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創価学会の功罪を考える
1
:
管理者
:2002/03/08(金) 17:18
ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。
http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kouzai.htm
板東様、アネモネ様、いちりん様から、スレッドテーマの提案が有りました。突っ込んだ議論をよろしくお願い致します。
提案文は以下の通りです。
名前: 板東 投稿日: 2002/02/10(日) 21:25
要するに公明党が政権与党になっている点,マスコミを抑えてしまった点,有り余る財産で銀行を掌握してしまった点,また,金にモノを言わせて,嫌がらせ裁判をたくさん起こして反対勢力を弾圧している点,完全に日本を支配している,これは問題ではないんですか.
名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/10(日) 21:34
思い切って、「創価学会の功罪を考える」(仮題)といったようなスレッドを立ち上げてみてはどうでしょうか。私も、宗門サイドの半ば偏重的なアナウンスではない正しい認識として、過去も含めた事実を知っておきたいです。
名前: いちりん 投稿日: 2002/02/10(日) 22:02
「創価学会の功罪を考える」っておもしろそうですね。きっと活発な論議になるとは思いますが、たぶん荒れる可能性もありましょうね。でも、やってみないとわからないか。
175
:
MILD SEVEN
:2003/09/21(日) 10:04
世界征服を企む・池田狂信者の詭弁と浅知恵では、真実をストレートに表現すると理解出来ないでしょう。
哀れとしか言いようが無い。
気になって見ているでしょうが・・・。
皆さんは良識を培い、前進しましょう!
国を、世界を守りましょう!
176
:
MILD SEVEN
:2003/09/24(水) 22:13
<上手な仕事>
これは難しい。
成し遂げた者はいないでしょう。
素直に切り開いて行くのみでしょう。
私としては、仏教界とも、紳士的に競い合える世を!と考えています。
日本国内で理想的な高め合いの環境が出来れば・・・半永久的に世界をリード出来る・日出る国が完成すると思われますが・・・。
マトモな宗教は、素直な意見を馬鹿にしたりしません。
消化・吸収・教育してくれます。
マトモな良識ある国は成長します。
正論だと思います。
創価には、仏教界・特に本山との和解が必要とも思われますが・・・。
その為にも、悔い改めと改善は避けて通れない道。
私は外部からさんざん助言して参りました。
今でも拡大戦術展開中です。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
177
:
愚鈍凡夫
:2003/09/26(金) 23:15
創価学会教学に想う(1)
創価学会教学の原点は、第2代会長戸田城聖氏が獄中で悟達したとされる無量義経徳行品の12行の偈の解釈による「生命論」に始まる。
宇宙そのものが壮大な生命で、自身の生命と宇宙生命とが共鳴しあう(感応する、境智冥合する)ことで、絶対的幸福境涯が築けるとするのである。そして、宇宙の生命も、自身の生命も、同じ南無妙法蓮華経の当体としている。
しかし、言っていることは「梵我一如」と何ら変わらないように思う。
この生命論を、創価学会の教義を踏まえて日常的に展開してみると、
生活上の全ての行動は、宇宙生命と感応して現証として現れる。だから、「こうなったらいいな」ではなくて、「絶対こうなるんだ」と決めて勤行・唱題すれば、宿命転換され、自分の望む境涯になる。要するに「希望」するのではなく、「決意」するのである。要は、御本尊に祈りきることが大切だ。
それと同時に、広布の実践が重要である(創価学会では『勧誘活動』、『機関紙啓蒙』、『広布基金』、『投票依頼』を指す)。それによって、大宇宙の生命(南無妙法蓮華経)と境智冥合し、絶対的幸福境涯を獲得することが出来るのである。
とまあ、こんな感じだ。
そして、創価学会の発展こそが正義で、全てに優先されると教え込まれるのである。
ここまで来たら立派なカルト宗教であるが、学会員は何の疑問も持たずに受け入れる。
創価学会の教義では釈迦牟尼の法華経では末法の民衆を救済できないとする。
「釈尊の仏法の域をはるかに超えて、その"宇宙即我"なる生命が、生命の実相」
というわけである。
ここにいう"宇宙即我"とは"梵我一如"そのものではないか。"宇宙即我"と感得することは、バラモン教修行者の最終目的であり、そのために様々な苦行を行うのだ。
このことは、
「身を苦しめ行を作さすとも法華経涅槃に至らずんば一分の利益無く有因無果の外道なり」(「守護国家論」学会版 P47)
と破折されている。
勿論、創価学会が難行道を説いているわけではないし、ベーダ聖典を教典とするわけでもない。しかし、その教義を支える宇宙生命論は同じではないのか。宇宙生命(梵天)と己心の不変の実体(我)の関係を説くのは仏法ではない。それは、バラモン教である。
「生命とは宇宙とともに、存在し宇宙より先でもなければ、あとから偶発的に、あるいはなにびとかによってつくられて生じたものでもない。」
この一節は、戸田氏が「生命」について述べたものだが、明らかに大正生命主義の影響が見られる。
大正生命主義とは、
「鈴木貞美氏が提唱して定着しつつある大正生命主義という用語は、「要するに(従来言われていた)大正教養主義は、広く哲学や芸術を吸収した文化的人格を形成するという思想傾向にとどまるものではなく、その底に普遍的な生命の発現こそが文化創造の原基であるという思想をもっていた」ので、大正期の思想界では「生命」の語がスーパーコンセプトの役割を演じた、ということから名づけられています。」(「宗教と科学について ニューエイジ批判を通しての一考察」 渋沢光紀)
とのことである。更に、
「西洋神秘主義の宇宙即生命と見る生命主義的一元的世界観を受け入れる受け皿として、沙婆即寂光、生死即涅槃、久遠即今とする本覚思想の絶対一元論があったことは間違いないでしょう。こうした日本的融通無碍ともいうべき本覚思想の土壌の上に、欧米の神秘主義、実証主義科学、実験心理学、生物主義哲学などの翻訳文化が、習合・混在して大正生命主義とよべるような思想的様相を呈した、と考えられます。」(同上)
青年期を大正時代に過ごした戸田氏である。大正生命主義のような思想は、当然知っていただろう。獄中で悟達したとする「生命論」に、知らぬまに大きな影響を与えていたのかもしれない。この西洋神秘主義と、科学と、密教がごちゃ混ぜになった大正生命主義思想は、当然の如く創価学会の教義にも大きな影響を与えているのだろう。
「宗教と科学について ニューエイジ批判を通しての一考察」 渋沢光紀
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm
178
:
愚鈍凡夫
:2003/09/26(金) 23:25
創価学会教学に想う(2)
宇宙を信仰の対境とする考え方は、イスラム教、ユダヤ教・キリスト教の考え方でもある。
天地創造主とは、すなわち宇宙のことである。宇宙それ自体を神(日本でいう人間臭い「神」とは根本的に違う。「天主」と訳す方が真意に近い)とする。
視点は違うが、宇宙生命論を売り物にした宗教にオウム真理教(現:アレフ)がある。教祖の麻原彰晃は、宗教を科学だといい、釈迦牟尼を偉大な科学者だといっていた。
オウムに代表されるカルト宗教は、特徴として宗教と科学の結びつきを強調する傾向がある。神秘主義で、現世利益を売り物にするカルトにとって、信仰に現実感を与えるため、ことさら科学との結びつきを強調する必要性があるのだろう。
そもそも自然界の真理を追究する科学と、人間の幸福を追求する宗教。全く別物である。
何故なら、宗教の教理は法則や計算式で証明されるものではないからである。
人それぞれの境遇によって現証の出方も様々であって、誰人に対しても一律の結果が出るわけではない。特に在家信仰者に於いては価値観によって幸福観も異なるし、取り巻く環境もそれぞれ違う。更に、日常の信仰体験についても、捉え方に個人差がある。つまり、不特定要素だらけなのである。
戸田氏の「仏とは生命なり」といった間違った解釈が、その後の創価学会の教義を歪めていったのであろう。
仏とは生命ではなく、一切衆生を成仏に導く救世主である。そして、その仏の説く法が仏法なのだ。仏性が凡夫の己心に存在するということは、成仏の可能性があると言うことに他ならない。
「一切衆生のみならず十界の依正の二法非情の草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」(「小乗大乗分別抄」学会版 P522)
とあるが如くである。
所詮、時機相応の仏道修行によって成仏するのだ。仏性があるからといって最初から成仏しているのではない。まして、宇宙の生命と冥合するのでもないのだ。
仏法は己心を問題にしているのであって、宇宙を問題にしているのではない。宇宙生命論と言ったところで、現実世界から遊離した観念論でしかない。悟ったところで何の役にも立たないのだ。そんなものは仏法ではない。
仏法は釈迦牟尼一人の成仏から始まって、やがて一切衆生の成仏の問題となっていったのである。
「我本誓願を立てて一切の衆をして我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き」(「妙法蓮華經方便品第二」)
これが仏の願いである。そして、誓いでもあるのだ。
エゴを超越し得ない教団が、いくら成仏を説いても無益である。
179
:
MILD SEVEN
:2003/09/27(土) 02:05
<詭弁仏法創価の不思議>
創価は、悪い事を組織ぐるみでしておきながら、なぜ反省・謝罪出来ないのか?
それは、そういう者が集まって出来た組織だからです。
残念。
悔い改めを!
180
:
犀角独歩
:2003/09/27(土) 10:27
177・178 愚鈍凡夫さん:
よくまとまっていますね。
澁澤師は知己の人物ですが、あの周辺は日蓮系で最も優れた発信源ですね。
学会の宇宙生命論は梵我一如、その通りなのでしょうが、この屈折は、密教の勃興自体にまず起源を求めるべきなのだと思います。結局のところ、密教はバラモン思想への先祖帰りを大胆にも教義に盛り込んだからでした。
最澄師がその動向に批判的であったかどうかは別として、その点を糾弾し、純天台復興を標榜したのが蓮師であったとわたしは思っています。
田村芳郎師も指摘していますが、本覚思想とはその濫觴は弘法師に求められると言うことでした。その極端な変形が天台本仏論であり、その影響に日蓮本仏論が位置づけられるのだと思います。
つまり、愚鈍凡夫さんが仰る論点は、…これはわたしも同様なのですが…
会長本仏論−法主本尊論−日蓮本仏論−天台本仏論−中古天台本覚思想−密教−バラモン教
という密教=バラモン教系譜を、蓮師の素描から抽出し、さらに蓮師がその脱却を目指したことを明確にしようとするというコンセプトに基づくのであろうと拝読しました。
いみじくも、かつて会長本仏論を鼓舞した集団が「生命」という現代語に置換されたバラモン教に起源を認められる密教キーワードを目玉にしているのは、偶然の一致ではなく、大いに必然的な結果なのだろうとわたしは思うわけです。
181
:
愚鈍凡夫
:2003/09/27(土) 16:52
犀角独歩さん、有り難うございます。
以前、書いた雑文に手を加えたものですが、投稿したくなりましたので。 (^_^;)
インド仏教が密教化することによって、逆にヒンズー教に吸収されていった。
これは、宗教が大衆に迎合することによって、返って滅びていく原因を作ってしまう。といった、注目すべき教訓だと思います。
輪廻や因果応報を説き、梵我一如を謳うのであれば、別にヒンズー教であっても構わないのではないでしょうか。インドでは、仏教がその存在意義を失った時、滅びへの道を辿ったのだと思います。
故に小生は、個人的見解として密教を仏教(顕教)とは違う宗教として、研鑚していきたいと思っています。
182
:
ガンコ
:2003/09/27(土) 18:01
愚鈍凡夫さん
すばらしい論文を発表されましたが、わからないことがあるので教えてください。
蒙古使御書に、
「所詮、万法は己心に収まりて一塵もかけず、九山八海も我が身に備はりて、日月衆星も己心にあり。然りといへども盲目の者の鏡に影を浮かべるに見えず、嬰児の水火を怖れざるが如し。外典の外道、内典の小乗、権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり。然りといへども法華経の如く説かず。」
とあります。
けっこう、有名な御書だと思いますが、御真蹟・古写本はないようです。
さて、わたくしは梵我一如という言葉を去年まで知らなかったくらいの、まったくの初心者ですが、どういうわけか宇宙即我は知っていました。で、その文証が上の御書であると。
梵我一如は仏法ではないとの意見のようですが、そして、じっさいネット上で同様の意見がたくさん見られますが、そのばあい、上記の御文はどのように拝するべきなのでしょうか?
まさか、偽書だとおっしゃる?
