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【芸術表現】象徴とその働き【文化形成】
252
:
マミタス
:2016/04/12(火) 02:43:05 ID:JgLAqhxI0
>>250
>>西洋では7の倍数のものは見かけません
旧約聖書は西洋からはずれる扱いだ、ということであれば異論はありません。
ですが、西洋文化の基礎を成す旧約聖書をヘブライ語原典で
お読みになったことはありますでしょうか?
旧約聖書は「7のリズムで書かれている」と言われます。
大事な単語が7回ずつ繰り返されていたり、
そういう仕掛けが盛り込まれています。
日本語訳ではわかりませんが・・・。
ちなみに新約聖書のマタイの福音書はこれを受け継ぎ、
14のリズムで書かれています。
そこまでマニアックでなくても、ヤコブのはしごが7段であるとか・・・。
たくさんあります。
「西洋は○○、東洋は○○」
「7と12どっちが大事と考えられていたか」
というのはちょっと先走りの感を受けました。
肉体は5、精神は7、時間は12、というように、
場合によって大事な数って違うと思います。
細かいこと書いてしまってすみません。
ご不快な思いをなさった方がいらしたら申し訳ありません。
また、スレッドを全部読んでいないので、
トンチンカンなこと書いてしまったら申し訳ありません。。。
253
:
管理人1★
:2016/04/12(火) 09:04:21 ID:???0
7の倍数は無いと書いたのは、(1週間を除くと)暦法・天文関係に
無いという意味でした。
>トンチンカンなこと書いてしまったら申し訳ありません。。。
いえ、私は聖書の知識はほとんどないので大変興味深いです。
どんどん続けてください。
254
:
収功
◆rpBJLiQIpc
:2016/04/12(火) 09:10:00 ID:sMESkX7.0
7と言えば太陽と月、水星・金星・火星・木星・土星の五星を合わせて七曜ですね。
ある意味陰陽五行とも言えますが。
それにラフーとケトゥ(羅喉星と計都星)を含めて本来は九曜であったらしいですが。
これが現在の曜日の元となったもので、西洋でも東洋でも使われてるのは面白いですね。
時間にしても西洋でも東洋でも12進数、60進数が使われているのも興味深いです。
7と言えば北斗七星などもあります。これも2つの星を足して9星としたりします。
学問の世界では、日本では陰数(偶数)が尊ばれ、中国では陽数(奇数)が尊ばれる。
とかいろいろ言われますが、必ずしもそう言い切れるのかは微妙な気がします。
なかなか難しいですね。
255
:
収功
◆rpBJLiQIpc
:2016/04/12(火) 09:48:57 ID:sMESkX7.0
浅い知識で余計な口を挟みました。
256
:
Anonymous
:2016/04/15(金) 07:05:37 ID:eYJnPwsg0
60は純粋に幾何学的理由でしょ。なんでなんの不思議もない。
12はちょっと微妙。文化的影響があるのかないのか
257
:
Anonymous
:2016/04/15(金) 22:41:32 ID:b1BkJ8Q20
12と360を使う起源については太陰太陽暦の月の数と一年の日数だから。
でもなぜ汎用的に12と60を使うかについては、数学的には高度合成数であるからと
説明されることが多いけど、それだけじゃ十分な説明にはなってないね。
60については、円と相性がいい形が六角形であることを考えれば直感的に納得しやすいかも。
そして6と10進数との組み合わせで60が使われるようになったとも見えるけど、
それだけで文化的理由がないとも言えない。
というか、どうも12がシュメールではキーになる数だったらしい。
>10 は人間が指を折り曲げることで数える数字であり、12 は太陽と月という
>二大天体の関係を規定する数字である。六十進法は、十進法と十二進法が交差する位置、
>すなわち、地上の周期と天の周期、人間の秩序と神の秩序が調和する位置にある。
>そしてメソポタミアの社会において、この位置にいたのが神官、とりわけ最高の神官であった
>メソポタミアの王なのである。彼らにとって、六十進法を用いることは、自らの存在理由を示すことになるのである。
258
:
Anonymous
:2016/04/15(金) 22:59:37 ID:b1BkJ8Q20
リンクを忘れた。
シュメール人はなぜ六十進法を用いたのか
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2013/sexagesimal/
259
:
収功
◆rpBJLiQIpc
:2016/04/16(土) 01:44:22 ID:62bA8MOI0
>>257
分かりやすい説明ではありますね。
1年の月と日数の数、あるいは十進法と十二進法が交差する位置。
高度合成数というのは1〜4までの最小公倍数が12で5までだと60とかそういうことでしょうか?
自分もそういうことじゃないかと思っています。
風水だと更に7までの420とか8までの840とか使ってた気もするんですが。
260
:
Anonymous
:2016/04/16(土) 05:41:35 ID:TwPC5O4E0
>>252
>肉体は5、精神は7、時間は12、というように、場合によって大事な数って違うと思います。
そこ面白そうですね。もっと詳しく説明してもらえますか?
素人考えですが、
3と4の和が7,積が12ってのも関係あるんじゃないかと思うんですが。
7と12がなぜ大事か、やはり3と4に秘密があるんじゃないでしょうか?
261
:
Anonymous
:2016/04/17(日) 04:59:39 ID:i1ccuyro0
>>252
>旧約聖書をヘブライ語原典でお読みになったことはありますでしょうか?
もしかして古典ヘブライ語を読むことできるんですか?もっとどんどん知識を披露していただけると嬉しいです。
262
:
Anonymous
:2016/04/21(木) 05:28:59 ID:ZnvguxME0
>>257
>円と相性がいい形が六角形である
なぜ六角形が円と相性がいいのか?
直感的に納得いく説明がなかなか思い当たらないけど、正三角形を
6つ組み合わせることでできる形だからってところか。
学校じゃπ=3.14ばっかり習って、それを使えば面積と円周が計算できる
ってことは散々叩き込まれるんだけど、それだけπと付き合っても
感覚的によくわからないんだよね。
例えば雪印のプロセスチーズ形、円を六等分した形をイメージする。
するとチーズ一粒の曲線部の長さは、直線部よりちょっと長い。
その長さはπ/3≒1.047倍、つまり約0.047だけ長いってだけのことなんだけどね。
πはチーズ3つ分(半円)を単位として導き出されているから、
1.047×3≒3.141ってだけのこと。
つまり円を分析・分解するときは、半径がキーになり、
その円を6分割してできる半径を一辺とする正三角形はとても
便利な図形で、その正三角形を組み合わせたものが正六角形
正三角形を考えるのが大事で、
263
:
Anonymous
:2016/04/21(木) 05:30:02 ID:ZnvguxME0
↑最後の行は消し忘れ
264
:
管理人1★
:2016/04/21(木) 07:28:46 ID:???0
>>204
Twitterの方に以下のレスをいただいていたのをまだ紹介していませんでした。
哺乳類の首の骨の数は概ね7。
5が五体満足で肉体を表す→性格的な部分が6→さらにその上の至高の精神の部分が7。
旧約聖書では特定の文字がある区間で7回、あるいは7の倍数回
繰り返されるよう計算して書かれています。
265
:
Anonymous
:2016/04/28(木) 12:37:08 ID:3Py2XgT20
7に関する書き込みを西洋魔術スレからコピペ
36 :Anonymous:2014/06/16(月) 00:44:24 ID:2O2nIYbE0
今ではイスラム教徒の生活って、ラマダンがあったり、宗教儀礼にやたら一日の時間が取られてしまって非効率って
思われているけど、実は現在の姿はギリシア正教に対する批判から効率化されたものであって、できた
当初は革新的なものだったらしい。
正教では8が聖なる数で、一日3時間毎、8回の祈りをし、1周間(正教では8日)が8回めぐった第8週は
復活祭の成就の週で、第7週が断食を行なう大斎ってことでムハンマドには正教徒が宗教の奴隷に思えた。
そこで一日の祈りの回数を5回にまで減らし、断食を年一回にまで減らしたとか。
http://diamond.jp/articles/-/54143?page=2
266
:
Anonymous
:2016/04/28(木) 12:38:36 ID:mH3Duk8E0
68 :Anonymous:2014/08/26(火) 11:15:00 ID:r0qtWLJY0
やっぱり一週間が7日って、生物にも自然にとっても不自然な周期だったんだね
http://gigazine.net/news/20140825-four-day-workweek/
69 :Anonymous:2014/08/27(水) 01:57:37 ID:Y.pEYsBo0
新月から満月になるまでの間隔が15日で生き物の体内リズムにもあう周期なんだが
それだと長すぎて便利じゃない、ってことからさらにそれを半分にした単位が一週間だからね。
70 :Anonymous:2014/08/27(水) 18:41:40 ID:g3raEyW60
全然違う。古代のバビロニア天文学における7惑星(他の恒星たちと軌道も周期もまるで違う「惑う」ような星)が
たまたま月の朔望月の約数にあたることからオカルト的なつながりができただけ。古代科学にはよくあること
>新月から満月になるまでの間隔が15日で生き物の体内リズムにもあう周期
意味不明。もしかして「たまたま2,3の生物種が概月リズムだから、生物全てもそうだ」とか思っちゃうひと?
