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勤行について

1管理者:2004/09/23(木) 11:36

新しいスレッドテーマの提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通り。

47 名前: ROM信徒 投稿日: 2004/09/13(月) 19:24

創価学会の新勤行と観念文(御祈念文と新呼称)です。

 勤行は五座・三座にかわって方便・自我偈一回のみ。(朝夕同じ)
 
 御祈念文

 一、御本尊への報恩感謝
 一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
 末法の御本仏・日蓮大聖人に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
 日興上人に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
 日目上人に報恩感謝申し上げます。
  と祈念の後、題目三唱。

 一、広宣流布祈念
 広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を御祈念申し上げます。
 創価学会初代、二代、三代の会長を広布の指導者と仰ぎ、
 その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます。
  と祈念の後、題目三唱。

 一、諸願祈念ならびに回向
 自身の人間革命と宿命転換を祈り、種々の願いが成就しますよう御祈念申し上げます。 (種々の祈念はここで行います)
 先祖代々ならびに会員・友人の諸精霊追善供養のために。
  (回向の中で鈴を打ちます)
  と祈念の後、題目三唱。次に

 世界の平和と一切衆生の幸福のために。
 と祈念の後(鈴)、題目三唱して終了。

以上が正式に決まったそうです。(9月8日総務会於)
尚、すでに会員さんたちには打ち出しとして連絡公表済みです。

そこで、改めて、そもそもの勤行について(観念文含む)諸賢の方々の
ご意見ご賢察を、お願いします。

2管理者:2004/09/23(木) 11:37

最初のレス、移転しました。

48 名前: 犀角独歩 投稿日: 2004/09/23(木) 10:56


47のご提案は個人的にはなかなか興味深いと思っています。
しかし新スレッドが立たないようなので、ちょっと、レスを。

この変更で最も目を惹くのは簡略のみならず、初座の廃止とわたしは受け止めました。どこかで読みましたが、SGIでは天拝は海外会員に評判が悪いとか。これは御影像についてもそうでしたか?
日蓮宗一般では天拝はたしかありませんでしたから、この点では一般並み?になったということでしょうか。

しかし、修業と目される勤行を簡略、短時間化するというのは、つまり、修業の簡略化ということなのでしょうか。仏道修行は実質的活動にあり、ということでしょうか。ロケット入りの携帯漫荼羅といい、そんな路線ということでしょうか。

あと、「自身の人間革命と宿命転換…諸精霊追善供養」という件ですが、先二つが創価学会独自の用語なのに、霊魂否定の生命論で「霊」を残すというのは不徹底な感じがします。「先祖代々ならびに会員・友人の死後の生命追善供養のために」とでもすれば整合性があると思えました。さらに言えば、現学会教学に「追善供養」などという考えが残っているのは意外でした。たしか、石山葬儀批判で、各人の成仏は、生前の信心によるというのではありませんしでしたか。そうなると追善供養は意味をなさないことと思えますが、そうはなっていないのですね。

3三瓶川 徹:2004/09/23(木) 11:52
私も転載いたします。前掲載スレを削除してください。

>1(前スレ47)は抜けがあります。方便品読誦前に

初めに御本尊に向かい(鈴)、題目三唱

{諸天供養}朝のみ

御本尊に向かって、諸天善神に法味を送る題目を三唱(東の方に向かっても良い)

諸天善神の守護に感謝し、威光勢力が増すよう、題目の法味を送ります。

と心の中で祈念の後、題目三唱します。

が入ります。

4犀角独歩:2004/09/23(木) 12:52

三瓶川 徹さん、はじめましてでよろしかったでしょうか。
補完、有り難うございます。

題目三唱で諸天供養ですか。
ちょっと、質問させてください。

この場合、諸天善神は複数形(諸)の善い神々ですね。(天・神は同じサンスクリット語の異名漢訳語)
そうすると、創価学会ではいま以て神様の存在を認めているわけでしょうか。それとも信仰者を守護する宇宙生命の働きをこう読んでいるのでしょうか。
また、三唱は法報応、空化中、三大秘法、三宝の三に契当すると倣った記憶があります。
となると、天神に三度、題目を唱えるのはどのような意味なのでしょうか。

差し支えなければお答えいただければ感謝申し上げます。

5犀角独歩:2004/09/23(木) 12:54

他のスレッドで投稿したのですが、こちらに関連しますので、転載させていただきます。

*** 以下転載 ***

学会版全集に載る『月水御書』には

「常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ」

という一節があるのにも拘わらず、両品長行(じょうごう)を省略することには何ら痛痒もないものなのでしょうか。この点はもちろん、石山、顕正会にも言えることです。御書や史実を自分たちに都合の好いところだけ引っ張って、合わないところは読みもしないというのは、不思議で仕様がありません。

6愚鈍凡夫:2004/09/23(木) 14:27

「パソコンの具合が悪なってもて、往生した。」(by 独り言)

あっそうそう、こんな文証もありましたね。

「今の施主十三年の間毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏乃能究尽なるべし、夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千大千三千世界の微塵の数をこそあげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり、涅槃経四十巻の中に集りて候いし五十二類にも自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか、 〜(中略)〜 されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し、今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし、これを以て思うに田村利仁なんどの様なる兵を三千人生みたらん女人あるべし、此の女人を敵とせん人は此の三千人の将軍をかたきにうくるにあらずや、法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし、 〜(中略)〜 之を以て之を案ずるに法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す此の文字の数は五百十字なり、一一の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放って大地をつきとをし三悪道無間大城を照し乃至東西南北上方に向つては非想非非想へものぼりいかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん、我をば誰とか思食す我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならんとこそねんごろに語らせ給うらめ、」(「法蓮抄」御書全集P1049〜)

ここには方便品のことは記されていませんが、自我偈読誦に関してはべた褒めですね。
いつの間にか、創価学会の勤行が「自我偈」だけになることもなきにしもあらずでしょうか。

7れん:2004/09/23(木) 18:51
勤行について、他門下の資料ですが、蓮師の身延在山中の生活について事書きされた身延三世日進師談「日進聖人仰之趣」(棲神第二一、二二号収録)には「一、聖人ハ天ノ御為二番々ツモツテ老僧連二御経ヲ読セ玉フ二、ハヤク来ル者ヲハニクシト、ヲソクヨメト仰セラルル也云々」とあり、身延山中において、蓮師は「天ノ御為」の「御経」を当番として門弟達に読誦させたとの記述が見えます。恐らくこの蓮師の化儀が富士門流に伝わる天拝の淵源だろうと思われますが、学会が天拝=初座を撤廃したのはなぜでしょうか?その教学上の根拠は何かを現役の学会員に聞きたいものです。

8れん:2004/09/23(木) 19:35
訂正
誤、老僧連二
正、老僧連ニ

誤、玉フ二
正、玉フニ

9れん:2004/09/23(木) 21:02
またまた訂正。
誤、御為二。正、御為ニ。
それから、これは石山代々檀家の方に質問ですが、現石山宗門が使用したがらない石山六世日時師談「大石記」に「日目上人は日興上人へ仏法の御異見をば御申シありき、所謂方便品の開三計リ遊ハして広開三をあそばさざりけるを、日目、日興上人へ御申シある様は大聖人の御時已に遊ハされ候しに尤モ読むべきにて候如何ンと、其ノ時上人仰セに云く尤モ爾るべく候へども新発意共が自我ゲをだにも覚エざる程に之レを略し候、已後読ミ候べしと其レより遊ばしけるなり」と記されており、蓮師の時並びに上代においての方便品長行読誦の化儀を伝えてますが、石山において方便品長行が現行の十如是のみになったのは何時の時代のことでしょうか?ご教示のほどお願いいたします。

10犀角独歩:2004/09/24(金) 14:00

「生身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神、諸天晝夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増の御為に」

上述の石山の初座観念は、神=天界衆生と考えるとき、妙覚≠神ではなく、妙覚=仏なので、「・」「、」約物はは以下のようにすべきなのだと思います。
「生身妙覚自行の御利益、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神、諸天晝夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増の御為に」

それでも何故、天拝で妙覚自行の利益を観念するのか、やや理解に苦しむところはあります。ただしかし、「諸天晝夜〜」という『安楽行品』の経文は、「諸仏神力所護故」と続くわけですから、整合性がないとは言えないのかもしれません。

やや余計なことを記しましたが、以上の観念、その前段の方便・自我偈を省き、ただ「題目三唱」とすれば、これはたしかにれんさんも仰るとおり、初座の撤廃と言うしかありません。

この新勤行?は、海外会員が既に行っていたSGI勤行であるというのですが、これは合っているのでしょうか。

わたしはこの極端に簡略化されたことを聞いて直ちに想起したのは、『若き日の日記』の勤行の有様でした。それと同じです。(同日記の記述が、当時の日記をそのまま、記したものであるか?はここで問題にしないことにします)昭和52年度路線当時、石山・正信会などから「3分勤行」を揶揄されたそれです。

石山から分離した団体が、元母体と違うことをやるのは勝手であると思いますが、天拝のバックボーンである、神去(天上)法門は、いちおう興師義を代表するもので、富士門では行われてきたことです。本部が打ち出すことであれば、過去半世紀、喜怒哀楽、また彼らが言う人間革命、宿命転換の糧として励行してきたことのこんな改変も、いとも容易く受け容れられる集団下の会員心理という側面から興味が沸きました。

現役会員の方は、是非ともその本音を吐露していただきたいものです。

11犀角独歩:2004/09/25(土) 10:02

サイト検索で見るばかりですが、以下、天台宗は檀信徒勤行です。

*** 転載はじめ ***

天台宗では勤行式のことを「勤行儀」”ごんぎょうぎ”と言い、在家信者に次のようなことを要請しています。

(1) 懺悔文
(2) 開経偈(かいきょうげ)
(3) 般若心経
(4) 回向文

まずは灯明をつけ、姿勢を正して仏前に正座。合掌・礼拝してから経本を軽くいただいて開き、鈴を二つ鳴らしてから勤行を始める。
三礼、懺悔文、開経偈と進めて行く。区切りごとに鈴を一つずつ鳴らし、最後に三つ鳴らして終わる。
仏前でお参りする時に欠かせない数珠は、左手の親指と人差指の間にかけて合掌する。焼香は、線香を適当な長さに折って火口を倒して横たえ、香を親指と人差指、中指でつまみ、二回くべる。
天台宗の教えの根本経典は「法華経」である。しかし、日本天台宗を開宗した伝教大師は、「法華経」の教えには三種あるとして、そのうちの一つ、根本法華経を後世、般若心経と指定した。
勤行の中心となるお経は、朝は、「観音経」や「般若心経」夕方は「自我偈」や「円頓章」になる。勤行を全部行う余裕の無い場合は、般若心経のみ、または「観音経偈文」と般若心経を唱えること。
(天台宗総本山比叡山延暦寺)
http://jin.zen.or.jp/~sato/bunko/gongyou/

*** 転載おわり ***

以下のようなサイトもあります。

宗派別「日常勤行式」
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/gongyou.htm

富士門の勤行の原形を探るのに、蓮師修業時代、清澄寺、あるいは(修業に行かれたとして)比叡山で、どのような勤行をなされていたかを見るのは重要だと思うのですが、徐々にそんな資料も当たってみようと思います。

