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【芸術表現】象徴とその働き【文化形成】

1管理人1★:2012/12/12(水) 20:35:07 ID:???0
象徴をキーワードに、自由に語るスレです。
トピックとしては、

・各文化圏で、色やシンボル・図形が持っている象徴的意味
・文学・芸術作品の象徴表現、象徴主義(文学、絵画、音楽)
・言語学、記号論
・ラカンの現実界・象徴界・想像界論や、吉本隆明の共同幻想論、
ユングの集合的無意識
・神話と土俗文化と象徴の関係
・易、タロットなどの象徴体系
・ルネッサンス以前の西洋の知の体(占星術、自然魔術、錬金術)
における、象徴の働き
・幻想と象徴の関係
・脳科学から見た人間のシンボル・記号処理
・夢の中の象徴表現
・その他様々な象徴作用
などなど。

312Anonymous:2016/05/19(木) 13:46:49 ID:vDkH1roU0
--中略--

秘数4は、自分のなかに、多様性を圧倒して、それを統一性のもとに
ゆだねる権威主義への萌芽を、原理的に宿しています。
ところが秘数3には、それは思いもつかないことなのです。
ひとりひとりの人格は、三位一体としてつくられています。
ですから、それはもともと絶対的な多様性として、ほかのなにものにも
還元できない自立性や単独性をそなえているはずです。
こうして、3は自分を包囲する4との、終りのないたたかいに
たえなければならなくなったのです。
政治において、哲学において、宗教思想において、技術において、秘数3と
秘数4とが世界の奥義においてくりひろげている、霊妙にして微妙な
たたかいは、流血や死をともなる「目に見える世界」のがさつきわまりない
争いすら生み出してきましたが、そんな争いも、その発端のところでは、
気づくか気づかないかわからないくらい微妙な差異にすぎなかったものなのです。

--後略--

313管理人1★:2016/06/19(日) 16:56:28 ID:???0
>>274
Twitter側にレスいただきました。

プチ補足☆正確には、奇数は男性ではなく男性「性」、偶数は女性ではなく女性「性」を
表し、それぞれ男女双方に備わっています。男性「性」は拡散エネルギー、女性「性」は
形成エネルギーで、男にも女性「性」があり、女にも男性「性」があるのです。

314Anonymous:2016/07/11(月) 04:37:55 ID:26teqGy60
>>277
谷川渥の『幻想の地誌学』で円と地図に関する論考があった

球ないし円は、少なくとも古代ギリシア以来、宇宙を統べる基本形であり続けてきたといっていい。
いや、マンフレート・ルルカーの『象徴としての円』(1981)によれば、円は人類の思想、
宗教、芸術のあらゆる領域にわたって驚くべきほどの支配権をふるっている。
いずれにせよ、ガリレオ、ケプラー、デカルト、ニュートンもすべて
宇宙を球とみなし、星を円軌道において見たし、コペルニクスも
円軌道を観測によって発見したというよりは、むしろ「円のドグマ」への
絶対的信仰によってその観測結果を導き出したといったほうが、
どうやら真相に近いらしいのである。

中略

315Anonymous:2016/07/11(月) 04:46:06 ID:26teqGy60
フラ・マウロの世界地図(1496)の左下方に、とはつまり「世界」の外に「楽園」が描かれている。
この地図に関して、オーストラリアの作家ジェイムズ・カウアンが、
『修道士マウロの地図』(1996)という本を書いている。
ヴェネツィアのムラノ島の修道院で世界中からやって来る情報を蒐集しながら
世界地図の製作に打ち込んだフラ・マウロのの述懐というかたちで、地図の完成
までを小説化したものである。
中略

316Anonymous:2016/07/11(月) 04:48:49 ID:C8orBQNo0
マウロの「地図」は、しかし狭い空間のなかに閉じこもって肥大した想像力の産物である。
それはいわば彼の「幻想」のかたちである。
中世の「世界地図(マッパ・ムンディ)」の伝統を継承しているが、しかし印象はかなり違う。
最大の特徴は、南が上に来ていることで、これはイスラム世界の習慣を採用したものらしい。
マウロはポルトガルのアルフォンソ五世の依嘱により地図製作を続けたが、
王はイスラム圏のものを含む多くの海図を彼に与えたようである。
マウロの地図において、イェルサレムはもはや世界の中心ではない。
大西洋とインド洋の位置も地中海のかたちも正確である。
中略

