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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

202「訊け」管理人:2011/07/27(水) 06:41:50

>トキさん

 その榎本先生ご著書ですが・・・以前どなたか(お名前失念)が述べておられ
ましたね。榎本先生がお弟子さんだけにお渡しになられたそうで、わたしも
「読みたくて仕方ねえ」状態であります(笑)

 ああどこぞかで入手できぬものでしょうかね?無論コピーでも構わないの
ですけどね・・・「榎本恵吾記念館」にも掲載がありませんので、相当レア
なのかもしれませんね。

203トキ:2011/07/27(水) 11:00:02
「訊け」管理人様

 うーん、あれは超レアですな。でも、ひょっとしたら、日本教文社から出版されたりして。
(教文社のエラい人がこれをご覧の場合はご検討下さい!)

 でも、ここで書き込んで祈っていたら、誰かが貸してくれるかもしれませんよ。

合掌 ありがとうございます

204「訊け」管理人:2011/07/27(水) 12:32:51

榎本先生レア本所有者 誠魂位ィ〜

205志恩:2011/07/27(水) 21:17:32
トキ様

返信が遅くなり、すみません。昨日は、遠くの親戚のものが遊びに来ていて、夜遅くまでにぎやかにしており、疲れて珍しくPCを開かずに寝てしまいました。それで、今夜になり、開いてみて、びっくりしているところです。


あぁ、「弟子像」ですね。私も残念ながら持っておりません。あれは、幻の名著だそうですね。私も、読みたい,読みたいと思っている著書です。一子先生は、恵吾先生の奥様ですから、数冊は持っておいでではないでしょうか。

宇治別格本山気付けで、一子先生にお借りしたいと理由を述べて、お手紙でおねがいされたら、きっと貸して下さると存じます。そのような聡明で理解力のあるお方です。

今後の光明化運動の原動力なる重要な著書の1つですからね、お借りしたら、コピーしてから、返却されたらいかがでしょうか。

ほんとうは、日本教文社で出版されるといいのですが、雅宣先生がOKされるかどうか、わかりませんよね。そのときは、光明思想社で出版してくださると、どれだけ多くの幹部・信徒の皆様が喜ぶか知れません。たくさん売れると思います。


恵吾先生は、いつも『救いの原点」をお話くださいますものね。


ある方が、「神がわからない」と言われると,先生ー「神はわかる必要はない。わかってから生まれて来たんじゃないから」、、で、ある方が「神が信じられない」と重ねて言うと

先生ー「神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけで十分だ」


先生は,謎めいた話し方や文の書き方をされるけど、よくわからないけど、わからないようで、どこか、わかるのですよね。すとーんと安心感が腹の底に落ちる。底しれないふしぎな魅力のあるお方です。


「弟子像」、出版、私も期待!!

206トキ:2011/07/27(水) 22:07:38
>>205

志恩様

 ご投稿、ありがとうございました。

 そうですね、あの本は自費出版ではもったいないです。著作権は現在、一子先生がお持ちのはずですが、
現役の本部講師ですから、残念ながら光明思想社からは出せないと思います。

 ただ、弟子像の内容には、直接の教団批判とか総裁批判の部分はないので、現在の体制でも教文社から
出版する事は可能だと思います。これを読まれた本部や教文社の関係者が、出版に向けて動き出す事を
願っています。また、信徒の方々が、教文社へ「出版して欲しい」と電話なりメールをしたら、それで
動き出すと思います。

 では、今後とも、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

207志恩:2011/07/27(水) 22:53:04
本部に幹部候補生として奉職されていらした頃の榎本恵吾先生は、無口で謙虚な感じのお方で、あのころは講話もされてませんでしたし、文章も公に発表されておられませんでしたから、どのようなお方かということは
今のようには、私は、わかっておりませんでした。

榎本先生が、当時東京在住でいらした藤原敏之先生のご自宅に、一子先生とご結婚を誓った後に、初めてご挨拶にうかがったとき、藤原先生は、榎本恵吾先生と数時間ご歓談されて、「この榎本君という男性は、ほんものだ」と確信されたそうです。
ほんもののお方は、ほんものが わかるのでしょうね。

208志恩:2011/07/28(木) 03:04:57


「弟子像」は、「光あるうちに」と同様に、すりきれるほど読んだという何人かの地方講師の方の文章を読んだことがあります。「弟子像」には、教団批判とか総裁批判の

部分はないそうですから、トキ様のお話ですと、日本教文社でも、信徒の熱い要望があれば、出版可能だそうで、ちょっと期待できそうで、心に灯りがともりました。


トキ様の集会所では、あたらしい試みを義春様が企画され、皆様参加されて、見る度 たのしくて勉強させていただいてます。

209「訊け」管理人:2011/07/28(木) 07:33:53
>トキさま
>志恩さま

 こうなったら、やりますか?日本教文社に向けての
















FAX(圧力)作戦










 本流みたく、文例を募集しますか?(笑)「あたしならこう書く!」
みたいな(笑)

追伸

 でもマジメな話、本当に読んでみたいですね。志恩さまアドバイスに従い、
一子先生にお手紙を作成しようかしら?「こげなブログ、やっちょります!」
と添えれば愚生の真剣度、ひょっとしたら伝わるのかもしれませんし、ですね。

 まあしかし、入手したら我がブログ・・・連日、榎本恵吾特集になりそうで
すね(笑)

210「訊け」管理人:2011/07/28(木) 07:41:52

>志恩さま

>ある方が、「神がわからない」と言われると,
>先生ー「神はわかる必要はない。わかってから生まれて来たんじゃない
>から」、、で、ある方が「神が信じられない」と重ねて言うと
>先生ー「神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけ
>で十分だ」

 ああ私も貴殿ご引用箇所が、大好きです。
 いや本当に榎本先生ですけど、只者ではないですよね。

 お会いしたかったなあ・・・榎本恵吾先生。

211復興G:2011/07/28(木) 07:57:10
>202 :「訊け」管理人様
>207 :志恩様

 志恩様は、私の尊敬する榎本先生のことなども、本当によくご存じなのですね。うれしい情報を、本当にありがとうございます。
 ところで、私は『弟子像』を持っています。これは、榎本先生から「自分の真意をわかってくれる人」と見込まれて直接頂いたのではなく、「榎本恵吾記念館」サイトの管理人に「弟子像、読みたいんですが・・・・」とメールしたら、送ってくれたんです。「記念館」サイトの管理人は、『弟子像』を、一子先生から何冊か預かっているみたいですよ。
『弟子像』を読みたい方は、同サイトの管理人にメールされてもよろしいかと思います。

 なお、恵吾先生は、私の知っている限りでは「幹部養成学校」の出身ではなく、「飛田給道場の練修生」出身だと思います。幹部養成学校というのは昭和50年代に森田−安東体制の中から作られたものであり、「頭でっかち」との批判がありましたが、練修生というのは昭和30年代から、徳久克己先生の傘下で飛田給道場から大学に通わせる制度でした。榎本先生は、道場で鶏の世話などをしながら大学に通った、というお話をされていたことがあります。道場で行を積んでこられたのだと思います。

212「訊け」管理人:2011/07/28(木) 08:12:22

マ ジ で す か ! !

213志恩:2011/07/28(木) 08:31:46
榎本恵吾先生についての続きですが、
彼が、本部に入る前は、飛田給道場で研修生(第3期)をされてたそうです。研修生として、昼間は、畑仕事その他の農事などをしながら、夕方から夜間大学へ行っていた。

で,飛田給で、ある日、研修生だけをぐるっと輪に座らせて、谷口雅春先生が直々に勉強会を開いて下さったことがあったそうですが、そして、雅春先生が話をされたことについての「感想文」を
9人くらいいた研修生にその場で書かせて、その場で,雅春先生は、一人一人の感想文に目を通されたそうですが、
そのとき、榎本恵吾先生の感想文を読まれて、雅春先生は、すごく驚き,感動されて、すごいやつがいる。「君に乾杯だ」ということで『お茶」の入った「湯のみ茶碗」を榎本先生に向けて、、
それで、ぐっと雅春先生は、お茶を飲み干されたそうです。態度でも表現されたそうなんです。

雅春先生も、榎本先生が、ほんものだ。とそのときから気がつかれていたわけですね。そのときの榎本先生の文章の内容ですが、今、われわれが読んでいる、これらの文をすでに書いておられた魂であったそうなんです。
『もうその時点で、大悟されていた』と、後になってある方から間接的に伺っております。

それで私は、思うんですよ。
それにひきかえといっては、おこがましいのですが、雅宣先生が、コロンビア大学在学中に、谷口雅春先生宛にだされた手紙のことです。雅春先生が、読まれて激怒された。その手紙の内容は、『愛国心とか皇国日本というような
雅春先生が、説いていらした生長の家の基本理念の思想は、間違いだ。』という内容の手紙だったそうじゃないですか。我が国を愛せず、兄弟も愛せず、母親を「あんた」よばわりする とんでもない男が、人類を愛せるのかな、
親兄弟は、人類に入れておられないのだろうか、と私は、不思議に思うのです。

雅春先生は、それ以後、雅宣先生の名を決して口にすることは、なかった。
雅春先生は、雅宣先生は、孫ではあるけれど、左翼思想に毒された、真っ赤な『にせもの』 になってしまった、とお嘆きになられたことに他ならないと思われませんか。その雅宣先生が、生長の家丸の船長の舵(かじ)をにぎり続けている。おもかじいっぱい。
左へ左へ。左へしか進みません。中道にも右へも廻す脳は、毒されて消えて無いのですから。皆様、腐った虫歯を祈ったら、虫歯は消えますか。ほんとうに、このような左翼思想に固まった脳の船長に任せてて、それでいいのでしょうか。行き先は???

214志恩:2011/07/28(木) 08:36:57
復興Gさま

すご〜い、「弟子像」を持っていらしたんですか。長文でしょうけれど、是非、トキ様のここへ少しずつでも ご紹介いただきたいですね。
ブログ管理人さまも、よかったですね。あかるいニュースです。

215義春:2011/07/28(木) 08:50:06
>>212
ブログ管理人さあ
ブログ管理人さあ、狂喜乱舞ktkr

良かったですね(*^o^*)

216トキ:2011/07/28(木) 10:27:14
 昨日の晩に「弟子像」を借りてみましたが、細かい活字で500ページを越す分厚い本です。
おまけに、一面に書き込みとか傍線とか付箋がついていて、所有者も毎日読んでいるので、
紹介するのを断念しました。それだけに、復興Gさんの情報は嬉しいです。

 今にして思えば、もっと榎本先生のところへ通っていたら良かった、と少し後悔をして
います。と、言うのは、当時、生長の家宇治別格本山には、藤原先生もおられたので、
同じ場所に藤原先生と榎本先生がおられたら、どうしても藤原先生の方へ行ってしまう
のですね。それに、あんなに早く亡くなられるとは思わなかったので、いずれ時間のある
時に・・・・と思っていたのが仇になりました。

 が、若い人がよく榎本先生のところへ通っていたのは知っています。私の友人の地方講師
には、日曜日ごとに、教区の行事を全部すっぽかして宇治へ通っていた人間もいるぐらい
です。

 亡くなられてから、真価が知られる人ですね。

合掌 ありがとうございます

217風笠:2011/07/28(木) 11:19:55
研修生の責任者をされていたので、宇治に長く住んでいる人は影響を受けていたはずです。本を持っている人も多いはずです。
確か『弟子像』の編集者は、「あれは百年、二百年後の人に伝えられて読まれるものだ。」と言っていたと思います。

榎本恵吾先生は、祈願部におられる時も気配がするのでその時に神癒祈願をされているのが分る方でした。
(気配がするので時計を見ると祈願の時間帯だった事とかがあります)
私的な事を少し言えば、恵吾先生がご存命の時、「あのニコニコマークを私も講話時に使ってもいいですか?」と
聞き、『いいよ』と承諾をもらった覚えがあります。と言いつつ実際使った事は無かったです。

218風笠:2011/07/28(木) 11:25:36
教文社さんも

(榎本 本)何冊か出ているのでまとめて上、中、下巻として出版したらいいのではないでしょうかね。
・・と勝手な事を言っています。

神奈川の地方講師さんも表現を変えて引用説明をされているので現本部から出そうと思えば、
出せる本だと思います。

私も内容的に話が活発になれば、「弟子像」私的解釈でもして参加させて頂くかもしれません。
(機会的に無理でしょうが。)

なんとなく久々に気分で書き込みをしてみました。

では、失礼いたします。

219「訊け」管理人:2011/07/28(木) 11:32:21
>復興Gさま

 さ、さ、さ、早速、れ、れ、れ、連絡しますた(笑)
 情報のご提供をまことにありがとうございました!あー、早く届いて、名
著『弟子像』

追伸

 同書はウン十年後かに、「¥10万円」で取引されてしまうかもしれませ
ん。本の裏に我が子孫に向けて「本書の売買を禁ず」と書いておこうと思い
ます(笑)

>志恩さま

 いやーなにか、「ありがとうございます」という言葉以外、見つかりませ
ん。私の大好きな榎本先生なのですが、ああ、こんなエピソードがおありで
したか。ああ、やはり只者ではなかったわけですね。
 まあしかし、あの雅春先生から「君に乾杯だ」なんていうお言葉を賜りま
したら・・・これ以上の喜びが、他にあるでしょうかね。ああ、良い話をあ
りがとうございます。

 ああ榎本先生・・・会いたいなあ。

>義春さあ

 おおまさに、今のオレは狂喜乱舞している(笑)
 ・・・ちなみに以下は、過去本流掲示板に書き込んだ内容、だ。
 まあ、現世利益が本質ではないとは申せ、榎本恵吾記念館に行きだしてか
らの我が事業は、奇蹟の領域に入っているのだよ(笑)

220「訊け」管理人:2011/07/28(木) 11:36:18

本流宣言掲示板より

――――――――――――――――――
日時:2011年05月31日 (火) 10時28分
名前:ブログ「雅春先生に学ぶ」管理人
――――――――――――――――――

>伝統さま

 御礼申し上げたいことがあります。榎本恵吾先生を知り、そして貴殿より
ご紹介に預かったWEBサイトを熟読しておりましたら、トンデモない(=人間
智慧では計れない)奇蹟がありました。