267
:
Anonymous
:2016/04/28(木) 12:38:58 ID:mH3Duk8E0
71 :Anonymous:2014/08/27(水) 21:11:32 ID:ExvY9WJs0
なるほど、7惑星ってのは水金火木土天海?
72 :Anonymous:2014/08/28(木) 12:04:36 ID:776kyOw60
え、、概月リズムの生物って2、3種類しかないの?
73 :Anonymous:2014/08/28(木) 18:51:56 ID:oH5aZTLw0
>>71
水星・金星・火星・木星・土星・月・太陽の7つの惑星
>>72
さあね。オレが知ってるのは2,3種だけ。
268
:
収功
◆rpBJLiQIpc
:2016/04/29(金) 12:19:52 ID:e9OPtPpw0
そういえば道教や現在では仏教でも重要な意味を持つ49日って7×7ですね。
そして易の64は8×8、何か意味があるのかな。
269
:
Anonymous
:2016/05/01(日) 03:54:19 ID:TlPZkNzA0
>>196-197
3と4については、中沢新一の『バルセロナ秘数3』が詳しい。
地図で見るカタルーニャは、じつにみごとな三角形をしているのだ。
--中略--
そのことは、不思議なことに、もう中世の錬金術師たちも気づいていたらしいのです。
ある錬金術師は、こう書いています。カタルーニャ、三角の土地、三の大地、とね。
--中略--
この土地は3という数のはらむ神秘の意味に、支配されるだろう。この大地から生まれ
でるものの産着には、かならずや3という数字のイデアが、こっそりと縫いこんであるだろう。
この国の幸運は、3が運んでくる。この国をおそうであろう不幸もまた、3がもたらすのだ。
270
:
Anonymous
:2016/05/01(日) 04:04:55 ID:TlPZkNzA0
--中略--
カタルーニャは何をやっても、いつも3という数字につきまとわれてきたような気がします。
カタルーニャ人のつくったこの国は、自分の領土を拡張しようとして
三度大きな戦争をしかけ、地中海とイベリア半島に確固たる勢力をきずきあげてきました。
でも、十七世紀をすぎると、その勢力にもかげりが見えはじめ、それにつづく三世紀は
不運と抵抗の時代にたえなければなりませんでした。
スペインにたいして、フランスのブルボン王家にたいして、そしてナポレオンの軍隊に
たいして、カタルーニャは三度にわたってはげしい抵抗の戦争をおこない、
そのたびに手ひどい傷をおったのです。
ここには三回も共和国ができかかったことがありました。
--中略--
でも、もっと不思議なのは、ここの国旗です
--中略--
あのストライプの数を数えてごらんなさい。9。3×3。
--中略--
271
:
Anonymous
:2016/05/01(日) 04:10:35 ID:TlPZkNzA0
どう考えても、そこには数のマジックが秘められているみたいです。
この国は3をかけあわせる算術のなかから、自分の歴史をつくりだすのだ。
この国旗はまるでそう言っているみたいでしょう。
それにこの絵にいっしょにデザインされている、龍を退治する聖ジョルディの
すがたにも、3を感じとることができませんか。
大地にからだをくっつけてはいまわる龍が底辺をあらわす2となって、
それにむかって馬上の聖ジョルディが垂直に立ち上がっている三角形をつくっているでしょう。
2+1=3
龍を退治する聖ジョルディを、街の守護聖人として選んだとき、バルセロナの人々は、
ひそかにそこに数の魔術をしのびこませたのだ、というのが私の考えです。
大地と自然の呪縛する力を2によってあらわし、そこに光をもたらす神の使いとしての聖者が1となる。
こうしてできた3を二度かけあわせて、カタルーニャはできあがる。
3がみずからの力だけでつくりだした自立の数が、カタルーニャを象徴するのです。
CATALUNYA。CATALUNYA。
なんという不思議でしょう。この国の人々は、自分の国の名前まで九つの文字を
よりあわせてつくったのです。
--中略--
秘数3。三位一体の3。
無数の3が自己増殖をとげていく。
私たちカタルーニャ人のたましいは、この国の土地のかたちと同じように三角形をしているのです。
272
:
Anonymous
:2016/05/02(月) 11:13:07 ID:O6Ca6fQU0
--中略--
その3は、4とのたえまない闘いをつづけてきたのです。
カタルーニャの3にたいする、スペインの4。
カタリ派異端の3にたいする、カソリックの4。
アナーキズムの3にたいする、スターリンとフランコの4。
三角形と十字架。
カタルーニャのたましいのなかでは、たえることなく3の神秘と4の神秘が闘いつづけてきました。
3の神秘がこの三角形の大地の上に、カタルーニャの世界を開き、きずきあげてきました。
しかし、その3はつねに4のもつ神秘の政治力におびやかされ、
それに抵抗するたびに、手ひどい敗北を味わってきました。
カタルーニャ人のすばらしい才能がつくりだしてきたものすべてのなかに、
3をめぐる数の神秘がやどっているように、私には思えてならないのです・・・・・・。
--中略--
273
:
Anonymous
:2016/05/02(月) 11:22:48 ID:O6Ca6fQU0
--中略--
3は現実をつくりだす力をひめている。
しかしあくまでも謙虚な3は、現実を超越したものがあることも知っている。
三角形の頂点は、自然である底辺に打ち込まれた超越の神の痕跡をあらわしている。
大地を象徴する龍にむかって突きたてられた聖ジョルディの槍は、
まっすぐに現実の世界ならぬものにつらなっている。
だが、3はそのためにけっして現実を否定しようとは思わない。
存在のほうへむかってたちあがろうとする力そのものを、この数字はあらわしている。
ところが4は……4は全体を、Wholenessを愛している……。
274
:
Anonymous
:2016/05/02(月) 11:30:35 ID:doE7eB6s0
このことは、すでに古代ギリシャのすぐれた知性たちが、はっきりと気づいていたことだ。
たとえば、エジブトのアレキサンドリアで最近発見されたピタゴラス派の古文書
『数と神との関係について』のなかにも、こう書いてある。
3について。この数はふたつの原初の数である1(これは男の数である)と2(これは女である)
との結婚をとおして、その力によってつくりだされ、産み出された結果である。
3は生命そのものであり、自分自身の力によって存在と運動をおこすすべてのものにかかわっている。
したがって3の相において、神は創造そのものであると同時に創造されたものであり、
創造者であり、また彼自身がみずからの原因となっている。
275
:
Anonymous
:2016/05/02(月) 11:34:35 ID:doE7eB6s0
4について。4は完全な原初の正方形をかたちづくる。
それはすべてのものの循環をあらわし、正しい平衡と比率をしめす数である。
4は神の正義の数であり、そこから神の全能がほとばしりでる。
なぜならば、あらゆるものについての完全な認識がないかぎり、
公正な裁きなどあろうはずもないからである。
276
:
Anonymous
:2016/05/04(水) 07:17:31 ID:NiFCe7yQ0
>>162
牡牛と竜(蛇)とか、龍虎とか
竜と鳳凰とか
シーパワーとランドパワーはどうかな
あと反宇宙とか
277
:
Anonymous
:2016/05/04(水) 12:55:11 ID:oV/OwqCw0
>シーパワーとランドパワー
地政学の事実上の祖マッキンダーはユーラシア大陸とアフリカ大陸は、マクロ的に見れば
一つの島だということで世界島と名付けた。
その中心に位置するのが、当時まだパレスチナだったイスラエル。
マッキンダーは、ヘレフォード大聖堂にあった中世のTO図(世界・外海を円で表し、
その円の中の上半分がアジア、左下四分の一円がヨーロッパ。右下がアフリカを表し、
上下を分ける筋がドン川と紅海、縦筋が地中海。で、TとOの字に見える)のTの字の
交差部分にエルサレムと記されているのを見つけた。
つまりランドパワーの象徴である世界島を分割する、海と川の交点がエルサレム。
これは他の十字とか六芒星と同じで、対立するものの交わるところに特殊な意味がある象徴と思ってもいいかも。
278
:
Anonymous
:2016/05/07(土) 02:49:47 ID:ZThhKp120
龍虎はなんかの象徴ってわけじゃない品ー。
龍と鳳凰なら、水と火と見ることもできるけど。
牡牛と龍も多分関係無い。
>あと反宇宙とか
反物質のこと?
