、茨城県内の朝鮮学校高級部で寮生活を送る。保護者の負担は大きい。
 日本に住み、税金も払っている。でも、選挙権はない。地方参政権を定住外国人に認めようとする動きは政権交代で加速したかに見えたが、国政となると、話はまるで別だ。候補者の声が街中にこだまする中、韓国・朝鮮人差別をなくそうという訴えはほとんど聞かない。
 尹校長は「票にならない声は見過ごされてしまうのか。政治家は、選挙のためだけに政治をしている」と憤る。(報道部・勅使河原奨治)


2010年07月08日木曜日

119チバQ:2010/08/22(日) 00:58:36
http://npn.co.jp/article/detail/74388093/
派遣社員が平均一月で辞めていく、派遣先企業
 過去5年間も派遣社員を続けてきた知人が、あれは最悪の派遣先だったと言った工場がある。その工場は大手の企業系列で、自動車のギアなどを製造している企業である。

 派遣社員が平均一月しか持たない、その勤務内容とは果たしてどんな内容なのだろうか。

 その工場では社員と派遣社員が、二つに分かれて作業をしている。社員は主にマシンオペレータをしており、機械操作のみである。他の作業は全て派遣社員の仕事になっていると言う。
 最初に派遣社員は一つの空パレットを用意する。次に空のプラ製のケースを積み上げて、その中には緩衝材を入れておく。そのケースの中に完成品を納めるのである。
 まずは素材を機械に入れる作業がある。パレットに素材が山と積まれている中から、1個の直径約15センチ、重さ1キロの素材を最初の機械の入口に積み上げる。機械はほぼ自動化されており、自動的に素材は中に入ると言う。最初の機械からギアが出てくるのを暗室でヒビがないかを確認し、更にもう一つの機械に入れる作業がある。これは一つ一つ、入口に並べて入れる必要があると言う。
 更に機械から出てきた完成品のギアをケースに入れる作業を、一人でほぼ同時に行わなくてはならない。4つの工程を一人で管理しなければならないのだ。ちなみに1日の生産数は1000個だと言う。
 これだけの重労働な仕事を、たった一人の派遣社員にさせているのだと言う。その理由は単純に経費削減のためである。おまけに派遣社員がしくじったり、失敗したりすると、容赦ない罵声が社員から浴びせられるのである。

 この工場で派遣社員は、まさに地獄の作業を延々とさせられるのである。おまけに昼勤と夜勤を、一週間ごとに交互に行わせるから、派遣社員の多くはそのリズムに身体を合わせることが出来なくなって、更に過労で身体を壊すのである。
 知人の話では、その工場では社員がその余りに過酷な労働が原因で発狂した者も存在したと言う。また社内で使い物にならない他の部署の駄目社員を中に入れて、敢えてリストラしていたそうである。
 今週も新聞の求人折込チラシに、この企業が求人を載せているが、果たして何人が地獄を体験するのだろうか。
(藤原真)

120とはずがたり:2010/09/03(金) 14:08:24

「生活保護目的」入国が横行? 「調査開始」大阪市だけの問題か (J-CAST)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_osaka_shi__20100902_2/story/20100902jcast2010274896/

中国人46人が入国直後に生活保護を申請した問題を受け、大阪市は過去5年にさかのぼり生活保護受給目的で入国し受給しているケースがないか調査を始めた。大阪市だけの問題ではないのでは、との指摘も出ている。

大阪市生活福祉部によると、外国人が世帯主で生活保護を受けているのは、市内に約7400世帯(約1万人)。このうち、今回の調査対象(入国後3か月以内に生活保護を申請)となるのは1000人程度になると推計している。2010年8月31日、調査する方針を公表した。
「不自然、氷山の一角かも」

「来日直後の大量申請は、あまりにも不自然だ」「氷山の一角かも」。大阪市の中国人大量申請について、産経新聞は産経抄(7月2日付)でこう指摘した。

問題となっている46人は、中国から来日し日本国籍を取った姉妹の親族で、いずれも10年5〜6月にかけて定住資格を取得、直後に生活保護を申請した(来日したが保護申請はしていない親族も2人いる)。このうち一部には受給資格が認められ支給が始まっていた例もあるが、「短期に大量」の申請に不審な点があるとして、7月末の段階で支給を停止した。市では「生活保護受給目的の入国」との疑いを強めており、判断が固まれば保護対象外とする方針だ。

厚生労働省によると、全国(08年)で約111万世帯の生活保護受給世帯のうち、世帯主が外国人のケースは約3万世帯だ。

大阪市でも、今回のような「短期大量」の申請は「恐らく初めて」としており、厚労省内や他自治体では、まだ「生活保護受給目的の入国(定住等の資格取得)」に関する調査をする機運は高まってはいない模様だ。
「かわいそう」「徹底調査を」の声も

しかし、「日本に滞在する残留孤児関係者のほぼ9割が偽物」との指摘もある。元警視庁通訳捜査官の坂東忠信さんが、著書「日本が中国の『自治区』になる」(産経新聞出版)の中で書いている。生活保護受給目的で入国するケースがあっても不思議ではない状況なのかもしれない。

一方、読売新聞(7月5日付大阪夕刊)によると、今回の46人の親族で日本国籍を取っている姉妹は、「息子たちの仕事が見つかれば、申請は取り下げるつもりだった」とあくまで申請は一時的な措置だったと話している。

大阪市へは、今回の生活保護支給中断などの対応について、「かわいそうではないか」という批判や「徹底して調査すべきだ」との激励などさまざまな声が多数寄せられているという。

[ 2010年9月2日18時30分 ]

121とはずがたり:2010/09/11(土) 13:33:58

地味だけどきちんとしごとしている平松市長。目立つことしか考えてないどっかのアホ知事とは大違いだ。

中国人生活保護大量申請は平松大阪市長の「完勝」
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/100723/wlf1007230029000-n1.htm
2010.7.23 00:22

 中国人48人が生活保護を大量申請した問題で、22日に支給打ち切りの方針を決めた大阪市。入国直後に生活保護申請をするなど「極めて不自然」な経過が浮上する中、市は国に、在留資格が認められれば保護制度を適用せざるを得ない現行の法運用の見直しを粘り強く要望し、市独自で支給の是非を判断できる“裁量権”を手にした。一方、48人の在留資格申請にかかわった弁護士は「生活保護目的の入国という市の判断は明らかに間違い」と反発している。

 「異常事態という判断は間違っていなかった」。大阪市の平松邦夫市長は言い切り、「あとは毅(き)然(ぜん)たる態度で臨む」と強調した。

 中国・福建省出身の残留日本人孤児姉妹の親族とされる中国人48人が大阪市に生活保護を大量申請した今回の問題が発覚したのは先月29日。市のプロジェクトチームの会合で、区役所幹部の指摘で表面化した。

 その後、入国直後の外国人登録から最短3日で生活保護申請するなど、不自然な経過が浮上した。

 産経新聞の取材に応じた日本人姉妹は、「親族と一緒に日本で暮らしたかった」と生活保護目的を否定した。しかし、48人の在留資格を認めた大阪入国管理局に市が照会した結果、48人の身元引受(保証)人はわずか2人と判明。申請者と身元引受人の数のあまりの格差に、市の担当者も、身元引受人の当初からの扶養の意思や保証能力に疑問を抱いた。

 こうした事情に加え、財政難の大阪市では、膨らむ一方の生活保護関連の予算が財政を圧迫している。市では再三にわたり厚生労働省に対して、在留資格が認められれば自治体の意向にかかわらず生活保護を支給しなければならない現在の生活保護法などの運用見直しを要望し、今月21日に「結果的に生活保護の受給を目的として入国したと見なさざるを得ない場合」などは、市が独自に打ち切りを判断できるとの回答を得た。

 市の担当者は今回の厚労省見解について、「ここまで踏み込んだ意思決定をしてくれるとは期待していなかった。正直言って驚きだ」と評価する。

 一方、48人の在留資格申請にかかわった弁護士は「生活保護目的というなら市にはそれを立証する責任がある。今回は中国残留邦人の親族が永住帰国し、仕事がみつかるまで援助してほしいと申し出たにすぎない」と市の対応を批判している。

122とはずがたり:2010/09/13(月) 00:37:49

猛暑:生活困窮者直撃、冷房代減免を 支援団体「保護費加算、夏季にも必要」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100911dde041040008000c.html

 記録的猛暑で熱中症による死者や救急搬送が相次いだ今夏。エアコンがなかったり、電気代を節約せざるを得ない低所得者や独居高齢者といった社会的弱者を直撃した。生活困窮者の支援団体は、今後も起きる可能性のある猛暑に備えて、生活保護費に暖房代などを加算する冬季の制度を夏季にも適用することや、低所得世帯への電気代減免措置を近く国に求める。【市川明代】

 東京都内でも暑さが厳しいと言われる板橋区によると、23区内での熱中症による死者136人(8日現在、都監察医務院調べ)のうち、少なくとも14人は区内在住者だった。

 生活困窮者を支援する「板橋生活と健康を守る会」によると、生活保護を受けていた独居女性(83)が8月中旬、自室から遺体で見つかった。7月末に熱中症で死亡したとみられ、同会は「8月上旬、毎回来る都営住宅の相談会に来ないので心配していた。エアコンはつけていなかったのではないか」と話す。

 埼玉県では、生活苦のため電気代を支払っていなかった無職男性(76)が死亡するなど、8日現在で81人の死者が出ている。

 DV(ドメスティックバイオレンス)被害でうつ病になり、生活保護を受けている上尾市の女性(48)は7月上旬、自室で倒れ、ビタミン欠乏症で2週間入院した。エアコンの電気代との兼ね合いで食費を削り、体が弱っていたという。普段の電気代は月2000円弱だが、7月は2週間入院して留守にしたのに3000円を超えた。「8月分の請求が心配。少しでも補助があれば」と訴える。

 生活保護世帯には冬季(11〜3月)、寒さの度合いに応じて都道府県ごとに6段階の「冬季加算」が支給される。暖房用の灯油、電気代などがかさむためで、単身世帯の場合、北海道や青森といった寒冷地は最高額の2万2160円、東京都の場合3090円で、寒さが厳しくないと判断される地域は2810円。原油が高騰した07年には、一部自治体で低所得世帯に灯油代5000〜1万円が補助されたこともある。

 今夏と同じような猛暑が近い将来も起きる可能性があると予測する専門家もいる。このため、生活困窮者支援団体のNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」は今月15日、夏季の加算制度適用や、低所得層への電気代減免措置などを国に申し入れる。

 もやいの稲葉剛理事長は「生活保護は生きる上でぎりぎりの生活費しか出しておらず、異常気象は想定していない。何らかの支援があって当然だ」と話している。

毎日新聞 2010年9月11日 東京夕刊

123チバQ:2010/10/14(木) 19:19:28
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101014-00000037-mailo-l11
労基法違反:86日間、連日就労 容疑で清掃業者を書類送検 /埼玉
毎日新聞 10月14日(木)11時33分配信

 男性社員を4週間にわたり一日も休ませずに働かせたとして、さいたま労働基準監督署は13日、清掃業「山大物産」(新座市北野2)と同社社長(64)ら2人を労働基準法違反容疑で書類送検したと発表した。
 送検容疑は、同社の男性社員(当時35歳)=東京都清瀬市=を今年5月30日〜6月26日の間、連日就労させたとしている。社長らは「人手不足だった。仕事ができるので集中させてしまった」と話しているという。
 同労基署によると、男性は約6年間勤務。送検容疑となった4週間を含め4月5日から6月29日までの86日間、休日なしで働いていたという。男性は6月29日午前4時半ごろ作業現場に向かう途中、路肩に駐車中のトレーラーに清掃車で追突し死亡した。同労基署はこの事故を受け調査していた。同社はビルや配水管の清掃、産業廃棄物運搬などを手掛けている。【飼手勇介】

10月14日朝刊

124チバQ:2010/10/17(日) 19:05:44
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101016-00000067-jij-bus_all
派遣社員55%が「反対」=製造業への規制強化―東大調査
時事通信 10月16日(土)17時0分配信

 今国会で審議予定の労働者派遣法改正案で打ち出された製造業派遣の原則禁止について、製造現場で働く派遣社員のうち55.3%が「反対」と回答し、「賛成」は13.5%にとどまることが、東大社会科学研究所のアンケート調査で16日明らかになった。改正案は派遣労働者の保護を目的としているが、実施されれば「失業するリスクはかえって高まる」と考える人が多い。
 改正案は製造業派遣に関し、仕事がある時だけ雇用する「登録型」を禁止し、長期の雇用契約を結ぶ「常用型」に限定する。調査は8月に行い、派遣社員747人が回答した。
 改正案が成立し製造業で派遣として働けなくなれば、失業する可能性があるのか聞いたところ、「かなりある」が53.1%、「ある程度ある」が26.0%に上った。一方、「あまりない」は5.0%、「全くない」は2.0%だった。

125チバQ:2010/10/18(月) 23:26:09
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101018-00000546-san-soci
幸か不幸か迎えた朝…スーパー銭湯2カ月も居候、男逮捕
産経新聞 10月18日(月)14時39分配信

 24時間営業のスーパー銭湯に、宿泊料金を払わないまま約2カ月間も寝泊まりしていたとして、兵庫県警尼崎東署は18日、詐欺(無銭宿泊)の疑いで住所不定の無職、横内長次容疑者(57)を逮捕した。調べに対し、横内容疑者は「金がなく、行くところもなかった」などと話し、容疑を認めているという。

 逮捕容疑は、8月25日から10月17日までの間、尼崎市内のスーパー銭湯に居続け、宿泊代など総額約15万8千円を支払わなかったとしている。

 同署によると、同銭湯は毎朝10時のチェックアウト時にその日の宿泊料金を支払う仕組みで、横内容疑者は約2カ月間、一度も館外に出ることなく、潜んでいたという。

 同銭湯は年中無休だが、半年に1度の定期点検のため18日朝にすべての客を退館させた際、「実はお金がないんです」と、横内容疑者が“自首”したという。銭湯の従業員は「退場記録が1人分足りなかったので、もう逃げられたと思っていた。まさかまだ潜んでいたとは…」とあきれていた。

126チバQ:2010/12/23(木) 22:00:47
http://www.asahi.com/national/update/1221/TKY201012210246.html
「貧困、ブームではだめ」 今冬一転、寄付の毛布足りず2010年12月21日15時19分
 年の瀬を迎え、東京のホームレスたちに支援団体が配る毛布が足りない。2008、09年はリーマン・ショックやネットカフェ難民、年越し派遣村などで「貧困」の問題が注目を集め、全国から寄付が寄せられたが、今冬は動きが鈍いという。支援団体は「貧困支援は一時的なブームであってはならない。凍死者が増える前になんとか集めたい」と懸命だ。

 東京都墨田区の隅田公園で、九州出身の男性(59)が眠っていた。ブルーシートを敷き、寝袋にくるまる。年齢を理由に日雇いの仕事もなくなり、空き缶収集で得る収入は月4千円ほど。記者が会った日の所持金は300円だった。寒さをしのぐため服は5枚重ね着し、寝袋の中に毛布を2枚重ねる。それでも夜は底冷えし、つらいという。

 ホームレスの越冬に毛布は不可欠だ。支援団体「山谷労働者福祉会館活動委員会」は例年、拠点の山谷地区(東京都台東区)や上野周辺、江東区の公園などで毛布を配ってきた。今年はさらに、墨田区の隅田公園に「毛布箱」を設置し、誰でも箱から毛布を持ち出せるようにした。

 昨年暮れには毛布が200枚以上集まったのに、今年は50枚ほど。配る毛布は11月中旬で底をついた。同委員会によると、年を越すために「あと300枚必要」という。

 東京都によると、都内のホームレスは1月の調査で3125人。最多の台東区は331人いたという。同区によると昨年12月〜今年2月、凍傷などで129人が緊急的に生活保護を受け入院した。

 東京都と23区がホームレス保護のため5カ所に設けている緊急一時保護センター(定員351人)は、昨年に比べて定員が2割減らされた。今秋以降はほぼ満床で、希望者が入れない状況が続く。都は昨冬、国の要請で「公設派遣村」を開いたが、その後、石原慎太郎知事は「政府はもっと総合的にやるべきだ。厚生労働省の役人に代わって都が(派遣村利用者の)面倒を見る筋は全くない。昨年のような協力はできない」と明言しており、今冬は設置しない。

 毛布の寄付や問い合わせは同委員会(yamakara@pdx.ne.jp)へ。(青木美希)
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127チバQ:2010/12/23(木) 22:01:17
http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000001012200001
若者ホームレス実態は
2010年12月18日

◆ビッグイシューが「白書」 1万部を無料配布へ
 「経済的不安定な家庭育ち」5割以上
 「派遣切りや倒産で路上へ」7割以上


 40歳未満のホームレスの半数以上が経済的に不安定な家庭に育ち、7割以上が仕事上の問題が理由で路上生活に入った――。NPO法人「ビッグイシュー基金」(本部・大阪市、佐野章二代表)が、急増する若年ホームレス50人の聞き取り調査結果と専門家の提言を「若者ホームレス白書」にまとめた。理解を深めてもらおうと、1万部を無料で配る計画だ。


 ビッグイシュー基金は、雑誌「ビッグイシュー」を発行する会社「ビッグイシュー日本」の関連団体。同社は、ホームレスが路上販売した1冊300円の売り上げのうち160円が販売者の収入になる手法で自立を支援している。


 提言は、宮本みち子放送大学教授、作家の雨宮処凜(かりん)さん、自立生活サポートセンター・もやいの稲葉剛代表らがまとめた。


 調査のきっかけは、2008年秋のリーマン・ショック後、ビッグイシューの路上販売を望む若者が急増したことだった。東京の販売者の平均年齢は、この2年で56歳から45歳に下がった。


 聞き取りは20〜30代の男性50人(平均32・3歳)に東京と大阪で実施。路上に出た理由は退職、派遣切り、解雇・倒産など仕事絡みが38人。家庭不和や借金と答えた人の大半も、仕事上の問題が背景にあった。43人に正社員として働いた経験があったが、27人が5回以上転職を重ね、33人に派遣社員の経験があった。


 精神状態も悪く、4人に通院・服薬の経験があり、17人が抑うつ傾向があると回答。6人が児童養護施設、3人が親類の元で育ち、28人が経済的に不安定な家庭に育ったと答えた。7割以上が家族と連絡を取っていなかった。


 白書は、住宅確保策や緊急ダイヤル設置、就業支援の大規模基金創設などを提言。特に十分な親の保護がない若者を、長期的に支える必要性を訴えている。


 19日午後3時から、宮本教授らを招いてのシンポジウムを開く。会場は東京都現代美術館(江東区)。参加者には無料で白書を配る。問い合わせはビッグイシュー基金の東京事務所(03・6380・5088)へ。
(江口悟)

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128チバQ:2011/01/10(月) 10:03:03
http://www.sankei-kansai.com/2011/01/10/20110110-048205.php
豊中60代孤独死 困窮「どうしたら」 昨年、地裁執行官に訴え
 大阪府豊中市曽根西町のマンション5階の一室で、姉妹とみられる60代の女性2人の遺体が見つかった問題で、姉妹が生前の昨年9月以前、現場マンションを差し押さえている大阪地裁の執行官に対し「どうしたらよいか分からない」などと訴えていたことが9日、分かった。豊中市が記者会見して明らかにした。豊中署は、この部屋に住む姉妹の奥田紀代美さん(63)と久美子さん(61)とみて身元の確認を急いでいる。

姉は心臓疾患、妹は栄養失調?

 また、姉妹の死亡推定日はいずれも昨年12月22日ごろで、姉の死因は心臓疾患とみられることが司法解剖で分かった。妹の死因は不明だったが、栄養失調の可能性もあるという。2人とも胃の内容物はなく、体重はそれぞれ約37キロと約30キロだった。

 市によると、市の担当者は昨年12月27日、姉妹に関する相談で市役所を訪れた執行官と面会。執行官が姉妹と最後に会えたのは9月で、それまでにも姉妹から「どうしたらよいか分からない」と訴えられたことに加え、郵便受けから生ごみのような臭いがしたとも伝えられたという。

 執行官は2週間に1回のペースで手紙を郵便受けに入れたが、直接姉妹と会えなかったため市に助けを求めた、と説明したという。

 しかし、市は警察官と一緒に訪問するよう助言したものの、担当者にマンションを訪問させたり、民生委員らに連絡したりといった措置は取らなかった。姉妹は生活保護や介護保険の利用はなかったが、国民健康保険料や水道料金を滞納しており、生活に困窮していたとみられる。

 執行官は12月28日と今月6日に部屋を訪れ、「寒い年明けをどのように生活されているか心配しています。早々に親類か市役所に相談されるよう強く勧めます」などと記した文書をドアに掲示。それでも連絡が取れず、8日に豊中署員と部屋に立ち入り、遺体を見つけた。

 会見した大東幹彦・市高齢介護課長は「亡くなったのは大変残念。執行官が手紙を入れていたので、(姉妹)本人から市に相談してくるのを待つことにした」と釈明。通常、近隣住民から「新聞がたまっている」「姿を見かけない」といった通報があれば民生委員らに連絡するとしているが、今回はなかったといい、大東課長は「執行官から市への相談がもう少し早ければ対応策を話し合えたかもしれない」と話した。

129チバQ:2011/01/10(月) 10:03:21
土地持ちの元資産家▽数年前から差し押さえ▽生活保護申請進言は拒否
 
 姉妹は「父が資産家」として知られ、かつては現場マンションのほかにも近隣の土地を所有する資産家だった。ところが生活が困窮し、大阪地裁の執行官から生活保護の受給申請を勧められても拒否したという。なぜ行政に助けを求めなかったのか。孤独死に至った経緯の解明が待たれる。

 豊中署によると、部屋に残された現金は十円玉と一円玉を合わせて90円ほどしかなく、預金通帳の残高は0円だった。室内にはごみが散乱し、冷蔵庫の中も空っぽだった。

 豊中市や付近住民によると、姉妹は2〜3年前から所有する土地の差し押さえを順次受け、昨年春ごろには現場マンションも大阪地裁の強制管理になった。8月ごろに近くの民家からマンションの一室に転居、9月には部屋の電気とガスが止められた。

 市内に住む親族の男性(67)によると、姉妹は10月ごろ、男性に久しぶりに電話をかけてきて「お金を貸してくれ」と頼んできたという。男性は「名家の人間として生活保護などの世話になるのが嫌だったのか。こんなことになるまで手を打ってくれなかった市の対応に疑問を感じる」と語った。

 姉妹から土地を購入したことがある主婦(57)は「(現場の)マンションを約10年前に建てるなど、資産運用に取り組んでいたが、思うように入居者が集まらず、資金繰りが苦しかったようだ」と振り返る。10月ごろに姉から「1万円貸して」と頼まれ、貸したこともあるという。

(2011年1月10日 07:44)

130司法こそ仕分けしろ:2011/01/11(火) 10:40:07
>>129
下手に資産があると、生活保護を申請してもいろいろ理屈を言われて、先延ばしをされる。
しかし、中国人だと貯金があっても即OKという判決が出ている国だよ、この国は。

131とはずがたり:2011/01/11(火) 11:29:21

貧困ビジネスブラジル人被害 失業融資ピンハネ?
http://www.shizushin.com/news/social/shizuoka/20110106000000000009.htm
01/06 07:29

 浜松市の不動産業者が仕事と住居を失った人を救済する国の「就職安定資金融資」を利用するよう複数の在住ブラジル人に持ち掛け、手続きをサポートする見返りに、高額の手数料を受け取っていた可能性があるとして、静岡労働局は5日までに、実態調査を始めた。
 同融資は、解雇や契約解除などで仕事と同時に住宅を失った労働者などの緊急生活支援制度として2008年12月に創設され、昨年9月末に終了した。低利で最高186万円の融資を受けられた。
 在住ブラジル人から相談を受けたという関係者によると、業者は融資の申請窓口だったハローワーク浜松の周辺で、ブラジル人に「簡単にお金とアパートが手に入る」などと融資申請を持ち掛け、通訳を引き受けるなど手続きをサポート。融資金が振り込まれると、「手数料」として2割程度を受け取っていたという。
 浜松国際交流協会には、09年春ごろに数件の相談があったという。日系ブラジル人グループの関係者は「言葉や情報に乏しい外国人を狙った貧困ビジネス」と指摘する。
 同労働局は「不正の有無や件数など調査を始めたところ」とする。同労働局によると、同融資は県内で約1400件(計約16億円)の利用があり、約半数が浜松市内からだったという。

132聖書:2011/01/19(水) 22:49:22
地の果てのすべての人々よ

わたしを仰いで、救いを得よ。

わたしは神、ほかにはいない。  イザヤ45:22

http://blog.goo.ne.jp/kagayakuegao/e/3bda727a2bc2c2a82072507ca852cfde

133杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2011/01/31(月) 01:48:50
親の因果が・・・・・(哀

