レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
中国の反日教育
-
http://www.korea-np.co.jp/na-edu/sinboj98031062.htm
http://kaz1910032.hp.infoseek.co.jp/C140705.html
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/kotekitai/column11.html
なんとまあ、中国をまとめる為の反日教育か・・・
それから、中国の南京虐殺資料館を見た事がある方、感想を聞かせて下さい。お願いします。
-
>>234、>>235八百鼡さんこんばんは。
>これはおかしいでしょう。いつの間にか『盛年男性を無差別に殺害』に変わって
>いますね。『戦闘員でもないのに、戦闘に従事した者』の処遇の話から、何故に
>『一般市民の無差別殺害』になるのでしょうか?その訳を教えて下さい。
全然おかしくありません。
「抵抗後に投降しようとした市民を殺した場合は虐殺では無い」ならば、
「市民を無差別に殺害した場合、
そのうちの抵抗して殺された市民については虐殺数から除く」
ということになります。そのまんまです。
>『正しい』と言う根拠は何でしょうか?ただ、『書いていた』ではなくて。
まず、「正しい」などとは書いていません。それどころか
「確信があるというほどでもない」とわざわざことわっておりますが。
一応なぜこの数字が一番実際に近いと考えるかを書いておきますと、
虐殺の2年後に建てられた碑であるということです。
また「擡屍隊(たいしたい 死体の始末に従事する者)」の一員であった
蘇萬君や王宏照らの証言では1万8千人とのことですが、
こちらが正しいのかもしれませんし、正確な数字を算出することは
不可能でしょう。
当時の日本の新聞記事では従軍兵士の話として「2000人殺した」
とありましたが、これは確か旅順の戦闘の初日の話だったと思います。
外国の新聞報道では虐殺は3〜5日続いたとありましたから、
2000人というのは「これを下回ることは無い」という意味での数字
になります。
ところで八百鼡さんの2000人という数字には「書いていた」
以外の根拠があるのですか?
>これは先に話しておられた事と矛盾します。スライムベスさんは
>「「10800」が真実に近い」と考えているとお書きになられました。
全然矛盾なんかしてませんよ。2つの文を読み合わせれば明らかでしょう^^;
一応二つの文を直にくっつけて再掲しておきましょう。
「虐殺数は、万忠碑に書かれてあった「1万8百人」が今のところ一番
真実に近いと思っています。
しかし今のところ私が考えている数字に確信があるというほどでもないので、
その主張をするのは保留しておきます。」
(注:「その主張」とは「教科書の記述が適切である」という主張のことです。)
>ですから、
> スライムベスさんが言う所の虐殺数を教えて下さい。
>そして、その虐殺された者の内訳を教えて下さい。
死者の数は確か以前にも書きましたね。
1万人弱から2万人くらいまでではないでしょうか、と。
それから、八百鼡さんが書かれているような詳細な内訳を示す
数字などは残っていないのではないですか?
少なくとも私はみたことがありません。
しかし外国の新聞報道や、
「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨト云フ命令ガ下リマシテ
旅順デハ実ニ惨亦惨、旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ」
「壮丁の男子は大抵(たいてい)怪しき者なれば之を銃殺すべし」との命令
が出ていたことなどから、
かなりの部分が一方的な虐殺だったのではないかと考えております。
>それと失礼ながら「『中国軍が博多占領』が『例え』になっていません」よ。
そうですか?
まあ侵入した外国軍に市民が抵抗した、というところだけでも
汲み取っていただければ結構です。
-
議論の途中ですが、1件だけスライムベスさんに質問をよろしいでしょうか?
「軍隊に対して市民(=軍人ではない、非戦闘員)が、軍事力(=武力、武器)による抵抗、敵対行動を取った場合、これは「非戦闘員ではない扱い」を受けるものと理解しています。
当時の戦時国際法の常識としては「戦闘に従事するものは、それとわかる装束(=軍服など。これがない場合、戦闘員であることを示すわかりやすい徽章などの装着)が必要だったはずです。
これは、(まだ)永世中立宣言をしているスイスが、国外からの軍事的圧力・侵略・攻撃を受けた場合、国民がそれぞれ「戦闘員として抵抗する際の注意事項」として、戦闘員であることを明確に示す装束を纏うことを義務づけていることからも、【当時も今も生きている原則】と理解してよろしいかと思います。
スライムベスさんは、
「軍隊に攻め込まれた旅順の非戦闘員が、自分の命を守るために武器を取って抵抗したのは致し方ない」
と考えておいでのようですが、「明確に戦闘員とわかる装束」をしていない市民が武力を持って抵抗をした場合、これは便衣兵と同じ扱いと言いますか、「捕虜になる資格(=投降する資格)」もなければ「軍人として扱われることもない」はずです。
もし、旅順市民が「まったく無抵抗で、戦闘が明らかな場所にもいなかった」のに殺されたのなら、それは確かに虐殺です。
しかし、旅順総攻撃以前に日本軍の攻撃によって旅順が戦場になることは明らかであり、清軍は「非戦闘員/民間人を戦場から退去させる義務」があったはずなのでは? その義務を怠ったのは清軍の不手際ですよね。
また、「そこに非戦闘員がいることがわかっていながら攻撃したのは非人道的」とお考えであるならば、それは「未来の価値観で過去を俯瞰している」と批判せざるを得ません。
現代では魔法の呪文のように使われる「人道的な」という形容詞は、その時代にはなかったわけですから。
また、「虐殺も罪ではなかった」と言ってもよいかもしれませんよ。
虐殺が「戦争犯罪」に認定されたのも、日清戦争より遥か後、二次大戦でのことですから。
そういったわけで、たいへん申し訳ないのですが、
1)当時既にあった戦時国際法に照らし合わせた場合、それぞれの行動が正当(当時の法に対して適法であったか)かどうか
2)「虐殺が犯罪でなかった時代」に遡って、未来(現代)の価値観を当てはめて論じることに問題がないかどうか
の2点をご考慮いただいた上で、お話をお勧めいただくのがよいのではないかと考えます。
繰り返し及びまとめとなりますが、私は「軍隊に対して、軍隊の装束をせずに軍事力/武力を持って抵抗した場合、市民は【非戦闘員として保護される権利を失う】」と認識しています。
八百鼡さんは、言外に「そこにいたのが市民だったとしても、武器を取って抵抗をした時点で民間人が受けられる権利は失っている」「武力を持って抵抗した者はすでに民間人ではない上に、正当な戦闘員ではない(便衣兵も同じ)ので、捕虜待遇を受ける権利、軍事裁判を受ける権利も保障されない」と仰っておられるものと考えています。(これについても間違いがありましたらご指摘下さい>八百鼡さん)
もし、スライムベスさんが、私の認識に対して異なる見解をお持ちでしたらば、その場合はその根拠をお示しいただいた上で議論を続けられるのがよろしいかと思います。
-
少々脱線しますので、この稿については「はみだしぴあ」程度の雑感としてお留め置き下さい。
「反政府ゲリラ」や「パルチザン」が、「市民による武力抵抗運動」として正しいもの、または「致し方なく、やむなく、市民の抵抗の権利として保障されたもの」であるかのように考えるのは、二次大戦中のフランス市民によるナチスドイツに対する「パルチザン」が、英雄的に扱われていることにも起因しているのかもしれません。
この「ゲリラ」や「パルチザン」が、「強大な権力や独裁政府に立ち向かう市民のやむを得ない抵抗であり正当である」とする【戦争に対する市民の関わり方についての誤解】は、フランスのパルチザンをアメリカが支援したこと、さらにその米仏英の連合軍が二次大戦に勝ってしまったことに端を発しています。
最終的にフランスは勝って(ドイツに)国権を復活できたからこそ、パルチザンが英雄となってはいるものの、「市民が武器を取って正規軍に抵抗する」というのは、本来は違法なはずなんですよね。
でも、戦勝国側の犯罪は裁かれないのが歴史の常ですから、「パルチザンの違法性」はうやむやにされ、なおかつ「ナチスドイツに対する市民の抵抗」として正当化されてしまった。
いわゆる「反政府ゲリラ」でも軍服をきているのはまだマシなほうで、ベトナム戦争で惨禍を究めた(いろいろな意味で)、「軍服を着ていないベトコンによる抵抗」は、パルチザンを認めていなければ起こらなかった抵抗方法なわけで、アメリカは仏パルチザンを違法としなかったことによって、慣習法であるところの国際法に例外を作ってしまった。
その、自ら破った例外に苦しめられたのがベトナム戦争における「戦闘服を着ないベトコンという戦力」で、さらに各種の「テロ攻撃」は、これまた軍服を着ないテロリスト(=テロリストは犯罪者ではあるけど、国権に基づく軍隊ではないという点で、便衣兵やパルチザン、ベトコンと同じなんですよね。本質的には)によるもの。
これも、原因・源流を問うなら、そもそも二次大戦での仏パルチザンを認めてしまったことが、「非戦闘員であるはずの市民が、戦闘服を着ずに武器を持って正義の抵抗(=武力行使)を行うのは正当な行為である」という前例を作ってしまったことが失敗の始まり。
テロの遠因は、二次大戦の戦時処理の失敗に基づいているのではないでしょうかねー。
で、「非戦闘員であるはずの市民が、国家の統制下に置かれずに武器を持って戦う(=抵抗する)こと」が、正当な行為であるかのような錯覚が生まれたのは、繰り返しますが二次大戦以降のはずです。
日清戦争の時点では、そうした「非戦闘員による抵抗」には、なんら正統性はありません。殺されても文句は言えないんです。
そのあたり、ある程度お汲み取りいただければと思います。
-
>>236=スライムベスさんへ
おはよう御座いますスライムベスさん。
>全然おかしくありません。
>「抵抗後に投降しようとした市民を殺した場合は虐殺では無い」ならば、
『普通』はそうです。これは『勝手に抵抗』したのならテロリストと同じになり
ます。太平洋戦争中も中国戦線で中国人は女子供老人の市民を使って日本軍に
ゲリラ攻撃を加えてきましたが、その場合は処刑しても『悪いのは中国人です』。
>「市民を無差別に殺害した場合、
>そのうちの抵抗して殺された市民については虐殺数から除く」
>ということになります。そのまんまです。
失礼ですが、最初からそういって欲しかったです。あれではよく解りません。
>まず、「正しい」などとは書いていません。それどころか
>「確信があるというほどでもない」とわざわざことわっておりますが。
「『真実に近い』と思います」と書かれていたため、スライムベスさんがこの数字
を支持されたものと判断しました。
>一応なぜこの数字が一番実際に近いと考えるかを書いておきますと、
>虐殺の2年後に建てられた碑であるということです。
一つお聞きしたのですが、清国は死体を処理していませんね。ではこの数字は
どこから出てきたのでしょうか?
>また「擡屍隊(たいしたい 死体の始末に従事する者)」の一員であった
>蘇萬君や王宏照らの証言では1万8千人とのことですが、
先ず、大事なのはこれが何処に書いていたかと言う事です。この二人は捕虜で
すね。何にこの証言は掲載されていたのでしょうか?
>こちらが正しいのかもしれませんし、正確な数字を算出することは
>不可能でしょう。
>当時の日本の新聞記事では従軍兵士の話として「2000人殺した」
>とありましたが、これは確か旅順の戦闘の初日の話だったと思います。
これはどれを指していますか?そして、その場合はどの戦闘でしょうか?
旅順砲台でしょうか?それとも旅順市街でしょうか?
>外国の新聞報道では虐殺は3〜5日続いたとありましたから、
虐殺は外国の新聞報道では24日まで続いたではなかったでしょうか?
>2000人というのは「これを下回ることは無い」という意味での数字
>になります。
『全死体数』から2000が『トータル数』になるのでは?
>ところで八百鼡さんの2000人という数字には「書いていた」
>以外の根拠があるのですか?
先ず、先にお話したようにフランス観戦武官や第2連隊第1大隊の兵士の手紙や、
第一師団国際法顧問の三つとも『2000』と言う数字を出しています。
他の数字は全てバラバラだったりしますし(60000、18000、108
00と)、最初に虐殺を報じたタイムですら虐殺数『200』となっています。
また、旅順戦について書いてある古い書物(戦前)も
「旅順攻撃は1日で主防御戦を突破せり。敵兵の一部、便衣となり市街に壊走
した故、市街戦が生起したり。旅順戦において敵に与えたる損害約4000」
となっています。
これは砲台での戦闘と、市街での市街戦と金州城での戦闘(埋葬した敵約600)
を合わせた数字ですから、先に挙げた三つの数字が符合している点からも
旅順での死体は『約2000』となるでしょう。
そして、少し『常識』で考えれば解るのですが、『万単位の死体』を処置すると
なると、とてもではないですが(ブルドーザーやショベルカーなどと言った)機械
もなく、『一体50キロの死体』を『手作業』で運んで、死体を始末するとなると
『大変大掛かりな工事』となります。また、火葬にするには『膨大な燃料』が必要
となります。故に『万単位』、『万近く』と言うのは『常識』で考えた場合は
『おかしい』でしょう。そして、また『万近く』となると『中途半端』になりま
す。
-
>>236=スライムベスさんへ
>1万人弱から2万人くらいまでではないでしょうか、と。
つまり、スライムベスさんは現段階においては『一万〜二万』と言う事ですね。
この『根拠』は先に挙げた10800と18000ですね。
>それから、八百鼡さんが書かれているような詳細な内訳を示す
>数字などは残っていないのではないですか?
>少なくとも私はみたことがありません。
私はスライムベスさんが考える数字と言う事をお尋ねしました。ある程度は計算
できるでしょう。
>しかし外国の新聞報道や、
外国の新聞報道は『ワールド60000』、『タイム200』です。他は大体
この数字から依拠しているか、
「沢山人が死にました」と言うような数字が解らないのが殆どでしょう。
数百単位、数千単位、数万単位と言うのは普通書くでしょうが、『それすら』も
書いていなかったりと。
>「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨト云フ命令ガ下リマシテ
>旅順デハ実ニ惨亦惨、旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ」
旅順の人口は先に挙げましたが、『20000』と言うのが『最大の推測値』
です。他は『一万』とかありますが。で、この命令が仮に実行されても
この命令からは人口から『婦女老幼』を引かねばなりません。
>「壮丁の男子は大抵(たいてい)怪しき者なれば之を銃殺すべし」との命令
>が出ていたことなどから、
この命令も少し考えれば解るのですが、清国兵で便衣兵となっているのがおり
ますし、日本軍より兵力が劣る旅順守備隊は盛年男性を現地で徴兵しているで
しょうから(これは『推測』ですが。ただ、戦闘を行うように旅順市民が
命令されていたり、実際に旅順市民で武器を手にとって日本軍に攻撃を
加えたりしています。そして、李鴻章は効果的な増援が行えなかった事から
考えると当然しただろうと考えられます。これはどこの戦場でも起きる事です
から。)戦闘地域にいるのを処置しても仕方ないでしょう。
スライムベスさん、『便衣兵』が出たのでこれは当然起き得る事です。
>かなりの部分が一方的な虐殺だったのではないかと考えております。
かなりの部分が『旅順市街攻略戦の戦死者』と『残敵掃蕩の戦死者』と
『便衣兵の処置』となります。
スライムベスさん、確か新聞報道は『戦闘後、旅順には人が殆ど残っていな
かった』ですよね?