現在の日蓮宗の勤行は以下のサイトが説明付きで解りやすいと思いました。

日蓮宗信行教典
http://www.kujhoji.or.jp/noframe/sub14_1.htm


創価学会のインスタント勤行より遙かにスピリチュアリティがある、というのはわたしの個人的な感想です。勤行修業のインスタント化は、時間の振り分けを「活動に重を置く」変更という底意があるのでしょうか。
スキーマーに、勤行より活動を、蓮師より池田さんを、御書より新人間革命をと、実践=学会営利というフローチャートがあるように、わたしには映じます。

12犀角独歩:2004/09/25(土) 11:19

これまた、道がそれるかも知れませんが、勤行法式の周辺関係ということで。
以下の浄土真宗のサイトを見て、自力と他力、題目と称名の差こそあれ、石山化儀は、浄土真宗によく似通っていると思いました。

浄土真宗でのタブー(門徒として気をつけたいこと)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/4022/tabuu/index.html#2

14平和創価:2004/09/27(月) 08:53
大変良いことだと思って喜んでいます。今までの五座三座の勤行、その中でも寿量品
の全読誦は世界公布の妨げとなってきたと思います。また子供や新入信者、そして高
齢者や病人には苦痛であったと思います。本来全ての人を救うべき易行であるはずの
蓮祖の仏法を、弱い人にとって難行にしているのではいけないと思います。

五座三座の勤行形式は江戸時代以降の僧侶の儀式だそうです。あくまでも正行は唱題
です。私はこの創価学会の「勤行」および「御祈念文」の制定を知った勤行、唱題が
よくできるようになりました。

15平和創価:2004/09/27(月) 08:56
失礼。「知った後、勤行、唱題が」です。訂正します。まだ眠いようです。

18犀角独歩:2004/09/27(月) 09:12

> 本来全ての人を救うべき易行であるはずの蓮祖の仏法

「易行」というのは、蓮師は法然の浄土門をさして言っているのです。
こんな基礎も知らないのですか。

勤行を簡単にしたほうが世界広布の進展に役立つのであれば、いっそのこと唱題もやめて、ひどく時間を取る活動も座談会も、一切合切やめてしまったらどうでしょうか(笑)

19犀角独歩:2004/09/27(月) 09:22

あ、そうそう、ついでに読んでもわからない漢文の方便寿量もやめて、現代語に読み1回するか、それも面倒くさかったら、やめたほうがいい。それと御書を読むのも、時間を取るでしょうから、これもやめて、「平和、創価学会、池田先生(万歳三唱)」っていうのに替えたらどうでしょうか。
短くて簡単で好いですよ。でも、題目三唱も長いでしょう。やめたら如何ですか。お薦めします。

まあ、学会の打ち出しをここまで簡単に洗脳され、いそいそと投稿する人が、よく、こんな読むのが面倒な掲示板を見ているものだと感心しますね。そんな人が誣いられていく課程を露出してくれる姿のほうが、学会のインスタント勤行への路線変更の相乗効果としておもしろく観察させていただきました。

20問答迷人:2004/09/27(月) 10:14

犀角独歩さん

>「易行」というのは、蓮師は法然の浄土門をさして言っているのです。

念仏の祖師達がそう言っているのを引用している箇所は多いですが、蓮師が法然の浄土門をさして、そう言っているは、どの箇所でしょうか。

それから、蓮師は、止観の作法を差し置いて、唱題の簡潔を撰んだのは、やはり、意味合いとしては、易行という事が有ったのではないかと思いますが、如何でしょう。

21犀角独歩:2004/09/27(月) 11:45

問答名人さん:

> 念仏の祖師達がそう言っているのを引用している箇所は多いですが、蓮師が法然の浄土門をさして、そう言っているは、どの箇所でしょうか。

もちろん、仰るとおりの意味での‘蓮師の引用’を申し上げたわけです。
つまり、『立正安国論』の「主人の曰く…法然…選択集『道綽禅師聖道・浄土の二門を立て…曇鸞法師…往生論の註…竜樹菩薩十住毘婆紗を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なりと、此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり』」です。

> 蓮師は、止観の作法を差し置いて

いや、止観は差し置くことはなかったのではないでしょうか。
たとえば、

「止観の五、正月一日よりよみ候ひて、現世安穏後生善処と祈請仕り候」(『金吾殿御返事』文永6年(1269)11月28日48歳)
また同年、「止観第五の事、正月一日辰の時此をよ(読)みはじめ候」(『止観第五の事』)
さらに「阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり…止観よみあげさせ給はゞすみ(速)やかに御わたり候へ」(『十章抄』文永8年(1271)5月50歳)
などとあります。ここで止観をお読みになっておられたことが窺われます。

かくも著明な一節があります。

「…庭には雪つもりて人もかよはず、堂にはあらき風より外はをとづるヽものなし。眼には止観・法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱へ、夜は月星に向かひ奉りて諸宗の違目と法華経の深義を談ずる程に年もかへりぬ」(『種々御振舞御書』建治2年(1275)55歳)

蓮師は常の学に法華・止観を読み談じ、常の所作に寿量品を上げ、そして、常に唱題を勧められたということであろうと思います。そのうちのどれかを採ったのではなく、その三つを鼎の足の如く連立されたのではないでしょうか。

ただし、どなたの説か失念しましたが、当時、板東武者、すなわち武士階級では、7人に1人しか字が読めないという状況があったといいます。農業その他の従事者の学的程度はそれよりさらに低かったと想像されます。いま消息文を受け取り、名が残る僧俗は、つまり字が読めた人々であったのでしょう。そのような学僧・入道には止観・法華の読誦を勧めたでしょう。遺文に残るとおりです。けれど、字の読めないものには唱題のみを勧め、三帰供養を勧め、あるいは通じて漫荼羅守護を図示下付するという往時が想像できます。

唱題は止観・法華その他の修学行に対比するというより、三帰(南無仏・南無法・南無僧)と言った有様によほど近いのではないのかとわたしは思えます。
たとえば、伝教の時代であれ、さらに遡って伝教の時代であれ、字も読めない人に経の読誦、釈文の修学など勧めるわけもなく、一般の俗信者に勧めることがあれば、仏像を崇め・経典を祀る塔を崇めるなど、あるいは三帰礼拝、供養賛嘆であった事情はシャキャムニの往古から蓮師の時代を経て、いまに至るまで何も変わっていないとわたしは思えます。

> 唱題の簡潔を撰んだ…易行

これは難行・易行というこの二分類でいえば、妙法蓮華経は難行・聖道門であり、その題目ばかりを唱えてもこちらに属するのではないでしょうか。

22犀角独歩:2004/09/27(月) 11:49

【21の訂正】

誤)伝教の時代であれ、さらに遡って伝教の時代
正)伝教の時代であれ、さらに遡って天台の時代

23問答迷人:2004/09/27(月) 12:35

犀角独歩さん

立正安国論の引用いただいた文は、諸師の説を引用しているだけであり、浄土門を易行とは言っていないですね。逆に守護国家論には、明確に法華が易行だという趣旨が書かれていますので、少し長いですが引用してみます。
「無量義経の已後を定めて云はく「大直道(じきどう)を行くに留難無きが故に」と。仏自ら難易勝劣の二道を分かちたまへり。仏より外(ほか)等覚已下(いげ)末代の凡師に至るまで自義を以て難易の二道を分け、是の義に背く者は外道・魔王の説に同じからんか。随って四依の大士竜樹(りゅうじゅ)菩薩、十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)には法華已前に於て難易の二道を分かち、敢(あ)へて四十四年已後の経に於て難行の義を存せず。其の上若(も)し修し易きを以て易行と定めば、法華経の五十展転(てんでん)の行は称名念仏より行じ易きこと百千万億倍なり。若し亦勝を以て易行と定めば、分別功徳品(ふんべつくどくほん)に爾前四十余年の八十万億劫の間、檀(だん)・戒(かい)・忍(にん)・進(しん)・念仏三昧等先の五波羅蜜(はらみつ)の功徳を以て、法華経の一念信解(しんげ)の功徳に比するに、一念信解の功徳は、念仏三昧等の先の五波羅蜜に勝るゝこと百千万億(まんのく)倍なり。難易勝劣と謂(い)ひ行浅功深(ぎょうせんくじん)と謂(い)ひ、観経(かんぎょう)等の念仏三昧を法華経に比するに、難行の中の極難行、勝劣の中の極劣なり。」(平成版御書136頁9行)
浄土門に比べれば、法華こそ易行である、との主張と読めます。如何でしょうか。

24犀角独歩:2004/09/27(月) 12:36

6 愚鈍凡夫さん

間が空きましたが、

> 法蓮抄・毎朝読誦せらるる自我偈の功徳…方便品のことは記されていません

この一節、ちょっと頭に引っかかっていたのです。
蓮師の勤行というと先にも引用した『月水御書』を通途引用します。しかし、これは真跡はないわけですね。

そこで真跡を当たると「御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り候ひ畢んぬ」(『上野殿母尼御前御返事』弘安3年(1280)10月24日59歳)という一節があります。

ここでいう「法華経一部」の一部は全文なのか、現代語の一部分の意なのか、取りかねるところはあるのですが、それは置きます。
愚鈍凡夫さんが『法蓮抄』から仰るよう、ここでも「自我偈数度」となっていて、方便品が挙がっていないのですね。
少し考えさせられるところがあります。

25犀角独歩:2004/09/27(月) 13:03

問答名人さん:

> 守護国家論…浄土門に比べれば、法華こそ易行である、との主張と読めます。如何でしょうか。

ええ、仰せのとおり、この文意はたしかに、そう読めます。ただし、これは与奪で言えば、「奪って言えば」という蓮師得意の論法ではないでしょうか。

ここで蓮師が仰っているのは、仏以外に「難易」の行を区別するのはおかしい。既に『無量義経』「留難無き」と定めているからだ。難易の行という分別するのであれば、法華経の五十展転、一念信解のほうがよほど、容易いだろう、難易を‘奪って’言えば、念仏三昧は、法華経から見れば「難行の中の極難行、勝劣の中の極劣」ではないのかという脈絡ではないでしょうか。

法華経を易行というのでなく、そんな難行・易行などという論の立て方自体を否定するところであろうと思えます。

易行道はその後の蓮師真跡遺文のなかでも、常に浄土門を指す用語であって、法華経を指すことがないことからも、その点は窺えます。

蓮師は難行・易行と廃立を用いず、直ちに「一念信解」を採ったのではないでしょうか。

26問答迷人:2004/09/27(月) 13:51

>法華経を易行というのでなく、そんな難行・易行などという論の立て方自体を否定

同じく守護国家論には次のような一節があります。

「此の文の意は手に法華経一部八巻を執らざれども是の経を信ずる人は昼夜十二時(とき)の持経者なり。口には読経の声を出ださゞれども法華経を信ずる者は日々時々念々に一切経を読む者なり。仏の入滅既に二千余年を経たり。然りと雖も法華経を信ずる者の許(もと)に仏の音声(おんじょう)を留めて、時々刻々念々に我が死せざる由(よし)を聞かしむるなり。心に一念三千を観ぜざれども遍く十方法界を照らす者なり。此等の徳は偏に法華経を行ずる者に備はれるなり。是の故に法華経を信ずる者は、設(たと)ひ臨終の時、心に仏を念ぜず、口に経を誦せず、道場に入らずとも心無くして法界を照し、音(こえ)無くして一切経を誦し、巻軸(かんじく)を取らずして法華経八巻を拳(にぎ)る徳之(これ)有り。是豈(あに)権教の念仏者の臨終正念を期(ご)して十念の念仏を唱へんと欲する者に百千万倍勝るゝの易行(いぎょう)に非ずや。」