【衝撃事件の核心】 死より誇り…資産家から転落、“孤独死”姉妹の困窮生活
2011.1.30 07:00

 正月気分の抜け切らない1月8日、大阪府豊中市のマンションの一室で、60代の姉妹が遺体で発見された。2人はいずれも極度にやせ細り、死後20日前後たっているなど、典型的な「孤独死」だった。実家は土地を多く保有する地元でも有名な資産家。しかし、2人が最期を迎えたマンションは多額の借金のため差し押さえられ、所持金はほぼゼロだった。裕福な生活から次第に困窮していくなか、社会のセーフティーネットで支援する手だてはなかったのか…。

※ 体重は30キロと37キロ

 遺体が見つかったのは1月8日午前10時ごろ。豊中市曽根西町の5階建てマンションの一室を大阪地裁の執行官が豊中署員とともに訪れた。リビングに姉の奥田紀代美さん(63)が、和室に妹の久美子さん(61)が倒れていた。
 豊中署によると、2人はセーターやはんてんなど衣服4枚を重ね着し、首にマフラーやスカーフを巻いていた。昨年9月から電気、ガスとも止められており、暖房のないなか必死に寒さと闘っていたのをうかがわせた。
 司法解剖の結果、2人は昨年12月22日ごろにすでに死亡していたことが分かった。紀代美さんの死因は心臓疾患、久美子さんは不詳とされたが栄養失調の疑いがあるという。2人とも胃の内容物はなく、体重は紀代美さんが37キロ、久美子さんは30キロにまで減っていた。
 室内に食料はなく、6畳の寝室以外は生活ゴミの山。財布に残された現金はわずか90円で、久美子さんの銀行の預金通帳の残高は一昨年11月の時点で11万円ほどあったが、昨年6月以降はゼロとなっていた。
 室外の通路には古い洗濯機が台車に乗せられたまま放置されていたほか、久美子さんの名前が記入してある車いすがあった。さらに、玄関ドアには姉妹の安否を心配する昨年12月28日付と今年1月6日付の張り紙があり、執行官名で「電気、ガスも止まり、寒い年明けをどのように生活しているか心配しています」「親類または豊中市役所に相談するよう強くすすめます」などと書かれていた。

※ 財産相続、納税に苦慮

 生活に困窮した末の孤独死。しかし、奥田さん姉妹は地元でも有名な資産家の娘として知られていた。
 豊中市内に住む親族の男性によると、奥田さん姉妹の父親は銀行に勤め、大阪や奈良の支店長を歴任。定年後は電気会社で顧問として働いた。土地やマンションを多くもつ資産家で、「学歴がないのに財産も社会的な地位も築き、私からみれば雲の上の存在だった」。姉妹も周りから「お嬢様」とみられていたという。
 しかし、男性は「いつごろからか酒に依存するようになり、お金を浪費し始めた」と続ける。そのころ、ゴルフ場を経営するといって山を買ったが断念したり、果樹園をしていたが、それも数年後に処分したりと事業の失敗を重ねた。「父親は家族と険悪になり、金に困るようになった。25年ほど前に亡くなった」という。
 母親が亡くなった後は財産を受け継いで姉妹2人で生活。黒塗りのハイヤーで出かけたり、海外旅行に使うようなスーツケースを所持していたりといった姿が見られていた。
 しかし、現実の台所は火の車だったとみられる。10年ほど前に姉妹から土地を購入した近所の主婦は「土地の代金は相続税の滞納による利息の支払いに充てる」と言われたという。そのころ姉妹は最期を迎えるマンションを建てたが、思うように入居者が集まらず、逆に建設のための借金が重荷になっていった。
 不動産登記簿によると、もともと住んでいた一軒家は平成13年12月に税務署が差し押さえ、16年から22年にかけて豊中市や大阪府、金融機関などが相次いで差し押さえに加わった。相続税や固定資産税を滞納していたとみられ、22年9月に大阪市内の不動産会社が公売により購入した。現在は隣接する駐車場と合筆されて更地となっている。
 現場マンションも15年3月に大阪府が差し押さえた。この差し押さえはその後に解除されたものの、22年2月に今度は金融機関が差し押さえた。同時に大阪地裁の強制管理がスタート。入居者の家賃の振込先は地裁に変更され、姉妹の家賃収入は絶たれた。
 近所の主婦はこうも振り返る。「昨年10月ごろ姉が自宅に来て、さも当然のように『悪いけど1万円貸してくれる?』と言ってきた。1万円なんて大きな金額じゃないんだな、と思いつつ貸した。返ってこないかもしれないと思ったけど」。さらに「正月、2人は食べ物があるだろうか、持っていってあげようかと悩んだ。そのときに気づいてあげていればよかった…」と言葉を絞り出した。

134杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2011/01/31(月) 01:50:48
※ セーフティーネットのはざま

 大阪地裁によると、執行官は、同地裁が現場マンションの強制管理を始めた昨年2月以降、十数回にわたりマンションを訪れ、その都度チャイムを押していたが、応答がなかったという。そうするうち9月中旬に初めて応答があり、奥田さん姉妹と面会した。
 執行官は豊中市へ相談したり無料法律相談所を利用したりするよう進言。生活保護の申請もすすめた。しかし、捜査関係者によると、姉妹は生活保護の申請を拒否したという。執行官が姉妹に会えたのは、これが最初で最後になった。
 執行官が最後にマンションを訪れたのは12月24日。同月27日になって執行官はようやく対応策について、豊中市役所へ相談に出向いた。
 遺体発見の翌日の1月9日、豊中市は緊急会見を開いた。市によると、執行官は市の担当者に「奥田さん姉妹と会った際、『どうしたらよいか分からない』と訴えていた」と話した。「9月から電気、ガスが止められている。先日、郵便受けを開けると生ゴミくさいにおいがした」とも伝えたという。
 奥田さん姉妹は生活保護や介護保険の利用はなかったものの、国民健康保険料や水道料金を滞納していた。しかし、住民票には現場マンションとは別の住所が記載され、それぞれの担当課は姉妹と連絡が取れなかった。
 市は執行官の相談に対し、警察官とともに立ち入るよう提案したが、職員にマンションを訪問させたり、民生委員や地区福祉委員に情報提供したりといった措置は取らなかった。
 記者会見した担当者は「執行官が2週間に1回のペースで手紙を入れていると聞いたので、もう少し様子を見ようという判断になった。(奥田さん姉妹)本人から市に相談がなかったのは残念だ」と話した。
 市の担当者は実際問題として、市内の全世帯を網羅して訪問するのは物理的に困難で、「市民本人から援助の申し入れがないと動きにくい」と説明。今回は近隣住民から「最近姿を見かけない」「困っているようだ」といった通報もなかった。また、民生委員の見回り対象は65歳以上の高齢者世帯。63歳と61歳だった奥田さん姉妹を民生委員が訪問したことはなかったという。
 親族の女性は「名家の娘として、家の誇りを背負っていて、人に相談することが恥だと思ったのかもしれない」と語る。また、近所に昨年引っ越してきた男性は「一軒家は高い木立に囲まれ、大きいが汚い家だった。野良猫が何匹も住みつき、表札はあるが空き家のような感じだった」と話す。近所付き合いがほとんどないなか、孤立を深めていったのだろうか。
 社会のセーフティーネットの網の目を細かくするため、豊中市は市社会福祉協議会や地元警察、保健所、電気・ガス会社などでつくる調整会議を開催。水道や国保などの滞納情報を一元化して生活困窮者を早期に見つける枠組みや、窓口や徴収で市民と接する職員が市民の危機に気付くためのマニュアルを作成することなどを検討していく。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110130/dst11013007010001-n1.htm

135チバQ:2011/03/25(金) 19:44:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110325-00000061-mai-soci
<東日本大震災>「非正規切り」が深刻化 26日に電話相談
毎日新聞 3月25日(金)15時0分配信

 東日本大震災が非正規労働者の雇用にも深刻な影響を及ぼし始めた。個人加盟労組でつくる「全国コミュニティ・ユニオン連合会」(東京都)には、派遣切りなどの相談が相次いでいる。「仕事が減ったから」と震災に便乗するような解雇もあり、同ユニオンは「08年秋のリーマン・ショック時以上に深刻だ」と、国に早急な対策を求めている。

 同ユニオンには24日までに震災関連の労働相談が約90件寄せられた。ほとんどが非正規雇用の労働者からで、被災地以外で働くケースも多い。「被災地から部品調達ができなくなった」などの理由で自宅待機を命じられ、その間の賃金補償がない人が多く、解雇や派遣切り、内定取り消しなども目立ってきた。

 静岡県の40代男性は派遣先の自動車部品メーカーが減産体制になり、22日から自宅待機に。「会社は給与を補償すると言わない。4月以降はどうなるか分からない」と不安を漏らした。福島県の30代男性は派遣元に「4月16日で約100人の派遣社員全員と契約を打ち切る」と通告された。「地震で自宅が損壊し、修理が必要だ。雇用契約を切るのはひどい」と訴えたという。

 相談の多くは製造業だが、事務系にも広がっており、電話1本で解雇を通告された東京の事務派遣女性もいる。都内のコールセンターに勤める30代パート女性は「震災で業務が減った」として4月以降の契約を更新しないと告げられた。計画停電の影響で仕事が減り、自宅待機を命じられている人もいる。

 労働基準法は天災などで直接被害を受けていない事業者には、最大限努力しても労働者を休業させざるを得ない場合のみ休業手当を支払わなくてよいとしている。関根秀一郎・副事務局長は「震災に便乗するようなケースも出ている。解雇や派遣切りを規制したり、休業補償を徹底させるための緊急立法が必要だ」と話す。

 同ユニオンは26日午前10時〜午後8時に緊急の電話相談「雇用を守る震災ホットライン」(代表050・5808・9835)を全国8カ所で実施する。【遠藤和行】

136名無しさん:2011/03/27(日) 16:06:52
ここに貼るのは違う気もするが、ぴったりくるスレが判らん。判る人転載よろしく。
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/03/23/060/
セーフティネット保証(5号)の対象、震災受け全82業種に拡大 - 中小企業庁
中小企業庁は23日、東北地方太平洋沖地震などによる影響を踏まえ、2011年度上半期のセーフティネット保証(5号)の対象業種を、原則全業種(82業種)にして実施すると発表した。

セーフティネット保証(5号)は、特に業況の悪い業種に属し、かつ、売上高が一定程度以上減少していること(前年同期比5%以上減少など)などについて、市区町村長の認定を受けた中小企業者が対象で、保証割合は100%保証。保証限度額は一般保証とは別枠で利用可能で、無担保8,000万円、最大で 2億8,000万円(8,000万円を超える無担保保証にも柔軟に対応)。

(1)最近3カ月の売上高などが前年同期に比して5%以上減少していること、(2)東北地方太平洋沖地震の発生後、原則として最近1カ月間の売上高などが前年同月に比して20%以上減少しており、かつ、その後2カ月間を含む3か月間の売上高などが前年同期に比して20%以上減少することが見込まれること、のいずれかを満たすことが要件となる。

今年4月からの同制度は、当初は昨年7〜9月期の業種ごとの売上などのデータを基に48業種で実施する予定だったが、震災が発生し、計画停電も含めマクロ経済への影響が懸念される一方、業種判断のためのデータを取り直すことも困難となっている。

こうした状況を踏まえ、中小企業庁では、景気対応緊急保証制度が終了する今年4月から、セーフティネット保証(5号)については、緊急避難的に、2011年度上半期において、原則全業種である82業種で同制度を運用することとした。

137チバQ:2011/06/05(日) 14:26:26
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110605-00000015-san-l04
収入見込めぬ求人ばかり、貯蓄も底… 宮城
産経新聞 6月5日(日)7時55分配信

 ■住居より仕事「先見えない」

 東日本大震災は家や家族とともに多くの仕事も流し去った。被災生活も70日以上が過ぎ、必要なのは「住居より仕事」。だが、被災地近くの仕事場は少なく、単純労働ばかりで被災前の収入が見込めない仕事ばかり。貯蓄は減る一方で、被災者の生活は復旧どころか悪化しかねない状況だ。(荒船清太)

 長ネギとキャベツ、豚バラ肉のパック。それが「最後の買い物」だった。5月下旬、石巻市の無職女性(59)は貯金も、震災後に兄弟から借りたお金も底をつき、スーパーに行かないことを決めた。

 震災でパート先の病院が被災し、無職になった。失業保険は出ない。年金をもらえる年齢でもない。家も家族も無事だったが、災害関係の給付金の対象から外れた。「手持ちのお金がもうない。津波で流されればよかった」。そんな思いが頭をよぎった。

 同居の次男(26)と三男(19)に加え、3人家族の長男(29)も避難してきた。長男以外は仕事を休み、収入はない。最後の買い物の翌日、朝食は残り物とご飯、昼食はご飯の残りにお湯をかけて口の中に流し込んだ。

 ◆1万人に失業手当

 東北地方の太平洋沿岸部の失業は深刻だ。ハローワーク石巻によると、石巻市の雇用保険加入者約4万人のうち1万人が失業手当を給付されたという。

 4月の求人数は前年同期の2倍の約1500件あったが、「ほとんどが4カ月以内の臨時の仕事」(同ハローワーク)。県外の仕事も含まれるため、「なるべく被災地に近い仕事を探す人が多く、様子見で応募自体には踏み込めないケースが多い」(同)という。

 求人があっても雇い主の多くは被災者を優先雇用する。同じ失業者でも家や家族が無事だった人に仕事が回ってくる可能性は結果的に低くなる。

 「被災した渡波学校給食センター(石巻市)の従業員を優先して雇い直すから、もう契約できない」。登米市の寺沢純子さん(37)は3月末、石巻市の河北学校給食センターからそう言い渡された。3月10日に8カ月ぶりに得た仕事だったが、大震災が起きた11日でセンターは休業。再開の日を待っていた。

 「家も家族も無事だから仕方がない」。だが、小学2年と小学4年の娘を抱える身。「教育費は上がるばかりだし、被災した母親へ物資を送る必要もある」。ハローワーク石巻で2件の仕事を見つけた。ただ、夫に相談している間に案内が終わっていることが2度も続いている。

 ◆県外へ単身赴任も

 被災しながら仕事を探す世帯主には、収入面で見合う仕事が見つからない。

 松浦秀晃さん(44)は勤務先の精密機器製造工場が津波が運んだがれきに埋まり、家は土台ごと流された。3月に高校を卒業した長女(18)は内定を取り消され、その下には中学2年の次女(13)もいる。復旧作業で1年間無給が続く恐れもあり、仕事は辞めるほかなかった。

 月給は手取りで30万円以上もあった。会社は携帯電話のプリント基板製造が軌道に乗り、「覚えていないくらい久しぶりの黒字になる」と話していた矢先の震災だった。求人があるのは月に手取り十数万円の仕事ばかり。

 「体力には自信がないから」と松浦さん。県外への単身赴任も考え始めた。現在、実家に妻と娘2人で身を寄せ、仮設住宅の抽選結果を待っている。「仮設が決まっても仕事がなければ先が見えない」。松浦さんはそう話して深々とたばこの煙を吸い込んだ。

138チバQ:2011/06/05(日) 14:29:10
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110531-00000024-mai-bus_all
<有効求人倍率>17カ月ぶり悪化、0.61倍に
毎日新聞 5月31日(火)11時8分配信

 厚生労働省が31日発表した4月の有効求人倍率(季節調整値)は前月比0.02ポイント低下して0.61倍となった。悪化はリーマン・ショックの影響が残る09年11月以来、17カ月ぶり。有効求人数(同)が160万人で前月比1.7%減少する一方、有効求職者数(同)は1.8%増の262万人。厚労省は「東日本大震災の影響で部品調達難が強まり、被災地以外の雇用情勢も悪化した」と分析している。

 有効求人倍率はハローワークの求職者1人当たりの求人件数。4月に新規で受け付けた求人分を示す新規求人倍率(同)は0.95倍と、前月より0.03ポイント低下した。岩手、宮城、福島の被災3県でみると、新規求人数(同)は、岩手7987人(前月比39.9%増)▽宮城1万5223人(同72.2%増)▽福島1万1633人(同65.5%増)−−と大幅に増加した。

 しかし、3県の新規求職者数(同)は岩手1万4532人(前月比86.7%増)▽宮城2万3755人(同143.1%増)▽福島1万5636人(同75.7%増)−−と求人を大きく上回った。被災直後の3月に比べ雇用の場は増えているものの、被災地で職を求める人の急増に追いついていない状況だ。

 一方、総務省が31日発表した労働力調査によると、東日本大震災の影響で調査できなかった岩手、宮城、福島3県を除いた4月の完全失業率(季節調整値)は前月より0.1ポイント増の4.7%と6カ月ぶりに悪化した。男の完全失業率(同)は前月と横ばいの5.0%、女は前月比0.1ポイント増の4.2%だった。

 厚労省は併せて、5月27日現在の被災3県の雇用状況も発表。震災翌日の12日以降に失業手当の受給手続きを始めた人は前年同期比2.3倍の11万4608人に上った。被災者を対象とした有効求人数は4万1731人分で、このうち3県以外からの求人が3万7628人を占めている。【鈴木直】

139チバQ:2011/06/05(日) 14:34:22
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001105250003
避難生活 かさむ出費
2011年05月25日


震災後、使った費用はすべてノートに記録している。来月に入る収入に望みを託す=熊本市

  東日本大震災から2カ月半。県内には52世帯、128人が避難している(県調べ、23日現在)。約4割の人が提供された公営住宅に住んでいるが、古里を離れ、突然に始まった生活への悩みは尽きない。入居期間の制限もあり、「腰を据えて暮らせない」と不安に駆られる避難者もいる。


  「テレビで避難所の様子が映ると時々うらやましくなる」。福島県南相馬市の女性(59)は、熊本市営住宅に入居して2カ月になる。この間の出費は約30万円。冷蔵庫に電子レンジ、洗濯機、衣類……。家賃は無料だが、生活用品を手に入れるだけで銀行口座の残高が一気に減った。


  避難所では3食の配給があり、物資が全国から届く。女性は「プライバシーもなくて大変だろうけど……」と思いやりながら、「家はあってもゼロからのスタート。電気代やガス代もばかにならない」と漏らす。


  海外旅行中に地震は起き、成田空港(千葉県)に到着したのが4日後の3月15日。原発事故の影響で自宅に戻ることすらかなわず、熊本市内に住む長女一家を頼って避難を決めた。


  出費を減らそうと食事は1日2食。「寝るとおなかが減らない」と睡眠時間を増やした。カーテンの代わりに、最近まで黒いポリ袋で窓を覆った。身につけているジャージーやTシャツはすべてもらいものだ。


  4月末から、ハローワークの紹介で介護の仕事を始めた。時給は800円ほど。福島で同じ仕事をした時より150円安いが、就職できただけでも良かったと感じる。


  熊本で生活を再建したいという思いを持つが、今の悩みは「いつまでここに住めるか分からないこと」。入居期限は1年以内。契約では、福島県の避難指示解除後、1カ月以内に退去しなければならない。「生活が落ち着いた矢先に『解除』になったら……」


  将来を見据えた暮らしをしていいのかどうか。お金を引き出すことができる銀行のキャッシュカードは1枚だけ。間もなく残金がゼロになる。


  県によると、県内に避難した被災者のうち、県や市町が提供する公営住宅への入居者は19世帯48人。最多の熊本市は17人にのぼる。


  公営住宅の場合、入居対象者は大震災で家を失った被災者と、原発事故の福島県内で避難指示が出されている地域の住民。無料で入居できる期間は県営が3カ月、熊本市営が6カ月以内。最大1年以内で更新できる。


  熊本市の場合、被災者が希望すれば、その後も有料で住めるが、避難指示が出されている地域の入居者は指定解除後、1カ月以内に退去しなければならない。市は「避難者が地元に帰ることを想定しているため」と説明する。


  しかし、今回取材した女性のように避難先で就職して生活基盤ができれば、本人がそれを望まない可能性もある。


  川崎医療福祉大学(岡山県)の田並尚恵准教授(震災社会学)は阪神大震災から14年後、兵庫県外に避難したままになっている約300世帯の被災者を調査した。その結果によると、地元に戻らない理由として「現地の居場所で落ち着いているから」が約3割で最も多かった。


  田並准教授は、火山の噴火で全島民約3800人が避難した東京都の三宅島では、避難指示解除後も約1千人が島に戻らなかったことを指摘。今回の震災でも放射能の影響などを懸念し、避難指示が解除されても自宅に帰らない選択をする避難者が出ることが予想されるといい、「自治体は一律な対応ではなく、避難者のニーズを個別にくみ取った対応が求められている」と話す。 (安倍龍太郎)

140チバQ:2011/06/29(水) 23:26:47
http://www.asahi.com/international/update/0628/TKY201106280611.html
日本の外国人研修制度批判 米国の人身売買実態報告書2011年6月28日23時28分

 米国務省は27日、世界の人身売買の実態をまとめた年次報告書を発表した。日本に関しては、外国人研修・実習制度について「保証金による身柄拘束や行動制限、未払い賃金など、人身売買の要素がある」と指摘。日本政府に取り締まりや法的な処罰の強化を求めた。

 今回の報告書は、過去最大の184カ国・地域を対象に、人身売買をめぐる法整備や対策の状況を4段階で格付けした。日本については「売春や強制労働の被害に遭う男女や子どもらの目的地にも通過点にもなっている」とし、人身売買の被害者保護に関する最低限の基準を満たしていないと指摘。7年連続でよい方から2番目のグループに分類した。(ワシントン=望月洋嗣)

141チバQ:2011/07/12(火) 23:28:23
http://www.asahi.com/national/update/0712/TKY201107120697.html
日本の貧困率、過去最悪の16%
 所得が少なく生活が苦しい人の割合を示す「相対的貧困率」が、2010年調査(09年時点)は16.0%で、07年調査(06年時点)より0.3ポイント悪化した。18歳未満に限ると15.7%で、ともに、厚生労働省が貧困率を算出している1985年以降、最悪の水準になった。同省が12日公表した国民生活基礎調査でわかった。

 相対的貧困率は、すべての国民を所得順に並べて、真ん中の人の所得の半分(貧困線)に満たない人の割合を指す。経済協力開発機構(OECD)の08年報告書では、加盟30カ国の平均は10.6%。

142チバQ:2011/07/31(日) 11:51:44
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110728_10.htm
悪質手配師が“搾取”も 被災地復興にホームレス就労拡大

増える被災地での復旧事業が、路上生活者の暮らしにも少なからず影響を与えている=7月中旬


 東日本大震災後、被災地で路上生活者を作業員として雇う動きが広がっている。貴重な収入を得るケースもあれば、劣悪な条件に逃げ出す人もいる。支援団体は「『手配師』と呼ばれる派遣業者には悪質な業者もいる。長くできる仕事を見つけてほしい」と呼び掛けている。
 「飛び込みで働けるよ」。2月に路上生活を始めた男性(23)は、JR仙台駅で寝泊まりするようになってすぐ、見知らぬ男に声を掛けられた。手元に小銭にしかなく、ためらいつつも男に付いていった。
 連れていかれたのは解体業者。契約を結ぶと、使う作業道具などの名目で13万円を請求され、いきなり借金を抱えた。
 日当5300円。そこから食費と宿賃が引かれる。給与の支払いは辞める際の一括払い。寄宿舎で朝と夜に食事が出るが、昼食などは自己負担。現金がないので前借りするシステムだった。
 男性は「理不尽だ」と思いながら何も言えなかった。資格もなく、路上に戻っても簡単に再就職が見込めないからだ。
 震災が起き、倒壊家屋を解体する仕事が急増した。寄宿舎に同じような境遇と思われる人が次々と来ては、出ていった。男性も給料をもらえない上、不衛生な相部屋の生活に耐えられず、6月に無断で路上に戻った。3カ月以上働いたが、手元に残ったのは前借り分の2万円だけだった。
 震災前は100人前後のホームレスがいるとされた仙台市内では、震災後、臨時の作業員になる人が増えているという。ホームレス支援団体によると、少なくとも20人ほどが何らかの形で被災地の現場に赴き、現金収入を得ているとみられる。
 悪質な派遣業者も存在する。支援団体によると、低賃金で家屋の解体や仮設住宅の建設現場に送られるといい、ただ働き同然で働かされたあげく、追い出されるように路上に戻ってくるケースもあるという。
 宮城労働局は「男性のケースが事実なら、手配師や解体業者の行為は最低賃金法(賃金支払いの原則)や労働基準法(中間搾取の禁止)に触れる可能性がある。おかしいと思ったら労基署に通報してほしい」と話す。
 支援団体は「日雇い仕事は日銭を稼ぐにはいいが、『その日暮らし』から抜け出せなくなる」と自立につながる職探しの重要性を呼び掛ける。別の団体も「悪質業者にだまされず、清掃業など長期的に働ける職場を探してほしい」と話している。


2011年07月28日木曜日

143チバQ:2011/08/29(月) 20:05:03
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110829/biz11082919080014-n1.htm
非正社員38・7% 過去最多を更新 厚労省調査
2011.8.29 19:05
 企業に勤める労働者のうち、パートや派遣など「非正社員」の割合は昨年10月1日時点で38・7%となり、平成19年の前回調査から0・9ポイント増加し過去最多を更新したことが29日、厚生労働省の調査でわかった。昭和62年の調査開始以降、非正社員の割合は右肩上がりで増えており、厚労省は「企業が雇用調整のしやすい労働形態に依存している傾向が続いている」としている。