<塩漬けの地、テナント候補現る>

 ここ十年来、愚生を悩ませてきた問題があったのですが、これが解決致し
ました。

 先祖より相続し、そして「誰も入居しない」と云う〝呪いの不動産〟があ
るのです。本日はその話なのですが、「土地がある」というと人はたいてい
「うらやましい」と申されます。ところがこれ、とんでもない話なのです。
有効活用できていない土地など持っていれば、即、銀行側がマイナス査定を
行ってくる訳であり(註:本来詳説が必要ですが省きます)そしてこの〝呪
われた土地〟があるために、銀行側は当社を、債務超過と看做している次第
なのでありました。(「黒字なのに」ですよ。全く非道な基準です・・・い
や、まったく観世音菩薩+自壊作用な基準です)

「じゃあその土地、売れば?」なんですが、これまたトンデモない話なんで
す。今時買ってくれる人など居ませんし、売れても二束三文にしかならぬの
です。そして二束三文で売ったとしてもマイナス査定は覆らないのです。・
・・ですのでそうしますと、「じゃあ造成して駐車場にすれば?」なんです
けど、これ以上借入金など増やせぬのです。設備投資しても黒字化は、七年
先以降になるでしょう。(その間はキャッシュでマイナスです)
 ・・・ところで愚生、『無門関解釈』に「進退両難」という公案がありま
すが、――進むも地獄、退くも地獄、さあどうする?――あれを読むたびに
いつも「オレのことだ・・・」と涙が流れていたのでありました。その涙の
わけですがそれは、この土地に絡む問題なのでありました。ああ呪われた土
地よ――放置しとけば「マイナス査定」、駐車場にしようにも資金なし、売
ろうにも買い手なし――皆さんならば、どうします?少なくとも私(の人間
智)では、全く解決策がないのでありました。

 ところがなぜか先ほど・・・ウソみたいな話なんですが、この土地に建つ
建物(昭和二十年建築)に興味を持つ人が現れました。
 その方曰く「あの古民家風の建物にゾッコン」とのことで、そして「実は
ここ十年、『あそこでフランス料理店を開きたい』と思っておりました」な
んてことを申されるのであります。そんな方が突如、なぜか現れたのであり
ます(!)ここ二十年間、こんな話など全くなかったというのに・・・実に
不思議です。しかも提示された家賃ですが、相場以上のものでして(!)
「詐欺じゃねえの?」なんていう言葉まで脳裏に浮かんでいる現在です。

 そして、早速銀行にも電話しました。開口一番で「テナントが決まればマ
イナス査定は撤回か?」と確認したところ・・・なんと「マイナス査定は撤
回します」との返答が(!)

おおお、凄いぞ、生長の家!


追伸

 マジメな求道者の方ならば「現世利益は宗教の本質ではない」と申される
と思います。ですので愚生の話も、お耳汚しにしかならぬでしょう。しかし
・・・いやそれでも、現世利益なき宗教など、商人に用はないのです。(あ
あ、これは誤解を生む表現かも)
 この、元無神論者が信じる程になるほど、この生長の家の御教えは、素晴
らしいものだと思います。本日は、特にそのことを強調致したく駄文投稿し
た次第。ぜひお許しを。

余談

 雅春先生が申されておりますが、「神想観を超える大行はない」とのこと。
 いやこれ、この言葉――「神想観を超える大行はない」でありますが、こ
れは、割引無しに読むべき言葉なのではないでしょうか。サ象が如何にあれ、
この神想観をマジメに行ずるとこの愚生であれ――度し難き凡夫で親不孝五
段+雅宣総裁以上の唯物論者でも――この様な奇蹟が出現するのであります。
 かつ、『善と福との実現』(『幸福生活論』だったかも)には、「12名
で真剣に祈れば、国家の問題すらも解決する」という、ニューソート系識者
の言葉が紹介されております。雅春先生もいたく感動されておられた言葉な
のですが、この「12名で真剣に」は、行う価値がありはせぬかと愚考する
次第です。

221「訊け」管理人:2011/07/28(木) 11:38:05
>風笠 さま

 そうそうそう!貴殿でございました、第一情報提供者の方は(笑)
お名前を失念しておりましたが、ありがとうございました。

>私も内容的に話が活発になれば、「弟子像」私的解釈でもして参加させて頂くかもしれません。
(機会的に無理でしょうが。)

 ぜひぜひぜひ、お願いする次第です。

222トキ:2011/07/28(木) 13:31:21
風笠様

 ご投稿を心から感謝申し上げます。管理人のトキです。今後とも、投稿を期待しております。

 「弟子像」は、トキ流で言うならば「初期 生長の家」というか、戦前、戦中、戦後の激動
の時代を谷口雅春先生と弟子がどう生きたか、を描いた貴重な資料であり、また、魂の記録です。

 Amazonに出したら、100万円でも欲しい人は買うでしょうね。

 思い出す事もあるのですが、それを書くと、身元がバレるので、また別の機会に。

 では、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

223志恩:2011/07/28(木) 17:08:27
風笠様

とてもすてきなご投稿、大変嬉しく拝見しました。ありがとうございます。

榎本先生のお近くにおられたお方のようで、恵吾先生のご本のことにもお詳しいようで、こころ強い限りです。

「弟子像」が、出版実現のおりには、きっとお力添えくださるお方なのでしょうね。

ほんとうに実現するといいと思っております。未来永劫、多くの信徒の方々の光になる名著のようですから。合掌。

224風笠:2011/07/29(金) 12:11:04
>「訊け」管理人様

私的解釈はあくまでも私的ですので、共感を得られるかどうかは分りません。
榎本恵吾先生の解釈を再度解釈を仕直したものですので、ある程度 唯神実相を
ベースにしている状態でないと、ただ単に『教義を知らない人』扱いされる気が
します。なんとか本流とかを見たことがありますが、神奈川の某氏が「生長の家も無い」
とブログで書いていたそうですが、(これは例の本からの引用ですが)『「生長の家も無い」
とはなんたること!!』と意見をされていた人もいますので、ある程度、榎本先生テイストが
分る人でないと難しいかもしれません。
(その上、榎本先生の解釈に付け加えるとなると・・・)小心者といたしましては、ブルブルです。


>トキ様

返信ありがとうございます。ただ『弟子像』は歴史上の「初期 生長の家」というより、
「原始 生長の家」といったものだと思います。その上『私の中の・・』とありますように
雅春先生のお弟子さんの記録ではありますが、そこにあるのは榎本先生御一人です。  
講話でよくされていた『はじめのはじめ』の原点が各弟子によって表現されていますね。

225風笠:2011/07/29(金) 12:11:45
>志恩様

ご期待して頂いてありがたいのですが、ただの一市民です。『出版実現のおりには、・・』
残念ながら”一市民”にそんな力はありません。申し訳ないです。
榎本先生とその本に関わっていた人達ですが、基本あまり外に出ることを望んでいなかった
ように思います。ですので気軽な私の立場で発言しておりますで(後年先々読まれるように
なるならば、ある程度以上の志がある人ならば読めばいいのではないかと。但し理解し難い
人は止めておいて欲しい。という立場)それこそ気軽に見て下さい。



あと『弟子像』についてですが、非売品ですので所有者皆さん無償で頂いているはずです。
(榎本先生から頂いた身で発言するのもなんですが)記念館その他に問い合わせが多いと
その費用は、結構掛かると思います。掲示板で入手方法を公開するのはどうかと個人的には
思います。

226「訊け」管理人:2011/07/29(金) 12:46:41
>風笠さま

>『「生長の家も無い」
>とはなんたること!!』

 はははは(笑)ホニャララ掲示板では、自然に起こりそうな事件ですね(笑)
まあ、そんなツッコミが来ますと自動的に、私が「笑いの練習」を開始致します。
たぶん、笑いの練習用の原稿になりたくない人は、ここには来ないでしょうから
安心してください(笑)

 でも確かにあの世界観(=方便)は、ある程度、榎本先生テイストが分る
人でないと難しいかもしれませんね。でも個人的にはあの「物言い」に、ガン
ガン魅了されてしまうのですけど(笑)

あなたを生んだのは
神ですから、
神に責任を
とってもらおうじゃあないですか。

 わたし、こういうの好きですけどね(笑)

227ぼるぼ:2011/07/29(金) 19:08:11
僕は生政連に未練たらたらなんです。

以前、復興Gさんが紹介してくれていましたが、国家の成仏こそ、生長の家の目標である。

その文章、もう一度<#181>から引用して、再読したい。

   「国家の成仏ということ」

 昭和38年2月28日、第13回生長の家全国代表者会議を開き、第一次五ヵ年計画最終年度の運動方針を決定した。そのとき総裁谷口雅春先生は結語として次のように述べられた。

「“人間神の子”を説く宗教は他にもある。“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。だがそれでは、とくになぜ生長の家が出現したのか。生長の家の神は住吉大神である。その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に現われ給うたのか。そこが非常に大切なところである。
 『古事記』に示されるごとく、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に現われられた。最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と現われ給うたのである。天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となるということである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに現われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。
 ただ単に、人間は神の子であり、物質はない、肉体はない、病気は治るという、それだけのことではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うというところに、生長の家出現の本当の意義がある。
 したがって、たんに個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおしすすめて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏というところまでゆかなければならないのであって、そのひとつが政治活動なのである。」

今日の日本、悲惨な政権下にあります。

今日、youtubeで、傾聴に値する安倍晋三氏のインタビュウを見ました。

菅内閣の次、如何にすべきか。国民の政治感覚をしっかり確立しなければなりません。

国民のレベルを高めねばなりません。

生政連は高度なインテリジェンス能力を持ったメンバーを必要としています。

228トキ:2011/07/29(金) 19:12:57
ぼるぼ様

 ご投稿、ありがとうございます。生長の家政治連合を実際に経験した人が少なくなった今こそ、
生長の家政治連合について、しっかりと語り合うべきだと思います。

 危ないけれど、熱い時代だったと言われます。ぜひ、想いを語って下さい。

 ぼるぼ 様のますますのご投稿、期待しております。

合掌 ありがとうございます

229ぼるぼ:2011/07/29(金) 19:13:55
追記

件のyoutubeはこれです。

http://www.youtube.com/watch?v=zTUo3cJOSA0&playnext=1&list=PLE8391547FAF7E8EE

230ぼるぼ:2011/07/31(日) 20:41:15 ID:O6JUFC1w
「護国の神剣」の意味するもの(生長の家国家問題総合委員会編「日本の政治と宗教ー護国の神剣ーより」)

この「護国の神剣」といふ生政連讃歌がこの度出まして、私が作詞したものに作曲家の黛敏郎さんが作曲されたことになっているけれども、これは谷口という一人の人間が作詞したのではないんです。これは皆さんの魂の中に沸ふつとたぎっているところのその使命感といふものが私に感じられて、その感じられた使命感の内容をこの「護国の神剣」といふ生政連讃歌に書き表したものであるわけであります。
この歌の第一節は「弥勒下生経」の預言を引用したものであります。釈尊すなわち釈迦牟尼如来の仏法から人々が次第に遠ざかって僧侶といえども仏戒を守らなくなり、法滅尽経に説かれているような暗黒時代が経過すると、次の仏陀がこの地上に下生されて人類を救い給うぞよと、このような未来への用意のあることを釈迦牟尼如来が予言されたのでありますが、次に現れ給う仏陀=弥勒如来(マイトレーヤ)に関する経典が「弥勒下生経」と一般に呼ばれているものなのであります。
或る時、釈迦牟尼如来がマカダ国波沙山の山頂で弟子たちに話された。「一心に聞くが良い。光明大きく三昧あり。無比な功徳ある人が、正に世に出現するであろう。その人は妙法を説き、すべての民を解脱の道に至らしめるであろう。汝たち今一心に合掌して未来の大慈悲者に帰依するがよい。汝たちのために詳しく説いてあげよう」と言って、シャンカ転輪聖王の話、そして弥勒菩薩が転輪聖王の城である鶏頭城に入られて如来となって法を説かれる模様などを悉に話されたのである。東の方に、とかう書いてあるのだが、鶏のトサカの如く小さいけれども、七宝をもって荘厳に輝く、恰も太陽の昇る姿の国「鶏頭城」とは、これは日本の国のことであります。この国にシャンカという転輪聖王が出現してくる。この転輪聖王といふ王様は皮膚の色が黄金色に光り輝いているといふのだから、これは黄色人種でアジア人種ですが、仏陀の如く三十二の大人相を備え、強力な四軍の兵を持ちながらも、武力を行使せずに全世界に本当の平和を持ち来すところの神聖王様が生まれてくるという釈尊の預言なのですが、その王様が何処に生まれるかといふと、日本の国に生まれてくるといふことなんであります。

第二節以下省略。なぜなら、みなさんのように、しゃべるようなスピードでキーを打てないので。

で、ここで書かれている日本の神聖なる王様というのは、天皇陛下のことであるとしか解釈できませんね。

この小冊子、昭和48年発行で、値段はたったの180円なんですが、埃まみれ積ん読にしてあったので反省しつつ読みました。

231トキ:2011/08/01(月) 10:46:48 ID:WLVlsaX2
>>230


ぼるぼ様

 貴重な資料のご提示、ありがとうございました。
「護国の神剣」は」今日では、入手が難しいものですから、勉強になります。

ちなみに、本などの投稿は、見ながらキーを打つ方法もありますが、多量の分量
だと、本の文章をスキャナーで読み取り、それをOCRというソフトで読み取り、文章
にする方法があります。一部、脱字や誤字が出ますが、最近のOCRは精度が良く、
かなりの確率で変換できます。スキャナーもOCRも最近は安くなりました。

 ぼるぼ様のご体験なども、差し支えない範囲でご教示下さると嬉しく思います。
また、他の、生長の家政治連合経験者のご投稿も歓迎します。

合掌 ありがとうございます

232ぼるぼ:2011/08/04(木) 18:49:02 ID:YA4uz9yQ
三島由紀夫の楯の会について

彼等も生長の家の家族であった時期がある。僕とほぼ同年だが、生きた場所が随分離れていた。
最近、戦後日本の総決算をする機が熟すに及んで、立ち位置が同じになったような気がしてきた。
戦後の総括は、明治維新にも匹敵する大きな社会運動であると思う。

鈴木邦男ブログからコピペ:

 〈最初制服を着た時は嬉しかったですけど、その後は複雑でしたね。先生が、『これがお前たちの死に装束だ』とか、みんなも『先生は死にそうだ。本気だ』とか言うでしょう。真に受ける方ではないけれど、そりゃ19歳で死に装束着てりゃ複雑な心境。なんて言うか…一言で言えば、恐かったですよ。冗談でやってるわけじゃないし、しかも左派的な大衆啓蒙運動でもない。そういうことがわかってたら、結論は血を見ることだって、誰が見たってわかるわけです。
 それで、9月頃、自分は腹も切れないし、刑務所にも行けない。退会させてくれって、言ったんです。〉