ここは、さらにもう一歩踏み込んで、持経の功徳、読経の功徳、一念三千の観法の功徳が法華経を信ずる人には備わると説かれ、念仏に百千万倍勝る易行であると述べられています。やはり、蓮師は、浄土の易行道との主張を重要視され、法華経を信ずることこそが、浄土に百千万倍勝る真実の易行であると主張せられていると思われます。これは、先ほどの無量義経の「留難無き」を踏襲した主張をされたものと考えますが、如何でしよう。

27犀角独歩:2004/09/27(月) 14:27

> 26

ですから、この点も25に蓮師の文意を示したことと同轍の趣旨と思います。これはあくまで法然『選択集』の教義を踏襲して奪って言うまでのことでしょう。

主張としては、易行だなんだと言うのであれば、よほど法華経のほうがそうだという脈絡でしょう。

また、引用される段は法華易行を説明すると言うより「誦法華」を受けた説明段ではないでしょうか。
逆にお尋ねしますが、では、問答さんは蓮師の教義は念仏易行道に対して、法華易行道を立てたものであるとお考えになるわけですか。

28問答迷人:2004/09/27(月) 14:37

そうですね、当時の時代背景から考えると、貴族仏教化して、庶民は仏教の蚊帳の外に置かれていた。浄土門によって、仏教は庶民に信仰されるようになった。しかし、それは仏教の伝統を破壊するものであつた。法華正統の立場から、庶民を対象とした仏教を打ち立てなければならない、という願いが蓮師にはあつた。そして、唱題という、簡潔な、しかも、内容的にも浄土門に遥に勝る易行として確立された。

蓮師にはこういう思いがあったと思います。

29犀角独歩:2004/09/27(月) 15:42

問答さん:

たとえば、蓮師教学は、五重相対、三大秘法、四重興廃、教機時国教法流布先後などと、説明されます。
では、

┌易行−法華−唱題
└難行−浄土−念仏

という法華易行道という教学は、どのような形でまとめられているのでしょうか。

また、ここでいう「唱題」とは何を指すのでしょうか。

30犀角独歩:2004/09/27(月) 15:47

一つ漏れました。
『守護国家論』『立正安国論』、前書は国家守護、後書は安国で目指すところは一緒であると思えます。ここでは為政者に法華信仰を進めることを目的にしています。
けれど、問答さんは

> 庶民を対象とした…唱題…易行

であると仰りますが、この根拠は何でしょうか。

31問答迷人:2004/09/27(月) 16:35

>法華易行道という教学
>ここでいう「唱題」とは何を指す
>庶民を対象とした根拠は何

四信五品抄の文を引用します。

「問うて云はく、末代初心の行者に何物をか制止するや。答へて曰く、檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを、一念信解初随喜(しんげしょずいき)の気分(けぶん)と為(な)すなり。是則ち此の経の本意なり。(平成版御書1113頁)
「問ふ、汝が弟子一分の解(げ)無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何。答ふ、此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過(ちょうか)するのみに非ず、将又(はたまた)真言等の諸宗の元祖・畏(い)・厳(ごん)・恩(おん)・蔵(ぞう)・宣(せん)・摩(ま)・導(どう)等に勝出(しょうしゅつ)すること百千万億倍なり。請ふ、国中の諸人我が末弟等を軽んずること勿(なか)れ。進んで過去を尋ぬれば八十万億劫(まんのくこう)供養せし大菩薩なり。豈(あに)煕連一恒(きれんいちごう)の者に非ずや。退(しりぞ)いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して五十の功徳を備(そな)ふべし。天子の襁褓(むつき)に纏(まと)はれ大竜の始めて生ぜるが如し。蔑如(べつじょ)すること勿れ蔑如すること勿れ。(同書1115頁)

題目とは、『一分の解(げ)無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する』という事を指します。この行儀は、一文不通の庶民であっても、法華を行ずる事が出来る、という設定です。蓮祖の目線が大多数の一般庶民に有った事が明らかであると思います。また、これらの文から、蓮祖教学が、一念信解・初随喜の位に修行を立てた事が明らかだと思います。

32問答迷人:2004/09/27(月) 17:01

訂正です。

×題目とは
○唱題とは

33犀角独歩:2004/09/27(月) 18:01

筋の組み立てとして解るのですが、どうもそれぞれに話が論点がすり替わっていると感じます。

問答さんの主張は要するに蓮師は、民衆のために法華易行道として、唱題を確立した、まあ、こういうことでしょうか。

まず、23で引用されるところは一念信解、五十展転は浄土以上に易行であるという文ですね。ここでは、しかし、唱題が勝るとは書かれていません。
次の26にいう「此の文」とはその全文に見られる誦法華を指して浄土に勝る易行であると言います。ここでも唱題が勝るとは書いていません。
ところが28には「唱題…浄土門に遥に勝る易行」と突然、一念信解、五十展転、誦法華を指した易行が唱題に当て嵌められてしまっています。これは論理の飛躍ではないでしょうか。(たしかに『守護国家論』では「但唱法華経題目」という一節は見いだせます。これはしかし、「離三悪道」について陳べる段で易行とは直ちに関連しません)

また、引用されていたのは『守護国家論』であり、この主語は『立正安国論』と同様に「国家」です。ですから、この書が国家安寧のために法華第一を挙げたことは明らかです。ここで、問答さんが「庶民を対象とした…唱題…易行」であると仰る故に民衆ではなく、国家のためにではないのかと問いを起こすとき、両書からではなく、他から引用されれば、質問の趣旨から逸れてしまいます。

なお、31に引用された『四信五品抄』には「初心の行者」「汝が弟子」を直ちに「庶民」を解されていますが、これは如何なものでしょうか。庶民がもし信徒であれば、他の慣例からすれば、「檀那」その他の語彙が使用されます。ここで言う「行者」「弟子」は明らかに僧侶、若しくは入道を指すのではないでしょうか。まして、該当の文の主張は「我が‘末弟’等を軽んずること勿れ…蔑如すること勿れ」と蓮師のお弟子、すなわち僧侶を指したものであることは明白です。

また、29にわたしは法華易行・念仏難行を示す教学大綱をお尋ねしましたが、これに斯かる回答はいただいておりませんが、この点は如何でしょうか。

『守護国家論』から離れて、蓮師が言う題目の意義を見れば、それは五重玄(名体宗用教)でしょうし、広略要には肝要の題目、三つの法門では本門の題目であって、それを唱えることが易行道であるという教学は見られないと思いますが、この点は如何でしょうか。

そもそも14に平和創価さんが言う

> 寿量品の全読誦は世界公布の妨げとなってきた

という一節は蓮師を批判しています。
何故ならば、蓮師が寿量品長行読誦をしていたことは学会版御書全集『月水御書』にも載る故です。また、蓮師已来の斯かる行を

> 弱い人にとって難行にしている

という言説もまた、蓮師を難行とその行を批判したものでしょう。ここにおいては、しかも、方便・寿量を短く唱えることが易行という前代未聞の珍説を立てております。これはしかし、問答さんが仰る唱題易行とはまた別の考えではあろうかとは思います。

いずれにしても、蓮師御立の法門は法然教学の難易行道を発展させて念仏易行道に変わる唱題易行道を確立したという証拠にはなっていないというのが、わたしの感じたことです。

34犀角独歩:2004/09/27(月) 18:22

やや余談ながら…。

わたしは蓮師が建長5年4月28日に「南無妙法蓮華経」と唱題をしたという門下‘常識’に就いては、かなり慎重です。

実は33に挙げた『守護国家論』の「但唱法華経題目」の一節は、真跡中、もっとも最初に見られる唱題の文証です。正元元年(1259)38歳のことです。建長5年からしかし、6年を経ています。
「南無妙法蓮華経」という固定観念があるとき、唱題の題は題目のことで「南無妙法蓮華経だ」となるでしょう。しかし、題目というのは現代語で言えば、題名(経題)です。ですから南無妙法蓮華経ではなく「妙法蓮華経」の5文字です。つまり、『守護国家論』の段階では「妙法蓮華経」あり、「南無妙法蓮華経」である確証はありません。

「南無妙法蓮華経」が明確に見られるのは『法華題目抄』文永3年(1266)1月6日45歳であり、建長5年からは実に13年後、『守護国家論』からみても7年の歳月を経ています。

ここは『勤行』のスレッドですから、敢えて記しますが、

* 蓮師が建長5年4月28日から「南無妙法蓮華経」と唱えていた証拠はない
* 真跡で見る限り、蓮師の勤行は寿量品自我偈であった?

という二つの可能性を挙げておくことにします。

35犀角独歩:2004/09/27(月) 18:35

【33の訂正】

誤)全文に見られる誦法華
正)前文に見られる誦法華

36問答迷人:2004/09/27(月) 19:00

>蓮師が建長5年4月28日から「南無妙法蓮華経」と唱えていた証拠

松野殿御消息(951頁)次のように仰せです。

「或は法華経を読む人は有りしかども、南無妙法蓮華経と唱ふる人は日本国に一人も無し。日蓮始めて建長五年夏の始めより二十余年が間、唯一人当時の人の念仏を申すやうに唱ふれば」

種々ご指摘いただいた問題点については、少し整理して、明日にでも書き込ませていただきます。よろしくお願いいたします。

37問答迷人:2004/09/27(月) 19:36

>法華易行・念仏難行を示す教学大綱をお尋ねしましたが

この点については、既に守護国家論の当該箇所を引用済みです。再掲しますと、

「無量義経の已後を定めて云はく「大直道(じきどう)を行くに留難無きが故に」と。仏自ら難易勝劣の二道を分かちたまへり。」

浄土門は法華以前の経だから、議論の余地無く難行道に分類されてしまう訳で、法華易行道、浄土難行道は、釈尊が既に決められた事であると。

38犀角独歩:2004/09/27(月) 19:43

問答さん、有り難うございます。
ご呈示の『松野殿御消息』は読み落としていました。
ここに前言を改めることといたします。

39犀角独歩:2004/09/27(月) 20:05

37 問答さん:

お示しの該当箇所では、ご記述のとおり、爾前(難)・法華(易)という分別です。法華が直ちに唱題であるとするのは、論理の飛躍ではないのかということです。

たしかにご指摘のとおり、蓮師は法華を易行とすることは言いますが、これはしかし、法然教学の流れとは言いがたいと思うのです。
敢えて重複してあげますが、

『立正安国論』の「主人の曰く…法然…選択集『道綽禅師聖道・浄土の二門を立て…曇鸞法師…往生論の註…竜樹菩薩十住毘婆紗を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なりと、此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり』」

この文で見る限り、この文証となっているのは『十住毘婆紗論』です。
しかし、「十住毘婆沙論には法華已前に於て難易の二道を分かち、敢(あ)へて四十四年已後の経に於て難行の義を存せず」
「十住毘婆沙論は一代の通論なり。難・易の二道の内に何ぞ法華・真言・涅槃を入れざるや」

とあります。つまり、難易という分かちには『法華経』は含まれていないのが同論の趣旨です。この点は、どのようにお考えになりますか。わたしは、このことからも、法然教学の難行道・易行道と蓮師が言う法華易行は同名異義であると思うわけです。

