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音楽スレ(2021~ )

1korou:2021/01/01(金) 16:34:02
2020年までで938書き込み。
「名曲300選」の途中とはいえ
それは1000書き込みで完結しない見込み。
となれば、年の途中でスレが変わるのもどうかと思うので
新スレをスタート。

137korou:2022/02/09(水) 15:55:50
(1952年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」(ギーゼキング、ロスバウト&ベルリン・シュターツカペレ、1937年録音)
★★★★★★★★☆☆
これは優れた演奏。録音はこの年代にしてはまずまず良好。
ギーゼキングのピアノは、余計な解釈を一切排して、ストレートに楽想を伝えてくる。
その明晰な演奏を支えるオケのほうも、堅実そのものだ。
あまり聴き馴染みのない曲だが、この演奏ならずっと聴ける。
両端の速い楽章も、中間の緩徐楽章も
どちらもキリっとして明快で気持ちよい。
1937年という年代を考えると、超モダンと言えよう。
とりあえず8点をつける価値ありと判定。

138korou:2022/02/10(木) 10:11:30
(1952年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ、ヴァイオリンとチェロと管弦楽のための三重協奏曲」
(ワルター指揮 ニューヨークフィル (P)ワルター・ヘンドル (Vc)レナード・ローズ (Vn)ジョン・コリリアーノ 1949年3月21日録音)
★★★★★★★☆☆☆

初めて聴いた曲で、ベートーヴェン中期の作品としては珍しく駄作と言われている曲らしい。
確かに、全般に貴族のサロンで上品に演奏されそうな無難な曲で
劇的な盛り上がりとか、人間賛歌が胸にこみ上げてくるといった感動は皆無だ。
とても「英雄」と「熱情」の間に作られた曲とは思えない。
そんな凡庸な曲を、明確な表情づけで立派に聴かせているワルターはさすがだ。
ピアノのヘンドルはハイフエッツの伴奏指揮者としてのみ著名だが
ここでのピアノは堅実そのもの、悪く言えば個性に乏しいが、かといって特に問題もない。
チェロのコリリアーノも、いくらか表情づけが見られるが
もともと米国の著名オケでのリーダー格ということで
いかにも全体に合わせている感じはヘンドルと同様。
ヴァイオリンのローズは、NYPのコンマスということで
この三重協奏曲という珍しい企画を立てるにあたって
オケがNYPということで自然と選ばれることになったのだろうが
独奏者3名のなかでは一番雄弁に弾いている(勝手知ったるオケでの演奏だから当然か)
全体として、ワルターとローズの明確なラインに沿って、
他の演奏者もよくそれに合わせているといった感じ。
曖昧なところが何一つないので、初めて聴いたが、飽きは感じなかった。
評価しようにも他の演奏を知らないので難しいが
平均で7点というところか。

139korou:2022/02/10(木) 11:49:42
(1952年の新譜から)
ドボルザーク「チェロ協奏曲」(カザルス、セル&チェコ・フィル、1937年録音)
★★★★★★★☆☆☆

驚くほどクリアな音質で、とても1937年録音とは思えないほどである。
大芸術家であるカザルスの演奏が、それも壮年期の力強い弾きっぷりが
こうして見事な音質で残されているのには、関係者に本当に感謝したい気持ちになる。
カザルスは偉大なのだが、今までその名声にふさわしい演奏を聴いたことがなく、
今回これを聴いて大いに納得。
好みという点からいえば、もう少しゆったりとした情感あふれる弾きっぷりのほうがいいのだが
何というか、このカザルスの演奏には
そんな小さい「好み」などを超越した人間性を感じてしまう。
オケも、若き日のセルも、まるでそんなカザルスの”引力”にひきずられて
平常以上の水準の演奏を引き出してもらったかのように聴こえる。
セルは、この頃からオケの底力を引き出す力はあったに違いないが
カザルスのオーラがそれをさらに底上げしている。

とはいえ
(ベートーヴェンにこのクオリティのチェロ協があれば文句なしなのだが)
さすがに民族音楽としてチェコ、アメリカの音楽を駆使した特殊な曲だけに
カザルスの人間性だけで全てOKというわけにもいかない。
これはドボルザークの音楽の真髄を極めた演奏というより
カザルスという超絶なチェリストを知るための録音というほうがふさわしい。
その意味では、カザルスには申し訳ないが、標準の7点ということになる。

140korou:2022/02/10(木) 17:13:28
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第2」(ワルター&NYP、1952.3.17録音)
★★★★★★★★☆☆

他の演奏家はともかく、ワルター盤に関しては
この時代にあっても迅速に輸入されていたようで
この演奏などは録音の翌年には新譜として日本でも発売されている。
ワルターほどのビッグネームがベートーヴェンの名曲を振るとなると
何回も演奏機会があるので、簡単には特定できないという
新しい問題が生じてきたのだが
この演奏に関しては、詳細なワルターのディスコグラフィーがネット上にあったので
1952年録音分をレコ芸で推薦していることが特定でき
その演奏はユンク君で聴くことができたので
安心して確認することができる。
それにしても、単純に4、5年経って日本で新譜として発売と見做していたので
1952年のワルターの推薦盤についても見直して確認の必要が出てきた。

それはともかく、演奏そのものは定評のあるもので、さすがである。
ただし、最近の自分の嗜好がこういう曲調に馴染まないので
本当なら☆9つでもいいのだが、今の気分としては☆8つが妥当のように思える。
さらに言えば
NYPの音色が、セル&クリーヴランド管のようなモノトーンな感じなのが物足りない。
(とはいえ、その音色のままでブラームス「第2」のような名演もあるのだが)

141korou:2022/02/12(土) 18:00:21
(1967年の新譜から)
ベートーヴェン「英雄」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1961.4.9録音)
★★★★★★★☆☆☆

ずっとモノーラル録音の演奏を聴いていると
それはそれで以前より遥かに聴き易い音質のものを
ユンク氏が保証してくれているとはいえ
さすがにステレオ音質のものを聴きたくなってくる。
そこで、今回から
今参照中の小冊子の末尾から逆に辿るルートも開始することにした。
今日はその第1回で、1967年の新譜のオーマンディのベートーヴェンである。
1961年録音であれば、もうこの時期であれば、2年以内には新譜になるはずなのだが
データを見ると”C→CS”とあるので
これは1960年代前半にコロンビアから出た新譜を
1967年のCBSSONYレーベル開始において、改めて新譜として再発売したものとも考えられ(違うかもしれないが・・・)
その過程で、当時見逃されてきたこの演奏が再評価されたのではないかと解釈してみた。

オーマンディのベート―ヴェンなんか始めて聴いたのだが
予想よりも遥かに良かった。
鳴っている音が実に堂々としていて、揺るぎがない。
ベートーヴェンらしい内部から発せられる緊迫感、攻撃性という要素が皆無なのが
いかにもオーマンディらしく、その意味では予想通りなのだが
それに代わる要素はこれほど耳に心地よく響くとは思ってもみなかった。
本質的なところが抜けているので高評価にはならないが
かといって問題外の演奏ということでもなく
よって☆7つの標準点とした。

142korou:2022/02/13(日) 15:03:58
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第4」(ワルター&NYP、1952.3.24録音)
★★★★★★★☆☆☆

「第2」よりはいろいろな箇所でやり足りない感じが目立ち
☆7つとした。
曲そのものも、今となっては名演が難しい類になっている気がする。
この曲想を煮詰めていくと「第7」になるのではないかと思えるが
「第7」の完成度を思えば、かなり不出来な曲に感じられる。
「第4」の名演を探さなければ。

143korou:2022/02/13(日) 15:55:48
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「英雄」(ワルター&NYP、1941.1.20録音)
★★★★★★★☆☆☆

1941年の録音によるものが1953年の新譜というのも妙だが
データを確認すると、どうもSPからの復刻版のようだし
ワルター&NYPによる一連の新録音シリーズを発売するにあたって
「エロイカ」の新譜も入れなければということから
戦争の関係で新譜の入荷が途絶えていた時期のものを復活させたのではないか
と推測されるのである。
録音状態も1952年新録音と比べて決して遜色ないので
当時としても違和感はなかったと思われる。

演奏は、後年のもっと優れた名演を知っている我々にとっては
ワルターの「エロイカ」はこんなものではないと言えるのだが
個性あふれる解釈が流布していた当時としては
このすっきりしたストレートな響きは歓迎されたはずである。
今聴くと、第1楽章ではもっとテンポを揺らして曲調を高めることはできたはずだし
第2楽章ももっと劇的に盛り上げることができたはずである。
それに比べて後半2楽章は、さすがの解釈で個性が出ている。
第3楽章の短さにはちょっと驚かされたが、ソロ楽器の響かせ方にワルターらしい魅力が聴けるし
終楽章に至っては、他の指揮者ではなかなか味わえない絶妙のテンポルパートが見られる。
渡米して間もない時期だけに、楽団員に細かい指示を出すには
「エロイカ」の前半部分は、あまりに巨大すぎたのではないか。
そんなことを思わせる前後半の出来不出来の差がある演奏だ。
☆は標準で7つということで。

144korou:2022/02/14(月) 16:33:08
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「運命」(ワルター&NYP、1950.2.13録音)
★★★★★★★★☆☆

一連のワルター&NYPのモノーラルのベートーヴェン推薦盤の最後は「運命」。
これは、今までの演奏とは違って、ワルターの細かい配慮が行き届いた名演に聴こえた。
欲を言えば、第1楽章の展開部でもう少し劇的な感じが欲しいのと
第4楽章に突入するときの髪の毛が逆立つような興奮がもっと欲しかったのだが
それ以外は、スタイリッシュなワルターとしては最上の出来のように思われた。
今書いたように曲の急所に物足りないところがあるので
(それとモノーラル録音なのでワルターの細かい指示が聴き取れないのがもどかしい・・・)
★は8つに止めておくのだけれども
第2楽章の冒頭の気持ちを込めた表現など
他の指揮者では聴くことのできない箇所が幾つもあって素晴らしかった。
第1楽章であれほど苦悩しておいて、第2楽章はなんと能天気な音楽なのだろうと
聴くたびに思っていたのだが
今日ワルターのこの演奏を聴いて、このように第2楽章も苦悩に満ちた音楽になれば
連続性が出てきて、曲としての統一感も増すのだと実感した。
全体で32分にも満たない速いテンポの演奏でもあり
これは「運命」のスタンダードではないのだが
いろいろな意味で、曲の細部の真実を抉り出している演奏だと思う。

145korou:2022/02/16(水) 11:04:03
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第九」(トスカニーニ&NBC響ほか、1952.3.31〜4.1録音)
★★★★★★★☆☆☆

実に見事な「第九」で、この演奏に決定的な不満を述べることは
誰にも許されないと言ってもよいくらい。
しかし、それでいて「第九」の真髄をこれほど素通りすることは
いかにトスカニーニの流儀とはいえ
指揮者の権限でそこまで許されていいのだろうかという疑いは
残ってしまうのも否定できない。
とはいえ、圧倒されるというか
この偉大な曲にも、まだこんな演奏の仕方が残っていたのかという驚きが強く
それらの思いが聴くにつれて錯綜として絡まっていき
結局、★7つの普通の評価で終わってしまうのである。
どこにもドイツ風の思い入れ十分な曲想のふくらみなど無い演奏であるから
絶対に★9つ以上の絶賛はできない。
しかし、★6つなど否定的な見解はあり得ないのも間違いない。
第1楽章は秀逸で、まさにユンク氏の言うとおり、この偉大な建造物を
こんな風に登ることもでき、こんな風景があったのかと
新しい発見に満ちた体験が堪能できるのだが・・・
第2楽章の意外なほどのテンポの落とし方で、スケルツォの立体感というのも絶妙なのだが・・・
第3楽章は高尚な響きで凡人の鑑賞力を超越しているのだが、高尚なのはわかるとして・・・
終楽章がこんなにあっさりとしていいのかという根本的な疑問、しかしベートーヴェンの意図は?
結局わからずじまいで★7つとなるのである。
トスカニーニはよく分からないというのが正直なところだが
かといって全然理解できない・・・どころか、どの音も明晰で分かり過ぎるくらい分かるのだから
始末に負えない。