物質と反物質がぶつかると対消滅が起きて大きなエネルギーを生み出して電磁波になり
物質は消える、んだから
>>162
の象徴的な話がもろ、現実の物理現象として起きているようなもんだね。
279
:
275
:2016/05/08(日) 15:58:37 ID:Oh4kwu0g0
続けます。
3は結婚とエロティシズムの数だ。
2と1とがひとつとなって、運動をまきおこし、世界をつくりだしていく。
このとき神は、自分自身のなかから、自分自身の力によって、世界をつくるのだ。
宇宙的オートノミーの数字。自己組織化する宇宙。その秘数が3だ。
280
:
Anonymous
:2016/05/08(日) 16:03:25 ID:3UMCvP2g0
だが、4には3がつくりだした世界にはなにかが欠けている、と感じられたのだ。
そこには運動へのうごめきと存在への意志はあるけど、正義と真理、
正しいプロポーションとバランスが欠けている。
存在しているもののあいだに循環やコミュニケーションをつくりだすきっかけが、ない。
3のおこなう認識は、けっして完璧なものとはなりえない、と4は考える。
3の結婚の幸福と、エロスの陶酔のなかにあり、生まれでてきたものや、
つくりだされたものや、現実のものにたいする愛にしばられているのだ。
しかし、そこからは人のつくる社会は生まれてこない。
結婚によって自分たちが産みだしたものへの愛を断念して、それをほかのものに気前よく
ゆずり渡していくことが必要だ。
かわいがってきた娘を手放して、それをほかの男にあげてしまうことができなければならない。
こうして、人間の世界には循環ができ、交換がはじまり、社会がつくられ、そのなかで正義が語られるようになる。
正方形の4が出現することによってはじめて、正しいことを正しいとして語ることのできる言葉が、あらわれる。
4にもとづく認識は、こうして世界の全体をつかみとろうとするだろう。
281
:
Anonymous
:2016/05/08(日) 16:08:39 ID:Oh4kwu0g0
ところが、キリスト教の神秘家たちは、3と4との緊張を、もっと深いレベルまで
掘り下げて考えようとした。
キリスト教は、生命をもって動いていく世界の本質を、3という数字によって説明しようとした。
父と子と聖霊の三位一体から、すべてが生まれ、存在し、動いていく。
3は存在の秘密をにぎっている数なのだ。
だが、その3の奥には、さらに神秘的な数4が隠されている。
父のつくった子は、むざんにも十字架にかけられて死んだのち、復活をとげた。
その十字架の秘跡がしめすもの、それが4に隠された神秘だ。
282
:
Anonymous
:2016/05/08(日) 16:13:54 ID:3UMCvP2g0
十字架は啓示をあらわす。
この世ではひとつにまじわりえないものが、十字架の交点で瞬間的に、
火花をちらしながら、ひとつにまじわるのだ。
犯罪者を処刑するための、まがまがしい刑具が、神秘のヴィジョンの象徴に変貌する。
あい反するものどうしが、十字架の交点でクロスシャッセをおこす瞬間に、
この世に神が裸の状態であらわになる。
神秘家だけが、その瞬間を知ることができる。
彼はこのとき地面にたたきつけられるような感覚のさなかに、
おそるべきものの出現を「見る」のだ。
4がその瞬間の、鍵をにぎる数だ。
283
:
Anonymous
:2016/05/09(月) 03:24:28 ID:lXM29LPY0
3は産み出し、4はそれをおそるべき沈黙と無のまえに誘い出す。
十字架の交点にとびちるハレーションのなかに、いっさいの言葉が吸い込まれていくのだ。
--中略--
膨大な『神学大全』を書きついできた、聖トマス・アクィナスは、ある日、突然この秘跡にみまわれた。
神の無限をたたえるために、あれほどたくさんの言葉をついやしてきた彼が、
このときを境にして、言葉を失っていったのだ。
聖トマスは、キリストの神の4を「見て」しまった。
それを「見て」しまったトマス・アクィナスは、以後いっさいものを書かなくなってしまった。
284
:
Anonymous
:2016/05/09(月) 03:30:15 ID:iBubzE3Q0
--中略--
キリスト教の神秘の数4は、エクリチュールの極北、その消滅点でもある。
存在の秘密と生成の神秘をつづってきた筆が(そのときまで筆は
秘数3の魔力をいきてきた)、その瞬間にストップする。
そして、聖トマスは、白痴のように夕日をみつめながら微笑みのなかに死に、
パスカルは数学と化学を捨て、ランボーはアビシニアの荒れ地に消えていった。
285
:
Anonymous
:2016/05/09(月) 03:34:11 ID:iBubzE3Q0
おそるべき数4。4は3を手なずけ、囲い込み、その言葉をうばう力さえもっている。
ほがらかに産み出す3。威厳にみちた4。
ずぼらで野放図な数3。4はそれを組織し、管理する。
ヨーロッパのたましいは、3と4との緊張をたえずかかえこみながら生きてきた。
神は現実のなかに生まれてあるもののなかに宿っているのだと3が言えば、
4はその神はほんものではないと言い、神を「見る」瞬間のおそるべき体験について語りだす。
286
:
Anonymous
:2016/05/09(月) 03:38:30 ID:iBubzE3Q0
しかし3は知っているのだ。この世の権力者たちがその力を得ているのは、
秘数4のはらんでいる魔力からなのだと。
この世の権力は4のしめす威力の陰にたてこもる。
詩人が沈黙し、神秘家が白痴となるその同じ場所に、
この世の権力は「全体と正義」のみなものを発見しようとした。
そして、3を自分のなかにおさえこもうとするのだ。
だから3は抵抗をつづけたのだ。
彼は4の偉大さを知りながらも、その権威の前に屈服することの危険をも知っていた。
--中略--
287
:
Anonymous
:2016/05/09(月) 03:45:26 ID:iBubzE3Q0
バルセロナの輝きは、秘数3にたいするそのあこがれと、忠誠のなかにみいだすことができる。
ここは秘数3の魔力を吹きこまれた都市なのだ。
街は、そのためにたえざる闘いを強いられてきた。
カスティリア・スペインの4。イザベラ女王の4。カソリック教会の4。
ハプスブルク家とブルボン家のかかげるぶよぶよした4。
皇帝ナポレオンの4。フランコのファシズムとスターリン主義がはびこらせた、
あらゆるタイプの全体主義の4。
異端糾問と軍隊と十字架によって武装した、おびただしい数の4の亡霊たちが、
(そう、それは秘数4のまずしい亡霊にすぎないのだ)、3の生命を包囲する。
3は闘い、傷つき、またたちあがる。
フランスからやってきた中世の錬金術師が予言したとおり、
バルセロナは3のはらむ神秘な運命を生き抜いてきた。
ヨーロッパのたましいのなかにひそかに生きつづけてきた秘数3は、
おおらかな太陽と澄んだ空気と水を得て、この街ではじめて自分の夢を実現した。
288
:
Anonymous
:2016/05/09(月) 03:54:46 ID:iBubzE3Q0
--中略--
アントニオ・ガウディはドラゴン(龍)のモチーフにとりつかれていた。
--中略--
龍は大地からたちあがる自然の力だ。それは渦を巻き、うねりながら、
この世界にわきおこってくる。
聖ジョルディは、その龍に槍を突き立てることによって、無分別に
たちあがろうとするカオスを、美しい生成の力につくりかえた。
ピタゴラス派の神秘家が、数字3のなかにみとめた、2と1の結婚による
自然の想像力の秘密が、そこにある。
ガウディは建築する聖ジョルディとして、おそるべき龍にたちむかう。
槍で突き殺すのではない。
金属や土や色レンガにかたちをあたえることによって、
やさしく龍を出現させるというのが、ガウディのやりかただ。
--中略--
ガウディにあっては、聖ジョルディの槍は、龍を突き刺すためにではなく、
それを不可視の空間からこちらの世界にひきだすための誘惑者として、
するどい光を放つのだ。
289
:
Anonymous
:2016/05/10(火) 02:39:44 ID:oboRtbDA0
--中略--
その尖塔を四本並べたてたとき、ガウディはその圧倒的な3の力を、
おおいなる4のイデアのなかに、組み込んでしまおうとしたのである。
生命の力を象徴する塔は、天にむかって高く伸びあがっていく。
尖塔の伸びゆくそのさきに、ガウディはエネルギーのみなもとである太陽ではなく、
キリスト教の神を見ようとしていた。
3のおこなう自然のオートノミー的な認識を、4の力によって完成するために、
彼はファサードの全体構造を秘数4のもとに、統一した。
--後略--
290
:
Anonymous
:2016/05/10(火) 02:46:19 ID:oboRtbDA0
--前略--
(1+2+3+4)2 = 100
3×3 = 9 (=10-1)
「ここには人間のたましいの謎のひとつを解く、重要な鍵が隠されています」
--中略--
291
:
Anonymous
:2016/05/10(火) 02:50:54 ID:oboRtbDA0
--中略--
奥底ではたがいに微妙な差異しかもっていなかったものどうしが、目に見えるものの世界、
歴史をつくるものの世界にあらわれると、もはやおたがいのあいだにつくりだされていた
霊妙な関係も忘れて、激しく対立しあうようになる。
そのために政治的な場面で、3と4はたがいの覇権をあらそって、
たくさんの血を流すことになったし、宗教における3と4も、おたがいが
じぶんこそ真実であるといって、相手をののしりあってきました。
--中略--
その微妙なるものどうしのたたかいが、この数式に表現されているのです。
--中略--
292
:
Anonymous
:2016/05/10(火) 02:58:44 ID:oboRtbDA0
1+2+3+4=10 の平方をあらわす、はじめのほうの式は、
