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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

102緑の意思:2011/07/05(火) 12:37:20
なぜ現総裁が環境や森に真理そっちのけ?で執拗にこだわるのか自分なりに考えたら、彼は「このままじゃ説得力がないでしょ」っていうことをいつも言ってるんですよね。
これも断片的情報の浅はかな一推測ですが、早くから家族にも違和感を持っていたような発言があるし、信仰による神との一体感を感じられなかったと思われる総裁には、自然の中に置かれたときの一時の一体感を、自然との共存という主張の根拠にしたい節があるようにも見えますね。
信仰の体験を持たないので、真理は本当には語れない。環境問題からなら知識で共存を語れる。真理はわからないから布教は関係ない、森に暮らせば、自然との一体感を味わえると思っている、みたいな。
本当は神との一体感を感じる人間は、住む場所なんか執拗にこだわらないですよ。
どうしても自分に「説得力」を、持たせる必要があると思っているんじゃないでしょうかね。
森のオフィス構想は彼の人間知の生真面目さが産んだ生長の家の悲劇の一つに思いますよ。

103トキ:2011/07/05(火) 14:47:47
 緑の意思様、トキです。鋭い考察に敬意を表します。説得力のある意見だと思いました。

 総裁の頭の中では、論理は完結しているのでしょうが、外部の人間にとっては、何の話だろう? という世界です。
講習会で蜂に殺虫剤をかけた話をしていましたが、蜂ぐらいでビビっていて、森の中に住めるのかしら? と思います。
 私のごとき程度の幼い信仰でも、家に蜂が巣を作っても、襲われたりしません。まあ、基本的に真面目な人で、彼な
りに理想とかビジョンとかがあるのはわかるのですが、残念ながら先行きが見えているのですね。本業そっちのけで、
余興に走っている昔の若旦那みたいなもので、信徒も、そろそろ気がつきだしています。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

104トキ:2011/07/07(木) 14:18:25
本流掲示板の

赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

の件で、少し書き込みをします。実は、あの文章を読んだ後、書き込みをしようと考え、法律に詳しい身内に確認を取りました。

 先ず、「お山」を谷口雅春先生の死後本部へ寄贈する内容の遺言書を登記所に登録する話です。
登記所とは法務局ですが、遺言を登記する事はありません。しかし、類似の方法としては、法務局で登録する場合、
法律上の手続では、「始期付所有権移転仮登記」という方法があるそうです。普通は、遺言書を公証人役場で作成するのが
一般的だそうです。しかし、両方とも遺贈者が、その後、意思を変更したら、変更登記が可能です。

 この場合、遺贈者は谷口雅春先生ですが、遺贈を受ける人は生長の家であり、総裁は当時谷口雅春先生ですから、
仮登記あるいは遺言書でも変更は可能です。おそらく、発言当時は谷口雅春先生はそのようなご意志だったと拝察しますが、
その後、谷口清超先生、あるいは別の親族の方のご要請を受けて、ご意志を変更された可能性はあると思います。

 その件との整合性をとるために、著書の一部を改定したのではないか、という話でした。

 ですから、一連の谷口雅春先生の著作の絶版とは、意味合いが違うような気がします。


合掌 ありがとうございます

105トキ:2011/07/07(木) 20:53:10
私の書き込みが続きますが、お許し下さい。

本流掲示板で

>>
赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

について、思い出した事を書きます。

 谷口雅春先生が、聖典を出版されても、その後、改定された事はあったようです。
私も、古い信徒さんから具体的な例をあげて、聖典が改定された話を聞いた事はあります。

 具体的な部分は差し障りがあるので書きませんが、東山半之助先生の「ざっくばらん」の
中に、信徒の問い合わせに応じて、谷口雅春先生が聖典を改定された事実を書いておられます。

 ですから、基本的な部分に差し障りのない場合は、改定自体はしばしばされていたみたい
です。しかし、基本的な部分を改悪、改竄する事は前代未聞みたいです。

 以上は、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます

106山ちゃん1952:2011/07/07(木) 23:15:47
トキ様
谷口雅春先生の著書の修正や改定もしくは検閲、焚書があります。
勿論、先生自ら修正に応じたり、出版されなかったりすることは多くあります。
この項目に関しては私なりにかなり詳しく自分のブログで掲載しております。
それでは本の修正や発禁や削除はどのようにして行われたか記載します。
① 国民総動員法による自主的な出版停止
『生長の家光明叢書』
① 生長の家の経済学(最初はこの本)S10.4.01
② 現代に機會ありや S13.6.5
谷口雅春先生自ら経済的分野の論文を出されています。こうした本は叢書として
10冊あるのですが、全て発禁になる可能性がありますので自主的に取替えをやられています。有名なのは『秘められたる神示』の大聖典『生命の實相』における掲載され
なかった。
② 内務署警保局による削除や修正命令
たとえば『天皇絶対論とその影響』は初版発行のみです。これはかなり内務署警保局の圧力がかかったため、限定販売されております。
昭和15年頃から今まで出版されていた『生命の實相』に削除命令が出されます。
大聖典を購入出来なかった人の為に(本来非売品と記入されていますが、実際は販売されております。また御揮毫入りとそうでないものとに販売価格は異なります。)に菊装版『生命の實相』は削除対象となり本の見返り部分に「削除済」という判子が押されています。
③ 戦後GHQによる検閲と修正と焚書
「生長の家」は占領後の焚書(検閲)に対して占領軍にどのような対策をしたのであるかは『生長の家30年史』に詳しい。P155に山口悌治先生のお言葉に
「谷口先生の著書のリストをGHQに提出することになったが、危険と思われるものは、資料焼失として省いて提出したんですが、向こうは実に精密に調べてあって閉口しました。それでもGHQの中にも好意的な人もいて、旧版『生命の實相』の第十六巻(『日本国の世界的使命』が収録)は不問にして『慨世血の書』とかその他の単行本のみを発禁にして、全集の刊行は許可になったんです。そこで戦後版の全集は第十六巻を「戯曲篇」に変更されたんですよ。やはり占領期間中は低い姿勢でいく以外やむを得ない面が多分にあったんです。」
④ 時代背景の違いによる修正(自主修正)
これも結構沢山あります。
一項目全部無くなっている部分があります。先生みずから校訂され修正された本は意外と多いのです。はしがきに記入している本もあります。
⑤ 本が違う人の翻訳がいろいろ校訂が加わり、谷口雅春先生著作になっている本。
⑥ 戦後GHQによる執筆追放による著作者の変更
 田中忠雄先生か服部仁三郎先生か忘れましたが著作者となっている本が實は雅春先生が書かれていた本がある。

だが今回は理由があるとはいえ「谷口雅春先生の講演筆記」です。そういうことを度々言われていたことを存じ上げていますので、著者と異なる人が修正する場合はやはり説明責任が必要であります。付箋をするなりすればいいことであるのに、内務署警保局のような遣り方には違和感があります。当時の状況を知らないとか言っていますが、方法がおかしく、方策が間違っています。そのように思われても反対に悪く思ってしまう。
また愛国書の絶版とは全く関係ありません。
また年に二冊発行されるというのは4年程守られていますが、それからはあまりまもられていません。

107無関係な人間:2011/07/08(金) 10:20:47
>>106

山ちゃん1952様

 詳細なご教示、ありがとうございました。なるほど、こういう感じだったのですか。
戦前を知る信徒さんとはよく話しましたが、過去の困難な時期、例えば戦争中とか
生長の家政治連合時代の話は、話をされませんでした。個人としての信念は感じましたが、
それが逆に組織へ教訓が残らない結果になったと感じます。

 余談ですが、元憲兵隊関係者で作っていた「憲友会」からは、「日本憲兵正史」
「日本憲兵外史」などの本が出版されています。この本は、自分達に都合の悪い話も
掲載されています。憲兵の汚職や不祥事なども書いています。

 内務省警保局の検閲官は、当時の帝国大学卒業者で、高等文官試験に落ちたような
人が就職していたそうです。軍事関係の事は、憲兵が出向していたようです。

 他にも、谷口雅春先生の執筆内容に間違いがあり、それを信徒さんが指摘して改定
された事はあったようです。

 今後とも、ご教示のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

108山ちゃん1952:2011/07/08(金) 15:34:48
無関係な人間様へ
ありがとうございます。よく御存知なので驚きました。
そういえば、信徒からの指摘で直されたというのは聞いたことあります。

私は大変難しい問題を御提示頂いております。それは「年史」というのは悪く
は書かない。
そこの点ですね。だいたい悪いことは簡単に経歴のみで掲載する。
とりわけ信徒数や講習会の入場者数などがそうですね、受講券だけカウントする
という行いですね。
だが、私はある面「年史」とか仕方がない部分もあるのを認めています。

よくない部分は承知です。今後の教訓にもならない事もわかります。それも
承知で記しています。

それではどうするのかであります。一部幹部のみに総括や反省の「実務ノ−ト」
を作成することだと思っています。それには主宰者の高等な判断が求められます。

それは反対に必要だと思っております。それが出来るかどうかは実務者の能力であると
理解しております。

109トキ:2011/07/08(金) 17:15:01
 無関係な人間様、ご投稿ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

 さて、組織の歴史の扱いは難しい問題です。
共産党など、指導者が変わるたびに歴史の評価がコロコロ変わります。
どの組織でも、そういう問題はあると感じます。

 もし、現在の谷口雅宣総裁が失脚し、別の指導者が総裁になり、方針を
一変したとしましょう。その時、谷口雅宣先生の評価をどうするか、という
問題があります。極端な話、学ぶ会が教団の指導部に就任したら、おそらく
は、谷口雅宣総裁の時代は全否定し、抹殺すらするかもしれません。

 しかし、組織文化が続くと、同じ失敗を繰り返す可能性はあります。
その意味で、失敗じたいも正直に記録する度量が必要かもしれません。

合掌 ありがとうございます

110ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/10(日) 14:33:39

>本流宣言掲示板ご投稿中の方々

<本流復活とはなんですか?>

 長々語ると読んで貰えないでありましょうから、シンプルに問いかけを致
します。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

 まずこれが疑問なのです。貴殿方がなにを以って、つまり「どのような状
況の出現を以て」その理想実現の瞬間と捉えられるのでありましょうか?ま
た「それは現総裁の引退だ」と申されるのであれば、「引退後、なにをされ
るの?」と問いかけ致したいものだ、と(つまり「総裁引退」とは、どんな
目的のための「手段」なのでありましょうか)


● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。
 懸念点を挙げるならばこれ、少なくとも愚生の如き信仰歴五歳児にとっては
「雅宣総裁、可哀想」との印象にしかならぬと思うのです。つまり、貴殿方が
批判対象を批判すればするほど、雅宣総裁への同情が寄せられてしまうという
・・・そんな感じなのです。
 ここ、理解できますか?普通、「『生命の實相』を読むくらいの読書階級な
ら」ですよ、トイレの落書きレベルのことを言われると、なにか自然と「そこ
まで言わなくていいじゃないか」な方向に脳みそが働いていくのです。そして
脳内で自然に「雅宣総裁を擁護する方向へ」思考の舵が切られてしまうという
・・・


 うーん・・・運動を知らないんでなんとも言えませんが、まあ、一、教団部
外者から診れば貴殿方のご印象、ほぼ斯くの如しであります。どなた様かお相
手くださると助かります。どうぞよろしくお願い致します。

追伸

 以下は本来、議論後半で提出すべき(細かな)疑問になりますが、まあ、
「現信徒へ覚醒を促す」戦術に関して。

 これにはやや、取り越し苦労とでも称するべき懸念点があります。まず、
貴殿方の戦術が機能し、そして現信徒が動揺したと致しましょう。そして聖
使命会員費(?)が大幅に集まらなくなり、現総裁が財務的にピンチを迎え
たと致しましょう。こうなりますと・・・ここからが既述の「取り越し苦労」
は話なんですが、教団が財務的に追い込まれますとこれ、それこそ生長の家
の聖地等々が、銀行管理下に置かれる事態を招きますぞ。

 まあそれでも「神殿は『生命の實相』である。その事態もやむなし」の合
意が取れれば良いですが、「掲示板雰囲気からはそうは思えない」んであり
ますがねぇ・・・あまり財務的に追い込むと〝角を矯めて牛を殺す〟ことに
なったりせぬかと、懸念するものです。

111ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/10(日) 14:39:35
<修正>

110投稿駄文、終わりから7行目

(○)ここからが既述の「取り越し苦労」な話なんですが、
(×)ここからが既述の「取り越し苦労」は話なんですが、

112義春:2011/07/10(日) 15:32:33
>>110
ブログ管理人さま
自分も一寸感じた事を書いてみますね。
正直なところ、上が変わらん限り、どうにもこうにもならんだろうなって思います。
中心帰一を前提にした組織である以上、活動方針にどうやって逆らえのるかって話です。残ってる人達も分かって残ってる人が、かなりいるのです。

だから、私はやはり、生命の實相の出版権問題が片付かない限り、身動き取れないと思います。まっ、法的には、どっからどう見ても教団が負けると思いますよ。現に裁判官も教団の扱いに困っていたと聴いてます。(※困っていた…というのは、それだけ…残念な感じだと思って下さい)

それだから、向こうさんには、今は組織を温存させる方が、後々再建するのが早いと想うのですけどね。(攻撃してると、今、残ってる人達の反感を買い、後々、又、同じ事に繋がりかねない…というか既に反感を買っている。現に、その流れで義春突貫につながってるのですから。)

113ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/10(日) 16:02:26
>義春さあ

 思い出したうちに書いておきたいことを「書いておこう」以下はそんなネタ
です。

 彦左さんが言及されておられた「本流掲示板・閲覧者」数に関してだけど、
同氏は「500」と観ておられるようだが・・・まあ、愚生私見では「そんな
にはいない」と云えようかと。
 この主張根拠はね、私があそこを追放される前と後からの、ブログ訪問者数
からの類推になるのでけれども・・・大凡、かの掲示板から弊ブログに来られ
る方々は「100前後」なのよ。しかも追放前、後もそんなに変化、見られない
んだよなあ・・・

 かの本流掲示板は、私見を述べれば「10,000人が100回見た掲示板」
なのではなく、「100人が10,000回アクセスした掲示板」になろうかと。
まあそんな影響力と云えようか・・・

以上、余談でありました。

114山ちゃん1952:2011/07/10(日) 16:28:07
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
次の質問に答えます。
ただし、答えになっていないかもしれません。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

1.谷口雅春先生の教えを根本にして「拡めていく」ことが正しき正統なる教えだと思います。
2.今の教えとか言う言葉は実際はありません。そのようなことをすると真理が歪められるから
です。「般若心経」が漢文でわからないから「今」の言葉に変えるとどうなるでしょう。
言葉は響きです、言霊から解釈すればいいのであります。だから本流という言葉も正解でしょう
が、やはり「正統」という言葉のほうがいいのではないでしょうか?
3.『古事記』や『日本書紀』そして歴代天皇様の事をいうのが「生長の家」の役目では
ないかと思っています。

ただ復活というのは違うとおもいます。「正統」に戻すだけです。

● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。<

これは難しいですね。何回も言うように「雅宣氏」は宗教家として失格の烙印
を押していますが、悪口を書いてばかりは空しいですね。
それより、正しい事を発言する方が大事になります。
たとえば、皆さんが言われる「谷口雅春先生」の御著書を再販しないとか
兄弟の争いとかは誰が書いても、生長の家と矛盾しております。

だから『七つの燈台の点燈者』の神示を読誦するように勤めましょう。
『懺悔の神示』を読誦しましょう。

そうした、本来の生長の家を実践する事を勤めることが大切です。
手段は敵対しても何も生み出さないように思います。
何れ『生命の實相』も語れない生長の家になります。その時が運命を
定める大事な時期と思います。
いまこそ『生命の實相』を語り!
実相研鑽出来るような誌友会が本来の生長の家です。

それと本当に拡大してから「いろいろなこと」は考えた方がいいでしょう。

115ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/11(月) 06:40:07

>山ちゃん1952 さま

 貴殿のような御仁からまさか、ご回答を頂戴できるとは思ってもおりません
でした。誠にありがとうございました。

 「本流復活とがなにか」に関する貴殿ご投稿文章1〜3ですが、「もう全く
同意」する次第です。本当にこれらを無視して本流復活などないですよね。
(そしてそれ〝復活ですらない〟とのご主張ですが、そこも同意です)

 私はかつて、本流掲示板にて「運動を定義しませんか」と呼びかけました。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=471その後の反応は
・・・「あーあ」てな感じのものでありました。まあでもこのトキさん掲示板
であれば、こんな話題も良質のやり取りが可能と見ています。

 今後もよろしくお願い致します。

追伸

 なお精読の上、さらに質問など浮上しましたらその際は、再度ご教授頂け
ますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。

120「訊け」管理人:2011/07/12(火) 15:47:22
>トキさま

<削除要請>

116〜119の駄文でありますが、削除を要請致します。

 やはり、榎本恵吾先生のご命日に、このような駄文はふさわしくない
と考えました。よろしくお願い致します。

合掌

121トキ:2011/07/12(火) 16:17:40
>>120

 了解しました。

122「訊け」管理人:2011/07/12(火) 16:22:46
>トキさま

 聡明なる管理人様のご慧眼に感謝致します。

 礼拝













 あっ、ここで笑ってもらわないと、
ほか笑うとこないですよ皆さん。

123トキ:2011/07/12(火) 16:26:34
>>122

「訊け」管理人様

 いえいえ、とんでもないです。脂汗をタラタラ流しております。(笑)

124「訊け」管理人:2011/07/12(火) 17:08:03
(またしてもコメント欄が爆発しています。こちらにて返答しますこと
お許しください)

>茉莉香さま

 いつもコメントをありがとうございます。貴女へ返信しますと前回は、
なぜかブログ記事が「藤原先生写真集」になってしまいました。今回は
アウシュビッツの画像がなぜか突如・・・

 いやさて本題に。着眼点をお褒め頂き光栄です。まあなにか、貴女と問題
意識が似ているのでありましょうね。今後もよろしくお願い致します。

>広大なる慈門さま

 いつもありがとうございます。貴ブログの営業マンになりますので、
返信の不手際をお許しください。

【同氏ブログです】
http://volvo.white.coocan.jp/

>らん..♪ さま

 六文の定やん・・・あれは本当に感動しますよね。書き写していても
笑いと涙が止まりませんでしたよ(笑)またよろしくお願いします。
 ちなみに藤原先生を「ライヴで」ご堪能されたのですか・・・嫉妬します。

>マダム・カラスさま

 ああ、あの歌は「堅信歌」というのですか。素晴らしい歌ですよね。
あの歌は何度か聴いていたんで、暗記しちゃいました。他にも生長の家の
歌ですけど、youtubeにアップされると良いですよね。また、よろしくお願い
します。

125トキ:2011/07/13(水) 11:20:16
 理想世界の昭和46年7月号を読みました。

 第23回青年会全国大会が5月3日に台東体育館で開催されました。
その記事が掲載されているので、紹介させていただきます。

 2日目の5月4日の午後から、当時、青山学院大学1年生だった谷口雅宣先生が
初講話をされています。昨年のブラジル訪問と大学生活の話をされたとあり、
「少し上気気味」で「ユーモアを混じえた素晴らしいお話」とだけで、具体的
な事はわかりません。

 ただし、 理想世界の昭和46年5月号には、世界にのびる生長の家青年会と
題して座談会があり、徳久日出一氏(徳久克巳先生のご子息)、ブラジル青年会会長の
本田諌雄先生(故人)ご夫妻、井脇ノブ子氏(元衆議院議員、小泉チルドレンで有名)
と交えて谷口雅宣先生が座談会をされています。
 この座談会で、目立つのはやはり井脇ノブ子氏で、率直に申し上げて谷口雅宣先生
は一番、存在感がないのです。(これをご覧でしたら、お詫びします。)彼女は当時、
大学院生ですが水泳教室を開き、マスコミでも取り上げられていたようです。
 谷口雅宣先生は、

「僕は、生長の家青年会会員について考えてみた時、青年会というのは誰の事かと言えば
僕の事なんですね。」

と言われていまして

「生長の家の運動と自分の生活を2つに分けておいて、自分の生活に都合良い時のみに
それを表明し、悪かったら隠しておく ーそういうのではいかんのじゃないかと思うので
す。(P65)と書かれております。

とも言われています。

 ここから先は憶測ですが、谷口雅宣先生が大学生になったので、後継者として講話や
座談会にデビューされたのですが、御本人はいまいち、乗り気でないというか、
戸惑っている、という印象が残る誌面でした。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます

126山ちゃん1952:2011/07/13(水) 11:49:09
トキ様
懐かしいですね。
初めて全国大会に参加したのが「台東体育館」です。昭和45年と昭和46年は参加
しています。
前年の日比谷公会堂での日の丸運動での「雅宣」氏の話の方が憶えています。
その時はまともでした。(失礼)

127トキ:2011/07/13(水) 20:48:59
>>126

山ちゃん1952様

 若い頃はまともだったのですね。年齢が行ってからおかしくなる、というのは珍しく
ないですが、やはり若い頃にやんちゃをしても、年齢が行ってからは落ち着かないと。

 しかし、昔の理想世界を読んで感じるのは、生長の家政治連合もそうだし、百万運動
もそうだけど、正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、こういう運動に命をかけ
た人達がいる、という事実を、ありのままに記録に遺すべきだと思います。

 これは、当時の運動方針をそのまま、現代に再現するという主張ではないです。
当時は共産党や共産主義が跳梁跋扈しておりました。しかし、現代では共産主義の間違い
は周知の事実です。違う脅威が登場しておりますから。

 ある意味では、あの時代の「業」が、今日の混迷の背景となっているとも思います。
否定的な意味ではなく、肯定的な観点からも、どんどん体験者の方の投稿を期待したい
です。

合掌 ありがとうございます

128山ちゃん1952:2011/07/14(木) 12:08:59
トキ様

そう思います。
だが、現在の活動との乖離があり今の人では引いてしまうと思います。
中には感動する人も多く存在します。
100万運動当時の活動指針や方策や報告書は現在では残っていないと思います。
だが活動状況などはある人が所有されていると聞いていますが、総括として記録
に残すのかどうかはわかりません。

たとえば『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』など貴重な体験集です。
そういうのは破棄されたと聞いています。

それと隠れ蓑としての共産主義の台頭があります。たとえば「九条の会」などは
まさしく「白い共産主義」でしょうね。また今の「反原発」に象徴するような
主義はまさしく「国家」よりも「個人」という主張が正しいという誤解がります。

民主党政権となり国家に対する瓦解がおきています。
”日の丸”か赤旗か-それが聞きたい という谷口雅春先生の御著書をもう一度振り返らないと
いけません。

129トキ:2011/07/14(木) 18:31:45
>>128

山ちゃん1952 様

 『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』は、貴重な資料です。評価は別にして、保存して欲しいです。

 共産党の元活動者と最近、お酒を呑む機会がありました。
民青からの生え抜きで、永年、共産党と共産主義の理想を信じて活動をしてきた人です。
 その人がしみじみと話していました。

 「私の青春は、民青だった。が、私の青春には、何も楽しい事はなかった。」

 どうやら、組織の道具とした利用されていた実態に気がついたみたいです。

 省みて、私は生長の家青年会で活動をしてきて、確かに不合理な事も、嫌な思い出もありますが、
それでも、後悔はないです。どうしてか、というと、多分、「情」というものがあったからだと
感じます。学べた事、経験した事は貴重な財産ですし、得難い友人を得た事も感謝しております。

 こういう経験を今の青年会の諸君ができているのか、気になります。

合掌 ありがとうございます

130山ちゃん1952:2011/07/14(木) 23:16:09
トキ様
『燃ゆる青春』に私は掲載されています。
あの当時の青年会は今も友達です。
いろいろな苦難もあり、喧嘩もしました。ほとんど寝ないで活動しました。
でも、私は誇りをもっています。
いまだに動員とか成績では破られた事のない記録があります。
練成会では当時高校生では10名〜20名の数でした。中学生では30名がやっとでした。
それを150名動員したり、小学練成では参加者は100名程度でしたが最高
350名参加して教化部のほうから怒られました。人数多すぎで怒られました。

たった一人の誌友会を常に20名超える誌友会にしたり、最高50名参加して
これも多すぎのため怒られました。(笑)

