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「記者クラブ」関連スレッド

1カマヤン:2004/02/21(土) 18:43
「記者クラブ」関連の情報を集めます。

2・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:44
縁側日誌 2002.12.21  記者クラブと「個人情報保護法案」
 今一度、〔2002年に一度〕廃案となった「個人情報保護法案」の<適用除外>の条文をみていただきたいと
思います。
===〔以下、引用〕===
  第六章 雑則
 (適用除外)
 第五十五条 個人情報取扱事業者のうち次の各号に掲げる者については、前章の規定は適用しない。
 ただし、次の各号に掲げる者が、専ら当該各号に掲げる目的以外の目的で個人情報を取り扱う場合は、
 この限りでない。
  一 放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関 報道の用に供する目的
  二 大学その他の学術研究を目的とする機関若しくは団体又はそれらに属する者 学術研究の用に
 供する目的
  三 宗教団体 宗教活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的
  四 政治団体 政治活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的
===〔以上、引用〕===
 「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関」というのは、この法案が閣議決定された当初は
『日本新聞協会』(会員リスト)に加盟している新聞社、通信社、テレビ局などであり、その会員以外の
全国の様々な「新聞」や、ケーブルテレビなどの「テレビ」、またインターネットでニュースの配信などを
行なっている企業などはそこには含まれないと言われておりました。
 当然『日本新聞協会』に加盟していない「出版社」も、たとえ大手で名が知れた雑誌などを出しては
いても、上記条文の「報道機関」には入らないと言われていました。フリーのジャーナリストもそうです。
 また、海外メディアの特派員で構成されている『外国特派員協会』も何故かその「報道機関」には
入らないとし、しかも、日本で活動する以上は「法案」の「基本原則」や「義務規定」の対象にはなる、
とのことだったのです。
 このなかの出版社とフリージャーナリストについては、法案反対の運動が進むなかで、衆議院議員の
北川れん子さんが2001年6月に国会に提出した《個人情報の保護に関する法律案」に関する再質問
主意書》において以下の如く政府は答え、上記の「その他の報道機関」には、出版やフリージャーナリストも
含まれるとの解釈を示しました。

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:44
===〔以下、引用〕===
  法案第五寿五条第一項第一号に規定する「報道機関」とは、報道を業として行う者をいうが、一般に
 出版社が行う事業は文芸その他の広範な出版活動を含むものであり、「出版社」を報道機関の典型例
として位置づけることは適当とは言い難いことから、「出版社」を例示していない。  また、報道機関が
報道を業として行う者をいうことからすれば、団体に属さず個人で報道活動を行う者が個人情報取扱事
業者に該当する場合であって報道の用に供する目的で個人情報を取り扱うときに、当該個人情報の
取扱が法案第五十五条第一項第一号に規定する報道機関が行う報道の用に供する目的での個人情報
の取り扱いに該当することは明らかである。
===〔以上、引用〕===
 ちなみに、与党3党が公明党の修正案を下敷きにして作成し、今月12月6日に野党に示した”修正案”は
次に示す通りであり(これが来年の通常国会で提出される新しい「個人情報保護法案」の下敷きになるのだ
そうですが…。それにしても、「政教分離」の憲法違反というのを指摘するのに、あの大臣らは創価学会員
だと言ったり書いたりすることが”法律違反”とされるような世の中になるのでしょうか?)、
フリージャーナリストに関しては今度は一応は条文にそれらしく明記はされそうではあります。とはいえ、
書かれたものが「報道」ではない、と判断されれば、「義務規定」の適用を受けることに変わりはありません。
===〔以下、引用〕===
 <個人情報保護法案の行方>与党3党修正要項 2002年12月6日
 ■個人情報の保護に関する法律案関係
 1 第4条から第8条までの基本原則を削除する。
 2 第40条において、報道機関等への情報提供者に対し、主務大臣は関与しないことを明記する。
 3 第55条において、報道の定義を明記する。
 4 第55条において、第5章の適用除外となる報道機関に個人を含むことを明記する。
 5 第55条において、著述を業として行う者を第5章の適用除外とすることを明記する。
 ■行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律案関係
 1 行政機関の職員等に対して次の処罰規定を設ける。
 ・自己の利益を図る目的で職権を濫用した個人の秘密の収集
 ・個人情報の盗用または不正目的での提供
 ・コンピューター処理されている個人データの漏洩
===〔以上、引用〕===

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:44
 この中に、「報道の定義を明記する」とありますが、これは政府の国会答弁を踏襲して次のような定義と
するということになっています。
===〔以下、引用〕===
 「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること又(また)は客観的事実を知らせると
 ともにこれに基づいて意見若(も)しくは見解を述べることをいう」
===〔以上、引用〕===
 うーん。これでは、突然「二丁目の田中花子は妾の子である」と新聞やテレビで書いたり言ったりするのも、
それが「事実」であれば純然たる「報道」ということになってしまいますね。
 こういう定義を大真面目にする人たちが、人間の根幹にかかわる法律を作っているということには驚きを
禁じえません。
 ただ、昨今のマス・メディアの人たちに、この「報道」の定義を、自らの信条、哲学から、ちゃんと言葉に
できる人たちが果たしてどれだけいるのかそれも僕には疑問に思われることではあります。
 さて、話を戻しまして、「個人情報保護法案」の<適用除外>にあげられた機関は、実質は『日本新聞協会』
に加盟している新聞社、通信社、テレビ局などであり、これはそのまま日本の「記者クラブ」のメンバーで
あるということなのです。
 ということは、2001年3月27日に閣議決定された「個人情報保護法案」なるものは、『日本新聞協会』に
加盟していない団体は個人が特定できることを言ったり書いたりすることは許されないという意味で、
『日本新聞協会』以外の機関や個人は事実上「報道」をする資格がなくなるということであり、ひいては
世の中を全て「記者クラブ」という利権の場にしてしまうということを内包した恐ろしいものでもあったという
ことにもなるわけです。
 そしてそれからいきますと、この法案が閣議決定された時に『日本新聞協会』に加盟している新聞社、
通信社、テレビ局などが、毎日新聞の一部の記者の記事を除き、全く批判せず沈黙を守り通したというのは
恐ろしい、謀略のようなものでもあったということにもなるわけです。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:44
 それで思い出すのが、1996年に鎌倉市が既存の「記者クラブ」を廃止し、広く、『日本新聞協会』加盟団体
も含めその他のメディア機関や個人にも市政のアカウンタビリティーの場を提供すると宣言した時、
「記者クラブ」の一員の新聞社がこう言ったことであります。
 「記者クラブの廃止は、”国民の知る権利”をおびやかすものである」
 この時の鎌倉市市長は竹内謙氏で元朝日新聞の記者でした。筑紫哲也氏の旧知の後輩だそうで、
筑紫氏はNews23ではこんなコメント http://www.tbs.co.jp/news23/taji/s60213.html を残しております。
 ともあれ、その竹内謙氏は元「記者クラブ」のメンバーの一人であり、現場にいた者としてその
「記者クラブ」の弊害もいやというほどわかっていたのかもしれません。
 しかし、ならば朝日新聞にいる時に有志らが集結し「記者クラブ」批判が何故できないのだろうか、という
素朴な疑問もおこるわけですが…。何故って、新聞って他の企業にいつもそういう自浄作用を説くではない
ですか?
 この”国民の知る権利”については、長野県知事の田中康夫氏が今度は県として初めて「記者クラブ」を
廃止したおりに表明した言葉がありますので参考にしていただきたいと思います。無論田中知事もその
おりには『日本新聞協会』の加盟団体からは謂れのない誹謗を数多く受けております。
 田中康夫長野県知事 「『脱・記者クラブ』宣言」会見 http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/20010515.htm
「新聞が面白くない理由」岩瀬達哉著は次のような辛辣なエピソードで始まります。新聞もこの本のような
面白い、ためになるものを書くことを僕も願っている次第であります。

6・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:45
===〔以下、引用〕===
 「社会の木鐸」とは、言うまでもなく「新聞」の代名詞として使われている言葉である。
 世に警告を発し、社会を正しい方向に教え導くと解されている言葉だが、日本人にとって常識ともいえる
 この言葉の意味も、外国人にはなかなか理解しがたいものがあるようだ。友人の米国人女性が、音を
 発するための道具(木鐸)が、なぜジャーナリズムを象徴する言葉として使われているのか、その由来が
 わからないとしきりに首を傾げていたからだ。この米国人女性、ローリー・フリーマン(カリフォルニア大学
 サンタバーバラ校助教授)は、日本のマスメディアを研究している少壮の学者で、だからこそ、「木鐸」の
 意味にこだわったのかもしれない。
 その彼女が、ある日、皮肉な笑いを浮かべながら、「木鐸」の意味がわかったと、わざわざ伝えにきたことが
 あった。それまで誰に聞いても、要領を得なかった彼女は、自分で漢和辞典を引き、そこに「むかし、法令を
 しくとき、木鐸を振り鳴らしてふれ歩いた」という説明を見つける。その瞬間、まさに日本の「新聞」を
 象徴している言葉だ、と膝を打ったという。
 「だって、そうでしょう。日本の新聞は、政府や官公庁の発表をそのまま記事にしているだけじゃない。
 政府が知らしめたいことを書くんだから、文字どおり木鐸よね」
 外国人研究者として、「平河クラブ」(主に自民党取材を担当する記者クラブ)のオブザーバー会員でもあった
 彼女は、日本の「新聞」の実態をつぶさに観察し、「日本の新聞は、『読者の知る権利』に応えようとする
 姿勢に乏しい」との実感を得ていた。その思いと、「社会の木鐸」本来の意味が一致したことを面白がった
 のである。
 実際、日本の「新聞」は、紙面のほとんどが政府や官公庁などが発表する、”発表モノ”で埋め尽くされて
 いる。記者会見などで当局が配るニュースリリースをもとに、多少の周辺取材を加えたそれら”発表モノ”と
 呼ばれる記事については、元共同通信編集主幹の原寿雄氏も、自著『新聞記者の処世術』の中で
 こう述べている。

