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中国の反日教育
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当時現地に居たジャーナリストと有賀陸軍大学校教授との
やり取りが12月20日付の「ワールド」と
「ノース・アメリカン・レヴュー」に書かれているので
載せておきます。
このやり取り自体が捏造であるとは考えにくいです。
なぜなら、記事が有賀氏の目に触れれば捏造であると
すぐに判ってしまいますから。
当時の列強国のジャーナリストがこの事件をどのように
見ていたかが判ります。
まず「ワールド」から
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「今起こっていることを、どう思われますか」
「素晴らしく戦略的な行動でした」と、私は答えた。
「いいえ、そうではなくて」と、彼は続けた。「私が言おうとしていることが、お
わかりでしょう。旅順の人々の殺害のことを言っているのです。あなたは、あれを
どう呼びますか、虐殺(マサカ)と呼びますか。正直におっしゃって下さい」
他の特派員は、私は迂闊に自分の感情を露わにし、私たちが清国を去ることを日本
軍が許可せず、しかしながら監視将校を通じて私たちに至急報を送るよう強制し、
そのようにして私たちが目撃した凄まじい光景の詳細を抑え込むことを恐れ、神経
質に私の方を見つめていた。私は質問をかわそうとしたが、有賀氏に迫られた。
「虐殺と呼びますか」と、彼は尋ねた。「あなたはあれを、文明の戦争行為と呼び
ますか。私どもはあなたがたがこのことについてどう言おうとしているのか、気が
かりなのです。例えばあれを、旅順の穏やかな住民の虐殺と呼びますか」。
私は再度、質問を避けた。有賀氏は、私のことをあきらめ、ロンドン「ブラック・
アンド・ホワイト」紙画工員フレデリック・ヴィリアースの方を向いた。彼も、で
きる限りはっきりした答を出すのを、ごまかしていた。
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次に、「ノース・アメリカン・レヴュー」にヴィリアース自身が
書いた記事です。
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「ヴィリアースさん、何も躊躇(ためら)うことなく、どうぞ
おっしゃって下さい。あなたは、この三日間のごたごたを虐殺と呼びますか」。そ
れは、日本人高官から出た、驚くべき質問であった。私は、同僚のクリールマン、
コーウェン、ハート氏らを見たが、その質問には、彼らも非常に驚いていた。私は
答えた。「ええと、有賀さん、その言い方は、今度の場合にはぴったりしていませ
んね」。私は彼に、第一日目にあった挑発は、軍隊の振舞いに対する弁解にほぼな
るけれども、それに続く二日間の所業は、別の言葉遣いになるかもしれない、と伝
えた。幸いにも、有賀氏は、それがどのようなものかを尋ねなかったが、私は熟慮
した挙句、冷血な虐殺とそれを呼んだ。それは、冷血な虐殺に他ならなかった。
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次にまた「ワールド」の続きです。
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それから、有賀氏は、ロンドン「タイムス」紙のコーウェン氏に話しかけた。コー
ウェン氏は、戦闘当日の軍隊の興奮に関する全てと、それに続く日々に非武装民を
殺害したのは、全くの虐殺にあたると述べた。有賀氏は、考え込んでいるようにみ
えた。
「あなたも、そう思われますか」と、彼は、私の方を向いて尋ねた。
「たしかに、そうです」。私は答えた。「捕虜にするのは、文明国家の義務です」。
明らかに有賀氏は、私たちが至急報のなかで、虐殺という単語を使わないようにさ
せようとしていた。彼は、本当にアジア的な遣り方で遮った。
「それは、別の問題ですね」と、彼は言った。「私どもが捕虜を殺すのを選んだと
したら、それは別の結果になりますよ」。
「しかし、あなた方は、捕虜を殺しているのではなく、つまりは、無力な住民たち
を捕虜にしようとはせず、無差別に殺しているわけです」。
「あー」と、有賀氏は、自分の理屈を扶(たす)けるように、優雅に両の親指を合
わせながら言った。「それは、同じことになりますな。私どもは、平壌で数百名を
捕虜にしましたが、彼らに食わせたり、監視したりするのは、とても高くつき、わ
ずらわしいとわかったのです。実際、ここでは、捕虜にしてはいません」。
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