そうした活動に誇りを持って行っていました。

132トキ:2011/07/15(金) 11:53:23
山ちゃん1952様

 本当に、青年会の頃は寝食を忘れて活動をしていましたね。よくやったと思います。
たぶん、山ちゃん1952様の頃だと、ものすごい活動をされていたと思います。
 あの頃の仲間は、ほんとうに生涯付き合える人です。
あー、懐かしいです。と、懐古趣味に走ってはいけないので、頑張ります。

合掌 ありがとうございます

133緑の意思:2011/07/15(金) 13:24:10
トキ様
うーん、個人的な想いで色々あって書き込んでしまいましたが、統〜のあたりは失言でした、
>131削除願います。

134トキ:2011/07/15(金) 13:38:00
>>133

 気にされるほどではないとは思いますが、御希望通り、削除しました。

合掌 ありがとうございます

135緑の意思:2011/07/15(金) 14:16:28
トキ様、お手数おかけしました。そうなんです、気にするような重要発言はなんにもないんですが、個人的に。
私は組織の歴史を知らなくて、トキ様や山ちゃん様のような先輩の話で勉強させて頂いています。
表面的な活動だけして組織のアラがみえれば、それらしいことを言って非難することはやめよう、と思いまして。
でも昔の活動や生長の家の歴史を知る方々に、いまの組織の中で教授指導頂いたら、どれだけそれを知らない若い人たちが燃えるだろうな〜と、本当にもったい想いが強くあります。
なので、私も勉強して頑張ります。これからも学ばせて下さい。

136緑の意思:2011/07/15(金) 14:17:58
◯山ちゃん1952様
×山ちゃん様

137トキ:2011/07/15(金) 15:17:47
>>135


緑の意思様

 こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。

 余談ですが、かぴばら様ならぬ、動物の「カピバラ」のサイトがありました。
存在を初めて知ったのですが、かわいらしいです。

http://capybara.eek.jp/
カピバラ大好き

合掌 ありがとうございます

138山ちゃん1952:2011/07/15(金) 15:22:26
緑の意思様

組織の歴史というのを学ぶというのは大変大切な事です。その歴史を知らない
ため、そこに生きた人物やその土壌に這えた人脈などわかりようがありません。
これは何回も申し上げているのですが、現在”社会運動の状況”という云って
みれば反生長の家です。それがどのように生長の家を見ていたのか等は重要な
歴史資料であります。生長の家では”30年史””40年史””50年史”と
歴史の編纂を行って来ました。

しかし、生長の家では教勢などは書かないでいたり、人事における左遷なども掲載していま
せん。悪くは書きません。
そうして教えられるのもいいのかもしれませんが、事実は隠してはいけない箇所もあります。

よく云われる講師が病気にかかると”それに対して云わなくなる”
「あの人は”病気はない”と言っていたんじゃないか”と蔑まれるのじゃないかと
ある意味、戦々恐々としているのです。

そうした事、は真理に対しての本人との思いが乖離しているのです。あまりにも
”他人に云う”のと”自分の行い”とが乖離している。

それが平気になるのです。平気になるのはいいのですが。自分に枠を作り
”こうでなければならない”と勝手に思い込むのです。

生長の家で講師と言われる人の御子息は”生長の家”に無関心であったり、
反発さえしている。だからほとんどが生長の家を継ぐような人はいません。

そこが非常に問題なのです。緑の意思様はどう考えますか?

139緑の意思:2011/07/15(金) 18:07:47

真理と行動の乖離は、往々にしてあることですが、例えば、病なし、を日頃講話されていた道場の講師が病気で入院されましたが、一般練成員はもちろん、職員にも、亡くなるまで徹底して病気を隠していたのを知った時、何か…痛々しいものを感じました。また青年会でも親が幹部活動者で、ウチに帰るといつも組織の悪口を言っていたから、絶対活動はしない、と言ってる人もいるので…講師や幹部ほど、そうした面が露わになりますね。
教義と人の行ってきた組織の歴史の乖離を、残せないものがあることは理解しました。

何というか、今は先人の想いまで消してしまう雰囲気が組織にいると感じるので、それが悔しくはなります。

歴史を学ぶというのが、難しい面があると理解しました。
しかし、人類光明化の歴史を受け継ぐという意識を持てると持てないとでは、全然違いますので、そういう想いまで消されて欲しくはないなと思います。

140志恩:2011/07/16(土) 08:26:40
(私も学ぶ会には,行きません。義春センセイ同様,私も次回もユーチューブでの放映を失礼ながら期待しています。今、復興G様ご推薦の村上和雄先生著書「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」を読んでいるところです。
本流宣言掲示板が、見誤って追い出した皆様、トキ様の集会所へ集結されてますが、実はとんでもなく優秀な方々ばかりですのに。あちらの宣言管理人様の眼は、まったくもって節穴です。)

「生長の家政治連合」を立ち上げるにあたり雅春先生のご指示により素案を作成したお方は、雅春先生のご指名により、最初は、一人でされてたので存じています。
そのお方の作った素案が、雅春先生のご許可を得て完成し、政治局を立ち上げ政治局局長となり、政治について最後の最後まで携わって全国指揮をされていたお方は、元企画局の大狭 麗三(おおはざま れいぞう)先生というお方です。
(ずっと後に、大狭先生は、裝道(礼法きもの学院)へ講師としてヘッドハンティングされ、礼法の著書も出されました)

政治に手をつけられたのは、何年だか、わかりません。s37~40頃。大狭先生は、当時30代後半。(私は20を過ぎたころ)最初は、先生は、一人で素案作りを始められましたが、下準備下調べがまた大変でね、
厚生省、国会参議院議員会館・衆議院議員会館。その他、、、、、、行きました。優生保護法、その他の法制化をめざしていたので。
私も雑用係で、大狭先生にたのまれて先生と二人で行きました。これという書類を手分けして、一日かけて書き写すために。(コピーもない時代)
当時は、お給料も安い上に、残業手当も0。なのに、先生は,毎晩遅くまで残業されてました。
雅春先生の想いをどのように政治にこめて行くか,どのように全国の組織に発信してゆけばいいのか、試行錯誤の連続でおられ、私は、ささやかながら全国の組織に発信する書類を和文タイプに打つ,お手伝いもさせて頂いていました。

大狭先生は、とても優秀でいらして、情にも厚く、企画力・判断力・統率力の全てを兼ね備えておられた総合的バランスに長けた先生でした。
先生が、政治局を立ち上げてからは、私は、関わっておりませんし、その後のことはわかりません。
理論的なことは、トキ様がお調べのようですから、トキ様の方がお詳しいと存じます。
生長の家には、現在ももちろんおられますが、目にみえないところでお金に関わり無く、命がけで、人類光明化運動をされておられるお方が、たくさんいらっしゃるんですよね。ですからね、私は、信徒の一人として
こういう先達の方達のあのころの貴い想いを思い出し考えますと、本来あるべき姿に、、、と強く期待して,ついつい身分不相応な生意気なことを申し上げてしまって。すみません。

142志恩:2011/07/16(土) 09:19:12
目に見えないところで命がけで光明化運動されておらる方々が、「今もおられる」と書きましたが、
それは、この集会所における トキ様・義春様 情報によるものです。
私は、いまのことは、末端信徒ですので、存じ上げないのです。

143志恩:2011/07/16(土) 09:20:49
トキ様
すみません。141を削除、おねがいします。

144トキ:2011/07/16(土) 09:25:46
>>141

 了解しました。

145トキ:2011/07/16(土) 21:47:16
>>140

志恩 様、貴重なご証言をありがとうございます。大狭 麗三先生の事は初めて知りました。
こういう事は本当に記録しないとダメですね。公式の歴史では知る事のない証言です。
理論的な事も他の方のほうが詳しいと思います。本当に勉強になりました。
感謝申し上げます。

裝道(礼法きもの学院)の山中先生も確か生長の家の方でしたね。
青年会活動の経験があると聞いております。

 今後とも、貴重なご証言を期待しております。

合掌 ありがとうございました

146トキ:2011/07/16(土) 22:05:59
中公新書クラレ 歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)
半藤一利、横山恵一、秦郁彦、原剛 共著 P179より抜粋

*この本は4名の歴史家の座談会形式でまとめた本ですが、生長の家
が登場したので、ご紹介します。

田中静壱大将の部より

 田中大将は、フィリッピンを守備する第14方面軍の司令官として赴任
しましたが、セブで発熱し病状が悪化します。

(原)18年5月初旬、東城(首相)がマニラに来て田中の病気が重いのに驚き、参謀
本部付の発令になります。(中略)そのまま第1陸軍病院に入院しますが、衰弱は増す
ばかりでした。天皇は田中に特に葡萄酒を下賜し「とくに大将に進級せしめよ」と言われ
田中は9月に大将に親任されるのです。

(横山)10月になると、血圧、体温が極端に下がり、軍医もサジを投げました。その
月末、夫人が信仰している「生長の家」の中島講師が面会謝絶の病室を訪れ、この宗教
の基本聖経である「甘露の法雨」を枕頭で読み始めます。中島が読み終わると、田中の
瞳に希望と歓喜の光が溢れ、その夜、寝汗をかかずに安眠し、翌日から食欲もまし、体力
を回復していったそうです。

(半藤)本当は死ぬはずの人が治っちゃうのでしょう。なんとも不思議な話ですよ。
田中を調べていくと「生長の家」が出て来るので、書きづらくて書きづらくて。
「そんな事があるのか」とも書けないし。

(以下、略)

ちなみに、病気が奇跡的に回復した田中大将は、東部軍司令官になり、終戦時の
近衛師団の反乱を見事に鎮圧したあと、責任をおい自決されています。この田中
大将がいなければ、クーデターは成功し、戦争はあと数ヶ月継続した可能性が高
いと言われています。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます

147ぼるぼ:2011/07/17(日) 23:20:24
本流の伝統さんのスレッドに初投稿してみた。

ただし、雅春先生の詩集スレッドだから余計なメッセージは省略した。

古い生政連の小冊子にあった護国の神剣の歌詞である。

ここにもコピペする。

護国の神剣ー生政連讃歌=NEW (3403)
日時:2011年07月17日 (日) 22時12分
名前:広大なる慈門

釈尊出でてわが国に
聖王うまれ天が下
すべての民を救うぞと
弥勒下生の聖経に
預言し給ひし時いまぞ

また黙示録は預言せり
されど其の日の来るまでに
サタンと呼ばるる赤き龍
暫し檻より放たれて
四方の国民まどわすと

古事記の預言に照すれば
このサタンなる赤き龍
八岐遠魯智と称されて
瑞穂の国の稲田姫
ひと呑みにすと身を構う

この時姫を救わんと
須佐之男神いでたまい
天授の神剣うち揮ひ
赤き龍をば寸断し
姫を危機より救いけり

この須佐之男の神剣は
実相真理のつるぎなり
剣は神人両極を
真釣り合わせる神政を
奉じて起ちし生政連

この神剣のある限り
如何なるサタン窺うも
鉄壁の護り堅固なり
この聖使命受けて起つ
天使の集団生政連
護国の使命受けて起つ
天使の集団生政連


     <日本の政治と宗教ー護国の神剣ー、谷口雅春より>

生政連という理念は、今日の日本においてなおさらに現実化する必要があると思う。

戦後日本がアメリカの占領下にあり、今もなおその重石の下で国民が呻吟しているのである。

そもそも、占領下で発布された日本国憲法という作文に原因があることは明らかである。

ならば、さっさと日本国憲法を閣議で無効宣言し、帝国憲法の改正により時代の要請にあった法体制にすればよいのに、これが遅々として進まない。

すなわち、戦後の日本政府が売国奴に牛耳られているからである。

自民党も民主党も同じ穴のムジナである。

なぜ、サンフランシスコ講和条約で国連との和解をして戦後日本がスタートしたのに、足を引張て、東京裁判の呪縛に国民を縛りつけるのか。

昭和60年の中曽根内閣の時、国会における土井たか子の質問と外務省の小和田氏の出来レースが元凶であるという指摘を渡部昇一さんがしている。

中曽根は大勲位、小和田氏は皇太子妃の父という見せかけの権威で国民を騙し続けてきた。

中国と韓国になんで不自然にペコペコしている理由が、ここにある。

今日見たYouTubeを紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=VA1H2x9L_gs&feature=youtube_gdata

148河本:2011/07/18(月) 04:32:50
先生方、
愛国「本流☆生長の家」でも
ぜひ、いいお話を御投稿下さい。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/415415.html

