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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
2813
:
Ken
:2010/05/14(金) 13:49:30
>>2812
そりゃまあ、死刑囚に対してどういう期待を抱くかはそれこそQさん個人の勝手ですけど...。ただ、死刑というのは社会の制度なわけで、それを論じる際に個人的な願望を表明することに私はあまり意義を感じられませんが。
>>2811
死刑の存在意義に異を唱えるのであれば、無期懲役の存在意義に異を唱える事も出来得るのではないでしょうか。その様にして応報的概念を否定していけば結果的に刑罰の意義は希薄になって行くのではないかと思います。
全然希薄にはならんですねー。lたとえば、日本の死刑に反対する理由に絞首刑という手段は不必要な苦痛を与えるから反対、というのがあるのですが、こんなの無期懲役には全然当てはまらないです。だから、死刑に異を唱えることは即、無期懲役に異を唱えることにはならんですよ。死刑廃止論者は無期懲役を含む刑罰一般に意義がないと考えているというのはかなり無理筋のふっかけですねー。
というか私、死刑を否定しているだけで、応報的概念は別に否定なんかしてないですよ。死刑の存廃と刑罰が応報的であるかどうかは関係がない、と言っているだけで。基本的に罰は罪と釣り合わせるように決めるべき、というのは誰もが同意したとしても、その釣り合いをどこに求めるのか、というのは簡単には決められないというお話。だから、「罪の重さに応じて如何なる罰を与えるのかを定める為に審理を重ねる」というのは全くその通りですね。
>>死刑存廃の議論とは、単に応報を否定する事ではなく、如何なる理由を以て何処に刑罰としての上限を定めるのかという議論であるべきだと考えます。
死刑の存廃と刑罰が応報的であるかどうかとは本質的には無関係だ、という私の主張には同意してもらったってことでいいですか?刑罰の上限は何であるべきかを議論するのは私もやぶさかではないですねー。
>>其の上で、何故無期懲役を上限としなければならないのか...
これ以降は常識的なことしか書いてないですね。已む無しさんと違ってQさんは拍子抜けするくらい常識的な方ですねー。
私としては上限としては無期懲役よりもうちょっと重くてもありかなと。仮釈放なしの無期懲役でどうでしょうか。無期懲役が上限であるべきなのは積極的な理由からではなくで消去法ですね。現行の死刑制度は残虐・野蛮すぎて刑罰として現代日本社会が許容できないから。
2814
:
Q
:2010/05/14(金) 18:10:29
>>2813
>そりゃまあ、死刑囚に対してどういう期待を抱くかはそれこそQさん個人の勝手ですけど...。
社会の制度を論じるに際し、
Kenさんの個人的感覚によって他者を異常であると断ずる事には如何程の意義があるのでしょうか。
>全然希薄にはならんですねー。
無期懲役には全然当てはまらないと言う残虐性とは、Kenさんが個人的に感じる事です。
>「刑罰は応報的であるべき」って要するに罪の重さに応じて罰を与えるべき、というだけであって、どの罪にどの罰が見合っているかを一意に決めることはできないですよね。(
>>2808
)
これもKenさんの意見なのですが、何故応報的残虐性に限っては一意であるとする事が当然となっているのでしょうか。
無期懲役刑に対し、長期監禁という手段は不必要な苦痛を与えるから反対と言う者が居た場合、
それ以外の説明が無い場合に於いても納得し認めるのでしょうか。
>というか私、死刑を否定しているだけで、応報的概念は別に否定なんかしてないですよ。
死刑と言う応報的概念のみを否定し、無期懲役で良いと仰っている筈です。
故に死刑の存在理由に対し疑問を投げかけて居られたのではないでしょうか。
私はその発言の整合性について、納得がいかない部分があった為に意見させて頂いています。
2815
:
ufloat
:2010/05/14(金) 19:38:44
皆様方のおっしゃる通り、ここまでかみ合った議論は久々な気がしますねえ。
さて、刑罰の残虐性に対する感覚はともかくとして、応報刑の上限が絞首刑である
必然性はない、というのはKenさんがおっしゃる通りですね。
事実、欧州の一部のように有期懲役が上限である場合もあれば、中東や
近代以前の各国には「単なる死刑」以上の刑罰も存在する(した)わけですから。
その上でお伺いしたいのですが、Qさんはなぜ「死刑(絞首刑)」を応報刑の最上位に
位置づける必要があるとお考えでしょうか。
>>2811
を読む限り、Qさんは「社会・世論が定めるべき」とおっしゃっているように
見受けられましたが、すなわち
「社会が死刑を肯定するならば、応報刑として死刑は肯定されるべきである」
「もし社会が死刑を否定したなら、死刑は否定されるべきである」
というお考えでしょうか。
そうであるなら、Qさんのご主張はかなり理解できそうな感じです。
2816
:
已む無し
:2010/05/14(金) 21:45:17
>>2804
私が常々申し上げている、相手の悪意や善意を見極めるということは
本音と建前を見極めると言い換えることも出来ます
建前で何通りの意見を述べたとしても、本音が一つであればその人の意見は一つです
その人と真剣に向き合って話をしたい場合、建前の意見に対して何を言い合っても暖簾に腕押しですし
それこそ時間の無駄です
一つの言葉から何通りもの解釈や判断が生まれることがある・・・・全くその通りだと思います
ですが、その解釈の仕方そのものが、その人の目的や思想を判断する基準になる『場合もある』と思います
もちろん、意図的に曲解をしてくる人の真意は量りづらいですがね
それでも、長く向き合っていれば、目的は少しずつでもみえてくるのではないかと思っています
私が人のレスを流し読むと言いますが、私は総ての文に一通りは目を通しますよ
その上で
何が書いてあるのか 「だけ」ではなく
この人の云わんとしていることは何なのか、それを伝えることによってどうしたいのか
に重点を置いています
細かいところを気にして欲しい貴方には申し訳ないですがねw
私は、本や論文を読むときは、これが基本だと思っています
理由はどうあれ、貴方は意図的に曲解をした旨、意思表示をされましたよね
もちろん、あなたと真に分かりあう為には、貴方の言うように頑張って議論すべきなのでしょうが
私は本音で真っ直ぐ議論をぶつけ合いたい性質なので、そういうのは性に合わないし
そこまでの労力を割く気にはなりません
申し訳ありませんが
2817
:
已む無し
:2010/05/14(金) 22:11:51
>>2806
はぁ〜・・・・Kenさんってやっぱり論理的だったんですね・・・・・
いや、ずーっと過去のレスではそういう文章もかなり見受けられましたけどね
私がここに書き込みを始めてからは割と、煽りというか、ふざけたような意見が多かったと感じてましたので
(私がまともに相手にされてなかっただけかな?)
うん・・・・私の案に対するKenさんの意見はなるほど納得がいきますね
ですがこれはデータ実験の意味だけではなく、そのまま死刑反対運動へ直結するという意味も大きいのです
その実験結果によって、カード所持者が被害にあうケースが少ないならば
カード所持者の増加に繋がるだろうし、そのまま死刑廃止にも向かうのではとも考えます
これは特に廃止派の人間にとっては大事なのではと考えます
というよりも、ここが一番大事だと思っていただけるかと思いましたが、カード所持によるリスクの方に話がいったのは私としては意外でした
あとですね
「その上で」
というのは、ただ矛盾点だけを挙げて揚げ足取りだけのレスはしたくなかったという、ただの自己満足ですw
たとえ矛盾していなかったとしても、リスクとして大きく取り上げるほどのことでも無いと前置きして 「その上で」 矛盾点を指摘したわけです
「その上で」更に付け加えるなら
矛盾点というのは
自暴自棄になってる人間は慎重な判断はできないという前置きに対し
子供は意思表示をしていない確率が高い、或いはそもそも判断能力の観点から云々・・・・かなりの判断を必要としてるのでは?ということです
2818
:
已む無し
:2010/05/14(金) 22:17:29
ああ・・・・タクマは犯行時、自暴自棄になっていたとは思っていませんよ
自暴自棄になった時期もあろうかとは思いますがね
2819
:
loveless
:2010/05/14(金) 23:30:33
>>2806
いやあ、やっぱり矛盾していると思いますよw
(「通り魔」という言葉を使うならばね)
だって、前提が、そもそも「死刑になりたいから大量殺人を起こす」ですから、行為に明確な目的と意思があり、
かつターゲットとして「多くの子供」を狙うわけですから、、逆に計画殺人と認定されてもおかしくないです。
矛盾なく書くとすれば、「死刑になるために殺人を企図する者」ということになりますが、そんな奇異な人って。。
2820
:
無精髭
:2010/05/15(土) 00:04:50
>2810
ご回答ありがとうございます。
言葉が足りなかったですね。私としては、Qさんのこれまでのご意見に従うと、
通常はあまり問題視されないと思われます、司法の判断と国民の判断との違いや
関係についてもしかしたら新たな見解が出てくるのではないかと感じられたので、
先のようにご意見を仰いだ次第です。
刑罰を科す側のものにせよ、個々人のものにせよ、「期待」というものが、
新たな法の制定、刑罰の導入や廃止、量刑判断などに与える影響と言うものが
あるのならば、それを知りたかったわけです。でも今思えば、Qさん個人に向けて
お聞きすることではなかったかも知れませんし、しかも現在行われている議論で
お聞きするには、聞くだけ野暮な感じがするというか、あまりに常識的過ぎる
内容という気がします。
2821
:
無精髭
:2010/05/15(土) 00:06:15
>2816
レスありがとうございます。已む無しさんのスタンスについてまた少し理解が増したと思います。
前にも書いたと思いますが、私は、発言上に表れない本音なり真意なりを探るようなことはせずに、
あくまで発言内容そのものから意味を読み取ることにこだわっております。つまり、語の意味や文意・
文脈に、ですね。私も他の皆さんと同様、ある人の思想を、その人の人間性から切り離して評価する
ようにしているため、発言者よりも発言そのものに注目するのです。ただ、それが本音よりも建前に
こだわるということに直結するとは私には思えないですが。まぁ、この点に関しては、本音と建前を
どう区別したらいいのか、そもそも言語表現だけを対象にしてそれらを区別することは可能か、という
問題に絡めつつ長考していこうかと思っております。
ちなみに私、「故意(意図的)に曲解した」とはカミングアウトしたことはありませんよ。私が言い
たかったのは、已む無しさんの書き込みを読んでレスする上で、これが正確な読解かどうか分からない
けれども書いてみよう、誤読覚悟で書いてみよう、もし誤読だったら相手から批判されるかも知れない
けれど書かないことには何も始まらないから書いてみよう、といった事情が自分にはあったということです。
まぁ、一種の弁解です。ただ、同時に已む無しさんのあいまいな、もしくは簡潔すぎる書き方についても
チクリと批判したつもりですよ(笑)。
要するに、いくつもの解釈のうちから、これはと思える解釈を選んで、相手からの批判覚悟で書き込んだ
わけです。その選択基準において重要なのは、議論を成立させるための要素の多さですね(以前書いた
「突っ込みどころ」というのもそう)。
そもそも、故意に曲解するには已む無しさんの本音なり真意なりを知った上で必要があるんですよ。
已む無しさんの本音なり真意なりがちゃんと分かっているのであれば、さすがの私もそれを捻じ曲げてまで
反論を寄こしたりなんて真似はしないですよ。無精髭は曲解することが多いなと感じられたとすれば、
それは私が相手の真意をまったく知らずに(あるいは知ろうとせずに)その発言から察せられるものを
読み取っているからだと思っていただいて結構です。
白状しますと、私、死刑存廃問題において已む無しさんほど強烈な本音を以って議論に望んでいないんで(苦笑)。
私の本音と言えば、こちらの掲示板の死刑廃止派の方々の意見は私にとって大いに参考になるし、
期待もかけていると前に書いたとおりです。あと、已む無しさんは眉をひそめるかもしれませんが、
議論を楽しむというのが私のモットーですので、本音を掴みづらいというか、私のスタンスに共感できない
という人がいても不思議ではないですね。已む無しさん的には私のことをできるだけ相手にしないほうが吉だと
いうのは頷けます。
>2817
Kenさんは仕事柄、論理的でなければならない人、同業者と議論をしなければならない人ですからねぇ。
それはともかく、もちろん已む無しさんにはufloatさんの発言が矛盾しているように見えただけではなくて、
Kenさんが仰ったような整合的な解釈もできたんですよね? つまり二通りに読めたかどうかってことですけど。
それができるのとできないのとでは已む無しさんに対する皆さんの評価も自ずと変わってこざるを得ないかと。
2822
:
無精髭
:2010/05/15(土) 00:16:37
すいません。訂正です。
23行目
誤>そもそも、故意に曲解するには已む無しさんの本音なり真意なりを知った上で必要があるんですよ。
正>そもそも、故意に曲解するには已む無しさんの本音なり真意なりを知っていなければならないです。
26行目
誤>それは私が相手の真意をまったく知らずに(あるいは知ろうとせずに)その発言から察せられるものを
正>それは私が相手の真意をまったく知らずに(あるいは知ろうとせずに)その発言の意味内容を
2823
:
已む無し
:2010/05/15(土) 00:43:03
>>2821
ふむ・・・・・それは、無精髭さん的には、『本音』 が存在しないというような意味なのでしょうかね・・・・?
もしそれが本当なのだとしたら、私があなたに感じた違和感も腑に落ちる気がします
しつこいようですが、本当にそれが本音なのだとしたら
論理的思考という意味においては、一番のスタンスなのではと
公平な審判をするという意味においても優れているのではと思います
でもやはり、そういうスタンスにおいて尚、いや、そういう人にこそ、『感覚』 というものをもっと大事にして欲しいとも思います
感覚に囚われるということではなく、論理的な思考を軸として、感覚的なものも完全に捨て去ることはしない
というくらいで結構です
カン頼りではダメなのは勿論だと思います
>つまり二通りに読めたかどうかってことですけど。
そうだとしても大したことではないと、最初に前置きしましたが、それではいけなかったですか?
まぁ評価はどうでもいいです
論理的でないとか、頭が悪いというような評価なら気にしませんw
本音で話しているということだけでも伝えられたとしたならば幸いです
2824
:
已む無し
:2010/05/15(土) 00:46:36
>>2822
書き込んでから訂正に気付いたので遅かったですが
上の訂正については、脳内変換によって、訂正後での解釈をしていましたし
下の訂正については、訂正後でも私の理解は変わらないので問題はありません
むしろ下の場合は、訂正前の方が私の物言いに近いので理解しやすかったですw
2825
:
無精髭
:2010/05/15(土) 02:03:02
多少なりとも、お互い誤解が解けて何よりです(笑)。
私に已む無しさんが仰るような「本音」がないといえばたぶんウソになるでしょうが、
その「本音」というのが実に移ろいやすいというか、他人の影響を受けやすいというか、
そんな感じなので、、、何はともあれ「これが私の本音だ」と自信を持っていえるものは
今のところ私にはないですね。ただ、議論ではそんな弱気ばかりを見せてもどうにもならない
ですし、主張を展開する上では、勢いというか何というか、已む無しさんが仰るような
「建前」を通さなければならないこともありますからねぇ。。。人とコミュニケートするための
建前として本音があるように見せかけるというのはあるかも。
・・・自分でも何言ってんだかよく分かりませんが。
>そうだとしても大したことではないと、最初に前置きしましたが、それではいけなかったですか?