 これは正直だ。なかなか、こうは言えないものだ。勇気のある証言だと思う。19才で、そりゃ、恐かっただろう。「死に装束だ」なんて三島に脅されりゃ、なおさらだ。特攻隊のようじゃないか。村田は他の仲間、先輩に相談する。

(3)さまざまな人間ドラマがあって。まるで忠臣蔵だ
 まるで忠臣蔵の中のドラマのようだ。一つ一つの話がお互いに噛みあって、織りなされていく。そして一服の絵になってゆく。「俺は気づかなかった」という勝又だって、〈決起〉はあると思っていた。班長は皇居の中の済寧館(さいねいかん)で居合の稽古をしていた。皇居の居合の練習のために、班長と副班長合わせて約20人が通行証をもらっていた。

 「刀は先生のも合わせて九振りありました。熊本で二百振り程民家で見つかったことがあって、先生は全部買おうと言ったこともありました」
 さらに、過激な決起プランが練られ、皆で話し合われていた。
 「皇居の御門に車を突っ込む。火炎瓶を投げるなどの訓練もあった。陛下を守りたい。御璽(みしるし)のそばにいたい、というのが先生にはあったと思いますよ」

 凄いことを考えている。皇居に突っ込むなんて。長州藩の過激分子のようだ。そんな不穏なことを考えていた楯の会に、よくも皇居の居合道場に出入りを許したものだ。又、自衛隊だって、「体験入隊」を歓迎し受け入れている。皆、安心し切っていたのだ。いくら体験入隊をしても、「軍隊」ごっこ、だと思っていた。又、「あの三島さんがまさか」と安心していた。そう安心させておいて、三島はやった。それだけ三島の〈信用〉があったのだろう。その辺の右翼だったら絶対に皇居には入れない。自衛隊も入れない。
 田村司はこう証言している。

 〈「楯の会」のことは、兄事していた従兄から知らされていました。週刊誌でも見ていた。グループサウンズの衣装のような制服を着て、チャラチャラしている印象を持っていたけれど、先輩たちから、自衛隊で体験入隊して半端じゃない訓練をすることや、三島由紀夫という有名な作家の話を聞いて、真剣な組織だと思いました。それで、それは面白いと入会するお願いをしたんです〉

 田村司は昭和25年(1950年)生まれ。神奈川大学。「生長の家」出身だ。前出の向井も神大の生学連(「生長の家」の学生部)。又、三島の決起に参加した古賀浩靖、小賀正義も、共に神大の生学連。又、彼らを入れたのは伊藤邦典だ。神大は生学連、楯の会にとっては「拠点校」だったのだ。その伊藤は僕とは小学生の時からの知り合いで、僕の入っていた「生長の家学生道場」に入ってくる。僕は知り合いの持丸博(「楯の会」初代学生長)を伊藤に紹介する。伊藤は「楯の会」に入る。そして神大で仲間を集め、古賀、小賀、向井、田村らをオルグする。神大では、生学連、日学同の幹部を呼んで講演会をやったりもした。活発にやっていた。
 「楯の会」は、初期のメンバーは半分位、生長の家だ。あとは日学同などが多い。三島も「生長の家」には一目置いていた。谷口雅春先生は尊敬し、「こんな素晴らしい学生を育てたのだから」と驚嘆していた。
 「生長の家」の学生は皆、素直だった。大体、親が「生長の家」だから入った人がほとんどだ。つまり、親に言われて、入るんだから、実に素直だし、親孝行な子が多いのだ。オウムや統一教会のように親の反対を押し切って入信したわけじゃない。又、大病をしたからとか、とんでもない不幸があって死を思いつめて、入信した…という人もいない。実に素直に親に言われて入ったのだ。かく言う私だってそうだ。
 中学や高校生の時から「生長の家」の集会に出た。田村氏は宇都宮高校時代、生高連(生長の家高校生連盟)の栃木県委員長だった。「朝生」によく出てる四宮正貴氏は生学連の東京都委員長。私は仙台の委員長だった。

233トキ:2011/08/04(木) 20:12:53 ID:SO3fpWEI
ぼるぼ様

 ご投稿、ありがとうございました。

 今はメジャーな鈴木邦男さんですが、昔はマイナーな世界で頑張っておられました。
私は生長の家とは関係のない事が契機で彼と知り合ったのです。失礼ですが、当時はビンボー
な生活で、それでも節を曲げずに地道に運動をされていました。始めて会ったときも、飯を
喰おうと言って、駅の立ち食い蕎麦を一緒に食べてから、喫茶店で話をしたのを覚えていま
す。もっとも話の内容は最初から最後まで格闘技の話で、政治の話は全然出ませんでしたが。

 彼は、すごく謙虚で、頭が柔らかく、真面目な人でした。
当時、彼と一緒に活動をしていた人達の多くは生長の家の本部講師になっていました。
が、どうもエラそうな言動が目立ち、正直、苦手でした。それに引き換え、鈴木さんは
親しみやすいキャラクターでした。

 これは、勝手な思い込みですが、生長の家部内では、森田=安東先生の解釈による「天皇論」
が主流になっていきました。それは格調の高いものでしたが、親しみにくい解釈でした。
その点、鈴木さんの主張する「天皇論」は、格調があるかは分かりませんが、普通の市民感覚
でも理解できる「天皇」でした。思うに、鈴木さんは、鈴木さんなりに、谷口雅春先生が説かれた
「天皇信仰」を広めようとされたのではないか、と感じます。(どちらの解釈が正しいとか、良い
とかの問題ではなく、特色の差に過ぎないと思います。)

 ご投稿を拝見し、昔の事を思い出したので、投稿しました。

今後ともご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

234ぼるぼ:2011/08/09(火) 18:13:44 ID:YA4uz9yQ
またまた古い本をめくっていて気がついたこと。

日本人は、国号を正しく認識することが必要だと思いました。

日本の本当の国号は「大日本帝国」であるー聖なる理想・国家・国民ー谷口雅春、225P

 皆さんは日本の国の国号を何というか、本当に知っていますか?明治の憲法には、ちゃんと「大日本帝国憲法」と書いてあった。それだから日本の国号は、「大日本帝国」というのだとわれわれは信じておった。
 皆さんのように、戦後生まれてきたような人は、明治時代に日本の国号が、「大日本帝国」と憲法に明記してあったのを知らんかもしれんけれども、この立派な「大日本帝国」という国の名前を、どこで、どこの帝国議会で(・・・あるいは戦後の国会においてすらも)国号の変更をしたという事実はないのです。いつの間にか、アメリカ製の押しつけ憲法に、「日本国」というのがわれわれの国の国号の如く表題に書いているけれども、これもウソの国号を書いたのである。
 「日本の国号を<大日本帝国>というのは、ちょっと国が小さすぎるから「大」をとってしまえ。そして、天皇を政治の圏外に追い出したから帝国の「帝」をとってしまえ、そして「日本国」という名称にしてしまえ」というのが占領軍の意図だったらしいのです。だけれども、この国号の変更に関しては、帝国議会でも、国会でも「議決して、国号を改めた」という記録もないし、そんな事実も実際にないんです。
 ない国名を、換言すれば嘘の名称をこの押しつけ憲法には書いてあるんだから、どこかよその「日本国」という国の憲法であって、我々の生きている大日本帝国の憲法ではないことは明らかなのであります。

<ちょっと、省略、・・・キー入力が面倒なんで、>

 それですから僕は、福田総理大臣にその旨を「生長の家」誌の(昭和52年6月号)明窓浄机欄に公開質問状的に書き、別にその旨を書いた手紙を生長の家政治連合会長の田中忠雄氏に持参してもらって届けてあるんですけれどもね、<福田赳夫総理大臣、その勇気ありや、真に愛国心ありや>というテストが、今、行われている(拍手)というわけなんでありますよ。

 その後の日本の政治は混迷の中迷走を続け、いまや本当に亡国の危機を目前にするに至りました。目覚めて、立ち上がるべし。

235トキ:2011/08/09(火) 18:56:35 ID:pnc/LXrU
>>234

ぼるぼ様

 貴重な資料をご提示下さり、ありがとうございました。腕がお疲れではないですか?
勉強になりました。

 今、日本はたいへんな国難にありますが、同時に、国民が少しずつ、目覚めてきたのではないか、と期待をしているのです。
しかし、正しい愛国心となると、これはやはり谷口雅春先生のお説き下さった愛国心が最高のものだと思います。
人間 神の子の基本から説かれますし、日本国の理想もご教示下さりますから、正しい愛国心が身に付きます。

 その意味で、谷口雅春先生のお説き下さった文章を提供して下さり、深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

236「訊け」管理人:2011/08/10(水) 12:47:22 ID:UodBcqiE


 昨日も『弟子像』を拝読しておりましたんですが・・・いやー同書、やは
り皆さんで読んでみたい本です。やや話の流れを「切ってしまう」かのよう
な、そんな印象の話題になりましょうけど、組織部外者が問題を大所から眺
めておりますと、以下抜粋箇所は重要に思えてなりません。各位に於かれま
しては以下御文章、ご高覧くださいますと幸いであります。

――――――――――――――――――――――――――――――

 ある日徳久先生は「単なる数を集めて、数は力だ、というのは
唯物論ですよ」と言われたことがあった。・・・(中略)・・・
さて、釈迦が、「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」と
言っている以上は、釈迦の見る限りのものが成仏しているのであ
る。それ故、迦葉だけでなく、そこに居合わせた聴衆全部が成仏
の姿そのものであったのである。人だけでなく、月も山も川もす
べてである。有情非情であるからには、迦葉の微笑が成仏の姿で
あれば、釈迦の涅槃に際して〝少しも金剛不壊の身体を見ません〟
と言った迦葉も、その発する声もすべて成道であったのである。

 このような時、たしかに数が多く集まれば、光が多く集まる
ということで、数が多いということと光が多いということは一
つのこととなっている。しかしこれは光を多く集めたから光と
なったのではないのである。

 尊師が「数は力なり」と言われたのは、感謝し、礼拝せずに
はいられない、光りある人々に向かって言われた言葉であって、
集まってから光りとなる光の一歩手前の人々に対して言ってい
る言葉ではないのである。

『弟子像』336項
「私の中の徳久克己先生」より
榎本恵吾著

――――――――――――――――――――――――――――――

 まあ、どんな運動にせよ、それがたとえば「総裁追放」であれ「擁護」
であるにせよ、リーダーが参加各位を「神として拝んでいるのか?」これ
は重要なことだと思います。雅春先生もかつて「数は力なり」という趣旨
のご発言をされておられます。が、それでもそこで言われた「数」とは、
光りの数のことなのであり、これは「リーダーが拝みださなくては出てこ
ない」ものなのではないでしょうか。

 ああ、この榎本先生のご指摘ですが、これ、非常に重要なことなのではな
かろうかと。

追伸

「現総裁の粛清反対!」しながら、投稿者を粛清する掲示板や、総裁追放を
主張しながらも、対話希望者まで追放する運動・・・我々はこれに違和感を
覚えるわけですけど、この違和感の正体は、この、榎本先生のご指摘にて明
確に説明できるのでありましょう。
 彼ら、総裁追放を主張する勢力にはこの、雅春先生のような礼拝が欠如し
ているように思うのです。それゆえいくら主張し同志(=数)を募ろうが、
真に機能せずにいるのではないでしょうか。
 そして、「運動員を光りとして礼拝する」という基本を、頭から欠如させ
ておられながらも「雅春先生の御教えを護る!!」と言われるわけです。
(しかもコワモテで)まあ、こんな光景を『生命の實相』愛読でしか生長の
家を知らぬ身が見れば、それはやはり、コメディーにしかならぬと思います。

 集めた「数」を、真に機能させようと思うならば――それは「本気ならば」
と同義ですが、今、なにをされるべきでありましょうか。
 今回は追放派のみを例に出しましたけど、そうではない党派に於いても上
記の『弟子像』御文章は、余程心して拝読せねばならぬものではなかろうか
と。

237「訊け」管理人:2011/08/11(木) 13:32:45 ID:MPQg3/HY
(ここでいいのかなあ?)

>本流管理人さあ

 掲示板冒頭に誤字があります。ご訂正された方がよろしいと思います。
その箇所ですが、以下です。そう、本流掲示板(お気に入り、の)を
クリックすると、いきなり飛び出すあの、顔とでも申すべき箇所です。

――――――――――――――――――――――――――――
注意事項

本掲示番をご覧いただきありがとうございます。
本掲示板は明確な目的を持って設立された掲示板であるため、
下記、「生長の家本流宣言掲示板の宣言」「生長の家本流宣言
掲示板の規約」をよくご覧になり、承諾されたのちに本掲示板
の趣旨に従って御投稿下さい。
――――――――――――――――――――――――――――

 間違いは一行目、です。
 雅春先生の名誉のためにも、即時ご訂正を。

238ぼるぼ:2011/08/12(金) 17:46:03 ID:YA4uz9yQ
>「訊け」管理人殿

貴殿の作成途中の調和ある愛国運動スレ、ですが、まさに生政連の理念が探られていると思う。

僕は、榎本恵吾講師とは、同時代に生きていながら袖触れ合う縁すらなく生きてきました。

貴殿の紹介文で今更感じたことですが、貴殿にも榎本講師にも、貴殿がかつて使ったスターリンの「同志」呼ばわりをしたい位に、共鳴するものがあります。

簡にして要なるこの文章は、特に良い。

――榎本恵吾曰く、

 現象の日本なし、實相の日本のみ独在す。真の愛国心とはこの實相日本を礼拝する心にほかならないのである。實相のみを愛し、實相のみを観て行けばよいのである。

 キリスト曰く 『わが国は此の世の国に非ず』

 曰く、『わが祖国は此の世の祖国に非ず』

もう一つ、付け加えると、

 ぼるぼ曰く、『わが生長の家は此の世の生長の家に非ず』

それと、本流の掲示板の番人さんは、開口一番で、自分は番人であることを宣言したかったんじゃなかろうか。

239志恩:2011/08/13(土) 04:24:42 ID:psrFh/ZU

私も幸運なことに「弟子像」が手に入り、拝読はじめたところです「訊け」様のすばらしいブログも拝見していますが、皆様が異口同音におっしゃるように、この著書は ”ほんとうに凄い本だ”の1言に尽きますね。

今、「服部仁郎先生」と「山口悌治先生」を読み終わり、「吉田國太郎先生」の途中です。
「訊け」様も言われましたが恵吾先生は、山口悌治先生に対しては、徹底的に大批判されてます。