149志恩:2011/07/18(月) 08:11:47
「護国の真剣ー生政治讃歌」をお載せ下さって、ありがとうございました。生政連という言葉もとても懐かしいです。
大狭 麗三先生(愛称ーおっぱ さん)もご生存中で、これをご覧になられたとしたら、涙目で懐かしがられると存じます。


それから、別途 佳い新スレッドもできたのですね。拝見しました。ネーミングもいいですね。
愛国「本流☆生長の家」


トキ様のところは、次回は、どんなネーミングをされるのでしょう。たのしみです。

150志恩:2011/07/18(月) 08:13:46
生政治→生政連

151ぼるぼ:2011/07/19(火) 11:13:21
古い生政連の小冊子「日本の政治と宗教」をめくっていっていると、志恩さんが書かれた大狭氏の名がありました。

昨年の暮も押し迫った12月29日のこと、福田赳夫さんが、お山に尋ねて来られたのであります。総選挙の分析と今後の政局の動向にについて暫く話し合ったのですが、共産党の進出によって政局はいよいよ多難となり、49年の参院選では与野党の差が逆転するといふ非常な危機が予想される、ということをお話になりました。
インナ
発表しても差し支えないと思われる部分の話の内容を要約すると次のようになります。

福田さんは選挙前の観測では共産党がこれまでの14議席から20台に乗るかどうかと思っていたと言うんですが、38議席を占めるに至ったことに、自民党としても反省しなければならないということ、共産党員の熱心な隣人に対する日常活動の成果と、田中内閣の日中国交樹立が共産党に対する恐怖心を取り除かせる結果になったこと。

自民党が中国ブームに乗って日の丸ワッペンからパンダワッペンに切り替えた事への批判、日本列島改造論への批判等々、選挙の分析と反省はいろいろありましたが、これらのことは「生政連ニュース」1月1日号に生政連本部の大狭君が詳しく書いている、云々


という箇所で、大狭氏の名前が出てきました。志恩さんが書いているので目に止まった次第です。

なお、政治は昔から、権力闘争であります。今日の日本は、当時福田さんや雅春先生の危惧した事態になってしまいました。

政界は大浄化されなければなりません。

新しい生政連を担う若者によって、生長の家の再建と同時進行で生政連も再建される必要があります。

152トキ:2011/07/19(火) 13:30:16
ぼるぼ 様

 貴重な資料のご呈示、ありがとうございました。

 当時の熱い雰囲気がうかがわれます。あの頃は、共産党が政権党になる可能性を
共産党自身も考えていた時期でした。あの時代の事は、きちんと記録されなければ
いけません。
 具体的な政治状況は当時とは違いますが、その精神は学ばなければいけないです。

 新しい資料や当時の思い出など、今後も投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

153志恩:2011/07/19(火) 19:58:31
ぼるぼ様

そうでしたか、古い生政連の小冊子に、生政連本部の”大狭先生”のお名が記されていましたか。うれしいです。お知らせ下ってありがとうございました。

谷口雅春先生が政界の清浄化を思い起たれたのは、信徒だけでは、日本の真の清浄化はできない。やはり、政界に宗教も出て、強い愛国の念から発しられた自主憲法制定や、いのちを護る中絶防止の優生保護法などなど、國として
法制化されなければ、國及び政界の清浄化は、絵に描いた餅に過ぎず実現しないと思われたからだと,当時、うかがっておりました。生長の家から玉置和雄先生が参議院選挙に立候補され、そのときは、本部講師、全職員、
そして全国の組織を挙げて
選挙運動も活発に行われ、玉置先生は、見事トップ当選され、喜びに沸いたことを覚えています。玉置和雄先生の秘書は、当初二人おられて、男性は村上先生、女性は、寺内様でした。のちに村上先生も国会議員になられましたね。
玉置和雄先生は、谷口雅春先生のご意思を実現するため頑張られましたが、法制化には、国会議員の過半数の賛成票が必要で、それが得られず、法制化には、至らなかったのですよね。

それをもって、政治運動したことは、まちがいであったと結論ずけるのは,愚かであると存じます。雅宣先生は、そう結論ずけましたが。なにごとも、無駄はなかった。よい経験だったのはないでしょうか。

福田赳夫先生は、私が本部在職中、まだ彼は総理大臣ではなくて、自民党の幹事長時代でしたが、本部にいらして、小道場で本部講師・全職員を集めて、講演をされたことがありますよ。なんのためにいらしたかは、おぼえていませんけれどW

鳩山一郎先生(元総理大臣)の奥様の ”鳩山 薫様(教育者・元共立女子大学学長)”が、私の本部在職中、2度 原宿本部にお忍びでお越しになられ、谷口雅春先生・輝子先生ご夫妻とお話合いにこられたことも覚えています。
2階の会議室でご歓談されてました。1時間半〜2時間ずつでしたよ。鳩山薫様は、クリスチャンですが、生長の家の熱心な信者でもいらして、文京区音羽のご自宅「音羽御殿」の離れで、毎月白鳩会支部も開いておられたほどでした。

私は、平の職員ですが、お山係の一人でもありましたから、(雅春先生ご夫妻担当の)会議室へ鳩山様をご案内したり、途中、ご歓談中の合間にお茶のことで、室内に入ったりしましたから、とても和やかにご歓談されてる様子も見ています。

雅春先生時代は、このようにトップの政治家さんたちも、雅春先生にご相談にこられていた訳です。それだけ、人間的にも絶対の信用がもたれていたからだと存じます。

154志恩:2011/07/19(火) 20:12:48
あの生長の家に熱心でいらした気品がお着物を召されておられるような”鳩山 薫”様のお孫様でおられる
鳩山由紀夫様・邦夫ご兄弟。

特に,兄、由起夫様の情けなさ!!信じられません。
あのお方も戦後教育・日教組によって毒されてしまった最左翼の思想家ですからね。フリーメーソンともいわれていますよね。

育て方が、どうのとかいう問題じゃないと思います。
悪徳 教師軍団によって、毒されたんです。!!!

雅宣先生とおんなじ大○○な男です。!!!!!!

155義春:2011/07/19(火) 20:27:23
>>154
志恩さま
激しく同意します!ポッポみたいな…ポッポみたいな奴がいなかったら、中川昭一先生も死なんで済んだのに…こんな事にならんかったのに…いや、中川(酒)先生のお葬式に参列して、お子様の姿見て泣いた口なので。

中川昭一先生の奥様からの御礼状を今も持ってますが、たどたどしくて練れた文ではないけど、その分、奥様の心が籠った御礼状でした。

…ふと思い出した事を書いてみました。

156志恩:2011/07/19(火) 20:56:51
義春様

激しくご同意くださって,サンキューです。義春様が、中川昭一先生のお葬式に参列されてたとはね。

最近の生長の家の教えは、『ノーミート」が、全面にでていますが、できれば、あのはとぽっぽを、焼き鳥にして、喰ってしまいたいくらい腹立たしいです。

157義春:2011/07/19(火) 21:09:23
>>156
志恩さま
友達に自民党の兵庫県議の学生秘書がいて、誘われましたんですよ。良い漢が志半ばで死んだんだから、弔いたくなって、バスに飛び乗ってました。

…あの鳩の丸焼き食したら、宇宙人になるので食べたくないですね(笑)むしろ、浄心行の浄火の炎で、浄化して下せい…と。

158トキ:2011/07/19(火) 21:24:00
>>155

 中川昭一先生に関しては、ジャーナリストの上杉隆氏の著書で、こんな事を読んだ事があります。

 朝日新聞の本田某という記者が、「中川昭一先生がNHKの番組に圧力をかけて改編させた」という報道をしたのですが、
上杉氏が中川先生に取材をするときっぱりと否定されました。そこで上杉氏が中川先生の行動記録を調べると、中川先生が
NHKに国会内で圧力をかけたとされた日の前後には、中川先生は国会にいなかった、という事が証明されたのです。これは
国会の公的な記録です。しかし、上杉氏がいくらその事を主張しても、朝日新聞は全く謝罪しなかったと言います。自社の
メンツを守る為に、ウソを突き通す姿勢に上杉氏は激しい憤りを感じたと言います。

 他にも、例えば、相撲の貴乃花親方が暴力団と関係しているという報道をし、それが否定されても訂正記事を出さないなど、
どうかと思う姿勢があります。

 谷口雅宣先生ご推薦の朝日新聞ですが、あまり推薦を真に受けないほうがいいみたいです。

合掌 ありがとうございます

159義春:2011/07/19(火) 21:55:55
そういえば中川昭一先生の葬列に並んでいると、私の前に猪口邦子さんがいましたよ…落選されていたからして、遠慮なされて一般の列に並ばれてました。堅い表情で、何度かお迎えがありましたが、最初の方は、断られてました。

思想は全く合わないですが、一般の列に並んでる姿は立派なものだと感じたものです。

160山ちゃん1952:2011/07/19(火) 22:29:05
『GHQ焚書図書開封』西尾幹二著という本を以前に読みましたが、焚書というのは昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までの期間に刊行物が公刊されたのが22万タイトルの発行である。
それを審査して、7769点に絞って「没収宣伝用刊行物」に指定して焚書を行った。
そうしたリストを作ったのは占領軍ですが、実際没収作業を行ったのは日本政府です。
確かに、戦後の出版物に対する規制は検閲です。そうしたことも占領軍はおこないつつも焚書行為も行ったのであります。現在の教育現場で墨塗り教科書などは教えられたりします。実際検閲ということは以前から知っていました。また皇国や大東亜戦争や聖戦などそうした言葉などの規制も実際行っています。だが、そうした歴史が封殺されようとしている。GHQの検閲に携わる人の募集は英語の翻訳ができ、知性があり大学の教授や専門的知識のある人も多かったと思います。戦後まもない職もない、大変な時期でしたから同情も出来ます。だがそうした人は革新自治体の首長になったり、大会社の社長や有名なジャナリストであります。それに携わった人数は8000人〜1万人ともいわれ、ほとんどの人が口を閉ざしたままです。
こうした検閲という自国の歴史を裁いた人達は平然として暮らしているのです。
歴史を裁き、人をも裁き社会を裁いているのです。
発禁書の多くは新聞社が発行した書物が多いのも皮肉である。国威掲揚とはいえ、今の変わり身は哄笑するしかない。

161志恩:2011/07/20(水) 04:59:17
山ちゃん1952様は、なんでもよくご存知でおられますね。

詳しい情報、ありがとうございました。戦後、日本政府は、GHQとつるんで、このような膨大な図書を焚書にし、売国奴行為をやっていたんですか。
それで,政府のみならず、それらを行った知性のある一般人達も、今は、上部の人間として平然と生きているとは、ひどい話ですね。


それから
トキ様がおっしゃるように、朝日新聞は「捏造記事」が多いということも、よくいわれていますよね。例えば「南京大虐殺」にしても小説から歪曲して事実であるかのように記事にしたり、「爆撃された上海駅・1937』の写真も「捏造写真」と証明されているのに、
嘘の写真を続ける。
一番問題にされているのは、国内の問題をわざわざ外国に出向き、その半分は捏造とも言える内容を外国人に焚き付け、故意に外交問題に発展させるようにしたりしてる事実。そこまでして金儲けしているメディアは,朝日新聞しかないそうですね。
国賊新聞ではないでしょうか。

谷口雅春先生は、朝日新聞 = 赤旗(共産主義の新聞、最左翼新聞)と、公然とおっしゃっておられました。

なのに、雅宣先生は好んで 朝日新聞、日本経済新聞から様々な記事を引用されてブログに載せています。その思考回路もやはり、最左翼頭脳の証ですね。

162トキ:2011/07/20(水) 19:52:50
<口上>

証言 村上正邦 ー我、國に裏切られようとも (魚住 昭 著、講談社 2007年10月10日)

の一部を紹介します。村上氏は、言うまでもなく、生長の家政治連合の当事者のお一人であり、
その証言は、貴重なものです。以下、数ページを使いますが、ご了承のほど、お願い申し上げ
ます。

163トキ:2011/07/20(水) 19:56:41
(以下は村上氏の著作からの引用です。生長の家政治連合から出馬していた玉置和朗氏の動向
から始めます)