 調査は、5人以上を雇用する1万6886事業所などを対象に実施。1万414事業所が回答した。

 調査によると、非正社員のうち、派遣労働者は3・0%で前回(4・7%)よりも1・7ポイント減少。リーマンショック後の派遣切りの影響とみられる。一方、嘱託社員は2・4%(前回1・8%)、契約社員は3・5%(同2・8%)と、それぞれ前回よりも増加した。団塊世代が正社員から嘱託社員や契約社員に移行したことも影響しているとみられる。

144とはずがたり:2011/09/14(水) 12:25:58

米貧困者4600万人=過去最多、人口比15%―2010年
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110914-00000014-jij-int
時事通信 9月14日(水)1時29分配信

 【ワシントン時事】米国勢調査局は13日、2010年の米国の貧困者が4618万人(前年は4356万9000人)と、統計を初めて公表した1959年以降最多になったと発表した。これで4年連続の増加。金融・経済危機の影響は依然消えておらず、オバマ政権や議会に一段の景気対策を求める声が強まりそうだ。
 国勢調査局によると、全人口に占める貧困者数の割合は15.1%(同14.3%)と、3年連続で上昇した。
 今回の調査では、4人家族の場合、年収が2万2314ドル(約172万円)以下の世帯を貧困層と定義。全米の世帯の年収は中央値で4万9445ドル(約381万円)と、前年比2.3%減少した。 

年収170万円以下4人家族、米で4618万人
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1071749960/831

(前略)米国では、政府が毎年収入の基準を定め、それを下回る収入の世帯を貧困層と定義しており(後略)

(2011年9月14日10時48分 読売新聞)

145とはずがたり:2011/09/17(土) 11:19:18

これまでなんとかギリギリでやってきた人達への打撃は甚大ですね。。

東日本大震災:苦悩半年 シングルマザー普通の暮らし遠く
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110917k0000m040092000c.html

 震災から半年がたち、多くの被災者は働く場の確保に懸命だ。事業再開した地元企業に勤め始めた人、古里を離れ就職した人……。「でも私は、悩むだけで半年を過ごしてしまいました」。岩手県陸前高田市の仮設住宅で、中学3年の長女(15)と暮らすシングルマザーの女性(41)は言う。両親に長女の世話を任せ働いてきたが、津波に両親も仕事も奪われた。どう生活していけばいいのか。いまだに決めかねている。【市川明代】

 同市出身の女性は、長女を出産後まもなく離婚。ガソリンスタンドや熱帯魚販売店などで正社員として働き続けてきた。実家に戻って両親に長女を任せ、残業をいとわず深夜の帰宅も当たり前。「稼げれば何でもやる」が口癖だった。

 しかし3月11日の津波で実家は流され、父は死亡、母は行方不明になった。避難所から仮設住宅に移って少し落ち着くと、どれだけ年老いた両親に負担をかけてきたか省みるようになった。今までの生き方は正しかったのか。わからなくなった。

 勤務先は津波で閉鎖され、失業手当を受けて職を探している。スーパーや水産加工会社の求人はあるが、以前なら飛びついた変則勤務や残業の多い仕事に目が向かない。長女と一緒にいる時間がほしい。社会保険が備わり、長く続けられる職を選びたい。でも、これはと思う求人は男性向けの仕事ばかり。面接も受けられずにいる。

 長女の通う中学校は転校が相次ぐ。仮設住宅を出ると砂漠のような風景が広がる。「自分に何かあったら、娘はここで生きていけるのか」。都会へ出るべきだとも思うが、受験を控える娘のことを考えると、決断できない。

 母娘で暮らす仮設住宅では、今も炊き出しや支援物資の配布が続く。「働いたお金で物を買う、普通の生活を取り戻したい。それができない自分に腹が立つんです」

毎日新聞 2011年9月16日 22時00分

146チバQ:2011/09/27(火) 23:12:38
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110927/trd11092716590013-n1.htm
39%が賃金格差に不満 派遣ら、正社員への道なく
2011.9.27 16:57
 パートや派遣社員として働く独身女性の39%が「同じ仕事の正社員と賃金に差がある」との不満を持っていることが27日、流通や繊維などの労働組合でつくる産業別労組「UIゼンセン同盟」のアンケートで分かった。

 「いくら働いても正社員になれない」とする人も25%いた。調査は今年1〜4月に実施し、独身女性の組合員約1300人が回答した。

 仕事に不満を抱く理由として、複数回答で「やりがいや達成感を感じられない」が35%、「雇用が不安定」30%、「昇進の機会がない」が28%だった。

 改善を希望する課題は「時給など賃金を上げてほしい」が70%、「ボーナスを支給してほしい」が41%。一方で、派遣やパートとして働く理由は「休暇が取りやすい」が40%、「異動や転勤がない」が36%だった(いずれも複数回答)。

147チバQ:2011/09/29(木) 12:29:23
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110929-00000001-diamond-bus_all
「派遣業界問題」はいつの間に埋もれてしまったか さらに深刻化する派遣社員の厳しい現実と今後の課題
ダイヤモンド・オンライン 9月29日(木)8時29分配信


派遣労働ネットワークのHP。ここから、2011年度のアンケート結果を見ることができる。また、現在困っている方の相談にも応じている。
 リーマンショック後の”派遣切り”がマスコミに取り沙汰され、大きな社会問題になったことを、ご記憶の方も多いだろう。しかし、その後の国政の混乱と衆参ねじれ国会などの余波を受け、いつの間にか「派遣業界問題」は埋もれてしまった感がある。

 派遣社員の実態は、現状どのようになっているのか? 改めて調べてみた。やはりと言うべきか、派遣労働ネットワークが行なっている「派遣スタッフアンケート2011年度ダイジェスト版」の中身を見ると、派遣社員の待遇は全く改善されていないことがよくわかる。

 まず、派遣社員の平均時給額だが、2008年の調査では1508.6円であったのに対して、2011年の調査では1504.5円と、下落が止まらない。これは首都圏を中心とした回答だが、全国的に見ると1310.6円とさらに200円ほど低くなる。派遣社員の生活が非常に苦しいことは変わらないどころか、ますます拍車がかかっているようだ。

 アンケート結果の詳細を見ても、7割近くの派遣社員が「今の仕事の収入では生活が苦しい」と回答している。中には、「年金、健康保険料が払えない」「食費を切り詰めている」など、娯楽はおろか最低限必要なものまで節約しなければ生活できないという訴えも見受けられる。

「税込み年収額が200万円」などという話は、今や地方では珍しくない。確かにこれでは、節約生活を余儀なくされるばかりか、働く希望や意欲さえ持てなくなる。ましてや、結婚をして子どもを作ろうとしてもなかなか難しいだろう。

 実際に、現在派遣社員として働いている人に話を聞くことができた。厳しいのは、給与面だけではないそうだ。正社員でないため、派遣先の福利厚生面でも待遇が悪いという。私用休暇はもちろん、体調不良で休もうものなら「明日から出社しなくてもよいからね」と言われてしまう場合さえあるというから驚きだ。しかし、そんなことは当たり前だという。

 今時、「正社員だから安心」という時代ではない。早期退職制度という名の下に、いわゆる「肩たたき」が行なわれている企業も珍しくない。しかし、安い給与と簡単に解雇されるリスクに耐えながら、日々汗して働いている派遣社員からすれば、正社員という肩書きはやはり魅力的なのだ。

 東日本大震災の際も、真っ先に解雇されたのは言うまでもなく派遣社員だった。「切りやすいところから切る」という企業もあれば、「改正労働者派遣法案を国会で通過させるな」と明言する企業すらあるという。会社自体がなくなり、仕事がないのだから、そういった発言は止むを得ない部分もあるのかもしれない。

 東日本大震災の復興に向けた増税も検討されているが、国会にすら出席しない議員に対して、「明日から来なくてもよいですからね」と派遣社員のように“肩たたき”ができるだけで、どれだけ減税できるのか……。そんなことをふと考えてしまう。

 それくらいのことをしなければ、派遣社員の痛みは国会議員には伝わらないだろう。早急に派遣法案を国会で通過させ、法的に派遣社員と正社員の格差を埋めなければならない。

 立場によって意見は分かれているものの、現行の派遣法案が、社会全体の景気回復を妨げている一因となっているのではないかと思っているのは、筆者だけではないはずだ。未来ある子どもたちが現状の社会情勢を見て、悲観した将来観を抱くのは当たり前だ。派遣社員の状況を見るにつけ、「子どもたちが期待を持てるような世の中にしてあげなければならない」と、切に感じる。

(木村明夫)

148チバQ:2011/10/21(金) 00:31:19
http://diamond.jp/articles/-/14451
経済学の常識からみると
派遣社員の賃金は正社員より高くすべき
1234経済学の定義を一言でいえば、「国民を豊かにするための最適な資源配分を考える学問」です。経済学を勉強しても、将来の株価も将来の為替相場も予想できないかもしれませんし、商売で簡単に儲ける方法もわからないかもしれません。しかし、経済学はよりよい社会をどうやって作っていくかを考えるためにとても役に立つのです。
この連載では、その経済学が今日本を取り巻く問題に対してどのような答えを出しているのかを紹介していきます。第1回は、日本の「労働市場と解雇規制」についてです。

派遣社員はクビにできるから雇われる
 日本の労働市場はさまざまな法規制によって資源配分が失敗している典型的な例です。会社側が正社員を解雇できないために、社会全体の経済の成長を阻んでいます。

 市場原理がうまく働いていないから、労働力という貴重な資源がうまく社会に配分されないのです。日本の労働市場はコレステロールでどろどろになった血液みたいなものです。

 最近何かと話題の「格差」については、規制緩和や市場原理がその原因だとよくいわれますが、これはまったくのデタラメです。ボリュームの点で、日本における重大な格差は、大企業の中高年正社員や公務員と若年層の非正規社員との格差で、これは市場原理が働かないから引き起こされています。

 問題は同一労働同一賃金というマーケット・メカニズムからみれば極めて当然のことが、日本の労働市場では実現していないことです。正社員があまりにもガチガチに法律で保護されているので、経営者はダメな正社員の給料を減らすこともクビにすることもできません。そのシワ寄せが派遣社員のような非正規労働者や、採用数が大幅に減らされる新卒の学生にすべて押し付けられてしまっています。

 そもそも派遣社員というこの日本で問題になっている雇用形態は、コストの面で見れば企業にとってそんなにいいものではありません。なぜなら派遣会社にピンはねされるからです。手取り20万円の派遣社員を雇うのに企業は40万円ぐらい負担しないといけません。

 それでもなぜ派遣社員を使うかというと、景気が悪くなった時に解雇できるからです。企業は派遣社員を使うことによって人件費を変動費にすることができます。そのためには少々割高な費用でも割に合うわけです。

「派遣村」に惑わされるな! 派遣の規制は失業者を増やすだけ
 しかし派遣社員にとってはたまったものではありません。景気が悪くなったら雇用調整に使われる、つまりクビになるし、普段は派遣会社に給料をピンはねされて自分の手取りは安いままだからです。経済学的には景気が悪くなったら解雇できるというオプションを会社に与えている派遣社員が、その分、他の解雇できない正社員よりも高い給料をもらうのがまともな姿です。

 仕事がなくなってもクビにできない正社員は、その分ふだんから給料を安く抑えておかなければいけません。それが正常なマーケット・メカニズムが働いている状態なのです。

 2008年の年越しにマスコミを大いににぎわした「派遣村」の影響もあり、最近では派遣社員を禁止しようという方向です。しかしこれこそ本当に欺瞞に満ち溢れた間違った考え方です。そんなことをしたら大企業はますます日本での正社員の雇用を抑制して、海外に拠点を移すために、国内の雇用の空洞化を加速させるだけです。その結果、派遣社員は正社員になれるわけでなく、派遣社員よりはるかに悲惨な失業者になるだけなのです。

149チバQ:2011/10/21(金) 00:32:25
過労死する正社員、貧乏で死ぬ失業者
 現在のように、雇用規制が法律的にも社会的にもますますきびしくなる状況では、会社は正社員の採用にものすごく慎重になるので、今いる少数の正社員で仕事を回すことになります。そして日本は忙しすぎて死にそうな正社員と、貧しくて死にそうな失業者に二分されていくのです。おまけに出世をあきらめて、会社が解雇できないことを大いに活用している仕事をしない正社員もいます。国の経済の効率にとっても、人々の幸福にとっても、これはとても悪いことです。

 派遣社員を規制しても何も問題は解決しません。正社員も含めて日本の雇用を流動化させることが極めて大切なのです。「給料の何か月分を払えば会社都合でいつでも解雇できる」というようなわかりやすい解雇ルールを法制化することです。これで解雇する側も解雇される側も、裁判で何年も争うような不毛な時間と労力、そして訴訟費用を節約できます。

 確かに一時的に失業した人はかわいそうですが、仕事がない人にずっと給料を払い続けさせるような、社会保障の責任を民間企業に負わせるべきではありません。そんなことをしていてはグローバル経済の中での競争に勝てないからです。失業保険や職業訓練などのセーフティネットを作るのは企業の仕事ではなく、国がやるべきことです。

 ところで、僕が働く金融業界でも、2008年の世界同時金融危機の後の各企業のリストラで話題になったことがあります。スペインの銀行の話です。 

スペインの銀行のクレイジーな提案
 スペインというのは世界でもっとも解雇規制がきびしい国のうちのひとつで、この国では社員を一度雇ったらまずクビにすることができません。しかし今回の金融危機でさすがのスペインの銀行もリストラせざるを得ませんでした。そこでこの銀行は社員に次のような提案をしたのです。

「あなたの夢を実現するためにこれから5年間休暇を取りませんか? その間、今の給料の3割を保障しますし、休暇から戻ってきた時のポジションも保証します」

 この募集に応募した社員は、5年間世界旅行に出かけてもいいですし、他の会社でアルバイトしてもいいですし、(戻る場所が保証されているので)リスクなしで起業にチャレンジしてもいいのです。その間、ずっと会社からお金をもらえます。

 スペインでは社員をクビにすることが不可能なので、不景気で仕事もないのに会社の椅子に一日中座られて、給料を毎月毎月満額請求されてはたまったものではありません。そこでこのようなものすごくいい話を社員に持ちかけて、少しでもコストを減らして金融危機を生き残ろうとしたのです。

150チバQ:2011/10/21(金) 00:33:17
 この話を聞いて、アメリカや香港のように簡単に会社が社員のクビを切れる国で働いている僕の友人は「クレイジーだ」と言って大いにうらやましがっていました。僕もこんな条件を提示されたら真っ先に飛びついたことでしょう。

 実際スペインでは、多くの中小企業はばかばかしくて正式に社員を雇いません。社会保険料の負担が重くどんな時でも社員を解雇できないとなれば会社が抱え込むリスクはものすごく大きいからです。結果的にスペインでは形式上は失業者なのに隠れて働いて、証拠が残らない形で裏で現金の給料をもらっている労働者がたくさんいます。

 このようにスペインでは闇労働市場がものすごく発達したのです。そして闇の市場ではふつうの司法制度は機能しませんから、私的な司法機関であるマフィアも大いにうるおうというわけです。 

解雇規制は大企業正社員しか得をしない
 一見、解雇規制がきびしい方が労働者にはやさしいしくみに思えますが、労働市場の流動性がなくなるので簡単には転職できませんし、一生懸命働いて会社のためにお金を稼いでも、中高年のノンワーキングリッチの人たちの給料に多くが消えていってしまうために若年層の給料が非常に安くなりがちだったりと、長い目で見れば労働者にとっても悪いことの方が多いでしょう。

 運よく大企業の正社員になったけどあんまり仕事をしない人にとっては硬直した解雇規制というのは天国みたいなもので、大きな既得権益なのですが、一番悲惨なのはこれからキャリアをはじめようとして仕事を探している若者でしょう。スペインやフランスのように解雇規制が厳しい国では若年層の失業率が常に20%を超えています。

 きびしい解雇規制というのは、じつは新卒の学生に一番不利なしくみなのです。中高年の正社員をひとり解雇できれば、新卒を3人雇うことができても、正社員の権利は法律で固く守られているのでそのようなことは起こらないのです。

 労働市場が硬直していると若者の職が奪われてしまい、社会人として必要なスキルを学ぶ機会もなくしてしまうので、生涯を通して単純労働しかできない人を社会にたくさん生みだしてしまいます。

 また、社会全体としても、衰退産業にいつまでも労働者が残り、成長していく産業に労働力を移動させることができませんので、経済全体で見れば大きなマイナスなのです。

151とはずがたり:2011/10/27(木) 12:59:45

ホームレス告白 「私はヤクザの義捐金騙し取りに加担した」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/532850/
配信元:NEWSポストセブン
2011/10/25 11:27更新

被災した東北の人々のために全国から集まった義捐金は約3000億円に上る。しかし、その一部は暴力団の懐に収まっていた。その行為に加担したあるホームレスが、義捐金騙し取りの仕組みを懺悔告白した。

「私は“東北の被災者”でした」−−千葉県内の公園を根城にするAさん(57)は、絞り出すような声でこう語り始めた。

発端は震災から1週間ほど過ぎた頃だった。借金を重ねた末に3年ほど前から公園でホームレス生活をしていたAさんは、取り立てを受けていた暴力団員から、「借金を減らしてやるから、宮城県のB市に行ってこい」と命令されたという。

「ヤクザが用意したバスには私と同じような中年のホームレスが8人乗っていました。到着すると、バスに同乗していた男に指示されるまま避難所に転がり込んだのです。彼は地元ではかなりの顔利きのようで、私は“千葉からB市に働きに来ていた出稼ぎ労働者で、彼の借家で生活していた”という設定だと説明され、数日後には罹災証明も交付されました」

支給される食事は冷めた弁当や菓子パンばかりとはいえ、ホームレスのAさんにとって避難所生活は全く苦ではなかった。

「雨風をしのげるだけで嬉しかった。最初は周囲から“見慣れない奴がいるぞ”という目で見られましたが、瓦礫撤去などを手伝っているうちに、避難所のお年寄りから頼られる存在になっていました」

が、そんな“避難生活”は2か月ほどで終わる。顔役の男から、「市の窓口に行って義捐金の申請をしてこい」と指示されたのだ。

「住民票もないのに認められるのか半信半疑でしたが、驚くほど簡単に交付された。罹災証明があれば機械的に認められるようでした。私に避難所生活をさせたのは、周囲から怪しまれないようにするためだったのでしょう」

B市の社会福祉課も、「当市で生活をしていた証明があれば、住民票がなくても認めている。その後は市外、県外に避難しても義捐金は振り込まれます」と説明する。どさくさの中では“偽被災者”を調べる余裕がないのはやむを得ないところだろう。

Aさんに下りたのは「大規模半壊世帯」の認定。B市の規定では数回に分けて75万円を受け取ることができる。

申請が認められるや、Aさんは千葉行きのバスに乗せられた。

「2か月前にB市に向かった時のホームレスも何人か一緒でした。おそらく、私と同じ役割を担っていたのでしょう」

Aさんに東北行きを持ちかけた暴力団員が所属するのは、ある広域指定暴力団だった。その団体関係者はこう明かした。

「こうした義捐金の騙し取りは阪神大震災や北海道南西沖地震の時にヤクザが編み出した方法で、配分は暴力団が半分、残りを顔役や“出し子”のホームレスが分け合う。申請する口座は暴力団が管理し、それぞれの取り分を口座に振り込むというパターンが多い」

すでに50数万円がB市から振り込まれているAさんの場合、暴力団の取り分は25万円。ホームレスを8人手配していたなら、それだけで200万円となる。

「我々の系列だけで、東北の各地に20〜30グループが派遣されている。バスを手配するだけで5000万円近いカネが転がり込んでくるのだから、これほど楽なシノギはない」(同前)

Aさんは自身の行為をこう振り返った。

「避難所で自分に優しく接してくれた被災者の皆さんのことを考えると、申し訳ない気持ちで一杯です。ホームレス仲間にはそのまま東北に残って、瓦礫の撤去や建設作業の日雇い労働者として働いている者もいます。私もできることなら、今度は本当に被災者の方々のために働きたい」

※週刊ポスト2011年11月4日号

152とはずがたり:2011/10/30(日) 14:05:17
生活保護費の不正受給、10億円超える
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001110290006
2011年10月29日

 県内の生活保護費の不正受給が昨年度、2612件、10億2729万円にのぼったことが県のまとめでわかった。前年度から666件、2億9393万円増え、過去5年間でともに最悪だった。福岡、北九州両市の件数が1373件で半数を占めた。

 県保護・援護課によると福岡市は940件、3億4161万円、北九州市は433件、1億5877万円だった。生活保護を受けている人は、年金を含めて収入があった場合、地元の福祉事務所に申告する義務があるが、不正の9割近くは申告をしなかったり過少申告したりしていた。福祉事務所が課税調査などをして発覚した。

 不正防止策として、同課はケースワーカーによる定期的な家庭訪問で、受給者の生活実態を把握することなどが重要だとしている。不正を繰り返す受給者には生活保護を打ち切る行政処分もあるという。

 不正受給が増えている背景には、2008年のリーマン・ショック後から生活保護世帯が急増したこともある。県内の生活保護世帯数は09年6月が7万3765世帯で、前年同月に比べ9・1%増えた。今年6月には8万9136世帯になった。特に福岡、北九州両市の増加率は高く、「失業した人たちが仕事を求めて都市部に集中したようだ」(同課)という。(礒部修作)

153チバQ:2011/11/01(火) 12:06:07
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111101k0000m040059000c.html
23歳過労死:自殺の男性社員を労災認定
 飲料大手キリンビバレッジの子会社「東京キリンビバレッジサービス」(東京都千代田区)の男性社員(当時23歳)が昨年4月に自殺し、品川労働基準監督署が過労によるとして労災認定していたことが分かった。男性は清涼飲料の自動販売機の管理で長時間労働を強いられ、亡くなる5分前、姉(26)の携帯電話にメールで「仕事がつらい。父さん母さんをよろしく」などと書き送っていた。認定は10月5日付。

 会見した遺族や弁護士によると、男性は高校を出て05年4月に入社し、10年3月に品川区の営業所に移って担当エリアが拡大。自販機約80台を1人で担当し業務用車両で巡回して商品の補充や交換、売上金の回収などを行っていた。同年4月13日夕、勤務中に会社の屋上から飛び降りた。

 品川労基署は、09年10月〜10年3月の半年間で男性の毎月の時間外労働は平均81時間、最長で92時間だったと認定。亡くなった4月は季節の変わり目で商品を入れ替える繁忙期に当たり、時間外労働は13日間で63時間と、月120時間を超えるペースだった。1日15時間労働、3時間睡眠が続き、男性は精神疾患にかかった。

 同居していた母(62)は「まじめに働く子で、毎日おにぎりを持たせて送り出した。運転中に食べていたようだが、残すこともあり『食べる余裕もない』と言っていた」と涙を浮かべて振り返った。父(64)によると、葬儀の時、参列した社の幹部から「他の社員も同じくらい働き、特別につらい仕事はさせていない」などと言われ、労災認定後も謝罪はないという。

 代理人の増田崇弁護士らは「同社は男性の職種を『セールスマン』と呼び、残業代をほとんど払わず、売り上げに応じた販売コミッション(手数料)を与えている。男性の月給は手取り20万円を切ることもあった。若者を使い捨てにする異様な勤務、給与実態だ」と批判。同社総務部は「現時点でコメントできない」としている。【井上英介】

毎日新聞 2011年10月31日 20時21分

154とはずがたり:2011/11/06(日) 10:19:20

生活保護受給、過去最多に=7月、不況で205万人超―厚労省
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111106-00000009-jij-pol
時事通信 11月6日(日)2時34分配信
 今年7月に生活保護を受けた人が、1951年度の204万6646人(月平均)を超え、過去最多を更新したことが5日、明らかになった。受給者数は前月(204万1592人)よりも1万人程度増加し、205万人を突破したもよう。厚生労働省が9日にも、関連の集計値などを盛り込んだ福祉行政報告例を公表する。
 景気や雇用情勢が好転しない中、多くの人が経済的に困窮していることを改めて示した形で、就労支援の強化や生活保護に陥る前のセーフティーネットの重層化など、国はさらなる貧困対策を求められそうだ。
 受給者数がこれまで最も多かったのは、戦後間もない51年度の204万6646人。経済成長とともに徐々に減少していき、95年度には88万2229人と底を打った。その後、不況などにより受給者数は増加に転じ、2008年のリーマン・ショックを引き金に急増した。 

失業、生活保護急増で過去最高=09年度社会保障給付費−厚労省
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201110/2011102800653&rel=y&g=pol
 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所は28日、2009年度に税金や保険料から支払われた年金、医療、介護などの社会保障給付費が前年度比6.1%増の99兆8507億円となり、過去最高を更新したと発表した。社会保障給付費は高齢化の進展に伴い増加傾向が続いており、10年度は100兆円を突破する見通しだ。
 同研究所は「高齢者の増加に加え、リーマン・ショック後の厳しい雇用環境の中で失業手当の受給者が増えた影響が出ている」と分析している。(2011/10/28-16:48)