7・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:45
 「日本中どこにも記者クラブが在って毎日、多くの発表や懇談会という名の非公式発表があり、そこから
 出るニュースが報道全体のほぼ九割を占めている。…私が編集局長の時、発表モノには印をつける
 運動を提唱してみたが、それでは一目瞭然、独自取材モノの少ないことがわかりすぎるとあって実現
 しなかった」
 このように、日本の「新聞」の紙面が”発表モノ”で埋め尽くされているのには理由がある。
 明治以来、上意下達のコミュニケーション手段として政府は「新聞」に政策や方針を説明し、「新聞」は
 それらの情報を全国に、しかもスピーディーに拡散するという役目を担ってきた。すでに使い古された
 言葉だが、独立したジャーナリズムとして歩むことより、”官報化”することで、「新聞」は官庁情報を独占
 するとともに市場での存続を容易なものとしてきた。当然のこととして、”発表モノ”中心の紙面作りが
 なされることになる。
 そして、この両者の関係を繋ぐパイプ役が「記者クラブ」であった(「記者クラブ」は、明治の頃、第二次
 大戦前、敗戦後でその性格に多少の変化が見られるが、基本機能はほとんど変わっていない)。
 「記者クラブ」は、原則的に日本新聞協会に加盟している新聞社、通信社、テレビ局などによって組織
 される”業界団体”である。その業界団体が、政府や官庁などから、あらゆる情報をほぼ独占的に入手
 し得るのは、何か法的根拠があってのことではない。ひとえに「新聞」と公的機関との、明治以来の
 ”相互依存関係”に支えられてのことである。
 当然のこととして、この世界に例を見ない、政府と「新聞」のもたれ今いは欧米の記者の目には
 信じられない姿と映る。
 かつて、フランスの『ル・モンド』紙は、「強者にはうやうやしく弱者には無情な日本のプレスは、権力との
 曖昧な関係を維持している」うえ、「その激しい競争は、慎重さよりもむしろ、政財界勢力との暗黙の
 申し合わせに基づく自制と情報操作への加担に結びついている」(九三年十一月三日付)と、酷評した
 ことがある。また、同じフランスの『リベラシオン』紙も、日本の新聞記者を、「ジャーナリストと、役所の
 広報課員との中間の位置にある」(九三年六月二十二日付)と揶揄している。
===〔以上、引用〕===

8・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:45
 「まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへ」http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/という
Webサイトでは、次のように最近の興味深いニュースを紹介してくれています。このサイトの管理人のかたは、
元日経の社員のかたで、日経に在職中に個人的にホームページで真摯にジャーナリズムについて
自問自答していたところ会社側にそのホームページの閉鎖を命じられ、その後会社から悪質なイジメなどに
あい、意を決して退職し訴訟を起こしたという経緯をおもちです。
===〔以下、引用〕===
 2002年12月12日  国境なき記者団 、日本政府にKisha Clubs廃止を要請
 KishaClubsは「報道の自由の脅威」
 言論の自由やジャーナリストの権利を守るための活動をしている市民団体「国境なき記者団」
 (Reporters Without Borders ,本部パリ)は10日、日本政府に対して記者クラブ制度の廃止を求める
 声明を発表したが、読売、毎日、日経の各メディアはこれを無視した。asahi.comがかろうじて報じた。
 声明は、「Reform of Kisha Clubs demanded to end press freedom threat」と題され、記者クラブが
 当局に都合の悪い報道を阻み「情報の自由な流通に重大な障害となっている」と指摘。欧州連合(EU)が
 今月、日本政府に、記者クラブ制度を改革し、日本の大手メディアと同じ権利を外国の記者や日本の
 大手でないメディア、フリーランスにも認めるよう要請したことを評価している。
 声明はさらに、今年5月29日にも小泉首相に改革を要請したのに回答がなく、日本のメディアも無視。
 今年9月の同首相の北朝鮮訪問でも、多くの外国のメディアなどが取材を阻まれたと批判している。
 ロベール・メナール事務局長は5月、「W杯を取材するために数千人もの外国人記者が日本を訪れている。
 その日本で外国報道機関の特派員が50年近くにわたり日本の記者クラブの大半から排除されている
 のは衝撃的なことだ」と指摘していた。
 国境なき記者団はフランスの元ラジオ記者だったメナード氏が1985年に設立。89年以来、世界各地で
 報道活動によって投獄されている記者に関する年次報告を発行している他、報道抑圧の現状調査も
 行っている。
  記者のコメント
 既得権を享受するばかりで改革しようとしない朝日新聞だが、これをニュースとして取上げたのは、
 良心の呵責に悩んだ末の決断だろう。「朝日にも五分の魂」とでもいうべきか。
===〔以上、引用〕===

9・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/21(土) 18:46
===〔以下、引用〕===
 2002年12月16日  日本のマスコミのバカさを批判 スウェーデン王立アカデミーなど
 「Yomiuri online」(12/10)によると、スウェーデン王立科学アカデミーやスウェーデン外務省は、
 ノーベル賞を受賞した田中耕一さんに対する日本メディアのワイドショー的な取材を批判し、日本の
 マスコミに対し「科学的な質問を」などと要請した。朝日、毎日、日経の各グループはこの事実を黙殺した。
 記念講演後の記者会見で、あるテレビ局の女性記者が「賞金を何に使うんですか」と質問すると、
 スウェーデン王立科学アカデミーのエバ・クルトマイヤー広報担当部長は「科学的な質問を」と要請。
 「田中さんはまるで“ポップスター”のように扱われ、正直なところ困惑している」「受賞者は国王や政府、
 財団のゲストだということを、理解してほしい。授賞式を人生最良の思い出としてもらうために招待して
 いるのだから」と日本のマスコミを批判した。
 スウェーデン外務省のカイ・ラーニウスさんも、「田中さんを人間扱いしてほしい。ノーベル賞は世界最高の
 栄誉で、芸能人取材とはおのずと違いがあるはずだ」と声を荒らげて抗議したという。
 スウェーデン外務省は、田中さんと小柴さんの翌日日程を邦人記者にブリーフィングする島津製作所と
 東大のやり方も「不適切なこと」と指摘。9日以降、ブリーフィングは打ち切られたとのことだ。
  記者のコメント
 マスコミが自ら報じられない事実なので、あえて記しておく。いかにも、という話。結局は、それで視聴率が
 上がってしまう日本人全体の問題だから、日本人全体が注意を受けたようなものだろう。
===〔以上、引用〕===

10カマヤン:2004/02/21(土) 19:39
>>2-8
現在は消えてしまったところからのコピペ。

11カマヤン:2004/02/21(土) 19:39
記者クラブ、赤坂警察署不祥事、盗聴法、ジャーナリスト寺沢有
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/1274/1047118893/13-15

12引用@カマヤン:2004/02/21(土) 22:03
 欧米には、ジャーナリズムの独立性に疑問を抱かせる「記者クラブ」のようなシステムは存在しない。
代わって、ジャーナリストならば誰でも、情報源への自由なアクセスを保障する制度を設けている国が
多い。米国の「ホワイトハウス記者証」、フランスの「プレスカード」が典型例だ。
 米国の「ホワイトハウス記者証」はホワイトハウス・各省庁への取材を可能にする記者登録証で、
基本的にジャーナリストであれば差別なく発行される。登録にあたり米国財務省管轄下のシークレット
サービスで、身分経歴などチェックを受けなければならないが、テロリストやテロリズムとの関係がなければ、
まず記者証は発行される。日本のように、日本新聞協会加盟社の記者でなければ記者会見などへの
出席まで認めないという差別は行なわれていない。
 『赤旗』記者は、日本の各官庁から排除されていたが、ホワイトハウス記者証を受領し、上下両院の
プレスギャラリーを自由に使うことができた。
 フランスの場合、1935年に法律によりジャーナリストの身分が確立され、ジャーナリストなら等しく
「ジャーナリストとしての最低賃金の設定、休暇制度、退職金金庫、失業保険金庫、税金の基礎控除
(30%)、鉄道運賃の半額など」の恩恵に浴している。ジャーナリストの定義は「フランスで発行される
定期刊行物またはフランスの通信社でジャーナリストの仕事を定期的に行ない、報酬を得、それを
主な職業活動とし、その収入が主収入である者」。
 「プレスカード」発行には、新聞・雑誌・テレビ・ラジオの経営者と、ジャーナリストの代表が、
ともに同数の委員を出している「プレスカード委員会」によって審査される。審査ポイントは
「本当にジャーナリストとして働いているかどうかの一点」「ジャーナリストの能力・質・信条については
一切判断を下さない」。