183
:
愚鈍凡夫
:2003/09/27(土) 20:24
>>182
:ガンコさんへ
いつもながら、鋭い突っ込み有り難うございます。
お察しの通り、『蒙古使御書(與大内氏書)』は、日蓮宗では偽書扱いですね。
せっかくですから、その問題を横に置いて考えてみたいと思います。
ガンコさん引用の一節は、先に引用した、
「一切衆生のみならず十界の依正の二法非情の草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」(「小乗大乗分別抄」学会版 P522)
と同じ意味だと思います。
要するに、全ての存在が十界具足であるとの意味だと思います。
「然りといへども法華経の如く説かず。」
これはどういう意味でしょうか。
法華経は、諸仏土に於る仏と衆生の関係は説いていますが、「宇宙即我」を説いているわけではありませんよね。
「一念三千」を説いていないという意味ともとれますが、同時に「梵我一如」を破折しているようにも読めますね。
ガンコさんは、この一節をどう読まれますか。
184
:
ガンコ
:2003/09/28(日) 13:59
愚鈍凡夫さん
逆に質問されると困るんです。な〜んにもわかってないんですから。いちおう、わかったふりをして、ない知恵を絞って、お答えします。
おそらく、観心本尊抄を読み解けば、おのずと答えはでるのだろうと、思っています。
「夫一心に十法界を具す。」
「故に成道の時、此の本理に称ひて一身一念法界に遍し」
まったく説明する力はありませんが、なんとなくじぶんではわかったつもりになっています。
「自受用身とは一念三千なり。伝教の云はく、一念三千即自受用身」
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
御義口伝は、まあ、愚鈍さんにとっては考慮外の御文であろうかと思いますが、曼荼羅正意の立場で申すならば、本尊抄の「観心とは我が己心を観じて十法界を見る」に相当すると考えています。わたくし達は、御本尊とは仏様(日蓮大聖人)の御生命をあらわしたもの、というように教わってきたわけでして、その御本尊の為体を拝するに、そこには大日天王・大月天王・大明星天王等が厳然とあらわされているので、まさしく蒙古使御書のごとく「所詮、万法は己心に収まりて・・・日月衆星も己心にあり」ではないかと思うのです。
そこで、「外典の外道、内典の小乗、権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり。」ということは、すなわち法華経以前の教えでは“己心を観じて十法界(全体)を見ることは不可能”との意味になろうかと思います。戻って「盲目の者の鏡に影を浮かべるに見えず」がまさにピッタリではないかと。
よって、「然りといへども法華経の如く説かず。」というのは、大綱と網目の関係(観心本尊得意抄)が了解されれば、べつに難しいことはないでしょう。極論すれば、梵我一如すら「法華の為の網目」とすれば、「説相空しかるべからず」ということになります。
問題は、大聖人御自身が、梵我一如を否定なさっている御書があるのかないのか・・・だろうと思うのですが、それに相当する御書をご存知でありましょうか?
185
:
愚鈍凡夫
:2003/09/28(日) 15:25
あっ、ガンコさんどうも。
正直言って、偽書を偽書でもって説明されても・・・・・・。 (^▽^;)
「仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき」(「開目抄下」 学会版P214)
「釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり、又諸仏の因位と釈尊の因位と之を糾明するに諸仏の因位は或は三祇或は五劫等なり釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来娑婆世界の一切衆生の結縁の大士なり、此の世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し」(「法華取要抄」 学会版P332)
との文証があります。
蓮祖は梵天を娑婆世界(三界)の主とは考えていません。
娑婆世界の主は教主釈尊ですから、「梵我一如」は問題外ではないですか。
186
:
愚鈍凡夫
:2003/09/28(日) 15:38
> 正直言って、偽書を偽書でもって説明されても・・・・・・。 (^▽^;)
とは、『御義口伝』のことで、『観心本尊抄』の事ではありません。念のために。
187
:
無徳
:2003/09/28(日) 17:14
愚鈍凡夫さん横レス失礼します。
『御義口伝』を偽書と決め付ける確かな根拠は何処にありますでしょうか?
また、愚鈍凡夫さんは『御講聞書』は偽書・真書どちらと思われますでしょ
うか?
188
:
愚鈍凡夫
:2003/09/28(日) 18:42
無徳さん、ご無沙汰しております。レス有り難うございます。
ここの掲示板で諸先輩たちが言い尽くされているので、気が引けますが、『御義口伝』が偽書だと判断する理由を箇条書きにしてみます。
①『御義口伝』が録内御書に漏れているのは何故か(聖滅120〜130年頃)。
②日隆師の『本門弘経抄』にも漏れているのは何故か(聖滅180年頃)
③円明日澄師の『法華啓運鈔』で初めて引用されているのは何故か(聖滅210年頃)
④天文8年(1539)の日経師(日隆門下)写本が最も古いのは何故か(聖滅157年頃)。
以上、(「日蓮教学上に於ける御義口伝の地位」 執行海秀)より要旨引用
⑤蓮祖が本弟子6人を定められたのは、弘安5年(1282)10月8日であるのに、
弘安元年(1278)戊寅正月1日の『御義口伝』に
「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ」
とあるのは何故か。
『御講聞書』の件ですが、
日法師の書で『連連御聞書』というのがあるそうですが、これは蓮祖の講義を書き取ったものらしく、内容は蓮祖の多くの遺文と矛盾しないそうです。但し、『御講聞書』や『御義口伝』とは内容が異なるそうです。
従って、『御講聞書』も偽書ではないかと疑っています。
『御講聞書』に関する資料を持ち合わせていないので、ご存知であれば御教示下さい。
189
:
愚鈍凡夫
:2003/09/28(日) 19:13
訂正
誤→④天文8年(1539)の日経師(日隆門下)写本が最も古いのは何故か(聖滅157年頃)。
正→④天文8年(1539)との奥書のある(聖滅157年頃)日経師(日隆門下)写本が最も古いのは何故か。
です。悪しからず。 m(_ _)m
190
:
犀角独歩
:2003/09/29(月) 08:14
執行海秀師の『日蓮教学上に於ける御義口伝の地位』はわたしのサイトにアップしてあります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_002.html
191
:
ガンコ
:2003/10/01(水) 09:36
梵我一如は問題外であると。
まあ、そんなにこだわっているわけではないのです。仏法というのは欲張りなものだから、あらゆる思想のエッセンスが入っているのではないか・・・という意味で、梵我一如みたいなことも説かれているような気がするのです。もちろん梵我一如そのものではないでしょうけど。
どんどん話がずれていきますが、ちょっと教えてください。
「釈尊御領観」ということも、一年前にはじめて知ったくらいの初心者でして、じつにお恥ずかしいかぎりですが、一年間、いろいろ考えてきて、いまだによくわからないでいます。
善無畏三蔵抄に、
「外道仏を難じて云はく、汝は成劫の末、住劫の始めの愚人なり。我等が本師は先代の智者、二天三仙是なり、なんど申せしかども、終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。」
とあります。
そして、愚鈍さんお示しのごとく、開目抄には、
「仏三十成道の御時は、大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき。」
とあり、法華取要抄には、
「釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す。爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来・・・」
とありますが、
では、いったい、どうやって、「奪ひ取り給」うたのか? 「一指を挙げて之を降伏」とは具体的にどうやって降伏し給うたのか?
この辺の御説明を大聖人は遊ばしていないように思うのですが、たぶんじぶんはまだ御書が読みきれていないだけなのだと思います。
おそらく、愚鈍さんならご存知でしょうから、ぜひ、教えてください。
192
:
愚鈍凡夫
:2003/10/01(水) 18:58
ねえムーミン、あっち向いて♪〜 なんちゃって。 (-.-;)y-゚゚゚
あの〜ッ、お釈迦さんがぁ・・・・梵天さんにぃ・・・・因縁つけてパクッたとか・・・・・。
「んなワケねえだろう」 (▼▼メ)
ムムッ・・・・・! 偉そうに風呂敷広げるんじゃなかった。 ヾ(;´▽`A``アセアセ
気を取り直して。
> 「仏三十成道の御時は、大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき。」(「開目抄下」)
とは、梵天勧請を指していると思います。梵天勧請とは、
「(釈迦牟尼が)無花果の樹に戻って瞑想に入った時「世間は分別だけで生きる人間であり、そんな人間に正覚説き語る事は無理だ」との絶望に落ち込んでしまいました。すると、この娑婆世界の主たる「梵天」が仏陀の前に現れ、「世間には、チリにくもらされる事の少ない人々もいます、しかし、彼らとて法を聞かなかったら、滅び衰退してしまいます。その人達の為にも・法・をお説き下さい」との梵天の勧請により説法へと踏み切る事になりました。」(※注1)
とのことで、梵天の勧請によって釈迦牟尼が仏法を説くことを決意したことを指します。
この時、梵天が釈迦牟尼に娑婆世界(三界)の主の座を譲ったということでしょう。
> 「一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり」」(法華取要抄)
とは、
「生まれたばかりのその子は、七歩あるいて右手を上に挙げ、左手を下に下げて、声を高らかに「天上天下唯我独尊」と宣言されました。」(※注1)
この故事を指しているのではないですか。『仏説無量寿経』に、
「處兜率天弘宣正法。捨彼天宮降神母胎。從右脅生現行七歩。光明顯曜。普照十方無量佛土。六種振動。舉聲自稱。吾當於世爲無上尊。(兜卒天に処して正法を弘宣し、かの天宮を捨てて、神を母胎に降す。右脇より生じて現じて七歩を行ず。光明顕曜にして普く十方無量の仏土を照らしたまう。六種に震動す。声を挙げて自ら称う。吾当に世において無上尊となるべし。)」(佛説無量壽經卷上)とあります。
梵天は、生まれたばかりの釈迦牟尼のこの態度に異議を唱えなかったわけですから、蓮祖のお言葉ごもっともと思います。
※注1 「釈迦牟尼世尊の軌跡と印度聖地」
http://asiatravel.at.infoseek.co.jp/buddha.html
193
:
無徳
:2003/10/01(水) 22:13
愚鈍凡夫さん今晩はレスが遅れてすみません。
執行海秀氏といえば主に最蓮坊に与えられた本覚思想的な要素のある遺文や、
百六箇抄や本因妙抄さらには御義口伝と言った口伝法門等を悉く偽書扱いし
た事で知られる、浅井要麟氏に立正大学において師事したとされています。
したがって、執行海秀氏は浅井要麟氏による文献批判の影響を多大に受けて
いる可能性があります。
しかし、現在の日蓮宗学においては、日像による『祈祷経之事』や日進によ
る『立正観抄』の書写等の事実から最蓮坊架空説が斥けられると共に、浅井
要麟氏の真偽判に対し田村芳郎氏が日蓮の思想を「守・破・離」の三分説に
あてはめ、日蓮における天台本覚的遺文の存在を認めています。
私的に解釈すれば天台本覚論をとりあえず受容し用いるところを「守」とし、
それを打ち「破」り止揚するところを「離」と名づけたのでありましょう。
執行海秀氏による
①『御義口伝』が録内御書に漏れているのは何故か?
については、御義口伝の分別功徳品の第廿七無作三身の事には「三摩耶とは
合掌なり秘す可し秘すかし」とか、妙音品三箇の大事の中の第二肉髺白亳の
事では、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可
し秘す可し」または普賢品六箇の大事の中で「秘す可し秘す可し唯受一人の
相承なり、口外す可からず」とあり、秘伝ゆえに口外す可らずとされていた
故に、宗祖滅後の上古においてはあまり知られる事が無かったのかも知れま
せん。
②日隆師の『本門弘経抄』にも漏れているのは何故か?
についてはよく判りませんが、弟子の日経師が「不審極り無き事之れ多し、
但本に任せて之を置くのみ、堅固に之を秘すべき処なり。努々聊爾すべから
ず。聊爾すべからず。」としながら書写したが、日隆師は秘伝ゆえに軽々しく
扱うのを避けていたのではありますまいか?