「寛容の原則」などと言われるルールが議論にはあります。
http://blog.goo.ne.jp/goatshead/e/f5fd5f775cf977aee8db1e2311cd1555
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B4%B2%CD%C6%A4%CE%B8%B6%CD%FD
これ、頭では分かっていても、いざ実行するとなると結構難しいんですが。
下手をすると、以下のような詭弁に陥ってしまうことも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
これには私も気をつけたいところです。
ユーさんやシェンさんは仮定法(条件文)を多用しますから、もし何らかの批判をされるのであれば、
できるかぎり前提を踏まえ、その論旨に沿ってあげてください。問題意識の共有ってやつです。
已む無しさんがたびたび行っているみたいに、相手の主張の枠組みの外から批判するということは、
もはや別の文脈からそれを読解しているということでもあるので、結果的に相手との議論がかみ合わなく
なってしまうわけです。已む無しさんの文脈の正否とユーさん・シェンさんの文脈の正否は異なるので、
どちらかが譲らない限り、相互理解はありえないと思います。
相手の主張を批判する(相手の文脈で議論する)場合と、自分の主張を展開・擁護する(自分の文脈で
議論する)場合とで、意識して議論の進め方を変えてみるというのも好いんじゃないでしょうか。
2826
:
紫煙狼
:2010/05/15(土) 02:28:26
「存在の証明」と「不存在の証明」を比較した場合、基本的に先に証明責任が発生するのは
「存在する」と主張する側なんですよね。この大前提を忘れていたように思います。
いわゆるアリバイに関しても、警察が「疑わしい」と考え「存在した」と考えうるに十分な論拠を
証明するからこそ、逆に容疑者は「他のところに存在した」と証明することで「現場には存在しなかった」
ことを背理的に証明するわけです。従って「死刑には犯罪抑止効果がある」と主張する人は、それが
存在することを証明することで初めて、不存在の証明を迫ることが出来るわけです。
いや、そんなに難しい話ではありませんよ。「私は死刑が無くなったら、大量殺人を犯します」と
宣言するか、もしくはそう宣言してくれる証人を副数人紹介してくだされば結構。ただし、現在、
死刑が存在するにもかかわらず、死刑に相当する罪を犯す人がいるということは、少なくとも
死刑による犯罪抑止効果が意味を成さない人が相当数いるという事とも取れますし、実際問題として
「自殺の手段の一つとして死刑を選択した」凶悪犯の事例が海外にあるのは良く知られていますが、
詫間元死刑囚のように、むしろ死刑を望んでいたのではないかと疑わしい事例もある以上、証人は
ある程度のまとまった数いれば、それだけ説得力が増しますよね。
そこで、某氏提唱の件の実験に再度視線を向けてみると、KENさんが言うように
>死刑のあるなしの効果を同一時期に(中略)要因が統制されているわけですね。
と非常に優れた面もあるものの、やはり実施してみたところで他の要因が複雑に絡みすぎて
そこから得られたデータで何かを判断すること自体が難しいかもしれません。
しかし、よく考えてみると、我々人類は既にその一段階前の実験は済ましているのですね。
つまり、地球上には死刑存置国と死刑廃止国が同時に存在しているので、地域云々と余計な
要素は多いものの、まずはそこから何か有用な判断材料を見出すことは可能か?と考えてみるのは
無駄ではないでしょう。つまり
死刑廃止国における日本人凶悪犯罪者は増えたのか?という事ですね。今のところ私の手元には
その情報がありませんので、その結果を私は知りえませんが、もしそのような情報をお持ちの方が
居たとしたら、情報提供をお願いしたいです。
逆に、日本より軽微な罪でも死刑が適用される国もあります。先日も麻薬の密輸出で死刑を執行された
日本人が居ましたね。あのような方々は「法的には死刑が適応されると書かれていても、まさか本当に
死刑になるとは思っていなかった」という可能性もあり、自分の脳内で自分が死刑になる可能性を勝手に
排除していたかもしれません。でも、実例として死刑が執行された以上、今後は「まさか自分は…」は
通用しません。従って、今後、同様の事象が極端に少なくなれば、それを以って死刑の犯罪抑止効果を
ある程度立証できたと考えることも可能でしょう。
このような手法で犯罪抑止効果を立証された場合、逆に犯罪抑止効果の不存在を反証することは非常に
困難ではないでしょうか?いや、実質不可能になるといっても言い過ぎではないですね。なにしろ、
そのような状態で、まだ反証するためには「実際に死刑を廃止しなければ反証は不可能」となりますから
そもそも、そこで死刑が廃止できるか疑問です。
2827
:
紫煙狼
:2010/05/15(土) 02:28:51
ただ、某氏の「世の中のあらゆる人を自分の考える枠に当てはめようとする」悪い癖で
「死刑の犯罪抑止効果に疑問を示す人は、みな、死刑廃止論者である」とするのは早計です。
実は、私自身は死刑の犯罪抑止効果を疑問視する死刑賛成論者や存置論者の知り合いが
何人も居るのです。
彼らの主張としては「死刑に犯罪抑止効果があるか否かは問題ではなく、その者の犯した
罪に対するオトシマエの付け所が死刑以外にありえないと考えざるを得ない罪が存在する」という
もので、むしろ彼らは犯罪抑止効果なんてないだろう的な意見をよく発表していますね。
私は基本的に「死刑には犯罪抑止効果がある」と考えていると言いましたが、これは本当に
死刑の犯罪抑止効果を信じているのか?と問われると弱いです。というのは、私の意見は
「死刑に犯罪抑止効果があろうとなかろうと、死刑と言う刑罰は間違っている」ですから、
そもそも犯罪抑止効果の有無をそれほど重要視していません。もう少し正確に言うなら、
死刑の犯罪抑止効果と、完全終身拘禁刑の犯罪抑止効果に、目に見えるほどの差があるとは
思えない…でもいいですし、もしくは、死刑の犯罪抑止効果を他の効果で代替できる可能性が
あってもおかしくはない(ゆえに、それを探求したい。賛成は反対派を問わず同志募集中。)
という考え方ですので。
もっとも「抑止効果は無い」を前提に物事を進めた結果として「実は在った」と判明した場合は
取り返しのつかないことが発生していることは十分に考えられますが「抑止効果がある」を前提と
して物事を進めて「実は無かった」場合は、前者ほどのリスクはないと思っています。
また「抑止効果がある」と思う人が納得するような妙案を取り入れる必要があります。これにより
「死刑を廃止する」と「犯罪抑止効果を代替する」が両立できれば、
「死刑には犯罪抑止効果がある」と言う人も
「死刑には犯罪抑止効果は無い」と言う人も
「死刑には犯罪促進効果がある」と言う人も
「死刑には犯罪促進効果は無い」と言う人も
皆さん納得できますよね?
で、それが今あるのか?と問われれば、そんな妙案はまだ私には思いつきませんね。一緒になって
考えてくださる同志も廃止派存置派問わず、かなりの数になってきましたが、それを纏め上げることの
困難さといえば、某氏に私の思いを過不足なく伝える以上に難しいです。もちろん諦めませんが。。。
2828
:
紫煙狼
:2010/05/15(土) 02:29:11
ところで…私が大学生のころ、とある小学生の家庭教師をしていました。
その小学生に「ものぐさ太郎」という話をしたのです。
>むかし信濃の国の新(あたらし)というところに「ものぐさ太郎ひじかず」という男がいました。
>竹の棒を4本地面に突き刺した上にこもをかぶせ、雨の日も晴れの日もその下で何をするでもなく
>思いついた歌を口にして過ごしていました。
すると、この出だしのところで、この小学生は「その話はおかしい!」と言い出しました。
彼(男の子です)いわく
「ものぐさが竹の棒を4本も地面に突き立てるわけが無い」
「ものぐさが歌など思いつくわけが無い。百歩譲って、思いついたとしても、面倒だから口にしない」
まぁ、昔話ですからね、そういう事実があったわけではないですから、と言って話を続けると、
>時は過ぎ、人々は自分の田や畑で獲れた作物を提供するか、または労働を提供するかのどちらかの形で
>税を納めなければならなくなりました。畑も田も持たないものぐさ太郎は労役で納税するしかなく、
>仕方なく都へ上りました。
のところで、また「待った!」です。彼いわく
「手から落とした餅を拾うのも面倒がるような男は時が過ぎれば飢え死にしているはずだ」
まぁ、そうなんですがね。苦笑してしまいました。つまり、彼には「ものぐさ太郎」の「ものぐさ度」を
適切に想定することが出来なかったわけですね。それが出来ない彼には「ものぐさ太郎」という説話上の
人物設定が既に「矛盾」なのです。皆さんは子供のころ「ものぐさ太郎」の話を聞いて、どのように主人公を
想定しましたか?話の文意に沿った解釈をする力があれば、それを「矛盾」とは捉えないで、それよりも
「その話の中で何を言おうとしているのか」に興味が向き、それを矛盾としない程度に「ものぐさ」な
主人公像を想定できると思うのですが…。
そこで本題ですが
>ただ、自暴自棄で通り魔をやるような人間は、標的を慎重に選択してカードの有無を
>調査し、それから改めて殺害しに行く、などという行動はまず取らないでしょう。
は「ものぐさ」な犯人像
>子どもは意思表示をしていない確率が高い、あるいはそもそも判断能力の観点から
>意思表示が認められず、複数人殺せば確実に死刑になるはずなので。
は「頭の回転だけははやい」犯人像
ものぐさだから事前の調査に手間はかけないけど悪賢いから何を対象とすれば効果的かは思いつく犯人像。
その程度の人物像を想定することが必ずしも難しいとは思いませんし、何よりufloatさんの文意を
汲み取る意志が働けば、その発言に一番矛盾が生じないような犯人像想定を求められると思います。
2829
:
紫煙狼
:2010/05/15(土) 02:29:49
なお、某氏が「一通りは目を通している」という発言をしたことに対し、私はある一定の
驚愕と賞賛の意を表したいと思います。(ご本人は喜ばないでしょうが。)
全く目を通すことも無く人様の文章を引用するなんて神業、まずありえませんものね。
「一通りは目を通している」のでしょう。しかし同時に「内容や文意を理解できる程度に熟読しては
いない」と告白なさっているわけです。実際、意味が分かるまで熟読していたら、ありえない
解釈の数々ですから、人様に意見するなら最低限、相手の文意に沿った解釈を心がけ、その上で
表現上の矛盾ではなく、論法上の矛盾や、論理上の矛盾に言及するべきであると考えていた私には
「まさに驚愕」であったし、それを恥ずかしいこととも思わず、むしろ堂々と開き直る態度には
「まさしく豪胆!」と賞賛雨あられ。いや、まことに立派。そして、何よりありがたい。
なにしろ、人の意見を理解しようと努力しない人の意見を理解しようと努力する義務はありませんから。
この点、今まで悩みの種でした。およそ文章と言うのは何通りもの解釈が可能なわけで、善意に解釈するも
悪意に解釈するも可能なわけです。嫁の親切を嫌味と受け取る姑。姑の親心をイビリと受け取る嫁。
(ウチじゃないです。)そこに悪意が介在するのではないか、いや介在するはずだ!と断定的に考えることで
ありもしない悪意の幻影をそこに見出し、悪意が介在したと結論づけ、自分の予測は正しかったと誤解し、
その誤解に安心する姿。反対派と賛成派は、どちらかが鬼嫁で、どちらかが鬼婆なのでしょうか。
できれば、我が家のように「素晴らしく出来た嫁」と「慈悲深い姑」でありたいと思います。
もちろん、相手により、非常に困難を伴いますが。。。
2830
:
Ken
:2010/05/15(土) 14:21:48
>>2817
ええ、そうです。私は論理のかたまりなのです。気付くのが遅すぎますねー。一見おちゃらけのようにしか見えないコメントにも、その裏には実は鋭い論理が隠されているのです。
>>これは特に廃止派の人間にとっては大事なのではと考えます/というよりも、ここが一番大事だと思っていただけるかと思いましたが、カード所持によるリスクの方に話がいったのは私としては意外でした
あ、もちろんその点は理解してたのですが、単に書き忘れました。已む無しさんが言っているのは実験というよりも基本的には提案ですね。「死刑支持派としては死刑廃止には反対だが、死刑廃止派が自らのリスクとして死刑拒否の意思表示することは認めてあげよう」というようなこと。死刑支持派から廃止派への寛大な心遣い。意地悪い見方をすると、「死刑に反対するならそれくらいの根性見せろや!」見たいな感じ。死刑支持派の中には「お前はお前の家族が殺されても死刑に反対するのか!」と死刑反対派をなじる人がいますけど、それのバリエーション。
「実験的キャンペーン」としても失敗するんじゃないかな。紫煙狼さんの言うとおり、死刑を支持する理由の中で犯罪抑止力はあまり重要ではなさそう。カード所持者にとりあえずなんら不利益が生じなかったとしても、多くの死刑支持派にとっては「だから何?」くらいでは。
2831
:
Ken
:2010/05/15(土) 14:25:55
>>2814
は一転して何が言いたいのかよくわかんないですね。
>>社会の制度を論じるに際し、Kenさんの個人的感覚によって他者を異常であると断ずる事には如何程の意義があるのでしょうか。
私は個人的感覚で他者を異常だなどとは断じてないですねー。反省・悔悟を死刑囚に求める制度を整備することがとち狂っていると書いているのであって、死刑囚が処刑前に反省・悔悟していてほしいと願う個人がいるのは異常でもなんでもない、普通のことですね。
そういう言い逃れとは裏腹に、Qさんは死刑囚の反省・悔悟を個人的な望みとしてではなく制度として累々論じているのですねー。以下抜粋。
>>2771
死刑囚に対する場合でも、自ら死と向き合う事で自身の行いを考え直す事が可能な者には教誨師等の手助けが反省の一助となり得るかと思いますし、それが出来ない者に対しては、文章を書かせる事やカウンセル等によって先ずはその心境を探り、出来得る限り自身に向き合う事の土壌作りから教えれば良いのでは無いでしょうか。
>>2772
具体的な教育の手法に関してをここで話をする意味はあまり感じないのですが、個々の囚人に対しカルテを作成し、心療内科で行われる様な手法になるのではないかと考えます。
>>2799
私の死刑囚に対する教育のイメージとは
>>2771
、
>>2772
で示した程度の物でありますが、研究者や聖職者による指導の元で行えば費用は然程掛らないのではないでしょうか。
こういう制度はとち狂ってますねー。死刑囚が求めるのならまだしも。
>>無期懲役には全然当てはまらないと言う残虐性とは、Kenさんが個人的に感じる事です。
???「死刑は残虐だ」というのは私が個人的に感じていることなだけであって、なんら普遍性がないということでしょうか。そんなふうに書けば「日本の死刑は残虐である」という客観的事実を私の個人的な感想にすることができると思っているみたいですねー。
米国では薬殺刑でさえ不必要な苦痛を与えているとたびたび問題になりますけど、そういうところでは絞首刑なんてありえないですね。残虐すぎるから。こんなの私の個人的見解ではないですねー。ですから、現行の死刑制度は残虐・野蛮すぎるというコンセンサスは存在する(ような社会は存在する)。
Ken>>「刑罰は応報的であるべき」って要するに罪の重さに応じて罰を与えるべき、というだけであって、どの罪にどの罰が見合っているかを一意に決めることはできないですよね。
Q>>これもKenさんの意見なのですが、何故応報的残虐性に限っては一意であるとする事が当然となっているのでしょうか。
「応報刑は一意に決めることができない」と「残虐性に限っては一意に決めることができる」はちっとも同値ではないですよ。なんでこんな読解になるかなー。もちろん刑罰としての残虐性も一意には決められないですよ。何が残虐であるかは時代背景や社会風潮によって変わりますから。
>>無期懲役刑に対し、長期監禁という手段は不必要な苦痛を与えるから反対と言う者が居た場合、それ以外の説明が無い場合に於いても納得し認めるのでしょうか。
私の場合はそれだけじゃ納得しないですね。それを裏付けるデータがないと。実際のところ、日本の無期懲役にはやや懸念を抱いております。受け皿がないせいで意味もなく拘禁され続けている例がしばしば見受けられるので。
長期拘禁が必要以上に苦痛を与えているという社会のコンセンサスが得られたら無期懲役も廃止するしかないですよ。実際そういう国はあるし。
2832
:
Ken
:2010/05/15(土) 14:37:44
>>2827
もしくは、死刑の犯罪抑止効果を他の効果で代替できる可能性があってもおかしくはない(ゆえに、それを探求したい。賛成は反対派を問わず同志募集中。)
検挙率を限りなく100%に近づけるのが犯罪を抑止する上でもっとも効果的だと思います。日本で凶悪犯罪率が低いのはどう考えても極端に高い検挙率のせいです。「殺人を犯したのに無期懲役で済んだ」のと「殺人を犯したのに警察にも捕まらずなんら罰を受けなかった」のと、どちらが不公平で不正義なのかは明白でしょう。殺人犯一人を死刑にすることにかける手間なら、殺人犯一人を逮捕することにかけたほうがいいです。
2833
:
Ken
:2010/05/15(土) 14:52:12
>>2762
の上のリンク(『死刑制度に関する世論調査の結果を考える』永井迅)の分析は興味深いですね。
>>それと、有効回答数が、7割を切っていることにも疑問の声が出た。そんな調査ではたして「世論」を正しく反映できるのか、という疑問だ。何しろ、20歳代だけをみると今回の回収率は45.5%にすぎないのである(毎回、高齢者ほど回収率は高くなる)。
>>世論調査の結果では、若い人ほど死刑制度に疑問を持っていることが歴然としている。「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と回答している人が20代では10.2%もいる。それが60代を越すと3%台になってしまうのだ。
この二つの傾向が常に存在したとすると、少子高齢化するだけで(世論調査に占める老人の割合が高まり若者の割合が減るだけ)死刑支持派は増えることになりますね。実際のところどういうふうに標本抽出しているのか知らないですが。少子高齢化って社会が保守的になっちゃうことなんですね。
2834
:
Q
:2010/05/15(土) 17:38:45
>>2815
応報刑の上限が死刑である必然性がないと考える方が居られる事は否定しません。
ただ、私にとって納得し得る理由は求めたいという事です。
私が死刑の存置を支持する理由とは、罪悪には規定されるべき上限が無いと考える為です。
その場合、もし無期懲役刑を応報の最上位として規定してしまう事は、凶悪犯罪を行える様な者の利益と
して大き過ぎると感じます。
応報的刑罰の上限というのは、それを社会世論に量る事も含めてですが、
その是非については一意に決められる物では無いと定義し得るのであればこそ、
裁判によって個々の罪悪の内容が審理され、その結果として肯定されるべきではないかと言う事です。
死刑を廃止すると言う事は、単にその犯罪の場合に於いて肯定されるべき選択肢を無くすだけではないかと考えます。
2835
:
Q
:2010/05/15(土) 17:44:16
>>2831
>反省・悔悟を死刑囚に求める制度を整備することがとち狂っていると書いているのであって、
では、制度について何らかの整備を求める事がとち狂っていると言うのは一体誰の感覚なのでしょうか。
人が制度に何を求めるのかは、結局個人の感覚による物と存じますが、
私が申して言る事は具体的に何がとち狂っていると仰るのでしょうか。
私は刑罰の一環として、教育を以て反省悔悟を促す事が異常だとは感じません。
そして、刑罰とは死刑囚が求めているから科す物ではないと思います。
>「死刑は残虐だ」というのは私が個人的に感じていることなだけであって、なんら普遍性がないということでしょうか。
先ず、死刑に限らず刑罰がある程度の残虐性を持つ物であると言う事は認識しております。
故に刑罰の残虐性を言う場合に於いての普遍性を否定する事はありません。
私が申しているのは、死刑のみがその残虐性に於いて否定されなければならないという感覚がKenさんの個人的な物であると言う事です。
余所の社会のコンセンサスとして存在するのだから、と言うのもKenさんが個人的にそれに共感しているだけの事です。
少なくとも、それが日本に於いてのコンセンサスを否定する理由とはなり得ない筈であり、
一概に死刑の存在理由を否定する根拠ともなり得ないと思います。
応報刑と残虐性は同値では無いという認識は別にそれで良いと存じます。
私が申しているのは、残虐性のみを一意に断ずる事によって、その応報的概念をも否定すると言う事は
結局「応報刑は一意に決めることができない」という論理を否定する事になるのではないかと言う事です。
それとも、ここでKenさんが言う応報刑とは、あくまでも「自分が認める応報刑に限る」という事なのでしょうか。
因みに、Kenさんはその残虐性を断定的に否定する事によって死刑を否定して居られる筈ですが、
>「もちろん刑罰としての残虐性も一意には決められないですよ。」
と言うのは、何が勿論なのでしょうか。
私は現在の日本に於いての死刑制度について、容認し得る残虐性とは国民各々の感覚によって違うという事を意見をさせて頂いているのですが、
ここで時代や社会風潮が違う場合に於いての残虐性を敢えて鑑みる必要はあるでしょうか。
2836
:
五月の
:2010/05/28(金) 08:21:29
五月の蝿と書いてウルサイと読みますが
一匹の蝿がわめき散らして家人を皆、おい払い
お客人が玄関口で待ち惚け。
そんな有様
2837
:
棄てハン駄目じゃなかった?@已む無し
:2010/05/28(金) 15:43:16
死刑存廃に関係する意見では無いのですが
>>2836
五月さんには、誰が家人で誰が客人に見えたのでしょうか
私の理解としては家人とはboroさんだけですが、五月さんは、家人は皆、と仰っていますしね、はて?
