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大中華世界的話題
1
:
とはずがたり
:2005/05/29(日) 00:58:57
数千年に亘ってユーラシア大陸東端部で中心的な地位を占めてきた中国とその周縁部(日本・朝鮮・蒙古・台湾・西蔵・越南・樺太・満州・渤海etc)に関する綜合スレ。
構想半年遂に立てます。今までの各スレに分散してきた関連レス等は
>>2
で
1108
:
千葉9区
:2009/07/16(木) 00:21:37
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009071502000071.html
アルカイダ系が報復宣言 イスラム世界 反発
2009年7月15日 朝刊
【ウルムチ=小坂井文彦】中国・ウルムチの暴動後、ウイグル族を武力で抑える中国に対し、イスラム世界が反発を強めている。国際テロ組織アルカイダ系組織が14日、報復を宣言。トルコとインドネシアでは、中国への抗議デモが続く。国内問題にとどめたい中国政府の思惑とは裏腹に、事態は国際問題の様相を見せ始めている。
報復宣言したのは、アルジェリアに拠点を置く「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」。十四日付の香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストが英国の民間情報会社の報告を基に伝えた。
アフリカ北西部で働く中国人数万人を対象にテロを仕掛けるという。アルカイダ系組織が中国を直接威嚇するのは初めて。報告によると他の組織でも報復への動きがみられる。
中国外務省の秦剛副報道局長は同日の定例記者会見で「テロは中国だけでなく、国際社会への挑戦だ」と中国批判の矛先をかわし、「海外の中国人を守るために必要な措置を取る」と強調した。
一方、ウイグル族と歴史的につながりの深いトルコでは、エルドアン首相が「まるで虐殺だ」と、強い表現で中国政府を批判。首都アンカラでは中国旗が燃やされた。
世界最大のイスラム人口を擁するインドネシアでは、保守派が十三日に続き十四日も中国大使館前で抗議。「虐殺をやめろ」と書かれた横断幕を掲げ、ウイグル族のための「聖戦」を呼び掛けた。
イスラム世界以外ではスペインでウイグル問題への関心が高く、メディア数社の記者が現地入り。「バスク問題があり、市民の興味をひく」からという。
1109
:
とはずがたり
:2009/07/16(木) 19:09:11
>>1103
>>1106
中国LOVEな俺ですが,中国の帝国主義的野望には注意を払う必要があろう。
なんか定期的に中共の大本営発表を書き込んでいるのが居るけど。。。
分離独立派等への外国の放任・支持に断固反対
1 :netene:2009/07/16(木) 12:05:37 210.72.21.228
外交部の定例会見で14日、秦剛報道官が内外の記者の質問に答えた。
----中国政府は一貫して、ウルムチ「7・5」事件が世界ウイグル会議を頭とする国外の分裂勢力が煽動したものであることを証明する、確かな証拠があると言っている。中国政府は、世界ウイグル会議の背後に他国政府の支持があると疑っているのか。
私たちは、それがいかなる外国および外部勢力であれ、「3つの勢力(民族分裂勢力・宗教過激勢力・国際テロリズム勢力)」を放任・支持することに断固反対する。私たちは彼らに対し、「東トルキスタン」勢力を含む「3つの勢力」への支持を直ちに停止するよう要求する。国外の「3つの勢力」が近年、中国の国家としての安全を脅かす活動に携わり続け、関係国が彼らをかばい、放任し、資金援助を行ったきたことを証明する、大量の事実がある。私たちは、「3つの勢力」へのいかなる形の資金援助や支持も停止するよう、これらの国々に望み、また強烈に要求する。
----中国とイスラム諸国との関係について。
中国とイスラム諸国との関係は、平和共存五原則、とりわけ相互尊重・平等互恵を基礎に、引き続き前向きに発展していく。中国は数多のイスラム諸国、ムスリムの兄弟が、「7・5」事件の真相を見極められることを希望する。彼らも真相がわかれば、中国の民族・宗教政策、および中国が講じた措置を理解できるだろう。
1110
:
とはずがたり
:2009/07/17(金) 15:11:49
ウランの開発協力提案へ=日モンゴル首脳会談−麻生首相
http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=pol_30&k=2009071600714
麻生太郎首相は16日夜、首相官邸でモンゴルのバヤル首相と会談した。鉱物資源の開発や核実験を強行した北朝鮮への対応を中心に意見交換する。
モンゴルはウランなどの鉱物資源が豊富で、輸出産業への育成を目指し開発を進めている。会談で麻生首相は、原発の燃料となるウラン調達のため、原子力技術や資金面での協力を提案。会談後に、バヤル首相と覚書を交わす。
また、モンゴルは北朝鮮と友好関係にあることから、麻生首相は同国への制裁措置を盛り込んだ国連安全保障理事会決議の履行に向けて、バヤル首相に協力を要請する。(2009/07/16-18:53)
1111
:
千葉9区
:2009/07/17(金) 21:30:04
http://mainichi.jp/select/world/news/20090718k0000m030063000c.html
インドネシア:ホテル爆弾テロ ユドヨノ政権に大きな打撃
【ジャカルタ井田純】インドネシアの首都ジャカルタの中心部で17日朝、米系資本の高級ホテル「JWマリオット」と近くの「リッツ・カールトン」で連続爆弾テロが発生、ニュージーランド人ら9人が死亡し、米国人ら外国人18人を含む50人以上が負傷した。8日の大統領選で再選を確実にしたばかりのユドヨノ大統領にとって大きな打撃となった。
国家警察によると、午前8時(日本時間同10時)前、最初に「マリオット」のロビー付近で、直後に通りをはさんでほぼ向かい合っている「リッツ」のレストランで、相次ぎ爆発があった。多くの宿泊客が朝食中だった。
両ホテルから、頭部と腕を大きく損傷した2遺体が見つかり、国家警察は自爆テロ犯とみている。マリオット18階の客室からノートパソコンのケースに入った未使用の爆発物も見つかり、2日前から部屋に宿泊していた人物が事件にかかわっていたとみて調べている。
「リッツ」では、道路に面した側から裏側まで、レストランの階のほとんどの窓が枠ごと吹き飛び、周囲に大量のガラスが散乱。朝食中に爆発に遭い、頭などを負傷した韓国人男性(57)は搬送先の病院で「大きな爆発音の直後、意識を失い、気がつくと誰かに助け出された後だった。ユドヨノ大統領のもとで治安が回復されたと思っていたのだが。恐ろしい」と語った。
事件が起きたメガ・クニンガン地区は、標的となった高級ホテルのほか新しい高層オフィスビルが並び、近年のインドネシアの発展を象徴するエリア。両ホテルは地下でつながっており、欧米や日本からの宿泊客が多い。
事件を受けて会見したユドヨノ大統領は「法に基づいて犯人を捕らえ、罰する」と解決への強い姿勢を示したが、時折、言葉を切って深く呼吸するなど、珍しく動揺を押し殺すような様子も見せた。
インドネシアでは02年から4年連続でバリ島のナイトクラブやジャカルタのオーストラリア大使館などで爆弾テロが発生。イスラム過激派「ジェマー・イスラミア」の容疑者らが逮捕されている。JWマリオットでは03年8月に爆弾テロがあり、12人が死亡、150人以上が負傷した。
事件を受けて、インドネシア訪問予定だった英プレミアリーグの人気サッカーチーム、マンチェスター・ユナイテッドがツアーをキャンセルした。一行は18日夜にジャカルタ入りし、事件のあったリッツ・カールトンに宿泊する予定だった。
◇インドネシアでの主な爆弾テロ◇
02年10月 バリ島のディスコで爆弾テロ、日本人2人を含む202人死亡
03年8月 ジャカルタのJWマリオット・ホテル前で自動車爆弾が爆発、12人死亡、約150人が負傷
04年9月 ジャカルタの豪大使館前で自動車爆弾が爆発、9人死亡、180人以上負傷
05年10月 バリ島で3件の同時自爆テロ、自爆犯を含む計23人死亡
09年7月 ジャカルタの米国系ホテル2カ所でほぼ同時に爆弾テロ、計9人死亡
1112
:
千葉9区
:2009/07/17(金) 21:31:07
↑とは関係ないけど
http://mainichi.jp/select/world/news/20090715k0000e030073000c.html
インドネシア:大統領選投票もゼロ 文明を拒むバドゥイ族
東西5000キロの33州が沸いたインドネシア大統領選は、推計投票率80%(14日現在)で、平穏に終わった。首都ジャカルタでは、市民が「印米に次ぐ世界3番目に大きい民主国家」の成熟を誇らしげに語る。だが、そこから80キロしか離れていない近郊の山地に「投票率ゼロ」の村があった。信仰と生活風俗の考え方から、選挙を含めたあらゆる文明と無縁の生活を守る人々が今も暮らす。文明を拒む小さな集落のたたずまいを紹介する。【カネケス村(インドネシア・バンテン州)で井田純】
カネケス村は、ジャカルタから車で4時間弱。「バドゥイ族」と呼ばれる人々が暮らし、村の入り口の門の脇には「すべての乗り物の進入を禁ず」の立て札があった。カネケスでは自転車すら許されず、電気も通じていない。乗り物すべてがタブーなのだ。
北米に多いプロテスタントの一派「アーミッシュ」も文明を拒む信仰だが、移動には馬車を使う。バドゥイ族はさらに禁欲的だ。
バドゥイ族は、履物をはかない、字を書かないなど、より厳格な慣習を持つ内バドゥイと、やや世俗化した外バドゥイに分かれて暮らす。「内」から「外」には移れるが、その逆はない。「外」を出て街に住んだ場合も同様。イスラム伝来時に改宗を拒み、文明を逃れて山に移った人々の子孫といわれるが、正確にはわかっていない。
内バドゥイの人々は、オランダ統治時代も第二次大戦中も、彼らが「アダット」と呼ぶ伝統に基づき、イスラム教ともヒンズー教とも違う独自の土着信仰と生活様式を守った。現在の人口は内バドゥイ約1300人、外バドゥイが約1万人。
投票日を前に、外バドゥイの集落を訪ねた。村入り口の門から約40分、険しい山道を歩くと、竹で編んだ壁とヤシの葉でふいた屋根の高床式住宅が並んでいる。主産業は農業。女性たちが縁側で糸をつむぎ、機を織っている。外国人の立ち入りが禁じられている内バドゥイの集落までは、さらに2時間の道のりという。
街に出るために「外」の集落に出てきた「内」住民のアジャさん(57)に会った。裸足で、頭に布を巻きつけた独特の姿だが、選挙のことも候補者の名前も知っていた。「選挙のことを話す人が4回ほど村に来た」という。投票率向上を図る選挙委員会の啓発活動らしい。「でも、投票には行かないだろう。外の世界にはかかわらず、自分の暮らしを続けるのがアダットだから」。ジャワ西部で使われるスンダ語の古い方言で話す。
「誰が選ばれようと、結果には従うが、選ぶ仕組みには関心がない」というアジャさんは、年2回、3日間歩いてジャカルタを訪れる。「世の中はときどき見るだけで十分だ」
カネケス村長のダイナさんによると、村の有権者は内と外で計約6300人。4月の総選挙も今回の大統領選も、投票率は2割程度だった。投票したのは全員が外バドゥイで、内バドゥイの選挙参加は「これまで一度も例がない」と言う。
1113
:
とはずがたり
:2009/07/19(日) 02:43:29
>>1103
,1106,1109,1113
中国大使館襲撃事件でオランダが謝罪
1 :ミヤちゃん:2009/07/08(水) 18:18:57 7 210.72.21.228
在オランダ中国大使館によると、現地時間6日午後1時に「東トルキスタン」分子150人余りが大使館前でデモを行ない、デモはすぐに組織的で計画的な暴力事件になった。そして「東トルキスタン」分子は、準備していた石や卵を大使館に投げつけ、中国国旗を燃やし、大使館の柵をよじ登ろうとするものまで現れ、一部のデモ参加者は刃物を所持していた。この暴力事件で中国大使館の大通りに面するガラスは全て割られ、屋根や壁、表札なども損傷を受けた。
オランダのフェルハーヘン外務大臣は7日夜、在オランダ中国大使館が「東トルキスタン」分子に襲撃された件について中国政府に謝罪し、中国大使館が受けた重大な損害の賠償を行い、法律に則って事件の当事者を取り締まり、今後このような事件が再発しないことを保証すると示した。
1114
:
千葉9区
:2009/07/26(日) 11:46:57
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090725/kor0907250311001-n1.htm
【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 女性議員の肉弾戦
2009.7.25 03:10
このニュースのトピックス:韓国
韓国の国会がまた派手な大立ち回りを演じている。乱闘劇など大荒れ国会というのは、国際的には台湾が一時、よくやっていたが最近は韓国が大活躍だ。先には議員がどこから持ち出したのか、大型ハンマーを振るって議場のドアをぶち破るシーンが世界のマスコミを飾った。今回は本会議場で女性議員がくんずほぐれつする“肉弾戦”がテレビをにぎわしている。
最近の韓国国会の混乱は民主党など少数派の野党が多数派の与党ハンナラ党の採決に応じず、実力抵抗しているためだ。野党の抵抗闘争はどこの国でもあることだが、妥協が下手で白か黒かの“極限闘争”が得意といわれる韓国文化だけに抵抗は実に激しい。
今回の女性議員による肉弾戦は、街での女性のケンカ風景そのものだった。ただ韓国女性のファッションはスラックス姿が一般的なため、スカートでなかったのは幸い? スカートで寝技を含む取っ組み合いをやっては目もあてられない。肉弾戦防止のためには「女性議員は議場ではスカートを着用すべし」という規定が必要かも。
韓国国会の乱闘劇の特徴としては、このほか議員以外の秘書官や補佐官たちの大量参加がある。とくに野党には闘争慣れの学生運動や労働運動上がりが多くやりたい放題だ。それに場外勢力の参加もある。放送市場の規制解除という「新メディア法案」が争点だったため、これに反対する左派系マスコミ労組員まで国会に乱入している。実に秩序がない。(黒田勝弘)
1115
:
千葉9区
:2009/07/27(月) 19:57:29
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090726/chn0907262015001-n1.htm
マカオ行政長官 親中派の崔世安氏が当選
2009.7.26 20:12
【北京=矢板明夫】中国のマカオ特別行政区で26日、行政長官(首長)選挙が行われ、唯一立候補した前社会文化官(閣僚に相当)の崔世安氏(52)が当選した。投票権を持つマカオ各界代表300人の票のうち、当選に必要な過半数を大幅に上回る282票を獲得したが、「選挙方法は民意を反映していない」として民主派など14人が白票を投じた。任期は5年、ポルトガルからマカオが中国に返還されてからちょうど10年となる12月20日から、何厚●(金へんに華)現長官の後任として就任する。
崔氏はマカオの政官財界に重要な影響力を持つとされる「マカオ3大家族」の一つ、崔家の出身で、16歳から渡米してオクラホマ州立大学などで公共衛生学を学び、博士号を取得した。マカオに戻った後、家族系列の病院の経営者や学校の校長を歴任した。立法会議員を経て、1999年から衛生、福祉などを担当する社会文化官に就任し、2003年春に新型肺炎(SARS)が近隣の香港で流行した際には、専門知識を生かした迅速な対策でマカオへの影響を最小限に食い止め、高い評価を得た。
中国の習近平国家副主席と親しい関係にあることでも知られ、中国政府系組織、中国全国青年聯合委員会の常務委員を兼務するなど自らが親中派であることを隠さない。選挙期間中に「伝承と創新」との政策理念を掲げ、「中央政府との良好な関係を保ちつつ、カジノ以外の経済基盤の構築を進める」との公約を発表した。マカオの行政長官は1回の再選を認められているため、今後最長10年、崔氏はマカオの顔となる。
1116
:
荷主研究者
:2009/07/27(月) 23:21:40
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=3&newsNo=159583
2009年6月25日 新潟日報
中国領事館の設置を正式同意
外務省は25日、新潟市に中国総領事館を設置したいとして中国政府から出されていた申請に正式に同意した。今後、中国と本県で領事館の設置場所など、細部を詰めていく。
関係者によると、設置時期は未定だが、設置場所が決まり次第、早期に開設する方向で両国が調整を進めている。
中国総領事館は既に札幌、名古屋、大阪、福岡、長崎の5都市にあり、新潟は6カ所目となる。
日本は今年1月、中国・青島に総領事館を設置した。今回、新潟に設置されることになったのは、日中の「外交相互主義」に基づく措置。
1117
:
千葉9区
:2009/07/28(火) 20:13:50
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090728/chn0907281804004-n1.htm
オバマ米大統領の中国重視、真意は? 「G2論」の影も (1/2ページ)
2009.7.28 18:04
【ワシントン=山本秀也】オバマ米大統領は27日、ワシントンでの米中戦略経済対話の冒頭、両国関係について「世界のどの2国間関係より重要だ」と述べた。この発言は政治、経済分野で存在感を増す中国を重要視するオバマ政権の外交姿勢を反映したものだ。両大国が世界の秩序を決めるという「G2論」の影も浮かぶ。
ただ、東アジアに詳しい米国の識者は、大統領の対中重視がただちに「日米同盟に影響を与えることはない」と分析している。
オバマ大統領は、戦略経済対話の開幕式で繰り返し中国を重視する方針を表明した。今回から議題となった地域安全保障でも、北朝鮮の核開発が「東アジアの核軍拡競争」を招く危険性を指摘しつつ、日韓の核武装を抑える必要性を示唆し、朝鮮半島の非核化に向けた協力を中国側に促した。
東アジアにおける米国の同盟国である日韓には、ニクソン大統領の訪中(1972年)で繰り広げられた「米中頭越し外交」の記憶が残る。ブレジンスキー元大統領補佐官ら民主党政権の元高官らが、オバマ政権の発足直後から米中両大国による「G2論」を語ってきたこともあり、今回の対話は、オバマ政権の対中政策を占う試金石として注目されていた。
オバマ大統領の対中姿勢について、日米関係に詳しい米バンダービルト大学のジェームス・アワー教授は「東西冷戦時代、旧ソ連が米国の外交、防衛政策上の主な懸念対象だったように、オバマ大統領は経済、外交、さらに防衛政策でも中国に懸念を感じているのではないか」とみる。中国重視の姿勢は、「緊密な関係」とイコールではないという見方だ。
米中戦略経済対話など関係の拡大が日米同盟に与える影響について、アワー教授は、中国の重要性が増そうとも「日米同盟の重要性は今後さらに高まるはずだ」と指摘する。中国問題の専門家であるカーネギー国際平和財団のダグラス・パール副所長も、日本の国際貢献の実績に言及し「オバマ政権が日本の重要度を低減させることはない」と語る。
ただ、両氏は、北朝鮮の核開発に刺激され日本が核武装に走る可能性については違った見方を示す。パール副所長は「米国が核の傘への完全な保証を日本に与え続ける限り、近隣で核軍拡競争が起きることはないだろう」と指摘。これに対し、アワー教授は「もし北朝鮮の核保有が容認され続けるならば、韓国、台湾、さらに日本までも核兵器保有へと動くだろう。これが大統領が指摘した核軍拡競争であり、北の核保有を許さない重要性もこの点にある」と話す。
1118
:
千葉9区
:2009/07/30(木) 23:37:04
面白いが・・・民間に任せとけ・・・
http://www.asahi.com/business/update/0730/TKY200907300417.html
タイはギャル系…アジア各国のトレンド探れ 経産省
2009年7月30日22時15分
経済産業省は、アジア各国・地域の消費動向を分析する「アジア消費トレンドマップ」を作る。デザイナーらによる研究会を立ち上げ、アジアでの衣料や自動車、家電などの好みを分析する。日本企業が進出する際の需要を知る手がかりにし、商品の「差別化」を手助けするねらいだ。
8月7日に初会合を開く予定の研究会には、著名グラフィックデザイナーの原研哉さんや、カリスマモデルの桃華絵里さんらが参加。月1回のペースで会合を開き、国ごとの消費傾向を書き込んだ一覧表を作りながら、日本発のファッションやアニメ文化をどのように商品販売に活用するかも検討する。
同省が今年初めに行った事前調査によると、派手な服装を好む「ギャル系」のタイの女性には、ガラス片などを張って飾った携帯電話「デコ電」や、簡単に写真シールを撮って楽しめる「プリクラ」など日本発の商品が人気だった。こうした国ごとの傾向を知ることで、国内向け商品のアジア展開を後押しする。
海外ではアニメやゲームに代表される日本発の「ソフトパワー」に注目が集まっているが、関連商品の売り上げに結びつけているとは言い難い。韓国は人気テレビドラマ「冬のソナタ」の出演俳優がベトナムで携帯電話の宣伝をするなど、ドラマと一体で韓国製品を売り込み、成功しているという。経産省は「中国で日本のファッション誌が人気を集めていることを見ても日本へのアジアの関心は高い。いかに他の国と差別化して商品を売り込んでいくか考える機会にしたい」と話す。
1119
:
千葉9区
:2009/08/01(土) 09:00:50
http://mainichi.jp/select/world/news/20090801k0000e030005000c.html
アキノ元比大統領:結腸ガンで死去 マルコス独裁政権倒す
【マニラ矢野純一】結腸ガンで闘病中のフィリピンのコラソン・アキノ元大統領が1日早朝、マニラ首都圏マカティ市の病院で死亡した。76歳だった。「ピープルパワー」と呼ばれる民衆の力で86年2月、20年以上続いたマルコス独裁政権を倒して大統領に就任。東南アジアに初めて民主化をもたらし、ミャンマー(88年)や冷戦崩壊後の東欧の民主化運動に影響を与えた。退任後も、常に民衆の側に身を起き、反政府の運動に参加するなど「シンボル」的存在だった。
アキノ氏は昨年3月、結腸ガンで闘病中だと公表して以来、入退院を繰り返していた。食欲がないとして、6月24日に入院、集中治療室に入っていた。
裕福な政治家の家庭に生まれたアキノ氏は、54年にベニグノ・アキノ元上院議員と結婚。反マルコスを掲げていた夫が83年8月、亡命先の米国から帰国直後に空港で暗殺されて以降、普通の主婦から、政治の場に担ぎ出された。
86年2月の大統領選ではカトリック司教協議会の支援を受けたアキノ氏と、当時現職のマルコス氏が立候補し、選管と民間の選挙監視団体が別々の結果を発表した。マルコス政権に反発した国軍幹部が決起し、民衆も巻き込んだ「ピープルパワー」が起こり、アキノ氏が第11代大統領に就任した。
6年間の在任期間中は、強固な政治基盤を持たなかったために、政権内で求心力が低下。任期中に発生した7度のクーデターに対応するうちに、軍の発言力が高まった。また、農地改革なども十分に行われず、国民に不評を買った。
引退後は、政治の一線から身を引いていた。しかし、01年に当時のエストラダ大統領を追放した「ピープルパワー2」や、最近では、改憲を推し進めようとするアロヨ政権に反対する運動にも加わり、一定の発言力を維持していた。
1120
:
千葉9区
:2009/08/02(日) 01:53:43
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009080190160606.html
中国空港で外国新聞の閲覧禁止
2009年8月1日 16時06分
【上海=小坂井文彦】中国各地の空港にある航空会社ラウンジで、日本など外国の新聞を、乗客に提供することが中国民用航空局によって禁止されたことが分かった。ウルムチ暴動や「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル主席の訪日など、中国政府が好まない報道が各国で相次いでいることへの措置とみられる。
同局が出した「新聞出版総局が中国内で発行を許可する出版物以外を提供してはならない」との通達文書を、各空港の責任者が各航空会社担当者に提示し指示した。上海浦東空港の日系の航空会社1社だけで1カ月間で、ビジネスクラスやマイレージを利用した乗客ら約1万人がラウンジを利用する。
