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創価学会の功罪を考える

177愚鈍凡夫:2003/09/26(金) 23:15

創価学会教学に想う(1)

創価学会教学の原点は、第2代会長戸田城聖氏が獄中で悟達したとされる無量義経徳行品の12行の偈の解釈による「生命論」に始まる。
宇宙そのものが壮大な生命で、自身の生命と宇宙生命とが共鳴しあう(感応する、境智冥合する)ことで、絶対的幸福境涯が築けるとするのである。そして、宇宙の生命も、自身の生命も、同じ南無妙法蓮華経の当体としている。
しかし、言っていることは「梵我一如」と何ら変わらないように思う。
この生命論を、創価学会の教義を踏まえて日常的に展開してみると、
生活上の全ての行動は、宇宙生命と感応して現証として現れる。だから、「こうなったらいいな」ではなくて、「絶対こうなるんだ」と決めて勤行・唱題すれば、宿命転換され、自分の望む境涯になる。要するに「希望」するのではなく、「決意」するのである。要は、御本尊に祈りきることが大切だ。
それと同時に、広布の実践が重要である(創価学会では『勧誘活動』、『機関紙啓蒙』、『広布基金』、『投票依頼』を指す)。それによって、大宇宙の生命(南無妙法蓮華経)と境智冥合し、絶対的幸福境涯を獲得することが出来るのである。
とまあ、こんな感じだ。
そして、創価学会の発展こそが正義で、全てに優先されると教え込まれるのである。
ここまで来たら立派なカルト宗教であるが、学会員は何の疑問も持たずに受け入れる。

創価学会の教義では釈迦牟尼の法華経では末法の民衆を救済できないとする。
「釈尊の仏法の域をはるかに超えて、その"宇宙即我"なる生命が、生命の実相」
というわけである。
ここにいう"宇宙即我"とは"梵我一如"そのものではないか。"宇宙即我"と感得することは、バラモン教修行者の最終目的であり、そのために様々な苦行を行うのだ。
このことは、
「身を苦しめ行を作さすとも法華経涅槃に至らずんば一分の利益無く有因無果の外道なり」(「守護国家論」学会版 P47)
と破折されている。
勿論、創価学会が難行道を説いているわけではないし、ベーダ聖典を教典とするわけでもない。しかし、その教義を支える宇宙生命論は同じではないのか。宇宙生命(梵天)と己心の不変の実体(我)の関係を説くのは仏法ではない。それは、バラモン教である。

「生命とは宇宙とともに、存在し宇宙より先でもなければ、あとから偶発的に、あるいはなにびとかによってつくられて生じたものでもない。」
この一節は、戸田氏が「生命」について述べたものだが、明らかに大正生命主義の影響が見られる。
大正生命主義とは、
「鈴木貞美氏が提唱して定着しつつある大正生命主義という用語は、「要するに(従来言われていた)大正教養主義は、広く哲学や芸術を吸収した文化的人格を形成するという思想傾向にとどまるものではなく、その底に普遍的な生命の発現こそが文化創造の原基であるという思想をもっていた」ので、大正期の思想界では「生命」の語がスーパーコンセプトの役割を演じた、ということから名づけられています。」(「宗教と科学について ニューエイジ批判を通しての一考察」 渋沢光紀)
とのことである。更に、
「西洋神秘主義の宇宙即生命と見る生命主義的一元的世界観を受け入れる受け皿として、沙婆即寂光、生死即涅槃、久遠即今とする本覚思想の絶対一元論があったことは間違いないでしょう。こうした日本的融通無碍ともいうべき本覚思想の土壌の上に、欧米の神秘主義、実証主義科学、実験心理学、生物主義哲学などの翻訳文化が、習合・混在して大正生命主義とよべるような思想的様相を呈した、と考えられます。」(同上)

青年期を大正時代に過ごした戸田氏である。大正生命主義のような思想は、当然知っていただろう。獄中で悟達したとする「生命論」に、知らぬまに大きな影響を与えていたのかもしれない。この西洋神秘主義と、科学と、密教がごちゃ混ぜになった大正生命主義思想は、当然の如く創価学会の教義にも大きな影響を与えているのだろう。

「宗教と科学について ニューエイジ批判を通しての一考察」 渋沢光紀
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm


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