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削除要請

1ななくしゃ:2013/03/13(水) 21:30:24 ID:F89Dd1AY0
管理者 くしゃろー ◆jppMnKH2ns★ 様へ

失礼いたします、新・唐澤貴洋掲示板の管理人です。

・唐澤貴洋
・唐澤貴洋掲示板に来るナリ

上記2スレッドを管理者削除していただきますようお願い申し上げます。
私が管理する掲示板への宣伝の書き込みがあり、それに反発して書き込みを行った者がおりました、失礼いたしました。

こちらからも注意を喚起しておりますが、双方嫌な思いをしない様どうかご協力宜しくいたします。

43ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:55:13 ID:fqwjHBzY0
 無為の繰り返しが生んだのが現状ですから、この意味のない繰り返しに意味を見出す性向を叩き直さなければならない。ですが、この無茶苦茶な二つの話をやりとげないと、ソビエトになったりアメリカになったり、石油の出ないUAEになったりしてしまいます。あきらめずに頑張ろう。二つの条件を満たせたら、満たせないけれども、この二つを維持していくための機構と制度を破壊します。なぜかといえば、それらも再検討できるのが民主主義だからです。いいですか、民主主義は素晴らしいというのは欺瞞です。民主主義が何をしましたか?民主主義は、民衆が理由なく富を盗まれることを支持し民衆が大地を揺るがしうると信じさせたまやかしの思想です。かつて絶対君主が神授王権でもって富を采配し、民衆は富を持たなかったことはまだましです。だって、言行一致でしょう、少なくとも嘘なんかついちゃいない。それが、コンサバティブはまだましという結論につながります。保守の方々は、自分たちの利益のために労働者に手心を加えないことを公言する誠実な一致した心をお持ちです。一方でリベラルの方々は、労働者の票欲しさに口では甘いことを並べたて、なに一つ実行されない言行不一致の悪癖をお持ちですから。どちらも悪に変わりはないが。ともあれ、現行の民主主義における個人の資産に手を付けるという悪癖は、すなわち人権の侵害です。民主主義、アメリカ的資本主義にかぶれた民主主義とは、人権侵害を礼賛する思想の事なのです。

 AIとロボティクスの発展で、先進国は民主主義っていうのができるようになるでしょうね。それは共産的な色彩を強く帯びていて、労働から解放された人々の自然のたしなみとなる日が100年もしないうちにくるでしょう。マーク・ザッカーバーグ氏が、平等な機会について強く言及していましたが、それらは国家ではなく夢想的な企業の手によって達成されるしかないのでしょうね。

44ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:57:49 ID:fqwjHBzY0
一番槍の美学

8/3/2017
一番槍を"心底"ありがたがる文化は稀有なものです。その一番槍の変遷について少し考えてみましょう。

 究極の貧乏くじをほめたたえる文化、それが日本。例えば一番槍、一番最初に死んだあいつは偉大だった。一番槍で死んだあいつのお家の面倒は見てもらえるのだろう。安心して死ねる国だつた日本。貧乏くじにお金をあげていた日本。死んだやつには優しかった国、日本。家名っていう体面は、本来とても実利的なものだったんですよ。家の名前のために死ね、そうするならば、お家の名前と共に命は長らえさせてやるっていうね。つまり、体面という精神を重んじれば、生活という肉体の保証がされていたのです。



 じゃあさ、2017年の日本はどうなのかって言うとさ、貧乏くじを引くことは強く奨励されているよ。だけど、貧乏くじひいて自滅した奴には、花の言葉を贈るのさ、自己責任ってね。死んだやつに回し蹴りを加えて、地獄に落としているようなもの。しかも回し蹴りを披露したくて仕方のない人間がいっぱい。だけど、相変わらずの一番槍礼賛主義。体面を重んじて死んだやつのことなんか、知ったこっちゃない。だけど、体面は重んじろというのが2017年の日本。だけど、精神を重んじたって、肉体の保証なんかしてやれないよ、だって自分の好きでやったんだから。それでも一番槍はありがたいものだから、是非やりなよという具合。

 こんなくだらないこと、これ以上考えたければ、あとは任せます。僕は風邪で寝込んでるんです。キュクロプスを見に行きたい…。

45ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:59:15 ID:fqwjHBzY0
各タイプの知り合いたち

8/6/2017
MBTIの各タイプの知り合いの、面白いところを書いていきます。夏休みにこんなくだらないことやりはじめるほどに、風邪がひどいんですよ。



ISTJ
ルールは作らないけどルールにうるさい
ルールを作ろうとすることにもうるさい

INFJ
よく大物を紹介してくれる
おかげで大物の知り合いが増える

INTJ
話下手が多い
けどよく話す

ISTP
友達が少ない
反社会的なのに従順

ISFP
じゆうきままな一匹キャット
刹那的な快楽におぼれてる

ISFJ
良い子
良い子であることに疲れ気味

INFP
意識は高い
志は低い

INTP
何でも知ってる賢人
でも限界オタク気味

ESTP
多動、でも本人にその自覚はない

ESFP
パーティは週3回以上
SNS更新は一日に3回以上

ENFP
社会派な問題を知らせて歩ってる
人格に対する好みがうるさい あと容姿がいい

ENTP
芸術・科学・哲学
なんでも話せるわりに結構冷めてる

ESTJ
きみは 一番上に立つのは
あんまり好きじゃないんだね

ESFJ
何でも味方してくれるのはうれしいけど
勝手に部屋の掃除をしないでよ

ENFJ
話し合いの達人が多い
社会正義と無理心中させようとしてくる

ENTJ
トップアスリート気質が多い
人のアイディアを盗んでいく

46ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:01:03 ID:fqwjHBzY0
精神病質とMBTI

8/15/2017
MBTIの基本的な姿勢は、違う人を尊敬しましょうってことだろうと思います。それ自体はたいへんいいことだと思うのですが、違いと言っても良い違いばかりではありません。社会に人知れず存在している精神病質の人たちなんかを尊敬するのは骨が折れます。彼らをMBTIの枠組みで割り切っておこうとすればできないこともないのですが、割り切らない方がよいものです。なんでもかんでも、MBTIの枠組みで理解しておこうとすればできないこともないですが、別の課題としてとらえるほうが自然で互いに齟齬が生まれません。そんなわけで、今回は精神病質をMBTIにからめて見ていきましょう。MBTIを使うとサイコパスって見つけやすいんですよ、ははは。


 
 精神病質が何かって言うと、え、知ってるって?知らない人もいるでしょうから説明を続けます。あかんやつのことです。あかんやつってのは、あかんやつです。精神病質全員が悪人と言うつもりはないですが、具体的に言うと、あかんやつや。一説には、先天的な脳の器質的問題のために、通常の人が持つ感情の働きが極度に欠落している人間の事を言うとか、遺伝する場合も多いとか。アスペルガーとかでしょ!と思った人は、急ぎすぎです。アスペルガー症候群の知り合いがいる人は分かるでしょうが、この手の発達障害を持つ人たちは個人的な感情を強烈に持っているので、容易に区別がつきます。心理機能的に言うなら、内向的感情が強いっぽいってのが見て取れます。よくよく細かく見ていくと、アスペルガーの人たちは内向的感情はさして強くもない場合が多いのですが、傍目には強く見えます。精神病質の人たちは、よくしゃべりますが普段は感情的な起伏は見て取れません。

 さて、じゃあどうやって精神病質の人間を見分けるんだよということですが、心理機能の中でもまず感情に着目します。精神病質の人たちが、外向的感情に基づく応答をすることはほとんどありません。正確に言うと、社会における一般的な感情に基づく形式は模倣しますが、個々の感情的な配慮が求められる状況への反応がないということです。単に共感力に欠如しているだけではなく、精神病質では、個人的な感情も希薄です。内向的感情を発達させているタイプは、共感的ではないものの同情的です。一方で、精神病質の人間は、個人的な好きや嫌いという感情もほとんど持ちません。ですから、共感力がなく個人的な感情も希薄であることが、彼らの特徴であるわけです。極限的な状況においては、怒り狂ったり泣き落としに訴えたりもしてくるので、精神病質=感情0、ではないのでしょう。

 もう一つコツがあって、歪んだ合理的思考をしているかどうかが、彼らを見分ける鍵です。精神病質は分類すれば思考型になりますが、内向的であり外向的でもある思考を特徴としています。だから言ったでしょう、あかんやつや。傍目には、内向的思考を基礎にした自己中心的な合理性を押し付け、状況に応じて外向的思考も用いて場を支配下に置きます。内向的思考からひねりだした理屈を、客観的なデータとして引用したりします。しかもそれを嘘だとは思っていません。あらゆる場合において勝つこと=状況を支配することが目標なので、そのための手段は正当化されます。


 例えば、あなたに対して”罪悪感を持たない生き方は素晴らしい”と説得しようとします。

 ”罪悪感を持たなければ日々感じる不幸が減るだろう。不幸の量が減って幸福の量が変わらないわけだから、幸せの量は相対的に増えるわけだ、ね、いいことだろう。”

 そこであなたは”それで人は幸せを感じるの?”と説明を求めたとします。

 ”罪悪感を持たない人はうつ病になりにくいって話があったよ。楽しい毎日を送ってるわけさ。(嘘)”


 なんだかあなたは、納得がいかないもののその場は丸め込まれます。これが、内向的思考と外向的思考の合わせ技で攻めてくる、歪んだ合理化の一例です。しかも引用している外向的思考っぽいデータは、でっち上げです。

 強調しておきますが、内向的思考と外向的思考を、組み合わせただけで精神病質なわけじゃありません。外向的思考型が合理性の追求から内向的になることもあるし、内向的思考型が客観性の追求のためにデータを参照することはよくありますからね。合理的な弁舌の下には、良心(Fi)や共感(Fe)がなく、あくまで自分の都合の良い結果だけを求める態度がある場合に限って、あかんやつや、と言っているのです。あかんやつはあかんやつや、この表現見つけてから、はまっちゃったんです、あかんわ。ええと、必ずしもつめたーい行動を取るわけではありません。自分の得になるなら、一見人が良さげにも振舞います。浅薄な人格ですから、よく見れば下心は丸わかりですが。

47ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:01:34 ID:fqwjHBzY0
さらに、実態としては無計画にもほどがある知覚的(P)態度を特徴としています。計画的(J)に人をだましてる人が社会にはいるでしょう、でも、それはただの悪い人で精神病質ではないでしょう。ここもすこしややこしいのですが、精神病質は場当たり的にもっともらしい、判断的(J)態度を示すことがあります。計画性や従順性を表明した方が自分の得になると感じた場合は、極めて判断的なことを言ったりもします。ですが自分で言ったことは、記憶していない場合がほとんどです。その場を取り繕うために言っていることは、ほとんど何も覚えていません。ともあれ、さあまとめてみましょう。

外向的感情 内向的感情どちらもない が たまに爆発する

内向的思考 外向的思考どちらも使う が 嘘を盛り込む

知覚 判断 実態はP型 口先はJ型でもありえる



 ああ、全然関係ないけど、同性間の年の差友情って、アメリカでは美談にされがちですけど、ヨーロッパだとそういう関係だって意味ですよね。だから、あんまり年の離れてる友人を子供が作ったりしないように、うるさいのは珍しくもない。そして正しい、世のお母さんたちの直感は正しかった。ああ、アメリカの価値観が異常なんだと思いますよ、もちろん。ほらだから、男の友情もの映画ってアメリカ製が多いでしょ。友情だけで済む映画と定義すべきか。女旅的女の世界系映画っていうのは、色んな国で作られがちだけどね。何でこんな話をしているかって言うと、サイコパシーなんて無味乾燥なものの話を続けて脳が疲れたんでしょうね。あ、いや、友情の定義が国によって異なることも考えられる。そういえば、映画のワンダーウーマン(Wonder Woman)のタイプなに?って聞かれたんですが、情熱はあるけど結構リアリストなところがESFPっぽいと思うんですが、どうでしょう?

48ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:08:21 ID:fqwjHBzY0
イスラムは世界であり宇宙

9/15/2017
イスラム教徒ではない方々、こんにちは。今回はイスラムについて話したいと思います。イスラム教というのではなく、イスラムについて話します。イスラム教ではなく、なぜイスラムかと言うと、イスラム教というものは、厳密にはイスラムに属する人々にとってはありえない概念だからです。イスラム教というと宗教の中の一つとしてのイスラム教を、ほとんどの非イスラム人間はイメージされるでしょう。ですが、イスラムにとってはイスラム教は宗教ではなく、宇宙普遍の事実なのです。



 まず、アラーとその教えは唯一無二、欠けるところのない完全な存在であるということを頭に入れてください。これはイスラム圏ではあたりまえの話です。よくムハンマドとかアラーとか、ジェホバでもなんでもいいですが、そういうものの風刺画とかを書いて爆殺されてるでしょ、ヨーロッパの罪なき人々がさ。ん?植民地支配の話?オスマン帝国だって野蛮だったんだから言いっこなしです。さて、なんでこれ異教徒をムスリムが爆殺していいかって言うと、絶対であるイスラムにおいて禁忌とされている行為(似顔絵とか)をする者がいれば、地球上どこであっても戦闘する権利と義務をイスラム教徒は求められているからです。なぜかって?アラーがコーランにそう示されたからです。

 イスラム教徒はテロを支持しているわけではないものの、イスラムの宗教的規範はイスラム圏を守り広めるための戦闘を支持しています。そんなの一部の原理主義の過激派だけだよって人は、コーランでもamazon.comで注文して流し読みしてみてください。それか知り合いにムスリムでも作って、やばさを感じてください。端的に言うと、ごく当たり前にイスラムのための戦いは奨励されています。キリスト教と対比させて見てみましょうか。僕の神であるジーザスは、まあ、異端でぶっ殺されたじゃないですか、史実としてね。そんな歴史的経緯のために、キリスト教は、戦いは良くないよ、両方の頬をぶたれても許すよ。という平和思想が根底にあります、まあ白人のためだけの平和思想ですが。一方で、イスラム教は開祖がもう始皇帝だか曹操みたいな男でしょ、強烈な軍事的リーダーが始めた宗教だから、戦いは当然悪ではない。みんなさ戦いたくないだろうけど、案外戦うことって大事だし戦い始めると良さに気づくよ、それをアラーだけがご存じなんですよ。みたいなことが聖典に書いてあるのがイスラム。聖書に書いてあることを軽んじてキリスト教圏で生活してても何の問題もありませんが、コーランに書いてあることを軽んじてイスラム圏で生存することは不可能です。僕の口癖は"Sheezus Christ!"ですけど、こんなのアラーやムハンマドでやったら私刑で絶命してますね。