中国当局はしばしば、国外から航空便で届く新聞の配布を差し止めている。フランスの新聞が度々、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世の写真を掲載していることにも、不快感を示しているという。最近では5〜6月、天安門事件20年に絡んだ民主派の記事を掲載した香港紙の宅配や、日本の新聞のホテルでの販売が禁止された。
(中日新聞)
1121
:
とはずがたり
:2009/08/02(日) 03:30:50
>>1119
いやぁ一つの時代の終わりですね〜。マルコス独裁を倒したの思い出します。86年かぁ。
その後のフィリッピンの国情は必ずしも順調・安定ではなかったですけど,一つの重要な起点ではありました。感慨深いです。
冥福をお祈りします。
アキノ氏に最後の別れ=数千人の市民が追悼−比
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-090802X364.html?fr=rk
2009年8月2日(日)02:03
【マニラ時事】1日死去したフィリピンのアキノ元大統領の遺体を納めたひつぎが同日夕、マニラのカトリック系学校に安置された。「コリー」の愛称で親しまれ、フィリピン民主主義の象徴だった元大統領に最後の別れを告げようと数千人の市民らが弔問に訪れ、その死を悼んだ。
フィリピン国旗に包まれたひつぎが国軍兵士らにより学校に運ばれる間、突然強い雨が降り注いだ。ひつぎの後ろにはアキノ氏のシンボルカラーだった黄色の服を着た友人や支持者らが付き添った。
娘を連れて弔問に訪れたマリセル・メンドーサさん(33)は「彼女が成し遂げたことを誇りに思う。彼女はフィリピン人を結束させ、民主主義をもたらした」と生前の業績をたたえた。
アキノ氏の死去を受け、訪米中のアロヨ大統領は「きょうフィリピンは国の宝を失った。アキノ氏はわれわれの国をより輝かしい時代へ導いてくれた」と死を悼む声明を出した。
1122
:
千葉9区
:2009/08/02(日) 10:14:28
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090731-OYT1T00772.htm
北朝鮮に初ファストフード店、でも超高価
北朝鮮で初めて開店した平壌のファストフード店(ビデオ映像から)=AP 【ソウル=細川紀子】北朝鮮の平壌に6月はじめ、ハンバーガーやワッフルを販売する初のファストフード店が開店した。
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の機関紙「朝鮮新報」(電子版)が報じた。
同紙によると、営業時間は午前11時から午後9時まで。ワッフルを販売するシンガポール企業が設備を提供し、20歳代の女性従業員15人の研修も行ったという。
メニューは月替わりで、価格は牛肉を使ったハンバーガーが190ウォン、生ビールが76ウォン。高級ヒラメ100%のフィッシュバーガー、野菜バーガーのほか、ハンバーガーに芋がゆ、キムチが付いた定食もある。
韓国銀行によると、昨年の北朝鮮の公式為替レートは1ドル=130ウォンだが、実際の市場では3000ウォンと言われ、牛肉バーガーは6円、ビールは2円程度とみられる。韓国メディアによると、北朝鮮の労働者の平均月収は3000ウォン程度。
東亜日報によると、ハンバーガーはかつて資本主義の象徴とされたが、2000年代初めに金正日(キムジョンイル)総書記の指示で、大量生産を行うようになったという。平壌では、イタリアレストランも開店している。
(2009年7月31日19時09分 読売新聞)
1123
:
千葉9区
:2009/08/08(土) 10:50:45
http://www.asahi.com/international/update/0808/TKY200908070458.html
元大統領に笑顔禁止令、総書記は化粧…訪朝会談の裏側
2009年8月8日10時30分
【ソウル=牧野愛博】拘束されていた米国人記者2人の解放のためクリントン元米大統領が4日に訪朝した際、米政府が「会談で決して笑わないように」と同氏にアドバイスしていた。韓国の外交関係筋が明らかにした。一方、金正日(キム・ジョンイル)総書記は、健康状態を隠すため、会談に化粧をして臨んだ可能性があるなど、米朝双方で神経戦が繰り広げられたという。
北朝鮮は7月、拘束中だった記者を通じてクリントン氏の訪朝を米側に要請した。だが、国内世論の反発を懸念した米政府は当初、超大物のクリントン氏の派遣に難色を示し、2人が所属するテレビ局の会長を務めるゴア元米副大統領の訪朝をぎりぎりまで探った。結局、記者の家族の強い求めで、妻のヒラリー・クリントン国務長官が決裁し、クリントン氏の訪朝に落ち着いた。米政府はその際、北朝鮮が訪朝を政治的に利用することを警戒し、同氏に笑顔を示さないよう求めたという。
米政府は同時に秘密の保持を徹底するよう指示。クリントン氏の訪朝を事前に知らせたのは日中韓3カ国のみで、訪朝直前の先月31日から今月1日にかけて連絡した。ゴア氏が訪朝すると思っていた国もあったという。
一方、韓国政府は4日の会談の際に配信された写真を分析した結果、金総書記が化粧をしていた可能性が高いとみている。クリントン氏一行は計3時間15分に及んだ会談と夕食会の席で、金総書記の健康状態をつぶさに観察したとみられるが、ドーランのようなもので首のシワを消すなどしており、北朝鮮側が正確な健康状態を知られることを嫌った可能性がある。
1124
:
千葉9区
:2009/08/09(日) 19:48:15
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200908070005o.nwc
中国建国60周年 遅れる政治改革 多様化・深刻化する危機、迫る期限
2009/8/7
中国共産党にとって、今年10月1日の国慶節(建国記念日)は統治60周年の節目となる特別な日だ。党員数は8000万人に迫り、実質的に反対組織は存在しない。党は活気にあふれ盤石にみえるものの、短期的、長期的課題は枚挙にいとまがない。複雑でほとんど対処不能と思われるものもある。最も扱いにくいのが政治改革だ。党がこの問題にどう対処するかが党の生き残りや、ひいては中国自身の運命を決めることになるだろう。
【分析】
中国では記念日は他の多くの国よりも、はるかに大きな意義を持つ。その理由の一端は、歴史を重視する中国文化の傾向に求められる。例えば、中国国民は1997年の香港返還によって初めて1840年代のアヘン戦争が終わったと考えた。
歴史的記念日は、社会問題の民主的議論が欠落していることへの代償でもある。市民社会は、さまざまな社会的不満を発散する別の手段を求めているのだ。最も有名な事例は、1919年の学生による民族主義的抗議運動、五四運動から70年目の89年に起きた天安門事件だ。中国当局は、このような抗議運動を警戒している。
今年7月24日には、東北部の吉林省で民間鉄鋼会社、建竜の経営者が買収予定先の国営企業、通化鋼鉄集団による解雇に抗議する労働者に撲殺される事件が起きた。これも、労働組合が経営者との協議で火種を未然に取り除くといった民主的仕組みがないことが原因の一つだ。中国の政治制度は、経済改革に追いついていない。
◆党内民主主義許す
天安門事件以降、党は自由市場万能論者から大胆な改革を望む者まで広範な意見を取り込み、許容するイデオロギーの範囲を拡大しようとしてきた。しかし、90年代後半、幅広い人民の利益を代表する唯一の存在は共産党だとして、中国民主党創設の試みを弾圧した。
以来、共産党は党内民主主義を許してきた。例えば、労働者の権利を保証する「2008年労働契約法」は国会に当たる全国人民代表大会(全人代)で幅広く議論された。
中国政治の特徴は奇抜さを嫌う点にある。200人から成る党中央委員会の幹部でさえ、イデオロギー的立場や政策について、全面的な支持を取り付ける必要がある。中央の指導者が人民を驚かせるべきではないという確固たる考えにより、事前に政策は党内外に根回しされる。
ある程度まで、党内民主主義によって、党の政策や統治について広範な参加という理念を実現できると信じられている。地方レベルから国政レベルまで、国民は会合やインターネット上で意見や提案を申し出るよう促されている。
1125
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千葉9区
:2009/08/09(日) 19:48:32
◆節目の指導部交代
国務院(内閣)は05年、公式の「民主化白書」を発表した。しかし、中国の民主主義は、意思決定への開かれた大衆参加と平等の拡大を意味するものの、西側自由民主主義国とはかけ離れている。経済改革開始から30年を経て、党は政治体制を近代化するとの約束をいつ、どう完全に果たすべきか、真剣に考え始める必要性を自覚している。
胡錦濤国家主席兼党中央委員会総書記、温家宝首相が退任する2012年までに後継を決定しなければならない。現在、習近平国家副主席が国家主席に、李克強副首相が温家宝首相から権力を継承するとの見方が有力だ。2人がポストに就くには、3年以内に党と国民から認められる必要がある。党にとって特に大切なのは、指導者を決める際に、内紛に陥っているとみられないことだ。
20年までに、党は統治体制を脅かす大きな課題に直面するだろう。中国は、1人当たりの国民所得で、急速に中所得国に近づいており、本格的な政治改革の引き金となる可能性がある。人口高齢化や男女比の不均衡への対応も迫られる。
日本を抜いて世界第2位の経済大国となることで、世界最大のエネルギー消費国となり、地球環境にも大きな影響を及ぼすだろう。
党は日本やシンガポール、さらには台湾すら政治の手本にしてきたが、中国に合うモデルは一つもなかった。次の指導部交代までに、党は解決策を見つけなければならないだろう。一党支配を維持するためにできることはすべて行いながら、広範な妥協を強いられそうだ。
やがて党に対抗する政治組織をある程度受け入れざるを得なくなるかもしれないが、党内民主主義から完全な民主主義への移行は円滑に進みそうもない。
外国政府は、現在よりもはるかに大きな政治的リスクを対中政策に織り込む必要があろう。
中国の最近30年間の経済的成功が政治的活力の反映とみられることも多いが、中国の政治体制は極めて脆弱(ぜいじゃく)なことに加え、近代化した大陸規模の国家の運営という複雑な課題を扱うことが一段と難しくなってきている。中国が抱える問題に対処し、安定を保つ鍵は、各国の政府や企業、調査研究機関などとの連携にある。
【結論】
中国共産党は、政治改革の能力の有無について国民から疑いの目を向けられていることや、現在の経済危機が党の威信を損ないかねないことを認識している。政治改革をいつまでも先延ばしにはできない。計画立案の期限は、人口、経済、社会、エネルギー問題が深刻化する2020年だ。そのときまでに党は、国際協力を仰ぎながら解決策を見つける必要がある。
1126
:
荷主研究者
:2009/08/12(水) 17:14:03
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/110307
2009年7月22日 00:09 西日本新聞
在福岡モンゴル 名誉領事館開設 九電工本社内
在福岡モンゴル名誉領事館の開所式を祝ってテープカットする九電工の橋田紘一社長(中央)と河部浩幸会長(右)、レンツェンドー・ジグジット駐日モンゴル特命全権大使(左)=21日、福岡市南区の九電工本社 九電工(福岡市)の橋田紘一社長が在福岡モンゴル名誉領事に就任し、21日、福岡市南区那の川の九電工本社に設けられた在福岡モンゴル名誉領事館の開所式があった。国内の大使館、名誉領事館は東京、大阪市、札幌市に次いで4カ所目。橋田社長は「モンゴル人力士が活躍している大相撲に負けないように、両国の経済関係も力強く発展させたい」と述べた。
本社7階に開設された名誉領事館はモンゴルの観光、経済などの情報発信のほか、来年から1カ月以内の短期ビザの発給業務も担う予定。式典に参加したモンゴル特命全権大使のレンツェンドー・ジグジット氏は「アジアのゲートウエーである福岡に名誉領事館が開設されたことで、両国の関係が一層深まる可能性が高い」と期待を寄せた。
同日は九州沖縄・モンゴル友好協会も発足し、九電工の河部浩幸会長が会長に就任した。
=2009/07/22付 西日本新聞朝刊=
1127
:
荷主研究者
:2009/08/12(水) 17:20:59
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/108851
2009年7月15日 00:10 西日本新聞
北九州市が上海事務所開設 市長や関係者ら250人祝う
北九州市の上海事務所開設式典で、小倉城の画面を背に鏡割りをする関係者たち=14日夕、上海市
【上海14日椛島滋】北九州市は14日、中国・上海市内のホテルで、在上海北九州市経済事務所(浮田真吾所長)の開設式典を開いた。北橋健治市長のほか、門司区を中心に演奏活動をしている「ニュースカイラーク・ジャズオーケストラ」のメンバーも参加。上海市政府や在上海の九州の各自治体、企業関係者約250人とともに新事務所開設を祝った。
北九州市は、2005年から福岡県、福岡市などと「九州上海事務所」に常駐職員を置いていたが、上海市政府との関係強化や独自色を出すことを目的に、今年4月に経済事務所を独立させた。北九州市の中国での独立事務所は、大連市に次ぎ2カ所目。
北橋市長は、事務所開設に当たって上海市の唐登傑副市長を訪ね、環境対策や観光振興などの分野で交流を深めていくことを確認。開設式典で、公害克服の経験を生かした「環境モデル都市」であることをアピールしながら「中国などアジアの諸都市との連携を進め、共に発展していきたい」とあいさつした。
=2009/07/15付 西日本新聞朝刊=
1128
:
名無しさん
:2009/08/12(水) 18:52:05
サンケイって何なんだ…
対馬ネタで嫌韓を煽る
→対馬ツアーを自分で企画
→対馬滞在を減らし、韓国に2泊するツアーを提案
→韓国経済に貢献!
対馬があぶない!“裏技”釜山ルート募集始まる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090801-00000587-san-int
8月1日20時30分配信 産経新聞
韓国との国境に近い長崎県の対馬に、関西国際空港から韓国・釜山経由で訪れるという“裏技の国内ツアー”の募集が始まった。福岡経由に比べ、競争の激しい安価な「国際便」を利用することで安上がりなツアーが実現するという。韓国資本の進出が著しい対馬だが、企画する旅行代理店「サンケイツアー」(産経新聞開発、大阪市浪速区)は、日本の観光客にももっと対馬を知ってもらおうと意気込んでいる。
ツアーを企画したのは同旅行代理店の吉田雄一さん(60)。産経新聞に連載され、単行本にもなった「対馬が危ない」を読んで発奮し、6月下旬に下見を行ったという。
関西地区から対馬を訪れる場合、一般的には伊丹から福岡経由の空路を利用する。福岡から対馬への航空便は1日4往復があり、片道で1万4200円。また同じ区間を高速船に乗船した場合は、7700円ながら片道2時間15分と航空便の約4倍の時間を要する。競合のない福岡−対馬線の航空便は割引率が低いため、ツアーは通常、2泊3日で7万円前後が相場だ。
だが、今回、サンケイツアーが企画したプランは従来の対馬2泊を釜山に2泊、対馬1泊の計3泊4日に組み替え、数社が競う関空−釜山便を利用して7万円前後の旅を実現した。国外の旅程も入れて、満足度を引き上げる作戦だ。
関西空港から1時間半で着く釜山は人口350万人超と韓国第2の都市。釜山から対馬への航路は、文化渡来の足跡をたどる旅でもある。
元対馬市教委文化財課長の小島武博さん(60)は「対馬は大陸との窓口であり、文化交流の拠点だった。今秋からNHKドラマとして放映される『坂の上の雲』の舞台ともなる艦船が出撃した軍港跡や運河など、日本海海戦ゆかりの史跡も多い。ぜひ、多くの日本人に知ってもらいたい」と話している。
1129
:
千葉9区
:2009/08/16(日) 19:06:13
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090816/asi0908161800001-n1.htm
【ウイークリーワールド】スー・チーさん有罪判決 民主主義と人権無視に世界中から怒りの声 (1/2ページ)
2009.8.16 18:00
ミャンマーの民主化要求運動指導者、アウン・サン・スー・チーさん=最大野党、国民民主連盟(NLD)書記長=に対し、ミャンマーの特別法廷が有罪判決を言い渡したことに、世界中から怒りの声が上がっている。
米欧やアジア諸国など各地では、市民らが、スー・チーさんの写真を掲げ、スー・チーさんを含むすべての政治犯の解放を訴えた。
ミャンマーで最後に行われた選挙は、1990年の国会議員選挙だ。NLDは圧勝し、軍の息がかかった政党は惨敗した。あわてた軍は突然結果を受け入れないと表明し、いまだに権力を握っている。
そればかりではない。軍政はスー・チーさんを繰り返し拘束し、長期に渡って自宅軟禁下に置いている。民主主義と人権の理念を根底から無視した暴挙といえよう。
今回の事件は、スー・チーさんの自宅前にある池を泳いで現れた奇妙な米国人を、スー・チーさんが同情して泊めたばかりに起きた。許可なく外国人を宿泊させることが違法だからだが、軟禁下にあるスー・チーさんに何ができたというのだろう。そもそも違法に権力の座にしがみついている軍に、スー・チーさんを裁く資格はない。
スー・チーさんを国民から遠ざけ、来年実施する選挙を平穏にやり遂げたい−すべては、軍のこうした目的を果たすための措置だった。その選挙の規定には、軍にとって都合のよい条件が並べ立てられ、軍の権力を温存する内容となっている。これを茶番といわずして、何といえばよいのだろうか。
1130
:
千葉9区
:2009/08/16(日) 21:46:40
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009081502000055.html
村消滅生き埋め300人超 『救助、どこから着手』 被災地ルポ
2009年8月15日 朝刊
【小林村=栗田秀之】「これほどすさまじいなんて」−。被災状況を目の当たりにした家族は泣き崩れ、レスキュー隊は立ち尽くした。台風8号に伴う豪雨で土砂崩れが発生し、三百人以上の住民がのみ込まれた高雄県小林村への道路が災害発生以来六日ぶりに開通し、家族や救援隊が十四日、続々と村に入った。しかし「消えた村」の惨状を前に、誰もが言葉を失った。
わずか四日間で年間平均降水量を上回った台湾南部。村では九日早朝、集落東側の山の斜面が約百ヘクタールにわたって崩れ落ち、当局の調べで三百九十八人が生き埋めになった。
大量の土砂に埋まった集落は、わずか二棟の家屋が残るのみ。住宅のほか、役場や小学校なども跡形もない。平らになった土砂の上に巨大な流木が点々と横たわるだけだ。
この日を待って家族やレスキュー隊、重機を積んだトラックなどが次々と村に入ったが、想像を超える被害になすすべもない。
高雄市から駆け付けた徐仙鳳さん(53)は息子(31)が行方不明になっている。「全部埋まった。何もない。息子も姉の五人家族も、義理の兄も…」と泣き崩れ、持って来た息子の茶色いシャツを抱きしめた。
高雄県レスキュー隊の十人は、現場に接して立ちすくんだ。林華上さん(28)は「こんなのは見たことがない」。
施鐸訓さん(37)は、二千人以上が死亡した台湾大地震(一九九九年)と比較して「あの時は建物が壊れ、遺体のにおいもしたが、何とか被災者を救おうとわれわれも奮い立った。ここではそんな感情もわかない。完全に破壊されており、どこから手を付けたらいいか分からない」と肩を落とした。
村のわきを流れる川は「釣りができる」(レスキュー隊員)という清流だが、台風上陸から一週間過ぎた今もどす黒く濁っていた。
1131
:
千葉9区
:2009/08/19(水) 00:27:53
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090819k0000m070106000c.html
社説:金大中元大統領 激動の韓国を体現した
韓国の金大中(キムデジュン)元大統領が苦難と栄光の交錯した一生を終えた。本人が「行動する良心」を自任する一方、日本からは見えにくい厳しい評価も韓国にはある。だが、抜群の資質を持ち、この国の激動の現代史を体現した稀有(けう)な政治家であったことは間違いない。ご冥福を祈りたい。
36年前、東京のホテルからソウルに拉致された事件によって金氏は日本で最も名高い韓国人となった。この事件が韓国情報機関の組織的犯行であり、日本への主権侵害にあたることは明白だったが、政治決着によってうやむやにされた。日韓双方の政府が不誠実であった。
しかし金氏は、自らの大統領在任中はこの問題に手を付けなかった。07年の真相調査委員会報告書の発表を受けてようやく韓国政府は日本に対する主権侵害に「遺憾の意」を表明し、外交的には決着した。だが日本の捜査当局による容疑者調べは実現していない。事件の大団円を迎えぬまま金氏がこの世を去った事実は、歴史に刻まれるべきである。
もっとも金氏は対日外交では目覚ましい成果を上げた。大統領として98年に来日し当時の小渕恵三首相と合意した「日韓パートナーシップ宣言」は、史上最良とも評価された日韓友好の時代を築いた。金氏は細心の注意を払って韓国における反日感情を抑制し、いわゆる「日本大衆文化」の解禁も進めた。日韓文化交流の隆盛はこの延長線上にある。
金氏は一方、「太陽政策」を掲げて北朝鮮との関係改善にも尽力したが、功罪相半ばするところがあり、評価は定まっていない。
00年の金正日(キムジョンイル)総書記との初の南北首脳会談は和解ムードを広げた。南北離散家族の再会も一部ながら実現し、金剛山観光や北朝鮮に韓国企業を進出させる構想も進んだ。
しかし、この融和路線は北朝鮮の高濃縮ウラン開発疑惑の浮上を機に矛盾が露呈する。次の盧武鉉(ノムヒョン)政権は対北支援を大幅に増やしたが、北朝鮮のミサイル発射や核実験の強行で韓国世論が冷え込み、「太陽政策」は正しくないという声も高まった。金氏はこれを憂慮し、入院前は北朝鮮に妥協しない李明博(イミョンバク)政権の姿勢を強く批判していた。
「歴史的な南北首脳会談」を主な理由として金氏が受賞したノーベル平和賞は色あせてしまった。韓国で逮捕され日本人拉致を自供した人物を北朝鮮に送還したことも、日本における金氏の声望を少なからず傷つけたのである。
それでも大方の日本人の金氏への評価は高いだろう。民主化の闘士として死刑判決も受け、4度目の挑戦でついに大統領に当選した不屈のドラマ。その迫力が多くの人々の胸を打たずにはおかないからである。
1132
:
千葉9区
:2009/08/19(水) 00:29:20
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090818/kor0908182001013-n1.htm
【金大中氏死去】韓国内に追悼の輪 大統領経験者は今年2人目
2009.8.18 19:59
【ソウル=水沼啓子】半年に前職大統領が2人も相次いで死去する不幸に見舞われた韓国では、金大中元大統領を哀悼する声が広がっている。韓国メディアによると、韓国政府は全国の地方自治体ごとに焼香所を設置する方針という。
元大統領の死去が伝えられると、KBSやMBC韓国の主要テレビは一斉に特別番組を組んだ。アナウンサーらは哀悼の意を表し黒いネクタイや黒い服を着てニュースを伝えた。
遺体が安置されているソウル市内の延世大付属セブランス病院には約150人の記者が押し寄せたほか、金泳三元大統領や韓国に一時帰国中の潘基文国連事務総長ら著名人が次々と弔問に訪れた。
故郷の荷衣島を始め、金大中氏にゆかりの深い全羅南道・光州市などでは、野党・民主党の地元組織が焼香所を設けている。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090818/kor0908181812010-n1.htm
【金大中氏死去】評価分かれる民主化功績 熱狂的支持と嫌悪と
2009.8.18 18:08
金大中氏は韓国の政治家の中では対外的に最も知られた人物だった。とくに日本では、反政府運動の闘士だった野党時代、韓国の情報機関により滞在中の東京からソウルに連れ去られた「金大中事件」(1973年)で有名だった。大統領時代の2000年、初の南北首脳会談などでノーベル平和賞も受賞したが、その業績については評価が分かれる。