146korou:2022/02/17(木) 10:31:00
(1953年の新譜から)
ブラームス「交響曲第2番」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1953.2.15録音)
★★★★★★☆☆☆☆

またまたオーマンディの指揮に出会う羽目に。
今まで半世紀以上クラシック音楽を聴いてきて
1週間のあいだにオーマンディが振った独墺系音楽を2回も聴くという体験は
絶対になかったはずで
これはこれで貴重な経験と言える。
前回のステレオ盤の「エロイカ」は、さすがにオケの響きが流麗で感心させられたものだが
今回はモノーラルということもあり、その点でオーマンディが苦心したはずのサウンド作りを
堪能するまでには至らなかったというのが正直なところ。
ただし、ブラームスのなかでも超古典的な構成であるこの「第2番」において
オーマンディの手堅い音楽作りの一端は窺えたように思う。
とにかく余計なことは一切せず、淡々と楽譜に向き合い、忠実にその通りに音を鳴らしていく
こういう指揮者は他に存在しないのではないか。
唯一、響きを華麗に流麗に、という個性のみが感じられて
しかし、その響きを何か意味深いものに持ち込む意図は全くないという不思議さ。
1953年の日本において、響きそのものだけでも感動を覚えたかもしれないが
これほど情報が増えて多彩な表現を簡単に知ることができる2022年の現代では
このオーマンディのような演奏を高評価することは難しいはずである。
(ただし、もはや死語文化のようなベートーヴェンの音楽に関しては
 混迷のイメージを払拭する見事な響きこそ意味を持つという逆説も成り立つ、ということか・・・?)
このブラームスに関しては、残念ながら★6つの低評価とした。

147korou:2022/02/19(土) 13:22:44
(1967年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第3番」(シューリヒト&VPO、1965.12.2〜4録音)
★★★★★★★☆☆☆

再びステレオ録音が聴きたくなり、次の該当曲はとリストをたぐってみると
またまたオーマンディのベートーヴェン「第7」「第8」!
ワルター&NYPの硬質な音色のモノーラル、またはオーマンディのモノorステレオの連続!
これはちょっとイレギュラーで敬遠したくなり
その次のステレオはと覗いてみるとシューリヒトのブルックナー。
へぇー、まだこの年代でも録音していたんだと思い
少々長い曲だがチャレンジしてみることに(大げさか)。

シューリヒトの最後の録音のようで
体調はボロボロ、オケをろくにリードできなかった風に
ユンク君は書いている。
確かに第1楽章はあまりシューリヒトらしい鋭さがなく、音が平板に鳴っているように聴こえる。
しかし(ユンク君も指摘のとおり)第2楽章の寂寥感には胸を打たれるものがあり
一度この透明感を体験すると、続く第3楽章、第4楽章も
いくらか無力感は感じるものの、それほど平板な感じはしなくなってきたのも事実。
むしろ、VPOの美しい音色がステレオで響き渡り
いつになく豊かな音質で録音されていることに気付いたりする。
シューリヒトの第2楽章、VPOの第3、4楽章を堪能する演奏だ。
深い何かを感じさせてくれるのが第2楽章だけというのが惜しいので
★は7つ(普通の出来)に止めるが、いわゆる不出来でも愛聴盤という類。
また聴く機会はきっとあると思う。

148korou:2022/02/20(日) 12:28:59
(1953年の新譜から)
ブラームス「交響曲第4番」(ワルター&NYP、1951年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ワルターの個性とブラームスの音楽には親和性が高いのだが
多分、これほどその期待を裏切った例はないのではないか。
これはワルターとしては最悪の演奏である。
第1楽章のどこを切り取っても繊細なフレージングが見られないのには驚かされ
それは第2楽章になっても変わりない。
あまりに酷いので、第3楽章途中からイヤホンで聴くのをやめて
スピーカー出力にしたのだが
たしかにこのくらい大雑把に音を把握したほうが聴きやすい。
考えてみれば、ステレオ録音による優れたブラームスの演奏を聴き続けた結果
かつて聴いたモントゥーやワルター&NYPによるブラームス「第2」などの名演なども
今聴くと案外感動の度合いが低くなっているのではないだろうか。
ブラームスは本当に繊細で
かつその繊細の度合いが高まっていった結果の高揚感なのであり
それは各楽器の音の絡まりが明晰に聴こえてこないと味わえないはずである。
このワルターにしても、演奏そのものはもっと繊細だったのかもしれないが
この録音では(モノラルとしては決して悪くはないレベルだが)伝わってこないのである。
そして、この時期特有の表面的な磨きだけが如実に伝わってきて
晩年のワルターとはあまりにも違い過ぎて、受け入れ難い演奏に聴こえるのである。
ユンク君はある意味高評価を与えているが、残念ながら同意できないので★6つ。

149korou:2022/02/21(月) 12:34:48
昨夜からUSB接続部分の高頻度の脱着による摩耗を恐れることなく
ウォークマンによるクラシック音楽鑑賞を開始することにした。
ユンク君サイトのMP3データベースにログインして「Symphony」ジャンルで検索、最上位結果から順番に視聴。

(ナイトミュージック第1弾)
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第5番」

どの楽章の冒頭も十分に意味深く、ドラティは凄いなと思わせるのだが
いざ曲の本題に入ると、その意味深さがどこかへ消えてしまうという惜しい演奏。
録音の精度は素晴らしく(これはユンク君の解説を後から読んで納得)
特に第2楽章のホルンの音色など、チャイコ「第5」でこれ以上のものはあるのかと思えるほどの美しさ。
あくまでもロンドン響の実力を堪能する演奏で、
その一方で指揮のドラティには
職人に徹し過ぎていて不満が残る。

151korou:2022/02/21(月) 12:39:47
↑ 訂正

”「Symphony」ジャンル”じゃなくて
”「Symphonic」ジャンル”だった。

152korou:2022/02/21(月) 13:37:03
(1953年の新譜から)
モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」(カラヤン&VPO、1949年録音)
★★★★★★★☆☆☆

カラヤンが帝王になる前の時期の演奏で
この時期どのような評価がされていたのか興味深いが
「レコ芸」の当時の文章からはなかなか読みづらいものがある。
注目すべき指揮者なのに、どう高評価すべきか分からないといったような
戸惑いもあるようだ。
しかし、この演奏に関していえば
当時はプロの評論家にとっても神のような存在だったはずのVPOが
実に綺麗なアンサンブルを聴かせてくれているので
文句なしの最上の演奏と書かれている。
カラヤンの棒は未だ没個性的で
これなら他の指揮者でもいいのではないかと思えるほどだ。
VPOが非凡なのでカラヤンの平凡を補って★7つの出来かな。

153korou:2022/02/21(月) 13:56:15
(1953年の新譜から)
レスピーギ「ローマの祭り」(トスカニーニ&NBC響、1949年12月12日録音)
★★★★★★★★☆☆

言わずと知れた歴史的名演奏で
今回も、馴染の無い曲とはいえ、これほど聴き映えする演奏だったのかと
再認識させられた。
トスカニーニの素晴らしいしNBC響のアンサンブルも驚異的で
これが鮮明なステレオ録音だったらどれほど凄かっただろうかと
叶わぬ思いにとらわれる。
本来なら★9つ、または満点でもいいくらいなのだが
さすがにこれほど演奏効果のある曲については
最新の録音で聴きたいので
仕方なく★8つとした。
まあ、内容は軽い曲なんで、いつも聴きたいかと言われれば
首を振るしかないのだけれど。

154korou:2022/02/22(火) 14:41:49
(1953年の新譜から)
グリーグ「ピアノ協奏曲」(リパッティ、ガリエラ&フィルハーモニア管、1948年録音)
★★★★★★★★★★

リパッティ、夭折したピアニスト、だが天才、それも超がつく大天才なのに
誰からも愛され、尊敬され、敬われた人。
この演奏からは、そんな彼の高貴で純粋な魂があふれ出てくるようで
聴いていて絶えず胸を打たれ、もう批評の余地などないほど感動してしまう。
何がどうなっているのかもはや分からないのだが
リパッティが鍵盤を叩いただけで何かが違って聴こえ
世界は美しく輝き出すのだ。
これ以上何が言えよう。
★満点以外はない。

(1953年の新譜から)
シューマン「ピアノ協奏曲」(リパッティ、カラヤン&フィルハーモニア管、1948年4月9,10日録音)
★★★★★★★★★★

これも詩情溢れる名演。カラヤンのきびきびした伴奏ぶりも見事。
シューマンは見かけの穏やかさ、ロマンティックな装いとは裏腹に
どこからともなくしのびよる孤独の影が否定し難く
リパッティはそんな暗い影を巧まずして表現し得ているようで
これも奇跡の演奏というほかなし、★満点というほかなし。

156korou:2022/02/22(火) 21:03:54
(ナイトミュージック第2弾)
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第3番」

書き忘れていた。
というより、昨日は聴いているうちに寝込んでしまっていた。
非常にシンプルな曲で、交響詩のような感じ。
ドラティの演奏は、そんな浅い感じの曲を上手く演奏していた。
もう1回聴かないとダメかも。

157korou:2022/02/23(水) 16:30:18
(1953年の新譜から)
モーツァルト「フルート協奏曲」(モイーズ、ビゴー&パリ音楽院管、1936年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

演奏は大層立派で、近代フルート奏法の祖の名に恥じないと思うが
さすがに1936年録音ともなると、音のヌケがイマイチで
その雰囲気ほどには感銘を受けないのも事実だ。
曲そのものは予想以上に各所がまとまっていて
聴き応えのある佳曲だと思った。
第3楽章は聴いたことのあるメロディで
このメロディがこの曲だったのかという感じ。

(1953年の新譜から)
モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」(カサドシュ、ミュンシュ&NYP、1948年12月20日録音)
★★★★★★★★☆☆

聴き慣れていないフルート協奏曲の直後に聴いたので
この曲、というかモーツァルトの中でピアノ協奏曲というジャンルが占める大きさといったものを
如実に感じてしまった。
カサドシュのピアノは明晰そのもので曖昧な部分は一切なく
まるでベートーヴェンの曲のように力強いタッチで弾き上げている。
ミュンシュの指揮も、そんなカサドシュのピアノに寄り添った感じ。
なんといっても、曲の良さを伝えている点で最上の演奏の一つだと言えよう。

158korou:2022/02/23(水) 16:31:32
(ナイトミュージック第3弾)
セル&クリーヴランド管 マーラー「交響曲第4番」

またしても途中で寝てしまった。まあよくある話だが。
ドラティともども、聴き直しかな?