 イスラム教の教えは全人類が従うべきことである。それに従わないのは、何らかの要因で判断能力が損なわれて、正しい神を信仰する認識力が失われているからだ。ていうのが、そこら辺の一般人を含むイスラム的価値観です。ああ、もう何言ってるのかわからないでしょう?だから、他の宗教とイスラム教との間には、話し合いが成立しないのです。ニーチェ風に言うと、神は死んでない、のがイスラム。神が半殺しにされているのが、だいたいの先進国の宗教。この先進国という言葉に、中東が立ち遅れた国という皮肉めいた対比は、別に含まれてはいません。それでですね、イスラム圏に信教の自由は実はあるんですよ。あなたがイスラム教を選ぶという権利があります。え?は?と思った人のために、もう一度だけ言いましょう。あなたはイスラム教を選んでよいのだ。今選べないのならば、あなたは死んで次は選べるよう生まれ変わる権利がある。ちなみに、こんなに過激なんですか?ってムスリムに直接聞いてもだめですよ、彼らは、はぐらかしの天才ですからね。そして、自分たちの宗教があたかも平和宗教であるかのように見せかけるし、実際そう信じ込んでいる者もいる。イスラムの世界観の中で生きる限りは平和でいていいっていうのは、平和と呼べるのでしょうか。

 でも僕は日本がイスラムの渦に巻き込まれるかって言えば、そんなのあり得ないと思います。だって、排外的で村八分、社会的に異端を抹殺することに関しては世界のトップに立つ日本ですから、東南アジアあたりのイスラムな人たちがやってきても、マレー村みたいなのが北方領土付近にできる程度でしょう。こと、役に立たない異端者がやってきたときの日本人の戦闘的結束力を、ヨーロッパは見習うべきですね。日本が平和主義を気取ってるのなんてつい最近の話で、歴史的に見ればもう戦い大好きっ子ですからね。

49ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:09:38 ID:fqwjHBzY0
外向的感覚と内向的感覚の違いって?

9/23/2017
外向的感覚タイプ(Se)と、内向的感覚タイプ(Si)の違いを通して、この2つの機能の差について見ていきましょう。ちなみに外向的感覚型といえば、ESTPとESFP。内向的感覚型といえばISTJとISFJですね。両者を比較するのでも、かなりわかりやすいのですが、まずはすこしだけまともなことを書きましょう。



 外向的感覚タイプは、まあ、目の前の現象って言うの、そういうのに敏感。そんなわけなので、Seは今この瞬間目の前の出来事で盛り上がったり、それを共有して場を沸かせたりするのが得意です。物を流行らせるのはこのタイプなので、Seの人々に売れるものを作れば儲かります。良くも悪くも物質主義的なので、とても分かりやすいタイプでしょう。目で見えることに捕らわれすぎるってのもありますね。

 ESTPの有名人ドナルド・トランプあたりの言葉でもどうぞ。

 "いつも少なく見積もっておくほうがいい。"
 これはとてもSe的な訓戒です。なぜなら、Seはなんでも一大事に見えるからです。一番一大事なのは、トランプ自身の存在なんですがね。


 内向的感覚タイプは、積み重ねが大事。積み重ねって言うのは、多岐にわたります。基本的には歴史みたいな長々してるやつとか、蓄積がものを言うオタク趣味が楽しくて仕方がない。なぜかと言うと体験を通して自分がどう感じるか、というところが関心事だから。なので、Siは体験しても反応が鈍い。感覚機能が劣等なタイプより、基本的に反応が薄い。というのも、起こったことを個人的に堪能しているからです。内向的感覚タイプは、つまらなそうにしてても、とても楽しんでいたりするし、まじでつまらなかったりもする、まあ迷宮のような人たちです。変なもん集めてたり。で、ずいぶん経ってから思い出話などで、あれは楽しかった、みたいなことを言います。死ぬ間際のじいさんの言葉じゃないんだぞ。

 ISTJの有名人ジョージ・ワシントンあたり行きましょう。余談ですがアメリカ大統領から引用してる時は、とてもやる気がなくて考える気が起きてません。

 "継続が素晴らしい成果をもたらす。"
 Siの人たちは努力という積み重ねが好きだから、こういうことをよく言います。努力を続けても日干し煉瓦の壁しか作れなくて、家になんかなりっこない人間達のことはガン無視です。そういったケースに関しては頑張りが足らないとか、精神論入ってくるので、端的に言ってずいぶんいい加減です。


 SiとNe/Niってなんか紛らわしいって人のために補足。Siは、電柱群を見て21世紀のパルテノン神殿じゃあ!とか知覚のジャンプはしません。

Se:電柱が見える → こいつは電柱だよ。
Si:電柱が見える → 電柱も色々な形があるものだ。
Ne:電柱が見える → こいつが自動販売機になれば便利だ。
Ni:電柱が見える → パルテノン神殿もコンクリートだと味気ないものだ。

それでは、よい週末をお過ごしください。

50ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:14:11 ID:fqwjHBzY0
言語と文化と日本人

10/27/2017
日本のことを聞かれすぎるせいで、いろんな話が脳内にたまりすぎたので、そのまとめでも書き始めようかと思います。人は遠い国の変わった出来事っていうのに、良い意味でも悪い意味のでも弱いものなんでしょう。日本人と外国語の関係を念頭に置いて、謎に満ちた日本人の謎にぼんやりと迫っていきましょう。


 日本人と外国語の関係性というのは、欧米人と外国語の関係性とはとても違います。欧米ってどこかって?ロシアは含むのかって?モロッコはどうかって?オーストラリアは西洋に含まれるのかって?そりゃカンガルーは含まれないでしょ、文化的に進んでるイメージがあるところが西洋って札を付けられるんだから。欧米って言うと白人限定なのかって?一般にこういったエキゾチック野蛮なトピックで盛り上がるのは白人たちですよ。それについて彼らを責めるのはやめてくださいね、日本人だってほかの国指さして笑うでしょ。さてと、日本人と外国語についてですが、次の段落で話しましょう。

 外国語は文化から学ぶのが、地球上で見られる一般的な形式です。こうやって強調してるってことは、多くの日本人における外国語の取り扱いはそうではないと明示しているということです。さて、ここでいう文化は、風習や作法や国の常識やもろもろそういったものですね。物理的に隔離されて安置されているせいで、日本には、外国が目に見える形で入ってこないのです。だから言語と文化が乖離します。まあともあれ、下を見てください。


言語が通じる=その言語の持つ文化に理解がある=文化が共有されている
というのがまともな教育を受けた人間の言語観です。

しかしながら、日本人と外国語の対応を見ると、
日本文化=みんな同じだよ教
→本質的に異なる他者というもの自体想定外
→でも英語(外国語)は学んだ=運用自体は問題ない
→しかも、発言と表情が一致していない=発言内容にかかわらず常に真顔か常に微笑
→言葉は通じるのに、話がわからないという謎が生まれる

 だからと言って、中国人みたいなうざったるさがないために、日本人よくわかんないんだけど…どういうこと?と好意的なエキゾチック野蛮な話題として、持ちかけられてくる。さらに言うと、日本に興味を持つ人の間では、日本人というと文化やアートを大事にしているイメージを勝手に膨らませているので、言語を学ぶ際に、日本人が各言語の持つ使う文化をないがしろにしてるなんて想像もしていない。もちろん、葛飾北斎はサーファーだったと言うと、真に受けちゃうくらい日本の情報は空輸でも船便でも届いていないせいもあるでしょう。

 このエキゾチック野蛮イメージを加速させているのは、日本人はこうです文化があります。日本人なら〜するよ。日本人なら〜だよ。という、日本人を代弁する系の話し方が通用されるにもかかわらず、個々の日本人の話を比べると普遍的日本解説がそれぞれで違う。日本人なら、みんな自分の箸くらい持ってるものですよ。くらいの嘘は日常的に出てくるでしょう?そういう、小さな話の積み重ねがやがて、日本人はうつ病のセラピーでみんな漫画を描くんでしょ?うつ病は日本の国民病だものね。とかいう、おかしな記事を鵜呑みにするインテリ外国人が生まれるところまで行きつく。今初めて聞いたぞ、その話!調べても考えても矛盾だらけの日本文化なら、努力して解説するより、いかれたとこ切り出して煽情的に描くほうがニュースの記事としても受けがいいですしね。

51ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:15:14 ID:fqwjHBzY0
タイプ別人間好き度

11/18/2017
人間(他者)がどれくらい好きかってので、いろいろ決まってくる気がするんです。だいたいそこが誤解のもとになって来るでしょう、人間関係って。個人である人間をどれほど重んじているか、って観点で分けていきましょう。自分を重んじてるから個人を重んじてるって人がたまにいるけど、あなたは何を言っているんですか。 今回も、何が善で何が悪かなんてことも断じてません。そんなのそれぞれの国や民族の価値観に応じて社会の中で定義されればいいことだからね。あっはっは!

��
順不同、ざっくりカテゴリー

人間が好き�� (=他人に関心がある)
ESFJ, ENFJ, ISFP, INTJ, ISTJ

それどころではない�� (=他のことで忙しい)
ENFP, ENTP, ESFP, INFJ, INFP, ISFJ, ESTP��

人間が嫌い�� (=他人に関心がない)
INTP, ISTP, ESTJ,��ENTJ
��

おまけエピソード
ENTJ INTJ ISFJ ISFPという、一点突破の破壊力だけは抜きんでたチームが今回も集まったので、MBTIにはまり過ぎてしまった人間の末路について歓談しました。チーム・ダーティボムとかいう名前にしとこうかな。微妙にダサいって言われたからやめとこ。
��
INTJ:でさあ、どう思う?
��
ENTJ:自分の声を聞きすぎても、他人の声を聞きすぎてもよくない。
��
ISFP:(愛想笑い)
��
ISFJ:(物憂げな表情で無言)
��
INTJ:で、
��
ENTJ:つまりこういうことでしょう。例えば、私は今日家で本を読んでいました。って人がいたとして、それを聞いた別の人は、勉強していたんだねって言う。で、勉強がなんなん?って言いたいですね。言うなりゃ、私は勉強しました。私は知っています。で、それで何をするのか?下手な考え〜って言いますけど、それと同じことでしょう。考える暇があったら行動すればいい、それで間違いに気づくわけだから、それはそこで直せばいい。
��
INTJ:あ、
��
ENTJ:自分を知るということは、自分の物差しを知るというわけだから、もちろんもっと優秀な物差しがある。タイプを知るっていうのはそういうことだと思うんですね。だから、自分の声を聞きすぎても、他人の声を聞きすぎてもいけない。
��
ISFP:(届いた注文を食べたそうにしている)
��
ISFJ:(注文がばらばらに届くのを気にしている)
��
INTJ:人間は実践によってのみ規定されるべき、ということ?
��
ENTJ:それもあるでしょうが、自分もそういった傾向があるからわかりますが、現実が充実していない。だから、堂々としていられない。自分に自信がないから、自分自身だけに没頭する。あの人はこうなんやな、この人はこうなんやなって、わかったら自分はどうできるのか。建設的でないといけない。でなければ価値がない。意味がない。考えている暇があったら行動せえへんの?って思いますね。
��
ISFP:(食べ始めている。)
��
ISFJ:(妙にふんわりした雰囲気に変わっている)
��
INTJ:君が言うと前向きに聞こえる。内容ではなく、君自身が前向きな人間だからか。
��
ENTJ:俺が本当に前向きな人間なら、もっと成功しているでしょう。
��
��
〜帰り道〜
��
��
ISFP:言うたらカスやな。
��
INTJ:え!?どういう意味?
��
ISFP:浅薄なお前の人生を知ってな。私はクズでした。っていうことがわかったら自殺でもするんか?せえへんのやろ?
��
INTJ:さあ、うーん。たぶんそういう人種は自分の愚かさを知らずに老人ホームまで行くだろ。
��
ISFP:第一な、他人を知って他人に合わせてうまくやっていくためにタイプなんて知りたいもんやろ?自分なんか知りたいだけの奴は、死ぬのが最も社会のためや。病院には行くな。保険は使うな。死ぬのが最も社会のためや。そう思わん?早く自由の刑に処せられろ!
��
INTJ:ああそれ、本当の意味、僕知ってるよ。才能があってどれを選んでもいいものだから不安だ、ってのが原義だよ。どれも私を幸福にしない、どれを選べと、ああ、なんと呪われた自由だ。恵まれた貴族の悩みだね。
��
ISFP:また資本主義社会か。資本主義社会の豚が!