「地理」はあたうかぎり正確を期したけれども、「地誌」のほうはイタリア的幻想に身を委ねたのだ。
そして、この「世界」の外に円形の「エデンの園」が描かれている。
中略

317Anonymous:2016/07/11(月) 04:51:26 ID:26teqGy60
「楽園」は、どの場合も円形をしている。
アダムとイヴの子孫たちは、いずれ完全な円形を求めて海の彼方へ、
あるいは空の彼方へ旅立つことになるだろう。
彼方なる「島」は、あの失われた「楽園」の再来のように円形のユートピアとして構想されるだろう。

318Anonymous:2016/07/19(火) 01:12:22 ID:byKsEsco0
象徴天皇って象徴としての日本国とイコールなわけだから、譲位、退位、崩御って
象徴的な世界とか霊界では巨大イベントだよね。
昔、猪瀬直樹が『ミカドの肖像』で昭和天皇崩御から元号が平成になるまでの空白を書いて
一躍注目されたのを思い出した。

荻上チキの番組で、原武史が解説者として呼ばれているけど、国家と法と天皇について
論点が分かりやすいのは当然として、皇族が毎日一般人がまったく見えないところで古来からの
儀式を仕事としてやっている話とか思しろい。

天皇陛下が生前退位の意向を示される。改めて知る『象徴天皇』とは?
https://www.youtube.com/watch?v=KIAk0W6QBI4

319Anonymous:2016/08/03(水) 12:36:57 ID:jYSsHweA0
これは人類史を塗り替えるとまでは行かなくても、文字の起源に大きく近づくことにはなりそう

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/060100194/
古代人は「絵文字」を使っていた?欧州の洞窟壁画に残る幾何学的な記号の謎に迫る

>ヨーロッパの洞窟に描かれた躍動感ある壁画は、多くの考古学者の研究心をかき立ててきた。
>その一方で、こうした絵の脇に添えられることがある単純な幾何学的な記号に注意を払う研究者はほとんどいなかった。
>カナダのビクトリア大学博士課程在籍中の古人類学者ジェネビーブ・フォン・ペツィンガー氏は、これらの記号を詳しく調べ、
>氷河期のヨーロッパ人は3万年もの間、たった32種類の幾何学記号しか使っていなかったと報告している。そして、これらの記号が情報の伝達手段として用いられていて、文字発達の長い歴史の原型となったのではないかと考えている。

>「異なる地域の間で同じ記号が使われていたということはつまり、私たちの祖先が何らかのシステムを
>持っていたということだと考えました」。さらに、フランスの壁画からわかったように初期の頃から
>多様化していた幾何学記号が、ヨーロッパ全域で繰り返し使用されていたことも明らかになった。
>このことから、現生人類はヨーロッパへ到達するはるか以前、おそらくは人類の起源であるアフリカにいた頃に、
>これらの記号を発明していたと考えられる。

320Anonymous:2016/08/28(日) 06:48:57 ID:Q5SQebeQ0
>>283
中国人がシンゴジラをどう深読みするか気になる

321Anonymous:2016/09/09(金) 23:37:04 ID:epbZsCLg0
フロイトって今は批判されることが多いけど、精神分析の歴史ではやはり一番の巨人だと思うね。
ユングどっちを支持?みたいなことを言ってる人もよく見るけど、
フロイトって何もないところにゼロからいろんな話を創りだしたところが一番凄いわけで、
先行者と後継者を比べてもあんまり意味がない。

フロイトっていう叩き台が無ければ、現在もてはやされている多くの思想自体生まれなかった
わけで、言わばオオゲツヒメのように自分自身の説はイロモノ的なものと見られて
残らないけど、タネ、苗床として現代思想自体を生んだと言える。

彼の時代は今じゃ想像できないぐらいあらゆる情報が不足していたんで、
こじつけの天才みたいにならざるを得なくなり、それゆえに実証万能の
現代科学では哲学者という位置づけになったり、現代思想の領域でばかり
評価されるけど、20世紀初頭という時代的制約はどうしようもないわけで。