ところが、二月に入って思わぬ事態が起きた。玉置が参院から衆院へのくら替えを表明した
んです。玉置は生長の家の組織票で過去三回の参院全国区に当選してきた男です。それが衆院
にくら替えするということは、生長の家との関係を断絶させることを意味していた。
 そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めよう
がないほどに大きくなってしまったということでしょう。

 直接のきっかけは、前年八月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことで
した。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗
させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。
 この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利
益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
 それに比例区の名簿順任は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させ
るには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれ
ば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に
関わる問題だったわけです。
(p157~158)

164トキ:2011/07/20(水) 19:58:47
玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの
玉置に対する不信感なんです。
 二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり
『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の
編集をしておられた。
雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女で
ある恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を
卒業して産経新聞の記者になった。
 ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それ
が玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に果て玉置の政治的動きを全部知られたら困る
から、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぽい話になって
いるようだと、当時、玉置がぽやいていました。
 もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教
団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
 と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立
って、
「そうじゃないんですー・」
 と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断
でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信
感をぬぐえなかった。
 ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山二区の後継者の話
が持ち上がった。それで玉置は、
 「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
 と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。
(p159~160)

165トキ:2011/07/20(水) 20:00:26
 昭和五十八年(一九八三年)二月に玉置が衆院へのくら替えを青書してから三カ月後には、
前に述べたように優生保護法の改正案も成立の見通しが立たなくなりました。さらに同年六月
に行われた参院選では玉置の後継者として生長の家が送り出した寺内弘子さんが次点で落選し
てしまった。寺内さんは玉置の秘書だった人で、玉置が参院からくら替えするときに「寺内は
必ず当選させる」と教団に約束した経緯があった。
 ところが自民党が彼女を比例名簿の二十一位にしか載せなかったので落選の憂き目に遭っ
た。これで玉置や党に対する教団の不信感がさらに募ったんです。
 生政連は昭和五十八年の八月十五日、ついに活動停止を宣言しました。つまり教団が政治と
の絶縁を宣言したわけです。
(p160)

166トキ:2011/07/20(水) 20:02:17
生政連が活動停止を宣言してから数日後、京都府宇治市にある生長の家の別格本山で孟蘭盆
会がありました。その折、私は清超先生にこう言われました。
「あなたの今後のことは、中曽根さんに頼んでおいたからね。中曽根さんは、ぜひあなたを中
曽根派に欲しいと言っている」
 私は、
「はい。ありがとうございます」
 と答えました。私は雅春先生や清超先生の絶対的な信頼を受け、あふれるような愛情で育て
られた政泊家ですから、教団の指示は「はい」とお受けするしかない。
 このとき清超先生は、生政遵は解散するけれども、生長の家の福祉団体の理事としては残り
なさい、次の選挙のときに生長の家推薦と書くのは構わないとおっしゃられた。 
(p161)

167トキ:2011/07/20(水) 20:04:51
生長の家は政治と絶縁しただけではありません。昭和六十年(一九八五年)に初代総裁の谷
口雅春先生が亡くなられて二代目の清超先生が後を継がれると、三代目候補の雅量さん(現生
長の家副総裁兼総裁代行)の主導権がそれまで以上に強くなった。そして雅宣さんは初代の雅
春先生の教義についての解釈自体まで変えていったんです。
 雅春先生は大東亜戦争は聖戦であり、明治憲法を復元すべきだと訴えておられたが、雅量さ
んは明治惹法の復元どころか改憲も主張しなくなった。挙げ句の果てにはあの戦争は侵略戦争
だったから日本がアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言うようになった。
 そのうえ雅春先生が善かれた政治に関わりのある書籍も一部絶版にしてしまった。『我、誰
よりも国を愛す』などの良書がたくさんあったんですが、それが全部、絶版になったんです。
 こうした生長の家の路線転換に生政連や生学連(生長の家学生会全国紙連合)などを拠点に活
動してきた人たちが反発した。彼らは雅春先生の教えを勝手に変えるのはおかしいと訴えた。
でも雅宣さんから見れば、従来の生政連は実質的に玉置和郎中心の路線だったから、その路線
で突っ走ってきた活動家たちを信用できない。それで「こいつらはダラ幹だ」とか何とか言
って切ってしまうわけです。

(p167)

168トキ:2011/07/20(水) 20:07:04

 私の場合は二代目の谷口清超先生のご厚意で、当初は生長の家の福祉団体の理事として残り
ました。それで、次の選挙のときには今までのように、組織的な応援はできないけれども、生
長の家推薦ということは了解するよと清超先生がおっしゃってくださった。
 だから私は生長の家推薦で二期目の参院選挙(昭和六十一年七月)を聞いました。一期日の
ように生長の家の組織を挙げての応援は受けられなかったけど、信徒の皆さんが自ら自民党貞
になってくださったから、私は比例名簿の六位にランクされて当選を果たすことができたんで
す。心ある生長の家の信徒の方々は、私が選挙で地方に行くと、「先生、がんばってね」とた
くさん応援に来てくれました。
 しかし、その後、三代目の雅宣さんの意向が強くなって、政党とは一切、一線を引くという
厳格な方針が出されたため、私は生長の家の推薦を受けるどころか、教団に行くことさえもで
きなくなりました。
 平成七年(一九九五年)に私が参院幹事長になったときも、ご挨拶に清超先生を訪ねました
が、会わせてくれない。もちろん講習会に行くことさえも、誇習を受けることさえも拒否され
た。政治家・村上正邦はね。
(p169)

*以上が村上氏の証言でした。なお、文中、「私」とあるのは、「村上氏」のことです。

169トキ:2011/07/20(水) 20:10:22
>>167

×雅量さん
◎雅宣さん

×明治惹法
◎明治憲法

ごめんなさい。お詫びして、訂正いたします。

170トキ:2011/07/20(水) 20:16:10
>>168

×聞いました。
◎闘いました。

×自民党貞
◎自民党員

ごめんなさい。お詫びして、訂正いたします。

171山ちゃん1952:2011/07/20(水) 20:50:37
志恩様

私など勉強不足で知らない事ばかりで恥かしい。
自分で調べる場合が多いのですが、抜粋も多いです。現在は「陵墓」関係と万葉集
を調べています。万葉集はやはり山口悌治先生の影響ですね。

大和三山と藤原京と橿原を中心とした歌、初瀬川や山之辺の道を中心とした万葉歌は
なんとも云えません。

172志恩:2011/07/20(水) 23:10:49
山ちゃん1952様

「万葉の世界と精神」(前・後)ですね。深いですよね。山口先生は、学者でもいらした。
山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、壁という壁、床という床、難しい単行本で
埋まってました。本でできたカマクラのような中で、お話させていただきました。

173ぼるぼ:2011/07/20(水) 23:52:25
村上正邦さん、昨年5月に刑期満了して社会復帰されたんですね。
もう、79才になるんだ。

僕は全く面識がないんですが、ユニークな政治家だとおもいます。

Wikiによれば、

東京拘置所拘置経験者である鈴木宗男・佐藤優とともに奈良県吉野を訪れ、後醍醐天皇陵を参拝して再起を誓った後、鼎談する様子が放送された。また山田洋行事件で逮捕された守屋武昌にも逮捕後に差し入れをするなどして人脈を広げている。これにより、逮捕・起訴されて刑事被告人と自分と同じ境遇を受けた鈴木宗男・佐藤優・守屋武昌ら様々な分野で政官界の舞台裏を知りうる主要人物と人脈ネットワークを構築している。

とか。転んでもタダでは起き上がらないタフな精神を持っているなあ。

ぼくが飛田給を出て、国際組織をつくろうとしたことがあった。その際、生長の家有力者の協力を得たいと思って、玉置さんの事務所を訪ねたことがありました。

玉置さんは、自分は自民党の政調会長で、とても偉いのだ、と態度であった。

その後、原宿の本部にいたとき、たまたま玉置さんがやって来て、僕をみるや、向こうから握手を求めてきた。

政治家の二面性を見て、こんなもんかなあ、と思ったものだ。

永田町は魑魅魍魎の住む世界で、ぼくはあんまり近寄りたくはない。

でも、今、日本が潰れそうな時なので、どうしても生政連の復活が必要だとおもう。

174ぼるぼ:2011/07/21(木) 04:15:41
訂正、今調べたら玉置氏は党3役をやった形跡はないね。当時、総務をやっていた、ということがわかりました。

あんまり偉そうだったもんで、僕の記憶が勝手に捏造したようです。

で、そのころ、志恩さんとは生で本部廊下あたりですれ違ったかもね。

175志恩:2011/07/21(木) 07:22:57
ぼるぼ様

はい。玉置和雄先生も村上正邦先生(秘書時代)も、まめに本部にいらしてましたから、何度もお見かけしていました。
玉置先生、当選後、玉置先生の参議院議員会館事務所へ、なにかの用事でおっぱさんに連れて行ってもらったこともありました。

女性秘書の寺内様は、やりてで男勝りの「仕事人」という感じの人でしたが、トキ様が載せてくだった記録により、後に選挙にも立候補して落選したことを知りました。

でも、私がお見かけしていたころの先生方は、まだ初々しい感じでね。後にテレビで拝見するような「政治家」らしいかっぷくのいい威風堂々とした感じは、まだありませんでしたよ。

私は、当時からほんとは政治関係は、あまりすきじゃなくて。向き向きがありますからね。

176志恩:2011/07/21(木) 09:01:10
ぼるぼ様

ぼるぼ様が、体験されたように議員会館でお会いされたときは、地位のある政治家の顔になり、本部にいらしたときは、腰が低くく 握手を求めてくる
やさしいおじさんの顔になるというのは、昔からそうでした。

そういう二面性がないと、政治家はできないのでしょうね。そう魑魅魍魎の世界。

177トキ:2011/07/21(木) 10:05:05
 別にスレッドで「統一教会」のネタを書きましたが、政治に関連する事なので、
続きをこちらで書きます。

 元統一教会の幹部と話していて、統一教会があまりにも反社会的、違法行為を
常習的に行っているのを知り、驚いて

 「なぜ、そんな団体の存在が日本で認められているのか?」

と言った事があります。その元幹部の返答は、

「統一教会は、日本、韓国の政治家に深く食い込んでいます。
ですから、日本と韓国の間に問題が起こった時に、通常の外務省のルート
では解決できないような場合でも、独自に解決するだけのチャンネルを
もっているのです。それがあるので、政治家も統一教会をつぶせないので
す。」

と話していました。

 ただし、これは小泉政権以前の話です。ですから、最近になって、竹島の
問題など、日韓関係が緊張関係になる場合が多いのは、こういう背景がある
のかもしれません。

 しかし、短期的には、こういう「裏技」で問題が解決できたのですが、
長期的には、不明路な方法での解決は歴史に汚点が残ると思います。その意味
では、やはり、正々堂々、言うべき事は言う、という王道での対応が必要かと
感じました。

合掌 ありがとうございます

178山ちゃん1952:2011/07/21(木) 10:09:56
志恩様

山口悌治先生は昭和10年から生長の家本部に勤務して『中のこころ』『万葉の世界と精神』
歌壇選評の『いのちを詠ふ』の三冊教文社から出版されていますね。

歌壇においては第一人者であり、優れた才能の持ち主だと言わざるえません。

>山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、壁という壁、
床という床、難しい単行本で埋まってました。本でできたカマクラのような中で、
お話させていただきました。<

皆んなそんな暮らしをしているのです。必死に学習し、その旋律を詩にされていたのだと
思います。

森田先生や安東先生もそのような暮らしですね。以前の青年会の諸先輩は皆沢山の本を
読んでいました。

昔の人は必至になり学習し、それを行動に移していたのです。

179志恩:2011/07/22(金) 00:31:17
山ちゃん1952様

返信、遅くなってすみません。
山口先生のこと、詳しく教えて下さってありがとうございます。

先生は、昭和10年から生長の家本部に勤務されてたとは,存じませんでした。私が,生まれるず〜と以前からW
私の場合は、昭和30年代半ば過ぎからでした。

山口先生は、雅春先生のご高弟でいらっしゃるのに、やさしくて謙虚なご性格で人格的にも非常にすばらしい先生でしたので、全職員からも敬愛されてました。

日本教文社から3冊も、著書を出されていたんですね。私は「万葉の世界と精神」しか持ってなくて。

余談ですが、山口先生は、2月29日の閏年(うるうどし、4年に1度しか巡って来ない)生まれでしたから、60才の誕生日のとき
パロディで、皆でちょっとした15才のバースディ祝いをしてさしあげたことがあります。先生は、その様なちょっとした「ふざけ」にも乗って下さり、
一緒におもしろがって下さる心の広さの持ち主でもおられたんですよ。

