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創価学会の功罪を考える

178愚鈍凡夫:2003/09/26(金) 23:25

創価学会教学に想う(2)

宇宙を信仰の対境とする考え方は、イスラム教、ユダヤ教・キリスト教の考え方でもある。
天地創造主とは、すなわち宇宙のことである。宇宙それ自体を神(日本でいう人間臭い「神」とは根本的に違う。「天主」と訳す方が真意に近い)とする。
視点は違うが、宇宙生命論を売り物にした宗教にオウム真理教(現:アレフ)がある。教祖の麻原彰晃は、宗教を科学だといい、釈迦牟尼を偉大な科学者だといっていた。
オウムに代表されるカルト宗教は、特徴として宗教と科学の結びつきを強調する傾向がある。神秘主義で、現世利益を売り物にするカルトにとって、信仰に現実感を与えるため、ことさら科学との結びつきを強調する必要性があるのだろう。
そもそも自然界の真理を追究する科学と、人間の幸福を追求する宗教。全く別物である。
何故なら、宗教の教理は法則や計算式で証明されるものではないからである。
人それぞれの境遇によって現証の出方も様々であって、誰人に対しても一律の結果が出るわけではない。特に在家信仰者に於いては価値観によって幸福観も異なるし、取り巻く環境もそれぞれ違う。更に、日常の信仰体験についても、捉え方に個人差がある。つまり、不特定要素だらけなのである。
戸田氏の「仏とは生命なり」といった間違った解釈が、その後の創価学会の教義を歪めていったのであろう。
仏とは生命ではなく、一切衆生を成仏に導く救世主である。そして、その仏の説く法が仏法なのだ。仏性が凡夫の己心に存在するということは、成仏の可能性があると言うことに他ならない。
「一切衆生のみならず十界の依正の二法非情の草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」(「小乗大乗分別抄」学会版 P522)
とあるが如くである。
所詮、時機相応の仏道修行によって成仏するのだ。仏性があるからといって最初から成仏しているのではない。まして、宇宙の生命と冥合するのでもないのだ。
仏法は己心を問題にしているのであって、宇宙を問題にしているのではない。宇宙生命論と言ったところで、現実世界から遊離した観念論でしかない。悟ったところで何の役にも立たないのだ。そんなものは仏法ではない。
仏法は釈迦牟尼一人の成仏から始まって、やがて一切衆生の成仏の問題となっていったのである。
「我本誓願を立てて一切の衆をして我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き」(「妙法蓮華經方便品第二」)
これが仏の願いである。そして、誓いでもあるのだ。
エゴを超越し得ない教団が、いくら成仏を説いても無益である。


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