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大中華世界的話題

1119千葉9区:2009/08/01(土) 09:00:50
http://mainichi.jp/select/world/news/20090801k0000e030005000c.html
アキノ元比大統領:結腸ガンで死去 マルコス独裁政権倒す
 【マニラ矢野純一】結腸ガンで闘病中のフィリピンのコラソン・アキノ元大統領が1日早朝、マニラ首都圏マカティ市の病院で死亡した。76歳だった。「ピープルパワー」と呼ばれる民衆の力で86年2月、20年以上続いたマルコス独裁政権を倒して大統領に就任。東南アジアに初めて民主化をもたらし、ミャンマー(88年)や冷戦崩壊後の東欧の民主化運動に影響を与えた。退任後も、常に民衆の側に身を起き、反政府の運動に参加するなど「シンボル」的存在だった。

 アキノ氏は昨年3月、結腸ガンで闘病中だと公表して以来、入退院を繰り返していた。食欲がないとして、6月24日に入院、集中治療室に入っていた。

 裕福な政治家の家庭に生まれたアキノ氏は、54年にベニグノ・アキノ元上院議員と結婚。反マルコスを掲げていた夫が83年8月、亡命先の米国から帰国直後に空港で暗殺されて以降、普通の主婦から、政治の場に担ぎ出された。

 86年2月の大統領選ではカトリック司教協議会の支援を受けたアキノ氏と、当時現職のマルコス氏が立候補し、選管と民間の選挙監視団体が別々の結果を発表した。マルコス政権に反発した国軍幹部が決起し、民衆も巻き込んだ「ピープルパワー」が起こり、アキノ氏が第11代大統領に就任した。

 6年間の在任期間中は、強固な政治基盤を持たなかったために、政権内で求心力が低下。任期中に発生した7度のクーデターに対応するうちに、軍の発言力が高まった。また、農地改革なども十分に行われず、国民に不評を買った。

 引退後は、政治の一線から身を引いていた。しかし、01年に当時のエストラダ大統領を追放した「ピープルパワー2」や、最近では、改憲を推し進めようとするアロヨ政権に反対する運動にも加わり、一定の発言力を維持していた。


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