前にどなたかが、誰かはギャラリーで誰々はプレイヤーだと指摘した意見にとてもよく似ていますね
2838
:
無精髭
:2010/05/28(金) 20:11:10
>棄てハン駄目じゃなかった?
ダメなのはダブハンであって、捨てハンは基本おkだお
(過去ログを参照のこと)
>五月さんには、誰が家人で誰が客人に見えたのでしょうか
>私の理解としては家人とはboroさんだけですが、五月さんは、家人は皆、と仰っていますしね、はて?
相手の文章を引き合いに出すなら、一字一句違わずに引用しないと。
特に意味が変わっちゃうようなやり方はご法度ですよ!
×家人は皆
○家人を皆
言うまでもなくboroさんを家人と見なす已む無しさんの文脈と、こちらの常連方を家人と見なす(?)
五月のさんの文脈は全く別のものです。とはいえ、べつに五月のさんもboroさんを家人とする已む無しさん
の見方に反対はなさらないでしょう。已む無しさんとしては、追い払われたのが家人かどうかということに
こだわるのではなく、自分はわめき散らしたつもりもなければ追い払ったつもりもないので、この場から
立ち去った者が誰であろうともその人はその人の意志で勝手に出て行ったのだ、もし自分がわめき散らした
とか追い払ったとかいったことが事実であるというなら直ちにその箇所を明示せよ、と率直にお書きになれば
よろしいんじゃないでしょうか。
>前にどなたかが、誰かはギャラリーで誰々はプレイヤーだと指摘した意見にとてもよく似ていますね
その意見を述べたのは私ですね(分かっててとぼけていらっしゃるのだと思うけど)。
ところで、已む無しさんの中で、なぜ家人・客人の比喩とプレイヤー・ギャラリーの比喩が類似的であると
されてしまうのかが全然わからないのですが。五月のさんが家人と客人の比喩で何を伝えたかったのか、
その真意も私にはよく分かりませんけど、少なくともプレイヤーとギャラリーの比喩で私が申したかったのは、
たとえ議論に参加しなくとも、そこでどういったことが議論されているのか、その内容を理解することは
誰にでもできるため、時と場合によっては、ふだん議論に参加していない人たち(ネット掲示板ではROM専)の方が、
現に議論を行いそれに参じている人たちよりもその流れや論点を理解している可能性だってありうるんじゃないか
ということでした。いや、こんな自明すぎることをわざわざ申したかったわけではなく、今申したことを
私と同じく已む無しさんも無論承知していらっしゃることだろう、ならばそれまで議論で発言してこなかった
第三者の意見を無下にするようなことは止したほうが賢明じゃありませんかね、と申したかったわけですよ、
めちゃくちゃ遠回しに。議論での自身の発言や立ち居振る舞いが第三者からどのように見られているか
というのは誰しも気に掛けておかなくちゃならないことだと思いますし(私はそう思いますが、
已む無しさんは違うの?)、それを直に告げ知らせてくれるROM専の人による書き込みは、たとえ自分に
とって辛辣な内容であったとしてもなおも得がたいものだと私は思うのですがねぇ。プレイヤーは議論に
集中するあまり、ともすれば視野狭窄に陥りがちだと思うのですが、そういった事態を防ぐための処方箋として
ギャラリーの存在を自らが客観に至るための指標として大いに利用すればいいんじゃないかと私なんぞは考えております。
こうして書いてみると後出し気味な観もしないでもないですが、、、
それはともかく、上記に五月のさんの書き込みに通底するところがありますか?
2839
:
無精髭
:2010/05/28(金) 20:15:04
すんません。書き忘れてましたけど、べつに「五月の」さんが捨てハンだと決まったわけではありませんよね?w
2840
:
棄てハン駄目じゃなかった?@已む無し
:2010/05/28(金) 22:24:37
>>2838
>ダメなのはダブハンであって、捨てハンは基本おkだお
>(過去ログを参照のこと)
ダメだったものが途中で認められる方向に変わったのですか?
私が、捨てハンをハッキリ問題視する意見を目にしたのは、通りすがりさんにかかわることが最後でしたが
その後どこかで方針が変わったのだとしたら、私の見落としですね
>×家人は皆
>○家人を皆
私が言いたいのは、ここの家人が複数存在することを匂わしているということなので意味は変わりません
コピーして引用したとも書いてはありませんし
>家人は皆←このように引用符を用いて書き込みしたのならば、意図的な工作ともとれるでしょうがね
>特に意味が変わっちゃうようなやり方はご法度ですよ!
まぁ貴方に言われても特に何とも思いません^^;
>>2839
今のところは捨てハンじゃないのですか?
まだ死刑存廃の意見を一つも書き込んではいないのに・・・・・
五月さんのことを捨てハンと決まったわけじゃないと言うなら余計に
通りすがりさんのことを捨てハンといった意味が分からないですね〜
2841
:
ufloat
:2010/05/28(金) 22:45:51
>一匹の蝿がわめき散らして家人を皆、おい払い
唐突にシムアント(アリが家人を追い出す!)思い出しました(笑)。
ま、くだらない余談はともかく。
>>2838
さて、どうなのでしょう。
紫煙狼さんのおっしゃるとおり、言葉というのは何通りの解釈でも可能なわけで、
「私(ufloat)が騒ぎ立てたのに嫌気をさして、このスレッドから人が去ってしまい、
議論したい人がここに入ろうにも入れない状態」とも取れますからね
(五月のさんの真意はともかく、これ自体はあながち間違ってもいないような・・・)。
>自身の発言や立ち居振る舞いが第三者からどのように見られているか
>というのは誰しも気に掛けておかなくちゃならないことだと思いますし(私はそう思いますが、
>已む無しさんは違うの?)
この辺のやり取りは参考になるかもしれません。
已む無しさん
>>2703
私
>>2705
已む無しさん
>>2707
さて、五月のさんを証拠もなく「捨てハン」であると決め付けるのは失礼千万の行為ですが、
「捨てハンはダメではないのか」などと言い出すこと自体、以前の「捨てハン」問題を
全く理解していないらしいのが明白ですね。
まずboroさんは、「名無し」というハンドルは使わないよう注意されています。
「通りすがり」というハンドルに関しては、boroさんはひとまず容認されて
いるようですが、古参のKenさんが疑問を呈した一幕からしても
問題となった可能性は考えられたわけですし、現実に
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1093101930/80
こちらの通りすがりさんと区別がつかなくなったりする問題が生じます。
そのような観点から例の議論が生じたのは明らかですから
(明らかでないとおっしゃるならば、当該部分を第三者に読んでもらうと
よろしいでしょう。自分は曲解していない、曲解しているのはお前らの方だ、
とおっしゃるなら、もちろん第三者に読んでもらっても問題ないはずですね?)、
例の議論と本件とは何の関係もありません。
そもそも、ここでいう「捨てハン」の定義とは何なのでしょう。1度しか書き込まなかったら捨てハン?
だとしたら、1度しか書き込んでいない人は皆「捨てハン」になりますし、
五月のさんは二度と書き込まないと決まったわけではないですから、この時点で
捨てハンであると勝手に決め付けることはできないはずです。
それとも、まさか「已む無しさんが捨てハンと思ったものが捨てハン」?
2842
:
紫煙狼
:2010/05/29(土) 00:23:18
<「名なし」等をダメとする理由>
一見さんであれ常連さんであれ書き込むのは自由だけれど、後で見返す読者を考慮すると、
同一人物であるか別人であるかが、わかりやすいことが必要だから、識別子としての
ハンドルネームには独一性を持たせて欲しい。
この掲示板では特に汎用性の高い「名なし」をピンポイントで禁止しているようですね。
<ダブハンをダメとする理由>
自作自演や別人を装っての投稿を禁止するため。ダブハンを許すと「一人の意見」なのか
「多数の人の意見」なのか、わからなくなりますからね。
私としては、五月のサンの目に誰が家人と見えたのか…、誰が客人と見えたのか…より、
誰がハエに見えたのか…のほうが何倍も気になりますね。(私だったらどうしよう。。。)
ただ、これが現代文の「ここで家人とは誰を指すか?」という試験問題であったなら、
・開設し管理しているが意見投稿していないboroさん→大家(家主)
・我が物顔で好き勝手なことを投稿しまくる常連→家人(間借り人)
と捉えるのが。おそらく模範解答となるのでしょうね。
あと、ネット上での表記では「個人識別子@所属情報など」という使い方が一般的ですので
「棄てハン駄目じゃなかった?@已む無し」よりは「已む無し@棄てハン駄目じゃなかった?」
の方が受け入れられやすいのではないでしょうか?
いや、これはあくまで私個人の感想ですから「それがどうした?」レベルの話ですがね。
何にしても、確かにハエはうるさいです。鬱陶しい事この上ない。少なくとも良い印象は
ありませんね。私のことをハエだと思う人は、転送実験の際に私がそばに寄らないよう
ご注意いただきたい。怪奇映画になってしまいますからね。
私も、ハエ男にならないよう、十分気をつけます。
2843
:
已む無し
:2010/05/29(土) 00:38:10
まぁスレ違いなので完全に流し読みしました(あまり興味もないので)
ダブハン捨てハンについては、いけないといったのは貴方方なので、良いなら良いで私は一向に構いません
勝手にしてください
>誰がハエに見えたのか…のほうが何倍も気になりますね。
これだけ少し気になりましたが
私は、私が悪人だと思う方からこう思われたのだとしたら、むしろ誇りに思いますがね
誰に、どういった理由でそう思われたのかが重要でしょう
警察官が、泥棒から鬱陶しがられることを気にして泥棒に気を使うようなことは無いでしょうし
2844
:
已む無し
:2010/05/29(土) 00:40:32
ああそうそう・・・・警察官と泥棒、正義と悪にわけるのはちょっと言いすぎでしょうが
たとえば、企業とマルサ
法人と仕分け人
のような例でもしっくりくるでしょう
2845
:
無精髭
:2010/05/29(土) 00:56:43
>2843-2844
マルサや仕分け人といった役割を全うできるような才覚のある人が、
今後、この掲示板にも現れてくれたらいいと思いますね。
そうすれば、ちっとは議論がやりやすくなるでしょう。
誰か適任者いませんかね。しかも、んな誰もやりたがらないような
厄介ごとを引き受けてくれるような暇人が。
2846
:
無精髭
:2010/05/29(土) 00:58:14
>>2841
シムアントはやりましたねー。といっても、スーファミ版ですけど。
シムシティとかシムアースよりかは簡単だった気がする。。。
それはおいといて、
>>2840
>ダメだったものが途中で認められる方向に変わったのですか?(下略)
そもそもどういった意味で「捨てハンはダメ」なのでしょうか?
また、ダメっていう理由はどのようなものでしたか?
そして、捨てハンを使った場合、こうこうこういった
ペナルティーを科されるなんて話はありましたっけ?
Kenさんの話にもある通り、捨てハンはboroさんに注意されるだけですね。
でも、それは「名無し」や「匿名希望」などといった、誰もが安易に使って
しまいそうなHNに限られているようです。Kenさんも仰っているように
理由はおそらく、捨てハンの代表格(定番)であるがゆえに、皆がいっせいに
それを使ってしまう(使いたがる)なんてこともありうるからでしょう。
もしそれを取り締まらなかったら、場が混乱しちゃうのは目に見えている
わけです(2ch状態)。当然「通りすがり」もこういった他人の書き込みを
区別する上で紛らわしい捨てハンの部類に入りますが、boroさんが注意しな
かったのはたぶん、あの時点で別人による「通りすがり」が出ていなかったことが
一つ、もう一つはあの「通りすがり」さんの書き込み内容を見て、名前は捨てハン
に違いないが主張そのものは個性的であり、議論に望む姿勢にも問題がなかった
ためにわざわざ注意までして議論に水をさすのは無粋だと判断されたからでしょう。
>>2507
は、あの時点での「通りすがり」さんを容認している発言と受け取ってよいかと。
あの時のKenさんはboroさんに対してかなり慎重な意見をお持ちのようでしたが、
後のboroさんの対応を見れば、この掲示板では必ずしも捨てハンもダメだったというわけ
ではないということがわかるのではないでしょうか。ちなみに
>>2595
は、「通りすがり」
は捨てハンだけども、「通りすがり」さんの中の人に関しては全く問題ありませんでしたよー
というような内容ですよね。
もともと、これこれが捨てハンに当たるからダメだというルールはこの掲示板には
ないんじゃないですかね。HNが利用者の間で重複したりすると厄介だから、というのが
まず先にあって、次に人とかぶる可能性の高いHNーーーつまり「名無し」だの
「通りすがり」だの「匿名希望」だのが問題視されるという順序ではないでしょうか。
はてさて、「五月の」さんが捨てハンとは限らないということについては、まさしく
ユーさんの仰るとおりなので、特に私から申し上げることはないですね。もし已む無しさんが
>2836の書き込み内容だけでそれを捨てハン認定できると思っていらっしゃるのなら、
素晴らしい! の一言ですがねw
閑話休題。
まぁ、なんというか、、、已む無しさんはあの通りすがりさんの何なのでしょうね?
死刑議論とは何の関係もない、しかも赤の他人のことなのに、なんでそこまで熱くなれるんでしょ。
今頃になって「興味もない」「勝手にしてくれ」などと仰るのなら、あの時「大魔神A」と名前を
変えてまで再登場することもなかったということになるでしょうね。
2847
:
boro
:2010/05/29(土) 08:05:10
>>2846
HNについての自分なりの考えを
このタイミングで書いておいた方がいいかと
思っていましたが、今朝、掲示板を覗いたところ
無精髭さんが的確に分析されているのを読んで
いや〜さすがだな髭さんって思ってしまいました。
ということで、私から申し上げることはありません(^^
2848
:
已む無し
:2010/05/29(土) 18:53:11
>>2846
なるほど、捨てハンが良くないとされる理由と、通りすがりさんへの対応は少しだけ理解できました
が、それならばそれで、批判や非難をするでもなく、やんわりとHNの変更をお願いすれば良かったかと存じます
しかしあの時点では、通りすがりさんは、自らHN変更の意志を示したのにもかかわらず、「変えなくても良い」
と言われたはずでしたが、そこが少し腑に落ちない部分ではあります
2849
:
ufloat
:2010/05/29(土) 20:37:22
>>2842
確かに、五月のさん(閲覧者)からして誰がハエに見えるのかは
ぜひとも知りたいところですね。
もし自分だとすれば、非参加者からして私はそのように見えるわけですから、
反省・改善していかなければならないので。
もし差し支えなければ、後生のために教えてくださいませ>五月のさん
>>2848
今回の「捨てハン」議論にかかわったのは、已む無しさんを除けば
私、無精髭さん、紫煙狼さんの3人ですが、この中の一体誰がいつどこで
>非難
のようなことをしたのかを示さなくては、誰も答えようがないでしょう。
あと、
>ダブハン捨てハンについては、いけないといったのは貴方方
とのことですが、ダブハンが問題なのは常識ですからともかく、
捨てハンはいけないといった「貴方方」というのは一体誰とか誰で、
いつどこでそれを言ったのでしょう。
2850
:
無精髭
:2010/05/29(土) 21:08:44
>2849
>もし差し支えなければ、後生のために教えてくださいませ>五月のさん
それは聞いちゃらめーーー!!
五月のさんのアレは一種の風物詩みたいなものでしょう。
それを作者様に詳しい解説を求めちゃったりなどしたら
かえって無粋というものではありませんかw
ここまで話が大きくなっちゃったせいで、せっかくのサゲ投稿も
台無しですよ、全く。
ところで私は、玄関先で待ち惚けを食っている客人が誰なのかが、気になります。
もしQさんを指していらっしゃるのだったら、「いやぁ、それはないない(笑)」
と申し上げたいですね。Qさんの
>>2835
に対して一向にレスの付く気配が見られない
ことと、このスレの住人の内の誰かがハエであり、そのことにみんな嫌気が差している
ということとは全くといっていいほど関係がないですからね。
2851
:
無精髭
:2010/05/29(土) 21:15:41
>2848
>しかしあの時点では、通りすがりさんは、自らHN変更の意志を示したのにもかかわらず、「変えなくても良い」/と言われたはずでしたが、そこが少し腑に落ちない部分ではあります
あの「通りすがり」さんが自分のHNを変更してもいいよと仰ったのは、
>>2515
においてですよね。
一方、「変えなくても良い」などと明言した人は一人もいないはずです。私や紫煙狼さんのように
あの脱線に一切関与していなかった者は勿論除外されるとして、たしかKenさんやユーさんは警告程度の
発言をしただけで、「変えろ/そのままでもよい」などのように、分不相応な権限を振り回すようなことは
一言も言わなかったはずです。
もし間接的にでも言ったのだとすれば、管理人であるboroさんだけですね(
>>2507
)。
でも、ご承知のようにこれはあの「通りすがり」さんの>2515よりも前のレスですよ。
そして、あの「通りすがり」さんが譲歩(?)の姿勢を見せてから「変えなくても良い」と言った人は、
過去ログを読めば一目瞭然ですが、誰もいませんよね。
もしかして、已む無しさんはKenさんの
>>2524
>まあ、そうなったとしてもそれは私の責任ではないし、私としては一向に構わないわけですが。
この部分を「変えなくても良い」という意味で読んでおられるのですか?