155とはずがたり:2011/11/06(日) 10:23:25

バックパッカー街に大変身〜大阪「あいりん」
http://www.jiji.com/jc/v4?id=airin0001&rel=j&g=phl

156チバQ:2011/11/10(木) 12:38:24
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111110ddm041040097000c.html
東京・新宿のアパート火災:孤独な老後、映す悲劇 住人の大半、生活保護
 ◇「他に住む場所ない」
 東京都新宿区大久保で6日朝、7人が死傷したアパート火災。風呂はなくトイレも共同の築約50年の木造2階建てアパートは、23人の住人のうち18人が生活保護を受けていた。「他に住める場所がない」と移り住んだ身寄りのないお年寄りが多く、死亡した4人の身元は3日たっても確認されていない。都会の一角で起きた火災は、苦しい生活を続けながら孤独な老後を過ごす人々の姿を浮かび上がらせた。【喜浦遊】

 火災直後、現場のアパート「ローズハウス林荘」近くの路上に、住民の男性(71)が座り込んでいた。携帯電話と財布だけを手に逃げ出したという。「死ぬかと思った。また新宿で住む場所を探そうと思えば同じような古い木造アパートしかない」と不安を口にした。

 染め物工場を経営していた男性はオイルショック後、不渡りを出して工場を手放し、妻子とも離別した。川崎市や都内で1人暮らしをしながら、タクシー運転手や水道の設備作業員などをしてきたが、腰を痛めて仕事ができなくなり、新宿駅でホームレス生活を送るようになった。

 生活保護を申請したのは約7年前。家賃5万円のアパートは4畳半一間。保証人が不要で、家賃の支給上限(月額5万3700円)に収まることが魅力だった。区からは家賃の実費の他に生活費として月約7万円を受け取る。食費や携帯電話代などに使う一方、自らの葬儀代として貯金も続けているという。住人には同じような境遇の人が多かったが、付き合いはほとんどなかった。「他人を気遣う余裕はない」。今は、区の施設に滞在しながら次の入居先を探している。

 NPO自立生活サポートセンター・もやいの小幡邦暁事務局長によると、生活保護を受ける高齢者が都心の古い木造アパートに集まる背景には、ホームレス生活をしていた地域で生活保護申請をすることが多いという事情もある。

 8日夜、新宿区を拠点に独居高齢者の訪問活動をする僧侶、中下大樹さん(36)は、火災現場に近いJR新大久保駅周辺を歩きながら「ここも同じようなアパート」と指さした。古い木造で家賃は4万〜5万円。保証人は不要という。

 韓流ブームで知られる大久保通りから一歩路地に入れば、同様のアパートがあちこちに建つ。街灯も少なく、道路は消防車が入れないような狭さだ。付近の不動産業者に掲示された物件には、生活保護受給者の居住が可能なことを示す「福祉可」と書かれていた。中下さんは「同じようなアパートは、数が多すぎて実態が分からない。生活保護を受けていなくても、生活が苦しい孤独な高齢者も多いはずだ」と話した。

毎日新聞 2011年11月10日 東京朝刊

157とはずがたり:2011/11/11(金) 01:25:33

なにわのあした(5)生活保護
2011年11月09日
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1224522282/1920

158とはずがたり:2011/11/14(月) 18:04:34

2011年11月9日12時37分
生活保護、7月は205万人超 通年で過去最多の可能性
http://www.asahi.com/national/update/1109/TKY201111090108.html

 厚生労働省が9日に公表した今年7月の生活保護受給者数は、前月より8903人多い205万495人で、通年の平均で過去最多だった1951年度の204万6646人を上回った。受給者数が毎月1万人前後のペースで増える傾向にあり、今年度は通年でも最多になる可能性がある。政府は貧困対策の強化を求められそうだ。

 生活保護を受けている世帯数も、前月より6730世帯多い148万6341世帯で、過去最多を更新した。世帯の種類別で最も多いのは「高齢者」。63万527世帯と、全世帯の42%を占める。働ける現役世代を含む「その他」は25万1176世帯。リーマン・ショック前の3年前の同月(11万7005世帯)に比べて2倍以上に増えた。仕事が見つからず、生活保護を受けざるを得ない世帯が増えているとみられる。生活保護費の支給総額は、10年度で3兆2289億円にのぼる。

 市区町村別でみると、大阪市が15万1097人で最多だった。

159とはずがたり:2011/11/14(月) 18:04:59

堺市、生活保護受給者の自立支援で独自策
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001111040002
2011年11月03日

 生活保護受給者の自立を支援するため、堺市は今年から、受給者のニーズに沿った就労先の開拓など独自のサポート事業を始めた。9月までの4カ月間で388人が支援を受け、99人が就職。255件の求人先も見つかった。

 竹山修身市長は2日の定例会見で「きめ細やかな就労支援で職業訓練などを積み重ね、自立につなげていきたい」と述べた。

 市生活援護管理課によると、6月から始めたサポートの主な柱は(1)生活保護受給者の就労意欲の喚起(2)就労先の開拓(3)企業での訓練の三つ。これまでの就労支援では、受給者が自分にあった仕事をなかなか見つけられなかったり、職場の環境が合わずすぐにやめたりする場合があった。

 このため、市のケースワーカーとは別に専門のキャリアカウンセラーが受給者と面談して希望する職種を把握。ハローワークにも同行して仕事探しを支援し、担当者が近隣企業を回って就労先を探している。さらに、市から委託を受けた人材派遣会社が2カ月間、受給者を雇用し、希望する職種の基本的な技能を身につけるため、企業での職業訓練もしている。

160チバQ:2011/11/19(土) 18:36:49
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2011111102000063.html
<はたらく>派遣法改正 たなざらし 「早期成立」求める声
2011年11月11日

牧義夫・厚生労働副大臣(右)に労働者派遣法改正案の早期成立を要請する鴨桃代会長(右から2人目)ら=9日、厚生労働省で


 二〇〇八年秋のリーマン・ショック後に社会問題化した「派遣切り」など、派遣労働の弊害を防ぐ目的で、民主党など政府・与党が国会に提出した労働者派遣法の改正案が、継続審議のまま一年半もたなざらしになっている。派遣の現場で働く労働者や支援者からは「早急に成立させるべきだ」との声が高まっている。 (稲田雅文)

 「どこまで我慢すればいいのか。正社員、非正規社員といった身分で差別されることのない社会に一刻も早くしてほしい」

 十月中旬、東京都内であった「反貧困世直し大集会二〇一一」。「廃案にさせない労働者派遣法改正!」と銘打った分科会で、派遣労働者として働く関東地方の五十代女性は訴えた。

 十年以上前に母子家庭になり、就職先を探したが正社員になれなかった。派遣会社に登録をして今の派遣先企業で働き始めた。

 労働者派遣法で定められた専門二十六業務の一つ「OAクラーク業務」に就き、データ入力や文書作成をする契約。しかし、実際は正社員と同じ仕事を何でもこなし、必要に迫られて英語も独学で学んだ。

 正社員への登用を目指し、毎年一つのペースで資格を自費で取得したが、時給アップにすらつながらない。正社員なら当たり前のボーナスや住宅手当、慶弔休暇もない。

 上司のミスを押しつけられ、課長に相談すると「そんなにつらいなら死んだらどうか」と暴言を吐かれた。契約は三カ月更新を繰り返し、更新が近づくと雇い止めを恐れて、びくびくする。「人間扱いされていない」と感じている。

 同法は、派遣労働者が正社員の代わりに使われるのを防ぐため、三年以上派遣されると派遣先企業に雇用義務が生じるなどの制限を設けている。しかし、専門二十六業務は例外で、派遣先企業が専門外の業務もさせるなど、都合よく派遣労働者を使い、法の抜け穴になってきた。

 改正案では、登録型派遣を原則禁止とするが、専門二十六業務については例外とする。専門業務の見直しもなく、この女性の場合、今回の改正で直接今の雇用形態に規制が掛かるわけではない。それでも「まずは労働者保護を目的とした改正を実現してほしい」との思いから声を上げた。

     ◇

 個人加盟の労働組合でつくる「全国コミュニティ・ユニオン連合会」の鴨桃代会長はこの七、九の両日、民主党と厚生労働省に対し、改正法の早期成立を求める要請書を提出した。

 要請書は、改正案が一年半も審議されないまま放置されていることを批判。「成立が遅れれば、貧困はさらに拡大する」と訴えた。

 鴨会長は「リーマン・ショックに続き、東日本大震災でも雇い止めになった派遣労働者がいる。震災以後『仕事があるだけまし』との声も出るが、切ってもいい労働者として固定化されるのはおかしい。ますます雇用が劣化しかねない」と訴える。

 名古屋大の和田肇教授(労働法)は「労働者派遣法は、より総合的な規制をかけ、専門的な知識や技術を生かし、希望する働き方を選べるという本来の性格に戻していくべきだ」と指摘。「従来は家計の補助的な働き方だった非正規労働が、家計を支える人にまで広がっている。雇用と所得を安定させるため、新しい雇用システムの全体構想を政治主導で議論するときではないか」と語る。

<労働者派遣法改正案> 「派遣切り」などが社会問題化したことを受け、政府・与党が2010年4月に衆議院に提出した。製造業派遣を原則禁止し(1年を超える常用雇用の労働者派遣は例外)、仕事があるときだけ雇用する「登録型派遣」を、秘書や通訳、ソフトウエア開発、機械設計など専門26業務を除いて禁止する。

 さらに、派遣先企業が、違法と知りながら派遣労働者を受け入れている場合は、労働契約を申し込んだとみなす「みなし雇用制度」を盛り込むほか、「日雇い派遣」など2カ月以内の雇用契約の派遣も原則禁止する。

161チバQ:2011/11/20(日) 20:39:53
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012250323.html
55歳、軽自動車での最期 「孤族の国」男たち―12010年12月26日3時14分
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佐藤正彦さんの遺骨が納められている安置所は市中心部から離れた山中にある。石碑の裏側にまわると、子どもの背丈ほどの小さな扉があった=神奈川県逗子市、仙波理撮影

79歳の男性が死後3カ月以上経ってから発見された団地の一室を片付ける作業員=仙波理撮影
 駐車場に止めてあった軽自動車の中から男性の遺体が見つかったのは、6月25日のことだった。3カ月間、放置されていた車のドアミラーには、ツタのような植物が絡みついていた。

 神奈川県逗子市の公園の一角。駐車場の前は県立高校、隣には保育所がある。毎日、高校生や親子連れら数百人もの人が車の前を行き来していた。だが、犬を散歩させていた近所の男性が「臭いがする」と通報するまで、警察や市に連絡はなかった。

 後部座席に敷かれた布団で寝たまま、遺体はすぐに身元が分からないほど腐乱していた。DNA型鑑定で身元は特定できたが、遺体の引き取り手がおらず、逗子市が火葬して遺骨を預かっている。

 佐藤正彦さん、享年55。なぜ、このような最期を迎えたのか。引き取り手のない「行旅(こうりょ)死亡人」として官報に記された以前の住所を訪ねた。

 木製の窓枠がきしむ、2階建ての古いアパートだった。昔からの住人は、借金の取り立てが佐藤さんのところに来て、部屋を荒らしたのを覚えている。2001年ごろ、佐藤さんは荷物を残したまま、姿を消す。部屋の玄関に積まれたままのスポーツ新聞には、求人欄に印がつけられていた。

 さらに、本籍地の秋田県北部へ。佐藤さんが育ったトタン張りの実家は窓が割れ、人は住んでいなかった。約10キロ離れた場所に住む姉(62)を探し当て、話を聞いた。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さんは1970年に地元の中学を卒業するとすぐに上京し、働きはじめたという。地方の若者が職を求めて大量に都市に移り住んだ時期である。

 その後、実家への連絡は途絶えた。親の葬儀にすら出なかった佐藤さんが出し抜けに姉の元に現れたのは、昨年の夏だった。事前の連絡もなく、東京で亡くなった兄の遺骨を携えていた。郷里での滞在は、わずか3日。菩提(ぼだい)寺で納骨を済ませ、再び軽自動車で帰っていった。

 姉が仕事や住まいを尋ねても、決して答えることはなかった。

 兄の勤務先だった都内の塗装店を訪ねると、佐藤さんの生前の姿がおぼろげに浮かび始めた。

 上京後も4歳上の兄を頼り、時にお金も借りていたという。一つの職が長続きしない弟に困りながらも、兄は連絡がつくように携帯電話を買い与えていた。

 「弟は上京した当初は国鉄関連の溶接工として働き、収入もよかった。でも目をけがして転職せざるを得なかったんです」。塗装店主は、そう兄から聞かされた。

 その兄が昨年3月に亡くなると、佐藤さんはエアコンが壊れた軽自動車で、兄のお骨を郷里に届けに向かった。片道約700キロの道程、兄の骨と二人きりで、何を考え続けたのか。その胸中を知る人は、いない。

 佐藤さんの生存が最後に確認できたのは、兄の死の約1年後の今年4月9日。神奈川県警によると、姉に電話をかけた記録が残っている。「ご飯を食べるお金にも困っている」。姉が「私も困っている」と答えると、電話は切れた。司法解剖の結果によると、軽自動車の後部座席で生涯を終えたのは、その直後。病死だった。

 生活保護を受けて暮らす姉は「弟を迎えに行きたいけれども、逗子まで行くお金も力もない」と話した。県警はもうひとりいる姉にも連絡を取ったが、「縁が切れているので」との返事だった。

 郷里に残る墓には、墓石がない。目印となるのは、佐藤さんが兄のために立てた卒塔婆(そとば)と、姉が今年の墓参りで並べたコップ酒や缶ジュースだけだ。佐藤さんの遺骨は今、そこにはなく、逗子市郊外の遺骨安置所に眠っている。

 「終(つい)のすみか」となった軽自動車は、市役所が業者に頼み、処分をした。(中井大助)

162チバQ:2011/11/20(日) 20:40:13
■街のアパートで一人また一人

 開け放しの共同玄関は、昼間でも暗い。目をこらすと、男物の靴ばかりが並んでいるのが見えた。靴を脱いで上がると、冷たく、湿ったような感触が足の裏に伝わる。

 東京都北区の2階建てアパートの一室で6月、50代とみられる男性が遺体で見つかった。死後8カ月経っていた。

 商店街の外れにあり、スピーカーは一日中、歳末福引の案内を流している。呼び込みをする八百屋の店先で、買い物客が世間話に興じる。

 2階の廊下には、前日の雨漏りでできた水たまりがあった。その奥に、部屋がある。「今でも時々においが漏れてくる。いい気持ちはしないけど、もう慣れたよ」。案内してくれた隣の部屋の住人(63)がいう。

 遺体の周囲には、食べ物のゴミや酒の空き缶、たばこの吸い殻が散乱していたという。部屋からは生活音もほとんどせず、人を避けるように暮らしていた。

 このアパートでの孤独死は、今回が初めてではない。「ここに住んで20年だけど、記憶にあるのは4人くらいかな」。10年ほど前には、今回と同じ部屋で高齢の男性が亡くなった。開いたままのドアから寝ている足が見え、「暑いから開けてるのかな」と思っていたら、翌日になっても同じ格好だったという。

 アパートが建ったのは昭和30年代、半世紀ほど前だという。そのころは家族連ればかり。共同台所を囲み、みな銭湯に通った。「改築して台所を中に作ってから、中のことがわかんなくなっちゃったね」と長年管理をしてきた男性(76)はいう。元々、管理人としてここに住んでいたが1年半前、転居した。「住んでれば気づいただろうけど」

 隣のアパート兼店舗も、同じ頃に建てられた。ここでクリーニング屋を営む店主は振り返る。「昔はどちらのアパートも家族連ればかりだった。表で子どもが遊んでいてにぎやかだったよ」

 単身男性ばかりの今、誰が住んでいるかすらわからない。店舗の上のアパートでも数年前、男性が孤独死し、数カ月後に見つかった。「すぐ上でも気づかないもんだね」と店主は天井を見上げた。

 十数年前、近くに大型スーパーができ、通りの店は次々に姿を消した。店先で話しこむ客も減った。豊かになり、求められるものは変わった。

 亡くなった男性は10年ほど前に入居したという。偽名だったため、当初は身元がわからず、「行旅死亡人」として、区が火葬した。その後、身元はわかったが、生前語っていた本籍地や年齢とは全く違っていた。

     ◇

 首都圏の大規模団地で11月上旬、死後3カ月以上経った男性(79)の遺体が見つかった。遺族に依頼された遺品整理会社「あんしんネット」の作業に同行した。

 部屋に一歩入ると、防臭マスクを通してすら強烈な異臭が鼻を突く。昭和40年代の団地に典型的な2DKの間取り。ちゃぶ台には、食べかけのご飯やみそ汁がそのまま残っていた。

 居間として使われていた南側の部屋が最期の場所だった。食事をしている途中に倒れ、そのまま亡くなっていた。床に広がるおがくずのような茶色い粉は、皮膚や体液が乾いて固まったものらしい。カレンダーには7月10日まで斜線が引かれていた。

 第一発見者の長女(52)夫妻は、団地から車で1時間ほどのところに住んでいる。

 男性は山形県出身。サラリーマンで、70歳まで現役で働いていたが、2年前に妻を亡くし、あまり出歩かなくなった。「けんかでも相手がいた方がいいな。一日口きかないの、つらいな」という言葉が、長女の耳に残っている。

 それでも、同居の勧めにはなかなか応じず、ようやく説得し、家を改築しているところだった。「商売や引っ越しで忙しくて」。もっと早く連絡していれば、早く改築を始めていれば――。長女は後悔の言葉を重ねた。

 10棟以上の建物に囲まれた公園で、日が暮れるまで、子どもたちの歓声が響く。スーパーや八百屋、医院まで併設されている。発見時、ポストには郵便物があふれ、テレビはつけっぱなしだったが、男性の死に気づいた人は誰もいなかった。

 市民が当たり前の生活を営む場所の一角で、人知れず孤独死が発生する。そんな時代を、この国は迎えている。

 管理事務所は、一人暮らしだということも把握していなかった。発見前日、隣人から「虫が増えた」と苦情が入ったが、ポストに「対処してほしい」と書いた紙を入れただけだった。

163チバQ:2011/11/20(日) 20:40:33
■苦しみの末路に目を向ける

 何カ月も誰にも発見されない、孤独な死。団地や古いアパートがその現場となることが多いのは、一戸建てなどに入居できない中高年単身者の受け皿となっているからでもある。さらに、そこにも住めない人たちが、車や路上で暮らし、ひとり死んでいく。

 彼らは生前、他人とのつながりを拒絶するように、閉じこもって暮らしていることが多い。では、自ら選んだ結果といえるのだろうか。

 「あんしんネット」の石見良教さんは、最近、高齢者の部屋を片づける「福祉整理」に力を入れている。認知症や体力の低下でゴミを片づけられず、不衛生な状態で暮らす高齢者がいる。「助けを求めることもできない人たちに目を向けてほしい」という。

 悲惨な孤独死が問題なのは迷惑だからではない。それが、孤独な人間の苦しみの末路だからだ。そこに目を向けることが、いま多くの人が抱える生きづらさを和らげる一歩にもなる。(仲村和代)
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164チバQ:2011/11/20(日) 20:40:58
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012260302.html
還暦、上海で婚活したが 「孤族の国」男たち―22010年12月26日21時17分
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コイ釣りの仕掛けを準備する男性。中国人女性との結婚に失敗し、「時々心細くなる」=岡山県瀬戸内市、仙波理撮影

中高年専門の結婚情報センター「太陽の会」が主催した婚活パーティー。「やはり相性が大事」といった言葉が飛び交う=東京都新宿区、仙波理撮影
 雲を突くような銀色の摩天楼、101階建ての「上海環球金融中心」がかすんで見える。目的のホテルは、高層ビル群から離れた裏通りにあった。生鮮市場や小売店が雑然と並び、不用品を集めるリヤカーが、ベルを鳴らして通り過ぎていく。

 今年還暦を迎えた岡山市の男性は2年前の11月、上海に来た。かび臭い廊下の奥まった一室に、現地で集められた女性を次々に招じ入れた。

 今度こそ。男性は強く念じていた。今度こそ妻を――。

 婚活を本格化させたのは50代半ばから。若いころ心に決めた相手がいたが、思いを打ち明けられずに終わった。今も写真を大切にしている。その後、父から継いだすし屋の借金返済に追われ、同居の母親が他界したときには、未婚のまま50歳を過ぎていた。

 結婚紹介業にはいくつ登録したかわからない。登録料を納めたのにそれきり、ということもあった。

 中国人を妻に、と考え始めたのは4年前のこと。

 「あなたの年では日本人は難しい」。岡山市内のホテルで、ある業者からファイルを見せられた。中国人女性の写真とプロフィルで50人分はある。ニーハオぐらいしか知らないが、他に選択肢はない。

 最初に紹介されたのは、日本在住の「チョウ」という39歳の女性。日本人男性と離婚していた。初めて会った日に食事をして、もう一度会った後に婚姻届を提出した。念願の夫婦になるのに要したのは、わずか2日間。

 だが、業者に150万、女性に30万円支払って得た結婚生活は、すぐ破綻(はたん)した。婚姻届を出したその日に大阪で働くと出て行った。1カ月後に帰ってきたが、結局、生活を共にしたのは5日ほどだ。

 どんなに手を尽くしても、日本人でなくても、伴侶が見つからない。家業の手伝いや後継ぎを望むわけではない。老いゆく自分の世話をし、みとってくれる相手が欲しいだけなのに。

 伴侶を求めて国の外へ目を向ける男たち。外国籍の女性を選ぶ日本人男性は年間3万人前後。そのうち、中国人が約1万2千人と最も多い。

 上海のホテルで、男性は2日間で約20人と「見合い」し、「リュウ」という38歳の女性を選んだ。決め手になったのは、仲人役として同行した在日中国人女性の言葉だった。「服が派手じゃない。あの人はまじめよ」

 だが、その女性も来日後20日間で姿を消した。生活費として5万円を渡した2日後。2度の「結婚」に費やした金はおよそ450万円。蓄えのほとんどをはきだした。

 自分は孤独死するかもしれないと覚悟している。死後に備えるノートを買った。親類の連絡先や保険証書類の保管場所を記し、遺影用の写真をはさむ。遺体は献体するように書き留めてある。

 20年ほど前からコイ釣りにのめり込み、暇な日はぽつんと糸を垂れる。孤独には慣れた。が、寂しくないといえばうそになる。(井上恵一朗)

165チバQ:2011/11/20(日) 20:41:17
■赤い糸、今日も見つからなかった

 午後3時過ぎのファミリーレストランで、千葉県市川市の39歳の男性は、その日初めての食事だという中華定食をゆっくりと口に運んだ。温かいものを期待して頼んだが、出てきたのは冷たい料理。「おかしいなあ」。独りごちて、スープをおかわりした。

 最後の仕事を辞めて1年10カ月がたつ。専門学校を卒業後、非正規も含めて10近い仕事を経験し、いずれも短期間で辞めた。自宅アパートにはテレビもない。空の冷蔵庫、電気ポット、カセットコンロ、ちゃぶ台の上のパソコン、それがすべてだ。

 「普段の生活すらみすぼらしいのに、婚活なんて無理。収入のない自分は、そもそも勝負のラインから外れちゃってます」

 結婚相手探しをする前に、諦める。自ら、線を引いて。そんな男性が増えている。

 この男性が人とのつながりの大切さを痛感し始めたのは最近だ。20代半ばまではゲームセンターに通うお金があればそれでよかった。気軽に食事に行くような友達もいないのは、「自己責任」かもしれない。でも、もう戻れない。

 時々、出会いを期待してインターネットのオフ会に顔を出すが、女性が出てくることはほとんどない。姉と妹は、20代で出産した。「あの時、気づいていれば」。仕事や子どものことがつづられた同年代のブログを見て、ため息をつく日々だという。

 5年たっても10年たっても、自分が結婚できる状況にあるとは、とても思えない。「どう考えても、まともな人生にはもう返ることができないんです」

     ◇

 年末のある日。貸し切りになった新宿駅近くのレストランに、50代から70代の男女が集まり始めた。女性の服装はそれぞれに趣味が感じられる着こなしだが、男性はほぼ一様にスーツとネクタイだ。

 午後1時半、店を貸し切った中高年限定の婚活パーティーが始まると、一人の男性があいさつに立った。「ここに来るようになってだいぶたちますが、赤い糸はどこかにいってしまって見つかりません。来年こそいい年に」

 そう、婚活という言葉ができる前から伴侶さがしを続け、20年以上になる。川崎市に住む原泰浩さん(76)が妻を胃がんで亡くしたのは、38歳のときだった。

 「おなかに固いしこりがあるの」と打ち明けられ、触ってみると卵大の塊が。診察を受けると「余命半年」と宣告された。娘が小学生、息子は2歳半でおしめも取れていなかった。それからの人生、子育てと仕事の両立で、白刃の上を歩いているようだった。

 子どもが大きくなってから、中高年専門の結婚紹介団体の先駆け、「太陽の会」に登録した。月に1度の会に出席し、20人以上の女性と会話をする。200回以上は出席しただろうか。会で次々とカップルが誕生しても、自分の赤い糸は見つからなかった。