40問答迷人:2004/09/27(月) 20:47

>法然教学の難行道・易行道と蓮師が言う法華易行は同名異義

十住毘婆沙論の論旨は仰る通りです。

ただ、問題は、法然は「之に準じて之を思うに」という拡大解釈を行い、釈尊五十年の説法全体に、この「浄土易行、聖道難行」を無理やり当てはめ、この法華已前の「聖道」の中に法華を押し込んで切り捨てた訳です。これに対して、この「之に準じて之を思うに」という拡大解釈こそが誹謗正法に当たると指摘したのが、立正安国論の浄土批判の骨子であったわけです。

この流れを抑えた上で、蓮師が爾前と法華という一代の難易を論じた点を捉えると、当然、法然が、難行・易行を一代に亘たるものと拡大解釈した点を強く意識していたと考えざるを得ません。如何でしようか。

41通りすがり:2004/09/27(月) 21:40
14の平和創価くんの日蓮批判はすごい。ほめ殺した上で日蓮がやったことは難行で人々に苦痛を与えたけれど、創価学会新勤行は易行でただしい!! すご
よくできるようになったって、そりゃ。大学受験生に受験テキストではなく、小学生のドリルやらせたようなもんだろ。それができて喜んでも大学は受からないよ。

42通りすがり:2004/09/27(月) 21:43
38は弘法も筆の誤りかい。しかし、素直に認めるんだな。

43犀角独歩:2004/09/28(火) 00:48

> 十住毘婆沙論…法然…拡大解釈…法華を押し込んで切り捨てた

それはそのとおりなのです。しかし、法華を押し込んだという点については、では、蓮師も同様ではないでしょうか。法華と爾前で難易を論じています。ただ、結論が逆なだけです。

これでは齟齬が生じます。ですから、蓮師が難易を言う論点は、そこから違っていなければ、自己矛盾が生じます。故に法然が法華経を含めて難易を論じたのと、蓮師の言う難易は違わなければ、ただの自己批判になってしまいませんか。

44犀角独歩:2004/09/28(火) 00:52

通りすがりさん:

わたしは創価学会にいた35年間、法華講にいた5年間、ずっと間違いだらけでした。そして、毎日、修正の繰り返しです。ですから、日々改めます。

45togosi:2004/09/28(火) 22:54
易行てそんなにすごいことなの。
自分のところはこんなに簡単で、すごいんだぞって、うさんくさいインチキ商売みたいじゃない。
かえって、成仏するのはこんなに大変だっていうほうがよっぽど信憑性を感じるけどね。
法然さんも日蓮さんもくだらない背比べしてるよね。

46犀角独歩:2004/09/29(水) 01:12

> 45

なるほど。これは一面の真理ですね。
「こっちのほうがずっと簡単で、すぐに功徳があるし、成仏できるよ」
言われればペテンぽい響きがあります。

たしかに蓮師の『守護国家論』の記述は、法然を意識した勇み足に見えます。
しかし、度重なる迫害や重科で、殊に佐渡流罪以降は、命に及ぶほどのことない限り成仏などないと、易行どころか、実にシビアな発言をしていますよ。まあ、それでも歴劫修行に比すればまだ生易しいのですが、臭き頭をを法華経に奉るとまでいう発言は、もはや易行の域を超えているとわたしには思えます。

小学生でも出来る修行(勤行)をいい年した大人にさせる‘おままごと’はそこには片鱗も見られません。けっして創価学会のインスタント勤行が蓮師のものであるわけではありません。そんなものに惑わされず、真実の蓮師のお姿を見ていただきたいと願うばかりです。

47三吉:2004/09/29(水) 01:38
念仏は易きがゆゑに一切に通ず。諸行は難きがゆゑに諸機に通ぜず。
  しかればすなはち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て
  易を取りて、本願となしたまへるか。もしそれ造像起塔をもつて本願とな
  さば、貧窮困乏の類はさだめて往生の望みを絶たん。しかも富貴のものは
  少なく、貧賤のものははなはだ多し。もし智慧高才をもつて本願となさば、
  愚鈍下智のものはさだめて往生の望みを絶たん。しかも智慧のものは少な
  く、愚痴のものははなはだ多し。もし多聞多見をもつて本願となさば、少
  聞少見の輩はさだめて往生の望みを絶たん。しかも多聞のものは少なく、
  少聞のものははなはだ多し。もし持戒持律をもつて本願となさば、破戒無
  戒の人はさだめて往生の望みを絶たん。しかも持戒のものは少なく、破戒
  のものははなはだ多し。自余の諸行これに准じて知るべし。まさに知るべ
  し、上の諸行等をもつて本願となさば、往生を得るものは少なく、往生せ
  ざるものは多からん。しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の
  慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をも
  つて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願と
  なしたまへり。

未読されたし。
自分だけ救われたらいいと思う人はどーぞ難解な道にご精進されればよい。
菩提心が度衆生心で、すべての人と共に救われることを願うことならば、
「一握りの造像起塔できる金持ちや智慧高才のモノや多聞多見の人、
持戒持律の方などの優秀で、努力家さんたちだけが救われる教法」では
満足できず、広く皆が救われる手立てに共感を感じるものです。
日蓮さんは、法然の念仏易行を批判しつつ、
「念仏は易きがゆゑに一切に通ず。諸行は難きがゆゑに諸機に通ぜず」
の心を継ぎ、法華題目こそが真に一切に通ずると主張されたのだと
私は思います。

易き行とは、インチキ商売やペテンではなく、「大乗の根幹」です。

まあ「念仏」「題目」の意義は、人の難解のほどありがたそーだという
感覚からは逆転していて理解しがたいものではありますが・・
だから日蓮宗 中山は滝行などを無意味に有難たがる。
すごっーい、と

48犀角独歩:2004/09/29(水) 05:33

まあ、当スレッドは創価学会の新勤行を考えるということで、その線に沿ってのみの記述ですが…。

新勤行が易行だから多くの人が救われるという考えはわたしは短絡であると思えます。念仏は知りませんが、子どもも出来る簡単な勤行だけ、題目一遍唱えるだけ、それで救われるぐらいならば苦労はありません。また、そういう考えが、では自分だけ救われればいいというものでもないでしょうね。易き行は、確かにその簡便さの故に多くの人が乗ることは出来るでしょう。しかし乗せるだけ乗せても、乗ったとしても、本当にそれが多くを救ったことになるかどうか、もちろん、それはその反対の難行であれば救われるという意味ではありません。それも文字通り、難しいことでしょう。

浄土門のことは知りませんが、蓮師の半生は、念仏に向こうを張ったように法華易行を言ってみたりしています。しかし、そこで言うことは一念信解が念仏より易行であると。それなのに、法華は元来、難信難解であるというわけです。信じ難いものを信解することが易行であるという蓮師の言い分はわたしは矛盾を来していると思えます。問答さんが示された『松野殿御消息』によれば、念仏を唱えるような調子で題目を唱えることをはじめた蓮師は、それを易行として認識していたのかも知れません。けれど、度重なる迫害の中で、蓮師は「寧喪身命不匿教」という釈を懐き、不軽に自身を押し当てるとき、「其罪畢已」の果てにある成仏は刎ねられる頭を法華経に捧げ、身命を喪う大難を超えない限り成仏は有り得ないという艱難辛苦の結論に進んだわけです。では、そんな不軽のあとを承継することが易行であるかと言えば、とてもそうは言えないとわたしには思えます。

49三吉:2004/09/29(水) 06:38
>法華は元来、難信難解であるというわけです

念仏も「難信難解」と元々言われています。

愚かになって往生すると。賢しらの人、自分が偉いと思っている人、
できると思い込んでる人、・・・、
あなたのような人が「易い行」と言われたら信じることができないし、
思想性も理解できないからです。

日蓮さんも首をハネラレカケテやっと身で解かり、
佐渡以後、題目だけでいいんだぁとの認識に立てます。
題目こそが現代の実践だと。
それ以前の題目はせいぜい罪が軽くなるよ程度ですね。

行は易い。しかし、あなたが、「難信難解」を証明下さってます。

50三吉:2004/09/29(水) 06:51
実は短絡とは「努力したら救われるんだ、はずだ」という人間的な、
あまりにもな人間的な牧歌的で健康な発想が「短絡」です。

「題目一遍唱えるだけ、それで救われるぐらいならば苦労はありません」
の中身は「頑張ったモノが救われるんだ、はずだ」という意識です。

そもそも釈尊の苦行放棄→樹下座禅も、天台の4種三昧も易行化です。

日蓮さんの主張に「勤行で救われる」とないはすです。
門下は在家まで「五座・三座」の実践行で救われると言ってない筈です。
(遺文はしりませんが、イウテタら日蓮はあほです)

単に「五座・三座」に慣れ親しんだ敬虔のもたれる方が、
その形式の簡略化に違和感を感じるということではないでしょうか。

51三吉:2004/09/29(水) 07:04
「信じ難いものを信解することが易行である」

仏教は自覚の宗教です。人から言われてもきづきにくいものです。
自分ではっと、ある時きづくものです。
気づいたとき「促し」を感じたりしますが、やはりどこまでも「自覚」です。

面白いもので、「易行」と言われて、なるほどと納得できるのは、
本人次第です。
努力して努力して、努力尽くして、やっと努力では到達ではないと自覚で
きたり、金持ち、能力のある者、頭のよいもの、真面目に戒律を実践して
いるものだけが救われると聞き、「それならば俺は無理だ」と諦めていた
ものは、さっと自覚できたり、と。色々ですが・・・。

「易行でいいんだ」というのは、ごく普通の感覚「頑張った人こそが
救われるはずだ」という感覚に矛盾するから「信じ難い」のです。

日蓮門下に日蓮さんは「末代幼稚」と仰せです。
幼稚にならないと易行は、自覚できないかもです。

55雖念:2004/09/29(水) 08:16
> 47

> 造像起塔をもつて本願となさば、貧窮困乏の類はさだめて往生の望みを絶たん。(中略)もし持戒持律をもつて本願となさば、破戒無戒の人はさだめて往生の望みを絶たん。

法然・親鸞が布教の対象としたのは、貴族・商人階級に限らず、無知蒙昧で貧しい農民たちもそのうちに含まれていたので、称名念仏だけで往生できるという教えは十分に革命的であった。猟師、漁師などの破戒の徒もそのうちに含まれていた。
こうした「易行」道があまりに革命的であったために、「蓮祖」の場合、「唱法華題目」が二番煎じでないことを訴えるために、ご苦労をなされたのではと思います。

法然・親鸞が既得権者・抵抗勢力から受けた迫害と、蓮祖が受けたそれとどう違うのか?
私は、この点に関しては、いままで蓮祖の側からの視点しか持ちえませんでしたが、三吉さんの一連の投稿をよんで、この点に関する「洗脳」を解かなければと思い始めました。

56一字三礼:2004/09/29(水) 09:09
>51

易行であるか、難行であるか、その行法の精神を考えようとする人ならば、まだましでしょう。
日蓮正宗や創価に属する人々達は、題目を自身の欲求を実現させる道具としてしか考えないようです。
そのような人達に対しての唯一の仏教的な行為である勤行式(それが蓮祖の意に副うかどうかは別として)を、何も考えず適当に短くしてしまうはいただけないと私も思います。