⑤蓮祖が本弟子6人を定められたのは、弘安5年(1282)10月8日であるのに、
弘安元年(1278)戊寅正月1日の『御義口伝』に
「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ」
とあるのは何故か。
については、大石寺の古写本である元亀の写本に、「補註」の文字があると
されていますから、日興上人が後に補注されたおりに書き加えられた可能
性もあるかも知れませんがよくは判りません。
どちらにしましても、文献学という科学的方法による文献考証は大切であり
これ無くしては玉石混合を招きかねませんが、逆に文献至上主義に陥ります
と10%の疑いで90%の真実を失いかねません。最蓮坊の件がそれをよく
表しているといえましょう。
194
:
愚鈍凡夫
:2003/10/01(水) 23:49
無徳さん、レス有り難うございます。
無徳さんの御意見、なるほどと思いますが、最蓮房日浄が実在の人物であったとしても、最蓮房宛ての書が、全て真蹟であるとの証にはならないのではありませんか。実際、実在の人物を騙った偽書があるようですから。
「秘す可し」とある遺文のほとんどが真蹟がないのは何故でしょうか。
例えば、『本因妙抄』、『義浄房御書』、『三大秘法禀承事』、『四條金吾殿御返事(告戒書)』、『教行証御書』など。
もしこれらが、無徳さんの説のように秘伝書ならば、何時、何処で、真蹟(もしくは写本)が見つかったのか、そしてその経緯はどうなのか。といったことが問題になるのではありませんか。秘伝書であるなら、より慎重に検証すべきだと思います。
さて、『御義口伝』に話を戻しますが、
そして、富士五山の写本より古い写本が隆門に伝わるのは何故でしょうか。
大石寺の古写本である元亀(1570年代)の写本に、「補註」とあるのは石山が勝手に書き加えた可能性も無視できないのではないですか。
石山の写本より古い写本にない文字が、石山の写本にあるのは不自然です。
195
:
愚鈍凡夫
:2003/10/01(水) 23:57
訂正
誤→そして、富士五山の写本より古い写本が隆門に伝わるのは何故でしょうか。
大石寺の古写本である元亀(1570年代)の写本に、「補註」とあるのは石山が勝手に書き加えた可能性も無視できないのではないですか。
正→富士五山の写本より古い写本が隆門に伝わるのは何故でしょうか。
大石寺の写本である元亀(1570年代)本に、「補註」とあるのは石山が勝手に書き加えた可能性も無視できないのではないですか。
です。悪しからず。 m(_ _)m
196
:
犀角独歩
:2003/10/02(木) 13:16
ふしん 0 【不審】
(名・形動)スル [文]ナリ
(1)はっきりしない点があって、疑わしく思うこと。いぶかしく思うこと。また、そのさま。
「―の念をいだく」「挙動の―な男」「―に思う」「那様(そんな)に財(かね)を拵へて奈何(どう)するかとお前は―するじやね/金色夜叉(紅葉)」「其所に何か意味があるのではないかと、一寸―を打つて見たが/明暗(漱石)」
(2)嫌疑を受けること。不興。
「このたびは御―の身にて召し下され候ひしかば/義経記 6」
[派生] ――が・る(動ラ五[四])――げ(形動)――さ(名)
ゆめゆめ 0 2 【▽努▽努/夢夢】
(副)
〔副詞「ゆめ(努)」を重ねて強めた語〕
(1)(下に禁止の語を伴って)けっして。きっと。《努努》
「―おこたってはならぬ」
(2)(下に打ち消しの語を伴って)ゆめにも。少しも。
「―そのような考えはもたない」
(3)つとめて。精を出して。
「汝、なほ、―仏を念じ奉り、法花経を受持・読誦し奉るべし/今昔 12」
りょうじ れう― 1 【聊爾】
(名・形動)[文]ナリ
(1)失礼なこと。ぶしつけなこと。また、そのさま。
「―ながら」「―をめされて、後日に迷惑めされな/狂言・禁野(虎清本)」
(2)軽はずみなこと。考えなしにすること。また、そのさま。
「誰か―に処せん/太平記 24」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
ですから、
「不審極り無き事之れ多し、但本に任せて之を置くのみ、堅固に之を秘すべき処なり。努々聊爾すべからず。聊爾すべからず」
―― はっきりしないことが実に多いる。けれども、ただ底本にままにこれをここに記し置くだけのことである。だから、(不審極まりないので)これを秘すのである。けっして考えなしに軽はずみに扱ってはならない ――
程の意味でしょう。秘伝だから軽々苦敷く扱うなではなく、不審極まりない信用することができないから軽はずみに扱うなという意味です。まったく逆です。
なお、文献至上主義を批正することは是としても、それが科学的な文献考証をしたもののみが言えることで、偽書も疑書も真書の如き扱うものが軽々しく口にすべきことではないでしょう。
糞の混じった味噌を食らう過ちは犯すべきではありません。
なお、浅井要麟師、執行海秀師の文献考証に非難するのであれば、その非難する科学的な証拠を示すべきでしょう。自分の信条に合わないからといって感情論で批判するなど愚の骨頂です。
197
:
犀角独歩
:2003/10/02(木) 13:35
何等考証もせず、百六箇抄や本因妙抄さらには御義口伝と言った口伝法門等を悉く真書扱いすることのほうがはるかに問題とされるべきでしょう。
198
:
犀角独歩
:2003/10/03(金) 07:35
196の以下の投稿部分は打ち間違いが著しいので、訂正のついでに差し替えさせていただきます。
「不審極り無き事之れ多し、但本に任せて之を置くのみ、堅固に之を秘すべき処なり。努々聊爾すべからず。聊爾すべからず」
―― はっきりしないことが実に多く、信じがたいこと極まりない。ただし、底本に従って書写して止めておくばかりである。そのような本であるから、しっかりとこれを秘すべきである。けっして軽はずみに扱ってはいけません。考えなしに信頼してはいけません。 ――
199
:
MILD SEVEN
:2003/10/04(土) 03:47
この判決書では、創価前会長北條浩が、刑事告訴した被告人(隈部氏)側を買収工作したことを認めたと断定。池田大作のスキャンダル断罪の判決書。
最高裁の逆転差戻し判決後の裁判所の判決書。
「ともかく、そうした批判がいずれも学会と無縁の外部の者から学会にあびせられているものではなく、学会の一般会員や、さらにはそうした中で中堅幹部等の地位に現にあり、あるいはかつてあったという、いわば学会組織からすればその内部または周辺にいる者らの口から漏れでていること、しかもそうした種々の批判は学会幹部の誰彼に対し区別なく加えられているというのではなく、むしろ最高指導者である池田個人に対する批判に収斂してゆく傾向が顕著であるように見えること等の点は、組織外の者にとって色々な意味で特徴的なこととして目を引かれやすいものがあると感じられる。たとえば、本件証拠中で度々指摘されている点であるが、会長職にあった池田の秘書的事務を担当する部局には、常に妙齢の女性がいて、出張先にも同行の上、身近に仕え、夜遅くまで身辺の世話をする等の実情にあることは、いかに宗教団体のこととは言いながら、世間一般の常識からすれば配慮不足で通常の勤務状態でないようにみえるし、加えて、最高幹部である渡部がいろいろな機会に学会関係部局の出版物中で、ことさらに池田から親しく指導を受けた様子を強調して記述していたり、池田自身が市販雑誌の対談記事中で、冗談としながらも「それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます」などと、聞きようによっては誤解されかねないことをあえて述べていたりしていることも、学会幹部の男女問題に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったかと思わせる素地につながっていることもを否定し難いのである。」
「 …こうして見ると、本件は何の根拠もなく事実を全面的に捏造・摘示したのとは事情を異にしており、そこには量刑上酌量の余地があると考えられる。
さらに考慮を要すると思われるのは、本件が旧第一審係属中の時期に、被害者である学会側と加害者である被告人側との間で話し合いがもたれた結果、被告人が詫び状を差し入れ、学会側が告訴取り下げ手続きをとることとなったほかに、被告人側からの池田大作に対する証人申請をしないよう求め、そのこととの関連で被害者側(創価学会側)から加害者側(被告人側)へ2000万円、2600万円、あるいは3000万円とも言われる高額の金員が支払われるという、本件の具体的な訴訟手続きとからませた取引がなされた事実が認められる点である。
(右金員支払いの趣旨を右のようなものではなく、一般的な右翼対策費であるかのごとく言う者もあるが、右交渉の学会側責任者で金員捻出の衝にも当たった北條浩が、検察官調書謄本中で、前記認定どおり供述していること、更に右金員交付の時期と旧第一審訴訟手続進行段階との関連や、右金員が月刊ペン社側に支払われ、引き換えに同社側弁護士の領収証が差し入れられたという山崎正友証言に対し見るべき反証が提出されていないことその他関係証拠の現状に照らすと、前記のとおり認定するほかない。)
もとより、事件が一旦起訴され係属中の時期に、加害者側と被害者側とで示談等の話し合いがされ、詫び状の差入れ、告訴取り下げ等の手続きがなされることがあるのは格別珍しくないし、おかしくもない。しかし、加害者側が金員を支払って謝るというのでなく、被害者側が右のように高額の金員を支払うという話し合いは極めて異例・不可解というほかない。 しかも被害者側から支払われた右金員は、被告人(隈部氏自身)の手には渡っていないようであり、結局、どこへ行ったか本件証拠上明らかでないのであるが、行き先はどうあれ、学会側が、このように高額の金員を通常とは異なる特殊な調達方法で用意してまで支払うこととした顛末には納得できないものが残るのである。
…中略…しかし、ともあれ、被告人の刑事責任を問う訴訟の中で、しかも名誉毀損のごとく被害者側の真摯な処罰感情が重要な量刑要素となる犯罪において、被害当事者の証人出廷回避を求めたい余りとは言いながら、前記のとおり被害者側により、不明朗で真意をはかりかねる告訴取り下げ等の手続きがとられていることは、やはり本件量刑上考慮せざるを得ないところと考えられる。」
200
:
MILD SEVEN
:2003/10/04(土) 03:50
創価を悔い改めさせましょう!
201
:
MILD SEVEN
:2003/10/08(水) 12:15
こんな所を発見しました。
下記。
http://www.mailux.com/mm_bno_list.php?mm_id=MM3CA3323935BAC
202
:
正義の味方
:2003/10/09(木) 15:02
キリスト教の政党は日本にはありませんが、
日本共産党に、
キリスト教徒(日本基督教団のメンバー)が居ます。
公明党(創価学会)や在日朝鮮人団体も加わっているのですが。。。
カトリック44万 日本基督教団13万 正教1万5千 ほか諸派。
異端で モルモン教2万 エホバの証人20万 を併せても
総人口1億3000万のうちの1パーセント130万を目安とする
「100万人の福音」というキリスト教雑誌の題名のような
100万にも満たないのです。
創価学会は公称812万世帯1700万人。実数570万と言います。
総人口の10パーセント(1300万)以上が居るから、
選挙得票で国会議員を送り出して、
創価学会(公明党)独自の議席の10パーセントは動かせるのです。
それも公明党に創価学会員以外(坂口・厚生労働大臣のような人)も混ぜて
「 政教一致でない 」という避難よけの細工もしています。
創価学会の内部に
仏教である日蓮宗系統の宗門に出入りする自民党系メンバーや
キリスト教会に出入りする共産党系メンバーも含んで
「 政教一致でない 」としています。
しかし、
創価学会との民事契約書など事前に書かされ
裁判で負ける恐怖から
みな創価学会と他の宗派や他の政治団体との喧嘩では
絶対に創価学会側につく事が明らかなメンバーです。
見かけ上、
いろいろな所属の人で創価学会が構成しているように見せかけています。
また、
創価学会の学会員の朝鮮人・帰化人のツテから
日本国内の「 朝鮮人勢力(朝鮮総連・大韓民団・在日ヤクザなど) 」を使って
生活上の嫌がらせ(週刊誌書き立てや尾行に面当て交通妨害など)によって
他の政党の議員
(日本共産党・新社会党・社民党内のキリスト教朝鮮人に働きかけられる議員・
自由民主党内にいる統一協会や日韓議員連盟など朝鮮人に繋がる族議員など)
を動かす事ができるのです。
警察や他の役所の公務員にも
裁判官に弁護士も居るので
ナチスの総統・親衛隊から末端の党員まで
同じ動きが出来るような単一の指示系統で強力に進められて、
ごまかしが利くのです。
池田大作自身も
全体主義が効率よく、自分の思いがかない易くて、理想的な社会と
オフレコで幹部の者に言っている。と、
批判本や批判HPの記事にはあります。
203
:
MILD SEVEN
:2003/10/09(木) 15:06
・・・となると、私が以前から危惧していた・・・まさに、ナチスと同種の霊が絡んでいますね。創価には。
我々「イエスのあかしを保つ者」は、心して対処して行かねばなりません。
欧州をはじめとする、歴戦のつわもの兄弟姉妹が立ち上がる時が来たのか?
今が踏ん張りどころです。
最前線を死守しなければ・・・。
・・・・・・・・・・・・
余談ですが、映画のスターウォーズの発想にはかなり宗教的基盤がありますね。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
204
:
最前線死守者
:2003/10/09(木) 21:04
横からゴメン、、。 S会ではK党支援に「全力投球=〇〇〇先生のカタキ打ち?」とかで「盛り上がって」居る様です。 カルト=狂信者の最前線の現場は「いかなるものでしょうか、?」
今こそ「カルト防止」に皆様方の「お力」をお貸しくださいませ。
205
:
French Watcher
:2003/10/10(金) 22:13
フランス国営テレビが「SGIフランスを危険なカルト」と断定した様です。 普通には考えられない「異質な個人崇拝指導(ヒトラーに酷似)、カネ集め体質、政治への異常な権力志向、、」などを放映しました。 そして、かつて池田の権威付けに悪用された、故ミッテラン大統領夫人の「二度とアノ口先三寸のデブッチョ〇〇先生には
決してダマサレ無い!!」との言葉を流していました、。 サスガは「言論先進国、、」のようです、。フランスは、政教一致で苦しんだ過去に、学んで居るようですネ、。 次期選挙では「No,more 公明党!!」を御期待申しあげたいと思いますが、? 皆様イカガでしょうか、、?
206
:
●●考慮会
:2003/10/12(日) 20:23
205サンの伝は貴重です。 人が「言いたいことをも不自由な時代を実体験したフランスならではの現実」には驚きをも禁じ得ません、。 今「この前段階の如くの言論弾圧をも陰から左右する恐ろしい???会」がしのび寄ってきつつありますするが、、??
今こそ「皆様のお声」を「発して頂きたく、、」と存じますが、、。 デモクラシーとはIT時代のようですネ、、?? Never 公明党≒創価学会には大賛成です、、。
207
:
MILD SEVEN
:2003/10/16(木) 02:38
年金問題解決?
<創価学会公明党議員の年金不正受給疑惑>
社会リポート 生活保護不正公明市議に疑惑
「生活実態なし」市は支給打ち切り 宮城・多賀城
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-09/15_01.html
多賀城市議会 日本共産党議員団
http://www.geocities.jp/koichirojcp/
多賀城民報
家族と同居しつつ、「一人暮らし」と長期にわたり生活保護を受給 同居家族に現職多賀城市議
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_465_1.pdf
H14年度決算の反対討論、 公明党松村市議、藤原市議の決算反対討論削除を要求したが…
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_465_2.pdf
公明党現職市議の生活保護不正受給疑惑で 「生活保護問題調査特別委員会」を設置
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_466_1.pdf
藤原市議の一般質問でこの問題を質す。 市長は、「不正受給ではない。…」と…
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_466_2.pdf
宮城県多賀城市議会議員 根本あさえ 公式ページ
http://www3.sppd.ne.jp/nemoto/
・・・・・・・・・・・・・・・・
創価は年金の不正受給まで手助けしてくれるのか〜
そりゃ〜すごいこっちゃ!
でも、それは創価のお偉いさんだけの特権か〜
残念!
話は変わりますが、創価が水面下での策略の数々をもみ消す意味でも、世界の勲章集め等にやっきになっている事も明白です。
しかし、日本の大学からの、『名誉博士号』『名誉教授』はどうなのでしょう?
肝心の日本国内で、隠し通せないので相手にされてませんね。
創価の詐欺行為は、その内世界中を敵に回します。
悔い改めさせましょう。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
208
:
MILD SEVEN
:2003/10/18(土) 04:07
私の愛読書に次のような警告があります。
「世間で認められ、誰からもほめられる人は大抵、落ちついた、かなり義務に忠実な・・・利己主義者である。彼らの道を踏んではならない。」
分かる人は分かります。なぜか?
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
ですね。
日本社会「経済も含む」が呪われているのはなぜか?
分かる人は分かります。
・・・・・・・・・・・
本当の開国・維新をしましょう!
天を味方にしましょう!
