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ななくしゃ
:2017/12/24(日) 20:13:08 ID:fqwjHBzY0
オルガン III
11/30/2017
僕は人の思考を先回りすることはとても得意だが、今ある感情がどこへ向かっていくか予測することは難しい。おそらく、感情の先回りというものは、ほとんど誰にとっても難しいことだ。感情は情報量が膨大過ぎる。この扱いがうまい人は予知するのではなくて、今まさに起こりあがる感情に対して即座に反応するという形をとる。
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�� 共感というものは、実証されなければ唯の偽善である。共感というものは行動で実証されなければ、実際的な意味を持たない。例えば、僕が病気の時にある友人は野菜ジュース(酸っぱくて不味い)を補充してくれたけど、別のある友人はサプリメント(僕がよく飲んでるビタミンC)より伝統食がいかに健康に良いかを熱心に説いただけ。ここ百年程度の伝統食と科学の産物と、どちらが正しいかって言われれば、さあ、あと死ぬまで何回溜息ってつけるんだろうね。でもね、共感は物質や行動で実証されれば、有無を言わさぬものになる。科学的とか口走ってる場合じゃない。「ほら、てめえの口に注ぎ込むために野菜ジュース買ってきたぞ、おら口を開け!」ってなったら、もう科学の仕事はお終い。バイバイ、栄養学。共感しているから自分の言い分を通していいっていうのは、共感は二の次でまずは意見を通したいだけだ。自己正当化の手段として、他人の感情をあてにしているのだから、それは欺瞞的になって当然なのだ。それからこの手の人は、自分が怒ったことを、さも叱るような形式で諭す話に持っていく。僕はこれが苦手。だって、怒ったことは怒りとして出さなかったら、嘘でしょう。嘘は嘘ってすぐばれるんですよ、どんなにうまく叱って諭そうとしてみせたって、そんな感情は透けて見える。でも、分別のない人間たちからすると、こういうのは高尚でありがたく見える。生命力のない主体性の欠落した人間にはありがたいんだろうな。法悦を浮かべてるよ、あいつら。
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