遠い昔のギリシャで、ピタゴラス派の哲学者によってみいだされ、
中世のヨーロッパで神と宇宙の真理をしめすものとして、
あのニコラス・クザーヌスが再発見した、世界の「4による一性」をしめす数式です。
この式は秘数4の力に支配され、その神秘に突き動かされてきた、
この世のいっさいのもののたましいのかたちをしめしています。
4はいっさいのもののたましいのかたちをしめしています。
4こそが、神とその神が創造した世界の秘密に触れている。
そればかりではなく、「4による一性」を考えた人々は、
純粋にして単独な一性をしめしている神と精神が、
数4をもとにしてじぶんを展開してくるなかから、
この宇宙のいっさいがつくりだされてくる、と考えたのです。
293
:
Anonymous
:2016/05/10(火) 03:08:26 ID:dfpj7F2I0
--中略--
数4の神秘説では、いうまでもなく数1が、もっとも純粋で、
もっとも基礎的な一性(unitas)だと考えられていましたが、
この数1は、1、10、100、1000の四つの数を「四つの一性」として、
じぶんのなかから展開してくるのだ、という「発見」をしたのです。
この四つの数はどれもが統一性をもっています。
なぜなら、10も100も1000も、数1をもとにして、秘数4をなかだちとする
算術によってつくりだされてくるものとして、2とか3とか4とかのような、
1からの自然な加え算によってできてくる数とは、ちがう質をもっているからなのです。
294
:
Anonymous
:2016/05/10(火) 03:08:40 ID:oboRtbDA0
10についてみてみましょう。
この数は、1+2+3+4=10として生成されます。
10は4を展開の原理としながら、つぎのレベルの一性をつくりだすためのベースをつくるのです。
100はつぎのようにして生成してきます。
10+20+30+40=100 これは10をベースとなる第二の一性と考えたときの算術です。
でも、これは秘数4をもとにした展開の原理によってもつくりだすことができます。
それがこの数式です。
(1+2+3+4=10)2 =100
1000をつくりだす原理も同じです。
10の立方数として、第四の一性をつくればいいんですからね。
295
:
Anonymous
:2016/05/11(水) 13:02:37 ID:/oh4nEkQ0
--中略--
クザーヌスのような哲学者が、数4の魅力にひかれていた理由は、はっきりしているでしょう。
ひとつには、その数がピタゴラス派の神秘説でも、カバラの数秘術においても、
宇宙の完全性や全体性をあらわす力をひめていたからです。
それにもうひとつのもっと大きな理由は、ぼくたちの生きている世界にかんする
幾何学が、点と線と面と立体の四つをもとにして、ただその四つだけを
もとにしてつくられている、ということに関係している、と思われます。
点は世界の構造を記述するための幾何学の、出発点をなす「一性」です。
線はこの点の展開として生まれてくるものですし、
面はその線の平方として、また立体は面の展開として、
また線の立方としてつくられます。
そして、ぼくたちが肉体をもって生きているこの物質的世界においては、
点が自己展開していくすべての可能性は、この四つでつくされてしまうわけです。
296
:
Anonymous
:2016/05/11(水) 13:08:35 ID:/oh4nEkQ0
ぼくたちの宇宙が、どうして空間の三次元と時間をいっしょにした四次元で
つくられているのかは、いまも多くの物理学者たちを悩ませている、巨大な謎です。
この宇宙が四次元の構造をもっていなければならないという、決定的な理由などはないのです。
どうしてもそれに理由をあたえたいのだとしたら、
もしも宇宙がクザーヌスの考えたような「四つの一性」をもってつくられていなかったとしたら、
いまある物理法則のすべてがそのなかではなりたたなくなる、
ということはいまこうしたある人間なるものも、宇宙のなかには発生しえなかった。
しかし、神はじぶんの似姿として人間をつくりだしたのですから、
神が人間の精神をとおして、じぶんの純粋なる一性を展開しようと
お望みになったのだとしたら、神がこの現実の宇宙に四次元以上の
展開の余地を残さなかったのもうなずける、とでも考えるしかないでしょう。
297
:
Anonymous
:2016/05/12(木) 14:29:21 ID:W4ZjyT9A0
--中略--
秘数4の体系は、そののち北方に展開した神秘的な思想のすべての底流をなしています。
ロバート・フラッドの宇宙論。薔薇十字会の神秘主義。
3をもとにしたニュートンの色彩論に対抗した、4をベースにすえたゲーテの色彩論。
ヘーゲルの『精神現象学』。ハイゼンベルクとパウリの量子力学にも、
その思想的なバックボーンとしての秘数4をみいだすことができるのです……。
298
:
Anonymous
:2016/05/12(木) 14:33:23 ID:W4ZjyT9A0
たがいに対立しあうものが火花を散らして一致する瞬間をもとにして、
つくりだされてくる世界。
そこでは十字架の秘跡は、「対立するものの一致」の平方数を
象徴するものとして、とらえられてきました。
4による宇宙の生成。4を原理として展開される世界のもつ統一性や全体性。
でも、もっと深くたちいって、この世界のなりたちを調べてみると、
ぼくたちは意外にも、この秘数4による世界が、
じつは「2にして1」をもとにした二 - 一体の原理を、
その奥底に隠しもっていることに気づくのです。
299
:
管理人1★
:2016/05/14(土) 07:47:30 ID:???0
>>195
Twitter側に以下のレスがありました。
>前後左右上下の六方向に中心を付け加えた数というのもあるでしょうね。
300
:
管理人1★
:2016/05/14(土) 07:49:57 ID:???0
曜日(七曜)は、カルディアンオーダーがら生まれたものです。
昼間を12分割、夜間を12分割してアワールーラーを
カルディアンオーダーに従って割り付けて行くと、
1日の最初のアワールーラーに土日月火水木金のサイクルが得られます。
もっとも、ピタゴラス音階でダイアトニックな七音にカルディアンオーダーで
惑星を割りつけたでしょうから、音律が係わってないこともない、とは言えます。
301
:
Anonymous
:2016/05/14(土) 23:52:30 ID:xzxKdvvg0
クザーヌス的な宇宙で、どうして1は秘数4の原理をとおして、
10をつくりだしてみようとしたりしたのでしょうか。
その10はまたどんな情熱につき動かされて、みずからの展開と
しての平方数100を生み出そうなどと思ったのでしょう。
それはあの「一性」自身が、自分の外に自分を投射したいと欲望したからにほかなりません。
「一性」は、自分を外に展開してみて、そこから自分のほんとうの姿を
憶測したり、認識したりすることによって自分をよりよく知りたいと願ったのです。
ですから、クザーヌスの宇宙では、純粋なunitasは、
いつも自分の外に、「一性」にとっての「他者」を展開しようと身構えている、
ということがわかってきます。
ですから、1が10に、10が100に、その100が1000にと展開してくる、
例の「四つの一性」の展開全体が、神と精神の一性にとっては、
他者をたえまなくつくりだしてくる運動にほかならないわけです。
ということは、秘数4をもとにしたこの全体性の宇宙は、「一性」のなかから
「他性」をたえまなく生み出していく「一性-他性」の構造の繰り返しとして、
重層的につくられている、ということになるのではありませんか。
302
:
Anonymous
:2016/05/14(土) 23:59:10 ID:xzxKdvvg0
秘数4の宇宙の生成原理は、1が2であり、2が同時に1であるという二 - 一体のものだったのです。
キリストの両手を釘に打ちつけたあの一本の棒に秘められた、両端をいっきに結びあわす
「2にして1」の原理を平方し、十字架に組み合わせる行為の繰り返しと積み重ねのなかから、
北方ヨーロッパ的宇宙の全体がつくりだされる。
ヘーゲルはキリスト教のたましいのもっとも美しく純粋な核心部が、
一性から他性をたえまなく生み出す、弁証法的な運動のなかにひそんでいる、
と書いていますが、そのとき彼は精神の現象学の女神デメーテルが、
ピタゴラスの秘数4にほかならないことを、はっきりとみぬいていたはずです。
それどころか、現代の構造主義ですら、みずからの守護神たる
バイナリー・オポジション(二項対立)原理をとおして、
このような4の魔力のもとに、たましいの構造を科学しようとしているのです。
303
:
Anonymous
:2016/05/15(日) 11:22:41 ID:jK7k6Kj60
ところが、秘数3を生きるたましいにとって、もっとも不可解なものこそ、
秘数4の宇宙が出発点におく、その「一性」のなりたちにほかならないのです。
4の魔力にとりつかれたものたちは、神の統一性というものを、
ただひとつの本性をもつ統一的で単一な構造体としてとらえています。
これは、砂漠を放浪するユダヤ民族の頭脳にひらめいた、
あの超越する神をめぐるモノティズム(一神教)の思想を、
ラテン教父たちがもっともシンプルなものへと、変貌してしまった。
ラテン教父たちは、砂漠を放浪するユダヤ民族の頭脳にひらめいた、
あの超越する神をめぐるモノティズムの思想を、彼らが知っていた
もっともシンプルで、もっとも貧しい哲学の概念で理解しようとしました。
304
:
Anonymous
:2016/05/15(日) 11:23:17 ID:jK7k6Kj60
そして、それが大きな分かれ目だったのです。
ヨーロッパに発達したあらゆる哲学、あらゆる科学、あらゆる技術が、