>念仏も「難信難解」と元々言われています。
とは何れの経典で言われていることでしょうか。

57犀角独歩:2004/09/29(水) 09:51

「あなたのような人」などと言われる筋合いはありませんが、三吉さんの文章の中でわたしが思っていた答えが書いてあります。「気付き」「自覚」ということです。ただし、法然が言う易行道に心が動くところがないのは当たっています。その点、わたしは蓮師の考えに習気があることは認めます。

この気付きは難行だと起きない・易行なら起きるというものではないでしょう。わたしは難行から易行に疑問を投じているのではなく、「気付き」「自覚」なき易行も、難行もともに同じく無駄な努力になってしまうという側面を言っていただけです。

法然の念仏は法華経を廃した往生、しかし、蓮師の唱題は法華経による成仏。往生と成仏では目指すところがそもそも違っています。同じ易行といっても、その内容はまるで違います。それを同等の意味合いを以て、蓮師までが易行道の確立をしたというような論調に、わたしは納得しません。蓮師が勧めたことは、先に記したとおり、「寧喪身命不匿教」「其罪畢已」という弛まぬ‘努力’でした。

なお、わたしは「努力したら救われるんだ、はずだ」「頑張ったモノが救われるんだ、はずだ」という意識はありません。しかし、努力している者を無駄などと嗤う姿勢は承伏しかねます。また、

> 単に「五座・三座」に慣れ親しんだ敬虔のもたれる方がその形式の簡略化に違和感を感じる

のではなく、簡略化の目的に学会の動機の不純さを感じること、また、蓮師の精神どおりにというのに、その修業の在り方が違っている点に異議を唱えたのです。わたしの個人的な感慨を言えば、石山勤行は、いわば弥四郎漫荼羅/蓮師・派祖本仏論のエッセンスなのであって、この勤行にわたしは何も賛同するところはありませんので、まったく否定的です。三吉さんが仰るところは当たっておりません。

まあ、そう容‘易’くわたしの心中の業(‘行’為)を決め付けないでください。

58犀角独歩:2004/09/29(水) 10:03

このスレッドには直接関係ありませんが、いま話題になっている『選択本願念仏集』は以下のサイトに置かれています。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/kyouron/sentaku.htm

59問答迷人:2004/09/29(水) 10:34

犀角独歩さん

書き込みが遅れています。申し訳ありません。今、仕事が少し空きましたので、大急ぎで書いています。

法然の立てた易行に対抗して、蓮祖が法華の易行を立てた、と言い切ると、色々と違って来る所があると思います。只、称名念仏と関係無しに唱題行を立てたとは思えません。有智無智、誰もが横並びで実践しうる修行という面では、称名念仏は革命的で有ったと思います。蓮祖はその同じ地平に立って、しかも、仏教の正統修行、仏になる道を万人のために門戸を開かれたのだと思います。そういう意味では易行と言える訳です。勿論、蓮祖は一切衆生の成仏の道を教えられた訳で、誰にでも門戸が開かれているからと言って、修行しなくても良い、等と教えられた訳では有りません。その意味では、修行を怠けさせる方向を含むような、今回の創価のうちだしには、直ちに賛同するものではありません。

但し、すべての人に門戸を開く事については、然るべきであると思います。門戸を開いたからと言って、直ちに修行は適当でよい、という意味ではなく、蓮祖の時代の信徒さん達は、本当に大変な中、信仰を貫いただろうと、感服するものです。蓮祖は捕らえられ、死罪、流罪。そんな中で一文不通の方々が蓮祖の教えを信じ切って、退転しなかったことは、本当に大変な事であると思います。果たして、それが「易行」という言葉だけで言い尽くせるかどうかは疑問です。御義口伝の「難来たるを以って安楽と心得よ」という一節は、後世の作とは言え、良く、この間の様相を言い得て見妙であると思います。指摘されました諸点については、今、纏めていますので、暫し時間を戴きたく存じます。

60問答迷人:2004/09/29(水) 10:36

訂正です

×言い得て見妙である
○言い得て妙である

61犀角独歩:2004/09/29(水) 11:42

問答さん、有り難うございます。
わたしは、どうも易行という言葉には引っかかりを感じます。
議論が戻りますが、蓮師が『守護国家論』でいう易行は唱題について言っているとは文面で見る限り思えません。ここで言われる易行とは一念信解、五十展転、誦法華でm蓮師の唱題という立行とは意味を異にしています。繰り返しになりますが「「但唱法華経題目」という一節は見いだせます。これはしかし、「離三悪道」という範囲に留まっています。

問答さんが仰るように、口で南無「めうほうれんぐゑきゃう」と唱えることは、それは止観行に比して易行でしょう。けれど、その言葉の意味するところは易行などという生易しいものではありませんね。妙法蓮華経に帰命するということは、その法華精神に基づいて死ぬということだからです。「其罪畢已」「一心欲見仏不自惜身命」という法華経が指し示す方向は、差詰め「寧喪身命不匿教」という殉教以外に、その出口はありません。自分の身を殺して法を弘めることを標榜した蓮師が唱える南無妙法蓮華経が易行か?といえば、これほどの難行はないとわたしには思えます。ですから、口先で誰でも唱えることが出来るから易行だなどという論の在り方にわたしは賛同しかねるのです。

南無妙法蓮華経と唱題することは誰しも出来る易行であるというのであればそれはそれでいいでしょう。しかし、その意味するところを実践貫徹しようとすれば、死を以て果たす以外にない難行であるとわたしは思えます。

しかしたしかに「死身弘法」を安楽と見れば、それは究極の易行ということなのかもしれません。

62問答迷人:2004/09/29(水) 15:29

犀角独歩さん

ご指摘戴いたのは、要約すれば以下の二点かと存じます。

1.「国家の安泰のために、法華護持を為政者に勧めたのが立正安国論。「法華護持」=「唱題」と捕らえるのは論理が短絡している」
2.『四信五品抄』において「初心の行者」=「庶民」と捉えるのは間違い。あくまでも「初心の行者」=「僧侶、入道」を指す。

1はご指摘の通りですね、この文脈での「法華護持」は為政者に対して勧めたものであり、しかも、自行化他を含む内容です。ですから、この文を以って、直ちに唱題に当てはめてしまうのは、論理の短絡を含んでいます。勿論、「法華護持」の中核として唱題修行があることは事実ですが、それのみで良いとの意味では無いのは確かですから、謹んでこの論旨を撤回します。
2は「初心の行者」という中に在家が入るかどうか、という事ですね。やはり、この文脈からは、在家を含むとは読めませんね、これも慎んで撤回します。

結局、59において書いた事を以って、僕の見解とさせていただきます。

63犀角独歩:2004/09/29(水) 17:02

方便品に「童子戯 聚沙為仏塔 如是諸人等 皆已成仏道(童子の戯に 沙を聚めて仏塔と為る 是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき)」という有名な一節がありますね。
三吉さんが仰る易行の精神を、わたしこんなところに見ます、「幼稚」というのは稚拙というより、こんな駆け引きのない純粋な一念のことかと。

この法華経に記される子供の話は、わたしはたぶん実話ではないかと思います。法華経を創作した人々が見聞したことをモチーフにしたのではないでしょうか。そんな意味で古代から、実は仏教には、言われるような‘易行’を常に孕んでいたと類推します。
「南無阿弥陀仏」というと当時は真新しかったのかもしれませんが、古来より三帰(南無仏・南無法・南無僧)は仏教のお定まりでしたし、修業ができない在家が食を施すことは出家の修業に対すれば明らかに易行でした。

それに対して、蓮師が示す法華経信仰は、現実社会に叩き出し、法華経のために命を捨てることを迫ります。蓮師自身、刎頭を望み、また為政者・念仏者に迫り、ついには熱原農民は弥四郎男をはじめ三人が斬首に処されました。伝・興師の遺誡では「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」といい『富士一跡門徒存知事』でも「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩」と言います。身命を捨てて刃傷を被り、さらに追放されるほどのことが「一分の信心」だと言うのです。

真跡を遺さないながら『如説修業抄』では「一期過ぎなむ事は程無ければ、いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るヽ心なかれ。縦ひ頚をばのこぎり(鋸)にて引き切り、どう(胴)をばひしほこ(菱鉾)を以てつヽき、足にはほだし(絆)を打ってきり(錐)を以てもむとも、命のかよ(通)はんきは(際)ヽ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にヽしぬる」ことを迫ります。「南無法蓮華経」と唱えることは、結局のところ、身命を喪うほどの覚悟を以て絞り出す一唱と思えます。

沙の仏塔を作る子供の仏道の成就は否定しません。けれど、口先三寸、小学生でもできる勤行なんていうふやけた根性で、命懸けの日蓮への承継など、まさに「お題目」でしょう。南無、妙法蓮華経を成就するために、そのお前の頚を差し出せと迫る蓮師の気迫は、易き行などととてもわたしには思えるものではありません。

もとよりわたしは創価学会の指導で五座三座の勤行を25年し続けたのは揺るがない事実です。それがいまさらになって「江戸時代以降の僧侶の儀式」だなんて口上を聞くに付け、ならば「過去50年間、その僧侶の儀式をやらせてきたのはどこのどいつだ。巫山戯るな!」と一喝したのはそのためです。

ただしかし、唱題易行ではなく、法華易行を『守護国家論』に蓮師が陳べていたことは事実であり、この点は、わたしは素直に受け容れることとして、問答さんとの有意義な今回の議論を畢えさせていただくこととします。有り難うございました。

64愚鈍凡夫:2004/09/29(水) 18:05

やれやれ、パソコンがやっと正常に戻りました(資料が無事で良かった)。 ε〜( ̄、 ̄;)ゞフー

禅定を易行道と呼ぶには少し抵抗がありますが(ここでは便宜上そう呼びます)、釈迦牟尼は、難行道と易行道を経験をすることによって成道したのではないかと思います。
具体的にどちらがどうと言えませんが、どうもこの2つの修行形態は、悟りの内容が違うのではないでしょうか。
だから、どちらが優れているという問題ではなく、修行者がどちらを必要とするかの問題ではないでしょうか。したがって、どちらの修行も上昇志向を持たずに義務として遂行すれば、悟りには至らず、無駄に時を過ごすだけとなるでしょう。
ただ、命を捨ててまで悟るものとは具体的に何でしょうか。また、命を捨てて悟ったことが何の役に立つのかといった疑問もあります(輪廻転生があるとすれば、来世への貯金ということでしょうか)。

創価学会で五座三座の勤行をするようになったのは、確か戸田さんが決めたことだったと思います。勤行が簡略化されていくのは、時代の流れだと創価学会員は言うでしょうが、勤行は報恩感謝が根底に存在してこそ意味のあるものですよね。
勤行が簡略化されて、報恩感謝の念も簡略化される恐れはないものでしょうか。現実に、近所の創価学会員は楽になったと喜んでいる人が多いですよ。

「功徳が一緒なんやったら、今まで損してきた気分や」(by 近所のB坦さんの弁)

現世利益追随に拍車が掛かると思うのは小生だけだろうか。

65犀角独歩:2004/09/30(木) 08:00

> 命を捨ててまで悟るものとは具体的に何でしょうか

それは命を捨てて悟れるものでしょうね。
シャキャムニは苦楽中道で覚ったのだそうですが、蓮師は、どうやら、違うようですね。
これは法華経精神だけというより、涅槃経精神も多分に含まれるのでしょうか。
わたしは蓮師の有様を素描しただけで、では、自分自身が命を捨てると考えているわけではありません。何故ならば、既に自身内の蓮師の無謬性は崩壊しているからです。けれど、そこまでの極限状態でなければ悟れないものは、それはそれであるだろうと思います。