彼について特に評価されるべきは仮説を立ててモデル化し、そしてスキャンダラスな説を
表立って発表できてしまうところだろう。
彼の宗教・神話への知識を見ても、多分秘教的な人脈につながっていたんだろうことは推測できる。

322Anonymous:2016/09/21(水) 06:43:15 ID:pY6fW8g.0
フロイトってユングと違ってアウトサイダーだったんだよね。
ユダヤ人だったせいで大学にいられず、町医者だったし

323Anonymous:2016/09/27(火) 11:58:06 ID:wnEwYtds0
フロイトに関しては、フーコーの『言葉と物』のこの指摘が一番重要っぽい。

「他のだれよりもフロイトが、人間についての認識をその文献学的で
言語学的なモデルに近づけ、しかも、肯定的なものと否定的なもの
との分割を根源的に消去しようと企てた最初の人でもあったことを思いおこすとき、
いかに彼が、機能、葛藤、意味の用語による分析から、
規範、規則、体系の用語による分析へという移行を予告しているか、納得できるであろう。

こうして、その内部において、西欧文化が一世紀をかけて人間に関する
ある種のイメージをつくりあげた、この知全体は、だからといって
その基本的配置からでることなしに、フロイトの作品のまわりで展開するのである。」

この部分だけ読んでも何のことやらだろうけど、
取りあえず解説しとくと、フーコーは19世紀以降の人文科学の歴史を3段階(3つのモデル)に分けている。
1. 生物学的モデル: 機能の用語で分析
2. 経済学的モデル: 人間&人間の活動は葛藤の場所
3. 文献学的&: 隠された意味を解釈し発見する
 言語学的モデル: 意味する体系を構造化して明らかにする

で、2→3への移行に大きな役割を果たしたのがフロイトだってこと

324Anonymous:2016/10/05(水) 06:58:11 ID:z/4hmV8U0
トランプ人気って結局のところトリックスターとしてだと思う
ヒラリーはそこを理解し損ねると負けるだろうな

325Anonymous:2016/10/07(金) 07:24:31 ID:qWsDe1v.0
全然タイプは違うけど、坂本龍馬もトリックスターだったから人気があるんだと思うね。

326Anonymous:2016/10/08(土) 21:56:52 ID:ZWNLc4eM0
ロックフェラーの後継者U2のボノがトランプをディスりまくった話がちと気になる。
トランプが東部エスタブリッシュメントにとってそれだけ邪魔な存在ってことというか。
トランプがニューヨークの金融資本勢とアメリカの軍需産業群と全面戦争しているところは評価できるんだよね。
今までそんなことやって当選できた大統領一人もいなかったし。

327Anonymous:2016/10/13(木) 00:50:36 ID:G5AOVbj20
トランプは軍需産業と対立してないと思う
軍の一部から支援されてるし

328Anonymous:2016/11/09(水) 23:21:03 ID:GW.gbQIw0
>軍の一部

DIA(アメリカ国防情報局)だね

329Anonymous:2016/11/10(木) 11:07:25 ID:CODR/V8U0
オバマ政権でアメリカ軍の予算は削られまくった。
実は諜報活動っていうのはやたら金がかかるんだけど、事情を知らない人間からすると無駄に見えてしまう。
通常、外部の民間会社に調査を外注したり等、膨大な費用がかかる。
そういうことがどんどんできなくなって、米軍は世界で何が起きているのかわからなくなってきていた。

DIAがトランプを支援するのも当然だと思う。

330Anonymous:2016/11/13(日) 12:21:18 ID:hzHU0tcM0
神話って結局なんなんだろうね。神とは何かという疑問にも通じるかもしれないけど

331Anonymous:2016/11/18(金) 02:16:43 ID:XXiQUdUM0
民族のアイデンティティー、履歴書、出生証明書

332Anonymous:2016/11/18(金) 12:26:25 ID:/.Y0Uk9k0
個人にとって、幼少期の記憶ってのは自我の根幹なわけで、
DNAとこの幼少期の記憶(経験・考えたこと)とが死ぬまで
行動の底流というか根っこにあって、行動指針に強く影響し続けるんだと思う。
その幼少期がないと、ブレードランナーのレイチェルみたいな
人造生命で後から記憶だけを植え付けた存在になってしまうのでは。

