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勤行について

33犀角独歩:2004/09/27(月) 18:01

筋の組み立てとして解るのですが、どうもそれぞれに話が論点がすり替わっていると感じます。

問答さんの主張は要するに蓮師は、民衆のために法華易行道として、唱題を確立した、まあ、こういうことでしょうか。

まず、23で引用されるところは一念信解、五十展転は浄土以上に易行であるという文ですね。ここでは、しかし、唱題が勝るとは書かれていません。
次の26にいう「此の文」とはその全文に見られる誦法華を指して浄土に勝る易行であると言います。ここでも唱題が勝るとは書いていません。
ところが28には「唱題…浄土門に遥に勝る易行」と突然、一念信解、五十展転、誦法華を指した易行が唱題に当て嵌められてしまっています。これは論理の飛躍ではないでしょうか。(たしかに『守護国家論』では「但唱法華経題目」という一節は見いだせます。これはしかし、「離三悪道」について陳べる段で易行とは直ちに関連しません)

また、引用されていたのは『守護国家論』であり、この主語は『立正安国論』と同様に「国家」です。ですから、この書が国家安寧のために法華第一を挙げたことは明らかです。ここで、問答さんが「庶民を対象とした…唱題…易行」であると仰る故に民衆ではなく、国家のためにではないのかと問いを起こすとき、両書からではなく、他から引用されれば、質問の趣旨から逸れてしまいます。

なお、31に引用された『四信五品抄』には「初心の行者」「汝が弟子」を直ちに「庶民」を解されていますが、これは如何なものでしょうか。庶民がもし信徒であれば、他の慣例からすれば、「檀那」その他の語彙が使用されます。ここで言う「行者」「弟子」は明らかに僧侶、若しくは入道を指すのではないでしょうか。まして、該当の文の主張は「我が‘末弟’等を軽んずること勿れ…蔑如すること勿れ」と蓮師のお弟子、すなわち僧侶を指したものであることは明白です。

また、29にわたしは法華易行・念仏難行を示す教学大綱をお尋ねしましたが、これに斯かる回答はいただいておりませんが、この点は如何でしょうか。

『守護国家論』から離れて、蓮師が言う題目の意義を見れば、それは五重玄(名体宗用教)でしょうし、広略要には肝要の題目、三つの法門では本門の題目であって、それを唱えることが易行道であるという教学は見られないと思いますが、この点は如何でしょうか。

そもそも14に平和創価さんが言う

> 寿量品の全読誦は世界公布の妨げとなってきた

という一節は蓮師を批判しています。
何故ならば、蓮師が寿量品長行読誦をしていたことは学会版御書全集『月水御書』にも載る故です。また、蓮師已来の斯かる行を

> 弱い人にとって難行にしている

という言説もまた、蓮師を難行とその行を批判したものでしょう。ここにおいては、しかも、方便・寿量を短く唱えることが易行という前代未聞の珍説を立てております。これはしかし、問答さんが仰る唱題易行とはまた別の考えではあろうかとは思います。

いずれにしても、蓮師御立の法門は法然教学の難易行道を発展させて念仏易行道に変わる唱題易行道を確立したという証拠にはなっていないというのが、わたしの感じたことです。


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