「捨てハンは止めた方がいいですよ」と忠告しつつ「私個人は別に構いませんが」という意思を
表示することが、あの「通りすがり」さんをダブルバインド的状況に縛り付けてしまったのだと? まさかぁ。
>が、それならばそれで、批判や非難をするでもなく、やんわりとHNの変更をお願いすれば良かったかと存じます
非難は誰もしてませんよ。批判はしたかもしれませんが。まぁ、「通りすがり」というHNに問題があるとされるのは
何もこの掲示板に限ったことではなくて、広くネットではもはや常識化していることなんじゃないでしょうかね。
http://browserjs.blog102.fc2.com/blog-entry-814.html
http://www.atmarkit.co.jp/news/analysis/200903/09/social.html
だから、あの「通りすがり」さんの
>>2579
なんて、ちょっと世間知らずなところが垣間見えたというか、
肝心なところでネチケットを心得ていなかったのが丸出しになっちゃったようなコメントですよね。
2852
:
已む無し
:2010/05/29(土) 21:23:48
>>2849
>>非難
>のようなことをしたのかを示さなくては、誰も答えようがないでしょう。
これは誤解がありますね
この部分に於いては、あなた方が非難批判をしたと言ったのではなく、無精髭さんの
>名前は捨てハン
>に違いないが主張そのものは個性的であり、議論に望む姿勢にも問題がなかった
>ためにわざわざ注意までして議論に水をさすのは無粋だと判断されたからでしょう。
この「わざわざ注意をして議論に水を差す」ことを指したものです
普通に注意などせずに、やんわりとHN変更をお願いすればよかったのでは?と言っています
そこに何か疑問があるのでしょうか?
注意を、批判と書いたことが問題なのだとしたら訂正しますが
少なくとも、ダブハン捨てハンの指摘を始めた時点では、批判非難ととれたものですから・・・・
では改めて書き直します
別に注意などせずとも、通りすがりさんは自らHN変更には応じますよと仰っていたのですから
やんわりと変更をお願いすることによって、既に多少は水を差された議論に更に水を差す結果にはならなかったのでは?と思うのですが
何故か、「変えなくとも良い」 と仰られたので腑に落ちないなと感じたわけです
2853
:
已む無し
:2010/05/29(土) 21:29:37
>>2851
えっと・・・・捨てハンはいけないと言った人に対して、問題があるなら変えますよ?と答えた通りすがりさんのこの意見はスルーだったわけです
スルーなのだから、変えなくて良いと言った訳ではないというならそれでも良いです
何故、自ら変更を申し出た通りすがりさんの意見にスルーされたのでしょうか?
普通に、変更をお願いしますと言って変更して頂いたとしても議論に水を差す結果にはならなかったと思われます
やはり腑に落ちないことには変わりがありません
これならいいですか?
2854
:
ufloat
:2010/05/29(土) 22:09:17
>>2850-2851
いやはや、面目ないです。
客観的な位置から議論を眺めている人にとって、私がハエのように見えるならば、
改善するよう努力しなくてはならないということで、他意はありません。
>ユーさんは警告程度の
こう取られてしまうのは私の文才の欠如、不徳のいたすところですが、私としては
「通りすがりさんにとってはKenさんが言いがかりをつけたように見えるかもしれないけれど、
Kenさんの言い分もそれなりの理由はあるわけだから、これは意見の行き違いではあっても
どちらかが言いがかりをつけているわけでも、ましてや「チンピラ」というわけでもないと思いますよー」
ということを言いたかったのであって、むしろ
>>2515
はびっくりでした。
私の意図としては、あれは「ハンドル」に対する言及というより、「ハンドルに関する議論」に対する言及です。
Qさんとの議論に関しては、別に無視しているわけではありませんが、私の文章能力では
Qさんにご理解いただけるよう説明するのが大変難しそう、というのがありますね。
私はむしろ、権力が保有する選択肢は必要以上に広く取るべきではなく、
「AとBの方法があって、効果はほぼ同等。ただ、Aの方がミス時のリスクが高い」
ような場合はBの行使のみを認めるべき、という考え方ですが、
Qさんのようなスタンスの方にこれを齟齬なく伝えられる文章というのが
浮かんでこないので、態度を保留したまま今に至ってしまいました。
>>2852
あれを本気で「変更を申し出た」状況とお考えでしょうか。
もし
>>2515
に対して「じゃ、名前変えてくださいね」と言える人がいるならば、
そういう人は多分「空気読め」と言われてしまうでしょう。
水をさすどころか、水蒸気爆発が起きても不思議ではありません。
2855
:
無精髭
:2010/05/29(土) 22:20:31
ユーさんの>2854とだいたい同じことを書かせていただきますが。
>2852
んー、では私も改めて書き直したほうがいいのでしょうかね?
>別に注意などせずとも、通りすがりさんは自らHN変更には応じますよと仰っていたのですから
Kenさんが注意(というかboroさんの過去の裁断の例を知らせることで意向を代弁)しなかったら、
あの「通りすがり」さんはHNを変更してもいいよなどとは仰らなかったと思いますよ。Kenさんが
議論の本題とは無関係なことにわざわざこだわったからこそ、ああいった展開になったわけで、
あの「通りすがり」さんの意思表示もその流れの中に位置するわけですからね。Kenさんの何気ない
一言が図らずも、あの「通りすがり」さんの誠意を引き出したと見るべきではないでしょうか。
>2853
>これならいいですか?
一言で言わせていただくなら、「まったくもってトンチンカン」。
あれはスルーしたというよりも、boroによって問題なしと太鼓判を押された以上、
あの「通りすがり」さんに対して何も忠告する必要がなくなったというだけでしょう。
まず私たちにはあの「通りすがり」さんのHNについてどうこう言えるような権限はないのだから、
もし「変えろ/そのままでよし」などと言えばそれは僭越至極であるということ、そして、そもそも
あの時点では「通りすがり」というHNによって何も問題は起きていなかったので、私たちは個人的な
動機からあの「通りすがり」さんのHNを変更したほうがよいと思う必要もなかったということ、
この2点を踏まえてさえいれば、已む無しさんのように、「なんで通りすがりさんのせっかくの善意を
蔑ろにしたんだぁー!」と怒りだす人はいなくなるはずなんですがねぇ。
ちなみに、已む無しさんがいつまでもこだわっておられる
>>2515
の該当箇所
>kenさんが自ら関係ない事を言ったとし、boroさんも黙認されたことで私にどうしろというのでしょうか。/名前を変えろというなら変えますが、それを言うのためだけに割いたこの数レスは/明らかに不必要だったと思われます。
これを読んで、はたして「自ら変更を申し出た」ということを前面に出した誠意ある発言であると読み込めますか?
むしろ、「こんなつまらないことで議論が横道に入っちゃうのはうざったいから、どうしてもっていうんなら
変えてやってもいいけど?」みたいな読みもできると思いますが。少なくとも、>2515の書き込みにおいて
特に読み手が気に掛けるほど主要な部分であるとは言えないと思います。もし、あの「通りすがり」さんが
スルーされたくなかったのだとしたら、もう少し違った書き方をすればよろしかったのではないでしょうか。
まぁ、仮に>2515の内容がHN変更への意思表示という話題に限定されていたとしても、Kenさんやユーさんの
書き込みをちゃんと読んでさえいれば、あの「通りすがり」さんへのレス内容がどのようなものになったかは、
十分予想できるかと。
いや、それよりも何よりも、已む無しさんがあの時のKenさんやユーさんに対して
>>2515
の例の箇所をスルーした
ことを責める前に、あの時のKenさんとユーさんに>2515の例の箇所をスルーしたという自覚があったのかどうかを
問い質すべきでしょう。
2856
:
已む無し
:2010/05/29(土) 22:33:14
しまったな・・・・
煽りレスに釣られてしまったせいで、下手な突っ込みを入れられて
Qさんのレスを無駄に流してしまった
申し訳ありませんでした
2857
:
無精髭
:2010/05/29(土) 22:45:57
>2856
ほんとそう。かてて加えてその前のKenや紫煙狼さんのレスも流れてしまったわけで。
だから已む無しさん、もっと謝ってください。
(ちなみに、スレ進行がスレ違いな話にそれるだけでなく、どこからどう見ても不毛としか
いえないようなやり取りになった場合、boroさんが一連のレスをまとめて削除するなんてことも
過去にはあったようですね。已む無しさんが口先だけでなく、本心からQさんのことを案じて
いらっしゃるのなら、boroさんにその旨頼んでみたらいかがですか?)
2858
:
已む無し
:2010/05/29(土) 23:01:52
>>2857
Qさんに謝っただけですw
2859
:
紫煙狼
:2010/05/30(日) 03:05:01
うん、まぁ、特定の人物を「悪人」もしくは「善人」と枠にはめる発想自体が
おこがましいにもほどがあるということを学ぶべきでしょうね。。。
少なくとも誰かを「悪人」であるとか「善人」であるなどとジャッジできる立場に
ある人など居ないはずなのですから。
できること、許される範囲は、ある行動を悪事であるか、それ以外であるかの判定まで。
それすら分からぬ奴と、掲示板で話をすることの何と無意味なことか。
ハエ男は断言します。ハエは一匹とは限らぬと。
2860
:
無精髭
:2010/05/30(日) 06:38:44
前レス(2855、2857)にて諸賢のお名前に敬称をつけ忘れてしまった箇所がいくつかありました。
なにとぞご容赦ください。
>2856
自分の書き込みのせいでレスが流れたことを問題にするなら、Qさんにだけ謝罪して、
Kenさんや紫煙狼さんには謝罪しないというのは筋が通らないのではないでしょうか? イミフっす。
私たちの書き込みを「下手な突込み」とか仰るくせに(あっ、批判と非難を並べて書くことに違和感を
感じておられないようだから、無理もないか)、自分はただ「煽り」(こんな認識はしょせん已む無しさん
お一人の主観に過ぎない)に釣られただけなのだと居直るゴーマンさ。
>>2497
や
>>2856
のように
自分の失態をguestさんやQさんの名前を挙げることで糊塗しようとする卑劣さ(已む無しさん的には
私たちと全く同じことをしているおつもりなのでしょう。そして、そうすることでそれがいかに卑怯な
行為であるかを知らしめたいというおつもりなのでしょうが、はなっから已む無しさんの感覚が世間一般の
それからかなりずれているため、どんなことを書いて弁明してみても結局は道化を演じたみたいな格好に
なってしまわざるを得ないという感じ)。こう書いてみますと、已む無しさんの印象は言い訳が重ねられる
度毎に悪くなる一方のようですね。
はっきりいって、guestさんやあの「通りすがり」さんやQさんのような人たちにとっては、已む無しさん
個人のことなんてどーでもいいんじゃないでしょうか。レスが流されたことを遺憾に思うような人たちなら、
いまごろ私たちばかりかあなたにも名前を出されて非常に迷惑な思いをしているかと。しかも、已む無しさんの
場合、Qさんのレスさえも流し読みしていたという事実が私とのやり取りにおいて明らかになったわけでして。
いまごろになってQさんに詫びるのなら、そのことを詫びるのが先でしょう(私への誤解については詫びなくても
結構ですよぉ)。
さて、皆さんも已む無しさんの被害妄想はいいかげん聞き飽きたと思うので、そろそろこれまで
さんざっぱら議論を引っ掻き回してきたことを皆さんに対して一言でも詫びてみてはいかがでしょうか
(ああ、ひょっとしたらその意味も込めてQさんに謝罪なさったのかも知れませんね。ならば続けて他の方々にも
謝罪する必要はないも同然です(笑)。已む無しさんが自らハエであることを認めてくれさえすれば、
とりあえず皆さんの溜飲が下がるのは請け合いですから。だいたいハエのいないような世界、無菌状態の空間
では風流の欠片もなさそうなので、クモやゴキブリなどと同様、ハエも人間の営みにおいてはやっぱり必要では
あるまいかと私は思っております。ことに論理のぶつけ合いに先行せざるをえない議論から、ともすれば排除
されがちな人間味や生活臭を再び呼び戻すためには。そこで虫けらは虫けらなりの存在意義を必死に示せば
いいんじゃないでしょうかね。虫けらはしょせん虫けらにすぎませんから、その外見に比例して主観も酷く
限定されたものであるに相違ないはずですが、それでも第三者の立場である以上は何らかの客観性を有する
ことでしょう。たとえば、発言によってではなく自らの存在によって議論を行う者に対して何らかの教訓を告げ
知らせることはありえます。ただ、ハエが仕分け人とかマルサとかいった正義の使徒たりえないのは明白ですが)。
2861
:
無精髭
:2010/05/30(日) 07:20:18
訂正します。
31行目
誤>ことに論理のぶつけ合いに先行せざるをえない議論から〜
正>ことに論理のぶつけ合いが先行せざるをえない議論から〜
2862
:
五月の
:2010/05/31(月) 07:40:49
私も主婦Aさんくらいハッキリ言った方が良かったかしら。
蝿は已む無しの事よ?敬称なんて付ける価値もない。
死刑存置派の面汚し。人の文章を正しく読み取ることも
出来ない低能に崇高で深遠な死刑存置を語る資格はないのよ。
でも、蝿は言い過ぎだったわね。訂正する。
蛆虫
死刑存置派と死刑賛成派だって、自己浄化するのよ。
2863
:
已む無し
:2010/05/31(月) 13:54:57
ふぅ・・・・・この書き込みの内容では、先のしげる一派?の方々とそう変わらない印象ですがね・・・・
>ただ、ハエが仕分け人とかマルサとかいった正義の使徒たりえないのは明白ですが
仕分け人とマルサを正義の使徒だと考える理由が是非聞きたいですね
でも凶悪殺人犯を仕分けする考えは正義とはとても思えないのですよね?
私は両方とも正義だとは思いません
社会のために已む無く行なうものだと思っております
2864
:
無精髭
:2010/05/31(月) 16:21:52
やぁ、已む無しさん、お帰りなさい。
>ふぅ・・・・・この書き込みの内容では、先のしげる一派?の方々とそう変わらない印象ですがね・・・・
しげる一派とわたしたち(便宜上ひとまとめにさせていただきますが、已む無しさん一人を攻撃することで
皆の結束を強めるために各人が足並みをそろえているというのは、已む無しさんの勘違いでしょう。
各人がそれぞれの動機から已む無しさんとのやり取りを重ねてきた結果、已む無しさんに対してある独自の不満を
持つに至ったため批判的な書き込みをしているわけで、実際、各人の批判が同じような内容を呈しているのは
誰一人として意図したことではないと思います)とを似通っているなどとお考えのようでは、こちらでのやりとり
ばかりでなく、2ch他の掲示板でもはたしてまともなやりとりがおできになるのかどうか、不遜ながらも先が
思いやられます次第。あと、已む無しさんはよく直観だけを頼りに類比を行うことが多いようですが、たとえ
「未論理」的に主張が生まれたからといって、その後に主張を論理的な形に整えないのは怠惰としか言いようが
ないと思われます。議論という営みは本来論理的に行われなければならないということは、ぜひとも心得て
いただきたいところ。これは、ここでのやりとりにのみ当てはまることではないです。死刑存廃議論が議論と
名の付くものである以上、立場の別なく議論に参加する者なら当然意識しなければならないことです。
さて、私たちのやっていることがしげるさんたちのそれと大して変わらないのだとしても、それを問題ありと
判断するのは私たちでもなければ、ましてや已む無しさんでもないわけです。もし事実仰るような具合なのでしたら、
boroさんの手で私たちはまとめて書き込み規制を被ることでしょう。しかしながら、現に私もこうして書き込み
できているわけですし、反対に五月のさんに蛆虫呼ばわりされた已む無しさんもそのように書き込みできている
わけですから、少なくともこれまでのやりとりにおいては双方ともにしげる一派ほどの悪質さは見られなかったと
判断すべきなのではないでしょうか。とはいえ、これからも私たちのやりとりが続くとして、このうちの誰かが
IP規制される可能性が絶対にないとはもちろん言い切れないですが。
>仕分け人とマルサを正義の使徒だと考える理由が是非聞きたいですね
仕分け人とマルサの例を持ち出したのは已む無しさんだということをお忘れでしょうか。実際こういった役割を
担う人たちが具体的に何をしたらよいのかということについて、今のところ言いだしっぺの已む無しさんから
これといった情報を与えられていない以上、「理由」なんておおげさな事柄については答えようがないです。
ただ、私としてはですね、
>>2844
を読んで何となく分かりかけたことが、すぐさま
>>2845
でなぞの修正をされているのを見て、頭から吹っ飛んでしまった次第ですよ。
2865
:
無精髭
:2010/05/31(月) 16:24:57
いずれにしろ、已む無しさんの文脈ではマルサは企業との関係において、仕分け人は法人との関係に
おいてはじめて是非を問えるものとして定義されているようですね。私もその点には同意していて、
マルサや仕分け人がそれ自体で善や正義に依拠した存在でなければならないということはないと考えています。
ただし、マルサや仕分け人の行為については、それが「社会のために已む無く行な」わなければならない
ことだとしても、その社会において善や正義とされる考えや手段からはけっして外れてはならないのでは
ないでしょうか。いわば、マルサや仕分け人の存在が必要悪(確か已む無しさんはこの言葉がお嫌いだった
ようですけどね。なんなら「業」でもいいですよ)としか言えないものだったとしても、その行為は
善や正義に適ったものでなくてはならないということです。不正を暴くという彼らにとって当然の義務が
正義ではないということはありえないでしょう。どうやらこのことに反対しようとなさっている已む無しさんこそ、
私の目には奇異な存在に映ります。善悪を問う上で、意思と行為を分けなければならないということは
已む無しさんも
>>2673
でお認めになっている(あるいは認めないとご自身の考えが破綻するので
しぜん認めざるを得ない)ことではありませんか。
>でも凶悪殺人犯を仕分けする考えは正義とはとても思えないのですよね?
どうして私がそのような考えを抱いているとお感じになったのでしょうか?
