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中国の反日教育
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次は1月7日付けの「スタンダード」に書かれた記事です。
まもなく、彼らが出会う全てのものに対し発砲が始まった。山地中将のかた
わらに控え、清国兵の進撃をくい止める一方で、エシオ山(どの山を指すのか
不明)でいつもながらの矢面に立ち昂ぶっていた第二連隊は、血の気の失せた、
切断された、死んだ戦友の顔の見世物に激怒し、出会うところの命あるものは
何でも射殺しつつ、銃剣で突き刺しつつ、通り殺到していった。犬、猫、それ
に迷子の騾馬までもが切り倒された。大山大将の頼りになる声明の効力を恃
(たの)みにしていた商人、店主、住民らは、アジア人の敵に叩頭する用意を
して立っていた。彼らは西洋風の洗練された軍用マントを着用していたと思わ
れる。侵略者が国に隊伍を組んでやって来たとき、民間人の顔に歓迎の臆病な
笑みが浮かぶのを私はよく目にした。これらの哀れな民間人たち−年老いた白
髪まじりの男たち、青年たち、壮年の男たち−は、それぞれの家の戸口に立っ
ていて切り倒された。村田銃の銃声に対し、この行き過ぎた行為の弁明を正当
化する応射は、市街のどこからもなかった。軍隊が船渠に到着したとき、作業
場や鉄の索具のかげからニ、三発が発射され、近くに兵士がいることを警告し
たに過ぎなかった。四人の英国人が、市街を見渡せる丘から旅順への進撃と通
りでの残酷な所業を見ていた。しかし、日本兵は自分たちがしたことの多くに
対して、ある弁明があった。彼らの眼前にぶら下がっていた身の毛のよだつよ
うな生首の姿は、最も人情のあるヨーロッパの軍隊の胸中に野蛮さをかき立て
るのに十分であった。十一月二十一日午後はこのようなものであった。
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