民族で考えると、人口民族アメリカ人には神話が無かったのが
それじゃやっぱり落ち着かなかったのか、人々を国につなぎとめて
まとめるのに不都合が多かったのか、後にオズの魔法使いが
アメリカの神話という扱いをされることになった。

あくまでアメリカ白人のための神話が必要だったということで、
単に神話に文化的な意義しかないんだったらネイティブ・アメリカンの
神話で用が足りたはず。

333Anonymous:2016/11/19(土) 14:50:44 ID:21onXwIU0
>神とは何か

これは主に一神教の神についてだけど、先に人間とは何かを考えた方がわかりやすい。
人間とは、制約の中で生きる存在。
時間的にも、空間的にも、能力的にも。
それに対して万能なのが神。
ヨーロッパの文化というのはそういう大前提の元にできている。

335Anonymous:2017/03/03(金) 22:13:18 ID:b7yc/BKQ0
漢字って、中国人にとってと日本人にとってとでは結構違うと思うんだけど、
そういうことについて書いた本って何かないかな?
文化的な解説でもいいけど、どっちてかというと脳科学とか方面で
そういうのも象徴の理解にとって大事だと思うんだけど

336Anonymous:2017/03/04(土) 05:42:35 ID:Fnby7OCk0
中沢新一の『イコノソフィア』の解説がそんな感じのこと書いてたよ。
どっちかというとアルファベットとの比較だけど、ひらがなについても書いてるし。

中国を訪れたフランスの農民哲学者ミッシェル・セールが、すべての土地を
耕し尽くしてしまわれた中国の土地を見て驚いて、ちょっと考察するんだけど
著者の中沢新一は実はそうではなくて、それは漢字文化と根が同じなんじゃないかと語り始める。

彼いわく、

漢字によっておおいつくされたこの意味の世界には、言語的な知性のおよびつかない藪地も
森も林も残されていないように思えるではありませんか。あらゆる森羅万象が漢字の形象で
表現され、まるで田畑が耕されるように、「意味」の大地の上を耕しつくしているように
思えるわけです。しかし漢字は、ヨーロッパの農民たちが感じていたものとはまったく
ちがったやり方で、「意味」の大地を耕していたのです。

337Anonymous:2017/03/04(土) 05:55:39 ID:Fnby7OCk0
ヨーロッパの思考は、言葉をとおして、その場にないものを音声がその場に直接呼びだして
これるという形而上学の神話にかけてきました。言葉がその場にないものを呼び出す力を
もっている点に、彼らは注目したわけです。

もうひとつの点。アルファベット言語では、人間の身体の運動に直結した複雑な生体の
メカニズムの森に直結したものに対して、言葉がそれを抑圧していくような機構となって
働きだすことにある。ここから、たとえばヨーロッパの農民たちが感じていたような、
農耕の作業と言語的知性の働きのなかにはパラレルなものがあるという感性も生まれてきます。
彼らにとっては大地を耕し、「意味」の世界をカルティヴェートする行為は、言語の秩序、
神の秩序を現前させてくると感じられる。人間の耕作の行為(カルチャー=文化)が、
世界の背後にあってそれを支えていると思われる秩序の力の現れを保証する。そして同時に
それは森や藪地を隠蔽し、伐採し、抑圧していく。農民の感覚はその両方のバランスを
保つために、森や藪地を残そうとする。そこではアルファベット言語と、つねにその周辺や
深層に耕されつくさない森や藪地を残していこうとする詩的な衝動が結びついている。
つまり、アルファベット言語においては、詩的な衝動はその言語のもつ強力な抽象性と
深いつながりをもっていることになります。

338Anonymous:2017/03/04(土) 06:01:51 ID:Fnby7OCk0
これに対して漢字は、身体の運動性の先端にたち現れてくる痕跡(トレース)--これを
ジャック・デリダのまねして、エクリチュールと呼ぶこともできるでしょう--が、
そのままの姿でその場にたち現れ、その姿のままで「意味」という空虚を担うようになる。
しかも漢字のなかでは、このエクリチュール性という、漢字のもつ身振り性や運動に直結
したものが最後まで否定しつくされることがないのです。そのため漢字は、その場にない
空虚を呼び戻すという直接的現前の神話をつくりだそうとしないのです。