-
>>237=ヤスツさんへ
ヤスツさんの言われる通りです。
>「軍隊に対して、軍隊の装束をせずに軍事力/武力を持って抵抗した場合、
>市民は【非戦闘員として保護される権利を失う】」と認識しています。
これは現在でもそうですが、市民は保護を受けるには戦闘員でもないのに
戦闘を行ってはいけないのですから。
>八百鼡さんは、言外に「そこにいたのが市民だったとしても、武器を取って
>抵抗をした時点で民間人が受けられる権利は失っている」「武力を持って抵抗
>した者はすでに民間人ではない上に、正当な戦闘員ではない(便衣兵も同じ)
>ので、捕虜待遇を受ける権利、軍事裁判を受ける権利も保障されない」と仰って
>おられるものと考えています。(これについても間違いがありましたらご指摘下
>さい>八百鼡さん)
これは、『(スライムベスさんの言う)私だけの考え』ではなく、また
『日本だけの考え』ではなく、当時から『常識』とされていましたから。
きちんとした手順で責任の所在が明確な『降伏』の場合(砲艦『操江』の
場合など)は、日本はきちんと捕虜としての待遇をしています。
また、捕虜の為の病院もありましたから(これは他国の外交官も当時見学し
ている)。
-
もう一言だけ差し挟ませていただきますと、
「当時、旅順で現地徴用された市民兵(パルチザンやベトコンも同じだと思いますが)は、軍服を着ないで戦闘に参加すると捕虜待遇も市民保護も受けられないということを、戦闘指揮官から十分に説明を受けていなかった(知識として戦闘指揮官も知らなかったのかもしれませんが)」
という可能性はあるでしょう。
「それを知っていたなら戦闘には参加しなかったが、知らなかったのだから仕方がない」と、スライムベスさんあたりは仰りたいのかもしれません。
これは我々自身がいずれ直面する可能性もあることだと思うのですが、「戦争が起きたら市民(=民間人/非戦闘員)はどう対応したらよいか」についての啓蒙は、戦争が起きる前に十分に行われているべきでしょう。
「知らなかった。だから仕方がない。非は知らないことを確かめなかった側にある」は、スピードを要求される現代戦争で交戦国に求めるのは難しくなっていくでしょう。
今ほどのスピードが要求されなかった日清戦争ですらそうなのですから。
1)「旅順市民が便衣兵となって軍事的な抵抗を試みた」
2)「保護を受けられないことを知らされずに軍事的抵抗を試みた市民を、確認せずに戦闘相手とした日本側の行為は虐殺に当たる」
3)「日本軍が数で勝っていたから、戦闘服の支給も間に合わず、説明も十分できないことは仕方がなかった」
このどれもが、戦時国際法上は「通用しない」ということになり、スライムベスさんの反論の根拠(虐殺認定の理由)には成り得ないように思いますがいかがでしょうか。
-
>>240の補足
スライムベスさんが引用されている12月3日のタイムには
「『誤って』ではあるが『極少数の婦女子』も殺された」
となっていますね。
つまり、『婦女子の死者』は
『誤射や事故』で『極少数』
だと。
-
これは大量のレスをいただきました^^;
とりあえず今回は
「被占領地の市民の抵抗」について、ということで>>237にレスします
(これにレスすることで他のレスの回答になっている部分も多いと思います)。
>当時の戦時国際法の常識としては「戦闘に従事するものは、それとわかる装束(=軍服など。これがない場合、戦闘員であることを示すわかりやすい徽章などの装着)が必要だったはずです
私の知る限りでは、戦時国際法は日清戦争後のハーグ条約(1899/1907年)が最初です。
しかし日清戦争から数年しか経ていませんから、
法の精神という観点からこの条約を参考にすればよいと思います。
ところでこの条約の第2条には
「占領せられたる地方の人民にして、敵の接近するに当たり、
第一条に依りて編成する程無く、
侵入軍隊に抗敵するため自ら武器を操る者が公然兵器を携帯し、
且戦争法規を尊守するときは、これを交戦者と認める。」
とあります。
ヤスツさんの条件は第1条についてのものではないでしょうか。
>・・・【当時も今も生きている原則】と理解してよろしいかと思います。
戦後民族解放闘争のような形の戦争が多くなり、
1977年のジュネーブ条約改定でゲリラの捕虜資格がさらに
緩和されています。
>しかし、旅順総攻撃以前に日本軍の攻撃によって旅順が戦場になることは明らかであり、清軍は「非戦闘員/民間人を戦場から退去させる義務」があったはずなのでは? その義務を怠ったのは清軍の不手際ですよね。
そうですね。清軍にも責任の一端はあると思います。
>また、「そこに非戦闘員がいることがわかっていながら攻撃したのは非人道的」とお考えであるならば、それは「未来の価値観で過去を俯瞰している」と批判せざるを得ません。
まず、私は現在の価値観から過去を評価することも
時には有益であると考えております。
それから、日本軍は「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)」し、
数は判りませんが一部「婦女老幼」も殺しました。
その結果、当時の世論からも非難の声があがりました。
>繰り返し及びまとめとなりますが、私は「軍隊に対して、軍隊の装束をせずに軍事力/武力を持って抵抗した場合、市民は【非戦闘員として保護される権利を失う】」と認識しています。
「非戦闘員として保護される権利を失う」については、原則として間違いでは無いと思います。
ただ八百鼡さんが仰っているのは、
ヤスツさんも書かれているように「交戦者としての権利も無い」であり、
さらに「だから殺しても構わない」です。
で、私の認識は八百鼡さんと違います。上で述べたハーグ条約の第2条も
私の認識の拠り所の一つです。
なお同23条に禁止事項として、
「 特別の条約を以て定めたる禁止の外、特に禁止するもの左の如し。
・・
ハ 兵器を捨て又は自衛の手段を尽きて降を乞へる敵を殺傷すること
二 助命せざるを宣言すること」
と書かれております。
「交戦者」では無く「敵」となっていますから、
交戦者資格を持たない敵も含まれるということでしょう。
ですから仮に「占領軍に抵抗した市民」が交戦者としての資格を持たないとしても、
助命しなかったり投降しようとしているのに殺したりするのは
当時の国際法(正確には数年後ですが)の精神に合致しない行為です。
また、国際法とは関係無く自分の倫理観で考えても、
「侵入してきた外国軍に市民が武器を持って抵抗すること」と、
「侵入してきた外国軍が、抵抗したしないに関わり無く市民を殺すこと」や
「抵抗した市民が投降しようとしているのにそれを認めず殺すこと」
では、後者の方がずっと悪質だと思っています
(自分の国や町が侵略された事を考えたら
むしろ前者については肯定的な評価をしても良いくらいですが、
まあとりあえずそこまでは言いません)。
あと、旅順で市民が実際に武器を取って抵抗したのかというと、
そのようなケースは少なかったと思います。
清の陸軍の装備は貧弱で兵隊の何割かにしか銃が支給されておらず、
市民に銃を回すくらいならまず兵に銃を支給するのが
先だったでしょうから。
-
>>244=スライムベスさんへ
おはよう御座いますスライムベスさん。
スライムベスさんは『東アジア史としての日清戦争』を読まれたのですかね?
『国際法の保護』を受けるには、国際法を遵守しなければならない
→故に『便衣兵の処刑』は正当であり、市民も戦闘を行って『保護を受け
る』には『国際法を遵守する軍人』とならなければならない。
>それから、日本軍は「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)」し、
>数は判りませんが一部「婦女老幼」も殺しました。
>その結果、当時の世論からも非難の声があがりました。
失礼ながらこれは『おかしい』。
『第一師団長がそう言った』と言うだけで実際に行動に移されたか確認されて
いません。『これが根拠』になるのなら第2軍司令官大山大将(山地の上級者)
が兵に与えた告示で『敵兵、敵市民は人道を持って処置すべし』と言うので
打ち消せますから。
そして、『数はわからない』がというのも『タイムですら』『婦女子の殺害』
は『誤って極少数』としているし、有賀国際法顧問の言でも『婦女子の死体は
数体』としている。全てが日本軍によるものでも、『余りにも
数が少ない』ので、タイム記者も誤射と見なさざるを得なかったのでしょうから。
>また、国際法とは関係無く自分の倫理観で考えても、
>「侵入してきた外国軍に市民が武器を持って抵抗すること」と、
>「侵入してきた外国軍が、抵抗したしないに関わり無く市民を殺すこと」や
>「抵抗した市民が投降しようとしているのにそれを認めず殺すこと」
『非難される虐殺か』の話をしているのですから、国際法や当時の価値観で考え
ないとそれこそ『見方によってどうとでも変わって意味が無い』でしょう。
>あと、旅順で市民が実際に武器を取って抵抗したのかというと、
>そのようなケースは少なかったと思います。
>清の陸軍の装備は貧弱で兵隊の何割かにしか銃が支給されておらず、
>市民に銃を回すくらいならまず兵に銃を支給するのが
>先だったでしょうから。
失礼ながらこれも『おかしい』です。
清軍の勇軍(有力者の私兵集団)、練軍(勇軍で外国人士官から訓練を受けた
もの)の装備を知れば『何がおかしいか』わかります。
先ず当時の清軍の勇軍と練軍は歩兵か騎兵に分かれています。
そしてそれらの戦術単位は『営(他には哨がありますが)』と言う呼称で呼ばれ
ており、歩兵一営は定数が500で平均的には約350でしたがその内
執銃兵は約6〜7割でした。これは『装備が貧弱』ではなくて、砲兵や
工兵・輜重兵(清軍では軍中夫と呼ばれていた)は独立した部隊ではなく、歩兵営
の中に組み込まれていましたので『執銃兵の比率』が下がるのです。また、
『これだけ』ではなくて清軍の装備では『刀剣槍矛』と言ったものも装備として
使用されていました(また清軍の小銃で国内で生産されているものは、上海小銃
製作所で製作されている重い質の悪いものでした)。
-
>>245続き
また、小銃が足りなくても抵抗することはあります。
例を挙げれば、WW2末期の時のドイツでは『民族の嵐(フォルクス・
シュトルム)』などの国民部隊がありましたが、中には『小銃が二人で一人』
と言うのもあります。ドイツだけではなく、小銃が足りなくても市民は政府の命
を受けて敵軍に抵抗する事はよくある事です。
それと、旅順口攻略戦では『死体』には『様々な武器による傷』が見られまし
た(外国人観戦者の言)。これは先に挙げたように清軍は『銃や銃剣』以外にも
様々な武器を使用しているのであり、死体の傷は日本軍による攻撃だけではなく
て、清軍同士や、清軍と現地住人との戦闘によってつけられた傷であると考えられ
ます(先に挙げた、「清軍の部隊で略奪をおこなっているものとそれに対する
他部隊などの抵抗による混乱」が原因)。
-
>>245八百鼡さんこんばんは。
>スライムベスさんは『東アジア史としての日清戦争』を読まれたのですかね?
はい、これには目を通しています。
>『国際法の保護』を受けるには、国際法を遵守しなければならない
> →故に『便衣兵の処刑』は正当であり、市民も戦闘を行って『保護を受け
> る』には『国際法を遵守する軍人』とならなければならない。
法を破ったものに対しては何をしてもよいという訳ではありませんから、
上に書かれている「→」の前と後は論理的なつながりがありません。
再掲しますが、
まずハーグ条約の第2条は
「占領せられたる地方の人民にして、敵の接近するに当たり、
第一条に依りて編成する程無く、
侵入軍隊に抗敵するため自ら武器を操る者が公然兵器を携帯し、
且戦争法規を尊守するときは、これを交戦者と認める。」
であり、また万一旅順で抵抗した市民が
ここで書かれている「交戦者」に該当しないとしても、
「だから助命せずに殺してもよい」にはならないのです。
同23条を再掲します。
「 特別の条約を以て定めたる禁止の外、特に禁止するもの左の如し。
・・
ハ 兵器を捨て又は自衛の手段を尽きて降を乞へる敵を殺傷すること
二 助命せざるを宣言すること」
つまり、たとえ「交戦者」では無い相手に対してでも、
上のような行動を取ることは
その頃の国際法の精神に反していたのです。
ついでに言えば、
「報復として後からやった場合は(上のハ、ニのような行為をしても)構わない」
などというようなことも、
その頃の国際法のどこにも書かれておりません。
「後からやった場合は構わない」という八百鼡さんの考えは
失礼ながらかなり特殊なものではないでしょうか。
>失礼ながらこれは『おかしい』。
>『第一師団長がそう言った』と言うだけで実際に行動に移されたか確認されて
> いません。
日本軍兵士の証言では、
「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨト云フ命令ガ下リマシテ」
のすぐ後、
「旅順デハ実ニ惨亦惨、旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ」
と続いており、命令が行動に移されたと読み取れる記述です。
また当時の新聞報道の多くもこれを裏付けています。
当時の新聞報道の詳細を目にする機会がありましたので、
別項に記載しておきます。
>『非難される虐殺か』の話をしているのですから、国際法や当時の価値観で考え
>ないとそれこそ『見方によってどうとでも変わって意味が無い』でしょう。
「当時の価値観や国際法も考慮に入れるべきだ」と仰るのなら賛成できますが、
それ「だけ」しか必要無いという考えはおかしいでしょう。
「見方によってどうとでも変わる」というのも程度問題です。
「人それぞれだ」ということを仰りたいのかもしれませんが、
それなら
「私はアウシュビッツの虐殺は良くないと思います」と主張するのも
「見方によってどうとでも変わる」ことです。
一応次のように表現を訂正しておきましょう。
----
「侵入してきた外国軍に市民が武器を持って抵抗すること」と、
「侵入してきた外国軍が、抵抗したしないに関わり無く市民を殺すこと」や
「抵抗した市民が投降しようとしているのにそれを認めず殺すこと」
では、後者の方がずっと悪質です。
これは当時でも現代でもほとんどの人が納得できる考えだと思いますし、
当時の国際法の考え方もそうでした。
だから旅順虐殺も当時多数の人々から非難を浴びました。
----
>『これだけ』ではなくて清軍の装備では『刀剣槍矛』と言ったものも装備として
>使用されていました
市民に対してよりも『刀剣槍矛』装備の兵士に銃を配備するのが先では無いかと
思うのですが、いかがでしょうか。
あと、八百鼡さんが仰る「当時の国際法」は、
私と同様ハーグ国際法のことを想定しておられるのでしょうか。
-
当時の新聞報道の詳細です。
まずは12月20日付けの「ワールド」から。
自分のこの目で見た証人として私は、憐れな旅順の人々は、侵略者に対して
如何なる抵抗をも試みなかったと断言できる。いま日本人は、窓や戸口から発
砲されたと述べているが、その供述はまったくのでたらめである。
捕虜にする、ということはなかった。
兵士に跪き慈悲を乞うていた男が、銃剣で刺し通され、刀で首を切られたの
を、私は見た。
別の清国人の男は、隅で竦(すく)んでいたが、兵士の一分隊が喜んで撃っ
た。
道に跪いていた老人は、ほぼ真っ二つに切られた。
また、別の気の毒な人は、屋根の上で撃たれた。もう一人は道に倒れ、銃剣
で背中を何十回も突かれた。
ちょうど私の足元には、赤十字旗が翻る病院があったが、日本兵はその戸口
から出てきた武器を持たない人たちに発砲した。
毛皮の帽子を被った商人は、跪き懇願して手を上に挙げていた。兵士たちが
彼を撃ったとき、彼は手で顔を覆った。翌日、私が彼の死体を見たとき、それ
は見分けがつかぬほど滅多切りにされていた。
女性と子どもたちは、彼らを庇ってくれる人とともに丘を逃げるときに、追
跡され、そして撃たれた。
市街は端から端まで掠奪され、住民たちは自分たちの家で殺された。
仔馬、驢馬、駱駝の群れが、恐怖に慄く多数の男と子どもとともに旅順の西
側から出て行った。逃げ出した人たちは、氷のように冷たい風のなかで震え、
そしてよろけながら浅い入江を渡った。歩兵中隊が入江の先端に整列させられ、
ずぶ濡れの犠牲者たちに絶え間なく銃撃を浴びせたが、弾丸は標的に命中しな
かった。
最後に入江を渡ったには二人の男であった。そのうちの一人は、二人の小さ
な子どもを連れていた。彼らがよろよろと対岸に着くと、騎兵中隊が駆けつけ
て来て、一人の男がサーベルで切られた。もう一人の男と子どもたちは海の方
へ退き、そして犬のように撃たれた。
道沿いにずっと、命乞いをしている小売商人たちが撃たれ、サーベルで切ら
れているのを、私は見ることができた。戸は破られ、窓は引っ剥がされた。全
ての家は侵入され、掠奪された。
第二連隊の第一線が黄金山砲台に到達すると、そこは見捨てられているのが
わかった。それから彼らは逃げる人でいっぱいのジャンクを見つけた。一小隊
が埠頭の端までひろがり、男や女、それに子どもたちを一人残らず殺すまでジ
ャンクに発砲した。海にいる水雷艇は、恐怖に打ちのめされ人々を満載したジ
ャンク十隻をすでに沈めていた。
五時頃、退却する敵を追って行った乃木以外の全ての将軍が、陸軍大将とと
もに集まった操練場に音楽が流れた。何と機嫌よく、何と手を握りあっていた
ことか!楽隊から流れ出る旋律の何と荘重なことか!