180トキ:2011/07/22(金) 11:39:45
玉置和郎の遺言(元秘書 樋口常雄氏著 飛鳥新社発行 昭和62年7月31日)
という本があります。

 玉置氏は、生長の家政治連合推薦の議員です。彼の政務秘書官だった方の回顧録です。
内容は政界の内情話で、生長の家政治連合に直接触れる部分は少ないですが、いくつか
気がついた事を書きます。

 玉置氏は、「田舎の商業学校から、給費学生として北京の中央鉄路学院本科を出て、兵隊。
さらに予備士官学校卒、すぐ終戦帰国、闇屋から24歳で社長。倒産3回。党本部へ。」
(商業学校、予備士官学校ともにトップの成績だったらしい)というやり手の人間でした。
それまでの生長の家政治連合推薦の政治家が、生粋の生長の家の人で、紳士的な方が多かった
のに対し、彼は「票が目当て」で生長の家に接近した人だったようです。しかし、政界内部
では相当なやり手で、谷口雅春先生は、彼の人格ではなく、能力とか行動力に期待された
のではないか、と思います。

 彼はバツグンの集金力を持っていたようです。が、田中角栄と違い、生長の家信徒の方々
から「広く、薄く」集めたので、法律に触れるお金の集め方ではなかったようです。

 かって「KDD]事件という大汚職事件がありました。KDDの経営陣が政界などに賄賂を贈り
かつ自分達も会社の経費を私物化し乱脈を極めていたという事件です。この時、KDDの社長秘書
だった人物もマスコミに糾弾されました。彼は玉置氏と同郷で、奥さんが生長の家の信徒だった関係
で、玉置氏も懸命に彼のために尽くしますが、最後に「メモ」を遺して自殺します。その内容は、
当然、政界工作の一切を書いたもので、これを玉置氏が持っている事から、政界では玉置氏は
いきなり大変な発言力を持つようになります。それ以外にも、玉置氏は各種の政界スキャンダルの
証拠を集め、それを公表しない形で、与野党の政治家に圧力をかける事で、隠然たる力を持ちます。

 こういうやりかたは、当然、彼の評価を下げ、同時に、生長の家の評価も下げる事になります。

 ですから、生長の家本部では、彼に対して、相当な反発や不満を感じていたと言われています。

 あと、中曽根氏への敵意は有名でしたが、実は、中曽根氏は谷口清超先生と東京大学の同級生
で、二人は仲が良かった、という話も村上氏の本にあります。

 なお、最後、玉置氏はガンになります。死期を悟った玉置氏は、今までの行きがかりを捨て、
中曽根氏に全面的に協力する事を約束し、今まで集めた政界スキャンダルの資料も全て処分し
封印していた大臣にもなり、最後まで自分の政治課題の実現のため、活動をされています

合掌 ありがとうございます

181復興G:2011/07/22(金) 16:08:40
こちらのスレッドに初めて参加させて頂きます。
> 50 :山ちゃん1952:2011/06/26(日)
> ・・・・生政連をどうして「谷口雅春先生」が発起されたかということです。

 ──それについては、『生長の家四拾年史』に、次のように書かれています。

──────────

   「国家の成仏ということ」

 昭和38年2月28日、第13回生長の家全国代表者会議を開き、第一次五ヵ年計画最終年度の運動方針を決定した。そのとき総裁谷口雅春先生は結語として次のように述べられた。

「“人間神の子”を説く宗教は他にもある。“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。だがそれでは、とくになぜ生長の家が出現したのか。生長の家の神は住吉大神である。その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に現われ給うたのか。そこが非常に大切なところである。
 『古事記』に示されるごとく、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に現われられた。最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と現われ給うたのである。天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となるということである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに現われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。
 ただ単に、人間は神の子であり、物質はない、肉体はない、病気は治るという、それだけのことではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うというところに、生長の家出現の本当の意義がある。
 したがって、たんに個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおしすすめて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏というところまでゆかなければならないのであって、そのひとつが政治活動なのである。」

 この総裁先生のお言葉のなかに、生長の家の政治活動のすべてが語られる。この翌年の39年3月に第二次五ヵ年計画をうち出したが、その中心課題を国家と政治の基本の確立とその理念の顕現においた。総裁先生のこのお言葉を基にしたことはいうまでもない。そして生長の家政治連合(以下生放逐)はこの第二次五ヵ年計雨の一環として結成をみたのである。すなわち、日本の実相顕現を政治の面から推進してゆこうとするのが生政連なのである。

 もちろん「日本の実相顕現」はこのとき突如はじまったのではない。立教の当初からすでに示されていた。昭和7年5月27日の「久遠天上理想国実現の神示」、同年9月2日の「実相金剛身の神示」、翌8年1月6日の「梅の花の神示」、そして戦後では20年11月27日の「終戦後の神示」、同年12月28日の「日本の実相顕現の神示」、「君民間治の神示」等々はすべて日本実相顕現の神示である。また昭和8年1月、東京最初の講演会で、総裁先生は「中心に帰一する道」を説かれ、昭和10年11月に第1回天講習会が聞かれたときも、先生は『古事記』の御講義を中心にされたのである。・・・・

──────────

> 147で
 ぼるぼ様が 投稿してくださった

「護国の神剣ー生政連讃歌」
なつかしい歌ですね。有名な作曲家 黛敏郎さんが作曲された力強い歌で、私は今でも歌えますよ。

182復興G:2011/07/22(金) 16:14:17
> 181
×生放逐
○生政連

です。(OCRが誤読していました)

183復興G:2011/07/22(金) 16:24:39
> 181
まだほかにも誤読があるようですね。ごめんなさい。
例:
× 第二次五カ年計雨 → ○ 第二次五カ年計画
× 君民間治の神示 → ○ 君民同治の神示

184トキ:2011/07/22(金) 16:54:36
復興G様

 『生長の家四拾年史』は現代では入手が難しい資料ですから、読者には貴重な内容だと思います。
ご提示、ありがとうございます。谷口雅春先生の燃えるようなお気持ちがわかるようなご文章だと
思います。

 生長の家政治連合と言えば玉置先生や村上先生が有名ですが、他にも重宗雄三先生や横山フク先生
など、立派な先生が多数おられましたね。当時の事をしる人が少なくなっているので、ご存知の方の
積極的な投稿を期待しております。

合掌 ありがとうございます

185ぼるぼ:2011/07/22(金) 17:38:11
僕は、雅春先生なら生政連の活動を停止しなかったと思っている。

雅春先生が総本山に移住し、実権が完全に清超新総裁に移った結果であった。

玉置氏は和歌山2区に鞍替えを果たしたものの、わずか4年後に64歳という若さで病死した。

政界の風見鶏といわれた中曽根氏に接近したのも間違いであった。以前この掲示板にも書いたが、渡部昇一さんの指摘するように、我が国が不自然に中韓にぺこぺこする原因を作ったのがほかならぬ中曽根内閣時代の国会質問であったからである。

すなわち、土井たか子の質問にたいして、外務委員だった小和田氏が、サンフランシスコ講和条約を無視して、東京裁判史観をもって内閣了解事項とするとした売国的答弁をしたのであった。

これが今日まで踏襲されている。

復興Gさんが紹介してくれた生政連の理念がある以上、今日の日本においてそのような生政連が再建される必要があります。

186復興G:2011/07/22(金) 18:11:41
> 180 :トキ様

 貴重な資料をいろいろと教えていただき、ありがとうございます。

 最初、玉置和郎氏は「票が目当て」で生長の家に接近したのでしたが、生長の家の信徒たちが、谷口雅春先生の推される人なのだからと、熱く燃えて命がけの選挙運動をしてくれる、その清らかな目に感動し、滂沱とあふれる涙を抑えられなくなるような体験をした。それから真剣に『生命の實相』などの聖典を読み、生長の家信徒になった──ということを書いた『善人よ強くなろう』という新書版の本(日本教文社刊)が爆発的に売れ、それも大きな推進力になって、昭和40年7月の参議院全国区では85万5千票余りを獲得し、夕刻の、一番多くの人がテレビを見ている時間帯に、「全国区第1位 玉置和觔 生長の家推薦」と報道され、バンザイ、バンザイと沸き立ったことを思い出します。最終的にはトップ当選ではなく、第3位でしたが。
 その3年前昭和37年には30万票で惜敗(落選)だったのが、3年後に3倍近くの票を獲得できたということですから、いかに生長の家信徒が谷口雅春先生の願いにお応えすべく“しゃかりき”になってがんばったかがわかります。

 この生政連は会長が田中忠雄氏、事務局長には大峡儷三(おおはざまれいぞう・「れい」の字にはにんべんがつきます)→ 小山孝雄 → 高森晴雄 → 小倉昌人 氏が事務局長を務められたと思います。

 しかし、現象界の政界は魑魅魍魎の跋扈する世界のようですから、宗教団体が純粋な動機を保ちながら政治活動にかかわることは、容易なことではなかったのですね。

 谷口雅春先生は、「聖胎を長養する」ために、政治活動は凍結するというお言葉を『聖使命』紙に発表されたと記憶しています。

 この生政連の政治運動は、なぜ凍結されなければならなかったのか、私もそれを考えてみたいと思います。

187<削除>:<削除>
<削除>

188復興G:2011/07/23(土) 09:50:28

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<2>
○生政連の参謀室からは、詳細なる理由を挙げた上で、次のやうな献言が来てゐた。
『以上から判断して、
 1、正攻法では全く当選の見込み両氏ともなく、泡沫候補扱ひを受け、生長の家の誌友も、また候補者本人たちも、余りにも惨めな思ひをすること。
 2、参院選で受けた恩を仇で返すといふ、信義を失ふ結果になること。
  (参院選で吾々の候補を応援して下さつた国会議員諸氏と同じ地盤で票の争奪戦をすることになり、どちらの候補も落選のおそれがある)
 3、教勢発展に支障を来たし、生長の家をやめてゆく者が続出するであらうこと。
 (選挙疲れのため選挙が厭になつてきてゐる)
 4、それでも強行するとすれば、一候補当り五億円の金を用意しなければならぬこと。生政連本部では参院選中の借金が皆済されてゐない現在、十億円どころかその十分の一も金策できる現状ではないこと。さらに泡沫候補だから自民党公認はとれないため、党や派閥からは金が出ないこと。
 5、仮に信徒の熱意で金が出来たとしても、殴り込み戦術だけに、周囲や色々の人間関係に摩擦や相克を生じてそれがさらに教勢に大きなマイナスになること。
 等々の理由から、今回の衆議院出馬は無理であり、ぜひ見合はせて戴きたいと思ふのであります。衆議院を狙ふなら、公明、共産のやうに、まづ地方議員を大量に育成し強化し、生政連の地盤を固めてからやるほかありません。そのためには急いでも最低五年の準備歳月が必要であります。
 ところが総裁先生が最近の最高首脳者会の席上、田中、村上両氏を衆院選に出馬させると発言せられたので、総裁先生のご命令なので、ハイと素直に受ける他なかつたのですが、勝算は全くないこと、金策もたたぬこと(村上君はこんどの選挙で五百萬圓ほど借金を残し、その返済に目下苦慮してゐる状態です)そしてさらに、勝算のない選挙を実際にやる地元の生長の家幹部が気の毒でならぬことなどを考へ合せて、本心は辞退したい気持でをりますが、御命令に背くので、それも申し上げられないといふのが現在の実情です』
 以上流石に生政連の参謀室は其の道に詳しいのである。