韓国民主化運動の象徴的存在だったにもかかわらず、晩年にかけて最大の民族的課題であるはずの「北朝鮮の民主化」には触れず対北融和策に終始した。ノーベル平和賞の「反独裁闘士」が「北の独裁」には目をつぶり続けた。これは民主化運動の功績にキズとなった。
金大中氏は生涯、3回も大統領選に敗北するなど長い野党生活の末、やっと念願の大統領の座についた。“忍冬草”の別名を持ち、挫折とあきらめを知らない「不死身の政治家」として定評があった。退任後も韓国政治に隠然と影響力を持ち続けた。
金大中政権(1998〜2003年)は、歴史的にいえば7世紀に百済(くだら)王国が滅んで以来、権力から遠ざけられていた韓国南西部の全羅道地域の人びとの復権だった。
金大中氏は、権力から疎外され、地域的差別感情の被害者だった故郷の全羅道地域を支持基盤にしてきた。この地域的支持基盤は韓国社会の不満層の中心で、人口の30%近くを占める。これに左派・革新勢力や親北勢力が乗っかることで政権を獲得した。
金大中氏は韓国が高度経済成長を遂げた1970代以降、経済開発から取り残された全羅道地域の不満や民主化要求を背景に反政府運動を展開。
これを快く思わない当時の朴正煕政権と激しく対立した。朴政権下の「金大中拉致事件」もその流れで起きている。
ライバルの朴政権は経済開発に国力を集中させ、政治的自由や民主主義は制限する「開発独裁」だった。その結果、経済発展と近代化で北朝鮮との国力を逆転させ、現在の韓国の基礎を築いた。しかし金大中氏は朴政権を「独裁」と非難し最も激しく反対した。
ただ金大中氏も後年、朴政権の経済発展と近代化を評価している。世論調査によると韓国の歴代大統領の人気は朴正煕氏が圧倒的に1番で、次いで金大中氏がかなり離れて2番目だ。
金大中氏は1998年、当時の小渕恵三首相との間で「日韓共同宣言」を発表した。この「宣言」には過去の歴史について日本の「謝罪と反省」が明確に記されている。
当時、金大中氏は「これで日韓の過去は清算された」とし今後、対日外交で過去が蒸し返されることはないと明言した。
しかし後に歴史教科書問題が起きるや、教科書記述の訂正を外交問題として日本に要求するなど外交摩擦を招いた。「知日派」を誇っていたが、結果的には日韓関係の画期的変化には成功しなかった。
熱狂的な支持者と嫌悪感と−韓国社会での評価は今も二分している。
(ソウル 黒田勝弘)
■金大中事件 1973年8月8日、韓国の朴正煕政権を批判し、民主化運動を主導していた野党指導者、金大中氏が東京のホテルグランドパレスで拉致され、5日後にソウルで解放された。現場から韓国中央情報部(KCIA)要員で、在日韓国大使館1等書記官の指紋などが見つかった。警視庁は出頭を求めたが、韓国側は拒否。「主権侵害」との世論が日本で高まる中、韓国政府は1等書記官を免職、政治決着が図られた。韓国政府の「真相究明委員会」は2007年10月、KCIA要員や駐日公使ら27人による組織的犯行で、韓国政府が事件後に真相を隠蔽(いんぺい)しようとしたと認定した。
1133
:
千葉9区
:2009/08/19(水) 00:30:53
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090818/kor0908181653006-n1.htm
【金大中氏死去】地域対立の象徴 求心力失う親北・反政府勢力
2009.8.18 16:50
【ソウル=黒田勝弘】韓国政治に長く大きな影響力を持ってきた金大中元大統領の死は、今後の韓国政局に微妙な波紋を呼びそうだ。特に反政府・野党勢力にとっては求心力を失ったことになり、政権奪還に向けた新しいリーダーの登場や政界再編成などで紆余(うよ)曲折が予想される。
韓国の現代政治は1970年代以来、30年以上、金大中、金泳三、金鍾泌氏によるいわゆる“3金時代”が続いた。しかし政界を引退した後、金泳三元大統領は衰えが目立ち、金鍾泌元首相は病床にある。その中で金大中氏だけは、健康不安にもかかわらず内外情勢に関し政治的発言を続け、最後まで“生臭さ”があった。
金大中氏が大統領退任(2003年)後も影響力を維持できたのは、国内で政治的、社会的に最大の不満勢力である全羅道出身者の絶対的な支持を得ていたことと、初の南北首脳会談実現(2000年)を含む対北融和政策などで“親北朝鮮”的だったからだ。
韓国政治は現在の野党・民主党もそうだが、以前から野党・反政府勢力の中心は全羅道出身者だ。全羅道が故郷の金大中氏は彼らの間では絶対的な指導者で、その一挙手一投足は大きな影響を与え、彼らの行方を左右した。
たとえば野党勢力の大統領候補決定には金大中氏の意向が大きく影響し、野党分裂や新党結成など野党陣営再編でも金大中氏の考えが決定的だった。02年、盧武鉉前大統領が非全羅道系でダークホースだったにもかかわらず大統領に当選できたのも、金大中氏の支持のおかげだった。
一方、金大中氏は亡くなる直前まで、保守派の李明博現政権の対北政策を激しく批判してきた。国際強調を重視し、対北援助に消極的な李政権が気に入らなかったからだ。時には北朝鮮の韓国非難そのままに「このままでは戦争が起きる」といわんばかりに李政権批判を続けてきた。
したがって北朝鮮にとって金大中氏は最後まで最大の理解者であり“援軍”だった。「李明博政権打倒!」を叫ぶ韓国内の親北・反政府派にとっても最も好都合の人物だった。
そのため晩年は韓国内の保革・左右対立の焦点になっていた。金大中氏の死は親北・左派勢力にとっては最大の理解者を失い打撃が大きいが、一方の保守派は最大ライバルが消えたことでホッとした感じだ。
1134
:
とはずがたり
:2009/08/19(水) 00:52:00
おお,なんと。激動の人生でしたね。ご冥福をお祈りします。
1135
:
千葉9区
:2009/08/19(水) 01:11:07
盧武鉉の死とは比較にならないほどインパクトが大きいです。
三金時代はもう過去のものなんですね。
1136
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 00:29:23
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090819-OYT1T00847.htm
金大中氏葬儀、23日に韓国2例目「国葬」
【ソウル=前田泰広】韓国政府は19日、死去した金大中元大統領の葬儀を、格式が最高となる「国葬」で行うことを決定した。
国会前の広場で23日、告別式にあたる永訣式を行う。
国葬は、金大中氏の遺族の希望を尊重したもので、1979年に死去した朴正煕元大統領の葬儀以来、2例目。葬儀委員長は韓昇洙首相が務める。
国葬で執り行う理由について、韓国政府は「社会統合のため」と説明している。保守と左派の理念対立や、地域対立を克服する契機にしたい考えとみられる。
韓国政府は当初、国葬に次ぐ国民葬を軸に検討していた。大統領経験者の葬儀は、在任中に死去した朴氏を除けば、国民葬か、親族らによる家族葬で行われてきたためだ。このため、政府は、遺族側の希望を受け入れる代わりに、死去した日から永訣式実施日までの葬礼期間(最長9日)を6日間に短縮した。
(2009年8月19日22時54分 読売新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY200908190189.html
河野前衆院議長派遣を検討 金大中元大統領葬儀
2009年8月19日12時8分
河村官房長官は19日の記者会見で、18日に死去した韓国の金大中(キム・デジュン)元大統領の葬儀に河野洋平・前衆院議長を特使として派遣する方向で検討していることを明らかにした。河野氏は70年代初めに金氏と知り合って以来、交流があった。政府は、総選挙期間中で選挙に立候補した首相経験者の派遣は難しい事情もあることから、金氏と交友関係があり、政界を引退した河野氏が適任と判断したとみられる。
1137
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 00:35:47
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20090819k0000m030088000c.html
金大中氏死去:民主化闘争で名声 国内対立は断てず
【ソウル西脇真一】韓国の金大中(キム・デジュン)元大統領は、民主化闘争で国際的な名声を博し、南北関係改善にも力を尽くした。一方で、韓国政治の悪癖といわれた地域感情の対立解消に失敗し、「保守対進歩」の対立を残したまま、この世を去った。
「書生のような問題意識と商人のような現実感覚のバランスが重要だ」「望遠鏡のように広く遠く、顕微鏡のように狭く深く見なくてはいけない」
いずれも金氏が好んで使った言葉だ。一方に偏らず、複眼的な見方、考え方の必要性を説いている。実際、金氏はバランス感覚に優れた政治家との評価があった。98年10月の来日では、国会演説を行い、「日本国民は汗と涙を流して、議会民主主義の発展と共に、世界が驚く経済成長を遂げた。日本は、アジア各国の国民に、無限の可能性と希望の道標を示した」と称賛した。その日韓双方に配慮したバランス感覚で「史上最良」と言われる両国関係を実現した。
しかし、そのバランス感覚も国内政治には発揮されなかった。98年の金大中政権誕生は、それまで韓国政治を支配してきた保守派の牙城・慶尚道と、金氏が地盤とする全羅道の「地域対立」を解消するだろうと期待を集めた。しかし、金氏の周囲を固める側近たちの厚い壁は、対立解消を妨げた。さらに政策上の「保守対進歩」の対立が表面化し、任期が満了するまで政権を揺るがし続けた。
08年2月に発足した李明博(イ・ミョンバク)政権は、金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両政権の対北朝鮮政策の見直しを表明した。これに対し金氏は講演などで李政権を非難し、盧氏が07年の訪朝時に約束した大規模経済支援の履行を迫り続けた。
李大統領は15日の光復節(独立記念日)の演説で「労使の極限的な対立が繰り返されている」と述べ、国内の対立が色濃く残っていることを認めた。地域感情や保守対進歩の対立は、金氏の死去を機に一層、激しくなる可能性も否定できない。
1138
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 00:36:50
http://mainichi.jp/select/world/news/20090819ddm007030180000c.html
金大中・元韓国大統領死去:南北交流に尽力 民主化闘争で名声(その2止)
◇国内対立は断てず
【ソウル西脇真一】韓国の金大中(キムデジュン)元大統領は、民主化闘争で国際的な名声を博し、南北関係改善にも力を尽くした。一方で、韓国政治の悪癖といわれた地域感情の対立解消に失敗し、「保守対進歩」の対立を残したまま、この世を去った。
「書生のような問題意識と商人のような現実感覚のバランスが重要だ」「望遠鏡のように広く遠く、顕微鏡のように狭く深く見なくてはいけない」
いずれも金氏が好んで使った言葉だ。一方に偏らず、複眼的な見方、考え方の必要性を説いている。実際、金氏はバランス感覚に優れた政治家との評価があった。98年10月の来日では、国会演説を行い、「日本国民は汗と涙を流して、議会民主主義の発展と共に、世界が驚く経済成長を遂げた。日本は、アジア各国の国民に、無限の可能性と希望の道標を示した」と称賛した。その日韓双方に配慮したバランス感覚で「史上最良」と言われる両国関係を実現した。
しかし、そのバランス感覚も国内政治には発揮されなかった。98年の金大中政権誕生は、それまで韓国政治を支配してきた保守派の牙城・慶尚道と、金氏が地盤とする全羅道の「地域対立」を解消するだろうと期待を集めた。しかし、金氏の周囲を固める側近たちの厚い壁は、対立解消を妨げた。さらに政策上の「保守対進歩」の対立が表面化し、任期が満了するまで政権を揺るがし続けた。
08年2月に発足した李明博(イミョンバク)政権は、金大中、盧武鉉(ノムヒョン)両政権の対北朝鮮政策の見直しを表明した。これに対し金氏は講演などで李政権を非難し、盧氏が07年の訪朝時に約束した大規模経済支援の履行を迫り続けた。
李大統領は15日の光復節(独立記念日)の演説で「労使の極限的な対立が繰り返されている」と述べ、国内の対立が色濃く残っていることを認めた。地域感情や保守対進歩の対立は、金氏の死去を機に一層、激しくなる可能性も否定できない。
1139
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 00:37:03
◆金大中元大統領語録
◇暗闇の中でも明日の日の出を信じ、地獄の中でも神の存在を疑わない
「暗闇の中でも明日の日の出を信じ、地獄の中でも神の存在を疑わない」(73年8月、拉致事件で解放された直後、毎日新聞の取材に託した手記)
「私の遺志として、この国のすべての人が熱望する民主主義ができるだけ早く実現されることを希望する」(80年9月、軍法会議の最終陳述)
「初めて民主的な政権交代が実現し、民主主義と経済を同時に発展させようという政府が誕生する歴史的な日だ。真の『国民の政府』だ」「北韓(北朝鮮)に対する3原則を明らかにする。第一に、武力挑発を許さない。第二に、我々には北韓に害を与えたり、吸収する考えはない。第三に、南北間の和解と協力を可能な分野から積極的に進めていく」(98年2月、大統領就任式)
「(日韓)両国は過去の不幸な歴史を克服し、21世紀に向けた未来志向的な関係を発展させることで合意した」(98年10月、訪日時の会見)
「半世紀の間に積もった恨(ハン)を一度に解くことはできない。しかし、始まりさえすれば半分終わったようなものだ。一つずつ最善を尽くす」(00年6月、南北首脳会談時の平壌到着声明)
「北韓の体面を立ててあげる姿勢が、米国にも必要ではないか」(02年1月、年頭会見)
「(日韓関係は)5年間に実によく発展した。靖国神社に代わる施設を建設するという(日本側の)約束が履行されれば、日本の大衆文化を完全開放し、過去の問題を清算して新しい出発点にしたかった。実現できず遺憾に思う」(03年1月、外国人記者との懇談)
「(北朝鮮の核兵器製造宣言は)大きな間違いだ。許すことができない」「米国が北朝鮮の安全を保障するなら核を放棄する、という北朝鮮の主張はある程度信じることができる」(05年3月、韓国紙・朝鮮日報掲載の単独会見)
==============
■ことば
◇南北首脳会談
00年6月、韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記が平壌で行った南北首脳の初会談。統一問題の自主的解決▽南北当局による対話の早期開催▽離散家族の相互受け入れ−−など5項目の共同宣言が署名された。金総書記による「適切な時期」のソウル訪問も盛り込まれたが、実現していない。この会談で南北関係は大きく進展。金大統領は同年12月にノーベル平和賞を受賞した。
◇太陽政策
包容政策とも呼ばれる、金大中政権が打ち出した対北朝鮮政策。金泳三前政権とは対照的に、圧力だけでなく、経済支援や文化交流の深化によって北朝鮮の改革・開放を促そうというもの。初の南北首脳会談やその後の北朝鮮の金剛山観光の実現など成果を生んだ。太陽政策は盧武鉉政権にも引き継がれたが、06年に北朝鮮が核実験を強行したこともあり、国内外から批判も強まった。
1140
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 00:38:15
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090819/kor0908191409005-n1.htm
【金大中氏死去】北朝鮮、弔問団を派遣 労働党書記を含む5人
2009.8.19 14:08
【ソウル=水沼啓子】韓国の聯合ニュースによると、北朝鮮のアジア太平洋平和委員会は19日、金正日総書記が韓国の金大中元大統領の死去に伴い、弔問団を派遣すると明らかにしたと報じた。
弔問団は朝鮮労働党の書記、部長を含む5人程度で構成され、1泊2日の日程でソウルを訪問するという。
1141
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 00:39:38
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090818/kor0908181414004-n1.htm
【金大中氏死去】拉致、投獄、亡命、自宅軟禁…韓国現代政治史を体現 (1/2ページ)
2009.8.18 14:13
【ソウル=水沼啓子】「私は5度死線をさまよい、6度の監獄生活をした」(1995年3月の講演)−。金大中氏は国会議員選挙、大統領選挙にそれぞれ3度落選、半世紀を超す政治家人生の中で、6年の投獄生活、3年の亡命生活、6年半に及ぶ自宅軟禁を経験。そして交通事故や拉致事件、死刑判決など何度も死に直面する試練を乗り越えてきた。開発独裁、軍政、民主化の間で揺れ動いた韓国現代政治史を体現した生涯だった。
◇◇
韓国南部の全羅南道荷衣島(現・新安郡)で生まれた。1943年に旧制木浦商業高校を卒業後、左翼系政治組織「新民党」の木浦市党組織部長として政治活動を始めた。61年に国会議員に初当選、71年には野党・新民党候補として大統領選に初めて挑戦した。
選挙では現職の朴正煕大統領に敗れたが、予想を上回る善戦だった。大統領選直後、交通事故に遭い、歩行は一生不自由になった。
朴政権当時、海外での反政府活動のため出国。日本滞在中の73年8月、東京のホテルで、韓国中央情報部(KCIA)に拉致される「金大中事件」が起きた。海に投げ込まれる寸前、殺害が断念され、金大中は一命をとりとめた。
76年には「民主救国宣言」を発表し逮捕されたが、裁判での最終陳述で「抑圧され虐げられている国民のために生涯を捧げる」と断言した。釈放後、80年の民主化運動「ソウルの春」で再逮捕。地域ぐるみの反政府闘争を軍が鎮圧し多数の犠牲者を出した「光州事件」では、デモを扇動した首謀者として逮捕、死刑判決を受けたが、直前の最終陳述では「死刑判決を受け、私は間違いなく処刑される。最初から覚悟している」と語った。
◇◇
82年に減刑され、米国へ亡命。85年に帰国し、87、92年に大統領選に出馬したがいずれも落選した。4度目の挑戦となった97年の大統領選では、金鍾泌氏ら保守勢力と手を組んだ。保守陣営の分裂も手伝って小差で当選。「いかなる政治報復もしないが、差別は許さず地域差別をなくす」(98年2月の大統領就任演説)と明言し、韓国政治史で初の革新政権を発足させた。
2000年6月には南北首脳会談を実現させ「対決の時代に終止符を打った」と宣言、この年、ノーベル平和賞を受賞した。ただ、金大中氏と盧武鉉氏の2代にわたる親北政権は、対北政策で陰の部分ももたらした。一方的な対北支援は、計1兆7800億ウォン(約1380億円)に上った。
昨年、李明博氏の大統領就任で保革が逆転すると、自らの対北融和政策(太陽政策)について、「韓国の支援の傍らで北朝鮮は核開発を進めた。人権問題も何一つ改善しなかった」との批判を浴びることになる。
◇◇
韓国では映画や漫画など日本の大衆文化の上映、出版などは長く禁止された。日本文化の開放を決断したのが金大中政権だった。
「韓日は過去を直視し、未来志向的な関係を築いていくべき時を迎えた」(1998年10月の来日時、参院本会議で演説)と「未来志向」の日韓関係を唱え、日本映画の上映や歌謡公演などを段階的に解禁。サッカーのワールドカップ日韓共催も実現した。しかし「未来志向」にあっても、歴史問題では対日非難外交の殻を破れなかった。
1142
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 00:55:15
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009081990070545.html
拉致真相 歴史の闇に 死去の金元大統領
2009年8月19日 07時05分
1973年8月、東京のホテルで拉致された後、ソウルの自宅近くで解放され記者団の質問に答える金大中氏(東洋通信=共同)
【ソウル=福田要】十八日に八十五歳で死去した韓国の金大中(キムデジュン)元大統領は、野党指導者時代の一九七三年八月、東京都内のホテルから拉致された事件の全容解明を強く訴えていた。だが、当時の朴正熙(パクチョンヒ)大統領による指示の有無など、戦後の日韓関係史の暗部を象徴する事件の真相は「政治決着」により歴史の闇に埋もれたままになった。
事件をめぐり、韓国政府の真相究明委員会は二〇〇七年十月、朴大統領の黙認の下、当時の韓国中央情報部(KCIA)が組織的に進めた犯行だったとする調査報告書を初公表。事件発生から三十四年後、政府機関の関与を公式に認めた。
だが、核心部分とされた朴大統領の指示を裏付ける証拠は見つからず、「少なくとも暗黙の承認があったと判断される」との報告にとどまった。
また、日本の暴力団を使った暗殺計画も取りざたされたが、実行段階では拉致が目的だったと結論づけた。拉致後に海へ投げ込まれかけたとし、殺人未遂事件だったとする金大中氏側の主張とは大きな隔たりがあった。
金氏は「優柔不断な結論」と強い不満を表明。さらに、「犯罪の明確な証拠がありながら捜査を中止した日本政府と、事件を隠ぺいした韓国政府に深い遺憾を表明する」と語り、七〇年代に政治決着で捜査を幕引きした両政府を非難した。
この報告書の公表から六日後、柳明桓(ユミョンファン)駐日韓国大使は、日本政府に主権侵害を事実上陳謝した。
事件の全容解明につながる可能性もあったが、福田康夫首相(いずれも当時)は「これ以上追及するようなことを考えなくていい」と政治問題化を避け、外交決着させる意向を示した。
事件解明に向け、関係者の事情聴取など日韓の捜査協力も進まず真相は永遠の謎に包まれた。
(東京新聞)
1143
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 23:32:33
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200908140005o.nwc
韓国 相手にされぬ“死に体”大統領 内政混乱は外交の足かせ
2009/8/14
発足当初から「レームダック(死に体)化」がささやかれていた韓国の李明博(イ・ミョンバク)政権だが、ここへ来て内政のかじ取りのまずさが外交政策に悪影響を及ぼす可能性が出てきた。
李大統領の就任からわずか3カ月後の2008年5月、BSE(牛海綿状脳症)が確認された米国からの牛肉輸入に抗議する運動が発生。ソウルで10万人が集まるデモへと発展した。結果的に、騒動を招いたメディアに対する政府の不信感が募り、必要な経済・政治改革を実行する政権の能力が疑問視されるようになった。
抗議運動が沈静化した後も李政権に好意的なニュースは聞こえてこない。世界的な金融危機の影響もあり、7%の経済成長など李大統領の選挙公約の多くが未達成のままだ。北朝鮮との関係もここ10年で最悪の状態にある。
李政権のレームダック化は与党・ハンナラ党内部に原因がある可能性がある。07年の大統領選挙に先駆けた党内予備選では候補者擁立をめぐって党内が3つに分裂。対立関係は解消されるどころか、次の大統領候補と目される人物に取り入ろうとする動きが活発化する始末だ。
こうした内政の混乱が外交政策に及ぼす影響も現れてきている。これまで韓国の外交政策は高い一貫性を維持してきており、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の民主・革新政権から現在の保守政権に変わっても、政策目標が大きく変更されることはなかった。
具体的には、与党のメディア産業改革案へ野党が反対したことが尾を引き、国連レバノン暫定駐留軍(UNIFIL)への韓国軍派遣延長が可決されない恐れがあった。
また韓国では「論功行賞」的に在外大使が任命されるが、相当数の大使が次期政権での地位固めをもくろみ、早期帰国を望んでいるという。こうした動きは北朝鮮問題を含めた外交政策の足かせにもなりかねない。
1144
:
千葉9区
:2009/08/20(木) 23:34:40
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090820/kor0908202213010-n1.htm
【金大中氏死去】「国葬」で物議 バランス欠いた要求?
