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Web誌友会 板/2

2267ユタカ:2013/07/12(金) 22:35:11 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>そう、どんな問題にも正解がある!


本当ですか!! 嬉しい!!  このWEB誌友会でとりあげられている問題のすべてに正解があるのですね!!!

勉強するのが嬉しい楽しい有難〜〜い! ワクワクどきどきです!!

今自分は、あのお方に感謝しております。。。。 (誰かに石を投げられるかも?! ですが・・・)

2268ユタカ:2013/07/12(金) 22:37:49 ID:R1D4Jmeg

復興Gさまとユタカしかいない気がする・・・(笑)

2269トキ:2013/07/12(金) 22:47:07 ID:77yRiluA
 この経本の問題は難しいと思います。

違法拘束命令、という言葉を聞いた事があります。組織の上司の命令が、違法なものであった場合、この
命令に従うべきか、どうか、という事があります。この問題が議論になったのは、昭和の始めに起こった
二・二六事件でした。あのとき、反乱軍の将校が勝手に天皇陛下の軍隊に命令を出し、その命令に従い
反乱軍の兵隊さんは、陛下の股肱を殺害したのです。この兵隊さんの行動は、上官の命令を忠実に守った
という点だは忠義を尽くしたかもしれませんが、上官の命令が明らかにおかしいのですから、その意味で
は不忠であったと言えます。それ以来、法律の世界でも、この問題は大きなテーマになったと聞きました。

 先日、亡くなられた東京電力の福島第2発電所の吉田昌郎所長(当時)は、大震災のときに、東電本社
が「首相の了解が得られていない」として海水注入の中止を命じたのに対し、吉田氏はこの指示を無視して
注水を継続し被害の拡大を防いだ、とされています.

 もちろん、現場の人間が、勝手な判断を連発したら、組織は崩壊してしまいます。だから、そう簡単に
『命令違反」をしても良いとは思いません。しかし、明らかに指導部が間違った場合、その命令に従う
事が、倫理的に正当化できるか、という事は難しい事です。私自身は、本流復活派の考え方は支持しません。
が、教団指導部は、いくつかの点で間違っています。要は、原則として組織の命令には従うべきですが、
間違った指導に従う事は、それが間違いだと気がついた以上は、従わない事が義務になるのかもしれません。

2270ユタカ:2013/07/12(金) 22:47:45 ID:R1D4Jmeg
う〜〜ん・・・

水でもまだ形があるんだ・・・ もっともっと無形か・・・ 実感してみたい!

>まだ雲でも水でも形がありますから、風とか、岸とかいうものに支配されるのでありますが、「自分」 というものが、本当に無形の存在であるということがわかってきますと、もう何物にも支配されない自由自在な心境にでられるのであります。


 ↑↑ 難しい!!

2271ユタカ:2013/07/12(金) 22:55:46 ID:R1D4Jmeg
>間違った指導に従う事は、それが間違いだと気がついた以上は、従わない事が義務になるのかもしれません

トキ様のような教区の立場の上層の信徒方々が結束して行動したら山が動きそうですが・・・

下層の信徒は(ユタカ)ひたすら神さまに正解を求めていきたい・・・

2272トキ:2013/07/12(金) 23:06:46 ID:77yRiluA
 個人的な考えですが、喧嘩はよくないですが、無闇に従う必要もないと思います。
今の生長の家という組織は、谷口雅春先生や先達が苦労して作られたものですから、
今の世代の私達は、後の世代に継承する義務はあると思います。同時に、正しい教え
が継承される事が大事だと思います。判断基準は外形の行動ではないくて、内心から
判断されるものかもしれませんね。

2273あさひ:2013/07/12(金) 23:22:15 ID:/3nxKE2Q

訊け様

ものすごく有能な訊け様でも むかつく事があるのですね。

意外でした。でも人間的でいいですね。

合掌

2274復興G:2013/07/12(金) 23:23:40 ID:AB6RqYXc

私は今、投稿文を作成中ですが、ここでちょっとお風呂に入ってきます。

風呂から出てから続きを書いて投稿します。

もう夜遅いですから、皆さま、どうぞおやすみ下さい。

では、また明日。

2275復興G:2013/07/13(土) 04:34:14 ID:AB6RqYXc

 無門關の第五則に、「香嚴上樹(きょうげんじょうじゅ)」の公案というのがあります。

 「千仞の谷の上に懸かっている樹の枝を口でくわえてぶら下がっている人がある。手は枝をさわってはならない、脚は樹を踏んではならない。その時に返答しなければならぬ問題を問われて、返答しなかったら首を切るぞ。返答したら口が枝を離れて千仞の谷底へ落ちて死んでしまうぞ。さあ、どうするか」

 という公案(禅の悟りの試験問題)を、香嚴(きょうげん)和尚が出したのですね。

 谷口雅春先生は、『新版 真理』 第3巻で、これについて次のようにご指導くださっています。


 禅は「全」である。禅の悟りは、自分が全局の支配者となることである。対境(対する境遇)に支配されるようではいけない。上の公案では、自分で自分を勝手に縛っている。「手は枝をさわってはならない、脚は樹を踏んではならない」と。ありもしない公案をあるかのように想像して、自分で勝手に「板挟み」に陥っている。それが人生の困難のすべての場合であるのである。

 人生にどんな難問題があるように見えても、本当は問題というものは解決し得るためにあるのである。

 「口で樹の枝にぶら下がっていて、さあ返答せよ」と言われる場合、口をひらいたら千仞の谷に落ちるというが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、枝を握ることを忘れているだけのことである――と。


 『無門關解釋』には、戦時中にあった体験として、次のような話が書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 何故この公案がそんなにも馬鹿々々しいものであるかというと、机上の閑(かん)空想の葛藤であるからである。

 葛藤本来なく、進退両難本来なしであるのに、わざとわが心で葛藤を作り、進退両難を爲(つく)っているからである。

 「口に樹枝をふくみ、手に枝を攀(よ)じず、脚に樹を踏まず、樹下に人あって西来意を問わんに……」というのが、何故に進退両難であるか。

 手が枝に触れなかったら、みずから能動的に手を動かして枝を握れば好いではないか。枝を握って口を離して、さてそれから祖師西来意に就て応答すれば好い。何処にも事実上進退両難はないのである。

 進退両難の原因は「手は枝を攀じず」と自分自身本有の自由自在の力を限ってしまったところにある。それは白墨の線を自分を縛る綱だと思って身動きの出来ないような自己暗示に陥った鶏の不動金縛りと同じことである。

 不動金縛りは自分の心の中に在る。心から不動金縛りを取り去ったとき、吾々はいつでも進退両難の窮境から脱却することが出来るのだ。何故なら、

 進退両難の窮境は実相に於ては無いものであって、唯空想の中にのみ存するものに過ぎないからである。


 太平洋戦争中の事である。ある日、私はいつになくAKのラジオのスイッチを拈(ひね)って見たら、そこに語られている話は航空兵田中曹長の美談であった。

 話の前半は聞き洩らしたので何処の戦闘の時であるかは知らない。上官下方(しもかた)准尉の操縦せる飛行機は不幸にしてそのエンジンの一つに敵弾を受けた。味方の陣地に帰還するには距離が遠いし、予備のエンジン一個のみの力では力が足りずにズンズン機体が下降して行く。

 下方には敵軍が待ち設けていて、飛行機が落下したら、それを鹵獲(ろかく)し、乗組員を捕虜にしようと待ちかまえている――まことにこれこそ進退両難である。下方准尉は捕虜になり機体を鹵獲せられるのは残念であるというので、潔(いさぎ)よく機体と共に自爆せんものと、既に自爆の準備を行っているのが田中機からは見えたのである。

 田中曹長はそれを見ると大声で「自爆しては可(い)けない。死するばかりが忠義ではない。生きられる限り生き伸びて最後の一分間までも自分の任務のために尽くすのだ。低空飛行をして続く限り味方の陣の方へ引返せ」と呼ぶけれども、それは無論聞えはしないのである。田中曹長は仕方がないから空中に大きく字を書いてその旨を合図する。

 下方准尉はその合図に気が附いたものか自爆を中止して、エンジンが傷ついて浮揚力の少い飛行機で低空飛行を続けて味方の陣地へ引返そうとするのだけれども、機体は愈々浮揚力を失って、敵陣の中へ滑走状態で墜落した。田中曹長は上空から見ていると、下方機は道なき道へ滑走状態で墜落したと見る間に、地面の凹凸に衝突して顛覆して破壊した。
<つづく>

2276復興G:2013/07/13(土) 04:34:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 と、下方准尉は機から這い出て来て機密書類を焼却していると、敵兵が周囲から集って来て下方准尉を包囲攻撃する。附近部落の村民まで出て来て敵軍に加勢する。下方准尉は拳銃を以てそれに防戦するのであったが、敵は多勢であり、味方は一人であり、拳銃の弾が尽きたら万事休すである。

 田中曹長はそれを上空から見ていたが、加勢に自分が降りて行って下方准尉を自分の飛行機にのせて還って、その急場を救いたいと思うのだけれども、適当な着陸地点がないから、もし着陸せぱ下方機と同様に顛覆して、もう再び空中へ舞い上ることが出来ない。そして味方の重要な飛行機が無駄になるのだ。

 又仮令(たとい)無事着陸しても下方准尉を救い還るには田中機は一人乗りだ。もし自分が救援に赴かなかったならば、下方准尉はあのまま敵の重囲に陥って戦死してしまう。

 それでは上官を見殺にしたのであって、自分の日本魂が満足しない。右するも死、左するも死である。「香嚴上樹」の架空的な机上の閑葛藤とは訳が違ふ.、真(まこと)にこれ如実に進退両難である。

 その時、田中曹長は、此の進退両難の世界から跳び出した、そして矛盾のないただ一筋の道に驀然として突きすすんだ。

 (私が此の講話を生長の家本部の道場でしたときに、企画部の星君が私のあとに道場で立ち上って、田申曹長が生長の家誌友であって現在内地に無事帰還していて、その体験談を誌友会で述べたということを発表せられた。)

 かくの如き危急の世界に於てさえも生長の家の悟りから見るときには、「進退両難」などというものはないのである。肉体は本来無く矛盾も本来無い。着陸地が無いということもない。「着陸地が無い」ということは、ただ心の世界に空想に描いた閑葛藤に過ぎないのである。着陸の必要がある限り、着陸地は到るところにあるのである。

 田中曹長は空想に描いた「着陸地なし」の閑葛藤を見事に截断(せつだん)して、敵兵の群がる頭上へ滑走状態で着陸した。敵兵は逃げまどう。滑走する田中機の下敷になって職死する敵兵は無数である。

 閑葛藤を見事に截断した田中機は、見事敵兵が虚を衝かれて退くところを、下方准尉に応援し、既に疲労してふらふらになっている下方准尉を「上官殿、私の飛行機に乗って下さい」と負うようにして、その一人乗の田中機に乗り込んでエンジンにスタートを掛けた。

 もう進退両難などは田中曹長の前にはないのである。

 「一人乗りの飛行機に二人乗らせては飛行出来ない。飛行出来なかったら戦死か捕虜かどちらかより仕方がない。この場合どうするか。」

 ――香嚴和尚ならば、こんなことを進退両難の葛藤の公案として弄(ひねく)りまわすかも知れないけれども、実は進退両難などは空想上の弄戯(ろうぎ)に過ぎないのである。二人を乗せた一人乗りの田中機は無事離陸して味方の陣地へ帰還したのである。

 だから無門が、此んな進退両難を公案に持出すなど「香嚴(きょうげん)真の杜撰(ずさん)、悪毒尽限無し」と酷評したのも無理はないのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「人生にどんな難問題があるように見えても、本当は問題というものは解決し得るためにあるのである。」

 「進退両難」というのは空想に過ぎない。実相においては、「進退両難」というものは「無い」のである。

 ――うーん、すごいことですね。

<< どんな問題にも正解がある!

 ひたすら神さまに正解を求めていきたい・・・ >>

 ――それで行きましょう。神様を信じて、明るく驀進しましょう。

2277ユタカ:2013/07/13(土) 05:38:11 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

有難うございます、素晴らしいお話に涙がでてしまいました・・・・

2278あさひ:2013/07/13(土) 05:43:30 ID:/3nxKE2Q

復興G様

>「口で樹の枝にぶら下がっていて、さあ返答せよ」と言われる場合、口をひらいたら千仞の谷に落ちるというが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、枝を握ることを忘れているだけのことである――と。

そうですよね。   合掌

2279ユタカ:2013/07/13(土) 05:51:42 ID:R1D4Jmeg

そして、田中曹長の行動はまさに天地一切のものと和解する祈りに通じるように思いました。

>妖雲べきべきと空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態たる状態 ((裁判・新経))) が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。


心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。<<


私達は、つぶやいていないで、もっと智慧をだして勇敢に行動しなければ!