209
:
沖浦克治
:2003/10/18(土) 07:47
蓮祖は化法の広宣流布をなされ、化義の広宣流布は後世の我々にご遺命としてお残しになられた。
『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、』
(三大秘法禀承事)
戸田先生はこの『時を待つべきのみ』に付いて、『時が来たら化義の広宣流布をお前たちでやれ、と大聖人様がご命令をされている。今がその時だ。私はそれをやるために生まれた来たのだ。』と仰せです。
言うまでもなく、蓮祖の法は民衆のための法です。
国家権力で強制し、布教するような低い教えではありません。
一対一の対話の中で折伏をし広めるべき、人間を中心にすえた人類最高の教えです。
故に、信教の自由が保証された民主主義の世の中が日本に出現するまでは、化義の広布の時は来なかったのです。
大法の興隆すべき時は仏法まさに穏没せんとするときであり、民衆が途端の苦しみにあえぎ大法の興隆を望む機根が民衆の中に湧き上がる時でもあります。
戦争に敗れ、国民はどん底の不幸にあえぎ、蓮祖の法はまさに穏没せんとしたその時、日本に民主主義が生まれ、時を同じくして戸田先生が牢獄の中から『我地涌の菩薩の棟梁なり、』と宣言してご出現になられたのです。
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、』(諸法実相抄)
まさにこのご文のままのお振る舞いです。
立宗よりちょうど700年目に、創価学会は戸田先生により宗教法人として発足をし、化義の広宣流布の出発がなされました。
これまさに、時の不思議です。
生命論の理解が出来ない、いわゆる理論だけの人間には、戸田先生の何たるかは永久に理解は出来ないでしょう。
御書全体を、現代の立場から全体感に立脚して解釈をすべきことです。
これは、日蓮原理主義者の集団には不可能事ではあります。
戸田先生がご出現になられず、またその後を池田先生がお継ぎになられなかったならば。
熱原のの三烈士の名前も、四条金悟も、太田入道も、南条時光も、寛師も、有師も、蓮祖がご本仏であられることも、興師が唯受一人であられた事も、戒壇様のご存在も、ご本尊様の功徳も、何もかも今の世に伝わらなっかた事は、間違いがありません。
210
:
犀角独歩
:2003/10/18(土) 14:11
『日蓮宗の諸問題』雄山閣
日蓮正宗創価学会における「本門戒壇」論の変遷
―― 政治的宗教運動と社会統制
西山茂著
は秀逸な論考です。
このなかで当時の戸田さんの言葉が引用されています。
「天皇に御本尊様を持たせ、1日も早く、御教書を出せば、広宣流布できると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊を持たせることだ。こうすることによってはじめて国立の戒壇ができるのである。……いま、わたくしたちは、大きな本門の戒壇を建てるための、ひとつひとつの土台石をはこんでいるのであります」(戸田城聖『講演集上』51頁 / 昭和26年5月、会長就任挨拶から)
「われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法稟承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである」(戸田城聖『巻頭言集』104頁)
「御教書とは衆議院に於て過半数の構成を以って発せられるものである故これが獲得の為にも正法弘通の活動は今後新生面が展開されなければならない」(『聖教新聞』昭29・1・1)
「国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、また、この御本尊のありがたさを知ってこそ、初めて広宣流布できるのです」(昭30・3・27 鶴見支部第四総会での戸田城聖講演・戸田城聖『講演集下』27頁)
「広布の終点は国立戒壇である。その為には国会の議決が必要だ、すると宗教の正邪い対して確たる信念を持ち国立戒壇建立を願う人々の代表が国会議員として多数居なければならない事は論をまたないのである(『聖教新聞』昭30・4・7)
「富士山に国立戒壇を設け、日蓮正宗を国教にすることだ。そのためには20年後には国会議員の過半数を占めなければならない」(『聖教新聞』昭30・4・17)
以上の如く、戸田さんは国立戒壇論者でした。
しかし、池田さんは
「『国立戒壇』ということばなどはどこにもありません。戸田先生も、ちょっと『国立戒壇』ということばをもらしたことはありますが、私も先生がおっしゃったから申し上げたことも一、二ありますけれども、御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも『国立戒壇』ということばはないです」(池田大作『会長講演集』第11巻127頁 / 学生部第七回総会)
しかし、この池田さんの発言はいまだ国立戒壇から脱していないと西山師は分析する。その証左として、青木亨さんの文章を挙げている。
「学会の目的はただひとつであり、それは広宣流布といい、王仏冥合といい、国立戒壇建立といい、ぜんぶ同じことを指しているのである。……民主国家における国民の総意は、同時に国家の意思であると教えているのであるから、それが国立戒壇と呼ばれても何ら不思議はない。しかも、その内容を『民衆立』の意味であると教えているのであるから、問題にするほうがよほどどうかしている」(『大白蓮華』昭39・11)
以上、懐かしい資料が載っています。
さて、これら資料が未だに学会が使用されているのか、“お蔵”にされてなかったように扱われるのか、はたまた、書き直し改竄して使用されているのか、この比較検討は興味深いテーマであるといえます。
上述の論考のなかで、西山師は『折伏経典』の校訂3版と改訂36版の比較対照を試みています。これより徹底した論考に「『折伏経典』考証」(伊藤立教著/『佛教學論集』昭和49年度 No.11)があります。ここでは30にも及ぶ版を比較検討し、その変遷、書き直しを追っている。実に興味深い研究である。
さて近日、有志で集まって、戸田さんの講演を録音プレスしたレコードを聴いてみましたが、それによって、現在、発刊されている『戸田城聖全集』がかなり書き換えられていることがわかりました。
一言に「戸田先生の指導」ということは簡単ですが、実際に話した内容と思想そのものまでが変わってしまう書き換えをしたものを、果たして当人の分と呼ぶことができるのか、わたしには大きな疑問が残ります。生の声に接する時、戸田さんは見紛うことなき「国立戒壇論者」であることは疑う余地はありません。その意味において、現創価学会が戸田さんの忠実な継承者であるとは言い難く、むしろ、その思想にもっとも近似しているのは、皮肉にも、顕正会・浅井さんであると見えます。この管見に反論があれば、確実な戸田さんの発言から批正を期待するものです。
211
:
犀角独歩
:2003/10/18(土) 14:17
これももはや言い尽くされた話を一点。
創価学会は「生命」ということばを殊の外、頻繁に使いますが、これは蓮祖の考えには確認できません。
先の池田さんの国立戒壇という語彙を放棄するに使った口上を使えば「御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも」生命という言葉はどこにも見当たりません。国立戒壇という語彙を、蓮祖遺文、興師遺文、寛師遺文に見当たらないことでその使用を放棄するのであれば、生命という語彙もまた、これに準じて判断することが至当であるとわたしは考えます。
212
:
愚鈍凡夫
:2003/10/18(土) 15:02
横レス失礼します。
1950(昭和25)年08月24日 戸田城聖、理事長を辞職。後任に矢島周平。
「戸田、夏季講習会にも出席せず、一時は城聖の名を城正と変え、雲隠れ。
『戸田の破産は多くの会員を動揺させ、彼に出資していた一部会員を離反させたばかりか、中には数十世帯を集めて分派を結成するものさえ現われてきた。』」
(『堕ちた庶民の神』P91)
「戸田城聖『二一年に法華経の講義をしたんだが会長だけはいやだった。だから二六年五月まで七年間、会長はなかったんだ。私がなったのはその時どえらいバチを受けたからだ。そのバチというのは、その頃、ぼくは東京建設の専務理事をやっており、また「少年日本」「ルビー」「冒険少年」という雑誌を出しておったが、しこたま損をしてこれをぶっつぶしてしまった。雑誌の方は七、○○○万円程の借金ですんだが、東京建設の方は刑法上の問題となったんっだ。それで会長になる前に死にぶつかったわけだ。仏法の力と国法の力とどっちが勝つか? 仏法が勝てばきりぬけられる。この境涯が正しいと証明されれば会長になる。そのどちらかをためされたわけだが、うまくきりぬけられた。』」(『宗教と信仰の心理学』 P36)
「戸田城聖『信仰が現在の生活と無関係ならそんなものはやることない。トクであるから信仰するので、トクがないならそんなものはやめたらよい。』」(同P36)
所詮、これが戸田さんの宗教観ですが、創価学会員にとっては、これもデマ・捏造の類なんでしょうね。
213
:
Jルーカス
:2003/10/18(土) 15:47
> その意味において、現創価学会が戸田さんの忠実な継承者であるとは
> 言い難く、むしろ、その思想にもっとも近似しているのは、皮肉にも、
> 顕正会・浅井さんであると見えます。この管見に反論があれば、確実な
> 戸田さんの発言から批正を期待するものです。
まったくそのとおりだと思います。
と言うよりも、浅井氏自体の戸田氏への傾倒の深さには、昭和40年代
生まれの、次男の名前に、戸田城聖氏の「城」の字を頂き「浅井城衛」と
名付ける位の尊敬ぶりです。
自分の息子の名前に一字を頂くなどが、その尊敬心の現れでしょう。
思想が酷似してても当然と言えましょう。
214
:
愚鈍凡夫
:2003/10/18(土) 16:44
こんな資料もありました。
「過日、選挙違反に問われて無実の罪を着せられた人が、全員大赦されたことは、王法が仏法に負けたことを示している。石橋首相が七階級特進し、紫の衣を貰ったが、病気で、大事な一回目の施政方針演説に立てずに寝ている姿は、創価学会の力というものの証明ではないか。身延に、もし日蓮大聖人様の仏法があるならば、大事な僧侶を助けないわけがない。
われわれが、万々が一、病魔や死魔におそいかかられても、もったいなくも護秘符という秘伝がある。法力・仏力には、なにもかなわないのである。」(会長講演集 第3巻)
病魔に蝕まれて死んでいった戸田さんはどうなるんだろう。そんなことをふと思ってしまいました。
話は変わりますが、初代会長の牧口さんは、天皇について次のように語っておられます(戦時中の発言です)。
「吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、本当に敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれがもっとも本質的な正しい国民の道だと信じる次第である。」(大善生活実証録)
215
:
沖浦克治
:2003/10/18(土) 16:55
皆様方の発言は、戸田先生と創価学会にとってあまりにも的外れです。
木を見て森を見ずのたぐいですね。
特に戸田先生のレコードをお聞きになられた方々の理解力の無さにはあきれるばかりです。
216
:
犀角独歩
:2003/10/18(土) 17:08
> 戸田先生のレコードをお聞きになられた方々
では、あなたは聞いたのですか。
録音テープからの完全テープお越し本も出る予定があります。
聞きもしないで言っているとすれば、それは理解力以前の問題です。
呆れるというのは証拠なしに感情論だけでものを言う浅はかさのほうです。
217
:
犀角独歩
:2003/10/18(土) 17:11
戸田さんのこんな発言もありましたね。
『戸田城聖先生 講演集 下』(昭和36年10月12日初版・発行者 北条浩・発行所 創価学会 P205)から転載
「御生骨の不思議
今度の4月20日から、お山においても、御肉牙(おにくげ)の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。日蓮大聖人様御在世の時に歯を抜いた。その抜いた歯の下のほうに肉がちょっぴりついておった。ところが、この肉が七百年のあいだに、だんだんだんだんふえて、ちょうど、まさに歯を包まんとしている。これは説明つきますか。しかも脈打っているのですよ、汗かいているのですよ、生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。
身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います。
昭和31年4月1日
仙台支部旗返還授与式
仙台市公会堂」
218
:
犀角独歩
:2003/10/18(土) 17:14
【216の訂正】
誤)完全テープお越し本
正)完全テープ起こし本
219
:
沖浦克治
:2003/10/18(土) 17:15
毎日のように聞いております。
聞けば聞くほどどん底にあえぎ世間から見放された庶民に、勇気とと希望を与える先生の気迫が伝わってまいります。
まさにあの時点で世界一の実力をお持ちの人であられたでしょう。
220
:
犀角独歩
:2003/10/18(土) 17:27
「世界一の実力」などという大袈裟な表現は、緻密な比較に基づいて言われるべきでしょう。が、まあ、戸田さんの話が面白く人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。
戸田さんのテープを毎日聞いているのであれば、是非ともテープから一字一句間違わず、文章を起こし、いまの全集がどれほど、正確なのか示して貰いたいものですね。
だいたい、この手の個人礼賛者は証拠を上げず、ただ尊敬から来る感情だけでしますね。
尊敬しようが何しようが勝手ですが、このような議論の場で証拠を上げず、人を蔑むような表現をすればするほど、その尊敬している戸田さんの名を汚すことになりますね、戸田さんは三証を重んじていたはずですから。
221
:
犀角独歩
:2003/10/18(土) 17:39
沖浦克治さん:
ご挨拶が遅れました。はじめまして。
さて、あなたは戸田さんを尊敬して止まない一人のようですが、すると、わたしが210に引いた戸田会長指導を遵守貫徹する方であると拝します。
となれば、衆議院を通じて御教を下し、戸田さんの悲願であった国立戒壇の実現をいまも目指しているのでしょうね。尊敬しているのでしょうからね。
そして、戸田さんの指導の通り、大石寺の「戒壇之本尊」と「御肉牙」を信じ拝しているのでしょうね。まさか、戸田さんの指導に反することはありませんでしょうね。
222
:
愚鈍凡夫
:2003/10/18(土) 19:31
小生も、ご挨拶が遅れてしまいました。
沖浦克治さん、始めまして。愚鈍凡夫です。
文章で残っている戸田さんの言葉と、戸田さんの声でもって語られる戸田さんの言葉を比較してみたいので、あなたが感銘を受けた指導を紹介してくれませんか。
それと、戸田さんの言葉をそのまま紹介したのですが、どの辺が的外れなのか教えてください。
根が愚鈍なものですから、宜しくお願いします。
223
:
愚鈍凡夫
:2003/10/18(土) 20:44
戸田さんは極度の近眼で、原稿などは全て口述筆記、講演・指導はその場の雰囲気に合わせた即興だったと聞いたことがあります。
故に、文章で残っている戸田さんの言葉と、戸田さんの声でもって語られる戸田さんの言葉の違いに興味がありますので、宜しくお願いします。
224
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 00:51
皆様方はじめまして沖浦克治です。
あいさつが遅れました。
41年の間創価学会にいます
壮年部58歳役職はありません。
犀角独歩 さん
戸田先生が世界一の件
少し冷静に考えればわかる事です。
蓮祖は化法の広布の道をお開きになられました。
その当時文字通り世界一の人です。
戸田先生は化法の広布の道を開かれました。
世界一でなければ不可能ですよ。
>人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。
戸田先生の渾身の指導を、扇動としか取れないあなたの境涯の低さが哀れです。
国立戒壇の件
興味がありません。
民衆立の意味なれば検討に値するでしょう。
御肉牙の件
一度も見たことがありませんのでお答えが出来かねます。
宗門が科学的な鑑定依頼をするべきでしょう。
愚鈍凡夫 さん
御書を拝する時に、全体感にたち正しく読まねば誤ってしまいますね。
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。』
『「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る』
この二つのご文は正反対の事を仰せです。
ではどちらかが嘘なのですか?