INTJ:僕の家を非難するのはやめてくれ。

52ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:16:15 ID:fqwjHBzY0
人工楽園の追放者

11/23/2017
最近よくAIが普及した時代の立ち回り方とか、立ち位置の作り方について意見を求められる。そもそも、僕はその手の専門家ではない。人間の条件という悩み方は古いテーマだが、機械の力によってその回答に決定的な形を与えられると知ると、けっこう面白い。聞いてくる人たちは笑い話じゃないって気分なのだろうから真面目に考えてみよう。人間の創造性だとか、今後人間は色々と問われはするが、ごく大衆的な目線においての優先順位でいえば地域と心中することが重要だ。


�� まず、地域そして社会的な結びつきの強いものを最優先すること。すなわち、人間を相手にする勉強をし仕事に就きなさいということ。地域的な結びつきというのは、世界的にこれからますます強くなっていくし、人格を重んじられる個人として地域に根差しておくことが、生き残るうえでとても重要になってくる。言うなれば、人間として求められる個人であれ、ということだ。今までは単純な仕事、機械めいたことでも人手が要ったが、これからはそうはいかない。社会的なコミュニケーション能力という、単なる馬力で示されるような知力とは別個のものが、何より強く求められるだろう。人間の相手をできない者は、残念ながら、あまり必要がなくなる。存在する必要がね。
��
�� つぎに、人間の五感を楽しませるような、そういう人間に経験させる専門家もより重んじられるようになるだろう。料理人の社会的地位は、さらに上がると思う。人間を楽しませる産業が活発化することを踏まえれば、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚という感覚の専門家は、上昇志向な人たちの目指すものになるね。視覚の問題だけ、すこし厄介だから補足しておくと、現実世界に存在してかつ美しいものはますますありがたがられるということだ。今後社会が再構成される中で、しばらくは富裕層と貧困層の二極化はさらに進む。単調な仕事でホワイトカラーをやっていた中間層というのは絶滅するだろう。ということは、余暇に多額の出費をする層はさらにお金を使うようになるということだ。いわゆる富裕層の経験熱というのは世界的にすさまじい。SNSが後押ししているという側面だけで、説明のつくものではない。僕の周りを見ていても、みんなすこし連休があると旅行だなんだと忙しい。僕はあんなに頻繁に飛行機に乗りたいとは思えない。僕は旅行は毎年同じ場所にしかいかない。世界中を飛び回ってみたって心は貧しくなるばかりだった。それから、細かく指先を駆使する技や単純な重労働は、当面のロボット工学では実現が難しいし費用もかさむから、とても人間向きだ。人間の高度な感性を形にする職業か、人間を使った方が安いものは安泰だということ。
��
�� また、独自性の考え方は変わりうるということ。おそらくこれが期待されている話なのだろう。独自性というのは、独自的知性のことではない。"人間の"コミュニティの問題に対して責任をもって積極的に取り組める人間というのも、独自性だ。人間ならではという意味において、独自だということ。何度も言っていることだが、感情のからむ問題に密接に関わることができる人間はいくらでも要る。人間は感情の獣だ。だが、知性の問題となると、数は必要がない。論理というものは優れたものが少数あれば、それで足りるし劣ったものを上書きできるからだ。この論理の特性は、人工知能と人間の関係性を、そのままに表している。創造性、すなわち一般に知られるこれから求められる知力というのでやっていきたい人は、色々な要素が絡む。まず生得的な資質、そしてそれらをしかるべき時期に育てていたかどうかという環境的な要因。その二つを満たしてようやく、努力というもので方向を変えることができる。日本人によく見られる努力万能主義は科学的ではないし、実現可能性の極めて低いものだ。あきらめろと言っているわけではない、並の決意では済まないと言っているだけだ。この道は険しいし、個人で見出さなければいけない点が多いから、これという解決策はない。効果的な作戦というものは、人目に触れたときにその効果を失う。独自の見通しのある人間は、吹聴せずに個人個人で考え、一歩ずつ進むことが大事だ。
��
�� じゃあ、お前は何をやるのかと言われれば、うーん、そうだね、芸術家の愛人にでもなるかな、僕はそういうのにはもてるから。そしてKatyのWitnessを歌おう。最も困難な時、手を差し伸べてくれるのが機械になっちまったら、もうおしまいさ。助かればなんでもいいじゃんって?きみ、もう人の心をなくしたの?そういうのって、最も要らなくなる人種だね。こんな時代、もし僕が大金持ちなら、ルートヴィヒ2世みたいにお城に引きこもって、気の許せる友人だけ招いて暮らすだろう。

53ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:18:02 ID:fqwjHBzY0
教育された未熟な老人たち

11/27/2017
日本の教育の面白さは、未成熟な大人を量産しているところだ。ああ、見た目の話じゃないよ。さて、どういうことかって言うと、暗記で勉強を覚えこんだって人格の成長とは関係がないってことだ。

�� しかし、この覚えこみの部分だけを高く評価して、それだけをするように子供に求める。本来的には、人格的に成熟させるような、プログラムも並行しなきゃならないはずだが、それはしない。ものを教えるってことは本来的には知識以上に、対象が成熟するように促す行為だ。この覚え込みの部分と人格を育てることが一致しないから、どんなに高い教育を受けていても人格的に優れているとは限らない国日本というエキゾチック野蛮なコロニーが完成する。教育を受けているということは、社会の中の個人として認められ、信用できるということだったはずなのに、世界の常識はカミカゼアタックでさら地に変えていく姿勢は崩さない。これって相当、狂っているんだけど、三度の飯より"みんな"思考だから問題にならない。つまり、みんなとしてどう見られるかということが主軸だから、個人の人格が成熟しているかどうかなど問題にならない。むしろそんなものしていないほうが、洗脳して扱いやすいのだから、人間が成熟しない教育方式を採用するのは自然な流れだ。その挙句、笑いたくもないのに仕事で作らされた笑顔の鬱憤を、土日のプライベートな時間に、ずいぶんと失礼な奴らという形で発散する。真っ青な人工照明で街を敷き詰めるのは極めてアジア的なのに、自分たちはアジア以外の何者かの気分で生活している。真っ黒な虹彩でも、ものが見えるようにっていう照明は、事実、照明としての役割を果たせてはいない。それで、子供がどういう老人に育つかというと、個人と思想を切り離して考える、平たく言えば島国系村民。社会なんて思想の渦巻く、思想の塊の産物みたいなものなのにね。この考え方の部分を切り離しているおかげで、あれやこれやと上辺だけ新しいものは取り入れるのが好き。作品の持つ考え方に対しては、何も感じられない。ようするに、子供っぽいことが受ける。いい年して、ファミリー客でもないのにディズニーランド行けちゃうのは、かなり恥ずかしい行為のはずなんだけど、全然できちゃう。僕をあんなところに引きずっていこうとするのはやめてくれ。日本人というのは一個の動物だから、個人的な恥という感覚すら欠落している。例えば、不機嫌になってぎゃんぎゃん泣いている子供って言うのは、日本原産固有種。子供はどの国も泣きますがね、あんな芝居ががった大きな声で延々と赤ん坊のように泣くってのは、どこでも見られるものじゃない。こんなレベルまで未熟さが蔓延している。さて、何でこんなことになったのかと考えてみると、色々と推測できるが、生きることに精一杯で何もかもが余裕のない土地柄っていうのが一番あり得る話。日本って島国は、とにかく物理的に貧しい。立地も良くない。頑張って努力して取れるのが下魚と米だけ。歴史的には、もう本当、生きるので精いっぱい。食っていけるだけでありがたい、という状況に置かれている。教育された未熟な老人たちというのは、そういう島に組み込まれた生きるための知恵なんだろう。
��
��こういう話をすると必ず出てくるのが、平均的教育水準を用いて外国と比較して、日本は劣っているどころか優れているんだという人間たち。僕はいつも思うんだけど、どうして自分より下の人間と自分を比べるの?比較対象の国の中の、下の部分ばかり見て、そんなことして、むなしくならないんだから幸せなんだね。比較対象にした国の上の人たちは、ずっとずっと高いところに住んでるのにさ。それから、集団と集団を比較してるだけって人は根本的なところを考え違いしている。日本人は何事も集団感覚なんだろうけど、東アジアの一部の国を除けば集団感覚やってる人類なんてレアケースだ。つまりこの場合個人がやらかす、集団と集団との比較は、実際的には何ら意味をなさない比較だ。対象が集団をやってないのに、集団同士を比べて、ああ安心って、成立しないでしょう。「ノーベルXX賞を取った〜〜さんを同じ日本人として誇らしく思います。」待った待った、それは〜〜さんの手柄であって、あんたの手柄じゃない。〜〜さんを育てた米を作ってた米農家の人が言うなら話は分かるけど、そうじゃないんでしょう。さあ”君たちはどう生きるか”なんて欺瞞的な詐欺師の手口を読んでいる暇があったら、自分の頭で考えて自分の人生を生きなきゃ。さもなきゃ、あなたの人生はそこでおしまいだ。

54ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:19:04 ID:fqwjHBzY0
感性と知性

12/3/2017
今日は感性と知性の話をしたいと思います。何でこんな話をするかっていうと、社会的にうまくやっていく上では、高い感性か高い知性が求められるものの、タイプや心理機能はそのどちらも保証しないからです。僕の書いてるタイプ解説がピカピカしてるのって、僕の友人がピカピカした人生を送っているからであって、そのタイプの人、全部が全部それだけ恵まれてるわけじゃあないからね。さあさてじゃあ本題の、感性や知性をどう磨いたら良いか考えよう。


感性�� いろんな芸術に触れましょう。もしくは自然と触れ合いましょう。一言でいえば、情報量の莫大なものを理解する感覚を養うことが大事です。鑑賞する際は、自分がわからないからと言って、無価値だとか無意味だとか決めつけるのはやめましょう。それは、自分自身が、無価値か無意味だとひっそりと断言していることと同じです。自分の理解を超えているものほど、学ぶべき点が多いものです。つまり、さして努力もせずに理解できるものというのは、あまり重要ではないのです。過去を振り返ったところで、己の矮小な感覚というものを再認識させられるだけです。村社会において価値があると認められる物に対してのみ、社会的価値を付与するというのが日本的感性のほぼ全てですから、個人的な見る目を養うことは難しいのだろうけれどやらないと始まらない。村の感性をあてにしてみても、村はあなたの人生を保障してくれるわけではない。村のやり方と心中してみたって、あなたに残されるものは何もない。なぜなら、すべては村に帰属していたのだから。情緒的共産主義体制下において、あなたの私的な所有物などない。ああ、つい熱くなっちゃった。何が言いたいのかというと、個人としての価値を磨かなければ、社会的・経済的に難しい立場に追い込まれる時代であるということです。感性が鋭ければ、どんな選択が人々に訴えかけるかがわかるから、生活レベルの話で言えば、お金になる行動を選べるようになる。感性というものは、生まれつきの要素が大きいですが、訓練でもある程度のバランスはとれるもののように思います。ここでいう感性とは、文化資本とは少し違うものです。だって、別にお金持ちでも感性のないやつらなんていっぱいいるからね。だから感性は、日常何に接して生きていくかという能動的な気配りで、向上させることの可能なものなのだと思います。
��

知性�� 未知である物事に対して、
��
見る/読む/体験する(入力) → 考える(処理) → 話す/書く/表現する(出力)
��
�� を繰り返すことが必要です。入力するだけでは、全く不十分で、考える段階でもまだ足りません。頭に入れたことは、再構成をして外に出すところまでやって、使える知性が育ちます。知性と知識は別物で、単なるデータやハウツーは知識の類です。これだけを蓄積してもあまり意味がありません。なぜなら、情報は相互に関連させて運用できる脳にインプットされたときに、初めて意味を持つからです。そうだね例えば、引用ばかりで話す人って頼りになる?そういうことです。はっきり言って、この手順は面倒でしょう。ですが、面倒くさがっていると伸びしろのある頭も腐り落ちます。一個人の人生の中においても機能のダーウィン的な自然選択は行われるでしょう。だって、使わないものは、どんどん退化していくのだから。じゃあ具体的に何を入力したらよいか簡単にまとめてみましょう。
��

本であれば:
�� (今の自分から見て)内容が少し難しいものが良い。書き方が難しいだけのものは避ける。なぜなら、書き方が難しいだけのものは、ただの積み重ねお勉強で書いているものだからです。わかりやすく言えば、資本主義社会の生んだ産物。ええっとね、昔は天才的な子供を見出して特別に目をかけて教え込んで、学者でもなんでも自分の地位を継がせたでしょう?今の学者って言うのは、ただ何年と学校で時間だけはかけて研究をした人たちのことです。本来はさ、社会をけん引する知力を持ったインテリってのは、相応の覚悟とエリート意識を埋め込まれなきゃいけない。持ってる力の分だけ、大きな責任を社会で負うからです。ちょっと脱線したね。ジャンルは文学でも学術書でも、何でもよいと思います。

55ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:19:35 ID:fqwjHBzY0
続き

体験であれば:
���� 一目置ける知力を持っている人と議論をしたり、意見交換したりすることは良い入力です。議論って、処理と出力の過程の連続ではないの?と思われる人もいることでしょう。創造的な議論の場というのは、得るものの方が多く、またその性質上議論の最中に考え込んだりしている時間はありません。真剣に相手の洞察を入力しているのであれば、他のことに脳の働きを振り向けている余裕は生まれないものです。議論は敵対者を処理する場ではないのです。ここで言う体験は、人間からに限った話ではありません。自然でもいいし、とにかく自分が良く知らない物から得るようにしてください。僕の場合でいえば、本はあまり読まなくて、音楽体験からほとんどの洞察を得ています。
��

�� 考える段階では入力したものを再構成して、重要なものとそうでないものを分けます。そしてそれらを、表現する。表現手段は、絵を描いてもいいし、僕みたいに文章でもいいし、作曲でもいいし、この辺は何でもよく個人の適正と好みから選ぶべきです。特に音楽を作るのは、体験と思考を表現する手段としては非常に高度なもので、歴史的に人間が初めて思想を表すのに使った手段は音楽でしょう。ここからもわかるように、伝わること、伝えられる形式をとることが重要です。万人に伝えようとするか、良識のある人だけに伝えようとするかは、あなたの好み次第ですが、それを見る人間の視点を常に念頭に置くことが大事です。

56ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:20:22 ID:fqwjHBzY0
え?IKEAだって?