それは建設的な思想で建設的な行動で、と思います。 情けないことに、具体的にどういう行動になるのか解りません。。トキ様でしたら、どのように教区で行動なさいますか?建設的なこうどうでしたら・・・

2280復興G:2013/07/13(土) 05:53:28 ID:AB6RqYXc

 『新版 真理』 第3巻 p.282〜p.284には、次のようにお教え下さっています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   問題は既に回答があるのが問題だ

 ところで、人生にどんな難問題があるかのように見えましても、本当は問題と云うものは解決し得るためにあるのであります。数学の問題でもそうです。どんなにあなた自身にとって解決し得ない問題でも、実はその回答は既にあるのですが、自分がそれを算出し得ないだけの事なのであります。

 口で樹の枝にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞(仞は一尺の八倍。八千尺)の谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を握ることを忘れているだけのことであります。

 この「動けるだけの力を、その時、その場、その人に適する相(すがた)に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。

 「禅機の把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行きとどいてあらゆる点を動かし得ることであります。これは心が全相(あらゆるすがた)に達したときに出来るのでありまして、心が一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気をとられて、他になすべき道が無数にあるのに、それを行なうことが出来なくなるのでありまして、自分で自分の力を「これ位のもの」と限ってしまうから二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなるのであります。
 『大乗起信論』には、「心、全相に達せざるを迷いと云う」と云うことが書かれております。あらゆる部面を悉く知って適当な行いが出来ないのが迷いなのであります。

 そこで全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。

   人間は本来大力量である

 『無門関』に「大力量人」と云う公案がありまして、松源(しょうげん)と云う和尚が、「大力量の人、何によってか脚(あし)を擡(もた)げ起さざる」と云っています。そしてその公案の終りに、

 「脚を擡(もた)げて蹈翻(とうほん)す香水海」

 と書かれています。香水海と云うのは、釈尊時代の印度の天文学では、この宇宙は須弥山(しゅみせん)と云う山が中心にあって、その周囲に金剛囲山(こんごういせん)と云う金剛不壊(ふえ)の山脈が、何条にも取囲んでいる。その山脈と山脈との間に香水の海があると考えられていたのを引用したのですから、香水海と云うのは、「銀河系宇宙」全体と云うような意味であります。

 「何故お前は本来神の子であるのに、脚を擡(もた)げてこの宇宙全体を蹈翻(けとば)すことが出来ないのか、出来るではないか」と云う強い自覚を促す言葉がここに書かれているのであります。

 本当にあなたが自分自身の無限力なる「神性」を自覚したならば地球ぐらいは蹴とばすことが出来るのが当り前なのであります。キリストも「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあれば、この山に動いて海に入れと云うと雖も、必ず成らん」と教えているのであります。これが生命の実相をさとった境地であります。

2281ユタカ:2013/07/13(土) 06:06:29 ID:R1D4Jmeg
あさひさま


訊け様

ものすごく有能な訊け様でも むかつく事があるのですね。

意外でした。でも人間的でいいですね。

合掌


ありがとうございます。これはもしかすると、神さまが、もっともっと、復興Gさま、トキさま、訊け様たちに『感謝』しなさい という意味なのかも知れませんね。
と言うか、私はそう思って感謝します。(今はWEB誌友会が始まっているので、心の中から、訊けさま始め皆様に感謝の念を送っています。)ありがとうございます。合掌。

2282復興G:2013/07/13(土) 06:15:03 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、あさひ様、皆さま、ありがとうございます。


 「行動」は、無鉄砲な、軽はずみな、心が一部にのみ引っかかっているような行動ではいけない、と思います。

 「抗争」であってはいけません。

>>全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。<<

 とお教え頂いているのであります。

 自分の中に宇宙がある。自分は宇宙である。すべての根源なるものである。一切者である。だから、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのである! 山に動いて海に入れと云うとも、必ず成るのである!

 ありがとうございます。

2283ユタカ:2013/07/13(土) 06:30:25 ID:R1D4Jmeg
>『自分の中に宇宙がある。自分は宇宙である。すべての根源なるものである。一切者である。だから、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのである! 山に動いて海に入れと云うとも、必ず成るのである!』

カーーーー!!! ここはカァっっコイイ!! 谷口雅春先生、素晴らしい!!

心がドンドン明るくなってきます。 復興Gさま、万歳!! WEB誌友会 万歳!!

みなさま、万歳!! 有難う!有難う!! 万歳!! 万歳!! 嬉しい!嬉しい!!

2284a hope:2013/07/13(土) 09:03:56 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます!
最近外回りの仕事が多くて、暑さにやられてしまったようです(;'∀')

昨晩、web誌友会の合間に、榎本先生の『「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書』を拝読していると、
天国にいるように気持ちよくなってしまって、ちょっとソファーに横になったらそのまま爆睡してしまいました....

きっと、人間無限力の真理をまことに悟っていれば、暑さや仕事で肉体が疲労するなんてこともなくなるのだと思います。
もっと、もっと「生命の實相」を拝読して、無限力を発揮できるようになりたいです。

これから、昨晩からの皆さまのご投稿を拝見します。

2285a hope:2013/07/13(土) 09:30:16 ID:edEDolt2
>>2263 ユタカさま

<<生命の実相を熟読して考察する事は、なんと、嬉しい、有難いことでしょうとおもいます。 >>

同感です!!!!

2286トキ:2013/07/13(土) 09:43:12 ID:CtPMtdp6
おはようございます。

 何であれ、迷った時は、生命の実相」を拝読すると、その中に答えが書いてあると思います。
具体的に答えがかいてなくても、読めば、何か、答えにつながるご文章があります。

2287a hope:2013/07/13(土) 10:25:13 ID:edEDolt2
>>2264復興Gさま

今回も、わたしの問題提起を取り上げて下さいましてありがとうございます。

わたしが「生長の家の教え」を信仰したのは、聖典「生命の實相」に魂を震わしからでした。
その後、教団の信徒となり母親教室や、勉強会、練成会などに参加させていただいているうちに、
徐々に生活のリズムが狂いはじめ、体調を壊していったのです。

雅宣先生の教えは、現象のことばかりです。
一方、『生命の實相』では、「現象なし」です。

当時は、その矛盾がわかりませんでしたからわたしの魂は混乱しました。

そのうちに、神想観をしても落ち着かなくなり、あれほど魂を震わせた『生命の實相』を拝読しても、
その意味が通じないばかりではなく、拝読するのが苦痛にすら感じてしまうようになりました。

一時は寝たきりのようになってしまい、約3年前は子どもたちも今よりも手がかかりましたから、
家族に大変な迷惑と心配をかけてしまいました。


ですから、わたしは「生長の家」で二元論的見解をすることの危険性は、人一倍わかっているつもりです。

わたしの言う、雅宣先生の二元論的見解とは、
「現象なし」「唯神実相」を口では説きながら、実際は「現象(物質)」を見ていて「人間の罪」を認めてしまっている見解のことです。

雅春先生も、「生命の實相」で二元論的見解は決して許してはならない「虚説」であるとハッキリおっしゃっていますよね。

わたしは、たとえ、それが生長の家の総裁先生のお言葉であろうと、
わたし達は、まことに「生長の家」を信仰していくためにはそれを決して許したらいけないと思います。

なぜなら、そういう見解は、人々の魂を迷わせを不幸にしてしまうからです。

その点、榎本恵吾先生は、まことの「唯神実相」を悟られていたのだと感じ安心して御文章を拝読できます。
そのご文章の放つ波動は人々に「神の子」の自覚を目覚めさせ、人々の魂を向上させる働きがあるのだと思います。


わたしの今感じていることを、素直に述べさせていただきました。

合掌。

2288復興G:2013/07/13(土) 11:54:10 ID:AB6RqYXc

皆々様

ありがとうございます。

毎回のweb誌友会で、いちばん勉強させて頂いているのは私であると思い、感謝しています。

今回も、そうです。

今回の第15回web誌友会は、15日(月・休日)の23:00までですね。歓喜に満ちて深く勉強研鑽させていただいています。ありがとうございます。

本日午後はリアルの誌友会に出講することになりましたので、夜までPCから離れます。

離れる前に、今回のテキスト 『生命の實相』 第3巻の最初に、「七つの燈台の点燈者の神示」 として、8つの重要な神示が掲載されていますが、その中の一つ、「無病常楽の神示」を謹写掲示させて頂きます。

<<   無病常楽の神示

 病んでいると言う病いは本来ない、苦しんでいると言う苦しみは本来ない。『これだけ自分は苦しんでいる』と、その苦しみを自慢にするような心は、却って病気を招く心である。

 キリストの受難に倣(なら)って自分も亦苦しもうなどと言う心も愚な心である。キリストは神性であるから未だ嘗つて一度も受難はない。十字架も受難ではなく受苦ではなく法楽である。神の子には『難』の受けようがなく、『苦』の受けようがなく任運無作(にんうんむさ)、法爾自然(ほうにじねん)、水の流るるが如く、すべてが惟神(かんながら)の法楽である。

 斯くの如く悟るとき苦しみを自慢にする心も苦しみを厭(いと)う心もおのずから消え去ってしまい、苦もなく、艱難もなく、苦楽を超越した本当の楽想(らくそう)を生じ、吾れが一変し、天地が一変し、人生はただ歓びの讃歌に満たされるのである。

 実相は苦楽を超越する法楽であって、実相をもって苦もなく楽もないと言うのは謬見(びゅうけん)である。

 汝らが『楽』と称する『楽』は本当の『楽』ではないから、『楽』を求むれば必ず苦を生ずるのである。五官のうちに、感覚の惑わしのうちに『楽』があるとするのは謬見である。五官の『楽しみ』はその本性(ほんしょう)決して『楽』に非ざるが故に『苦』に変ずるのである。

 実相はかくの如き仮相(けそう)の苦楽を超越すれども、真相の『楽』そのものである。法悦そのものであり法楽そのものである。その『楽そのもの』が『常住の我』であって、これが『神の子』である。『神の子』が『人間そのもの』であって、その外(ほか)に『人間』はない。

 人間とは常楽を言い、無病を言い、不苦を言い、不悩を言い、不壊(ふえ)を言う。肉体は『人間』ではない。人間の心の痕跡(こんせき)であり、足跡(そくせき)である。破壊すべきものは人間ではない。汝らよ、汝ら自身の不苦不悩無病の実相を見よ。
     (昭和七年十一月十日神示)>>

 ありがとうございます。

2289ユタカ:2013/07/13(土) 13:51:42 ID:R1D4Jmeg
神ひとに語り給う
「病んでいると言う病いは本来ない、苦しんでいると言う苦しみは本来ない。『これだけ自分は苦しんでいる』と、その苦しみを自慢にするような心は、却って病気を招く心である。

 キリストの受難に倣(なら)って自分も亦苦しもうなどと言う心も愚な心である。キリストは神性であるから未だ嘗つて一度も受難はない。十字架も受難ではなく受苦ではなく法楽である。神の子には『難』の受けようがなく、『苦』の受けようがなく任運無作(にんうんむさ)、法爾自然(ほうにじねん)、水の流るるが如く、すべてが惟神(かんながら)の法楽である。」

「任運」といふのは運に任せて、「無作」といふのは計らいがないといふこと、”そのままの心”でゐるといふことです。「法爾」というのは、法そのままです。 法そのままの動きにまかせるのです。「法」とは真理であります。
真理の内部的催しそのままに自然に動き出して、ちょうど、水が高いところから低いところへ流れるようなものであって、すべてに無理がないのであるといふことであります。すべてに無理がないから、其処には楽があるばかりであります。その楽は人間が工(たく)する人工的な楽ではないから、「すべてが惟神(かむながら)の法楽である」と示されてゐるのであります。 「惟神(かむながら)」といふのは、”かみながれ”といふこであります。「神催し」と言ってもよいのでありますが神様のおはからひから自然にもよほす流れのままに生き、動き、生活して行くことであります。

そこに真理の喜びといふものが湧いてくるのであり、これが法楽であります。 日本では「神ながら」といふ場合に「惟神(ただかみ)」と書いて「かんながら」と読む習慣(ならはし)になってゐるのは、神のみが実在であり、そのほかのものは、妄想だといふことを何となく知ってゐたと思はれます。