 米国の「ホワイトハウス記者証」もフランスの「プレスカード」も「国民の知る権利」を代行する
ジャーナリストに、公平に情報源へのアクセス権を保障しようとするものだ。
日本の「新聞」のように新聞協会加盟社だけでアクセス権ばかりか、官公庁から経済的便宜供与をも
独占しようとするものではない。
日本の「記者クラブ」のような「利権化」を、欧米では政府も社会も許していない。
 これらの事実を前に、日本の「記者クラブ」の弊害に目を移すと、日本の「記者クラブ」がいかに
異常なものであるかがわかる。
   『新聞が面白くない理由』82-84p。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062732858/qid=1077355130/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-8691264-2743440

13カマヤン:2004/02/21(土) 22:09
四国新聞社 「民主主義の風景」 第1部 「記者クラブの功罪」
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/fuukei/index.htm

14・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/22(日) 02:48
 日本の真実の報道は、不愉快な制度「記者クラブ」によって組織的に妨害されている。
改善の見込みはないから、外科手術のようにスッパリ取除く以外にない。
「記者クラブ」こそ、ニュースと情報の管理統制において主役を演じている。
 記者クラブは、1945年以前軍人と社会統制官僚の影響力が強かった時代に、
戦時プロパガンダと検閲の道具として出発した。そしてずっと自己検閲システムの中で
最も効果的な機能を果している。
 自己検閲は、何を報道し、何を報道してはならないかについて集団合議によって成し遂げられる。
検閲の力の強さはクラブによって違いがある。記者仲間からの圧力がそれほど強くない場合でさえ、
この制度は、ジャーナリズムを育むのに欠かせない自主独立の報道姿勢を損なう。
 記者クラブは民主国家に相応しくない。官僚組織と記者たちとの関係は、あまりに居心地がよすぎて、
記者の批判力を麻痺させる。
 たとえば、警察の言動について日本で書かれている記事は、全く信用ができない代物だ。
日本の権力体制内の、強力な集団・警察に関しては、自主独立の報道が全然存在しないからだ。

K・V・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社版)307p
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4620310190/qid=1075063955/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-5109701-4238622

15・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/22(日) 02:48
 記者クラブは、各種官庁・公共機関・団体・企業内に設置された記者室に溜る記者達の
親睦機関である。起源は、明治時代、1882年太政官にできた新聞社員の溜所が
最も古いそれで、1890年の帝国議会開設時に、「議会出入記者団」という名で国会記者クラブが
誕生した。
新聞側は当初、団結することで 秘密主義の政府から情報を入手しようとした。
政府側は、記者を一括管理でき、記者を手なづけられるという利点から、記者クラブを認めた。
http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~j30065/link.html
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/sotsuron99/kimura99.html#2
 記者クラブの問題点
①閉鎖性、排他性
 記者クラブの問題の第一点は、クラブの本質が、報道・取材の独占だということだ。
特定の加盟社が情報を独占し、ほかのメディアの情報源へのアクセスを拒んでいる。
②ニュース・ソースとの癒着、談合
 記者クラブは、官庁とマスメディアの癒着談合の場となっている。官庁側からの情報操作や
情報統制の道具としてクラブが利用されやすいし、権力への監視機能を衰弱させ、国民の知る権利を
奪い、逆にその障害、阻害要因ともなっている。
③画一的報道
 官庁の広報発表の処理に記者が追われ、どの紙面も似たり寄ったりの画一的な内容となっている。
 どの新聞を見ても「報道が横並びで、一過性、表面的」「問題を掘り下げた記事が少ない」のは
記者クラブ問題が存在している。
④アジェンダ・セッティング(議題設定)機能の放棄
 この結果、ジャーナリズムの自殺へつながる。ジャーナリズムの重要な役目は、社会の中で何が
問題かの議題を設定してく「アジェンダ・セッティング機能」である。記者クラブはこれを放棄している。
記者クラブは官庁広報やお役所ニュースを右から左へ流すだけである。

16・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/02/22(日) 02:49
「記者クラブ」によって隠蔽された事件
 「武富士疑惑」
1;サラ金武富士の実態を告発してきたジャーナリスト山岡俊介たちの自宅をサラ金武富士が
数ヶ月に渡り盗聴した事件。
2;サラ金武富士から警視庁幹部達に千枚以上のビール劵が賄賂として渡り、警視庁
(たとえば月島署長・武田三郎など)からサラ金武富士へ「前科」情報が漏洩していた事件。
3;これらの疑惑は、元武富士の中川一博の告発によって発覚したが、新宿署は事件を隠蔽する
ために中川一博を逮捕した。中川一博への起訴はされなかったが、警察記者クラブは
中川一博を犯罪者であるかのように誹謗する記事を書き、事件の核心を不鮮明化した。
4;武富士へ情報漏洩した警視庁月島署長・武田三郎は、なぜか「収賄」では立件されず、
「地方公務員法違反」で書類送検されただけだった。書類送検日は辻元清美の衝撃的な
逮捕と同じ日にぶつけ、未曾有の警察スキャンダルはベタ記事扱いとなった。
 『噂の真相1月別冊 日本のタブー』(噂の真相)36-37p http://www.uwashin.com/

17カマヤン:2004/02/22(日) 02:50
>>15
わりと些細なことだけど、「アジェンダ・セッティング」は、
「立論」と呼ぶのが、一番日本語に馴染むんじゃないかな…

18・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:31
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 ぼくが仕事を共にしたことがあるのは、新聞を作るセクションである「編集局」と、雑誌・書籍の
セクションである「出版局」(現在は出版本部になった)のふたつしかない。日常的に話をしたり
その行状を見聞きしたりするのも、この2セクションに勤務する人々がほとんどである。
というわけで、以下の話は、新聞・雑誌セクションの現場の話だと思ってほしい。
 最初に、朝日新聞社の役職構成について注釈を加えておく。
 まずヒラのすぐ上には「次長」と呼ばれる人たちがいる。新聞なら「デスク」、雑誌なら「副編集長」と
呼ばれる人たちで、朝日の年功序列人事では、年齢は30代後半から40代前半。ぼくもこの下辺にいた。
エラそうに聞こえるが、ヒラのひとつ上でしかない。朝日新聞社の記者になると、30代後半までずっと
ヒラで、それから少数だけに「××長」という肩書きがつく仕組みだ。次長までは人事権もないし、
予算権もない。会社の中では「管理職見習い」みたいなものだ。
 その上が、冒頭に書いた「部長」。40代後半から50代前半くらいで「所属長」とか「管理職」とか、
あるいはただ単に「部長」とも呼ばれる。新聞なら「社会部長」「政治部長」「経済部長」がそれだし、
雑誌だと「編集長」がこれにあたる。
 この「部長」以上が要注意である。おおざっぱに言ってしまうと、朝日新聞社の社員は、2種類に分かれる
といえるだろう。部長以上の人たちと、それ以下である。「部長以上の人たち」が「部長以下」と違うのは、
以下に挙げる大きな「権力」を持っているからである。
(1)編集権=どんなネタを採用し掲載するかを決める。また、筆者の同意なしに記事を書き換える権限もある。
(2)人事権
(3)予算執行権=取材経費はもちろん、飲み食い、携帯電話の貸与などフリンジ・ベネフィットを含む。
 つまり、記事の「ボツ」や書き換え、転勤や配置換え(人事異動)を決めることができる。
 部長職に就いたとたん、ウレシクてしょうがないのか、急にいばり始め、オモチャを買ってもらった幼児の
ように職権を振り回す人がけっこういた。

19・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:31
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 この「権力」を持っている部長職以上を目指すのが朝日新聞社でいう「出世コース」である。
この出世コースを目指す記者がけっこういる。「権力者」を目指すのが彼らの人生の目標なのだから、
ジャーナリズムは反権力であるべきだ、なんてこれっぽっちも思っていないのだろう。
 それをいくら隠し、取り繕おうとしても、本物の権力を前にすると、素性がつい出てしまう。その結果は、
記者クラブ制度の病弊としてあちこちで書かれているし、毎日の紙面にもわかりやすく出ているから、
ここでは繰り返さない。
 彼らはいい記者になりたいとか、いい記事を書いて読者の知る権利(これは憲法で保障された
基本的人権なのだ)にこたえたいとか、そういう記者、ジャーナリストとしての職業的義務を果たすことが
人生の目標ではないのだ。どうしてこういう人たちが「知る権利」を読者に変わって行使する、重要な職務に
就いているのだろう。
 出世レース、権力ほしさに日々を送るような人は、新聞社などに入るべきではなかったのだ。
 新聞社内の上層部は権力だけあってチェック機能も明文化されたルールもないから、
「絶対権力」に近いまま野放しである。

