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勤行について

26問答迷人:2004/09/27(月) 13:51

>法華経を易行というのでなく、そんな難行・易行などという論の立て方自体を否定

同じく守護国家論には次のような一節があります。

「此の文の意は手に法華経一部八巻を執らざれども是の経を信ずる人は昼夜十二時(とき)の持経者なり。口には読経の声を出ださゞれども法華経を信ずる者は日々時々念々に一切経を読む者なり。仏の入滅既に二千余年を経たり。然りと雖も法華経を信ずる者の許(もと)に仏の音声(おんじょう)を留めて、時々刻々念々に我が死せざる由(よし)を聞かしむるなり。心に一念三千を観ぜざれども遍く十方法界を照らす者なり。此等の徳は偏に法華経を行ずる者に備はれるなり。是の故に法華経を信ずる者は、設(たと)ひ臨終の時、心に仏を念ぜず、口に経を誦せず、道場に入らずとも心無くして法界を照し、音(こえ)無くして一切経を誦し、巻軸(かんじく)を取らずして法華経八巻を拳(にぎ)る徳之(これ)有り。是豈(あに)権教の念仏者の臨終正念を期(ご)して十念の念仏を唱へんと欲する者に百千万倍勝るゝの易行(いぎょう)に非ずや。」

ここは、さらにもう一歩踏み込んで、持経の功徳、読経の功徳、一念三千の観法の功徳が法華経を信ずる人には備わると説かれ、念仏に百千万倍勝る易行であると述べられています。やはり、蓮師は、浄土の易行道との主張を重要視され、法華経を信ずることこそが、浄土に百千万倍勝る真実の易行であると主張せられていると思われます。これは、先ほどの無量義経の「留難無き」を踏襲した主張をされたものと考えますが、如何でしよう。


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