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大中華世界的話題

1199チバQ:2009/10/31(土) 12:30:11
 ◆政権は王朝を自任

 スー・チーさんの実父で、1947年7月に暗殺された建国の英雄、アウン・サン将軍は、さまざまな民族からなる旧ビルマにおける「多様性の統一」をスローガンとして掲げたが、軍政は中央集権化を進め、民族衣装は認めるものの、国家の言語は、唯一ビルマ語とした。

 軍政は、89年6月、国名をビルマからミャンマーに、首都名をラングーンからヤンゴンに変更した。2005年11月、軍政はタン・シュエ議長の指導の下、首都をヤンゴンの北、約320キロのネピドーに移した。

 遷都はビルマ第1王朝パガン朝(849〜1287年)のアノーヤター王、第2王朝トゥングー朝(1486〜1752年)のバインナウン王、第3王朝コウバウン朝(1752〜1885年)のアラウンパヤー王に倣ったといわれる。

 国内でタン・シュエ議長の家族は「王室」と見なされており、議長の娘は「妃殿下」と呼ばれる。タン・シュエ政権は「第4王朝」を自任している。

 ◆信用されない選挙

 「ロードマップ」に基づき、来年、総選挙が行われる。しかし、一般のミャンマー国民は、参加を強制される、軍政が音頭をとる行事として、選挙をほとんど信用していない。軍将校の次の世代に、より多元的な社会が生まれると期待する声もある。このリスクを意識してか、体制への将校の忠誠心をつなぎ留めるために、近年、将校には前例がないほど商機会が与えられている。いまの若い世代は、体制に挑戦するよりも、金もうけに関心があるといわれる。

                   ◇

 ≪結論≫

 タン・シュエ議長は、ミャンマーがどのような国家になるべきか、明確な構想を持っており、民主化運動に妥協することはない。議長は、外交的承認や、国際金融機関の資金を求めて、西側諸国から妥協を引き出そうとするかもしれない。だが、軍が権力を掌握する国家運営の方法を変えることはなさそうだ。軍の次代を担う若手将校も、利権をもたらす軍政の変革を望んでいない。

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【プロフィル】タン・シュエSPDC議長 

 1933年2月2日、ビルマ(当時)中部のマンダレー管区チャウセー群ミンズ村に生まれる。48年1月、ビルマが英連邦から独立。同年の高校卒業後、郵便局員として働く。53年、国軍幹部候補生学校入校。卒業後、少尉に任官。62年、ネ・ウィン将軍のクーデター。86年、陸軍司令官。88年7月、ネ・ウィン将軍、失脚。主要都市でゼネストが発生、デモが全土に広がる。同年9月、ソウ・マウン将軍のクーデター。「国家法秩序回復評議会(SLORC)」委員。89年6月、国名をミャンマーに変更。90年、SLORC副議長、国軍副司令官、大将に昇進。92年4月、SLORC議長、首相、国防相、国軍司令官に就任。93年、上級大将に昇進(終身国家元首)。97年11月、SLORCを「国家平和発展評議会(SPDC)」に改組、議長に就任(首相、国防相、国軍司令官を兼任)。2003年8月、首相をキン・ニュンSPDC第1書記に譲る(国防相、国軍司令官は兼任)。04年10月、キン・ニュン首相を解任。以降、独裁色を強める。


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