その間ずっと、私たちは通りでの一斉射撃の響きを聞くことができ、市街に
いる無力な人々が、冷血に殺戮され、その家々が掠奪されているのを知ること
ができた。
-
上の記事を書いたクリールマンはそれまで日本びいきだったようで、
この記事の前の部分に
「東洋の暗闇のなかで、目下のところかくも
穏やかな光を放っていた、アジアの光明が消えるのを見るのは辛いことだ」
と書いています。
-
次は1月7日付けの「スタンダード」に書かれた記事です。
まもなく、彼らが出会う全てのものに対し発砲が始まった。山地中将のかた
わらに控え、清国兵の進撃をくい止める一方で、エシオ山(どの山を指すのか
不明)でいつもながらの矢面に立ち昂ぶっていた第二連隊は、血の気の失せた、
切断された、死んだ戦友の顔の見世物に激怒し、出会うところの命あるものは
何でも射殺しつつ、銃剣で突き刺しつつ、通り殺到していった。犬、猫、それ
に迷子の騾馬までもが切り倒された。大山大将の頼りになる声明の効力を恃
(たの)みにしていた商人、店主、住民らは、アジア人の敵に叩頭する用意を
して立っていた。彼らは西洋風の洗練された軍用マントを着用していたと思わ
れる。侵略者が国に隊伍を組んでやって来たとき、民間人の顔に歓迎の臆病な
笑みが浮かぶのを私はよく目にした。これらの哀れな民間人たち−年老いた白
髪まじりの男たち、青年たち、壮年の男たち−は、それぞれの家の戸口に立っ
ていて切り倒された。村田銃の銃声に対し、この行き過ぎた行為の弁明を正当
化する応射は、市街のどこからもなかった。軍隊が船渠に到着したとき、作業
場や鉄の索具のかげからニ、三発が発射され、近くに兵士がいることを警告し
たに過ぎなかった。四人の英国人が、市街を見渡せる丘から旅順への進撃と通
りでの残酷な所業を見ていた。しかし、日本兵は自分たちがしたことの多くに
対して、ある弁明があった。彼らの眼前にぶら下がっていた身の毛のよだつよ
うな生首の姿は、最も人情のあるヨーロッパの軍隊の胸中に野蛮さをかき立て
るのに十分であった。十一月二十一日午後はこのようなものであった。
-
これは1月8日付「タイムス」の記事です。
・・私は、日本軍が進撃し、通りや家のなかに繰り出し、進
路を横切る全ての生きているものを追跡し殺害するのをみて、その原因を懸命
に捜した。私は実際に発砲されるのを全て目にしたが、日本兵以外からのもの
は何もなかったと疑いもなく誓って言える。多くの清国人が隠れ場所から狩り
出され、射ち倒され、切り刻まれるのを目にした。ひとりとして戦おうとはし
ていなかった。皆、平服を着ていたが、それは無意味であった。何故なら、死
にたくない清国兵は、彼ら流に制服を脱いでしまっていたからだ。多くの者が
跪き、叩頭の格好で頭を大地に曲げ哀願していた。そのような姿勢のまま、彼
らは征服軍に無慈悲にも虐殺されたのであった。逃げた者は跡を追われ、遅か
れ早かれ殺された。私の目にした限りでは、家屋からは一発の発砲もなかった。
私はモニュメント(1666年に起きたロンドン大火の記念円塔)の天辺からロン
ドン・ブリッジをみるように、小さな市街のあらゆる場所がみて取れた。私は
自分の目を信じることができなかった。何故なら、私の通信が示しているよう
に、私を温和な日本人に対する称賛の気持で一杯にしてくれたということは、
それまでの日本軍の行動に議論の余地がないという証拠であった。そこで私は、
これには何らかの理由があるはずだと確信して、必死になってほんのわずかの
しるしをも注意深く見ていた。しかし、何も見出せなかった。仮りに私の目が
自分を欺いていたのであれば、他の人々も同じ状態にあったことであろう。英
国と米国の公使館付き陸軍武官もボウルダー・ヒルにいて、同様に驚き、かつ
戦慄していた。彼らが断言したように、それは蛮行のむやみな噴出であり、偽
りのやさしさの胸を悪くさせるような放棄であったのだ。
背後での射撃は、私たちの注意をひろい潟へとつながる北の入江へ向けさせ
た。そこでは、攻囲された市街に遅くまで留まり過ぎたパニック状態の逃亡者、
つまり男や女や子どもたちを通常の二倍も乗せたボートの群れが、西へと移動
していた。
士官に率いられた日本軍の騎兵部隊が入江の上手にいて海の方向に発砲し、そ
の射程内の者全てを殺戮した。年老いた男と十歳か十二歳くらいの二人の子ど
もが入江を渡り始めていた。騎兵が水のなかへ乗り込み、刀で彼らを何十回と
なく滅多切りにした。その光景は、死すべき存在としての人間が耐え得る以上
のものであった。
私たちが市街の方へ向き直ると、手に何も持たず、私たちと家々の間の、海
の方向に流れる、丘の裾にある小川の干上がった川床に沿って農夫の身形をし
た男が走っていくのがみえた。二十ないし三十発の銃弾が男の跡を追っていっ
た。一度、男は倒れたが、すぐさままた起き上がり、命からがら逃げ出した。
日本兵は十分に狙いを定めるには興奮し過ぎていた。男は見えなくなった。だ
が、最終的に男が倒れたのは、九分九厘確実であった。
別の哀れで不運な男は、侵略者が無差別に発砲しながら正面の扉から入って
くると、家の裏に飛び出した。路地に入った一瞬ののち、男は自分が二つの銃
火の間に追い詰められているのに気付いた。私たちは、男が三回土埃りのなか
に頭を垂れてから十五分間にわたりその悲鳴が聞こえた。三回目には、男はも
う立ち上がらなかった。大いに吹聴されていた日本人の慈悲に縋(すが)る形
で二つ折れになり、男は横向きに倒れていた。日本兵は男から十歩離れた所に
立って、狂喜して男に銃を向け弾丸を注いだ。
さらに多くのこれら哀れな死を、私たちは殺人者の手を止め得ないまま、目
にした。もっともっと多く、人が話せる以上に多く、言葉をもって語れること
の及ぶところではないほどに、気分が悪くなり悲しくなるまで目にしたのだ。
(中略)私たちが目にしてきたようなことをすることのできる人々のなかに留
まらねばならないのは、ほとんど拷問に近かった。
-
>>247=スライムベスさんへ
こんばんはスライムベスさん。
>>東アジア史としての日清戦争
恐らくスライムベスさんはこれを読まれて書かれたと思いました。
『万忠基』と『旅順市民の抵抗』。
「万忠基は旅順戦二年後だからここに書かれている10800の死者数は
正しいと考えられる」は、この『本の著者自身』、また『中国の教科書自身』、
「遺体を焼いて白骨にしたのは日本軍」と書いていて『清国が死体を処理した』
と書いていないのに、「この数字は正しい」とは良く考えればおかしいでしょう。
そこで私はスライムベスさんに質問しました。
まだレスは頂いておりませんが・・。
この著者はこの『10800』を出発点にして、後は『清兵の戦死者』の
『予想最大数』から『民間人の戦死者』を算出してそれの大部分を『虐殺』にし
ています。
>『旅順市民の抵抗』
>市民に対してよりも『刀剣槍矛』装備の兵士に銃を配備するのが先では無いかと
>思うのですが、いかがでしょうか。
『スライムベスさんの言われる通り』でも、『刀剣槍矛の兵』は銃を受け取ったら
市民に『自分達の刀剣槍矛』を回せますね(そのようにはお考えにはなりませんで
したでしょうか?)。
これも「東アジア史としての日清戦争」にも「軍隊の非執銃兵に銃を回す方が
先である」と書かれていましたね(少し考えればおかしいのは解りますが)。
日本でもどこでもそうですが、住民を戦闘に参加させる時には武器が足らなく
ても戦闘させます。銃が人数分足らなければ、数人で一丁としますし
銃が足らなければ銃以外のもので戦闘させます。刃物類なんかで。
ですから、『執銃兵の比率が100%に近くない』→だから『市民の抵抗は
実際無かった』と言うのは少し考えればおかしいと解ります。
それと、スライムベスさんが以前書かれていた、『清軍は装備が貧弱だから銃
を持っている人間の割合は低い。だから市民の抵抗は少ない』はあれはスライ
ムベスさんがお考えになられたものでしょうか?
>>ハーグ条約
一つお聞きしますが、『交戦者の資格を持たない者』も『保護すべし』と言う
のは、『スライムベスさんの考え』ですか?
-
>>247=スライムベスさんへ
>「私はアウシュビッツの虐殺は良くないと思います」と主張するのも
>「見方によってどうとでも変わる」ことです。
私の書き方が悪かったせいかもしれませんが、私が書いたものの意味は
「『国際法』や『当時の価値観』以外のもの」を価値判断の基準に持ってくると
見方によってどうとでも変わると言う事です。『当たり前の事』でしょう。
で、失礼ながらアウシュビッツの話は例えになりませんよ(これは言わなくても
御分かり頂けると思いますが)。
>日本軍兵士の証言では、
>「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨト云フ命令ガ下リマシテ」
>のすぐ後、
>「旅順デハ実ニ惨亦惨、旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ」
>と続いており、命令が行動に移されたと読み取れる記述です。
先ずおかしいのはこれは『日本軍兵士ではない』と言う事です(『実際に
戦闘を行っていない』)。
この人は『軍人ではない通訳官』です。そして、この人は『師団司令部付き』
です。『師団司令部』が旅順に入ったのはいつの事でしょうか?
それと、この記述では『このような命令を山地中将言いました』と言うのは
解りますが、次の記述は『戦場は凄惨で一面地の海でした』までしか取れません。
そして、それが『虐殺かどうか』までは読み取れません(別に『言葉遊び』
をしている訳ではありません)。
何故なら『死者が多く一面地の海』でも、それが
『誰』が『誰』を『どのように(戦闘か誤射か同士撃ちか虐殺か)』『どれだけ』
殺したかが解らないからです。
>あと、八百鼡さんが仰る「当時の国際法」は、
>私と同様ハーグ国際法のことを想定しておられるのでしょうか。
はい、基本的にはそうです。
-
>>247=スライムベスさんへ
>『捕虜としての取扱』
それと自衛隊員に認識番号と言うのがあるのは御存知でしょうか?
これは『軍人としての証明』です。何故これが存在するかと言いますと、
この番号は『二つとない番号』で『自分が軍人である』と言う事を証明する為に
必要であり、『軍人として証明される』と『捕虜として命だけは保障される』から
です(当然他にも条件はありますが)。では認識番号がウロ覚えだったりして
(まぁ、実際自分の認識番号を覚えていない人はいないでしょうが)
『軍人として証明されない』ので『その場で殺されても文句は言えません』。
-
>>254訂正
では認識番号がウロ覚えだったりして
(まぁ、実際自分の認識番号を覚えていない人はいないでしょうが)
『軍人として証明されない』ので『その場で殺されても文句は言えません』。
→
では認識番号がウロ覚えだったりなどして
(まぁ、実際自分の認識番号を覚えていない人はいないでしょうが)
『軍人として証明されない』とどうなるかと言いますと、『その場で殺されても
文句は言えません』。
-
>>247〜251=スライムベスさんへ
>当時の新聞報道の詳細
当時の新聞報道で日本の報道はどうだったのか?
『共通して言える事』は『街中では死体が数多く』、『(捕虜以外で)生きてい
る人が全く無い』と言う事です。それと『戦場が凄惨であったとは解りますが、
虐殺があった』と言うのは書いていません(検閲があったからと反論されるで
しょうが、取り合えず留意して下さい)。
何故これを書いたかと言いますと、これらと外国記者の言で共通する所がある
からです。
>外国の新聞報道
当時『実際に旅順にいた外国人記者』は少なく(確か5人だったと思います)、
そのうち日本軍が虐殺を行ったと報じたのは『3人』でした。そのうちの
二人がワールドの記者とタイムの記者です。ここでも、『旅順に生きている人は
殆どいなかった』と言う事が日本の報道と共通して言えます。そして、
『虐殺があった』と言うのが日本の報道と異なります。
ですが、これらの外国紙の記事には矛盾点があります。それが『虐殺数』です。
先に発表したタイムは『200』、12月12日に横浜からの電報で発表したワールド
は『60000』です。
さて、『どっちの数字が正しいか』。で、余りにも少ない場合それは虐殺と言える
のか。また、余りにも少ない場合、『本当に老幼婦女子が居たのか』。
『捕虜以外で旅順で生きている人がほとんど居ない状況』なのに。
言い方は悪いですが『記事ではどうとでも書けます』。悪くだけではなく、
逆に良くも。
で、スライムベスさんに『実際に起きた事』をお聞きしたいのですが、
日本軍は遺体をほったらかしにしておらず、きちんと処理して火葬していますね
(スライムベスさんが読まれた「東アジア史としての日清戦争」にも書かれて
いますね)。
スライムベスさんがお読みになられた『東アジア史としての日清戦争』では
『一旦仮埋葬して、火葬した』となっていますが、それだと先ず、
『万単位、万近くを埋める』作業をしなければなりません。『手作業』で。
次に掘り起こして『火葬』をしなければなりません(「東アジア史と
しての日清戦争」では、仮埋葬が『僅か数日』で『終わって』から、掘り起こし
て火葬していますね)。で、『人間一人白骨にする』のにも『多くの燃料』を
必要とします(ガソリンでもかなり要りますよね。白骨にするには)。
スライムベスさん、本当に『万近く、万単位』を火葬して白骨に『出来た』と
思いますか?
『平均一体50 kg近くの遺体』を『集めるだけでも大変』ですよ。
-
>254
ちなみに・・・
一度付与された認識番号わ、二度と使われません。
#入隊1日で辞めた御仁の番号も、永久に欠番です。
認識番号を忘れる御仁わ絶対におらんよ。
それ忘れるような事態なら、当然自分の名前も忘れてるわなぁ(笑)
今回、イラクが「米軍兵士殺したら金払う」と言っていたが・・・
それって「ジュネーブ条約放棄しました」と世界中に公言したっちゅーことで
もし、米軍が一般人大量虐殺しても文句わいえなくなっちまったねぇ。
横レススマソ
-
つまり
「一般人は兵士に危害加えません。だから危害加えないでください」
ちうのが、その趣旨なわけだよね。
「誰が敵かわからん」状態になれば、そら「その恐れがある」だけで相手殺す
なり逮捕監禁するなりするわなぁ・・・
悪いけど、戦場地域においては「民間人である」ことが無条件で安全であるわけじゃ
ないんだよね。
-
>>257、258=緑装薬4さんへ
イラクはそんな事まで言い出したのですか。
実は日清戦争の時も清国は同じような布告を出していました。
『光緒20年8月』に出された布告ですが、その布告では
「倭人の首一つにつき銀20両を払う」と言うものです。
尚、その文は『総統毅軍右営記名提督軍門馬』という署名がついた全文が
『明治史総覧第三巻(明治史刊行会 昭和13年刊行)』に掲載されていました。
>「誰が敵かわからん」状態になれば
『便衣兵や軍服を脱いだ兵の存在』は『一般市民を戦闘に巻きこみ』ますからね。
嫌でも。相手は『どれが便衣兵』で『どれが一般市民』か解らなくなりますから。
特に清軍は日本軍のように
『現役:○○歳から○○歳』、『後備役:○○歳から○○歳』と言うのがなくて、
『老幼混交』でしたし。また、『一旦は戦意を喪失』しても、『後で襲撃して
くる』と言うのはありますからね。
-
>>257、258=緑装薬4さんへ
イラクはそんな事まで言い出したのですか。
実は日清戦争の時も清国は同じような布告を出していました。
『光緒20年8月』に出された布告ですが、その布告では
「倭人の首一つにつき銀20両を払う」と言うものです。
尚、その文は『総統毅軍右営記名提督軍門馬』という署名がついた全文が
『明治史総覧第三巻(明治史刊行会 昭和13年刊行)』に掲載されていました。
>「誰が敵かわからん」状態になれば
『便衣兵や軍服を脱いだ兵の存在』は『一般市民を戦闘に巻きこみ』ますからね。
嫌でも。相手は『どれが便衣兵』で『どれが一般市民』か解らなくなりますから。
特に清軍は日本軍のように
『現役:○○歳から○○歳』、『後備役:○○歳から○○歳』と言うのがなくて、
『老幼混交』でしたし。また、『一旦は戦意を喪失』しても、『後で襲撃して
くる』と言うのはありますからね。
-
二重書きこみになりました。済みません。
-
八百鼡さんこんばんは。
まず>>252からです。
>と書いていないのに、「この数字は正しい」とは良く考えればおかしいでしょう。
>そこで私はスライムベスさんに質問しました。
>まだレスは頂いておりませんが・・。
何が虐殺かを優先させて議論しているからですが、簡単にお答えしておきます。
実際の死体処理係として清の人が使われていますし、
虐殺の2年後に建てられた碑の数字が大幅に間違っていれば
日本から抗議があったのではないでしょうか。
>銃が足らなければ銃以外のもので戦闘させます。刃物類なんかで。
火器で武装した正規軍相手に一般市民が刃物で戦う気には
なかなかならないと思いますよ。
>>248〜>>251で紹介した記事でも一般市民は無抵抗でした。
>ですから、『執銃兵の比率が100%に近くない』→だから『市民の抵抗は
>実際無かった』と言うのは少し考えればおかしいと解ります。
これは「推定する理由の一つ」です。
>それと、スライムベスさんが以前書かれていた、『清軍は装備が貧弱だから銃
>を持っている人間の割合は低い。だから市民の抵抗は少ない』はあれはスライ
>ムベスさんがお考えになられたものでしょうか?
「最初に考え出したのか」という意味なら、違いますが。
しかしこの質問に何の意味があるのか不明です。
> 一つお聞きしますが、『交戦者の資格を持たない者』も『保護すべし』と言う
>のは、『スライムベスさんの考え』ですか?
「投降を認めず殺すような行為等は認められない。
これは交戦者のみならず全ての敵に対してあてはまる。」
という点ですね。
私の考えでもあり、当時でも現在でも一般的な考えであり、
また国際法でもその成立当初からそのように考えられています。
-
続いて>>253へのレスです。
>「『国際法』や『当時の価値観』以外のもの」を価値判断の基準に持ってくると
>見方によってどうとでも変わると言う事です。
仰りたいことがまだ良く判りませんが、
「判断の基準を当時の価値観にするか現代の価値観にするかで
見方が変わってくる」と仰りたいのですか?
>次の記述は『戦場は凄惨で一面地の海でした』までしか取れません。
>そして、それが『虐殺かどうか』までは読み取れません
文章を再掲します。
「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨト云フ命令ガ下リマシテ、
旅順デハ実ニ惨亦惨、旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ」
厳密に言えば、
この通訳官は「命令が実行された結果、惨状が起こった」と認識していた、
ということになりますね。
>『軍人として証明されない』ので『その場で殺されても文句は言えません』。
これは八百鼡さんが国際法を解釈して言っているのでしょうか。
どの国際法のどの条文を根拠にして言っておられますか?
