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創価学会の功罪を考える
191
:
ガンコ
:2003/10/01(水) 09:36
梵我一如は問題外であると。
まあ、そんなにこだわっているわけではないのです。仏法というのは欲張りなものだから、あらゆる思想のエッセンスが入っているのではないか・・・という意味で、梵我一如みたいなことも説かれているような気がするのです。もちろん梵我一如そのものではないでしょうけど。
どんどん話がずれていきますが、ちょっと教えてください。
「釈尊御領観」ということも、一年前にはじめて知ったくらいの初心者でして、じつにお恥ずかしいかぎりですが、一年間、いろいろ考えてきて、いまだによくわからないでいます。
善無畏三蔵抄に、
「外道仏を難じて云はく、汝は成劫の末、住劫の始めの愚人なり。我等が本師は先代の智者、二天三仙是なり、なんど申せしかども、終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。」
とあります。
そして、愚鈍さんお示しのごとく、開目抄には、
「仏三十成道の御時は、大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき。」
とあり、法華取要抄には、
「釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す。爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来・・・」
とありますが、
では、いったい、どうやって、「奪ひ取り給」うたのか? 「一指を挙げて之を降伏」とは具体的にどうやって降伏し給うたのか?
この辺の御説明を大聖人は遊ばしていないように思うのですが、たぶんじぶんはまだ御書が読みきれていないだけなのだと思います。
おそらく、愚鈍さんならご存知でしょうから、ぜひ、教えてください。
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