そうではありません。
それぞれあたえられた人の機根によるのです。
『私は末法の本仏だ』との表現は何処にありますか。
自分は本仏ではない、との表現は随所に見られます。
これと同じですよ。
全体感にたって戸田先生の教えを拝さねば、真実は見えてきません。
録音には『君たちは難が起これば私は創価学会ではありません、日蓮正宗です、お寺で信心しています、と言わんとも限らんぞ。』
との発言があります。
講演集にあるかどうかは知りませんが、これなどはカットされやすい発言でしょうね。
本日はこれぐらいに致します。
225
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 00:53
打ち間違いです。
戸田先生は化法の〜化義の
226
:
愚鈍凡夫
:2003/10/19(日) 01:42
「月月日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」(聖人御難事)
の文証と、
「行解既勤。三障四魔紛然競起。」(摩訶止觀卷第五上)
とは、何故正反対のことを仰せになっているのか分かりません。
おごりや油断を戒めた『聖人御難事』の文と、障魔を恐れてはならないとの『摩訶止観』の文が、何故正反対の意味になるのですか。教えてください。
>それぞれあたえられた人の機根によるのです。
>『私は末法の本仏だ』との表現は何処にありますか。
>自分は本仏ではない、との表現は随所に見られます。
>これと同じですよ。
何が同じなのですか?
> 全体感にたって戸田先生の教えを拝さねば、真実は見えてきません。
とは、たとえ戸田さんの指導でも、都合の悪い指導は無視するようにとの意味ですか。
失礼ですが、敢えて言わせてください。
> 木を見て森を見ずのたぐいですね。
とは沖浦克治さん御自身のことではありませんか。
227
:
MILD SEVEN
:2003/10/19(日) 04:30
<創価学会の危険性について>
私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。
創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
しかし、嘘や罠、流言蜚語は創価の常套手段です。
・・・・・・・・・・・・
(参考までに。 特集/呪詛と怨念―創価学会の深層)
“ワラ人形に五寸釘”を彷彿 「悪人撲滅御祈念」のおぞましさ
学会員の仏壇に「あなたの名前」が
http://www.forum21.jp/contents/03-8-15.html
・・・・・・・・・・・・・
創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?
創価は悔い改めなければなりません。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
228
:
MILD SEVEN
:2003/10/19(日) 04:34
<創価学会の危険性について>
私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。
創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
しかし、嘘や罠、流言蜚語は創価の常套手段です。
・・・・・・・・・・・・
(参考までに。 特集/呪詛と怨念―創価学会の深層)
“ワラ人形に五寸釘”を彷彿 「悪人撲滅御祈念」のおぞましさ
学会員の仏壇に「あなたの名前」が
http://www.forum21.jp/contents/03-8-15.html
・・・・・・・・・・・・・
創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?
創価は悔い改めなければなりません。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
229
:
問答迷人
:2003/10/19(日) 05:51
沖浦克治さん はじめまして。
横レス失礼します。
ここは、公開の掲示板です。あなたは、「戸田先生が世界一」と片方で言いながら、戸田さんの最重要指導であると思われる「国立戒壇」については、興味が無い、と言い、また、これも戸田さんが再三に亘って指導したとされる「お肉牙」についても、「宗門が科学的な鑑定依頼をするべき」とされる。これは少なくとも、あなたが戸田さんを世界一の指導者と喧伝していることと矛盾しています。この矛盾について、掲示板ご参加の方々がよく理解できるように、わかりやすく説明していただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
少なくとも、ここは議論の場ですから、僕は、一方的な信仰告白は、書き込む意味を成さないと考えています。
230
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 06:33
問答迷人 さん
はじめてお目にかかります。
おはようございます。
戸田先生は世界一のお方でしたが、ならば何でも盲従しようとは思わないのです。
私の人生のスタンスですよ。
信仰告知の意味が少し理解しにくいです。
具体的に提示していただければ幸いです。
国立戒壇
民衆立であるべきです。
お肉牙
あればそれでいいですし、なければないでかまいません。
そのようなものには興味がないのです。
231
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 06:39
月月日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」(聖人御難事)
日々信心を強くしていかねば、信心に対する反作用が競う。
「行解既勤。三障四魔紛然競起。」
信心が進んでくると、信心に対する反作用がが競い起こる。
どちらが正しいのですか?
>何が同じなのですか?
文章の理解能力にかけますね。
よく読んで判断してください。
同じ事を何度も言わせるのは愚かですよ。
だから、木を見て森を見ずなのです。
232
:
愚鈍凡夫
:2003/10/19(日) 10:52
沖浦克治さん、質問に答えられないのですか。それとも、答える必要がないと思っての言動ですか。
おごりや油断を戒めた『聖人御難事』の文と、障魔を恐れてはならないとの『摩訶止観』の文が、何故正反対の意味になるのですか。教えてくださいといっているのですよ。
これは、
> どちらが正しいのですか?
といった問題なのですか?
>それぞれあたえられた人の機根によるのです。
>『私は末法の本仏だ』との表現は何処にありますか。
>自分は本仏ではない、との表現は随所に見られます。
>これと同じですよ。
の意味が分からないから、「何が同じなのですか?」と質問しているのですよ。
蓮祖が『私は末法の本仏だ』と言っていないことと、何が同じなのですか?
まさか、沖浦克治さん説のように、戸田さんが『私は世界一だ』と言っていないことと同じだということですか。
233
:
犀角独歩
:2003/10/19(日) 15:18
沖浦克治さん:
> 境涯の低さが哀れです
「境涯が低い」、はて、どんな意味でしょうか(大笑)
面白いことを言いますね。
学会のなかでしか通用しないドングリの背比べの詰りなど、ただ滑稽なばかりです。
痛痒すらありません。
何ら証拠を挙げることができず、人を貶し、恰も自分は勝れていると見せる心を勝他の一念と誡められるのでしょう。すなわち、修羅の奢りです。これこそ、あなたがいう「境涯が低い」ということです。「境涯が低い」という言葉はそのままお返しいたすことといたしましょう。
なお、蓮祖は真跡から見る限り「境涯」などという語彙の使用は認められません。
蓮祖の言説を語るに似て、ここでもまた、蓮祖の義に有らざる言説を以て騙っています。
わたしは世界一というのであれば、その証拠を挙げるべきであると言ったのです。
それに対して、詰ることしかできないその程度の低さこそ嗤われるべきものでしょう。
繰り返します。証拠を挙げてください。
> 『「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る』
「行解既勤 三障四魔紛然競起」とは『摩訶止観』第五巻上に見える文であり、天台智邈師が説き、章安灌頂師が記述したものです。蓮祖が説いた御書ではありません。
これを御書というのは間違いです。
この程度の知識でものを言う蛮勇こそ哀れです。
> 三大秘法稟承事…諸法実相抄
この点も当板で大いに議論されてきたところですが、何ら考証することもなく、この二書を蓮祖の“御書”としています。これらが真筆である証拠を挙げてください。
> 化法・化儀の広宣流布
このような教義は蓮祖御立法門の、いったいどこにあるというのでしょうか。
文証を挙げてください。
> 国立戒壇…御肉牙
興味がないそうですが、先にわたしが挙げた戸田さんの言説です。本人が話し、それを創価学会が編集して出版したものです。戸田さんを尊敬すると言いながら戸田さんの言葉を軽視するとはまったく自語矛盾です。戸田さんの指導を軽視し、学会の出版を軽視しています。言葉はわたしは批判しながら、実のところ捨て去っているのは、まさに戸田さんとかつての学会の指導でしょう。
愚鈍凡夫さんが指摘する如く、あなたこそ、まさに一片の木っ端ばかりにとらわれ、森を見られない愚を犯しています。
三証を示すという蓮祖教説の基本も遵守しようとしない。その姿勢は道理に冥く、文証を示さそうとしていません。威勢ばかりが好い。まことに無慚な有様です。そもそも58歳にもなって、公開の議論で、一々に人を見下す言説を弄するばかりで証拠を挙げないなど、無礼千万の極み、一片の良識、常識も感じられません。これが信仰40年のなれの果てですか。
人を詰る前に証拠を挙げるべきであります。
234
:
犀角独歩
:2003/10/19(日) 17:57
きょうがい きやう― 【境涯】
生きていく上で、人がおかれている立場。境遇。
「不幸な―にあった」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
創価学会では以下の一般語彙を、信者の信仰の度合いを高低をつける用語として使用する。しかし、これは先に記したとおり、蓮師、真跡遺文のなかにその使用は認められない。また、真偽未決を含む御書全集にその範囲を広げてもその使用は認められない。では、天台書記文献ではどうであろうか。純天台資料にもこの使用は見られない。実際のところ創価学会発行の『御書辞典』にもその掲載は見られない似非仏教語である。
実際は、この語は「境界」と書いて「きょうがい」と読む。
たぶん、耳から聞いて勝手に境界を境涯と勘違いして定着しいまだに学会では使われているのではないだろうか。
さて、調べる限りでは、境界は、経典で2、純天台文献47にその使用例が見られる。ただし、全漢訳経典に当たったわけではないので、この点は批正をいただければ幸甚である。
文献は以下の通り。
【経典】觀普賢經、金光明經。
【釈文】安樂行義、維摩玄疏、維摩疏記、維摩略疏、金光文句、玄義釋籤、五百問論、五方便念、華嚴骨目、戒儀慧思、戒疏明曠、四念處觀、三觀義、次第禪門、止觀義例、止觀弘決、小止觀、仁王經疏、請觀音疏、大四教義、大乘止觀、文句記、菩薩戒疏、方等三昧、法界次第法華玄義、法華三昧、法華文句、摩訶止觀、無量義經、無諍三昧、國清百録、六妙法門、涅槃玄義、涅槃經疏、涅槃經南、淨土十疑、彌陀義記、搜要記、禪門口訣、禪門章、覺意三昧、觀音義疏、觀音玄義、觀心論、觀心論疏、觀無經疏。
この台学の系譜を受けて蓮師は、真跡で見れば、八宗違目、開目抄、千日尼御前御返事でその使用が見られる。もちろん、この場合でも、境界に高低などはない。
「境涯が低い」、無批判に言葉や概念を振り回すと、まことに珍妙な言説を弄する愚を犯すことになる好見本といえるだろう(莞爾)
235
:
犀角独歩
:2003/10/19(日) 18:03
【234の訂正】
誤)天台書記文献
正)天台初期文献
誤)蓮師は、真跡で見れば、八宗違目、開目抄、千日尼御前御返事でその使用が見られる。
正)蓮師真跡で見れば、八宗違目、開目抄、千日尼御前御返事でその使用が見られる。
236
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 21:10
>の意味が分からないから、「何が同じなのですか?」と質問しているのですよ。
蓮祖が『私は末法の本仏だ』と言っていないことと、何が同じなのですか?
まさか、沖浦克治さん説のように、戸田さんが『私は世界一だ』と言っていないことと同じだということですか。
意味が不明ですね。
もう少し整理をして書き込んでください。
237
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 21:35
>「境涯が低い」、はて、どんな意味でしょうか(大笑)
面白いことを言いますね。
かってに馬鹿笑いをしていなさい。
面白いのはあなたの馬鹿た意見です。
>境涯が低い」という言葉はそのままお返しいたすことといたしましょう。
いえ結構です。
あなたが大事に味わって下さい。
>なお、蓮祖は真跡から見る限り「境涯」などという語彙の使用は認められません。
蓮祖の言説を語るに似て、ここでもまた、蓮祖の義に有らざる言説を以て騙っています
レベルが低すぎます。
一閻浮提総与も御書に無い事をご存知ですか?
創価思想と言う言葉もありません。
然しながら創価思想は存在致します。
生命哲学は何処にありますか。
嫡々一人の文証を上げてください。
馬鹿なことをひけらかすものではありません。
以後、気をつけるように。
世界一の証拠をあげておきます。
蓮祖は化義の広布を後世の弟子にご遺命のなられました。
『時を待つべきのみ』(三大秘法抄)
『未来もまたしかるべし』(諸法実相抄)
この御書を身で読まれ化義の広布を開かれたのが戸田先生です。
時の法主が文証をもってこの事実を証明しております。
蓮祖直属ならば、世界一ではありませんか。
>章安灌頂師が記述したものです。蓮祖が説いた御書ではありません。
これを御書というのは間違いです。
あなたは本当に法華講の人ですか?