-
>>256へのレスです。
> 言い方は悪いですが『記事ではどうとでも書けます』。悪くだけではなく、
>逆に良くも。
つまり私が>>248、>>250、>>251で示した新聞報道の内容は
捏造の可能性がある、と推定されているわけですね。
その根拠となるものが「虐殺数の違い」ということですか。
しかしタイムスは
「5日間合計で虐殺された数が200」
と言っているわけでは無いので、これは矛盾とは言えないでしょう。
しかもこれら3紙の報道は事実の細部までが非常に具体的かつ
詳細に書かれており、3紙が同時に捏造したというのも
ちょっと考えにくいですが。
> スライムベスさん、本当に『万近く、万単位』を火葬して白骨に『出来た』と
>思いますか?
どれくらいの作業が必要なのかちょっと想像がつかないですね。
-
>>262=スライムベスさんへ
おはよう御座いますスライムベスさん。
>実際の死体処理係として清の人が使われていますし、
>虐殺の2年後に建てられた碑の数字が大幅に間違っていれば
>日本から抗議があったのではないでしょうか。
清兵の捕虜は旅順、金州城併せて500人もいません。スライムベスさん、
死体を運んで、仮埋葬の穴を掘って、土砂を運んで、埋めて、掘り起こして、
火葬して・・・、とてもではないですが10800人分の死体処理を
500人程度では無理ですね(日本軍兵士を使うとするのなら、日本軍兵士
の言葉とかあって良さそうですね。旅順では何人死んだとか)。
それと「日本から抗議があったのではないでしょうか」→「だから大幅に間違っ
ていない」と言うのは『希望的観測』ですね。一々気に留めません。
>火器で武装した正規軍相手に一般市民が刃物で戦う気には
>なかなかならないと思いますよ。
『闘わせられた』と考えませんでしたか?
>>>248〜>>251で紹介した記事でも一般市民は無抵抗でした。
虐殺が捏造かの話をしているのにワールドやタイムの記事がを持ってきても
意味は無いでしょう。虐殺報道したのはワールドやタイムの記事なのですから。
それによく読むと一見して嘘と解る事ばかり書いていま
すよ。
まぁそれは後に書きますが、旅順市民には市街戦を行うよう15歳以上の男は
命令を受けて、多くの家には弾薬が置かれていました。この話は聞いた事はない
ですか?小銃や炸裂弾が家に置いてあったのを発見したとか(
「東アジア史としての日清戦争」にも書いていましたね)。
>「最初に考え出したのか」という意味なら、違いますが。
>しかしこの質問に何の意味があるのか不明です。
『装備が貧弱』とは見た事がありませんでしたから、スライムベスさんが
お考えになられたかと思いました。
>「投降を認めず殺すような行為等は認められない。
>これは交戦者のみならず全ての敵に対してあてはまる。」
>という点ですね。
『不正規兵、便衣兵、脱走兵』を『保護すべし』と言うのは私は初めて見まし
たが・・。
-
>>263=スライムベスさんへ
>「判断の基準を当時の価値観にするか現代の価値観にするかで
>見方が変わってくる」と仰りたいのですか?
解りやすく言えば、例えば人道を判断基準に持ってきた場合、『残的掃蕩は良く
ない』、『戦意を失った相手を殺すのは良くない』、『戦意を失った相手が逃げ
るのを追撃して一方的に殺すのは良くない』、『誤射の可能性があるところで
爆撃は良くない』なども『人道』が『人それぞれ』違ってくるので前に挙げた
どれが『虐殺にならないか』変わってくるでしょう?そう言う意味ですよ。
>この通訳官は「命令が実行された結果、惨状が起こった」と認識していた、
>ということになりますね。
そう、『この通訳官の認識』であってこれからは『虐殺の証拠』になりません。
>これは八百鼡さんが国際法を解釈して言っているのでしょうか。
(民間人以外で)交戦資格の無い人間は捕虜にしなくて良いと言うのは常識だと
思いますが・・。と言う事で、インターネットで検索すると以下のようなものを
見つけました
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page011.html
-
>>264=スライムベスさんへ
>つまり私が>>248、>>250、>>251で示した新聞報道の内容は
>捏造の可能性がある、と推定されているわけですね。
はい。そうです。
矛盾しますね。老幼婦女子も殺されて街に生きている人間がいないと言うのに
『200虐殺』とは(桁も数も足りませんね)。
>しかしタイムスは
>「5日間合計で虐殺された数が200」
>と言っているわけでは無いので、これは矛盾とは言えないでしょう。
最初のタイムの報道は以前お話しましたが『旅順で日本軍が200人 虐殺』と
しています。『万単位』はワールドが最初です。
>しかもこれら3紙の報道は事実の細部までが非常に具体的かつ
>詳細に書かれており、3紙が同時に捏造したというのも
>ちょっと考えにくいですが。
『事実の細部までが非常に具体的かつ詳細に書いて』いますが、よく見ると嘘
と解る事ばかりですね。先ず人間は日本刀では真っ二つに切れません(笑)。
私の親戚でフィリピン・ゲリラを仲間と5人殺した人がいますが、鎖骨で刀が
止まってしまいました。仕方ないので滅多刺しにして漸く殺せたと言う事です。
『100人切り』でもそうですが、頭蓋骨を真っ二つに出来ませんね
(それでもスライムベスさんは出来ると仰るかもしれませんが・・)。
騎兵連隊は戦闘に参加していません。
それにこの従軍記者の言でおかしいのは、船で人が逃げようとするのを日本軍が
海岸からの射撃で殺したと言う事です。普通常識で考えれば解るでしょう。
日本軍が旅順に迫る前に船はもう逃げているでしょうし、日本軍が旅順市街に
入っても、逃げる時間は十分あります。『2ノット』でも一時間あれば『3 km』
以上は離れる事が出来ますから。市街外部に日本軍が到達して市街を横断するのに
何時間もかかっていますから。しかも書いている内容が『すぐその場』に
居ないと書けない内容ですね。記者は『縮地法』でも持っているのでしょう
か(笑)?それにこの記事ですと、市民は『日本軍が目の前に来て』漸く逃げて
いると言う有様です。逃げる時間は十分あるのに。
>3紙が同時に捏造したというのも
>ちょっと考えにくいですが
日付がバラバラですね。もっとも最初はタイムですが。
>どれくらいの作業が必要なのかちょっと想像がつかないですね。
もう一回考えてみて下さい。大事な事ですから。
-
>>266訂正
・残的掃蕩→残敵掃蕩
・これからは→これは
どうも済みません。
-
>>265八百鼡さんこんにちは。
>火葬して・・・、とてもではないですが10800人分の死体処理を
>500人程度では無理ですね
作業量というのがもう一つピンときませんが、500人で1万人なら
一人当たり20人の処理ですか・・
「とてもじゃないが無理」というほどでも無さそうに思えますが。
>それと「日本から抗議があったのではないでしょうか」→「だから大幅に間違っ
>ていない」と言うのは『希望的観測』ですね。一々気に留めません。
以前も似たような取り違いをされていましたが、
私は上のような主張をしていないのでこれは反論とは言えません。
状況証拠の一つとして言っているのであって、「だから」ではありません。
> まぁそれは後に書きますが、旅順市民には市街戦を行うよう15歳以上の男は
>命令を受けて、多くの家には弾薬が置かれていました。この話は聞いた事はない
>ですか?
だから市民の抵抗があったと言うのなら、
八百鼡さんが言うところの「希望的観測」ですね。いちいち気に留めません。
(これは冗談です。失礼しました^^;)
>『不正規兵、便衣兵、脱走兵』を『保護すべし』と言うのは私は初めて見まし
>たが・・。
「保護すべし」というのが曖昧ですが、
つまり
「投降を認めず殺すような行為等は認められない。
これは交戦者のみならず全ての敵に対してあてはまる。」
という考え方は初めて見たということですか。
ハーグ国際法は既に紹介しましたが。
敗走して命が助かりたいために軍服を脱いで降を乞うている敵や
占領した外国軍に抵抗してその後投降しようとしている一般市民に対し、
その投降を認めず殺すような行為は合法であるということでしょうか。
現代でも当時でもそのような行為を肯定する事は一般常識に反しますし、
もちろん国際法で認められているとも思えませんが。
八百鼡さんはどの国際法のどの条文を根拠にそのような主張を
されているのでしょうか?
関連で>>266の後半部分にもレスしましょう。
国際法では捕虜の待遇についての取り決めがありますが、
ゲリラ等にもそのような取り決めが適用されるのか(つまり捕虜資格があるか)
ということと、では自由に殺してよいかということでは、
全然意味が違うのです。
「捕虜資格が無い=好き勝手に殺してよい」ではありません。
私はゲリラや占領地で抵抗する市民も捕虜資格が適用されて
しかるべきだと考えていますが、
それについては人によっていろいろと議論のあるところだろうという
認識はあります。
しかし「ゲリラだから投降を認めず殺してよい」などというのは
論外でしょう。
「報復として後からやった場合は構わない」という
八百鼡さんのもう一つの主張も論外だと思います。
-
つづいて>>266です。
>解りやすく言えば、例えば人道を判断基準に持ってきた場合、・・
それならば私が最初>>247で書いた時の認識と変わっていないのですが・・
まあ本筋の話とは関係無いので、この話は打ち切ります。
>そう、『この通訳官の認識』であってこれからは『虐殺の証拠』になりません。
「心証として、虐殺があったことを強く印象付けるもの」といった程度ですかね。
ついでに言えば、第一師団長山地は虐殺3日目に旅順に入っていますから
師団司令部付の通訳官が実際に虐殺を目撃した可能性もかなり高いです。
「婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨ」
という命令があり、その後のありさまはというと、
「実ニ惨亦惨、旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感」です。
また旅順市街に入る前に日本軍の兵士が見たという
木に吊るされていた友軍兵士の生首。
そして複数の外国人ジャーナリストによる
日本軍の虐殺の詳細な報道。
一方、清国人同士が旅順市内で殺し合っていたという証言は無い。
「外国の新聞報道は捏造かもしれないから、
旅順が血の海だといっても
誰が誰を殺したのかは実際にわからないではないか」
という八百鼡さんの主張は
「希望的観測」の度が過ぎるのではないか、と思われます。
>>267でも「希望的観測」が見受けられますが、これについての
レスは後ほど行ないます。
-
>>269=スライムベスさんへ
こんばんはスライムベスさん。
>一人当たり20人の処理ですか・・
>「とてもじゃないが無理」というほどでも無さそうに思えますが。
つまりスライムベスさんは『可能である』とお考えですね。
『スライムベスさんのお考え』がよく解りました。
失礼ながらもう少し考えになられた方が宜しいでしょう。
>私は上のような主張をしていないのでこれは反論とは言えません。
>状況証拠の一つとして言っているのであって、「だから」ではありません
これは失礼しました。主張をしておられなく、『言ってみただけ』と言う事です
ね。普通考えれば解るでしょう。『石碑の文字』を『日本政府が一々気に留める
か』と言う事が(『いちいち気に留めません』というのはこう言う意味です。
私が言葉足らずと言うのもありますが、失礼ながらスライムベスさんは後で
同じ言葉を使われて私に言葉を返されたつもりでしょうが、まず
『いちいち気に留めません』と言う『言葉』の使い方も『間違って(あれでは
意味が解りません)』いますし、冗談としても『不適切』でしょう)。
>だから市民の抵抗があったと言うのなら、
>八百鼡さんが言うところの「希望的観測」ですね。いちいち気に留めません。
『弾薬を民家に集積した』と言うのは清軍が市街戦を企図していたと言う事が
解ります。で、そこの地域に『やる気が無くとも』武装した市民が居たと言う
事は別段『希望的観測』ではないでしょう。
>ハーグ国際法は既に紹介しましたが。
で、ハーグ条約では『交戦者』の『資格を満たす者』を保護します。
>敗走して命が助かりたいために軍服を脱いで降を乞うている敵や
>占領した外国軍に抵抗してその後投降しようとしている一般市民に対し、
>その投降を認めず殺すような行為は合法であるということでしょうか。
はい、そうです。失礼ですが、スライムベスさんが言われている国際法の条文は
『交戦者の資格を有する者(と民間人)』を対象とする者ですね。それは
ヤスツさんも言われていたでしょう。
>しかし「ゲリラだから投降を認めず殺してよい」などというのは
>論外でしょう。
『スライムベスさんの考え』ではなくて、『当時の国際法』でお願いします。
『一般常識』など失礼ですが意味が解りません(どこの一般常識でしょうか?
『平時のとある国』でしょうか)。
>「報復として後からやった場合は構わない」という
>八百鼡さんのもう一つの主張も論外だと思います。
清軍兵も国際法を守る義務がありますが、国際法を破って当地の清軍兵は
日本軍兵士を虐殺して死体を辱めました。つまり、スライムベスさんは国際法を
破った者を国際法で保護すべしと言われる訳ですか?
-
>>270
>そして複数の外国人ジャーナリストによる
>日本軍の虐殺の詳細な報道。
詳細ではあるが、『おかしい記述』です。そこら辺を考えないと、
同程度『詳細な記述』を持ってきた場合どうされますか?
>通訳官の言
先ず言える事は、この通訳官の言では旅順市街突入三日目(11月24日)の
『当地の印象』と言う点を考えてみてください。スライムベスさんが読まれた
「東アジア史としての日清戦争」にも死体処理などの戦場整理は『11月26日』
からとなっているでしょう。つまり、『死体を掃除する前』ですのでこれでは
死体が散乱しているのは『当たり前』と言う事です。
よくもう一度考えてみて下さい。
>一方、清国人同士が旅順市内で殺し合っていたという証言は無い。
『様々な武器による傷』が旅順での死体から見られました。これは外国人観戦者
の言です。先に申しましたが、日本軍に比べて清国軍は小銃や銃剣以外に
『刀剣槍矛』と言ったものを持っていました。つまり、清国軍は『武器が多様』
でした。それに旅順市街が日本軍が来る前に『軍紀を無くして壊乱状態』であっ
たのは様々な書物で見ることが出来ますし、中国で書かれた書物でもそれは書か
れています(スライムベスさんが読まれた「東アジア史としての日清戦争」にも
書かれていたでしょう)。
何が『希望的観測』か解りません。
スライムベスさん、『腹が立つ』のは解りますが余り相手が使った単語を
仕返しで連発されても見苦しいですよ。
『複数の外国人ジャーナリストの詳細な報道』と言われていますが、これだと
旅順ではそれこそ『万近く』、『万単位』の死者が出るので『死体処理』の事
が問題となるでしょう。スライムベスさんがお詳しいであろう南京大虐殺も、
『死体処理数』が証拠として採用されました(一見して嘘と解る『水増し』を
していますが。『10万以上死体処理』した『誰も知らない団体』が『存在し
た証明』が『車一台の修理請求書』とか)。
-
>>271,272
これは失礼しました。名前を入れ忘れていました。
>>271、>>272は私です。
-
>死体処理
参考として日中戦争での南京攻略戦での死体処理の数を見てみますと、
『紅卍会』が埋葬した数は『二ヶ月で11000』です。
で、捕虜が『全員作業に耐えれる者』と仮定して約500弱です。
で、仮埋葬は『僅か数日』で終わっています(ここら辺は
「東アジア史としての日清戦争」でも載っています)。
埋葬と仮埋葬は違いますが、スライムベスさん、『大事な所』ですので
『流す』のは余り良くないですよ。
ちなみにこんなのを見つけました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page017.html
次は火葬ですね。
-
>火葬
人間を一人を火葬するにはかなりの量の燃料を必要とします。
例えばガソリンの場合は完全に灰にするのにも100リットルでは不足します
(200リットル近くは必要と言う話もあります)。
で、この死体の火葬ですが死体焼却用の焼却炉で焼いておらず『野焼き』で
行っています。しかも、当時の事ですのでガソリンと言ったものではなく
薪などでやったであろうと考えられます。言うまでも無く骨にするのには大量
の燃料を必要とするのは御分かり頂けると思います。
で、これで万近く万単位の死体を火葬できたと考えられますか?