山口先生は、世界情勢の現象的危機を説き「数は力だ」という新体勢の構想を提起されて、光明化運動を推進されたことを恵吾先生は、当時同じ部署の企画局において、常々批判の発言をされていらした。
そして、このご本の中でも徹底的に大批判をくりひろげておられます。
そこには、私の全く存じ上げない山口先生のことが書かれてあり、私は、びっくりしているところです。こんなに批判されてる山口先生がお気の毒に思いましたが、いろいろと恵吾先生に教えられております。


私が本部在職中のときの山口先生は、まだ深く静かに潜行中で、熱心に『万葉の世界と精神』の著書の執筆中でおられました。
私は、その著書が完成しないうちに本部を退職しておりますので、山口先生が正面にでられて「数は力だ」と言われたという時代のことは、知りませんでしたから。
後に『万葉の世界と精神』の出版記念パーティが、東郷神社会館で開かれたときは、(私は、資料集めに微力ながら貢献したこともあり)私は招待されて、出席しております。

なぜ恵吾先生が、「数は力だ」という構想に大批判されておられるかといえば、復興G様が抜き書きされたように、”徳久先生は「単なる数を集めて、数は力だ、というのは唯物論ですよ」といわれたことがあった”

吉田先生の文を恵吾先生が訳されて「数が力であるというのは五官の声であり、肉の声であり、悪魔の声であり、迷いの声である。
                 力とはただ一つ、天皇が力である。中心が力である。悟りが力である」。。悟りとは、實相独在、光明一元になりきることである。自分が先ず渡り切ることである。。。

つまり、恵吾先生は、「数は力だ」という唯物論的構想から発した偽光明化運動に大批判されていると、私は思いました。

P91に 恵吾曰く 【唯物論は争闘の根源】

   物質の存在を認めることは、心が形に支配されることになって、そこからものの考え方なり判断が出発すると、知性は非常に狭く限定され、又感情は執着、悲哀、闘争、愛憎の奴隷となって、實相のコトバである天藾の声、神の声、内部の叡智から湧き出る言葉に、
   心の耳が塞がれてくるのであります。そして所謂(いわゆる)、顛倒妄想となって迷い心が生ずるのであります。

240志恩:2011/08/13(土) 05:40:02 ID:psrFh/ZU

「弟子像」の山口先生の部に、恵吾先生は、企画局の佐脇嘉久(さわき よしひさ)とのエピソードもいくつか書かれています。s39年に佐脇先生に山口先生宅へ連れて行っていただいたこと等。

こちらの佐脇先生はのほうが、山口先生より 企画局では恵吾先生と波長があったのではないかと思います。

佐脇先生(本部講師)は、早大政経学部、国立音大でピアノと作曲を学ばれ、本部で聖歌隊の指導もされてました。大変宗教的なお方で、もの静かでおちゃめで人格者でもありました。
著書に「やさしく書いた日本の神話」「國と人のロマンを語ろう」。。(日本教文社)がありますが、
この佐脇先生は、林 光彦元本部講師と、とても仲良しでもあり、お二人とも山口先生のことは、私が本部におりましたときは尊敬しておられました。

私も、たしかs39年に、山口先生のお宅に遊びに伺ったときは、林 光彦先生と私と二人で行ったんですけれどね。玄関のあがりかまちのところが先生の部屋になっていたとありますが、じつは、実際の山口先生のお部屋は、2階にあったのですが、あまり多くの本を買い込まれたので、
本の重みで、2階の部屋の床が抜けてしまったそうなんですよ。でも、お金がなくて、抜けた床を修繕することができなくて、しかたなく玄関に住んでおられた。伺った時説明されました。理事でもお給料安かったし、本も自腹で買ってた時代です。
先生の奥様は、和裁の内職をされてました。お子さんが、4人おられましたし、生活はきつかったと思います。

林先生と私と二人、本で出来たかまくらのような部屋のなかで、積み上がっている単行本と単行本の隙間に、山口先生と向かい合って座りました。
ほんとは二人の聴衆しか居ないのに、山口先生は、まるで600人は居るかと思われるような、熱弁で大演説されました。「限りなく日本を愛す」という愛国心の話、天皇様の話、自分が生長の家に入信して、いかに世界一の幸せ者だかという話を切々と
つばを飛ばしながら、3時間もされましてね、そのとき、私達は、すごい感動しながら帰途についたことか、いまでも忘れられないほどです。

あの純粋だった愛国者の先生が、なぜ唯物論的構想の「数は力だ」になってしまわれたか。ふしぎです。。

思えば、私が本部におりましたときは、企画局の直ぐ隣の部屋の白鳩会中央部局長の古川 恵偉(えい)全国講師が、全国規模の「白鳩誌100部一括運動」を大展開されてまして、4人の白鳩会全国講師は、各県でひらかれる白鳩会大会、白鳩一泊見真会に出席するたびに
各県連の白鳩会連合会長が、先生への手みやげに何百部、何千部の白鳩誌の注文書を手渡されておられました。それで、末端信者さえ、100部は、むりでも10部一括はしてました。
それが、ものすごく、白鳩誌の誌友拡大につながりました。そういうのも影響されたのかなぁ。

それから、生政連の選挙が、数度実施されている時代です。候補者を当選させるのは、どうしても「数」が必要なのです。それで、山口先生は、「数」のほうに心が奪われていったのかもしれないな、とも感じました。真偽のほどはわかりませんが。
山口先生は、ご本に書かれている以外の病気にもかかっておられた事は、後に、私とも仲良しだった佐脇先生から直に聞いていますが、「歌人で学者だった山口先生には、不向きな仕事を、ものすごくがんばられたので、ストレスだったんだろうな、」とのことでした。

榎本恵吾先生の【弟子像】を、もしも山口先生が、ご覧になられてたら、もっともっと、心やすらかに明るく澄み切りのご心境で、ほんものの光明化運動をよろこびながらされたのでしょうね。それを思いますと、残念でなりません。

241志恩:2011/08/13(土) 07:04:05 ID:psrFh/ZU

 私が、本部を退職後、ある日、自宅に山口悌治先生から手紙が届きました。先生が、理事長のときでは、なかったでしょうか。(時期、まちがったら、ごめん)
何事かと思いまして、封を開けましたら、「選挙の票 20票」、確実に入れてくれる人を、申し訳ないけれど僕に紹介してもらえないでしょうか。という内容でした。
村上正邦先生が生長の家から立候補されたときだったと思います。

私は、その時期は組織に属しており、すでに50票こさえて、地元の誌友会に提出していたので、たったの20票といえども、選挙の票は、急いで新たにつくるのは
困難だったので、兄弟姉妹や親類に声をかけて、協力してもらい 20票こさえて、先生宛に返送しました。

それからしばらくして、また山口先生から手紙がきて、「あなたからご紹介いただいた20名の方々、1人1人に、僕は、確実をきすためご挨拶状を手書きで書いて出したのですが、
そのうちの1名の方、00さんからですが、宛先不明で手紙が返送されて参りました。すみませんが、お調べくださいませんか」

1名のかたが、住所を間違えて記入したようで、調べ直して訂正して、また先生にお送りしたことがありました。
 
だから、どうよって、話じゃないですけれどね。とりとめのない話で、すみません。広く広くというご性格は、ほんとうだと存じます。

242トキ:2011/08/13(土) 10:20:46 ID:yGXq4PbE
志恩様

 貴重なご投稿をありがとうございました。山口先生は、確か、戦前は左翼運動をされていた
方だと聞いております。転向をして生長の家に入り、幸せになられたと聞いております。

 昔の神誌で読んだ先生方が、生き生きと描かれていて、たいへん感銘を受けました。
本の重みで家が傾く、というのは私も経験がありますから、少し笑ってしまいました。

 本当にすばらしい内容で感謝しています。
今後とも、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

243トキ:2011/08/13(土) 10:23:37 ID:yGXq4PbE
>>238

ぼるぼ 様

 素晴らしいご投稿、ありがとうございました。訊け管理人様のアップされた文章は
実にタイムリーです。政治と宗教との関わりについて、宗教の側からはどう考えるべ
きか、参考になります。

 この問題も奥が深いですから、ぼるぼ 様のご投稿を心からお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

244復興G:2011/08/13(土) 11:49:19 ID:Ir7svY6w

>>239 :志恩様

お帰りなさい!
>後に『万葉の世界と精神』の出版記念パーティが、東郷神社会館で開かれたときは、(私は、資料集めに微力ながら貢献したこともあり)私は招待されて、出席しております。

そうでしたか!
実は、私も出席していて、そのときの記念写真を持ってます。今、出してきて見ております。なつかしいですね。

(しかし、お互い身元の詮索はしないことにしましょうね。)

245復興G:2011/08/13(土) 12:08:12 ID:Ir7svY6w

>>238 :ぼるぼ様

>「訊け」管理人殿
貴殿の作成途中の調和ある愛国運動スレ、ですが、まさに生政連の理念が探られていると思う。

感動です!

この新たな理念、いや永遠の理念で、既に成れる日本国、いや大日本帝国の成仏を!

246「訊け」管理人:2011/08/13(土) 16:55:40 ID:UodBcqiE
5回目の更新「調和ある愛国運動とは」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65577885.html

 皆さん、ありがとうございます!
 お一人お一人に返信申し上げたいところですが・・・現在、親戚の集まり
があって、ですね、そしてセガレ(5歳)が会食準備中なのに、野球を始めて
おります。手がつけられませんため、あっ・・・・!!!



また来ます(来れないかもw)

247神の子さん:2011/08/14(日) 06:20:07 ID:UodBcqiE
6回目の更新「調和ある愛国運動とは」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65577885.html
 今回は画像更新のみですが・・・・・・

 皆さん、ありがとうございます!

 ただ同記事ですが・・・あまり人気、ありません(笑)繰り返しご覧くだ
さっている方は・・・50名くらいでしょうかね?ああやっぱ、あれでしょうか
、小難しい文章を載せすぎましたかね(笑)

追伸

 お盆に暴れすぎたセガレ、珍しく発熱です。39度です。

 「おー、熱が出たか(笑)どうせなら、熱、100度まで出すつもりで
がんばれ!」などと言ってしまいましたら、「お前、それでも親かッ!!」
てな叱責を受けてしまいますた(笑)

 「悪いモンが出ているんだ。出てもらわなきゃ困る」と、藤原先生のように
安心しきっていた私です。でも、ああ・・・御教えの現実適用には、溝があり
・・・・皆さん、返信できずに済みません。

248志恩:2011/08/14(日) 06:44:21 ID:psrFh/ZU

 トキ様

トキ様も本の重みで家が傾いた経験がおありになるそうで(笑)。本は重いですからね。

100部一括運動も、100万部運動も、【数は力だ】も、似たようなものですね。上から命令する人は楽だけれど、実行する立場の人たちは、楽ではありません。信徒を幸せにもしませんから、
今後は、そのような運動は、しないほうがいいと思っています。




 復興G様

復興G様も、東郷神社記念会館での「万葉の世界と精神」出版記念パーティに出席されてたとは、それは、奇遇ですね。そのときのお写真見ていらっしゃるのですか。

昔、本部でも、どこかで すれちがったりして、お会いしてるのかもしれませんね。
東京都連とか、いらっしゃったことあるのでしょう。事務局長は、深田様でしたよね。
本部の早朝神想観にも通っておられたそうで、そのころ、大道場での神想観行事がおわったら、食堂で「いもがゆ」(金曜日にみ、あずきがゆ)が、どんぶりで振る舞われていませんでしたか。食堂のおばちゃんは、
白髪の眼光は鋭いけど、心根はやさいい福田あい様という方でした。あいそがわるくて声がでかいおばちゃんでした。

249復興G:2011/08/14(日) 09:06:02 ID:Ir7svY6w

>>247 :神の子さん
は「訊け」管理人殿ですよね。
>ただ同記事ですが・・・あまり人気、ありません(笑)繰り返しご覧くださっている方は・・・50名くらいでしょうかね?ああやっぱ、あれでしょうか、小難しい文章を載せすぎましたかね(笑)

いや、これはアクセス数の問題ではありません。
現に、ぼるぼ様のような優秀な方がご覧になって、

「貴殿の紹介文で今更感じたことですが、貴殿にも榎本講師にも、貴殿がかつて使ったスターリンの「同志」呼ばわりをしたい位に、共鳴するものがあります。」

とレスされていることは、大変な影響力だと思いますよ。

ご令息のこと、
>「悪いモンが出ているんだ。出てもらわなきゃ困る」と、藤原先生のように安心しきっていた私です。でも、ああ・・・御教えの現実適用には、溝があり・・・・

大丈夫です。私も祈ってます。神から大切な使命を授かってこの世に生まれ、神に生かされ守られている尊いご令息様ですから、ますます浄まって、すぐ元気になられます。

合掌礼拝

250志恩:2011/08/14(日) 11:25:10 ID:psrFh/ZU
神の子様

私の末っ子の夫婦にも、訊け君とこと同じ年の、2才と5才の姉妹のこどもがおりますが、同じように一昨日と昨日、やはり39℃の高熱をだしたそうです。

でも、おでこに冷却シップ(熱さまシート)を貼っておいたら、もう熱は下がった、元気になった、とメールがきました。流行り風邪か、知恵熱でしょうね。

そんなことで、死ぬことは、ありません。熱は、体内の悪いものを殺菌するとも聞いています。

すでに、治ってるんじゃないですか。こどもは、よく熱をだしますよ。熱をだしながら免疫力がついて丈夫になってゆくものですからね。

251志恩:2011/08/14(日) 11:55:22 ID:psrFh/ZU

あと、2才〜5才くらいのころは、心身ともに疲れすぎた時、興奮しすぎた時にも、よく高熱をだしますよ。これらも経験からですが、なにも心配いりません。

だけど、熱中症の場合は、きおつけないとね。熱中症の場合は、吐き気あり、立っていられないほどの目眩やふらつきあり。そのときは、即救急車。

253志恩:2011/08/14(日) 14:26:27 ID:psrFh/ZU
復興G様

恵吾先生のご文章を、実に深く読み取っておられるなあと、復興G様には、いつも頭が下がることばかりです。このたびも ご教示、ありがとうございます。

こういう大転換機に、ほんものでおられた藤原先生・榎本恵吾先生のご文章が、このようにあちこちで、ライトアップされ、トキ様、復興G様、ブログ「訊け」様、伝統様。。。多くの立派な精神の持ち主の方々に