この単一なる構造をもった絶対者の考えに呪縛されてきました。
量に換算できるエネルゲイア。一性 - 他性の弁証法がつくりだす単調な世界の構造。
ユニバーサルなものが実現されるという錯覚につき動かされた、
ミッションへの衝動。そして、伸縮自在な「一性」のメフィスト的化身である貨幣。
秘数4は、地球上のあらゆる場所で勝利をおさめてきました。
単純さと内容の貧しさとひきかえに、4は地球の制覇を果たしてきたのです。
--中略--
305
:
Anonymous
:2016/05/15(日) 11:37:17 ID:vQDDne2s0
秘数3にとって、宇宙の本性がそのような抽象的な単一性で
塗り固められてしまうことほど、たえがたいことはありませんでした。
地中海の乾燥した空気がつくりだした砂漠とその沿岸の都市に
生きたキリスト教の思想家たちは、ローマのキリスト教帝国と
ともに拡大する秘数4の支配にたいして、ラジカルな抵抗をつづけたのです。
彼らは、4の魔力にたいして、三位一体論の奥義をもって、
たちむかっていったのです。
306
:
Anonymous
:2016/05/15(日) 11:41:21 ID:jK7k6Kj60
秘数3の思想家たちは、神は一つの本質とか本性とかではなく、
つねに「父と子と聖霊」の三つのペルソナ(位格)をとおして、
統一されていることを強調しました。
この世界からは隠されている神、超越の神は、みずからの
ありあまる存在をエネルゲイアとして、ぼくたちの世界に
あふれださせてくるのですが、そのエネルゲイアは
けっして4が考えるような単純な実体の流れなどではなく、
つねに三つの位格をとおして輝きだしてくるものなのです。
307
:
Anonymous
:2016/05/15(日) 11:49:47 ID:vQDDne2s0
ひとつのものが三つに区分されていたり、三つのおたがいのあいだに
関係のない複数のものがあるというのとは、わけがちがいます。
ここでは、3は永遠の多様性を象徴しています。
三つのペルソナのどれひとつをとっても、ほかのものに置き換えたり、
還元したりすることは、不可能です。
また位格のそれぞれは他と対立しあうこともなく、他が
設定されるたびに自分も生まれ、おたがいにさえぎるもののないまま
たがいに相違している、そういうあり方で、絶対的な統一を
絶対的な多様性のなかで、展開してみせるのです。
308
:
Anonymous
:2016/05/15(日) 11:50:40 ID:vQDDne2s0
それは完全な多様性として、みずからをあらわす神が、その三つの位格のまま
ひとつであることを望んでいる、そのダイナミックな超越の運動そのものにほかなりません。
彼らにとって3はたんなる数ではありませんでした。
それは二 - 一体の宇宙を乗り越え、思考の単純さから神を救い上げる、ひとつの奥義なのでした。
地中海の教父のひとりはこう書いています。
「二つで一つという関係は超克される……三一体こそ、豊かで安定した完全なものである。
なぜなら、三一体にして、はじめて二一体の構造が乗り越えられるから」
309
:
Anonymous
:2016/05/19(木) 13:23:43 ID:vDkH1roU0
キリスト教のなかで深められた秘数3の奥義。
それは思考のなかから、ひとつの本質とかひとつの源とかの幻想を、
ふきとばしてしまおうとします。
三つのペルソナを通して顕現する神は、けっしてひとつの本質で統一されて
いるわけではありません。
そして3をもとにしてつくられる世界、3×3の世界は完全性10マイナス1を
あらわすものとして、単純な1による統一を否定しつづけるのです。
多様なものの統一としての、パラドキシカルな調和のうちに、
燃える柴となってあらわれる神……。
310
:
Anonymous
:2016/05/19(木) 13:25:44 ID:vDkH1roU0
弁証法などいらない。
4の原理がつくりだすという、全体性も幻想にすぎない。
完全さは、自分の本性をつつみこみながら、それをたえずのり越えていく
三位一体の統一のなかにこそあるのだから。
311
:
Anonymous
:2016/05/19(木) 13:29:11 ID:vDkH1roU0
キリスト教はだから自分の内部に、秘数3と秘数4とが演ずる、微妙な
差異のたたかいをかかえこんできたと言えるのです。
このたたかいでは、奥義めいた3の思想は、いつも4の単純さに押されぎみでした。
じっさい秘数3の奥義を体得するのは、なみたいてのことではありません。
3には苦行が必要なのです。
ところが、4は単純な哲学的概念に、燃える柴の神の奥義をゆずりわたすのとひきかえに、
思考にとって口あたりのよいあののっぺりとした、抽象的な単一性を手にいれ、
それによってカソリック(普遍性)にむけての進撃を開始することができたのです。
312
:
Anonymous
:2016/05/19(木) 13:46:49 ID:vDkH1roU0
--中略--
秘数4は、自分のなかに、多様性を圧倒して、それを統一性のもとに
ゆだねる権威主義への萌芽を、原理的に宿しています。
ところが秘数3には、それは思いもつかないことなのです。
ひとりひとりの人格は、三位一体としてつくられています。
ですから、それはもともと絶対的な多様性として、ほかのなにものにも
還元できない自立性や単独性をそなえているはずです。
こうして、3は自分を包囲する4との、終りのないたたかいに
たえなければならなくなったのです。
政治において、哲学において、宗教思想において、技術において、秘数3と
秘数4とが世界の奥義においてくりひろげている、霊妙にして微妙な
たたかいは、流血や死をともなる「目に見える世界」のがさつきわまりない
争いすら生み出してきましたが、そんな争いも、その発端のところでは、
気づくか気づかないかわからないくらい微妙な差異にすぎなかったものなのです。
--後略--
313
:
管理人1★
:2016/06/19(日) 16:56:28 ID:???0
>>274
Twitter側にレスいただきました。
プチ補足☆正確には、奇数は男性ではなく男性「性」、偶数は女性ではなく女性「性」を
表し、それぞれ男女双方に備わっています。男性「性」は拡散エネルギー、女性「性」は
形成エネルギーで、男にも女性「性」があり、女にも男性「性」があるのです。
314
:
Anonymous
:2016/07/11(月) 04:37:55 ID:26teqGy60
>>277
谷川渥の『幻想の地誌学』で円と地図に関する論考があった
球ないし円は、少なくとも古代ギリシア以来、宇宙を統べる基本形であり続けてきたといっていい。
いや、マンフレート・ルルカーの『象徴としての円』(1981)によれば、円は人類の思想、
宗教、芸術のあらゆる領域にわたって驚くべきほどの支配権をふるっている。
いずれにせよ、ガリレオ、ケプラー、デカルト、ニュートンもすべて
宇宙を球とみなし、星を円軌道において見たし、コペルニクスも
円軌道を観測によって発見したというよりは、むしろ「円のドグマ」への
絶対的信仰によってその観測結果を導き出したといったほうが、
どうやら真相に近いらしいのである。
中略
315
:
Anonymous
:2016/07/11(月) 04:46:06 ID:26teqGy60
フラ・マウロの世界地図(1496)の左下方に、とはつまり「世界」の外に「楽園」が描かれている。
この地図に関して、オーストラリアの作家ジェイムズ・カウアンが、
『修道士マウロの地図』(1996)という本を書いている。
ヴェネツィアのムラノ島の修道院で世界中からやって来る情報を蒐集しながら
世界地図の製作に打ち込んだフラ・マウロのの述懐というかたちで、地図の完成
までを小説化したものである。
中略
316
:
Anonymous
:2016/07/11(月) 04:48:49 ID:C8orBQNo0
マウロの「地図」は、しかし狭い空間のなかに閉じこもって肥大した想像力の産物である。
それはいわば彼の「幻想」のかたちである。
中世の「世界地図(マッパ・ムンディ)」の伝統を継承しているが、しかし印象はかなり違う。
最大の特徴は、南が上に来ていることで、これはイスラム世界の習慣を採用したものらしい。
マウロはポルトガルのアルフォンソ五世の依嘱により地図製作を続けたが、
王はイスラム圏のものを含む多くの海図を彼に与えたようである。
マウロの地図において、イェルサレムはもはや世界の中心ではない。
大西洋とインド洋の位置も地中海のかたちも正確である。
中略
「地理」はあたうかぎり正確を期したけれども、「地誌」のほうはイタリア的幻想に身を委ねたのだ。
そして、この「世界」の外に円形の「エデンの園」が描かれている。
中略
317
:
Anonymous
:2016/07/11(月) 04:51:26 ID:26teqGy60
「楽園」は、どの場合も円形をしている。
アダムとイヴの子孫たちは、いずれ完全な円形を求めて海の彼方へ、
あるいは空の彼方へ旅立つことになるだろう。
彼方なる「島」は、あの失われた「楽園」の再来のように円形のユートピアとして構想されるだろう。
318
:
Anonymous
:2016/07/19(火) 01:12:22 ID:byKsEsco0
象徴天皇って象徴としての日本国とイコールなわけだから、譲位、退位、崩御って
象徴的な世界とか霊界では巨大イベントだよね。
昔、猪瀬直樹が『ミカドの肖像』で昭和天皇崩御から元号が平成になるまでの空白を書いて
一躍注目されたのを思い出した。
荻上チキの番組で、原武史が解説者として呼ばれているけど、国家と法と天皇について
論点が分かりやすいのは当然として、皇族が毎日一般人がまったく見えないところで古来からの
儀式を仕事としてやっている話とか思しろい。
天皇陛下が生前退位の意向を示される。改めて知る『象徴天皇』とは?