20・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 ぼくは彼らが飛び抜けて愚かだとは思わない。会社のカネで高級中華料理を食い、世界のワインを
飲み、しかもハイヤーで送迎してもらえる。そこに何のチェックも入らない。しかも、同僚を見回せば、
みんなそうしている。誰もとがめない(以前に同僚に聞いた話では、朝日新聞社全体のハイヤー・
タクシー代は全社で一日に1200万円。一日です。一ヶ月ではありません)。並の神経の持ち主なら、
誘惑に負け、感覚が歪むのが当たり前だ。彼らは普通の人並みに誘惑に弱く、愚かなだけである。
 誰も見てないところであっても、自分の行動を律することができることが「大人」だと思う。そういう
意味では、朝日新聞社の上層部は、大半が、そういう職業的自覚に乏しい、いつまでたっても大人に
成りきれない人々によって出来上がっている。人間として凡庸なのである。そういう意味では、
朝日新聞社といってもほかの日本の腐敗した組織と差はないし、その程度の人々の集まりなのだ
(そういう集団が日本の言論機関の主翼を担っているというのは民主主義にとって不幸極まる事態だが、
それはあまりに大きな問題であり、朝日新聞社だけの問題でもないので、ここでは論じない)。
 そして、そういう無自覚な凡人が、誘惑の中で自らを特権階級だと錯覚するのも人間の弱さという点では
自然の流れである。
 上層部が腐敗しているだけなら、まだいい。
 ぼくがもっとも暗澹たる思いにとらわれたのは、5年ほど上の先輩、同年代の同僚、30代の後輩といった
自分のすぐ上下の層から「自分の仕事をより良くしよう」「よりよい記事を書こう」「自分の職業的能力を
向上させよう」「ベターな仕事環境を作ろう」という向上心が、ごく少数の例外を除いて死滅してしまった
ことだ。若い世代がこれでは、いつまで経っても組織に変化など訪れない。
 ノーチェックの権力と既得権益にどっぷりつかった上層部が堕落していくのは、まあ分かる。が、こういう腐敗・堕落というのは、まるでカビか病原菌のように伝染し、組織全体を冒していくものなのだ。その上層部を見た若い層が「あんなもんでいいんだ」とマネを始めるのである。

21・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 99年暮れ、朝日労組で内紛があった。会社に強硬な役員の一人を、妥協派の他の役員が組合員の
同意を取らずに勝手に解任し、それを組合員に知らせずに処理しようとしたのである。
 労組の役員といっても、新聞や雑誌のセクションから「代表」のような人が1年交代で出てきて、また1年で
職場に戻る。労組在任中に会社に逆らいすぎると復帰したときに不利に扱われるので、みなさん穏健である。
 ここで偶然がふたつ重なった。この解任された役員というが、ぼくのアエラ編集部での先輩にあたる
経済記者だったこと。ぼくが97年から98年まで労組の広報部長をやっていたことである。つまりぼくは
解任された人も、労組の内情も、両方知る立場だった。
 この解任された経済記者T氏は、アエラ時代にサラ金やヤミ金融の問題を早くから指摘していた人で、
彼の先見性は、その後の日栄事件やヤミ金融規制法案ですべて証明されていった。鉄鋼会社の経理畑
から朝日の記者になったという経歴のため、数字にめっぽう強く(労組では給与問題の交渉担当だった)、
しかもこういう社会の問題点をいち早く発掘してくる記者の常として、簡単に妥協しない硬骨漢でもあった
ので、妥協的な朝日労組の中では疎んじられたのだろう。
 ぼくは、T記者が役員を降りたことを知り、慰労のメールを送った。かつての同僚として「おつかれさま」
くらいは言いたかったのである。すると返信として、彼が意に反して解任されるに至った顛末が送られてきた。
ぼくは仰天した。「辞任」ではなく「解任」だったのである。一般の労組組合員がまったく知らされていない
事実だった。ぼくは労組で広報部長をやっていたので、組合員の代表である役員を解任するような重大な
動きがあれば、すぐに「有権者」である組合員に知らせなければならないことはよく分かっていた。ぼくは
直ちに労組本部に抗議のメールを打ち、ついでに知り合いの社員十数人にT氏から来た解任の顛末メール
を転送しておいた。このメールは転送に転送を重ね、1週間以内には会社中で大騒ぎになった。
 ところが、誰かがこのメールを『週刊現代』編集部に持ち込んだのである(犯人は確認できた。
週刊朝日編集部にいたYという人物だった)。というわけで、T氏解任事件は朝日労組のスキャンダル
として週刊誌ネタにまでなってしまった。
 この記事の掲載後、新聞の経済部の会議で「誰がネタを週刊現代にタレ込んだのか」が話題に上がった。
なぜ経済部の会議なのかというと、T氏が経済部員だったため、解任後は替わりを経済部から出さなくては
いけないからだ。また、現在の社長が経済部出身なので「経営中枢に一番近い編集現場」ということもある。
ここで経済部長らに向かって(部長以上は管理職なので非組合員)ぼくを名指して濡れ衣を着せたのが、
経済部の記者Yなのである。ご丁寧にも「僕はあいつを大学時代から知っている」という注釈まで付けて。

22・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 Yとぼくは同じ大学の卒業だ。彼は法学部で、ぼくは経済学部だったが、この大学はマスコミに就職する
人間がほとんどいないため、新聞社を受験しようという人間は在学中から顔見知りになる。Yとぼくは
一緒に作文を書いてお互いに見せ合ったりしていた。そして同じ会社に入り、新入社員研修も同じ部屋で
寝泊まりした。ぼくの結婚式には彼に来てもらったし、彼の結婚式にも招待された(リクルート事件取材で
忙殺されて行けなかったが)。その後、彼は経済部を歩み、ぼくは週刊誌畑を歩んだ。
 自分が社外秘漏洩の犯人だと名指しされ、しかもそれが旧知のYの仕業だと聞いて、ぼくはYの自宅に
電話をした。何かの間違いであってほしいと祈ったが、違った。彼は平然と言ったのである。「キミは確信を
持って週刊現代にタレ込んだんだろう。それでいいじゃないか」と。さすがのぼくも頭に来た。こう見えても、
労組の本部役員だったのだ。会社員、労組組合員としての守秘義務くらいは守る。メールを送ったのは
組合員社員だけである。が、Yはぼくをあざ笑った。「何をそんなに怒っているんだよ」と。最後まで、一言も
謝らなかった。彼を友人だと思っていたぼくが傷ついていることに、まったく思いが至らないのだ。ぼくは
暗然たる気持ちで会話を終えた。悲しかった。
 大学時代のYは繊細で心の優しい男だった。良識も常識もあった。それから朝日新聞社で十三年を
過ごすと、こうも人間は変貌してしまうのか。出世を目の前にブラ下げられると、こうも醜悪な行動を取れる
ものか。こういう恥知らずな人間が会社の中枢に入っていく幹部候補生なのか。悪寒が走った。
 このYは現在ワシントン特派員である。狙い通り、点数を稼いで順調に「出世」しているようだ。
次は経済部デスクになるだろう。少なくとも、経済部長くらいにはなるだろう。編集局幹部か、うまく
立ち回れば取締役にだってなるかもしれない。彼がどうなっていくかで、朝日での「出世」がどういうものか
よくわかるから、ぼくは彼を忘れないつもりだ。

23・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 不気味だったのは、同僚やデスクが職場で意見を交わすという光景がぼくの周囲からはほとんど
消えてしまったことだ。みんなそれぞれの机で黙々と仕事をこなすばかり。他愛のない雑談くらいは
するのだが、いま自分たちが直面している仕事のことを話し合おうとしても、みんな逃げる。
 よく「95〜96年はオウムや阪神大震災があったからネタに困らなかったでしょう」と後輩に言われた
のだが、これは逆である。オウムや震災のような大事件があると、テレビも雑誌も一斉に報道に加わる
から、他の媒体に出ていない視点をどう見つけるかが極端に難しくなる。だからぼくらは必死でアイディアの
出し合いをせざるをえなかったのである。逆に、こうした大事件のない「平時」は、どういう視点を構えるかで
記事のおもしろさがゼロから問われるので、ネタをいっそう厳密に磨かなくてはならない。どっちにせよ、
ディスカッションを重ねなくてはいい記事はできないのだ。
 ところが、このオウム騒動が一段落した96〜97年あたりから、こういうデスク、記者同士の意見交換が
極端に少なくなった。ぼくはこれではヤバイと思って「毎週月曜日午後8時から、編集部応接セットにて
お話会開催。言論の自由保障。院外責任を問わず」などと、張り紙を出し、自腹で飲み物やつまみを
買ってきては、同僚たちを待つのだが、誰も来ない(逆に編集長はちゃんと来た)。同僚や後輩と食事に
行っても、上司や同僚の陰口や社内人事の噂話を延々と続けるばかりで、どんな記事が書きたいとか
どんなネタを持っているとか、そういう生産的な会話がほとんど出ない。社宅の奥様族の井戸端会議
みたいな非生産的な話ばかりしているものだから、つきあうこちらもだんだん疲れてきた。ぼくらは
仕事=生産活動の同僚として席を同じくしているのに、である。98年から99年にかけてニューヨークの
駐在に出かけ、帰ってきたときには、もう編集部内は死んだみたいに静かだった。
 どうしてこうなったのか、ぼくにはよくわからない。

