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勤行について

48犀角独歩:2004/09/29(水) 05:33

まあ、当スレッドは創価学会の新勤行を考えるということで、その線に沿ってのみの記述ですが…。

新勤行が易行だから多くの人が救われるという考えはわたしは短絡であると思えます。念仏は知りませんが、子どもも出来る簡単な勤行だけ、題目一遍唱えるだけ、それで救われるぐらいならば苦労はありません。また、そういう考えが、では自分だけ救われればいいというものでもないでしょうね。易き行は、確かにその簡便さの故に多くの人が乗ることは出来るでしょう。しかし乗せるだけ乗せても、乗ったとしても、本当にそれが多くを救ったことになるかどうか、もちろん、それはその反対の難行であれば救われるという意味ではありません。それも文字通り、難しいことでしょう。

浄土門のことは知りませんが、蓮師の半生は、念仏に向こうを張ったように法華易行を言ってみたりしています。しかし、そこで言うことは一念信解が念仏より易行であると。それなのに、法華は元来、難信難解であるというわけです。信じ難いものを信解することが易行であるという蓮師の言い分はわたしは矛盾を来していると思えます。問答さんが示された『松野殿御消息』によれば、念仏を唱えるような調子で題目を唱えることをはじめた蓮師は、それを易行として認識していたのかも知れません。けれど、度重なる迫害の中で、蓮師は「寧喪身命不匿教」という釈を懐き、不軽に自身を押し当てるとき、「其罪畢已」の果てにある成仏は刎ねられる頭を法華経に捧げ、身命を喪う大難を超えない限り成仏は有り得ないという艱難辛苦の結論に進んだわけです。では、そんな不軽のあとを承継することが易行であるかと言えば、とてもそうは言えないとわたしには思えます。


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