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貧困スレ

194チバQ:2011/11/20(日) 21:12:35
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 青々と輝く田を、風が吹き抜ける。戸を開け放った縁側に座り、鈴木重光さん(39)は母親が切り分けたスイカにかぶりついた。

 震災後、福島県いわき市の実家に戻るのは、5月の田植えに続いて2度目だ。その前は、いつ帰ったか、忘れるほど昔なのに。

 「この家も見納めだからかな」。どっしりとカーブを描く瓦屋根を見上げる。地震で基礎が浮き、傾いてしまい、秋には取り壊す。

 4人きょうだいの長男で名前には祖父と曽祖父の名が1字ずつ入っている。家を継ぐのは当たり前、そんな圧力への反発が、故郷を出る背中を押した。

 就職氷河期に世に出たロスジェネ世代だ。20代半ばに仙台でやっと見つけた正社員は商工ローン会社だった。資金繰りに苦しむ中小企業経営者らを居丈高に値踏みした。支店が閉鎖し、次はお年寄りを狙ったリフォーム訪問販売に。2004年、川崎市のトラック工場で派遣労働を始めた。

 車体にブレーキやクラッチを取り付ける班だった。今までで一番、人に喜ばれる仕事だと感じていたのにリーマン・ショック後の08年末に派遣切りされた。

 取り壊す実家は、代わりに家を継ぐ弟夫妻が2世帯住宅に建て直す。もう自分の居場所はない。原発事故のあった福島で仕事を見つけるのも、難しいだろう。

 失ってわかる。いつでも帰れる場所があったから、これまで頑張れた、と。(佐々波幸子、西本秀)

■ふるさとの温かさ、失って痛感

 東京で暮らす阿部明奈さんのもとにソヨさんからよく、段ボール箱が届いた。田んぼでとれた米やみそ、畑のネギやジャガイモが詰まっていた。帰省したときは米1俵としょうゆを持たされ、宅配便で送った。

 仕事の選択肢の少ない田舎を飛び出したものの、故郷の存在はどんどん大きくなる一方だったという。家族は束縛でもあり、心のよりどころでもある。この震災で失ったものの大きさは、東京生まれの私の想像を超えるものだったろう。

 お盆をどこでどう過ごすか。明奈さんはまだ決めかねている。(佐々波幸子)
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