24・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:33
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 時同じくして、デスクたちの不勉強がひどくなっていった。新しいネタに対する感度が極端に落ちたの
である。だから、新しいネタをこちらがつかんできても、理解できない。こちらも、彼らが全方位十全な
知識を持っているなんて期待していない。理解できないのなら現場の判断を信じればいいのだ(実際、
かつてのデスク判断はそうだった)。それが、自分が知らないものは、はねつける。たぶん、自分が
不勉強であることを認めるのが怖いのだろう。アエラでは五人のデスクと編集長、編集長代理から成る
「デスク会」がネタの採用・不採用を決める権限を持っている。この人たちが「自分の知らないもの」を
ことごとくはねつけていったら、どうなるか。雑誌に並ぶ記事の鮮度が急に落ちたのは、このあたりが大きい。
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 「同世代の同僚や後輩が、自分の仕事をよりよくしていこうという切迫感を感じさせなくなった」と書いた。
 この会社では、向上心に燃え、すぐれた仕事をしようと思って努力しても、何にも評価されないのだ。
例えば「アエラをよりよい雑誌にしたい」と努力に励んでも、3年以上在籍すれば「もう長いから」と機械的に
追い出される。書き手として努力を続けても、40歳前になれば「もうデスク年齢だから」(摩訶不思議な
言葉だ)と書き手を降ろされる。すべてが年功序列、順送り人事、前例、慣習で決まる。特に明文化された
規則があるわけでもないのに「そんなもんだ」という奇怪な共通理解がいつの間にかできあがっている。
ここでは、人並み、月並み、前任者並みの仕事をしてさえいれば、誰も文句は言わない。まるで、4月に
なれば自動的に進級する小中学校教育みたいなシステムだ。

25・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:33
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 自己研鑽を積まなくても、新聞というプロダクトはできあがるシステムがちゃんと用意されている。
それが他でもない記者クラブ制度なのだ。以前、ぼくはデビッド・ハルバースタムとの会話の中で
「アジェンダ・セッティング」の機能を日本のマスコミは欠いているという話を書いたことがある。
「アジェンダ」とは「社会が議論すべき問題」のことであり、「何を議論すべきテーマなのか」を提示するのが
「アジェンダ・セッティング」だ。記者クラブに取材の拠点を置いている限り、この「アジェンダ」は取材先の
官庁や企業が決めてしまう。
 ぼくも1年だけ、名古屋市役所の記者クラブにいたことがある。一日中市役所の中に缶詰にされて
ウンザリしたが、それさえ目をつぶれば便利かつ快適この上ない。なにしろ、ずっとクラブに座って
市役所の発表を加工して記事にするだけで、一日に記事が2本3本とできあがっていくのである。
紙面もどんどん埋まるのでデスクも喜ぶ。だが「何もないところからニュースを探して歩く」という基礎体力は
どんどん衰えていった。
 つまり、「読者以上のサムシング・エルス」を求めて自己研鑽など積まなくても、記者クラブにいさえすれば、
記事がどんどん書けてしまうのである。逆に言えば、記者クラブさえあれば、新聞社は、記者の人材に
投資しなくても、日々の新聞を発行するという業務は成立してしまう。
 こうして長年を過ごしてきた新聞社は、記者クラブなしでは読者に商品価値を認めてもらえる記事など
書けない記者を大量に抱えている。もし記者クラブを廃止してしまえば、どんな破局が彼らを待ち受けて
いるか、想像するのはたやすい。これほど世間から非難を浴びても、新聞社が記者クラブを死守する
理由はこれである。記者クラブの外で生き残れる人材など育てていないことを、彼らはよく知っている。

26・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:33
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 新聞からアエラに移ってきた記者を見ていると、この「自分でニュースを探して歩く」「人が思いつかない
ような視点で現実を見つめる」という能力が衰えた人が非常に多かった。そういう人は、記者クラブ取材の
ない週刊誌に来ると、気の毒なくらい右往左往する。記者クラブにもいたことのあるぼくは、彼らの事情も
痛いほどわかった。彼らが能力で劣っているのではない。記者クラブしか知らないから、「自分でニュースを
探す」習慣がないし、そういうトレーニングを受けていないのだ(もちろん、朝日新聞社に在籍する記者でも、
記者クラブなどに頼らないくてもいいくらいのニュースソースと学識を持っている人はいた。問題は、そういう
記者が例外的といえるくらい少数で、しかも次第に数が減っていることだ。例えば、ぼくが知るどんな
アメリカの大学院の教授よりはるかに深い知識と洞察力を持っていた田岡俊次編集委員は、定年で
いなくなってしまった。)。
 ぼくがラッキーだったのは、新聞社に17年勤務しながら、記者クラブの体裁を整えた記者クラブで働いた
経験が1年しかないことだ。おかげで、「他人とはちがった視点でものを考える習慣」が最後まで殺されずに
済んだ。記者クラブ取材のない週刊誌に10年いたことも大きい。ありがたいことだ。「ニュースのないところ
からニュースを見つけて書かなければ、仕事がない」という毎日を10年も送ったおかげで、ぼくはずいぶん
鍛えられた。神経がおかしくなりそうなくらい過酷な日々だったが、この経験がいま、ぼくのかけがえのない
財産になってくれている(ぼくが内側から目撃した記者クラブ制度の問題は、とてもここでは書ききれないので
稿を改めることにする)。
 もし誰か記者が「私はちゃんと自己研鑽を積んでいる」と主張しているなら、その人に尋ねればいい。
あなたはどんな記事を書いたのですか、と。そして、その記事を見せてもらえばいい。そこに、読者が
「こんなものの考え方があったのか」「こういう事実があったのか」という驚きを感じなかったら、その人のいう
「研鑽」は自己満足でしかない。記者の仕事は、記事を読者に判断してもらうことでしか評価されない。
判断するのは読者なのだ。判断を下すのは、あなたなのだ。彼らが振りかざす「権威」や「組織の看板」に
気圧される必要はない。そんなもの、はぎ取ってしまえば、実情はたいしたことはないのだ。

27・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:34
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 同僚の無関心という点で、これは病的だとさえ思った出来事のことを書いておく。
2001年の春、ぼくがいたパソコン誌の編集長が突然自殺したときの話だ。
 M編集長は、ぼくが朝日で出会った中でも、もっとも尊敬できる記者のひとりだった。科学部、科学朝日
編集部で科学記者として活躍しただけでなく、パソコンの将来性を先取りして80年代に『朝日パソコン』を
創刊したという先見性の持ち主でもあった。いつも穏やかな笑顔をたたえた、誠実な紳士だった。人に
向かって声を荒げるのをぼくは見たことがない。連日連夜、新しい雑誌のアイディア出しの会議がそれこそ
午前零時を過ぎても続いたが(泊まりがけで徹夜の会議もやった)、編集長は真摯につきあってくれた。
それが、4月下旬に突然「会社を休む」という連絡があり、自宅で静養しておられると聞いていたのが、
5月初旬に悲報が届いた。
 ぼくはM編集長がなぜ自殺したのか、本当の理由は知らない。遺書が残っていたらしいが、内容は
知らされなかった。ご家族も内密を望んでおられたからだ。
 ぼくは編集長の葬儀に行った。ご自宅は、千葉県の新興住宅地にあった。白い一戸建て住宅の二階に
書斎があって、勉強家の編集長らしく、科学学術書が壁一面を埋めていた。ふとその中に、彼の著書が
あることに気が付いた。欧米を駆け回り、ノーベル賞受賞者14人に「ノーベル賞の発想」をインタビューした
ルポである。おそろしくおもしろい本だった。ページをめくるたびに、素晴らしいルポであることが伝わってくる。
「サイエンスの素晴らしさを伝えるのが僕の夢だ」と言っていた編集長の言葉を思い出した。ぼくは涙を
こらえることができなかった。

28・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:34
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 問題はこの後である。職場に戻ったぼくたちを待っていたのは、厳重な箝口令だった。現職の雑誌
編集長が自殺したことがスキャンダルになるのを出版局長はじめ上層部が恐れるのは、この会社の社風
として今さら驚きもしなかった。ぼくが驚愕したのは、出版局の同僚が、まったく誰も、例外なくこの悲劇を
話題にすらしなかったことである。しかも、誰が命じたわけでもないのに、こうなるのだ(社外には話すなと
箝口令が敷かれたが、社内で話すなとは誰も命じていない)。まったく完璧に静かだった。
 いやしくも同僚、それも現役の編集長が激務のさなかに自ら命を絶ったのである。一人の人間が死んだ
のである。これは、自分たちの仕事環境のどまん中で起きた惨事なのだ。それに完全に無関係と言い
切れる人はいないはずだ。ぼくは彼の自殺を「誰かのせい」にしたいのではない。自殺の原因が完全に
プライベートなことだって、ありうる。が、これほどの重大事が起きたことを真摯に受け止めるなら、命の
重みを誠実に考えるなら、問わずにはいられないはずではないのか。「なぜこんなことが起きたのだ」と。
人間なら、記者でなくても問わずにはいられないはずではないのか。「我々の仕事環境の中に、何か
重大な問題があったのではないか」と。
 この問いを、誰も発しなかった。葬儀の翌日から誰もが、また黙々と仕事に戻ってもう話題にもしなかった。
アエラや週刊朝日や書籍編集の同僚が、説明を求めて出版局長室に押しかけたなどという話も聞かない。
説明さえ求めずに、誰もが納得してしまったのだろうか。ぼくは暗澹たる思いに沈んだ。ぼくはそれまで、
朝日新聞社をイヤな組織だと思ったり、居心地が悪いと思ったことはは何度もあったが、「怖い」とまでは
思わなかった。が、この出来事を境に、この上司や同僚たちの無関心と無気力と無作為が文字通り怖く
なった。病んでいるとさえ思った。