189復興G:2011/07/23(土) 09:55:51

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<3>
 村上氏を立候補させることにした愛媛県の白鳩連合会長の寄野美枝さんからは次のやうな手紙がが家内宛に来てゐた。
『合掌 ありがたう御座います。
 御奥様、御見舞ひも申し上げませず失礼をいたしてをりますことを御許し下さいませ。実は私も選挙のあと、すぐ入院いたしまして、只今は大変よくなつてをりますのですが、医者は、数字的(血圧と、糖尿)に見ますものですから、一切を白紙から、出なほすつもりで素直な気持になつてをります。ところがどうしても、心境を御報告、申し上げておかねばならぬ事が起つて參りました。
 それは例の村上正邦先生を愛媛の一区から、出すことについてで御座います。私が此の事を人の噂によつて知つたのは九月六日で御座いました。其の時の私の驚きやうは、血圧も下つてをりましたのに一ぺんにはね上り二百六十にもなつた程でした。早速、息苦しい中から、本部、生政連へ電話させて頂きました。愛媛一区の松山は、愛媛県でも一番弱いところで此の地域の人達を引張つて行くのに、どれほどの苦労をしてゐるか、とてもお話にならない位です。其の上現状を分析いたしますと、前回生政連から推薦いたしました塩崎代議士と、共食になつてしまふのです。まだ其の上、社会党か出る湯山勇氏は党籍は社会党ですが、松山の婦人等、教育者たちに熱狂的な人気があり、革新ぎらひの人々でも湯山さんだけは別問題だと言つてをり、前々回知事選に出馬した時などわづかの差で惜敗したが、大多数の票を松山の婦人票で取つたほどでした。又聞くところによると菅太郎氏が出ないので其の地盤を頂くさうですが、とても三分の一もむつかしいであらうと言ふのは誰しも知つてゐる事で御座います。
 一応此の実情を大峡事務局長に申しましたところ、大峡局長の申されるのに、生長の家十月号、明窓浄机を拝読したか?(六日では地方は届いてをりません)とにかく明窓浄机を拝見して下さいとの事でした。待てど暮らせど今月に限つて、おそいのです。私は、其の夜から寝られない幾夜を過しました揚句、悩みに悩み抜いた結果、或る夜明けハツとして神の声なき声を聞くことが出来ました。
(つづく)

190復興G:2011/07/23(土) 09:56:29

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<4>
(愛媛県の当時白鳩連合会長の寄野美枝さんからのお手紙のつづき)
 現象的に分析したならば常識で考へたなら、どんな手を打つても勝目のないやうに見える事も、又個人的には塩崎代議士など一緒に同行して各家を訪問した際、私の肉体では、足が、もう一歩も進まない程、自動車のドアを開けて下さつても後から押して貰はなかつたら座席に乗れないほど、ヘトヘトになるところまで歩いて頂きました。そんな事何回となくくり返しました。たつた昨日まで塩崎先生、此の御恩返しは次の衆議院選で返礼いたしますからと、口を揃へて言つてをつた矢先、今度は、其の人と戦ふ、こんな事が、人間として、出来る事であらうか。
 「此のやうな、苦しい事も、顔の悪くなる事も、都合の悪い事も、皆、切つて捨てて無條件で、中心に帰一する事だよ」此の声なき声に、ハツとして起き上りました。そして、今まで悩んだ事は、ほんたうにすつきりといたしました。大きな壁にぶつつかつて大きな風穴が開いたやうに、身も心も一ぺんで軽くなりました。
 さうしましたら不思議なことに、其の日の午後、「生長の家」誌を手にした塩崎代議士夫人が、東京からかけつけました。そこで私は初めて総裁先生の御筆を拝読させて頂きました。併し私の心は、六日に生政連へ電話した時とは打つて変つて、澄み切つた青空のやうな気持でしたから、私は塩崎夫人の前へ頭を深々とたれまして、「つい先日までお世話になつた私達が、今度はお宅様と競ふやうな事になりまして誠に申わけないと存じますが、個人の立場としたならば到底、出来ることではないと思ひますが、愛国の至情に立つて、中心に帰一する立場としては、私は生長の家をやめる事は出来ないのですから、何卒御許し下さいませ。貴女のお気持は判りすぎるほどよく判らせて頂きます。どうかお気の済むやうに、なさつて下さいませ」と、頭をたれたまま涙ながらに申しました。
 さすがに塩崎夫人も御教を頂いてをられる方だけに涙を浮べてまた逆に、私を、いたはり激励して、お帰りになりました。それはそれは美しい光景で御座いました。さて此の程度ならば何も事更に手紙にまでしなくともと思ひましたが、明窓浄机をよくよく拝読させて頂きますと、やはり一応は、現象面のことも申し上げておいてなほ其の上で、私の無條件のハイが、松山の至極おとなしい、割合ひ消極的な人の多い信徒の一人一人に、此の心を伝へて行くことが出来るか、私も、ひたすらな精進を続ける覚悟でをりますが、どれほどの奇蹟が現れるか、唯々、結果は神様にまかせて、松山の信徒の一人一人に勇気の湧いて来ることを祈りつづけてをります。拙い筆で御座いますが、御奥様から、親しく総裁先生にお話し申し上げておいて下さいませ。再合掌
   寄能美枝
 谷口輝子御奥様御前に』

191復興G:2011/07/23(土) 09:57:10

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<5>
 この手紙は涙なしに読むことはできないのである。私の我武者羅な注文のために、高血圧になり、入院まで寄能さんにさせたことは、まことに申訳がないと思ふ。寄能さんひとりではなく関係方面に色々の迷惑をかけてゐることだと思ふ。ここに皆さんにおわびする。この位の事がわからぬ位ならば解散してしまへと木間さんはいはれる、それは私に、生政連関係の仕事をやめて引込めといふ神様の言葉だと私は受取るのである。しばらく私は住居を東京から僻遠の小村に居を遷して国の中央部とは遠ざかることになつてゐるのも神さまのお指図であると思ふ。
 私は本誌にも、他の市販の政治雑誌にも、次期衆院選に田中、村上を出馬させると公表したのに、それを今更とり消する、私の面子は丸つぶれであるけれども、私は政治方面の天分など持ち合はさないのだけれども、国家の危機と、年間三百万人殺される胎児のことを思ふと止むに止まれない気持で、政治方面にここまで努力して来たのである。しかし生政連もここまで育つて来て、私のやうな素人が口を挿まないでも一人立ち出来る錚々たる人物が中央には数人はゐるからこれらの人々に委せておけば大丈夫だと思ふ。私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい。現在の日本国は思想や国民の精神状態から見れば開闢以来の一大国難の秋なので、その国難を支へる宗教、政治、思想団体といへば、まだ力が充分発揮できないが、生長の家のみであるからである。
○田中、村上が衆議院出馬を断念した場合、三年後の参院選をどうするかといふ問題が残ります。この両氏に玉置、鹿島を加へて四名では三年後の参院選には、生長の家の資力からは勝算がないので、なんとかこの四人を生かしてあげたいといふので、この四名を二つに分け、二人を先づ衆院に出馬させ、残りの二名を三年後の参院選に出馬させれば、無理なしに四人の国会議員が生長の家から出て、それだけ発言権が増え、優生保護法でも通過させ易いし、一且、吾々が推薦した味方の人たちを彼を推薦し、此れを推薦しないといふ不公平を無くしたいといふ愛念からであつたのである。しかし、智慧なき愛念は結局、選挙関係の信徒及び誌友たちを精神的に苦しめて、高血圧で入院までする人までも生じました。「心、全相に達せざるを迷ひといふ」と大乗起信論にある通りです。
 そこで田中忠雄氏に立候補をやめるやうに説き、三年後の参院への出馬をも断念して頂いて、生政連会長として本部に残つて、後進の指導にあたつて頂くと同時に、従来の天分である禅学の完成に邁進して頂くやうに致しました。田中忠雄氏は、落選の時点では、私の勧めで衆院選に出馬を決意されましたが、現在の心境は、国会議員の泥仕合の中に自分を汚すよりも、座禅に徹し、明鏡止水の心境を取り戻して道元の研究の大作に取り組みたい心境になつてゐられる。
 作家の林房雄氏は参院選では田中後援会長をせられたが、田中氏の出馬を最初から反対で、政治家にするのは惜しい人物で、落選してよかつたと喜んでゐられる由で、誌友の評判でも「田中さんは政治には不向きだ。七十歳を過ぎてしかも新人として衆院選に出ることなどは無謀だ。学者的風貌があり、程度が高い点があり、それが一般になつかしがられないし、少しであるが村上票より少なかつた原因だ。候補者はもつと程度を下げて大衆に親しまれるところまでゆかないと、全国区でさへもこのやうに票が辷る。これが地方区しかない衆院選では、とてもだめだ」といふことが一般の声のやうであつた。三年後の参院選では、尚老齢といふことになり、信徒の運動意欲が喪失するので、さらに票が辷り、こんどのやうに五十万票を得ることは不可能だらうといふ人もある。かうして私も誌友及び信徒の先輩に教へられて、選挙といふものの実態が大分わかつて来たのである。
 田中忠雄氏を生かす道は、もっと他にある。ある人は、田中氏の禅学の蘊蓄に大いに期待して、今後静かに退いて、道元禅師の全著作の決定版と、その完訳版並びに解説といふ大掛りの大事業を生涯賭けてやつて頂きたい。その方が、僅か二人が国会に出て、国会議員一年生では、あまり発言の機会も与へられないし、発言しても用ゐられない状態でゐるよりは、その方が余程、日本国家のためになるといふ人もある。十目の見るところ、十指の指さすところ、誠にそのやうに考へられるのである。

192復興G:2011/07/23(土) 09:58:23

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<6>
○村上正邦氏については、本人はまだ若い(四十二歳)し、将来があり、政治家として大成する素質と、伸びる前途の年齢がある。非常に純粋であり、本人は、たとひ国会議員のバッヂを将来ともつけられなくとも、愛国の一念、生政連の中にゐて献身したいといつてゐる由で、それだけに、次期参院選で雪辱戦をやらせたいし、全国区で次期に出馬すれば、全国各道府県の幹部も一斉に協力して頂けると思ふ。
○田中忠雄氏が三年後には出馬しないとすると、次期参院全国区については村上正邦氏を加へて玉置、鹿島の三人が出馬することになると思ふ。今回は健実に内輪に見積もつて、生政連の実力票九十数万と見て、そのうちの二十万票を、鹿島俊雄氏に差上げれば、後は歯科医師会の票が四十万票以上あるので鹿島氏は非常に楽に当選できると思ふ。また選挙資金の面でも、鹿島氏のそれは歯科医師会が全部負担するするので、生長の家の荷は軽いのであります。玉置氏は、後進の村上氏に生長の家の票の大部分を譲つて、残りの票を加へて、百万票以上をとるべく大いに張り切つてその準備に入つてゐる由。生長の家以外から五十万票を集めようといふ張り切り方ださうである。かういふ風に三人が協調して参院選に出馬すれば、三年後の生長の家の教勢はもつと発展してゐるだらうから、三人とも当選するだらうと思ふ。
○三年後の選挙には、三人のうち、一人か二人にしぼつて応援して、立候補させて、必ず当選さすといふ方法をとれといふ説もあります。これでは非常に楽な選挙となります。その代り、ほつといても当選するよと甘い考へに陥りやすく、あまり必死の活動をしなくなるので、今年の参院選ほどには票が出ないかも知れない。今年、田中、村上両氏で得た百十万票が恐らくその半数に減るかも知れない。さうしたら立候補を1人にしぼつても落選するかも知れない。やつぱり、二人か三人を立候補させ、せめて胎児の虐殺をやめさせる法律が通るまでは、吾々の国会代表を減らすことはできない。これは私の生涯の願ひである。
 しかし、政治方面の知能や機略は私の専門外にあるので、此処には希望をのべるだけで私が長崎に退いた後は、政治のことは今後、副総裁に全托してやつて頂くことにする。私は九州別格本山を、別格を消して大本山に完成することに人生の最後の任期を賭けたいと思ふ。(後略)

193復興G:2011/07/23(土) 11:31:53

 以上の「明窓浄机」を拝読して、私の感想です。

(1)木間敬・寄能美枝 ご両人のお手紙に、まず胸打たれます。ご両人とも、それぞれ谷口雅春先生を深く信じ敬愛しつつ、命がけの気持ちで心情・実情を吐露し、そして鋭い直言献言などもされている。このことにまず驚きます。

(2)それに対して先生は、それを全心全霊で受け止められ、「私の面子は丸つぶれであるけれども」と、すでに発表された「田中忠雄・村上正邦 両氏の次期衆院選出馬は中止する」とおっしゃっているのです。
 ああ! 私は、言葉もありません。