そもそも「仕分け」云々は已む無しさんが議論の仕方に関わるやりとりで
持ち出された一件のはずでしたし、私もその流れを汲んで発言いたしたつもり
でしたが、「凶悪殺人犯を仕分けする」というような実務上の事柄について
今回のやりとりで誰かが触れたというのは寡聞にして存じません。凶悪殺人犯が
のこのことこの掲示板に出向いてわざわざ死刑廃止論を展開しているということは
なさそうですし。
あとですね、思うに死刑議論においてマルサや仕分け人が善か悪かということよりももっと大事なことがありますよ。
それらが本当に必要なのか、いやそもそも存在すらしえるのかということですよ。存在しえないものの善悪を問うても
無駄ですから。先にもお書きしたように、マルサや仕分け人といった役割はよほどの才人でなければ務まらないのでは
ありませんか? これについてはマルサや仕分け人はどういったことをやらなければならないのかを、発案者の已む無しさん
からご提示いただくしかないですね。無論、みんなでその提案を吟味できるくらい具体的な形のものを。それと、私が
すごく気になっているのは、マルサや仕分け人はその職務をきちんと果たすために、議論には参加したほうがいいのか
しないほうがいいのか、ということです。職務を果せるかどうかということと議論に参加すべきか否かということとは
はたして無関係なのかどうなのかということが実は一番知りたいことですね。
2866
:
紫煙狼
:2010/05/31(月) 22:35:06
>>2682
ふぅ・・・・・この書き込みの内容では、已む無しサンとそう変わらない印象ですがね・・・・
確かに已む無しサンは非論理的で発言の一つ一つが支離滅裂で読解力に不自由なお方ですがね、
そこまで悪し様に言われなければならないほど閲覧者にとって迷惑な人ですか?
世の中には色々な人がいますよ。頭のいいの、わるいの。論理的なの非論理的なの。
ずるいの、ずるくないの。礼儀正しいの、無礼なの。
そういう意味では頭が悪くて非論理的でずるくて無礼なのも居ますよ。
でも、だからと言って蛆虫呼ばわりしてよい理由にはならないでしょう。
已む無しサンに死刑存置を語る資格がないというなら、返す刀でアナタはどうなんですか?
あなたの言う蛆虫よりは少しでもマシな事がいえるのですか?
どのみち、次の投稿は已む無しサンに対する謝罪で始まることを期待します。
2867
:
無精髭
:2010/05/31(月) 23:04:48
差し出がましくもここに記させていただきますが、シェンさんの>2866は
もちろんユーさん宛てのレスではなく、五月のさん宛のレス(
>>2862
)です。
一瞬ですけど、びっくりしちゃった。
>2863
>でも凶悪殺人犯を仕分けする考えは正義とはとても思えないのですよね?
ああ、やっと分かった気がする。「凶悪殺人犯を仕分けする考え」というのは
死刑存置論を指していたのですね。死刑存置論が正義に基づくものであるかどうか
なんて私には判断が付きませんね。ただ、正義に基づくとは言いにくいものを
そこに感じはします。ですが、これは廃止論についても同様です。
私が意外、というか首を傾げたくなるのは、已む無しさんが「死刑存置論とは
凶悪殺人犯を仕分けする考えである」というふうに考えていらっしゃることです。
これが「死刑制度は凶悪殺人犯を仕分けする」とか「凶悪殺人犯を仕分けする
考えとは現行の刑法と司法判断に他ならない」とかだったらまだ納得できるのですが。
また、死刑存置派とは死刑存廃議論において仕分け人、あるいはマルサ的な特権を
行使するような立場であるという已む無しさんの主張には強い抵抗感を覚えます。
かといって、別に廃止派にもその特権をよこせなどと申したいわけではないです。
ただ、失礼ですが、だいたいそんなもん死刑存廃議論にどうしても必要な論点
なのかなぁという疑問が拭えません。
社会のために死刑をやむを得ず存置するというのならまだ話は分かります。
でも、社会のために死刑存廃議論で仕分け人だのマルサだのをやむを得ず
演じるというのは全く理解できません。しかも、昨年の内閣府による世論
調査で死刑容認と回答した8割以上の国民の中で、よりにもよってなぜ
已む無しさんがそういう役回りに徹しなければならないのかが不思議で
しかたがありません。
それとも
>>2675
でも仰っているように死刑存廃議論をいまだ「腹の探り合い」
「値切り合戦」云々と捉えていらっしゃるのでしょうか。だとすると、已む無しさん
からすれば、別に死刑廃止派がマルサや仕分け人を演じても文句はないはずですよね。
というか、誰がそれらの役回りを演じても構わないことになりはしませんか。
だとすると、マルサや仕分け人というのは特別でも重要でもない役割ということに
なってしまうと思いますけど。そして、個々人が疑心暗鬼になりながらも社会の
ためだからなどという大義名分ばかりが先走っている議論にどんな価値が見出せる
というのでしょう。死刑存廃議論を行うことが社会のためになるかどうかなんて
抽象的なことにかかずらうのではなく、死刑存廃議論に参加していない・知識がない・
関心がないなどといった国民のために開かれた議論を重ねていくべきなのでは?
そのためには、まず已む無しさん個人の些細な動機、本音、矜持など捨て去らなく
てはならないのでは?
2868
:
無精髭
:2010/05/31(月) 23:20:32
>2866
まあ、でも已む無しさんからすれば、五月のさんも私もきっと同じ扱いなんでしょうね。
しかし、皆さんと違って私は諦めが悪いので、已む無しさんがここに書き込んで
来られる限りは、全身全霊でお相手いたす所存ですが(苦笑)。
2869
:
紫煙狼
:2010/05/31(月) 23:43:24
うげ!!
フォロー・サンクス>無精髭さん
大変失礼しました>Ufloatさん
2870
:
無精髭
:2010/06/01(火) 23:54:56
>>2864
で付けたアンカー、番号間違っております。
>2844→
>>2843
>2845→
>>2844
私も人様のこと言えませんやね。
さてさて、百歩譲ってマルサ的仕分け人的尽力が功を奏したおかげで、死刑廃止論は社会を害する理論
である(または死刑廃止派は悪人に他ならない、でもこの際いいですが)ということが当の已む無しさん
には疑いようがないほど明白な事実として直感的に察知されたとしましょう(已む無しさんには申し訳ない
ですが、マルサ的仕分け人的議論の方法とはいかなるものなのか、そもそもそれは方法化できるものか
どうかが、現時点ではまったく未知である以上、私としてはおそらく直感やら勘などといったものに
よって行われるものだろうと考えるしかありません)。しかしながら、そうして已む無しさんが死刑
廃止論について得た情報を自分の胸のうちにしまって置くだけで満足し、議論を止めてしまわれるの
だとすれば、マルサ的仕分け人的議論は単なる自己満足を得るための手段にとどまってしまうわけ
でしょう。それでは社会のためにも国民のためにもなりません。しかも、当の已む無しさんがマルサ的
仕分け人的詮索は社会のために行なわれるものだと宣言された以上、已む無しさんがたとえば以前
>>2439
でほのめかしたような方法で死刑廃止論に関して何らかの真実を掴んだのなら、それを
已む無しさん自身の満足のために供するのではなく、ちゃんと白日の下にさらす必要があるのでは
ないでしょうか。
私が思うに、已む無しさんは死刑廃止が世の中を悪くするということを何かの教義を真理として崇める
かのごとく確信していらっしゃるようですが、そこまではいいとしても、次にそれをどのように他人に
伝えようと考えているのだろう、またそれを他人に伝える(社会に指し示す)ことは実際のところ可能
なのだろうか、などといぶかしんでおります。人間の主観から独立して存在する真実とか事実といった
ものがありうるとしても、それに直面ないしそれを経験した人間にしか知ることができなく、その者が
他人に伝えようとしても決して伝えられないようなものだったとしたら、残念ながらどんな真実・事実も
オカルト的事象の域を出ないでしょう。
結局、どんな発見にもそのことについて万人が理解しうるための説明は不可欠です。そして個々人の
認識にとって共通・同一の指標となるものこそ論理に他ならないわけです。ここで勘違いされると困る
のは、いくら個々人が認識を共有するために論理が必要なのだといっても、同じ結論なり同じ主張なりを
もっていなければならないことはないし、また同じ立場に立っていなければならないこともないという
ことです。つまりここでいう論理とは、特定の理論を指すのでもなければ、ある理論体系の内側にのみ
通用する原理原則を指すのでもないということです。それは死刑存置においても廃止においても共通・
同一である言語の規則に他なりません。
たとえば已む無しさんが「死刑廃止論は世の中をダメにする」という認識をもとに死刑存置を説く
ようになったとしても、その理論の根底を支えている認識「死刑廃止論は世の中をダメにする」を
他の人が共有するためにまずは已む無しさんと同じように死刑存置を説かなければならないなどと
いうことはありません。いうまでもなく、前提を理解するために結論を受け入れろなんて無茶な
話は古今東西に類を見ないからです。
2871
:
已む無し
:2010/06/02(水) 00:54:03
個人的には一段落ついた感じです
どうも、ここの廃止論者の方々のスタンスとして
自分らはオーナーなので議論の相手を選ぶ権限がある
来訪者にはその権限はない、人の家にあがり込むのだからマナーを守るべき
(ただし、自分達に賛同する意見の持ち主はその責任を免除される)
というのが前提にあるのだなぁ・・・・・と感じました
また、これも感じました
ある個人の考えや思想、感情や感覚は
その本人、ただ一人で証明することを義務づけしているようだと
(これも死刑存置派だけに課せられた義務のようですが)
ある誰かが仮定をたてた説を、他の誰かが証明するのではいけないのでしょうかね
それでは不味い理由でもあるのでしょうかね
論理的ではないことだけで叩かれたことには正直ビックリしましたよ
これは、だいぶ溜めて発言させて頂きましたけどねw
好きな女の子にアプローチする為に、その子を自分の仲間達に襲わせて
その子のピンチに颯爽と助けに入り、「大丈夫か!怪我は無いか!」
な〜〜んていうベタなシチュエーションを何となく思い出しましたw
では、いつかまた逢いましょう
2872
:
Ken
:2010/06/02(水) 15:11:29
揉めてたのはそれ以前の話であって、死刑に賛成か反対かはほとんど関係ないような。
その証拠に死刑賛成派のLovelessさんとかとは普通に対話が成り立っているわけですし。
2873
:
Ken
:2010/06/02(水) 15:20:41
>>2835
ここで時代や社会風潮が違う場合に於いての残虐性を敢えて鑑みる必要はあるでしょうか。
ありますねー。昭和28年3月12日の最高裁大法廷判決を参照するべし。
この、一切合財、私の個人的な感覚ということにして議論を相対化させようとするのは何とかならんですかねえ。というか、私の見解は私の個人的な感覚でしかないというQさんの見解はQさんの個人的な感覚ですよね?
2874
:
ufloat
:2010/06/02(水) 20:31:00
>>2873
Kenさんがおっしゃっているのは、多分この有名な判決のことですね。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=56385&hanreiKbn=01
ただ、昭和28年ではなく23年ですが。
2875
:
無精髭
:2010/06/02(水) 23:59:31
>自分らはオーナーなので議論の相手を選ぶ権限がある/来訪者にはその権限はない
オーナーであろうが誰であろうが、議論相手を選ぶ権利は誰にでもあります。
>人の家にあがり込むのだからマナーを守るべき/(ただし、自分達に賛同する意見の持ち主はその責任を免除される)
私たちはその責任とかいうのを一応果たした上で、已む無しさんにも私たちと同じように決まりを守ってくれと要求
しているのです。私たちには守れるし果たせるのに、已む無しさんには絶対不可能という理由でもあるのでしょうかね?
已む無しさんは、議論に参加する者なら誰でも己の言において論理性が要求されるということを、
なぜだか議論では他人の意見を擁護したり代弁したりしてはいけないというふうに解釈されているご様子。
私たちは多数派が自らが多数派であるという事実を以って少数派の論を無下にするのは許されないとは
言ったかと思いますが、たとえば存置派が結集して協力体制のもとで議論を展開することを相対する立場
から禁じたことなどはないはずです。
>どうも、ここの廃止論者の方々のスタンスとして(中略)というのが前提にあるのだなぁ・・・・・と感じました
已む無しさんはご自身の直感が正しいかどうかを確かめるすべをご存じないようですから、結局、
それも已む無しさんの錯覚(思い込み)に過ぎないという暫定的な結論に落ち着かざるをえない
わけです。私たちを含めこれまでの経緯をよく知る者からすれば、私たち全員が間違っていると
考えるより、已む無しさんお一人が間違っていると考えたほうがずっと合理的ですからね。
>ある個人の考えや思想、感情や感覚は/その本人、ただ一人で証明することを義務づけしているようだと/(これも死刑存置派だ
けに課せられた義務のようですが)
本来はそうあるべきですね。でも、物事何でも理想通りにはいかないものですから、
考え出しはしたけれども当の本人には手に余る難問に他人が答えてあげたり、ある人にとって
ここいらがもう能力の限界だってところで代わりに誰かがフォローしてあげたり、
何らかの事情で中断してしまった議論を第三者が引き継いであげたりするのはむしろ
推奨されてもいいと思うのですがね。ところで、「ただ一人で証明することを義務づけ」云々
については当方、まったく身に覚えがないのですが。おそらくそれは已む無しさんご自身が
現にこのスレで窮地に立たされていることから感じられるごく私的な感慨に過ぎないのでは
ないでしょうか。つまり、個人の考えや思想、感情や感覚というのは誰でも等しく持っている
ものだと思われますが、已む無しさんのそれは世間の基準からあまりにもかけ離れていること
から、仰るような被害者意識、もとい偏見が生じるのではないかというのが一点。だからこそ、
私たちからすれば理解したくても理解できないことが多いし、已む無しさんに対して人よりも
余計に説明を求めてしまうことになるのだと思います。また、已む無しさんの主張は死刑存廃
議論の枠を大きく超えているため存置派の方々にもフォローしようがない、よって已む無しさん
お一人が孤立してしまうという結果になるのではないかと。別に已む無しさんの考えをうまく
代弁してくださる方が出てきても私たちとしては全然構わないですし、難解晦渋な已む無しさんの
主張を分かりやすく論理的に説明してくれるのであればそれは願ってもないことです。でも、
そういう奇特な方は今に至るまで一人も現れてはくれませんでしたよね。こりゃもう仮説と言うか
何というか、已む無しさんはその場その場の思いつきで適当な(?)ことを言いすぎだから、
誰にもフォローのしようがないのではありませんかね?
率直に言わせていただきますと、私は已む無しさんを存置論者だとは思っておりません。
その主張に論理がない以上、ただ漠然と死刑を存置せざるを得ないと思っている人なんだなと
思っています。ちなみに今更ですけど、「業」って一体何なのですか?
2876
:
無精髭
:2010/06/03(木) 00:00:58
>論理的ではないことだけで叩かれたことには正直ビックリしましたよ
叩かれるというのは穏やかではないですが、議論をお望みでありながら当のご自身は論理的でない
(論理的でなくても済まされる)というのは、たとえばサッカーの技もルールも知らずに見よう見まねで
サッカーをやろうとする者に近い印象があります。これってものすごく恥ずかしいと思います。
私としてはそんな已む無しさんに逆にビックリです。
>では、いつかまた逢いましょう
本当に私たちと議論をしたいとお思いなのでしたら、後生ですから、
もうちょっと経験値をつんで来てからにして下さい。あるいは、誰か信頼できるお仲間と
一緒に来られるとか。その場合は、お仲間が已む無しさんの意見をちゃんと私たちにも
分かるように伝えることができるというのが条件になりますが。已む無しさんみたいな人が
何人も来られちゃさすがにキツイ(苦笑)。一人でも充分すぎるほど手を焼いたわけですから。
前にユーさんが已む無しさんからは子どもの恐ろしさみたいなものを感じると仰ったことがありましたし、
シェンさんも小学生と形容されましたが、実際にかなりお若い人なのでしたら、まぁ、これまでの不祥事
については致し方ないのかなとは思いますけど。でも、論文を読むとき云々とか仰ったこともありましたから、
少なくとも大学生か大学を卒業した人以上の知性は持っておられるのだろうなとも勝手に憶測を逞しくして
おりましたけど。ただ、そうだとすると、事ある毎に論理的でないのを開き直ったり、議論のやり方に無頓着
だったりすることが余計に腑に落ちないわけです。そこで、学術論文は読んだことがあっても、各専門分野の
決まりごとに従ってちゃんと読むに堪え、第三者が評価できるような形式のものを書いたことはないというのなら、
大学生活の経験がある人とはとても言えないわけで、まぁその点については納得できなくはないのですけど
(レポート一つ物するにしてもそれなりの苦労はつきものでしょう。ましてやそれが初めてのことだとしたら
なお更です)。ただ、学歴に関係なく社会人であれば職種によってディベート力が試されるなんてことは
ざらにあることですし、どうもそういう思索的な生活・頭脳労働とは普段無縁な生活を送っていらっしゃる方
なのかなぁ、とも思いました。あんまりこういう穿鑿をしてしまうと、職業差別になってしまうかも知れないので
できれば自重したいのですが。。。已む無しさんがどういう考えを持っているのかを知ることができなくとも、
代わりにどういう人なのかさえ分かれば、それに見合った議論の仕方というのもこちらでは色々と選べるわけで。
2877
:
無精髭
:2010/06/03(木) 00:01:27
唐突ですが、そんな已む無しさんにアドバイス、というか参考図書を教えて進ぜましょう。
その前に申し上げておきたいことがあります。
>>2775
で已む無しさんは
>生死が絡むことについて議論する場合において、哲学やら宗教観は必要不可欠だと思うのですがね
とお書きになりましたけど、まぁ宗教観はともかく、哲学という言葉をお使いになったとき一体どんな
ことを念頭に置いていたのだろうかとずっと気になっていたのですね。まさか已む無しさんが法哲学を
語れるとは思われませんでしたし(かくいう私もできませんが)。ひょっとすると哲学についても漠然と
したイメージしか持っておられないのではないか、ならばそんなものを必要不可欠だとお思いになって
しまうのはどうなんだろう、もしや危険ではないか、と考えもしました。
ただ、私としては已む無しさんのご意見に賛同はしたい。何を議論するにせよ哲学は有用であるというのは
確かなように思われるからです。以下参照。
http://media.excite.co.jp/book/daily/friday/019/
ここで紹介されている新書は良書だと思います。それと、ぜひとも4回のインタビュー全てに目を通していただきたいです。
あと、これ↓とか。
http://www.amazon.co.jp/%E8%AB%96%E6%96%87%E3%81%AE%E6%95%99%E5%AE%A4%E2%80
%
95%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%8B%E3%82%89%E5%8D%92%E8%
AB%96%E3%81%BE%E3%81%A7-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%88%
B8%E7%94%B0%E5%B1%B1-%E5%92%8C%E4%B9%85/dp/4140019549
論理学の入門書とかクリシン本とかなら手ごろなやつがいくらでもあると思いますが、そういうのを読む前に
上記二冊を読めばそれだけでだいぶ効果が表れると思います。いくら已む無しさんが
>>2816
で仰ったように
本を読むときはその著者の意図に注目するのが基本だという考えにこだわらざるをえない心性なのだとしても、
たとえばテニスのルールブック(受験のための参考書でも家電の説明書でもいいですけど)を読むときには
いちいち書き手の意図なんか気にしないですよね? 同様に議論にもルールブック(あるいはテクニックを
習得するための本)はあるんですよ。本を買うのがいやでしたら、議論のやり方についてぜひネットで調べて
みてください。せっかくパソコンを持っているのでしたら、2chばっかりやってないで、いろんなサイトを
巡って勉強したり見識を広めたりしないと。人生損しますよ?