29・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 04:21
492 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/03 17:59 1FMbK8H/
 記者クラブ制度をご存知ですか?
 あの記者達はみな福田康夫の子飼いです。常に共に行動し、一緒に飯を食い酒を飲み、
官房機密費の分け前をもらい、スピード違反と飲酒運転を見逃してもらいます。
特権的に非公開情報にアクセスし、福田に許されたことのみを記事にします。
 あの記者会見は一種の演劇のようなものです。質問も全て前もって各社で割り振ります。
記者会見終了後には、各新聞社で福田の発言がばらばらにならないよう、整合性をもたせます。
最初からヤラセです。
 日本も、実は中国や北朝鮮と同じです。近年、韓国は日本の制度をひきずっていた記者クラブ
制度を廃止しました。
 フランスでは「日本のジャーナリズムは全部政府広報」という認識が共有されています。
日本のニュースに関しては欧米の新聞(ネットで読める)やBBCを見たほうが正確です。

493 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/03 20:20 5+b4wS9r
 俺、某社記者。
 福田さんは、歴代の官房長官に比べて、非公開情報を出す度合いは少ないと聞いているよ。
オフレコの懇談でも記者への説教ばかりで情報らしい情報がないうえ、「女は女豹」発言が夕刊紙に
漏れてから、一回やめている。それゆえに長官番の記者から不評を買ったらしい。だから、わりと
記者との距離を置きながら、記者をコントロールするタイプかな。
スピード違反や飲酒の見逃しってのはないと思う。
記者会見の質問を事前に伝えるのは本当。
でも会見で予定外の質問が不可ということはないよ。福田さんは予定外の質問には、うまく答えられない
ことが多いけど。
 記者クラブはなくていいと思うね。仕事は確実に大変になる。

30・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 04:21
536 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/07 00:34 aRELAJvg
 日本のメディアがソース(情報元)を書かないのは組織的なオフレコ懇談に縛られているからですよ。
ニュースペーパーならば、誰による情報なのかを明らかにしてほしい。
書かれていても「政府首脳によれば」「首相周辺によれば」というもの。これは、みんなオフレコ懇談での
ルールです。 これは厳然たる事実です。
 そして、記者クラブが他のメディアの加盟を渋るのも、このオフレコ懇談の存在が大きい。
あまり加盟社が多くなると、オフレコ懇談をやってもらえなくなる恐れがあるからだ。
 結果として「余計な取材」をしかけてくる他のメディアを「政府のために」排除することになる。
その代わりに自分達は特別な情報をいただけるわけ。 この弊害は意図してのものか、そうでないのか。
もしかしたら、オフレコ懇談を「エサ」として政府に利用されていることに気づいていないのかもしれない。
 そして、このオフレコ懇談は引っ切り無しに予定が組まれる。 自分で取材をしなくても、勝手に政府が
どんどん取材の場をセットしてくれる。 新聞はそれを書けばよい。ルールどおりにソースを明かさずにね。
かくしてクラブ加盟メディアは政府に飼われるに至る。裏を返せば、かように政府は記者クラブを
コントロールする。 その結果、新聞の記事は「政府の意図に沿って」みんな横並び。
 この一方、政府はクラブ非加盟メディアの取材を必要以上に拒む。記者クラブに情報開示している
エクスキュースがあるからだ。そして国民にはクラブを経由しない情報は届かない。
本当に知りたい情報は届かない。

537 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/07 13:40 lnZRBsnO
 結果的に、大本営発表となんらかわらん状況になってる。
 情報を流してもらっても、それに対する裏づけ取材をするんだったらまだしも、一言一句そのまま
記事にする従順さ。そら、官庁に大いにありがたがられるよ。

31・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/17(水) 00:29
556 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/09 01:23 /YP/WFyR
自民党のアベとか青木とかの記者会見、何であんな間抜けな質問しかしないのか。
 世の中の話題になった話しとか、問題になった話しとかなーんにも質問しない。
 記者会見の後、当の会見者を囲む記者どもをみるけど、囲んだときの話やコメントは出てこない。
 どうなってんの。このからくり。読者や視聴者を裏切っているんではないの?

559 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/09 23:47 P6vx5nch
彼らは「番記者」(バンキシャ)と呼ばれる。朝から晩までアベとかアオキとかに張り付いて、
彼らの行動を把握するのが仕事だ。 そんで、重要法案の成立とか、国会の開幕とか、何かの
節目にコメントを「頂戴」できるように、彼らに気に入られるのが第一の仕事。
記者会見で、機嫌を損ねるような質問ができるわけがない。機嫌を損ねて「オフレコ懇談に
呼んでやらない」となったら即、バンキシャ失格になる。 同期を蹴落として苦労して「自民党幹事長の
バンキシャ」の「地位」を手に入れたのだもの、そんな馬鹿な真似はしないですよ。
官僚と同じで、無難に自民党幹事長の番記者を経験したら出世コースが待っている。
アベさんの学歴詐称(?)の問題だってバンキシャが守ったようなもんだ。守ったというより、
閉ざされた記者会見で、そのことに触れなければいいだけの話。 アベさんの目を見て、あ・うんの
呼吸で避けて通ればいい。 古賀さんには番記者がいないから。守ってくれる人がおらず、
メディアのリンチに遭う羽目に陥った。 両者もたかが学歴なんで、古賀さんのバッシングも行き過ぎの
感はあったけど、記者の対応には大きな格差があったのは確かだ。 つまり、オープンな記者会見か、
そうでないかの違いだ。現状の権力が守られる構造ができている。
日本に政権交代が起きないわけです(政権交代が起きたら自民党で番記者をやっていたといっても
出世コースではなくなってしまうかもしれないし)。 アベさんの前の山崎拓幹事長も、最終的に
女性問題を認めた(訴訟を取り下げた)けど、幹事長のときの定例記者会見では「山田かな子」の
カの字も出なかったのではないか? 新聞の言い訳は「週刊誌に書かれていることなんか
取り上げられるか」ということだが、ヤマタクは、それで選挙に落ちたところをみると、それほど、
どうでもいい問題であったとも思えないが。
番記者が聞けないんだから、週刊誌を記者会見に入れるしかないだろう。

32・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/18(木) 22:24
599 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/18 00:11 0Ao0Pebm
 外務省や総理記者会見って、その後、懇談っていう非公式の記者会見がセットなんだろ。
だから突っ込み質問もでない。

606 名前:文責・名無しさん 本日のレス 投稿日:04/03/18 15:43 AloDfWiz
 記者クラブで癒着している日本の大手メディアは、国民にとっては何の役にも立たない。
司法もろくに機能せず、最後の駆け込み寺として、日本に常駐している外国メディアの方が
頼りにされている事実に、日本の大手メディアの連中は、少しは恥じたらどうだろうか?

607 名前:文責・名無しさん 本日のレス 投稿日:04/03/18 19:19 cNjBkPGJ
>外務省や総理記者会見って、その後、懇談っていう非公式の
>記者会見がセットなんだろ。
 記者クラブと要人の非公式懇談は、定例的に行われている(ただ小泉さんはやってないけどね。
国会演説の解説は定例化しているのでやってるけど)。民主党もやっているんだな。実は。
いずれの非公式懇談も、先方の秘書とか事務方にセットしてもらって、連絡網(小学生みたい!)で
伝え合ってる。 ひどいのは、非公式懇談の予定が記者クラブに張り出されて合ったりするから、
こりゃ「非公式」でも、「懇談」でもなんでもないよね。 「記者会見」だ。
 オフレコで話を聞くのは取材のひとつとして意義は認めるけど、先方との人間関係を自分で作って、
その範囲内にとどめるべきではないかね。組織ぐるみの非公式懇談はみっともないよ。
オフレコで話を聞きたいなら自分で人間関係築きな。記者クラブの慣習に頼って取材ごっこしてるんじゃ
ないっての。
 ちなみにアメリカでもいくつかのメディアが連合して、要人とのオフレコ会合をやっていると聞いたけど。
だから「日本もいいでではないか」って?記者クラブを潰した上でいいたまえ、そういうのは。
 このあたりの比較はうまくできるほど情報がないのだけど、記者クラブ制度がない中でなら、
癒着したい記者は癒着したまえ。人間同士のやることだもの、それもあるだろう。そう思うよ。
 記者クラブみたいな保護された仕組みがなく、自由なメディア競争ができる中では、癒着を批判する
メディアも出てくるだろうから。