 「太陽の会」は、住民票と戸籍謄本を会に提出しなければならないなど、厳格な運営方針で知られる。最近、後発業者が急増しており、「高齢婚活希望者は、年2割は増えている感触」と坂本達児・東京本部代表は言う。

 だが、ブームといっても意識には男女差がある、と原さんは感じる。女性は生活の支えを求める人が多いが、男性は寂しさが理由では、と。

 仲のいいカップルを見ると自分が惨めに思えて、観光地への足も遠のいた。次第に日が短くなってきた人生の残り時間、70代後半を迎えて欲しているのはただ、優しさだ。

 会話が盛り上がるのを横目に原さんはこの日、パーティーを早めに切り上げた。今年春から飼い始めた雌のシバイヌの不妊手術のために。

 今日も、これは、という人は現れなかった。死ぬ間際に「おまえがそばにいてくれて幸せだった」と言えるような人が欲しいだけなんだが。

 「やはり、孤独死かなあ」

166チバQ:2011/11/20(日) 20:41:36
   ◇

 北上山地の中腹に広がる岩手県住田町は人口6千人余、面積の多くを山林が占める山村だ。この町役場に、担当者しか全容を知らない、という極秘のファイルがある。

 町が始めた結婚支援事業に登録をする町民のリストだ。

 この事業の目標は「5年で結婚10組」だったが、これまでの成婚例はゼロ件。最大の誤算は、登録した十数人が全員、男性だったことだ。

 登録者たちはみな、自分がリストに載っていることが周囲に知られることを恐れている。そのため、町役場は、保秘にかなりの気を使う。

 町の人口は30年前と比べて約3割減った。高齢化率は、今年10月現在で38.6%と、県内で3番目に高い。町内の未婚者を対象にした調査では、3人に2人が「結婚を希望しているが、出会いや紹介を待っている」と答えた。

 「年間2組ぐらいだったら簡単だと思っていたけれど、甘かった」。相談員の佐々木忍さん(65)は失敗を認める。出会いの場を設けて男女を引き合わせても、先に進むことがほとんどない。

 町内で、独身男性はすぐに見つかる。町立スポーツセンターの管理人を務める吉田次男さん(60)も、そうだ。

 町を離れていた30代のころには結婚を考えた女性もいたが、相手が岩手に住むことを嫌がった。病気だった母の面倒をみるために仕事を辞め、故郷に帰ってきて20年。下の世代に、同じ境遇の男性がどんどん増えている。

 町議の高橋靖さん(55)も独身だ。過疎化の方向性に一石を投じたいと町議選に立候補し、初当選したのは2001年。10年近くこの問題に取り組んで、一つだけわかったことがある。特効薬はない、ということだ。(仲村和代、真鍋弘樹、中井大助)

■未婚でも不安感じない社会に

 孤独死と隣り合わせの時代。寂しい最期を迎えたくないと、婚活に励む男性たちがこれほど多いことに驚く。結婚年齢の上限は、もはや無くなったようだ。

 未婚、晩婚化が進んでいても、人々の結婚願望が衰えたわけではないと感じる。かつて地域や職場の世話焼きが男女の仲を取り持ち、親が決める見合い結婚も多かった。それがいまや、結婚相手探しは恋愛市場での自由競争が原則となった。

 経済力や容姿、性格……。様々な条件が合致しなければ、なかなかゴールにまで至らない。不安定雇用と低収入のために二の足を踏む若者や中年男性が多いのも無理はない。「おれも孤独死かな」。20代でそんな言葉をもらす若者さえいる。

 出会いの場を広げることはもちろん大切だ。男女のすき間を埋めるように「婚活ビジネス」が広がる。

 それでも単身化は進むだろう。未婚で生涯を送る「孤族」たちが不安を抱えずに生きていける、そんな社会であってほしい。(井上恵一朗)
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167チバQ:2011/11/20(日) 20:42:00
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012270408.html
失職、生きる力も消えた 「孤族の国」男たち―32010年12月27日21時45分
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工藤均さんが通ったハローワーク浜松。職業紹介のパソコンは朝から満席で、順番待ちの番号札を持つ人もいた=浜松市中区、仙波理撮影

22歳の男性の自室。好きなアニメの本やポスター、ロボットの玩具などで雑然としていた=埼玉県川越市、仙波理撮影
 師走の朝に訪ねた浜松市内のハローワークは、54台ある求人検索機がすでに満席だった。やっと空いた端末で、ある男性の条件を入力する。

 61歳、フルタイム、派遣、木材加工、勤務は浜松周辺――。結果は「該当する求人件数 0件」。勤務地を静岡県全体に広げて、どうにか「2件」になった。

 その2社に電話してみた。

 「資格や免許はない? いろんな工場を転々? そういう人が一番困るんだよ」

 「老眼になると労災が怖い。体力も落ちる。正直言うと60歳超えると無理ですね」

 ため息が出た。彼も、同じだったろう。

 工藤均さんが自ら命を絶ったのは、汗ばむ陽気の残る10月中旬の昼すぎだった。

 「もう疲れた。仕事もないし、金もない」。か細い筆跡で遺書を記し、ひとりで22年間暮らした木造アパートのベランダにロープを掛けた。東名道のインターに近く、工場や住宅が混在する地域。裏のアパートに住むベトナム人工員が第1発見者だった。

 「安すぎる。生活保護と変わらない」。派遣会社を去ったのは5月半ば、誕生日の翌日。60歳を超すことを理由に1200円から850円への時給引き下げを通告されていた。年金保険料を納めず、何とか確保してきた手取り月17万円が、約3分の2になる。

 自らハンドルを握って、派遣先に社員を送り届けるという社長は作業着姿で取材に応じた。「賃下げは、派遣先の建材工場の要求だった」「280円の牛丼もある。食っていける額だ」と言い、工藤さんをこう評した。「強気でプライドが高い。辞めても、若い時のように次があると勘違いしていたんだ」

 確かに、次はなかった。(西本秀)

■働きたい、人とつながりたい

 6月、アパート前に白いセダンが止まったままなのを心配して、上階の男性が工藤均さんの部屋を訪ねた。

 「仕事が見つからない。自分も安い部屋に移りたい」

 ふさぎこんだ工藤さんは、男性が市営住宅の抽選に当たったと聞き、しきりにうらやましがったという。

 7月、貧困相談に乗る市民グループと面会し、生活保護受給を勧められる。だが、車の処分が必要と聞くと申請を拒んだ。グループの落合勝二事務局長は、「年金も預金も家族もない。彼には車が唯一の財産だった」とみる。

 最後の失業手当、約10万円を受け取った9月。落合さんの目には、身長160センチほどの工藤さんがもっと小柄に見えた。生活保護に代わり住宅手当を提案したが、「頼れる人も頼られる人もいない身。どうなったっていい」と投げやりに断った。

 仕事が見つからず、生きるプライドも奪われていく。

 10月に入り、失業手当もほぼ使い切ったのだろう。近所の主婦(63)は、泣きはらした顔でアパートに帰る工藤さんに気付いた。野菜を譲ったこともあったが、その日は声をかけそびれた。「あの時、話しかけていれば……」

 リーマン・ショックが直撃した製造業の街、浜松では、2009年の自殺者が前年から2割増えて165人になった。中高年を中心に、男性が8割近い。

 クリスマスの夜。「温まってください」。浜松駅前で失業者らにスープを配った日系ブラジル人団体「エスペランサ(希望)」の河内オスバルドさん(58)は、失業者が自殺に追い込まれる日本が不思議でならない。ブラジルの10万人あたりの自殺率は日本の5分の1以下。「私たちは食べものと一緒に、声をかけて言葉を配る。助ける、助けられる、に遠慮はいらない」

 青森に生まれ、両親のいない工藤さんに、遺体の引き取り手は現れなかった。市役所が火葬し、遺骨を預かった。

 手放すのを拒み続けた車は所有権が宙に浮き、いまもアパートの駐車場に放置されている。最後まで仕事を探していたのか、助手席には運転用の黒いサングラスと一緒に、求人情報誌が置かれていた。

168チバQ:2011/11/20(日) 20:42:20
    ◇

 働きたいのに、働けない。働き盛りであるはずの30〜50代の男性が、もがいている。

 元編集者、55歳。待ち合わせの駅に、着慣れたスーツ姿で現れた。15年ほど勤めた業界紙が昨年10月に倒産。勤めていた時と同じリズムを保ち、家を出るという。

 100社に書類を送り、面接まで行けたのが3社。若い頃は、引く手あまただった。時代は急激に変わった。

 生きていけないんじゃないか、という不安だけではない。働くことで社会の一員になっているんだ、と思う。とにかく、働きたい。

 元出版社員、40歳。大手企業を辞めた「即戦力」だが、勤めた会社が次々に倒産したり、部署がなくなったり、と不運続きだ。給料は安くてもいいから、長く勤められる会社。求めているのはそれだけなのに、決まらない。

 求人は昔と比べると両極端だ。とても高いスキルが必要か、逆に単純作業で誰でもいいか。「ちょっと何かができる」という中間層は、どこに行けばいいのか。お金じゃなく、人から信頼されて働けることが楽しいのに。

 大学院卒、31歳。塾講師のアルバイト以外は経験なし。弁護士を志し、旧司法試験に6回挑戦した。30代半ばで就職活動するよりは、と法科大学院への思いを振り切った。

 もうすぐ年賀状の季節。同級生から、近況が届くだろう。家を買った。子どもができた。そんな一方で、勤めた会社が倒産し、再就職先もつぶれた友人がいる。まるで、人生はくじ引きのよう……。

 仕事を失うことで、収入以外に失うものが確実にある。彼らは今日も面接会場へと向かう。

     ◇

 その部屋が自分の唯一の居場所であるかのように、22歳の男性は座っていた。

 アパートの一室。壁には美少女アニメのポスターやカレンダー、雑誌や漫画本が積み上がる。自分が好きなもの、自分を拒否しないもので、周囲にバリケードを築こうとしているかのようだ。

 昨年、うつ病の診断を受けた。離婚した親の援助も受けられず、21歳の若さで生活保護を申請した。

 最後に働いたのは、巨大な冷蔵庫の中だった。くるぶしまで届く分厚いコートを羽織り、手には軍手。冷凍された弁当の食材を指定された数だけ振り分ける。次第に足先がしびれ、感覚がなくなる。時給は1千円。

 翌朝のボードに、食材の数のミスが張り出される。また自分だ。「一緒だと仕事にならない」と同僚。「簡単なことなのに」と上司。遠回しに解雇を宣告された。

 高校を卒業し、郷里の岩手県から上京してアニメ・ゲーム制作の専門学校に進学したが、希望の職にはつけず、非正規労働を繰り返した。宅配便の荷物の仕分け、日雇い派遣、風俗情報誌……。だが、なぜか、何をやっても人より遅い。いつも追われるように職場を去る。生きる資格がない、と社会から宣告されたような気がする。

 思えば小学生の頃から、同級生に近づいただけで「バイ菌」と逃げられた。過去をさかのぼっても、いい思い出は見当たらない。唯一の例外は高校生のとき、県で俳句大会の1位になったこと。22年の人生で、あのころが最も輝いていたと思う。

 今でも、俳句雑誌に投稿を続けている。〈どこまでも向かうあてなき冬野かな〉

 今、定期的にしているのは、ブログに思いを書き込むことだけ。人とつながりたい、と画面が叫ぶ。

 「一生、結婚なんて考えられない。生活保護がなければ路上生活か自殺しか……」

 この年末はしばらく部屋から出られず、1日1食、白米やインスタントラーメンだけで過ごした。100円ショップで買った壁時計は、12時55分を指したまま動かない。「途中で止まって。まるで僕の人生のようですね」(西本秀、仲村和代、真鍋弘樹)

■最後の命綱失うと転落は深い

 人はなぜ働くのだろう。生活のため。食べるため。それだけか。「社会の役に立ちたい」。出会った失業者の多くが生きがいを求めていた。

 自殺した浜松の男性も、ただ食べるためなら生活保護で済む。でも受給を拒否した。自殺は「孤立の病」と呼ばれる。失業をきっかけに、社会につながっているという感覚が消え、生きる意欲を奪われてしまったのか。むしろ社会の側が、彼を拒否したのだと、取材して思った。

 取りかえ可能な非正規雇用が広がり、「必要とされている」という手応えが得難くなっている。就職難で社会の入り口で門前払いされた若者は、結婚から遠ざかり、「孤族化」に拍車をかける。家族や地域のきずなが細れば、仕事が最後の「命綱」となり、切れた時、転落は深い。

 浜松のハローワークで出会った59歳の男性は半年間、失業状態が続いていた。「選択肢がない」とこぼして、「首相の言った、一に雇用、二に雇用、三に雇用の約束はどうなった」と語った。(西本秀)
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169チバQ:2011/11/20(日) 20:42:48
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012280412.html
39歳男性の餓死 「孤族の国」男たち―42010年12月30日22時35分
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男性が餓死した家(左)。電気は止められ、夜の明かりは給油所(右)から差し込む光だけだった=北九州市門司区、仙波理撮影

餓死した男性の遺骨が安置された納骨堂=北九州市門司区、仙波理撮影
 たたきの先の障子を開けた警察官が声をあげた。

 「あっ」

 まさか――。60代の家主の女性は怖くて家のなかをのぞく気になれない。

 「やせている人ですか?」

 警官から聞かれてけげんに思った。独居の借り主はがっちりした男性のはずだ。高校時代はラグビー部員だった。

 月2万5千円の家賃が滞り始めて4カ月。消費者金融の取り立てもきていた。行方をくらましたと思っていた。

 まだ39歳。死んでいるなんて思いもしなかった。

 冷蔵庫は空。棚にしょうゆと油の瓶があるだけだった。医師の死体検案書に〈摂食の形跡無し〉と記載された。

 その借家は、トタン張りの平屋建て。さびて赤茶けていた。師走の風に、玄関のサッシがカタカタと鳴る。

 裏の借家の初老の女性は、男性と話したこともないという。真っ暗だった家で人知れず死んでいたと知ったときはふるえがとまらなかった。

 「なるときはあんなになるのかと思って。餓死では死にきらん。餓死では」

 この死が報じられた当時、家の前に来て涙を流す女性を見た。「『いい人だった』と聞いて、そんな人やったんやなって」と同情を寄せた。

 昨年4月、北九州市門司区で起きた餓死事件。男性は、いま37歳の私と2歳しか違わない。健康面に問題を抱えていたわけではないという。前年11月まで働いてもいた。

 そんな男性が、飢えて、死んだ。心象風景を探る取材を始めた。

■「たすけて」言い出せぬまま

 餓死した39歳の男性が育った家は、借家から数百メートルの場所で床屋を営んでいた。

 祖父母と両親、兄との6人暮らし。親族によると、父親は借金が原因で行方不明になった。祖父母が死に、兄は大学進学を機に家を出た。男性も県外で働いた時期があったが、実家に戻った。未婚で、母親が5年前に亡くなってからは一人暮らしだった。

 仕事は不安定だった。専門学校を出て富山県の会社に就職。だが1年ほどで退社して福岡県内の会社に入り、2001年からは居酒屋などの飲食店を転々とした。少なくとも6店に勤めたが、いずれもアルバイトだった。

    ◇

 最後に勤めた居酒屋チェーン店を今年10月に訪ねた。人の入れ替わりが激しく、当時のスタッフはいなかった。当時の店長(32)は熊本市の系列店にいた。男性は10〜20代のアルバイトに交じって、調理場の仕事を黙々とこなしていたという。辞めた理由は借金。取り立てが来ると迷惑をかける、と自ら切り出した。

 同じ時期に半年間、掛け持ちで働いた食堂では、「自分の店を持ちたい」と周囲に希望を語ることもあった。

 無職で迎えた昨年の元日。男性を招いた家があった。保育園から一緒だった元同級生宅。その同級生の帰省に合わせて呼び、みんなで刺し身や煮物をつついた。

 元同級生の母親(61)は振り返る。「ちょっとやせたなって思ったんよ。でも『恋でもしよる?』ってたわいのない話をして、いつもと変わらんようだった」

 仕事の近況を尋ねたときは、働いてます、と答えていた。

 昨年3月20日ごろ、男性から電話があった。

 「おばちゃん、風邪ひいて何も食べてないんよ」

 「ならお弁当でも作ってあげる」。もち米を使っておこわを作り、卵焼きを詰めて車で来た男性に渡した。

 「あれが最後の食事やったんか……。助けて、と一言いってくれれば何かできたかもしれんのに。それが腹立たしくて」。涙声になった。

 元同級生と男性は同じ専門学校に通い、同じ飲食店でアルバイトをした。陽気な元同級生は接客。物静かな男性は調理室。元同級生は、気に入られた客の誘いで東京の会社に就職した。以来、正社員として働き、妻子もできた。「何かにつけて得な人とそうでない人と、あるんかね」。しみじみと母親は言った。

 この土地には、隣近所で助け合う心が残っていた。気さくなこの母親に接し、なぜ、との思いが強まった。

170チバQ:2011/11/20(日) 20:43:09
  ◇

 〈たすけて〉

 平仮名で書いた紙の切れ端が入った封筒が男性の部屋に残されていた。

 宛先に書かれていたのは母方の叔父(66)。駅に近いマンションで暮らしている。

 「逃げたと思ってた。餓死とは意外やった。できるか? 40前の男が食えないまま閉じこもって死ぬなんて」

 叔父の言葉は辛辣(しんらつ)だった。

 「誰も悪くない。本人の責任」

 男性の家族が借金問題を起こすたびに親族が尻ぬぐいをしてきたという。男性の収入は少なく、同居する母親の月8万円の年金と叔父らの資金援助が頼りだった。「完全なパラサイト」と断じた。

 「もう、情けないよ……」

 叔父は高卒で地元のセメント会社に就職。「粉まみれになってがんばった」と言う。「金を稼げるならなんちゅうことはなかった」。いまなら3Kと言われる職場だ。先輩後輩、社内の人間関係でつながっていた。簡単に辞めていく人間はいなかった。そうして定年まで勤めあげた。

 叔父にとって、おいっ子は歯がゆい存在だったろう。

 男一人なら生きていける、と母親が病死したあとは援助をやめた。

 男性が飲食店を掛け持ちで働き始めたのはこの後だ。

 食堂の時給680円、居酒屋800円。午前8時から日付が変わるまで働いて、月収は20万円に届くかどうか。

 二つの店と自宅とはほぼ一本道でつながっている。車検が切れた軽自動車で単調な道のりを往復する日々、何を考えていただろう。

 昨年1月、門司区役所に生活保護の相談に行っている。相談記録票には、飲食関係の正社員に限定して求職中と聞き取った内容の記載に続き、「相談結果の処理」の欄にこう書いてあった。

 〈39歳、健康体であれば何か仕事はあるはずである〉

 「幅広く探してみる」と男性は保護を申請せず帰った。

 男性を追い込む直接のきっかけとなった借金の理由は取材ではわからなかった。督促状は丁寧にクリップで束ねられ、6社から計150万円に上った。家に5台も残されていた携帯電話も謎だった。

 頼ったのは結局、親族。昨年2月に大阪にいる4歳上の兄に連絡して金銭的な支援を頼んでいる。叔父は兄からの電話で経緯を聞き、借金問題にはかかわらないように忠告したという。

 その兄に電話で取材を申し込むと、仕事で多忙だから、と断られた。もう一度かけても答えは変わらず、心境を聞くことはかなわなかった。

 未投函(とうかん)の叔父あての手紙。封筒の表書きがぴしっときれいな字で書かれているのに、〈たすけて〉の文字は弱々しかったという。

 出すか、出すまいか。

 命が尽きる寸前まで迷ったのではないか。

 弱い自分をさらけ出し、助けにすがってまで生きる。生き延びたとして、その先に希望があるのか――。電気が切れ、真っ暗な借家で煩悶(はんもん)するやせ細った39歳を想像した。

 叔父の言葉が、私の頭にこびりついている。

 「すがるところが無くなった。だから、死んだ」

 財布に残されていた現金は9円。叔父は、これもメッセージだと受け取った。

 「食えん(9えん)」

 菩提(ぼだい)寺のさい銭箱に投げ入れたという。

 私もやってみた。1円玉4枚と5円玉1枚。軽い硬貨が乾いた音をたてて落ちた。


■救いの手にすがる難しさ


 餓死した39歳の足跡をたどって見えてきたものは、孤立した働き盛りを支える「希望」の無さだった。

 正社員を辞めた時期にバブルが崩壊。職を転々とした男性の生活は、母親の年金や親類の援助で成り立っていた。「自分の店を持ちたい」と周囲に語っていたが、実際には蓄えと呼べるものは無かったようだ。若いころ交際相手がいたが未婚のままで母親と2人で暮らし、その母親を亡くすと、孤立無援になった。

 男性が最後に職を失ったのは、リーマン・ショックのあと。同じ時期に自動車工場を解雇された元同級生(41)は「ひとごとではない」とおびえていた。自分も親がいなかったら生活できなくなっていた、と。

 男性には、支え、支えられる存在としての家族がいなかった。だがほかに助けを求める先は無かったか。

 心配してたびたび様子を見にきていた家主、弁当を持たせた元同級生の母、生活保護の窓口……。すがってもいい、どこかで一言を絞り出してほしかった。(井上恵一朗)
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171チバQ:2011/11/20(日) 20:44:01
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012290338.html
彼は無表情だった 「孤族の国」男たち―52010年12月30日22時52分
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街宣の様子を撮影し、ネット上に投稿してきた男性=兵庫県内、仙波理撮影

中高生らが襲われた現場を警察庁の安藤隆春長官が視察した。長官が記者らに囲まれる様子を若い女性が携帯電話で撮影していた=27日、茨城県取手市、仙波理撮影
 休み時間は、いつもひとりでいた。本を読むでもなく、携帯電話をいじるでもない。休憩室を出て、日当たりがいい場所に、ただ座っていた。

 茨城県つくばみらい市の工場に勤務する男性(44)は、昨年9月まで部下だった期間契約社員のそんな姿を、よくおぼえている。

 彼は、反物状のフィルムを梱包(こんぽう)し、ラベルを貼り付ける仕事をしていた。仕事は丁寧で、中高年の同僚7人と一緒に黙々と作業を続けていた。

 口数は少ないが、声をかけると丁寧に受け答えをする。女性たちが「お菓子、食べようよ」と誘うと、控えめに輪に加わるが、翌日にはまたひとりで、ひなたに座る。

 元上司は語った。「コミュニケーションが得意じゃないんだろうが、普通の青年だった。あんな事件を起こす人間とは思えない」

 12月17日の朝、JR取手駅前で、中高生らが乗るバスに包丁を持って乱入した。バス運転手の怒号と生徒たちの悲鳴。あごを切られた女子高校生のマフラーが血に染まった。切られたり殴られたりして、14人が負傷した。

 斎藤勇太容疑者(27)。工場を辞めた1年2カ月後、不特定多数の未成年にやいばを向けた。殺人未遂容疑で現行犯逮捕され、「人生を終わりにしたかった」と供述した。

 茨城県警によると、斎藤容疑者は高校を卒業した後、半年ほど予備校に通った。だが大学には進まず、10回ほど職を変える。3年前に母親を亡くし、年金暮らしの父と同居していたという。昨年、工場との契約が切れた後は職に就かず、自宅にこもっていた。

 県警の捜索時、部屋にはテレビやパソコンといった、外界とつながる道具が一切なかった。高校時代に好きだったという本も一冊もなく、友人、知人とつながる携帯電話も持っていなかった。

 取手駅から約9キロ離れた同県守谷市内に、容疑者の自宅はある。事件の2カ月前、近所の60代女性が会っていた。

 髪を肩まで伸ばし、ぶかぶかの部屋着姿だった。一言も発しない。「中学生のころと、ずいぶん変わっちゃったな」と感じた。女性が何より驚いたのは、まったく表情が無かったことだった。

 つながりを断った1年2カ月について、斎藤容疑者は何も語っていない。事件の動機についても、弁護士に「表現しづらい」と話している。

 工場の元上司は思う。ひとりが好きなのだと思っていたが、実は違っていたのかもしれない。してやれることがあったんじゃないか。「でも、子どもたちを傷つけたのは許せない。しかりつけたい」

 弁護士を通じ、元上司がそう語っているのを知った斎藤容疑者は、こうつぶやいたという。「そんなふうに思ってくれている人がいるんだ」

■居場所を探す 宗教にネットに

 12月上旬、中国地方の大学で、大津市の会社員(36)が大学教員ら約40人を前にして、「大学におけるカルト勧誘」をテーマに講演をした。「大学に入ったばかりは、知り合いが少なくて寂しいですよね。ベンチで1人で座っている新入生が狙い目です」。「孤独を狙う」との文字を映し出したスクリーンの前で声を張り上げる。

 「僕もそういう人に声をかけました。例外なく話を聞いてくれました」。自らがしたことへの後悔がこもる。

172チバQ:2011/11/20(日) 20:45:06
■家族より濃い血

 1993年に大学に入学したが、遊ぶことばかりに熱心な同級生に違和感を持った。入試を終え、新しい目標も持てない。話し相手が欲しくなり、前年、受験を前に大学を下見したときに声を掛けられた「人生を考えるサークル」に電話をした。