> 功徳が一緒

功徳(積功累徳)という善行の積み重ねを意味する言葉が=御利益を意味する創価学会というのは、これだけでもすさまじいと感じます。
しかし、あんなラミネートがかかった後ろの模様まで一緒に印刷したものを御本尊と思える神経はどうもわたしにはわかりません。それに拝んで「功徳」があると思うのもすごいですが、さらに勤行を簡略化しても「功徳が一緒」という口コミ指導もすごいですね。それをまた、すぐに我がことと信じ込むのもこれまたすごい。

> 創価学会…現世利益追随

まあ、欲の皮を突っ張らせることによって、さらに集団・指導者に追従させることに拍車をかけるというところに本質があると思いますね。しかし、学会員というのは、なんでも集団・指導者の言うことに追従するように、よく訓練されていますね。改めて感心しました。繰り返しになりますが、先にあった投稿のように、洗脳そのまんまを自分の感激として語り出すように仕込まれているわけですね。パブロフの犬の実験を思い出します。

まあ、こういうことを書いても、よく「訓練」された人々は批判されているとしか、思わないかもしれません。自分の心中に何がなされているのかという自己分析はできないでしょうね。……わたしもかつては出来ませんでしたが。

66卞氏:2004/09/30(木) 14:39
どうか、そもそもの勤行について(観念文含む)諸賢の方々のご意見ご賢察を、お願いします。

>勤行が簡略化されて、報恩感謝の念も簡略化される恐れはないものでしょうか。
>実に、近所の創価学会員は楽になったと喜んでいる人が多いですよ。

このような意見が有りますが、むしろ、感謝の心が以前に増して沸くようです。苦しんで勤行する必要はありません。
感謝の念で、楽しく勤行するべきです。難行苦行を押し付けるものではないと思いますから。
五座三座でないだけ、題目をたくさん、あげることができるようなりました。
これはありがたいことです。

昔の御観念文は難しすぎて、よほど勉強しないとその意味すらわからないでしょう。
そうして解らないまま念じている人も多かったようです。
それよりは、平易な言葉で解りやすい文にすることは良いことだと思います。
これは日蓮仏法が世界に広まる宗教として、各国でも翻訳されていくわけですから、だれもがわかりやすい文であるということ。
それは、世界的宗教としての一つの重要な条件とおもいます。

御書についても、学会は各国の翻訳版を作りつつあります。
仏法はすばらしいのですから、かならず世界の人にも理解してもらえます。

世界にこの仏法を広めましょう。

67平和創価:2004/09/30(木) 19:20
私も卞氏さんと同意見です。私は小学校1年生の時に既に方便品と自我偈を読誦し、唱題
することができました。また小学校3年生の時には30分唱題することができました。し
かし如来寿量品は中学生になるまで読誦することはできませんでした。私が正式に入会し
たのは14歳の時ですが、もし小学生の時に入会していて、現在の創価学会の新勤行形式
であったならば、小学校1年生の時からきちんと勤行唱題ができたと思います。

中学生の時から勤行唱題を始めるのと、小学校1年生の時から勤行唱題を始めるのとでは
相当な違いがあります。小学生の時に祈りが叶ったという体験をした人間と、そうでない
人間とではかなり違うと思います。蓮祖も少年時代に虚空蔵菩薩に「日本第一の智者とな
さしめ給え」と祈り続けてあのような大学者、大宗教指導者になったのではありませんか。

信仰は形式ではないと思います。東に諸天善神がいるわけでもなく、わざわざ東に向いて
方便品、自我偈を読誦する必要はないと思います。東に向く時間を唱題に費やした方が遙
かにいいと思います。また今まで信心に不熱心だった人の理由が、五座三座の勤行ができ
ないということが多かったことを私は知っています。創価学会に入らない理由を床屋のお
じさんに訊いたことがありますがその時おじさんは「私はお経なんて読めないからね」と
言っていました。

私は創価学会高等部時代、学校が遠かったため朝の勤行ができないことがありました。そ
の時通学電車の中で、こころの中で初座の勤行をすることはできるのですが、二座の寿量
品のところでつまずいて読誦できず、自我偈に飛んで五座の勤行を済ませて学校に登校し
たものです。寿量品は同じ句が繰り返し出てくるため記憶しにくかったのです。でも新勤
行形式ならば、忙しい朝でも勤行がしっかりできたと思います。

蝋燭が原因で火事になったりした例があったそうです。稀には線香が原因で火事になるこ
ともあります。形式を脱し、より多くの世代の人達が、下は幼稚園児から上は100歳以
上のお年寄りまで勤行ができるようになれば、蓮祖の仏法によって幸せになる人が増える
でしょう。また日本語が全く読めない海外の人が勤行唱題に励み、世界に蓮祖の仏法が広
まっていくことを御祈念します。

68通りすがり:2004/09/30(木) 19:39
>66,67
だからさ、何でそんな勤行を創価学会はずっとやってきたわけ
変えたの今月からだろう、それまでなんでそんな無駄なことをやってきたのさ

69通りすがり:2004/09/30(木) 19:43
こんなところに投稿していないで受験勉強したら(呆)

70通りすがり:2004/09/30(木) 19:46
牧口さんとか、戸田さん、池田さんも初座の勤行やらなかったの?
またやってたら、それは形式だったわけ(…はあ 溜息)

71愚鈍凡夫:2004/09/30(木) 19:48

ああっ・・・・・。通りすがりさんに先に言われてしまった。
ひっこんでよっと・・・・。 〜(=^‥^A アセアセ・・・

72通りすがり:2004/09/30(木) 19:49
あれだよね。学会投稿者はまるで投げかけられたことに答えないで同じことを繰り返すばかりだね。
あと、書けば書くほど、わたしたち創価学会は先月まで、すごく無駄で、形式的なことをやっていたんですと懺悔しているだけみたい(タハハ)

73問答迷人:2004/09/30(木) 20:00

うーん。

実は、僕は、昨年から暫定的に、方便自我偈唱題を朝夕やってるんですよ。観念文はなし。よく似た事を創価学会が始めたので、驚いています。

僕は、宗門の勤行に、納得が行かなくなったので観念文はすべて止めているんです。どういう風にしたら、一番蓮祖の教えに叶うのか、試行錯誤の途中です。

やはり、簡単だから良いわけでもないし、長ければ良いわけでもないと思います。本当は、蓮祖はどういう勤行を信徒に教えられたのでしょうか、諸賢のお考えを承りたく存じております。よろしくお願いいたします。

74通りすがり:2004/09/30(木) 20:16
ここの投稿にかぎってみれば6と24が日蓮聖人の勤行て感じですか。自我偈のみ。
それで月水御書から考えると方便・寿量とも長行まで。

75れん:2004/09/30(木) 20:31
石山の勤行について。他板の過去レスにある通り、三堂における勤行がその淵源だと思います。民部盛師より又五郎を介しての目師への披露状・目師より盛師への返状には石山御堂の番について記されてあり、目師の返状には「番の事、花まいらするばかりにて候」とあり、仏前に樒を供えることが記されてますが、当番制で仏前に香花を供え勤行をしたものと思われます。御堂における勤行は目師の代まで遡れます。石山九代日有師は「今当宗ノ御勤は日月自行ノ御勤也、是レ尤宗旨ノ勤ナル間是レヲ為本也。朝天ヘ十如是寿量品、御本尊エ方便品ノ長行寿量品両品也。御影堂ニテ十如是寿量品計リ也」とあり、この頃には以上の化儀にて三堂勤行が行われていたことが知れます。その後、江戸期(寛師以降か)に、日中の広布祈念の勤行が四座に、諸精霊回向の勤行が五座に付されて、今日の石山における五座三座の勤行が成立したのだと思います。

76れん:2004/09/30(木) 21:25
訂正。誤、也」とあり
正、也」と述べられており
蓮師の日常における朝夕の勤行について私見を述べれば、蓮師の著述、門下文書(代・仙両師による方便品読否論争関連文書や日進聖人仰之趣など)から考えて、野外における「天ノ御為」の勤行、仏前における方便品長行(世雄げまでか最後までかは不明)と寿量品長行・自我げと唱題といったところではないでしょうか。あとは、行学院日朝師の元祖化導記の記述から、檀越からの依頼による特別法要などにおいて、他品読誦も行われていたと思います。

77一字三礼:2004/09/30(木) 22:57
> 石山九代日有師は「今当宗ノ御勤は日月自行ノ御勤也、是レ尤宗旨ノ勤ナル間是レヲ為本也。朝天ヘ十如是寿量品、御本尊エ方便品ノ長行寿量品両品也。御影堂ニテ十如是寿量品計リ也」
「十如是」と「方便品ノ長行」とを書き分けていますね。

十如是に世雄げまで入れても三止三請以前の部分で、方便品を重視する理由の二乗作仏にはまったく触れていません。方便品の主要テーマに至らない部分を珍重して読む理由はなんでしょうか。
方便品の長行とは、二乗作仏を説く長行として「法華文句」でいう所の「正宗分第二・広開三顕一・第一法説周・第一正説段・長行(許説)」の「爾時世尊。告舎利ホツ。汝慇懃三請。・・・」から「・・・言無虚妄。無有余乗。唯一仏乗。」までをさすのではないでしょうか。

78れん:2004/09/30(木) 23:25
一字三礼さん。たしかに日有師は十如是と方便品の長行を言い分けていますね。
…方便品の主要テーマに至らない部分を珍重して読む理由…については、日有師は述べていないので、不明としか言えませんが、石山六代日時師談の大石記によれば、石山三祖日目師が勤行において方便品長行を読誦していた旨の記述があるので、目師代の石山では御堂における勤行の次第はいずれも方便品長行・寿量品長行・自我げ・唱題だっただろうと愚考しております。
…方便品長行とは「爾時世尊。告舎利弗」から「…唯一佛乗」…まででしたか、やはりそうですよね。ご教示有難うございました。

79大勇者:2004/09/30(木) 23:26
私も観念文は飛ばしてしまいます。
なぜなら、唱題しながら観念してしまうので・・・

唱題の仕方も、みなさんのご意見伺いたいと思います。
学会からは「妙」の字を見ながら唱題すべしと言われましたが根拠あるのでしょうか?
また、唱題の最中は何を考えれば良いのでしょうか?
学会員は「願い」を強く願うと言うのが専らのようですが、如何なのでしょう?
それとも「空」を考えるのでしょうか?
素朴な疑問で申し訳ありませんが、是非宜しくお願い致します。

平和創価さん
おひさしぶりです。お元気そうで安心しました。

80犀角独歩:2004/10/01(金) 10:12

世雄偈について少し検索をしてみたのですが、天台電子辞典ではヒットせず、蓮師の真偽を含めて遺文のなかには使用されていないのですね。いったいいつ頃から「世雄偈」という語彙が定着したのでしょうか。

わたしは、かつて勤行では方便・寿量共に全文を読経していました。石山では方便の長行は世雄偈までと聞いていたのですが、寿量品で長行というときは全文なのに、方便品では世雄偈止まりということに納得がいかなかったからです。そんなこともあり、一字三礼さんのご賢察に改めて驚かされました。有り難うございました。

