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勤行について

57犀角独歩:2004/09/29(水) 09:51

「あなたのような人」などと言われる筋合いはありませんが、三吉さんの文章の中でわたしが思っていた答えが書いてあります。「気付き」「自覚」ということです。ただし、法然が言う易行道に心が動くところがないのは当たっています。その点、わたしは蓮師の考えに習気があることは認めます。

この気付きは難行だと起きない・易行なら起きるというものではないでしょう。わたしは難行から易行に疑問を投じているのではなく、「気付き」「自覚」なき易行も、難行もともに同じく無駄な努力になってしまうという側面を言っていただけです。

法然の念仏は法華経を廃した往生、しかし、蓮師の唱題は法華経による成仏。往生と成仏では目指すところがそもそも違っています。同じ易行といっても、その内容はまるで違います。それを同等の意味合いを以て、蓮師までが易行道の確立をしたというような論調に、わたしは納得しません。蓮師が勧めたことは、先に記したとおり、「寧喪身命不匿教」「其罪畢已」という弛まぬ‘努力’でした。

なお、わたしは「努力したら救われるんだ、はずだ」「頑張ったモノが救われるんだ、はずだ」という意識はありません。しかし、努力している者を無駄などと嗤う姿勢は承伏しかねます。また、

> 単に「五座・三座」に慣れ親しんだ敬虔のもたれる方がその形式の簡略化に違和感を感じる

のではなく、簡略化の目的に学会の動機の不純さを感じること、また、蓮師の精神どおりにというのに、その修業の在り方が違っている点に異議を唱えたのです。わたしの個人的な感慨を言えば、石山勤行は、いわば弥四郎漫荼羅/蓮師・派祖本仏論のエッセンスなのであって、この勤行にわたしは何も賛同するところはありませんので、まったく否定的です。三吉さんが仰るところは当たっておりません。

まあ、そう容‘易’くわたしの心中の業(‘行’為)を決め付けないでください。


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