蓮祖が御書の中で引用されれば蓮祖のお言葉です。
絶対妙とはその義です。
書き込みはしばらくおやめになって、教学を真剣に学んだ方が言いですね。
近所の創価学会の、末端会員に師事される事をお勧めいたします。
> 三大秘法稟承事…諸法実相抄
この御書は蓮祖と同じご境涯で無ければ書くことは不可能です。
宗門にとっては真に都合の悪い御書ですね。
> 化法・化儀の広宣流布
『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書から引用してください。
>先にわたしが挙げた戸田さんの言説です。本人が話し、それを創価学会が編集して出版したものです。戸田さんを尊敬すると言いながら戸田さんの言葉を軽視するとはまったく自語矛盾です
軽視などしておりません。
かってな事は言わないように!
>そもそも58歳にもなって、公開の議論で、一々に人を見下す言説を弄するばかりで証拠を挙げないなど、無礼千万の極み、一片の良識、常識も感じられません。これが信仰40年のなれの果てですか。
あなたが見下されて当然の内容を書き込むからです。
改めるのであれば、私もそれなりに対応されていただきますよ。
人の年齢や信心経歴には、首をつっこまなくてよろしい。
238
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 21:38
>創価学会では以下の一般語彙を、信者の信仰の度合いを高低をつける用語として使用する。しかし、これは先に記したとおり、蓮師、真跡遺文のなかにその使用は認められない。
あなたも同類項ですか。
前のレスを参考にして下さい。
質問です
西暦は使っていますか?
>「境涯が低い」、無批判に言葉や概念を振り回すと、まことに珍妙な言説を弄する愚を犯すことになる好見本といえるだろう(莞爾)
あなたのお立場が理解できました。
日蓮原理主義者です。
239
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 21:39
>創価学会では以下の一般語彙を、信者の信仰の度合いを高低をつける用語として使用する。しかし、これは先に記したとおり、蓮師、真跡遺文のなかにその使用は認められない。
あなたも同類項ですか。
前のレスを参考にして下さい。
質問です
西暦は使っていますか?
>「境涯が低い」、無批判に言葉や概念を振り回すと、まことに珍妙な言説を弄する愚を犯すことになる好見本といえるだろう(莞爾)
あなたのお立場が理解できました。
日蓮原理主義者です。
240
:
無徳
:2003/10/19(日) 21:42
沖浦さんお久しぶりです。
まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、
ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。
またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にて
がんばってください。
241
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 21:50
無徳さんご無沙汰ですね。
私の問題に干渉は迷惑です。
責任は私が取るのですあkら、捨てておいてください。
しかし、若鷲や富士の宮のほうがレベルはうんと高いですよ。
242
:
愚鈍凡夫
:2003/10/19(日) 21:51
あなたが書き込んだ言葉の意味が分からないから、教えてくださいといっているのですよ。
不本意ですが沖浦克治さんの言葉を、そのまま贈ります。
> 文章の理解能力にかけますね。
>よく読んで判断してください。
>同じ事を何度も言わせるのは愚かですよ。
>だから、木を見て森を見ずなのです。
>意味が不明ですね。
>もう少し整理をして書き込んでください。
243
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 21:52
アネモネさん。
私はあなたと対話がしたいのです。
おいでくださいませ。
244
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 21:54
愚鈍凡夫さん。
かみ合いにくいですね。
無理に私と討論する必要はありませんよ。
245
:
愚鈍凡夫
:2003/10/19(日) 22:04
討論と呼べるレベルの話ではないでしょう。
沖浦克治さんが、故意に話をかみ合わさないようにしているのではありませんか。
ROMされている方々に失礼ですので、これぐらいにしておきます。
246
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 22:40
愚鈍凡夫さん
たしかにあなたのご主張は、討論の域には達していませんね。
おやめになられた方がいいでしょう。
賢明な選択です。
247
:
犀角独歩
:2003/10/19(日) 23:11
沖浦克治さん:
まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。
それにしても、わたしはここで種々の批正は受けてきましたが、ここまで的外れな批判をされて、もはやその滑稽さに腹も立ちません。
わたしは日蓮ですら、絶対ではないといっているのに、日蓮原理主義ですか(笑)
また、わたしは法華講ではありません。なにを勘違いしているのやら。
> 一閻浮提総与
そのことは何度も書いています。
人を批判するので有れば、まず過去のログぐらい読みましょう。
わたしは「一閻浮提総与」を似非日蓮義であると言ってきたのです。
> 創価思想
蓮師御立法門に? あるわけないでしょう、そんなもの。
ところでなんですか、この創価思想というのは(笑)
蓮師の素意とはまったく関係ありません。
> 然しながら創価思想は存在致します。
ええ、蓮師のあずかり知らないことでしょう。
残念にも日本国中に蔓延して、大いに迷惑しております。
> 生命哲学は何処にありますか。
蓮師の素意とはまったく関係ありません。
それは戸田さんが考案し、池田さんが踏襲したものです。
モチーフに、中古天台本覚思想の影響を受けた中期石山教学の用いるも、蓮師の素意とはかけ離れた創作でしょう。創価思想とは同様です。
蓮師とは関係ありません。
> 嫡々一人の文証
わたしは唯受一人、否定論者です。
どうぞ、過去のログをお読みください。
> 世界一の証拠をあげておきます。
これが証拠ですか。
> 蓮祖は化義の広布を後世の弟子にご遺命のなられました。
『時を待つべきのみ』(三大秘法抄)
切り文の極みですね。ここには「勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」でしょう。戸田さんが言うように御教書はどうですか。戸田さんが取りましたか。
> 『未来もまたしかるべし』(諸法実相抄)
続きがありますね。「是あに地涌の義に非ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」戸田さんが日本一同に題目を唱えさせたですか。はて、そのような話は聞いたことがありません。
> この御書を身で読まれ化義の広布を開かれたのが戸田先生です。
ですから、化儀の広布の文証を挙げてくださいと申しているわけです。
なんですか、これは?
> 時の法主が文証をもってこの事実を証明しております。
どんな文証でしょうか。
> 蓮祖直属ならば、世界一ではありませんか。
なぜ、蓮祖直属ならば、世界一なのでしょうか。
また、戸田さんがなぜ蓮祖直属なのでしょうか。
それにしても、毎晩、戸田さんのレコードを聴いているとこうなるわけですか。
なるほど。創価学会員というものがどのようなものか。典型的な見本ですね。
我が好敵手・無徳さんも勧めていますが、吠えるだけなら、その手の板に行かれることをわたしも勧めます。
248
:
沖浦克治
:2003/10/19(日) 23:16
犀角独歩 さん
あなたには無理です。
止めておきなさい。
249
:
愚鈍凡夫
:2003/10/19(日) 23:21
沖浦克治さん、もう一度、
> 文章の理解能力にかけますね。
>よく読んで判断してください。
>同じ事を何度も言わせるのは愚かですよ。
>だから、木を見て森を見ずなのです。
あなたにぴったりの言葉ですね。
御自身のことだけに良く分かってらっしゃる。
250
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 01:48
沖浦克治さん:
何が無理で何を止めろと言っているのですか。
意味不明ですね。
251
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 02:53
ちょっと、創価学会・法華講経験者の皆さんに、お尋ねしますが、蓮師が御書の中で引用すると、天台の言葉でも、日蓮の言葉になる、こんな考え方が創価学会にはありましたか。237で、沖浦克治さんがそんなことを言っているのですが、どうなんでしょうか。
わたしは、創価学会、法華講共に経験しておりますが、こんな話は聞いたことはありません。
また、これが絶待妙だというのですが、そもそもこの絶待妙は法華玄義に現れる天台の教説でした。これが蓮師が引用すると蓮師の言葉になるというのも、これまた珍妙な話であると思えます。
学会の考えだそうなので、取り敢えず、『御書辞典』を捲ってみました。が、ここでも、蓮師が御書に引用すると、みんな蓮師の言葉になることが絶待妙であるという説明はありませんでした。あるわけありませんが(笑)
絶待妙、皆さんはご存じでしょうが、原文を挙げておきます。
お断りするまでもありませんが、これは蓮師のことばではなく、智邈説・灌頂著です(笑)
*** 転載はじめ ***
釋名絶待妙
二絶待明妙者爲四。一隨情三假法起。若入眞諦待對即絶故。身子云。吾聞解脱之中無有言説。此三藏經中絶待意也。二若隨理三假。一切世間皆如幻化。即事而眞無有一事而非眞者。更待何物爲不眞耶。望彼三藏絶還不絶。即事而眞乃是絶待。此通教絶待也。三別教。若起望即眞之絶還是世諦。何者非大涅槃。猶是生死世諦絶還有待。若入別教中道待則絶矣。四圓教。若起説無分別法。即邊而中無非佛法。亡泯清淨豈更佛法待於佛法。如來法界故出法界外。無復有法可相形比。待誰爲麁形誰得妙。無所可待亦無所絶。不知何名強言爲絶。大經云。大名不可稱量不可思議故名爲大。譬如虚空不因小空。名爲大也。涅槃亦爾。不因小相名大涅槃。妙亦如是。妙名不可思議。不因於麁而名爲妙。若謂定有法界廣大獨絶者。此則大有所有何謂爲絶。今法界清淨。非見聞覺知不可説示。文云。止止不須説我法妙難思。止止不須説即是絶言。我法妙難思即是絶思。又云。是法不可示言辭相寂滅。亦是絶歎之文。不可以待示不可以絶示。滅待滅絶故言寂滅。又云。一切諸法常寂滅相終歸於空。此空亦空則無復待絶。中論云。若法爲待成。是法還成待。今則無因待亦無所成。法華首云。既得無生忍亦不生無生。無生即無生是名絶待。降此已外若更作者。絶何物顯何理。流浪無窮則墮戲論。乃是迷情分別。絶待不絶。非絶非待。待於亦待亦
絶。言語相逐永無絶矣。何者言語從覺觀生。心慮不息語何由絶。如癡犬逐塊。徒自疲勞塊終不絶。若能妙悟寰中息覺觀風。心水澄清言思皆絶。如黠師子放塊逐人。塊本既除塊則絶矣。妙悟之時洞知法界外無法而論絶者。約有門明絶也。是絶亦絶約空門明絶也。如快馬見鞭影無不得入。是名絶待妙也。用是兩妙妙上三法。衆生之法亦具二妙稱之爲妙。佛法心法亦具二妙稱之爲妙。若將上四種絶待約五味經者。乳教兩絶。酪教一絶。生蘇四絶。熟蘇三絶。此經但有一絶。若開權絶者。無不入一妙絶也。問何意以絶釋妙。答祗喚妙爲絶。絶是妙之異名。如世人稱絶能耳。又妙是能絶麁是所絶。此妙有絶麁之功。故擧絶以名妙。如迹中先施方便之教。大教不得起。今大教若起方便教絶。將所絶以名於妙耳。又迹中大教既起。本地大教不得興。今本地教興迹中大教即絶。絶於迹大功由本大。將絶迹之大名於本大。故言絶也。又本大教若興。觀心之妙下得起。今入觀縁寂言語道斷本教即絶。絶由於觀。將此絶名名於觀妙。爲顯此義故以絶爲妙。今將迹之絶妙妙上衆生法。將本地之絶妙妙上佛法。將觀心之絶妙妙上心法。前四絶横約四教。今三絶竪約圓教云云。
*** 転載おわり ***
蓮師真跡における絶待妙に関する記述は以下の通りです。
三八教「法華の円の二妙─絶待妙─麁を開し妙を顕はす」
開目抄「爾前の円は相待妙・絶待妙に対すれば猶悪なり」
ここでも、蓮師が御書に引くと自分の言葉になるとは書いておりませんね。
252
:
ガンコ
:2003/10/20(月) 04:25
>ちょっと、創価学会・法華講経験者の皆さんに、お尋ねしますが、蓮師が御書の中で引用すると、天台の言葉でも、日蓮の言葉になる、こんな考え方が創価学会にはありましたか。237で、沖浦克治さんがそんなことを言っているのですが、どうなんでしょうか。
わたしは、創価学会、法華講共に経験しておりますが、こんな話は聞いたことはありません。
これを絶待妙というのかどうか存じませんが、我が顕正会ではわりとこのような考え方であろうと思います。
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ。」
これを浅井は大聖人の御指南と言っております。また、「末法下種の寿量品には次の如く仰せであります」等と言って、寿量品を引用せられることもありましたし。
厳密にはどうか知りませんが、だいたい正宗系では、大聖人が肯定の意味で使われる文証はすなわち大聖人の御指南と拝する、というような暗黙の了解があるのではないでしょうか?
ああ、また批判されること書いちゃった。
253
:
ガンコ
:2003/10/20(月) 04:31
(補遺)
末法下種の寿量品には・・・ごめんなさい、文底下種の寿量品だったかしら?