159korou:2022/02/24(木) 13:30:45
(ナイトミュージック第2弾)を聴き直し。
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第3番」(1965.7.30〜31録音)

やはり未知の曲は昼間Wikiでも見ながら鑑賞しないと
訳が分からないまま終わってしまう。
たった今聴き終わり、意外と長いこの初期最後の交響曲が
しっかりとした構成と曲想を持っていたことが判明した。
ドラティの指揮はすっきりとしていて、実に聴き易い。
ただし「第5番」の時と同様、全体として”当たり前”の指揮で終わっていて
そのあたりはセルとかショルティなどと同じ部類で
そこからいろいろなニュアンスを聴き出すクラシック音楽ファンとは
自分は同じでないので、これを聴き続けることは難しい。
特にこのような未知の曲では
最初に構成をつかむのには最適だが
以降は、曲自体の深さにも聴き及んでくるので
そうなると、もはやお役御免ということになる。

セルのマーラー「第4」は
それなりに面白いし、演奏自体は立派だし
データとして保存したので、これ以上聴くことは止めにする。
ナイトミュージックは、以降既知の曲に限定したい(すぐ評価したいので。途中で寝ても、知っている曲なら評価可能だから)

160korou:2022/02/24(木) 22:59:20
(ナイトミュージック)
☆未知の曲(スルー)
マゼール&VPO「チャイコフスキー 交響曲第3番」
モントゥー&ロンドン響「シベリウス 交響曲第2番」

161korou:2022/02/25(金) 18:17:11
(ナイトミュージック)
ドボルザーク「交響曲第8番」(ジュリーニ&ロンドン響)

これは予想通りの名演。たっぷりと歌って、構成もしっかりとしていて
ジュリーニの指揮の美点がよく出ている。
PCの”ミュージックークラシック”フォルダ内に保存した。

(気まぐれなデイ・ミュージック)
時として、何の脈略もなく特定の曲、演奏を聴きたくなることがあり
今日はコロナワクチン直後の体調不良で、無性に豪快なオケの音を聴きたくなり
結局、ホルスト「惑星」(カラヤン&VPO9を鑑賞。
1961年当時としては録音が抜群で、同じく最新録音のレヴァインよりも音楽的に精緻なので
この曲の推薦盤としてボールトから変更した。

162korou:2022/02/26(土) 11:32:20
(1953年の新譜から)
サン=サーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番」(フランチェスカッティ、ミトロプーロス&NYP、1950年1月23日録音)
★★★★★★★☆☆☆

ロマン派のヴァイオリン協奏曲としては著名な曲らしいが
今回初めて聴いた。
確かに予定調和の調性のなかで、ヴァイオリンがヴィルトゥオーゾ的弾き方で堂々と弾きこなす
典型的な19世紀音楽のように思われた。
フランチェスカッティのヴァイオリンは情熱的で特徴のある弾きっぷりで
それでいて確信にも満ちているので、聴いていて飽きることはない。
ただし、曲がいかにもという感じなので
これだけの名演であっても感銘度は薄いのは仕方ないところ。
★7つとした。

今回などの感じから
これからは協奏曲のジャンルは飛ばすことにした。
交響曲と管弦楽曲に絞って聴き続けたい。

163korou:2022/02/27(日) 16:02:07
(ナイトミュージック)
ブラームス「交響曲第1番」(カラヤン&VPO)

全体にレガートがきつすぎて
部分的にブラームスの音の作り方に合致している部分もあるが
クライマックスでの音響の弱さを感じる面もある。
この曲の場合、どうしても力感が必要になるので
カラヤンの場合、録音だと実演のときのような演奏意志が発揮されず
かなり損をしているように思われる。
なかなか評価が難しいのだが
ベストの演奏としては選べないのは確か。
ベストとしては他にもっと良い演奏があるので。
とはいうものの、レガートがブラームスが作り出す音形に合っている部分とか
60年代前半のカラヤンに共通して感じられる演奏意志が
それはブラームスの音楽が要求しているレベルのものではないにせよ
感じられる点で
他の無難なだけの演奏とは一線を画していることだけは確かだ。

164korou:2022/02/27(日) 16:29:04
(ナイトミュージック)は、自分の好きで聴いているわけで
しかも安眠用という目的もあり
最初に決めた原則をコロコロ都合よく変更して
何ら差し支えない類のものである。

今回、次のような原則に変更することにした。
(原則3)モノーラルの年代は原則飛ばす(あくまでも原則)
(原則4)同じ指揮者のものを連続してチョイスしない(参照するリストが同じ指揮者が並ぶようになっているので念のため)

今までの原則は次のとおり。
(原則1)知らない曲はチョイスしない。
(原則2)すでに聴いた演奏は原則飛ばす(あくまでも原則。聴いていてもよく覚えていないものは除く)

165korou:2022/02/27(日) 16:37:46
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第1番」(トスカニーニ&NBC響、1939年10月28日録音)
★★★★★★★★☆☆

1939年の演奏が、15年かかってLPとして?新譜扱いになるとは
さすがに戦争の影響なのか。
録音状態は悪く、これは年代を考えると仕方ないのだが
1939年でも抜群の音質のものも現に存在するので
トスカニーニの指揮となれば
もっとどうにかならなかったものかと残念になる。
それこそ録音状態さえ良ければ
これは文句なしの★満点の演奏で
★8は、録音の悪さゆえの減点2であり
演奏そのものは神がかりというか
これ以上、ベートーヴェンのシンフォニーとしてふさわしい響きは
考えられない。
やはり世紀の大指揮者だ。

166korou:2022/02/27(日) 17:11:13
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第5番」(ベーム&BPO、1953年3月23日〜25日録音)
★★★★★★★☆☆☆

立派な演奏であることは間違いない。
しかし、聴いていて眠くなるのも事実。
立派過ぎてついていけないという感じもあるし
もう少し何とかやりようはあるだろうという不満も残る。
でも、どういうのがいいのかとなると
この演奏にさらにプラスするものが存在するのかといえば
すぐには思いつけない。
基本、立派な演奏なのだから
下手に批評すると無意味な見解になってしまう。
この時期のBPOには
どことなくフルトヴェングラー時代の凄みを連想させる音色があり
それが壮年期のベームの堂々たる指揮ぶりと相俟って
実に堅固な音楽となっているのだが
あまりに曲の本質をとらえすぎていて
かえって細部の美しさとか
ベートーヴェンの音楽の別の本質かもしれないユーモア、軽妙さなどが
全部消されているかのような演奏に聴こえるのである。
ここにないものがワルター&コロンビア響の演奏にはあるわけだ。
というわけで、★7つの標準的な評価となった次第。

167korou:2022/02/28(月) 13:35:34
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第6番」(エーリッヒ・クライバー&AC管、1953年9月録音)
★★★★★★★★☆☆

録音状態は、弦の響き具合などはまずまずながら
いかにモノーラルとはいえ、これほど真ん中に音が集まり過ぎて
広がりがない音質というのも珍しいくらい。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管なので
それでも細部の美しさなどは伝わってくるものの
名演だけにこの音質は惜しい。
第1楽章、第2楽章は信じられないというか、奇跡的な超名演だ、
第1楽章の溌溂としたリズム、第2楽章のゆったりとしたテンポが醸し出す雰囲気などは
E・クライバーが20世紀最高の指揮者であることを証明している。
誰にも真似できない至高の音楽である。
それに比べると、第3楽章以下は平凡で
そこのギャップが大きくて★8つに止めたのだが
「田園」の前半だけを堪能するのであれば
断然この演奏だろうと思われる。

168korou:2022/02/28(月) 13:38:32
(ナイトミュージック)
ベートーヴェン「交響曲第9番」(クリップス&ロンドン響)

クリップスの指揮は揺るぎない。
音楽の勘所を心得ていて
変わったことは一切しないのだが
印象に残る演奏となっている。
ロンドン響も相変わらず上手い。

169korou:2022/03/01(火) 12:15:42
(1954年の新譜から)
ベルリオーズ「幻想交響曲」(モントゥー&サンフランシスコ管、1950年2月27日録音)
★★★★★★★★★☆

もう35年以上この曲のベストと思っている演奏を
あらためて最初から最後までしっかりと聴いてみた。

そうして聴いたおかげで今回分かったことは
このモントゥーの指揮でこの曲を聴くと
曲の構造が手に取るように分かるということだった。
このフレーズから次の展開になりますよと
丁寧に教えるかのように
そこの部分を強調して聴かせてくれるので
今までぼんやりとしか把握できていなかった曲の流れが
明確に分かってくるのだ。
特に第1楽章のフレージングなど
他の指揮者では聴くことのできない名人の芸術だろう。
その一方で、そうしたフレージングに不向きに第3楽章などは
それほどの感銘は受けず
また第4、第5楽章などは
むしろオケの積極的な音出し(音力?)のほうが目立ってくるのも事実。
”通俗的になるきらいがある”という当時の評価も
その点を指しているのだろうが
自分などには、むしろ安心して聴けて良い面ばかりに聴こえた。
全体として★9つが妥当だろう。

170korou:2022/03/02(水) 09:58:38
(ナイトミュージック)
チャイコフスキー「交響曲第6番」(フリッチャイ&BPO)

フリッチャイの1959年の指揮ということで
結構期待するところがあったのだが
この曲に関しては、録音がすっきりしないこと、BPOが意外と冴えないこと等もあって
それほど感銘を受けなかった。
ユンク氏の文章を読んで、1953年の演奏もあることを知り(サイトでは逆にその1953年盤のみがアップされている)
それも聴いてみたが
オケがRIAS響というBPOよりランクが下のオケであるにもかかわらず
むしろそっちの方がスムーズに曲想が展開しているように思われた。
何事も思い込みは禁物で
フリッチャイなら何でも晩年のほうが傑作というわけでもないようである。

171korou:2022/03/02(水) 10:53:58
(1954年の新譜から)
ブラームス「交響曲第1番」(ベイヌム&AC管、1951年9月録音)
★★★★★★★☆☆☆

冒頭から貧相な音質でがっかりさせられるのだが
演奏は質素かつ堅固というべき中身の充実した
紛れもないこの時期のベイヌムの輝かしい演奏なので
音質は我慢して聴いていると
第1楽章の再現部の重厚な音、これこそソナタ形式であるべき理想の演奏の形ではないかと
思われるほどの充実した音作りに感心させられた。
その後、そのときの感心というか感動に至るまでの瞬間は訪れなかったが
それでもどこを切っても血潮に満ちているような生命感の輝きは失われず
ベイヌムが非凡な指揮者であったことを十分に窺わせる佳演であることには
間違いないと思われた。
★8つでもいいのだが
いかんせん音質が酷く、この頃のAC管の美しい音色が全く採れていない録音なので
残念ながら★7つとしたが
演奏そのものは★9つでもいいほどのハイレベルだ。
1958年にも同じ組み合わせでステレオ再録しているのだが
この演奏は冒頭から緩やかで緊張感に乏しい感じで
少なくともこの曲の演奏としては出来が落ちるように思われた(全部は聴いていないが)

172korou:2022/03/03(木) 12:12:44
(1954年の新譜から)
ドボルザーク「交響曲第9番」(トスカニーニ&NBC響、1953年2月2日録音)
★★★★★★★☆☆☆