2290rei:2013/07/13(土) 14:15:26 ID:ZIftZ1jM
合掌
ありがとうございます

ユタカさま
後方にて参加させて頂いております。
発言しないのはポイントがずれないようにとの思いです。
ユタカさまとa hopeさまの質問がとてもわたしの疑問と同じだからで
その通りその通りと頷いてますよ。ありがとうございます。

訊けさまは、初めて本音を語ってくれたみたいで、好感を持っています。
あなたの「自分はみ教え擁護です」という発言はとても私の心を打ちました。
またここへも出てきてくださるといいなと思っています。

復興Gさまいつも本当に感謝しております、ありがとうございます。
 
再拝

2291ユタカ:2013/07/13(土) 14:20:16 ID:R1D4Jmeg
> 斯くの如く悟るとき苦しみを自慢にする心も苦しみを厭(いと)う心もおのずから消え去ってしまい、苦もなく、艱難もなく、苦楽を超越した本当の楽想(らくそう)を生じ、吾れが一変し、天地が一変し、人生はただ歓びの讃歌に満たされるのである。

 実相は苦楽を超越する法楽であって、実相をもって苦もなく楽もないと言うのは謬見(びゅうけん)である。

ここが大切ですね。「苦楽を超越した本当の法楽」でないと本物でない。今迄「楽」と思って快楽を続けてゐると、それはやがて「苦」に変わってしまうのです。苦しみをさけて楽を得たいとか、肉体の快楽を得たいとかいふその「楽」では、それは相対的な「楽」でありますから、相対条件の如何によって変化するのであります。肉体の五感のたのしみはそれを嘗めてゐるうちにその快楽が苦しみに変わって来るのです。 ご飯でも「うまいなぁ」と思って食ってゐると、あんまり食べ過ぎると、お腹をこはして苦しみに変わって来るのであります。”性”の快楽などもあまり貪ると心身困ばいしてノイローゼになってしまふ。麻薬を吸引して恍惚となってゐると、それが習慣になると大変な苦痛となる。

さふいう苦楽を超越したところの絶対的なものが「法楽」であるのであります。「自分」といふものがある間は「自分」と「他」と、或いは「自分」と「神」とが対立してゐる。

対立は摩擦であるか、絶縁であるか、どちらかで、ピッタリ「一つ」になることが出来ない。先ず自分がなくなることが必要である。「自分」がなくなり、カラッポのパイプの中へ水が流れいるように「神」を流れ入らしめたら、「吾が一変し、天地が一変し、人生はただ、歓びの讃歌にみたされるのである。実相は苦楽を超越する法楽であって、實相をもって苦もなく楽もないと云ふのは謬見である」といふような状態が自分自身の生きた体験として味はふことができるやうになるのであります。

2292ユタカ:2013/07/13(土) 14:36:25 ID:R1D4Jmeg
>汝らが『楽』と称する『楽』は本当の『楽』ではないから、『楽』を求むれば必ず苦を生ずるのである。五官のうちに、感覚の惑わしのうちに『楽』があるとするのは謬見である。五官の『楽しみ』はその本性(ほんしょう)決して『楽』に非ざるが故に『苦』に変ずるのである。

楽をしたい楽をしたいと思ってゐると益々苦しみになる。例えば、覚醒剤を注射したら苦しみがなくなると思って注射すればするほど、覚醒剤中毒にかかって苦しみは増えて来るし、酒を飲んだらしばらくの憂さ晴らしができるかと思ったら益々苦しみは増えて来る。財産でも殖やしたら益々楽かと思って財産が殖えると、貧乏の親戚などが無闇に無心にやって来る。いろいろの団体から寄付金の強要にくる。強盗は来るし、税務署から呼び出しがあり、行かなければ、叱られた末、税金は取られるし、いろいろのたかりが集まって来て厄介は益々殖え、それに対する処置に困るーーーといふことになって、一向「楽」といふものは出て来ないのであります。だから神さまは「楽を求むれば必ず苦を生ずる」とお示しになってゐるのであります。

2293a hope:2013/07/13(土) 14:55:48 ID:edEDolt2
>>2287 で、わたしの経験と考えを宣べましたが、
もし、わたしが3年前から『生命の實相』だけを唯一の教えとして信仰していたら、
つまり、教団と関わらず、雅宣先生の教えも知らなかったらどうだったのでしょうか。

おそらく、あんなに体調や精神状態をおかしくすることもなかったかもしれません。

でも、今はそんことすべてに心から感謝しています。

そして、今、わたしは自分の使命を感じています。

それは、「生長の家の教え」で病気を克服したり、生活苦を解消したり、
人間関係を改善したりした人たちがその後、使命感をもって、
伝道に励まれるのと同じ気持ちなのではないかと思います。

わたしは、これから「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ!

と、声を大にして発言していかなければいけないような気がしています。

また、谷口雅春先生の教えではあっても、自分たちがしている運動(政治運動など)に都合の良いものだけを信仰して、
都合の悪い教えには目をつぶるというのも正しい信仰姿勢とは言えないのではないかと思います。


今、大切なのはことは基本に戻ることです。

基本=「生命の實相」=和解・大調和・感謝 です。

教団も、学ぶ会さまも、ときみつる會さまも、個人で信仰している方たちも、
すべての信徒が聖典「生命の實相」に戻りそれを忠実に勉強していけばおのずと一つになれるはずです。
だって、「生長の家の教え」はそういう教えなのですから・・・・。

2294ユタカ:2013/07/13(土) 15:03:23 ID:R1D4Jmeg
>実相はかくの如き仮相(けそう)の苦楽を超越すれども、真相の『楽』そのもおうたいのである。法悦そのものであり法楽そのものである。その『楽そのもの』が『常住の我』であって、これが『神の子』である。『神の子』が『人間そのもの』であって、その外(ほか)に『人間』はない。
人間とは常楽を言ひ、無病を言ひ、不苦を言ひ、不悩を言ひ、不壊を言ふ」

實相といふものは、相対の「楽」ではなくて、「絶対楽」であり、その「楽」そのものが「本当の人間」だといふのであります。「本当の我」と「楽」とは一体であるといふので、ここには涅槃経の”常楽我浄”の大乗佛教思想と同じものがあらはれてゐるのです。苦しんでゐるのは「本当の我」ではないのであって、「本当の人間」とは常楽即ち常に楽しいのであります。「人間」とは本来無病のものなのです。
「人間じやもの四百四病の病ひの容れ物だ」なんて言ふ人がありますが、決してさうじやないのでです。人間が病気するんじゃなくて、人間の”抜け殻”が病気をするのです。本当の人間は「神の子」ですから、絶対に病気もしないし苦しみもしないのであります。

だから、神示には「人間とは常楽を言ひ、無病を言ひ、不苦を言ひ、不悩を言ひ、不壊を言ふ」とあるのであります。「不苦」即ち苦しまない、「不悩」即ち悩まない。「不壊」即ちくだけないところの、「常」であり、「楽」であるところの「真我」が「本当の自分」なのであります。常に無常で、うつり変わるところの肉体は「人間」ではないのであります。だから、(つづく)

2295ユタカ:2013/07/13(土) 15:35:26 ID:R1D4Jmeg
>肉体は『人間』ではない。人間の心の痕跡(こんせき)であり、足跡(そくせき)である。破壊すべきものは人間ではない。汝らよ、汝ら自身の不苦不悩無病の実相を見よ。
     (昭和七年十一月十日神示)>>

だから、(つづき)↑と示されてゐるのであります。
肉体の現在の状態は心の足跡でありますから心がどこを歩むかとふことによって、肉体の健、不健の状態の現れやうが変わって来るのであります。肉体は人間じゃなくて「心の痕跡」であるとは巧みな形容であります。だから、肉体に病気が現れてをつても、それは「人間」が病気をしてゐるのではなくて、「心の足跡」gsそんな姿にあらはれてゐるのに過ぎないものですから、「病気は無い!」とはっきり言へるのであります。たとひ肉体に病気があらはれて人から「お前、偉そうにいったって病気しとるんじや」と言ふことになるのであります。


森川政輝といふ人が、唯今、小豆島の観海楼といふ旅館の料理場の主任になってゐるのですが、この人は、唯今、生長の家の教化支部長として、関西教区方面にいられる秋月暁君といっしょに、私が住吉に居った自分に生長の家本部にやってこられたのでした。そのころ京都の宇多野療養所にをって二人とも肺病で、なかなか治らないで悲観しておられた。所がたまたま『生長の實相』を読んで生長の家にやって来て、一ヶ月位私の家に通って私の話をきいて私と一緒に神想観をした。
それで二人とも治って健康になったのですが、その治りつつある頃に森川政輝君は、あれは何とかいふ紀州淡輪(きしゅうたんなわ)にある淡輪ホームという療養所にをられましたが、ある日、その療養所から私に手紙を寄こされたのでした。何と書いてあったかと言ふと「私は、病気でねてゐながら、病気をしてゐない、”本当の自分”といふものがあるといふことがわかりました。」かふいふ手紙を寄こされたのであります。

かうして肉体は病気しても「本当の自分」は病気してゐないといふことがわかったといふ悟りを手紙に書いて寄こすやうになってから病気が完全に治ってしまったのです。

2296ユタカ:2013/07/13(土) 16:32:45 ID:R1D4Jmeg
それからもう二十数年にもなりますが、其後、諸方へ転々として行かれたらしいのですが、今では観海楼の料理場の主任をしてゐて、料理が美味しいというので評判がよい。どこで料理の仕方をおぼえたのか知らんけれども、観海楼に行くとあの人が僕に特別に念を入れて料理をしてくれる。旅館の板前の主任をやっているのいで、ただの料理の職人かと思ったら、ちゃんと立派な二回建の自分の家を一軒建てて、裕福に暮らして人間とし成功していられます。「かうなったのは先生のお陰です」と会ったときお礼を言ってゐられました。

もう一人の秋月さんも生長の家で肺結核が治って、一時大阪で生長の家の講師をしておられたが、その後、途中で信仰がふらふらになり、脱線しましたら、再び結核が再発したのかどうか知らぬが、顔色が黒っぽい紫色の所謂悪液質みたいになり、やせ細りましてもう顔に死相があらがれたやうになってゐました。これは罰が当たったじゃないのであります。

生長の家の神様は罰を与へないけれども、自分自身で自己処罰して罰を当てるのです。それで一時瀕死の状態みたいになってをられましたが、 今まで自分は間違ってゐた、生長の家で一ぺん生命が救われてゐながら、生長の家をはなれるなんて申し訳なかったと気がついて再び生長の家にもどって来られて、生長の家講師として人を救う愛行をして生涯を捧げようと決心されて、わが身の病気をわすれて、人を救うために真理を説いてあるかれたのです。

あの人の話は面白いのでなかなか評判がよい。落語家の金語楼みたいな風格があり、人を笑わせながら真理を説くのが上手なのです。さうして愉快に楽しく心を明るくする真理を教えて歩いているうちにまた、健康が回復してぷくぷく肥えてこられました。

人間は「肉体」ではないのですから、霊であつたら、普遍的の存在であり、自他一体でありますから、他を生かすようにしてゐれば自分が生きてくるようになるのです。

他を生かすことを止めて利己的になり、互ひの恩愛を遮断するようになると、大生命の流れがそのままに現象化しないで病気があらはれます。「人間は神の子である。」といふことを本当に自覚したら自然に他の人にもその真理を伝えたくなるのです。他に伝えたくないやうだったら、「人間・神の子・自他一体」の真理を自覚していない証拠です。

「報恩行についての神示」にありますやうに、吾々は、神さまの真理を知らしてもらふ機縁を与えて下さった橋架けなった人ーー真理と縁を結んでもらったひとに対して、その恩といふものをわすれてはならないのです。

生長の家の誌友は生長の家といふ縁を通して、神様を知らしていただいたのでありますから、「もう真理を知ったから、私は神さまと直結だ。もう生長の家など通さないでよい」などと恩を遮断すると、其の生命を断ち切る心の反映として、現象的に病気その他の不幸があらわれてくるのであります。

生長の家の教へは簡単ですから、もう知ったら止めようとおもったらいつでも止めれるけれども、知るという事と体得するといふ事とは違う。

生長の家の真理の書物は非常に沢山ある。他のどの宗教にも無いくらゐに沢山あるけれども、 簡単に言へば縦の真理は”人間・神の子”ということであり、横の真理は ”環境も肉体も吾が心の影” といふことで、縦と横との二つの真理で、それでおしまひだ。

「それでわかった。はいさやうなら。人間は神の子だから自分は神の子で神さまは親だから『子』と『親』とこれから直通だ」といふ訳で、相愛会へも教化部へも道場へも往かぬ。