れんさんがご指摘されるとおり、勤行の起源が三堂勤行であるというご指摘は納得できます。御堂で勤行をするというのは換言すれば、そこに奉(まつ)られている本尊への供養を目的としたものですね。これは天拝も同様であろうかと存じます。法味を報恩のために供養するというのが勤行の趣旨でした。

三堂別々に勤行がされたということはそれぞれの尊体にそれぞれ報恩供養して回ったことを意味するわけですね。ここで問答名人さんが投げかけられた問題に触れるのですが、各家庭で安置される漫荼羅に勤行をするのは、漫荼羅供養の意味合いということですね。問答さんは、たしか久遠本仏と妙法の一体を主張されるお立場ですから、そうなると仏・法に亘る報恩供養としての勤行ということになるのでしょうか。

愚鈍凡夫さんも指摘された蓮師の所作は自我偈ばかりですが、これは本尊供養の趣旨ではなく、精霊(故人)の追善供養にその趣旨があるように思えます。この点は塔婆建立と意義を同じくしているように思えます。これは、あくまで類推ですが、蓮師は常の所作では寿量品自我偈のみであった…、仙代問答の方便品の読不は、そんなところから読むとまるで逆の意味に採れることにやや驚きを感じました。

れんさん、「天ノ御為」の勤行は蓮師に遡れそうでしょうか。延山の朝勤に、石山の初座に当たるものがありません。五老方の門葉でも上古は天拝がなされており、それがいつの間にか消滅したと考えることはできるのでしょうか。

81卞氏:2004/10/01(金) 10:28
>>66,67
>だからさ、何でそんな勤行を創価学会はずっとやってきたわけ
>変えたの今月からだろう、それまでなんでそんな無駄なことをやってきたのさ

それなりに五座三座に意味を見出していたんじゃないかな?それは知らないよ。
形式はいつかは変るものだと思っていたけど、意外と遅かったかな?ッて感じ。
指導でも、「仕事などで忙しいときは題目三唱でもよい。ご本尊に向かう姿勢が大事なのだ。」といわれたよ。
形式だけの勤行なら、やっても意味はないという指導性です。
ただ、学会総体の基本の形として五座三座を戸田会長の時代に決めたというだけのはなし。
新入会の人も、さいしょは、題目だけでも。徐々に勤行はゆっくり方便ジガゲだけから・・
挑戦しよう。できれば、五座三座。というふうにやってきた。

70 名前: 通りすがり 投稿日: 2004/09/30(木) 19:46

>牧口さんとか、戸田さん、池田さんも初座の勤行やらなかったの?
>またやってたら、それは形式だったわけ(…はあ 溜息)

形式的にやっていたのかどうか。それは、ここで聞いてもわかるわけないじゃないですか。
本人に聞く以外わかる方法はないですよ。なぜ、ここで尋ねるのでしょうね。

82れん:2004/10/01(金) 11:17
犀角独歩さん。「天ノ御為」の勤行は、案外、蓮師まで遡れるものと考えています。身延三代日進師の談を弟子が記した「日進聖人仰之趣」(成立は嘉暦年間・現存写本は天文年間のもの。刊本は棲神二十一、二十二号に収録)にその旨が記されてますし、又、朝師の元祖化導記にも蓮師の化儀として「早朝持仏堂の間にて法華経十巻の中、一日に一巻を読誦。十日にして十巻を読誦し終わり、その後は日天に向かって方便・寿量・宝塔・勧持・涌出・神力・属累品等の要品を読誦される。以上四時間。日中には法門談義。夕刻には方便・寿量の二品を真読または訓読で読誦」(この本文は柳沢師の石山本尊の研究より引用)されていたことを記されています。この文中の「日天に向かって」の読経が「天ノ御為」の読経だったのではないかと思います。延山の朝勤では石山の初座にあたるものがないとのことですが、ご指摘の通り、五老方の門葉でも上古は天拝がなされていたと思いますが、いつの間にか消滅したものと思います。

83犀角独歩:2004/10/01(金) 11:42

れんさん、ご教示有り難うございました。
たいへんに参考になりました。

天拝は、東天旭日、つまり、太陽を拝することですね。天照大神、日蓮、その両方の名に共通する太陽神(日天)の信仰が蓮師にあったのはむしろ当然なのだと改めて思いました。

真跡を検索すると

『四条金吾殿女房御返事』文永12年(1275)1月27日54歳
「今三十三の御やく(厄)とて、御ふせ(布施)をく(送)りた(給)びて候へば、釈迦仏・法華経・日天の御まえ(前)に申しあげ候ひぬ」

『富木殿御返事』文永12年(1275)2月7日54歳
「日蓮又ほう(報)じがたし。しかれども又返すベきにあらず。此の帷をき(着)て日天の御前にして、此の子細を申す」

などの記述が見られます。これ遺文が朝勤を指すかは定かではありませんが、日・月・明星を神と見なし、その光に向かって、問いかける蓮師の姿は遺文にしばしば載ります。こんなところにも一つの原型があるのかもしれませんね。

1日1巻読誦、4時間に及ぶ勤行の次第は、荘厳で煌々とし、襟を正す気分になります。

84ROM:2004/10/01(金) 15:02
活発かつ貴重なお話しが続いていて、
大変ありがたく拝読させていただいています。

ちなみに、というわけでもありませんが、法華講において朝夕勤行は五座三座。で、
唱題会やいわゆる唱題行の際は、方便自我偈に続いてお題目を唱え、御観念は、
二座と三座をして「乃至法界平等利益・・云々」で終了です。
自宅での唱題行の際、御祈念のある場合には、四座の観念文を加えてよいそうですが、
基本的には、朝の四座の時だけが、「御祈念」の時です。

お墓参りも方便自我偈唱題で、五座の観念文が加わります。
各種法要や御報恩お講の際は、
方便品寿量品唱題で観念文は二座と三座をして
「乃至法界平等利益・・云々」です。これは「読経・唱題」と呼ばれています。

自宅でもお寺においても、唱題中に気持ちがこみ上げてきて、
頭を下げて祈念や感謝をする、そして又、顔を上げて唱題を続ける、
という人が多いように思います。

つまり、御宝前で合掌し口唱する際は、
そのほとんどが御報恩の志に費やされるというのが、実情です。

学会で読経が一回になり簡素化されたのもさることながら、
今までは「御観念文」と言っていたのを「御祈念文」とした事が、
はるかに変化した内容を物語るような気がしています。

また、諸賢の皆様は衆知の事かと思いますが、そもそも「法華経」は
その昔から「罪障消滅・懺悔滅罪・反省悔悟」に
その経の効能(不遜ですが)があるとされてきたお経であり、
その故にさまざまなところで用いられてもきた歴史もあるように
聞いております。

ともあれ、どうぞさらなる御賢察をお願いいたします。

85ROM信徒:2004/10/01(金) 15:06
すみません、上記84は、ROM信徒でした。

86犀角独歩:2004/10/01(金) 15:56

ROM信徒さんのご投稿を自分の法華講時代が懐かしく思い出されました。
そうでしたね、唱題行などでは、方便自我偈が頭に付きました。これは但し勤行ではありませんね。勤行は罪障消滅ということですが、観念文から見る限り、報恩感謝・広宣流布祈念・回向の三本立てでしょうね。

わたしは石山の勤行・唱題が好きでした。まあ、好きという語弊があるかもしれませんが。ですから、時間のあるときは方便長行・寿量長行、立正安国論、申状まで奉読し、ゆっくりと2時間ほど掛けて心ゆくまで勤行をしたものでした。その折、鈴に貯めた樒の茎葉を乾かし自ら作った抹香を焼きました。宝前は三器に華香水と分け上げもしました。

あと、大勇者さんの質問を読み、思い出していましたが、ある時、住職に「唱題の時は、何を考えればよろしいのでしょうか」と聞くと、本当に不思議そうな顔をし、「考える? 何をだ」と問い返されました。「祈念とか、そんなことです」とさらに問うと「口に南無妙法蓮華経を唱えれば、身も意(こころ)に南無妙法蓮華経。特に何を考えるも無かろう」と言ったことを指導された記憶があります。たぶん南無妙法蓮華経という言語音声(ごんごおんじょう)が身意も南無妙法蓮華経に相呼応し身口意三業一切が南無妙法蓮華経となるということなのであろうと思えました。

四座祈念についても「儂は、広宣流布祈念以外の祈念はしたことはない。あとは一切御本尊様にお任せする」という住職の一言でした。

学会の悪宣伝でとやかく言われるところもありますが、こんな精神は石山には確かにありました。寿量品の訓読、太鼓の音に合わせたお題目はわたしは好ましく想います。禅定は得られ易いですね。それに反し、学会の過呼吸を誘引する早口唱題のほうが脳内代謝が活性化され催眠効果はあったというのは自分の経験から感想です。

87ROM信徒:2004/10/01(金) 18:13
>それに反し、学会の過呼吸を誘引する早口唱題のほうが脳内代謝が活性化され・・

ひさしぶりに思わず大笑させていただきました。ありがとうございました。

付け足しになるかも知れませんが、
「個」に関わる御観念文は朝四座御祈念の際の「広宣流布祈念」の次の
「某(それがし)過去遠々劫現在満々の謗法罪障消滅現当二世大願成就の為に」と
朝夕五座の回向「某(それがし)先祖代々・・云々」のふたつです。

ただ回向は、その観念文をする前に正式には「過去帳」を見て
蓮聖興目尊や御歴代、蓮聖の御尊父・御母堂、大行(上野殿)の毎月の月命日に
またやはり「過去帳」記載の毎月の28日(宗旨建立)や
各法難の日(11・12・27日等)に「御報恩謝徳の御為に」を先に御観念します。

ですから「個」に関してはその程度です。

学会は勤行の「御祈念文」で、しかもその中の「諸願祈念」の際に
自身の「罪障消滅」を祈念しないですませてしまった所に
なんともいえない変化の凄みを覚えます。

よく理解できません。
ともあれ、引き続き皆様の御賢察をお願い申し上げる次第です。

88伊野:2004/10/01(金) 19:51
以前、学会本部新館の自由唱題会で、題目がナメコナメコとあまりに、早口なので
オウム真理教のマントラを唱えてるものかと思いました。
一定のリズムを付けるために、メトロノームを顕正会は利用していますね、
あの方が、リズムに沿って唱和しているので、題目が乱れずにいいと思いますよ。

89一字三礼:2004/10/01(金) 20:53

れんさん
ご教示などとはとんでもございません。れんさんの投稿にはいつも勉強させていただいております。

> 目師代の石山では御堂における勤行の次第はいずれも方便品長行・寿量品長行・自我げ・唱題だっただろうと愚考しております。
私もこのお考えに賛成です。
蓮祖の時代、仏事(勤行)は朝夕の2回だけだったのでしょうか。

犀角独歩さん
天拝の行軌が蓮祖まで遡れるか、否かの論考が続いておりますが、大曼荼羅には、諸天神がすでに勧請されているので、大曼荼羅を本尊として勤行をする場合には天拝の意味は無くなると思えるのですが、この辺のところいかがお考えになりますでしょうか。