-
スライムベス、ヤスツさんへ
以前も書きましたが、仕事の都合で今日が最後の書き込みになります。
中国の教科書についてもっと検証したかったのですが、一通り終わる事も出来な
くて残念です。しかし、スライムベスさんのお陰で豊島沖海戦、黄海海戦、
旅順攻略戦について密度の濃い話が出来た事は大変良かったと思います。
有り難う御座います。
中途半端で投げ出す事になりまして大変申し訳ありません。
それでは失礼します。
-
議論の態度、進行、及びその内容について、八百鼡さん、スライムベスさんお二人の議論の様子はたいへん勉強になりました。
またいずれ、お仕事の目処がついた、または環境が変わったなどで、八百鼡さんのご意見を再び拝聴する機会があることを、ご期待申し上げます。
なお、スライムベスさんと八百鼡さんの議論は中途で終わるまたは終了する形となりますが、これをして「どちらの意見が勝った負けた」という判断は付きかねます。
同じ議題を他の誰かが引き継ぐこともあるかもしれませんが、少なくとも今の時点では、いずれか一方、去る側残る側のどちらもが勝利宣言をするのも違うように思います。
って、八百鼡さんは勝利宣言をしていませんが、スライムベスさんも勝利宣言のような発言はなさらないものと期待して、見学者としての送辞に代えたいと思います。
たいへんお疲れさまでした。
-
八百鼡さんこんばんは。
この頃の日本と東アジアのかかわりについてまったく無知でしたが、
八百鼡さんとの議論のおかげで少しは
それについての知識を得ることができました。
未レスに御返事を書いて、八百鼡さんとの議論は
とりあえず終了ということにしたいと思います。
長い間ありがとうございました。
-
まずは>>271からです。
残りについてもおいおいと書いていきます。
> これは失礼しました。主張をしておられなく、『言ってみただけ』と言う事です
>ね。普通考えれば解るでしょう。『石碑の文字』を『日本政府が一々気に留める
>か』と言う事が
私の主張の意味については>>269で書いた通りです。
「いちいち気にとめない」は、
「抗議が無かったことなど希望的観測に過ぎないから、
(八百鼡さんが)いちいち気に留めない」と
いう意味で言っているのだと勘違いしていました。
日本政府は気にとめない、という意味だったのですね。
しかし日本政府は当時列強諸国の世論というものに非常に気を使って
いましたから、極端に数字が違っていた場合は抗議するなり何らかの対応を
取るのが自然だと思います。
日本が列強の世論に気を使っていたことの根拠は、
外国の新聞社へいろいろな働きかけをしていたことなどが挙げられます。
一例は「タイムス」の虐殺報道を否定した「セントラル・ニュース」
へのものです。
11月半ばに在英臨時代理公使内田康哉から陸奥外相宛てに
セントラル・ニュースの動向を報告した電報があり、
その末尾には
「Allow me some money to acknowledge its past and future services.
」(同社の以前以後の尽力に感謝するため幾許かの金をお与えあれ)
と書かれていました。
陸奥は折り返し(十二月一日午後三時十二分発)外務省宛て、
必要な金額を「御見計(おみはから)ヒノ上御送金」するよう指示を出しています。
「外務省機密費」のハシリのようなものでしょうか。
>で、そこの地域に『やる気が無くとも』武装した市民が居たと言う
>事は別段『希望的観測』ではないでしょう。
市民が戦うように命令を受けていて多くの家に弾薬があった
→だから市民は実際に戦った
とは言えないですね、と書きました。
>はい、そうです。失礼ですが、スライムベスさんが言われている国際法の条文は
>『交戦者の資格を有する者(と民間人)』を対象とする者ですね。
いえ、違います。
国際法で定められた捕虜としての取り扱いを受けるには
交戦者資格が必要ですが、
「兵器を捨て又は自衛の手段を尽きて降を乞へる敵を殺傷すること」
や「助命せざるを宣言すること」を禁止している対象は
交戦者だけではありません。すべての敵に対してあてはまります。
>『スライムベスさんの考え』ではなくて、『当時の国際法』でお願いします。
私の考えは無論ですが、当時の常識でも現代の常識でも
またその頃の国際法でも認められない、と>>269で書きました。
ハーグ国際法で認められていないことは既に示した通りです。
また八百鼡さんからご紹介いただいたHP
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page011.html
でも、
八百鼡さんのような主張はしておりません。
このHPの作成者は、
「便衣兵でも投降しようとしている敵を殺すことは国際法に違反する」
ということについては少なくとも理解しています。
> 清軍兵も国際法を守る義務がありますが、国際法を破って当地の清軍兵は
>日本軍兵士を虐殺して死体を辱めました。つまり、スライムベスさんは国際法を
>破った者を国際法で保護すべしと言われる訳ですか?
記録に書かれていた「虐殺された日本軍兵士の死体」というのは
確か数体程度でしたね(十体以上だったかもしれませんが)。
もちろん数体でも戦闘で殺されたので無くいったん捕虜になってから殺されたのなら
完全な国際法違反です。
仮にそのような事実があったのならば、
捕虜を虐殺したその清兵は裁かれねばなりません。
しかしだからと言って、
「ならば今度は同様に、清兵なら誰彼なく捕虜にせず虐殺してよいのだ」
ということにはならないのです。そんな事をしたら、今度は
そうした側が国際法違反になります。
-
当時現地に居たジャーナリストと有賀陸軍大学校教授との
やり取りが12月20日付の「ワールド」と
「ノース・アメリカン・レヴュー」に書かれているので
載せておきます。
このやり取り自体が捏造であるとは考えにくいです。
なぜなら、記事が有賀氏の目に触れれば捏造であると
すぐに判ってしまいますから。
当時の列強国のジャーナリストがこの事件をどのように
見ていたかが判ります。
まず「ワールド」から
---
「今起こっていることを、どう思われますか」
「素晴らしく戦略的な行動でした」と、私は答えた。
「いいえ、そうではなくて」と、彼は続けた。「私が言おうとしていることが、お
わかりでしょう。旅順の人々の殺害のことを言っているのです。あなたは、あれを
どう呼びますか、虐殺(マサカ)と呼びますか。正直におっしゃって下さい」
他の特派員は、私は迂闊に自分の感情を露わにし、私たちが清国を去ることを日本
軍が許可せず、しかしながら監視将校を通じて私たちに至急報を送るよう強制し、
そのようにして私たちが目撃した凄まじい光景の詳細を抑え込むことを恐れ、神経
質に私の方を見つめていた。私は質問をかわそうとしたが、有賀氏に迫られた。
「虐殺と呼びますか」と、彼は尋ねた。「あなたはあれを、文明の戦争行為と呼び
ますか。私どもはあなたがたがこのことについてどう言おうとしているのか、気が
かりなのです。例えばあれを、旅順の穏やかな住民の虐殺と呼びますか」。
私は再度、質問を避けた。有賀氏は、私のことをあきらめ、ロンドン「ブラック・
アンド・ホワイト」紙画工員フレデリック・ヴィリアースの方を向いた。彼も、で
きる限りはっきりした答を出すのを、ごまかしていた。
---
次に、「ノース・アメリカン・レヴュー」にヴィリアース自身が
書いた記事です。
---
「ヴィリアースさん、何も躊躇(ためら)うことなく、どうぞ
おっしゃって下さい。あなたは、この三日間のごたごたを虐殺と呼びますか」。そ
れは、日本人高官から出た、驚くべき質問であった。私は、同僚のクリールマン、
コーウェン、ハート氏らを見たが、その質問には、彼らも非常に驚いていた。私は
答えた。「ええと、有賀さん、その言い方は、今度の場合にはぴったりしていませ
んね」。私は彼に、第一日目にあった挑発は、軍隊の振舞いに対する弁解にほぼな
るけれども、それに続く二日間の所業は、別の言葉遣いになるかもしれない、と伝
えた。幸いにも、有賀氏は、それがどのようなものかを尋ねなかったが、私は熟慮
した挙句、冷血な虐殺とそれを呼んだ。それは、冷血な虐殺に他ならなかった。
---
次にまた「ワールド」の続きです。
---
それから、有賀氏は、ロンドン「タイムス」紙のコーウェン氏に話しかけた。コー
ウェン氏は、戦闘当日の軍隊の興奮に関する全てと、それに続く日々に非武装民を
殺害したのは、全くの虐殺にあたると述べた。有賀氏は、考え込んでいるようにみ
えた。
「あなたも、そう思われますか」と、彼は、私の方を向いて尋ねた。
「たしかに、そうです」。私は答えた。「捕虜にするのは、文明国家の義務です」。
明らかに有賀氏は、私たちが至急報のなかで、虐殺という単語を使わないようにさ
せようとしていた。彼は、本当にアジア的な遣り方で遮った。
「それは、別の問題ですね」と、彼は言った。「私どもが捕虜を殺すのを選んだと
したら、それは別の結果になりますよ」。
「しかし、あなた方は、捕虜を殺しているのではなく、つまりは、無力な住民たち
を捕虜にしようとはせず、無差別に殺しているわけです」。
「あー」と、有賀氏は、自分の理屈を扶(たす)けるように、優雅に両の親指を合
わせながら言った。「それは、同じことになりますな。私どもは、平壌で数百名を
捕虜にしましたが、彼らに食わせたり、監視したりするのは、とても高くつき、わ
ずらわしいとわかったのです。実際、ここでは、捕虜にしてはいません」。
----
-
今回は>>267へのレスで、
八百鼡さんが「よく見ると嘘と解る事ばかり」と書かれていた
外国の新聞報道についてです。
>先ず人間は日本刀では真っ二つに切れません(笑)。
ここで八百鼡さんは真っ二つに斬れない理由として
「鎖骨で刀が止まった」というのと
「頭蓋骨は真っ二つに出来ない」という
2つの理由を挙げておられます。
これらの理由を読むと、八百鼡さんは「日本刀で縦に真っ二つには斬れない」
と仰りたいようです。
それは私もそう思います。
しかし新聞報道ではそのように書いていませんし、
「ほぼ真っ二つ」と書いていますから、完全にちぎれても
いなかったのでしょう。
失礼ですが、これは「恣意的な解釈による反論」
だと思います。
>騎兵連隊は戦闘に参加していません。
八百鼡さんが「騎兵は参加してなかった」と主張されるか、
あるいは新聞報道に「騎兵連隊が戦闘に参加していた」と
書かれていたのなら、「この記述は間違い」となるのですが・・
新聞報道にある程度の騎兵の描写があるからといって、
「騎兵連隊が参加していなかったのでこの報道は嘘」
とは言えません。
>普通常識で考えれば解るでしょう。
>日本軍が旅順に迫る前に船はもう逃げているでしょうし、日本軍が旅順市街に
>入っても、逃げる時間は十分あります。
大山大将の声明もありましたし、まさか日本軍が無抵抗の市民まで
虐殺するとは思わないでしょう
(それでも「危ない」と思った人々は事前に逃げていたでしょうが)。
彼等は日本軍の虐殺を目の当たりにして、初めて逃げ出したのでしょう。
また旅順港は連合艦隊によって塞がれていました。
以上、3例とも「嘘と解ること」ではありません。
-
騎兵連隊の件でもう少し調べてみました。
旅順を攻略したのは第一師団、混成第十二旅団と
捜索騎兵隊です。旅順市街に最初に突入したのは
第一師団の歩兵第二連隊ですが、
虐殺が続いている最中にも
第一師団騎兵第一大隊は市街に入っています。
-
今回は>>272へのレスです。
>詳細ではあるが、『おかしい記述』です。そこら辺を考えないと、
おかしい記述と言えないことは既に述べました。
>同程度『詳細な記述』を持ってきた場合どうされますか?
もちろん、信用できる記述もあるかもしれません。
検証してみないと何とも言えませんが。
記述が詳細で具体的だから正しいという訳ではありませんが、
信頼性の一つの目安にはなります。
>つまり、『死体を掃除する前』ですのでこれでは
>死体が散乱しているのは『当たり前』と言う事です。
この通訳官もそれまでいくつか戦場を見てきたことでしょうが、
単に普通の戦場の跡だったなら
「旅順デハ実ニ惨亦惨、旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ
とは書かないでしょう。
当たり前の光景では無かったからこそです。
>『様々な武器による傷』が旅順での死体から見られました。これは外国人観戦者
>の言です。
その観戦者の言は知りませんでしたが、日本刀で斬殺、銃剣による刺殺、銃殺でも
けっこう様々だ思いますが。
それはともかく、日本軍が突入した時もまだ清国人同士の殺し合いがあったのなら
日本軍兵士による目撃証言があるはずですし、日本軍が突入する前に
清国人同士で殺し合っていたのなら日本軍突入前から既に
散乱する死体が見られたはずですが、そのような話も聞きません。
これはそのような現象が無かったか、あったとしても極少数であることを
示しています。
死体処理については次回書きます。
-
今回は死体処理についてです。
まず、南京の時は2か月で1万強だったのに
旅順は仮埋葬と言えどもわずか数日で終っているのはおかしい、
という点です。
仮埋葬は文字通り「仮」のもので、死体を窪地や湿地に集めて
上から泥をかけただけです。
火葬しなかった理由は、
幸いにも(?)この地方では火葬の習慣が無く、
またご指摘通り燃料となる薪も不足していたからです。
死体処理は11月末頃まで行なわれたので、
これもご指摘の通り数日(10日以内)で終ったと言えます。
この程度の日数で済んだもう一つの理由は、
「全部」片付けた訳では無かったからです。
この頃の旅順は寒さのため死体が腐敗せず、
そのため市街から離れた山野、路傍にあった死体は
放置されていました。
年明けには「屍体掃除手続」が軍から通知され、
上に書いたような理由で「手続」には火葬が省かれていました
(「掃除」担当は混成第十二旅団)。
しかし暖かくなると埋葬した死体が雪解け水等のために
露出してしまう事態になり(その程度の「仮埋葬」でした)、
結局火葬をやり直すことになります。
放置されていた死体もこの時に新たに火葬されたようです。
燃料については諸説あり、前述の有賀氏は
「旅順口ニ於テハ敵ノ遺シオキタル石炭多量
ニ在リシヲ以テ直ニ之ヲ以テ燃焼材料ニ供スルコトヲ得タリ」
と書いています。
また『旅順口文史資料』第一集中、陳守堂の「萬忠墓的来歴与変遷」
(=萬忠墓の来歴と変遷)によれば、
白玉山東麓、旅順港の船渠の穴、黄金山東麓の三か所に
分けて死体が集められ、石油をかけて焼いたとされています。
また「大連文史資料」の「蒙難余生片断」には、
死体は全て郭家店(地名)の湿原の窪地に集められ、
石油をかけて十数日にわたって焼いた、とあります。
これでいったいどれだけの死体が焼けるものなのかはちょっと解りません。
また一万人焼けるだけの燃料があったのかどうか、
本埋葬に何ヶ月くらいかけたのかは解りませんでした。
八百鼡さんによると有賀氏は二千名程度の死体と言ったそうですが、
この証言が正しいという根拠も正しくないという根拠も
私にはありませんし、八百鼡さんの仰る「有賀氏説(二千名)が正しい」という
主張にも残念ながら説得力を感じません。
数字については「二千から二万程度まで」としておきましょう。
私の力ではこれ以上正確な数字を推定することは無理なようです。
ただし旅順市街で行なわれた殺害のほとんどが「虐殺」と
呼べるものであったことは、
今まで挙げた証言や報道等からもほぼ間違いないでしょう。
それから本論とは関係無いですが、「(論点を)流すのは良くない」
と書かれていた点について。
「万近くの死体を火葬にできるかどうか考えて見てください」
と仰っていますが、八百鼡さんが
「万近くの死体を火葬にするのは無理」と仰りたいのなら、
それを示すのは八百鼡さんの役目です。
「教科書のこの部分は捏造」という主張なども同様で、
何かの主張をしたい人がその根拠を示すべきなのです。
別にディベート(議論の競技)をやっているわけでは無いのですから、
私も八百鼡さんと正反対の主張をしてその根拠を示さねばならない、などと
いうことはありません。
どうも八百鼡さんが「自分にばかり論証を要求している」と
御不満をお持ちのように感じたので、一応断わっておきます。
「そんな事書かなくても解っている」という事でしたら
ご容赦ください。その場合は私の誤解です。
-
旅順関係で未レスはもう無いと思いますが、
せっかくですから内外の報道をもう少し紹介しておきます。
>>280で、日本軍が捕虜を虐殺(または捕虜にせず虐殺)した理由として
有賀氏が「コストがかかるから」と告白していますが、
同様の見方をしていた日本の新聞もあります。
「萬朝報」(十二月四日付)は
「比較的捕虜の数少きは何故ぞや」と問いかけ、
それは捕虜を得たところで手数を要するだけだからと述べています。
「故に敵の銃砲刀剣を携ふる者及我兵に抵抗する者ハ
悉く銃撃斬殺せり之れ捕虜少くして死者多き所以(ゆえん)ならん」と。
次は虐殺の様子を書いた日本の新聞報道です。
これは十二月二日付「東京朝日新聞」(特派員横川勇次)からの抜粋です。
「今村落へ探知に行く所なりとて五六人宛見当り次第発砲銃殺しつゝ行く様
恰(あたか)も兎狩か狗(いぬ)狩の如く
一村挙て蜘蛛の子を散すが如く山上に逃げて行く
是ぞ実に天下の奇観なりし」
外国の記者が虐殺に慄然としていたのに比べ、
「天下の奇観なりし」とはお気楽なものです。
批判めいたことは書こうにも書けなかった、ということはあるでしょうが。
虐殺後の旅順にどれくらいの中国人が残っていたかという記述としては、
「市内は日本兵士を以て充満し支那人は死骸の外更
に見当らず此地方支那人の種子は殆ど断絶せしか」
