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貧困スレ

193チバQ:2011/11/20(日) 21:12:12
http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201107260749.html
心帰る場所流され「孤族の国」3・11から―4【全文】2011年7月28日22時8分

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実家に帰った鈴木重光さん。築100年を超す蔵は地震でひび割れし、近く解体される。幼い頃いたずらをする度に罰として閉じ込められた=福島県いわき市、仙波理撮影
 眠れぬ夜が続く。

 ネイルサロン開設の夢に向けて、4月から簿記を学び始めていたのに。東京都足立区の阿部明奈さん(27)は、医者の勧めで5月半ばから休んでいる。

 東日本大震災の10日後、故郷の岩手県大槌町に息子(5)と娘(4)を連れて入った。祖母や兄の連絡が途絶えていた。

 実家があるはずの場所にあったのは、見覚えのあるれんが造りの土間だった。玄関だ。土台の枠しか残っていない家を、記憶を頼りにたどる。ここは茶の間、ここはおっかぁの部屋。

 がれきを前に泣いた。

    ■

 「おっかぁ」とは、祖母のソヨさん(77)のことだ。両親が離婚し、代わりに自分を育ててくれた。

 高校を卒業して、18歳で東京に出た。岩手にはない仕事があり、夢をつかむチャンスがあると信じた。都内の飲食店や魚市場で働きながら、21歳で結婚した。2人の子が生まれたが、3年前に離婚した。

 交通費を工面できない時を除き、盆と正月は決まって帰省した。夏は海で泳ぎ、夕方に墓参りをする。満天の星の下の花火。

 東京へ帰る日は「また来(く)っから」と別れると、「気をつけでいけーよー」とソヨさんは見送ってくれた。

 二つ違いの兄、勝孝さんの遺体が見つかったのは震災から2カ月近くたった頃だった。ソヨさんと祖父の妹のサヨさん(90)の行方は、今も分からない。

 「あっこ、帰ってきたんか。ずっといろ」と、帰省中に声をかけてくれた近所の人もいない。息子や娘をあやしてくれた向かいのまきちゃん、ひろちゃん、中学時代に気にかけてくれた同級生のお母さん。みんな、いなくなった。

 「やったぐなったら、帰ってこぉ」。嫌になったら、帰っておいで。おっかぁの言葉を電話で聞くだけで、元気になれたのに。

 帰る場所がなくなった。


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