つまり漢字は、この場にないものとあるものとのちょうど中間点のようなところに立って、
どちらにかたよることもしないという不思議なねばり強さのようなものを備えるように
なっているわけです。この場にないものを呼び出す力をもってはいても、そのものを
直接性において取り戻すことは不可能だと考える文字だといってもいいでしょう。
漢字は魂を呼び覚ます触媒です。しかしそれは直接性を呼び覚ますものではないのです。
と同時にそれは、身体の身振り性を否定し去ることがない。身体的であり、さまざまな
自然物の動作やフォルムや運動を否定することがないだけに、それはこの場にないものの
空虚さのなかに飛躍してしまうこともない。漢字じたいはその生成の時点からこういう
不思議な性格をもってきた。そればかりか、現にこうやって漢字まじりの文章を読んでいる
わたしたちの意識の中でも、中間の薄膜を走りつづける一種のねばり強さと、どちらの
直接性にも落ちこまない老練さのようなものを保ちつづけているわけです。

339Anonymous:2017/03/04(土) 06:28:22 ID:Fnby7OCk0
こういう漢字文化のなかでは、「意味」はこの場にない空虚なものを呼びだし、
その空虚なものが観念的なイデーの世界のなかでみたされるという世界観は
生まれてきませんでした。それはむしろこの世界の「意味」をかたちとして
とらえるような思想をつくりだしてきた。太極とか無と空とか呼ばれる「場」
のなかから、さまざまなフォルムがわきあがってくる。そのフォルムそのものが
「意味」なのだということ、この世界はフォルムとしてつくられ、フォルムが
あるかぎり世界の「意味」はなくならないのだという考え方が、漢字的
思考の背景にあるような気がします。

そうなると、中国人の意味世界のなかでは、無数の漢字がひとつひとつすべて
ちがって、個性をもってくるようになる。それどころか漢字生成の力は無限で、
その生成のプロセスはどこまでもくりひろげていくことができるようなものなのです。
彼らの意識の世界が拡大すれば、それに見合った漢字がつくられてくる。世界の
隅々にいたるまで漢字のフォルムでおおいつくしていける、というわけです。

こういう感覚のなかでは、中国の農民たちが大地を耕すことの意味も、たぶん
ヨーロッパの農民とはちがうニュアンスがあるはずです。農耕は漢字文化を
つくりだした人々にとって、大地のなかからさまざまなフォルムをわきたたせ、
呼びだす行為なのですからね。農民が大地にむかって鋤を振るう、その鋤の
ひとふりひとふりが、太極や無のなかからフォルムをはじき飛びたたせる
原初的なエクリチュールの行為となっていたのです。中国人は大地を農耕地で
おおいつくそうとした。それは無数の漢字でおおいつくされた、アルファベットの
文化圏にはない「意味」の世界をつくろうとした行為とパラレルな光景です。

340Anonymous:2017/03/04(土) 11:41:16 ID:Fnby7OCk0
著者は、従来考えられていた儒教と道教の対立の意味についても疑問を呈したあと、
突然、ガラスの生成について語りだす。ガラスというと、普通は製品になった固体の
ものを考えてしまうけど、実は珪素を溶かし出して流動体にし、それが静止して結晶化
する過程のすべてがガラスだと。そしてまた、次のように語りだす。

341Anonymous:2017/03/04(土) 11:50:15 ID:Fnby7OCk0
漢字という文字じたいがこういう特徴をもっています。漢字は、身体の運動性や
さまざまな自然物のなかにある身振りや運動性がほとばしりでてくる流動の
さなかから、あるフォルムを切りだしてこようとする。そしてその運動そのものが、
じつは漢字生成の力なのだから、その運動が最終的にクリスタル状に結晶して
安定したイメージをもったフォルムがつくりだされてくる、そこだけをとらえて
漢字の本質であるとはいえないのです。流動性をもち、熱せられて溶けて動いている
状態が内蔵しているフォルムの生成力、あるいはフォルムの萌芽のような状態、
それさえもが漢字のなかに保存されている。つまり漢字は運動しているわけです。

こうしてみると、儒教と道教の対立などというものも、流動し運動する身体の
運動性や自然物の身振りがフォルムを切出してくる、そのプロセスのなかにある、
流動状態とフォルムの安定とを対立させるところから生まれてくる考え方なのでは
ないかと思えてきます。儒教は礼儀ということを非常に重んじた。それは、礼儀が
人間の感情や行動や人間同士の関係のさなかに、フォルムをつくりだそうとする
行動のパターンだからです。