 講義の選択方法や試験対策を丁寧に教えてくれる。飲み会や食事会、合宿が頻繁に開かれる。サークルが新興宗教の偽装だと分かった後も、キャンパスの外にある「部室」に通い詰めた。少し年上の東大生が、教義をマンツーマンで教えてくれた。まるで兄のよう、いや「家族より濃い血」が流れていると感じた。

 教団で生きていこうと決心した。4年生で大学を中退。「なぜだ」と父は激怒し、母は泣いた。昔の自分のような大学生を、今度は自分が「兄」になって勧誘し、100人以上を誘い込んだ。

 お布施集めにも奔走した。「保険も解約したし、もうだいぶつぎ込んだ。もう出せるものは……」。土下座して号泣する高齢女性を「地獄に落ちますよ」と脅し、50万円をむしり取った。

 認められて本部職員となり、ネット対策を担当した。教団を攻撃するサイト運営者を、告訴すると脅す日々。「おまえ、変わっちゃったな」と言われたくなくて、教団の外にいる知り合いを避け続けた。

 そんなある日、ふと疑問がわいた。なぜ、教団職員の残業代が支払われないのか。なぜ、教団の会長に絶対服従なのか。なぜ、会長はぜいたくな生活をしているのか。外部の人たちが言うことの方が、正しいのでは……。

 12年間在籍した教団を去ると、孤独が押し寄せた。家族より濃いつながりのはずの仲間から、ぱったりと連絡が来なくなった。就職はしたが、同僚との付き合い方が分からず、3回転職した。教団に入る前よりつらい。まるで、焼け野原に一人でたたずんでいるように。

 孤立感から抜け出せたのは3年後。結婚して子どもが生まれ、家を建てた。同じ年齢の男性が送っている生活を、自分も営めるようになったと思えたときだった。

■サイトの有名人

 かき入れどきの土曜だというのに、店のシャッターは閉じていた。朝方までソファでパソコンを操り、そのまま眠ってしまったのだという。

 兵庫県の阪急沿線、駅前に続く通りの一角で、男性は小さな洗車店を営む。だが、実際は休業状態。週1度、食料を買いに出かけるほかは、店舗2階の自室にこもってインターネットに浸る。

 自分のことを「僕」と呼び、眼鏡の奥で人が良さそうに笑う34歳には、ネットの世界にもう一つの顔がある。「bureno(ブレノ)」。動画サイトでは、ちょっとした有名人だ。

 「スパイの子」「日本から出て行け」。画面の中で、日の丸や拡声機を手にした男たちが、ののしり声をあげる。今年8月、右派団体の幹部らが威力業務妨害容疑で逮捕された朝鮮学校前の街宣を、この男性が撮影した。

 ドラマのように軽快な音楽をつけて編集した「作品」はネットに投稿され、累計で数十万回もアクセスがあった。各地の街宣に同行し、投稿を繰り返していた男性は、団体幹部とともに逮捕されたが、「関与が薄い」として不起訴になった。

 「ブレノ」は、滑らかなカメラワークで「ぶれない」という意味を込めた登録名だ。自身の活動を、海上保安官が「sengoku38」の名で尖閣沖の衝突映像を流出させた事件とダブらせる。「日本はもっと怒っていい」

173チバQ:2011/11/20(日) 20:45:18
 自分の居場所はどこだろうか。いつも探してきた。

 小学生のとき両親が離婚した。父と母の家を行き来して育ち、小中だけで五つの学校に通った。捨ててあるラジオやゲーム機を持ち帰り、自宅で一人、分解して遊んだ。

 理系の専門学校を中退し、カプセルホテルのフロントなど職を転々とする。父が亡くなり、遺産を元手に、車の塗装剤の販売を始めたが失敗。洗浄水を特別な濾過(ろか)装置に通した現在の店も振るわない。「自分のこだわりは、世の中には分からない」と強がる。

 動画や書き込みを投稿する度に、引用、転載されていないかを確認する。取材の日に男性が検索すると、以前投稿した写真が17カ所からリンクを張られていた。「ちょっと少ないなあ」

 掲示板には、何百もの投稿が秒単位、分単位で届く。自分の発言に、ほかの人から反応がある時、男性の胸は弾む。一瞬一瞬の反応でいい。認められている、と思える。

 現実の社会で右派団体の撮影にのめり込んだのは、行く度に喜ばれ、必要とされたからだった。だが、会のメンバーの多くは、彼を「ブレノさん」と呼び、逮捕されるまで本名すら知らなかった。

 事業のため、生活のために取り崩してきた父の遺産は間もなく底を突く。最近の夕食は1キロ200円のソーメンを小分けして食べている。「愛国」にすがり、見ないようにしていた現実に目を向ける時期は、近づきつつある。

 本当は何をしたいのか、と聞くと、拍子抜けするほど普通だった。

 「中小企業でこの人がいると便利だなっていう人がいるでしょ。パソコンもサッと使えて、ホームページもチラシもつくれる。本当は、そうやって役に立ちたいんです」(鈴木剛志、西本秀)

■自分を追い込む若者たち

 茨城・取手事件の斎藤勇太容疑者について、彼を知る人を訪ねて歩いた。職場で一緒にお菓子を食べた女性は「あんなことをする子じゃない」と動揺した。元上司も「私たちが知っている斎藤君じゃない」と。

 これらの印象と、忌まわしい凶行との落差が胸につかえている。

 斎藤容疑者は、度重なる転職、失業、母の死などの苦境や不運をいくつか抱えていた。社会から切り離されていく間に、やり場のない怒りを心の中にため込んでいたのかもしれない。突然、爆発するほどに。

 新興宗教に10年以上を捧げた36歳。ネットにのめりこむ34歳。彼らの素顔は、まじめで少し不器用な青年だった。そんな若者たちが、時に日常に背を向け、自分を追い込む。

 社会から認められない。社会とつながっていない。そんな不遇感を募らせるのは彼らだけではないだろう。顔を上げて、すぐ近くに目を向けてみれば、自分はひとりではない、と気付かせてくれる誰かがいるかもしれない。(鈴木剛志)
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174チバQ:2011/11/20(日) 20:46:50
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012310223.html
少女のような目の母と 「孤族の国」男たち―62010年12月31日21時30分
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94歳の母里津子さん(左)に大きな声で話しかける森谷康裕さん。食品雑貨店を営みながらの介護が続く=東京都葛飾区、仙波理撮影
 居間のかもいに、額縁入りの賞状が並ぶ。米寿の祝いなどに贈られた「寿状」は、亡父あても含めて3枚。94歳になるベッドの上の母を、静かに見下ろす。

 介護保険で、最重度より一つだけ軽い「要介護4」。週1の訪問入浴を済ませ、おぼつかない手つきでコップを口元へ。「あっ、こぼすよ」と慌てて近づく長男を、少女のように澄んだ目で見つめる。

 森谷康裕さん(66)は父が逝った10年前から、母里津子さんと2人きりで暮らす。東京都葛飾区にある築39年の木造2階建てで小さな食品雑貨店を営む。

 昨年、母の左太ももの骨折がわかったが「もう治せない」と医者に言われ、ほぼ寝たきりになった。耳が遠くなり、終日つけっぱなしのテレビの音も聞こえているかどうか。最近の会話は「今」と「過去」が入り乱れる。

 そんな母との生活を「自営だから良かった」と思う。お兄ちゃーん、と呼ばれれば、すぐ飛んでいく。親類の消息を問われても「あの人、もう死んじゃったでしょ」と耳元で何度でも正してやれる。

 いつの間にか居着いた猫が、ひだまりの部屋を通り過ぎていく。

 4人きょうだいの一番上だった森谷さんは、高校を中退して16歳で、両親の店を手伝い始めた。すぐにオート三輪を買い、毎朝6時に市場へ。父が作るきんぴらや煮豆は評判で、年の瀬になれば自家製の「お節」を買いに来る常連客を、親子3人でさばいた。

 30歳過ぎで見合い結婚したが、1年足らずで破綻(はたん)した。「サラリーマン家庭みたいに決まった休暇が欲しいと言われても、ね」

175チバQ:2011/11/20(日) 20:47:24
 時代は流れ、街は変わる。

 駄菓子の売れ行きが落ち、主婦は消費期限が表示されたパックの総菜を好むようになった。常連客は老い、店の前を通り過ぎる人々は向かいの駐車場付きスーパーへ吸い込まれていく。

 忘れられた孤島のような商店の陳列棚に品物は少なく、閉店セール最終日のようだ。

 森谷さんはほとんど外出せず、毎日3度の食事を作って母に食べさせ、おむつを替えて寝かしつける。独身の弟(58)が週2回は顔を出すが、妹たちはあまり来ない。「旦那や孫の世話で忙しいんだろう」。ため息がもれる。

 2人の時間は、10年前から止まっているかのようだ。だが、母は卒寿を過ぎ、自分も高齢者と呼ばれる年齢に達して、同じ病院に通う。10年後、一体どんな暮らしが待つのか、考える余裕はない。

 「車いすにさえ乗せられれば、日帰りでも連れ出してやれるんだけど」。そう言いながら、2年前の旅行の写真を手に取った。満開の芝桜を背にした母は、少し不安げに、こちらを見つめている。

■息子介護の本音 言えた

 残業を終えて帰宅すると、母は出走直前の競走馬のような目をしていた。明け方まで続く徘徊(はいかい)の前兆だ。「向こうに行ってろっ」。思わず頭をたたくと、みるみるうちに白髪が鮮血に染まった。急いで病院へ。「次は通報します」と医師は言った。

 数年前のことだ。

 鈴木宏康さん(51)は独身で、アルツハイマー型認知症を患う82歳、要介護3の母を介護する。川崎市の築30年を超す分譲団地の4階、3LKで2人の生活を続ける。

 電機メーカーの下請け会社を辞めたのは46歳。リストラ含みの配置転換で嫌気がさしていたとき、母の病状が悪化した。四六時中、部屋を動き回って、独り言を繰り返す。水道の蛇口は開けっぱなし。そばを離れられなくなった。

 最初はアルバイトに出るつもりだった。でも面接で「欠勤しないで」と言われれば諦めるしかなかった。昼間預かってくれるデイサービスの利用料を差し引けば、時給は実質275円。施設に入れる貯蓄もなく、母の年金で暮らそうと決めた。

 生活は想像を絶した。

 力任せに玄関ドアをたたき続ける母を部屋にとどめておけず、昼も夜も背後から追って、何キロも歩き続けた。たびたび行方不明になり、連絡を受けては連れ帰る。やむをえずデイサービスに預けた晩は、興奮して大暴れ。地域のケアマネジャーに愚痴をこぼすと「育ててくれた親でしょ」と言われ、心が折れそうになった。もう二度と行政には頼るまい、と決心した。

 たまに元同僚や友人から飲み会へ誘われたが、断った。苦しい胸のうちを訴えたところで何になるのか。そもそも母を置いて外へ出られない。周囲に壁を築き、2人だけで閉じこもるような日々。

 ボランティアの女性(63)が訪ねてきたのは、この頃だ。「気になる親子がいる」というケアマネらの訴えで、様子を見にきた。片時も落ち着かぬ母の横で、ふてくされてたばこを吸い続けていると、集まりに顔を出して、としつこく誘われた。足を運ぶうち、「本を書いたら」とすすめられた。

 2人きりの閉じられた空間に、少しずつ新しい空気が入っていく。

 日記を書いたこともないのに真夜中、パソコンに向かった。2009年、単行本「息子介護」を出した。つたなくも過激な表現で、孤立無援な日々に正気を失いかける心境をつづる。「自分自身の人権なんて言ったら、介護なんてできない」「日にいく度か心の中で殺すのです。お袋を」

 単行本は話題を呼んだ。同居の親をみる無職の独身男性の「本音」を聞きたいと、介護職や行政担当者らが続々とやってくる。介護関係者の会に誘われることも増えた。

 鈴木さんは気が向くと、母を連れて、そんな会に参加する。「キャバクラに行く方がいいに決まってます」などと憎まれ口をたたきながら。(高橋美佐子)

176チバQ:2011/11/20(日) 20:48:17
■「ごめん」2階に父の遺体

 2階に上がると、目の前の部屋の床には楕円(だえん)形のしみが広がっていた。北関東の新興住宅地の一角にある、築14年の木造戸建て。薄茶色のフローリングに広がるしみは周囲が黒く、中心部は白い。

 1人でここに住む男性(39)が7カ月間、父親の遺体を寝かせていた跡だ。

 「仏様だから、頭は北に向けて、こうやって、そっと布団の上に寝かせて……」

 丸刈りの男性は、遺体を布団に乗せた様子を、腕を広げて示した。刺繍(ししゅう)の入ったジャンパーにジャージーのズボン。家の中には、ゲームセンターで取ったぬいぐるみがいくつも飾ってある。

 2009年2月のある日。66歳の父親が心臓発作が起きたように苦しみ始めた、という。「心臓マッサージのようなことをして、発作が治まったのでよくなったと思って寝ちゃって」

 目覚めると、父は息を引き取っていた。呼びかけても、返事はない。

 「医者に診断書を書いてもらうためのお金もなくて、お葬式代もないし、家のローンも残っているし、もうどうにもならなくて」

 ほとんど使われていなかった一番きれいな部屋に遺体を寝かせた。毎日、「ごめんな、ごめんな」と声をかけ、顔を触り続けた。

 遺体と2人きりの生活が終わったのは、「父親の姿をみない」という近所の通報があったからだ。父の死後も年金を受け取っていたとして、男性は詐欺容疑で逮捕された。死亡を届け出ていれば保険でローンを返済できたことは、取り調べで初めて知った。

 「所在不明高齢者」の存在が明らかになった昨夏以降、この種の事件が各地で発覚した。首都圏の住宅地で、地方都市で、山村の集落で、同じことが起きている。男性の場合、生活の歯車が狂い始めたのは10年ほど前。母の病気が悪化したことが理由だった。

 当時は父、母、妹との4人暮らし。ローン返済には父親の収入が不可欠だったため、男性が仕事を辞めて看病や家事をした。さらに父が交通事故で大けがをし、両親の面倒をみなければならなくなった。収入は1カ月おきに振り込まれる、約30万円の年金だけになった。

 母は、06年冬に死亡。1年半たたないうちに、今度は妹が心臓の病気で亡くなった。国民健康保険料すら払えず、父親の容体が急変しても、医療費が心配で119番できなかった。

 「住宅ローンの保険のことを知っていれば」。猶予つきの有罪判決を受けて自宅に戻った男性は、家族3人の遺影が並んだ仏壇の前でそう語る。相談できる知人や親族はいなかった。父親が役所に頼ることを嫌がっていたので、公的機関にも駆け込まなかった。孤立に導かれるように、男性は年金詐取に走った。

177チバQ:2011/11/20(日) 20:48:47
 今、生活保護を受けている。就職のあてはない。将来どうするのか、日が暮れると考え込む、という。

 年を取っても親と同居している人は年々増え、収入は年金頼みということも多い。家族関係の研究を続けてきた、山田昌弘・中央大教授は「年金パラサイト」と表現する。

 「寄生」が、「介護放棄」になることもある。12月22日、津地裁の法廷に立った桐本行宏被告(57)は、そんな一人だ。

 「年金を半分あげる」と言われて母親と同居を始めた。だが数年後、ささいなことから対立。食事を運ばなくなり、さらには当時80歳の母の部屋が開かないよう、ふすまに釘を打った。母の死を確認した後も約1年半、年金をもらい続けていた桐本被告は詐欺のほか、保護責任者遺棄などの罪に問われている。

 「お母さん、ごめんなさい。愚かな息子です。恥ずかしく、情けないです。小学校の入学式の時につないだ手の温かさを覚えています。もしできるのなら、あのころに戻りたいです」。留置場で壁を眺めながら考えたという謝罪の手紙を弁護人が読む間、桐本被告は声を上げて泣いた。(中井大助)

■介護で引きこもり 防ぐ手を

 私の兄は44歳の独身サラリーマン。都内の実家に住んでいたが、最近一人暮らしを再開した。以前は「結婚して独立を」とせかした妹の自分が、ここ数年は、老いた両親のそばに兄がいる「安心感」に寄りかかってきたことに気づく。

 介護をする家族で最も孤立しやすいのが「高齢の親と同居する独身の息子」とされる。家事に不慣れで近所とのつながりが薄く、地域の見守りや緊急支援の対象からも外れてしまう。高齢者虐待のトップも息子で、夫や娘をはるかにしのぐ。

 「介護のせいで職を失ったのに、落後者という負い目に苦しむ」と春日キスヨ・松山大教授は警告する。介護する息子の「声にならないうめき」は、時に命を危機にさらす。

 老いた親と経済的に苦しむ子が、「家」という密室に引きこもるのを防ぐため、早い段階から他者がかかわる必要がある。「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」が、一昨年設立された。受け皿は、各地に生まれつつある。(高橋美佐子)

178チバQ:2011/11/20(日) 20:50:04
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201101020168.html
聞いてもらうだけで 「孤族の国」男たち―72011年1月2日22時43分


「聞き上手倶楽部」を利用する浅見真さん。携帯から聞こえる声にやすらぎを感じるという=埼玉県入間市、仙波理撮影
 きらきらと光る装飾がつけられたハンドルを握り、埼玉県の重機オペレーター、浅見真さん(39)は帰路につく。今日は電話しよう、そう思うと一日の疲れが和らぐ。

 祖母の作った夕飯を食べ、風呂に入って一段落してから、電話に手を伸ばす。相手は、有料の話し相手サービス「聞き上手倶楽部」。話を聞いてもらう。それだけのために10分千円のお金を払う。

 指名するのは、代表の菊本裕三さん(51)。顔は写真でしか知らない。会いたいわけでもない。でも、友達のような存在だ。いや、この世で自分のことを一番よく知ってる人かもしれない。

 最初の電話は4年前だった。高額請求を警戒して、プリペイド携帯電話でかけた。

 「離婚しました」

 「何で?」

 意外にあっさりと話せた。月に数度は利用するようになった。中身はもっぱら仕事の愚痴だ。会社はゼネコンの下請けで、リーマン・ショック以降、年収は半減し、社員も減らされた。不安が募る。

 「中間管理職みたいな立場なんすけど、現場の不満を上に伝えても何も変わらない。でも下からは突き上げられて、板挟みなんですよ」

 「職場で元気なのは外国人だけ。日本人は下向いて歩いてて指図聞くだけ。俺って、沈んでいく日本のど真ん中にいるんだと思うんです」

 「聞き上手倶楽部」の菊本さんは元美容師。客の話に耳を傾ける美容師ほどリピーターが多く、「聴く」大切さは身にしみて感じていた。うつ病の増加が話題になっていた2006年、「一歩手前で予防することができれば」と考え、サービスを開始。「話し相手のいない高齢者」を想定していたが、実際は違った。家族も友達もいて仕事もしている、まじめな人が多い。

 家族に何回も同じ話はできない。周りに聞いてもらえない。利用者から漏れるのはこんな言葉だ。

 顧客は数千人になり、同業者も増えている。事業は順調だが、半面、菊本さんは少し寂しさも感じている。「嫌なやつと思われたくない、うっとうしがられたくない、だから愚痴や悩みを言えない。もっと甘えてもいいのに」

 浅見さん自身、一緒に暮らす祖母や父との関係が悪いわけではない。肉体労働で鍛えた体にストリート系ファッション。友達も彼女もいる。でも、深刻な話はしない。愚痴をいうと雰囲気が悪くなる。「話しても仕方ないなって思うんすよ。自分をさらけだせる人、いないっすね」

 「10年後は大した楽しみもなく引きこもってるんだろうな。さみしいっていうより、すごくひとりなんじゃないかな。孤独死、するかもな」

 こんな話、身近な人には、したことがないし、サービスを利用していることはこれまで誰にも話していなかった。思いをはき出したら、翌朝、また現場に向かう力が湧いてくる。(仲村和代)

■赤の他人に救われた

 石油ストーブでほどよく暖まった畳敷きの部屋、60代の男性2人が、ちゃぶ台を前に向き合う。聞こえるのは、小さな声、そしてインコが鳥かごを揺らす金属音だけだ。

 「少しずつ進んでしまう病気ですから。1ページずつ、記憶を破っていくわけです」

 「はい」

 「私が夫であるかどうかも、わからない状況になっていくわけです」

 「はい」

 語り手は、千葉県船橋市に住む徳田利彦さん(67)。相づちを打っているのは同市の小柳嘉一郎さん(69)。2人は数カ月前まで、まったく面識のない赤の他人だった。

 傾聴ボランティア。高齢者ら悩みや寂しさを抱えた人の話し相手になる運動だ。自治体としては船橋市が初めて、9年前から始めた。ボランティアは現在286人、昨年度の訪問回数は3717回。

 勧められてボランティアを受け入れた徳田さんは、最初は懐疑的だった。初回は仕事の話題だけ。こんなことをして意味があるのか、と思ったが、ふと気が変わった。

 この人に話してみようか。自分のこと、妻のことを。

 「家内がアルツハイマーだとわかったのは7年前です。今思えば、20年近く前から始まっていたのかもしれない。家に帰ると、暗い部屋でひとり座り込んでいて。どうして気付いてやれなかったのか」

179チバQ:2011/11/20(日) 20:50:30
 話し始めると、次から次へと思いが湧く。92歳の母親も施設に入っていること。妻や母のことを相談したいが、息子たちも不況で収入が減り、それどころではないこと。

 「家内と夜中にドライブしました。死のうと思って、直線道路でスピードを出して、母さん、これでいいかいって。その時だけ家内は真顔で、いいよ、と言うんです。かえって踏み切れなかった」

 小柳さんは余計な口を挟まない。ただ話を聞くだけ、といっても簡単ではない。同市福祉サービス公社の40時間の講習を受けなければボランティアにはなれず、会話の内容には守秘義務が課せられる。

 「家内がこうなったのは、私のせいなんです。夫婦は空気のようなものと思い、ずっと無視してきた。家内を介護施設に入れてから、ひとりでいると、おかしくなってしまいそうになる。テーブルをたたき、泣きわめいて……」

 徳田さんは、自分の生きてきた道を語り始める。高校を卒業し、鹿児島から集団就職列車で上京したこと。転職を重ね、睡眠時間3時間で何年もがむしゃらに働いたこと。

 「人がつながりを失って、今のような世になったのは私たちに責任があるんですよ。がむしゃらに働いて、家族にいっぱい迷惑をかけて」

 小柳さんはただ、深くうなずく。同世代の男性2人。同時代を背負ってきたからこそ分かり合えることがある。

 徳田さんの顔に、次第に赤みがさしていく。(真鍋弘樹)

■話すことは生きること

 苦境にあるとき。悩みを抱えているとき。誰かに話しても、決して問題が解決するわけではない。それでも胸中を吐き出せば、心の荷物が軽くなる。

 家族が「孤族」へと姿を変えている今、話し相手の不在に悩む人たちは今後も増えていくだろう。ボランティアや有料の話し相手も、選択肢のひとつとなっていくに違いない。

 船橋市の傾聴ボランティアでは、話し手と聞き手のペアが7年間も続いたケースがあったという。人を固く結ぶのは、決して血縁や地縁だけではないのだ。

 話すことは、息をすることに似ていると思う。普段は意識をしなくても、人はこれなしには生きていけない。(真鍋弘樹)
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180チバQ:2011/11/20(日) 20:52:26
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201101030274.html
最後に人とつながった 「孤族の国」男たち―82011年1月3日22時41分
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炊き出しに合わせ、健康不安を抱える山谷地区の男性らのために相談窓口を設けた「コスモス」の看護師たち=3日午後、東京都墨田区、仙波理撮影
 がん末期で入院を拒否し、一人暮らしをしている人がいると聞き、昨年10月半ば、71歳の男性の部屋を訪ねた。

 東京都台東区の山谷地区にある古い木造アパートの2階。畳の上の介護用ベッドに、男性がうっすらと目をあけて横たわっていた。

 「つらいよねー」。そう声をかけながら、看護師が胸に医療用麻薬を貼る。男性の表情が次第に和らいでいく。

 1日2回、看護師が訪問する。医師が適宜往診し、ヘルパーも1日3回。だが、その合間や夜間は一人きりだ。

 家族のいない、独居の人が自宅で最期を迎える。医療の見守りを受けつつ、たった一人で。そんなことができるのだろうか。病院に死を任せるのが当たり前の今の日本で。

 男性が病院から自宅に帰ってきたのは6月だった。

 口腔(こうくう)底がんが進行し、手術、化学療法、放射線治療ともできず。余命数カ月。気管切開、胃に管で栄養を直接入れる「胃ろう」。生活保護。病院からの受け入れ要請を受けて、地元で「あやめ診療所」を営む伊藤憲祐医師(40)は言葉を失った。

 がんは早期に発見されたにもかかわらず、手術のタイミングを逃していた。何度入院しても勝手に退院してしまう、という。もう、ほかに頼るところはない。

 山谷地区では、簡易宿泊所などに住んでいる日雇い労働者たちの高齢化が進んでいる。そんな男性たちに医療や介護を提供するNPOの訪問看護ステーションや介護サービスが、医師とチームを組んだ。費用は、生活保護の医療扶助などでまかなう。