第1楽章冒頭の響きからして、かなり粗悪な録音ということが分かるのだが
これでも、ユンク氏によればかなり改善された響きらしい。
これよりまだ粗悪なものが、トスカニーニの演奏として出回っていたのだとしたら
それは正しい評価をせよというほうがムリな話だ。
今回はその響きを最初我慢して聴いていたのだが
第1楽章の途中から耳が慣れていき
すると、響きの奥底から、純粋に美しいフレージングによるメロディが浮き上がってくるようで
新世界とはかくもリリカルな響きも持っていたのかという
発見にもつながったのである。
もっとも、本当はもっと肉付きの良い解釈と響きで聴くべき曲であるはずなので
このトスカニーニのアプローチは、トスカニーニのように徹底してこそ許されるべきものであって
あくまでも異形の美しさなのである。
そういった諸々の思いを総合して
あえて普通の評価(録音の問題が一番大きいが)★7つとした。
聴くべきものが多い★7つということで。

173korou:2022/03/03(木) 15:11:18
(1954年の新譜から)
ハイドン「交響曲第88番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月5日録音)
★★★★★★★★☆☆

久々にじっくり聴くフルヴェン、しかもお初に聴くハイドン。
想像以上に豊かな音質で、
あたかもウイーン風情緒まで聴こえてくるような感じには驚かされた。
演奏はユンク氏ほか絶賛の内容で
確かにフルトヴェングラーの晩年のスタイルとして
これ以上のものは考えられないのだが
ハイドンの音楽のなかの何かごく一部の要素を
思いっきり拡大して、その良質な部分を見せてくれたという
いわゆる異形の演奏のイメージは否めない。
これは聴く前から予想できたことで
そもそもハイドンをフルヴェンで聴くこと自体
異例な音楽鑑賞なのだから。
それでも純度は高い演奏で
★8つが妥当ではないかと思う。

174korou:2022/03/04(金) 15:16:43
(1954年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第40番」(ワルター&NYP、1953年2月23日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ワルター&NYPの演奏に関しては
今現在の自分の嗜好と全く正反対の位置にあるために
正しく評価することは難しい。
どうしても後年のコロンビア響との円熟の演奏と比較してしまうわけで
あの細部にまでニュアンスが神のごとく行き届いた演奏を知ってしまうと
この時期の演奏にはどうしても不満が残るのである。
NYPの音が大雑把に聴こえてしまうのは仕方ない。
本当はいろいろとニュアンスが伝わる演奏だったのだろうし
当時の批評もそういう感じで書かれているのだが。
厳しいようだが自分の感銘度からして★6つ。
(第3楽章だけは、この演奏のほうが毅然としていて良いのだが)

175korou:2022/03/04(金) 15:49:30
(ナイトミュージック)
フランク「交響曲 二短調」(バーンスタイン&NYP)

第1楽章冒頭は意味深げな音の響かせ方で期待をもたせるが
主部に入るとその緊張感は消えてなくなり
それはそれで面白い音響の展開ではあるのだが
統一性はみられない。
第2、第3楽章については
それほどの個性は見られない。
いたるところにバーンスタインの個性は発揮されているので
レニー好きの人には満足できるが
それ以外の人に何らアピールしない演奏のように思われる。
それに、この隠れた名曲には、もっと優れた演奏がいくつか存在するので
そのレベルにまで達しているようにも思えない。

176korou:2022/03/05(土) 23:14:30
(ナイトミュージック)
シューベルト「未完成」(マゼール&BPO)

特に不満な点はない演奏だが、かといって、いつも愛聴すべき演奏かと言われれば
それも違うということになるだろう。
BPOの上手さとか、すでに老成したかのような無難な指揮ぶりとかは
すぐに伝わってきたのだが
その他の点については(眠る前に聴いているせいもあって)判然としない。

177korou:2022/03/06(日) 14:50:36
(1954年の新譜から)
プロコフィエフ「交響曲第7番」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1953年4月26日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

始めて聴く曲で、ジダーノフ批判以後の作品ということから
あくまでも音の響きが伝統的な調和のとれたものという特徴を持っているようだ。
しかし、もともと独特の感性で音響を造形してきたプロコフィエフにとって
こうした”一見当たり前な曲”を作曲するということは
どういう意味があったのかという極めて素朴な疑問は拭えない。
ショスタコーヴィチには、辛うじて”叙情”という個性が残っていて
それが「交響曲第5番」という傑作を生んだように思うのだが
プロコフィエフには、伝統的な音楽を創る必然性は何一つなかったと言えるのでは?
もっとも、何の知識もなく、ただ実際に曲を聴いただけのことなので
これ以上の思考は深められないので、感想はここまで。
オーマンディの指揮は、スコアを音のしただけのことで
上記疑問について何も示唆するものはなかったと思われる。
よって★6つ。

178korou:2022/03/06(日) 15:08:40
(ナイトミュージック)
シューベルト「グレイト」(スクロヴァチェフスキ&ミネアポリス響)

グレイトは難しい。どこもこれといって欠点のない演奏なのだが物足りない。
今、たまたま次回聴く予定のフルトヴェングラーの演奏も冒頭だけ聴いたが
これも冒頭が上手くいっていない。
この曲を演奏して上手くいく人は選ばれた人なのだろうと思う。

179korou:2022/03/06(日) 15:17:17
ナイトミュージックのネタ元を”Symphonic”にして
前掲の原則通り聴いていたら
もう全部の指揮者を聴いてしまったので
次回からネタ元を”Symphony”に変更。
原則として、聴きたいものを聴く、できればステレオ録音、という程度に
とどめることにした。

ということで、次回は
シューリヒト&VPOでブルックナー「第3」

180korou:2022/03/07(月) 14:29:02
(1954年の新譜から)
シューベルト「交響曲第9番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月録音)
★★★★★★☆☆☆☆

フルトヴェングラーの全録音のなかでも最高傑作とも言われる名演なのだが
今の自分の音楽嗜好と正反対な演奏なので
ずっと退屈し、かなりの部分を居眠り寸前で聴いていた。
全くニュアンスが感じられず、哲学的な韜晦ポーズで楽員をリードしているかのような演奏に
親しみ、優しさなどのシューベルトらしい美しさ、可憐さなど
どこへ行ったかのかというような感じだ。
勢いで演奏してもある程度は問題ない終楽章のみ
聴くに値するエネルギー、熱さのようなものが感じられるが
それにしても他の指揮者でも代替可能な演奏に思える。
かつては、部分的に聴いて十分に感動し
またユンク氏のページでもいろいろな人が「素晴らしい」と絶賛しているのだが
今の自分には全く無縁なことになってしまった。
★6つがギリギリのところ。

181korou:2022/03/07(月) 14:41:04
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第3番」(シューリヒト&VPO)

シューリヒトにしては、やや燃焼度の低い演奏で
いつものような一気に音楽の急所をつかんで聴く者を異世界にいざなうといった爽快さは薄いものの
それを補うかのようなVPOの美しい音響を堪能できるので
これこそステレオ録音で本当に良かった。
病身をおして録音を実現してくれたシューリヒトに感謝である。
それにしても、ワルターにしてもシューリヒトにしても
晩年に至るまで、クオリティとしては万人向けではなくなっているとしても
それはそれなりに天才のゆえんをみせてくれるのには感謝するほかない。
凡人の指揮者にはできないわざである。
これは保存版の演奏。

182korou:2022/03/08(火) 17:43:52
(1954年の新譜から)
シューマン「交響曲第4番」(フルトヴェングラー&BPO、1953年5月14日録音)
★★★★★★★★★☆

これはフルトヴェングラーが超一流の指揮者であったことを証明する演奏だ。
「グレイト」ではあれほど見当違いな方向へ音楽を展開していったのに
ここでは、この曲をこれ以上見事に聴かせることはもう不可能なのではないかと思えるほど
決定的な名演を行っている。
「グレイト」同様、指揮者とオケの息はピッタリと合い
それが曲想の掘り下げにストレートに直結して
解釈がどんどん深いものに達していく。
この曲の本当の姿はこれほど深いものなのかと驚かされるほどだ。
これで録音さえ最新であったら感動で涙が出るのではないか。
演奏は★満点、録音のことだけで1点マイナスしたが
それは途中までの話で、後半などは満点でも良いくらい。

183korou:2022/03/08(火) 17:48:08
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第41番」(シュミット=イッセルシュテット&北ドイツ放送響)

夜寝る前にモーツァルトを聴いてはいけないことが判明。
鮮やか過ぎて目が覚めてしまう。
演奏は普通。でも普通に演奏できれば上出来、モーツァルトだから。
保存するかどうか迷うレベル、まあ覚えておいて、後日考えるか。

184korou:2022/03/09(水) 13:49:19
(1954年の新譜から)
シベリウス「交響曲第5番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1952年7月録音)
★★★★★★★★☆☆

始めて聴く曲で、全体に旋律らしい旋律がない交響詩のような感じなので
なかなか馴染めなかった(かつてだったら退屈して途中で寝ていたかも)。
カラヤンの指揮はさすがで、このまとめにくい曲想の交響曲を
手際よく緩急、強弱をつけて
聴き易い形にまとめていた。
名演ではあるが、★9つ以上にならないのは
もっぱら当方の能力のせいで
曲自体が馴染にくいことと、録音のせいで音にふくらみに乏しいことが原因。
60年代の再録音のものを何回も聴けば★9つかもしれないが
今日この音質のものを聴けば★8つが精一杯。

185korou:2022/03/09(水) 13:53:07
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第9番」(カラヤン&BPO)

これはブルックナーの演奏としては特異な部類だが
その特異さのなかで際立っているので
どうしても外せない演奏となっている。
これほど表面だけを磨きながら
何故か内面にまで訴えてくる演奏も珍しい。
要保存。

186korou:2022/03/10(木) 10:02:34
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第3番」(トスカニーニ&NBC響、1953年12月6日録音)
★★★★★★★☆☆☆

トスカニーニ最晩年の録音。
演奏は、従来のトスカニーニの流儀に沿いながら
それでも随所に中庸の美のようなものを感じさせて
なかなか微妙なニュアンスを漂わせる出来となっている。
第1楽章は彼ならばもっと出来るのでないかと思える不完全燃焼のような演奏で
さすがに年齢を思わせるが
第2楽章は最適とも思えるテンポ設定と
意外なほどのニュアンスの込め方、トスカニーニとしては最上の録音の良さで
各楽器の響きにもふくらみが感じられ
これほどスッキリとこの楽章を最後まで聴き切ることができたのは
なかなか無いのではないかと思えるほどの好演だった。
第3楽章以下はトスカニーニが天才を発揮できる音楽ではないため
普通と言えるかもしれない。
全体として、この種の音楽をこのスタイルで聴くとするならば
もっと最新の音質で聴きたいという欲求がどうしても出てくるわけで
もはやトスカニーニのせいではないが
★7つという普通の感銘度の評価をせざるを得ない。

187korou:2022/03/10(木) 10:21:46
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第40番」(ベーム&BPO)

寝る前のモーツァルトはNGのはずだが、ベームなので聴いてみた。
予想通り手堅い演奏で、寝る前なのに違和感ナシ。
要保存。

いろいろ選んでみても、やはり順番に見ていくのと
実際に聴いてみたい曲とが一致しない違和感は出てしまうので
本当に聴きたい曲最優先で選ぶことにした。
というわけで、次回はヨッフムのブルックナー「第8」

188korou:2022/03/10(木) 14:55:37
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第3番」(フルトヴェングラー&VPO、1952年11月26、27日録音)
★★★★★★★★★★