2009.8.20 22:12
【ソウル=黒田勝弘】韓国政府は金大中元大統領の葬儀を23日、「国葬」で行うことになったが、退任した大統領への国葬は過去に例がなく、遺族など金大中氏側が国葬を強く要求したこともあって物議をかもしている。生前、何かと話題の多かった金大中氏だが、死してなお議論のタネを残した形で、世論には「いかにも金大中氏らしい」などの声が出ている。
韓国の歴代大統領で国葬が行われたのは、在任中に暗殺事件で亡くなった朴正煕氏が唯一。李承晩初代大統領などは「家族葬」、5月に自殺した盧武鉉前大統領など2人は「国民葬」だった。
法律では、大統領経験者は「国葬ないし国民葬にできる」とあるだけで詳しい基準はない。ただ国葬は費用をすべて国が負担し、官庁が休日になるなど国民葬より格が上。政府は今回、盧武鉉氏の例もあって当初、国民葬を考えていたが、遺族や側近たちが国葬を要求。最後は李明博大統領の配慮で国葬に落ち着いた。
その代わり、朴正煕氏の国葬挙行が死後9日目の「9日葬」、盧武鉉氏の国民葬が7日目の「7日葬」だったのに対し、今回は6日目の「6日葬」に“格下げ”しバランスをとった。ところが「6日葬」についても、韓国では偶数日の葬儀は「友引」として行わないのが慣例なため、街では首をかしげる向きもある。
金大中政権は当時、自らを「国民の政府」と称していたことから「国民葬」が順当なところだったが、本人の死後、遺族や側近が欲を出して「国葬」にこだわったようだ。
1145
:
とはずがたり
:2009/08/29(土) 10:07:38
859 名前:名無しさん[] 投稿日:2009/08/29(土) 03:16:30
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0828&f=column_0828_001.shtml
中国から見た日本の政治家〜総選挙、民主新政権見据え
【コラム】 【この記事に対するコメント】 Y! V 2009/08/28(金) 10:47
さあ、総選挙である。北京でも、日本の政治関連のニュースが多くなってきた。
新華社通信が出しているニュース週刊誌『環球』最新号は、巻頭13ページにわたって日本政治特集を組んだが、これは圧巻! 記事は三部構成で、まず第一部は、日本の主な政治家23人を顔写真入りで、徹底分析している。ざっとこんな具合だ。
<自民党>
中川秀直……2000年の森内閣で官房長官に抜擢されたが、3カ月後に愛人とヤクザとの交際問題で失脚。最近は新聞記者出身らしくホームページに日々「中川の目」と題して寄稿し、話題を呼んでいる。
武部勤……初対面の人の似顔絵を即席で書くのが特技。ミニ小泉とも言うべき存在で、媚中外交反対論者の筆頭。
与謝野馨……与謝野晶子の孫で、敬虔なキリスト教徒。囲碁7段が自慢。
石原伸晃(なぜか写真が20代の頃)……あの虎のような石原慎太郎の長男だが、性格は犬のように軟弱。お坊ちゃま政治家の典型で、2001年に新興宗教・崇教真光の隠れ信徒であることを暴露された。
鳩山邦夫……田中角栄の元秘書出身で料理オタク&蝶オタク。2006年12月にはフィリピン出張と称して禁猟区で蝶を採り続け顰蹙をかった。朝日新聞からは「死神」と呼ばれた。
舛添要一……圧倒的な知名度で、自民党のスポークスマン役を務める。1997年に『舛添要一の6ヵ国語習得法』というユニークな本を出した。
河野太郎……改憲派の急先鋒で、ハト派の父親とはまったく違うタイプ。
古賀誠……自民党の黒幕で、靖国神社のA級戦犯分祀論者として知られる。
中川昭一……自民党随一のアル中政治家。2008年11月20日、スペイン国王を招いての宮中晩餐会で酔っ払って大暴れ。今年2月14日にはローマで酩酊会見が世界の失笑を買い、「国辱」と呼ばれ財務相を辞任した。中国脅威論者の筆頭格でもある。
石破茂……軍事オタクとして知られ、首相の靖国参拝に反対して右翼学者・渡辺昇一から「国賊」と叩かれたこともある。
小池百合子……元小泉内閣の紅一点で、いまだ独身。李登輝と家族同様に付き合い、1998年11月の李登輝金婚式パーティに駆けつけ、自慢のノドを披露したこともある。
1146
:
とはずがたり
:2009/08/29(土) 10:07:53
>>1145-1146
860 名前:名無しさん[] 投稿日:2009/08/29(土) 03:16:45
>859
<民主党>
鳩山由紀夫……「友愛外交」を掲げ、麻生首相の「価値観外交」と真っ向対立。今年6月3日に崔天凱大使に、「首相になっても靖国参拝はしない」と明言したが、チベット独立を支持する矛盾した一面も持つ。
小沢一郎……5歳で夭折した田中角栄の長男・正法と同年齢であることから、「政治の父」田中角栄が息子同然に育てた。「鉄腕」+「破壊者」として知られ、49歳の自民党幹事長時代には首相の椅子を蹴飛ばしたこともある。「長城計画」で日中友好に努めてきた。
岡田克也……ジャスコグループの跡取り息子だが、一族とは距離を置く。妻・多津子の父は元衆院議員の村上信二郎。4年前の代表時代の総選挙で「小泉劇場」に惨敗を喫した。
菅直人……胡耀邦が始めた日本青年3000人訪中団のメンバー。台湾の国連加盟論者で、長男・源太郎は、2度も民主党の公選候補で敗れている。
前原誠司……議員会館で隣室の安倍晋三元首相のポン友で、対中強硬派。2005年9月には中国脅威論をブチ、予定された訪中を拒否されたこともある。
枝野幸男……チベット問題を考える議員連盟会長で、昨年は釣魚島(尖閣諸島)に飛行機で視察に乗り込んだ。中国の人権問題にも噛みついている。
他党の政治家たちも紹介しているのだが、省略する。第二部は、「小沢の“乱世”の機会」というタイトルで、政治家・小沢一郎を徹底分析している。「今年67歳の小沢は日本の政界で言えば『若い』部類に入るが、『宇宙人』鳩山の次を狙えるかは微妙だ。1991年以来取り沙汰されている心臓病(このため毎日2時間の昼寝を欠かさない)もネックになっている」と結論づけている。
第三部は、「民主党政権下の対中政策」というタイトルで、来る民主党政権の対中政策を予測している。「民主党は右から左まで9派閥もあり、議員平均年齢は46歳(自民党は53歳)と若いため、来年7月の参院選を経ないと予測が難しい。ただ、『自由』『民主』『人権』がキーワードになりそうで、若い民主党の柔軟性に注目したい」と結んである。
紙面の都合上、記事のすべてを紹介できないのが残念だが、自国の政治についてもこれくらいの論評を書いてほしいと思うほどの恐るべき取材力だ。執筆した3人の新華社記者の一人は、私も東京で何度も食事をしたことがある知日派である。
一昔前まで、中国のメディアがこれほど掘り下げた日本政治の記事を出すことなどなかった。9月に発足するであろう鳩山民主党政権は、すでに中国にとことん「解剖」されていると見るべきである。(執筆者:近藤大介 明治大学講師 編集担当:サーチナ・メディア事業部)
1147
:
チバQ
:2009/09/04(金) 22:23:03
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090903-OYT1T00880.htm
韓国で内閣改造、首相に経済学者を起用
【ソウル=前田泰広】韓国の李明博(イミョンバク)大統領は3日、首相に経済学者の鄭雲燦(チョンウンチャン)前ソウル大総長を任命したほか、6人を新たに閣僚に起用する内閣改造を行った。
鄭氏の首相任命は、世界的な金融危機で深刻な打撃を受けた国内経済の立て直しに重点を置く李大統領の姿勢を鮮明にしたものだ。7人は国会の同意を経て就任する。
鄭氏は中部・忠清南道の出身。首相任命は、来年6月の統一地方選を念頭に、この地域での政権支持率を高める思惑もありそうだ。
国防相には、李政権の国防費削減方針に反発した李相喜(イサンヒ)氏に代わって韓国軍の金泰栄(キムテヨン)合同参謀本部議長を任命。新設した特任相には、与党ハンナラ党の議員で李大統領に近い朱豪英(チュホヨン)氏を起用した。朱氏は、大統領府と与野党の意思疎通をスムーズに行うパイプ役が期待されている。南北関係で重要な役割を任せられるとの見方もある。
(2009年9月3日19時35分 読売新聞)
1148
:
チバQ
:2009/09/05(土) 10:46:18
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090904/chn0909042005007-n1.htm
台湾の李登輝元総統が来日 民主、自民議員らと懇談
2009.9.4 20:02
台湾の李登輝元総統(86)が4日、講演などを目的とする私的旅行のため、曾文恵夫人らとともに来日した。成田空港に到着後、東京都内のホテルで、民主党、自民党の議員ら政界関係者約20人を含む友人、知人と会食、懇談した。政権奪取を決めた民主党には、アジアにおける日本のリーダーシップ確立を要望するなどしたとみられる。
李氏はホテル到着後、記者団に対し、民主党の鳩山由紀夫代表ら新政権幹部との接触の可否については明言を避けながらも、民主党とも自民党とも等距離で交流を続ける考えを表明した。
李氏は今年5月に体調を崩し、予定された松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地を歩く計画を断念したが、この日の李氏は血色も良く、「最近は(体調が)少しよくなりました」と話した。ただ、「奥の細道」の再訪は「しばらく延期します」と述べ、2007年6月に実現した実兄が祭られる靖国神社への参拝も、今回は見送る考えを示した。
李氏の訪日は今回で5回目で、10日までの滞在中、高知、熊本両県を初訪問し、講演や記者会見を行う。
1149
:
チバQ
:2009/09/07(月) 20:51:07
http://mainichi.jp/select/world/news/20090908k0000m030051000c.html
台湾:内閣総辞職へ…大水対応遅れ
【台北・大谷麻由美】台湾の劉兆玄行政院長(首相)は7日、台北で会見し、台風8号による大水害への対応の遅れの責任をとり、辞任すると発表した。内閣は10日に総辞職する。馬英九総統は新内閣の発足で信頼回復を図る考えだが、馬政権の不手際に対する住民の不信感は根強く、年末の地方首長選挙にも影響を与えそうだ。
劉院長は会見で、大水害の死者・行方不明者が700人を超えたことに触れ、「政府に政治責任があり、誰かが責任をとらなければならない」と語った。劉院長は8月中旬にも馬総統に辞意を伝えたが、被災地の復旧を優先するため慰留に応じていた。馬総統は7日、次期行政院長に、与党国民党の呉敦義秘書長を任命した。
馬総統は先月18日の緊急会見で、9月初旬までに内閣改造を含め行政責任を明確にすると表明。その直後から閣僚らの辞意表明が相次ぎ、政権の求心力は急速に低下していた。
台湾紙「中国時報」の世論調査によると、馬総統の支持率は今年6月には60.7%と好調だったが、大水害後は29.6%にまで落ちた。信頼回復には時間がかかると予想され、しばらくは低支持率が続き、厳しい政権運営を強いられそうだ。
1150
:
チバQ
:2009/09/12(土) 15:15:51
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009091202000068.html
機密費不正流用 台湾前総統に無期懲役 トップ経験者 初実刑
2009年9月12日 朝刊
【台北=栗田秀之】台湾の陳水扁前総統(58)が総統府機密費の横領や収賄、マネーロンダリング(資金洗浄)などの罪に問われた事件で台北地裁は十一日、判決公判を開き、前総統に無期懲役、罰金二億台湾元(約五億六千万円)、終身公民権はく奪の判決を言い渡した。台湾の総統経験者が実刑判決を受けるのは初めて。無罪を主張する前総統は控訴する方針。
呉淑珍夫人(57)にも無期懲役、罰金三億台湾元が言い渡された。前総統の事務所は判決を前にした十日、「裁判の合法性と正当性を認めない」とする声明を公表、前総統はこの日の裁判を欠席した。
前総統夫妻は計五つの事件で起訴され、不正所得は合わせて八億台湾元に上るとされる。蔡守訓裁判長は、弁護士出身の前総統に対し「正義の象徴として総統に選ばれながら、個人の利益のために公金をだまし取り、法を知りながら法を犯した」と指摘した。
前総統は昨年十一月十二日に逮捕された。検察側は裁判を通して具体的な求刑はせず、「最も厳しい制裁」を求めてきた。前総統は、わいろとされる資金は政治献金で、資金を海外に不正送金した資金洗浄は夫人ら家族の独断だったとして、潔白を主張していた。
1151
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:06:13
>>831
>>947-948
>>1064
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200909090009o.nwc
タイ 2つのエリート層対立 王位継承と政情に混乱も
2009/9/9
タイの裁判所で8月28日、タクシン元首相派の市民運動組織「反独裁民主統一戦線」に所属するダラニー・チャーンチェンシラパクン被告に対し、王室への不敬罪で禁固刑18年の判決が言い渡された。判決はプミポン国王の後継者問題が切迫の度合いを増す中で下された。1946年に18歳で即位した同国王は、今年12月に82歳になる。
タイは他のアジア諸国に比べると、数十年にわたり、高い政治的安定と健全な経済発展を享受してきた。これは、国内の安定に対し、プミポン国王が果たしてきた役割に負うところが大きい。タイにおける国王は欧州の王室以上の存在だ。人々からの尊敬を集め、ほとんど「神聖」ともいえる地位にある。
最も新しいクーデターは2006年9月に起きた。これは、当時のタクシン首相に対する蜂起だった。軍指導者によれば、タクシン氏には、君主制に対する挑戦と取られかねない振る舞いが出ていたという。その後、タクシン氏は海外へ逃亡。しかし、引き続き運動組織を率いて、タイ国内で、時の政権に対する退陣要求を行うなどの大規模なデモを起こしている。タクシン氏の支持者は枢密院議長への非難も行っている。
西側メディアはこういった争いごとを、タクシン氏に代表される民主主義を支持する新しいエリート層と、旧来のエリート層との対立として表現することが多い。そして、それは確かに新興の財閥と、伝統的な貴族社会との対立といえる。
両者は継承過程に影響力を発揮しようとする可能性が高く、両者の不和が王位継承に影響を与える可能性がある。
将来の安定は、王位継承がどのように行われるかにかかっている。円滑な継承は、社会の安定に寄与するだろう。しかし、もし2つのエリート層の間の対立が、その過程を混乱させることがあれば、タイは激しい政治的混乱に陥る可能性がある。
1152
:
チバQ
:2009/09/14(月) 22:17:56
>>977-979
>>1125
中国共産党 “ポスト胡錦濤”焦点 軍事委に習氏選出か あすから四中全会
2009年9月14日 朝刊
【北京=朝田憲祐】中国共産党の第十七期中央委員会第四回全体会議(四中全会)が十五日から四日間、北京で開かれる。胡錦濤国家主席の後継者として最有力視される習近平国家副主席(56)が、軍に強い影響力をもつ中央軍事委員会副主席に選出されるかが焦点となる。就任すれば、二〇一二年の第十八回党大会でトップの党総書記に就くことがほぼ確実になるとみられる。
一九九九年の四中全会では、胡氏が中央軍事委副主席に任命され、〇二年党大会で総書記に就任した。中国筋の間では、習氏も前例にならい軍事委入りするとの見方がある一方で、胡氏が現政権の足固めを優先させて、同ポスト人事を先送りするとみる向きもある。
今回の四中全会の主要議題は「新たな情勢下の党の建設」。国内では近年、経済格差が広がり、抗議デモや陳情が増加する一方、党幹部や官僚の汚職もまん延している。こうした中、十月一日の建国六十周年を前に、統治能力強化に向けた方針をどう打ち出すかが注目される。
また、香港紙・明報によると、党中央は、新疆ウイグル自治区ウルムチ市で今月、大規模デモが再び発生し、デモ隊の批判の矛先が地元当局に向けられたことを重視。胡主席が行った「社会を安定させられなければ、過去の成果さえ失うことになりかねない」との発言を取り上げ、四中全会では、自治区トップの王楽泉党委書記が非難の的になるとの見方を示している。
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091301000315.html
習氏の軍副主席選出が焦点 中国、15日から4中総会
【北京共同】中国共産党は15日から4日間の日程で第17期中央委員会第4回総会(4中総会)を開く。胡錦濤国家主席(党総書記)の後継者として最有力視される習近平国家副主席(56)(党内序列6位)が軍の要職、中央軍事委員会副主席に選出され、後継者としての地歩を固めるかどうかが最大の焦点だ。
主要議題は、内外情勢が激変する中で執政能力を高めるための「党組織の強化・改善」。胡指導部としては建国60年を祝う10月1日の国家的大イベントへ向け、党の魅力を国民にアピールしたいところだ。
初日に胡総書記が過去1年間の活動を報告。最終日の18日に「党組織の強化・改善」に関する決定や人事を承認する。
習氏の軍事委副主席就任が決まれば、2012年の第18回党大会で総書記を引退する見通しの胡氏の後継がほぼ確定的となる。胡氏も総書記に昇進する3年前の1999年の第15期4中総会でこのポストに就き、江沢民前国家主席後継の地位を固めた。
2009/09/13 19:36 【共同通信】
1154
:
チバQ
:2009/09/23(水) 12:10:14
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200909170003o.nwc
台湾 ダライ・ラマの台風追悼集会招請 南部・北部の経済対立 政治に飛び火
2009/9/17
台風被害への対応をめぐり厳しい立場に立たされた馬英九総統(左)と、新行政院長に指名された呉敦義氏=10日、台北(AP)
台湾の劉兆玄・行政院長(首相)率いる行政院(内閣)が10日、台湾を襲った台風8号(モーラコット)への対応の遅れの責任を取り総辞職し、呉敦義・国民党秘書長を後継とする新内閣が発足した。野党・民主進歩党(民進党)はチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世を台風被害の大きかった台湾南部での追悼集会に招待。これが論争を呼び、もともと中国との経済統合をめぐり温度差が大きかった南北間の政治的な分裂に結びつく可能性も出てきそうだ。
■分析
8月6日に台湾に上陸した台風は、記録史上最悪の強風と豪雨をもたらした。洪水被害が広がり、少なくとも600人が死亡し、インフラは甚大な損害を受けた。農産物の被害も5億ドル(約455億円)に上ると推定されている。台風による土砂崩れが多くの犠牲者を出した。
台湾南部の高雄県、台東県、屏東県、台南県などが深刻な被害を受けた。各県とも中央山脈沿いの高地の急斜面に村落があり、主に台湾の先住民族が暮らしていたが、先祖の土地を失うことを心配して避難を拒否する例もあり、被害が拡大した。
政府は自然災害への対応をめぐり、猛烈な批判を受けた。民進党は国民党の馬英九総統とその政府に対する市民の不満を利用することができた。多くの台湾人は救助活動が不十分で遅すぎると感じた。国民党の高雄県長、台東県長、民進党の台南県長、屏東県長も批判されかねない立場だったが、地方政府に対する市民の期待は低く、非難は馬英九総統と中央政府に集中した。
◆北京政府の顔色
台風は中国との関係にも影響を及ぼした。民進党が首長を務める7県市が被災者とその家族を慰問するため、チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世に訪台を要請。ダライ・ラマは8月31日から4日間、台湾の被災地を訪れ、高雄県の追悼集会には1万5000人が集まった。
ダライ・ラマ招請の動機は、主に政治的なものだった。民進党の見解では、チベットと台湾は北京の政治支配に抵抗する共通の大義を持つ。北京政府はダライ・ラマの海外訪問にはすべて抗議するが、とくに訪台には過敏になる。国民党の馬政権は、政治的に敏感な両岸(中台)関係にとってダライ・ラマの訪問は不都合だと主張した。
民進党は昨年末、馬総統がダライ・ラマの訪台を認めない決定をしたとき、馬政権が北京に迎合しすぎていると判断。台風は異なった結果をもたらす絶好の機会となったわけだ。ダライ・ラマの訪問を拒否すれば馬総統が被災者の気持ちよりも中国本土の指導者を気にかけていることを示すことになるからだ。
馬総統はダライ・ラマの訪台を許可し、ひそかに北京に使節を送った。北京政府は、ダライ・ラマが(1)政治的演説をしない(2)記者会見を開かない(3)国民党の指導者と会談しない−との条件で、訪問への批判を弱め、馬政権を激しい非難から守ることに合意。批判の矛先を民進党に向け、予定されていた交流のいくつかを中止することで、形式的に抗議した。
「ダライ・ラマ論争」は民進党に有利に働いた。馬総統は譲歩を強いられ、民進党は台風の被災者にきわめて同情的な政治勢力であることを示したからだ。民進党にとっては、これが3カ月後に迫った12月5日の統一地方選挙への追い風となった。
しかし民進党はダライ・ラマのカリスマ性と人望によって守られる面があるものの、政治目的のために災害を利用したとの非難に直面するかもしれない。
1155
:
チバQ
:2009/09/23(水) 12:10:43
◆経済構造の違い
台風はまた、北部・中部と南部台湾の政治的見解の不一致もさらけ出した。民進党は南部での支持基盤が最も強い。国民党にも南部選出者がいるものの、民進党の役職者のほとんどは南部出身だ。これは、1900年以前に祖先が台湾に移住してきた本省人の比率が南部に高いという歴史的な要因も関係している。
経済も影響している。台湾南部の経済は農業と伝統産業に頼り、どちらも中国本土との経済統合からあまり多くの恩恵を受けない。
これとは対照的に、北部経済はハイテク製造業、研究開発、サービス産業が支配的であり、これらはみな、中台貿易投資から利益を得る。
台湾の政党は、両岸の経済連携に対して異なる利害を持つ産業部門に影響を受ける傾向が強まっている。国民党は緊密な関係から恩恵を受ける産業を代表し、民進党は両岸関係が強まるほど弱体化する産業を代表している。台湾北部と南部の異なる経済構造が、党派的分裂を強めている。
■結論
台風8号への対応をめぐって市民が馬総統とその政府を激しく非難したため、市民が政府にどれほど強い不満を抱いたかが明らかになった。かつては見え透いた政治的演出と受け止められたダライ・ラマ訪台に対する熱狂ぶりは、北京政府の機嫌をうかがう台湾人の無関心ぶりを際立たせることになった。北京政府はこうした現状を歓迎しないだろう。台風一過の両岸関係は一段と難しいものとなりそうだ。
1156
:
チバQ
:2009/09/23(水) 17:46:09
>>1151
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090920-OYT1T00342.htm?from=navlp
タイのクーデターから3年、タクシン派なお健在
【バンコク=田原徳容】タイのタクシン元首相を放逐した軍事クーデターから3年となる19日、タクシン派勢力「反独裁民主戦線(UDD)」と支持者ら約2万人が、首都バンコクでアピシット政権退陣を求める大規模集会を開いた。
国外逃亡中のタクシン氏は、復権を視野に今も隠然たる影響力を誇示。タクシン派と反タクシン派の対立は深まる一方で、政情不安解消の兆しは見えない。
政府は、4月にUDDのデモが暴徒化し、125人が死傷したことを受け、軍の有事出動を認める国内治安法を集会場所に適用。警察官や兵士7300人を配備した。
集会では、UDD幹部が「クーデターから3年、民主主義は失われたままだ」と述べ、タクシン氏の復権を訴えた。タクシン氏自身も同日夜、ビデオメッセージで「私がいなくなって国情は悪化するばかりだ」と述べた。