そして「わしはわしで独立独歩の神さまの子だ」と考える人もあるけれども、それはやっぱり間違ってゐるのであります。 それは人間といふものが、神さまとのみ直通してゐると考えて、神の子の相互連関による孤立した存在ではないといふところの真理を忘れてしまってゐるのであります。

人間は「全体」の中にゐるところの「一人」であって、全体とのつながりに於いて生かされてゐるのであるといふことが神の子の自覚であるといふことを忘れてしまって、自分だけの力で神さまと直通だ!というやうな考えをおこしてゐるから、さういう間違った考へを起こすことになるのであります。

2297ユタカ:2013/07/13(土) 16:49:35 ID:R1D4Jmeg
臨済宗方広寺派の管長足利紫山労師が大分市の関川晃代さんに言はれた言葉に「あんたは、生長の家によって真理を悟らしてもらったんだから、ほかの宗教によろめいては行ってはいけませんよ。信仰にも貞操がなければならない」といふのでありますが、まことにそうであります。

「萬教は唯一つの真理に帰するから、何処へよろめいていっても同じぢやないですか」という理屈づけをして他の宗派をのぞいてくる人がありますが、これは自分の神性をはらかして頂いた「因」に対する純潔を欠いてゐるので、なんぼう偉さうに道をといてもいけないのです。

嘗て講談社の校正係をしとつた人で、人を恨み憎んでころしてやりたい位だったその恨みが、生長の家の神示を実行して消えた。そして今は清々しい気持ちになれた。その恨みが消える方法を教えてもらったのは生長の家のお陰であるというので、毎年二、三回は必ず、私にお礼の手紙をよこす人がありますが、さういう人は、本当に因縁の理を知り、恩を忘れない立派な人だと言はなければなりません。



以上  神 ひとに語り 給ふ  無病常楽の神示 講義   謹写を終わります。(漢字を現代漢字に変えています)



2298トキ:2013/07/13(土) 18:40:21 ID:CtPMtdp6
 私が大学時代、教授から言われた言葉に

 「わからなくなったら、原理原則に戻りなさい。そうすれば、見えてきます」

というものがあります。信仰でも同じだと思います。訳が代わらなくなったら、
原理原則に戻って考える。すると、見えて来るものがあると思います。

2299a hope:2013/07/13(土) 18:55:28 ID:edEDolt2
復興Gさま ユタカさま

『無病常楽の神示』と、その講義(「神 人に語り 給ふ」より)のご謹写ありがとうございます。

たしか、「神 人に語り 給ふ」は重版停止状態の聖典でしたね。
たいへんな時間がかかったのではないのでしょうか?
復興Gさまもそうですが、ユタカさんもホントにすごいパワーのある方ですね!
貴重な文献のご謹写に心から感謝して、拝読させていただきます。 感謝 合掌。
(途中横切りまして、失礼いたしました。)

2300a hope:2013/07/13(土) 18:57:54 ID:edEDolt2
>>2298トキさま

トキさまは「生長の家の教え」の信仰の原理原則とはなんだとお考えですか?

2301復興G:2013/07/13(土) 19:32:20 ID:AB6RqYXc

復興G、只今帰りました。

ユタカさま、神示ご講義の謹写、本当にありがとうございました。

おかげさまで、いっそう深い真理の勉強ができます。

ありがとうございます!

2302トキ:2013/07/13(土) 19:47:12 ID:CtPMtdp6
>>2300

谷口雅春先生が、亡くなられる時に、言い遺されたお言葉に凝縮されていると思います。

2303トキ:2013/07/13(土) 20:18:23 ID:CtPMtdp6
 個人的には、『人間、神の子」という言葉に戻ると、自ずから見えて来るような間がをもっています。
とはいえ、偉そうにいう資格は全然、私にはないとも自覚しています。

2304復興G:2013/07/13(土) 21:02:23 ID:AB6RqYXc

a hope 様。

a hope 様の >>2287 書き込み文は、とても重い、重大なことだと受け止めています。

私も学生時代にトルストイの『人生読本』という本に強い影響を受けたということを前に書いていました(>>2230)が、その最初のところをご紹介しましょう。

この本(トルストイの『人生読本』)は春の巻・夏の巻・秋の巻・冬の巻と4巻になっていて、それぞれ「○月○日」と全365日の項目に分け、古今東西の哲人たちの言葉を抜粋して掲げてあるのですが、その最初の「一月一日」というところに、次のようにありました。

<<   一月一日

 中途半端な事を夥しく知るよりも、真に優良な必要事を少し知る方が優(ま)しである。

 (1) 選び編まれた小さい文庫の中に、如何に大きな富があることだらう! 数十年の長きに渉つて此の世のあらゆる文明國から選び上げられた最も聰明にして価値高き人々の集團が、其処に於て吾々に、自己の研究と叡智の所産を、最上の整頓裡に提供してくれたのである。

 それ等の人々自身は紙背に姿を隠してゐて、近附き難い。また、若しも吾々が彼等の幽棲の空寂を破り、彼等の仕事を妨害したならば、彼等は恐らくそれに耐へ得なかったであらう。更にまた、いろいろの社会的条件が彼等との交際を不可能にしたかも知れない。

 併しながら、その最上の親友達にさへも彼等の公開しなかつた思想が、異なる世紀の局外者の爲めに、明瞭な言葉でここに書き現はされてゐるのである。然り、まことに吾々は、吾々の生涯に於ける最も主要な霊的方面の恩恵を、書籍から蒙つてゐるのである。(エマスン)

 (2) 吾々は一種の反芻動物だ。從つて、いろんな書籍をうんと詰め込むだけでは不十分である。若しも吾々が自分の丸呑みにした凡ての事柄を、改めてよく噛みしめ味ひ直さないならば、書籍は吾々に力と滋養を與へぬであらう。(ロック)

 (3) いろんな筆者のいろんな種類の書籍をあさり読む結果、読者の脳裡に溷濁と不明瞭の醸し出される事を警戒するがいい。有益な何物かを得たいと思ふなら、ただただ疑ふ余地なき価値を有する諸氏の著述によつてのみ、自己の頭脳を養ふべきである。

 書籍の過読乱読は、吾々の知能を迷誤錯乱に陥れる。だから、異論なしに良書と認定された書籍だけを読む事だ。若し違つた種類の著作の耽読に暫時移つて見たいといふ氣持のあらはれるやうな事があつたら、さういふ場合には、絶対に再びもとの読書の世界へ立還れなく置れなくなるのだといふ事を忘れないがいい。(セネカ)>>

 ――私は上記トルストイの『人生読本』を読んで、そうだ! と思い、しばらく『生命の實相』ばかり読むことに没頭していた時がありました。

2305a hope:2013/07/13(土) 21:09:36 ID:edEDolt2
>>2302トキさま

病なし、迷いなし、罪なし
これが生長の家の
根本真理であります。
それでは、神様
ただ今より眠らせていただきます。

(訊けブログより、引用させていただきました。)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65556575.html

生長の家の教えは、本当にすごい!!

これですね!

2306復興G:2013/07/13(土) 21:14:48 ID:AB6RqYXc

>>2290 rei 様。

いつもよく読んで下さっていて、ありがとうございます。

どうぞ、遠慮なく前に出てきてご発言くださいよ。

みなさん、大歓迎だと思います。

2307復興G:2013/07/13(土) 21:31:32 ID:AB6RqYXc

>>2304のつづきです。

同様のことが、 『生命の實相』 第38巻 「七月一日」・「七月二日」 のところに、次のように書かれています。
>>2185に書いていたことですが)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

     七月二日

 本当の平和はわが心が神に結ばれたときのみに得られるのである。

 神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは 「すべて」 を持つことである。神は 「すべてのすべて」 であるからである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。

2308a hope:2013/07/13(土) 21:41:00 ID:edEDolt2
>>2290reiさま

わたしも>>2306復興Gさまに同感です。
reiさまのあたたかいお言葉にはいつも励まされています。

わたしは、前回からは補佐役ではない一参加者ですので、
一人一人の投稿者さまへのコメントはしていませんが、
reiさま、あさひさまそして他の閲覧者さまのたくさんのご参加は大歓迎です。

2309ユタカ:2013/07/13(土) 22:03:27 ID:R1D4Jmeg
rei様

ありがとうございます。どんどん出てきてください。いろいろな方のご意見を聞くことはとても勉強になります。

軌道がずれていたら、神さまが修正してくれますしね。 それに、なんたって復興G様がいらっしゃいます。

安心してご発言して下さいと思います。

訊けさまには、ぜひ出てきていただきたいですね。 人気のある方ですものね。。。

2310ユタカ:2013/07/13(土) 22:37:34 ID:R1D4Jmeg
>>2307

もう、白旗です。。。ありがとうございます。

>ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。
>すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。
>思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである
>真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

>神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは 「すべて」 を持つことである。神は 「すべてのすべて」 であるからである。

神様さえあれば、何も要らない!! 解るなぁ、其の気持ち。 内なる神と宇宙の全体に神がカチカチ音を立てて一体になってゆく。

WEB誌友会は最高です!! 毎日感動しています、素晴らしいなぁ、自分を神の子と言ってもらえて・・・益々自覚が深まっていきます。

復興Gさま、ありがとうございます。

2311a hope:2013/07/13(土) 22:43:55 ID:edEDolt2
>>2304復興Gさま

トルストイの『人生読本』は、以前のweb誌友会前夜祭の時にも>>166で復興Gさまがご紹介くださっていましたよね。
あの時は、その後いろいろあってお返事ができなかったのでした。

わたしも、これからしばらくは「生命の實相」に専念して、とりあえず全巻読破を目指したいと思っています。
そしてこうして、このトキ掲示板で「生長の家の教え」をお勉強させていただけることに感謝の気持ちで一杯です。

2312ユタカ:2013/07/13(土) 23:09:12 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

私もa hope様のような純潔な魂の方は、今は唯ひたすらに「生命の実相」に没頭してa hopeさまの腹の底の底から大光明を発してたとえ暗黒がぶつかりに来ても自分の発する大光明で消してしまえるほどの強さで輝くまで、ドンドン光を、、a hopesの魂の中に生命の実相の光を入れていけばいいのでは?と思っていました。

そして、私も、谷口雅春先生の真理のみでやっていきたいですのでよろしくお願いします。 同じく日々感謝の思いで一杯です。。。

2313a hope:2013/07/13(土) 23:31:27 ID:edEDolt2
>>2312ユタカさま

ありがとうございます。合掌。

わたしは、「生命の實相」の真理を自分自身の生活に生かせるようにしたいと思っています。
そのためには、ユタカさまのおっしゃるように、

<<腹の底の底から大光明を発してたとえ暗黒がぶつかりに来ても
自分の発する大光明で消してしまえるほどの強さで輝くまで、ドンドン光を、、>>
わたしの魂の中に入れていこうと思います。

「自分が変われば世界が変わる」
この言葉の本当の意味もだんだんわかり始めてきました。

ユタカさま、こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。

わたしは今日はこれでおやすみさせていただきます。
それでは、みなさま、安らかな眠りと、良い夢を・・・!

2314ユタカ:2013/07/14(日) 07:24:14 ID:R1D4Jmeg
ユタカのイチオシ!!

>すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである

自分の魂にビンビン響いてきます。 皆は魂に響いてくる言葉に出会えましたか??

WEB誌友会は最高! 万歳!!

2315復興G:2013/07/14(日) 07:47:06 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

私は一昨夜あまり寝てなかったので、昨夜は少し早く寝てしまいました。

皆さまの 光り輝くご投稿が、まぶしい。

そして、「web誌友会参考文献板」 に掲示させていただいている榎本恵吾先生のご文章にも、共感 共鳴して、私も、今日もまた「無」の法悦の中に遊戯(ゆげ)三昧に愛を行じてまいりたいと、神に祈っております。

生長の家バンザイ! 皆さま、バンザイ!

2316こんにちは:2013/07/14(日) 10:24:13 ID:cCXifkCY
こんにちは


http://888.pm/4nx

http://888.pm/hkd

http://888.pm/7rg

http://888.pm/t3m

http://888.pm/DXu

2317ユタカ:2013/07/14(日) 14:14:01 ID:R1D4Jmeg

>2316 を開いたら ブランドバックの¥広告だった>< イランわ!! 興味無い!!\\\

トキさま2316と2317削除してください。

2318a hope:2013/07/14(日) 17:23:05 ID:edEDolt2
別板の「まじめな話」の板から引用させていただきます。
とてもすばらしい体験談ですし、「人間神の子の真理」を悟れば、
本当に病気は消えるという、動かぬ証拠だと思います。

宇治では、今でもこのような奇蹟が実際に起こっているのですよね。

ジャリンコチエさま、勝手に引用してすみません。
チエさまもよろしかったら、web誌友会ご参加くださいね!