一日に2度、続けて「エロイカ」を聴くなんて暴挙だが
今回に関しては最高だった。
トスカニーニも名演だった(はず)だが
残響の少ないモノーラル独特の薄い音質の録音のせいで
フラストレーションも溜ったのだが
このフルトヴェングラーは
また全然違ったアプローチでベートーヴェンの真髄に迫り
音質は遥かにトスカニーニ盤を上回るので
完璧な感動を得ることができたのだ。
解釈は申し分なく、ベートーヴェンの魂がすぐそこまで感じられる。
指揮者もオケも、もはや機械的なリハーサルなど全く必要なく
過去数十年で知り尽くした関係で
ひたすらその時点でのベストになるよう、心技体すべてを集中して
作曲者の考えた音楽を最大限に再現しようとしている。
これで最上の演奏にならないわけがない。
誰が聴いても★満点のはず。

189korou:2022/03/11(金) 17:00:29
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第8番」(ヨッフム&BPO)

大体予想通りの常識的なラインで考えられる限りでの歴史的名演。
ただし、夜寝る間際にこの演奏を聴くと
緩徐楽章での熱っぽいフレージングが
宗教的な畏れのようなものを連想させて
なぜか「怖い」と思ってしまったのも事実。
そんな感情をヨッフムの演奏に対して、ブルックナーの曲に対して抱くこと自体
全くの予想外だった。
本当に怖かった。

190korou:2022/03/11(金) 17:07:06
(1955年の新譜から)
マーラー「交響曲第1番」(ワルター&NYP、1954年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

やや順番を変更して、マーラーを聴いた。
ワルターの旧盤だが、ひょっとしてマーラーなら、あの旧盤全般にみられる
堅い鋼のような演奏スタイルでも大丈夫かなと思ったのだが
その期待は裏切られたようだ。
やはり、すべてにおいて素っ気ない。
晩年のワルターが示した箴言、啓示に満ちた演奏ではなかった。
まっすぐにアンサンブルの勢いを噴出させ
そうした分だけ細部のニュアンスは全く無視され
トスカニーニの劣化版のような中途半端な演奏になっている。
★6つが妥当。
(もちろん、ワルターは★6つが普通の指揮者ではないのだが・・・)

191korou:2022/03/12(土) 15:46:49
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第6番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1953年7月9,10日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ベートーヴェンの音楽とは全く対照的な演奏様式の持ち主であるカラヤンが
若き日に、その様式を確立させる前の段階でベートーヴェンを解釈した演奏。
あまりクセのない演奏なので、こういう演奏を嫌う人は少ないかもしれないが
逆に個性があまりに感じられない分、支持も少ないはず。
「田園」なので、個性の薄さはそれほど致命的ではないし
部分的にはおやっと思わせる箇所もあるのだが
全体としては聴くに値しない平凡な出来。
厳しい評価かもしれないが★6つ。

192korou:2022/03/12(土) 16:22:28
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(フルトヴェングラー&VPO、1954年2月28日、3月1日録音)
★★★★★★★☆☆☆

「英雄」の名演と比べて、この「運命」は
曲の性格の問題もあるのだが、それはさておき
やはり迫りくる死期の影響のせいか
演奏全般に、何か徹底したものが欠けているような気がする。
もっと鬼気迫るものが表現できたはずなのだが。
録音のせいか音質がやたらゴリゴリした感じで
いかにモノラルとはいえ、もう少し安定した音質にできたはずだし。
とはいえ、随所にフルヴェンらしい個性が感じられ
それはベートーヴェンの音楽そのものと一体化しているように感じられる。
最悪のコンディションで最悪の録音でも
これだけのクオリティなのだから
やはり非凡、天才指揮者というべきか。
以上勘案して★7つとした。

193korou:2022/03/13(日) 18:04:44
(1955年の新譜から)
シベリウス「交響曲第4番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1953年7月録音)
★★★★★★★★★☆

再びカラヤン&フィルハーモニア管によるシベリウスの交響曲を聴く。
前回の第5番と比べて、この第4番はシリアスで内省的で精緻な出来だ。
そんな難解とも言えるこの曲を
それもほぼ初めて聴く自分のようなものにとって
これほど分かりやすく聴かせてくれるカラヤンという指揮者は
本当に大したものだと思う。
カラヤンはこの曲について1953年盤以降も、BPOで再三録音を重ねていて
特に1960年代のそれはこの曲の決定盤とも言える存在らしいが
この演奏もそれに負けず劣らず素晴らしいのではないかと思う(後日、機会があれば、ナクソスにあれば聴いてみたいところ)。
第5番と違って、初めて聴く曲であるにもかかわらず
さらにモノラル録音であるにもかかわらず
★9つとしたのは
直感的にもこれは類稀な名演であると認識できたからである。
ショスタコーヴィチの「第5番」のフィンランド版というか
個人的に「死」のようなものを直感せざるを得なくなった場合
その心理状態を音楽にしたら、その最上の部分はこういう音楽ではないか
という風に思えるのである。

194korou:2022/03/14(月) 11:34:12
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」(ケンプ、ケンペン&BPO、1953年5月21日〜23日録音)
★★★★★★★★★★

ややシンフォニー続きに飽きがきたので
ケンプのピアノを堪能することに。
期待に違わぬ超名演だった。
こんなに自然にベートーヴェンを弾くことが出来た人は
ケンプ以外には居ないはず。
実演を聴いた半世紀ほど前の記憶と照らしてみても
その実感には間違いないはず。
録音は古いが、ケンプの美しいタッチは十分に伝わってくる演奏。
ケンペンとBPOが繰り出す音も重厚で剛直で
ケンプのピアノの音色と好対照だ。
今のところ、アラウとコーリン・デービス&ドレスデン国立がベストだったが
このケンプもそれに匹敵するので
決定盤のエクセルの表に追加しておこう。
文句なし★満点。

195korou:2022/03/14(月) 15:28:39
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(ミュンシュ&ボストン響、1955年5月2日録音)
★★★★★★★★☆☆

思ったとおりの豪快な持ち味に加えて
想像以上のオケの上手さと録音の鮮明さがあり
最後まで退屈せず堪能できた。
細かいニュアンスで聴かせる演奏ではないが
ミュンシュの良い面がよく出ており
★8つということにした。
それにしても
1955年の録音とは思えぬ上質な音で
ステレオ録音ではないかと思うのだが
記録はモノーラルとなっている。
またボストン響の管楽器の上手さには
またまた感心させられ
第1楽章の再現部でのソロ、第2楽章でのソロなど
これほど聴き惚れたことは
最近あまり記憶にないほどだった。

196korou:2022/03/14(月) 15:32:37
(ナイトミュージック)
ブラームス「交響曲第4番」(シューリヒト&バイエルン放送響)

良い演奏なのだが評価が難しい。
録音がイマイチスッキリしないのと、シューリヒトの個性がブラームスの曲調と微妙にすれ違う感じがあって
文句なしに保存決定というわけにはいかないのである。
この曲に関しては、ヨッフム、ジュリーニ、ワルターなどが要保存であり
さらにカラヤンほか巨匠の未聴分もあるわけで
それらを再聴、確認したい気もする。

197korou:2022/03/15(火) 15:00:37
(1956年の新譜から)
シューベルト「交響曲第8番」(ミュンシュ&ボストン響、1955年5月2日録音)
★★★★★★★☆☆☆

同日録音の「運命」と同じく
オーソドックスな解釈、力強い歩みとともに
ボストン響の美しい響き、この時代としては抜群の録音状態などが聴けて
本来なら★8つでもいいくらい。
ミュンシュの個性がシューベルトの音楽と真反対なので
★7つの普通の評価としたが
場合によっては★8つに聴けることもあるだろう。
それにしてもオケが上手い。

198korou:2022/03/15(火) 15:26:41
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第1番」(フルトヴェングラー&VPO、1952年11月録音)
★★★★★★★☆☆☆

いかにもフルトヴェングラーらしい音楽が現出されている。
問題は、この溌溂とした青春の香り漂う佳曲が
これほど重々しく威厳をもって演奏されても
伝わってくるものが少ないということで
後半の2楽章はその”弊害”は少ないので愉しく聴けるが
前半2楽章は、フルトヴェングラーの個性がアダになっているようだ。
もちろんダメな演奏ではないので★7つはいける。

199korou:2022/03/16(水) 15:34:21
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1954年11月9,10日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

勢いのある演奏だが、
その反面、他には何もニュアンスがない演奏だ。
自分の演奏個性を確立させている時期の演奏だけに
その方向性については間違いなく充実しているわけだが
ベートーヴェンの楽曲の演奏としては
不足感は否めない。
聴き易いのは事実なので★7つとも考えたが
やはり★6つの出来栄えだろう。

200korou:2022/03/16(水) 15:38:01
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第39番」(ベーム&BPO)

どこをどうやっているのか見当もつかないが
結果的には安心して聴ける、どこにも危うい点が見当たらない演奏に聴こえる。
もちろん、もう少し感情の揺れ動きが欲しい面もあるのだが
ベームにそれを求めるのは無意味だろう。
要保存。

201korou:2022/03/17(木) 14:21:23
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第4番」(フルトヴェングラー&VPO、1952年12月1,2日録音)
★★★★★★★★★☆

どっしりと落ち着いた演奏で
いつもの哲学的な深みに加えて
懐かしい情感あふれる音楽が展開されているのには
驚かされる。
VPOにとってナチズムとの関連など関係なく
フルトヴェングラーのタクトのもとで演奏できる喜びが
あふれ出てきているようだ。
モノラルなので弦の響きが痩せてしまうのは仕方ないが
その点だけがこの演奏を聴く際の減点部分で
演奏そのものは★満点だ。

202korou:2022/03/17(木) 15:01:21
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(セル&クリーヴランド管、1955年11月26日録音)
★★★★★★★☆☆☆

いかにもセル&クリーヴランドらしい
テンポ速めのスッキリとした演奏。
曖昧なところが全くなく
この曲はこのように表現されるものだという割り切りが
徹底している。
ゆえに「運命」の演奏として
分かりやすいことこの上ないわけだが
やはり、そこはセルの個性が好きかどうかという問題もあるわけで
個人的には、ここまで割り切った感じはどうもという思いもあり
★7つにとどめた。
好きな人には★9つでも良いくらいかもしれないが。

203korou:2022/03/18(金) 11:43:26
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第7番」(フルトヴェングラー&VPO、1950年1月18,19日録音)
★★★★★★★★★★★

久々に全部をじっくりと聴いた。
前半2楽章は、最近改めて聴くことで感銘を深くした
まさにフルトヴェングラーらしい演奏で素晴らしいと思った。
ところが、第3楽章になるや否や
そんな感銘など次元が違うとばかりにさらに物凄い演奏となり
終楽章など、今まで何度も聴いてきたはずなのに
さらに新鮮に聴こえる禁断のリズムを感じ取ってしまった。
最後の最後での爆発的な熱狂の音楽、
それはベートーヴェンが楽譜に残した骨太の音楽。
さらにフルトヴェングラーが、
いろいろと工夫してテンポを意図的に早く仕掛け
主部のリズムが浮き出るように聴かせた魔法の音楽。
もはや神の領域ではないかと思えるほどだった。
クレンペラーも凄いが、フルトヴェングラーも凄い。
同じ曲なのに神が二人居る。
音楽の不可思議。
★満点、言うことなし。

204korou:2022/03/18(金) 11:46:05
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第39番、第41番」(ワルター&コロンビア響)

ただ単に確認のみ。確認の結果、予想通りで要保存(これ以上書くことなし。理想の演奏)