33・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/22(月) 19:02
610 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/20 18:34 XebKJZSh
 毎日、小泉総理がマイクの前に立つけど、あれ前もって質問内容を教えているんだってな。
ポストだったか現代が暴露していたけど。
 昔、テレビで国会の廊下あたりで総理大臣に歩きながら聞く記者の姿を見たけど、そのときは、
その場その場での対応だったのだと思う。
 あらかじめ試験問題を受験者(小泉)に見せて、その受験者はしっかり模範解答を作って
カメラの前に話す。ずるいんと違うか。周りの記者は追加質問もしないで聞くだけ。
メディア操作もいいところだ。
 この間、ラーメン屋に突然、行ったそうだが、用意周到に振り付けされた結果でしょ。
 サラリーマンに混じってというが、記者と思しきやつが回りに座っていたね。メディアはこういう
やらせをチェックしなと。いい加減、視聴者や読者を馬鹿にした馴れ合いはやめようや。

34・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/22(月) 19:02
611 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/20 23:39 W3OZiqP8
それは事実。小泉首相は毎日、昼と夜の2回、記者のインタビューに応じているが、あらかじめ
秘書に質問を伝えている。でも、インタビューは首相の意向で行われているものだからね、
義務ではない。政府与党からは「サービスしすぎだ」として反対意見も多いんだよ。
 だから記者からすると「インタビューに応じて頂いている」立場だ。よって秘書から「きょうの質問は
何か」と聞かれたら、「教えません」とも「言いにくい」。実際に拒否してもいいことになっているのだけど、
あくまで「言いにくい」という図式。事前に質問を伝えるのはルールではなく「慣例」なのだ。
また、追加質問も「してはいけない」というルールはないのだけど、あんまり想定外の質問をして
首相がカメラの前で答えに詰まったり、動揺している様が記録されると、秘書から「毎日のインタビュー、
あれ今度からやめにしましょうや」と言われるのは目にみえる。
だから結果的に、シナリオどおりのインタビューが出来上がるんだよね。
 これは、小泉首相による一流のメディア操作だ。記者には、定例的にコメントを話して仕事の機会を
与える。その代わりに勝手な質問をさせない雰囲気を作る。さらに、毎日2回もインタビューに応じて
いるから、別の場所(歩きながら、とか)で不意な質問を受ける心配はなくなる。
これは、官邸記者クラブには首相の独自取材を禁じる妙なルールがあるためだ。
つまり、どこかの記者が首相に質問をしてコメントをとったら、それをメモに書き起こして、
クラブメンバーに公表しないといけない。自分でコメントをとっても、いちいち他社に報告しなくては
いけないから非常に面倒なのだ。この妙なルールも相まって、記者にとっては歩きながら不意な質問を
ぶつけるよりも「後でインタビューで聞けばいいや」となる。
まったくもって絶妙のメディア管理であり、こんな画期的なアイデアは歴代の首相は考えもつかなかった。

35・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/22(月) 19:02
612 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/20 23:40 W3OZiqP8
 森前首相は、インタビューに毎日応じるなんてアイデアはもちろん持っていなかった。
だから記者がコメントを得る唯一の機会は歩きながらの質問となる。森さんは、模範解答を用意する
間もなく、不意な質問に機嫌を悪くして、これを無視をしたりしていた。もちろん、このやり取りも、
メモにして記者クラブに公表されるのだが、そのメモは「・・・」となっているから、なんのことだか分からない。
これが繰り返されて、記者との関係がどんどん悪化して、支持率に諸に跳ね返った。
そして最後は退陣に追い込まれたのは周知のとおり。
 首相の取材のルールは、時の政権によってさまざまだが、都度、記者クラブとの協議で決められるのは
共通。 首相の取材を無秩序に許すわけにもいかないだろうから、一定のルールは必要だと思う。
しかし、それが記者クラブである必要はないし、そのルールは明らかなものでなければね。
時の政権に対して、どのような取材が行われているのか、首相のインタビューの裏側はどうなっている
のか、これを報じるメディアがあってしかるべきだと思う。

613 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/21 12:04 60JHT0m7
 質問に答えていただいている云々ではなくて、かつては総理官邸の中や国会の廊下で、歩いている
ときとか帰るときなどに、記者は質問していたんでしょう。
 官邸の玄関を出て行くときに、しぶどく食い下がっている記者の映像や写真、よく見たもの。
 いまは質問させていただいている、インタビューさせていただいているという認識なのか。
 とにかく、弱腰だね。「総理番」という言葉があるそうだが、「総理のマイク記者」と改めたらどうか。
 自分の頭で考えて取材しろだね。それでいて1200万くらい給料もらっているんだって、30前後で。

36・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/04/03(土) 02:24
電網木村書店 Web無料公開 『読売新聞・歴史検証』 木村愛二著
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom.html
序 章 「独裁」「押し売り」「世界一」http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-0-3-1.html
第一部 「文学新聞」読売の最初の半世紀http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-1.html
 第一章 近代日本メディアの曙http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-1-1.html
 第二章 武家の商法による創業者時代の終りhttp://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-2-1.html
 第三章 屈辱の誓いに変質した「不偏不党」http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-3-1.html
第二部 「大正デモクラシー」圧殺の構図http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-4.html
 第四章 神話を自分で信じこんだワンマンhttp://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-4-1.html
 第五章 新聞業界が驚倒した画期的異常事態http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-5-1.html
 第六章 内務・警察高級官僚によるメディア支配http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-6-1.html
 第七章 メディア支配の斬りこみ隊長http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-7-1.html
 第八章 関東大震災に便乗した治安対策http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html
 第九章 虐殺者たちの国際的隠蔽工作http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-1.html
第三部 「換骨奪胎」メディア汚辱の半世紀http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-10.html
 第十章 没理想主義の新聞経営から戦犯への道http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-10-1.html
 第十一章 侵略戦争へと軍部を挑発した新聞の責任http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-11-1.html
 第十二章 敗戦後の「ケイレツ」生き残り戦略http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-12-1.html
 第十三章 「独裁主義」の継承者たちhttp://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-13-1.html

37・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/05/08(土) 15:24
テレビ朝日社長広瀬道貞は父親が元自民党代議士、
弟は初代経済産業省事務次官で現大分県知事、
自身も福田派の番記者をしていた。

つまりテレ朝は旧福田派だ。

38・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/05/14(金) 04:12
> 小泉内閣の3年間の間に、銀行の90%は米国の金融機関に握られてしまった。製造業の70%が
>米国に握られた。東京のホテルのほとんどが米国資本のものとなった。流通も、食糧も、土木建築業
>すらも米国資本の傘下に組み入れられている。最近はマスコミがこれを応援している。それどころか、
>マスコミまでアメリカに握 られてしまった。
> 最近、政官界内部で次のような噂が流れている――「広告業は米国資本に握られたため、テレビで
>米国批判を行うものは、テレビ 界から排除されることになった。ほとんどの大手のコマーシャル提供の
>大企業は米国資本が握ったからだ」。
> ちょうどその頃、私はあるテレビで米国の日本支配、日本従属国化、植民地化について語ったあとは
>出演依頼がほとんどなくなったことを経験したので、思い当たることがあった。米国の影響力は巨大
>である。日本人の頭脳のなかまで変えつつある。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0731.HTML

39・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/04(金) 23:54
言論の自由 By STRANGELOVE
http://www.mailux.com/mm_bno_dsp.php?mm_id=MM3D384F43742FA&bno=20040319131927
 田中真紀子議員の長女の私生活に関する記事を掲載した週刊文春が東京地裁から出版禁止の
仮処分命令を受けたという。記事掲載までのいきさつや内容を知らないので、この件に関するコメントは
できないが、一般的に言うならば、公権力は言論活動に介入するべきではない。
 ただ、『国民の知る権利』だとか『出版・報道の自由』を振りかざされると、首をかしげざるを得ない。
日本のマスメディアは権力者の前で立ちすくみ続けてきた。裁判所に持ち込むまでもなく、権力者は
記事を潰してきたのではないだろうか?
 ある国の大物実業家(情報機関の幹部と言われる)に関する記事のケースでは、最終稿が入った後で
ボツになっているほか、警察や検察のスキャンダルは『情報源だから』という理由で取り上げようとしな
かった。アメリカの司法省が民間企業の開発したコンピュータ・ソフトを横領したとする判決をアメリカの
破産裁判所と連邦地裁が出した事実を日本のメディアは報道しただろうか?
 アメリカの情報機関(その一部)が麻薬取引で活動資金を調達してきたことは『世界の常識』だが、
日本ではタブーだ。ベトナム戦争の際のヘロイン取引に関しては訳本が出ているものの、ラテン・アメリカの
コカイン取引とCIAとの関係について触れようとしない。
 ニカラグアの左翼政権を倒すため、アメリカの共和党政権はコントラと名づけられたゲリラを支援して
いたが、このコントラがコカイン取引で資金を稼いでいたことも有名な話。1985年にAPが報道したほか、
上院外交委員会の中の小委員会(委員長は民主党の現大統領候補、ジョン・ケリー議員)がこの事実を
認める報告書を出している。
 1990年代には、サンノゼ・マーキュリーという新聞がカリフォルニアに蔓延するコカインとコントラとの
関係を指摘、後にCIAの内部調査も基本的にこの事実を認める報告書を出している。(ワシントン・ポスト、
ニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズはサンノゼ・マーキュリーを激しく攻撃したが。)
 全世界の通信をターゲットにした米英の通信傍受システム、ECHELONの詳細が1990年代半ばに判明
したが、このシステムを日本のメディアは報道しようとしなかった。某大手新聞がこのシステムを取り
上げた、と言う人もいるだろうが、問題点を伝えず、情報操作としか言えない代物だった。彼らの
監視対象リストの上位には、反戦運動、人権活動、労働運動などが並んでいるとされている。
EU議会もこうした観点から報告書をまとめている。イラク攻撃の直前、米英両国の電子情報機関
(UKUSAと呼ばれる連合体)が国連で盗聴活動を行ったのは当然のこと。
 要するに、国内であろうと国外であろうと、日本のマス・メディアは強者に弱い。だから他人も強者に
弱いと考え、イラク人もアメリカに平伏すと思いこんだのだろうが。