1320 :ジャリンコチエ:2013/07/13(土) 19:22:32

宇治の体験集より*Hさん65歳の男性です。
この方は食道がんで余命6ヶ月の宣告を受け宇治に来られました。
とても感動しましたので謹写

さあ後六ヶ月ということは八月です。「八月には愈々死ぬのだ」と思いますと、この八月までに腹を決めて
「にっこり笑ってさようなら」と谷口先生のあの別れの言葉を私も二十年も前に読んでおりましたし、
「またいずれお会いします」という風に、はっきり書いてありました。

「よし、これからは谷口先生のこの人間神の子の真理を
本当に心の底まで納得してから死のう」ときめました。
生長の家の組織との縁は切れておりましたが、谷口雅春先生の一信徒でなかった日は
一日としてありませんでした。

(中略)

ちょうど長田先生の御講話の最中でございました。
そこで先生が「現象は無い、物質は無い、肉体は無い」と
書かれて、これに×印を付けておられました。そして最後に「無し、無し、無し」と漢字で書いてあります。

本で読んだ通りに書いてあるわけなのですが、その後に私は自伝編の二十巻で「心も無いのかなあ」と、
心に思った時に、「心も無い!とその声は言ったのであった」という一行も思い浮かべたのです。

丁度その時に長田先生が「心も無い!」とおっしゃってですね、これを黒板消しでお消しになったのです。
その時に私の魂にグサッと矢が刺さりました!

「分かった!」と思ったんです。「あーこれで死ねる、これで死ねるぞ」と。
「分かった!」と思って体が震えるような喜びでした。

(中略)

その事があった後、この二ヶ月も三ヶ月も通らなかったご飯がですね、
その三日目の晩に通ったんです。それで部屋に戻りまして一緒におられた方に
「通ったぜー俺、今日、俺、分かったから、俺、それで通ったのかな⁈
という話をしまして、いよいよ最終日を迎えました。

(中略)

予約を入れていたのですが、もう分かったので、楠本先生には何もお聞きすることはありませんでした。
しかし、あの世で母に会ったとき、"最後に楠本先生にお会いしてご挨拶をしてきた"と
伝えたく思い、お会いすることにしました。

楠本先生は、「あなた何しに来たの、聞くことないの」と言われまして
「ありません、全部分かりました」と申しました。「そうか、分かったか、あっはっはっー」と先生はお笑いになりました。

その後、先生の最終のご講義を受け、使命があるということを教えて頂きました。
「よし、この人類光明化運動という使命が俺にはあるんだ」という気持ちを持って帰りました。

(後略)

翌日、ゼロになっていた穴が直径一センチ(普通は二センチ)まで拡がっていることが病院で確認されます。


そしてその後Hさんは食道がん克服の体験を生かして他の癌患者を救う使命を果たされます。
*部分的に略しましたが、文章は原文ママのはずです。携帯からチマチマ打ってるので読みにくかったらすみません。

1323 :ジャリンコチエ:2013/07/13(土) 19:35:58

余命を告げられた時の決意に圧倒されました。

2319a hope:2013/07/14(日) 17:57:23 ID:edEDolt2

それから、もう一つ同じ板に、とても同感できる投稿がありましたので紹介させていただきます。
閲覧者Aさま、勝手な引用をお許しください。


1325 名前:閲覧者A 投稿日: 2013/07/14(日) 06:39:16

会社組織で働いてたら、本当によくわかる。
トップの考え、方針の変更で、会社の雰囲気が、ガラッと変わる。
トップの考えについていけないから、トップの考えは変だから、自分の考えで事を運ぶと動いたら、会社組織と和解がなくなる。
ストライキを起こすしかないだろう。
会社をより早くするための、ストライキを起こすしかないだろう。
トキさんのような人が、日本各地に現れて、聖使命を納めないストライキを起こすならば、もしかしてもしかしたら変わるかもしれない。
――――――――――――――

わたしも、独身時代から会社勤めは何度もしていますので、閲覧者A さまのおっしゃる意味が本当によくわかります。
会社だけではなくて、幼稚園、学校などでもその上に立つ人(園長・校長)によってその雰囲気はガラリと変わります。

ましてや、人の魂の問題を扱う宗教団体のトップといったら、霊や魂のレベルまで影響を与えてしまうでしょう。

これはわたしの個人的な推測ですが、おそらく、現在教団に残られて「雅宣先生の教え」となんとか折り合いをつけながら、
本来の「人間神の子」や、「現象は無い、物質は無い、肉体は無い」などの講義をされている先生方は、
今は「雅宣先生の教え」のおかしさよりも、閲覧者Aさまのおっしゃる「組織との和解」を第一に考えていらっしゃるのではないのでしょうか?
だって、宇治の講師の先生方が「雅宣先生の教え」のおかしさに気づかれていないはずがありませんからね。

宇治で今でも奇蹟が起きているのは、今現在は、この「和解」が成立しているからだと思います。
大調和の神示にハッキリと「すべてと和解したものの中にのみわれはいる(略)汝がすべてのものと和解したとき其処にわれは顯れる」
とありますからね。
ただ、これから先はどうなるかはわたしにはわかりません。

わたしは、閲覧者Aさまのおっしゃるように、信徒がストライキでも起こすしか手はないようにも感じてしまっています。

みなさまは、どう思われますか?

2320a hope:2013/07/14(日) 21:29:37 ID:edEDolt2
宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、
結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。
そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。

これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?


一方、雅宣先生は今、何をなされているのでしょうか?

わたしは、雅宣先生は「生長の家」と信徒を愛していらっしゃると感じています。
ですが、本来の「生長の家の教え」とはかけ離れた方法でその愛を表現されようとしていらっしゃる。

練成道場もない森のオフィスで、雅宣先生はご自分のやりたいことをされたらいいのではないでしょうか?
そしてその代わりに、宇治別格本山や長崎総本山や他の練成道場の練成会は、
本来のままにそっとしておいてくださいませんか?

2321閲覧者A:2013/07/14(日) 21:48:06 ID:???
>>2320のa hopeさん、私のコメント引用恐れいります。
しかし、雅宣さんが生長の家総裁ですから、宇治や総本山や道場をどうするかの決定権は、雅宣さんですよ。
お気持ちは重々解りますが、総裁は自分のやってることが、正しいと自信持って、やっているのですよ。
経営者は、自分の方針に合わないなら、社員はお去り下さって結構と思っているのではないですか?
雅宣さんにしがみついても、駄目ですよ。
彼の生命を生かして差し上げないと。
教団組織に和解するんじゃなくて、真理に和解ですよ。
人と人に和解してはいけない。
真理に和解することは、雅宣さんの生命を生かされることも、その1つです。
そこに、信徒は自ずから何をすべきか見えてくるでしょう。

2322rei:2013/07/14(日) 22:09:44 ID:ZIftZ1jM
復興Gさま
ユタカさま
a hopeさま

あたたかい言葉をありがとうございます。

お言葉に甘えましてちょっと書かせて頂きます。
ただ、私は打つのも読むのも遅く、会話にならないかもしれないことを
先にお伝えしておきます。

この2年あまり、ここを拝見させていただきながら、
ずっと頭に引っかかっておりました。

それは「天使の言葉」の最後のほうにある言葉で
ーーー万の物ことごとく意に従って出現し、
   用足りておのずから姿を消す。ーーー
という言葉です。

15、6年位前ではなかったかと思うのですが、
信徒の幹部の方からの訴えで 
運動が辛くて辛くてたまらないという内容のものが雅宣総裁だったか、純子先生
にだったかに届けられて、信仰をそんなに苦しんでしないで頂きたいという答え
だったかと覚えております。その訴えが切実なものだっただけに、総裁はとても
悩まれたように、私には感じられました。
それ以後、組織運動がどんどん楽なものに変わっていったように思えるのです。
1年ごとだった講習会が2年ごとになり、講習会の目標数も教区大会の目標数も今
は自主目標になり、教区大会も隔年になりました。教区ごとに上からの伝わり方
に温度差があるのかもしれないとは思いますが、「自主目標」に間違いはないと
思います。強制的に数を押し付けられている運動は今はないと思うのです。
団体参拝も会員だけに限定されているのは、無理に誘わないでも良いという事で
はないかと思えます。総本山と河口湖での母親練成会もなくなりましたし、普及
誌の大量伝道もしなくて良いという方針で、ハッキリ言ってとても楽な運動です。
支部長にとっては。
政治運動もないし、署名活動もないですし。地元の誌友会を大切にして下さいと
いう運動ですね。ご縁があって生長の家に触れた信徒が楽な様にと楽しい生活が
出来るようにと変わっていったのではないかと思うのです。こんなことを言って
も、私も総裁の講話は超嫌なんですが、運動の面で言えばこのように思わざるを
得ません。

信徒が楽をのぞんだから。
伝道をしていくとそれはそれはとんでもない批判や厳しい目を向けられる事も常で
仲間内だけで真理の勉強しているほうがよっぽど楽だと思った事も何度かあります。
今の総裁の方針だと宗教っぽさがなくて、環境団体のようで世間一般の人に受け入
れられやすいと思われたのではないかと思えてきます。実際は反対になって、楽を
すればするほど、伝道の意欲も低下してしまったように思います。

だから、
「ストライキ」をするのじゃなくて、
「法悦を喜ぶ」ことをどんどんすべきだと思います。
信徒が喜んで喜んで、神の子だ!嬉しい嬉しい!ありがたい!
という声が大きく大きくなったら、
そのことに大勢が気づいたら、
総裁の今の姿は、用が足りて消えるのじゃないかと、こんな事を考えているのです
が、私の考えは甘いでしょうか・・・。

大勢ではなく、「わたし」が気づいたらいいですね。
もう、ユタカさまが実践しておられますね。
わたしも今からやります。
私は神の子、日本一バンザイ!!!バンザイ!!!万歳!!!

逢う人ごとに言っていきたい。
「私は神の子って教えられたの、嬉しいね、有り難いね!」
今まではこの言葉が足りてなかったように思う。

復興Gさま
田中曹長の話に照らして考えたらこのような気持ちになりました。
ありがとうございました。

合掌

2323閲覧者A:2013/07/14(日) 22:39:04 ID:???
横から口を挟みますが、人間は誰しも今を生きて生かされていますから、1秒前の自分は誰しもが、用足りて死んでいるのではありませんか?
神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?

2324ユタカ:2013/07/14(日) 23:18:44 ID:R1D4Jmeg
すぐ忘れちゃう人に何度も読んで頂きましょう。。。
>>2282

2282 :復興G:2013/07/13(土) 06:15:03 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、あさひ様、皆さま、ありがとうございます。


 「行動」は、無鉄砲な、軽はずみな、心が一部にのみ引っかかっているような行動ではいけない、と思います。

 「抗争」であってはいけません。

>>全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。<<

 とお教え頂いているのであります。

 自分の中に宇宙がある。自分は宇宙である。すべての根源なるものである。一切者である。だから、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのである! 山に動いて海に入れと云うとも、必ず成るのである!

 ありがとうございます。

2325a hope:2013/07/14(日) 23:25:45 ID:edEDolt2
>>2321閲覧者Aさま

コメントありがとうございます。

<<彼の生命を生かして差し上げないと。
教団組織に和解するんじゃなくて、真理に和解ですよ。
人と人に和解してはいけない。
真理に和解することは、雅宣さんの生命を生かされることも、その1つです。
そこに、信徒は自ずから何をすべきか見えてくるでしょう。>>

というと、やっぱり、ストライキということでしょうか?
ストライキすることが、雅宣先生の生命を生かすことにつながるというのを、
もう少し詳しく説明してくださいませんか?

2326ユタカ:2013/07/14(日) 23:26:57 ID:R1D4Jmeg
>神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?

ほとんどの残留の信徒が皆さん、そのように思って我慢しているのに!!何を今更言うのか!!??

あなたは生長の家の信徒ではありませんね!!! どこの誰なんですか??? 教えに反する裁判をやってのけるのは誰なんですか??!! ご存知ない??


あぁ〜〜〜!!今日は夏みかん食べ過ぎた!!! アーーーー・・・スッパイ!!スッパイ!!!

ご苦労さん!!

