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中国の反日教育
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当時の新聞報道の詳細です。
まずは12月20日付けの「ワールド」から。
自分のこの目で見た証人として私は、憐れな旅順の人々は、侵略者に対して
如何なる抵抗をも試みなかったと断言できる。いま日本人は、窓や戸口から発
砲されたと述べているが、その供述はまったくのでたらめである。
捕虜にする、ということはなかった。
兵士に跪き慈悲を乞うていた男が、銃剣で刺し通され、刀で首を切られたの
を、私は見た。
別の清国人の男は、隅で竦(すく)んでいたが、兵士の一分隊が喜んで撃っ
た。
道に跪いていた老人は、ほぼ真っ二つに切られた。
また、別の気の毒な人は、屋根の上で撃たれた。もう一人は道に倒れ、銃剣
で背中を何十回も突かれた。
ちょうど私の足元には、赤十字旗が翻る病院があったが、日本兵はその戸口
から出てきた武器を持たない人たちに発砲した。
毛皮の帽子を被った商人は、跪き懇願して手を上に挙げていた。兵士たちが
彼を撃ったとき、彼は手で顔を覆った。翌日、私が彼の死体を見たとき、それ
は見分けがつかぬほど滅多切りにされていた。
女性と子どもたちは、彼らを庇ってくれる人とともに丘を逃げるときに、追
跡され、そして撃たれた。
市街は端から端まで掠奪され、住民たちは自分たちの家で殺された。
仔馬、驢馬、駱駝の群れが、恐怖に慄く多数の男と子どもとともに旅順の西
側から出て行った。逃げ出した人たちは、氷のように冷たい風のなかで震え、
そしてよろけながら浅い入江を渡った。歩兵中隊が入江の先端に整列させられ、
ずぶ濡れの犠牲者たちに絶え間なく銃撃を浴びせたが、弾丸は標的に命中しな
かった。
最後に入江を渡ったには二人の男であった。そのうちの一人は、二人の小さ
な子どもを連れていた。彼らがよろよろと対岸に着くと、騎兵中隊が駆けつけ
て来て、一人の男がサーベルで切られた。もう一人の男と子どもたちは海の方
へ退き、そして犬のように撃たれた。
道沿いにずっと、命乞いをしている小売商人たちが撃たれ、サーベルで切ら
れているのを、私は見ることができた。戸は破られ、窓は引っ剥がされた。全
ての家は侵入され、掠奪された。
第二連隊の第一線が黄金山砲台に到達すると、そこは見捨てられているのが
わかった。それから彼らは逃げる人でいっぱいのジャンクを見つけた。一小隊
が埠頭の端までひろがり、男や女、それに子どもたちを一人残らず殺すまでジ
ャンクに発砲した。海にいる水雷艇は、恐怖に打ちのめされ人々を満載したジ
ャンク十隻をすでに沈めていた。
五時頃、退却する敵を追って行った乃木以外の全ての将軍が、陸軍大将とと
もに集まった操練場に音楽が流れた。何と機嫌よく、何と手を握りあっていた
ことか!楽隊から流れ出る旋律の何と荘重なことか!
その間ずっと、私たちは通りでの一斉射撃の響きを聞くことができ、市街に
いる無力な人々が、冷血に殺戮され、その家々が掠奪されているのを知ること
ができた。
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