205korou:2022/03/20(日) 09:27:44
(ナイトミュージック)
ブラームス「交響曲第4番」(サヴァリッシュ&ウィーン響)

出だしの響きから、これはもうサヴァリッシュとしても修業時代の演奏と分かる薄い感じ。
さすがにこれは聴き続けてはいられない(寝る前なので特に)
何が違うのかと思い、すぐにシューリヒトと比較してみた。
シューリヒトも響きは薄いのだが(オケのせいもあるがもともと響きは薄い)
そのなかで音の強弱は明確で、さらにどうやってそうしているのかわからないほど
巧みにフレージングを行っているので
聴いていて全く疲れない。
さらにヨッフムも聴いてみたが(もちろん、これも最初のほうだけの比較)
音の強弱に加えて、テンポの揺れ動きが秀逸なのである。
こちらはシューリヒトと違って、やっていることが分かりやすい。
とにかく、聴き易い演奏というものには
それなりの理由があるのだということを再認識した。

206korou:2022/03/20(日) 13:14:26
(1956年の新譜から)
ドボルザーク「交響曲第9番」(ロジンスキー&ロイヤル・フィル、1954年10月5,7,8,9日録音)
★★★★★★★★★☆☆

かつて指揮者ランク付け、名曲名演ランク付けで計2回聴いて
前者では予想以上の感銘を受け、後者では想像以下のガッカリ感を覚えたという
対照的な印象が残った演奏。
それを今回の新譜ランク付けで再度聴いたという次第だが
今回はこの演奏の真骨頂を知った感があった。
ここに流れているのは「新世界」という曲の奥底にある孤独感、寂寥感であり
それは演奏によっては豪快なだけの印象しか残らない表面的な解釈と
正反対にあるものなのだ。
とはいえ、表面的に豪快に聴ける演奏にも価値はあるのであり
つまり、表面的であろうと、深層に迫ろうと、いずれのアプローチであろうとも
優れた演奏は可能な名曲なのだろう。
そして、これは深層に迫ったアプローチでの名演だということ。
豪快な味を楽しみたいときに聴くべき演奏ではないが
深みのある「新世界」、特に第二楽章に関しては
この演奏は絶妙だと言わざるを得ない。
★8つが妥当。

207korou:2022/03/21(月) 15:16:31
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第9番」(フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管、1951年7月29日録音)
★★★★★★★☆☆☆

このところ「第9」の決定盤をどれにすればよいのか
分からなくなり迷っているところ。
ひょっとして、やっぱりフルヴェン?と思いながら
今回聴いてみたものの
退屈で何度も寝そうになった。
やはり今の自分の好みとは正反対の演奏で
音の響きは重たく、解釈も重々しく、録音も不鮮明。
かといって若き日のヨッフムの生々しい響きがベストとは言い切れない面が
この曲に関してはどうしても存在するのだから始末が悪い。
これだけ長い曲を「どうも冴えないなあ」と思いながら聴き続けるのだから
どうしても★のほうは(所々存在する感動的な表現がありながらも)
低く見積もらざるを得ない。
この演奏に★7つの平均点をつけるのは
畏れを知らない行為であることを承知で
普通の演奏と見做すことにしようか。
それにしても、早く理想の「第9」に巡り合いたい。

208korou:2022/03/22(火) 14:17:29
(1956年の新譜から)
ベルリオーズ「幻想交響曲」(ミュンシュ&ボストン響、1954年11月14・15日録音)
★★★★★★★★☆☆

1954年の録音ながら、録音そのものは最新技術だったステレオで行われ
肝心のレコード盤にステレオ録音を載せる技術がなかったために
モノーラルで発売せざるを得なかった演奏。
その後、ステレオのレコードが製作できるようになり
再度ステレオ盤として発売され
それをユンク氏がアップされたので
レコ芸の当時の目録ではモノーラル表記、ユンク氏のサイトで聴ける音源はステレオ
ということになっているようだ。
確かに、このところ聴いていたこの時期発売のレコードの音源と比べると
明らかに音に広がりがあり、かつ音質もクリアで心地よい。
しかもミュンシュが得意とする「幻想」で、オケも当時超一流だったボストン響なので
出来の悪い演奏になりようもない。
ただし、このコンビでは1962年に再度録音された盤があり
さすがにそのほうがさらに音がシャープでクリアなので
ベストの評価はしにくいのだが
前半3楽章の出来は、凡庸な指揮者では遥かに及ばないほどの
見事な演奏を見せてくれている。
後半2楽章が平凡なので、トータルでは★8つ、前半だけだと★9つはいける名演。

209korou:2022/03/23(水) 15:48:17
(1956年の新譜から)
マーラー「交響曲第4番」(ベイヌム&AC管、1951年9月録音)
★★★★★★★☆☆☆

AC管のマーラー「第4」といえば
この録音の10年ちょっと前のメンゲルベルク盤が
何とも個性的な名演を聴かせてくれたものだが
このベイヌム盤は、それと全く違うアプローチで
まさに戦後の新時代を象徴するようなマーラーを
表現していて興味深い。
全体にスッキリとした味わいのなかに
要所要所にスパイスが効いているような趣きであり
★8つは間違いない誰からも好まれる佳演と言える。
ただし、ユンク君も書いているとおり
最終楽章のソプラノは人選ミスだろう。
マーガレット・リッチーというこのソプラノ歌手は
声質がこの曲と全く合わない。
聴いていて、何か劇的なことが予感されるような声質で
少なくともこの曲に関しては、もっと穏やかな声であってほしかった。
ということで、★7つに減点。

210korou:2022/03/24(木) 12:09:27
(1956年の新譜から)
ブラームス「交響曲第3番」(トスカニーニ&NBC響、1952年11月4日録音)
★★★★★★★★★☆

トスカニーニのブラームスの演奏は
今回初めて聴いた。
多分、これは例外的な演奏ではないだろうか。
トスカニーニにしては予想以上のカンタービレ、
楽譜からはギリギリではないかと思えるほどの抑揚たっぷりの表現、
ブラ―ムスの曲を演奏するのにふさわしいテンポのゆれ、豊かな感情表現に満ちていて
これがトスカニーニだろうかと思えるほど美しい演奏になっている。
特に第3楽章の胸に迫るような哀愁の表現には心打たれるものがあった。
もうそれほど残っていないだろう現役指揮者としての歳月を思い
何か感じるものがあったのかと思わせるほどの寂寥感がにじみ出ていた。
★8つと思ったが
こうして書いてみると
いろいろと思いが高まってくるので
★9つにランクアップしておこうか。
どれほど録音がモノラルで不満足なものであっても
これは大指揮者の歴史的な名演なのだから。

211korou:2022/03/24(木) 17:48:03
(ナイトミュージック)
ワルター&コロンビア響で
ブラームス「第1」「第3」「第4」、ブルックナー「第7」

いずれもワルターの最終盤らしい落ち着いた出来で、永久保存。
ただし。ブラームス「第3」は、「第1」「第4」ほどの感銘は受けなかった。
直前に書いたトスカニーニの意外?な名演と合わせて
不思議な感じである。
ブルックナーも悪くはないのだが、部分部分に職人的な楽譜の扱いが目立ち
さすがにマタチッチの天才肌の表現と聴き比べると
ブルックナーに関してはワルターでもどうしようもない壁があるのを感じた。
ただし、職人肌の佳演としては最上級のものであるけれど。

212korou:2022/03/25(金) 10:52:24
(1956年の新譜から)
ベルリオーズ「幻想交響曲」(クリュイタンス&フランス国立管、1955年10月13,17,22〜24日録音)
★★★★★★★☆☆☆

例のフィルハーモニア管との再録の3年前にレコ―ディングされた
モノーラル盤ということになる。
ユンク君の解説を読んで、この演奏の価値について認識させられたものの
基本的にクリュイタンスのこの曲に関するアプローチが
既に自分の嗜好と真反対なものであるので
聴き始めに感じた”退屈さ”からどうしても逃れることができなかった。
さすがに全部通して聴いてみると
その”私小説としてのこの曲のストーリー”を見事に辿った佳演であることは
分かったような気がしたが
それすらもうっすらとした感想であり
本当のところは、何度も何度もこの演奏を聴いて確かめてみるしかない。
とはいえ、もはやそんなことをする熱意、根気は失せていて
それよりもミュンシュ、モントゥー型の、情熱に任せてパワー全開の演奏のほうに
心惹かれるのである、
年を取れば、こういうしみじみとした演奏、丁寧で誠実な演奏がしっくりくるのかと思っていたが
案外そうでもなかったことを知った。
実質は★8つはいけるのかもしれないが
今の自分には★7つの価値しかない(クリュイタンス!しっくり来なくても★6つはあり得ないので)

213korou:2022/03/25(金) 10:54:29
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第9盤」(ワルター&コロンビア響)

やはり職人芸。保存はするけど、ウォークマンには入れない。
今回はジュリーニと比較してみたが
やはりジュリーニは凄い。
天才肌ではないのだが、出来た音楽は天才が為せる技のレベルになっているのは何故?

214korou:2022/03/26(土) 16:59:00
(1956年の新譜から)
ブラームス「交響曲第2番」(ベイヌム&AC管、1954年5月17〜19日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ブラ―ムスの交響曲のなかでも
今は一番聴かない感じになってしまったこの曲で
ベイヌムの引き締まった演奏を聴いてしまうと
もはや「退屈」しか残らなかった。
レコ芸の評価では名演とされているが
今の自分には無縁な演奏だった。
仕方ないので★6つ。

215korou:2022/03/27(日) 12:40:29
(1956年の新譜から)
メンデルスゾーン「交響曲第4番”イタリア”」(トスカニーニ&NBC響、1954年2月26〜28日録音)
★★★★★★★★☆☆

順番からいけばマーラー「大地の歌(ワルター&VPO、フェリアー他)」なのだが
この名盤チェックでは、こういう歌曲風交響曲はスルーすることにしたので
今回は、その次のトスカニーニの名盤を鑑賞ということになった。
随分前にユンク君を知ったばかりの頃に
あまり様子も分からず、トスカニーニのレコードのざらざらした残響の少ない酷い録音だけを記憶に
恐る恐る名盤という噂だけで聴いてみたところ
あまりの音質の良さに驚くと同時に
あまり聴いたことの曲のはずなのに一気に聴けたので
感動した鮮烈な記憶が残っていた。
それで、2年前に名曲チェックのときに再度聴いてみたところ
その感動はどこへやら何も心に残らなかったことに唖然としたのは
まだ記憶に新しい(結局、ナクソスでペーター・マークの演奏をベストとした)。
今回が3度目の鑑賞、さすがにトスカニーニの録音についての知識も増えたので
初回の感動、2回目の感動空振りについて
ある程度、自分で自分に説明できるくらいにはなった。
トスカニーニの晩年の録音の音質をかなり聴き込んできたので
この演奏の音質については納得できるし、かつて聴いた酷い録音との比較もできる。
その上でこの演奏の中身を聴き込んでみると
やはり名演と言わざるを得ないのだが
そこにブラームス「第3」のときにも感じたある種の諦念のようなものも付け加わってくる。
それはそれで美しいニュアンスに富んだものなのだが
この曲のベストの演奏にそれが混じると、やや評価を下げざるを得ない。
よって、今回は★8つとした次第。

216korou:2022/03/28(月) 16:08:01
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第26番、32盤、41番」(ベーム&AC管、1955年9月録音)
★★★★★★★☆☆☆