2327a hope:2013/07/14(日) 23:28:07 ID:edEDolt2
>>2322 reiさま

組織に属さないわたしのような個人が「生長の家の教え」を信仰していくのであれば、
ただ、「人間神の子」を喜んで「生命の實相」をお勉強していればいいのかもしれません。

しかし、組織に属していると、人間って意外に洗脳されやすいものだと感じています。
雅宣先生の教えが最初はおかしいと感じていても他の皆が疑わずに信仰していると、
そんなもんだと感じてきて、だんだん本来の教えから遠ざかっていくようなきがします。

わたし個人的には何も問題はないのです。
ただ、こうしてこの掲示板にご縁があって、今「生長の家」の問題を直視している状態で、
わたしが何をすべきかを考えています。

この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。

2328トキ:2013/07/14(日) 23:30:56 ID:6oJ0A2W6
 ジブリの新作映画は、零戦の設計で有名な堀越二郎さんです。この零戦は、海軍がプランを出して来た時に、あまりにも矛盾するような要求が
多く、ライバルの中島飛行機が設計を断ったという話があります。こっちを立てれば、あっちが立たない、という要求でしたが、それを苦労して
両立する設計をなしとげ、零戦は世界最高の戦闘機になったのです。

 他にも、歌舞伎など、昔は女性が演じていたのが、ある時、突然、幕府が女性の歌舞伎を禁止したのです。それが契機で女形という形式で歌舞伎
は独自の発達をとげたのです。

 生長の家も、いわば組織が迷走を始めたのですが、それを凶とするか、吉とするかは、信徒の今後の言動によると思います。
これを乗り越えたら、生長の家はほんとうの世界宗教になると思います。

2329ユタカ:2013/07/14(日) 23:35:32 ID:R1D4Jmeg
いまの総裁の姿=裁判ってこと!! プラス兄弟親戚との抗争。 父親の通夜の席の行状。その他もっともっと現象的には最悪ということを言っているのでしょ。。。

何処が失礼だ?? 事実でしょ。

2330ユタカ:2013/07/14(日) 23:40:28 ID:R1D4Jmeg
フォローにまわっているのですが・・

>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。

分かってないねーーー。 a hope さまは。↓

reiさまと私は一致していますがね。。。。

2331閲覧者A:2013/07/14(日) 23:42:43 ID:???
a hopeさん、一言言葉を添え忘れました。「組織、教団に留まり、内部から変革をしたいと思っている場合には、何らかのストライキが必要」だと思います。
あまり、ストライキという言葉に引っ掛からないで下さい。
ストライキを教団にあてはめれば、聖使命を納めないことも選択肢の1つでしょうが、例えば、生命の實相誌友会を復活したいと、署名運動を起こしたりすることも、内部変革の1つではありませんか?
ストライキという言葉を用いたのは、不適切でしたらお詫び申し上げます。
生長の家は拝の教えでありますが、表現するために生かされているのですから、なんでもハイハイ現象に従う教えではないと思うのです。

2332a hope:2013/07/14(日) 23:45:50 ID:edEDolt2
>>2330 ユタカさま

わたしわかってないですかね(笑)

でも、こうして現象をみて問題提起してみることで、
より多くの方のご意見が聞けるのも事実ですよね?

2333閲覧者A:2013/07/15(月) 00:12:34 ID:???
>>2326ユタカさん、私は末端の一信徒です。教団に所属していませんが、何せまだまだ学びが、これからの身です。
どこの誰かは、言った方がいいのでしょうか?住所氏名を明かす勇気はないので、お許しいただけませんか?

私は、雅宣さんの方針や過去の色々な言動を理解しているつもりです。正直、団体のトップとして、あるまじき行為だと憤慨しています。
しかしながら、信徒の人生は、総裁の責任にしてはなりません。信徒自身が責任をもって生かされていかねばなりません。信徒の信仰の責任を教団に求めることをしてはならないと思います。

教団信徒の方にも、色々な意見がありましょうが、「神の子の喜びが増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えると、我慢して残留している人が、多い」と言われますが、何故我慢されるのですか?我慢して雅春先生はお喜びなるでしょうか。

雅春先生は「生長の家のパテントは、皆さん1人1人に渡しましたよ。あなたにも。あなたにも。あなたにも。」とおっしゃいましたよね?

雅宣さんの言動には多々問題点あれど、経営者としては、社長と同じです。社長の意見に合わないならば、辞めるか内部変革を社員自身が行うしかないのではありませんか?

2334ユタカ:2013/07/15(月) 00:15:45 ID:R1D4Jmeg
閲覧者Aさま
>神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?

どうして失礼になると思いましたか?
私は、マサノブ総裁を観世音菩薩と見立てていると思っていらっしゃると思いましたが?

2335ユタカ:2013/07/15(月) 00:23:32 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

>>2232 わたしわかってないですかね(笑)

でも、こうして現象をみて問題提起してみることで、
より多くの方のご意見が聞けるのも事実ですよね?

>>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。

a hope様の 使命はそこでは↑ないのではないですか?? そこを分かって欲しいと思います。

話題の提供には同感で感謝いたしますよ。。。

2337閲覧者A:2013/07/15(月) 00:25:38 ID:???
a hopeさん、私は真理に和解することは、雅宣さんの生命がいかされることと、書きましたが、ストライキすることが、雅宣さんの生命を生かすこととは、書いてないと思うのですが。

2338a hope:2013/07/15(月) 00:40:47 ID:edEDolt2
>>2335 ユタカさま

そうですね。
わたしの本当の使命は、そんなちっぽけなことではないかもしれませんね〜〜

と、ちょっと大きく出てみました(笑)

なんせ、人間無限力を悟れば、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのですからね!

でも、わたしの経験(雅宣先生の教えで体調を壊したという)を生かすという意味においては、
それが、今現在のわたしの使命だと感じています。

これから、もっともっと「生命の實相」をお勉強して、ちゃんと「教え」を悟れば、
もっと大きな使命を果たせるかもしれませんね!

でも、それは神縁あって「生長の家の教え」に触れた皆さんに言えることですね!

2339閲覧者A:2013/07/15(月) 00:51:32 ID:???
ユタカさん、私は総裁を観世音菩薩と見立てて書いてはいません。

総裁は、一団体のトップであり、最高責任者です。
総裁は、総裁自身の考えで、教団を経営されています。
そして、雅宣さんの人生は雅宣さんの責任であります。
雅宣さんの人生の責任において展開されている雅宣さんの人生に対して、「信徒が神の子の喜びを大にしていけば、総裁のいまの姿は用足りて消える」と、教団信徒さんが所属している組織のトップに対して言うのは、失礼ではありませんか?
しかしながら、教団信徒さんのなかで、現状を知らない人には、私は真実を語り歩いています。

私は、所属している、学ぶ会の代表の先生方には、感謝の思いで一杯です。
今日はこれ以上書けません。もし何かありましたら、その際には他の板に書きます。

2340a hope:2013/07/15(月) 01:01:42 ID:edEDolt2
>>2337 閲覧者Aさま

本当ですね。
読み直してみると、わたしの早とちりですね。
大変失礼いたしました。

ユタカさま宛ではありますが、>>2333のご意見には、深く同意させていただきます。

「本当の和解は互にこらえ合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ、
こらえたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ、
感謝し合ったとき本当の和解が成立する、・・・」

という「大調和の神示」の文章は、とても大切だと感じています。

我慢の上に成り立つ和解は、本当の和解ではなく、むしろ我慢してる方の潜在意識に、
恨み、憎しみ、怒りなどの悪感情が抑圧されていくのだと思います。

ならば、どうしたら相手に感謝できる心境になれるかといえば、
やはり、我慢せずその時の自分の心(神の心)に正直な行動をとるべきだと感じています。

そしてその行動の現れは、その人その人によってちがうのでしょうね。

2341ユタカ:2013/07/15(月) 02:20:59 ID:R1D4Jmeg
閲覧者A様

観世音菩薩と見立てた方は閲覧者Aさまではありませんことは充分に分かっております。

>雅宣さんの人生の責任において展開されている雅宣さんの人生に対して、「信徒が神の子の喜びを大にしていけば、総裁のいまの姿は用足りて消える」と、教団信徒さんが所属している組織のトップに対して言うのは、失礼ではありませんか?

上記の場合、雅宣総裁に誰も言いにいきませんよ、信徒である一人一人の雅宣総裁への見方、即ち教えに反するように見える行為に見える自分の観方は、自己内部神性の光明で照らして観ていくという事を申しております。
あくまでも、自己の神性開発ということでありまして、総裁と直接関わりはありませんが?

>しかしながら、教団信徒さんのなかで、現状を知らない人には、私は真実を語り歩いています。

そうですか。私は現状を知らない人はそう数は多くないと思います。学ぶ会が活躍されていますから。
現状を知らない人などは、深く真理も知らない人だと思いますので、そのような方々に現象のこと、裁判や悪口を言うと、結局嫌気がさして、教団にも学ぶ会にも距離を置くのではないでしょうか?
そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。

学ぶ会ならば、自由にのびのび、普通に嬉しい楽しいでしょうが、教団では、長い信徒はみな苦悩しているのは事実です、残念ですが・・・・ ですがそこが修行の正念場です、この御教えを深く正確に学べるなら
明るくやっていけるでしょう。 大体、深く学びたい人はこの間の地方講師の先生のように教化部長と副代表の前原先生に許可を頂いたりして靖国見真会で勉強してくるのですから・・・ご心配なく。。。

雅宣総裁は総裁自身の展開で、天災や裁判、インターネット悪口か書かれたりなど、相当に自分自身の展開で生活されていらっしゃいますから、閲覧者A様も自己の展開になられるでしょう。

学ぶ会なら大丈夫、神殿があるのですから。。。そしてWEB誌友会でみんな一つと教えていただきました。

教団も他団体も神様にとって一つ。みんな住吉大神様に愛されている。。持ち場持ち場で大光明を発するの事が使命でしょう。これだけが事実であると思います。

2342rei:2013/07/15(月) 08:29:47 ID:ZIftZ1jM
おはようございます。

ユタカさま
そうです、そうです。
私は総裁に向かって言ったのではありません。
なんで総裁に失礼になるんだろう?って考えていました。
正確に読んで下さり感謝です。

それにしても
閲覧者Aさまに向かって
「あなたは生長の家の信徒ではありませんね!!!どこの誰なんですか???」
と言われたあなたはとてもカッコよかったです。
ありがとうございました。

合掌

2343a hope:2013/07/15(月) 10:41:27 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

>>2341 ユタカさまの閲覧者Aさまへの発言ですが、

<<私は現状を知らない人はそう数は多くないと思います。学ぶ会が活躍されていますから。
現状を知らない人などは、深く真理も知らない人だと思いますので、そのような方々に現象のこと、
裁判や悪口を言うと、結局嫌気がさして、教団にも学ぶ会にも距離を置くのではないでしょうか?
そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、
其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。>>

この前半部分のお言葉にはほとんど同感ですが、ひとつだけ、<<現状を知らない人はそう数は多くないと思います。>>には首を傾げてしまいます。
教団に在籍されている、多くの白鳩会員さまは現状をご存じないように見受けられますが・・・。
特に、年齢が上の方々でパソコンを使わず、長年、聖使命会費をご家族、親せき、知り合いの方々の分まで、
沢山納められてこられたような方々です。(はっきり言えば、今の教団を経済的に支えていらっしゃる方々です)

わたしはそのような方々に、今現在の教団の状態、つまり雅宣先生が今までどんなことをされて、
これから何をなさろうとされているのかをしっかりご説明してあげるのは、本来であればそれは教団サイドの義務であると思っていますが、
実際には、意図的であるかどうかはわかりませんが、それがされていないわけですから、
その代わりに、閲覧者Aさまのような心ある信徒の方が事実を伝えてあげるのは素晴らしいご愛念だと思います。

ですが、教団にいる多くの白鳩会員さま方が「学ぶ会」や「ときみつる會」と聞いただけで嫌悪感を示すというのも事実だと思います。

だったら、現教団に在籍していて事実をご存じの信徒の方々が、「森のオフィス」や「裁判」に関する正確な情報等を、
何もしらない白鳩会員さま方にお伝えして差し上げたらいいのではないでしょか?