342Anonymous:2017/03/04(土) 12:29:10 ID:Fnby7OCk0
儒教は、けっしてプラトニズムの考えでこの宇宙の背後にある秩序や
真理をもとにして、その仁・義・礼・智・信の思想を展開したわけでは
ないのです。仁・義・礼・智・信はまさにフォルムにほかならない
のですから。感情生活、思考生活、そのすべてにおいて均整のとれた
フォルムを切りだしてくることに儒教思想はかけていた、といっても
いいすぎではないかもしれません。儒教にとってフォルムとは、
エティックにほかならないのです。

道教の思想はこれに対して、そのフォルムを固定することを否定して
きました。この世界の意味は、漢字の生成の瞬間にある萌芽のなかに
宿り、「意味」の萌芽がわきたってくる流動状態のなかにこそある--
ガラスの比喩をつかえば、ガラスが結晶し、分子の揺らぎが静止状態
に近づいていくプロセスのはじまりの状態、分子があらゆる方向に
激しく流動し、揺らぎが静止してしまう状態にいたらない流動状態に
こそ、「意味」の根源があると主張したわけです。

343Anonymous:2017/03/04(土) 12:33:32 ID:Fnby7OCk0
ところが漢字は、このふたつの側面を両方ながら一身のうちにあわせもっています。
儒教と道教というふたつの思想の体系に分裂してくるものが、漢字のなかには統一
されてあるのです。この宇宙のもっともプライマルな状態である太極や無と呼ばれる
「場」からフォルムが生まれて、呼び起こされてくる。しかも「意味=フォルム」
は自分の力で生まれてくるのです。

儒教がフォルムの側にむかい、道教がそのフォルムを生成する太極や無や空の
なかへむかおうとしていったその思想的な対立を、もっと深いベースのところで
総合的に支えているのは漢字だということがわかってきます。

344Anonymous:2017/03/04(土) 12:44:41 ID:Fnby7OCk0
「かな」は、日本の古い民族的な宗教思想である古神道の世界と深いつながりを
もっています。「かな」の言葉とは、いってみれば妖精の言語理論のようなものです。
妖精が木の葉の裏に、か弱く、か細くわきたってくる、そういうわきたちの状態に
あるものをとらえる言語思想、それを「言霊」としてとらえてきた精神が、もっと
強固なフォルムを招き寄せようとする欲望をいだいた。妖精の言語が自らフォルムを
招き寄せて、自分の存在できる力をもっと永続させようとする欲望をいだいた。

日本語の言霊のなかにあるフォルムを求める力が漢字を呼び寄せていった。このことに
よって日本語は大きく飛躍することができたわけですけれども、同時にそれによって
日本語の言霊には、漢字に内在するフォルムの力強い安定へむかう儒教的側面が、
強くおおいかぶさるようになってしまったのです。これによって日本語は、身動きの
つかないような堅苦しさを漢字の存在から味わうようになってしまった、というわけです。

345Anonymous:2017/03/04(土) 13:16:58 ID:Fnby7OCk0
空海は、漢字の文化を強固なフォルムとしておびき寄せた。それと同時に、日本語の
なかにおびき寄せられた漢字によっておおい隠されていく日本語の言霊の運動性を、
もう一回彼の芸術的な全生涯をとおして取り戻そうする行動をとったのです。それは
ちょうど彼の真言密教が、古い山岳の宗教の思想が自ら招き寄せたフォルムであり、
彼じしんそれをふたたび山のなかへ帰していこうとしていたのとよく似ています。
だから、彼は書に異様な興味をもった。書には、漢字のもつ自らを開かれたプロ
セスに変えていく能力が、はっきりあらわれているからです。書のなかでは漢字の
もつ全能力、それがはらむ全プロセスがあますところなく発揮されるようになります。

いまや日本語は世界言語の実験場のようになりつつあります。それはヨーロッパの
デコンストラクションの思想によっても解明しつくされなかったものだし、中国の
道教の思想によってもおおいつくせなかったものを自分のうちにはらみながら、
いま言語のもっとも深い謎にせまるいちばん有利な地点に立ちつつあるのです。