https://www.youtube.com/watch?v=KIAk0W6QBI4
319
:
Anonymous
:2016/08/03(水) 12:36:57 ID:jYSsHweA0
これは人類史を塗り替えるとまでは行かなくても、文字の起源に大きく近づくことにはなりそう
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/060100194/
古代人は「絵文字」を使っていた?欧州の洞窟壁画に残る幾何学的な記号の謎に迫る
>ヨーロッパの洞窟に描かれた躍動感ある壁画は、多くの考古学者の研究心をかき立ててきた。
>その一方で、こうした絵の脇に添えられることがある単純な幾何学的な記号に注意を払う研究者はほとんどいなかった。
>カナダのビクトリア大学博士課程在籍中の古人類学者ジェネビーブ・フォン・ペツィンガー氏は、これらの記号を詳しく調べ、
>氷河期のヨーロッパ人は3万年もの間、たった32種類の幾何学記号しか使っていなかったと報告している。そして、これらの記号が情報の伝達手段として用いられていて、文字発達の長い歴史の原型となったのではないかと考えている。
>「異なる地域の間で同じ記号が使われていたということはつまり、私たちの祖先が何らかのシステムを
>持っていたということだと考えました」。さらに、フランスの壁画からわかったように初期の頃から
>多様化していた幾何学記号が、ヨーロッパ全域で繰り返し使用されていたことも明らかになった。
>このことから、現生人類はヨーロッパへ到達するはるか以前、おそらくは人類の起源であるアフリカにいた頃に、
>これらの記号を発明していたと考えられる。
320
:
Anonymous
:2016/08/28(日) 06:48:57 ID:Q5SQebeQ0
>>283
中国人がシンゴジラをどう深読みするか気になる
321
:
Anonymous
:2016/09/09(金) 23:37:04 ID:epbZsCLg0
フロイトって今は批判されることが多いけど、精神分析の歴史ではやはり一番の巨人だと思うね。
ユングどっちを支持?みたいなことを言ってる人もよく見るけど、
フロイトって何もないところにゼロからいろんな話を創りだしたところが一番凄いわけで、
先行者と後継者を比べてもあんまり意味がない。
フロイトっていう叩き台が無ければ、現在もてはやされている多くの思想自体生まれなかった
わけで、言わばオオゲツヒメのように自分自身の説はイロモノ的なものと見られて
残らないけど、タネ、苗床として現代思想自体を生んだと言える。
彼の時代は今じゃ想像できないぐらいあらゆる情報が不足していたんで、
こじつけの天才みたいにならざるを得なくなり、それゆえに実証万能の
現代科学では哲学者という位置づけになったり、現代思想の領域でばかり
評価されるけど、20世紀初頭という時代的制約はどうしようもないわけで。
彼について特に評価されるべきは仮説を立ててモデル化し、そしてスキャンダラスな説を
表立って発表できてしまうところだろう。
彼の宗教・神話への知識を見ても、多分秘教的な人脈につながっていたんだろうことは推測できる。
322
:
Anonymous
:2016/09/21(水) 06:43:15 ID:pY6fW8g.0
フロイトってユングと違ってアウトサイダーだったんだよね。
ユダヤ人だったせいで大学にいられず、町医者だったし
323
:
Anonymous
:2016/09/27(火) 11:58:06 ID:wnEwYtds0
フロイトに関しては、フーコーの『言葉と物』のこの指摘が一番重要っぽい。
「他のだれよりもフロイトが、人間についての認識をその文献学的で
言語学的なモデルに近づけ、しかも、肯定的なものと否定的なもの
との分割を根源的に消去しようと企てた最初の人でもあったことを思いおこすとき、
いかに彼が、機能、葛藤、意味の用語による分析から、
規範、規則、体系の用語による分析へという移行を予告しているか、納得できるであろう。
こうして、その内部において、西欧文化が一世紀をかけて人間に関する
ある種のイメージをつくりあげた、この知全体は、だからといって
その基本的配置からでることなしに、フロイトの作品のまわりで展開するのである。」
この部分だけ読んでも何のことやらだろうけど、
取りあえず解説しとくと、フーコーは19世紀以降の人文科学の歴史を3段階(3つのモデル)に分けている。
1. 生物学的モデル: 機能の用語で分析
2. 経済学的モデル: 人間&人間の活動は葛藤の場所
3. 文献学的&: 隠された意味を解釈し発見する
言語学的モデル: 意味する体系を構造化して明らかにする
で、2→3への移行に大きな役割を果たしたのがフロイトだってこと
324
:
Anonymous
:2016/10/05(水) 06:58:11 ID:z/4hmV8U0
トランプ人気って結局のところトリックスターとしてだと思う
ヒラリーはそこを理解し損ねると負けるだろうな
325
:
Anonymous
:2016/10/07(金) 07:24:31 ID:qWsDe1v.0
全然タイプは違うけど、坂本龍馬もトリックスターだったから人気があるんだと思うね。
326
:
Anonymous
:2016/10/08(土) 21:56:52 ID:ZWNLc4eM0
ロックフェラーの後継者U2のボノがトランプをディスりまくった話がちと気になる。
トランプが東部エスタブリッシュメントにとってそれだけ邪魔な存在ってことというか。
トランプがニューヨークの金融資本勢とアメリカの軍需産業群と全面戦争しているところは評価できるんだよね。
今までそんなことやって当選できた大統領一人もいなかったし。
327
:
Anonymous
:2016/10/13(木) 00:50:36 ID:G5AOVbj20
トランプは軍需産業と対立してないと思う
軍の一部から支援されてるし
328
:
Anonymous
:2016/11/09(水) 23:21:03 ID:GW.gbQIw0
>軍の一部
DIA(アメリカ国防情報局)だね
329
:
Anonymous
:2016/11/10(木) 11:07:25 ID:CODR/V8U0
オバマ政権でアメリカ軍の予算は削られまくった。
実は諜報活動っていうのはやたら金がかかるんだけど、事情を知らない人間からすると無駄に見えてしまう。
通常、外部の民間会社に調査を外注したり等、膨大な費用がかかる。
そういうことがどんどんできなくなって、米軍は世界で何が起きているのかわからなくなってきていた。
DIAがトランプを支援するのも当然だと思う。
330
:
Anonymous
:2016/11/13(日) 12:21:18 ID:hzHU0tcM0
神話って結局なんなんだろうね。神とは何かという疑問にも通じるかもしれないけど
331
:
Anonymous
:2016/11/18(金) 02:16:43 ID:XXiQUdUM0
民族のアイデンティティー、履歴書、出生証明書
332
:
Anonymous
:2016/11/18(金) 12:26:25 ID:/.Y0Uk9k0
個人にとって、幼少期の記憶ってのは自我の根幹なわけで、
DNAとこの幼少期の記憶(経験・考えたこと)とが死ぬまで
行動の底流というか根っこにあって、行動指針に強く影響し続けるんだと思う。
その幼少期がないと、ブレードランナーのレイチェルみたいな
人造生命で後から記憶だけを植え付けた存在になってしまうのでは。
民族で考えると、人口民族アメリカ人には神話が無かったのが
それじゃやっぱり落ち着かなかったのか、人々を国につなぎとめて
まとめるのに不都合が多かったのか、後にオズの魔法使いが
アメリカの神話という扱いをされることになった。
あくまでアメリカ白人のための神話が必要だったということで、
単に神話に文化的な意義しかないんだったらネイティブ・アメリカンの
神話で用が足りたはず。
333
:
Anonymous
:2016/11/19(土) 14:50:44 ID:21onXwIU0
>神とは何か
これは主に一神教の神についてだけど、先に人間とは何かを考えた方がわかりやすい。
人間とは、制約の中で生きる存在。
時間的にも、空間的にも、能力的にも。
それに対して万能なのが神。
ヨーロッパの文化というのはそういう大前提の元にできている。
335
:
Anonymous
:2017/03/03(金) 22:13:18 ID:b7yc/BKQ0
漢字って、中国人にとってと日本人にとってとでは結構違うと思うんだけど、
そういうことについて書いた本って何かないかな?