(中央新聞十二月二十七日付に転載された日本軍仕官の手紙)
などというものがあります。
-
最後に、「ワールド」と「タイムス」の記者がこの事件を
総括的に書いた文章を紹介しておきます。
「ワールド」十二月二十日付
それは、自分たちの戦友の切り刻まれた死体を見た軍隊の怒りがもたらした、
当然の結果と呼べるかもしれない。あるいは、報復と呼べるかもしれないが、
いかなる文明国家も、私が旅順で目撃したような
残虐行為をすることはできない。
私が記した全ての光景は、
米国と英国の公使館付き陸軍武官がいるところで、
もしくは、コーウェン氏かヴィリアース氏と一緒のときに、
私自身が見たものである。
これが、戦争行為というものかもしれない。
しかし、それは野蛮人の戦争行為だ。
人々を文明化するには、一世代以上の歳月を要する。
陸軍大将と全ての将軍たちは、虐殺が連日続けられているのを知っていたのだ。
「タイムス」(一月八日付)
八日前に、長門丸に乗り旅順をあとにしたとき、信じ難い野蛮行為の流行病か
ら私たち自身が生き延びたことに、驚きさえ感じたのであった。私達が聞いた
最後の音とは、大きな戦闘のあと五日目になっても止まぬ、銃声の音であり、
つまりは理不尽な殺人の音であった。
……
戦闘の当日、困難な戦いの興奮も覚めやらぬ兵士たちは、おそらく幾分か血に
飢えたようにならざるを得ない。ともかくも、神経は緊張し、血は頭に上り、
彼らは激しく興奮していたのだ。それが正しいというのではなく、
普通はそうなるものなのである。
しかし、戦闘は二十一日にあったが、二十五日もまだあった。
四日間睡眠をとったあとにも、大量虐殺は続けられたのである。
日本人は、恐ろしく興奮しやすいにちがいない。
もしそれが、日本人の真の性質であるなら、褒められことではない。
清国兵によって戦友を切り刻まれた兵士たちの激しい憤りに対しては、ある程
度許容がなされるべきであろう。憤りは、完全に正当化される。つまり、日本
人が憤激を感じたのは、しごくまともなことだ。しかし、何故、彼らは全く同
じ方法で、憤りを表さなければならなかったのだろうか。それは、日本人の心
が、清国人のように野蛮であるからなのだろうか。もちろん、彼らは、「否」
と言う。それなら、日本人は、そのことを証明しなくてはならないだろう。何
故なら、日本兵が、戦闘当日のあと四日間にわたり、野蛮な行為をしていたの
を、白人たちが目にしていたという事実が残っているからだ。
旅順以外に未レスは残っていますが、
ちょっと面倒になってきたのでレスするのは止めておきます。
もちろんご要望があればレスします。
-
すみません、旅順関係でもうちょっとだけ書かせていただきます。
八百鼡さんが>>272で「死体が散乱するのは「当たり前」と言う事です」
と書かれた旅順の光景がどのようなものであったか、
当時の日本の新聞報道の一部を紹介します
(食事前には読まない方が良いかもしれません)。
>「日本侵略軍は旅順で我が同胞を狂ったように虐殺し、」と言う風に
>書いているのは言うまでも無く『わざわざ書くまでもない』、
>『通常の戦闘』を『日本を憎ませるように仕向けている』と
>『言われても仕方の無い記述』をしている訳ですから問題です。
上は八百鼡さんが>>215で書かれたものです。
私も教科書で「狂ったように」などと書くのは
情緒的かつオーバーな表現だと思っておりましたが・・
当時の状況を知ればそうとも言えないようです。
首がちぎれかけている者、脳味噌があふれ出している者、
腸が出ている者、眼球が飛び出ている者などさまざまで、
これを見た貴婦人がたはショック死するかも、
などと書かれています。
一帯を生臭い悪臭がたちこめ、血で靴が滑って歩けないので
死体を踏んで歩いた、というのもありました。
原文を紹介しましょう。
旅順各街到る処に死屍横(よこた)はる間々(まま)身首を異にせしものあり、
半ば首の切れたるあり、脳味噌の溢出せしものあり、腸の露出せしものあり、
眼球の飛出せしものあり其の他手切れ足砕け粘々たる血液の上に斃死せる様
実に一見毛髪の悚(しょう)立(りつ)するを覚ゆ
翠帳紅閨の中に人と為りたる貴婦人令嬢抔(など)に之を見せたらんには
或は其場に驚死するに至るやも知るべからず
「東京日日新聞」(12月7日付)
(※東京日日新聞は今の毎日新聞の前身)
死屍狼藉街巷に満ち、五六若(もし)くは十以上の敵人□首を竝べて斃死するを見る、
之れを過ぐれば腥(せい)気人を襲ひ悪臭鼻を撲(う)つ、
(中略)修羅の街吾れ其語を聞くなし、
而して惨憺此の如きの光景は想像の及ぶ所に非らず
「日本」(12月8日付)
此地造船所の如き頗る立派なる者にて市街には敵の死屍山をなし居る様
痛快の極に御座候
「郵便報知新聞」12月6日付け)
予等廿二日薄暮旅順に至る積屍山の如く、
郊の内外死躯累々として腥(せい)風鼻を衝(つ)き、
碧血靴を滑らして歩行自由ならず、已(や)むを得す死人の上を歩めり
『征清奇談従軍見聞録』
(伊東連之助;第一師団の上等兵の手紙を集めたもの)
暴風尚止マズ、余思フ旅順ノ滅亡此ニ極(きわま)ル
(『西征行軍記』佐川和輔:歩兵第一連隊の兵士)
-
スライムベスさんは、いろいろと根拠を提示しているから、その馬力は凄い
ものがあるけど、引用している文献に対する考察はもう少し必要ではないかと
傍から見て思う。
何故なら、八百鼡さんがタイムスは虐殺数が200人と紹介しているが、
スライムベスさんが挙げたワールドの記事を見るとワールドの記者とタイムスの
記者が同じ場所に居た事になる。それでいて死者数200と60000と違うのは
八百鼡さんが言うように矛盾していないかと普通は考えないだろうかな?
また、死体処理に関してもスライムベスさんの書き込みでは結局あれでは
よく解らない。寧ろ判断を避けているように見える。それにあの時代に石油
を大量に備蓄していたと普通考えられるかな?そう言う点がもう少し考察が
必要じゃないかな。偽情報を流すのは中国のお得意技だし。
朝鮮戦争の時に米軍が毒ガスを使っていなかったと中国が認めたのは1995年
になってやっとだし、それまでバンバンアメリカは毒ガスを使っていたという
情報を流しつづけた国だからね。中国は。
大分前に打ち切られたネタみたいだけど、もう少し情報は整理できるんじゃない
かな。アカデミシャンじゃないのはわかるけど、素人でもわかるぐらい考察
すべき点はいっぱいあるよ。
-
あれから調べなおしてみましたが、ワールドが6万人虐殺を報じたというのは
私の早合点でした。失礼しました。
またタイムスの200という数字ですが、
旅順で虐殺された合計の推定数が200名だと言っているわけではありませんから
別に矛盾ではありません。
これまで調べた結果から
相当数の虐殺があったのは確かだということは判りましたが、
「相当数」が何人かというのは判らずじまいでした。
死体処理の燃料をどうしたかに諸説があることは紹介した通りで、
万単位の死体を焼却することが不可能であることの根拠が結局
示されないまま終ったことはスレッドを見ての通りです。
-
両者とも触れていなかったけど、ワールドは最初は2000人と報道してい
たよ。こう言う所も矛盾じゃないかな。また、タイムスの挙げた200人が旅順
で虐殺された合計数ではないというのは、今までの流れからではどこにも出て
ないよ。
これまでの話の流れからは相当数の死者があったというのは解るけど、
それが即虐殺と言うのにはならないよ。何故なら記事だけだから。南京事件
に関する論争を見れば解ると思うけど。
それと、スライムベスさんは意見を述べているのだから
こういった諸説があることを紹介と言う風に逃げては駄目だよ。きちんと
自分はこう思うと言う風に言うべきではないかな。でないと玉石混交お構い
無しに量で押し切っているみたいに見えるから。資料を集めてくる馬力は
凄いと思うけど、次はその資料検討をしないと残念ながら意味が無いよ。
それと、銃剣は突き刺すもので刃は付いていないから傷は刺殺傷だけだよ。
だから死体についた様々な傷はもう少し考えてみてね。
万単位の死体の焼却が不可能かどうかは少し科学的に考えれば理解できると
思うよ。八百鼡さんははっきり言わなかったけど、万単位の死体をあれだけの
日数で処理して、あまつさえ野焼きでの焼却で万単位を処理できる訳がないか
ら。
資料を集めたら最低限の検討をしようね。頑張って。
-
>>290
>両者とも触れていなかったけど、ワールドは最初は2000人と報道してい
>たよ。こう言う所も矛盾じゃないかな。
何と何が矛盾しているのかな。
>また、タイムスの挙げた200人が旅順
>で虐殺された合計数ではないというのは、今までの流れからではどこにも出て
>ないよ。
出てないよ。
それで、タイムスの挙げた200人というのは
虐殺された合計数を推定したものだと判明したのかな?
そんな新事実があったのなら是非ソースと一緒に紹介してね。
> これまでの話の流れからは相当数の死者があったというのは解るけど、
>それが即虐殺と言うのにはならないよ。
虐殺があったということも充分判ると思うんだけどね。
>何故なら記事だけだから。
内容がどうかという事が問題なんだけどね。
「記事だけだからダメ」で終るんだったら
昔の出来事なら何でも「○○に書かれていただけだからダメ」
で終ってしまうよ。
> それと、スライムベスさんは意見を述べているのだから
>こういった諸説があることを紹介と言う風に逃げては駄目だよ。きちんと
>自分はこう思うと言う風に言うべきではないかな。
根拠が薄弱なことでも何でも無理矢理結論を出してしまうのは
事実に対して不誠実な態度だと思うんだけどね。
全ての事柄に対して「どちらだ」という意見を持つ必要は無いんだよ。
>次はその資料検討をしないと残念ながら意味が無いよ。
検討することにも資料を出すことにも意味はあるよ。
>それと、銃剣は突き刺すもので刃は付いていないから傷は刺殺傷だけだよ。
だから銃剣で突き刺しただけじゃ無いって書いたんだけどね。
>万単位の死体の焼却が不可能かどうかは少し科学的に考えれば理解できると
>思うよ。
ではその「少し科学的に考えた結果」というのを示してもらえるかね。
-
また傍から意見をばさんは、どうやら「万単位の死体の焼却が不可能」
であるということを示せなかったようですね。
話は変わりまして、数年前に文学座が「北の阿修羅は生きているか」という
芝居を上演していました。
内容は、
日清戦争で旅順大虐殺を目撃した新聞記者が
その記事の掲載を止められ、
正義感に燃えていた新聞記者がそれをきっかけに落ちぶれていく・・
といったもののようです(私が実際に見たわけでは無いのですが)。
このような掲載差し止めの圧力というのは実際にあったのでしょうか?
今までにいろいろと当時の新聞記事を紹介しましたが、
記事の傾向から類推して、どうもそのような圧力が実際にあったのでは
ないか、と考えています。
日本の新聞記事には殺された後の光景について書かれた記事はたくさんあるが、
どうやって殺されたかについて書かれた記事というのが非常に少なく、
私も記事を紹介していて非常に違和感がありました。
日本軍の虐殺の様子を直接書いていた日本の記事は
東京朝日の横川特派員の記事くらいです。
「暴風尚止マズ、余思フ旅順ノ滅亡此ニ極(きわま)ル」
の「暴風」など、意図的にぼかした書き方をしているのではないか、
と疑われるものもあります。
また以前指摘があったように中国人同士が殺し合っていたのなら、
それを日本の新聞に書けない理由というのもありません。
戦闘が完全に終了してからしか市内に入れなかったという可能性も
無いわけでは無いでしょうが、それだって後から兵士に取材して
いくらでも記事にできるわけですから。
-
>>291=スライムベスさんへ
何が矛盾かというと、ワールドにしろ、タイムにしろ11月26日以降、つまり
旅順での戦闘が終わった後で同じ事を書いているのに、桁が違うということが
おかしいと思わないかな?
ワールドなんかはタイムの記者が同じ所にいたとかいてあるよね。
それでいて何で二桁も違うのかな?こういう所が考察が必要だよ。
>出てないよ
きっと、虐殺があったはずで話を展開しているからこういう所を考えられ
なかったんだろね。ワールドの記者と同じ所にいたのに何で合計された虐殺数
ではないと言えるのかな?もう少し考えてみてね。
>虐殺があったということも充分判ると思うんだけどね。
で、それが桁がバラバラな記事だけからだと言うのはねぇ・・。それと
きっとこうかもとと言うこととか。
>内容がどうかという事が問題なんだけどね。
その内容が問題だね。 検証が必要でしょう?いきなり「○○に書いていただけ
だから駄目」で終わってしまうよと言う風な極端な意見を持ってくるのは良くな
いよ。何も滅茶苦茶な事は言っていないでしょう?
>根拠が薄弱なことでも何でも無理矢理結論を出してしまうのは
>事実に対して不誠実な態度だと思うんだけどね。
>全ての事柄に対して「どちらだ」という意見を持つ必要は無いんだよ。
で、スライムベスさんの書き方だと逃げをうって責任を取りませんと言う
書き方にしか見えないからそこの所が問題ですよと言っているだけですよ。
>検討することにも資料を出すことにも意味はあるよ。
失礼ながらそこから先に進めてないんだねスライムベスさんの場合は。だから
大量の石油とか頓珍漢な資料を持ってきて諸説がありますと残念ながら終わって
しまうんだね。そういう点では八百鼡さんの方がまだ検証しようとする姿勢を
遥かに感じられるよ。
>だから銃剣で突き刺しただけじゃ無いって書いたんだけどね。
刃がついていない銃剣でどうやって突き刺す以外で殺せるの?切れないのに?
刀を持っているのは将校とかほんの一部なのに。こういう点は考察ですよ。
-
>>293は私です。名前を書き忘れてしまった・・。
死体の焼却は万単位と考えた場合、八百鼡さんが言うように大量の燃料を
必要とするわけだから、もし本当に万単位の死体を焼却したのならそれだけの
記録が残っているわけだよね。燃料調達とか、死体を焼却する煙に関する目撃談
とか。また仮埋葬にしても万単位なら死体の移動や工事についての記録とかが
あるよね。で、スライムベスさんが考えるところの証拠って何かな?
さて、万単位の死体の焼却という大事業について考える場合、立証が必要なのは
万単位の死体があったと主張する側ではないかな?
「北の阿修羅は生きているか」はフィクションの話ですね。フィクションの
話を持ち出して実際にあったのでしょうか?はちょっとねぇ・・。
それと、出版に圧力を加えていたのなら何で今まで当時、圧力が加えられていた
人の言葉が出てこないのかな?そういう点を考えてみるのも大事だよ。
暴風についても、市街戦と言う性質を考えた場合、また便衣兵の存在を考えた
場合それが市街戦の凄まじさから来ていると考えられないかな?
その方が自然で、虐殺ではないかと疑われるとかいう中途半端な考え方をす
るよりも遥かにシックリとくるよ。
-
>>293
>>294
あのー・・
で、実際
人の死体を一万人消却するのに、どれだけの量の燃料が最低限必要なんです?
それに対して調達可能な燃料は最大でどれだけだったんですか?>傍から意見をばさん
こういう根拠を示すのは「一万人殺した」と主張する側でも「そんなに殺してない」と
主張する側でも、どっちでもいいんだけど。
裁判とか特別なフィールドでは、片方に説明責任があったりするけど、科学的な検証では
デフォルト(=特に証拠が無い場合)はあくまでも「どちらの可能性もある」までしか
言えないんですよね。そのへんのこと、わかって敢えて質問しているのか、端から見ていて
ちょっと心配になってくるんですけど、どうでしょ?
そういえば、竹島の議論でも、八百鼡さんにそういう態度があるように思いましたね。
確かに韓国側の自国領とする根拠は薄いんだけど、だからといってそのことが日本領
であることの証拠じゃあないんですよね。
-
>>293
>旅順での戦闘が終わった後で同じ事を書いているのに、桁が違うということが
>おかしいと思わないかな?
前にも書いたように、何についての数字を語っているのかが
一致していないと比較出来ないんだよ。
旅順で行なわれた全虐殺の推定数なのか、
それとも自分が直接目撃した、責任を持って断言できるだけの数を語っているのか。
一方は新聞報道で、一方は日本政府高官に報告した時に挙げた数字だろう?
両者が挙げた数字の性格が同じものだということを
まず示してもらえないかね(これも>>291で書いた事だけど)。
>ワールドの記者と同じ所にいたのに何で合計された虐殺数
>ではないと言えるのかな?もう少し考えてみてね。
誰もそんな事言ってないんだけどね。
逆に貴方が「両者とも合計の虐殺数について述べている」
という事を示す必要があるんだよ。
「両者の数字がケタ違いなのは矛盾している」と言いたいんならね
(それでもここで「矛盾」という言葉を使うの不適切だけどね)。
別スレで壱学生さんが「挙証責任」という言葉を使っていたけど、
貴方はそういう議論をする上での基本的な事が解っていない。
まあこう言っては悪いけど。
>で、それが桁がバラバラな記事だけからだと言うのはねぇ・・。
・・
>その内容が問題だね。
スレを再読願えれば解るが、他にもいくつか示しているよ。
> で、スライムベスさんの書き方だと逃げをうって責任を取りませんと言う
>書き方にしか見えないから
もうほとんど言い掛かりですね。
まともに反論する必要無し。
>そういう点では八百鼡さんの方がまだ検証しようとする姿勢を
>遥かに感じられるよ。
残念ならが感じられなかったね。
短期間で一万の死体を焼くのは無理だと示したがっていたみたいだったが、
ところが肝腎の、その根拠を示す作業を相手にやってもらおうというんだから。
>刃がついていない銃剣でどうやって突き刺す以外で殺せるの?切れないのに?
