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【芸術表現】象徴とその働き【文化形成】

338Anonymous:2017/03/04(土) 06:01:51 ID:Fnby7OCk0
これに対して漢字は、身体の運動性の先端にたち現れてくる痕跡(トレース)--これを
ジャック・デリダのまねして、エクリチュールと呼ぶこともできるでしょう--が、
そのままの姿でその場にたち現れ、その姿のままで「意味」という空虚を担うようになる。
しかも漢字のなかでは、このエクリチュール性という、漢字のもつ身振り性や運動に直結
したものが最後まで否定しつくされることがないのです。そのため漢字は、その場にない
空虚を呼び戻すという直接的現前の神話をつくりだそうとしないのです。

つまり漢字は、この場にないものとあるものとのちょうど中間点のようなところに立って、
どちらにかたよることもしないという不思議なねばり強さのようなものを備えるように
なっているわけです。この場にないものを呼び出す力をもってはいても、そのものを
直接性において取り戻すことは不可能だと考える文字だといってもいいでしょう。
漢字は魂を呼び覚ます触媒です。しかしそれは直接性を呼び覚ますものではないのです。
と同時にそれは、身体の身振り性を否定し去ることがない。身体的であり、さまざまな
自然物の動作やフォルムや運動を否定することがないだけに、それはこの場にないものの
空虚さのなかに飛躍してしまうこともない。漢字じたいはその生成の時点からこういう
不思議な性格をもってきた。そればかりか、現にこうやって漢字まじりの文章を読んでいる
わたしたちの意識の中でも、中間の薄膜を走りつづける一種のねばり強さと、どちらの
直接性にも落ちこまない老練さのようなものを保ちつづけているわけです。


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