文化的な解説でもいいけど、どっちてかというと脳科学とか方面で
そういうのも象徴の理解にとって大事だと思うんだけど
336
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 05:42:35 ID:Fnby7OCk0
中沢新一の『イコノソフィア』の解説がそんな感じのこと書いてたよ。
どっちかというとアルファベットとの比較だけど、ひらがなについても書いてるし。
中国を訪れたフランスの農民哲学者ミッシェル・セールが、すべての土地を
耕し尽くしてしまわれた中国の土地を見て驚いて、ちょっと考察するんだけど
著者の中沢新一は実はそうではなくて、それは漢字文化と根が同じなんじゃないかと語り始める。
彼いわく、
漢字によっておおいつくされたこの意味の世界には、言語的な知性のおよびつかない藪地も
森も林も残されていないように思えるではありませんか。あらゆる森羅万象が漢字の形象で
表現され、まるで田畑が耕されるように、「意味」の大地の上を耕しつくしているように
思えるわけです。しかし漢字は、ヨーロッパの農民たちが感じていたものとはまったく
ちがったやり方で、「意味」の大地を耕していたのです。
337
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 05:55:39 ID:Fnby7OCk0
ヨーロッパの思考は、言葉をとおして、その場にないものを音声がその場に直接呼びだして
これるという形而上学の神話にかけてきました。言葉がその場にないものを呼び出す力を
もっている点に、彼らは注目したわけです。
もうひとつの点。アルファベット言語では、人間の身体の運動に直結した複雑な生体の
メカニズムの森に直結したものに対して、言葉がそれを抑圧していくような機構となって
働きだすことにある。ここから、たとえばヨーロッパの農民たちが感じていたような、
農耕の作業と言語的知性の働きのなかにはパラレルなものがあるという感性も生まれてきます。
彼らにとっては大地を耕し、「意味」の世界をカルティヴェートする行為は、言語の秩序、
神の秩序を現前させてくると感じられる。人間の耕作の行為(カルチャー=文化)が、
世界の背後にあってそれを支えていると思われる秩序の力の現れを保証する。そして同時に
それは森や藪地を隠蔽し、伐採し、抑圧していく。農民の感覚はその両方のバランスを
保つために、森や藪地を残そうとする。そこではアルファベット言語と、つねにその周辺や
深層に耕されつくさない森や藪地を残していこうとする詩的な衝動が結びついている。
つまり、アルファベット言語においては、詩的な衝動はその言語のもつ強力な抽象性と
深いつながりをもっていることになります。
338
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 06:01:51 ID:Fnby7OCk0
これに対して漢字は、身体の運動性の先端にたち現れてくる痕跡(トレース)--これを
ジャック・デリダのまねして、エクリチュールと呼ぶこともできるでしょう--が、
そのままの姿でその場にたち現れ、その姿のままで「意味」という空虚を担うようになる。
しかも漢字のなかでは、このエクリチュール性という、漢字のもつ身振り性や運動に直結
したものが最後まで否定しつくされることがないのです。そのため漢字は、その場にない
空虚を呼び戻すという直接的現前の神話をつくりだそうとしないのです。
つまり漢字は、この場にないものとあるものとのちょうど中間点のようなところに立って、
どちらにかたよることもしないという不思議なねばり強さのようなものを備えるように
なっているわけです。この場にないものを呼び出す力をもってはいても、そのものを
直接性において取り戻すことは不可能だと考える文字だといってもいいでしょう。
漢字は魂を呼び覚ます触媒です。しかしそれは直接性を呼び覚ますものではないのです。
と同時にそれは、身体の身振り性を否定し去ることがない。身体的であり、さまざまな
自然物の動作やフォルムや運動を否定することがないだけに、それはこの場にないものの
空虚さのなかに飛躍してしまうこともない。漢字じたいはその生成の時点からこういう
不思議な性格をもってきた。そればかりか、現にこうやって漢字まじりの文章を読んでいる
わたしたちの意識の中でも、中間の薄膜を走りつづける一種のねばり強さと、どちらの
直接性にも落ちこまない老練さのようなものを保ちつづけているわけです。
339
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 06:28:22 ID:Fnby7OCk0
こういう漢字文化のなかでは、「意味」はこの場にない空虚なものを呼びだし、
その空虚なものが観念的なイデーの世界のなかでみたされるという世界観は
生まれてきませんでした。それはむしろこの世界の「意味」をかたちとして
とらえるような思想をつくりだしてきた。太極とか無と空とか呼ばれる「場」
のなかから、さまざまなフォルムがわきあがってくる。そのフォルムそのものが
「意味」なのだということ、この世界はフォルムとしてつくられ、フォルムが
あるかぎり世界の「意味」はなくならないのだという考え方が、漢字的
思考の背景にあるような気がします。
そうなると、中国人の意味世界のなかでは、無数の漢字がひとつひとつすべて
ちがって、個性をもってくるようになる。それどころか漢字生成の力は無限で、
その生成のプロセスはどこまでもくりひろげていくことができるようなものなのです。
彼らの意識の世界が拡大すれば、それに見合った漢字がつくられてくる。世界の
隅々にいたるまで漢字のフォルムでおおいつくしていける、というわけです。
こういう感覚のなかでは、中国の農民たちが大地を耕すことの意味も、たぶん
ヨーロッパの農民とはちがうニュアンスがあるはずです。農耕は漢字文化を
つくりだした人々にとって、大地のなかからさまざまなフォルムをわきたたせ、
呼びだす行為なのですからね。農民が大地にむかって鋤を振るう、その鋤の
ひとふりひとふりが、太極や無のなかからフォルムをはじき飛びたたせる
原初的なエクリチュールの行為となっていたのです。中国人は大地を農耕地で
おおいつくそうとした。それは無数の漢字でおおいつくされた、アルファベットの
文化圏にはない「意味」の世界をつくろうとした行為とパラレルな光景です。
340
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 11:41:16 ID:Fnby7OCk0
著者は、従来考えられていた儒教と道教の対立の意味についても疑問を呈したあと、
突然、ガラスの生成について語りだす。ガラスというと、普通は製品になった固体の
ものを考えてしまうけど、実は珪素を溶かし出して流動体にし、それが静止して結晶化
する過程のすべてがガラスだと。そしてまた、次のように語りだす。
341
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 11:50:15 ID:Fnby7OCk0
漢字という文字じたいがこういう特徴をもっています。漢字は、身体の運動性や
さまざまな自然物のなかにある身振りや運動性がほとばしりでてくる流動の
さなかから、あるフォルムを切りだしてこようとする。そしてその運動そのものが、
じつは漢字生成の力なのだから、その運動が最終的にクリスタル状に結晶して
安定したイメージをもったフォルムがつくりだされてくる、そこだけをとらえて
漢字の本質であるとはいえないのです。流動性をもち、熱せられて溶けて動いている
状態が内蔵しているフォルムの生成力、あるいはフォルムの萌芽のような状態、
それさえもが漢字のなかに保存されている。つまり漢字は運動しているわけです。
こうしてみると、儒教と道教の対立などというものも、流動し運動する身体の
運動性や自然物の身振りがフォルムを切出してくる、そのプロセスのなかにある、
流動状態とフォルムの安定とを対立させるところから生まれてくる考え方なのでは
ないかと思えてきます。儒教は礼儀ということを非常に重んじた。それは、礼儀が
人間の感情や行動や人間同士の関係のさなかに、フォルムをつくりだそうとする
行動のパターンだからです。
342
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 12:29:10 ID:Fnby7OCk0
儒教は、けっしてプラトニズムの考えでこの宇宙の背後にある秩序や
真理をもとにして、その仁・義・礼・智・信の思想を展開したわけでは
ないのです。仁・義・礼・智・信はまさにフォルムにほかならない