タクシン氏は、クーデターで失脚後、自派政党の解党、公民権停止、資産凍結、汚職事件での実刑判決などで追い込まれ、4月のデモではUDDを扇動した「戦犯」として逮捕状が出されるなど復権は厳しい状態にある。
だが、タクシン氏のバラマキ政策で恩恵を受けた農民などのタクシン支持は根強い。現政権が経済政策で成果を出せない中、経済通のタクシン氏は見直され、世論調査ではアピシット首相の支持率を上回った。
軍や官僚などクーデターを支持した旧支配勢力を後ろ盾とする現政権は、UDDの活動を妨害、タクシン氏の影響力排除に必死だ。チュラロンコン大学のチャイワット・カムチョー教授は「両派の対立を静める妙案は見当たらない」としている。
(2009年9月20日13時06分 読売新聞)
1157
:
チバQ
:2009/09/23(水) 18:30:13
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009092002000091.html
クーデター3年 政争続くタイ タクシン派 首都で大規模集会 反タクシン派 国境で小競り合い
2009年9月20日 朝刊
【バンコク=林浩樹】タイのタクシン元首相を放逐したクーデターから三年となった十九日、タクシン派は首都バンコクで大規模集会を開き、アピシット政権退陣を要求した。反タクシン派もカンボジアとの領有権争いが続く国境地域で政権への抗議デモを実施。景気回復や国民和解に有効策を打てず求心力が低下するアピシット首相に両派が揺さぶりをかけた形で、政治的緊張が高まっている。
タクシン派市民団体は国会近くに数万人が集結。タクシン氏がクーデターの「黒幕」と批判するプレム枢密院議長宅周辺へもデモ行進した。政府は既に周辺地域に治安維持法を発令し、警察や軍など六千人の厳戒態勢を敷いているが、衝突などが生じた場合、非常事態宣言も辞さない姿勢だ。
昨年の空港占拠事件を起こした反タクシン派市民団体はタイ、カンボジア両国軍が依然にらみ合う世界遺産ヒンズー寺院「プレアビヒア」近くに約一万人が押しかけ、住民らとの小競り合いで負傷者が出た。デモ隊は約四・六平方キロメートルの国境未画定地域に侵入する構えで、それをきっかけに両軍が一触即発の事態に陥る恐れもある。
同団体はこれまで首相や首相率いる民主党と連携し、カンボジア単独の世界遺産登録申請を認めたタクシン派政権を非難してきた。
今回、国境問題で首相に抗議の矛先を向けたのは、次期総選挙に政党を結成して臨む同団体と民主党の支持基盤が重なるため、政権のイメージダウンを狙ったとみられる。
昨年末に就任した首相は目立った政治的な成果を挙げておらず、タクシン派の一部を取り込んで発足した連立政権内も警察長官人事などで対立が表面化している。
1158
:
チバQ
:2009/09/23(水) 18:30:57
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009092002000093.html
3月総選挙?へ 『政党』乱造も 民主化強調 ミャンマー軍政
2009年9月20日 朝刊
来年に予定されるミャンマー総選挙をめぐり、動きが活発化している。民政移管後も権力掌握を狙う軍事政権は、選挙法と政党法を近く制定し、政党結成や候補者擁立を急ぐ構え。軍政と一線を画す新党も誕生した。だが、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)は選挙参加をめぐって意見が分かれ、正念場を迎えつつある。 (バンコク・林浩樹)
「来月に選挙法が制定される」「選挙は来年三月だ」。最大都市ヤンゴンでは最近、こんなうわさが流れている。三月選挙の根拠の一つは、例年より早い小中学校の授業進度。校舎が投票所に使用されるため、軍政が年度終了を二月に前倒ししているというわけだ。
民主化勢力を排除して民政移管過程を進める軍政にとって、選挙前の最大の“障害”は十一月に終了するスー・チーさんの軟禁延長だった。軍政は新憲法でスー・チーさんの被選挙権を事実上はく奪したが、自由な応援遊説を許せば、NLDが大勝した一九九〇年選挙の二の舞いになる恐れがあったからだ。
ところが五月、米国人男性による自宅侵入事件が発生し、軍政は裁判に持ち込んでスー・チーさんの軟禁延長に成功。「もはや軍政が選挙を遅らせる理由はない」(地元記者)との見方が強い。テイン・セイン首相が今月下旬の国連総会演説で選挙日程を発表するとの観測も出ている。
軍政の候補者擁立も着々と進む。タイ拠点の反軍政系ミャンマー情報誌(電子版)は十六日、現地からの情報として軍政が三百人以上の候補者選定を終えたと伝えた。その多くが軍人という。
関係筋によると、圧勝を目指す軍政は「受け皿」政党を複数設立する見通し。一党支配による権力掌握は、国際社会の批判を浴びるとの判断とみられる。もっとも、実際の集票や運動は大政翼賛組織「連邦団結発展協会」が担い、国民に圧力をかけるのは間違いない。
「選挙で議席を得ることがミャンマーの改革につながる」。今月十四日、ベテラン政治家のトゥ・ウィ氏が民主党を結成した。ウ・ヌー初代首相の娘タン・タン・ヌー氏も加わり、野党の立場で選挙に参加する。外交筋は「今後、少数民族や親軍政勢力の政党が続々と誕生する」とみる。
一方、最大野党NLDは全政治犯の解放と憲法見直しを選挙参加の条件に挙げる。しかし、軍政が応じる気配はなく、選挙に参加する政党が増えれば「民主的な選挙をアピールしたい軍政を利するだけ」(幹部)との危機感も募る。さらに党内には、現実的選択として選挙参加を求める声が出始めたという。
盤石な選挙態勢を整える軍政にも、不安定要因はある。停戦協定を結ぶ少数民族武装勢力の国軍編入問題だ。
国内安定のため、軍政は選挙前に十七組織を国境警備隊に編入させる方針だが、約半数が反発。軍政は八月、東北部シャン州のコーカン族武装勢力の制圧に乗り出し、同意を取り付けたものの、戦闘を恐れた市民三万人が中国に一時流出した。
コーカン族は少数派で、軍政の攻勢は国軍編入に抵抗する各勢力への「脅し」の意味合いが強い。ただ、軍政が最大勢力のワ族などに攻撃を仕掛ければ戦闘が全土に飛び火するとの懸念も広がっている。
<ミャンマー連邦議会> 地域代表院(下院、定数440)と民族代表院(上院、同224)の2院制。両院とも軍指名の議員が25%を占める。議員資格について「外国の影響を受けない」と規定して英国人男性(故人)を夫に持ったスー・チーさんの立候補を禁じている。憲法改正には4分の3以上の賛成が必要で軍が事実上の「拒否権」を持つ。任期は5年。来年予定の選挙は両院で実施され、選挙後に国家元首の大統領を選出する。大統領は軍と両院が選出した3候補の中から投票で決まり、敗れた2候補が副大統領に就く。大統領資格には「軍事の精通」を定め、文民の就任を極めて困難にしている。
1159
:
チバQ
:2009/09/25(金) 23:09:36
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090924-OYT1T01142.htm
北朝鮮最高指導者は国防委員長、憲法で規定
【ソウル=前田泰広】米政府系のラジオ自由アジア(RFA)は24日、北朝鮮が今年4月の憲法改正で、金正日(キムジョンイル)総書記が務める国防委員長を「最高指導者」と規定したと報じた。
金総書記が唱える「先軍(軍事優先)思想」も初めて明記されたという。事実なら、金総書記による支配体制を強化する狙いとみられる。
日本の北朝鮮消息筋が改正された憲法を入手し、内容を明らかにした。
消息筋によると改正憲法では、金日成(キムイルソン)主席が編み出した「主体(チュチェ)思想」と「先軍思想」を対をなして使用。
国防委員長の任務と権限を規定する6条項を新設して「最高指導者」と規定した。金総書記を金主席と同格とすることを憲法上明確にしたものとみられる。
改正憲法ではまた、「先軍思想」が明記される一方、「共産主義」という言葉は削除された。消息筋は、1992年の改憲時に「マルクス・レーニン主義」の表現をやめて「主体思想」を打ち出した時と「同じ文脈でとらえられること」と指摘しており、北朝鮮独自の支配体制を誇示したものと見られる。
(2009年9月24日22時52分 読売新聞)
1160
:
チバQ
:2009/09/25(金) 23:13:19
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090922-OYT1T00580.htm
毛沢東の孫、「最も若い将軍」に…香港紙
【香港=竹内誠一郎】22日付の香港紙、文匯報などによると、中国の毛沢東主席の唯一の孫で、軍に所属する毛新宇氏(39)がこのほど、大佐から少将に昇格したことがわかった。
毛氏は、中国で「最も若い将軍」となるという。
毛氏は、毛主席の次男、岸青氏と女性将軍だった邵華氏との間に生まれ、2000年から軍歴を歩んできた。現在、軍事科学院戦争理論・戦略研究部の副部長を務め、全国人民政治協商会議(政協)委員でもある。湖南省で最近開かれた行事に参加した際の肩書から、昇格が判明した。
(2009年9月22日19時03分 読売新聞)
1161
:
とはずがたり
:2009/09/29(火) 00:06:54
「東アジア共同体」へ協力=対北で連携−日中韓外相
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2009092800545
【上海時事】日本、中国、韓国の3カ国による外相会議が28日午後(日本時間同)、中国・上海で開かれた。就任後初めて訪中した岡田克也外相は、鳩山由紀夫首相が提唱する「東アジア共同体」構想に協力を要請。3外相は同構想が目指す域内協力を推進することで一致した。また、北朝鮮の核問題について、6カ国協議の早期再開に向け連携していくことを確認した。
日中韓外相会議は昨年6月に東京で開かれて以来。会議には岡田氏と、中国の楊潔◆(竹カンムリに褫のつくり)外相、韓国の柳明桓外交通商相が出席した。
岡田氏は冒頭「鳩山政権は日米関係を基軸としながら、長期的に東アジア共同体を構築することを視野に入れている。中韓両国との提携の下で地域協力を進めたい」と表明。中韓外相も、金融・貿易などで実務的な協力を加速させる必要性を指摘した。これに関し、岡田氏は会議後、記者団に「基本的に賛同していただいた」と述べた。
北朝鮮の核問題について日韓外相は、国連安保理決議に基づく制裁継続と6カ国協議の早期再開の必要性を指摘。楊氏は、温家宝首相が4日から訪朝することを説明した上で「6カ国協議は現実的かつ有効なチャンネルだ」と北朝鮮に早期復帰を促す考えを示した。
また3外相は、10月10日に北京で開催される日中韓首脳会談で、環境問題や文化交流などについて合意を目指す方針を確認。岡田氏は中国の核保有について「透明性の向上や核軍縮の取り組みを強く期待する」と語った。(2009/09/28-22:58)
1163
:
名無しさん
:2009/09/29(火) 22:36:59
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090929/plc0909291804008-n1.htm
「東アジア共同体は中国の戦略。米国は受け入れない」米専門家
2009.9.29 18:02
【ワシントン=古森義久】米国議会の政策諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」のラリー・ウォーツェル副委員長は28日の産経新聞との会見で、鳩山由紀夫政権が提唱した「東アジア共同体」構想について、「本来、中国が米国(の影響力)を東アジアから後退させる意図で開始した外交作戦で、すでにアジアの多くの国から排されており、日本の提案は遅すぎる」との見解を語った。
中国の外交や対外戦略に詳しいウォーツェル氏は、「日本の新提案の具体的な内容は不明だが、基本的に中国が2005年ごろから東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議などで打ち上げた、外交作戦としての『東亜共同体』と同様の構想だろう。そのときの中国の意図は、東アジアから米国(の影響力)を後退させることだった」と述べた。
同氏はさらに日本提案の東アジア共同体構想について、「アジアの多数の国からも米国からも広くは受け入れられず、あまり進展しないだろう」と予測。中国の東アジア共同体構想はすでに多くのアジア諸国から排され、ほぼ死んでいた(状態だった)ため、この時期に日本が同様の構想を再提案すること自体が遅すぎた観があると指摘した。
また、日本の構想を単に地域協力案としてみても、アジアにはすでにアジア太平洋経済協力会議(APEC)、ASEANプラス3(日中韓)、ASEAN地域フォーラム(ARF)など、各種対話や協議機関が多数存在するため、あまり意味がないと強調。
同氏は米国の反応について、「オバマ政権がすぐに公式反対を表明することもないだろうが、議会などからは強い反対も起きるだろう。米国として、広く一般に受け入れることはないと明言できる」と語った。
ウォーツェル氏は1970年代から米陸軍でアジアの軍事分析にあたり、ハワイ大学で博士号取得。80年代後半から計7年間、北京の米国大使館の駐在武官、2000年からはヘリテージ財団の副所長などを歴任。翌年から米中経済安保調査委員会の委員となり、委員長を務めた後に現職。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009092902000082.html
【関連】主導権ほしい中国 東アジア共同体 構想実現には米の思惑も
2009年9月29日 朝刊
【上海=小坂井文彦】岡田克也外相が上海で二十八日に行われた中国の楊潔〓外相、韓国の柳(ユ)明桓(ミョンファン)外交通商相との外相会談で「東アジア共同体構想」推進の方針を取り付けたことは、十月十日に開催される日中韓首脳会談に向け、一定の地ならしとなった。だが、構想実現には米国を含めた関係国の思惑も交錯、構想具体化の過程で困難も予想される。
構想は民主党が東アジア外交の目玉として位置づけた。通商、金融、エネルギー、環境など幅広い分野で域内の協力体制を構築するとの内容で、鳩山由紀夫首相が参加して北京で行われる日中韓の首脳会談でも、大きなテーマとなる。
ただ、中国は事務レベルで協議を進めることには同意したが、作業チームの設置など協議に向けた具体的な体制までは詰め切れなかった。
外相会談に先立つ日中外相会談でも、中国側は「われわれが最も早くから構築を支持してきた」と主張。「日本主体では容認できない。中国が主導権を握れるのであれば」との思惑が見え隠れする。韓国側も「地域協力を進めていく必要がある」と模様眺めに終始した。
一方、米国は三カ国が構想推進で一致したことについて表立った反応は示していない。日中韓関係の安定は米国のアジア戦略の中でも重要な位置を占めるだけに、今後も協議の行方を慎重に見極めていくとみられる。
※〓は竹かんむりに、厂(がんだれ)、下に虎
1164
:
名無しさん
:2009/09/29(火) 22:37:09
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090928/plc0909281953010-n1.htm
中国外相、日米分断のエール? したたかさ感じさせる中国外交
2009.9.28 19:52
このニュースのトピックス:外交
会談に臨む(左から)韓国の柳明桓外交通商相、中国の楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に)外相、岡田外相=28日午後、上海市内のホテル(代表撮影) 岡田克也外相は外相として初の訪中で、中韓両国外相と「東アジア共同体構想」推進への連携を確認した。岡田氏は同盟国の米国を排除するものではないと強調したが、中国側は東アジア共同体構想を提唱してきたのは中国自らだと、岡田提案を逆手に取ってみせた。鳩山政権が「共同体」を言えばいうほど、米国が不信感を高め、中国が日米間にくさびを打とうと攻勢をかける。そんな基本構図が鮮明になった。
「東アジア共同体構想という言葉を使うかどうかは別にして、基本的に賛同していだいた」。岡田氏は一連の会談終了後、成果をこう強調してみせた。
岡田氏は日本はアジアと米国の「連結器」の役割を果たすと唱えてきており、日中韓3カ国外相会談でも「日米同盟を基軸にしながら、東アジア共同体構想を推進する」考えを強調。日本政府高官は「インドや豪州も加えるし、米国を排除するものではない」と米側が警戒する必要はないとの考えを繰り返した。
ただ、中国側が鳩山政権を「日本を中国側に引き寄せる絶好の機会ととらえている」(外務省幹部)のは間違いないようだ。一連の会談で、東シナ海のガス田開発問題、ギョーザ事件、チベットの人権問題、中国の核軍縮にも言及した岡田氏だが、全体としては中国側のペースにのせられた感が強い。したたかな中国外交に飲み込まれてしまうのではないか−。そんな懸念をぬぐい去ることができなかった。(上海 笠原健)
1165
:
チバQ
:2009/10/01(木) 21:16:36
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009100102000075.html
北京厳戒 きょう建国60年 10年ぶり軍事パレード
2009年10月1日 朝刊
【北京=朝田憲祐】中国は1日、建国60周年を迎える。1949年に毛沢東主席が建国を宣言した北京の天安門楼上で胡錦濤国家主席が重要演説を行い、10年ぶりに挙行される軍事パレードを閲兵する。
祝賀式典は一日午前十時(日本時間同十一時)から始まり、パレードでは核弾頭搭載可能な大陸間弾道ミサイルなど新型装備を公開する。主要な装備はすべて国産、うち九割は今回のパレードで初めて披露。国内外に軍の増強ぶりを誇示する。
中国では昨年のチベットに続き、今年七月には新疆ウイグル自治区で暴動が発生するなど民族問題がくすぶる。当局は祝典を通じ、五十六の民族の「融和」や「団結」をアピールする。また、市民十八万人による演舞や行進も行われ「国民参加」も演出する。
街角には中国国旗や赤いちょうちんが飾られ、祝賀ムードが高まる一方、当局はテロ対策として武装警察に加え治安ボランティア百四十万人を投入。北京五輪を上回る規模で目を光らせている。
天安門広場につながり、パレードのメーンコースとなる長安街沿いのホテルは窓側の部屋がすべて使用禁止に。オフィスビルも一時的に閉鎖され、人影がなくなった。
また三十日夕から二日未明にかけ大規模な交通規制が実施され、北京空港は一日午前の三時間、閉鎖される。
国慶節休みを利用して北京を訪れた女性は「せっかく長安街沿いのホテルを取ったのにパレードが見られないなんて」と不満そうに話した。
◆金総書記らが中国首脳に祝電
【ソウル=築山英司】北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記ら指導部は三十日、中国の建国六十周年の国慶節にあたり、胡錦濤国家主席ら中国指導部に連名で祝電を送った。朝鮮中央通信が伝えた。
祝電は中国を「特色ある社会主義国家」とたたえた上で「朝中親善は両国人民の貴重な共同の財産である」と指摘、中朝関係を強化する考えを示した。
1166
:
チバQ
:2009/10/01(木) 21:17:17
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009100102000074.html
融和 外省人文化 行く末は
2009年10月1日 朝刊
独自の外省人文化がはぐくまれてきた台北市内の眷村
「台湾に来た当時は興奮していたよ。すぐにも大陸(中国)を攻めるぞ、という雰囲気だった」。つえを片手に徐蜀龍さん(83)は振り返った。台北郊外にある中心新村。赤れんがの壁、瓦やトタンぶきの家屋が密集する村は、台湾各地に点在する「眷村(けんそん)」の一つだ。
一九四九年、国共内戦に敗れた〓1介石とともに百数十万人が中国から台湾に逃れた。「外省人」と呼ばれる人たちだ。眷村は、大陸反攻までの仮の宿として、主に軍人の外省人家族にあてがわれた。四川省出身の徐さんも五三年に移住した。
村では次第に「大陸反攻」を口にしなくなった。〓1介石が死去した七五年、「どうしてみんな泣くんだろう」と不思議に思ったのは父が湖北省出身の外省人二世で、村自治会長の張聿文さん(45)。当時十一歳だった。
六十年前に台湾に逃れた人たちは年老い、いま村を支えるのは張さんら二世。生まれも育ちも台湾で、中国は「親の故郷」にすぎない。張さんが心を砕くのは台湾社会の中で外省人文化を守ってきた眷村の行く末だ。
仮の宿の眷村は、日本統治時代の宿舎などが再利用され、老朽化は激しい。国防部(国防省)は八〇年から眷村を順次取り壊し、高層マンションを新築して住民の移転を促してきた。「移転には膨大な労力がかかり、文化保存まで手が回らなかった」(国防部)
行政院(内閣)には先住民や客家(はっか)といった少数民族らの専門機関はあるが、長らく支配階級だった外省人の文化は逆に「重視されてこなかった」(張さん)。その結果、約九百カ所にあった眷村は百六十三にまで減少、数年後にすべて姿を消す状況に追い込まれた。
こうした中、二〇〇五年に二世の学識者らが「外省台湾人協会」を結成。眷村の写真集などを制作、行政にも文化保存を働きかけてきた。関連条例が〇七年十二月になって施行され最高で十カ所の眷村保存が決まった。
国民党独裁政権が民衆を虐殺した四七年の「二・二八事件」などをめぐり、戦前から台湾に住む本省人の非難を浴びる外省人。しかし、同協会理事長の李廣均さん(45)は「独裁政権の被害に遭った外省人もいる。波瀾(はらん)万丈の人生を互いに理解し合いたい」と訴える。
その相互理解の懸け橋が眷村だ。各地の村では、結婚などで民族の融和も進み、本省人はもとより外国人も居住。李さんは「外省人文化が台湾に溶け込んだ」と受け止め、眷村を「台湾の歴史の一部として保存したい」と意気込む。
「子どものころは中国人、学生時代は中国人でもあり台湾人、今は台湾人と思っている」。李さんは自身をこう表現した。(台北で、栗田秀之、写真も)
<本省人と外省人> 本省人は戦前に中国福建省南部から移住した〓2南(びんなん)人と、主に広東省北部から移住した客家(はっか)人で、外省人、先住民とともに四大族群。李登輝元総統、陳水扁前総統は本省人、馬英九総統は外省人だ。
※〓1は、くさかんむりに將
※〓2は、門に虫
1167
:
チバQ
:2009/10/01(木) 21:41:51
>>1151
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200909240001o.nwc
タイ国王入院 政治的対立を緩和 観光、投資 本格復調は遠く2009/9/24
世界最長の在位期間を誇るタイのプミポン国王(81)が19日夜、発熱と疲労のため首都バンコクのシリラート病院に入院した。症状は安定しているという。
同日はタクシン元首相を追放した軍事クーデター発生からちょうど3周年にあたり、「赤シャツ隊」として知られるタクシン元首相派がアピシット政権に対する大規模なデモをバンコクで計画。デモ隊は約1万5000人に達し、一触即発の緊張状態にあった。しかし、国王入院の報に接し、抗議活動は穏やかなものとなった。
一方、タイとカンボジアが領有権を主張しているヒンズー教寺院遺跡「プレアビヒア」では反タクシン派の「黄シャツ隊」が民族主義的なデモ行進を行い警官隊や地元住民と衝突した。
タイ高裁は21日、連立与党の一派を率いるネウィン氏への汚職容疑を却下した。アピシット政権は、与党要人の汚職裁判無罪判決と赤シャツ隊の平和的なデモに安堵(あんど)したことだろう。
しかし、タクシン派と反タクシン派の街頭での示威運動は拮抗した状態が続いている。仮に国王が崩御し、軍隊が政治に介入する事態となれば、両派の対立が混乱を招くことは避けられない。8月のタイの輸出は好調だったが、観光客数や国内外からの投資は政治対立のリスクをきらい、低い水準にとどまりそうだ。
1168
:
とはずがたり
:2009/10/03(土) 04:39:06
;:゙;`(;゚;ж;゚; )ブフォ!!