90れん:2004/10/01(金) 22:53
一字三礼さん。私如き者に過分のお言葉を下さり、恐縮しております。

蓮祖の時代、仏事(勤行)は朝夕の2回だったのでしょうか…とのご質問ですが、蓮師の時代の勤行が朝夕の二回のみであったのか、明確な文献が無いので分かりませんが、後世の関東の目師門下では道師門の日有師は「一日三時ノ御勤ノ事、朝ハ辰巳ノ時ハ諸天ノ食事ナル間、先ツ天ノ御法楽ヲ申シ、午ノ時ハ諸佛ノ御食持ナレハ日中ノ法楽是也。戌ノ時ハ鬼神ヲ訪フ勤也。是ヲ能々得意三時ノ勤行可致也云々」と述べており、同じく目師門下の郷門の日我師は化儀秘決にて三時勤行について解説してますので、中世の富士日目門下に限って言えば、勤行は朝昼夕の三回行われていました。しかし、日中(昼)の勤行という化儀が何時の時代まで遡れるのかは残念ながら現時点では不明です。

91愚鈍凡夫:2004/10/02(土) 06:47

先の「法蓮抄」以外で、勤行に関係する文証を検索してみました。

「設ひ得たりとは存知すとも真実の仏意には叶う可からず如何となれば法華経を信ぜざるが故なり、此の心は法華経の方便品の末長行に委く見えたり委は引て拝見し奉る可きなり」(「諸宗問答抄」学会版P379・未決)

「問ふ、一経は二十八品なり。毎日の勤行、我等の堪へざる所なり。如何に之を読誦せんや。答ふ、二十八品本迹の高下、勝劣、浅深は教相の所談なり。今は此義を用ひず。仍て二経の肝心は迹門の方便品、本門の寿量品なり。天台、妙楽の云く「迹門の正意は実相を顕すに在り、本門の正意は寿の長遠を顕す」云云」(「授職潅頂口伝鈔」・未決)

「御姓名竝びに御年を我とかかせ給ひて、わざとつかわせ。いよどの(伊豫殿)もあながちになげき候へば日月天に自我偈をあて候はんずるなり。恐恐謹言。」(「可延定業御書」 学会版P986・真蹟)

「そのほどまづ弟子をつかわして御はかに自我偈をよませまいらせしなり、其の由御心へ候へ」(「減劫御書」学会版P1467・真蹟)

「その心をとげんがために此の御房は正月の内につかわして御はかにて自我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候」(「春の祝御書」学会版P1510・真蹟)

少なくとも天拝・法要には「自我偈」が定着していたようですね。
ご参考までに。 m(_ _)m

92愚鈍凡夫:2004/10/02(土) 08:13

「富士宗学要集」より

「一、一日三時の御勤の事、朝は辰巳の時は諸天の食時なる間、先づ天の御法楽を申し、午の時は諸仏の御食時なれば日中の法楽是れなり、戌の時は鬼神を訪ふ勤めなり、是れを能く々意得て三時の勤行を致すべきなり云云。」(有師談諸聞書)

「一、御勤めの上げ処・方便品には一番五千人等・二番過去諸仏・三番五濁の章、寿量品には一番或説己身・二番譬如良医の文・譬如良医は一越にて題目を唱ふべしと云へり、又云はく自我偈の巻数の時は後に天人常充満にて上ぐべし、其の調子にて題目唱ふべしと云へり、惣じて五調子を以つて朝暮の勤行を致すべし云云。」(有師談諸聞書)

「答ふ実に所破の為にて候、其の故は方便品の後寿量品を読みたまへば自ら迹たる方便品破られ候なり、さて寿量品の後・題目を唱へ候へば自ら寿量品は在世の正宗断惑証理の開悟法説の説なれば自ら破られ候なり、去る間だ所破の為にて候なり、」(有師談諸聞書)

「法妙の下の心法妙は方便品・仏法妙は寿量品・衆生法妙は題目なりと天台の釈を以つて方便・寿量・題目を勤行に用ゆるなり云云、委くは富士山の立義抄の如し上須一同の御義・所破の為の日興の御本意なり、聖人の仰せなり。」(穆作抄)

「日講が啓蒙の十八に日向天目問答記を引いて云わく、大聖人一期の行法は本迹なり、毎日の勤行は方便・寿量の両品なり、乃至御遷化の時亦復爾なり等云云。」(六巻抄・当流行事鈔)

方便品を何処まで読むかは記されていませんね。 ( ̄ヘ ̄)ウーン

93卞氏:2004/10/02(土) 09:41
私は、「罪障消滅」の文字こそ消えたかもしれませんが、
祈念までが消えたとは思いません。

それは、「自身の人間革命と宿命転換を祈り」とあるからです。
「罪障消滅」というと、なにか贖罪のようなマイナスなイメージが付きまといます。
過去世の謗法は自身にはわかりません。解らないものを幾ら祈っても、意味はないと思いますし、
むしろ、「そういうのって、見えない暗い影を背負って生きているかのような感じがしてやだな。」
とまで言われてしまいす。

当然、「宿命転換をすること」には「罪障が消滅すること」の意味が含まれるわけですから、
とても前向きでスマートな言い回しだと思います。

いまの自身の課題に取り組んでいきましょう。

94犀角独歩:2004/10/02(土) 11:08

ROM信徒さん、わたしも石山勤行は学会時代から通じて30年もやっており、殊に正式に石山教師からも詳細の指導を受けていますから仰ることは十分に理解しています(笑)
信徒が書いたものであれば『法華講随感』(市原康輝著)は簡潔によくまとまっていて参考になりますね。


伊野さん、はじめまして。
題目の調子を取るのは昔から太鼓と相場が決まっていました。
この太鼓の叩き方は各山各様でそのリズムを聴くだけでどこの宗派かわかり、なかなか味わいがありますね。讃岐大坊に参詣したとき、新たに入信された方が太鼓の叩き方をまず習っている場面に偶然立ち会い、ここから覚えていくのかといたく感心したもでした。


一字三礼さん

> 大曼荼羅…諸天神…勧請・大曼荼羅を本尊…勤行…天拝の意味は無くなる

ちょっと仰る意味が斟酌できないのです。申し訳ありません。
これはつまり、漫荼羅中の諸尊と共に報恩感謝供養されるという意味でしょうか。


愚鈍凡夫さん、やはり、真跡では自我偈、未決で方便長行という流れのように見えます。それで、れんさんも挙げてくださった文献によれば、目師の段階ですでに方便・寿量の勤行はなされていたかのようで、延山でも朝師の段階では天拝はあったと、こうなるようですね。

95愚鈍凡夫:2004/10/02(土) 13:16

「三師御伝土代・日興上人御伝草案」に
「一、天目房ノ方便品読ム可からずと立ルハ大謗法ノ事」

とありますよね。この記述を額面通り受け取るならば、勤行における方便・寿量の読誦は、日興師の遺告と言うことでしょうね。それから、歴史的文献としての信憑性はさておいて、

「一、仰せに云はく・今当宗の御勤めは日月自行の御時の勤めなり、是れ尤も宗旨の勤なる間た是れを本とするなり、朝天への十如是寿量品、御本尊へ方便品の長行寿量品の両品なり、御影堂にて十如是寿量品計りなり、御堂の勤めを御坊にて遊ばず時は天の法楽の如く先の御本尊の勤めの前の如く御影の御勤めは読まざるなり、当宗の宗旨たる勤と案じ定めて加様に読み申すなり云云。」(有師談諸聞書)

「一、仰ニ云ク、今当宗ノ御勤ハ日月自行ノ御時ノ勤也、是レ尤宗旨ノ勤ナル間是レヲ為レ本也。朝天エ十如是寿量品、御本尊エ方便品ノ長行寿量品両品也、御影堂ニテ十如是寿量品計リ也、御堂ノ勤ヲ御坊ニテ遊ス時ハ天ノ法楽ノ如ク先ノ御本尊ノ勤ノ前ノ如ク御影ノ御勤ハ不レ讀也、当宗ノ宗旨タル勤ハ案シ定メテ加様ニ讀ミ申ス也云云。」(連陽房雑雑聞書)

とあります。
ならば、石山の勤行で方便品読誦が十如是までとなったのは、「二乗作仏」を捨てて、「十如実相」のみを取ったと言うことなのでしょうかね。

それと、>>77に一字三礼が引用された有名な「一大事因縁」が出てくる方便品の文証の後に、同じ意味の偈が続きますよね。あの偈は長行には入らないのでしょうか。

またまた、疑問がふくらんできた。 ( ̄ヘ ̄)ウーン

96愚鈍凡夫:2004/10/02(土) 13:21
訂正

誤→それと、>>77に一字三礼が引用された
正→それと、>>77に一字三礼さんが引用された

です。すみません。 m(_ _;)m ゴメン!!

97愚鈍凡夫:2004/10/02(土) 13:48

一字三礼さんが投げかけた疑問ですが、調べていくうちに気になってきました(填りそうやな)。
流れから言うと、天拝の際と御影堂で行われていた勤行が慣例となって、方便品長行読誦が行われなくなっていった。ということなのでしょうかね(あながち、創価学会ばかりを責められんな)。
善意に解釈すれば、勤行は長さではなく、報恩感謝の念が大事で、厳かに法華経の肝要を読誦すればよいということでしょうか(ああっ、苦しい・・・・)。

98れん:2004/10/02(土) 18:32
参考までに、石山十二世日鎮師の「堂参御経次第」も紹介しておきます。

大永三年癶+天未五月一日夜、本堂へ十如是寿量品一巻、題目百返。天御経へ十如是寿量品一巻、題目百返。御影堂へ十如是寿量品一巻、題目百返。又其後、寿量品三巻、題目三百返。
二日朝、御影堂にて、十如是寿量品三巻、題目三百返。天御経へ参りて、十如是寿量品一巻、題目百返祈念申候。大堂へ参りて十如是寿量品一巻、題目一百返奉祈願候。御影堂へ参りて十如是寿量品一巻、題目百返祈念申候。以上十二巻、千二百返。 日鎮(花押)(歴全第一巻441〜442ページ)
この記録によると、有師の代に本堂で読まれていた方便品長行が、鎮師の代には省略され、十如是のみになってますね。この事実は愚鈍凡夫さんのご推考の傍証になるかと思います。

99愚鈍凡夫:2004/10/02(土) 19:48

れんさん、有り難うございます。
確か、れんさんは携帯からのパケット通信とか仰ってましたよね。読んでいて違和感がないので、パソコンからの投稿だとついつい勘違いしてしまいます(凄い腕前!!)。

ひょっとして、宗門で
「このクソ忙しい時に、こんなクソ長い勤行やってられるかい」
なんてことを宣もうた御仁がいたのかも知れませんね(あら恐ろしや)。

それとも、
「忙しかったら、略式でええよっ」(静岡人が大阪弁しゃべるかい!)
というのが、いつしか慣例となって、定着してしまったのかも知れませんね。

100一字三礼:2004/10/02(土) 19:52
れんさん
> 中世の富士日目門下に限って言えば、勤行は朝昼夕の三回行われていました。
ご教示ありがとうございます。以前から気になっていたことの1つだったのです。二カーヤ等の古い仏典では、1日に六回(四時間毎)の仏事が行われていたと出ておりますし、普賢経でも六回に言及しておりますので、蓮祖の時代の僧侶も六回なのかと想像していたのですが。

犀角独歩さん
> 漫荼羅中の諸尊と共に報恩感謝供養されるという意味でしょうか。
ええ、そういう意味です。私は文章力が無く、犀角独歩さんには推理までさせてしまって申し訳ありません。


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