まあ、どっちみち否定されちゃうんでしょうけど。
255
:
問答迷人
:2003/10/20(月) 08:38
沖浦克治さん
所用で一日不在にしておりました。
>戸田先生は世界一のお方でしたが、ならば何でも盲従しようとは思わないのです。
なるほど。是々非々で取るものは取り、捨てるものは捨てる、ということですね。
>信仰告知の意味が少し理解しにくいです。具体的に提示していただければ幸いです。
二例を挙げます。
三大秘法抄は、日蓮正宗、創価学会等では真蹟は無いものの、御書として、何の疑いも無く捉えられいます。そして、ところが、この書は、古来、その真偽が議論されてきた書です。
また、大石寺の戒壇板本尊は、古来、その真偽が疑われてきました。この掲示板でも、いろいろな観点から検証しましたが、日蓮聖人自らが建立されたとは考えられない、という結論にいたらざるを得ません。
これらを何ら、再検証することなく、日蓮聖人の真意として語り、広める事が果たして本当に民衆救済の行為なのか、私は単に信仰告白、信仰勧誘に過ぎないと思えて仕方が無いわけです。
日蓮聖人は「わが義智者に破られずば用いじとなり」と仰せられましたが、その前提には、文証、理証、現証の裏づけを磐石に固めておられたからこそ、言えたお言葉で有ったと思います。聖人は、京都、奈良、高野山その他に遊学せられて、根拠のある教えしか説かれなかったと考えています。磐石な裏づけに基づいた教えは、単なる信仰告白では無く、根拠に基づく議論で有ったと思うのです。
256
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 09:54
管理人さま:
当板では以下のようなルールに基づいていたと存じます。
沖浦克治さんは254において、
> あなたは本当に駄目な人です。
という暴言を吐いております。
わたしは、公開の場でこのような侮辱を受ける謂われはありません。
また、当スレッドおよび、統計寺版の趣旨ともこの表現はまったく関係ありません。
当板では【禁止事項】として、
「1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。」
となっております。
該当の表記はこの禁止事項に該当する判断します。
故に254の削除を依頼します。
また、わたしのほうにも不適切な書き込みがありましたら、削除をお願いいたします。
257
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 09:56
【256の訂正】
誤)統計寺版の趣旨
正)当掲示板の趣旨
258
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 10:14
252、253 ガンコさん:
お久しぶりですね。
浅井さんが使う如き表現は絶待妙というより、体内・体外の法門と言われるものです。
また、内証・外用の法門としても使われます。「我が内証の寿量品」などと記述される如くです。
「然れば八万四千の法蔵は、我が身一人の日記文書なり」
などという場合もこの伏線から記述されたものでしょう。
しかし、当然のこととして、真跡中に以上のような教義的な姿勢は蓮師には見られません。
ただし、後代の相伝譜から形成された教学的な姿勢においては、たしかに体内・体外、内証・外用といった視点から捉えようとする思考はあり、学会を含む石山系教学では、このような捉え方は、至極、当然のこととして使われてきたことでしょう。
しかしながら、摩訶止観を御書と言ったりすることはあり得ません。
また、これを絶待妙ということもありません。
このようないい加減な記述は 教・論・釈・御書 を厳格に拝する興師の教学的な姿勢からも批判されるべきことでしょう。また、後代の体内・体外等の教学的姿勢からもかけはなれたものであると言えようかと存じます。
259
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 10:25
沖浦克治さん:
人を暴言、説教を垂れる前に我が身を振り返るべきでしょう。
あなたのここでの書き込みが、あなたのいう世界広布などと何らつながっている部分はありません。ただ、あるのは他者蔑視という差別思想だけです。
信仰の名によって、人を差別することはもっとも誡められるべきことです。
ここは議論の場であり、異なる考えの人が意見を交換する場です。その基本は証拠主義です。証拠を示すことができず、ただ、人を卑しめる発言を書き連ねるその侮蔑的態度こそ、現在、もっとも問題にされる学会の社会的な批判であるという視点論じられないのは寧ろ当然の結末なのでしょう。
当スレッドは『創価学会の功罪を考える』という趣旨です。
ですから、あなたが書き連ねることによって垣間見させた他者蔑視の心象風景はまさに、そのまま、学会の罪として公になる効果はあったでしょう。
しかし、それらは証拠主義に基づく、議論によって導かれるべきであり、特定個人を蔑み、蔑視し人権を侵害して行われるべきものであっては決してならないはずです。
あなたは、「戸田先生は世界一」という命題をここに掲げましたので、その点について、証拠の提示を求めましたが、結局のところ、何らその記述をできないうえに、その点に難儀を示す投稿者に次々と別紙・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想をあからさまにしております。結局のところ、戸田さんが世界であるという学会の“功”については、なんら証明されることはありませんでした。
戸田さんが世界一の証拠を掲げず、このような差別・侮辱を繰り返すのであれば、よろしく退出されることをお薦めします。また、投稿を続けるのであれば、他者蔑視・侮辱はただちに止めるべきでしょう。
260
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 10:27
【259の訂正】
誤)難儀を示す投稿者に次々と別紙・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想
正)難儀を示す投稿者に次々と蔑視・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想
261
:
管理者
:2003/10/20(月) 12:19
犀角独歩さん
254レスが、当掲示板のルールに違反している、というご指摘、もっともであると存じます。
沖浦克治さん
あなたの254レスは、下記の、当掲示板の禁止事項に抵触すると判断いたします。申し訳ありませんが、あなたの254レスは削除させていただきます。
【禁止事項】
1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。
262
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 12:22
管理人さま:
ご多忙のところ、有り難うございました。
263
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 12:23
戸田さんが世界一かどうか、個人がどのような確信を懐こうが勝手です。
しかし、その確信を認めないものを蔑視、軽蔑するという有様は非常に迷惑です。それが集団となる場合、さらに社会的な迷惑に発展します。
ここ数日間の議論は、この点をよく表したものであったと思えます。
わたしの両親は昭和28年、大田区で入会した生え抜きの戸田門下生でした。そのことから、わたし自身、かつて戸田さんに強く傾倒していた一人でしたので、同様の確信を懐いていた時期はありました。池田さんが最高であると思った時期もあります。そのことから、学会が唯一絶対の団体であると確信を懐いていた時期もありました。
しかしながら、学会において根本思想とする日蓮聖人の教学を真面目に考証することなく、戦前の石山教学を鵜呑みにして、大正生命主義の影響から、生命論として展開した基礎的な考えは、まったく日蓮その人の思想から隔絶したものであった点に大きな疑問が生じました。
また、わたしが学生として生きた昭和40年代は「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」とまことしやかに口コミで人心操作がなされた時代でした。これはまた、戸田さんの獄中の宗教体験を「悟達」といい、また同人を「地涌の菩薩の棟梁」と表現する個人崇拝に操作されたこととも大きく関係したものであったと反省しました。
もとより、悟達とは仏の境地であり、如何に日本最大の宗教団に育て上げた人物であろうと、その人物を表す語として不適切です。また、地涌の菩薩の棟梁とは上行菩薩に違いなく、上行応化論から上行日蓮本仏を標榜する石山門にあって、この表現は、ただちに会長本仏論として敢えて誤解を招く作為をわたしは看取しました。この点が反省されたのが52年度路線であったと認識しています。しかし、残念ながら、この点はまったく反故に帰してしまったことは残念なことでした。
それでもそれほどの会長崇拝を可能にしたなんらかの魅力が会員各人にはあるのでしょう。わたしも個人的に池田さんに会うことがあり、その傾倒は10年以上も続いた経験がありますので、この点はわかります。しかし、これら信念体系は、社会心理学において、「個人的リアリティ」という心理想念であるという指摘に触れ、そこから反省が生じることになりました。また、自分が強い確信と思っていたことは、蓮師その人の思想ではなかったことがわかり、ここにさらに反省が生じたわけです。
わたしは現在、年間延べ1000人ほどの脱会者、脱会希望者、そして、その家族の心理的ケアと、社会復帰の手助けに日々追われておりますが、このようなボランティア活動を続けるにつき、なぜ自分を含む石山系被害者が、斯くも後を絶たないのかと憤慨にも似た考察を余儀なくされます。昭和58年でしたか、創価学会は公称1650万人を豪語しておりました。しかし、統計その他から類推されるその実数は600万人ないし400万人程度であると予想されています。となれば、創価学会は過去50年間の間に1000万人を超える脱会者を出したことになります。また、家族まで広げて考えれば、その被害は数千万人の規模となると想像されます。このような罪悪は強い信念体系に陥る会員からすれば、単に「退転」の烙印で蔑めば、終わることでしょう。しかし、脱め、投げ出された多くの人々の苦悩はそれで解決されることはありません。その一部の方々がわたしの門を叩いているのでしょう。
このような人たちの多くは、会をやめ、指導者を捨てることが、ただちに日蓮その人の教えを捨てることであるというある種の不安を懐いています。しかし、その場合、会で刷り込まれた“教学”は日蓮その人の思想ではなく、その後に変遷したものであり、直接的な日蓮思想ではないことを知るとき、ようやくと安堵に胸をなで下ろすこととなります。
何より、会員である時点で、もっとも大きな心理操作は、ファンダメンタリズムであり、そこから生じる他者蔑視と憎悪、そして、退会に対する恐怖操作が主に施されることになります。わたしは創価学会における最大の社会問題は「憎悪操作」という一点に集約されると考えています。。しかしこれは、信仰体験からくる功利性で裏打ちされていますので、各人はその功利面からこの罪過を気付きがたい構造があります。
264
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 12:23
―263からつづく―
「平和はナチスでも言った」と話したのが誰であったか失念しました。しかし、平和、広宣流布を言う学会が、具体的にどのような活動をしているのかと問われるとき、「池田先生は世界の要人と会っている」などと返されたところで、失笑を買うばかりです。
批判でも何でもなく、創価学会の社会的にどんな功利面を持っているのか、わたしにはまったく思いつきません。この点について、「ある」というのであれば、是非とも提示していただきたいと思います。しかし、「学会のすばらしさ、先生のすばらしさがわからないお前がだめな人間だ」また、かつて「池田先生のすばらしさがわからないお前はバカだ」などという投稿もあったと記憶しますが、このように軽蔑される謂われはありません。そのような他者蔑視によって、恰も学会が、なにか日本社会、あるいは世界的に素晴らしい平和活動、あるいは広宣流布果たしていると錯覚させる心理操作がここにあります。この点は看過できない点です。
実際にわたしが経験した創価学会では「創価学会は世界平和に貢献している。世界広布をなす唯一の団体である」と言われていましたが、詳細にその証拠を求めようとすると“お題目ばかり”でまったく実態に行き当たりません。その点に疑問を示せば返ってくることはお定まりです。「学会と先生を疑うお前は信心がない」。この信心がないというレッテルは、いわば信仰者にとっての死刑宣告、あるいは罪人扱いに等しいものですから、このように言われるような質問は自分の心のなかでもみ消すことが信心の一貫に含まれていくことになります。
しかし、何ら証拠性もなく、単に自分たちは絶対だ、自分は勝れている、信じないのはだめだ、境涯が低い、理解力がないなどと他者侮蔑の限りを尽くす人間を作り上げるその組織集団が、果たして、真に平和に貢献するものであるといえるのか、わたしは甚だ疑問を抱くわけです。
多くの学会員に見られるこの思い込みは、もちろん組織による心理操作に違いありません。まったく日蓮その人の思想を恣意的に勝手解釈した挙げ句、会と指導者崇拝の道具として使うことによって可能になっています。故にこの問題の根の深さを再認識せざるを得ないところとなります。
わたしは過去50年の創価学会の功罪を以下の文ほど、端的に表しているものを他に知りません。何度も引用してきましたが、もう一度、再掲します。
「既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう。
しかしながら、私にはこの新興宗教がたちまちに金集めの組識に変化することに深い憂慮をおぼえるのである。新興宗教がある程度大きくなると、必ずその教祖を絶対者として、神あるいは仏の再来としてあがむ。そして教祖をピラミッドの頂点とする教団を拡張することが最大の善と考え、そのために猛烈な金集めが行われる。そのことが私は、大きな疑問なのである」(『宗教の自殺』−PHP研究所−梅原猛・山折哲雄 P210)
たしかに会員各人が感じる個人的なリアリティはその組織と指導者によって与えられたのは事実であり、功利面として数え上げてよいことであると思います。しかし、それが高じるとき、ついには指導者の絶対崇拝が始まり、その熱烈さは、会の資金集めと勧誘のために転用されていく構造の、学会はその典型に見えます。そして、そのような転向は、まさにこの本の題名が示すとおり、その宗教の自殺行為であり、そこで、信者たちは善意に基づくはずの体験が他者蔑視、憎悪として、恐怖心に支えられて刷り込まれることによって、いつしか、その一人ひとりの信仰心もまた自殺させられてしまう憂慮すべき構造があることを見逃してはならないとわたしは思います。人を救うべき佛教の名の元に、人を見下し、侮蔑することしかできない心理状態へ転落することは、まさに信仰者としての自殺行為であるとわたしには思えるわけです。
265
:
愚鈍凡夫
:2003/10/20(月) 12:48
>>254
:沖浦克治さん、
>『、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、』
> ご本仏自らが法華経を引用し、このように仰せです。
この文証の何処に『法華経』からの引用がありますか?
ひょっとして、これも沖浦克治さん流の「実践の教学」と称する、切り文・勝手解釈の産物ですか?
公の場で、あなたしか分からないことを言ってはダメですよ。それと、出典名ぐらいはちゃんと書きましょうね。『法華経』の一節が出てくるのはあなたが引用した文証の少し前です。但し、引用されているのは『法華経』だけではないですが。
「金光明経に云く「一切世間の所有る善論は皆此の経に因る」と、法華経に云く「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と普賢経に云く「正法をもつて国を治め人民を邪枉せず是れを第三懺悔を修すと名く」と、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、」(「災難対治抄」 学会版P84)
沖浦克治さん、
中途半端にも満たない知識をひけらかし、人を罵倒して何になるのですか?
いかにすれば自分の増上慢を正し、今後の世界広布に連動するかを何故考えないのですか?