ベームのモーツァルトとしては
例のベルリン・フィルとの録音以前に
このアムステルダム・コンセルトヘボウ管との一連の録音があったようで
今回初めて聴いてみたが
とにかくAC管の音色が素晴らしい。
BPOも勿論一流の音なのだが
何がどう違うのかうまく説明できないのだけれど
AC管の音には他のオケとは全く違う何かがあって
その個性だけで人を惹き付ける魅力があるようだ。
今回の演奏では、残念ながら26番と32番については
交響曲として未完成な部分が多くて
語るべきものがないのだが
”ジュピター”に関しては、その魅力を十分に感じ得た。
ただし、ベームの指揮は、今回、BPOとの演奏も再確認してみたが
とにかく理詰めで潤いがない。
それで満足できるときもあったのは事実だし
かつてはそれが最高だったのだが
今はもっと潤いが欲しいし
録音もモノラルとしても最高とは言い難い。
オケの良さ、指揮の立派さは素晴らしいのだが
★7つに止まるのはそういうところを評価した結果である。

217korou:2022/03/30(水) 15:08:19
(ナイトミュージック)
シューベルト「交響曲第8番”未完成”」(ジュリーニ&っフィルハーモニア管)

万能指揮者ジュリーニにも相性の悪い曲があるものだと認識させられた演奏。
どこにもミスはないのだが、基本的にシューベルトの音楽と合っていないので
聴き辛い。
シューベルトは、合わないと何も聴こえてこない不思議な音楽だ。

218korou:2022/03/30(水) 15:22:40
(1967年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第5番」(クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管、1967年3月9,11,14,16日録音)
★★★★★★★★★★

ややモノーラル録音の音質に聴き疲れてきたので
久々に「推薦盤全記録」内での最新年(1967年)から遡る形で
聴き続ける試みに変更。
この曲に関しては、名曲チェックの際に名演に巡り合えず
カラヤン&BPOの演奏だけを挙げて”もう聴かないだろう曲リスト”に
入れてしまった経緯があるので
順序として大変な曲にぶつかってしまった感が強かった。

ところが、このクレンペラーの演奏は驚異的な名演だった。
なぜ前回のチェックの際にこの演奏を見逃したのかと思うほどだった。
やはりクレンペラーという指揮者は、どこをどうやってそう聴こえるようにしたのか
自分のような偏屈で理屈っぽいクラシック愛好家には到底一生涯かけても分からないほど
深遠で蘊蓄に満ちた表現で、これほどの奇跡的な演奏を為す人なのだった。
こんな面倒くさい、ただでさえ面倒くさい作曲家の、ほぼ未完成に近い粗雑な作り、でも真摯で間違いのない姿勢で作られた大曲を
これほどストレートに音を響かせて、音を重ねて、あくまでも誠実に音を作っていって、
結局のところ、何の抵抗もなくしっくりとくるように聴かせてくれる指揮者は
クレンペラー以外誰も存在しない。
断トツでこの曲のベストの演奏だと思った。
録音も優秀で、個々の音がしっかりと聴こえてくる。
この演奏に匹敵できるのは、ティントナーくらい、そしてやや個性的すぎるもののカラヤンくらいではないだろうか。
文句なしに★満点。

219korou:2022/03/31(木) 13:33:34
(1956年の新譜から)
シューベルト「交響曲第9番”グレイト”」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月録音)
★★★★★★★★☆☆

BPOのメンバーが、
フルトヴェングラーの指揮のもとで最も素晴らしかったのは、このグレイトだ、という述懐をしていたこともあり
以前から注目していた演奏だった。
最近もこの演奏を通して聴いたばかりだが
そのときは、この演奏の良さよりも、シューベルトの音楽としてふさわしくないという意味で
違和感ばかり感じてしまった。
今回、それからあまり日が経たないタイミングで、この名盤チェックの対象となってしまったので
聴く意欲というものがなかなか湧かなかったのも事実だ。
ところが・・・今回は、どういうわけか、
前回には聴き取れなかったフルトヴェングラーの強い意志、気迫というものが
表現の端々からびんびん伝わってきて
確かに物凄い演奏だなという感を新にしたのである。
特に第2楽章のA-B-A-B-A形式の最初のBの部分での強烈なリタルダンド、
最初のAで第1楽章の強烈な緊迫感を持続しているかのような密度の濃い表現を聴いた直後だったので
思わず集中力を増して聴くことになり
そこからさらに緊張、弛緩を経て、最終的に立体的な構造が明確になり
音楽にふくらみがもたらされた瞬間、これこそ至高の芸術ではないかと感動したのである。
もっとも、いかに立体的に表現しようとも、それはフルトヴェングラーの芸術の偉大さであり
シューベルトのそれとは本質的に異なるものなのである。
後半2楽章が意外と燃焼度が低いのも、この曲の本質からずれているからかもしれない。
その意味で★満点とはいかず、★8つとなるのだが
いずれにせよ、シューベルトよりもフルトヴェングラーを聴きたい時には
100%満足を与えてくれる演奏であることは確かだ。

220korou:2022/04/01(金) 17:49:45
(1956年の新譜から)
ハイドン「交響曲第88番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月5日録音)
★★★★★★★★☆☆

どこまで聴いてもハイドンの姿は見えないけれども
それなりにハイレベルな音楽を聴かせてくれる怪演と言える。
そもそも主情的な解釈に冴えをみせるフルトヴェングラーであれば
これだけ冷静で洗練されている音楽をやるべきではなかったのだが
それでも「グレイト」の力演をあっさりとこなしたことによる余裕の時間を使って
楽団員と始めた即興の合奏がハイドンであったということは
クラシック音楽の奥深さを物語るエピソードだと言えよう。
フルトヴェングラーと当時のBPOの団員にとって
ハイドンの音楽がどのような位置を占めていたのかは知るよしもないが
ベートーヴェンからワーグナーに続く主情的な音楽が
ナチスにより悪用され、自身もそのことで精神的にダメージを受けた体験から
数年経った1951年という時期に
ハイドンの理知的な音楽が特別な響きに聴こえたとしても不思議ではない。
それは、ほぼこの1951年の冬の時期に戦後の新しい指揮スタイルを確立させ充実させていたフルトヴェングラーにとって
自身の新スタイルでハイドンを再認識しようとしていたとしても全くおかしくない。
このハイドンは、フルトヴェングラーが考える戦後ドイツの思潮、嗜好にふさわしいハイドンだったに違いない。
しかし、それは彼の精神がそういう風に方向性を変えただけであって
フルトヴェングラーにしてはリラックスしている、という程度に過ぎない、というのが
戦後の彼の指揮活動すべてに言える悲喜劇のようなものだった。
何故悲劇なのかと言えば、これはハイドンではないと一聴して分かる別物なのに指揮者だけがハイドンだと思っているところ。
何故喜劇なのか言えば、それほどハイドンを逸脱しているのに立派な音楽として十分鑑賞に耐えうる名演であるところ。
以上、★8つにせざるを得ない。

221korou:2022/04/02(土) 15:37:53
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第34番、38番」(ベーム&VPO、1954年11月録音)
★★★★★★★★★★

モーツァルトの後期交響曲として最上の演奏だと思う。
もともとベームのモーツァルトは
相性の良いプログラムで
最晩年のリズムが硬直化した演奏でさえ
聴くべきものを含んでいるほどだと思うが
これは
壮年期のベームと戦後からまだ9年経過の時期のVPOとの組み合わせだけに
全体も細部もうっとりするくらい素晴らしい。
これ以上のモーツァルトは考えられない(唯一エーリッヒ・クライバーくらいか、対抗できるのは)。
文句なし★満点。

222korou:2022/04/04(月) 17:31:49
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第4番」(ミュンシュ&ボストン響、1955年11月7日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

この時期のレコードとしては最高級の録音状態(多分ステレオ)。
オケも相変わらず上手い。第2楽章出だしのソロの巧さなどはうっとりとするくらい。
それでいて★6つの評価なのは
ミュンシュの個性とこの曲に求められる情緒面の特殊性とが
全く正反対のところにあるからで
演奏そのものが低レベルなわけではないのだ。
とにかくくっきりとした演奏、曖昧なところが皆無な演奏で
からっと晴れ渡ったロシアの大地という
なかなかイメージし難い不思議なものが出来上がっている。
ミュンシュのような知名度の高い指揮者が
人気の高いこの曲のレコードを出すのは当然とも言えるのだが
結果はこのようなものになる。

223korou:2022/04/05(火) 16:22:41
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第40番」(フルトヴェングラー&VPO、1948年12月7,8日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

これもミュンシュのチャイコフスキーとは全然違う意味での
全然演奏者の個性に合わない企画だ。
これほど人工的に独自の世界を創り上げる指揮者に
モーツァルトの幸福な響き、至上の感情は決して湧いてこない。
絶対に見つからない宝探しをしているような徒労感が漂う演奏だ。
残念ながら★6つしか差し上げられない。

224korou:2022/04/05(火) 17:05:50
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第36番”リンツ”」(ワルター&コロムビア響、1955年4月26,28日録音)
★★★★★★★☆☆☆

ワルターがアメリカでの成功を直線的な演奏で収めて
引退後にまたコロンビア響の提供を機に曲線的な穏やかな演奏を始める
その中間期にあたる時期の演奏で
演奏の印象もその中間のような、やや直線、やや曲線、といった感じである。
このコロムビア響は、いわゆるコロンビア響とは別の団体で
おそらくニューヨーク・フィルのメンバーが中心ではないかと言われているが
確かにモノーラルで多く録音されたワルター&NYPの演奏による音色に酷似している。
ただし、上述のように多少は細かいニュアンスが入り込んでいて
そのあたりがステレオ時代の演奏を彷彿とさせるわけである。
ただし、演奏そのものが感銘深いかと言われると
全くそうでないのは
やはりオケがあまりにソリッドな響き過ぎて
モーツァルトの音楽にふさわしくないからだ。
ワルターがいかに親しみを込めてニュアンスを出そうとしても
この音色ではどうしようもない。
よって★7つの普通の出来とする。

225korou:2022/04/06(水) 18:05:01
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第5番」(ケンペン&AC管、1951年12月録音)
★★★★★★★★☆☆

1951年の録音にしては
オケの底力が存分に感じられる、ある意味凄絶な音質になっていて
ケンペンの優れた個性である剛直さがストレートに伝わってくる。
チャイコフスキーの交響曲にそういうものが必要かと問われると
その通りと答えたい。
この演奏にはロシア的な土俗性などは皆無だが
それ以外に必要なものはすべて備わっていると言ってよいだろう。
金管の咆哮、緩急自在で見事なアンサンブルを示す弦楽器群、緩急自在な指揮に対応できる高い能力、
それらをすべて備えることは容易ではないが
この時期のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団には
それが可能だったのである。
聴き始めに感じるロシア音楽らしい個性の希薄さと
やはりこれだけの合奏はステレオで聴きたかったという思いで
★8つとしたが
ひょっとしたら、最新ステレオの録音であれば★満点だったかもしれない。

226korou:2022/04/11(月) 14:19:20
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第6番」(モントゥー&ボストン管、1955年1月26日録音)
★★★★★★★☆☆☆