たくさんご紹介されたりしていて、私も恵吾先生の大フアンの一人として、心底うれしいかぎりです。


「数」にしても、唯神實相論に立ち還った立ち位置で、新たにスタートすれば、数が唯物論的な「数」ではなく、仏としての「数」になるのですよね。

「詳説神想観」の編纂の仕方をも批判されてるそうで、無私でおられるからこそ、實相をしっかり把握されておられるからこそ、自信を持って、しっかりとした批判もお出来になられたのだと思います。

はっきりと、批判されることは、批判される、そういう男気にあふれる恵吾先生にも「弟子像」を拝読しつつ、ほれなおしているところです。

254460:2011/08/14(日) 16:03:25 ID:GygGdHKM
勝手なことを述べさせてもらったついでに、水をさすことにいたしました。

>>248
志恩さん
ご自分は匿名で、名前をおあげになった食堂の方は一般の方ですよね?
(少なくとも公人クラスの人ではない)
いかがなものでしょうか。

お気に触ることを申し上げて大変申し訳ありませんが、
その方をほめているようでくさしているように読めます。

生長の家の中の世界ではほめることになるんでしょうか、やっぱり。
うーん。
幾度も経験がありますので、思い切って書いてみました。

またひとつ勉強になりました。

255志恩:2011/08/14(日) 16:55:57 ID:psrFh/ZU
460様

ご指摘、痛み入ります。本部職員さんで、公人のおかたでした。
本部の1室に住まわれてもいました。
一般人では、ありません。くちは、わるく愛想もよくなかったけど、みなさんに愛されていました。
私も、だいすきなおばちゃんでした。
でも、私のいいかたがわるくて、そうとられたのは、私がいけませんでした。こんご、きおつけます。

256復興G:2011/08/14(日) 20:27:56 ID:Ir7svY6w

榎本先生は、『試論「波状光明化への道」─内なる神に捧ぐるレポート─』というA5判360頁ほどの本も自費出版されていて(これは『弟子像』よりさらにレアな本かも知れません)、私は頂いているのですが、その序文に当たる「覚え書き」というところに、次のように書かれています。

   * * * * * * *

 茲に為さんとすることは、全く新しいことではなく、尊師谷口雅春先生の御示し下さった道を自らのために鮮明にせんとしたものであり、限りないなつかしさをもって尊師の御いのちに回帰する道である。それがそのまま中心(すめろぎ)への帰一の道であり、天皇への回帰の道であり、中心(すめろぎ)のいのちの動く姿となり完成なるいのちの持続となっているのである。

 イエス・キリストが「汝の罪赦されたり」と人類に向かって宣言したとき、当時の人々は「誰れが罪を赦す権利をイエスに与えたのであるか」と言ったのである。これに対する答えは「汝、誰れからも許可を得るに及ばず」と天からの声はイエスに降り淺いでいる。神は誰れの許可を得て天地を創造せられたのであるか。神はただ許可を与えるだけである。それが生命の相(すがた)である。

 何か時の萌しというものを感ずることがある。何か偉大なる時の近づこうとしつつあることを感ずる。それは何であり、どのようなことかは知らない。この“時”と云うものは自我を死に切っている生命には聴くことが出来るのであろう。

 この書はその“時”のために必ず必要とされるべきものである。そのときのために自然と準備したくなったのも、既に、その“時”と云うものに導かれていると云うことが出来るかも知れない。このような時のためには色々なものが動き出しており、それは天界、霊界、現界においてそれは起っているであろう。その意味で、もっともっと善きものが現われて、この書が必要でないと云うことが興れば、それは幸いなことである。しかし、必ず時は来たる。

──と。そして
──(つづく)

257復興G:2011/08/14(日) 20:43:34 ID:Ir7svY6w
>>256

 そして榎本先生は、「公案」と題して次のように書かれています。

   * * * * * * *

 私は今、「八人しか生長の家を知る者がゐないとして、どうするか、を考えなさい。」(注、これは生長の家本部にかつてあつた八人委員会が尊師から戴いた御言葉。勿論この委員会は現在はない。)と言ふ公案を戴いて、今日まで噴火山上の舞踏を楽しみ平穏らしく日を送つて来たことを恥ぢざるを得ない。尊師に甘え頼り切つてゐたのである。本当は頼るものとしての尊師も無いのである。聖典も無いのである。組織も無いのである。相対の世界に立つて頼るものを外界に探し求め、そのやうな眼によつて発見したものはすべて無常の一面相に過ぎないのである。それは正しく“無”なのである。無いものをあると思ふのが迷ひであると尊師は御諭し下さつてゐる。その迷ひを去らずして、無なるものの上に平穏であるかの如く日を過ごして来た。これは正しく噴火山上の手踊りであつた。

 ……その問ひは直ちに、

「もし、汝一人しか生長の家を知らないとき、その時汝は如何に、何を為すべきや」

 と云ふことと同じであると自分は思ふ。即ち、自分は尊師の御コトバを次のやうにお受けする。

『もし、この世に尊師も無く、聖典も無く、組織も無く、全くの一人、汝が生長の家を知つてゐる時、生長の家が汝において初発の時如何?』

 この問題を仮定としての問題としてしか受け取ることが出来ないとすれば、自分は最早や真の生長の家人と言ふことは出来ない。又、尊師の御コトバに永遠に触れることの出来ない者であると言はなければならない。それこそ「人間は神の子である」と言ふのは早まつてゐる。

 この問題を、此処のところをはつきりと全身の全生命の問題として通過してこそ、正に自分に光が齎らされるのである。此処に光る光こそが真正の光である。この光のほかに光と云ふに値する光は無い。此処に立つてこそ此の世に光を迎へることが出来るのである。

 此処に立たなければ、尊師、尊師と御呼びしつつも、尊師の本当の御いのちを拝み奉ることは出来ないし、又、此処に立たなければ聖典、聖典と御呼びしつつも、尊師の御いのちを礼し拝受することは出来ないと思ふ。

 今まで我々は盛んにこの御教へを伝へよ、伝へよと言つて来た。扨て、その伝へんとする道とは、御教へとは何かと問はれれば「それは尊師の御話を聴いて下さい」「それは尊師の書かれた聖典を読んで下さい」と答へて来たのである。

 しかし、今は最早やそのやうな好い加減なことは許されない。今は最早やそのやうに頼るべき尊師はゐないのである。聖典もまた無いのであり、組織もまた無いのである。今は最早や倶底(ぐてい・和尚の名。「底」の字は代用です)によつて自分の頼るべき形の指を斬つて落されて了つてゐるのである。

 此処に於て自分の立てる指は何んであらうか。『生命の實相』第二巻の中で尊師が「無指にして立つ指」と題した一節の中で諭されている御コトバを今こそ聴かなければならない時なのではないだらうか。

『和尚これを聞いて小僧の立てた指を切り去つた。小僧は痛いので悲鳴を挙げて逃げようとする。この時倶底すかさず小僧の名を呼んだ。小僧は和尚が何と言ふのかと思つて振向くと倶底は例によつて指を立てて示した。それを見た瞬間その小僧は大悟(さと)つた。何を小僧は悟つたか──それを知るものはその人もまた大悟(さと)ることが出來るであらう。小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらはれて真生命を見なかつた。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚は斯くの如く立てよと指を示してゐるのである。無い指をどうして立てるかここに禅の真生命がある。立てるべき指は形の指ではなかつたのである。指があつて立つやうな指なら指が無くなつたときには立たなくなるであらう。本当に立つ指は指が無くなつても、何が無くなつても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのは何が無くとも束縛されない自由自在の『生命の指』であつたのだ。此れが無いと困るとか、彼れが無いと困るとか言ふ者は『生命』の實相を知らない者なのだ。何が無くとも少しも困らないのが、吾らの『生命』の實相であるのだ。(『生命の實相』愛蔵版第2巻223頁〜224頁、頭注版第4巻24頁)

(つづく)

258トキ:2011/08/14(日) 20:45:30 ID:I65ARoG.
>>248

志恩様

 いつも素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

 少しバテて寝ていました。本は重いですね。泣く泣く、相当数の本を処分しました。
今は図書館を利用しています。

 すみません、他の方々にもコメントをお返ししたいのですが、少しグロッキーです。
また、後日、コメントさせていただきます。すみません。

合掌 ありがとうございます

259復興G:2011/08/14(日) 20:50:14 ID:Ir7svY6w

 榎本先生「公案」のつづきです。

   * * * * * * *

 今、自分は正にこの小僧の立場にあるのである。それも、指を切り捨てられてしまつた後、倶底和尚に問ひつめられてゐる瞬間の小僧が自分である。そこで自分は、今まで盛んに「伝へよ」と云つて来たその真理とは一体何であるかと問はれて『これだ!!』と応へ得なければならぬ。何ものの力を貸りることなく飽くまでも自分で応へなければならない。ここで『尊師の御話をお聴きになつて下さい。聖典をお読みになつて下さい』と言ふことは許されない。自分以外には答をする者はこの宇宙の何処にもないのである。

 彼(あ)れが無いと困るとか、是が無いと困るとか言つてはならないと云ふ時間さへも無い。つまり今は『尊師がいらつしゃらないと困る』とか『聖典が無ければ困る』とか『組織が無いと困る』とか言つてはならないのである。断じてそんなことは許されないのである。

 自分はここで浅く踏んではならない。世界と自分との全重量感を持つてここの関門に参じなければならないのである。この関門を通るために自分は道を求めて来たのであり、生長の家に来たのである。此処で正しい答を出し得てこそ正に世の中に役立つ人間であることが出来るのである。

 解答は何処にあるのであらうか。

 曰く、解答は何処にも無いのである。自分の内にしか無いのである。否、自分が光なのである。自分が今、此処に生きていると云ふ事実の中にのみそれはあるのである。何ものを否定しても断じて否定することの出来ない自分は今、此処に生きている、といふ事実の中にすべては存する。それは厳粛なる事実そのものなのであり、この事実から『生長の家』は出発してゐるのであつて、所謂観念や空想の中から生れて来たものでは決してないのである。

 重ねて言ふ。すべての何ものへの解答と雖も、今、此処に自分が生きてゐると云ふ事実を離れては無いのであり、すべてはこの事実の中にのみあるのであり、全宗教の全説法も此処から生れたのであり、このことがなければ、此処から出発しなかつたならば、宗教と云ふものは成立することは出来ない。全宇宙さへも存在することは出来ない。『生命の實相』は『生長の家』が此処かち出発し、『生長の家』が荘厳なる事実そのものであることを説き明かすのであつて、決して空理空論ではないことを明らかにするところから出発してゐる。

 即ち、全集『生命の實相』劈頭第一巻は高らかにして荘厳に次ぎの如く光明の宣言をする。



 吾々が生命を礼拝し、かうした『生命』の法則にしたがつて生活することを目標においてゐますのは、吾々がこの世界に『生命』を享けて來た事実から出発するのでありまして、事実ほど力強いものはないのであります。

 吾々が『生命』をこの世界に享けて來たと申しますと、わたしというものが別に何処かにあつて『生命』というものを何処かほかのところから貰つて來たやうに聞えるかも知れませんがさう云ふ意味ではないのであります。吾々各々そのものが一個の『生命』であります。何ものを否定しましても、自分が生きてゐると云ふ事実は否定出来ないのであります。自分は生きてゐると云ふ事実は取りも直さず自分自身が『生命』であると云ふことであります。(『生命の實相』第一巻4頁)

 此処に全『生長の家』の全説法の要がある。今此処に生きる生命(いのち)、この生命は何ものであるか。その生命の実相(ほんたうのすがた)が、この否定不可能の絶対事実が、実在なのであり、神なのであり、完全なのである。

 扨て、問題の解決とは一体何であらうか。解決とは神が『今』『此処』に顔を出すと云ふことなのである。神は完全であるから完全が顕れる時最早や問題と云ふべきものは無いのである。そして「生命」が「実在」であり、「神」であり、それがそのまま自分なのであるから自分が解決そのものなのである。太陽が出る前に昼と云ふものがあるのではない。太陽の出で行つた処を称して昼と云ふのである。問題の解決と云ふものは自分を離れた処の何処かに形として存在するのではない。自分の行つた処を称しで解決と言ふのである。

(つづく)

260トキ:2011/08/14(日) 20:52:43 ID:I65ARoG.
>>256

復興G 様

 なんと、榎本先生のレアな本が続々と出現しましたね。これは、ぜひ、「榎本恵吾全集」を発行
する必要があると思います。これからも、知られざる榎本先生のワールドを教えて下さい。

合掌 ありがとうございます

261復興G:2011/08/14(日) 21:03:36 ID:Ir7svY6w

 榎本先生「公案」のつづきです。

   * * * * * * *

 人間はすべてこの『生命』の実相(ほんたうのすがた)に還へらなければならない。此処にのみ、人生くると云ひ得る世界があるのである。

 『此処』とは『久遠の今』のことであり、『実相』であり、『神』である。それは因縁度脱、絶対の生命の消息であり、宇宙万物発生の枢機を握るところの実在そのものである。この実在が『今』であり、尊師の諭されるやうに、常に『吾れ』と『今』と『此処』とがピタリと一つに鳴つてゐるのが『生命』としての吾れなのである。これが『久遠の今』なのであり、『今』は万物発生の枢機を握る中心なのであるから、『今』の中にはあらゆる問題とその解答が成仏裡に巻き収められてゐるのである。この『今』が“自分”なのである。

(中略)

 人が生きるとは絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きると云ふことであり、実相独在を持ち続けることが生命の純粋持続と云ふことである。この他には光明と云ふものは無く、運動と云ふものは無く、創造と云ふものは無い。蓋し、実相以外は「無」であるからである。この生命の生きる消息を述べられた尊師の御コトバを次に挙げさせて戴いてこの稿を終りたいと思ふ。
       ○
 天之常立神、国之常立神といふ名前によつて現されてゐるトコタチ(常立)即ち常住金剛不壊と云ふのはベルグソンの『純粋持続の我』のやうに、それ自身持続しつつ、更に新たなる内容を展開して永遠に滅びない、自主自立自存の世界であつて因縁に依存する薄弱な世界ではないと云ふ意味であります。(『生命の實相』信の巻(神道篇)511頁)