信じがたいことですが、本当はすべての信徒の方々にはご自分の納めている聖使命会費がいったいどんな風に使われているのか、
正しい情報を知る権利があり、そして教団側にはしっかりわかるように知らせる義務があるにも関わらず、それがなされていないようですので。
(つづく)

2344a hope:2013/07/15(月) 10:43:02 ID:edEDolt2
(つづき)

そして上のユタカさまのご発言の後半部分ですが

<<そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、
其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。>>

このご発言に関してですが、

大自然讃歌や観世音菩薩讃歌が平然と読誦されるようになってしまった現教団で、それは可能でしょうか?
いくらわたしたちがここで復興Gさまから『本当の生長の家の御教え』を学んでも、
ニセのお経や、誤った教えがはびこりだした教団で伝道していくのは、わたしは自分自身の経験から不可能に感じています。

なぜならそれは結果的に二元論を信徒に伝道することになり、伝道された方々の魂を深く迷わせる結果になると思うからです。
わたしは、今、大切なのは<<本当の生長の家の御教えを正確にお伝え>>する場所を確保することだと感じています。


そう考えたので、>>2320の発言を、雅宣総裁と、本部関係の方々に向けてご提案させていただきました。
以下、再掲載させていただきます。


2320 :a hope:2013/07/14(日) 21:29:37 ID:edEDolt2

宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、
結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。
そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。

これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?


一方、雅宣先生は今、何をなされているのでしょうか?

わたしは、雅宣先生は「生長の家」と信徒を愛していらっしゃると感じています。
ですが、本来の「生長の家の教え」とはかけ離れた方法でその愛を表現されようとしていらっしゃる。

練成道場もない森のオフィスで、雅宣先生はご自分のやりたいことをされたらいいのではないでしょうか?
そしてその代わりに、宇治別格本山や長崎総本山や他の練成道場の練成会は、
本来のままにそっとしておいてくださいませんか?

2345ユタカ:2013/07/15(月) 11:57:31 ID:R1D4Jmeg
>教団に在籍されている、多くの白鳩会員さまは現状をご存じないように見受けられますが・・・。

a hope様は何年同じ支部に所属して、どんな奉仕をされたのでしょうか?
教区でよく顔をあわせ、練成のお手伝いや講習会には実行委員として立たれましたか?
そうやって、会員同士仲良くしているならば、みなさんは本音をいいますよ。
a hopeさまはどのようにして白鳩の会員さんが現状を知らないと言われたのでしょうか?
勿論、私とて、入信したての人に組織の事を質問されても、知らん振りしていますがね??

特に、私の教区では、私の知り合いの中で、何も分からない、知らないなどという人は誰もいませんよ。。。
特に普段から教団擁護を発言しているのに、こっそり学ぶ会の全国大会にちゃっかり参加していたらしいですので、笑ってしまいました。

それほど、学ぶ会は盛んですし、信徒にとっては魅力でしょう、内容が。。。

それから、真理を学ぶ場も、人それぞれ確保されております。
自分の誌友たちと生命の実相の輪読会や読経、写経と様々。

それから、うちの総連の中で、もう引退しているお年寄りは、とっても情報が早く、いろいろなことを知っていながら、悠々自適、どーんと構えていらっしゃいます。
真理も充分ご存知で、個人指導能力も高いですが、高齢で引退、それでも、月一回は自分の誌友にやらせている誌友会に参加し影から操っています。
どういう風に操っているかというと・・・・
今日は、Bタイプ、来月もBタイプと、60歳過ぎた方の趣味の会にしています。 それは、がむしゃらに若いころに奉仕や出講伝道に励んできたから、私は神様からのプレゼントの時間なんだな、と微笑ましくみています。

話が脱線しましたが、教区でも自分の道場を持ってただしく真理普及している『場』はまだまだ沢山あります。教団の中でも。

正しく真理を学んでいれば、新経など何でもありません。
偽教など、 ニセモノハ やがて消えてゆく運命にあるのですから。

いかがでしょうか?

2346ユタカ:2013/07/15(月) 12:00:04 ID:R1D4Jmeg
reiさま

応援をありがとうございます。

教も一日明るく元気によろこでイキイキ生活していきましょう!

2347閲覧者A:2013/07/15(月) 12:00:17 ID:???
ユタカさん、地元白鳩でも有名講師で活躍中のある先生は、社会事業団をご存知ありませんでした。学ぶ会や、ときみつる会もご存知ありませんでした。裁判も生長の家関連の第三者が行っていると思われてました。
パソコンも何も情報源がなく、情報は教化部からのお知らせと機関誌のみという、そういう方がまだいらっしゃるのです。現に最近もまだ、いらっしゃったのです。
生命の実相が品切れになっていってる言っても、信じない「そんなバカな、そのうち出てくる」と言われる方もいらっしゃったのです。
どこか別世界のお話だと、受け付けない方もいたのです。
ですから私は真実をお伝えするばかりです。雅宣さんの悪口や様々な過去の言動など低次元な話は無意味ですし、そういう無意味な話はしようと思いません。

2348ユタカ:2013/07/15(月) 12:33:08 ID:R1D4Jmeg
>ユタカさん、地元白鳩でも有名講師で活躍中のある先生は、社会事業団をご存知ありませんでした。学ぶ会や、ときみつる会もご存知ありませんでした。裁判も生長の家関連の第三者が行っていると思われてました。
パソコンも何も情報源がなく、情報は教化部からのお知らせと機関誌のみという、そういう方がまだいらっしゃるのです。現に最近もまだ、いらっしゃったのです。

珍しいですね。。。 冗談みたいです。

少なくとも、私の知り合いの中では、時代に乗っていない方はおりません。地域によって違うのでしょうか?

いろいろと魂の段階もあるようですから、ひとそれぞれでその自身が自身の運命の責任者ですから、、、ありがとうございます。

2349a hope:2013/07/15(月) 13:06:10 ID:edEDolt2
>>2345 ユタカさま

<<a hope様は何年同じ支部に所属して、どんな奉仕をされたのでしょうか?
教区でよく顔をあわせ、練成のお手伝いや講習会には実行委員として立たれましたか?
そうやって、会員同士仲良くしているならば、みなさんは本音をいいますよ。
a hopeさまはどのようにして白鳩の会員さんが現状を知らないと言われたのでしょうか?
勿論、私とて、入信したての人に組織の事を質問されても、知らん振りしていますがね??>>

4年前に入信した時は、わたしはまことの新人でしたから、ユタカさまのいうように質問をしても適当にあつかわれ、
何も知らないうちに組織の歯車の一つにされそうになりましたよ(笑)

実際に、講師の先生がわたしの知り合いに小声で、
「いいから、何にもわからないうちにお役をつけちゃえばいいのよ・・・」とわたしのことを話しているのを聞いてしまい、
組織に対する不信感を増大させましたし・・・。

ユタカさまの言う「会員同士の本音」というのと、わたしのいう「現状」とはなんとなく違う内容のような気もしますが・・・

組織に長く属していなわたしが、今の教団組織の現状をどうして把握しているかはいえません。
身ばれがしてしまいますから・・・


<<話が脱線しましたが、教区でも自分の道場を持ってただしく真理普及している『場』はまだまだ沢山あります。教団の中でも。
正しく真理を学んでいれば、新経など何でもありません。
偽教など、 ニセモノハ やがて消えてゆく運命にあるのですから。
いかがでしょうか? >>

そうなのですか。
それは、とてもうれしい情報です。

ニセモノはやがて消えゆく運命ですね・・・わたしが消えちゃったりして・・・(笑)

いずれにしても、明るく前向きに信仰していくことは大切ですよね!
でも、その上で、これからも思うことを素直に発言させていただきます。

いつも感じていますが、この掲示板は沢山の生長の家の先輩方が閲覧してくださっていて、
もし、わたしが間違った発言をしたり、増上慢になったりしたら、きっとどなたかがご注意してくださったり、
警告してくださると信じているからです。
ユタカさまもそのおひとりです。
ですから、いつも心から感謝しています。

2350ユタカ:2013/07/15(月) 14:07:15 ID:R1D4Jmeg
>実際に、講師の先生がわたしの知り合いに小声で、
「いいから、何にもわからないうちにお役をつけちゃえばいいのよ・・・」とわたしのことを話しているのを聞いてしまい、
組織に対する不信感を増大させましたし・・・。


それは、嫌な思いをなさましたね。 ですが、私もそうでした、嫌な言い方するな〜。と思いましたが、私は「神様に奉仕したい」からやる。と決意してお役につきました。そして神様のお役に立って奉仕させて頂くうちにいろいろな事が学べました。
知り合いも増えて有難いことでした。 a hopeさまのところは教化部から遠い地域ですか? 私は、学ぶ会か教化部やどちらかの団体に所属することをお勧めします。

学ぶ会が3ヶ月の無代神誌進呈などされていますから(今は終了したかも?)それはスゴイ勢いがありました。。。 そういうのが、届いていない人もまだいるのですね。

2351ユタカ:2013/07/15(月) 14:34:30 ID:R1D4Jmeg
>>2227

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)


素晴らしいからもう一度貼ります。

2353曳馬野:2013/07/15(月) 17:49:45 ID:TZ2/719s
a hopeさん

>>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、今のわたしの使命のような気がしています。

>>大自然讃歌や観世音菩薩讃歌が平然と読誦されるようになってしまった現教団で、それは可能でしょうか?
いくらわたしたちがここで復興Gさまから『本当の生長の家の御教え』を学んでも、ニセのお経や、誤った教えがはびこりだした教団で伝道していくのは、
わたしは自分自身の経験から不可能に感じています。


「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか?
ここに参加されている人達が皆さん揃って可笑しいというので、今読んでみました。
一言一句可笑しいところは有りません。このような生き方のできる生長の家でなければいけないと私は思いました。
汝ら『人間神の子』の自覚より更に進んで『神の子人間』の自覚に入るべし。との続々甘露の法雨の言葉をよくよく味わい体得することが必要だと思います。
「人間神の子」には現象の残滓がありますが『神の子人間』には現象の残滓は有りません。

私も妻も昭和45年ごろに生長の家に触れ、51年の青年全国大会には当時二泊三日の大会でしたが、九段会館に泊まっての参加者が270名余、
一日参加者を含めると300名余の参加者を、私が青年会事務局長、妻が女子部長として(結婚はその年の秋でしたが)雅春先生の膝下にお連れしたのです。
雅春先生に会う機会の最後になる全国大会であるとの思いでした結果、過去最高の参加者でありました。

当時『限りなく日本を愛す』『我ら日本人として』『日本を築くもの』『聖なる理想国家国民』古事記と現代の予言』『美しき日本の再建』『わが憂国の戦い』等読み耽りの生活でした。
ですから愛国主義者の云わんとすることは理解はします。
しかし古代から日本民族は善悪正邪という言葉を使わず、善くない心を「きたなき心」といい善き心を「清く明き心』といい「汚れる」「気涸れる」ことを嫌いました。
霊の本の中心帰一の理念の天下りはこの日本に顕れてはいますが、現実の日本が中心であると言いつのれば諸外国とは調和が取れないでしょう。
一人一人が汚れることなく気涸れることなく、自然との調和の内に生活し、神明に感謝を奉げつつ生活した、その結果として皇統連綿の日本国家が顕現して来たものと私は思います。

小泉八雲は日本に来てこんなに心のきれいな民族は世界に無いといい、日本に帰化したのであります。
光明思想が個人の欲望実現のために利用されようとしていると観るのは間違いでしょうか?
現象が先に立てば実相と云いつつも、穢れの世界であります。『人間神の子』の世界であります。
『大自然讃歌や観世音菩薩讃歌』は『神の子人間』の世界であります。

私たち夫婦は20年程特志家族です、その前はもちろん什一会員でありました。その献資が国際本部の建設に使われることに何らの異議はありません。
妻は雅宣先生の代に準教務になり、教区の練成会の司会等のお手伝いをし、白鳩会の教区副会長をしています。ここ五年程はほぼ毎日教化部の早朝行事に出ています。
妻は頭の回転の良くない人ですが、素直に素直に40年にわたり生長の家についてきました。心の底から中心帰一です。本流なる人々は生長の家でないと私は断言してはばかりません。
「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。

2354神の子さん:2013/07/15(月) 18:27:02 ID:???
 トキさんが下記に記したようまず、文法がおかしいんだよ!!!
** 盲信はやめろ!マサノブ氏が
一番嫌うことだ!
** それとも文法など問題ではない!内容だ〜とまるでカルトか〜*
**
** >>一時、文法的に間違いが多い、と指摘された「新経本」ですが、見ると、まだおかしな部分が多いです。
それと、以前も言いましたが、亡くなった人が、『新経本だけはやめてくれ」と化けて出て来た、という
話もきいています。

 私は、根本的な解決は、教団が本流復活派と和解をして、聖経を使えるようにすることだと思います。
こういう新経本を読ませるのは、とんでもない間違いだと思います。

 ただ、現実には、経本を読む事が義務化されているのも事実です。教区によっては、誌友会で講師が読む事が義務化されているというところもあるみたいです。しかし、現実には、『私は読まない」と公言する人もいて、それが今の段階では黙認されています。<<