 トラブルは、初日から起きた。入浴サービスを受けるとき、指定時間より早く自分で施設に来た揚げ句、待たされたと怒って帰ってしまったのだ。自分のペースを貫き、針を逆立てたヤマアラシのように、いつも周囲に突き刺さる。そんな人だった。

 男性は、半生をほとんど語らず、訪ねてくる親類や知人もいなかった。温泉とこけしで知られる宮城県の鳴子出身。生活苦で中学生のときから働きはじめたのだという。その性格から、人と群れずに生きてきたのだろう。

 その後も、「自己流」は続いた。看護師が訪問する時間にわざと外出する。胃ろうに入れる栄養剤に、自分で缶コーヒーや豆乳を混ぜる……。

 そんな身勝手の数々を、スタッフらはあえて受け入れ、休日さえつぶした。

 男性を担当した訪問看護ステーション「コスモス」看護師の平野智子さん(35)は、その理由を語る。「人を待つ」ということが今、医療の場で失われている。病院ではどうしても医療が中心になるが、在宅なら患者のこだわりを大切にできるはず、と。

181チバQ:2011/11/20(日) 20:55:57
■閉じた心 開いた医療ケア

 室温で氷がとけていくように男性は変わっていった。看護、介護が終わると、何度も手を合わせるようになった。病状が進み、会話が難しくなるとペンを握った。「すみません」「たすかります」

 その頃、ある高齢の女性が、部屋を訪ねた。50年以上会っていなかったという男性の姉(84)だった。

 本人は不義理を気に病み、身寄りのあることを隠していた。伊藤医師が説き伏せ、半ば無理やりに連絡をとった。

 「あなたも安心して、感謝を忘れずに最期を全うしなさい。私もすぐにいくから」

 姉は、肉親でなければ口にできない言葉を、ほほ笑みながら言った。義姉のはからいで親や兄と同じ墓に入れることも伝えた。看護師の目には、男性の表情がすっと楽になったように見えた。

 衰弱し、血圧が低下していく。それでも残された力を振り絞り、胸の前で手を合わせようとする。最期は、かすかに布団が動くだけになった。

 ありがとう、と。

 男性が亡くなったのは、10月末の深夜だった。朝、ヘルパーの渡辺博幸さん(47)が部屋に入り、いつも通りに声をかけながら布団をめくると、胸が動いていなかった。

 翌週、斎場に集まったのは医師、看護師、ヘルパー、姉と義姉、そしてボランティアの僧侶と記者の私。男性が残したのは、数十枚の写真と数枚のCD、腕時計、そして鳴子産のこけし二つ。

 男性は、みとる人もいない深夜、一人暮らしの部屋で、この世から去った。世間の尺度を当てはめれば、孤独な死だったのだろう。でも、たった一人で生きてきた男性は、死の直前に、大切な何かを取り戻したようにみえる。

 伊藤医師は言う。「人の死は点ではないんですよね。いい生が続けば、いい死になるんです、きっと。男性は、最後に人とつながった」

 ヘルパーのひとりは、男性が亡くなる数日前に見せた表情が忘れられない。

 部屋にあったビートルズのCDをかけると、男性は曲を口ずさもうとした。顔には、確かに笑みが浮かんでいた。

■山谷地区での試みに希望

 「人は誰でも死ぬんですよね。私も、あなたも」。男性の介護をしたヘルパーが、取材中、ふいにそう言った。

 そう、人は例外なく死ぬ。孤独死を恐れる人は多いが、死ぬ時は誰でも一人きりだ。孤族と多死の時代、「幸せな死とは何か」という問いの答えは、それぞれ自分でみつけるしかない。在宅死を望む人も、きっと増えるだろう。

 大切なのは、死の直前まで不安を取り除き、手を携えてくれる人の存在だ。孤立した単身男性が多く住む東京の山谷地区には、志を持った医療・介護関係者が集まっている。彼ら、彼女らの試みに希望をみたい。(真鍋弘樹)

182チバQ:2011/11/20(日) 20:57:19
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201101040348.html
ひきこもり抜けたくて 「孤族の国」男たち―92011年1月4日21時56分
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男子学生のアパートを訪問した宮西照夫教授(左)=和歌山市、仙波理撮影
 庭先で、マツが腰をひねり枝を広げる。奥には、どっしりとした瓦ぶきの家屋。その2階に男性の部屋はある。

 「僕がひきこもっているのは、父さんへの復讐(ふくしゅう)だ」。そう家族に訴え、30年間、社会と接点を持たずにきた48歳の男性が、昨秋、中部地方の専門病院に通い始めた。

 結婚して家を出ている姉によると、通院へ背中を押したのは、反発しながらも同居してきた80代になる父の死だった。「病院へ行こう」。1人になった男性に姉が促すと、素直にうなずいたという。

 対人不安から、会話は親類と医師に限られる。記者も、姉に付き添われて歩く姿を離れて見守った。病院へ送り、実家に食品を届ける姉は疲れ果てる。「世間から見ると大人。でも、自立はまだ」

 高校3年、最初は不登校から始まった。母の死、いじめ、進路選択などが重荷となり、思春期の心を閉ざした。

 「母さんが甘やかした」「卒業して就職しろ」。仕事中心で、亡くなった母に子育てを任せてきた父は、叱るほか接し方を知らなかった、と姉は言う。それが息子を逆上させ、時に暴力となった。

 一つの家に冷蔵庫が二つ。父子は別々に食事した。体面から家族で抱え込み、医師にも相談しなかった。「でも、父なりに弟を愛していた」と姉は思う。将来を案じ、年金保険料を代納し、貯金を続けた。スーパーの警備員など定年後も75歳まで働いた。

 ひきこもりの長期化に、当事者と家族が追い詰められている。国の推計で当事者は全国70万人。「親の会」の調査では平均年齢30歳を超す。

 関東地方の36歳の男性。大学になじめず、うつ状態になり自殺を図った。人と会うのが怖い。昨年から介護施設で週1回のバイトを始めたが、気分に波がある。取材後、携帯に電話してもつながらず、数日後に「落ち込んで、出られなくて」。67歳になる元高校教師の父の年金が頼りだ。

 大学院の時に就活に失敗した東北地方の29歳の男性は、30歳を前に自分で入院を決めた。同世代が仕事をこなし、結婚する時期。30代になると就職も難しくなるため、長期化させない治療の節目と言われる。「退院したら教員免許をとりたい」「まだ間に合うだろうか」。焦り、揺れる。

 出てくるのを待たず、専門家の医師が迎えに行こう。そんな試みがある。

183チバQ:2011/11/20(日) 20:57:31
■「おるかー」医師が迎えに

 「おーい、おるかー」。呼び鈴を押しても反応がない。和歌山大学そばのアパートの2階。玄関口で宮西照夫教授(62)が声を張り上げて20分たったころ、やっと開いた。

 師走の夕暮れ。無精ひげの男子学生(24)は湯船の中で寝ていたという。ベッドの枕元の壁には、「怠けたい自分に打ち克(か)て」と手書きの張り紙が掲げてあった。

 精神科医の宮西教授は、大学の保健管理センターの所長を務める。ひきこもる学生らの自宅を訪問してカウンセリングし、外出を促す独自のプログラムを実践。8割以上を復帰させてきた。

 男子学生は、留年を機に夏まで不登校を続けていた。復学後も1週間以上休むと、教授や友人が自宅を訪ねる。

 この学生の場合、一人暮らしのアパートを初めて教授が訪ねたのは昨年6月。呼び鈴を押しても反応がなく、ポストに手紙を残した。「元気か」「また来るよ」。それをくり返し、4度目の訪問となった7月、ドアが開いた。

 「最初は面倒くさいと居留守した」と男子学生。「でもこのままじゃダメだという思いが募ってくるタイミングがある。その時にノックされるとドアを開けられる」

 一方、両親から外に出るように言われると、心配かけてるな、申し訳ないなと、ますます落ち込むという。当事者や家族が問題を抱え込み、孤立する事例を見てきた宮西教授は、「行き詰まった親子に第三者が介入し、風穴を開けることが大事」と訴える。

 「宮西プログラム」には番外編がある。信頼を築き、部屋を出られると食事に誘うのだ。この日、床に座って1時間近くひざ詰めで語った後、別れ際に玄関口で学生の肩を抱いた。「今度、一緒にラーメン行こな」

■親も高齢化 態勢づくりを

 なぜか、ひきこもる人々の6、7割を男性が占める。進学や就職をめぐり、周囲が男性に寄せる期待の高さがストレスになっている、と専門家は見る。さらに、最近の不景気が社会復帰を阻んで長期化を招き、加えて就職難が新たに20、30代になってひきこもる高年齢層も生んでいる。

 親の高齢化も深刻だ。「全国引きこもりKHJ親の会」の奥山雅久代表は66歳。自身も末期がんを患い、長期化する当事者を支える制度実現を訴える。記事の48歳の男性のように、抱えてきた親が亡くなる事態はすでに始まっている。家族に依存しない態勢づくりが急務だ。(西本秀)

184チバQ:2011/11/20(日) 20:58:01
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201101050366.html
自殺中継 ネットに衝撃 「孤族の国」男たち―102011年1月5日21時29分
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インターネットで自殺中継した男性に対する書き込みを学生は悔やんでいる=仙波理撮影
 男性の体が動かなくなった。画面の中で、ベランダの向こうの空だけが明るくなっていく。「これ、ガチ(本当)だぞ」「やべえ」。ニュースはあっという間にインターネット上に広がった。

 「来週自殺します」という予告が、ネット掲示板2ちゃんねるに載ったのは昨年11月上旬だった。予告した男性は自室にカメラを設置。生中継動画をネット配信し、書き込みを見ながら思いを語っていた。中継は最期の瞬間まで続いた。

 掲示板には、「どうせ死ねないだろ」「早くしろよ」と、匿名の書き込みが相次いでいた。24歳の男子学生も、その中にいた。

 興味本位で動画を見始め、同年代が泣きながら語る姿に、「これはやばい」と思った。学生も突然大学に行けなくなり、うつ病と診断されていた。手首に包丁をあて、痛みに耐えられずにやめた。八方ふさがりだった。

 画面の向こうで、その男性は語った。うつ病で休職中であること、大学時代の友人と離れて寂しいこと、容姿へのコンプレックス。ひとごととは思えない。「死ぬのはやめろ」。そう書き込み、朝まで中継につきあった。

 翌日、男性は「昨日は途中で寝ちゃってごめん」とまた配信を始めた。「死ぬ気ないな」。掲示板の書き込みはだんだん、あおる方向へ変化していく。「さっさと死ね」。学生もばかばかしく思って、何度か言葉を浴びせた。最期の映像を見ても、現実感はなかった。

 「あおったヤツは人殺し」。今度は掲示板に、そんな言葉があふれた。

 それから1カ月。取材に応じた学生は「書き込みと自殺の因果関係はないと思う」と話した後、続けた。「ほかの人があおってる中で『生きろ』と書き続けて、『空気を読め』っていわれるのが嫌だったのも事実。死ぬわけないって思ってた。でも、人が亡くなった以上、言い訳でしかない」

 2ちゃんねるは「習慣」だった。1日10時間以上パソコンの前にいたこともある。現実の友達とは違う、独特のつながり。出会いもあった。

 しかし、大学に行けなくなった時、真っ先に頼ったのは両親。相談すると、郷里から数時間かけて、すぐに駆け付けてくれた。大学の先生や友人も見守ってくれている。

 あの男性は、そんな存在に気づけなくなっていたのだろうか――。学生は事件を機に、ネット漬けの生活を卒業する決意をしている。


■救いと牙と 紙一重の空間


 自殺した男性も24歳。大学を卒業し、昨年4月から仙台市で働きはじめたばかりだった。上司は「ごく普通の職場の、ごく普通の青年」と語った。

 例年の倍以上の難関となった入社試験をくぐり抜けた。飲み会でも「がんばります」と明るかった。ところが5月末、突然「調子が悪い」と休みを申し出たという。

 「ゆっくり休むように伝え、親御さんとも連携してケアしていたつもりだった」。ショックを隠しきれない様子の上司は繰り返した。「自殺をあおるサイトがあるなんて、理解できない」

 男性の自殺の衝撃が、水紋となって同世代に広がる。

 事件の後、残された動画を見た神奈川県のフリーター(23)は「誰かに分かってほしい、かまってほしい。彼にとってその場所が、ネットだったんだ」と思った。

 17歳の頃から、生きる意味を見いだせずにひきこもった。何度も死を考えた。分かり合える人を求めて、ネットをさまよった。同じようにつらい人がたくさんいることを知り、少し、救われた。

 固定した人間関係が苦手だから、正社員にはなりたいとも思わない。親がいなくなって生活できなくなったら死ねばいい、と低い声で話す。

 それでも、一歩ずつ前に進もうと、もがく自分がいる。生活を立て直そうとする姿を連日、ブログにつづる。「4カ月くらい安定剤を断っている。がんばってるな、おれ」

 共感したいと願う人たちが誰かに寄り添ったり、時に傷つけたり。膨大な情報が飛び交うネットは、プラスにもマイナスにもなる、と思う。

 最近、派遣社員として販売の仕事をするようになった。いつもは昼夜逆転の生活だから昼間に働くのはつらいが、徐々に人前に出ることに慣れてきた。今なら、前向きな人たちとつながることもできるかもしれない。

 ネットでも、現実でも。

185チバQ:2011/11/20(日) 20:58:19
■つまずいてもやり直せる道を


 ネット上でどぎつい言葉を交わす彼らは、実際は礼儀正しく、まじめな若者たちだった。実社会でつまずき、自己否定の言葉を連ねる彼らを追いつめているのは何だろう。

 若者の生きづらさをテーマに取材をする渋井哲也さんは「少子化で子どもへの期待値が高まり、逃げ道がなくなっている」と指摘。小さな集団で育つ分、異質な人と対話する力が落ちていると感じる。

 周囲と同じ歩調で歩むことを求められ、一度つまずくと元の道には戻れない。その恐怖が、彼らを閉じこもらせているように感じる。何度でもやり直せる、そんな「空気」が必要なのだと思う。(仲村和代)

186チバQ:2011/11/20(日) 20:59:35
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201101060454.html
動かぬ体 細る指 外せぬ指輪「孤族の国」男たち―112011年1月6日22時12分


伴侶を亡くした人がカラオケの席を囲んだ「気ままサロン」の忘年会。歌詞を聞いて、時折しんみりとなった=東京都新宿区、仙波理撮影
 ベッドを降りて5メートルほど離れたトイレへ歩く。引き戸を開けてまた数歩。便座に腰掛ける。「つえをつかんと行けた。治ったんや」。うれしさと同時に目が覚める。

 兵庫県西部の特別養護老人ホームに入所している男性(78)は、繰り返しこんな夢をみる。布団に横たわっている自分の右半身は、脳梗塞(こうそく)の後遺症で動かない。

 仕事も、遊びも。そんな半生だった。働いていた妻とはすれ違いが続き、1987年に離婚届を突きつけられた。早期退職して得た退職金と、自宅を売って作った計6500万円を慰謝料として渡した。

 それでも、遊び癖は直らない。転職してからも大阪の盛り場・キタで毎日のように飲んだ。スポーツクラブに週5日通い、悲惨な老後とは無縁と思っていた。

 5年前の春、カーテンを取り換えようとして上を向いたとき、頭の後ろに痛みを感じた。入院して1週間後に意識がなくなり、目覚めたのは2カ月後だった。

 話こそできるようになったが、つえがなければトイレにも行けない。食事以外は6畳ほどの自室にこもる。親しく話せる入所者はおらず、一言もしゃべらない日もある。

 離婚後も元妻とは連絡をとっていたが、病気になってからは途絶えた。「死んどると思っとるやろな。僕のことが新聞に載ったら、誰かが妻に伝えてくれますかね」

 入院しているうちに、私物は親類にほぼ捨てられた。残ったのは結婚指輪だけだ。やせた薬指には合わず、中指にはめている。半身不随になり、年老いた今になって切実に思う。妻がいたら、子どもがいたら、と。

 「指輪を外されへんのは、近くに妻がおったらなと思うからかな。結局、自分のことしか考えてない。勝手放題にしてきた僕への罰ですわ」

■死別の悲しみ分かち合う

 東京都心からJR中央線で約1時間半の山梨県上野原市。駅を囲むように広がる住宅街の一角に、武田繁男さん(64)は暮らす。

 家のことは妻に任せきり。休みの日は家でごろごろするだけ。当たり前だと思っていた生活は、4年前、妻の突然の死で終わりを告げた。あと半年で定年を迎えたら、2人で旅行を、と考えていたところだった。

 電車の中で泣きそうになる。誰もいない家でぽろぽろと涙をこぼす。おいしいものを食べると、「食べさせてやりたかったな」と思う。

 何より心残りなのは、感謝の言葉を伝えられなかったことだ。「優しい言葉、いえないんだよね、俺たちの世代は。だめだね」

 今、多くの時間を、縁側のそば、深緑の山並みを望むこたつで過ごす。左手に電話とパソコン、目の前にテレビ。手の届く範囲で、ほとんどの用が足りる。

 そこでほぼ毎日、欠かさずにするのが、メールの送信だ。宛先は、配偶者を亡くした人の会「気ままサロン」のメーリングリスト。

 〈一瞬に終わった一年。エスカレーターの駆け上がり、いつまで続けられるか。脱兎(だっと)のごとくいければ〉

 〈子供達(たち)は昨夜あわただしく帰京。よって、お一人様生活に戻りました〉

 ほぼ毎日、日常生活や気づいたことを取り留めなくつづる。パソコンの向こうにいる仲間たちが、話し相手の代わりになる。

 みな、同じような喪失感を味わっている。千葉県柏市の公平(こうへい)敏昭さん(70)は4年前に、東京都日野市の堀野博資さん(69)は10年前に妻を亡くした。深くて冷たい海の底にいるよう。そんな思いを、同じ境遇だからこそ安心して伝えられる。

 「男の方がめそめそしていますよ。カミシモつけて素直に気持ちを吐き出せないんだよね」と堀野さんは言う。

 時には顔を合わせ、共に過ごす。年末、平日の昼間、新宿のカラオケボックスで開かれた「気ままサロン」の忘年会には20人以上が集まった。東京都板橋区の井出弘明さん(74)が選んだ古い洋楽に、1人の女性が涙をぬぐった。

 「主人が好きだった歌で」

 「いやあ、女性を泣かせちゃったな」。井出さんはそういって、場を和ませた。

 井出さんも、家に帰れば1人。「行ってくるよ」と声をかけても、答える人はいない。ついでに買い物を頼まれることもない。かっこ悪いからと嫌がったネギだって、今なら買ってくるのに……。

 そんな気持ちを抱えるのは一人だけじゃない、そう仲間たちは教えてくれる。

 悲しみは決して消えない。でも、分かち合う友がいれば少しだけ、心が軽くなる。(鈴木剛志、仲村和代)

187チバQ:2011/11/20(日) 20:59:55
■つながりがあれば前向きに

 死別や離別で伴侶を失った人、そしてその人たちが過ごす時間は、長寿に伴って増えていくだろう。男性の場合、家事能力の低さが苦しみに拍車をかける。「孤族」の時代、よりよく生きるために、最低限の生活能力は必要だ。

 一方、喪失感は簡単に埋められるものではない。「残された者を最期まで気遣っていた夫や妻の思いをおろそかにせず生きよう。そのために仲間がいる」。気ままサロンの佐藤匡男代表の言葉だ。

 共感できる人とのつながりがあれば、伴侶と生きた時間をいとおしみながら、前向きに生きることもできるのだと感じた。(仲村和代)=第1部おわり

188チバQ:2011/11/20(日) 21:01:11
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107230603.html
震災 死悼む身内なし 「孤族の国」3・11から2011年7月23日22時51分

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 震災に吸い寄せられるように、被災地を訪れる人たちがいる。

 7月上旬の深夜、仙台市中心部の公園。真っ暗なベンチに一人の男性が座り、宙を見つめていた。荷物は小さなキャリーバッグだけ。仕事を求め、名古屋から来た労働者だった。

 44歳、独身。両親は他界し、故郷の大阪に住む兄とは20年以上、連絡をとっていない。派遣の仕事を転々としていたが、昨年末から生活保護を受けている。

 そんな彼に、震災はチャンスに映った。がれき処理の仕事に手を挙げ、仙台へ。しかし、実際の仕事は家屋の解体だった。日当7千円。契約途中で辞め、ネットカフェや公園で寝泊まりを始めて5日がたった。

 次に福島の原発周辺の復旧作業を狙っている。20日間限定で昼4万円、夜5万円との募集を見た。「今は満員だけど、次回に来てくれって」。翌日、彼に連絡をとろうとしたが、携帯電話はつながらなかった。

    ■

 震災の犠牲になりながら、その死を悼む身内すらいない人たちがいる。

 宮城県石巻市の中心部に近い古い木造の平屋で、70代の夫婦は、10年ほど前から暮らしていた。時折笑い声が外まで響いたが、近所との交流はなかった。近くの大家(62)も、生活保護を受けていること以外、身の上は知らなかった。

 3月11日、近くの川から押し寄せた津波は、2メートル近くの高さに達した。何日かたって、ビニールシートにくるまれた2人の遺体が、平屋から運び出された。

 4月に入って、大家が警察に呼ばれた。身元を確認できる身内は見つからず、2人の名は県警の「所持品等から推察される氏名等事項一覧」に掲載された。

 ようやく犠牲者として名を刻まれたのは、震災から4カ月後だった。(平井良和、仲村和代)

    ■

 朝日新聞が昨年末から始めた連載「孤族の国」は、人のつながりが変化し、社会から孤立する人々が急増していることに焦点をあてた。東日本大震災という未曽有の災害が列島を襲い、被災者、そして被災地以外の人々にも孤立化の危機はより身近となっている。

 先送りにすることのできない問いを、私たちは突き付けられている。あの日、2011年3月11日から。

189チバQ:2011/11/20(日) 21:01:39
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107240491.html
集落解散 消えるつながり 「孤族の国」3・11から―1【全文】2011年7月24日22時20分

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管理人として住み込むリゾートマンションの最上階から太平洋を眺める佐藤俊一郎さん、芳子さん夫妻=静岡県熱海市、仙波理撮影

孤族の国と震災
 6月半ばの昼下がり、神奈川県のJR小田原駅ホームで一人、電車を待っていた佐藤芳子さん(53)の携帯電話が鳴った。

 ふるさとの宮城県石巻市にいる友達からだ。

 心が弾んだ。

 それなのに、涙で声が出ない。津波で壊滅した故郷を出て2カ月余り、寂しさが抑えきれない。「せっかくかけてくれたのに、ごめんね」と電話を切った。

 その日から、「また泣くだけかも」と思い、電話に出られなくなった。

 夫の俊一郎さん(53)と2人、石巻の漁師町・雄勝町から静岡県熱海市へ移った。家も仕事も失う中、東京で暮らす長男の勤め先がリゾートマンション管理人の住み込みの仕事を紹介してくれた。「自分たちは恵まれている」と思う。

 熱海駅から車で10分、プール付きのマンションは、夏だけ訪れる会員用の部屋が半数を占める。海が見えない管理人室にある故郷の品は、壊れた家から持ち出した位牌(いはい)と線香立てだけ。

 住民たちは優しく声をかけてくれ、石巻から来たことを知ると何かと気遣ってくれる。だが、夫の俊一郎さんは「余計な心配をかける」と感じ、自分から故郷の話をしなくなった。

    ■

 故郷の雄勝町は、ホタテやカキの養殖業が中心の約4千人の町だった。200人が住む明神集落で育った俊一郎さんは、高校を出て船に乗り、25歳で隣町の芳子さんと結婚。33歳で腰を痛めて船を下りた後は、町内の水産加工場で働いた。

 3月11日。津波は家と勤め先を流し、愛犬をさらった。66戸の明神集落は58戸が全壊、100人以上が地区の避難所に身を寄せた。

 電気も水道もない避難生活を俊一郎さんは「つらいけど、楽しかった」と言う。夜には、互いを知り尽くした仲間と思い出を語った。海で泳ぎながら野球をしたこと、神社の柿を盗んだこと。北洋漁業が栄えた高度経済成長期、町の人口は1万人を超えていた。

 4月初め、避難所を出る時、「逃げるようで申し訳ない」と思った。

 そんな俊一郎さんを気遣うように、今も明神の友人から長靴や下着、懐中電灯などが届く。「こっちは何でもそろうのに、くだらないものばっか。それが、たまらなくうれしいんだ」

190チバQ:2011/11/20(日) 21:01:56
   ■

 その明神集落は、「解散」の危機にある。仮設住宅用の高台がなく、住民の大半が集落を去った。自治会は6月末に「お別れ会」を開き、斎場の修繕費などの積立金を分配した。

 津波が来なくても、こんな日が来たのか。「震災は、町を出ようかとずっと悩んでいた人の背中を押したのかもしれない」。10年近く、自治会長を務めた鈴木力夫さん(65)は思う。