262「訊け」管理人:2011/08/14(日) 23:25:25 ID:UodBcqiE
合掌 ありがとうございます。

>232ぼるぼさま

>まさに生政連の理念が探られていると思う。

 ありがとうございます。そして、わたしもそう思います。私は当然、生政
連を知りませんけれども、ブログ記事アップした各御文章ですが本当に素晴
らしい理念たりえると思います。
 他の箇所で榎本先生が「いつのまにか弟子たちが(雅春先生の御教えを)
曲げていってしまった」という趣旨のご発言もされておられるのですが・・
・そういうこと、やはり「あった」んでしょうね。そしてそれ(み教え曲解)
は悪意からではなく、止むに止まれぬ熱情からのものではあったはずですし、
情状酌量の余地はあるのでしょう。あの吉田國太郎先生すらが、「躓きを躓
きと悟れず、寧ろ尊い一歩全身であるように考え違いしていた」ことに「気
が着いたのである。」と書かれています。さらには「ことさら深く落ちる危
険が此処にあった。神への誠実という美はしい心を抱いて私は地獄へ顛落し
ようとしていたのであった。」とも。

 吉田國太郎先生すらがもともすると、「やはり悪はあるのでは?」と考え
られたわけです。少なくとも、こう考えがちになった時期があったわけです
から、まあ、愛国運動途上で躓いた人たちも沢山居たことでしょうね。そし
てそれを責めることは、できぬでしょうね。

>それと、本流の掲示板の番人さんは、開口一番で、自分は番人であることを宣言したかったんじゃなかろうか。

爆笑

 しかし、人のことは笑えません(笑)わたしも誤字、復興Gさまからご指摘を
受けるまで、気づきませんでした(笑)


>志恩さま

 お久しぶりでございます。『弟子像』ご入手とかで(笑)
 しかし本当に同書、素晴らしいですよね。今後もいろいろご教授お願いし
ます。本に登場される各賢者の方々と生で交流があったと云う貴殿のお話で
すが、実に興味深く拝読させて頂いております。ああ、なにか昔の生長の家
・・・いいなあ。羨ましいです。(無愛想な女性含むw)

追伸

 なお山口先生ですが・・・「数は力なり」に代表される先生らしいですけ
ど、同時に榎本先生は「それでも魅力的な方だった」と付記されておられま
したね。まあ同時に「この先生の素晴らしさを、正確に書けない」旨も記述
されておられましたが・・・貴殿エピソード(「山口先生のお礼状と住所不
明」のお話)を拝読致しましても、魅力と「数は力」の両面が伺える内容で
すね。

追伸の追伸

 ご愛念のおかげでセガレ・・・急速に回復しました(笑)やはり自壊作用
でございますね。ありがたい話です。

>トキさま

 貴殿から褒めて頂きますと、うれしいです。私は「褒められると伸びる子」
なんで。(「鼻」がw)


>復興Gさま

>いや、これはアクセス数の問題ではありません。
>現に、ぼるぼ様のような優秀な方がご覧になって、

 ああ、そうですね(笑)あんな記事をアップしながらも「数は力」になっ
ちゃっておりました(笑)反省です。しかし志恩さまもご言及されておられ
ましたが、「仏の数」(=拝み得た数、と解釈)が重要なんだと思います。
 否、同時に「拝まなくとも皆様が光り」なのが実相なのでしょう。ここは
榎本先生に学んで行きたいところです。

追伸

榎本先生『試論「波状光明化への道」─内なる神に捧ぐるレポート─』!!!!!!

 いいいい、今からプリントアウトしまして精読します!感激感謝雨あられ!!!!

263志恩:2011/08/15(月) 05:09:00 ID:psrFh/ZU

復興G様は、榎本恵吾先生の【試論「波状光明化への道」ー内なる神に捧ぐるレポートー】このようなレアな本もお持ちになっておられるなんて、すばらしいですね。
紹介して下さって、うれしいです。
このようなレアな本まで手にいれられてきた、あなたさまは、いったいどういうお方なのでしょう。それにしても、今の時代にぴったりな内容だなあと思いました。
早速、プリントアウトして、精読しております。360頁もあるのですか、「公安」と題して書かれた内容も、奥深いですよね。

トキ様がおっしゃるように、いつか 「榎本恵吾全集」が自費出版でなく生長の家から出版されると、多くの皆様が手に入れ易くなりますので、いつか、いつか、になるのでしょうけれど、それを期待したいです。

大先輩のぼるぼ様も、生政連の理念が探られていると思うということで、ブログ「訊け」様のところを、参考にされておられるそうで、すごいことです。訊けさんのところは、ポイントを大きい活字にしたりあったり、
短文にしてエッセンスを、わかりやすく紹介してくださってますので、ありがたいです。お子さん、元気になったそうで、よかったですね。

264トキ:2011/08/15(月) 10:58:35 ID:VOAtNldA
 昨日、榎本先生のご本を拝読していたら、榎本先生がある時期、ご自分が普通の社会人の道を外れて
日陰の道を歩いた、という意識を持っておられたみたいで、驚きました。お父様が榎本先生が
生長の家の職員になったのも反対みたいでしたし、いろいろと葛藤があったみたですね。それを
乗り越えて、あの榎本先生がおられると感じました。

265「訊け」管理人:2011/08/15(月) 16:00:13 ID:UodBcqiE

>皆々さま誠魂位ィー

●更新7度目の「調和ある愛国運動とは」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65577885.html

 もう圧巻です、圧巻・・・本当に生長の家の先生方って「何者?」なので
ありましょうか!?

追伸

 ああ青春時代に生長の家・・・触れたかったです。まあ当時、血気盛んな
頃の私が生長の家に触れておりましたら「反榎本派」としてガンガンやった
かも(笑)まあでもそれって・・・「結局は唯物論」なんですよね・・・。

 わたしもあれでした、「銀行の審査基準、硬化!!」なんて情報を人間知
で解釈し、そして「そいつは大変!!」(=「悪本来あり」)てな立ち位置
から行動してましたもの・・・つい最近まで(笑)
 ですんで各先生方の御言葉ですが、ものすごく良く解かるつもりです。


 ああ、それにしても生長の家・・・すごいなあ。

266「訊け」管理人:2011/08/15(月) 16:05:59 ID:UodBcqiE

<補足>

「売り上げ減少!!さあ大変!!」という視点から行動するのか?
それとも、
「ああ自壊作用だ!ありがたい!」という視点から行動するのか?

 ホント、人間知から見れば「紙一枚の差」にしか感じませんけど、これ、
「現象面で現れてくる効果」を基準にすれば雲泥の差を生みましょう。

 ああホント、同記事ですが是非、皆さんご高覧あれであります。テーマは
運動ですけどさすがは高弟と呼ばれる先生方でありまして、この、運動をテ
ーマにしながらも「深遠な真理」を語ってくださっておられますんで・・・

「愛国運動の記事読んでいたのに、病気が治ったよ」てな人が現れることも
予想されます。

267ぼるぼ:2011/08/15(月) 16:34:52 ID:TKiCEp6o
生政連の結成は、昭和40年という。

終戦から20年経った時点での決起であった。

「この運動は、今日の多くの政治結社のそれとは全く次元を異にするものである。端的にいえば、生政連は個人的及び集団的利益の追求を目的にしないといふことである。その掲げるところの全綱領は、それによって国民の一部のみが利益を得るといふがごとき低次元の利益的要求を微塵も含んでいないといふことだ。「集団的利己心に訴えることなくして選挙が闘えるであろうか。理想はその通りであるべきだが、現実はさうはいくまい。」と人は言う。しかし、まさにその考えが我が国の政治をとめどなく堕落させてきた元凶ではないのか。諸君は今の日本人をそれほど利己的な腑抜けだと思っているのか。ならば、さうでない証拠を眼前に見せてやる。云々」
(生政連会長、田中忠雄、昭和48年5月13日深夜、謹んで記す)

当時の田中会長の、純な思いが書かれている。政治感覚としては、やや前のめりといわざるを得ないけれども。

国家を担う総理大臣が、今の菅みたいな軽薄無能では話にならないが、国家の責任者であるという腰の座った、不動心を持つ必要があるのである。
生政連を担う者は、高天原から天下った神の自覚をもつものでなければならぬ。

形である議席数や、権力ポスト場2の次であり、まず心が先である。形はあとから付いてくる。

268460:2011/08/15(月) 17:24:41 ID:GygGdHKM
きついことを申し上げる時には女言葉を使うのがよろしゅうございますので、少々変でも堪忍してくださいましね。

>>255
志恩さま

結局、不特定多数が見るネット上で笑いものにしているように読めますのに・・・。
わざわざ名前をださなくったってよろしいのじゃございませんの?
相手の承諾をとって、個人情報を書いていらっしゃるわけじゃないのでございましょう?
ワタクシなんですか卑怯に感じますわ。
それに本部職員を公人とするのでしたら、志恩さまも公人ということになって、お名前をお出しになったほうがフェアになりましてよ。
以前、

>清超先生は、骨董品の小さめの本箱と、あとなにかもう一つ買われていました。あとで自宅まで届けてもらったようです。
>私は、本部講師でもなく、幹部候補生でもなく、単なる平の職員でしたが、
>清超先生も雅春先生も上も下もなく区別なく、このように優しくして下さっていました。

と書いていらっしゃいましたもの。
志恩さま。
殿方らしく正々堂々とお名前をお出しあそばせ。

269460:2011/08/15(月) 17:37:41 ID:GygGdHKM
生長の家本部で働いていた同僚である異性から「あいそがわるい」人として名指しで書き込まれてしまう。
そういうちょっと不穏な文章から、その方に何か特別な事情がおありなのでしょう、とワタクシそう判断しますの。
まして、女性なのに志恩さまに眼光鋭いと形容されていらっしゃる。

ワタクシ、その方の無意識というものが目に現れていたんだと思いますの。
きっと、ご本人は(生長の家を学んでいても)どうしようもない何か辛いこと、悲しいことを抱えていらしたんじゃないかしら…。

その方に対して、志恩さまの書き方では、内心、上から優位をもって眺めているように読めますわ。
邪推すれば、(許してくださいましね)志恩さまは、思ってもみなかったことに
その方にはねつけられてお腹立ちになったことがおありなのかしら・・・
それでこういう形であえて名前を暴露して憂さ晴らしをしているのかしら、とも読めますわ。

そして、自分の弁明のために、さらに、相手の情報を持ち出しなさる・・・。
住み込みだということで、これは相当な事情のある方だとわかりましたわ。
人に言うに言えないような苦労もなさったのじゃないかしら。

ですけれども、これ以上は、志恩さまの描写について申し上げませんわ。
なぜって、書き手特有の個性が現われているだけですもの。

>こんご、きおつけます。
いくつになっても、文章にその人の個性があらわれるのは仕方のないことでございます…。

 と せんない話を縷々かきつらねてしまいましたわ。
 ワタクシ恐縮しております。

270トキ:2011/08/15(月) 17:40:03 ID:VOAtNldA
>>268

460 様

 ご投稿、ありがとうございました。お気持ちは分かります。ただ、受けた印象としては、対象と
されたFさんという女性に侮辱的な内容は含まれていないとは思います。まあ、これは主観に属する
ものですが、この程度の記事は昔の神誌でも今の普及誌でも普通に掲載はされているし、投稿者も
釈明をされたので、できれば寛大なご対応をお願い申し上げます。

 あと、この掲示板では、身元を詮索するのは野暮というのが建前になっています。ですから、本名
の公表は求めない、という主義であります。この点はご理解下さい。

合掌 ありがとうございます

271復興G:2011/08/15(月) 20:58:12 ID:Ir7svY6w

トキ様

恐れ入りますが、私の<252>の書き込み、最後の段落のところはちょっと差し障りがあると思われますので、削除願えませんでしょうか。よろしくお願い申し上げます。

272トキ:2011/08/15(月) 21:03:40 ID:VOAtNldA
>>271

了解しました。システムの性格上、全部の削除になりましたが、お許し下さい。

管理人敬白

273志恩:2011/08/16(火) 06:41:47 ID:psrFh/ZU
Fさんのこと(昭和の佳き時代のこと)

 昭和の時代には、今よりも多く、たとえ職場ででも、ほんとうの家族のように 上下の関係なく、例え本部講師でも普通の社員にでも、実の家族のように、悪いことは悪いと厳しく叱ってくださるすてきな人がいたものです。

本部食堂内部には、ガスコンロが何台もあり、水場もあり、本部職員は、お茶の時間や昼食時間などに、やかんでお湯を沸かす、洗いものをするために、そこへ入れ替わり立ち替わり出入りしていました。
それで、ちょっとでも、だらしないことしたりすると、大声で注意されました。
愛は、ただやさしくするだけが愛では、ありませんよね。おばちゃんの叱責には、心の底の所に、愛が満ちておられたので、叱られても、おばちゃんのことが、皆だいすきだったのです。

1部だけお話したので、誤解を招いたかもしれませんが、悪くいうつもりなら、実名は出しません。
Fさんと私の間柄は、『おばちゃ〜〜ん」「00ちゃん』と呼び合う仲だった。私は、もともとおばあちゃん子だったこともあり、
おばちゃんによく話しかけていたせいもあり、おばちゃんは、私のことは気に入って下さってて、おばちゃんと私は、ほんとうのおばあちゃん(65才くらい)と孫のような、間柄で、なにも。わだかまりなど、ありません。

Fさんは、本来ならFさんと、お名前で、みなさんがお呼びすればいいのですけれど、親しみをこめて「おばちゃん!おばちゃん!」と、皆さん、呼んでいました。私達の、お母さんみたいな方だったからです。眼光がするどいというのも、個性です。
ぼんやりした眼光とは、真逆のしっかりした目の光。鋭いは、褒め言葉です。

Fさんは、毎朝4時起きされて、早朝神想観に参加される方々のために「いもがゆ」を、大きな大きな鉄の鍋でつくっておられました。お金は、とられません。「小さい空き箱」が置いてあり、お気持ちということで、奉納金みたいに100円玉を
入れて行く方が多いと、そのころおばちゃんから聞いていました。そのお金を貯めて、芋やお米を買う一部にされてました。

昼食と夕食は、主に本部講師さんの希望者、10人〜15人くらいに、作っておられました。お一人で作っておられましたので、数に限度があったのです。ブリキのお盆に載せてあり、朝、注文するのですが、昼、各自、ご自分の部屋へ運んで召し上がっておられました。

Fさんは、ご主人がおられて、(雅春先生は、お二人とも本部職員にされておられた)お二人で、これも営利が目的ではなく、これも1つの光明化運動の一環として、奉職されていたのですが、あるとき、病弱だったご主人が亡くなられました。

(Fさんのご主人は、食事は作らず、運ぶ方をされておられました。)
                                                      〜続く〜

274志恩:2011/08/16(火) 07:06:27 ID:psrFh/ZU

当時、老齢の女性の全国講師、お二人が、本部前のアパートに住んでおられました。当時は、今のように食べ物屋さんとかコンビニとか、無い時代でしたから、お二人は、夕食も、よく本部食堂にお願いしていました。
で、ある日、運ぶ仕事を主にされておられたFさんのご主人が、突然亡くなられたので、おばちゃんは、困っておられましてね。

本部前のアパートへ、夕食を1つか、2つ、運ぶことなど、10分くらいしか、かかりません。就業時間すぎてる時間帯です。少し残って、するだけのことです。私は、おばちゃんをたすけたいと思いました。運ぶことを申し出ました。もちろん無料奉仕ですが、
それから、老齢の全国講師の方が、退職するまでの2年間くらいでしたが、
休日の木曜日を除く毎夕、私は夕食を運び続けていたのです。ちょっとした愛行のつもりでした。

そういうこともあり、おばちゃんは、私のことを気に入ってくれていて、お互い、気をゆるした仲でしたから、私は、「おばちゃんって、ほんとに口がわるいんだから」と、他の人を叱責したおばちゃんに、あとで、小声で言いたいこと言える仲だったのです。

その後、いつだったか、日にちは、忘れましたが、おばちゃんは、数日間元気がない日があったそうですが、自分の部屋に入り、心配して、もう一人付き添って行った人の話だと。
おばちゃんは、ベッドに横たわり、合掌して「あぁ天国、天国。。。」とつぶやいきながら、永遠の眠りに入ったそうです。

おばちゃんは、おばちゃんなりの素晴らしい光明化運動に生涯挺身されて、幽界の世界へ旅立たれた妙高人さんで、おられました。

275志恩:2011/08/16(火) 07:17:51 ID:psrFh/ZU
460様は、

おれは、生長の家には、はいってない。とどこかに書いておられ、生長の家の真理の一部は、ききかじっておられるようですが、

他の方々の文章に対しても、いちいち、けちをつけたり いやみたっぷりな文章を書いておられますが、あなたこそどこの宗教のかたですか。

私は、あなたが、大きらいです!!