歴史のゴミて。。
マレーシア元首相が自民を「歴史のごみ」
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20090911-542523.html
マレーシアのマハティール元首相は11日、自らのブログに「日本の教訓」と題する評論を掲載、独立以来政権を握っている統一マレー国民組織(UMNO)を中心とする与党連合が自己改革を怠れば、衆院選で大敗した自民党などのように「歴史のごみだめ行き」となりかねないと警告した。
日本や韓国を手本とする「ルックイースト(東方)政策」を推進した親日家のマハティール氏は、自民党の敗北について、国の独立をけん引したアジア、アフリカの各政党が「ほとんど消滅した」時流に沿っていると分析。
こうした政党が国民の支持を失った背景には、後継者らの多くが変質し「国や国民を顧みず、地位や利己的な欲求に夢中になってしまった」との事実があると指摘。マレーシアでも腐敗や権力闘争がまん延し、2008年の総選挙で与党連合が退潮したと述べた。(共同)
1169
:
チバQ
:2009/10/03(土) 12:03:29
http://mainichi.jp/select/world/news/20091001ddm007030024000c.html
還暦の巨龍:中国建国60周年/上(その1) 真実語るリスク
◇少数民族や民主化問題 報道統制、今も
天安門の周囲に上がる花火、「団結は力なり」を歌う学生たち。中国共産党機関紙「人民日報」女性記者の第1号、金鳳さん(81)は60年前の10月1日、北京で開かれた新中国成立式典「開国大典」の取材団に加わっていた。天安門の楼上で建国を宣言する毛沢東主席。その姿を目にし、「統一を果たした歴史上の偉人」と感じた。華やかな式典の様子をつづった署名記事が翌日の紙面を飾った。
事実に即して記事を書く。記者として当たり前のことだが、66年から10年にわたって吹き荒れた文化大革命の嵐の中では認められなかった。当時、全国の生産は停滞し、計画経済が崩壊する危機に見舞われていた。「農村では政治的混乱で作付けさえできない」。金鳳さんは「内部報告」の記事でこう告発した。
「人民日報」の女性記者第1号、金鳳さん。後ろは空軍パイロットだった夫、趙宝桐さんの写真=北京で西岡省二撮影 だが、記事は毛夫人の江青氏らの怒りを買った。「国民党のスパイ」。こんなぬれぎぬを着せられ、5年間、監獄に入れられた。「真実を口にすることのリスクを実感した」と金鳳さんは振り返る。
文革の混乱で疲弊していた祖国は、78年からの改革・開放で息を吹き返す。90年代以降は高成長を維持し、昨年には北京五輪開催で中華民族の復興をアピールした。だが、党員歴62年の金鳳さんの評価は厳しい。「60年間で達成できたのは現代化の初期段階。次の段階には抜きんでた人材が必要なのに、今の中国には人材を育てる環境が整っていない」
◇ ◇
今年4月、共産党で思想宣伝を担当する劉雲山中央宣伝部長がテレビ電話による全国会議を開いた。劉部長は、中国が世界的な経済危機で困難に直面している点を説明し、「困難な時こそ、愛国主義の偉大な旗印を高く掲げることが必要だ」と強調、学校やメディアを通じて愛国教育を徹底するように指示した。
改革・開放の時代になり、極めてまれなケースを除いて記者が投獄されることはなくなったが、国内メディアは党の「のどと舌」として宣伝機関の役割を担う。昨年の四川大地震での校舎倒壊問題や相次ぐ少数民族の暴動、民主化問題など党の統治を揺るがしかねないと判断されたテーマは、報道統制が敷かれるのが現実だ。
こうした状況の改善を求める意見も出てきた。「皇甫平」のペンネームで91年に改革・開放の加速を訴えて注目された周瑞金・元人民日報副編集長が最近、中国紙「国際先駆導報」の建国60周年特集に寄稿し、新聞法の制定を呼びかけた。
「世論による監督機能を重視し、新聞法を制定してメディアが政治を議論し、官僚を監視できるようにすべきだ」。皆が貧しかった時代から格差が拡大する一方の時代となった今、汚職を防止して公正な社会を取り戻すためにメディアが果たす役割は大きい。そうした認識は少しずつだが広がりつつある。【北京・西岡省二】
◇ ◇
1日で建国60周年を迎える中国。急速な経済成長を背景に国際社会での発言力を増しているが、一方で発展のひずみや制度疲労も目立つ。60年の時の重みを抱え、「巨龍」がどう新しい時代と向き合おうとしているのかを探った。
1170
:
チバQ
:2009/10/03(土) 12:03:53
http://mainichi.jp/select/world/news/20091001ddm007030018000c.html
還暦の巨龍:中国建国60周年/上(その2止) 成長の陰に格差
◇歳入は60年で1000倍に
「西洋人が400年かけて経験してきた天と地ほどの差のあるふたつの時代を、中国人はたった40年で経験してしまった」。文化大革命期と改革・開放の時代を舞台に生きる人々の姿を描き、中国でベストセラーとなった小説「兄弟」(文芸春秋)。著者の余華氏はあとがきで、文革期をヨーロッパの中世になぞらえ、現代とのギャップをこう表現した。
建国後の中国は、毛沢東主席の下、社会主義国家建設にまい進したが、急進的な大躍進運動が失敗し、多くの餓死者を出した。66年から76年までの文革も紅衛兵による扇動と権力闘争で内乱の様相を呈した。
中国全土を混乱に陥れた大躍進運動と文革による犠牲者は数千万人に上るとの指摘もある。
毛沢東主席の死後、文革を指導した「四人組」が逮捕され、失脚していたトウ小平氏が実権を掌握した。「白猫黒猫論」(白猫でも黒猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ)を展開し、「改革・開放」路線が78年に始まった。
民主化勢力を武力で抑え込んだ89年の天安門事件で中国は国際的に孤立し、保守派の巻き返しが進んだが、トウ氏は92年の南巡講話で改革・開放の加速を指示した。
江沢民・朱鎔基体制、現在の胡錦濤・温家宝体制もトウ路線を受け継ぎ、市場経済化を進めてきた。
中国共産党機関紙「人民日報」によると、中国の財政収入(歳入)は建国間もない1950年から2008年の間にほぼ1000倍にまで増えた。また、08年の1日当たりの国内総生産(GDP)は、52年の年間GDPを上回るという。
一方、公害・環境問題や汚職の横行など急激な経済成長が生んだひずみも顕在化してきた。最大の問題は、都市と農村、沿海部と内陸部などの経済格差の拡大だ。チベット自治区や新疆ウイグル自治区で発生した大規模暴動も、背景には少数民族が漢族ほど成長の恩恵を受けていないことへの不満があると指摘される。成長の負の側面をどう克服していくかが今後の大きな課題と言えそうだ。【服部正法】
1171
:
チバQ
:2009/10/03(土) 12:04:46
http://mainichi.jp/select/world/news/20091002ddm007030045000c.html
還暦の巨龍:中国建国60周年/中 民族政策に矛盾も
中国建国60周年を祝うため、教室の黒板に北京の天安門が色とりどりのチョークで描かれていた。チベット自治区ラサの第2小学校。チベット族の5年生50人がチベット語を学んでいた。
「チベット語と中国語、二つの言葉を学ぶのは難しくないですか」
記者の問いに児童が一斉に手を挙げる。「難しくないです」と女子児童がすらすらと中国語で答えた。
政府は少数民族を対象に中国語と民族語の2言語を学ぶ「双語教育」を強化している。一方、ラサの小学校の漢族クラスでチベット語を学ぶことはない。
チベット語の授業を受けるラサ市第2小学校5年生の児童=中国チベット自治区ラサで2009年9月14日、宮川裕章撮影 「ぼく中国語うまいよ」。7月の暴動後、社会不安が続く新疆ウイグル自治区ウルムチ。ウイグル族のアップンラー君(6)は幼稚園で学ぶ中国語を自慢げに披露した。幼稚園でも双語教育が始まっているという。
同自治区では少数民族の7割近くが漢字を読めない。自治区政府は、少数民族が高校卒業時に2言語を話せるよう目標を掲げている。だが、肝心の中国語教員が不足。教員の中国語力向上を目的に、今年9月5日から新疆の教員725人が北京や上海で研修を受けている。03〜06年の第1期には6000人以上が各地で研修している。
00年からの国家プロジェクト「西部大開発」は中央からの巨額投資により内陸の少数民族地域の発展を加速させた。だが、中国語を話せない少数民族の就職は厳しさを増す。発展による競争激化は民族間の格差拡大につながり、昨年から相次ぐチベット族やウイグル族の暴動の要因にもなっている。
アップンラー君の母親(34)は生活苦に途方に暮れる。発展とともにウルムチの物価が跳ね上がり、数カ月前に上海に出稼ぎに行った夫からの連絡も途絶えた。民族楽器のカバーづくりで生計を立てるが、7月の暴動後、観光客が激減し、買い手は減った。家賃と光熱費の月260元(約3400円)の支払いも滞る。好条件の職を探そうにも中国語は片言しか話せず、漢字は読めない。
多民族の「国民化」を図る上で中国語教育は重要性を増す。だが、少数民族から見れば、それは民族文化の尊重が損なわれると映りかねない。そうした矛盾を抱えながら、民族政策は揺れている。【ウルムチで鈴木玲子、ラサで宮川裕章】
1172
:
チバQ
:2009/10/03(土) 12:05:06
==============
◇過剰が招くもの−−中国総局長・堀信一郎
キーンと戦闘機が爆音を残した。1日に北京で行われた軍事パレードは仕事場のすぐ近くであった。だが公安当局から「窓を閉めろ。ベランダに出るな」と命令されたので音を聞いた。
こんなことだから、一緒にお祝いしようという気持ちにはなれなかったが、過剰警備には訳がある。中国は「敏感な年」に建国60周年を迎えた。
3月は中国政府がチベット動乱を制圧し、ダライ・ラマ14世がインドに亡命して50年。4月は気功集団「法輪功」が権力中枢の北京・中南海を包囲した事件から10年。6月は民主化運動を武力で鎮圧した天安門事件から20年だった。いずれも共産党は統治能力を問われた。「敏感」だけではない。貧富の差の拡大や国際金融危機も加わって社会不安が広がり、各地で暴動が相次いだ。このため共産党指導部は「集団暴動事件の頻発時期に入った」と判断し、危機管理に全力を挙げている。
そして1日、軍事パレードの威圧感が、中国当局の並々ならぬ決意をうかがわせた。何度もあった予行演習のたびに、長安街、つまりパレードの大通りは交通が遮断された。中国の人たちは「きょうは戒厳だ」と言い合い、早めに退勤した。共産党指導による不自由さを楽しんでいるようにも見えた。
この国は1840年のアヘン戦争から100年以上にわたり、列強からの侵略で屈辱を味わった。1949年の新中国建国後、前半30年間はソ連をモデルにした計画経済体制で停滞したが、後半は改革・開放と市場経済化で飛躍的に発展した。
そして迎えた60周年。中国青年報の毛浩・副編集長は「共産党指導を肯定し、特色ある社会主義を評価し、国威発揚と自信を示す日だ」と位置づけた。中国現代国際関係研究院の楊松研究員は「大国から強国への転換点だ」と胸を張った。
そう言われても、ストンと落ちないのはなぜだろう。例えば、今年出版され話題になった「中国本命年」。本命年は厄年という意味だ。その中で「今年は社会矛盾が重なり、治安情勢が複雑で困難な年になる」と予測した。厳重な警戒で鉄壁を鉄壁で覆うほど対立を招き衝突を誘発するという分析は、中国の姿を言い当てている。
中国は来年、上海万博、広州アジア大会を開く。そして12年後に共産党は創立100周年を迎える。
その時、党の統治方法はどんなに変容しているだろうか。変わるとすれば、その原動力は民意しかない。
1173
:
チバQ
:2009/10/03(土) 12:05:48
http://mainichi.jp/select/world/news/20091003ddm007030041000c.html
還暦の巨龍:中国建国60周年/下 中台の違い、鮮明に
台北スタジアムに現れた青い海と緑の稲田。それは潤いにあふれた台湾の原風景そのものだった。アジア初の開催となった聴覚障害者の国際総合スポーツ大会「第21回デフリンピック」。9月5日の開幕式は「中華」ではなく「台湾」を表現していた。取り仕切ったのは与党・国民党の外省人(戦後に台湾へ渡った中国大陸出身者とその子弟)であるカク龍斌(かくりゅうひん)・台北市長だった。
台湾は、中国共産党との内戦に敗れ、1949年に中国大陸から逃れてきた国民党政権による失地回復の拠点としての時代が長く続いた。故蒋介石元総統は「中華民国(台湾)が中国の正統政権」との立場を貫き、中華文化の復興を提唱した。
88年、李登輝氏が初めて本省人(戦前からの台湾住民とその子孫)の総統となり、00年には独立を綱領に掲げる民進党の陳水扁氏が初の政権交代を果たした。その過程で政治的な「台湾の主体性」が強調されてきた。
そして今、「台湾」を強調した開幕式が繰り広げられ、街には台湾料理のレストランがあふれる。蒋介石時代にはなかった光景について政治大学台湾文学研究所長の陳芳明教授(62)は「台湾の文化に対する自信の表れだ」と指摘する。
総統府直属の学術機関、中央研究院の調査によると、中国大陸から渡ってきた外省人第1世代約100万人のうち8割前後が既に亡くなったとみられる。大陸を知らない外省人の第2、第3世代が「台湾こそ故郷」と考えるのは自然な流れだ。
台湾の対中政策を主管する大陸委員会が93年に実施した調査(複数回答)では、自分を「中国人」と認識する人は81・2%、「台湾人」は49・4%だった。08年に台湾誌「遠見」が実施した調査(同)では「台湾人」が95・9%、「中国人」は46・6%となった。
昨年5月に国民党の馬英九政権が発足して以降、中国人観光客受け入れや定期便就航など中台交流は急速に進展した。野党・民進党からは「中国にのみ込まれる」との懸念も出ているが、別の見方もある。
台湾人が中国を知れば知るほど、制度や行動規範の違いを思い知らされているというのだ。台湾の現状を維持しながら中国との緩やかな統合を考える台湾人研究者の一人は、「中国は『一つの中国』を強調するだけでなく、台湾人にそうした認識を持たせるような新たな政策を打ち出す必要がある」と訴える。
「本省人と外省人が摩擦や衝突を重ねながら徐々に民主制度を作り出し、一つの価値として共有するようになったからだ」と陳教授は解説する。60年を経て中台の交流はかつてないほど深まっているが、台湾人を結び付ける民主制度は、平和統一を目指す中国に重い課題を突き付けている。【台北・大谷麻由美】
1174
:
とはずがたり
:2009/10/04(日) 02:40:42
「池袋中華街構想」街全体の火ダネに 秋祭りで小競り合い (夕刊フジ)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_tokyo__20091003_4/story/03fuji320091003208/
昨年夏、東京・池袋西口で始まった「池袋中華街構想」が、街全体の火ダネとなりつつある。地元の秋祭りが行われた先月26日、池袋北口にある老舗の中国食料品専門店に日の丸を掲げた約50人が押しかけ、5時間近く小競り合いを繰り広げたのだ。逮捕者こそ出なかったが、警察も出動する騒ぎに発展。いまも不穏な空気が漂っている。
発端は、この店が道路使用許可なしに商品を路上に陳列していたためとされるが、本当の理由について、地元の中華系商店主はこう明かす。
「オーナーは福建省出身で池袋の華僑人脈の中心的存在。『中華街構想』でも準備委員会の幹部という有名人で、それで標的になったのでは」
集団が危害を加えることはなかったが、罵声を浴びせながら路面にはみ出た陳列商品を蹴飛ばしたり、店員に水をかけるなどの行為があった。オーナーは、弁護士を通じて警察への被害届提出を検討しているという。
騒動の発火点とされる池袋西口エリアの中華街構想は「トーキョー・チャイナタウン・池袋」。約200店の中華料理店やナイトクラブが、食材の仕入れや観光客誘致などのネットワークを形成しようというもの。
だが、以前から中華系とのトラブルが絶えず、地元商店街などは猛反対。華僑らの結束も一枚岩ではなく、計画は頓挫したままだ。
集団は「警察に街宣活動の許可を得て、日ごろから中国人排籍を訴えるグループ。右翼団体とは一線を画すが、中心人物は昨夏の北京五輪聖火リレーでも長野市内で激しい抗議活動を展開していたという。渦中の中国人オーナーは「店や私個人を標的にしても、どうしようもないのですが…。これ以上、騒ぎが起こらないことを願うばかりです」と話すばかりだ。
[ 2009年10月3日17時00分 ]
1175
:
名無しさん
:2009/10/04(日) 10:55:15
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009100400021
米の関与維持必要=「東アジア共同体」構想で−シンガポール首相インタビュー
【シンガポール時事】シンガポールのリー・シェンロン首相は5日からの訪日を前に、時事通信など日本報道機関との書面インタビューに応じた。鳩山由紀夫首相が提唱する「東アジア共同体」構想に関してリー首相は、「開放的で包括的な地域の枠組みを維持することが日本にも、この地域にも利益になる。われわれはアジアと米国との経済・安全保障上の強いきずなを堅持する必要がある」と指摘し、米国を外した形での地域統合には賛同しない立場を明らかにした。
同時にリー首相は「東アジア共同体の詳細はまだあまり明らかになっていない。会談で鳩山首相の考えをよく知りたい」と述べ、鳩山首相の真意を直接確認する意向も表明。政権交代後の訪日には、「日本で起きている大きな変化を理解することは、シンガポールにとって重要だ」として、民主党政権や経済界との意見交換に意欲を示した。
一方、経済関係では、シンガポール政府が新たな経済成長戦略で重視する「持続的な成長」に関し、再生可能エネルギーや環境に配慮したグリーン技術の分野で先行する日本企業による新規投資・進出を期待する考えを表明。このほか、「世界の繁栄の条件として、自由貿易支持の立場を両国は再確認すべきだ」と語り、保護貿易阻止で両国が連携する必要性を強調した。(2009/10/04-06:05)
1176
:
名無しさん
:2009/10/07(水) 20:55:11
加えないメリットとは。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009100700666
米国は加えず=「東アジア共同体」で外相表明
岡田克也外相は7日午後、都内の日本外国特派員協会で講演し、鳩山由紀夫首相がアジア重視の観点から提唱している「東アジア共同体」構想について、「日本、中国、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、インド、オーストラリア、ニュージーランドの範囲で(構成を)考えたい」と述べ、米国は正式な加盟国としない形で創設を目指す考えを表明した。
共同体構想をめぐり、政府高官が米国を正式メンバーとしない方針を明言したのは初めて。外相は、貿易交渉などの相手として米国を「排除しない」とも語り、一定の配慮を示したが、鳩山政権に対して「反米的」との見方もある米側が反発を強めることも予想される。
外相は、10日に予定される日中韓首脳会談で東アジア共同体の在り方について意見交換したいと説明。「まず経済から始め、エネルギー、環境、保健衛生などに協力分野を拡大していきたい」とする一方、域内の通貨統合については「かなり先の話になる」との見通しを示した。
また、中韓両国との間で歴史共同研究を推進し、「共通の教科書」の作成を将来的な検討課題にすべきだとの考えを明らかにした。(2009/10/07-16:59)
1177
:
とはずがたり
:2009/10/07(水) 22:01:03
金総書記の三男の名前 「正雲」表記は間違い 統一省も表記を変更へ
2009.10.7 19:35
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/091007/kor0910071937002-n1.htm
北朝鮮の金正日総書記の三男、金正雲氏(ロイター)
北朝鮮で金正日総書記の後継者と目されている三男、正雲(ジヨンウン)氏の漢字名が「正雲」ではないことが分かった。最近、北朝鮮国内での文書などから、名前のハングル表記の「ウン」が「雲」ではないことが確認されたためで、韓国統一省も7日、表記を変更すると発表した。
日本語のカタカナ表記では同じ「ジョンウン」だが、ハングル表記の「ウン」は「雲」ではなく、「銀」や「恩」「殷」「隠」などになる。北朝鮮では漢字を排除しているため、どの漢字に当たるのかは不明。父親の金正日総書記の「キム・ジョンイル」も当初、日本では「金正一」の字が当てられていたが、後に朝鮮総連経由で「金正日」と伝えられ、変更された。(ソウル 水沼啓子)
1178
:
名無しさん
:2009/10/08(木) 22:02:17
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009100800536
東アジア共同体構想に懸念=米排除に不信感−オバマ政権
【ワシントン時事】オバマ米政権が、鳩山由紀夫首相の提唱する「東アジア共同体」構想への懸念を強めている。岡田克也外相は7日、米国を正式な加盟国としない考えを表明。米国排除の動きに、米政府が反発を強めるのは必至で、11月の日米首脳会談を控え、知日派の間からは、「日米関係の新たな火種になる恐れがある」との指摘も出始めている。
米政府は、鳩山首相がアジア重視の姿勢を明確にし、中国との関係強化に乗り出していることに神経質になっている。東アジア共同体構想についても、「アジアにおける米国の影響力を弱体化させる恐れがある」(米政府筋)と疑心暗鬼になっている。
ブッシュ前政権で国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長を務めたマイケル・グリーン氏は、鳩山首相がニューヨークで行った中国の胡錦濤国家主席との首脳会談で、東アジア共同体構想を提案したことに「ホワイトハウスは驚いた」と指摘する。首相がオバマ大統領との会談で、同構想を全く説明せず、中国に提案したことに米政府は不信感を強めたという。
鳩山首相は就任会見で、東アジア共同体構想に関し、「米国を排除するつもりはない」と言明。日米間で、同構想を協議していくと考えていた矢先に、岡田外相が米国を加盟国としないと言明したことで、米国は冷や水を浴びせられた形だ。
米ジョージ・ワシントン大シグール・センターのマイク・モチヅキ所長は、「アジア諸国は、近隣諸国だけでなく米国と協調していくことを望んでいる」と述べ、同構想に米国を関与させるべきだと主張している。(2009/10/08-14:48)
1179
:
チバQ
:2009/10/15(木) 21:01:24
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091015-00000546-reu-int
タイ株が連日の大幅安、国王の健康懸念で外国人が売り
10月15日14時12分配信 ロイター
10月15日、タイ株式市場が連日で大幅に値下がりしている。写真はバンコクの証券会社内に設置された株価ボード。2月撮影(2009年 ロイター/Adrees Latif)
[シンガポール 15日 ロイター] タイ株式市場が連日で大幅に値下がりしている。市場関係者によると、プミポン国王の健康を懸念した外国人の売りが背景にある。
タイ王室庁は、国王の健康状態は良好と発表した。
0416GMT(日本時間午後1時16分)現在、SET指数は3.33%安。約2週間ぶりの安値を付けている。
通貨バーツは1ドル=33.42バーツで推移。これより前は33.37バーツを付けていた。
1180
:
チバQ
:2009/10/16(金) 23:00:29
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009101602000065.html
アキノ氏長男 断トツ 比大統領選世論調査
2009年10月16日 朝刊
【マニラ=吉枝道生】八月に死去したフィリピンのコラソン・アキノ元大統領の長男ベニグノ・ノイノイ・アキノ上院議員(49)が、来年五月の大統領選に向けた世論調査で他の候補を大きく引き離し、一気に大本命に躍り出た。
調査は民間機関SWSが意中の候補三人までの名前を挙げる方式で実施した。
野党・自由党に所属するアキノ氏は先月出馬表明をしたばかりだが、60%の支持を集め、二位のビリヤール上院議員(37%)や二〇〇一年に政権から追放されたエストラダ前大統領(18%)らを圧倒した。
アキノ氏は暗殺された国の“英雄”ベニグノ元上院議員と、コラソン元大統領の唯一の息子。親しみやすい人柄や清廉さで好感度は高いが議員時代に大きな業績はなく、指導者としての力量を疑問視する声もある。しかし、汚職疑惑の重なる現政権への反発もあって人気は急上昇。フィリピン民主化の象徴といえるアキノ一族が再び政権を握るのか、注目される。
シンクタンク政治・選挙改革研究所のラモン・カシプレ理事は「母の死去に伴う一時的な人気という見方もあるが、選挙戦で失敗がなければこのまま勢いを持ち続けるだろう」と分析している。
1181
:
名無しさん
:2009/10/18(日) 18:26:29
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091018/plc0910180021000-n1.htm
朝鮮総連が政界工作を指示 内部文書入手 制裁解除狙う
2009.10.18 00:18
このニュースのトピックス:外交
北朝鮮の朝鮮労働党の指導下にあるとされる朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が9月中旬に開いた中央委員会で「われわれは新しい連立政権に対北敵対政策を是正せしめ、日朝平壌宣言を誠実に履行させる対外事業(工作)を進攻的に広げる」などの方針を示し、幹部約350人に政界工作を指示していたことが、産経新聞が入手した総連内部文書でわかった。
総連は、日本の政権交代をこれまでの対北強硬路線から融和路線に転じさせる好機と受け止めており、16日には都内で欧米などの親北団体を集め、「海外同胞大会」を開いている。
文書は「在日朝鮮人運動の新しい全盛期を開くため確固とした土台を構築し、同胞が主人となる大衆運動の高揚と革新の成果として総連第22回全体大会を迎えるために」と題した計16枚。来年に予定される総連の「全体大会」に向け、組織拡大など活動指針を明示した。関係筋によると、総連首脳部が訪朝し、朝鮮労働党の指導で作成され、決裁を受けているという。
文書では「与野党をはじめ政界、言論界、在野の人材、社会団体との事業を強化、日朝関係改善と国交正常化を追求する社会的世論を大きく活気付けること」として親北ムードの醸成を指示。日本政府への働きかけとして、貨物船「万景峰92」の入港禁止など日本の独自制裁の撤廃を「闘争」の目標に掲げた。
さらに5月の核実験を受けた追加制裁として実施した輸出禁止措置により「同胞が祖国の家族らに送る郵便物や人道物資まで遮断された」などと主張。「前代未聞の人権蹂躙(じゅうりん)だ。国際社会に暴露、糾弾し、新連立政権(鳩山政権)がこれを即時撤回する措置を取るよう強力に要求する」とした。禁止措置では人道目的は例外となっているが、「人道」を理由に新政権から制裁解除を引き出したいようだ。
一方、地方政界への工作について「いくつかの地方自治体選挙でわれわれの活動を理解し、同情する人材が当選した」と評価し、「これに関連し、地域密着の対外活動(政治工作)を現実的な条件に合わせさらに強化、努力すること」と指示している。
朝鮮総連は旧日本社会党や総評、日教組などと歴史的な交流関係にあり、民主党の支持団体には、なお関係の深い団体が少なくないとされている。
1182
:
チバQ
:2009/10/24(土) 10:56:58
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200910230007o.nwc
タイ国王の入院長期化 政情不安 経済も不透明2009/10/23