 1970年代後半、200カイリ規制で遠洋漁業が勢いを失うと、町人口は減り続けた。2005年に石巻市に合併する頃には、高齢化率が4割に近づく過疎地になった。

 家を失った鈴木さんは、市中心部のアパートに住むことを決めたが、それでもまだ、避難所にいる。「別れ難い。つながりを消したくない、と思うんだ」

 残る鈴木さんは消えゆく集落に惑い、離れる佐藤さんは心に大きな空洞を抱える。震災は被災地に、こんな人々を数多く生んだ。

 繁忙期のお盆に帰省できない佐藤さん夫妻は、7月初め、集落に残る先祖の墓に参った。俊一郎さんが墓前でつぶやいたのは、こんな言葉だった。

 「死ぬまで墓は守るから安心してくれ。そうできるよう、お願いします」

 責任感半分、願いが半分。いつ戻れるのか、わからない。それでも思う。

 家や集落すら、なかったとしても、俺の心が安らぐ場所はここなんだ、と。

■「望まない孤」寄り添えるか

 住む人がいなくなって何年もたった空き家。各集落に点在する廃校の跡。細りつつあった雄勝の町で、家族を超えて助け合う共助の力は、集落の支えだった。

 津波は理不尽に、それを断った。決して便利な生活でなくとも、つながりの中に身を置くことで平穏を感じた人たちに、故郷を離れて生きることを強いた。隣人を知らないことも珍しくない都会への移住、その孤立感は計り知れない。

 「望まない孤」に惑う人たちに気づき、支える力がこの社会に残されているか。震災は、そう問うているようだ。(平井良和)

191チバQ:2011/11/20(日) 21:05:54
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107240524.html
細る開拓地 外国人妻涙 「孤族の国」3・11から―2【全文】2011年7月24日23時20分

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. がらんとした牛舎に、牧草や牛ふんの甘くすえた臭いが漂う。

 原発で 手足ちぎられ 酪農家

 壁の黒板にチョークで書かれた「辞世の句」が、消されずに残っていた。

 福島県相馬市の副霊山(ふくりょうぜん)地区で、酪農を営む男性(54)が自死したのは先月。携帯電話の電波も途切れる山あいの農場に、小1と幼稚園児の2人の息子を抱えた妻(33)が残された。

 小柄で目がくりっとしたフィリピン国籍の妻は、自分を責め、家にこもっていた。「私がそばにいたら、死なずに済んだかも」と。

 夫の死を知ったのは、ルソン島の実家へ一時帰国している時だった。原発事故後、フィリピン政府の呼びかけに応じ、子供を連れて避難していた。

 「農場再開のめどが立たないんだ」。夫とは、数日前に国際電話で話したばかり。息子の手を引いて成田空港に降り立ち、手荷物を受け取るのも忘れて福島に舞い戻った。

 子供らに涙は見せたくない。だが、夜になると抑え切れなくなる。日本語もままならず、夫の死に伴う法的手続きを、周囲に頼る自分がもどかしい。

    ■

 「高3の孫に、酪農を継がせてよいものか……」

 仲間の自死を機に、近くで農場を営む村松征吉さん(73)は悩む。原発から北西50キロの副霊山は放射線量が比較的高い。事故後、原乳出荷が一時止められた。

 酪農の盛衰を肌で知る。終戦の翌年、兵隊帰りの農家の次男三男や旧満州引き揚げ者らが山林を開墾した開拓地だ。戦災復興と食糧増産の右肩上がりの時代。115世帯すべてが酪農に取り組み、「電気や電話が通じ、牛が増え、暮らしがみるみる良くなった」。

 だが、1970年代がピークだった。「物価の優等生」と呼ばれる乳価は抑えられ、少子化で給食用など牛乳消費量も低迷する。住民は75世帯にしぼみ、うち酪農家は自死した男性を含め6世帯に。原発事故はそこを突いた。放射能を避け、自主避難も始まる。

    ■

 細る地域を支えるのが、アジアからの外国人だ。

 毎朝、副霊山の一角に、若い女性の中国語が響く。鶏肉処理場へ通う20人の中国人実習生たちである。地区人口の1割を占める。

 工場は、酪農を諦めた農家の多くが養鶏に転じ、設立された。だが、海外から安い鶏肉が大量に輸入されるようになると、農家は養鶏から撤退し、働き手も外国人へ重心を移した。

 家族の維持にも貢献している。東北の農村が「外国人花嫁」を積極的に招き始めたのは80年代半ば。いま福島県には2千人超のフィリピン人が暮らす。副霊山にもフィリピン人2人、中国人3人がやってきた。

 99年に業者を通じてフィリピン人女性と結婚した地区の男性(51)は言う。「朝夕2回、乳を搾り、休めない酪農は3K職場。日本の嫁さんは来ない」

 自死した男性の妻は、02年冬に来日した。最初は雪の冷たさや、朝5時起きの生活に戸惑った。慣れると、軽トラを操り牧草を運んだ。月1度の休み、家族で近くの温泉に出かけたのが懐かしい。

 これからどうしよう。自分にとってここは異国。でも、息子らにとっては故郷だ。気持ちは揺れる。

 「残るならストロング・マザーにならなくちゃ」。静まり返った農場を見つめた。(西本秀)
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192チバQ:2011/11/20(日) 21:07:07
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107250770.html
避難の母 支えきれなくて 「孤族の国」3・11から―3【全文】2011年7月25日22時15分

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仮設住宅で独り暮らしをする太田和子さん。必要最小限の生活用品しかない部屋で、趣味の手芸をして一日を過ごすことが多いという=宮城県石巻市、仙波理撮影
 また、泣いている。背を向けて、声も出さずに。

 宮城県石巻市の実家が津波で流され、東京都江東区の小林真智子さん(52)のマンションに身を寄せた母の太田和子さん(77)は、部屋にこもって縫い物ばかりしていた。「東京にいたら何もすることがない。死ぬの待ってるだけだ」

 母に合わせ、生活時間帯も、食事も変えた。出かけることもできない。なのに――。つい言葉がきつくなり、自己嫌悪に陥った。

 震災前は、認知症の父(84)を母が世話する「老々介護」の状態だった。ベッド脇に便器があり、そこで父は食事をする。母は夜中に何度も起こされる。そんな生活がいつか限界を迎えることはわかっていた。

 これからは、もっと頻繁に実家に帰ろう。そう考えていた矢先、地震が東北地方を揺さぶった。

     ◇

 震災の1週間後、石巻に駆けつけた真智子さんが見たのは、別人のような母だった。錯乱状態になって避難先で暴れ、父と一緒に総合病院に搬送されていた。「毒が入っている」と食事に手をつけず、やせ細っている。

 急患であふれる病院には、いつまでもいられない。高齢者2人の居場所を求め、漂流が始まった。

 県の紹介で仙台の介護施設へ入ったものの、母の錯乱の原因は一時的な水分不足と診断され、長居はできなかった。「石巻で暮らす」と言い張る母を連れ、父を施設に残して東京へ。だが、家族3人に母が加わった生活は、想像以上のストレスだった。

 受け止めきれなかった。

 1カ月ほど経った頃、母の地元の友人から電話があった。方言で楽しそうに話す母を見て、決断した。「仮設住宅に申し込もう」。それから、母は、みるみる元気になった。

 一方、石巻に戻る母に同行した真智子さんは、すぐに帰りたくなった。30年離れていた故郷は異文化のよう。母とも、細かいことですぐ言い争いになる。

 ショッピングセンターで、見知らぬ男性が話しかけてきた。「娘のとこにいたけど、気い使って、3日で帰ってきたよ」。家族や知人を頼った縁故避難の難しさに悩むのは、自分たちだけではなかった。

 結局、2週間で逃げるように東京に戻った。誰にも話せず、何かをする気力もない。母も、同じ思いだったのか。

     ◇

 「ごめんくださーい」

 和子さんの暮らす石巻の仮設住宅に、近所の女性がいなりずしを持って訪ねてきた。新しい「ご近所さん」とも、食べ物を分け合う生活が始まっている。

 「東京だと、家族以外と話さないの。ここは、散歩にいけば知り合いがいるし」。自ら願った故郷での暮らし。介護からも解放されたが、1人の時間は長い。先のことを考えるとパニックになるから、縫い物や草取りで時間をつぶし、考えないようにしている。

 仙台の介護施設を出て以来、夫とは会っていない。「私のことばかり心配してんだって。かぁは料理がうまい、っていってやんだそうです」。うれしそうに話したが、一緒に暮らしたいかを尋ねると言葉を濁した。「これからどうなるかもわかんないしね」

 先が見えないのは、真智子さんも同じだ。たとえ命は縮めても、家族が一緒に暮らした方がいいのではないか。いや、1日でも長く生きてほしい。揺れながら、自分に言い聞かせる。

 今はこうするしかない、と。

■同居の負担 分かち合える場を

 せっかく親族宅に「縁故避難」したのに、被災した自宅や環境の悪い避難所に戻る被災者は少なくない。家族だから支えたい。そう思っても、価値観の違う世代が共に暮らすのはそれほど簡単ではない。家族が縮小し、支える側の負担も大きい。これは、子育てや介護とも通じる問題だ。

 真智子さんは、取材に思いをはき出し、少し楽になったという。当事者同士で分かち合うだけでも、救われる人は多いはずだ。行政やNPOの支援に頼るだけでなく、自力でどれだけそんな場を作れるか。胸に手を当ててみる。(仲村和代)
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193チバQ:2011/11/20(日) 21:12:12
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107260749.html
心帰る場所流され「孤族の国」3・11から―4【全文】2011年7月28日22時8分

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実家に帰った鈴木重光さん。築100年を超す蔵は地震でひび割れし、近く解体される。幼い頃いたずらをする度に罰として閉じ込められた=福島県いわき市、仙波理撮影
 眠れぬ夜が続く。

 ネイルサロン開設の夢に向けて、4月から簿記を学び始めていたのに。東京都足立区の阿部明奈さん(27)は、医者の勧めで5月半ばから休んでいる。

 東日本大震災の10日後、故郷の岩手県大槌町に息子(5)と娘(4)を連れて入った。祖母や兄の連絡が途絶えていた。

 実家があるはずの場所にあったのは、見覚えのあるれんが造りの土間だった。玄関だ。土台の枠しか残っていない家を、記憶を頼りにたどる。ここは茶の間、ここはおっかぁの部屋。

 がれきを前に泣いた。

    ■

 「おっかぁ」とは、祖母のソヨさん(77)のことだ。両親が離婚し、代わりに自分を育ててくれた。

 高校を卒業して、18歳で東京に出た。岩手にはない仕事があり、夢をつかむチャンスがあると信じた。都内の飲食店や魚市場で働きながら、21歳で結婚した。2人の子が生まれたが、3年前に離婚した。

 交通費を工面できない時を除き、盆と正月は決まって帰省した。夏は海で泳ぎ、夕方に墓参りをする。満天の星の下の花火。

 東京へ帰る日は「また来(く)っから」と別れると、「気をつけでいけーよー」とソヨさんは見送ってくれた。

 二つ違いの兄、勝孝さんの遺体が見つかったのは震災から2カ月近くたった頃だった。ソヨさんと祖父の妹のサヨさん(90)の行方は、今も分からない。

 「あっこ、帰ってきたんか。ずっといろ」と、帰省中に声をかけてくれた近所の人もいない。息子や娘をあやしてくれた向かいのまきちゃん、ひろちゃん、中学時代に気にかけてくれた同級生のお母さん。みんな、いなくなった。

 「やったぐなったら、帰ってこぉ」。嫌になったら、帰っておいで。おっかぁの言葉を電話で聞くだけで、元気になれたのに。

 帰る場所がなくなった。

194チバQ:2011/11/20(日) 21:12:35
   ■

 青々と輝く田を、風が吹き抜ける。戸を開け放った縁側に座り、鈴木重光さん(39)は母親が切り分けたスイカにかぶりついた。

 震災後、福島県いわき市の実家に戻るのは、5月の田植えに続いて2度目だ。その前は、いつ帰ったか、忘れるほど昔なのに。

 「この家も見納めだからかな」。どっしりとカーブを描く瓦屋根を見上げる。地震で基礎が浮き、傾いてしまい、秋には取り壊す。

 4人きょうだいの長男で名前には祖父と曽祖父の名が1字ずつ入っている。家を継ぐのは当たり前、そんな圧力への反発が、故郷を出る背中を押した。

 就職氷河期に世に出たロスジェネ世代だ。20代半ばに仙台でやっと見つけた正社員は商工ローン会社だった。資金繰りに苦しむ中小企業経営者らを居丈高に値踏みした。支店が閉鎖し、次はお年寄りを狙ったリフォーム訪問販売に。2004年、川崎市のトラック工場で派遣労働を始めた。

 車体にブレーキやクラッチを取り付ける班だった。今までで一番、人に喜ばれる仕事だと感じていたのにリーマン・ショック後の08年末に派遣切りされた。

 取り壊す実家は、代わりに家を継ぐ弟夫妻が2世帯住宅に建て直す。もう自分の居場所はない。原発事故のあった福島で仕事を見つけるのも、難しいだろう。

 失ってわかる。いつでも帰れる場所があったから、これまで頑張れた、と。(佐々波幸子、西本秀)

■ふるさとの温かさ、失って痛感

 東京で暮らす阿部明奈さんのもとにソヨさんからよく、段ボール箱が届いた。田んぼでとれた米やみそ、畑のネギやジャガイモが詰まっていた。帰省したときは米1俵としょうゆを持たされ、宅配便で送った。

 仕事の選択肢の少ない田舎を飛び出したものの、故郷の存在はどんどん大きくなる一方だったという。家族は束縛でもあり、心のよりどころでもある。この震災で失ったものの大きさは、東京生まれの私の想像を超えるものだったろう。

 お盆をどこでどう過ごすか。明奈さんはまだ決めかねている。(佐々波幸子)
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195チバQ:2011/11/20(日) 21:13:19
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107270760.html
避難所出た途端、独り 「孤族の国」3・11から―5【全文】2011年7月31日21時56分

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日が暮れる頃、避難所近くの仮設住宅を訪ねた岩波政美さん。自身は「知り合いもいないから」とアパートへの入居を決めた=福島県郡山市、仙波理撮影
 「山一つ越えれば、こうも気候が違うのかね」

 福島県中部の大玉村で、県内最大規模、630戸の仮設住宅の一室に暮らす小薬(こぐすり)栄次さん(62)が、エアコン全開の車に乗り込む。

 阿武隈の山並みを左に国道4号を南へ。その向こうが自宅のあった富岡町だ。「浜通りの夏は涼しくて住みやすかったんだけど」

 45分後、車は郡山市の「ビッグパレットふくしま」についた。福島第一原発の事故で、町民が役場ごと移った避難所だ。

 顔なじみが集うホールの一角に腰を下ろす。「3カ月もいたからかなあ。やっぱ、落ち着くんだよねえ、ここが」。テレビに目をやりながら、独りごちた。

 仮設住宅に移って1カ月。週に1、2度は避難所と行き来する。30代で妻と父を相次いで亡くし、高齢の母を独りにはできないと東京から帰郷した。その母も他界して4年になる。

 「避難所が閉鎖したら、いよいよ行き場を無くしちゃうなあ」。先週末、数日ぶりに足を運ぶと、親しい顔なじみが何人か、姿を消していた。

    ■

 ビッグパレットには今も約250人が暮らす。小薬さんの居場所から100メートルほど離れた通路で、岩波政美さん(60)は7月半ば、久しぶりに響く子どもたちの歓声に目を細めた。

 「にぎやかでいいねえ」。避難所の夏祭り、周囲に焼きそばの匂いが漂う。

 3年前、富岡町へUターンした。仕事を辞めて故郷でのんびり過ごそうと、兄がいる実家へ身を寄せた矢先、原発事故が起きた。

 福島第一原発の着工1年前、15歳で埼玉へ働きに出て、28歳の時に難病を患った。縁談を断ってきたのは、持病を抱えて妻子を養えるはずがないとの思いからだったが、最近は後悔の念にかられる。

 「自由なんだけど、張り合いがないんだよね」。そう語りながら、涙がほおを伝う。このまま老いたら、どうなるのか。避難所の通路で体を横たえる夜、不安が頭をもたげる。

    ■

 被災者は避難所を出た途端、「孤」にばらけて、個人情報保護の壁の前で見えにくくなる。

 岩手県大船渡市の仮設住宅「地ノ森団地」に住む鍼灸(しんきゅう)マッサージ師菅原史生さん(58)は、弱視で身体障害者手帳3級を持つ。心臓ペースメーカーを付ける父(88)、肺がんを患う視覚障害の妻(55)は1級だ。

 「市の方針で、高齢者や障害者が優先入居の条件らしいんです」。敷地内に慣れ親しんだ顔は少ない。

 陸前高田市の「仲の沢団地」は96戸中、一人暮らし世帯が24戸を占める。自治会長の熊谷省二さん(66)が「支援物資を配るのに必要」と説得して調べた。

 実は、孤独死対策だ。持病は何か。身内は近くにいるのか。「本当はかかりつけの病院まで知りたいが、そこまでは難しくて」

 “はさみ状格差”。大災害後、時間の経過とともに、被災者の中で「元気な人」と「落ち込む人」の差が、はさみが開くように広がっていく現象を指す。

 菅原さんは仮設で営業を再開したが、患者数は震災前の3割に減った。仮設に住む被災者はまだ、一人も来ていない。玄関に車いす用スロープを付けた家が4軒に1軒。「互いの家を行き来するほどの人間関係は想像できません」

 施設のバリアフリーは整備されても、仮設住宅で「人付き合いの壁」を崩すのは簡単ではない。この夏、被災地では、5万戸を目標に仮設住宅の建設が進んでいる。(兼田徳幸、高橋美佐子)

=終わり

■中高年単身世帯へ目配りを

 「妻子を食わせられないくらいなら」と結婚をあきらめた岩波政美さんは、戦後の「標準的な家族像」にとらわれた犠牲者のように思えた。コンビニなどがあれば単身でも普通に暮らせる現代。選び取った「個」でも、ふとしたきっかけで「孤」に傾くことを、震災は改めて浮き彫りにした。

 孤立を防ぐ「見守り」の取り組みが各地で進む。ただ高齢者に比べ、中高年以下は見落とされがちだ。故郷を追われて「地縁」を失い、失業などで「社縁」もはぎ取られた単身世帯への目配りも不可欠だ。(兼田徳幸)

196チバQ:2011/11/21(月) 23:40:37
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000021-kyt-l26
ホームレス支援雑誌「ビッグイシュー」 震災後、売り上げ減
京都新聞 11月21日(月)14時9分配信


街中に立ってビッグイシューを販売する光冨さん。震災後、売り上げが減っているという(京都市下京区・四条河原町交差点)

 ホームレスの自立を支援する雑誌「ビッグイシュー」の販売部数が、東日本大震災以降、全国的に落ち込んでいる。震災後6カ月の売り上げは前年同期比2割減で、発行元は「原発事故の影響や、被災地への募金活動が優先されたことが理由では」とみている。
 ビッグイシューは街頭でホームレスが1冊300円で販売し、売り上げのうち160円が売り手の収入となる仕組み。震災前は毎月約3万部を販売していたが、震災後は約2万5千部に落ち込んだ。
 京都市下京区の四条河原町交差点を拠点にする光冨紳弥さん(59)は「雑誌は外国人観光客にも人気があったので、原発事故などの影響で外国人客が減ったことが売り上げに響いた」と話す。
 ビッグイシュー日本(大阪市)によると、各地の販売者からは「原発事故後は放射能の影響を避けるため人通りが減った」「節電で駅や繁華街の照明が暗くなり、薄暗い雰囲気を嫌って立ち止まってくれる人が少なくなった」などの声が寄せられているという。
 経営悪化はホームレスの販売者にとって死活問題となるだけに、ビッグイシュー日本の佐野章二代表(69)は「地道に仕事をしている販売者のためにも、誌面改革や販売戦略の見直しを進めたい」と話している。

197チバQ:2012/01/31(火) 12:32:29
http://www.asahi.com/national/update/0131/TKY201201310116.html
求職者の望む仕事把握せず ハローワークに改善勧告

 ハローワーク(公共職業安定所)が求職者の希望を正確に把握しないなどずさんな業務をしている事例があるとして、総務省は31日、厚生労働省に改善を勧告した。

 総務省は過去1年間、全国31カ所のハローワークを調査。うち29カ所で求職者の「希望する仕事」「希望勤務地」を把握していない事例があった。求人内容の確認も不十分で、不正確な労働日数が記された求人票が23カ所、最低賃金を下回っていたのも6カ所でみられた。また求職相談1万682件のうち7割にあたる7589件の記録に不備があった。求人紹介後、採否結果を確認していなかったケースも14カ所であった。

198とはずがたり:2012/02/08(水) 13:12:01

単身女性32%が「貧困」 20〜64歳、国立研究所分析
http://www.47news.jp/47topics/e/225432.php

 単身で暮らす20〜64歳の女性の3人に1人が「貧困状態」にあることが国立社会保障・人口問題研究所の分析で8日、分かった。生活の苦しい人の割合を示す「相対的貧困率」が32%だった。単身の20〜64歳男性は25%で、女性の苦境が際立っている。

 同研究所の阿部彩(あべ・あや)部長は「以前から女性が労働環境で置かれている地位は低く、貧困状態も女性に偏る傾向がある」としている。

 厚生労働省の2010年の国民生活基礎調査のデータを基に同研究所が分析。相対的貧困率は国民1人当たりの可処分所得を高い順に並べ、真ん中となる人の所得額(中央値)の半分に満たない人が全体の中で占める割合を示す。10年調査では年間の可処分所得112万円未満の人が該当する。

 65歳以上の単身で暮らす女性の貧困率は47%で、やはり男性の29%よりも高かった。

 また、19歳以下の子どもがいる母子世帯の貧困率は48%だった。

 阿部部長は「最近は若い男性にも貧困が浸透しており、若年層に向けた国の雇用対策が課題となる」としている。

 (2012年2月8日、共同通信)
2012/02/08 11:25

199とはずがたり:2012/02/08(水) 22:13:45

浜松市の生活困窮求職者支援施設 来年度も継続へ
(2/ 4 08:38)
http://www.at-s.com/news/detail/100097023.html

 生活困窮などで自立生活が困難な求職者の就労支援施設として、昨年5月に同市中区のザザシティ浜松中央館に開設された「浜松市パーソナル・サポート・センター」が2012年度も継続運営されることが3日までに、関係者への取材で分かった。
 同センターは内閣府のモデル事業の一環。浜松市の実施計画が採用され、国から8600万円の交付金を受けてことし3月までの期間限定で試験運用している。関係者によると、来年度も引き続きモデル事業に採用され、国から1億円余りの事業費が市に交付されることが内定したという。
 運営はNPO法人「青少年就労支援ネットワーク静岡」(理事長・津富宏県立大教授)に委託していて、来年度も同法人に委託する可能性が高いという。

200チバQ:2012/02/20(月) 00:28:49
http://www.asahi.com/national/update/0218/SEB201202180041.html
2012年2月19日10時24分
返せぬ奨学金、返還訴訟が急増 背景に若者の困窮機構が起こした訴訟件数の推移


 学生時代に受けた奨学金の返還に行き詰まる例が相次いでいる。国内最大の奨学金貸与機関、独立行政法人・日本学生支援機構が返還を求めて全国の裁判所に起こした訴訟は、過去5年間で9倍近くに急増した。背景に、就職の失敗や就職先の倒産で生活に困窮する若年層の姿が浮かぶ。

 「最初に就職した会社がつぶれなければ、こんなことにはならなかった」。昨年夏、機構から奨学金の一括返済を求める訴訟を起こされた北九州市小倉北区の男性(28)は悔しがった。

 約220万円の奨学金を受け、2006年3月に福岡県内の私立大を卒業。呉服販売会社に就職し、同年4月から毎月1万3千円ずつ返し始めた。ところが、わずか5カ月後の8月末、会社が破産手続きに入り、いきなり解雇された。10月に飲食店に再就職したが、手取り月給は約14万円に減り、家賃や車のローン、生活費に消えた。やむなく機構に返済猶予を申し出た。

 07年9月に結婚して返済を再開。1年弱は支払ったが、子育て費用などで再び行き詰まり、08年夏ごろ、2度目の猶予を申請。10年6月には飲食店を辞め、日雇い派遣などでしのいだ。同年12月に3度目の就職が決まったが、昨年春には、機構から未返済の190万円の一括納付を求める郵便が届くようになった。

 「まだ大丈夫だろう」と思っていた昨年夏、機構の担当者から電話で告げられた。「裁判になりました」。男性は、その後、23年1月まで月1万5千円ずつ、延滞金を含め計約200万円を支払うことで機構側と合意した。

■過去5年間で9倍に

 日本学生支援機構の奨学金には、無利息の「第1種」と、利息がつく「第2種」があり、2011年度時点の貸与額は新規と継続分を合わせて1兆781億円(予算ベース)。不況のせいか、奨学金を利用する学生は増える一方だ。11年度は約127万人で、10年前の約1.7倍に。延滞額も増え続けている。10年度は852億円で、5年前の約1.5倍に増えた。


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