276復興G:2011/08/16(火) 08:33:45 ID:Ir7svY6w
>>272 :トキ様

<252>の書き込みを削除していただき、ありがとうございました。

後半部分に差し障りがあると思いましたので削除していただきましたが、前半の部分は復活させていただきます。

>248 :志恩様
>昔、本部でも、どこかで すれちがったりして、お会いしてるのかもしれませんね。

でしょうね。
またお会いする機会もあることでしょう。その時を楽しみにしています。

当時、山口悌治先生を尊敬し信奉する人は多かったけれども、その山口先生の許にいながら、山口先生が打ち立てられた“新態勢”(即ち数による信仰のあるなしの計量)の組織運動の、「数は力なり」という基礎を徹底批判し、実相独在に徹していた榎本恵吾という人は、また大変な人でありましたね。榎本先生は、

「数は力なり」ということは「数は仏なり」ということである。数も成仏しているのである。成仏の数である。この唯神実相論に立ち還らなければ、「数は力なり」は唯物論である(『弟子像』)とおっしゃっています。「数はどうでもよい」ということではないんですね。

>>273 :志恩様

その通りでしたね。私は貧乏学生だったころ早朝神想観に通って、Fさんに作って頂いた「いもがゆ」をご馳走になっていました。金がないので、感謝箱に奉納金を入れることもせず、頂いていたことが多かったと思います。
ご恩返しをしなければなりませんね。

277トキ:2011/08/16(火) 09:26:04 ID:0MqVFwM2
おはようございます。今日も暑いですが、素敵な1日でありますように。

志恩様、素敵なご投稿ありがとうございました。古き良き生長の家の時代の光景
が目に浮かぶようです。2年間も奉仕をされたのは素晴らしいですね。なかなか
できない事です。感心をしました。

 それと、管理人が行き届きませんで、不愉快な想いをさせて申し訳ありません
でした。
460さんは若い方だと思いますが、当時の生長の家の様子などは当然ご存知がな
く実名の使用の部分に注意を向けられたと考えています。対して、志恩様は当時
の様子をよくご存知で、その違いから誤解が生じたものかと拝察します。また、
460さんは「今どき」の表現をされていて、そのあたりも齟齬の原因だと思いま
す。
 志恩様のご投稿は、資料的にも貴重で、勉強になる内容なので、とても感謝し
ております。今回の事にかかわらず、今後ともご投稿をお願いいたします。

 管理人としては、志恩様、460様のお二人に、当方の不注意から不愉快な想い
をさせてしまった点に深くお詫びします。今後とも、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

278トキ:2011/08/16(火) 09:35:02 ID:0MqVFwM2
>>460

 ご投稿、ありがとうございます。これからも楽しい投稿を期待しております。

 ただ、志恩様へのご指摘ですが、少し無理があるような気がします。お互いに素性
をしならいで書き込みをしているのですから、それだけに相手の感情への配慮は必要
かと思います。正直で真面目な方だと思いますから、その点だけお願いします。

 せっかく書き込みんで下さったのに、不愉快にさせてしまった点は心からお
詫びします。また、管理人が行き届かなかった点もすみませんでした。

 今は教団の外におられると思いますが、それだけに感じる事もあると思います。
なかなか、情熱的で、今の教団の事を心配されているご様子もよくわかります。

今後とも、ご投稿のほど、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

279初心者:2011/08/16(火) 10:10:27 ID:4IaAZAME
志恩様

>私は、あなたが、大きらいです!!

460様がなぜあのような態度をおとりになるのか。それは、人から嫌われることを
おそれてらっしゃるからですよ。
嫌われることをおそれる人というのは、わざと嫌われるようなことを言ったり、
嫌われるような態度を示したりなさいますね。

人に好かれようとして行動したり、人のためによかれと思って行動したりして、それなのに
人から嫌われたりすれば、大変なショックを受けて、傷ついてしまいますよね。

傷つきたくなければ、はじめから嫌わるようなことを言い、嫌われるような態度を
貫けばよいわけですね。こうしておけば、たとえ人に嫌われたとしても、そうした反応は、
自分がわざと呼び込んだ反応であって、ほんらいの自分が嫌われたわけではないと、
いくらでも言い訳ができるのですから、傷つかずにすみますよね。

460様は、志恩様から、たとえ「大きらい」といわれても、古傷はいくらか痛んでおられるで
しょうけども、反省することもなく、これからも、人から嫌われるようなことばかりを
言い続け、嫌われるような態度だけをおとりになるでありましょう。

あの姿は、460様のほんらいの姿ではありませんね。ほんらいの姿が拒絶されることは、
460様にとって耐えがたい苦痛となるのでありますね。

280「訊け」管理人:2011/08/16(火) 14:02:52 ID:UodBcqiE
●8回目の更新 「調和ある愛国運動とは」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65577885.html#more

 ぼるぼさまと復興Gさま御投稿文章ですが・・・無断使用致しました(笑)
いやなにか、あの記事を「しめる」にあたって、これらのご文章が良い感じ
でございましたもので・・・是非お許しを。
 雅春先生の愛国運動ですがやはり、あのあたりが本音としてあったものと
畏れながら推察申し上げる次第です。

281HONNE:2011/08/16(火) 22:51:12 ID:jtmmmlXY
愛国運動って、何なのでしょう?
日本(実相の日本?、はたまた建国の理想?、うまく表現できません)について語ることではないかと思うのです。
日本を語ることは、生長の家を語ることと同じではないかと思うのです。
日本を語らないということは、生長の家を語らないということですから、行き着く先は、自ずと分かるはずです。
最近、出雲井晶著【「日本の神話」に生かされて】(日本教文社 平成11年初版 発行者は中島省治)を偶然手に入れました。当然のように、その中に生長の家の教えはありました。日本に生まれたことに感謝しております。(日本に生かされていると言った方が良いのかもしれません。)

282「訊け」管理人:2011/08/17(水) 09:34:00 ID:D0Kb5yw.

>HONNEさま

 初めまして。

 さて貴殿御主張を拝読致しましたが、まったくその通りだと思います。愛
国運動とは實相日本を語ることでありましょう。吉田國太郎先生や榎本恵吾
先生ならば、「實相日本を礼拝すること」「それ以外、存在しないことを知
ること」だと念を押されるのではないでありましょうか。

>日本を語らないということは、生長の家を語らないということですから、行き着く先は、>自ずと分かるはずです。

 現教団が「日本を語らなく」なっております。私は組織を知りませんが、皆
様のお話しから察するに「そう言える」のでありましょう。しかし愛国運動派
は日本を語っているのでしょうか・・・
 少なくとも私には、愛国運動派も日本を知らずにいるように感じます。特に
愛国派で「総裁追放を叫ぶ」グループには、御教えの形跡を感じることが出来
ずにいます。「神以外に、神に相対する困却を認めて」いるからの主張にしか
映りませんし、そして「神に対立するものは何もない。神のみが唯一の実在で
あると云う絶対の世界」を「知らないかのような主張」に映るからであります。
そしてその姿は「日本人ではないのである」と申しあげるしかない姿であるから
であります。

 ですのでこのまま行きますと、その行き着く先は、

現教団が栄えて、「日本」を語らなくなるかたち

か、もしくは、

自称「愛国者」が御教えを曲解し、「日本」を語らなくなるかたち

 のいづれかに堕するのではないでしょうか。そんな心配はしております
(あえて現象語で申せば、でありますが)

283「訊け」管理人:2011/08/17(水) 09:39:50 ID:D0Kb5yw.

>志恩さま

 個人的にはわたし、460さまへ感謝します。なぜと申して460さまご
登場によりまして、往時・生長の家の素晴らしいお話を再度拝読する機会が
持てましたもの。
 その、神想観参加者へいもがゆをお作りになられておられたおばちゃん・
・・よい話ですよね。思い出した話で恐縮ですが、我が県には延岡学園とい
う、野球の強豪校があります。その、延学の校門付近には(今時珍しい)駄
菓子屋があるんですけど、そこのおばちゃん・・・野球部員に差し入れを、
それこそガンガンしているんです。「そんなに持ってくると、お店つぶれる
よ」と部員から言われているらしいんですけど、このおばちゃん、延学が甲
子園に行ったときは招待されたそうで・・・で、ここがおもしろい話なんで
すけどこのおばちゃん・・・





無愛想なんだそうです(笑)

284トキ:2011/08/17(水) 10:36:28 ID:ohgP6Nfk
>>281

 ご投稿、ありがとうございます。たいへん真摯な内容で、感激しました。
私も、見習いたいと思います。

 政治と宗教の関係は、大切な問題だと思います。生長の家が、仮に政治と関係する場合、
これから、どういう形で向き合うか、も重要ですね。こういう点についても、皆様のご投稿
をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

285商人:2011/08/17(水) 12:08:24 ID:TCt66b8E
>志恩さま
初めまして、商人と申します。
 私も460さんはヒドイ方だなと思いながら読ませていただいておりました。
人を小ばかにした感じで、この人かわいそうだなと逆に同情しておりました。

しかし、私の見かたは間違っておりました、私の先生(「訊け」管理人様)の志恩さま
さまへのメッセージであっ そうだと気がつきました。
私も志恩さまが書いておられた、往時の生長の家の素晴らしいお話しを読むことができました。
お話が映像となって光景が目に浮かび感動しました。ありがとうございました。
私も先生(「訊け」管理人)のお話しをいつも楽しみにしている者の一人です。

286「訊け」管理人:2011/08/17(水) 12:35:12 ID:D0Kb5yw.

>商人さま

 お久しぶりですね、お元気ですか。(商売繁盛笹持ってこい!)

 ところで、ああ、ところで・・・一点だけ注意事項を確認致しましょう。
その、貴殿が申される「先生」ですが、それはお止めくださいませ。
 もう、あんまりしつこく続きますとこれ、トキさんへ「ご英断を」求める
ことになりましょう。(「 天 地 一 切 を 検 閲 せ よ」な方針w)

 ところで志恩さまのお話ですけど、本当に良い話ですよね。もうBGMはこれで決まりですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=vLNbvj9YfE4&amp;feature=related
 昔はあんなおばちゃん、たくさんいましたよねえ・・・

287商人:2011/08/17(水) 13:14:34 ID:TCt66b8E
>「訊け」管理人さま
ご無沙汰しておりました。笑
でも、いつもブログ見てましたよ 私の教科書です。笑

ごめんなさい 只今より、先生はご無礼させていただきます。
 親しみと尊敬をこめて、「訊け」管理人さんと呼ばせてください。
私の心の中だけで先生とさせてくださいね。
このところずっと藤原先生と人生の秘訣と生命の實相第8巻を集中し拝読させていただいておりました。

なかなか観の転換がなされず苦しんでおりました。笑

でも必ず現象はうつり変わるものだと言うことは少し私の魂も前進できたかも 笑


「訊け」管理人 さん 
昔のお話っていいですよね!!
BGMばっちりですね!

288ぼるぼ:2011/08/17(水) 16:26:00 ID:YA4uz9yQ
古本のカバーに書かれたキャッチコピーだって、十分感動的である。

昭和42年に初版が発行された「美しき生活」著者谷口雅春、発行人辻村彦次郎、の表紙より引用します。

政界も官界も財界も、物欲、肉欲、名誉欲の混濁の汚職の霧に覆われて、現代日本にはもはや「美しき生活」への道はないのか?純潔も、献身も、親孝行も、忠君愛国も、すべて過去のものと葬り去られて、もはや何の意味も価値もなくなったのだろうか・・・?
あるいはまた、あったとしても、そのような「美的価値」は、現実的・社会的な力、繁栄とは相容れない、夢のようなものに過ぎないのだろうか?
否。著者は、深い哲学的叡智と、生長の家総裁として三十数年にわたる偉大な教化運動の足跡、無数の体験から、どんな時代にも変わることのない真の価値ある生活への道、美しき生活への道をここに確固と指し示す。この道は、汚職と策謀によって築かれた、いつ崩れ去るとも知れぬ一時的の不安定な栄達ではなく、何者も破壊し得ぬ真の天国的繁栄を築き上げる道でもある!!

