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貧困スレ

189チバQ:2011/11/20(日) 21:01:39
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107240491.html
集落解散 消えるつながり 「孤族の国」3・11から―1【全文】2011年7月24日22時20分

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管理人として住み込むリゾートマンションの最上階から太平洋を眺める佐藤俊一郎さん、芳子さん夫妻=静岡県熱海市、仙波理撮影

孤族の国と震災
 6月半ばの昼下がり、神奈川県のJR小田原駅ホームで一人、電車を待っていた佐藤芳子さん(53)の携帯電話が鳴った。

 ふるさとの宮城県石巻市にいる友達からだ。

 心が弾んだ。

 それなのに、涙で声が出ない。津波で壊滅した故郷を出て2カ月余り、寂しさが抑えきれない。「せっかくかけてくれたのに、ごめんね」と電話を切った。

 その日から、「また泣くだけかも」と思い、電話に出られなくなった。

 夫の俊一郎さん(53)と2人、石巻の漁師町・雄勝町から静岡県熱海市へ移った。家も仕事も失う中、東京で暮らす長男の勤め先がリゾートマンション管理人の住み込みの仕事を紹介してくれた。「自分たちは恵まれている」と思う。

 熱海駅から車で10分、プール付きのマンションは、夏だけ訪れる会員用の部屋が半数を占める。海が見えない管理人室にある故郷の品は、壊れた家から持ち出した位牌(いはい)と線香立てだけ。

 住民たちは優しく声をかけてくれ、石巻から来たことを知ると何かと気遣ってくれる。だが、夫の俊一郎さんは「余計な心配をかける」と感じ、自分から故郷の話をしなくなった。

    ■

 故郷の雄勝町は、ホタテやカキの養殖業が中心の約4千人の町だった。200人が住む明神集落で育った俊一郎さんは、高校を出て船に乗り、25歳で隣町の芳子さんと結婚。33歳で腰を痛めて船を下りた後は、町内の水産加工場で働いた。

 3月11日。津波は家と勤め先を流し、愛犬をさらった。66戸の明神集落は58戸が全壊、100人以上が地区の避難所に身を寄せた。

 電気も水道もない避難生活を俊一郎さんは「つらいけど、楽しかった」と言う。夜には、互いを知り尽くした仲間と思い出を語った。海で泳ぎながら野球をしたこと、神社の柿を盗んだこと。北洋漁業が栄えた高度経済成長期、町の人口は1万人を超えていた。

 4月初め、避難所を出る時、「逃げるようで申し訳ない」と思った。

 そんな俊一郎さんを気遣うように、今も明神の友人から長靴や下着、懐中電灯などが届く。「こっちは何でもそろうのに、くだらないものばっか。それが、たまらなくうれしいんだ」


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