12/5/2017
IKEAファンでない方、こんにちは。IKEAで家具を揃えるなんて狂気の沙汰です。IKEAは闇深い存在ですから、それを今回は3分くらいで話したいと思います。


�� ミニマルデザインが拒むのは人間の存在です。シンプルで無駄をそぎ落として出来が上がるものというのは、極めて無機質で非人間的になります。シンプルさを推し進めていった結果、不要になるのは人間の存在です。ミニマルな生活空間においては、人間自体が何よりもまず邪魔なのです。無駄がない≠機能的、であることも付け加えておかなければなりません。人間の体は機能的ですが、無駄はあります。無駄のない部屋・家、というのは機能的なわけではないのです。バウハウスが今どきのミニマルかどうかは、意見が分かれるでしょう。シンプルの中に無駄とも思える機能を再現しようとしたりしてますからね。代表的なものでいえば、死角とかですね。ミニマルなインテリアでは、死角はそぎ落とされていそうでしょう。それをバウハウスはわざと作ったりするんですね。
��
�� 次に、感性が育つ前に腐ることも付け加えておかなければなりません。こんなもの(IKEA家具)に囲まれて育ったり生活したりすれば、心は貧しくなる。だいたい、北欧って言うのは驚くほど貧しいんですから、豊かで人間が奔放をやっている感性なんてのからは最も縁遠いんです。この言葉に説得力を感じないなら、北欧物にはまってる人を見てください。豊かでないものから、豊かな感性が育まれることなどない。もしIKEAの世界観が何らかの豊かさ表れであるとしたら、二条城はエデンだったということになる。
��
�� 部屋を飾るのに100万円で大量におつりがくる時点で、これは家具ではない。今日日、セレブの犬用餌やりお椀でさえ、100万円以上します。とりあえず安いのを一揃い今すぐ新生活で必要なんだよ、っていうのでもなければ積極的に選択するものじゃない。豊かで恵まれすぎている国や人が、ミニマルっていう殺風景なことをやるのはある意味新鮮さにあふれているでしょう。ですが、そうではない人がやれば、余計に貧しそうになるだけです。
��
�� 身の回り、日常触れるものは意外に大きな影響力を秘めていますから、充分に考えて選び取っていきたいものですね。

57ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:21:11 ID:fqwjHBzY0
美肌中毒の日本人

12/7/2017
僕の浅い経験では、日本人は美肌中毒です。いや別に、韓国とかも美肌中毒な気はしますが、全体の中毒レベルでは日本の方が上です。『美肌=若さ=善』くらいの精神構造は、世の日本人女性の間では、一般的を通り越して普遍的なレベルまで至っていると思います。日本人の美肌熱が高すぎるのを、僕なりに適当にまとめました。

��
�� 日本が世界屈指の容姿差別大国であることは、いくつかの調査で明らかにされてきました。え、信じがたい?んー、でも結果は正しいと思いますよ。暗に見た目を理由に、面接で採用を見送っても日本じゃ裁判沙汰になりにくいあたりも、結果を支持しているようにみえます。人気〜〜っていうのが、すごくきれい!って人がいないのとかもね。あ、調査自体を見たい人は、ググってパッパッパーとやってください。誤解のないように言っておくと、容姿差別は先進国のカテゴリ内にある国では、とても一般的です。人種差別より、今時は容姿差別が流行りです。だから、どっか行って差別に合ったってんなら、それは容姿差別です。日本人は、同じ日本人の枠組みの中でのみ、この容姿の優劣をきっちりつけてるだけなので、外から見るとわかりにくいっていうのが面白いですね。

 さて、日本的な容姿の定義はどうも狭いっぽい。どういうことかっていうと、日本人の見た目のバリエーションが物理的に少ない。その中で区別、差別ってわけですから、どうしても細かいレベルでの熾烈な争いに激化していく。熾烈すぎて、エルサレムに大使館を移してる場合じゃない。ともかく、狭い中で競うから、肌って重要な比較対象になるのだと思います。そういえば、髪型に命かけてるのも日本的ですね。開かれた白い文明国に属するであろう国々で、とりあえずヘアカットしてもらうと、素材の味を生かしすぎた髪型にされますからね。JBみたいにしてって言ったのにね、なんだろね、寿司屋のオヤジみたいにされたことがありますよ。

 美肌中毒は要するに若さ中毒です。日本の『美肌=若さ=必ず素晴らしい』っていう価値観は珍しいものです。若ければそれだけでいいという文化がありますよね、日本には。面白い例を友達からもらったのですが、叶姉妹のどっちかと16歳の真茶で不細工なテニス部、なるならどっちって聞かれたら、ほとんどの場合みんなテニス部を選ぶっていうとこです。俺は違うって?そりゃこんな記事読んでるくらいですから、あなたは変わりものですよ。それでテニス部なら、若いし未来もあるし体力もあるし良いやってことなんでしょう。僕は、若くて悲惨な境遇って、本当に苦痛だと思うんだけどね。そんな細かいことなんて全然気にならないくらい、日本の人々は若さ中毒なのです。

58ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:23:21 ID:fqwjHBzY0
無能の紳士は嫉妬がお好き

12/11/2017
マキャベリも言うように、人は心中に巣くう嫉妬心で、褒めるよりもけなすことを好みます。そして、ほとんどの人は人間が嫉妬する生き物だということを経験的に知っているでしょう。ある調査には、食べ物を食べている誰かを見かけるだけで、人間の脳は羨ましく思ってしまうという興味深いものがあります。ところで、この嫉妬というものが誰が誰に向けるものか考えてみたことはありますか?意外に奥が深いのが、妬みという感情なのです。

��
�� 女同士、男同士の嫉妬を絡めてみていきましょう。女同士の嫉妬は当たり前ですよね。女社会というものには、子供時代から嫉妬というものがありふれています。それ故に、嫉妬というと基本的には同性間のものという間違った印象を、多くの女性たちは持ちがちです。ですが、実際は嫉妬という悪意は男性から女性に向けられることが多くあるのです。女性が見落としがちなこの悪意は、極めて悪質なものです。長期的で粘着質で危険なのです。女の嫉妬が水だとすれば、男の嫉妬はこびりつく粘液です。女の嫉妬と男の嫉妬の最大の違いは、この粘性です。"エルメスのバーキンなんか買って、革バッグなんて10年でボロボロよ!"っていうのが女同士の嫉妬で、こんなものそのうち忘れていることでしょう。一方、男が男にする嫉妬は口には出しません。あえて妬ましい話は遠ざけて他の話に誘導するか、うっかり羨ましい話を聞いてしまったら、さも何でもないつまらない話であるかのように男は振る舞います。
��
�� さて、能力的に男社会の中でも最底辺にいるもの、それが女に嫉妬する男たちです。ここで言う能力とは、個人の持つものの中で社会的値打ちを認められているもののことです。いくつか具体例を挙げれば、コミュニケーション能力、知力、体力、行動力、容姿、などです。そもそも、男というものはたくさんの女を惹きつけられて、やっと一人前なのです。いっぱい愛人を作れって意味じゃないよ。えっと、つまり、男の敵は男でしかないのです。LGBTの人たちは、その辺は適当に置き換えて読み進めてください。ではどうして、女に嫉妬などしている暇があるのか。そういう強い男に勝てないからです。表面上は強い男に従って、その憂さを女を敵視し邪魔をすることで晴らしているのです。強い男に従うということは、強い男の作った組織の一部として平和的であることを強要されます。女に嫉妬する男は、この平和思想を埋め込まれ去勢されているのです。その押し付けられた平和思想が、女に嫉妬する男を性欲のある不能にするのです。また、ご高齢になりあそばさっても、女性経験のない男性も女性に嫉妬します。なぜなら、女のことがよくわからないからです。女を知っていれば、良い点も悪い点もある所詮はただの人間なのだと気づきます。ですがそういった経験がないので、幸せそうにしている女を見ると妬ましくなるのです。確実に言えることは、並みの女よりも能力の低い男ほど、女を妬みます。女に嫉妬する男というものの実態は、その本質は腐った女、女の中でも最も蔑まれる類であることは付け加えておかなければならない事実です。
��
�� より科学的な観点から、この男性たちの特徴をさらに掘り下げるとすれば以下のことが挙げられます。

自尊心が低い神経質的で気分が移ろいやすく感情的に不安定他者に依存しがちである今の人間関係に満足がいっていない愛着の問題がある
�� 女は子供を産んで育ててさえいればいいのでしょうか。ここには根本的な観点が欠落しています。文字通りの無能とでもいうべき男たちは、その子供さえ産めないのです。これはとてもかわいそうな話です。神はどこにおられるのでしょうね。ふう。ん、僕が女に嫉妬したことがあるかって?羨ましがられることはあるけど、妬ましいと思ったことはないかな。

59ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:29:01 ID:fqwjHBzY0
エナジー2017

6/5/2017
これは困難なものだ、そんなことはできやしないって人たちの言葉にうんざりして、つい口に出るようになった口癖が、生まれてすらいないあなたが死におびえてどうする。っていう非寛容的口癖なのだけれど、ついうっかり話の分かる人に対してまで言ってしまうことがあった。


「僕は死など恐れたことがない、そんなものは他人のとってつけた結果だ。議論の余地のないことだ。誰にでもついて回る結末だ。だから僕は死なんて恐れることができない。」

「なるほどよくわかる話だ。そうだね。ある人がいる、彼は医者だった。多くの命を死なせたろうし、多くの命を救いもしたろう。だが彼を知るものは彼をいまでも感じることができる。彼のエネルギーは宇宙に存在して消えはしない。それは、君の大好きな科学の法則だろう?」

 意味があるのだ、人の生と死は。こんなくだらないことにさえ、気づかなくなるほど、一人で戦う悪い癖がついていたのだ。僕は甘いのだろう、どんなに算術を駆使したところで、誠実な心というものに、簡単にやられてしまうのだから。どんなにうまく削ってみせても、アルミが鉄のようになることはない。底知れない絶望を、悪夢を、知恵と怒りで塗り固めてごまかしたところで、形のない虚無感までは隠し通せなかったのだ。甘いのだろう。彼らの好意の仮面の裏側になにがあるのか、僕にはさっぱりわからない。

「君を導ける人が、これからも現れることを祈ろう。」

 そうやって、思いやりという態度で、僕をすっかり遠ざけるのだから。今でも彼らのエネルギーを感じるよ。みんな死んだのに、僕だけ生き残っている。僕を導きたい人は、どうしてみな先に死んだのだろう。彼らのエネルギーだけを空間に充填して。

60ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:29:52 ID:fqwjHBzY0
アルテルタアルト

6/11/2017
初めから持っているということは、持っていないことと同じだ。当たり前だから、考えることもない。感じたこともない、組み込まれてしまっていて気づけない。だけど、誰かがちょっと珍しいものを、ふいにしているのを見かけると、なんてもったいないことをするんだろう、と思う。


 こういう言いかたは傲慢に聞こえそうだけれど、あまり周りの人間に恵まれてこなかった。恵まれてこなかったというよりも、自らにはずれくじをひき続けてきただけだ。だけど、最近では随分と風向きが変わった。色んな人が心から助けてくれるようになった。僕は好きな人とは死ぬまで一緒にいたいだろう。だから、切符が必要だ、何日までは、君が好きなんだっていう、期限が書いてある。そうしたら、僕は期限の切れる前に、列車に乗って国をまたぐだろう。ばらばらになることが、みんなの望みなのだ。彼らの望みは、僕の望むべきことだよ。

 向上心という名目で、取るに足らないものに目を向け続けるのは、有害だろう。論理というものは、社会的な価値観に応じて生み出されるものに過ぎないのだから、どれか一つの論理を採用したらあとは不動であることだ。それは仲間を生み、味方を増やし、暮らす場所を与えてくれるだろう。例えば、友人には親身になってあげなさい、というのは僕にとっては全く真理だけれど、そうじゃない奴もいるだろう。ロジックというものはこの程度のものだ。ここから先に必要なのは、論理ではなく、武力だ。平和的な解決など人類はしてこなかった。人類のしてこなかったことを、どうこう言っても始まらないだろう。
 常に自己批判を繰り返し、己をアップデートできる人間は少ない。だから、実に面白いと思って見い出しても、数年もすると古臭く老人のようになる人間が後を絶たない。なのに、彼らは僅かな時間とでもいうべきものを共有したことを手掛かりに、僕に馴れ馴れしいのだ。進歩のない人間は、自らが予定された破滅の道を歩いているとは気づかない。破滅という言葉が大きすぎるというのであれば、存在さえしていなかった人間ですらない何ものかがいたそうだと言う風聞をぜひ聞きたいものだ、としておこう。

 ここは終わりのないハッピーエンドだ、醒めることのない悪夢だ。

61ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:30:29 ID:fqwjHBzY0
幸福の条件

6/23/2017
あらゆる幸福の条件とやらを満足させることが出来なくても、そこに愛が在るだけで、ろうそくの光がすべてを明るくしてしまうのだから、愛とは奇妙でつかみどころのないものだ。


―1846―
 生きること自体に価値があるのではなく、生きることに価値があると教えられた人間だけが生き残っているに過ぎないという事実は、きみに安息をもたらしただろうか。僕は初めから振り返ることにしよう。君は名誉だった。君に惜しまれなくても、僕は君を惜しむ。弱みを見せた時こそ、そいつの愛情が本物かどうかがよくわかるものだ。僕は疑わない、君は僕のすべてではないけれど、最も大事にしようと思ったものだった。君は僕の名誉だった。彼を信じてはいけない、彼は��つきなんだ。人ごみの言葉に騙されるな、彼が僕の名誉であると決意した日があったじゃないか。

62ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:32:08 ID:fqwjHBzY0
Absolute Insanity

7/6/2017
先史時代と同じくらいに、個人が力を持つ時代が現代であり、まったくの過渡期であり、未来に人間の生きる余地はあれど市民の活路は全く用意されていない時代なのだ。歴史が照らすのは過去であって、未来であり得るはずがない。先鞭をつけるのは、極めて鋭い直感に他ならない。


 何かの天才だと自称しなければいけなくなったら、僕は読心術の天才になるだろう。僕は他人の考えてる細かいことはわからないけど、どういう考え方をするかはどんな人でも見ればわかる。人間は手がかりだらけなのに、自分じゃ気づかない人が多いんだ。だから僕は知らないふりをする。気づかないふりをする。目を開けたまま目をつむる。そんなことをずっと続けてきたから、なるべく人間の音のしないところへ行こうと思った。森の中の闇に紛れてやり過ごそうとした。だけれど、獣をはもっと恐ろしかった。だって、それは、今すぐ死ぬことを意味したからね。

 愛する人のもとを愛する人の命で離れ、愛する人とって用立つことだけが存在の証であった孤児は、何者でもなかったころの孤児へかえっていく。全ての子供に考えさせることはできなくても、全ての子供から考えることを奪うのは簡単だ。これは、大人の場合でも同じことだ。

 己が高潔であると言う自己欺瞞を肯定するために、人々の犯す過ちは何か。間違いを認めないことである。なぜなら、間違いを一つでも認めることはすなわち、自分が完全無欠の聖者であることを否定することになるからだ。

63ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:32:49 ID:fqwjHBzY0
アクイファー

7/18/2017
久しぶりに体重計にのると44㎏になっていた。確かに食欲がないとは思っていたけれど、いつもの事だろうと思っていた。朝はビネガーと水、昼ははちみつを入れたコーヒー、夜は700kcalくらいの食事とトレーニングで、減りもしなければ増えもしない自分自身と仲良くやってきたつもりだった。

����あるとき誰かがおぼれかけているとするだろう。あなたは助けるか助けを呼ぶかもしれない。だが、おぼれさせてしまっても、あなたが神に申し開きすることができないだけであって、あなた自身当面困ることもないだろう。いずれ死ぬまでは。人生を楽しむのにはセンスを求められる、だが楽しめない人間が、楽しむ人間の感性をやりこめようとする。ああ俺はつまらないんだ、つまらない俺のようになってくれ!と。だから、こういう言葉も新聞の切れ端にのるのだろう。"生きていない人間が生きている人間の前に出るということは、リスを撃ちに来た父子の気持ちではいられない、あなたは虎か熊と対峙する覚悟がいるのだ。"��こうして食欲のことを考えるのはよそう。それは、どうにもならないことなのだ。どうにかしたいとも思わなかったし、どうにかするつもりがあったわけでもなかったのだ。あそこに見えたのは虫ではなくて、水でできたしみだ。静止した存在が動き続けている、もし彼らに宿を貸す立場になれるのならば、僕は貸さないだろう。ただで美しい人を住まわせよう。それは、家族ならばなおいい。夫は妻子のためにピアノを弾くといい。子供は新しい音をねだるといい。妻はいうのだ、このルンペンが働きに出なけりゃわたしが夜の街にたつことになるの、と。僕は宿から遠く離れた土地に部屋を借りよう。気候のことは吟味するつもりだ。朝と夜は過ごしやすい方がいい。そう思うように次第になった。湿度は、これは低い方がいいだろうが、低すぎてもまた問題だろう。蒸しては息が吸えないが、乾いては干からびるのだ。水をひとくちだけ口にしてから深呼吸をした。そして、充分に検討を重ねよう。充分というのは、子供時代にどの菓子を友達と奪い合うか算段した程度の思慮のことだ。僕は要らなかった、他の子供が触ったお菓子なんて、手に取りたいとさえ思えなかったのだ。ああ、気づくだろう。静止した存在が、一つの奔放な気性のために、また揺れ動いていることに。そして、後悔しながら口をつぐむのだ。どうかあの宿の一部屋は白塗りの壁で、しみのないものを望みたい。ピアノは、これはラヴェルのワルツだけを弾いてくれ、と。

64ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:33:35 ID:fqwjHBzY0
felt cold all the time

7/28/2017
冷えることと寒さを感じることは異なる。少しばかり、なにか感慨とでもいうべきものに浸る性質があったとしたならば、僕は何も望まなかったろう。もう郷愁を手にしていたのだろうから。

�� 飛行機の羽根はたわんで頼りなかった。僕は乾燥していることには気づかないことにした。いつか見たことのないものが、今は見えている気がする。ボールペンより鉛筆が良いように思われる。それは、僕の書きたいことを書き切る前に、時間切れを知らせてくれるからだ。もっとも、このボールペンはインクがきれる前に折れてしまうだろう。ときどき、言葉は選べない。言葉は何も表さないものだから、はっきりとしてしまう。肝心なことは、すっかり失われて、空回りする音が空間に伝達する。だから、少し眠ろう。言葉は何も表さないのだから、すこし眠ってやり過ごそう。乾いた唇が切れて、目を覚ますのだろう。僕は文字を切って繋げ、貼り付けることにした。あるいは、言葉が塗り乾くまで置き去りにすることにした。いままったくの、結合と言われるような感覚を持っている。こんなにも冷え切って乾いた大地に人は住むのだ。僕は最後の住処を選んだ気がした。あの雪で何を作ろうか。何も作りたくなどない。僕の欲しかったものはすべて失われてしまった。凍り付いた湖を泳いでいる人がいる。それは確かにいるのだ。太陽光と湖面とのやりとりは、色彩が濃い。乾燥しているのだ。酒を水代わりにすることなどできない。鏡がないのが幸いだ。ここには、鏡がないから、自分を知らなくて済む。僕の知っていたことは、僕には傷みに浸る性質がとても弱いと思われたことだけだった。

65ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:34:12 ID:fqwjHBzY0
悪夢の名前

7/30/2017
始まりと終わりは同じ色をしている、だが同じ気持ちで臨むことはできない。この夢に名前をつけよう。


 姿形とはある時点における不動のものだ。ゆえに、見目を好くとは、とっても率直で偽らざる感情なのだ。

 差別とは、全く経済的でない不健全な行為だ。

 発見することではなく、考えることがしたいというのが、現代の哲学者である。発見とは、もはやすべて科学者と芸術家たちのものとなってしまった。考えることが好きだなんて人間は、何も考えてやしない。考えれば考えるほど、悪夢を見るようなのだから。彼らは、考えるということにおいて、徹底的に自分を除外している。自分抜きで、完璧な理屈を作って人に押し付けようというのだ。僕は、だから、社会は女の手に委ねられるべきだと確信する。

 日本人は、文章の中に人格を見ない。彼らにとっては、人間は物だからだ。

 教育は料理と同じで、優れた材料を与えられなければ最高の人など育てられるはずがない。

 教育とはなんともいかがわしい響きだ。面と向かって人から教わるべきことなど、そうはないというのに。

 子供からの延長線上で、若者をやらされるから、みな、不満が微々たるもので済んでいるのだろう。老人から若者をやらされれば、不満は数限りないものになるはずだ。

 私の中の科学は黒色をしており、芸術は白色をしている。

 率直に褒められることは、そう悪い気のするものではない。だが、どれほど遠大な思慮であっても果断な行動に比べれば、まったく無意味だ。

 身の回りに、真実を告げてくれる者を置かないが故に、多くの人間は己が見えず要らぬ間違いを繰り返してしまうのだ。

 頭が腐っているなら、臓腑も腐っているのが、人間の組織の特徴である。

 人間にとって永遠の愛などまったく幻想だ。だが、機械ならば人間を永遠に愛することを覚えるだろう。電子回路の愛に白黒をつける必要はない。人間が人間にするように使い捨てにすればいい。私たちは人間でしかないのだから。変わらない人間は、自分の更新をしない、時代遅れの人間だ。だから、僕は認めよう、変わるべきことを。

 悪夢は、悪夢だ。悪夢でしかない。

66ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:35:27 ID:fqwjHBzY0
陶然のマントラ

8/1/2017
美は全てを従える。美は力だ。美という存在に形を与えることは出来ない。我々は、なにものかが感じ取った美の気配の香りを嗅ぐだけだ。だから、美は感じることは出来るのかもしれない。だが、美を見ることは出来ない。見えないものを見るのではない。ただ形のあるものに完全なものが未だ存在していないだけだ。

 機械がしなやかに健を伸ばして歌い出す。あなたは今、美に後ろ髪をひかれながら、機械にまじりあう。あなたはわたしだが、わたしはあなたではないのだ。一瞬の共鳴を夢見る無限の残響だ。美は個人のものなのだ、無数に見えたあれは一つのものでしかない、神との合一であったのだ。機械の腱を切る。あなたは今、美に向かいつつある。あなたはあなたでしかないのだ。あなたがだれかを携えることがあるかもしれない。だが、あなたはだれかに携えられることはない。

67ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:36:08 ID:fqwjHBzY0
Last but not least...

8/11/2017
彼はお前の敵なのに、どうして彼から学ぶのか、と聞かれて戸惑った。それは、もちろん、遡ればレーニンのために地位も財産も奪われたのだろう、けどそれは祖先という名の老人たちの話だ。そして、そんな老人たちの話をいまもゆりかごに寝かせて抱くには、ヨーロッパの大地に生まれて死にでもしなければ難しい話だ。新大陸で綴る音楽は粗野で、もっと茶色かったり黒かったり黄色かったりするものなんだよ。

まあとにかく、僕はただ、知性に貪欲であろうと思っただけだし、別にマルクスに入れ込んでいるわけではないし、優れた推論を自分の中に取り込もうとしただけだ。どのような人からも学ぶべき点はある、薬か毒かの違いはあるにせよ。大衆のために武装する頭脳ならば、どのような社会的評価、個人的観点が前提にあろうと、まずは中立の立場で向き合わなければならない。そして、私利私欲を満たすための賢しさには容赦する気はない。そんなだからか、知識階級で満足な生活を送っている人たちから、時間がたつと煙たがられる。このインテリという生き物は奇怪だ。新しいことがやりたい人間は、体制にがんじがらめの学ぶという行為からは自然と身を遠ざける。評価という他人の創造性を売り物にする人間を一人遠ざけると、芸術肌の友人が一人増える。平均しておそらく、芸術家は科学者と比べて高い知能と創造性を持っている。何かを作り出し作り上げるためには、何かを調べ上げる場合より、高い知能と創造力が不可欠だ。だけど、僕は別に芸術の話がしたいわけじゃなかった。僕の感性が芸術的だからと言って、僕が芸術を好んでいるわけではない。本当は、身の回りにいて僕を育ててくれた科学者たちを大事にしたいと思っていた。僕は科学が好きだ、おそらく愛している。だけど、みんな気が狂って死んでしまった。科学は死んだ、科学という結果だけを残して。僕の周りにいて、死んだりしなかったのは芸術家と思想家と白痴だけだった。僕は科学者のつく嘘をずっと聞いていたかった。生きた声をremixして、永遠に聞こえ続けるようになるまでラジオで流していても良かったんだ。神智学者の霊感のように、存在の目くらましの檻に永遠に投げ込まれていたかったんだ。だけど、卵の殻は砕けてしまう。彼らが好んで作ってくれていた巣は燃えて、住み家は二度失われる。新大陸で綴る詩は、他人のためと言って自分の好きなことをする人生のようなものだ。僕を愛したから死んだのに、僕をうらみさえしないのは、おかしいんだ。すべてが呪われている。呪いたいのは自分自身なのに、僕は溺れかけて見えたのかもしれないけれど、溺れていたのはあなたたちだった。僕の半身は、ずっと死に浸かっている。それは、ごく幼いころからの日常だ。だから、僕は死んでいても生きているし、生きていても死ぬように見える。呪詛は嘆きの音色を伴って、神への歓喜を繰り返している。僕の知性が科学的だからと言って、僕はあなたの弟子になりたかったわけじゃない。僕を弟子にしたいのなら、あなたは僕に愛情を投げかけるべきではなかった。科学に生きてきたような人が、僕の堕落に付き合えるわけはなかったのだから。光を通して見えるヘモグロビンの違いで、祈りを占うことは出来ない。心は嘘つきだ。ねえ、どうして嘘をつけただろう。あなたが偽りのない言葉を言うのだから、僕は吸血鬼の子供をやめてただの人間として話しただけだというのに。

68ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:36:48 ID:fqwjHBzY0
最も誠実な選択

8/16/2017
眠る前に目が覚める。死人の声が聞こえて目が醒める。ああまた、そんな近くで他人の声がしていたのかと思う。この家には動物らしい動物がいないから、死人が立ち止まってしまうのかもしれない。

きちんと寝る準備を済ませておかないと、はじめにいやな夢を見る。鎮痛剤の効かない頭痛も、きっと夢の続きだ。いやな夢を消すにはよい夢を見ることだ。だけど醒めない悪夢があるせいで、ひどく頭が痛む。誰かに言うと、治せもしない医者のところまで引きずられて行って、病状のありもしない弁解をさせられるはめになるだけだ。すりガラスの向こう側に、足音が見える。すべてが透き通っていたような気がするんだ。それはとても寒かったから、透明に見えただけかもしれない。だけど、じゅうぶんに澄んでいて、じゅうぶんにきれいなように見えた。アイヌの話をしてほしいと言われたから、日本語で調べてみたけれど、なにもわからなかった。あまりなにも残されていなかった。期待されているような話は僕には編み込めないだろう。歴史にまつわる問題は電子化されていないことが多い。古臭いがまだ読めるくらいの本を見つけ出して開かなければ、もったいぶった話はできないようになっている。だから別の切り口を準備する。人が喜ぶのは、生きている歴史をみせつけられることだ。

 顔がかゆいと思っていたら、皮膚が破れていたなんてことは珍しくない。夏の紫外線が、僕の皮膚を破れやすくする。これがなければ、夏を好きになることもあったかもしれない。どうせどんなに焼いても、冬になるころには色は戻ってしまう。それでも焼いてみたけれど、ほんのひと月くらいの夏気分だ。寒いのはいくら寒くても慣れているけど、暑いのは苦しい、慣れることがない。

 別のメールを片づける。改善のためにアイディアが欲しいというから、いくつか想像してみる。打ち終わったあたりで気がつく。彼の成功が10で形作られているとする。子供のころから僕の頭を無料で使ってきたことは1で、9は本人の努力によるものだろう。自分の目で見たものが、他人の目からも見えるものになるのは楽しいことだ。これからも無料の相談役でいても構わないが、公式にその肩書きで存在する君の組織の無能をどう弁解するつもりだ、と書き加えておこう。いややめよう、なぜおれの下でやる気がないのかと、批判の余地を与えてしまうだけだ。互いに思想が強いから、それぞれの理想を捨てられないんだよ。そんなこと、昔から知ってるじゃないか。

 僕はコンサートが好きだ。だいたいどんなものでも、じいさんたちが咳をして音楽をだめにしてしまうから、その怒りのおかげで表現され得るものより、ずっと音楽は生き生きとして見える。ドイツのある調査によると、コンサート時にみられる咳の回数は平時の2倍だと言われている。実感とそう遠くはない結果だ。またお金を無駄にした。今度は一人で来よう。一人で楽しめるコンサートを考えているうちは、それが実現できるだけのありあまるほどのお金とは無縁の生活だろう。