銃殺、刺殺、斬殺(刀は少数ということだが)で最低3種類。
清軍が残しておいた武器を使ったのならもっと種類は増える。
「さまざま傷跡があった」というだけでは清国人同士で多勢殺し合ったという
結論まではとても導けない。実際にそのような事があったという証言や
報道がどれだけあるのかね。
一方、日本軍の行為については大量の証言や報道を見せられてもなお
「やってないかもしれない」という
(それとも「やってない」と断言しているのかな?)。
不思議だね。
それから「タイム」じゃなくて「タイムス」ですよ。
八百鼡さんも何度か同じ間違いをしていたけど。
-
>>294
>さて、万単位の死体の焼却という大事業について考える場合、立証が必要なのは
>万単位の死体があったと主張する側ではないかな?
もちろん主張する側が示す必要があるんだよ。
そして今のところ、このスレでそういう主張をしている人はいない。
ところで貴方は万単位の死体の焼却が無理だと主張していたね。
ならばその根拠を私に示させるのでは無く、自分で示したらどうかね。
少しの科学知識で簡単に示せるんだろう?
何故自分でそれをしないのか、まったく不思議だね。
こう言っては悪いが、貴方の言っている事は
あのM4氏と同程度ですね。
特に挙証責任についてよく理解できていないところなど
(これは八百鼡さんも同じようなんだけど)。
もちろん貴方の方がM4氏よりはマナーを心得た書き方を
していますが。
しかし一つのスレに議論の初歩的なルールが解っていない(と思われる)人が
3人も同時に集まるというのも興味深いところです。
>「北の阿修羅は生きているか」はフィクションの話ですね。フィクションの
>話を持ち出して実際にあったのでしょうか?はちょっとねぇ・・。
「実際にあった」では無く「あったのでしょうか?」と問題提起のための
導入部分として持ってきただけで「ちょっとねえ」ですか。
ものすごく厳しいなあ(笑)。
-
>>296
>残念ならが感じられなかったね。短期間で一万の死体を焼くのは無理だと示したがっていたみたいだったが、ところが肝腎の、その根拠を示す作業を相手にやってもらおうというんだから
反・反戦派は常に、全ての根拠やソースは反戦派が出すべきもので、我々は一方的にその根拠や主張の欠陥を批判するだけでいいと言う立場なのだそうです。
公平であるべきではないと言う立場からすれば当然なのかもしれませんが、
それでは議論は出来ないですね。参加の意味がありません。
ところで「短期間に一万の死体を焼くのは無理」かどうかについてですが
焼き方にもよりますね。
一体一体、念仏などをあげて、焼き残しがないように綺麗に焼き、
骨拾いなどをしていると、相当な時間がかかりますし、
可燃物と一緒に山のように積み上げて、ガソリンなどをぶっ掛けて焼くだけなら
後は何日もくすぶるにしろ、作業は簡単です。
-
>>298
>反・反戦派は常に、全ての根拠やソースは反戦派が出すべきもので、
我々は一方的にその根拠や主張の欠陥を批判するだけでいいと言う立場なのだそうです。
このスレの何人かの主張を読んでいると、やや肯けるところがあります(^^;)
私が何かを主張した時
その主張の欠陥を批判されたり根拠を求められるのは
やぶさかではありませんが、
逆の場合だって誠実に対応して欲しいですよね。
自分が主張している事の根拠を示さず、議論相手にそれをさせようなんて
お話にならんです。
そんな人は稀だと思うんだけど、
どういう訳かこのスレにはそんな人が複数居る(^^;)。
根拠を示したくないのは、それによって自説の根拠の欠陥を
批判されるのが嫌だからなのかもしれませんね。
そして議論相手にも、(自分と同様に?)たとえ根拠がはっきりせずとも
一万人死んでいるのかいないのかどちらかの主張をせよと要求し、
私が「そんないい加減な事出来ない」と言うと
それは逃げだとか言って批判してくる。
話にならんの2乗です(笑)。
自分の主張を批判されるのが嫌なら、
自分の方があやふやな根拠を基に断定的な主張をしなければ良いだけ
の話なのにね。
このあたりの思考の欠陥はM4氏などとも共通した所があります。
M4氏の天然ぶりもある意味凄いですが、
まああれは誰かが煽り目的で別ハンを使って書いたんじゃないかなー
という気もしてます。
>可燃物と一緒に山のように積み上げて、ガソリンなどをぶっ掛けて焼くだけなら
>後は何日もくすぶるにしろ、作業は簡単です。
私もそんなに難しいことだとは思えないんですよ。
また人間100人焼くのに1人焼く100倍の石油(なり石炭なり)
が必要だとも思えませんしねー。
一人一人別々に焼くわけでは無いですからね。
-
>>299
>私もそんなに難しいことだとは思えないんですよ。
また人間100人焼くのに1人焼く100倍の石油(なり石炭なり)
が必要だとも思えませんしねー。
一人一人別々に焼くわけでは無いですからね。
人間そのものが可燃物ですから(^^;
-
死体が可燃物だって?そんなことはない
コークス使って焼いたって2時間程度はかかる
現在の最新式の1000度以上で焼く焼却炉だって1時間はかかる
とくに、ガソリンは決定的に重要な軍需物資だった、日本では
松の木の根をほって、「松根油」という代用品までつくったほどだ。
石炭の液体化の研究もしている。
ちなみに人間一人を完全に焼却するにはガソリンおよそ100Lが必要だそうです
100人焼くのに100倍かからないとしても
いったい、どれぐらいの量がかかるのでしょうね
いいですか、人体の6〜7割は水です 本来燃えにくい物なんです
それを燃やすのが戦時下においてどれだけ不合理でムダなことか
アル中や肥満患者ばっかりを焼いたというなら別ですけどね
こういった条件を満たしておれば比較的低温でも人体を焼却することは容易です
ロウソク状態になったとは考えにくい・・・
あ、燃料が〜かかるというのはアウシュビッツの例から引っ張ってます
興味があったら図書館ででも
-
>>301
結局、ソースも根拠もない想像にしか過ぎません。
死体は可燃物ですよ。そうでなければ、火葬なんかできるわけがない。
人体の大部分が水分であるから燃えにくいだけで、水分が蒸発した後は燃料になります。
生木は燃えにくいです。
しかし山火事になり、周辺温度が高くなると乾燥して木そのものが燃えます。
(冬の枯れ木でなくても山火事は起こりえます)
それと同じです。燃料の上に積み上げた死体は、水分が蒸発した段階で燃えます。
それが燃料になって、他の死体を焼く筈です。
問題はむしろ酸素補給でしょう。
適当な空間を作って積み上げれば、問題は解決します。
なお、アウシュビッツ方式は、積み上げ方式の参考にはなりません。
-
死体を露天で焼くのを見たことがありますか?
一定の温度に達すると、屈伸させておいた身体も立ち上がり、座棺の蓋など跳ね上げて飛び出してきます。
火葬の場合は、一定温度を越えないように気をつけねば、死体は木っ端微塵に飛び散ります。
レンジで一匹の魚を10分も焼いてみたら、バジッとはじけ散りますね。
あれでおよその雰囲気はつかめると思います。
窯の中で焼くことを考えていたら、露天に積み上げて焼くことを想像できないの無理ありません。
-
ソースをしめしていますが
〜そうでなければ火葬になんかできるわけがない←この根拠はどこに?燃えにくいから
あんだけの火力で無理やり燃やすわけです。
ていうか、自分の書き込みをもう一度見られてどうでしょう
〜筈です そうでなければ〜できる筈がない というのがありますが
それに対して結局、ソースも根拠もない想像にしか(略
それにアウシュビッツ方式は参考にはなりませんとありますが
なぜ参考にならないのでしょうか?あなたの書き込み も 根拠が示されていないようです。
是非ご教授願いたいです。
はい、ちなみにもう一例示しておきましょう
可燃物である 大部分が水分であるから燃えにくいだけで 水分が蒸発したあとは
燃料となる→したがって燃える
これがいかに間違いかを一例をもって示しておきましょう
私の友人に医療廃棄物、実験動物焼却業者の友人、すなわち産廃処理業者が
おりますが その人いわく 経験上
一番燃えにくいのは 湿った 電話帳だそうです
業務用の高効率炉で焼却してもかなりの時間がかかるそうです
はて紙は人間よりははるかに燃えやすいはずですが
含んでいる水分の量も考えますと条件は同等以上かと
そして一般の人が思っているより、はるかに実験動物の焼却には時間と燃料が必要だそうです
はて、窯の中で焼くより露天のほうが効率がよいもんでしょうか?
-
さらに疑問を投げかけましょう
いったい日本軍はいかにして、それらの大量の殺戮を
行うことができたのですか?
ジェダイの騎士ですか?日本軍兵士は
-
ニュースでこういった虐殺の”真実”を語っていた老人が
当時11歳であったり
虐殺の肯定的証拠と思われていたものが中国国民党のプロパガンダである
ことを裏付ける書類が発見されたり
疑う材料には余念がないわけですが
はて 通州事件は いったいどうなりましたかね
-
>>304
>〜そうでなければ火葬になんかできるわけがない←この根拠はどこに?燃えにくいから
あんだけの火力で無理やり燃やすわけです。
まず、どれだけの火力でどれだけの時間かかるのか、実際の火葬場での数字とそのソースを示してください。
事件動物の方は、検索して出てきました。
http://www.jin.ne.jp/af/kishu.html
数秒のようですね。
ただし、それは窯の中の話です。
露天の場合は、薪を空気が下から循環しやすいように組みます。
大量に焼くのを見た経験はないのですが、大量に焼く場合は、その木組みを幅広くして、死体も薪のように縦横に組み合わせて乗せていくといいと思います。
それから、中国東北地方は、日本に比べて湿度がうんと少ないということも考慮に入れてください。
>一番燃えにくいのは 湿った 電話帳だそうです
電話帳に限りません。濡れた本は燃えにくいです。防火には濡れた本や布団をかぶせるといいのもそのせいです。
しかし、本に充分水を含ませるのは、非常に時間がかかりますが・・・
濡れていなくても本は、完全に燃焼させるのは大変です。
それはトジ口があって、空気が入りにくいからです。
紙は重なったままだと燃え残ります。札束に燃え残りが出るのもそのせいです。
(窯の中では、そんな重なった紙でも高温で燃えます)
しかし、紙は一枚ずつぐしゃぐしゃもんで空気を入れれば、たきつけにすらなります。
一番大事なのが空気だからです。
死体を焼くときも、空気と死体の乾燥が一番大事だということはお分かりだと思います。
露天で空気の循環が上手くいくほうが乾燥しやすいです。
いわゆる火葬の場合は、死体が破裂して飛び散って、骨が拾えないような焼き方をしませんが、
今話題の大量焼却の場合は、そんなことはどうでもいいんです。
ある死体は飛び散り、ある死体は生焼けでもいいんです。
生焼けでも、火力で乾燥すれば、腐敗は免れますから。
まあ、実験するわけにも行きませんからね。
1万人が簡単に焼ける筈がないという方が
私の言い分に反論するためには、実験でもして否定する以外にはないですよ。
私やスライムベスさんは、1万人が何時間で焼けるとは言っていないのです。
焼けないと言いきれる根拠はないはずだといっているのです。
-
>>306
今話題にしているのは、いつのどの事件の話であるのか確認したいです。
そして、あなたが話題にしているのは、いつのどの事件の話であるのか、明らかにしてください。
どうも食い違いがあるようだ。
「当時11歳であったり」というのは、南京事件の証言者の話題で聞いたことがあるが
後日ニュースステーションが、現年齢の単純ミスであったと訂正した筈だが、
他の事件のことですかな?
-
>>305
日本軍は何人しか居なかった、一人が一人を殺すには何秒必要である、
従って、日本軍には何日以内には、何人以上は殺せなかった。
と証明すべきなのはあなたです。
-
ちょっとまってください どこに数秒って書いてあるんです?
で、空気をよく通るように しかも乾燥するように
さらに薪のようにつみかさねると 日本軍が手間をかけて
なんで埋めないんですか?
実験動物が数秒っていうのはまったくのウソです
マウスならそうかもしれませんがね
>>焼けないと言い切れる根拠はないはずだ
焼けません 燃料もないし 時間もない そんな労力もない
ましてや専門の業者から、死体というのはそんなに簡単に燃えないという
ことを聞いております
あとから、出てきた死体というのは文革の時の死体じゃないんですか?
-
旅順についてでしょう
私は、いかに〜はあったといってる人の証言があやしいかを
示すためにその例を引っ張ってるだけです。
果たして単純ミスなんでしょうかね?
中帰連のプロパガンダを受けたお年寄りたちが発言してたって
おかしくありませんでしょう
日本軍は何人しかいなかった 一人が一人を殺す(以下略
というのはまったく無意味な試算です
なぜなら日本軍はXX人いたX秒にX人殺せる
したがって一日ではX人は殺せる
だまって殺されるのを待って雁首そろえてやってくるんですか?
まったく意味のない資産ですね
私がいっているのは、そんなに大量の人間を虐殺する
方法がないってことです。
-
刀で斬った 突き刺した 銃で連射した?
はていったいどれほど途方もない労力が必要なのでしょう
まさか100人切りを信じてはおりますまい
銃で殺すにしてもそれだけの大量の銃弾はどこから?
非戦闘員の虐殺にそこまでの労力を裂かねばならぬ理由とは?
非戦闘員でなくゲリラ兵であったというならうなずけるのですが
-
>>310
>なんで埋めないんですか?
あなたねえ。そんな質問なぜ私に?
他の地方では埋めたという場合も有りますね。
日本軍が手間をかけて焼くにはそれ相応の理由があったのかも知れないが、
私がやったわけでもないですから、答える必要はありません。
>焼けません 燃料もないし 時間もない そんな労力もない
ましてや専門の業者から、死体というのはそんなに簡単に燃えないという
ことを聞いております
何の根拠もないですね。
声の大きい方が勝ちのような議論は止めましょう。
-
そういった、疑問が節々からでてくるのに
こういった説をまともに採用し日本を徹底的に悪玉として取り扱う
中国の教育が反日教育と言われても不思議ではありません。
日本の隣に核兵器を保有している国がいます。
日本の隣に軍備を増強している国がいます。
日本の隣に国内の言論を弾圧している国がいます。
日本の隣に国内の少数民族を弾圧している国がいます。
日本の隣に不当な為替政策で世界をデフレにしている国がいます。
日本の隣に捏造した歴史で、日本を貶めている国がいます。
日本の隣に棄民化政策をとり、周辺国に難民を放出している国がいます。
こういう風に思っても不思議ではないと思うのですが
そしてそういう国にわれわれはODAを与えているわけです。
-
>>311
>私がいっているのは、そんなに大量の人間を虐殺する
方法がないってことです。
捕まえて数珠繋ぎに縛り上げて殺せば、一人何秒もかからないでしょう。
-
>>313
別に議論じゃありませんから
私は、虐殺の事実はなかったのではないか?という説も有力である
といってるわけで
その補強として燃料やら 方法やら 手間を持ち出してると
思ってもらえればよろしいかと
>他の地方では埋めたという場合もありますね
では、掘り返せば大量の人骨が発見できるはずです
それこそ中国共産党にとって最高の証拠となるはずではないでしょうか?
それをしない理由はなんでしょう?
あった というのも疑わしいと思いませんか?
根拠がない根拠がないといわれるが
中国が教科書で主張しているこれらすべて根拠がないものです
これはあなたがおっしゃるとおり あったと主張する中国が立証すべき
事柄であります。
日本を不当に貶める発言だとは思いませんか?
ましてやサンフランシスコ総領事でしたかな戦死者の合計は3500万人
だとかいってる人物もいましたな
なにか、中国側の主張におかしなところがあると思いませんか?
-
>>315
で、捕まえられるのをだまって指くわえて待ってるわけですか?
鶏をシメルのとはわけが違うと思いますが。
虐殺が行われているなら一般人は逃げるのでは?
説得力にさすがに乏しいでしょう
-
>>316
>>他の地方では埋めたという場合もありますね
>では、掘り返せば大量の人骨が発見できるはずです
それこそ中国共産党にとって最高の証拠となるはずではないでしょうか?
掘って、現実に展示しているではありませんか。
日本人側の証言も充分あります。
-
>>317
お疲れのようですね。今日はお休みなさい。
-
その証拠、証言が怪しいといってるわけで
その人たちは中帰連じゃないのですか?
掘って展示されているあれらは
文革の時に殺された人骨が混じっている という意見もありますが
どうお考えですか?
C14を用いればどの年代に死んだかわかりそうなものですが・・・
そんなに精度は高くないんですかねぇ
あやしいんじゃないの?っていってる私の意見わかりますよね
-
おそらく中国は日本が、学者の団体を引き連れて
真実を確かめたいといって調査を申し出たら
拒否するでしょう。
自分たちの捏造 誇張 がばれると国民の統治が難しくなりますから
日本軍の毒ガスといってるあれらも中国やロシアのが混じってるぐらいですから
なにをかいわんやですね
誇張や捏造や欺瞞が日常茶飯事になってしまって麻痺してるんじゃないでしょうかね
-
横レス失礼。
えーと、なにやら一万人の死体の焼却が短期間で可能かどうからしいですが、少し。
まず、武蔵氏などは、実際に火葬場に行ったことはありますか?