2878
:
無精髭
:2010/06/03(木) 00:03:16
リンク張りなおします(今度はちゃんと張れているかな?)。
http://www.amazon.co.jp/%E8%AB%96%E6%96%87%E3%81%AE%E6%95%99%E5%AE%A4%E2%80%95%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%8B%E3%82%89%E5%8D%92%E8%AB%96%E3%81%BE%E3%81%A7-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%B1%B1-%E5%92%8C%E4%B9%85/dp/4140019549
2879
:
シアン化カリウム
:2010/06/04(金) 06:06:42
すみません。初のレスです。
突然入ってこんなこと言うのも何なんですが、中にいる人達は気付かない
ようなので何点かお聞き(指摘)したいと思います。
1.各人の意見が集約されていない。(論旨がボケてる)
2.丁寧に書いているように見えて、実は上から目線に終始している。
3.単なる長文でだらだら書いているだけで、見づらくなるだけ。
法律関係者の頭でっかちな人にありがちなことなのかも知れませんが、
ROMしていると、なんとも独善のるつぼにしか映りません。
国民が1億人いれば、1億通りの考えがあるわけで、議論の中でその
1億通りを網羅する必要などないと思います。むしろ、国民の一人として
の率直な真摯な意見を言えばいいのではないでしょうか。
傍観者の意見でした。失礼しました。
2880
:
Q
:2010/06/04(金) 13:30:47
>>2854
>「AとBの方法があって、効果はほぼ同等。ただ、Aの方がミス時のリスクが高い」
私もその様な考え方をする事については異存ありません。
リスクの捉え方をどの様に認識するのかをなるべくお互いが納得のいく様に話し合う事が出来れば良いのではないでしょうか。
凡庸な私がufloatさんのご意見をどこまで理解し得るかは判りませんが、
出来るだけその様に努めますので、先ずはご意見を聞かせて頂ければと存じます。
2881
:
Q
:2010/06/04(金) 13:35:07
>>2873
>ありますねー。昭和28年3月12日の最高裁大法廷判決を参照するべし。
その判決文は私も存じて居ります。(ufloatさんが仰る様に昭和23年の判決文であるならばですが)
その後の日本の死刑制度が拷問や必要以上の苦痛を与える事を目的とする様な結果になったと言い得るのであればKenさんが「ある」と仰る事に納得も出来ますが、
現在の日本に於ける死刑制度がその様な物であるとの認識が私にはありません。
また、私以外の殆どの者が死刑は犯罪者に必要以上の強い苦しみを与える為にある残虐な刑だと認識し得る社会性を得たのであるならば、
日本に於いて現状の様な死刑存置の支持には至らない筈です。
それならば、何故日本に於いて現状の死刑は許容されると人々に捉えられているのかを考えて見るべきでは無いでしょうか。
絶対的に死刑は認めないと仰る方々に対しても、その根本的理由は様々あるであろうと考えてみるのですが、
故に、死刑制度だけが人道上否定されなければならない程残虐である、とKenさんが断定して仰る根拠とは何かについてを伺っております。
因みに、私は一切合財をKenさんの個人的な感覚という事にして議論を相対化させようとはしていません。
そもそも絶対的ではない事として「Kenさんの個人的な感覚」と申しているのですから、それを相対化させようとする意図は必要がありません。
Kenさんが「(
>>2808
)応報として死刑の存在意義は無い」「(
>>2809
)この様な制度は狂っている」と言い得るだけの根拠についての説明を求めているだけです。
>>2813
で仰っている「死刑には当て嵌まる残虐性」と「無期懲役には当て嵌まらない残虐性」とはKenさんにとって如何な物であるのか、
「仮釈放無しの無期懲役刑(絶対的終身刑)」は許容し得るが「死刑」は許容し得ないとする残虐性の基準の差とは何か、
>>2831
で仰っている「以下抜粋」として示した私の発言趣旨が狂っていると断定し得る具体的理由とは何か。
これらはKenさんの個人的感覚としてその様に認識しているからこその発言である筈だと思うのですが、私はその事についてお伺いしています。
2882
:
Ken
:2010/06/04(金) 14:20:39
>>2874
うはは、ウィキペディアの利用は注意したほうがいいと偉そうに書いといて、不用意にウィキペディアを参照したらこのざまですよ。
訂正、どうもありがとうございます。
2883
:
Ken
:2010/06/04(金) 14:37:50
>>2881
また、私以外の殆どの者が死刑は犯罪者に必要以上の強い苦しみを与える為にある残虐な刑だと認識し得る社会性を得たのであるならば、日本に於いて現状の様な死刑存置の支持には至らない筈です。それならば、何故日本に於いて現状の死刑は許容されると人々に捉えられているのかを考えて見るべきでは無いでしょうか。
これは同義反復、意味のない議論ですよ。
「人々は死刑を許容している」→「だから死刑が存置される」→「死刑が存置されているということは人々は死刑を許容しているということだ」→(以下無限ループ)
>>現在の日本に於ける死刑制度がその様な物であるとの認識が私にはありません。
この判決が何年前のもので、それから何年前までこの判決で明確に否定された刑罰が行われていたかを調べてみるべし。
>>因みに、私は一切合財をKenさんの個人的な感覚という事にして議論を相対化させようとはしていません。
ほんとにー?というか私が気に入らないのは、私の投稿は私の個人的な感覚として相対化するのに、Qさんの意見は普遍的な事実として絶対視することなんですけど。アメリカで絞首刑が不人気なのは私の意見でもくそでもなくて単なる事実ですよ。
>>「このような制度」
「狂ってる」は私の個人的感覚による言葉の選択ですけどね。このQさんの提案に関してもQさん風の死刑存置理由と同じように考えてみればどうでしょうか。
2884
:
Ken
:2010/06/04(金) 14:47:30
>>2879
>>1
.各人の意見が集約されていない。(論旨がボケてる)
各人の意見が集約されなければならない理由を述べよ。話はそれからだ。というか、あなたの意見はどうみても他の人の意見と集約されているようには見えないのですが。
>>2
.丁寧に書いているように見えて、実は上から目線に終始している。
上から目線に終始してはいけない理由を述べよ。話はそれからだ。
>>3
.単なる長文でだらだら書いているだけで、見づらくなるだけ。
これはその通りですね。無駄に長く書く必要はないです。というか論旨を分かりにくくさせるだけですよね。ただ、「この部分はこれくらいシンプルに書ける」というふうに具体的に指摘したほうが親切ですね。
>>国民が1億人いれば、1億通りの考えがあるわけで、議論の中でその1億通りを網羅する必要などないと思います。むしろ、国民の一人としての率直な真摯な意見を言えばいいのではないでしょうか。
何が言いたいのか分からない。つまり一億分の一の個人的な意見を表明すればよいだけだと?それでどうやって各人の意見を集約させるのですか?
ちなみに、今の時点でこの掲示板には「法律関係者」はおらんでしょう(いたらごめんなさい)。いたらもうちょっとましな議論になっているはず。
2885
:
Q
:2010/06/04(金) 15:16:53
>>2883
>これは同義反復、意味のない議論ですよ。
私は「何故現状の日本人の大多数は死刑を許容するのかを考えてみませんか」と申しています。
これが同義反復であるとは言えないと思います。
>この判決が何年前のもので、それから何年前までこの判決で明確に否定された刑罰が行われていたかを調べてみるべし。
この様な事を言う場合は具体的にその事例を示して下さい。
私の認識では、法的に規定された絞首以外の執行方法や、拷問であると認識される様な刑罰が法的に行われた事実を知りません。
>ほんとにー?というか私が気に入らないのは
アメリカで絞首刑が不人気だという事実はがあれば、何故それを絶対的な定義としなければならないのでしょうか。
また、私の意見の何を指して絶対視を求めていると仰るのでしょうか、
この議論に於いて私は犯罪者に死刑を科す事を絶対と言った覚えはありませんが。
色んな意見、考えを持つ者達で審理を重ねた結果として、死刑が選択される必要性もあるだろうと申している筈です。
>「狂ってる」は私の個人的感覚による言葉の選択ですけどね。
その根拠を伺っています。
私が死刑存置を求める理由や根拠はこの場で既に申している筈です。
ところで、私がお聞きしたいと申した事に関しては、結局お答えは頂けないのでしょうか。
2886
:
ufloat
:2010/06/04(金) 21:12:11
>>2880
それではお言葉に甘えまして。
私のスタンスに関しては、Qさんにもおおむねご承知いただけているかと思いますが、
基本的には冤罪のリスクを重視して、死刑に慎重な姿勢を取っています。
純粋な廃止派の方々には怒られるかもしれませんが、もし冤罪について
折り合いがつけば、必ずしも死刑に反対し続ける気はありません。
それで私、昔は存置派であったことも手伝いまして、Qさんやlovelessさん
(女子高生コンクリ詰め536)のご意見には賛同するところが少なからずあるのです。
ただ、私の場合は現在でも「中立派」や「慎重派」を名乗っているように、
今のところは存廃双方の論に対して一定の慎重姿勢を取っており、
仮にこの理由を基に存置派に回ったとしても、
「死刑は存在するべきと世論が判断するならば、死刑は存置する。
死刑は存在すべきでないと世論が判断するならば、死刑は廃止する」
程度の意見になるとは思いますが。
しかし、先のような意見に「賛同するところ」がありながら、私がそれでも
今のところ死刑に慎重なのは、やはり「冤罪」の観点があるためです。
仮に冤罪の可能性が1%程度であったとしても、
世間を納得させるために死刑囚100人につき1名の無実の人間の命を奪う
というのは、私にはどうしても納得がいかないのです。
>>2879
ご期待に沿えなくてすみませんね。私、無学者なのです。
だらだら書きが多いというご意見はごもっとも。これは私も悪い癖であると
自覚しておりますが、直しようがなくて困っております。
意見が集約されていないことに関しては、私もKenさんと同様に
無理に集約する必要性は感じないといいますか、
諸派あった方が議論としては面白いのではないかと。
2887
:
シアン化カリウム
:2010/06/04(金) 21:46:01
>>2884
>>2886
いや、ご丁寧にレスありがとうございます。
集約という意味は、別に、○○論とかいうことで、無理にこじつけてい
く必要があると言っているわけではないので、そこだけは誤解を解いて
おきたいと思います。
集約していないと言った意味は、個人としての意見が論旨として纏
まっていないため、何が主張なのか、何がテーマなのか解らない
ということです。そして、それでは意見交換としても不毛ではないか
と思っただけです。
で、本音を言いますと、スレタイには興味を感じるものの、レスの趣旨
が読み取れないとか、個人攻撃的な話とか、排他的なレスとかが目
立っているように思えて、せっかくのスレを活かせていないのではと
残念に思った次第です。
で、ご提案ですが、箇条書きを多用してみませんか?
見やすくはなると思うんですけどね。
あと、蛇足ですが、止む無しさんに、一人が正解で、多数が誤って
いると考えるより、一人が誤りで多数が正解と考えるのが合理的
とか言っていましたが、それなら大多数の支持を受ける死刑を
少数派の廃止派が間違っているというのは不合理です。
たとえ多数派であっても真摯な態度は必要だと思いますよ。
まあ、止む無しさんを支持するかどうかは別ですけどね。
2888
:
シアン化カリウム
:2010/06/04(金) 22:11:21
>>2886
すいません。横レスになってしまいますが。
>世間を納得させるために死刑囚100人につき1名の無実の人間の命を奪う
>というのは、私にはどうしても納得がいかないのです。
この意見には納得性があります。
ここで言う「世間」って「存置派」って読み替えてもいいですよね。
あなたの意見はもっともなんですが、私は次のように考えます。
廃止派を納得させるため、死刑廃止によって命を存えた囚人100人のうち
半分は改心し、改心しなかった囚人の半分は再犯を犯し、再犯を犯した囚人
の半分は殺人を犯したとすると12人の命が奪われることになります。
絶対終身刑も導入しないで死刑廃止をすることで、普通に生活をしている
12人の犠牲者が出ても良いとするなら、私は納得できません。
命は数の問題ではありませんが、どちらを優先すべきかは明白だと思います。
2889
:
ufloat
:2010/06/04(金) 22:49:53
>>2888
失礼ですが、シアン化カリウムさんはいつごろからのROMでいらっしゃるのでしょう。
私が主張しているのが「死刑を仮釈放なし終身刑に置き換えた場合」であることは、
かねてからの私の主張を見ていただければお分かりになるかと思いますが
(何百もの過去ログなんか読んでいられるか!とおっしゃるならば、
「死刑廃止後の代替刑の想定は無期懲役ですか?仮釈放なし終身刑ですか?」と
ツッコミを入れる以前にまず聞いてくだされば、ちゃんとお答えしました)。
横からツッコミを入れていただくのは別に構いませんが、その際にはツッコむ相手の論を
よく読んで、あるいは確認して理解してからにしていただきたいと存じます。
本来の対象であった返答相手を置き去りにして、議論がどんどん横道にそれてしまうので。
もう1つ言うならば、シアン化カリウムさんは已む無しさんとのやり取りについて
一体いつごろからROMされている(あるいはさかのぼって読まれた)のでしょう。
もし已む無しさんがいらっしゃった当初から読んでおられるなら、スレッドの趣旨とは
離れた記事が増えた理由はご理解いただけるはずですし、それ以前の記事も読めば
本来のこのスレッドの姿というものが分かると思うのですが・・・。
もちろん無理に読めとはいいませんが、参加者に対して批判的な論評をなさりたいならば、
状況を把握してからにしなければ、無用なトラブルを招く恐れがあるかと存じます。
2890
:
紫煙狼
:2010/06/04(金) 23:09:25
>>2888
>命は数の問題ではありませんが、どちらを優先すべきかは明白だと思います。
仰るとおりです。そしてそこにシアン化カリウムさんはご自身で答えを出していますね。
>絶対終身刑も導入しないで死刑廃止をすることで
現在、死刑判決を受けるだろう程度の犯罪を犯した者による再犯は終身拘禁刑の導入で
クリアできる問題です。少なくとも「死刑廃止に反対する理由」が一つ減りますよね?
このように、死刑によって社会が得ているメリットを、一つ一つ何らかの代替案で
クリアしていけば、いずれかのタイミングで死刑によるメリットがデメリットを下回る
ときが訪れるでしょう。
冤罪と言うのは死刑制度によっておきるものではなく、犯罪捜査や法運用によって発生する
ものですから、逆に冤罪死刑に不安を抱く廃止派(慎重派)は、この問題に対し
「冤罪が発生し得ない犯罪捜査と法運用」の方法を考えることで「死刑を存置することに
反対する理由」がなくなります。
・再犯が発生しないこと
・冤罪が発生しないこと
この二つは死刑存置派・廃止派の両方にとって「喜ぶべきこと」ではないでしょうか?
そして、お互いがお互いにとって「喜ぶべきこと」が増えていって、最後に残るのは
・でもやっぱり、凶悪犯が生きているのは「生きているというだけで」許せない。
・でもやっぱり、気に食わないという感情のために命を奪うというのは許せない。
という感情の対立でしょうね。実はここまで到達して初めて死刑存廃論に哲学や倫理学を
持ち出すことが出来るのであって、それすらできていない現段階では、話を複雑にする
のみだと、私は考えます。
まずはお互いに懸念する材料を持ち寄ることではないでしょうか?
それをクリアすることは互いの利益になるはずですから。
2891
:
無精髭
:2010/06/04(金) 23:15:06
雑談スレには、意見と事実の区別がつかない人がいたかと思えば、
このスレには、死刑存廃議論と議論に関する議論(メタ議論)の
区別がつかない人がいるようですねえ。
私の已む無しさんに対するレスが個人攻撃だの誹謗中傷だのといった
一言で片付けられてしまうのも悲しい限りですねえ。私としては
精一杯助言、ないしは粘り強く説得していたつもりだったんですけどね。
長文だらだらとか論旨ぼやけにもそれなりの事情があったわけでして。
>で、ご提案ですが、箇条書きを多用してみませんか?