プミポン国王が入院する病院の前で国王の写真を掲げて回復を祈るタイの女性=9月30日、バンコク(AP)
タイ王室庁は15日、「国王の容体は安定している」と発表した。タイ証券取引所の主要株価指数は、国王の健康不安のため14〜15日にかけて急落。通貨バーツの対ドル相場も安値を付けた。プミポン国王(81)は「肺炎」で9月19日から首都バンコクの病院に入院している。
今月6日には、昨年、バンコクの国際空港を占拠して親タクシン元首相派政権を崩壊させた「黄シャツ隊」として知られる「民主市民連合(PAD)」の創設者、ソンティ氏が王党派の新党「新政治党(NPP)」を立ち上げた。NPPは「マニフェスト」を公表していないが、ソンティ氏は「NPPはすべての既存政党の脅威になる」と述べたと伝えられる。とくにPADの支持で政権を獲得したアピシット首相の民主党にとって、直接的な脅威となりそうだ。
他方で、「赤シャツ隊」として知られる親タクシン派の「反独裁民主統一戦線(UDD)」は最近、2万人の活動家を動員した現政権に対するデモを平和的に行っている。UDDの次の標的は23〜25日にタイ中部フアヒンで開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議だ。「赤シャツ隊」は今年4月にタイ南部パタヤで開催されるはずだったASEAN首脳会議を中止に追い込んだ。
政治危機の行方は、国王の容体に左右される。プミポン国王は世界最長の在位63年を誇り、王位継承についてはほとんど議論されていない。ワチラロンコン皇太子は国王との不仲が伝えられ、政治的不安定要素だ。
NPPの結党で「黄シャツ隊」の街頭活動は抑制されるかもしれない。しかし、タイの政治的亀裂は深く、通常の政治過程による解決の見通しはない。世界的な景気後退の陰に隠され、政治危機が及ぼすタイ経済への影響はみえにくくなっているが、国王の健康状態がさらに悪化すれば、この影響はいよいよ顕在化するだろう。
1183
:
チバQ
:2009/10/24(土) 10:58:30
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200910200007o.nwc
中国・重慶市党委書記 黒社会一掃運動 中央政治局常務委入りへ実績づくり2009/10/20
組織犯罪一掃キャンペーンで逮捕され、裁判所に出廷した被告たち=12日、中国・重慶(AP)
中国内陸部の重慶市で、12日、犯罪組織やそれらと癒着した腐敗官僚の裁判が始まった。重慶では、6月から犯罪組織の大規模な取り締まりが行われ、1500人以上が逮捕された。逮捕者の中には、市司法局長や市公安局副局長など、共産党の地方幹部も含まれていた。重慶の腐敗一掃運動は、中国の他の地域でも注目を集めた。運動の背景には、党中央政治局常務委員会入りを狙う、重慶市トップの薄煕来・党委書記の指導部へのアピールもあるとみられる。
◇
≪分析≫
8月末、文強・重慶市司法局長の逮捕が報じられると、中国全土で話題になった。「平安重慶」と名付けられた、暴力団一掃・汚職追放キャンペーンのクライマックスだったからだ。文・元司法局長は、市公安局で11年間も捜査担当の副局長を務めた市の実力者だが、売春、賭博、麻薬密売など多くの犯罪にかかわる暴力団の「影のボス」といわれる。一斉取り締まりで逮捕された容疑者らの裁判が12日に始まったが、重慶を牛耳る「黒社会(中国マフィア)」の深刻さが浮き彫りになった。
◆発展の光と影
中国が重心を臨海部から内陸部に移そうとするにつれて、重慶は急速に政治・経済・社会の焦点になろうとしている。
重慶は最近まで比較的後進的な地域だった。中国南西部の山間部に位置し、アクセスしにくいことから、第二次世界大戦中、蒋介石の国民党政権は首都機能を重慶に移した。1949年の共産党革命後も、上海や広州のような経済発展の恩恵に浴することはなかった。毛沢東は、さまざまな産業を重慶に移したが、長い間、低開発に甘んじていた。
これが変化したのは、90年代に中国政府が「西方開拓」を推進するようになってからだ。中国西部の一大土木計画として三峡ダム建設の認可がおり、重慶市はダムに最も近い主要都市として改めて重要性が認識された。97年には、四川省から分離されて、中央の直轄都市となった。省と同格の最高位の行政区画である直轄都市は、ほかに北京、上海、天津しかない。重慶の経済も力強く発展した。
しかし、急速な成長と直轄都市への昇格は、他方で、いわゆる「黒社会」にも機会を提供した。重慶の空港など、公共の場で暴力団同士が抗争する悪名高い事件は、地元メディアが隠蔽(いんぺい)しようとしたにもかかわらず、全国に知られるようになった。
約3000人の警察官を動員して行われた今夏の犯罪組織に対する一斉取り締まりに、重慶市民は驚いた。市民の多くは「平安重慶」運動と市行政のトップである薄・党委書記の出世とを結びつけて考えた。薄書記は、中国中央政治の期待の星の一人であり、2007年に重慶市のトップになるのと同時に、党中央政治局員となった。
江沢民・前国家主席や朱鎔基・前首相が上海市党委書記から中央の頂点に立ったように、いまや重慶も政治家の統治能力を試す舞台となっている。重慶市の前党委書記を務めた汪洋氏も広東省党委書記に転出した07年に、政治局入りした。
1184
:
チバQ
:2009/10/24(土) 10:58:55
◆スタンドプレー
重慶の組織犯罪・腐敗一掃運動は、薄書記の指揮の下で行われた。薄書記は、汚職に厳しい態度で臨むことをアピールして、12年の党大会で胡錦濤・国家主席の後継争いに食い込みたいと考えているようだ。
しかし、薄書記の政治スタイルは指導部内で物議を醸した。というのも、薄書記のやり方は西洋的な「個人キャンペーン」に近く、スタンドプレーは中国政治ではひんしゅくを買うものだからだ。さらに、薄書記が毛沢東時代のスローガンを広めるために、市民に歌を歌ったり、携帯電話のショートメッセージサービス(SMS)を利用するよう奨励したことも動揺を誘った。1960年代半ばから約10年間吹き荒れた「文化大革命」を連想させたからだ。ただし、薄書記は、経済・社会政策の面で近代主義者にほかならないことを疑わせる決定的な証拠はない。
重慶市指導部は、国内だけでなく、国際的にも市の政治経済上の卓越性を強調するために、文化活動に力を入れる「ソフトパワー」戦略を意識的にとっている。上海博物館に対抗して、2005年に三峡博物館を開館したのは、重要な広報活動の一つだ。
これに加えて、重慶は戦時中の首都としての歴史を出版や観光などに活用しようとしている。戦時指導者、蒋介石・中国国民党総統の旧宅などの戦争遺跡は、地元観光産業の成長分野の一つになっている。
重慶は、単に経済都市としてではなく、上海、南京、西安などのライバルに対して、歴史的・文化的中心として独自の地位を確立したいと考えているのは明らかだ。薄書記が率いる重慶市指導部は、この目的を達成するために、惜しみなく財源を投じるつもりだ。
◇
≪結論≫
この10年の間に、重慶はありふれた地方都市から、政治経済面で重要な自治体へと成長した。いまや重慶は、中国西部で群を抜いて重要な都市となっている。犯罪組織の一斉取り締まりは、このように重要な場所が犯罪分子によって支配されるのを許すわけにはいかないという考えと直接、結びついている。重慶は今後数十年にわたり、中国発展の中心を占め続けるだろう。
1185
:
名無しさん
:2009/10/24(土) 15:13:33
>>1176
>>1178
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091024k0000m010153000c.html
東アジア共同体:米国の参加を求める考え表明へ…鳩山首相
【フアヒン(タイ中部)西田進一郎】鳩山由紀夫首相は24日にタイ中部のフアヒンで開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議など一連の会合で、自らが提唱する東アジア共同体構想に関して、米国の参加を求める考えを表明する。松野頼久官房副長官がバンコクに向かう政府専用機内で、同行記者団に明らかにした。
首相は「ASEANを含む東アジア諸国は東アジア共同体構想の中核で、米国の関与は極めて重要だ」との考えを表明する。
これまで首相は「米国を排除する発想は持っていない」としていたが、参加国の枠組みなどについては明確な言及を避けており、米国の参加を明言するのは初めて。米軍普天間飛行場の移設問題で日米間の相違が顕在化しており、配慮をする必要があると判断したとみられる。
東アジア共同体構想をめぐっては、岡田克也外相が米国は参加しないとの考えを表明。米国の一部には「構想は米国外しではないか」とする懸念が出ていた。
1186
:
とはずがたり
:2009/10/25(日) 17:10:08
日中韓、産官学でFTA研究へ 経済閣僚会合が合意
10/25 15:45
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165061/405
1188
:
杉山真大
◆mRYEzsNHlY
:2009/10/29(木) 21:08:05
>>962
からは多少はマシになったのか?>ハンナラ
再・補欠選:与党ハンナラ党惜敗 民主党、世宗市・4大河川事業で積極攻勢へ
http://www.chosunonline.com/news/20091029000013
「ミニ総選挙」と呼ばれた10・28国会議員再・補欠選挙で、民主党が3選挙区、ハンナラ党が2選挙区で勝利した。議席はハンナラ党が169議席、民主党は86議席となった。特に、民主党が首都圏2カ所と忠清地域1カ所で勝利したのは、国民の与党に対するけん制心理が表れた結果とみられる。
接戦が予想された京畿道水原・長安選挙区では、孫鶴圭(ソン・ハッキュ)元民主党代表の応援を受けた李燦烈(イ・チャンニョル)元京畿道議員が、ハンナラ党の朴賛淑(パク・チャンスク)候補(第17代国会議員・比例代表)に5000票余りの差をつけて当選した。
京畿道安山・常緑乙選挙区では民主党の金栄煥(キム・ヨンファン)元科学技術部長官が、ハンナラ党の宋振燮(ソン・ジンソプ)元安山市長を 2700票ほど上回り、最も早く当確を出した。忠清北道の曽坪・鎮川・槐山・陰城選挙区では、民主党の鄭範九(チョン・ボムグ)候補(第16代国会議員・京畿道高陽市一山甲選挙区)が、ハンナラ党の慶大秀(キョン・デス)元済州地方検察庁に勝利した。
江原道江陵選挙区ではハンナラ党の権性東(クォン・ソンドン)元大統領府(青瓦台)法務秘書官が、民主党と単一候補の調整を行って出馬した無所属の宋永竽(ソン・ヨンチョル)元春川地方法院(裁判所)寧越支部判事に対し、1万票以上の差をつけて当選した。
慶尚南道梁山選挙区はハンナラ党のパク・ヒテ前代表が、民主党の宋仁培(ソン・インベ)元大統領府社会調整第2秘書官に対し、4%の票差で勝利した。ハンナラ党の地盤のため楽勝が予想されたが、開票中盤でも2候補の差が1%しかないほどの大接戦だった。
民主党は再・補選で勝利したことで、丁世均(チョン・セギュン)代表体制が強固になり、水原で選挙の陣頭指揮を執った孫鶴圭元代表の役割も、評価される見込みだ。民主党は定期国会で与党が推進する「世宗市計画の修正」や「4大河川事業」などで攻勢をかけるとみられ、与野党間の衝突が予想される。
大統領府と政府は、選挙直後から「世宗市計画の修正」を本格的に推進する方針だ。ハンナラ党は再・補選の悪材料となった「世宗市計画修正論」に異議を唱える動きも見せており、党と政府の摩擦も予想される。
選挙結果:
京畿道水原・長安 朴賛淑(ハンナラ) ◎李燦烈(民主)
京畿道安山・常緑乙 宋振燮(ハンナラ) ◎金栄煥(民主)
忠清北道の曽坪・鎮川・槐山・陰城 慶大秀(ハンナラ) ◎鄭範九(民主)
江原道江陵 ◎権性東(ハンナラ) 宋永竽(無所属=民主支持)
慶尚南道梁山 ◎パク・ヒテ(ハンナラ) 宋仁培(民主)
1189
:
とはずがたり
:2009/10/29(木) 21:39:08
韓国の補選、与党ハンナラ党が苦杯 2勝3敗
http://www.asahi.com/international/update/1029/TKY200910290315.html
2009年10月29日18時28分
【ソウル=牧野愛博】議員の失職などに伴う韓国国会議員の補欠選挙が28日、5選挙区で投開票された。中央選挙管理委員会によれば、与党ハンナラ党は全選挙区で候補者を立てたが、当選したのは前党代表ら2人にとどまった。補選後の韓国国会(定数299)の勢力は、ハンナラ党169、民主党86になった。
2009年10月29日18時28分
1190
:
チバQ
:2009/10/30(金) 00:26:10
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&rel=j7&k=2009102900824&j1
モンゴル新首相にバトボルド氏=人民革命党が指名、連立維持
【北京時事】ウランバートル発の新華社電によると、モンゴルの国民大会議(国会)は29日、健康上の理由で辞職したバヤル前首相の後任に、バトボルド外相(46)を任命した。
バヤル氏が党首を務め、国民大会議で過半数を占める人民革命党が首相候補にバトボルド氏を指名。出席議員66人のうち62人の賛成で承認された。
バヤル氏は、今年5月の大統領選で民主党のエルベグドルジ氏が当選した後も、同党との連立政権を維持してきた。バトボルド氏は任命後、「内閣を継承し、国民のために全力で職責を全うする」と述べ、連立維持の意向を表明した。(2009/10/29-23:33)
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 11:55:35
アフガンは安保スレだけど・・・
http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200910100208.html
中国マネー、輸送路着々 アフガニスタン 巨竜の影(1)2009年10月17日
後方の山岳地帯で中国企業の銅山開発が始まっている=アイナク、武石写す
■鉄道に巨額投資
高い土塀に囲まれたパシュトゥン人家屋の間を縫うように走る村の一本道を、外国軍の装甲車が駆け抜けて行く。沿道には土嚢(どのう)を積み上げた陣地が造られ、銃を構えた警官が目を光らせる。
アフガニスタン中部のアイナクは、カブールから車で1時間。反政府勢力タリバーンやヘクマティアル派がうごめく寒村が騒がしくなったのは昨年5月、背後にある銅山の開発契約を中国企業が結んでからだ。
今年7月、閣僚が出席し、鉱山の開所式があった。合わせるかのように近くのバザールで爆弾テロが起き、25人が死亡した。だがその後も中国人技術者を乗せた重武装の車列が毎日往来する。
銅山は70年代にソ連(当時)の技術者が発見。世界屈指の埋蔵量といわれながら、治安とアクセスの悪さから開発があまり進まなかった。タリバーン政権時代は、テロ組織アルカイダが廃坑に軍事基地を置いたという。
いわく付きの銅山の入札で、国有企業「中国冶金(やきん)科工集団」は新生アフガンへの投資では過去最高額の35億ドル(約3150億円)を提示した。アデル鉱山相は「応札した6社で中国の提案は群を抜いていた」と振り返る。
関係者を驚かせたのは、銅を運び出す鉄道の建設を中国側が提案したことだ。東はパキスタン国境へ、北は中央アジアを経て中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区に至る。「中国は必ず実現させる。理想的な物流ルートになる」とアデル鉱山相は期待する。
アフガンに鉄道を敷く構想は、中央アジアの覇権を大英帝国とロシアが争った「グレートゲーム」の時代に始まる。英国の鉄道研究家アンドリュー・グランサム氏によると、インド亜大陸を植民地とした英国は20世紀初頭までに、軍備輸送のため、現パキスタン領でカイバル峠に近いランディコタールと、アフガン南部への玄関口チャマンまで2本の鉄道を建設した。しかし、当時のアフガン王政の反対で同国内には入れなかった。
1919年、開明派の国王が即位すると、独仏が鉄道計画を持ちかけ、日本が出資する構想が浮上した。国王の肝いりでカブール市内数キロを路面列車が走ったこともある。
70年代にはイラン・パーレビ王朝が支援に名乗りを上げたが79年、イラン革命とソ連のアフガン侵攻で頓挫。インド洋へ南下を目指すソ連は侵攻後まもなく、国境を越える2路線数キロ区間を建設した。現在のウズベキスタンのテルメズから国境の大河アムダリアを渡る路線と、トルクメニスタンから南下する路線で、この2本だけがアフガンに現存する鉄道だ。
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 11:55:56
■資源確保へ、中東重視
タリバーン政権が崩壊した01年末以降、国際的復興計画の中で鉄道建設が再び浮上した。中国の計画とは別にウズベキスタン国境から北部マザリシャリフへ75キロの延伸計画を進めるアジア開発銀行アフガン事務所のクレイグ・ステファンセン所長は「アフガンは貿易のハブになる可能性がある。ただ中国案のように大規模な鉄道を実現するのは容易ではない」。まず、険しい山岳地形や治安の悪さが障害になる。膨大な建設費負担の問題もある。
「新生アフガンに注がれた援助総額を上回るほどの投資が必要で、銅山の利益だけでまかなえるかどうか。ただ、中国はアラビア海へ通じるルートの確保を重視している。50年、100年の単位で国益を考えているのだろう」とステファンセン氏は指摘する。
中東やアフリカからの資源確保を目指す中国は、すでにインド洋沿岸のミャンマーと、雲南省へ至る石油パイプラインの建設で合意した。また中国はパキスタン・グワダルに港湾を建設しており、アフガン鉄道と結べばもう一つの生命線となりうる。
欧米では、蜜月関係にあったカルザイ政権が腐敗にまみれるにつれ、距離を置く動きが表面化してきた。カブール大学法学部のワディル・サフィ教授はこう語った。「欧米の穴を埋めるように、政権は別の方を向き始めている。アフガンは興亡する大国と距離を保ちつつ生き残りを図るしかない」(アイナク=武石英史郎)
◇
〈アフガニスタンと中国〉 パミール高原で76キロの短い国境を接する。1955年に国交樹立。01年末のカルザイ政権発足後、国際復興支援で中国の影は薄かったが、アイナク鉱山への投資で最大の投資国となった。両国間の貿易総額は1億5400万ドル(08年、中国統計)。パキスタン、イラン経由の貿易も多く、カブールの市場は中国製品が席巻している。
◇
存在感を高めた中国が周辺地域に様々な変化をもたらしている。現場から報告する。
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 11:56:33
http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200910170246.html
中国人妻、差別歯止め 台湾 巨竜の影(2)2009年10月24日
■就職・相続…中国へ配慮
台北市内のビルの一室に先週末、「大陸新娘(タールーシンニャン)」と呼ばれる女性たちが集まった。中国大陸からやって来た新婦だ。
中台の緊張緩和で、かつて「敵」とみなした中国出身の彼女らへの規制が次々と緩和・撤廃された。その制度改正の勉強会を、民間支援団体が開いたのだ。
四川、湖南、安徽、浙江……。様々な地方なまりが飛びかう。壁のポスターには「私たちは台湾人の妻、台湾人の母」と書かれている。権利向上を求めるスローガンだ。彼女らにとってプラスの話だけに表情は明るい。一人がこう言うと笑いが広がった。
「中国が強くなったから、いつまでも差別を続けられなくなったのよね」
勉強会にいた重慶出身の程敏さん(43)はこの夏、台北の百貨店に「初就職」した。子供を産まない限り定住の意思を疑われ、仕事に就けなかったからだ。
ネットで知り合った台湾人の夫(57)と結婚し、一昨年末に移住。夫が体調を崩し、家庭を支える重荷を背負った。8月に就職制限が撤廃されるまで当局の目を避けながらアルバイトを続けた。「後ろ暗い思いで働かなくて済むと思うと、本当にうれしかった」と胸をなでおろす。
87年に中国との人的交流を開放して以来、30万人近い中国人妻が台湾に渡った。女性の高学歴化や独身志向で結婚相手が不足する台湾の男性を救ったのが、彼女らだ。
しかし当局は、中国との対立や偽装結婚への懸念から、東南アジアなどの出身者と比べ、台湾籍の取得や相続で不利な条件を設けてきた。
中国人妻らは毎月のように街頭デモで不満をアピール。中国政府は沈黙を守っていたが中国メディアは批判的に書き立てた。昨年から今年にかけ、差別的な待遇は大幅に改善された。台湾当局は「人道的な措置」としているが中国政府や中国世論への配慮が働いたのは疑いようがない。
■以前はスパイ疑う目
台湾社会の視線もこれまでは冷たかった。
台湾人の夫と中国人の妻とのトラブルを題材に数年前に番組を制作したドキュメンタリー作家、蔡崇隆さんは番組放送後、台湾人の夫から「あいつ(妻)は中共のスパイ。言い分を放送したのはおかしい」と抗議されたという。
世論には妻らを「台湾統一の先遣隊」とする見方があり、実際にスパイ行為で摘発された事件もあった。だが蔡さんは「あくまでごく一部。彼女らは中台対立の重荷を背負わされた」と同情する。
湖南省出身で台湾に来て8年の李志賢さん(42)は「自分は『三等国民』だと感じてきた」と明かす。台北の足裏マッサージ店で働いた時、店長から「言葉のなまりで中国人と分かるから、客とは絶対に会話するな」と命じられ、深く傷ついた。
だが、中国の経済発展とともに中台の格差は縮まっている。台湾企業の中国進出が進む一方、昨年からは中国人観光客の台湾訪問も解禁されて接触が増えた。差別意識は薄まってきたとされる。
中国人、外国人妻の人口は合わせて約42万人。年間1万〜2万人のペースで増え続け、その家族を含めれば、人口2300万人の台湾で軽視できない一大勢力となる。実際、昨年の総統選では、馬英九(マー・インチウ)氏と民進党候補の謝長廷氏が政権公約で移民の待遇改善策を競い合った。
ただ中国人妻の政治活動について民間支援団体、中華両岸婚姻協調促進会の鍾錦明会長は「台湾の複雑な政治対立に巻き込まれるよりも、当面は家庭や仕事で台湾に貢献し、社会に溶け込むことを優先すべきだ」と慎重だ。
90年代までは、仲介業者を使った「年配の台湾人男性」と「若い中国人女性」の結婚が多かった。最近はネットや知人の紹介が7割以上を占め、年齢差も縮まる傾向にある。今年8月には移民法の改正で「人身売買と受け取られる恐れがある」として仲介業者の紹介事業が禁じられた。大陸新娘をめぐる環境は転機を迎えている。
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 11:56:55
■80年代から流入、移民「第3波」に
太平洋の黒潮に浮かぶ台湾には、繰り返し海を越えて移民が流れ込んできた歴史がある。「移民の島」と呼ばれるゆえんだ。
台湾にはマレー・ポリネシア系の先住民族がいたが、17世紀以降に対岸の福建省などからの移民が本格化した。この人々が先住民族とも通婚を重ね、現人口の8割以上を占める最大の集団「本省人」を形成した。
これを第1波とすれば、1949年前後に国民党と一緒に中国から渡ってきた約200万の人々は第2波だ。湖南省出身の父親を持つ馬総統は、この「外省人」と呼ばれるグループに属する。
80年代後半に流入が始まった外国人や中国人の妻たちは近い将来、人口約50万人の先住民族を追い越す勢いだ。これを移民史における第3波と位置づける考え方が台湾の学界で主流になっている。(台北=野嶋剛)
◇
〈台湾と中国〉 国共内戦に敗北した国民党が49年に大陸から台湾へ撤退。中国・共産党政権とにらみ合う分断状態が60年にわたって続いている。一方、90年代後半から台湾企業の大陸進出が活発化して経済的な結びつきが深化した。民進党の陳水扁・前政権下で中国との関係が冷え込んだが、昨年誕生した馬英九政権で改善、直行便の就航などが実現した。
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 11:58:06
http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200910240234.html
中国語、敵視から一変 タイ・インドネシア 巨竜の影(3)2009年10月31日
■王立学校で必修――タイ
今月8日、バンコクにあるチトラダ学校で8人の中学生が、学期間の長期休暇にもかかわらず朝から中国語の補講を受けていた。中国政府公認の検定試験「漢語水平考試(HSK)」の受験準備のためだ。教師の質問に矢継ぎ早に答え、単語の復習に余念がない。
ここはプミポン国王夫妻の住むチトラダ宮殿内、王室が運営する学校だ。国王が我が子の教育のため1955年に創立。皇太子ら国王の4人の子供が学んだ。今でこそ一般に門戸を開くが、現在も孫の一人が幼稚園に通う。
同校の最高責任者を務める次女のシリントン王女は北京大で1カ月間語学留学をした親中派だ。チトラダ学校は04年、王女の方針で中国語を必修科目に加えた。
現在、小学部で週1時限、中学部で週2時限が必修。高等部でも選択科目として8時限学べる。中学部のラタナ副校長(教務担当)は「将来、中国の経済や文化の影響が世界に広がるので、生徒は中国語で交流できるようにならなければならない、と王女から指示された」と明かす。
タイでは長年、共産主義の浸透への警戒感から、中国語は「敵性語」と見なされ、語学教育が厳しく制限された。75年の国交樹立後も中国語教育は教育省の管轄ではなく、国家安全保障会議が担った。80年代から中国との関係が深まってもなお半ばタブー視されてきた中国語教育に、国の最高権威がお墨付きを与えた影響は計り知れない。
明確な方針を示してこなかった政府も、タクシン政権下の05年、転換に踏み切った。当時のチャトゥロン副首相兼教育相が小中高での中国語教育を正式に解禁したのだ。
「王室の取り組みに多くを学んだ」とするチャトゥロン氏自身、「何代前か分からないが祖先は中国から来た」。タイでは、チャトゥロン氏のように中国語を片言しか理解せず、帰属意識の薄い人が少なくない。「中国と商売する人が増え、中国語への関心が高まるのに、こっそり学ぶことがいつまでも続くべきではないと考えた」と振り返る。
中国も好機を逃さない。教育省高官がバンコクを訪れ、支援協定を結んだ。毎年100人のタイ人の中国語教師の受け入れを進めるほか、教師派遣にも力を入れ始めた。
さらに中国側は今年6月、図書・教材提供、語学演習室の設置などを通じて支援する「孔子課堂」をチトラダ学校内に開設した。シリントン王女が臨席した式典で管木・駐タイ中国大使は「王女が中国文化を愛し、すぐれた模範を示してくれた」と礼賛。王女も「世界で最も多様な文化を持つ国を知ることができる」と賛辞を送った。
タイ国内で中国語を教える小中高校は03年時点では華人系を中心に305校にとどまっていたのが、今年は1440校まで広がっている。(バンコク=藤谷健)
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 11:58:36
■投資増、新聞も復権――インドネシア
ジャカルタの繁華街、しゃれたビルの壁に「国際日報」の朱色の文字が掲げられている。01年に創刊し、中国語新聞としてインドネシア最大の8万部を発行する。「中国との関係が改善し、中国語紙の需要は多い」と李卓輝編集長(72)は期待する。
同国の華人はスハルト政権で迫害を受けた歴史がある。若手将校のクーデター未遂事件を鎮圧して68年に大統領に就いたスハルト氏が、事件の背後にいたとして共産党勢力を弾圧し、シンパと疑われた華人を虐殺した。20紙近くあった中国語紙は廃刊となり、その一つで働いていた李さんは失業。国際日報創刊に参加するまで屋台を引いたり家電販売店を経営したりした。98年のスハルト政権崩壊後に復活した中国語紙は現在ジャカルタ、ジャワ島のスラバヤやスマトラ島のメダンなどで7紙が発行されている。
国際日報は、国内政局から国際ニュースまで手厚く報じる。株価を詳報したり、華人社会の動きを拾ったりする新聞があれば、中華料理の紹介といった生活情報に重点を置く新聞もある。