のですから。感情生活、思考生活、そのすべてにおいて均整のとれた
フォルムを切りだしてくることに儒教思想はかけていた、といっても
いいすぎではないかもしれません。儒教にとってフォルムとは、
エティックにほかならないのです。
道教の思想はこれに対して、そのフォルムを固定することを否定して
きました。この世界の意味は、漢字の生成の瞬間にある萌芽のなかに
宿り、「意味」の萌芽がわきたってくる流動状態のなかにこそある--
ガラスの比喩をつかえば、ガラスが結晶し、分子の揺らぎが静止状態
に近づいていくプロセスのはじまりの状態、分子があらゆる方向に
激しく流動し、揺らぎが静止してしまう状態にいたらない流動状態に
こそ、「意味」の根源があると主張したわけです。
343
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 12:33:32 ID:Fnby7OCk0
ところが漢字は、このふたつの側面を両方ながら一身のうちにあわせもっています。
儒教と道教というふたつの思想の体系に分裂してくるものが、漢字のなかには統一
されてあるのです。この宇宙のもっともプライマルな状態である太極や無と呼ばれる
「場」からフォルムが生まれて、呼び起こされてくる。しかも「意味=フォルム」
は自分の力で生まれてくるのです。
儒教がフォルムの側にむかい、道教がそのフォルムを生成する太極や無や空の
なかへむかおうとしていったその思想的な対立を、もっと深いベースのところで
総合的に支えているのは漢字だということがわかってきます。
344
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 12:44:41 ID:Fnby7OCk0
「かな」は、日本の古い民族的な宗教思想である古神道の世界と深いつながりを
もっています。「かな」の言葉とは、いってみれば妖精の言語理論のようなものです。
妖精が木の葉の裏に、か弱く、か細くわきたってくる、そういうわきたちの状態に
あるものをとらえる言語思想、それを「言霊」としてとらえてきた精神が、もっと
強固なフォルムを招き寄せようとする欲望をいだいた。妖精の言語が自らフォルムを
招き寄せて、自分の存在できる力をもっと永続させようとする欲望をいだいた。
日本語の言霊のなかにあるフォルムを求める力が漢字を呼び寄せていった。このことに
よって日本語は大きく飛躍することができたわけですけれども、同時にそれによって
日本語の言霊には、漢字に内在するフォルムの力強い安定へむかう儒教的側面が、
強くおおいかぶさるようになってしまったのです。これによって日本語は、身動きの
つかないような堅苦しさを漢字の存在から味わうようになってしまった、というわけです。
345
:
Anonymous
:2017/03/04(土) 13:16:58 ID:Fnby7OCk0
空海は、漢字の文化を強固なフォルムとしておびき寄せた。それと同時に、日本語の
なかにおびき寄せられた漢字によっておおい隠されていく日本語の言霊の運動性を、
もう一回彼の芸術的な全生涯をとおして取り戻そうする行動をとったのです。それは
ちょうど彼の真言密教が、古い山岳の宗教の思想が自ら招き寄せたフォルムであり、
彼じしんそれをふたたび山のなかへ帰していこうとしていたのとよく似ています。
だから、彼は書に異様な興味をもった。書には、漢字のもつ自らを開かれたプロ
セスに変えていく能力が、はっきりあらわれているからです。書のなかでは漢字の
もつ全能力、それがはらむ全プロセスがあますところなく発揮されるようになります。
いまや日本語は世界言語の実験場のようになりつつあります。それはヨーロッパの
デコンストラクションの思想によっても解明しつくされなかったものだし、中国の
道教の思想によってもおおいつくせなかったものを自分のうちにはらみながら、
いま言語のもっとも深い謎にせまるいちばん有利な地点に立ちつつあるのです。
日本人は漢字そのものがもつ形式主義的な思考からも脱出して、なにかまったく
新しい「意味」の空間を創出できる、そういう可能性の前に、いま立っています。
346
:
Anonymous
:2017/03/05(日) 05:35:33 ID:qL/W0SII0
中沢さんの話は面白いんだけど、またいつもの中沢節というかちょっとレトリックが鼻につく気も。
もうちょっと中国語とか漢文の構造と漢字について分析した人っていないのかな。
347
:
Anonymous
:2017/03/14(火) 10:04:44 ID:UxaP1zaI0
>>117
魚とキリスト教については、この人のツイートも面白かった
>魚といえば、キリスト教のごく初期の象徴として有名である。
>この場合魚は洗礼、水に関わるこの儀式と関連付けられている。
>教会著述家ティルトリアヌスの表現によれば、信者は「小さな魚」、
>洗礼盤を「魚の池」と呼んでいる。また魚を表すギリシア語が、
>イエスキリストを讃える文句の頭文字になっている
https://twitter.com/momijitree/status/840850856127815681
348
:
Anonymous
:2017/03/14(火) 10:05:27 ID:UxaP1zaI0
>象徴としての魚はやがてキリスト自身を表すようになり、印章やランプ、
>カタコンベと呼ばれる地下墓所、石棺などに、数多くの魚の象徴が残されている。
>キリスト教には数多くの魚にまつわる説話がある。ヨナと大魚の物語。
>魚に説教したパトヴァのアントニウス。
https://twitter.com/momijitree/status/840858397469696002
349
:
Anonymous
:2017/03/14(火) 10:06:49 ID:UxaP1zaI0
>ペテロが魚の口から硬貨を取り出す、貢の銭。司教杖に魚を釣り下げたゼノ。
>パンと魚を無数に分け与えた、パンと魚の奇跡。キリスト教から離れれば
>魚の尾を生やした海神トリトンやネレイスがいる。
https://twitter.com/momijitree/status/840865954913386498
>先の洗礼と魚の関係に付け加えると、人が洗礼によって信徒としての新たな
>生命が与えられることを「われわれは、魚のごとく水から生まれる」と表現していて、
>これは旧約聖書のエゼキエルの予言の「水による清め」に由来するという。
>また、「魚もキリスト教徒も、水なしには生きられぬ」という言葉もある
https://twitter.com/momijitree/status/840873495529639937
350
:
Anonymous
:2017/03/14(火) 10:08:04 ID:UxaP1zaI0
>魚にまつわる説話の中から、トビト記を取り上げたい。ここに登場する
>トビアは、天使に伴われる図としてルネサンス時代に愛好された題材である。
>トビアの物語は、イエスに重ねられた奇跡の治療の物語だ。
>「視力と財産を失ったトビトはユダヤ人の捕虜。
https://twitter.com/momijitree/status/840881070203518978
>彼は人に貸した金の取り立てのために息子のトビアを隣国のメディアに遣わせる。
>トビアは家の前で大天使ラファエルと出会うが彼が天使だとは気づかず旅路を共にする。
>ティグリス川のほとりで二人が夜を明かした時、ラファエルの指示でトビアは魚を捕まえる。
https://twitter.com/momijitree/status/840888598039740416
351
:
Anonymous
:2017/03/14(火) 10:09:36 ID:UxaP1zaI0
>その魚の胆嚢と心臓と肝臓から薬が作られた。その薬がトビアの妻となる
>女性から悪魔を追い出し、盲目だった父の目を、再び見えるように回復させた。」
>目を見えるようにさせたトビアが、世界に光をもたらすイエスに重ねられた、
>ということである。絵ではトビアは魚、ラファエルは薬箱を持って描かれる
https://twitter.com/momijitree/status/840896151578529793
>以上キリスト教における魚の象徴を書いたが、比較として、簡単に
>エジプトにおける魚の象徴についてもツイートしようと思う。
>エジプトの壁画には双魚が描かれることがある。
>これは二本の糸で捕らえられた二匹の魚。魚たちを繋いでいる二本糸である。
https://twitter.com/momijitree/status/840903695369871360
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