日本人は漢字そのものがもつ形式主義的な思考からも脱出して、なにかまったく
新しい「意味」の空間を創出できる、そういう可能性の前に、いま立っています。

346Anonymous:2017/03/05(日) 05:35:33 ID:qL/W0SII0
中沢さんの話は面白いんだけど、またいつもの中沢節というかちょっとレトリックが鼻につく気も。
もうちょっと中国語とか漢文の構造と漢字について分析した人っていないのかな。

347Anonymous:2017/03/14(火) 10:04:44 ID:UxaP1zaI0
 >>117
魚とキリスト教については、この人のツイートも面白かった

>魚といえば、キリスト教のごく初期の象徴として有名である。
>この場合魚は洗礼、水に関わるこの儀式と関連付けられている。
>教会著述家ティルトリアヌスの表現によれば、信者は「小さな魚」、
>洗礼盤を「魚の池」と呼んでいる。また魚を表すギリシア語が、
>イエスキリストを讃える文句の頭文字になっている
https://twitter.com/momijitree/status/840850856127815681

348Anonymous:2017/03/14(火) 10:05:27 ID:UxaP1zaI0
>象徴としての魚はやがてキリスト自身を表すようになり、印章やランプ、
>カタコンベと呼ばれる地下墓所、石棺などに、数多くの魚の象徴が残されている。
>キリスト教には数多くの魚にまつわる説話がある。ヨナと大魚の物語。
>魚に説教したパトヴァのアントニウス。

https://twitter.com/momijitree/status/840858397469696002

349Anonymous:2017/03/14(火) 10:06:49 ID:UxaP1zaI0
>ペテロが魚の口から硬貨を取り出す、貢の銭。司教杖に魚を釣り下げたゼノ。
>パンと魚を無数に分け与えた、パンと魚の奇跡。キリスト教から離れれば
>魚の尾を生やした海神トリトンやネレイスがいる。
https://twitter.com/momijitree/status/840865954913386498

>先の洗礼と魚の関係に付け加えると、人が洗礼によって信徒としての新たな
>生命が与えられることを「われわれは、魚のごとく水から生まれる」と表現していて、
>これは旧約聖書のエゼキエルの予言の「水による清め」に由来するという。
>また、「魚もキリスト教徒も、水なしには生きられぬ」という言葉もある
https://twitter.com/momijitree/status/840873495529639937

350Anonymous:2017/03/14(火) 10:08:04 ID:UxaP1zaI0
>魚にまつわる説話の中から、トビト記を取り上げたい。ここに登場する
>トビアは、天使に伴われる図としてルネサンス時代に愛好された題材である。
>トビアの物語は、イエスに重ねられた奇跡の治療の物語だ。
>「視力と財産を失ったトビトはユダヤ人の捕虜。
https://twitter.com/momijitree/status/840881070203518978

>彼は人に貸した金の取り立てのために息子のトビアを隣国のメディアに遣わせる。
>トビアは家の前で大天使ラファエルと出会うが彼が天使だとは気づかず旅路を共にする。
>ティグリス川のほとりで二人が夜を明かした時、ラファエルの指示でトビアは魚を捕まえる。
https://twitter.com/momijitree/status/840888598039740416

351Anonymous:2017/03/14(火) 10:09:36 ID:UxaP1zaI0
>その魚の胆嚢と心臓と肝臓から薬が作られた。その薬がトビアの妻となる
>女性から悪魔を追い出し、盲目だった父の目を、再び見えるように回復させた。」
>目を見えるようにさせたトビアが、世界に光をもたらすイエスに重ねられた、
>ということである。絵ではトビアは魚、ラファエルは薬箱を持って描かれる
https://twitter.com/momijitree/status/840896151578529793

>以上キリスト教における魚の象徴を書いたが、比較として、簡単に
>エジプトにおける魚の象徴についてもツイートしようと思う。
>エジプトの壁画には双魚が描かれることがある。
>これは二本の糸で捕らえられた二匹の魚。魚たちを繋いでいる二本糸である。
https://twitter.com/momijitree/status/840903695369871360

