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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
293
:
トキ
:2011/08/18(木) 09:44:06 ID:qv4GuzI.
村上正邦氏の回顧録「我、國に裏切られようとも」(講談社)から、玉置和雄氏、村上氏が
生長の家に入信する経過を紹介します。「票めあて」で生長の家に接近した二人が生長の家から
出馬するところから紹介します。P77からです。
(以下、「私」とあるのは、村上氏のことです)
(落選)
いよいよ選挙がはじまった。昭和三十七年(一九六二年)夏のことです。自民党の公認証を
受けるその日に、玉置は谷口先生について地方へ行っていたから、私が代わりに党本部に行っ
た。公認証と同時に公認料をもらわなくてはいけない。
まずは公認証。「玉置和郎君!」と呼ばれて、池田勇人総裁(当時の首相)から公認証を手渡
された。そのとき総裁から「向こうへ、判子を持って行け」と言われたので、そっちに行くと
経理係の職員がいた。
いよいよ公認料がもらえると思ったら、その職員が大声で、
「玉置さんはもう先に渡してますから出ませんよ」
って (笑)。そうしたら誰かが総裁に、
「総理、玉置さんには前渡ししてたそうです」
「あ、そうか」
私だけだよ、そんなこと言われたのは。玉置はちやつかり先にもらっていたんだ(笑)。
そんな出だしで選挙戦に入ったけど、地方へ行ってみると「玉置は贋物だから、応援なんか
しないよ」と生長の家の詰友(信徒のこと)たちから言われる。「谷口先生には申し訳ないが、
われわれは贋物を推すわけにいかない」と厳しい批判をあっちこっちで受けた。票をとるため
に生長の家に入ってきたと見抜かれていたんです。
「偽物だ。だいたいお前がそうだろう。お前、合掌ひとつしないじゃないか。」
と、私もずいぶん怒られてね。生長の家に入ると、みんな『甘露の法雨』という教典を持っ
ているんだが、
「『甘露の法雨』はどうした! 毎朝、神想観を行じているか」
と言われたご」れは、そんなに票は入らんだろうなあと私は思った。玉置はもう当選間違い
ないと言っていたけど、結局、悪い予感が的中して、やっぱり栗は入らなかった。
生長の家の組織票は、当時七十万、八十万と言われていた。それに自民党の青年部の票が入
れば、もう悠々当選だったけど、玉置は約三十万二千果しか取れずに落選したんです。
(p77~78)
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