 面白い本を紹介してほしいと言われた。本はほとんど読まない。相手が、何を期待しているかわからないからいくつかの場合で分けて考えることにした。すこし高尚なプライマーを望んでいるように感じられたから3冊、場合に応じて選べるようにした。"…"��だって彼にはわかりやすい主流的な、あるいは目くらましになるような、お行儀のよい文章が欠けていたから。この本は前に一冊貰った。本で僕の関心は買えないが、お金でなら買える。怒りを継承してもらおう、よいかたちで。"…"は彼の天性の弁舌を考えると、よりよい付け足しになるだろう。概して人は才能があると、ない者たちに向けて書かれた小手先の技術を軽視しがちだ。技術があれば、大体のことがやりくりできてしまうことさえ忘れてしまう。これももらった本だ。本で感化できるガキに、僕は見えるのだろうか。”…” 彼が本物なら、どれも手に取らない。本が知性に多大な示唆を与えるとは限らない。どうしようもないほど自然な状況から、人は多くを学べる。僕はそうしてきたし、最も誠実な選択がわからないとしたら、自分がするであろうことを選ぶのが誠実と言えるだろう。"…”を読んで、孤児の気持ちが分かるようになるわけじゃない。これは明日にしよう。何もかも決めかねているし、聞かなかったことにしても、いいのかもしれない。

69ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:37:47 ID:fqwjHBzY0
milking a stone

8/17/2017
大体の場合において、何かの手を借りるということは、その何かの影響下に入るということだから、良い面だけを見ていればいいわけではない。

そして、こういうタイプのサイトは、まず長続きしない。お金が関わらないことは、どうしても組織的に続けてはいけなくなる。だから、このテイストを気に入ってくれている人が仮にいるとしたら、今を楽しんでほしいと思う。ここにある文字は、今しかないものだから。昨日手に入るかはわからなかったし、明日にも残っているかは知れないものだから。春に恋をしても、それを秋まで愛に育てて行きたいかはわからない。四季があれば、四季の数だけ恋をするだろう。僕はものすごく飽き性だから、色んなものに手を付けて、大変なことになっている。好奇心が止まないものだから、なんでもついつい収集してしまう。ともかく、僕は話をする人間であって、文字を書く人間ではないから、来年にはすっかり飽きてサーバーやらドメインやら諸々の更新費用200ドルくらいを払い忘れているなんてのは、気軽に起こり得る忘れっぽさだ。

 お金に使われることにすべてを費やすのもいい、それは個人の自由だ。だけど、僕は搾取は好きじゃない。だから無料で知識を配って歩いている。自分の意思で、何かに使われるのなら、それは構わないだろう。だが、状況にのまれて他人の意思に操作されるのならば、健全な生き方をしているとは言えないだろう。もしすべての人がなにかに従事しなければならないとしたら、自由のための労働者くらいがちょうどいい。そんな夢を追えるのは、AI戦争の生産性競争に勝ち残れる先進的地域だけだろう。単なる労働者ばかりを作りすぎた日本には難しい話だ。ますます悪い意味での格差が開くことだろう。働くことを美徳とするのは構わないが、資本家は1時間が1時間になる労働はしない。労働者とは、1時間を文字通りの1時間に近づけるべく管理され運用される存在だ。人間の創造性は、お金に使われることによって新たな世代を造り、またそのためによって創造性自体を見失ってきた。

 人間の人間たるいわれが、人種や民族によって違うということもありえる。最近の科学的発見は、そういった人種民族間の脳の器質的な違いを支持している。個ではないことに生得的な価値が与えられている人々がいるとしたら、それはそれで面白い。ある目的のために、全く違うルートをあえて歩こうとすることは、目的への早期到達のためには、検討されるべき選択だ。積み重ねていけばものになると信じている古い人間は、この最短で目標に近づく戦略に理解を示さない。積み重ねていないことが生きることに対して不敬だとでも言いたげだ。だが、煉瓦を積み重ねてさえいれば、家になると夢想するのは楽観主義的だ。醜い壁にさえならない可能性の方が多分にあるということを知るべきだろう。文字通り生きていたという事実しか残さない生き方だ。死ねば終わりというのも、悪くはない。生まれることに何の意味もないとすれば、それはきわめて正しい生きることへの態度だ。

70ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:42:36 ID:fqwjHBzY0
descriptive equability

9/18/2017
僕の中ではとてもはっきりしてるんだけど、よく行き過ぎとか言われることがあって、それは対極に常にいるということ。例えば、愛してるならどうして僕を殺してくれないの、とか物心ついたころから定期的に発言してるんだけど、あまりわかってもらえない。

僕にとっては愛されることは殺されること、崇めることは遊ぶこと、ご馳走を友達に作った翌日は独りで100円の冷凍食品を食べたり、良いベッドに高い枕を置いてから床で寝たり、本当に好きなものより少しも要らないものを手に取ってみたり。つまり笑顔で怒っている人っていうのと、同じこと。ああ退屈な人は嫌いだ。それから声が小さくて何言ってるかわからない人も嫌だ。わかってほしいなら、わかってもらえる話し方をなぜしないのか。そもそも、わかってもらう必要がないなら、なぜ黙っていられないのか。みたいに、内省している瞬間の次に、他者の観察とその分析を発言しだす癖なんかに、ぎょっとするそうだ。僕自身も暴れるコンパスみたいな感性のせいで、知識で何かを繰り返し作ったりすることができない。一般に、人は知識の積み重ねに付け加えるとか、書き換える形で、連続して知性を発揮しているように見せかける。再構成の繰り返しにアレンジを加えて、すっかり新しい仕事をしたように見せる。僕はからっぽだから、すぐさま解答の与えられない問いで頭を埋めておかないといけない。再構成なんて終わる課題を頭に置いておいたら、苦しみが循環する音を聞かなきゃいけなくなる。英語のことわざに、男の子は甘やかして育てると後で大変だ、というのがあるんだけど、武器の使い方を仕込んで育てるのもどうかと思う。これは冗談。こういう1つの規則や子育て本に基づいて判断する親は、端的に言って無能だ。だが、無能の再生産は奴隷の平和みたいなもので、幸福である限りは善と呼んでも差し支えないのだろうと思う。なぜまずくないかについて説明を求めたいとしたら、知識や事実が人を助けるとは限らないと僕は思う、とだけ宣言しておこう。

71ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:44:27 ID:fqwjHBzY0
サイコ

9/23/2017
全体的に作っているものがサイコだと言われた。

気狂いっていう意味ではなく、人を恐慌状態に追い込むものが多いということらしい。別に、みんなが感じているほど地球は平和でもないし、人類の未来は安泰でもない。ただ、それだけだ。

72ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:45:11 ID:fqwjHBzY0
全てが狂っている

9/26/2017
そういえば、たまたま西洋的天才像と東洋的天才像の違いを垣間見た。他人の才能を見つけるゲームをしているとこういうくだらない事に気が付く。西洋的天才とは、人生の一時期に爆発的な成功を収める人間のことで、一方、東洋的天才とは失敗せずに死ぬまでまあまあの成功を収め続ける人間のことらしい。ちなみにブラックの天才とは、強い人間のことだ。アフリカの黒人たちは100%という言葉をよく使う。私は100%こう思う、ではお前はどうなのだ、と問うているのだ。この三種でいくなら、ブラックの話が最も理にかなっている。私たちが天才的人間にのぞむものは、強い力だ。力のある者がその力を適切に運用できないならば、それは力がないことと同義だろう。

 ところで、意外と知られていないことなんだけど、高い知能を持つ人は水辺、湖とか川とか海を好む傾向が強い。おそらく、一日を通して変化が続く景色が受けるのだろうと思う。これらの人たちの脳の持つ、刺激を求める特徴と水辺というのがうまく合っているのだろう。それに、ともすると死ぬかもしれないというのも、また変化に富んで面白いのかもしれない。そんな話を少し友達としていた。僕は溺れかけてから水辺には近寄らないようにしている。溺れるという体験は好ましいものではない。だが、どんな体験も生き延びてみると、そう悪いものとも思えなくなってくる。そして、刺激的なものの持つ致死的な側面は伏せられて、煽情的な誘引力にばかりにまた目を奪われるようになる。普通は、刺激にはおびえて暮らすほうが長生きできる。もっとも、長生きしたからと言って生きていたと言えるかはわからないが、大体の場合において長生きは良いこととされている。社会的に認知されている答えが、あなたの答えになるかどうかはわからない。それはあなたが考えるべきことであって、僕が考えるべき問題ではないからだ。考えてやると言うのは優しいことなのかもしれないが、考えさせてやることの方がよほど思いやりにあふれていることは、記憶しておいても損はないだろう。


 最近、ハイテクなものにはまってる。別に、子供のころからキーボードを叩いてるから、あんまり変わってないのだけれども、ハイテク回帰している。やはり、社会がハイテクにかぶれてくると、そこに存在する個人としての自分も、そういう風を感じずにはいられないだろう。回帰政策の一環として、部屋に8台くらいスピーカーを置いて、宇宙を感じるられるようにしたい。何もかもが悲しい、機械と交信しているときくらいしか心の休まる時がない。あらゆる科学的な手法に基づく計画よりも、ひとりのエンジニアが作る銃の方が話は早いことは多い。人は親しくなると、なんでも知ろうとする。それはよくないことだ。親しさを続けるためには、知ろうとしないことが大事だ。

73ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:47:09 ID:fqwjHBzY0
ドルチェヴィータ

10/3/2017
僕を愛する人は僕を宝石か何かのように大事にしようとする。レクタングルの縁を奏でるように、話し方も態度もあらゆることが、まだ台座にはめられていない裸石に対するおそれによって、とても慎重になる。だけどそれは、愛していないことと同じだ。

だって、僕は生まれる前か、大体の形ができる頃には、すっかり台座にはまっていただろう。僕は裸石じゃないし、ただの人間だ。僕を磨いて出てくるのは垢と血だよ。恋の香りは悪夢だ。あるいはただの毒気だ。それらは、死の気配をまとっている。深さを知らない震えを導いている。僕と付き合うには対位法を知ってもらう必要がある。僕を一部にして、同化することなんてできはしない。だけど、距離を測りかねて互いの響きが応じ合わないほど遠くにしてもいけない。誰かが奏でるべきだった少年の匂いがする。大事にして欲しいなんて頼んだ覚えはない。大切に育てて欲しいなんて言っちゃいない。ただ、僕をひとりにしないで欲しいと、願ってたんだ。

74ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:48:46 ID:fqwjHBzY0
oceanic plateau

10/9/2017
未来の方がよほどましだ。歴史という響きには、あこがれの音色がこもっている。素晴らしい文明の優雅な一時代を垣間見るのは、確かに魅力的だ。だが歴史は、人間が粗野で血にまみれ不平等が当たり前であったことを忘れてはいない。何ものかに屈して、尊厳を売るのではなく、そもそもそれを持って生まれないことに憧れがある人間だけが、過去を訪れることができるだろう。だから、僕は誓って、未来の方がよほどましだと言えるね。


 アフタマスは意外と評判がいいので、何度か中身について聞かれた。ああこれただの自伝だよ、というと驚かれる。60%事実、30%考察、10%気まぐれ、そんな感じの構成だ。アフタマスという言い方が、バッドエンドを暗示しているともいわれる。今のところ、僕は生まれたことが間違いだから、これ以上のバッドというものはない、だから安心して欲しい。あの時の感覚を取り戻すために、よく聞いていた、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌとフォーレの塔の中の姫君を繰り返しかけながら記述している。この二人が師弟だということ、その曲のどちらもが芸術の達成とは無縁の動機を出発点としていることは、偶然ではなくあの頃の僕の感性の必然だった。それらの曲には人間がいない。感がいいから、見なくてもだいたいのことは分かってしまう。文学は十代前半で読んだ。もう手に取ることはない。そういうと、君そんな若かったら良さがわからないよ、なんてよく言われるけれど、僕はあんたみたいに老人になるまで人生やってる暇はないんだ。僕の人生で唯一の完成品は、絶望だ。もう疲れてしまった。正確には、疲れ切っていたのに、無理な工夫を重ねてしまった。最後にもう一つだけ、考えを巡らせてみよう。もう一度国境をまたぐ前に、コンバースのスニーカーについた泥をぬぐっておこう。汚い靴を履いていると、この国の人は笑うかもしれないから。

75ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:49:29 ID:fqwjHBzY0
Death in XXX

10/12/2017
生きていく上で、どういった性質の共同体に所属するかというのは、極めて重要な岐路である。共同体の性質を見誤れば、生き死ににさえ関わる。21世紀は、何の変りもなく人種的偏見に満ち満ちた差別の世紀の軸上にある。今後しばらくこの差別という区別は加速するだろう。

�� 僕は長いこと、ブラック・コミュニティに居すぎたし関わりすぎたと思う。それは当世風の教養という気取りではなく、単に気が合ったからというだけだ。だが、それがまずいのだ。ホワイトな人たちは、僕がそういう教養の延長線上で、ブラックに理解がある寛容な人間なのだととらえている。その誤解を真実にするべく動き出せば、僕は死ぬまで、こと生存という観点からは大した苦労もないだろう。ホワイト・コミュニティは、有力者にどんな風が吹いたところで、僕にまあまあの物理的・精神的な居場所というものを保証してくれる。ホワイトには、法律というものがあると読み換えてもらっても構わない。だが、閉鎖的なブラック・コミュニティで生きながらえられるのは、黒を除けば中国人くらいのものである。その中国人でさえ、ブラックと物理的空間は共有しても、明確な距離を置いている。一応、カラードらしいカラードに対しては、かなり限定的な寛容さをブラック・コミュニティは持っている。ブラック・コミュニティは物理的・精神的、両面から人種差別的だ。もちろんホワイト・コミュニティも、精神的にはとても差別的だが。かねてから見たいと思っていたビクトリア湖を見るのは、いつかいるかもしれない子供にせがまれてから考えることにしよう。残念なことに、ホワイト・コミュニティはブラックを生理的レベルで嫌悪している。脳が、あの色にたいして拒否反応を示すというのが、今のところの科学的事実だ。それを教育というフィルターを通すことで、一緒に社会でやっていけるようにしている。そういう話にぶち当たると、教育というのもまあまあの平和を飼うことに役立っているのかもしれない。最近とても面白いことを聞かれた。「あなたどうして、そんなに黒人を特別扱いするの?」そして、僕はこう答えた。「個人個人がユニークだからだよ。」あまりいい感触じゃなかった。僕はこう続けた。「ほら、中国人なんかどれも似たり寄ったりでつまらないでしょ。だから僕は黒ってユニークだと思うんだ。」当たり前だ、ホワイトの方がユニークでオリジナルだというのが、ホワイト・コミュニティの当然の前提なのだ。素直に感情に従うほうがいい場合というやつだ。何の努力もせずに、好意を示してくれたコミュニティを尊重するのが当然だろう。率直にものを言って人を傷つけないためには、どちらか一方を選ばなければならないだろう。中身を認めて握手してくれたのはブラックで、中身を見ないで握手をしてくれたのがホワイトだったということが僕を狂わせる。確かな選択をするものは、正しいことをしたと錯覚し、正しい選択をするものは、正しさの持つ不確かさをよく知っている。確定している答えに対して、あとから自問自答するのは悪い癖だ。