という効能書きである。それが本当なら絶対読んでみたいと思うであろう。そう思えた人は機が熟しているのである。しかし、諸仏の説法を、本当に感動して理解し、納得し、体得することができるのは稀である。
ぼくも、30年以上も前に読んだ本を今頃読み返してみて新鮮な感動と新しい納得を得ている次第である。

このような温故知新の心境は、最近のネット記事から新鮮な刺激を受けたためである。
いろんな掲示板やブログに感謝する次第である。特に、訊け管理人さんが、谷口雅春と呼び捨てにしていながら、無茶傾倒した記事を書いているのには新鮮な驚きを持ったものである。
世代交代すると、こうなるんだなあという感慨も覚えたのである。

289「訊け」管理人:2011/08/17(水) 17:08:02 ID:MPQg3/HY
>ぼるぼさま

 私、結婚する時、お義理父さんへこう誓ったんです。それは、

 私の人生に於いて

「自殺」「男色」そして「宗教に狂う」こと、

これは断じてありません。
ですのでご安心を。

 というものでした。いやーしかし天国のお義理父さん、最後の約束は果たせそう
にありません。なぜと申してあの当時、私はこの千古の英哲「谷口雅春先生」
を存じ上げなかったのです・・・

 ・・・いや、しかし、本当に、このわたしが「宗教家に狂う時期が来る」
なんて、想像も出来ませんでしたね。なにせ私はそれまで、大前研一(笑)
とかを信仰の対象にしておりましたから(笑)
 知り合いの小説家はそんな(無神論者)のわたしが読んでいる本――『生
命の實相』に余計、興味を持ったみたいです。わたしが「宗教!宗教!」な
人間であったなら彼も、この『生命の實相』に興味を持つことはなかったか
もしれません(その後彼は、大ヒットを飛ばしまして今度映画化も決定とい
う・・・)

 谷口雅春先生・・・実に畏るべし、であります。

290「訊け」管理人:2011/08/17(水) 17:18:31 ID:MPQg3/HY
(O)お義父さん
(×)お義理父さん

 すみません、お義父さま(笑)

 ・・・あっ、あと(ジミーに)ブログも更新中です。

9回目の更新
「調和ある愛国運動とは」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65577885.html#more

 30名くらいの方々が継続してお読みくださっておられます。おお、この
30名こそが、真の愛国者(生長の家の人)ではないのか!?(笑)

 追伸

 長々となりすぎまして、ホント皆さんスミマセン・・・

291一観覧者A:2011/08/17(水) 17:49:23 ID:1ElzmLO.
「訊け」管理人様

…お約束に「男色」は入っていて、「浮気」は入ってはいないのですね、(笑)
「訊け」管理人様の、出来ない約束はしない、という、誠実さな現れ、と思っておきます。

ブログのおかげで、きっと「真」の愛国者が増えますね。
「訊け」管理人様の功績は大きいと思います。

292志恩:2011/08/18(木) 02:23:51 ID:psrFh/ZU
トキ様、復興G様、訊け様、初心者様、商人様

皆々様、メッセージを ありがとうございます。

トキ様の采配に、いつもながら感謝です。

初心者様には、このたび光明思想的な深層心理を教えていただきました。

復興G様は、Fさんの「いもがゆ」を学生時代に召し上がったことがある、とお聞きして、またびっくりしています。もしかして、そのころ、復興G様と私は、本部の食堂で一緒に並んで食べたことが、あるのかもしれません。(笑)
「いもがゆ」は、神社へ初詣に行ったときに振る舞われる「甘酒」や「お神酒」と同じ類いのもので、本部(雅春先生)のご愛念でしたから、代金は本当は要らなかったのですけれどね。一応、感謝箱は置いてあったようです。

訊け様のブログ、「調和ある愛国運動とは?」、9回目の更新も拝見しました。日々、拝見していますが、すごくよくできてますね。いつもフレッシュな気持ちにさせていただいてます。ありがとう!写真も、ぴったりのをよく見つけられますね。
ぼるぼ様も、ブログのこと、あんなによろこんでくださって、私までうれしくなりました。相変わらず多くのフアンがいるのですね。

訊け君のところの野球の強豪校「延岡高校」の付近にある駄菓子屋のおばちゃんのエピソードも、いい話ですね。無愛想ってとこも、おあいこです。笑っちゃいました。
訊け君が、かけてくれた「ALWAYS三丁目の夕日」のBGMを、この駄菓子屋のおばちゃんにも 分けてあげたいなと思いました。

商人様まで、コメントを、ありがとうございました。訊け様のこと尊敬されておられるのですね。すぐそばに、そういうお方がおられて、お幸せですね。

皆様に、いろいろと教えていただいて、私も反省しております。
460様、「大きらい」という言葉は、取り消します。すみませんでした。ごめんなさい。今度、また書いて下さいね。

Fおばちゃんを皆様に紹介させていただけたので、天国のおばちゃんは、よろこんでおられるかなぁと、昔のアルバムを開いて見ていますが、本部前で、おばちゃんと私と写ってる写真が1枚ありました。
写真の中のおばちゃんの顔は、”満面の微笑”です。

このように詳しく話すことができたのは、皆様がいわれるように、460様のきつい追求のお陰かもしれませんね。合掌です。

293トキ:2011/08/18(木) 09:44:06 ID:qv4GuzI.
 村上正邦氏の回顧録「我、國に裏切られようとも」(講談社)から、玉置和雄氏、村上氏が
生長の家に入信する経過を紹介します。「票めあて」で生長の家に接近した二人が生長の家から
出馬するところから紹介します。P77からです。

(以下、「私」とあるのは、村上氏のことです)

 (落選)
 いよいよ選挙がはじまった。昭和三十七年(一九六二年)夏のことです。自民党の公認証を
受けるその日に、玉置は谷口先生について地方へ行っていたから、私が代わりに党本部に行っ
た。公認証と同時に公認料をもらわなくてはいけない。
 まずは公認証。「玉置和郎君!」と呼ばれて、池田勇人総裁(当時の首相)から公認証を手渡
された。そのとき総裁から「向こうへ、判子を持って行け」と言われたので、そっちに行くと
経理係の職員がいた。
 いよいよ公認料がもらえると思ったら、その職員が大声で、
「玉置さんはもう先に渡してますから出ませんよ」
 って (笑)。そうしたら誰かが総裁に、
「総理、玉置さんには前渡ししてたそうです」
「あ、そうか」
 私だけだよ、そんなこと言われたのは。玉置はちやつかり先にもらっていたんだ(笑)。
 そんな出だしで選挙戦に入ったけど、地方へ行ってみると「玉置は贋物だから、応援なんか
しないよ」と生長の家の詰友(信徒のこと)たちから言われる。「谷口先生には申し訳ないが、
われわれは贋物を推すわけにいかない」と厳しい批判をあっちこっちで受けた。票をとるため
に生長の家に入ってきたと見抜かれていたんです。
「偽物だ。だいたいお前がそうだろう。お前、合掌ひとつしないじゃないか。」
 と、私もずいぶん怒られてね。生長の家に入ると、みんな『甘露の法雨』という教典を持っ
ているんだが、
「『甘露の法雨』はどうした! 毎朝、神想観を行じているか」
 と言われたご」れは、そんなに票は入らんだろうなあと私は思った。玉置はもう当選間違い
ないと言っていたけど、結局、悪い予感が的中して、やっぱり栗は入らなかった。
 生長の家の組織票は、当時七十万、八十万と言われていた。それに自民党の青年部の票が入
れば、もう悠々当選だったけど、玉置は約三十万二千果しか取れずに落選したんです。
(p77~78)

294トキ:2011/08/18(木) 09:50:32 ID:qv4GuzI.
(つづく)


それから玉置はこうも言った。
「俺も分かったよ。やはり贋物は駄目だ。これからは本当の谷口先生の弟子になって生長の家
の真髄を極めていく。とにかく三年間、泥水をすすってでも生長の家の人間になりきって修行
をする。一からやり直すんだ」
 玉置ってたいしたもんだよね。結局、それまでの二年間、自分は票ほしさに生長の家に入っ
ていたが、それは間違いだったと悟ったわけだ。彼は素直にその心境を生長の家の理事会で敗
戦の弁として語るわけよ。
「私は票だけを求めてきました。それは間違いでした」
 とね。その言葉を聞いて、理事の皆さんの気持ちが玉置と一体になったんです。
「三年後に頑張ろう。金のことは教団が面倒みる。心配するな!」
 と、理事会が言ってくれた。それから玉置は誠心誠意、谷口先生のカバンを持って全国を随
行させていただき、徹底した教えを受けた。あの太った体で正座して、
「ありがとうございます。ありがとうございます」
と、明けても暮れても人口草し、谷口先生の著書『生命の葦相」全四十巷を読破した。そして
 私にこう言い出した。
  「村上さんな・・・⊥
  玉置は私のことをいつも「ムーさん」とか「村上さん」と言うんだ。「村上」とか、「村上
 君」とか決して言わない。
 「村上さんな、あんたは俺の心の影だ。女房以上の存在なんだ。だから、俺と一緒になって生
 長の家に入ってくれ。そうでなきや、俺は本物になれない。あんた一人、生長の家に入れきら
 んようじや駄目なんだ」
  そこまで言われちゃ断れない。私も飛田給(東京都調布市)の道場へ行って十日間の練成を
 受けることになった。昭和三十七年夏の暑い盛りのことです。

(p81~82)


 以上が村上さんの回顧でした。その後、練成会で村上さんは、いままでの事を反省し、信徒として
再出発されるようになった次第です。

合掌 ありがとうございます

295トキ:2011/08/18(木) 09:54:56 ID:qv4GuzI.
>>294

×人口草
○合掌

 お詫びして、訂正させていただきます。

296ぼるぼ:2011/08/18(木) 18:53:02 ID:YA4uz9yQ
>訊け管理人殿

>千古の英哲「谷口雅春先生」
>谷口雅春先生・・・実に畏るべし

とおっしゃますが、ぼくは雅春先生を「大聖師」などと言って人間離れした存在として祭り上げることには反対です。
「尊師」というのだって抵抗がある。「麻原尊師」という有名な犯罪者がいたの所為かもしれけどね。

かと言って、ぼくが人生で最も尊敬する人は?と聞かれたら、躊躇なく谷口雅春先生です、と答える。そのほかに、未だ総合的に尊敬する人物を知らない。

それでは、いつから谷口雅春先生を尊敬するようになったのかというと、今から35年前の、母が一緒に行こうというので、ふと参加した飛田給の正月錬成が、運命の転換期でありました。僕はそのまま、飛田給に住み着くことになった。

貴君のブログで脚光を浴びている榎本講師は当時は本部勤務だったのか、全く存じ上げない存在でした。

宮崎県出身の人は結構いて、当時有名だったのは、過去掲示板にうのはなさんが書き込んだ谷口輝子奥様の記事にも登場し、生命の実相にも、立て、歩けといってそれまで寝たきりの病人を立ち上がらせた話で有名な都城出身の渕脇良秋講師も住んでいた。彼は本部の神癒祈願部長だったが、その後零元素アトム事件関連で更迭された。トカゲの尻尾きりだった。

志恩さんじゃないが、昔のことは懐かしく良いことばかり思い出します。掲示板が荒れすぎない限り、気まぐれに書き込むこともあります。全ては神の御心のままに。

297トキ:2011/08/18(木) 19:05:28 ID:qv4GuzI.
>>296

ぼるぼ様

 ご投稿、ありがとうございました。


>>ぼくは雅春先生を「大聖師」などと言って人間離れした存在として祭り上げることには反対です。

 実は、谷口雅春先生のお弟子様の多くが同じ事を言われていました。もちろん、尊敬もし、愛してもいましたが、
祭り上げるのは反対でした。東山半之助先生の「ざっくばらん」という本の中にも、同じ事が書いておりました。
 
 おそらく、教団の運営上の都合で、「大聖師」に祭り上げたような気がします。

 また、昔のご証言は貴重です。これからも、投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

298「訊け」管理人:2011/08/19(金) 04:09:53 ID:snP.vX5s

「愛国運動家よ、要するに『忠』とはなんぞや!?」
「日本に対する『忠』とは!?」
「そして雅春先生への『忠』とは!?」


 ・・・もう要するに、これが答えでしょう。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65580084.html

 実相とは「自ら展開していくもの」です。これを礼拝することが忠義なの
でありましょう。「人間技でこねくりまわす」ことを忠であるかのように申さ
れる方がおりますが、わたしが覚えた違和感の全てを、榎本先生、代弁くださり
ました。

追伸

 レアな資料『試論 波状光明化への道』ですが・・・

 な ん と か ゲ ッ ト し ま し た !

 27歳(?)頃の榎本先生が、ガリ版刷りで主張された内容とのこと。もう
感動しまくってます。「こんな気づきを20代の青年が!?」と、驚かれること
必至です。

299初心者:2011/08/19(金) 07:34:14 ID:4IaAZAME
ブログ管理人様

「波状光明化への道」は榎本先生が書かれたものであったのですか。
その昔、真理の追究に行き詰まり、人間はどうすれば救われるのかと思い悩んでいたときに、
当時の青年会の執行委員長から借りたのが「波状光明化への道」でありました。

なにやらすごいことが書かれていると思い、読むだけではあきたらずに、かなりの部分を
ノートに書き写しました。いずれは返さなくてはならないのですから、当然のことでした。
生長の家関連の書籍を読んで、素直に「スゴイ!」と思えたのは、「波状光明化への道」と
吉田國太郎先生の「上楽への道」の2冊でありましたね。

ただそのノートはどこへいったのか。探してみなくてはなりませんね。

300「訊け」管理人:2011/08/19(金) 07:48:39 ID:D0Kb5yw.

>ぼるぼさま

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=xsHbadqPoZQ

 我が郷土の先輩(渕脇良秋講師)をご紹介くださり、ありがとうございま
す。いやー、そのような方がいらっしゃったとは全く知りませんでした。本
部の神癒祈願部長というお肩書きが、どれほどの偉大さかは判りませんけれ
ども、おそらく・・・雅春先生からの信も厚かった方なのではないでしょう
か。
 これからもこういった昔のお話、よろしかったらお聞かせくださいませ。
よろしくお願い致します。

追伸

 久しぶりに都城道場、行ってみようかな。そしてそこの女性にこの、渕脇
良秋講師のことを訊いてみようかな・・・

301「訊け」管理人:2011/08/19(金) 07:55:36 ID:???


>初心者さま(笑)

 おお、奇蹟の(ほぼ)同時投稿でありましたね。以前わたしは、あそこの
管理人さまと偶然「同時」投稿しまして、そして「こんにちは」と呼びかけ
たんですが・・・(中略)・・・そんなことはさて置きまして、 な ん 
で す と !? あの(失礼)初心者さまが、生長の家をあまりお認めに
ならない初心者さまが(くどいですかw?)、あの書だけは、お認めになら
れておられた!?

 この「試論・波状光明化への道」ですが、メール下さいましたら差し上げ
ますよ。(PDFにて)まあまず、この書をご提供くださった方に了解はも
らうつもりでありますが、よかったらわたしまでメールをくださいませ。よ
ろしくお願いします。

追伸

 しかし初心者さままでも興味をお持ちでいらしたとは・・・ホント、すご
い書ですよね。


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