シアンさんにも議論相手を選ぶ権利は当然あるわけで、シアンさんは長文読解が
苦手、もしくは長文でのやり取りがめんどくさいとお感じなのでしたら、
シアンさんとのやり取りに限り(たとえばQさんのようなタイプの方とやり取り
する上では、見た目上の読みやすさを犠牲にしてでも長い文章を書かなければ
お互いにとって良くない結果になると感じるものでして)、その案を採用する
ことについて何ら不服はないです。
2892
:
紫煙狼
:2010/06/04(金) 23:26:31
ちなみに…小学生に「死刑について」という題材を与え、ある程度の期間、自由に研究調査の時間を与えます。
そのうえで、最終的に死刑存廃について意見討論をさせると、かなり高確率で「死刑は廃止すべきだ」という
結論に達します。
小学生には政治的判断とか、実現可能性とか、ありませんからね。自分で作った枠の中に相手を当てはめたりしない。
「だから廃止派は…」とか「だから存置派は…」なんて先入観で相手を見ませんからね。純粋に問題点と解決策を
提示してくれますよ。それを実現するのは決して簡単ではありませんけれどね。
信じられないなら、同じように「戦争について」を考えさせたらどうなるか…想像してみると理解できますよ。
高確率で「世界平和」「戦争反対」という結論を出してくれます。壮大で素晴らしい結論です。
私は、そんな子供達の夢をかなえる大人達の一人でありたいと考えます。
2893
:
無精髭
:2010/06/05(土) 00:25:24
蛇足ですが、、、
私たちは別に多数派であることを盾に已む無しさんを批判していたわけではないですねぇ。
ほんの少し前に書いたことですが、已む無しさんとのやり取りに関しては私たちにはそれぞれ
の経緯や動機があるわけで、一見已む無しさんを批判するために一致団結しているように見える
としても、已む無しさんとのやり取りの結果そうなっているというだけにすぎません。
つまり、紫煙狼さんもufloatさんも私も誰に頼まれるでもなく自分から已む無しさんとやり取り
してきた結果、已む無しさんに対して各自の視点・経験から、共通・もしくは酷似した内容の
結論に至ったという次第ですが、しかしながら当然論述過程や手法に関してはそれぞれ違いが
あるわけです。一方で、已む無しさんの方はというと、批判と呼べるようなものは全くといって
いいほど返してこず、論述も根拠提示もおろそかにする始末。こういった認識が事前にありさえ
すれば、以下の文章
>>どうも、ここの廃止論者の方々のスタンスとして(中略)というのが前提にあるのだなぁ・・・・・と感じました
>已む無しさんはご自身の直感が正しいかどうかを確かめるすべをご存じないようですから、結局、
>それも已む無しさんの錯覚(思い込み)に過ぎないという暫定的な結論に落ち着かざるをえない
>わけです。私たちを含めこれまでの経緯をよく知る者からすれば、私たち全員が間違っていると
>考えるより、已む無しさんお一人が間違っていると考えたほうがずっと合理的ですからね。
についても「なるたけ根拠を挙げ詳細に論述している私たち全員が間違っていると考えるより、
自分を弁護し相手を批判するための行動一切をおろそかにしている已む無しさんお一人が
間違っていると考えたほうがずっと合理的」というふうな趣旨のことをいっているのだなと思う
ことができるでしょう。しかしながら、たとえば文脈をないがしろにして「私たち『全員』」とか
「已む無しさん『お一人』」とかいった語句に必要以上に・偏執的に反応した場合、
「それなら大多数の支持を受ける死刑を少数派の廃止派が間違っているというのは不合理」
などという飛躍した発想が生まれてしまうみたいですねえ。
大多数の支持によって死刑が存置されているのではなく、より多くの論拠によって死刑が存置
されているのであれば、それを廃止派が間違っていると主張するのは当然不合理でしょうが、
そもそも人の意思はそれ自体では論拠となりえませんからねえ。
2894
:
シアン化カリウム
:2010/06/05(土) 05:52:44
すみません。連投を避けるため、3レスをまとめたので長レスになってしまいました。
言ってることとやってることが違ってしまい申し訳ないです。
>>2889
>私が主張しているのが「死刑を仮釈放なし終身刑に置き換えた場合」であることは、
>かねてからの私の主張を見ていただければお分かりになるかと思いますが
見ていませんでした。自分には長文を読む根気がありません、すみません。
ここにいらっしゃる方はみなさん絶対終身刑支持という認識でいいですか?
それなら自分の思い違いです。前言を撤回してお詫びします。
>>2890
>>2892
>・再犯が発生しないこと
>・冤罪が発生しないこと
そうありたいですよね。
>・でもやっぱり、凶悪犯が生きているのは「生きているというだけで」許せない。
>・でもやっぱり、気に食わないという感情のために命を奪うというのは許せない。
>という感情の対立でしょうね。
いや、再犯は「人を殺したい」、冤罪は「こいつが犯人に間違いない」という感情
につきるのかと思います。その後の結果に対して抱く感情ではないと思います。
もっとも、再犯防止、冤罪防止ではなく、「死刑存廃」だけを議論したいならあな
たの言う通りだと思います。
>小学生には政治的判断とか、実現可能性とか、ありませんからね。
はい、相手が総理大臣の息子であろうが、イジメるかも知れません。
小学生だって大人だって、大半の人は犯罪を犯そうなどど考えているわけじゃない
ですよね。子供は、そういう異端者がいるということを「知らない」だけということが
大きいのではありませんか?(人生経験が浅いですからしかたないんですが)
それに子供って、意外と純粋に残酷ですよ。「おばさんブタさんみたいに太い」
とか「おじさん何でハゲてんの?」とか平気で言ったりしますしね。
>>2891
>>2893
>私としては精一杯助言、ないしは粘り強く説得していたつもりだったんですけどね。
あまりさかのぼって読まずに意見してしまい、非礼をお許しください。
ただ、あの近辺では「袋叩き」という印象が否めなかったものですから…。
それに、あなたのレスを引き合いに出してしまいましたが、他にも人格攻撃に
しか、見えないレスもありましたし。(そのレベルには付き合いたくないので、
あえて書きませんでした)
>そもそも人の意思はそれ自体では論拠となりえませんからねえ。
自分は、人の意思はたとえそれが感情に支配されたものであっても、論拠
足り得るのではないかと思いますね。自分以外の人が自らの脳で考える
ことをせず、独自の判断を下していないとするなら論拠になりませんが。
人間ってそもそも理論で片づくもんじゃないし、何の根拠もなく感情が動い
たり意思が働くものでもないのではないでしょうか?
2895
:
ufloat
:2010/06/05(土) 08:11:07
>>2894
>みなさん絶対終身刑支持という認識で
私は現状では仮釈放なし終身刑を代替刑として想定していますが、
「みなさん」のご意見は分かりません。
>>・でもやっぱり、凶悪犯が生きているのは「生きているというだけで」許せない。
>>・でもやっぱり、気に食わないという感情のために命を奪うというのは許せない。
>>という感情の対立でしょうね。
>いや、再犯は「人を殺したい」、冤罪は「こいつが犯人に間違いない」という感情
>につきるのかと思います。その後の結果に対して抱く感情ではないと思います。
>もっとも、再犯防止、冤罪防止ではなく、「死刑存廃」だけを議論したいならあな
>たの言う通りだと思います。
話がかみ合っていない気がするのですが、いかなる意味でしょう。紫煙狼さんの
>お互いがお互いにとって「喜ぶべきこと」が増えていって
というのはつまり、「冤罪や再犯などの諸問題」がなくなっていくという
意味であると解釈するのが妥当ですから、すなわち
「冤罪や再犯などの各種問題がなくなれば、最後に残るのは感情の対立だ」とおっしゃる
紫煙狼さんの言に対し、シアン化カリウムさんの返答は意味がよくつかめませんでした。
よろしければもう少し噛み砕いて教えていただけないでしょうか。
それと、謝罪・撤回をされている方に「追撃」のようなマネをするのは本意ではありませんが、
議論をするにあたって少々見過ごせない点がいくつかあるので、ここで書かせてください。
実は私、
>>2888
を読んだ時点で、「無期懲役を最高刑にすべきと言っているように
他人に取られかねないことを、過去に書き込んだことがあっただろうか」と
少し考え込んでしまったのです。しかし、
>見ていませんでした
ということは、私の言動が誤解を招いたわけではない様子。
だとしたら、
>>2888
は「わら人形論法」ですね。簡単に言えばこういうこと。
A「死刑には冤罪があるので、今のところ納得しきれていない」
B「あなたは無期懲役を最高刑にせよとおっしゃるが、
かくかくしかじかの理由であなたの意見は誤りだ」
それと、
>>2879
とか
>>2887
は、これまでの経緯について
>あまりさかのぼって読まずに
意見を述べられた記事のようですが、経緯をほとんど読んでもいないのに
「頭でっかち」だの「上から目線」だの「独善のるつぼ」だの「個人攻撃」だの
非難や中傷と取られてもおかしくないようなことを述べるのはいかがなものでしょう。
例えるなら、裁判の閉廷直前にやってきて、3分間だけ様子を見てから
判決を下すのと同じくらい、とんでもないことだと思います。
2896
:
Q
:2010/06/05(土) 14:52:02
>>2886
死刑では無くとも冤罪被害の危険性とは全ての刑罰に於いて認められている事でありますが、
私は、冤罪リスクがあるからという理由によって刑罰の目的や存在が否定されなければならないとは考えません。
同時に、世間を納得させるために死刑囚100人につき1名の無実の人間の命を奪うと言う様な、冤罪の容認的論旨は私にとっても認め難いものです。
現状の制度運用に於いて、冤罪の発生は仕方が無い物であるといえる程の対策が採られているとは到底思えない事であり、
冤罪被害を防ぐ為の措置は如何なる場合に於いても最善が求められるべきあり、死刑の場合に於いてもその判断には更に慎重を期すべきだと思うからです。
ただ、どこまで慎重を期そうとも冤罪が生まれる可能性は0には出来ないと言う事も否定は出来ない事ですが、
殊更に死刑のリスクだけを問題とし、死刑を廃する事によって冤罪被害の危険性が廃されるという事にはならないと思います。
現状の日本に於いて、年間の獄死者は凡そ10名程度存在すると聞きますが、
その様な者達の中に、冤罪被害者が存在し得る可能性は死刑の場合と比して如何程あるでしょうか。
死刑を廃したとしても、その事によって長期間収監される者が現状よりも増加する場合、必然的に獄死者の割合は増えると考えられます。
その中に冤罪によって収監されたまま死亡に至ってしまう者が存在すれば、結局冤罪リスクが減る事は無いのではと考えるのですが、
ufloatさんが「もし冤罪について折り合いがつけば」と仰る場合に、
現在の死刑以外の刑罰が持つ冤罪のリスクについて、どの様に折り合いをつけておられるのかを伺っても宜しいでしょうか。
2897
:
ufloat
:2010/06/05(土) 15:20:31
>>2896
確かに、死刑を終身刑にしたところで冤罪のリスクはあります。
しかし、死刑の冤罪と終身刑の冤罪では、あまりにも不可逆性に差があったり、
冤罪被害者の不利益が違いすぎ、質的に異なるため、同一視は不可能と考えております。
冤罪で終身刑を科された場合、確かに獄死してしまう可能性はありますが、
逆に翌日にも真犯人が見つかったり、冤罪の決定的証拠が見つかり、
釈放となることも否定できません。
また、処刑されてしまえば、もはや冤罪被害者が自由を回復する機会、
生きているうちに名誉を回復する機会は永久に失われます。
さらに、終身刑の受刑者であれば、再審などの各種制度や言論活動によって
自らの無実を訴えることもできますが、死刑の場合は処刑された時点で
それも不可能となり、不利益が極めて大きいと考えます。
「世間を納得させるため、無実の人間に上記のような不利益を背負わせる」のは、
やはり私としては納得がいきません。
2898
:
Q
:2010/06/05(土) 16:22:46
>>2897
冤罪被害者が受ける不利益の質とは同一視出来ないものだと仰りながら、その差異については果たして高低を付けられる物なのでしょうか。
不可逆性を問う場合に於いて、生命だけでは無く、時間や人生に於ける喜びや希望も不可逆性を持つと思います。
例えば、青年であるからこその人生の輝きとは絶対的に取り戻せない物であり、そこで失う関係性や環境といった物は、人によって生命と匹敵する物に為り得ます。
また、ufloatさんが仰る「冤罪が晴れる可能性」についてですが、確かにその可能性はあると思うのですが、
日本の場合、起訴に至るまでにある程度の慎重性を求められているが故に、公判で決定された事実を覆す事は非常に困難を要します。
正に「決定的な証拠」や「真犯人の自供」でも出てこない限り、冤罪が晴れる可能性は殆ど無いと言う事も言えてしまいます。
冤罪が晴れない可能性を考えた場合、その者の苦しみや絶望とはどれ程苛烈な物となるであろうかも考えてみてください。
更に、重刑に於ける死亡の話だけでなく、冤罪を晴らす事が叶わないまま刑を終えてしまった者の苦しみは、
決して死刑や獄死と比して軽いと言える物ではないと思います。
冤罪を晴らせない場合とは、死亡してしまった場合に限った話ではありません。
証拠が無い者、公判を維持するための金や時間が無いものにとっては、冤罪を死ぬまで抱えていかなければならないのです。
死刑の場合に於いて、執行されてしまえば確かにそれまでとなってしまいますが、死刑判決から一転冤罪を晴らす場合は注目度も高く、
冤罪の可能性を示唆した場合、その事によって刑の執行は延期され、再審の可能性について充分に吟味される事が往々にしてあります。
その為に20年、30年という期間、執行の延期が為されている事も事実なのです。
ufloatさんが仰る「冤罪が晴れる可能性」とは結果的に期間の話に集約される筈なので、その機会は死刑囚であっても得ている筈だと思います。
2899
:
ufloat
:2010/06/05(土) 20:43:50
>>2898
こうなると、ほぼ確実に無限ループですね。残念なことに。
死刑をどうするかは別として(というより、死刑問題にさえ絡んでいなければ)、
「生命刑の冤罪は極めて重い」という普遍的であると思われる事実が、
それほど受け入れられにくいものとは思えないのですが・・・。
>時間や人生に於ける喜びや希望も不可逆性を持つと思います
>人によって生命と匹敵する物に為り得ます
生命同様に「時間や喜び、希望も不可逆的」で、それらは「人によって生命に匹敵する物ともなる」
からといって、無実の者の生命を奪うことが正当化されるものでしょうか。
>正に「決定的な証拠」や「真犯人の自供」でも出てこない限り
それが出てくる可能性はあるわけですね。
科学捜査の技術が進んだ現代や未来では特に。
>冤罪が晴れない可能性を考えた場合、その者の苦しみや絶望とはどれ程苛烈な
冤罪は晴れる場合もあれば、晴れない場合もあり、その苦しみが重いものであるのは確かですが、
「冤罪が晴れない可能性を考えた場合、苦しみや絶望は苛烈」だからと
その者を処刑するのには同意しかねます。
>重刑に於ける死亡の話だけでなく、冤罪を晴らす事が叶わないまま刑を終えてしまった者の苦しみは、
>決して死刑や獄死と比して軽いと言える物ではないと思います。
全くおっしゃるとおりですから、これは死刑存廃関係なく
取り組んでいかなくてはならない問題かと存じます。
>公判を維持するための金や時間が無いものにとっては、冤罪を死ぬまで
裕福であるか否かで冤罪を晴らす可能性に差が出るというのは、
本来あってはいけないことではないでしょうか。
でしたら、これも死刑存廃関係なく取り組むべき問題かと存じます。
>死刑判決から一転冤罪を晴らす場合は注目度も高く、
>再審の可能性について充分に吟味される事が
これと同等の吟味・注目度を、終身刑の場合にも持ち込むことは可能ですよね。
死刑の場合には十分吟味するくせに、終身刑ならば吟味をぞんざいにするのは、
職務怠慢とのそしりを受けても仕方のないことかと思います。
>20年、30年という期間、執行の延期
これは要するに、死刑を実質的に終身刑として運用しているということですね。
だとすれば、Qさんがご指摘の問題は終身刑だけでなく死刑にも当てはまることになりますが、
Qさんのような立場の方からして、これは好ましいことなのでしょうか。
2900
:
loveless
:2010/06/05(土) 22:06:32
>>2885
>私は「何故現状の日本人の大多数は死刑を許容するのかを考えてみませんか」。。。
単純に考えると、大きな理由としては「現状に満足している」or「現状になんら問題ない」と思っているからですかねー。
不満があるなら、時効制度のように積極的に改正する方向へ動くでしょう。
で、なぜ多くの日本人がそう思うかといえば、その根底には、なんやかんや言っても日本政府、およびその主権たる
日本人自身を信用しているからだろう、と思ったりします。
#もし、私が中国人だったら、たぶん死刑廃止派ですよw
2901
:
Q
:2010/06/05(土) 22:50:22
>>2899
私は生命刑に限らず全ての刑罰に対し、冤罪被害が存在する事は極めて重い事だと申しています。
勿論死刑に対し冤罪を問題にする事は普遍的事実ですが、死刑以外の刑罰に対してもそれは同様であると言う事です。
何も、死刑であるからその事実を受け入れないで良い等という事を申している訳ではありません。
当然に無実の者の生命が奪われる事を正当化しようという意図は無く、
自由や尊厳を奪う事も同様に本来的には許されてはいけない事である筈だと申しているだけです。
>それが出てくる可能性はあるわけですね。科学捜査の技術が進んだ現代や未来では特に。
元より、その可能性は否定していません。
そして、その可能性は死刑囚に対しても同様に享受される筈です。
また、出てこない可能性についても懲役囚と死刑囚では同様である筈です。
>「冤罪が晴れない可能性を考えた場合、苦しみや絶望は苛烈」だからとその者を処刑するのには同意しかねます。
私はその様な趣旨の発言をしてはいません。
冤罪が晴れなかった場合、その者は冤罪被害で処刑される者と同様に、
過酷な長い時間を無実でありながら収監され続けた上に、結果として死亡する事があると申しています。
死刑があろうとなかろうとも、その様な被害を受ける可能性は今現在も存在し得るのです。
>死刑の場合には十分吟味するくせに、終身刑ならば吟味をぞんざいにするのは、職務怠慢とのそしりを受けても仕方のないことかと思います。
死刑の場合として例示しましたが、殊更に死刑だけの話としている訳ではありません。
無期懲役囚や長期懲役囚に於いても、量刑が重いとされる刑罰程慎重を期す形となるだろうと存じます。
>これは要するに、死刑を実質的に終身刑として運用しているということですね。
それは違うと思います。
死刑の運用目的とはあくまでも犯罪者に死を科す事である筈です。
あくまでも、執行の延期措置であり、その理由とは正に冤罪被害を出さない事だと存じます。
念の為にもう一度述べさせて頂きたいのですが、
私は
>>2896
の冒頭に於いて、私の発言趣旨の大前提として
「冤罪被害を防ぐ為の措置は『如何なる場合に於いても』最善が求められるべきあり、死刑の場合に於いてもその判断には更に慎重を期すべき」
と申しております。
「生命刑の冤罪は極めて重い」という事を蔑ろにして意見を述べていると言う事は決してありません。
2902
:
Q
:2010/06/05(土) 22:52:57
>>2900
現状に満足しているという表現は私も同感です。
この掲示板を拝見させて頂くと、中には今以上に過酷な死刑制度を望む方も少なくは無い様に見受けられますが、
結果的に長期に渡ってそちらに強く傾く事も無く制度は支持されている様ですから。
満足という表現には、ただの油断や無関心や怠惰と言った印象を抱く方も居られるかとは思いますが、私には丁度良い表現であると感じられます。
電車の中で荷物を網棚や膝の上に置いたまま眠る人を見て驚く外国人は少なからず居る様です。
基本的に日本人は他人を信用する文化や習慣を根強く維持し続けているのでしょう。
2903
:
紫煙狼
:2010/06/06(日) 01:41:55
>>2900
>#もし、私が中国人だったら、たぶん死刑廃止派ですよw
いや、それは無いでしょう。中国人は中国の死刑制度に満足している
もしくは問題を感じていない。そこに問題を感じないような教育を受け
そこに問題を感じさせないような報道を見ているのですから。
いや「これと同じことが日本にも言える」という意味ではありませんよ。
単に中国は思想や心情まで国政が支配している国だということで、そこは
日本のような国とは大きく異なりますから。
lovelessさんが何らかの理由で中国の国籍を得て、中国で生活しなければ
ならなくなったら、確かに死刑廃止派に転じるかもしれませんね。
でも、中国の犯罪はハンパなく非道ですから、自分が外野に居る限り
廃止を訴えることも無いのではなかな、と思いました。
私が同じように中国籍を得て中国で暮らさねばならなくなった場合は、
「冤罪で死刑になるやもわからない」「マトモな裁判を受けられるとは
かぎらない」という「自分にふりかかるかわからない」リスクより
「政府のやり方を批判して身を危険にする」目先のリスクに怯え、
死刑賛成派に転じます。
私が死刑反対を唱えているのは、単に「日本でそれを唱えること自体が
すなわち身の危険を意味するものではない」という安心感あっての事。
2904
:
紫煙狼
:2010/06/06(日) 02:04:17
>>2894
>みなさん絶対終身刑支持という認識でいいですか?