所詮は民衆救済から遊離した『天の邪鬼』的行為であることに気付くべきです。
大きなお世話ですが、同御書にあなたにぴったりのこんな一節もありますよ。
「信心薄く口に誦すれども其の義を知らず一向名利の為に之を誦す」(「災難対治抄」 学会版P84)
あっ、そうそう。戦時中、戸田さんが「八紘一宇」を評価していた事実をご存知ですか。
昭和17年5月17日、第4回総会で戸田理事長(当時)が、次のような「生活改善同盟の歌(幹部会員四海民蔵作詩)」を披露しています。
「男だ 日本人だ 日蓮正宗の信者だ 栄光ある生活改善同盟の戦士だ 大君のかがやく御稜威 八紘一宇肇国の御理想 今 全く地球を包む」
あっそうか、戸田さんの指導でも都合の悪い指導は受け入れなかったんですね。
266
:
アネモネ
:2003/10/20(月) 13:05
沖浦克治さん
はじめまして。
ここのところ仕事が立て込んでおりまして、ゆっくりと投稿する時間がとれず、ロム専が続いておりました。
私はこのスレッドの提案者でもありますので、多忙を理由にご遠慮しては無責任ということになりますので、ここは呼びかけに応じまして、投稿させて頂きます。
沖浦克治さんは、どの程度、私のレスを読まれたのかわかりませんが、とりあず、ざっと自己紹介をしておきます。
私は、法華講に8年ほど前に入信した経緯があります。ただし現在は退転状態でして、日蓮仏法への絶対的信仰そのものから距離を置いております。
創価学会には直接的な縁がありませんでしたので、学会のことも戸田さんのことも池田さんのこともよくわかりません。中途半端な聞きかじり程度の理解です。
ですから、私個人の人生においては、そんなに大きな影響を受けた存在ではありませんので、戸田さんが世界一のお方だと言われましても、ピンとこないですし、熱い思いを語られても、正直なところ何の感動も私には伝わりません。申し訳ないですが、沖浦克治さんの思いに対して、共感や共鳴はとてもできないところです。
世界一の実力といえども、同じ日本人でありながら、平成の今を生きる私のところにまで及ぶほどのものではないようですね。
そのようなことですから、創価学会の沖浦克治さんからすれば、私は法謗の人ということになるでしょうし、恐らく最も「境涯」の低い部類の駄目な人間といえることと思われます。沖浦克治さんと仮に対話を試みたところで、非常に感覚的な温度差をお互いに感じるだけだろうと思われます。まあ、ここにレスされている方々の中でも、とりわけ一番私とは話が噛み合わないのではないでしょうか。
絶対的な価値観の強要に対しては、私は安易に受け入れられるものではありませんので、恐らくお互いの温度差は埋められるものではないといえるでしょう。
そのようなことを沖浦克治さんにはまず申し上げておきたいと思います。
しかしながら、私に何がご意見があるのであれば、もちろん承ります。過去レスへのご意見ご質問は、どうぞご自由にお書きください。
267
:
アネモネ
:2003/10/20(月) 13:06
(つづき)
とりあえずこのスレッドは、創価学会の「功」と「罪」を考える場ですから、いろんな角度や視点からの考えや分析が投稿されることをねらいとして、スレッドを提案させて頂きました。
ここは創価学会員だけの掲示板ではありません。
ですから、創価学会における絶対的なお約束や価値観を、どんなに力んで力説されてもここでは何の効力も発揮しません。
それを駄目だというならば、ここでの対話は無理でしょう。
また自分のことを理解してもらいたいと思うならば、理解されるように言葉を尽くしてレスを試みる努力をするべきではないでしょうか。持論が理解されないことを、相手の理解力のなさとして責任をなすりつけるのは、宗教者としても、とても不誠実な態度に感じます。またむしろ沖浦克治さんのレスは、説明不足ということのほうが大きいのではないでしょうか。
相手に心も砕くことなく、また言葉も尽くさずして、持論の信念をただただ当然の価値観と押し付けようとするばかりの姿勢は、無理をゴリ押ししているだけのものです。無理を通せば道理が引っ込むで、その結果、暴言が突いて出る。失礼ながら、沖浦克治さんの現在の投稿内容は、そのようなところではないでしょうか。まるで喧嘩を売りにきたようなものですね。
喧嘩なら喧嘩で、なじり合いを続ければいいわけですが、それでは世間一般に対して、この仏法を信じた結果は修羅の境涯であるという皮肉な結果を示すだけではないでしょうか。
加えて私の感想ですが、「駄目な人」などと、相手にレッテルを貼ってみたところで、それはかえってご自身の人間性を落としているように、私には見えてしまいます。
境涯を高めるその先の姿とは、そのような人間性となることを目的としたものであるならば、私は「境涯」も「境界」も決して高くはなりたくないものだとつくづく思いました。できるだけ低くありたいです。
そのような私の思いからいっても、法華講を退転したことは正しい選択であったと思います。またもっと言えば、創価学会に縁がなくてよかったとさえ思います
沖浦克治さんお一人の限られた投稿内容だけでもって、創価学会員全体の人間性を決め付け断定するものではありませんが、しかし創価学会の功罪の、その社会的な観点からみた「罪」の一端を認めざるを得ないという感想を持ちました。
268
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 18:22
209において、沖浦克治さんは
> 蓮祖は化法の広宣流布をなされ、化義の広宣流布は後世の我々にご遺命としてお残しになられた
と、このように記しています。
しかし、蓮師真跡、真偽未決書、あるいは重須文献、富要その他を一瞥しても、ここでいう「化法の広宣流布・化義の広宣流布」という教義・成句を見出すことはできません。
けれど、思い返せば、たしかに同会ではこのようなことを言っていたと思い当たる節があります。いまネットで検索したところ、池田さんは会長就任の時、以下のような挨拶がありました。
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらさせていただきます!」
(
http://www.sokagakkai.or.jp/member/n_member/05/05.html
)
これは創価学会の公式のサイトのようで、ここでは「化儀の広宣流布」となっています。すなわち、沖浦さんが「化義の広宣流布」とするのは、学会用語としても、間違いであることがわかります。まあ、打ち間違いはあるでしょう。
以上のことから投稿者である沖浦さんにわたしは 233にその意味を問いました。それに対して、237において、
> 『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書から引用してください。
との回答が寄せられました。しかし如何なる日蓮遺文集に(当たり前ですが)同名の御書を見つけることはできませんでした。そこで、重ねて247に再度、その意味を問いました。しかし、結局のところ、この点についても回答はなされないばかりか悪口雑言の限りを尽くすばかりでした。
これ以上、ご当人に問うたところで、「戸田先生は世界一」と同様、回答は期待できないのですが、今一度、問います。
(1) 化法・化儀の広宣流布とは何でしょうか。
(2) 『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書とは何でしょうか。
269
:
MILD SEVEN
:2003/10/20(月) 20:14
<創価学会の危険性について>
私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。
創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?
平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。
カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
270
:
MILD SEVEN
:2003/10/20(月) 20:19
<創価学会の危険性について>
私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。
創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?
平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。
カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
271
:
沖浦克治
:2003/10/20(月) 22:02
アネモネさん
始めまして、感謝いたします。
簡単に自己紹介を致します。
1945年生まれの58歳、創価学会の壮年部員です。
役職はありません。
創価学会に入会して、今年で41年になりました。
昭和54年ぐらいから、日蓮正宗は邪宗であると思っております。
創価学会の活動は、座談会にのみ出来る限りは参加いたします。
選挙運動は全くいたしませんが、基本的には公明党に投票します。
他にいい人がいれば、そちらに投票する事もあります。
創価学会員であることが、自分の最大の誇りです。
>戸田さんが世界一のお方だと言われましても、ピンとこないですし、熱い思いを語られても、正直なところ何の感動も私には伝わりません。
別に熱い思いではありません。
私が事実として認識している事を、淡々と述べているにすぎません。
伝わる伝わらないは私の問題ではなく、あなたの問題だと思います。
私はどの掲示板でも、創価学会の蓮祖直結なる事を主張いたしますが、ご理解いただけなければそれで結構なのです。
理解していただける人が100人に一人ならば、100箇所で述べるだけです。
>創価学会の沖浦克治さんからすれば、私は法謗の人ということになるでしょうし、恐らく最も「境涯」の低い部類の駄目な人間といえることと思われます。沖浦克治さんと仮に対話を試みたところで、非常に感覚的な温度差をお互いに感じるだけだろうと思われます。
そんな事は思いません。
人間の値打ちは、信じている宗教とは関係がありません。
>創価学会における絶対的なお約束や価値観を、どんなに力んで力説されてもここでは何の効力も発揮しません。
そんな事はありませんよ。
書き込む人の何倍もの人達が見ているでしょう。
その人達のお一人でも理解していただければ、それでいいのです。
>また自分のことを理解してもらいたいと思うならば、理解されるように言葉を尽くしてレスを試みる努力をするべきではないでしょうか。持論が理解されないことを、相手の理解力のなさとして責任をなすりつけるのは、宗教者としても、とても不誠実な態度に感じます。
相手次第です。
『まあ、戸田さんの話が面白く人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。』( 犀角独歩 さんの書き込みより)
この人は最初から対話をする姿勢ではありません。
理解などしていただかなくて結構です。
>加えて私の感想ですが、「駄目な人」などと、相手にレッテルを貼ってみたところで、それはかえってご自身の人間性を落としているように、私には見えてしまいます。
私は多くの法華講の方々のご意見を聞いてまいりました。
不思議に思うのは、蓮祖の法の正義なることを、自らが社会に一流の結果を示す事により証明すべきだ、とのご意見が見られない事です。
宗教は現実の社会に人間と言う媒体の具体的な行動となって顕れなければ、何の意味ももたないと思います。
何百年も以前の誰が、どう言った、こう言ったなどに何の根値打ちがあるのでしょうか?
失礼ながら、私の知っている法華講の論者達は、全てそう言うことしか言いません。
最も大切な事は過去の羅列ではなく、今後蓮祖の法を如何ににして世界に広め、人類に幸福をもたらすべきかです。
この論点に欠ける意見には、何の値打ちも無いと思います。
私は初めてアネモネさんの書き込みを読んだときに、この人とはこのような対話が出来るのでは、と感じたのです。
それで今回あなたが立ち上げたスレッドにやってきました。
272
:
沖浦克治
:2003/10/20(月) 22:06
愚鈍凡夫 さん
貴殿に対して失礼な表現があったことを、お詫びいたします。
273
:
沖浦克治
:2003/10/20(月) 22:45
犀角独歩さん
失礼致しました。
最初にこの掲示板で、御書に書いていない事は一切認めない、とのご意見をお持ちの人と出会いました。
あなたをおなじご人かと思ってしまいました。
ご迷惑をお掛けいたしました。
化法の広宣流布とは、お題目を広める事です。
化義の広宣流布とは、本尊流布を指します。
化義という言葉は蓮祖の御書にはありません。
化法はありますが化法の広宣流布との表現もありません。
然しながら言葉が無くても、実態をよく表現していれば使用してもよいと思います。
唯授一人も、嫡々一人も御書にはありません。
戒壇の大ご本尊もありません。
一閻浮提総与もありません。
だから使用するな、とのご意見には賛同できません。
こんな意見を平気で唱える人は、太陰暦を使い、紀元や元号で年代を数え、鎌倉時代の言葉を喋っているのでしょうね。
私にはそんなユニークな生活は送れそうもありませんから、お付き合いはしたくありません。
あなたを、そのような人と間違えた失礼をお許しくださいませ。
274
:
アネモネ
:2003/10/21(火) 01:10
沖浦克治さん
ご返信、ありがとうございます。
どうかこの掲示板では、他者の意見や考えの相違というものをできるだけ認め尊重し、そして持論を展開していくスタンスを意識されてみられてください。
持論の展開の投稿はまったくの自由です。自由であるということは、同時に他者の言論の自由も認められなければならないものですから、意見が違えば、批判や反論もあるものです。
しかし、そうしたの批判や反論の自由も許容する姿勢を少しでも心掛けて下さるならば、この掲示板は沖浦克治さんにとっても、とても有意義な場所となるのではないでしょうか。
私も、お付き合いさせて頂きます。
>最も大切な事は過去の羅列ではなく、今後蓮祖の法を如何ににして世界に広め、人類に幸福をもたらすべきかです。
だいたいの意図されるところのお気持ちは、なんとなくわかるような気がいたします。わかりますが、ただ、ここの掲示板では過去の議論を通しまして、いわゆる連祖の法とは何であったのかという、その根本的な疑問の解明から取り組んできております。そのような経緯の中で、御書の真偽問題は重要であるという認識は大変重要なことであり、そうなると、戸田さんが当然のこととして主張されてきたことも、どこまで正しい日蓮仏法といえるのかといったことも当然のこととして問題になってきますね。
もしも沖浦さんにお時間が許されるならば、過去ログをご参照ください。
中でも、 「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について」「大石寺の歴史について」「続大石寺の歴史について」「大石寺問題提起」「続 大石寺問題提起」などから読まれると、この掲示板の流れがつかめるのではないでしょうか。
お読みになられるとおわかりになると思いますが、そこを問題にすることは、決して日蓮原理主義というスタンスのものではないと思います。むしろ、現代に生かす為にも、とりあえずは祖意を解明し、その上で日蓮の精神を学んで現代に生かすものではないでしょうか。
まあともかくとして私は、牧口さん、戸田さん、池田さんといった、創価学会の草創期を築いた方々に全く興味がないわけではありません。
戸田さんに関して、私の非常に中途半端な聞きかじり理解でのレスをお許し頂きたいと思います。
戸田さんは、戦時中に戦時中の挙国一致体制のもと、特高警察によって逮捕されたということですが、その逮捕理由は、治安維持法違反並びに不敬罪とのこと。確か、国から配布される神道のお札の受け取りを拒絶したというのが、その根拠ではなかったでしょうか。
一言で言い替えれば、「非国民」のレッテル貼られたわけですね。
ところで、沖浦克治さんのレスによると、
>故に、信教の自由が保証された民主主義の世の中が日本に出現するまでは、化義の広布の時は来なかったのです。
とのことですから、つまり信教の自由が保証されたことによって、自分の好きなように信仰の意思決定を自分で選ぶ権利が与えられたわけですね。その延長上に、布教の自由も認められて、戦後から今日に至る創価学会の「広布の時」を迎えることが出来たといえることなのでしょう。
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