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勤行について

21犀角独歩:2004/09/27(月) 11:45

問答名人さん:

> 念仏の祖師達がそう言っているのを引用している箇所は多いですが、蓮師が法然の浄土門をさして、そう言っているは、どの箇所でしょうか。

もちろん、仰るとおりの意味での‘蓮師の引用’を申し上げたわけです。
つまり、『立正安国論』の「主人の曰く…法然…選択集『道綽禅師聖道・浄土の二門を立て…曇鸞法師…往生論の註…竜樹菩薩十住毘婆紗を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なりと、此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり』」です。

> 蓮師は、止観の作法を差し置いて

いや、止観は差し置くことはなかったのではないでしょうか。
たとえば、

「止観の五、正月一日よりよみ候ひて、現世安穏後生善処と祈請仕り候」(『金吾殿御返事』文永6年(1269)11月28日48歳)
また同年、「止観第五の事、正月一日辰の時此をよ(読)みはじめ候」(『止観第五の事』)
さらに「阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり…止観よみあげさせ給はゞすみ(速)やかに御わたり候へ」(『十章抄』文永8年(1271)5月50歳)
などとあります。ここで止観をお読みになっておられたことが窺われます。

かくも著明な一節があります。

「…庭には雪つもりて人もかよはず、堂にはあらき風より外はをとづるヽものなし。眼には止観・法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱へ、夜は月星に向かひ奉りて諸宗の違目と法華経の深義を談ずる程に年もかへりぬ」(『種々御振舞御書』建治2年(1275)55歳)

蓮師は常の学に法華・止観を読み談じ、常の所作に寿量品を上げ、そして、常に唱題を勧められたということであろうと思います。そのうちのどれかを採ったのではなく、その三つを鼎の足の如く連立されたのではないでしょうか。

ただし、どなたの説か失念しましたが、当時、板東武者、すなわち武士階級では、7人に1人しか字が読めないという状況があったといいます。農業その他の従事者の学的程度はそれよりさらに低かったと想像されます。いま消息文を受け取り、名が残る僧俗は、つまり字が読めた人々であったのでしょう。そのような学僧・入道には止観・法華の読誦を勧めたでしょう。遺文に残るとおりです。けれど、字の読めないものには唱題のみを勧め、三帰供養を勧め、あるいは通じて漫荼羅守護を図示下付するという往時が想像できます。

唱題は止観・法華その他の修学行に対比するというより、三帰(南無仏・南無法・南無僧)と言った有様によほど近いのではないのかとわたしは思えます。
たとえば、伝教の時代であれ、さらに遡って伝教の時代であれ、字も読めない人に経の読誦、釈文の修学など勧めるわけもなく、一般の俗信者に勧めることがあれば、仏像を崇め・経典を祀る塔を崇めるなど、あるいは三帰礼拝、供養賛嘆であった事情はシャキャムニの往古から蓮師の時代を経て、いまに至るまで何も変わっていないとわたしは思えます。

> 唱題の簡潔を撰んだ…易行

これは難行・易行というこの二分類でいえば、妙法蓮華経は難行・聖道門であり、その題目ばかりを唱えてもこちらに属するのではないでしょうか。


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