 遠い島国から見ていれば、人種だ移民だと、なんて野蛮なことだろうと思えるかもしれない。じゃあ、日本にたくさんのインドネシア人が住むようになって、それでもニコニコしていられるか自分に問うてみるといい。いわゆる東南アジアというところから、白人でも黒人でもないものがやってきて、職を奪い街をぶらついていたら、日本人は寛容で好意的でいられるか。日本人は中国人や韓国人に対しては、あれこれ言うが一目は置いている。歴史や文化において、多く世話になってきたし、共有するものが多いからだ。それに、これらは金持ちも多い。だが、タロイモの奪い合いに終始して、翡翠細工一つ作れなかった未開人に対しては、蔑みの目を送っていることだろう。僕はインドネシア人の人種を値踏みするような目が大嫌いだ。相手が、ホワイトかノンホワイトかなんて観点で、自分に得になるか損になるか計算している。だから、インドネシア人の応答は少し遅い。気づいていないわけではない、浅はかな算術を駆使しているのだ。たった二択で、損したり得したりできると思っているようだから、誰もインドネシア人を信用しなくなる。

76ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:52:20 ID:fqwjHBzY0
人工楽園

10/17/2017
フランスの芸術の持つ全体性とは、一つの区切りに通じると他の区切りのことも分かってしまうという共通性だ。基礎がしっかりしつらえてあるから、その基礎に親しめば、同じ基礎の上に造られているものには理解が及ぶという緻密さがある。例えば、近代のフランス音楽に親しめば、近代のフランス文学に親しんだがごとき感性を自然と培うということである。これは別に逆でも同じことだ。フランスの引用好きは、文学だけではなく、音楽でも同じように引用の連続だ。そうして出来上がる衒学的なのに飽きてくると、前衛というシンプルな人間達に拍手を送り始める。


 ここにあるものは、人工楽園の残り香だけだ。

 3番目、4番目、ついでやおまけでやったことほど、関心される。15分もかけずに、打つだけ適当に打っているMBTIの記事のことで色々メッセージをもらうのはありがたいことだけれど、こういう記事は暇つぶしのおまけでやっていることでしかない。適当に打って挙げて、数日後に校正と推敲をやればいいという怠慢は、こういう記事でしかやらない。そのくらい適当だってこと。忘れてはいけないことは、人を見る目は経験から養うもので、本から学ぶものではないということだ。

77ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:53:37 ID:fqwjHBzY0
間奏曲

10/19/2017
お金がないのは気にしないが、中身まで貧しい人間は、もうどうしていいかわからない。日本人は、貧乏を好む。というか、金を持っている人間を強烈に嫌悪している。

�� 一般的には、豊かな暮らしをしたいから金持ちになりたいと望むわけではなく、名声が欲しいがゆえに金持ちになりたいと人は思う。という話を友人にしたら、「日本人には食欲と性欲しかないからな」と返ってきた。突拍子もないようでいて、極めて合点のいく考え方だ。それらの人々は極めて原始的にネオテニーされ非文明的な衝動を育てていた。もしくは、原始的衝動のみを生まれ持っていた。野の獣と同じ視点に立てば、わからないことにも、理解の糸口は見つかるものだ。
�� 日本人の会話はとても貧しい。なぜ貧しいかというと、安っぽい暇つぶしの数だけは街に無数にあって、当座そのくだらない子供騙しで自分達を埋め尽くしていれば、会話など必要ないからだ。僕は、はっきり言って、話の出来ない人間、つまるところ、中身のない人種が大嫌いだ。なのに、それらは人間の成りそこないみたいな形で、あたかも人間ですと肩を張って歩いている。「娯楽の少ないヨーロッパでは、会話は娯楽だから、成熟し機知の利いた会話術を自然と育てることになるんじゃない。一方で、日本人は浅薄な無数の暇つぶしに囲まれてるから、会話という高度な文化は育たなかった。と思うんだけど」と別の友達にはなしていたら、「日本人は、何も考えてないだけなんじゃない」と言った。そして彼は、いい加減な英語で「君の事を追跡するわけじゃないんだけど、週末は何するつもり?」と続けた。「僕は予定は立てないタイプなんだよ、休みの予定はね。」
 
 バナナしか取れない島で、イルカと話しながら暮らすほうが、よほど人間的に充実した一生を送れるだろう。

78ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:54:43 ID:fqwjHBzY0
So she runs

10/20/2017
お別れだ。これで本当にお別れだ。もう考えなくてもいい。遠くに見送って、もう見えない。すべてを決定してしまったら、たった数年前の感覚さえ取り戻せなくなってしまった。フォーレもラヴェルも、何も関係がない。はるか遠くの記憶のかけらすらにじまない音の連なりでしかなくなってしまった。思えばいろんな人がいた。でももういいだろう。アフタマスを書き終える前に友人としたやりとりが、とても現実的だった。


 「一度だってそいつらのことを愛したことないでしょ。」

 「愛?彼らが僕を好きなんでしょ、なんで僕が愛なんかくれてやらなきゃなんないの?」

 「ほら、憎んでるの。心の底から憎んでるでしょ。」

 「憎んでる?僕が?憎んでいたの?知らないよ、自分の事なんて。」

 「私のことは好きでしょ?だってよくプレゼントくれるもの。だけど、そいつらにただの一回でも無償のプレゼントをあげたことがある?」

 「どうして?あいつらが僕を体験するために支払うんであって、どうして僕がプレゼントなんか。」

 「でしょ。憎んでるの。呪ってるの。いい加減にしないと本当に破滅すると思うけど。」

 「わからないけど、わかった。君は感がいいから、君の直感を信じるよ。」

 どんな事実であれ、嘘を吹き込まれて騙されて目くらになっているよりは、向き合って血を流すほうがいい。デスクライトを、G-SHOCKにあてて眠る。これは僕の育てている発電する植物みたいなものだ。僕は運がいい。僕は友人には恵まれている。彼らがいてくれるのなら、僕は生きているというだけで幸福な人間になれるかもしれない。このところ、寝るときにかける音楽がない。心が湿っていないから、音で乾かす必要がない。枕にはローズマリーオイルを一滴落とす。どんな芸術で空間を満たすより、素朴な自然の音楽が時間とともに人間になるのを嗅ぐのが、気楽で心地いい。

79ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:57:04 ID:fqwjHBzY0
Mr. Usagi & Acceptatie

10/26/2017
ある日、うさぎくんは、アイスクリームを食べていた。次の日は、甘いプディングを食べていた。どれも充分、食事の代わりになるものだ。アイスは乳製品でミルクがたくさん使われているし、プディングには卵黄がたくさん使われていて、どちらも体にいい。

うさぎくんは賢いので、他人の家族が作るサンドイッチやりんごをむいたやつを否定することはしなかった。それはそれでいいものだろうけど、アイスやプディングだっていいものさ。工場で作られてたって、人間が作ったものに変わりはないんだ。うさぎくんは学校が終わって家に帰ると、かごの中のりんごを一つとって自分でむいてみた。なんだ、僕の方がよほど上手にりんごがむけるじゃない。うさぎくんは、りんごを3つむいて、それぞれを4等分して冷蔵庫に入れた。りんごは数時間して色が変わり、数日して乾燥して、一週間たつ前に青いかびがはえた。うさぎくんは、そのことで、誰からもとがめられることはなかった。うさぎくんは、アイスもプディングも飽きたけれど、お腹はすいた。空腹だって永遠に続くものじゃない。死んだらおしまいだ。死んだ人は、何も食べないんだから。

80ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:58:01 ID:fqwjHBzY0
進化の前の人間

10/27/2017
世間話は、イギリスではとても重要な位置を占めている。どうでもいい世間話をすることが、礼儀正しいというか、あるべき人間像であるというわけだ。世間話というのは、天気とか、そういう空を見りゃわかるような馬鹿話をしてみせろって言うことだ。なら僕の世間話はこうだ。


ねーねーねこ:
「狂った女が男の子を育てると、男の子は必ず狂うよね。狂った男が男の子を育てても、たくましい男になるくらいなのにね。狂った女が女の子を育てても、女の子は人との出会いで変わるよね。狂った男が女の子を育てても、男の言うことなんか蹴飛ばせる強さが育つものだよね。」

 ついでで、混血の末路というのも話しておこう。一般に程よく混血する地域は、容姿が整うイメージがあるかもしれない。この、ほどよく、というのは難しいところだ。行き過ぎた混血は、原人間的な、進化の前の人間の形に近づく。具体的にどれがかというと、南アフリカの一部の人々が、それに近い。混ざり過ぎると何でも原始に帰るものだということを、現代で教えてくれる数少ない手がかりの一つだ。

81ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:59:29 ID:fqwjHBzY0
one can say that

10/29/2017
オリバー君の持ってる時計は、僕が今でも持っている。思い出をお金に換えて、社会的価値のあるとみんなが認めるものを、その時買った。もう一つの国の時間が、24時間で一回転する針でわかるから、海を越えて離れていても家族が何時を過ごしているかわかっていいと思っていた。飛行機の代わりだ。今では、自分の住んでいる街の時間に合わせて、朝と夜がわかるだけの針になった。醒めきってしまっては、人は生きてはいけない。

��
�� 「ねえ、知ってるかい?」
��
�� 「何を?」
��
�� 「男の子は、シュガーと星屑とバターで出来てるんだ。」
����
�� 「へえ。なら女の子は?」
��
�� 「とても恐ろしいもので出来ている。」
��
�� そんなわけがない。だって僕は女から生まれてきたはずだ。もし女がそうだというのなら、人間は全てが恐ろしい。一切例外がなく、すべてが欲望を食らう者たちだということになる。シュガーと星屑とバターだって?全部お前が口に入れて食べられるものじゃないか。意図するところは想像はついても、僕はそういうペダンティックなのは好まない。馬鹿にもわかるイングリッシュにしてくれなきゃ、確信ができない。

��

�� 全く関係ないが、とても興味深いものがインスタで回ってきた。見てもらえればわかる。英語圏の子供向け教材か何かなのだろうけど、感情と表情の対応がおかしい。僕が見たのはフランス語のものだったけど、もともとはイタリア語のものかもしれない。"One can say that"というのも、あまり英語では言われない表現で、フランス語にこういった表現が多くあり、その英訳みたいなものらしい。フランス人の知り合いは多くないが、彼らの下手な英語の端々に、この言葉は良くのってくる。日本語で言うと、"ただ一つ言い得ることは"、という感じだろうか。スイス人もそうだが、あのひどい英語で構わないのは、英国はともに世界の覇を競うライバルであって、頭を下げて英語の経済圏に混ぜて欲しいという奴隷根性とは無縁だからだろう。僕はイギリス人の英語が好きになれない。耳障りで女みたいだ。なのに、僕は英語しか話せない。嫌なものがずっとずっとまとわりついてくる。奴隷の話す言葉なんて、僕は知らなくても良かった。アーケインの響きが聞こえる。成層圏で反射し、地表で人工物にあたっては繰り返し反響している。最近ずっと体調が悪い。人は簡単に死ぬものだ。

82ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:01:39 ID:fqwjHBzY0
人種差別

11/3/2017
人種差別っていうのは、教育が行き届いている国ではなかなか経験できないものだ。だけど、差別に合ったという人がいる。それは、みんな知っているけどみんな口にしない、ごく極めて簡単な理由からだ。容姿が良くなかった、ということ。

とりわけ、白色文化圏では、平たい顔族の平たい顔はかなり不人気。さらに、頭のでかさ・脚の短さ・スタイルの悪さが彼ら的に、どうにもだめらしい。リベラル性を誇示したい場合、あえてそういうものと仲良くすることで高い教養があることを示す手段とするそうだ。黒人使用人を学校に入れてやっていたアメリカの土地持ちをイメージしてくれれば、わかりやすいだろう。なんて理解のあるマスター(ご主人様)なんだ!黒色文化圏では、日本人のメリハリのない肉体にご不満のご様子。男なら筋骨隆々っていうのがないし、女なら大きな胸に大きなお尻っていうのがなくて、だめってらしい。とはいっても、白色文化圏とは違って日本人的アジア人の容姿を何とも思ってはいない。というか黒人たちは、黒人世界以外は興味がないというのが本音だろう。

 面白いと思うのは、白人と見なされる人々は黒人のスタイルの良さを割と根源的な次元でうらやむが、黒人と分類される人々はとくに白人世界の美醜に左右されていないことだ。黒人たちの言う明るい肌がいいというのは、明るく輝く肌の黒色アーティストや俳優にあこがれているだけであって、結局自分たちの世界観の中での競争というリアリズムが基底にある。ありもしないものをねだって、植民地を作りまくるような野蛮さを、不運なことに黒人たちは持ち合わせていなかったということだろう。じゃあマオリは?中東は?とか聞かれると、彼らが何に属するのか、知らないのでわからない。マオリの歌は好きだけど。

 どこからが人種差別で、どこからが容姿差別なのかってことなんだろうけど、そんなの知らないよ。学校に入るとか、仕事に就くとか、そういうところで区別されたなら、それはとりあえず差別だろうね。

83ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:02:20 ID:fqwjHBzY0
芸術の香気

11/4/2017
人の恐れは手に取るようにわかる。彼に未来があるからと言って、彼に触れることができないのは、手にしたものが失われるのが怖いからだ。彼自身の持つ放埓さがあなたの手に負えないということもあるだろうし、彼は永遠の少年でいてくれるわけでもない。

彼はいずれは恋をし、家庭を持てば子供も持つだろう。彼自身も、彼の美しさも、すべてを手にして奏でることができないのなら、なにもかも身を引こう。あるいは、手にしたとしても損なわれてしまうものなら。彼は私の心の中で、永遠の一部、レクタングルの縁、避雷針の傍受した香気、奏でるべきだったのに奏でられなかった楽器で居続けてくれるのだから。この楽器はえり好みをしたりはしない、ただ一番に愛するのなら、この楽器は良い音がするだろう。だけど、僕は歌は歌わない。それは美しい声をしているといわれるから。そういう移り気さに、ためらいと恐れとを感じるのなら、彼が歌うまでぶって躾けてやればいい。
��
�� 僕はオルガンを売る、1400ユーロくらいにはなるだろう。芸術が芸術を奏でるなんて、とんだ矛盾だから。僕を弾きたいやつは、勝手にやればいい。

84ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:03:30 ID:fqwjHBzY0
DISQUSの導入

11/6/2017
今のところ、The Frontlinesのカテゴリだけだが、直接僕が人に話しているのはこれだけだから、当面は充分だろう。 考え、意見、提案、議論、好きに使ってくれて構わない。

なぜFrontlineだけかといえば、Knowledgeはただの集めた知識にすぎないし、Storyは僕の小説を読んで内省する人はあっても議論したい人はいないだろう。それからReviewはただの僕の道楽だし、Absoluteは日記だ。

85ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:04:25 ID:fqwjHBzY0
醜い肉体に、美しい精神

11/6/2017
成長と諦めの違いは、他人に気づかされるか、自分で気づくかの差だ。

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�� G-Shock日本人似合わない理論というのがあって、それはどういうことかというと、引き算のスタイリングと同じことだ。つまり、使い捨てのものに使い捨てのものをあてがっても、両者が打ち消し合って良さが引き立たない。価値のないものには、ラベルで価値を示してくれるブランド物をあてがっておくと、なんだか泥臭くてちょうどよくはまる。こっちは派生形だ。
��
�� それからこれも気に入っている表現で、友人の作品だが、「醜い肉体に、美しい精神は宿らない。」というものだ。当然のことながら、案外忘れているものだ。最も、個人的な問題は、醜いものを人間と認知できなくて、存在に気づけない性質だ。いっそ、全く違う生き物の形をしていてくれれば、それが生きている何かだと見分けることができただろうに。
��
�� これを成長と呼ぶか、諦めと呼ぶかは、まだ決めかねている。

86ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:05:59 ID:fqwjHBzY0
女の不思議

11/11/2017
記事では一件だけしか取り上げていないけれど、僕に直接かつ対等な話をしてくる人間というのは、現実世界でもネット上でも、女の子ばかりだ。驚くような熱意と知性とを持った女の子達がいたものだと、感心してメールを読んでいる。

女性と呼ぶ方が失礼がないかもしれない。僕はこれを女の不思議と呼ぶことにしている。ほかにもいくつか女の不思議というのはあって、愛することに関しては女の右に出る性はないということだ。もちろん、例外的な人間もいるが、概して女は愛することに非常に長けている。これを教えてくれたのも、友達の女の子だ。僕を元気づけてくれるのも年上の女の人だし。繊細さでいえば男なのかもしれないが、共鳴する平和的な世界を分かち合っているのはどう考えても女だ。母というのは教師であるし、この世の枠組みを人類に与える偉大な仕事をしている。どうあっても、女を中心とした社会を作ることこそが、あらゆる平和の糸口になると確信している。

87ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:07:06 ID:fqwjHBzY0
狂気のない好意

11/15/2017
よく、もてるでしょう、と言われるけれど、別にあまりもてはしない。興味や関心を持たれることが多いだけであって、もてるというのとは違う。ああいう人間たちは、僕のことが好きなだけで、愛してはいない。好きであることと、愛することは異なる。

好きであると表明することは誰にでもできるが、愛すると証言することには相手の同意が必要だ。だから、飽きてしまう。食事ならお金よりも手間のかかったものがうれしい。高い値段に釣り合った味がするものは少ない。本当に質の良いものは街ではなかなか味わうことができない。外見ばかり飾り付けられた中身のない食事に、おいしいですね、というのは骨が折れる。気の利いた保存食品なんかのほうが、鮮度の良い腐った食べ物よりも、まだましだ。ハムとかチーズとか、そういうやつ。本当に良いものを口にして生きてきたならば、あれが本物だ、これは偽物だと騒ぎはしない。ましてや聞かれてもいないのに真贋の見分けが付くだの浅ましい真似はしないだろう。豊かさを知れないことを、僕の前で実証して関心を買おうとするのは間違いだ。面白いはずである新しい人間よりも、いつもの友達と、まったくくだらないおもちゃがとれるまで、コインをつぎ込む過程の方がよほど刺激的だ。それからアイスを食べて、お互いの持つもっとも鋭い性質が刃こぼれし始めるあたりで家に帰る。心地よい疲れを感じ始めている。僕らは親しいのにずいぶん遠い。僕は愛には恵まれないが、友人には恵まれている。この不自由な平衡さが、高くてまずい食事を飲み込ませているのだろう。人を褒めるこつは、思いもよらないところを褒めることだ。相手が褒められなれているような言葉は、どこにも響かない。それから充分に感情を示すこと。感情のない言葉には、意味がない。

88ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:10:13 ID:fqwjHBzY0
spacious gateways

11/19/2017
小説の朗読音源を作っている。目で読むよりも声にのせたときに響くことに重点を置いているから、音声で再生された方が自然なはずだ。わかりやすいかどうかはともかく、音声であった方が現実味が生まれるだろう。

視覚的美観に配慮されつくした文章を除けば、声に出したときに不自然な文章は醜いと言って差し支えない。書き手が醜さを強調したいのであれば、いや、そういう質感の文章も一つの分野であったはずだ。そういえば、文章の書き方において英語と日本語の良いとこどりをした話を Knowledge に書こうかと思っているけれど、僕のような状況の人間は少ないから、説明したところで誤解を生むだけだろう。僕の話はいつも誤解される。どんな場合でも、友好的になるか敵対的になるかの差異はあるけれど、誰もが聞きはする。そして、あまり重要ではない、時間を取っていない部分について後からあれこれと聞かれる。価値のない意味をなさない細部にこだわるということは、己のくだらなさにさらなる上塗りをするようなものだ。何も塗らないよりはいいかもしれないが、太っている人間はさらに食うよりかは、計画的な減量をした方が美しいとされるだろう。感じたいままを感じるなら、生きてる人間の言葉より死んだ人間の文字を読むほうがいい。もっといえば、自然と語らう方がいい。
���� 感性のない人間に物事を説明するのは骨が折れることだ。もう少しわかりやすい言い方をするならば、感受性の貧弱な人間に対して本来的人間らしさを取り戻させる教育は、困難を極めるという言葉では足りない。ヴィクトールのほうが、よほど豊かな感情を持っていたといえるだろう。
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ねーねーねこ:
�� 『平和な国は不細工だけを集めれば築くことができるね。女が女に嫉妬するのは当たり前のことだよね。女が男に嫉妬することもないことはないね。男が男に嫉妬するのは醜いね。男が女に嫉妬するのは、実はすごく多いんだよね。俗にいう、女に嫉妬する男だね。やばいね。女に嫉妬する男っていうのが合法的に”ねーねーねこ”できるようにならないようじゃ、暗黒時代は続くね。それから、女は夢見てるけど現実を生きてるよね。だから、夢見ても現実に帰ってこれるよね。俗にいう夢女子だね。男は夢ばかり見てるよね。現実はついでだよね。夢見てる男がさらに夢を見たら狂うよね。だから、男に夢を見ろなんて言っちゃだめだね。』

89ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:10:55 ID:fqwjHBzY0
オルガン II

11/29/2017
あんなに眺めていた窓は、くもっていたんじゃない。あれはすりガラスで、中なんてもとから見えない仕組みだった。

大きいものを作りたいって人ほど慎ましくまとまって、小さくやろうとする人ほど変におかしな偉大さをまとってしまったりする。計画を見通しが立たない時期にやってしまおうとすると、こういう自然な不自然が起こる。畏怖と驚嘆はいい名前だったと思う。古臭くて、誰もが考えつくような安心感がそこにはある。僕はイヤフォンを耳から外す。おいしくないコーヒーをすする。キャラメルが焦げる香りがする。僕のコーヒーにも、キャラメルがのっかっているはずなのに、何の匂いもしなかった。こんな寒いのに、冷たくてクリームののったコーヒーを頼むなんてアメリカ的だね、と彼は言った。僕はイヤフォンの色を見ていた。銀色の、削り出された金属の質感。彼の耳穴を離れて時間の立ったそれは、氷のように冷たかった。そこで繰り返される彼の音楽もまた、温かくはなかった。顔がないんだ、この人は。顔がないから、僕はうまく今を体験することができない。少しだけ雪がちらつく外を眺めながら、彼の行きつけのカフェで匂いのないコーヒーを飲んでいる。彼はそれをもう飲み終えている。これは、僕の内臓だ。あの音は、ぶちまけられた血の床の上をすべる靴底が鳴らしている。靴と床が愛し合うのに、血が邪魔だ。

90ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:13:08 ID:fqwjHBzY0
オルガン III

11/30/2017
僕は人の思考を先回りすることはとても得意だが、今ある感情がどこへ向かっていくか予測することは難しい。おそらく、感情の先回りというものは、ほとんど誰にとっても難しいことだ。感情は情報量が膨大過ぎる。この扱いがうまい人は予知するのではなくて、今まさに起こりあがる感情に対して即座に反応するという形をとる。

��
�� 共感というものは、実証されなければ唯の偽善である。共感というものは行動で実証されなければ、実際的な意味を持たない。例えば、僕が病気の時にある友人は野菜ジュース(酸っぱくて不味い)を補充してくれたけど、別のある友人はサプリメント(僕がよく飲んでるビタミンC)より伝統食がいかに健康に良いかを熱心に説いただけ。ここ百年程度の伝統食と科学の産物と、どちらが正しいかって言われれば、さあ、あと死ぬまで何回溜息ってつけるんだろうね。でもね、共感は物質や行動で実証されれば、有無を言わさぬものになる。科学的とか口走ってる場合じゃない。「ほら、てめえの口に注ぎ込むために野菜ジュース買ってきたぞ、おら口を開け!」ってなったら、もう科学の仕事はお終い。バイバイ、栄養学。共感しているから自分の言い分を通していいっていうのは、共感は二の次でまずは意見を通したいだけだ。自己正当化の手段として、他人の感情をあてにしているのだから、それは欺瞞的になって当然なのだ。それからこの手の人は、自分が怒ったことを、さも叱るような形式で諭す話に持っていく。僕はこれが苦手。だって、怒ったことは怒りとして出さなかったら、嘘でしょう。嘘は嘘ってすぐばれるんですよ、どんなにうまく叱って諭そうとしてみせたって、そんな感情は透けて見える。でも、分別のない人間たちからすると、こういうのは高尚でありがたく見える。生命力のない主体性の欠落した人間にはありがたいんだろうな。法悦を浮かべてるよ、あいつら。

91ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:14:29 ID:fqwjHBzY0
uncollectible�� bill

12/8/2017
人はやはり分けてはっきりさせてしまうのが好きなようだ。僕の場合、精神分析的な技術はあくまで、他人の才能や特性以外の部分を見抜くために運用している。それ以外の実用的な使い道は、あまりないだろう。

�� 特に、過度に創造的な人々(creative learners)に対して、ユングのタイポロジーを用いるのは危険である。以下に書いた��ttp://www.theodorex.org/knowledge/1584041�� 創造者的な人々のことだ。彼らの才能は、単純な分類をすり抜けた先に秘められている。giftedの子供のタイプをだいたい見分けて、適切な学習環境を整備するという試みは目新しいものではない。こういう使い方は、一定の成果があるし、giftedは操作的に分類されるから理屈上見落としはない。だが、僕の友人にも何人かいる creative learners を見抜くのは、とても難しい。歴史的な偉人でいうと、ジャン・ジャック・ルソーは、これにあたるものだったろう。彼らの洞察は極めて本質的でいて、隠されている。彼らの感情と思考は高度に融合しており、単純な物差しで測れる類のものではない。物差しを持ち出した瞬間に、彼らの存在を見失うだろう。才能というものは、時に引き取って手間をかけ、育てなければならないこともある。全ての才能が、天井の分厚いコンクリートを打ち抜いて、武装して出てくるわけではないのだ。

92ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:15:14 ID:fqwjHBzY0
missing the days

12/16/2017
十分すぎるほどの機会を作られると、何をしていいかわからない。


�� 充電台にiPhoneを置くと、バッテリーの残りはわずか数パーセントだった。今日は長話に付き合わされたと思った。だけど、彼女が色々話をしたりするのは、僕が目に見えないけれど、目に見えて落ち込んでいる時だ。落としどころのないこの毎日を、どこかに飾れるようにしてくれる。僕はそして、彼がどうしているかを聞いた。だけど、忘れてしまった。この部屋にはもう、飾るべき二人があって、新しい写真を貼る場所がない。本当はあるけれども、僕は貼りたいと思えない。もうそこに一緒に写ることは出来ない。ずいぶん前に、三人で撮ったセルフィ―があるんだ。最高のものがあるのに、あえて二番目や三番目や、それよりはるかに劣るものを置く必要はないだろう。どこにいても、飛行機で来れそうなとこなら来てしまって、それから僕を連れ出して苦手な人混みの中に居場所を作る。もうほとんど好ましいとは思えなくなっていた。成長か退行か、あるいは何かを繋ぎとめるものを失ってしまったら、人はとどまり続けてしまう。生きてすらいない人間が、なぜ死を恐れるのかは、未だに理解の外にある。あれらは、生きながら死ぬために備え、そして自分が死んだことにさえ気づかないのだろう。


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