2355a hope:2013/07/15(月) 19:27:17 ID:edEDolt2
曳馬野さま

とりあえず、
<<「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか?>>
へのご質問のお答えは、

わたし a hopeの投稿 >>2221 >>2222
復興Gさまのご投稿 >>2225 >>2226

をご覧ください。


その上で、曳馬野さまが

<<「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。>>

と心から思われるのであれば、わたしは何もいうことはありません。
本流の方々の愛国運動(政治運動)に関しては、わたしも今まで自分の意見をたくさん述べてきました。
その時感じたことを率直に投稿してきましたが、自分が本当に正しいかはわかりません。
閲覧者さまにご判断していただくしかないと思っています。

<<私たち夫婦は20年程特志家族です、その前はもちろん什一会員でありました。その献資が国際本部の建設に使われることに何らの異議はありません。
妻は雅宣先生の代に準教務になり、教区の練成会の司会等のお手伝いをし、白鳩会の教区副会長をしています。ここ五年程はほぼ毎日教化部の早朝行事に出ています。
妻は頭の回転の良くない人ですが、素直に素直に40年にわたり生長の家についてきました。心の底から中心帰一です。>>

素晴らしいひたむきな信仰姿勢だと感じます。
でしたら、もしかしたらこういう『「今の教え」と「本流復活」を考える』と名前がついているような、
掲示板はご覧にならない方がいいのかもしれませんね。

2356a hope:2013/07/15(月) 19:33:13 ID:edEDolt2
曳馬野さま

>>2236 >>2237にも「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」についてのわたしの意見を投稿してありますのでご興味があればご覧さい。

2357トキ:2013/07/15(月) 19:37:16 ID:LMGO1Q8s
曳馬野 様

 ご投稿、ありがとうございました。久々の総裁援護派の参戦(?)、心から歓迎申し上げます。

 この私でも、援護をするのを諦めているのですが、さすがは先輩、堂々たる態度での援護意見を
開陳して下さり、感激しています。

 個人的には、ご意見には賛成しませんが、管理人としては、感謝申しあげます。
今後とも、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

2358ユタカ:2013/07/15(月) 20:11:24 ID:R1D4Jmeg
>「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。


@ >> 正しい、正しくない << と言う問題ではないでしょ。。。 「正しいのは「甘露の法雨」だけ」

@ 教団にあった「甘露の法雨」を今まで使用していたのに、わざわざいちゃもんつけて使えなくしたのはだ〜〜れだ??

@ どうして使えなくなってしまったんでしょーーーねぇ?? な〜〜〜んでだ??

2359a hope:2013/07/15(月) 20:46:16 ID:edEDolt2

>>2358 あっ ユタカさま!

今夜の 23時が、第15回web誌友会の終了時間ですね。
ユタカさま、閉会のお祈りをお願いしてもいいですか?

もしかしたら、ユタカさまはこのweb誌友会では、
聖典「生命の實相」の内容だけに徹底してお勉強されたかったのかもしれませんね。
それなのに、わたしが現象に関する問題提起を数回にわたりしてしまい、
途中論争のようなことにもなってしまいすみませんでした。

ですが、わたしは「生命の實相」をお勉強すればするほど、「雅宣先生の教え」のおかしさに気づいてしまうので、
それは仕方ないことなのかなあとも思います。

『「虚説」には「真説」をもって相対せよ。』
ですから、これからも生長の家の真説、「生命の實相」のお勉強を頑張りたいと思います。


復興Gさまは、昨日から登場されていませんが、最初のコメントで、
ご講義のまとめをweb誌友会の後にしてくださるとおっしゃっていたので、
きっとそのうちご登場されると期待しています。

それにしても、12日から15日までの4日間長かったですね〜〜

4日間期間の言い出しっぺの「訊け」管理人さま、
わたしとユタカさまに、いつかきっと、クリームあんみつをおごって下さいよ(笑)

2360復興G:2013/07/15(月) 22:25:55 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

>>それにしても、12日から15日までの4日間長かったですね〜〜<<

トキ様、a hope 様、ユタカ様、あさひ様、rei様、閲覧者A様、曳馬野様、そのほか皆々様。

本当にお疲れさまでした。

私は昨日・今日、今まで登場できなくて、ごめんなさい。

ユタカさまの謹写して下さった「無病常楽の神示」ご講義から、ご投稿文、貴重なご発言、すべてプリントアウトして、丁寧に拝読しています。

まずは、近々に投稿して下さった>>2353 :曳馬野様のご投稿は、a hope 様あてになっていますが、私も「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」はニセ経だ、と言ってきました。(>>2226

>>私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――

聖経『甘露の法雨』には、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。

 これは、ただの長編詩ではなく、聖経に似せてつくった 「似せ経」 であり、[人為]的に作った「偽」 経であると思います。([人為]を一字にすると[偽]になる)<<

 と書いていました。

 それで、曳馬野様のご投稿に、

>>「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか? ここに参加されている人達が皆さん揃って可笑しいというので、今読んでみました。

一言一句可笑しいところは有りません。このような生き方のできる生長の家でなければいけないと私は思いました。<<

とありましたので、私も、総裁の「唐松模様」に掲載されたもののプリントを取り出して、もう一度読んでみました。私は、経本型になったものは、買う気がしないから、買っていません。

感想は、前にもまして、「これはおかしい」と感じました。

頭だけで、言葉と体裁を聖経にある程度似せて作られたニセ経で、文法的にも、文語の中に口語的表現が入り交じった、まったく変な日本語です。こんなものを青少年に読ませたら、誤った変な国語を習わせることになり、絶対にいけません。私自身は、読めと言われても絶対に読みません。

そうは言っても、よくできているなと感じたところもあります。それは「観世音菩薩讃歌」の締めくくりの部分です。

しかし、その部分でも、「雲晴れるが如く」の「晴れる」というのは口語で、文語なら「晴る」が終止形で、「晴るるが如く」が正しい。

助詞の使い方もおかしいです。文語では、主語の後には助詞を付けないのが普通ですが、目的語のあとには「を」をつけます。

「すべてのもの
観世音の教え説かざるはなし」
は、

「すべてのもの
観世音の教えを説かざるはなし」

が正しく、

「陽光映してきらめく様は、……」
は、

「陽光を映してきらめく様は、……」

が正しいのです。

文法的におかしいと思うところは、ほとんど毎ページごとにざらにあります。こんなものをありがたがって読むなど、嫌悪感をもちます。

率直な感想を申し上げました。

2361復興G:2013/07/15(月) 22:54:09 ID:AB6RqYXc

a hope 様。

>>2293 の投稿文は、わかりにくいところがありましたが、その後のご投稿をよく読んでいたら、だいたいわかりました。

>>今、わたしは自分の使命を感じています。
それは、「生長の家の教え」で病気を克服したり、生活苦を解消したり、人間関係を改善したりした人たちがその後、使命感をもって、伝道に励まれるのと同じ気持ちなのではないかと思います。

わたしは、これから「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけないような気がしています。<<

――この前半のところは、>>2318で引用された、宇治の体験集より*Hさんの体験 そして>>2320

>>宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?<<

――と書かれた。a hopeさまの使命感は、このHさんと同じ気持ちなのではないか、ということですね。

そして後半の、<「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけない> の、“そんなんではない” というのは、雅宣総裁の説かれるようなものではない、という意味なのですね。

ちょっとわかりにくかったけれど、わかりました。


さて、テキスト以外ですが、『新版 真理』 第3巻のご教示

<< (香厳上樹) 口で樹の枝にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞(仞は一尺の八倍。八千尺)の谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を握ることを忘れているだけのことであります。

 この「動けるだけの力を、その時、その場、その人に適する相(すがた)に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。

 「禅機の把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行きとどいてあらゆる点を動かし得ることであります。これは心が全相(あらゆるすがた)に達したときに出来るのでありまして、心が一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気をとられて、他になすべき道が無数にあるのに、それを行なうことが出来なくなるのでありまして、自分で自分の力を「これ位のもの」と限ってしまうから二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなるのであります。

 そこで全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。

(中略)

 「何故お前は本来神の子であるのに、脚を擡(もた)げてこの宇宙全体を蹈翻(けとば)すことが出来ないのか、出来るではないか」と云う強い自覚を促す言葉がここに書かれているのであります。

 本当にあなたが自分自身の無限力なる「神性」を自覚したならば地球ぐらいは蹴とばすことが出来るのが当り前なのであります。キリストも「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあれば、この山に動いて海に入れと云うと雖も、必ず成らん」と教えているのであります。これが生命の実相をさとった境地であります。 >>

――このご教示をかみ締め、皆さまのご投稿文を拝読しながら、今、自分は何ができるか、何を為すべきかを沈思黙考しておりました。
<つづく>

2362復興G:2013/07/15(月) 22:54:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

行動は、「風林火山」 ――

「疾(と)きこと 風の如く
徐(しず)かなること 林の如し
侵掠すること 火の如く
動かざること 山の如し」

という神想観の極致の境地で参りたいと思います。

それは、「絶対無」 の境地。

<<「自分」といふものがある間は「自分」と「他」と、或いは「自分」と「神」とが対立してゐる。

 対立は摩擦であるか、絶縁であるか、どちらかで、ピッタリ「一つ」になることが出来ない。先ず自分がなくなることが必要である。「自分」がなくなり、カラッポのパイプの中へ水が流れいるように「神」を流れ入らしめたら、「吾が一変し、天地が一変し、人生はただ、歓びの讃歌にみたされるのである。>>
(「無病常楽の神示」ご講義<ユタカ様ご謹写>より)

そして、
「闇に対しては光をもって相対せよ」 である。

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」 などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)

○古事記神話に、イザナミノミコトが「一日千人くびり殺す」と言われたら、イザナギノミコトは「では、千五百の産屋を建てよう(千五百人生みだそう)」と言われたように。

――それで、具体的に、如何なる行動をするか。

私は、今、「web誌友会参考文献板」 に掲示中である榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動論』 を本にして出版し、心ある生長の家幹部・信徒すべての方々に読んで頂きたいと思う。

そんな思いが湧いてまいりました。

これについては、トキ様が、「本当に、今、求められる内容だと思います」と書いて下さり、
a hope 様も
>>榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。

 わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。<<

 と書いて下さっていました。

 ユタカ様、皆さま、どう思われますか。

 私は、これからの課題、目標として行きたいと思います。

 あ、もうこのweb誌友会、終了の時間ですね。

 皆々様、本当に、本当にありがとうございました。

 合掌 礼拝

2363ユタカ:2013/07/15(月) 22:59:15 ID:R1D4Jmeg
閉会の御祈りは前回は復興Gさまが素晴らしい言葉と共になさいました。
今回は私でいいのでしょうか?

では、光輝く第15回WEB誌友会を閉会いたします。ご指導くださいました復興G様、参加者の皆様、有難うございました。神様の祝福のシャワーを頂いた素晴らしいWEB誌友会となりましたことを感謝申し上げます。


世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

ありがとうございます。ありがとうございます。 終わります。

2364ユタカ:2013/07/15(月) 23:00:22 ID:R1D4Jmeg
あ、復興Gさま、すみません。

お続けくださいませ。。。

2365a hope:2013/07/15(月) 23:05:38 ID:edEDolt2
復興Gさま 

素晴らしいまとめのお言葉をありがとうございます。


ユタカさま 

閉会の祈りをありがとうございます。


トキさま

いつもあたたかく見守ってくださっていてありがとうございます。


ご参加、閲覧してくださった「生長の家」のみなさま

最後までお付き合いくださりありがとうございます。


今回のweb誌友会もたくさんお勉強させていただきました。

心より感謝いたします。

合掌。

2366復興G:2013/07/16(火) 07:51:16 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

昨夜まで長丁場のweb誌友会にお付き合い下さいました皆さま、本当にありがとうございました。

ところで、曳馬野さんに、ちょっとご質問をしたいと思います。

「本流なる人々は生長の家でないと私は断言してはばかりません」 と書かれていました。

あなたは谷口雅宣総裁を支持する生長の家教団の幹部でいらっしゃると思います。

総裁が機関誌 『生長の家』 の八月号に書かれている 「対称性の論理を学ぶ」 を読みますと、

「牛でないものが人間であり、牛は人間ではない――これが非対称性の論理です。」

と書かれています。

その論理から言うと、

「本流なる人々は生長の家でない」

というのは、非対称性の論理である、ということになりませんか?


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