私は何度もありますが、火葬場のような施設でも死体を完全に焼くには2〜3時間はかかります。
戦場などでは当然の如く「野焼き」でしょう。
これは火葬場のような施設で焼くよりも、はるかに時間がかかります(十倍ほどかかるらしい)。
理由は空気中に熱がどんどん逃げるから。
ハッキリ言って効率が非常に悪いんですね、これが。
ただ、地中に埋めたり海に捨てるよりは、焼却の方が手っ取り早いことは確かでしょう。
穴を掘ったり、海まで運ぶ時間と労力を考えれば。
残った灰は軽いですから、運搬も楽ですしね。
で、実際、野焼きで一万人を焼くにはどれほどの時間がかかるか?
ここで関東大震災を例に挙げておきます。
この震災は、十万人近い死者を出した日本史上に残る大惨事なわけですが、この大量の死体を処理するのに、当時の政府は火葬という手段を採りました。
そこで、東京中から集めた黒こげ死体(火災で死んだ死体)をかき集め、一気に燃やそうとしたわけですね。
集めた死体の正確な数字はわかりませんが、おそらく数万人程度ではなかったかと。
で、この焼却にはだいたい2〜3週間を要したみたいですね(燃やすだけ。運搬は別)。
ただ、それでも完全には焼却できず、灰にまでは出来なかったと(要するに白骨化まで)。
山のような大量の白骨死体がそこにあったそうです。
で、上記のことを鑑みると、ある程度燃えてる死体を焼却するにも、これほどの時間を要したわけです。
生の死体(言い方が少し変ですが)を燃やすとなると、もっと時間がかかるでしょう。
さらに死体を一ヶ所、もしくは数カ所に集めるだけでも大変な時間と労力が必要になります。
日清戦争当時は、トラックなどといった便利なものはなく、ほぼ人力に頼っていました(せいぜいが馬車)。
たとえそこに死体を焼くに十分な燃料があったとしても、とてもではありませんが、「短期間」では無理ということになるではないかと。
まあ、「短期間」の定義が一ヶ月以上なら、まだわかりますがね。(笑)
-
>>310
cathoderayさん
>焼けません 燃料もないし 時間もない そんな労力もない
うろちいさんがだいたい同じ質問をされていましたが、
人間1万人燃やすのにどれだけの燃料が必要なのでしょう?
当時の旅巡港にはどれだけの石油や石炭があったのでしょう?
人間1万人燃やすのにどれだけの時間がかかるのでしょうか?
また、死体焼却の期限は定められていたのでしょうか?
人間1万人の死体を処理するのに何人月程度の人手が必要ですか?
-
>>312
cathoderayさん
>非戦闘員の虐殺にそこまでの労力を裂かねばならぬ理由とは?
私が示したソースを読んでいただければ解りますが、
虐殺を目撃した外国の特派員も同じ疑問を持っていました。
彼等が推測しているのは、
旅順市内に吊るされた日本兵の首とか
損壊された日本兵の死体を見せられたことへの怒りが
原因では無いか、ということです。
実際に山地第一師団長がそれを裏付ける発言をしています。
「噫(ああ)清兵の惨烈何ぞ一に茲(ここ)に至るや
自今以後亦(ま)た清兵をして一人だも生還せしむる勿(なか)れ」
また司令部付き通訳の証言にも以下のようなものがあります。
「旅順デ山路(山地の誤記・以下同)将軍ガ
非戦闘員ヲモ捕ヘテ惨殺シタト云フコトガ当時新聞デ
大分(だいぶ)八ヶ間敷(やかましく)ナッタコトガアリマシタガ
是レハ旅順戦ノ初メ我ガ騎兵斥候隊約二十名ガ旅順ノ土城子デ捕ヘラレ
隊長中萬(名は徳次)中尉ヲ初メ各兵士ハ皆首級ヲ切リ落サレ
且ツ其ノ瘡口(そうこう)カラ石ヲ入レ
或ハ睾丸(こうがん)ヲ切断シタルモノモアルト云フ
実ニ言語ニ絶スル惨殺ノ状ヲ目撃セラレタル山路将軍ハ大ニ怒リ
此(カク)ノ如キ非人道ヲ敢(あえ)テ行フ国民ハ
婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨ
ト云フ命令ガ下リマシテ
旅順デハ実ニ惨亦惨、
旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ」
このようにして、一種の集団的狂気とでも言うべき状態に
陥ったのでしょう。
しかし外国特派員も、1日目の虐殺はまだ理解できても
それが4日、5日と続けられたのは理解を超えていたようです。
-
>>322柏葉英一郎さん
>まあ、「短期間」の定義が一ヶ月以上なら、まだわかりますがね。(笑)
死体の処理が何ヶ月で終ったか私も知りませんが、
1ヶ月以上はかかっていると思います。
本格的な死体処理は仮埋葬から数ヶ月間先送りされていますが、
1週間程度で済む作業ならそんなに先送りにする必要も
無いのでは。
-
>>322
>まず、武蔵氏などは、実際に火葬場に行ったことはありますか?
私は何度もありますが、火葬場のような施設でも死体を完全に焼くには2〜3時間はかかります。
>戦場などでは当然の如く「野焼き」でしょう。
これは火葬場のような施設で焼くよりも、はるかに時間がかかります(十倍ほどかかるらしい)。
火葬場へ言ったことのない幸せな人が、どのくらいいると思っているのですか?
また、野焼きの方が十倍かかると言う根拠は、熱が逃げるということだけですか?
一人を焼くのは大変でも、100人を焼くのが100倍でないことは確かですし、
前に述べましたが、風を巻き起こして空気が大量に補給されるという点も考慮する必要があります。
風に煽られ勢いのついた火の威力なら、いくらでも体験あるでしょうに。
関東大震災では、37万人の死体のうち数万だけ野焼きしたのですか?ソースは?
また、自国民ですから「遺体」の扱い、外国(敵)の場合は「死体」扱い、気候も違うし
単純比較はできないです。
>さらに死体を一ヶ所、もしくは数カ所に集めるだけでも大変な時間と労力が必要になります。
どのくらいの広さに散らばった死体を一ヶ所または数箇所に集めるのに、
どのくらいの労力をかけたと言うのかソースを示してください。
常識的に考えれば、一ヶ所に集めてから殺すでしょうから。
この点でも、それぞれの生活圏で散らばって死んだ関東大震災とは比べられません。
相手があったと言うことを、ないと断定するためには、
ないと断定できるだけの根拠を示さねばなりません。
「信じられない」なんて言う個人的な感情では、何の論拠にもなりません。
-
不思議に思うのですが、どうしてここの反中国派は、
1万人を短期に焼くことができないことを主張したがるのですかな?
私が中国側の被害を大げさに書きたければ「死体を焼く火が、何日も何週間も、何ヶ月のも及んだのでした」
というように書きますね。
何日以内に焼き終わらねばならない理由でもあるのでしょうか?
また労力を言いますが、日本軍の労力は、銃剣を持った監督者の数でいいのですよね。
後は現地民を使うんです、普通。
-
結局物的証拠はないわけですわな
虐殺が行われたという
で、それはおいといて
再度産廃業者の友人に確認しましたが
生き物の死体を焼くというのは(病原の恐れがない程度に)
やはり大変だそうです。
十分に酸素を供給させ、800〜1000度の炎で焼いても
表面が炭化しある一定のところで燃焼ガスがでるのが妨げられて
しまうそうです。
友人が言うには、燃焼ガスが外部にでて炎にあたって初めて
燃えるのであって、炭化してしまうので一時ガスがそとに出るのが
阻害されてしまうそうです。
だから、実験動物が数秒で燃えるような炉があるのでしたら教えてほしいそうです。
そこで今回の質問を彼にぶつけてみましたが
焼却のプロである彼の目から見ても
野焼きは非常に効率が悪く
伝染病の感染の恐れを防ぐ目的で死体を焼却するならば
ムダすぎるといっておりました。
野焼きがそんなに効率がよいなら我ら焼却業者は(環境問題を抜きにしたら)
いらんわな ということでした。
で短期に焼くことができないことを主張したがるのは
長期にわたって焼いたなら必ず証拠がのこるはずですし
短期に焼けるはずはないからです。物的証拠がないのに
わが日本がそのような行為をしたと貶める行為は
理解に苦しみます。
なお、私が言っている労力とは
あなたがおっしゃる 首をひとくくりにして というようなことです
現地民を使うんですか? なかなかやりますね
なお、中国本土には戦争が終結したあとも軍人が多数残って
交渉 手続きその他もろもろをしておりました
虐殺が行われたなら、虐殺返しがありそうなものですが
-
さて、虐殺が行われたならば、それこそ東京裁判で裁くにふさわしい
人 道 に 対 す る 罪
ではないのですか?
ではなぜ、裁かれなかったのでしょうか?
さすがに事後法で敗者を裁くようなことをした連合国軍も
ありもしないことをあったとは捏造できなかったということではないのですか?
戦後すぐのほうが、証拠がたくさんのこっているはずなのですがね?
不思議に思いませんか?
-
本当にそんなことが行われたならば
連合国軍にとってこれ以上の攻撃材料はないはずだと思いませんか?
私が思うに、中国側も最初は本気では主張していなかったと思われる
しかし、現段階にいたっては国民をうまく統治するための
材料として利用されていると思わざるを得ない
国策としての反日に虐殺が利用されているのです。
あ、そうそうアウシュビッツ方式をもとにした燃料 時間の算定は
なぜダメなのでしょうか?
-
>>「旅順デ山路(山地の誤記・以下同)将軍ガ
非戦闘員ヲモ捕ヘテ惨殺シタト云フコトガ当時新聞デ
大分(だいぶ)八ヶ間敷(やかましく)ナッタコトガアリマシタガ
是レハ旅順戦ノ初メ我ガ騎兵斥候隊約二十名ガ旅順ノ土城子デ捕ヘラレ
隊長中萬(名は徳次)中尉ヲ初メ各兵士ハ皆首級ヲ切リ落サレ
且ツ其ノ瘡口(そうこう)カラ石ヲ入レ
或ハ睾丸(こうがん)ヲ切断シタルモノモアルト云フ
実ニ言語ニ絶スル惨殺ノ状ヲ目撃セラレタル山路将軍ハ大ニ怒リ
此(カク)ノ如キ非人道ヲ敢(あえ)テ行フ国民ハ
婦女老幼ヲ除ク外全部剪徐(せんじょ)セヨ
ト云フ命令ガ下リマシテ
旅順デハ実ニ惨亦惨、
旅順港内恰(あたか)モ血河ノ感ヲ致シマシタ」
--------------------------------------------引用終わり
これですが、これのどこに非戦闘員への虐殺があったと
読めるのですか?
>>婦女老幼を除く(略
非戦闘員への攻撃を禁じているようにも読めますが
戦闘員への攻撃の結果の死者は虐殺などではありません
どんなに大量な人間が死のうとも
どんなに悲惨な死に方をしようとも
それは虐殺された人たちではありません
たんなる戦死者を虐殺といい
ゲリラ兵を処刑したのを虐殺という
これを捏造というのです
ちなみに、虐殺を目撃した外国の特派員など公的にはおりません。
日本を貶める発言をなさるならそれなりの根拠があっておっしゃられてるのでしょうな?
公的に認められた虐殺に関する目撃者としてはマギー神父のみだったはずです。
それも誰何されて逃げたものを殺害したものであったはず
-
>>326
>火葬場へ言ったことのない幸せな人が、どのくらいいると思っているのですか?
知らんよ、んなことは。(笑)
あなたは若いので、まだないかも知れませんが、そのうち必ずお世話になります。
望む望まないに関わらず。
土葬にしてほしいってのなら、また違いますがね。
>前に述べましたが、風を巻き起こして空気が大量に補給されるという点も考慮する必要があります。
それは焼却炉であっても同じです。
酸素がなければ燃えませんからね。
焼却炉(どんな小さなものでもいいですが)を実際に見たことがありますか?
ちゃんと空気を流入させるための穴がいくつかあいています。
まあ、今は規制によって勝手に燃やせなくなったので、実物を見ることは難しくなりましたが。
>関東大震災では、37万人の死体のうち数万だけ野焼きしたのですか?ソースは?
37万人!!!!
あの震災で、そんなに死んだのですか?
私は寡聞ながら全く知りません(ソース出してね)。
手元の資料では約十万前後と出ているのですがね。
それをいくつかの箇所に分けて燃やしたと。
一ヶ所においては数万人とするのが妥当でしょう。
それでも2〜3週間かかったとは、前にも述べたとおりですが。
>どのくらいの広さに散らばった死体を一ヶ所または数箇所に集めるのに、
>どのくらいの労力をかけたと言うのかソースを示してください。
>常識的に考えれば、一ヶ所に集めてから殺すでしょうから。
>この点でも、それぞれの生活圏で散らばって死んだ関東大震災とは比べられません。
確かに、一ヶ所でまとめて殺せば、運ぶ手間は省けるでしょう。
ただ、それをうずたかく重ねるための労力は必要です。
死体一体を運ぶには、まあ最低でも二人は必要。
旅順攻防戦における日本軍兵力は約1万5千人。
全部を動員したとしても数日はかかるんじゃないでしょうか。
常識的に考えて。
>相手があったと言うことを、ないと断定するためには、
>ないと断定できるだけの根拠を示さねばなりません。
>「信じられない」なんて言う個人的な感情では、何の論拠にもなりません。
逆です。
まず、「あった」という証明をしなければなりません。
これは裁判などにおける基本中の基本です。
出来なければ、その人物は無罪になっちゃうんですよ、これが。
あなたの論法がそのまま社会に適用されれば、それこそ冤罪だらけになります。
『こいつが犯人だ!』ってだけで、罰せられたらシャレにならないでしょう。
-
>>328cathoderayさん
>結局物的証拠はないわけですわな
>虐殺が行われたという
新聞報道や証言など、紙に記録されたものは物的証拠では無いという事でしょうか。
そういう意味では歴史上のかなりの出来事には物的証拠がありません。
要は、記録された事実に信頼性があるかどうかです。
>で短期に焼くことができないことを主張したがるのは
>長期にわたって焼いたなら必ず証拠がのこるはずですし
>>284に日本軍が出した「屍体掃除手続」など、文書による記録を
示してあるのでご覧下さい。
このように大量の死体を処理したのは明らかなのですが、
1万人以上という事については、
私も「ほぼ確実」と言える証拠を知りません。
ですから私も1万人以上の虐殺があったという主張はしていません。
しかしcathoderayさんは>>310で
>焼けません 燃料もないし 時間もない そんな労力もない
と断言しています。
燃料が無いから焼けなかったと主張する以上は、少なくとも
「1万人焼くのに最低これだけの燃料が必要で、
旅順港にあった燃料は最高でもこれだけ」
と即答できるはずです。
ですから>>323の質問に答えられないのなら、
失礼ですがcathoderayさんは
「自分でもよく解っていない事を適当に言ってみただけ」
という事になってしまいます。
-
>>329-331cathoderayさん
>さて、虐殺が行われたならば、それこそ東京裁判で裁くにふさわしい
>戦後すぐのほうが、証拠がたくさんのこっているはずなのですがね?
>不思議に思いませんか?
>本当にそんなことが行われたならば
>連合国軍にとってこれ以上の攻撃材料はないはずだと思いませんか?
>ちなみに、虐殺を目撃した外国の特派員など公的にはおりません。
>公的に認められた虐殺に関する目撃者としてはマギー神父のみだったはずです。
マギー神父って東京裁判で証言した人ですね。
上のような主張を拝読して、どうもcathoderayさんは根本的な所で
勘違いしているように思えてなりません。
ひょっとして、
日中15年戦争の中で南京と同様の事件が旅順であったかどうかの
議論をしていると思っておりませんでしょうか?
過去ログは読まれましたか?
>>331
>これですが、これのどこに非戦闘員への虐殺があったと
>読めるのですか?
>>>婦女老幼を除く(略
>非戦闘員への攻撃を禁じているようにも読めますが
当時の旅順は軍港ですから、職工なども数多く住んでいました。
成年男性が全員戦闘員だったという訳ではありませんよ。
-
あのですね
人一人焼くには XX必要というのをだいぶ前に書いているのですが?
なんで味方でない敵の死体ごときを焼くのに
血の一滴である石油や燃料をもちいなきゃいかんのです?
マグマがわいて出る泉があってそこへ掘り込んだっちゅうなら
まだわかりますが
虐殺があったといってる点では一緒のレベルなんです
「日本は以前からこんなにひどいことをした!証拠もある」
っていえるんじゃないかってことです
WW2が終了したときに
連合国軍にとって自らの行為に言い訳が立ついい補強材料に思えます
こんなに悪虐な日本軍からアジアを開放した! とね
>>婦女老幼を除く(略
これ、非戦闘員への攻撃を禁じているように見えませんか?
たしかに成人男性については触れていませんが
婦女老幼というのは戦闘能力を持たない市民
をさすように私には読めるのですが
もしこれが虐殺を示す証拠であるならば、非常に不可解です
そういうテンパッた状態であっても婦女老幼についての安全についてまで
頭が回る と 謎ですね
|
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板