インドネシアの華人は人口の約3%に過ぎず、中でも中国語を読み書きできる層は、スハルト政権前に学齢期を迎えた50歳以上が中心。それでも新聞経営が堅調なのは中国からの投資の影響が大きい。
10年前は20社程度だった中国からの進出企業は現在、約800社に。新聞には中国企業やそれとつながりがある地元企業の広告が目立つ。「若者が中国に関心を示している。スハルト時代と比べると、まったく夢のようだ」と李さんは語る。
読者の一人で、語学学校で中国語を学ぶ華人の会社員ジミー・スナルヨさん(22)は「我々は中国の習慣や文化にも詳しい。語学力を高めて両国をつなぐ懸け橋になりたい」と話す。(ジャカルタ=矢野英基)
◇
〈東南アジアと反共〉 1960年代以降、共産党勢力の伸長を警戒する東南アジアの多くの国では、米国の後ろ盾もあり、中国との交流や華人の権利を制限する政策が進められた。その典型が、中国語の使用や教育の禁止だった。だが冷戦が終わり、97年の通貨危機を経て、「世界の工場」中国との経済関係が強まる今は一転、中国ブームの様相だ。
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 11:59:26
http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200910240231.html
【苦しむ】青蔵鉄道、高地の壁 越える文明の足 チベット2009年10月31日
中国で06年、青海省ゴルムド〜チベット自治区ラサ間に開通した青蔵鉄道は標高5千メートルの地点を通り、世界一高い鉄道と言われる。
夕方5時半、甘粛省蘭州発の列車に乗り、ラサを目指した。「軟臥」と呼ばれる一等寝台車で約2千キロの旅。雄大な景色を逃すまいと窓にしがみつく。
翌朝、ゴルムドを過ぎた辺りからだった。緑の高原にうっすらと雪がかかる光景を眺めながら、頭がドンと重くなってくるのを感じた。標高4千メートル。ハアハアと自分が息を吸う音が耳につく。「心配無用。高地での正常な反応だ」と女性車掌は言うが、苦しくてたまらない。
チベットの人々の独特な宗教生活を作り上げてきたのは、下界のよそ者を阻むかのような厳しい自然環境だ。だから青蔵鉄道はチベット文化を破壊するものだ、との考えがある。漢族支配の強化の道具だ、との指摘もある。だが中国政府は「チベットは貧しいままでいいのか。すべての人が現代文明を享受する権利があるはずだ」(同自治区幹部)と開発優先の立場を譲らない……。
その先に考えを進めようとすると、頭がぼーっとする。酸素が足りない。
結局、ベッドに横たわった状態で知らぬ間に最高地点5072メートルを通過した。標高3600メートルまで下ってラサ駅に着いたのは夜8時過ぎだった。(古谷浩一)
1198
:
チバQ
:2009/10/31(土) 12:29:46
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200910290008o.nwc
ミャンマー、来年に総選挙 若手将校も軍政維持、遠のく民主化2009/10/29
ミャンマーのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長(上級大将)は、国家元首として17年以上、軍事政権を率いている。タン・シュエ議長は、ミャンマーと米国、欧州連合(EU)の関係改善への動きが本格化し、来年に予定される総選挙がミャンマー政治体制の実質的な変化をもたらすかどうか、鍵を握る人物だ。糖尿病と腸がんの疑いがあるタン・シュエ議長は、2006年12月、シンガポールで治療を受けた。軍の次世代が、民主化に向かうかも焦点となる。
◇
≪分析≫
西側諸国は、民主化要求デモが鎮圧された1988年以降、ミャンマーに経済制裁を科している。しかし、この方法では民主化をミャンマー軍事政権に促すことはできず、最近、米国やEUは対ミャンマー政策の見直しを進めている。
民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんは、西側諸国のミャンマーへの関与政策を条件付きで歓迎している。果たして対話路線がミャンマーに多元的な政治秩序をもたらすかどうかが肝心な問題だ。
◆どさくさの憲法承認
ミャンマー軍政トップのタン・シュエ議長は、英領インド帝国領時代にミャンマー中部の稲作地帯で生まれた。郵便局員として働いた後、国軍幹部候補生学校に入った。62年、ネ・ウィン将軍の軍事クーデターを経験。以降、軍政の中で順調に昇進を続け、86年には陸軍司令官になった。
深刻なインフレを招くなど、経済失政で88年、ネ・ウィン将軍が失脚し、民主化を求めるゼネストやデモなど大衆運動が高揚したが、同年9月、ソウ・マウン国防相兼参謀総長を中心に軍部がクーデターを決行。「国家法秩序回復評議会(SLORC)」が全権を掌握した。タン・シュエ氏はSLORC委員となり、ソウ・マウンSLORC議長を補佐した。
軍事政権は総選挙の実施を約束し、民政移管までの暫定政権と位置づけられた。90年5月、複数政党参加の総選挙が行われ、スー・チーさんが書記長を務める「国民民主連盟(NLD)」が圧勝したが、軍事政権は「民政移管には新憲法が前提」として、政権移譲を拒否した。92年4月、「病気」を理由にソウ・マウン議長は辞任、タン・シュエ副議長が昇格した。
2003年8月、軍事政権は7段階からなる「ロードマップ(民主化案)」を発表した。08年5月2、3日にかけてのサイクロン「ナルギス」で甚大な被害が出たなか、軍政は軍の優位を掲げた新憲法の国民投票を強行。賛成92.5%の圧倒的多数で承認されたと宣言した。
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:
チバQ
:2009/10/31(土) 12:30:11
◆政権は王朝を自任
スー・チーさんの実父で、1947年7月に暗殺された建国の英雄、アウン・サン将軍は、さまざまな民族からなる旧ビルマにおける「多様性の統一」をスローガンとして掲げたが、軍政は中央集権化を進め、民族衣装は認めるものの、国家の言語は、唯一ビルマ語とした。
軍政は、89年6月、国名をビルマからミャンマーに、首都名をラングーンからヤンゴンに変更した。2005年11月、軍政はタン・シュエ議長の指導の下、首都をヤンゴンの北、約320キロのネピドーに移した。
遷都はビルマ第1王朝パガン朝(849〜1287年)のアノーヤター王、第2王朝トゥングー朝(1486〜1752年)のバインナウン王、第3王朝コウバウン朝(1752〜1885年)のアラウンパヤー王に倣ったといわれる。
国内でタン・シュエ議長の家族は「王室」と見なされており、議長の娘は「妃殿下」と呼ばれる。タン・シュエ政権は「第4王朝」を自任している。
◆信用されない選挙
「ロードマップ」に基づき、来年、総選挙が行われる。しかし、一般のミャンマー国民は、参加を強制される、軍政が音頭をとる行事として、選挙をほとんど信用していない。軍将校の次の世代に、より多元的な社会が生まれると期待する声もある。このリスクを意識してか、体制への将校の忠誠心をつなぎ留めるために、近年、将校には前例がないほど商機会が与えられている。いまの若い世代は、体制に挑戦するよりも、金もうけに関心があるといわれる。
◇
≪結論≫
タン・シュエ議長は、ミャンマーがどのような国家になるべきか、明確な構想を持っており、民主化運動に妥協することはない。議長は、外交的承認や、国際金融機関の資金を求めて、西側諸国から妥協を引き出そうとするかもしれない。だが、軍が権力を掌握する国家運営の方法を変えることはなさそうだ。軍の次代を担う若手将校も、利権をもたらす軍政の変革を望んでいない。
◇
【プロフィル】タン・シュエSPDC議長
1933年2月2日、ビルマ(当時)中部のマンダレー管区チャウセー群ミンズ村に生まれる。48年1月、ビルマが英連邦から独立。同年の高校卒業後、郵便局員として働く。53年、国軍幹部候補生学校入校。卒業後、少尉に任官。62年、ネ・ウィン将軍のクーデター。86年、陸軍司令官。88年7月、ネ・ウィン将軍、失脚。主要都市でゼネストが発生、デモが全土に広がる。同年9月、ソウ・マウン将軍のクーデター。「国家法秩序回復評議会(SLORC)」委員。89年6月、国名をミャンマーに変更。90年、SLORC副議長、国軍副司令官、大将に昇進。92年4月、SLORC議長、首相、国防相、国軍司令官に就任。93年、上級大将に昇進(終身国家元首)。97年11月、SLORCを「国家平和発展評議会(SPDC)」に改組、議長に就任(首相、国防相、国軍司令官を兼任)。2003年8月、首相をキン・ニュンSPDC第1書記に譲る(国防相、国軍司令官は兼任)。04年10月、キン・ニュン首相を解任。以降、独裁色を強める。
1200
:
荷主研究者
:2009/10/31(土) 16:03:07
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091022-01/1.htm
クルマ、別荘、英才教育、そして墓まで──
経済”独走回復”の中国はいまや誰もがバブルへGO!=山谷剛史
(SAPIO 2009年10月14日・21日号掲載) 2009年10月22日(木)配信
文=中国在住ジャーナリスト 山谷剛史
中国バブルの「再燃」が、当局が心配するほどに過熱している。昨年秋のリーマン・ショックの影響を受けて、投資先を失った投機マネーが中国に集中。09年4〜6月期には四半期ベースで過去最高となる約11兆円が流入した。株価・不動産価格は急速に回復し、景気は一転、上昇に転じた。
中国経済の統計はあてにならないといわれるが、新自由主義の味も知った中国バブルの実像は、ライフスタイルに顕著に現われている。日本のバブル時代どころではない暴走ぶりを、中国在住ジャーナリスト・山谷剛史氏がレポートする。
10年以上「いつ崩壊するか」といわれ続けながら、しぶとい中国バブル。2008年1月に最高値6000をつけた上海総合株価指数は、同年10月には2000を切ったが、徐々に回復。今年7月に3000台になり、バブル再燃がいわれ始めた。中国在住の日本人駐在員の中には「大やけどを負った」などの声が多いが、中国人はかつての日本以上の熱狂ぶりで、富裕層から中間層まで消費に励んでいる。
米国のPR会社ルーダー・フィン社が7月に発表した「09年中国贅沢品市場に関するレポート」が興味深い。中国では年収約320万円以上が「富裕層」に分類されているが、調査した富裕層の半数がものを買うとき「値段に左右されずに買う」と答え、贅沢品の用途は8割が「自分へのご褒美」としている。
どんなブランドがお好みなのか。富裕層の行動をレポートする調査会社の富潤によると、08年の人気ブランドベスト10は1位から、BMW、ロールスロイス、ベンツ、カルティエ、シャネル、フェラーリ、アルマーニ、グッチ、高級時計のヴァシュロン・コンスタンタン。いずれも「とにかく高額」なのが特徴だ。最高級スポーツカーとして有名なブガッティの新車も、昨年発売した73台のうち3台が中国で売れたという。ちなみに輸入品が割高となる中国での販売価格は4300万元(約5億8000万円)だった。
人民網と環球時報が9月に掲載した「中国十大贅沢品消費都市」という記事によれば、1位が上海で、北京と杭州が続いている。外資系企業が多く、住民の所得も高い地域だ。
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荷主研究者
:2009/10/31(土) 16:03:37
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091022-01/2.htm
クルマ、別荘、英才教育、そして墓まで──
経済”独走回復”の中国はいまや誰もがバブルへGO!=山谷剛史
(SAPIO 2009年10月14日・21日号掲載) 2009年10月22日(木)配信
こうした都市では周知のように建設ラッシュが起きている。市の中心では、古い家が集まる街区が取り壊され、想像を超える早さで大きなショッピングセンターやランドマーク的なオフィスビル、それに高級マンションが建設される。新築ビルの特徴は、近未来的な外観や凝ったライトアップで「とにかく目立とう」と競い合っている。こうしたビルの1階にもブランドショップがこれでもかと入るようになった。
上海、北京はもちろんだが、地方都市のデパートでも、ルイ・ヴィトン、シャネル、スワロフスキー、資生堂などがふつうに並ぶようになってきた。コンピュータのアップルも「ウィンドウズよりも高価でお洒落でレア」とブランド扱いされている。
「他人がまだ持っていないブランドを持つ」ことが中国人の間では最重要で、著名ブランドがある都市に初進出となると大騒ぎになる。ある地方都市にルイ・ヴィトンが初出店したときは、在庫が残り1個のバッグを客同士が奪い合い大喧嘩、報道される騒ぎとなった。
もっとも、中国内でブランド品を購入すると「外国の5割増し」といわれており、富裕層は海外ショッピングを好む。近場の香港はもちろん、最近はパリ、ミラノ、東京への買い物ツアーが人気になってきた。中国の各銀行が発行するキャッシュカード「銀聯」の日本国内での決済は、08年度は130億円に上った。
家電も海外メーカーの高級品が人気で、テレビはソニーかシャープの液晶50インチ以上。車はベンツやBMW、トヨタならレクサス。デジカメはデジタル一眼レフ、携帯電話はiPhoneなど多機能なスマートフォン、パソコンはソニーやレノボ(旧IBM)のハイエンドモデルのノートパソコンを買って持ち歩き、一般人との差別化を図っている。「中国製品」には目もくれない。
1202
:
荷主研究者
:2009/10/31(土) 16:04:03
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091022-01/3.htm
クルマ、別荘、英才教育、そして墓まで──
経済”独走回復”の中国はいまや誰もがバブルへGO!=山谷剛史
(SAPIO 2009年10月14日・21日号掲載) 2009年10月22日(木)配信
中国人富裕層の「下限」は、日本の平均年収以下だが、バブルに乗った上限は年収数億円規模になる。買い物も自家用ジェットやファーストクラスで。買いたいときに香港、パリ、ミラノ、NYに行く。
グルメブームも起きていて、広州のシャングリラ・ホテルでは08年に「皇廷宮宴」と名づけた1卓8人300万円の正月向けディナーを企画して話題になった。このほか海外の有名シェフの店や、外国料理、中国各地料理の名店に足繁く通ったり、自宅にシェフと楽団を呼んでパーティを開くことも流行中だ。
日本食も「長生きの秘訣」と大ブーム。中でも「日本から伝来した」といわれる金箔料理が上海・広州で大人気だ。金箔料理を使ったパーティプランを提供するレストランもある。ある有名店の金箔料理プランの値段は1卓8888元(約12万円)。
このほかトリュフも人気になり始め、北京のレストランがフランス産の貴重なトリュフを「キロいくらで買った」などの話がうわさになっている。
富裕層ビジネスは教育も活況。中国在住外国籍の子女が通う「学費年間1000万円」の学校の存在が火をつけたのか、上海の「耀華国際教育機構」など1年間の学費が400万円近い私立校が登場している。
7月には広州で子供をヘリコプター通学させていた親がニュースになり、「渋滞を避けるための非常手段だった」などと必死に弁明する姿が報道された。
1203
:
荷主研究者
:2009/10/31(土) 16:04:26
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091022-01/4.htm
クルマ、別荘、英才教育、そして墓まで──
経済”独走回復”の中国はいまや誰もがバブルへGO!=山谷剛史
(SAPIO 2009年10月14日・21日号掲載) 2009年10月22日(木)配信
上海の一戸建て 価格は29億円
「バブル再燃」の象徴はやはり不動産だ。一時は下落傾向にあったものの、この夏から再び上昇している。上海の1㎡単価は今年4月に1万5000元(約20万円)だったが、9月には1万7000元(約23万円)超になった。
とくに超富裕層の中国人は、先にもいったように、必要なら海外ですませるので、国内で大金を払うことといえば不動産くらい。当然、「億ション」が林立している。
上海でもっとも有名な億ションは「湯臣一品」(トムソン・リビエラ)という高層マンション。浦東新区のリバーサイドに位置し、夜は川を挟んで古き街並みの外灘(バンド)が一望できる。不動産やゴルフ場を扱う湯臣グループのマンションだが、購入資格があるのは6億円以上の資産をもつ超富裕層だけ。1㎡単価は150万円からと、中国国内マンションの最高値だ。最高分譲額は約28億円。発売当初は、あまりの高値に当局から指導が入った。
億ションだけではない。大都市の郊外に高級住宅地が出現してきた。床面積が500〜600㎡、価格も安いところで数千万円からという邸宅が立ち並び、さながら「中国のビバリーヒルズ」といったところ。外観は「ヨーロッパかアメリカ風」、家具や内装も欧米を意識した豪華絢爛なものがほとんどだ。通勤は車、車庫にあるのはもちろんベンツやBMWだ。
上海ではこの3月、中国住宅価格の最高値を更新する29億円の別荘が販売された。敷地面積は約2万6668㎡。すぐ近くで売り出された22億3000万円の別荘ともども、すぐに契約が決まったという。
超富裕層だけでなく、一般のサラリーマンの間にも不動産ブームは起きている。上海の被雇用者層は年収4万元(約54万円)、夫婦共働きでも年収100万円を超える程度なのでマイホーム購入には高い壁があるはずなのだが、きついローンを組んでも購入したがる層が急増。日本のバブル時のような超狭小住宅、例えば上海で22㎡のワンルームマンションも登場した。金利約5%の住宅ローンに一生縛られることから、家の奴隷を意味する「房奴」という新語も登場している。
1204
:
荷主研究者
:2009/10/31(土) 16:04:51
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091022-01/5.htm
クルマ、別荘、英才教育、そして墓まで──
経済”独走回復”の中国はいまや誰もがバブルへGO!=山谷剛史
(SAPIO 2009年10月14日・21日号掲載) 2009年10月22日(木)配信
深圳に登場した 「地下ビジネスセンター」
そして不動産以上のバブルが問題化しているのが、「お墓」である。富裕層がいくら金にまかせて海外を飛び回り、不動産を買い付けたところで、墓だけは故郷の中国に持たなければならない。
ところが、人口が急増する都市部では土地不足から墓地の価格が高騰。上海では最低価格が1㎡約30万円と数年前の10倍になった。深刻な墓不足に当局は規制を強化、共同墓地の利用や墓石を作らない樹木葬や海への散骨まで提案している。が、もともと「先祖のために立派なお墓を建てることで、子孫が繁栄する」という伝統的な価値観もあり、豪華な墓を求める富裕層の動きは止められない。
富裕層を狙った墓の定番といえば、50㎡を超すスペースの確保と、風水的に最高の立地ということもアピールポイントだ。巨大な墓石はもちろん、一戸建てのような建物が墓石を囲む墓、古代遺跡を模した墓などが並んでいる。
深圳では3000万円級の豪華な墓が7基売りに出され、マスコミから「死後の花園」「地下ビジネスセンター」「陰宅王」などと、散々揶揄された。
今年6月、フィナンシャル・タイムズ紙は中国のブランド品市場の急成長ぶりを紹介する記事を掲載した。同紙は「中国人は成功をブランドで表現する」と分析している。
「このバブルがいつ崩壊するか」などの心配は中国人にはない。冒頭に紹介した富裕層向けの行動調査で「不況になってもいまのように消費するか」の問いに8割が「イエス」と答えているのである。
1205
:
チバQ
:2009/10/31(土) 18:35:27
=タイ王室後継者問題=
王室自体に人気があるのではなく、プミポン国王個人に対する崇拝と聞いたことがあります。
後継者問題ではよくあることですが、不人気・無能の長子と人気・有能の下 どうなりますか?
>>1151
国内の安定に対し、プミポン国王が果たしてきた役割に負うところが大きい。タイにおける国王は欧州の王室以上の存在だ。人々からの尊敬を集め、ほとんど「神聖」ともいえる地位にある。
>>1179
タイ株が連日の大幅安、国王の健康懸念で外国人が売り
10月15日14時12分配信
>>1182
タイ国王の入院長期化 政情不安 経済も不透明2009/10/23
政治危機の行方は、国王の容体に左右される。プミポン国王は世界最長の在位63年を誇り、王位継承についてはほとんど議論されていない。ワチラロンコン皇太子は国王との不仲が伝えられ、政治的不安定要素だ。
>>1195
次女のシリントン王女は北京大で1カ月間語学留学をした親中派
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page069.html
王朝前半は強大な王権を保持していましたが、1932年の革命により立憲王政に移行し、現
国王ラーマ9世ことプミポン国王が兄王の謎の死により即位した1946年には、王権は落ちると
ころまで落ち国王は時の軍事政権の傀儡同然でした。
しかしプミポン国王は繰り返されるクーデターの中で実績と経験を積み、王国の調停者として
の地位を確立していきます。
今日では即位当時には信じられないことに、国王は国家と国民の象徴としての権威を確立し
敬愛を集める存在にまでになっています。
しかしながら、不動の地位を確立した国王も既に高齢で、その健康不安から後継者問題が
浮上しており、国王一代で築いた王家の栄光が継続されるのか不安視もされています。
プミポン国王は、王族出身のシリキット王妃との間にウボンラット王女、ワチラロンコン王子、
シリントン王女、チュラポーン王女の順に1王子3王女に恵まれました。
長女のウボンラット王女はアメリカ人と結婚したため王室から離れ(後に離婚)、末子の三女
チュラポーン王女は臣下と結婚したため王位継承資格を喪失し、残る長男のワチラロンコン王
子と次女のシリントン王女に王位継承権が与えられています。
(王子に1972年、王女に1977年に王位継承者の地位が贈られています。)
このため、タイ王室には皇太子が不在ないし二人いる状態にあります。
この不安定な状態は、シリントン王女が聡明で国民に人気があることもありますが、何より本
来なら皇太子と言われるべきワチラロンコン王子に問題があるためと言えます。
ワチラロンコン王子の問題とは王位継承者に相応しい資質が欠如していると多くの国民に考
えられていることです。
王子が軍人で軍部の影響を受けていることが、民主化と象徴王政への移行望み始めている
国民の意思と乖離していることもありますが、何より問題なのが父王とは正反対の素行の悪さ
だと言われています。
王子はシリキット王妃の姪で従姉妹にあたるソムサワリー王女と結婚して王女が1人います
が、この結婚は破綻し離婚に終わりました。
そして、その破綻の原因と言われている愛人のスジャリニー妃との間には、王子が4人と王
子が1人の5人の子があります。
更に王子は離婚後にスジャリニー妃とではなく、新たなスィラスミ妃と再婚して1人の王子が
誕生しています。
再婚により嫡出の王子を得たことが王位継承に有利になったとも言われますが、乱れた生
活が国王に相応しくないとの意見は根強いものがあります。
シリントン王女が独身で後継者を持たないという立場にありながら、その聡明さと献身から国
王夫妻と共に国民の敬愛の対象になっているのとは大きな違いがあり、次期国王は国王の指
名により決まることから、国民は国王の判断を待ち続けている状態です。
1206
:
チバQ
:2009/11/03(火) 21:17:05
http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200910300001o.nwc
フィリピン大統領選 有力候補4人 現政権継承、当選への近道2009/10/30
大統領選に立候補するにあたり、貧困地区の人々を前に「失望させない」と誓うエストラダ前大統領。しかし、10年前の圧倒的な人気はすでに失われている=21日、マニラ(AP)
フィリピンの大統領選が始まろうとしている。アロヨ大統領の後継候補は4人に絞られ、激しい駆け引きが行われている。
2001年の政変で追放され、汚職の罪で起訴されたエストラダ前大統領は、今回の選挙で劇的な返り咲きを目指す。しかし同氏が復帰すれば、かつて同氏の政権(1998〜01年)を特徴づけた縁故主義やポピュリズムに回帰する恐れがある。
与党ラカスはテオドロ国防相の支持を表明している。同氏の選挙戦には、おじでサンミゲル・コーポレーション会長のエドワルド・コファンコ氏からの潤沢な資金援助が期待できる。コファンコ氏は98年の大統領選でエストラダ氏を支持したが、01年の選挙戦ではアロヨ氏側についた。アロヨ陣営との協力関係を維持できれば、手ごわい勢力になるかもしれない。
たたき上げの不動産王として知られるマニー・ビラール上院議員は、国民党(NP)からの立候補だ。98〜2000年に下院議長、06〜08年に上院議長を務めた同氏は政治知識が豊富で、集票力もある。世論調査でテオドロ氏やエストラダ氏より優位に立つが、さらに支持を拡大する必要がある。
世論調査でトップに立つのは、8月に死去したアキノ元大統領(在任1986〜92年)を悼む国民感情を味方につけた、長男のベニグノ・アキノ上院議員だ。自由党(LP)が後援している。同氏は、与党内でアロヨ政権に不満を持つ勢力に加え、経済界からの支持も取り込めるポジションをうまく獲得した。ただしカリスマ性に乏しいため、時間とともに支持が失われる可能性がある。
選挙戦の先行きには不確定要素が多く残るが、大まかな展望はすでに明らかだ。アロヨ政権の政策を継承する候補者が次期大統領に選ばれるだろう。4候補のなかでエストラダ氏だけが大統領制の変革を訴えるが、同氏が当選する可能性は小さい。
1207
:
チバQ
:2009/11/06(金) 12:26:18
http://mainichi.jp/select/world/news/20091106ddm007030090000c.html
カンボジア:タクシン氏顧問就任 タイとカンボジア、双方とも大使を召還 対立深まる
【バンコク西尾英之】タイ政府は5日、カンボジアがタクシン元首相を政府経済担当顧問に任命したことに反発し、駐カンボジア大使の本国召還を発表。これを受けてカンボジア政府も同日、駐タイ大使の召還を表明した。元首相を巡る両国の対立は、本格的な外交紛争に発展した。
カンボジア政府は4日、元首相を政府の公式な顧問に任命したと発表。反タクシン派のアピシット・タイ首相は「タイへの内政干渉だ」と非難し、大使召還や経済協力の見直しを表明した。
カンボジアのソク・アン副首相は記者会見で「タクシン氏の顧問任命はカンボジアの国内問題」と強調した。
汚職で有罪判決を受け海外逃亡中のタクシン元首相はインターネットを通じ、カンボジア政府の任命書を受け取ったことを明らかにし「フン・セン首相に感謝する」と語った。
タイとカンボジア間には犯罪人引き渡し条約があるが、カンボジアは元首相が入国してもタイへの引き渡しを拒否する構えだ。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009110500957
タイとカンボジアが大使召還=タクシン氏の顧問任命で応酬
【バンコク時事】タイ政府は5日、国外逃亡中のタクシン元首相をカンボジア政府が経済顧問に任命したことに抗議し、同国駐在大使を召還した。カンボジア政府も同日、駐タイ大使を召還。元首相の起用を機に国境紛争を抱える両国が外交上の応酬を展開、さらに緊張が高まる懸念が強まっている。
タイ政府は、汚職事件で禁固2年の実刑を受けたタクシン元首相の顧問任命について、「内政干渉であり、タイの司法制度を否定するものだ」と非難。大使召還のほか、カンボジアに対する経済協力などの見直しも検討していることを明らかにした。(2009/11/05-23:00)
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