 現総裁と信徒との間柄もかくあらば・・・・と、思います。

(3)谷口雅春先生は、結局「今は政治・選挙活動を中止して聖胎を長養するとき」と、生政連活動の凍結を認め、「聖胎」すなわち聖なる純粋な信仰の本を確立し、長く養い育てて行くようにと諭されました。しかし、上記「明窓浄机」で、「私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい」とはっきり書かれていますから、先生のご意志・ご熱願は明らかです。でも、信仰の基礎をないがしろにしたまま政治活動にばかり走ったのでは、かえって混乱を招き、国家を救うことにならないのではないか。今こそ、盤石の揺るぎない信仰の基礎を確立して前進する時でしょう。

(4)昭和50年前後ごろ、『理想世界』百万運動を繰り広げたリーダーの森田征史氏・安東巌氏らは、当時生政連の中央部に直接関係していた方ではありませんでしたが、谷口雅春先生の悲願を深く受け止め、真心を持ってそれにお応えしたいと、命がけの活動を展開した。「衆議院を狙ふなら、公明、共産のやうに、まづ地方議員を大量に育成し強化し、生政連の地盤を固めてからやるほかありません。そのためには急いでも最低五年の準備歳月が必要であります」という生政連参謀室の献言が明窓浄机<188>に載せられていましたが、そのように、地方議員から育ててやがて衆議院まで、ということを、全力を挙げてやろうとして来られたのではないかと拝察いたします。

(5)谷口雅宣総裁は、その政治運動の影・闇の部分に引っかかりすぎて、むしろそうした活動をきびしく弾圧・排除してこられた。それで、その反動として「雅宣総裁追放」こそが谷口雅春先生のご悲願を実現する道である、と立ち上がっておられるのが、現在の「本流宣言」や「学ぶ会」の皆さんであろうかと思います。

(6)しかし、雅宣総裁を追放したら、雅春先生のご悲願が達成できるのでしょうか?
   そこを、本当に真剣に考え直す時ではないかと、私は考えております。

194ぼるぼ:2011/07/23(土) 11:49:47
復興G様

当時の明窓浄机を興味深く拝見しました。

雅春先生の心中を慮るに、玉置、田中、村上、そのた生政連参謀諸君は未だ護国の神剣を託すに至らない連中である。

選挙の票読みや資金の手当ばかりで狼狽えている。地方の幹部も、自分の人間関係が壊れる事の方が、国家の危機を救うことより大事であるといってくるし、生政連はまだ未熟な胎児の段階である。

自分は総本山に移って、住吉本宮を顯祭することにする。いづれ、しっかり長い時間をかけて、本格的な生政連を復活させるとしよう。

とりあえず、今は、一旦凍結しよう。

というように解釈しました。

195トキ:2011/07/23(土) 11:57:48
復興G様

 貴重な資料のご提示、深く感謝申し上げます。

 生長の家政治連合については、当時の活動者に話を聞いても、あまり話したがらない事が
多かったです。それは、単に活動停止になったから、という理由だけではなく、やはり自分
がしたくなかった事をせざるを得なかった、という気持ちを持っておられたように感じました。

 一般論ですが、生長の家は実相直視ですから、影の部分というか、失敗にはこだわらない
姿勢が強いです。それが拡大解釈され、過去の話をタブーにする傾向があると思います。
 それが、生長の家政治連合についての論争が今でも継続している背景の一つだと思います。

 今回、ご呈示の資料は、谷口雅春先生のご心境を示すたいへん優れた資料だと拝察します。

 今後とも、復興G様のご投稿を期待する次第であります。

合掌 ありがとうございます

196トキ:2011/07/23(土) 20:09:22
 復興G様のご投稿で少し思い出した事を書きます。

 ずーと昔、何の会議だったか忘れたのですが、谷口清超先生もご臨席の会議があったのです。
その時に、夏期青少年練成会の参加者数が激減した、という報告が上がったのです。
 それをご覧になられた谷口清超先生が、

 「なぜ、参加者が減ったのか、理由を知りたい」

と出席した幹部に問いかけられたのです。ところが、誰も返事をしないのです。
「少々、言いにくい事でもいいから、教えて欲しい。」
と繰り返し谷口清超先生が尋ねられたのですが、とうとう誰も満足のいく返答をしなかった
のです。

 最近では、谷口雅宣先生がご講習会が終了後、教区の幹部を集めて「幹部懇談会」
とか「特別幹部会」とかを開かれますが、あれも出席すると幹部は本当の事をあまり
言いません。私よりもエラい人が総裁に縷々説明するのを後ろで聞きながら、内心

「ウソだろ」

と思った事は何回かあります。まあ、講習会の前日には、教化部長から
「明日の幹部懇親会では、つまらない話をするなよ」
と釘をさされますから、気の毒になった、つい控えめの発言になってしまいますね。

 そう言えば、倒産したヤオハンの和田一夫さんが、「最後の方には、都合の悪い
情報が入って来なくなった」と言われていました。なんとなくわかります。

 おそらく、今でも、生長の家のエラい人のところには、都合の悪い情報はあまり
行かないような気がします。

 そうすると、やはり、都合の悪い情報とか意見もきちんとあげるのは、大切な
事だと感じました。その点、復興G様があげられた方々はご立派だと思います。

合掌 ありがとうございます

197山ちゃん1952:2011/07/24(日) 00:12:15
トキ様へ

今回 中公新書クラレ 『歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)』の本を紹介
して頂きありがとうございます。
早速、今日購入して読みました。

私のブログで書きました『社会運動の状況』では『甘露の法雨』で魚雷に当たらなかったり
そういう場面にはならなかった。という話を本部講師がして、特高に睨まれていましたが、

雅春先生は「生長の家本部の理事であった西岡茂泰少尉や、本部講師の小路金蔵少佐や大森知義中佐など坐乗
している間は其の軍艦は不思議に、爆弾も魚雷も命中せずにいて、他艦に転乗または、
陸上勤務になった直後に、爆沈されていて・・・」生長の家三十年史より

『甘露の法雨』の功徳についてはいろいろと勉強になりました。
トキ様の文章を私のブログに無断で抜粋させていただきました。
すいません。
また教えて下さい。お願いします。

198ぼるぼ:2011/07/24(日) 10:25:27
合掌、ありがとうございます。

 最近の、ネット上の記事に啓発され、何十年も埃に埋もれていた雅春先生の本を取り出して再読しているところです。

永らく錯覚していた事柄にいまさら気がついて、大いに反省させらています。

例えば、日本占領について。

ぼくは、戦後生まれなので、当然、戦後の占領下で教育され、しっかり自虐史観を教え込まれて育った訳です。

それで、サンフランシスコ講和条約までは完全に、その後も軍事的には完全に、日本は連合国(=アメリカ)の占領下に置かれていて、もうアメリカのやりたい放題になっているのも、戦争に負けたんだからしょうがないや、と思っていました。

ところが、今、「秘められたる神示」の140ページを読んだ時点で、この錯覚に気がついたのであります。

雅春先生は、こう指摘されていたんです。僕は、以前、この部分を気にも止めずに読み飛ばしていました。

「日本国全土が連合国に占領されたと思い違いしている人もありますが、それも大変な勘違いで、ポツダム宣言の第7条には、第6条までを受けて、
 
 右の如き新秩序が建設せられ、且つ日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は我らのここに指示する基本的目的の達成を確保する為占領せらるべし

 とあるのであって、

占領せられたのは諸地点(英語ではpoints)であって、日本国全土ではないのであります。

すなわち、一度も日本国全土は占領せられず、軍隊だけが降伏して、日本国は未だかつて滅びたことはないのであります。

戦後教育では、日本は戦争に負けて、原爆で広島、長崎がやられ、東京や大阪も焼夷弾で焼き滅ぼされてしまって、もう完全に灰燼に帰し、死んでしまったのだと襲えられて来たのである。

でも、そんな死んでしまった国家が、いく朝鮮特需があったからといえ、急激に復興してあっというまにGNP世界第二位の経済力を持つようになったのはなぜなのかを真剣に考えても見なかったのである。

これを奇跡の経済復興だ、などといって無邪気に喜んでいると、今日のような愚民が大量に発生して、民主党政権を作ってしまうことになったのである。

奇跡はないのである。日本は滅びていなかった。先の敗戦で、ちょっと怪我をした程度の傷を負っただけであった。

天皇陛下が無事であることが証明しているのに、日本弱体化の宣伝、教育に乗せられて、多くの日本人が敗戦の時点で記憶を断ち切られて来た。

自民党も民主党も、いまや戦後の亡国思想、売国政治家に牛耳られている。

いまこそ、護国の神剣、生政連の理念が顕現し、日本国の政治を神の指導にのみ服すように、再生する時である。

199志恩:2011/07/24(日) 16:53:46
ぼるぼ様

谷口雅春先生のご著書「秘められたる神示」の140頁にすごいことが記されてあったのですね。

『占領されたのは諸地点であって、日本全土では、なかった、いちども日本全土は占領せられず、軍隊だけが降伏して、
日本全土は未だかって滅びたことはないのであります。』とは、世紀の大発見に近いご指摘を、ぼるぼ様は、あらためて発見されたと思います。私などより、トキ様や復興G様に、コメントしていただきたい内容です。
お二人とも,今日はおでかけなのでしょう。

復興G様も昭和49年代の生長の家誌を、よく持っておられましたねぇ。”明窓浄机”の生政連に関する,詳しい文章を載せて下さって、ほんとに勉強になりました。私も読んでるはずなんですけれどね。忘れてることが多くて、はずかしいです。

トキ様も、またまた玉置和雄先生情報を書いて下さいまして、ありがとうございます。

お三人とも、幹部でおらるのでしょう。視点が違います。高度です。

私は、平の職員でしたから、幹部でないので、むずかしいことは書けません。例えば、西岡理事と書いてあれば、「いらした、いらした、いらしたぞ。そうだよ、あのお方、確かに軍人さんのお顔されてたな」とか、
東山半之介先生、菊地藤吉先生と出れば、「そういえば、かわいがってもらったよな」とか、ご神像を彫刻された服部先生の奥様も
本部に本部講師としておられましたから、ご神像と聞けば、「なつかしいぞ、服部先生の奥様!おやさしい方だった」とか、人間関係のことをあれこれ思い出し、
私は、どうにもならない体たらくな感想しか述べられませんので、はずかしいので、しばらくの間、見学者のほうへ回っていたいと存じています。

でも、皆様のことは、みまもらせていただいておりますからね。

ブログ管理人様には、いつもおなかをよじらされて、義春様の体験談には いつも感涙させられて、初心者様の新たな一面を拝見しては、感動したり、いつもながらのかわいい個性的なうのはな様にほほえませていただいたり,その他のかたがたも愉快な文才が、
おありになって、トキ様の集会所は、ほんとにすてきなところです。

200トキ:2011/07/24(日) 19:27:21
>>199

志恩様の投稿はいつも素晴らしい内容で、感心しております。志恩様の場合、直接見聞した
内容ですから、貴重な証言です。どうか、気にしないで、どんどん投稿をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

201トキ:2011/07/26(火) 19:35:58
>>199

志恩様

 追伸です。故 榎本恵吾先生はご生前、何冊かの本を自費出版で出されています。
最後に出版された本は「弟子像」という本です。この本は、藤原敏之先生、徳久克巳先生、吉田
國太郎先生など、榎本先生が師事した谷口雅春先生の直弟子の先生方の思い出を書かれた本です。
 谷口雅春先生については、今まで何冊も本が出ています。しかし、こういう弟子の先生方につい
て、詳細に書かれたのは、この本が最初だと思います。量も内容も、自費出版とは思えないほど
すごいものです。よく、ご多忙の中、この本を遺されたと感嘆します。

 実は私もこの本は持っていません。榎本先生が、特に自分の真意をわかってくれる人に限定して
この本を配布されたからです。そして、この本を読むと、榎本先生が何を後世に言い残したかった
のかがわかります。弟子の姿を通して、求道とは何かを切々と訴えたかったと思います。

 ちなみに、この本を榎本先生から「あなたなら、私の真意をわかってもらえるだろう」と
言われたもらった人を知っていますが、その方は「今の教え」は間違いだと思っている人で、
「学ぶ会」とは関わりを持ちたくない、と言っている人です。

 もし、今、総裁と学ぶ会の会長に推薦する本があるとしたら、この「弟子像」でしょう。
ご一読をお勧めします・・・・と申しても、容易に入手できるものでないのが残念ですが。

 志恩様のご文章を拝見すると、違う観点からの「弟子像」が見えてきます。
その意味で、志恩様の証言もたいへん貴重だと思います。

 今後とも、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます


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