352Anonymous:2017/03/14(火) 10:10:12 ID:UxaP1zaI0
>こうして魚たちを釣ることで、死者たちは彼らの昨日の魂と明日の魂を
>確保しているという。十二星座の双魚を連想するが、これはエジプトの
>獣帯と言い、起源はメソポタミアにある
https://twitter.com/momijitree/status/840911257175707648

353Anonymous:2017/04/08(土) 15:56:08 ID:jmYLjV2M0
前スレで五行説が形を類型化している話があったけど、西洋については荒俣宏が『図像探偵』のなかで面白いこと書いてた。

IBMイギリスの新進CGアーティスト、ウィリアム・レイザムは言うのだ--どんなに高度で複雑な
図像も、実は四角とか三角とかいったごく単純な<原始形>をいじりまわした結果にすぎない、と。
--中略--
どういうわけか、立方体でも球でも、これを無限に"彫刻"していくと、どんなに摩訶不思議な図像を
作っていくように見えても、それらはやがて私たちがよく知っているいくつかのイメージ・タイプにまとまってしまう。

そのタイプとは、「建築物のように構造的な形」、「ケルト装飾のように幾何学的な形」、
「有機体のようにうねうねとした形」、そして「中世ゴシック風のとげとげした形」。

こいつを言い換えれば、古典趣味、バロック趣味、ロマン趣味、ゴシック趣味といった、
古くさい美術史の用語に置き換えられる。

私たちが哲学だ趣味だ思潮だといって極力神秘めかしてきた美術史上の様式区分は、
すべて、形に対して加える"彫刻"すなわち操作のパターン集として解析できるのである。

354Anonymous:2018/01/27(土) 23:07:03 ID:qqIsYwqA0
>>238
>みんな深読みの癖がついていて、

でも、進撃の巨人って読むとなんか解釈したくなる。アニメじゃあんまり思わなかったけど、マンガの方はかなり

355Anonymous:2018/01/28(日) 23:33:23 ID:gEw8Y9Rg0
>238
>「進撃の巨人はすばらしい。壁は憲法9条を指してるんじゃ?」

これ、当たってるような気がしてた。
神によって作られた、っていうのは、アメリカが作ったことと、思考停止してるってことを言ってると思うし。

356Anonymous:2018/02/11(日) 21:15:43 ID:13/Px5420
そもそも、巨人が何の比喩かがわからん

357Anonymous:2018/09/11(火) 21:02:46 ID:hfEr/4b.0
>>142
>織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3点セットも史実上の人物というだけでなく、

三国志が面白いのも、三つ巴の闘争だからだと思う。
そして玄徳、関羽、張飛がトリオになっているし。

>西遊記、桃太郎、オズの魔法使いに共通して見られる1+3という構図で
諸葛孔明を入れれば、三国志も3+1になる。
あと、三銃士もダルタニアンを入れれば3+1

358Anonymous:2019/03/21(木) 13:03:50 ID:SQf5niQg0
スター・ウォーズって、オズの魔法使いの翻案だったのね
言われてみれば、ブリキの人形なんてほぼそんままだし

359Anonymous:2019/10/31(木) 21:51:49 ID:nRot0xGs0
最近、東日本を襲っている大雨を見て、大本でいう水の洗礼を連想してしまった。
火の洗礼を恐れていたら、今日の首里城が。
平成から令和への切り替わりに伴うことなのか。

被害にあわれた方は大変だったと思うけど、大難が小難で済んだということなのかもしれない。
なんせ前回の火の洗礼は原爆投下だったのだから。

360Anonymous:2021/04/29(木) 22:19:10 ID:BCT3/lYo0
神話の荒唐無稽な設定・ストーリーってなんとなくレトロゲームに似ていませんか?
黄色い口がお化けを食べるとか
ゴリラが高いところからひたすら樽を転がすとか
キノコや亀をふんずけるとか

これらの設定は古いゲーム機の性能の制限からくるものですが
もしかしたら神話の時代にも、物語を作る際に何らかの制限があったと考えることもできるのではないでしょうか。語彙や、聴き手の言葉に対するリテラシー、世界の捉え方や価値観など…
故に神話は「仕方なく」不思議で神秘的な物語となっている可能性もあると考えます。

361Anonymous:2025/04/30(水) 00:32:44 ID:LamTFo3k0
>>149
バイロン・メトカーフ


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