私はむしろ終身拘禁刑の導入には反対です。いや、この言い方は正しくないですね。
「判決時点で仮釈放を含む社会復帰の可能性を排除する刑罰には反対」という言い方が
正しいでしょうか。ただし、著しい素行の改善や更生が見られなかった結果、終身拘禁と
いう結果になる事に関しては問題がないと考えています。
>子供は、そういう異端者がいると(中略)大きいのではありませんか?
いや「重犯罪を犯すのが楽しくて仕方ない」という異端児の存在は小学生でも
知っていますよ。大人にとっては他愛も無いイタズラが子供にとっては重犯罪
だったりしますからね。それをわざと犯して喜ぶ愉快犯の存在は知っています。
>それに子供って、意外と純粋に残酷ですよ。
そう、意外に残酷な子供が「死刑反対」という結論を出す、ということが重要です。
2905
:
紫煙狼
:2010/06/06(日) 03:21:43
>Qさん
もともと、私の中では犯罪者と言うのは「犯罪を犯す」という一種の病気の人なんですね。
「何らかの状況において目的のために刑法を犯すという手段をとるに吝かではなくなる病」
とでも言いましょうか…。
Qさんは報復的刑罰の期間を過ぎた者を収監し続けるのは、起こしていない犯罪に対する罰を与えるのと
同じであるから間違っている、と言うようなことを仰いましたが、それは「懲罰」であるという考え方に
基づくものであって「治療」という考え方ではないから誤りになるのだと考えます。だいたい懲罰であるなら
「罰によって懲りさせる」ことが必要で「罰を与えても懲りていない」なら懲罰になりません。刑罰を受ける
受刑囚に求められる心の在り方が一様であるならば、落第・再履修もまた必要で、一定の成果を収めない限り
卒業証書を授与してはいけないのです。
こう考えると、報復主義による刑罰の与え方では「治癒できない」患者が出るのは当たり前です。
「30万円の詐欺事件を起こした犯人」が「殺人犯」より軽い病気であるとは言えないですから。
フグ毒と有機水銀で比較してもいいかもしれません。
・急速に強烈な症状が出て致死性は高いが、それを乗り切れば殆ど障害をのこさないフグ毒
・急速に症状が出ることは稀だが、発症すれば、ほぼ一生涯にわたり障害が残る有機水銀
どちらが厄介でしょうね。
よく医者が「全治○週間」のような診断を下しますが、そんなのぁ目安でしかありません。
「○週間経てば必ず直る」と言う意味でもなければ「○週間経てば無条件に治療を完了してよい」
という意味でもありません。私は判事の下す判決による刑期も、この診断と同じであるべきだ、
そう考えるわけです。刑罰を社会復帰のための治療と位置づければ、入院期間が病状の経過によって
変化するのは至極当然のことですよね?
ただ、一般予防の効果を考えると「病状が収まりさえすれば即刻出して構わない」というものではありません。
どんなに「病気としての重症度」が低くても「犯罪としての悪性度」が高ければ「完治」の診断を下すまでには
相応の期間が必要です。(ガンは病巣を取り去っても最低5年経過しなければ完治と言わないですよね?)
この相応の期間こそが「刑法に定めるところの刑期」ではないかと考えるわけです。
従って現行刑法の「○年以上、○年以下の懲役」のような書き方も、上記に従って考えれば全て
「○年以上の収監による経過観察」と書くべきでしょうか。
人類が社会を形成し、いわゆる法律なるものを作ってから千年以上の時間を経て「罪罰法定主義」という
考え方に到達したのは格段の進歩ですが、私は「罪罰法定主義」が最終形態であるとは考えないわけです。
2906
:
シアン化カリウム
:2010/06/06(日) 10:13:39
>>2904
>そう、意外に残酷な子供が「死刑反対」という結論を出す、ということが重要です。
結論を出す、ですか?
それとも結論を出すこともある、ですか?
そこのところは明確にお願いします。
必ず死刑反対という結論に至っているとしたら、日教組の思惑通りということでしょうか?
サンプリングが、おぼっちゃま教育をしているようなところなら、ある意味納得ですが。
ちなみに、あなたの社会復帰論では、例えば人を殺すことに快楽を覚える人間は、
新たな快楽を得るために、必死で模範囚のふりをすれば、何度でも目的を達成できる
ということでしょうか。そのために、何人の命が奪われようと決して止めることはでき
ないと…。
どうやって、その更生ぶりを判定しようと思っているのかお聞かせください。
2907
:
紫煙狼
:2010/06/06(日) 10:47:31
>>2906
>結論を出す、(中略)は明確にお願いします。
高確率で「死刑反対」という結論を出す、と前述しています。
>必ず死刑反対という結論に(中略)ところなら、ある意味納得ですが。
なぜそのようにお考えになられましたか?
>ちなみに、あなたの社会復帰論では(中略)決して止めることはできないと…。
それは「完治」していませんよね?症状が治まっているだけですよね?
>どうやって、その更生ぶりを判定しようと思っているのかお聞かせください。
正直言って「無策」です。私は医学者ではありませんし心理学者でもありませんから、
自白罪のような薬物の研究や、催眠のような両方研究が進めば冤罪自白もなくなるだろうし
「更生しているフリ」も見抜ける日が来るだろう、とは考えていますが。
確かに現状では無理ですよね。従って現状において死刑を存置することは仕方がないと
私も納得しています。
シアン化カリウムさんはここまでのレスをあまり読み込んでいらっしゃらないようですので
お断りしておきますが、私は「現状において死刑を存置すること」に賛成し、
「将来的に死刑は廃止されるべきである」と唱え「死刑廃止に必要な問題点や方法論を洗い出すべきである」
という立場です。
子供達の夢をかなえる見返りに子供達に生命の危険をもたらすようなことは考えていません。
2908
:
紫煙狼
:2010/06/06(日) 11:13:40
現実論は大切ですよ。現実を直視することなしに理想だけを語っても仕方がありません。
死刑存置派や死刑賛成派は現実主義の方々が非常に多い。それは決して悪いことではありません。
しかし、人類の進歩は理想を実現するためのあくなき追及ではありませんか?
であれば、理想を考える者もまた必要でしょう。そして、現実主義の人々と、
理想家の人々が、協力し合って理想を実現していくべきであると考えるのですが、
いかがでしょう?
たとえば…「凶悪犯罪がなくなれば死刑なんていらない(意見A)」に対し
「でも凶悪な犯罪が実際に起きているではないか!(意見B)」が対立するのは不思議です。
意見Aに対立しうるのは「凶悪な犯罪がなくなっても死刑は必要である(意見C)」でしょう。
意見Bの人は「犯罪がなくなる」という前提条件を無視しているので、意見Aを理解できていない、
つまり「題意を理解できていない」のですね。化学の試験問題に「理想気体など存在しないから
そもそも問題がまちがっている」と言うのと同じで、点数は与えられません。思考実験と言うのは
あくまで前提条件に従って思考した場合、どのような結論に至るかが重要です。
そして、こと、上記に挙げた例題で言えば「犯罪を無くす」ということはA/B/Cの三者に
共通した理想ではありませんか???
であれば「犯罪がなくなれば」の前提条件を実現するために3者が協力し合わなければならないのは
自明ではないかと思うのですが、なぜその実現をAだけに求めようとするのでしょう?
そこが私には理解できないところですね。。。
2909
:
無精髭
:2010/06/06(日) 14:09:36
>2894
>自分は、人の意思はたとえそれが感情に支配されたものであっても、/論拠足り得るのではないかと思いますね。
人の意思が感情に支配されているか否かによってそれが論拠足りうるかが定まるという論点について、私は言及した覚えがありません。
>自分以外の人が自らの脳で考えることをせず、独自の判断を下していないとするなら論拠になりませんが。
つまり、「人の意思『それ自体』」は論拠となりえないということにはご賛同いただけるわけですね?
>人間ってそもそも理論で片づくもんじゃないし、何の根拠もなく感情が動い/たり意思が働くものでもないのではないでしょうか?
申し訳ありません。「人間ってそもそも理論で片付くもんじゃない」と仰りながら、すぐさま「何の根拠もなく感情が動いたり意志が
働くものでもないのではない」かと仰る意図がよく分かりませんでした。シアンさんが感情が動いたり意志が働くことに何らかの
根拠を見出すこともおありなのであれば、それについては理論化を行うことができなければおかしい道理ですが。
2910
:
無精髭
:2010/06/06(日) 14:10:02
(以下は、>2909の詳細Ver.)
>自分は、人の意思はたとえそれが感情に支配されたものであっても、論拠足り得るのではないかと思いますね。
シアンさんが「どこそこの店のカツどんは日本一うまい」と主張したいとして、そのための論拠として
「俺にはその店のカツどんが日本一うまいと感じられたからだ」という主張を付け加えたら、先の主張は
説得性を増すと思われますか? 当然「じゃあ、日本一うまいって何を基準にして言ってるんだ?」という
反論が返ってきますよね。そこでまた「もちろん俺の価値観だ」とか主張したら、先の主張の論旨は当初と
比べてより堅固なものとなるでしょうか? 「人の意思はそれ自体で論拠となりえる」という主張は
そういう論理を自他ともに承認するということですよ。不毛この上ない気がしますが。
ちなみに「いやあ、俺がその店のカツどんを日本一うまいと感じたことにもそれなりの理由があるはずなんだ、
口ではうまく説明できないけど」と言うだけで当の理由を述べないのであれば、その時点ではそれが論拠足り
えないのはお分かりいただけますよね?
紛らわしいというか厄介なのは、「その店のカツどんは日本一うまいということで日本人の大半は意見が
一致している」というのが仮に事実であるとして、それが論拠となりえるかどうかですね。私が思うに、
これは先の反論「じゃあ、日本一うまいって何を基準にして言ってるんだ?」に対して「大多数の人々に
おける価値観の一致(私の感覚は万人のそれと比較しても特別なものとはいえない)」という返答には
なりえています。しかし、そもそも「日本人の大半がその店のカツどんは日本一うまいということで意見が
一致している」という事実は、人々の意思とは異なる理由(何々産の豚肉やお米を使っているとか、非常に
手が込んだ調理法であるとかいったこと)から生じているのです。したがってその理由をも先の論拠を裏付ける
ものとして付け加えなければならないため、この場合も人の意思それ自体が論拠となっていると見なすことは
できません。また、もし人の意思とは異なる理由を付け加えずに、人の意思のみを論拠としていくら重ねて
いったとしても、たとえば「その店のカツどんが日本一うまいかどうかは人の意思のある特定の質や規定
以上の量で決まる」といったような議論上の共通前提がなければ、実際には論拠として通用しないでしょう。
ただし、より強力に「ある店のカツどんが日本一うまい」と主張するためには、「日本一のカツどん」とは
一体どんな基準から選ばれるかということだけを決めればいいわけではなく、本来は日本国民全員が全国の
店のカツどんを食べてみた上で判断すべきであるのは論を俟たないでしょう。ですから、死刑議論のように
価値判断が優先されざるをえない議論であっても、各人が協力し合って事実なりデータなりをできるだけ
網羅し、それらの信憑性を確かめた上で行われるべきなのかも知れませんね。
>自分以外の人が自らの脳で考えることをせず、独自の判断を下していないとするなら論拠になりませんが。
いや、むしろその逆だと思いますよ? 独自の見解なり判断なりで自らの感情なり感覚なりから得た情報を
根拠としたり裏づけに利用したりすることは、人の意思(主観)をそれ自体(主観的判断)で論拠とすること
なので、己のバイアスを排除する段階が抜け落ちている点に問題があります。しかし一方で、自らの感覚や
感情をたとえば精神医学や心理学や社会学などの客観的な説明体系の中で無個性かつ普遍的なものとして
一度把握しさえすれば、そこから得られた情報はすでに当の理論による分析と精査の段階を経ているわけですから、
それを論拠とする場合には先のような問題は発生しません。
2911
:
無精髭
:2010/06/06(日) 14:16:57
>人間ってそもそも理論で片づくもんじゃないし、何の根拠もなく感情が動いたり意思が働くものでもないのではないでしょうか?
いかなる感情や意思にせよ、実際に表れ、当人に自覚されてからのち、それが表れ出た理由なり根拠なりが
意識的な作業の下認識されるわけで、そもそも表れなかったり自覚されなかったり意識的な作業の下その発生の
理由なり根拠なりが見つからなかったりした感情や意思については、実際そこに理由なり根拠なりが存在するか
どうかが不明なのですから、感情や意思に何らかの理由なり根拠なりがある可能性が否定できないと言う一方の
認識のみをもってそれを論拠とすることは当面保留すべきでしょう。言うまでもなく、感情や意思一切が何らかの
根拠なり理由なりを伴っているといって片付けるには、人間の活動は不合理な部分を多く含むからです。
したがって、何の根拠もなく感情が動いたり意思が働いたりするものではないのだとしても、それだけをもって
理論で説明が付かない部分とされる感情や意思それ自体を客観的な議論のための論拠として採用できるということは
万に一つもありえないでしょう。
2912
:
Q
:2010/06/06(日) 18:13:21
>>2905
私が犯罪者に対して科すべき事として定義し得るのは、(基本的に)懲罰としての科刑しか考えられません。
何故ならば、本来的に刑罰とは彼らの為を思い、彼らを救済する事を目的として科す物では無いと認識しているからです。
あくまでも、其々の犯罪者が行った罪や害悪とは如何なる物であるのかが根本的に問われなければならないのだと考えます。
既に申している事ではありますが、刑罰を科す事としての効果とは犯罪者其々の精神に期待するしか無い物である筈であり、
如何様な方法を採ろうとも、その効果や結果を他者が完全に強制する事は無理な事だと思います。
刑期が満了し、懲りていない者を釈放する事となっても、その者が再犯を働くかどうかは確定していない筈なのです。
反省悔悟が無くとも、出所後生涯に渡って働き、死ぬまで再犯を行う事さえしなければ、その者は結果として更生したと言えます。
紫煙狼さんが仰る治療とは、即ち更生教育の手段、その効果や結果を如何に高めていくのかと言う事に尽きると思うのですが、
残念ながら、その効果や結果を事前に見極める為の手段を我々は有していないと思うのです。
客観的に判断し得る表面的な素行や態度によっては、現状であっても既定に従って刑期の延長はあり得る事だと思うのですが、
信じられない程悪辣な精神を有しながらも、恰も教育によって改心した人間の様に見せかける事は容易でありますし、
冤罪によって収監されている者は、その罪を認めなければ認めない程、自らの首を絞め続ける事になります。
30万円の詐欺罪を犯した人間を審理する際、その者の精神が殺人を犯した者の精神と比してどれ程病んでいるのかは到底知り得ない事です。
よって、その際に審理し判断し得る事というのは、30万円の詐欺罪を犯したという事実に基づいてのみ行われる事になります。
その事によって応報的に量刑は科されるのであり、不特定な予測に依っての量刑判断が為されるべきでは無いと考えます。
この人間を治療する為にはどの程度の期間が必要であるかという判断は、実際的な経験やデータによって為されている筈ですが、
それも、医学的に明確な治療結果を予測し得るからこそ、その様に判断する事が可能となるのではないでしょうか。
それならば、個々の人間の精神を明確に知り得る術を持たない我々が、如何にしてその判断を下す事が出来得るのでしょうか。
私は、あくまでも心象的な参考として、主たる事柄に付与される以上の判断材料とは為り得ないのではないかと考えます。
紫煙狼さんが仰る事は心情として理解は出来ます。
私にも何故犯罪を犯す者が存在してしまうのか、何故同じ過ちを何度も繰り返し人を害するのかという憤りや失望感はありますから、
その様な者による再犯などで、新たな被害者が生じる事は極力避けるべく努力する事は必要かと思います。
しかし、「○年以上の収監による経過観察」と言うのは、どうしても法定刑の原則に抵触する事ではないかと感じるのです。
公の審理に依って判断された量刑とは違い、特定の個人又は組織による不確定な判断が基準となる筈ですから。
紫煙狼さんご自身も仰る様に、将来的にはどうなるかは定かではありませんが、現在に於いては実現は難し過ぎるご意見だと思います。
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