モントゥーとチャイコフスキーって全然合わないかもと思いつつ、聴き始める。
予想通りの明晰な演奏、あまりにクリアで、チャイコフスキー独特の粘着性がすべて失われているようで
最初はこれはダメだと思ってしまったが
聴いていくうちに、これはこれでアリだと思うようになっていった。
モントゥーが「悲愴」を振ったら、こうでなくちゃいけないという当たり前な結論。
第3楽章などどこにもスラブ民族らしい響きなど聴かれず
それでいて音楽が自在に展開していき、
およそ「悲愴」の演奏では感じたことのない感覚を体験することになるし
終楽章のサラッとした印象も、いかにもモントゥーらしい。
それでいて、第2楽章の中間部で思わずハッとさせるような解釈なども秀逸だ。
★7つのせざるを得ないのは
これはあくまでもセカンドチョイスの演奏だからであり
演奏のクオリティとしては★8つでもおかしくない。
録音もこの時期にしては優秀で、ほぼステレオ録音と言ってよい
(ステレオにしては音の重なりが浅すぎるのだがモノラルよりは遥かに聴きやすい)

227korou:2022/04/13(水) 14:41:28
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第4番」(フルトヴェングラー&VPO、1951年1月8〜10日録音)
★★★★★★★☆☆☆

録音にテープが使われ始めた時期で
そのテープから直に起こしたこの音質は
かつてのフルトヴェングラーの演奏の音質とは全く違って
隅々まで音の響きが伝わってくる。
演奏そのものは、どこまでもドイツ的、いや彼しかできないフルトヴェングラー・オリジナルの
チャイコフスキーであり
決してこの曲のファースト・チョイスにはならないのだが
出来としては上々の部類で
さすがウィーン・フィルと言える見事な合奏力とともに
フルトヴェングラー・ファンを満足させるだけのクオリティを持っている。
半世紀前なら★8つも可能なデモーニッシュな演奏だが
さすがに21世紀の今、この演奏には★7つが妥当だろう。
チャイコフスキーはもっとさらっと演奏するのがベターなのであり
これほど主観的にダイレクトに感情を表現した場合
どんなに名演でも★7つ、つまり普通の感動しか伝わってこないのである。

228korou:2022/04/14(木) 11:06:16
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第6番」(ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル、1956年6月録音)
★★★★★★★☆☆☆

このところ立て続けに聴いているチャイコフスキーで
ついに本家、真打ちの登場である。
音質はクリアで、やや音の広がりが少ないようにも思えるが
もはやモノかステレオとかでどうのこうのというレベルではなく
十分にムラヴィンスキーの意図が窺える良質な音だ。
第1楽章、第4楽章の最初の数分あたりは
ムラヴィンスキーの指揮でないと味わえない濃厚なロシアの風味が感じられ
そのへんを聴いた直後は凄い名演と思わせるが
全体を通して聴いた感想としては
思ったよりは「悲愴」の核心に迫り切れていない
もどかしい演奏に思えた。
ムラヴィンスキーと「悲愴」の相性は決して良くないということを
再認識させられた。
再三聴いた、この4年後のステレオ録音の演奏と
解釈としては同一ではないかと思われる(少しだけ比較の意味で聴いた結果)。
★7つが妥当だろう。

229korou:2022/04/15(金) 20:36:21
(1957年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第7番」(ケンペン&BPO、1953年5月30日〜6月1日録音)
★★★★★★★★☆☆

質実剛健とはこういう演奏のことを言うのだろう。
しかもオケがBPOなので、ますますその印象が強くなる。
そして、ただ質実剛健だけでは
ベートーヴェンの宇宙を表現するには
シンプルすぎるのではないかと思っていたら
終楽章の最後になって
曲自体が突如立ち上がってくる奇跡が起こり
全体としても造型がしっかりするという
意外な形で演奏を聴き終えることができた。
クレンペラーのときも同じような奇跡を体験したが
このベートーヴェン「第7」という曲には
最初から手抜きなく実直にきちんとやっていくうちに
最後の最後で予想もつかない感動を呼ぶ魔法が存在しているようだ、
★9つでもいいのだが、
やや弦の音色が硬すぎる録音のせいもあって(録音そのものは優秀)
1つ減点することにした。

230korou:2022/04/20(水) 20:54:17
順番に聴いていくと
ベルリオーズ「劇的交響曲 ロミオとジュリエット(ミュンシュ指揮)」を聴くことになり
初めて聴いたところ
まあまあ面白いとはいえ
やはり声楽が入ると評価が難しくなるので
今回の企画では
声楽込みのオーケストラ曲はパスすることに決定。

231korou:2022/04/21(木) 12:03:43
(1957年の新譜から)
ブラームス「交響曲第4番」(トスカニーニ&NBC響、1951年12月3日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

巨匠のブラームス、とはいえ、これはあまりにもムリな設定だ。
トスカニーニはあくまでもイタリア風というか、カンタービレを思いっきり歌い上げるのだが
ブラームスは、そういう形で歌えるように書いてはいても
そんな風に歌ってしまっては身もふたもない情感を旋律の奥底に忍ばせているわけで
それらを全部無視して自己流に表現してしまっているこの演奏は
もはや(自分のようなブラームス信者にとって)聴く価値は一切ない。
本来なら★3つ程度の最低ラインの演奏なのだが
さすがにNBC響のオケの厚みは他の演奏では聴くべくもなく
完璧無比で素晴らしい。
そして、ドイツ風の情緒も理屈としては理解していたはずの巨匠が
あえて自己流に振って個性を貫き通した姿勢も評価したいし
そうなると、絶対にダメなこんなタイプの演奏でも
人によっては評価するかもというレベルの★6つまで
復活してしまうわけだ。
まあ、自分は★3つだと思っているけれど(こればかりはどこまでいってもトスカニーニなので、半分聴いて後は放棄した)

232korou:2022/04/22(金) 13:54:23
(1957年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第29番」(ベイヌム&AC管、1956年5月録音)
★★★★★★★☆☆☆

第1楽章出だしの響きは素晴らしい。
こんなに爽やかに、しかも魅力たっぷりにモーツァルトが奏でられたら
世界は一気に歓喜に満ち、幸福この上ないものになる。
心底から楽しいと思わせてくれたのだが
第2楽章になると、その楽しさは一転退屈に変わってしまい
一体どうしたことかと、ナクソスのクリップスの名演で確認したくなった。
クリップスが引き出している第2楽章は
実に細かくニュアンスがつけられていて
爽やかなだけでは表現し得ない深遠な世界であることを暗示していた。
壮年期に達したばかりのベイヌムでは
この表現はムリだっただろう。
納得して、第3楽章以下も聴く。
クリップスは、第3楽章でもニュアンスを引っ張り出そうとしているが
さすがにこれは功罪相半ばする指揮ぶりで(個人的には好きだが)
こればかりはベイヌムのスタイリッシュで爽やかなタクトのほうが
圧倒的に聴き易い。
というわけで、全体的に非常に素晴らしい演奏なのだが
この曲のキモが、実は第2楽章にあることを(クリップスの指揮で)知った以上
そこが表現し得ていないこの演奏に
★8つ以上をつけるわけにはいかない(多分、クリップス以外全員★7つ以下ではないだろうか)

233korou:2022/04/22(金) 14:37:59
(1957年の新譜から)
サン=サーンス「交響曲第3番”オルガン付き”」(トスカニーニ&NBC響、1952年11月15日録音)
★★★★★★★★☆☆

ふだんあまり聴かない曲だが
以前もカラヤンの演奏で感銘を受けた記憶があり
今回、トスカニーニについても同様なスタイルではあるので
やはり面白く最後まで聴くことができた。
作曲者サン=サーンスには
明確な形式へのこだわりがあるので(特にこの曲はそのこだわりが成功している部類だろう)
トスカニーニの明晰な演奏は
スタイルとしてもよく合っているし
オケの優秀さは言うまでもない。
文句なしに★8つ(それ以上いかないのは、残念ながら毎度のことで録音のせい)

234korou:2022/04/23(土) 16:33:32
(1957年の新譜から)
シベリウス「交響曲第6番」「交響曲第7番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1955年7月録音)
★★★★★★★☆☆☆

今まで聴いたことのなかったシベリウスの交響曲を
連続して2つ聴いた。
清新で、適度の緊張感に満ち
自然への歓びを歌っているかのような音楽だった。
初めて聴く音楽としては聴き易い部類だろう。
カラヤンの指揮は
この時期特有の表現意欲に満ちた感じで
フィルハーモニア管もそれを確実に音にしていた。
模範的演奏ということで
特にローカル色豊かということでもなく
評価としては★7つが適当か。

235korou:2022/04/24(日) 17:13:24
(1958年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(トスカニーニ&NBC響、1952年3月23日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ただ速いテンポというだけの演奏である。
これだけハイテンポでベートーヴェンを振り切ってしまう、それも85才という高齢で
という驚きは確かにあるのだが
しかし、あくまでもトスカニーニではなくベートーヴェンを聴くという
音楽鑑賞の本来の姿から考えてみれば
聴いた後に何も残らないこのような演奏を
高評価することはできない。
トスカニーニ独特のリズム、テンポの中で
いかにベートーヴェンを表現するかという点で
トスカニーニは、その生涯をかけてあらゆる努力を傾けたに違いないが
この演奏にはその努力の成果が聴こえてこない。
トスカニーニにはもっと優れた「運命」があるはずで
それは彼の生存した年代での最新録音になるこの時期に
それが残らなかったのは残念な極みである。
★6つが妥当。

236korou:2022/04/25(月) 11:11:24
(1958年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第7番」(クリュイタンス&BPO、1957年2月20〜22日録音)
★★★★★★★☆☆☆

ユンク君のサイトの丁寧な解説により、これは幻の録音となってしまったレアな音源ということが判明。
即ち、この時期はモノからステレオへの転換期にあたっていたのだが
そのことにあまり意識的でなかったレーベルが
クリュイタンス&BPOによりベートーヴェン交響曲全集を
いきなりモノ録音のこの演奏で始めてしまったものの
すぐにその誤りに気付き、3年後にもう一度、その組み合わせで
「第7」をステレオで録音し直したという経緯があるらしい。
そして、クリュイタンス自身が、
以前のモノ録音の演奏(すなわち今回聴いた音源)を廃盤にするよう命じたせいで
この音源を耳にすることは当時としては不可能になってしまったというわけである。
クリュイタンスとしては、全集のなかにモノとステレオが混じってしまうような誤解は
避けたかったに違いない(もちろん、ユンク氏の指摘の通り、彼がこの録音で築き上げようとした音楽は
「明晰さ」そのものなので、それはステレオ録音でこそ魅力を発揮できるものであったに違いないが)
目指した音楽性に変更はない以上、モノで聴こうとステレオで聴こうと、本質に変わりはないはずである。
まさに「明晰」そのものの「第7」が聴こえてくる。
そして、クリュイタンスの創り出す音楽の特徴として
「感心」するところは多々あっても、そこに「感動」を見出すことはできない(このこと自体は低評価ではないので誤解してはいけない)。
しかし、ことベートーヴェンに関する限り、この特徴は致命的だ。
「感動」のないベートーヴェンなんてあり得ないからで、
でもクリュイタンスにそれを求めても仕方ないのである(彼は彼で誠実に自分の音楽を紡いでいる)。
だから(BPOの抜群の演奏力もあって)以上のようなことであっても★7つはつけておきたい(普通なら★6つだが)
レコ芸で同時に推薦されていた「エグモント序曲」も、ステレオでの撮り直し分について、ついでに聴いた。
こちらのほうは、曲の性質上それほど込み入った「感動」は要求されないし、BPOも驚くほど上手いし
★8つと評価できる名演だ。


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