40・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/06/06(日) 01:17
「北朝鮮へのコメ支援」をスクープした日テレは、官邸から国税局通じて嫌がらせ受けました
http://www.asahi.com/national/update/0604/014.html

TBSも官邸から国税局通じて嫌がらせを受けてますが、TBS何したっけ?
http://www.asahi.com/national/update/0605/002.html

公安情報は国税局に繋がっているそうだ

41・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/08/15(日) 05:45
 私が政治部で仕事を始めた当時、NHKでは世論調査で内閣の支持率を
調査しながら、その結果をニュースにしていないことを知った。
上司にはそれはおかしい、 報道しないなら内閣支持率の調査を止めるべきだと
何回かいった覚えがある。
だが内閣支持率の調査結果は現場の記者には教えられず、 世論調査から
報道局の幹部に直接伝えられたうえ政府や自民党の有力者に非公式に
漏らされていることを後に知った。
 60年代の初めには既にNHKの世論調査は初代の高野会長が心がけた
民主化のための方策。 公表の原則は破られ、調査結果は権力に奉仕するために
使われる存在になっていたのだ。
 NHKの世論調査は経営と政権との距離が近づき癒着が深まるのに伴い、
言葉の正しい意味での「世論調査」ではなく、政権の意向に沿った「世論操作」の
役割をになわされることになっていった。
  朝日新聞社「NHKと政治」より抜粋
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022612924/249-5172423-6798766

42・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/10/06(水) 03:38
http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0410/041005-4.html
  記  者  倶  楽  部   平成16年10月5日
 有名企業の総務、広報担当者が頭をかかえている。ある「放談会」の誘いを受けるべきかどうかと。
案内状に加藤紘一事務所の元代表で脱税容疑で失脚したはずの佐藤三郎の影が見え隠れするからだ。
「10月6日、赤坂プリンスホテル『クィーンホール』、会費1000円」
幹事は元朝日新聞の佐田正樹「チャンネルJ」専務だ。
「チャンネルJ」は日本のニュースや情報を英語で紹介する番組をつくっているようだが、この名前を
知っているのは、マスコミ界でもごく一部だけ。
「会費1000円があやしい。 幹事が挨拶で、『ついては、いろいろご協力を』と言い出すのではないか」 
(総務担当者)
「放談会」の名を借りたカネ集めの臭いがあると警戒しているのだ。

44・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/25(火) 07:43
http://amaki.cocolog-nifty.com/
 ◇◆ なぜ大手新聞は書かないのか ◆◇
 不可解である。1月21日付の産経新聞は愛媛県警の現職警官である仙波巡査部長が20日に松山市で
記者会見をし、裏金作りが県警の組織ぐるみで行われており、領収書の偽造を拒否し続けたため
昇進差別まで受けたと告発した事を大きく報じた。現職警官が実名で会見したのは初めてで、全国警察に
大きな波紋を広げそうだと産経新聞は書いていた。私もこれは大きなニュースだと衝撃的に受け止めた。
この現職警官の勇気はこれまでの様々な告発の中でも最もインパクトがあると思った。それにもかかわらず
この問題はその後どの新聞も取り上げない。それどころかあらゆるメディアが黙殺しているかのようだ。
 もう一つ不思議な沈黙がある。大阪と広島の駅で手にした、23日付けの大阪日日新聞と中国新聞に、
自民党森派の政治資金収支報告漏れの記事が大きく載っていた。最近数年にわたり森派の政治資金
収支報告書には、所属議員へ「モチ代」として配った資金の明細が記載されておらず、森派の会長を
2000年4月から一年ほど務めていた小泉首相の責任が問われると報じている(23日付大阪日日新聞)。
まるで橋本派の日歯連疑惑と全く同じ構図ではないか。
 23日付の中国新聞に至っては、「政治資金規制法で規定された収支報告書の信憑性を覆すもので、
国会でも大きな争点になりそうだ」とまで書いている。
 しかし24日の大手各紙はこの問題をどこも取り上げていない。地方紙にスクープされたのでしゃらくさいと
無視しているのか。それともこれから遅ればせながら追求していくのか。あるいは小泉政権に打撃となる
記事は自主規制しているのか。いずれにしても不思議な現象である。
 愛媛県警の告発にしても森派の政治資金不正疑惑にしてもこれからの展開を私は注目する。

45・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:35:54
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/0301016_sensouhoudou.htm
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
                                   <2004年7月>
      『兵は凶器なり』(32)    15年戦争と新聞メディア      1935−1945
    2・26事件以後、阿部定事件・新聞記者恐怖症″、腹切り問答
                                    前坂 俊之
                              (静岡県立大学国際関係学部教授)
 二・二六事件で東京に布かれた戒厳令は五ヵ月間も続き、七月十八日まで解除されなかった。
斎藤隆夫の粛軍演説が飛び出した臨時国会では「不穏文書臨時取締法」「思想犯保護観察法」
などの言論取締り法規が相次いでつくられ、メーデーもこの年から禁止されてしまった。
 戦争前夜の重苦しい雰囲気に包まれ、国民は、先行きの不安におびえた。そんな息詰まる暗い
世相のなかで、五月十八日、阿部定事件がおきた。
  ● 阿部定は「世直し大明神」
 この事件で、ファシズムの暗い予兆におののいていた人たちは、まるで暗雲に閉ざされた空に
一瞬光がさし込んだかのように興奮し、阿部定を「世直し大明神」と称し、笑いころげて、ウサを
晴らした。庶民にとっては一種の救いとなったのである。
 軍部の言論統制強化のなかで手も足も出なかった新聞は、その屈折した攻撃のハケロをこの
猟奇事件にむけ、センセーショナルに報じ、社会面はエログロ、ナンセンスに傾斜した。それは
非常時の新聞の一つの特徴でもあった。
 各社はこの事件に飛びつき、おもしろおかしくセンセーショナルに報じた。
「『待合のグロ犯罪』夜会巻の年増美人情痴の主人殺し 滴る血汐で記す『定吉二人』円タクで
行方を晦ます」 (『東京日日』五月十九日朝刊)
「尾久待合のグロ殺人、流連七日目の朝の惨劇 四十男を殺して消ゆ 変態!急所を切取り
敷布と脚に謎の血文字『定吉二人きり』」(『読売朝刊』同)
 特にアソコの表現には各社とも神経を使い、『朝日』は「下腹部」、『東京日日』は「局所」、『読売』は
「急所」「局部」とそれぞれ工夫をこらした。

46・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:36:18
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
 当時、『東京日日』の社会部長小坂新夫はその時のいきさつをこう書いている。
「『阿部定事件』の時は弱った。情人のアソコを切り取り帯にはさんで逃げ回るので、まさか露骨に
オチンチンとも書けず、私は夜になってから編集局全体に 『名案』があったら教えてくれと触れまわった。
政治部の陸軍省担当記者が『まあ、一概にいえば局部というところじゃが、そこをヒネって局所と
やったら』といって来た。で名案としてこれを採用『局所』 と書くことに決めた」(1)
 ところが、最初は『局所』ではなく、『生命線の切断』を取ったが、生命線というと「満蒙はわが国の
生命線」を連想し「軍部から叱られるのでは……」との懸念から、『局所』に落着いた、と『文章春秋』 
(一九三六年七月号)は書いており、「社会記事にまで軍を怖れなければならぬ東日」と皮肉られている。
 阿部定が逮捕されるまで、連日、逃走経路や妖婦の正体などのおもしろおかしい記事を派手に載せ、
大々的に報じた。
 折から国会開会中だったが、逮捕の報に予算委貞会は暫時休憩の声がかかり、議員は秘書が
買い求めてきた号外に殺到し、笑いころげたという。
 また、当時の市電では出発合図の信号が、「チンチン」と鳴って、女性車掌が乗客に向かって
「お切りします」というと、車内は爆笑につつまれたという。
 庶民は阿部定の一途の愛情に共感を寄せ、暗い世相の谷間に咲いたこの妖婦に共鳴したのである。

47・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:36:33
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
  ●報道界内部の事件も相次いだ。
 特に 『朝日』 の取引所改革報道のスクープは全国の株式市場がこれによって休会に追い込まれる
パニックに発展、検察当局は「財界かく乱の疑がある」として、執筆した記者を逮掃するなど新聞界を
揺るがせた。
 発端となった記事は七月二十一日、東京・大阪の『朝日』朝刊経済面に「取引所改革案 当所株
上場を廃し実株本位へ統制 政府当局の立案成る」とトップ四段見出しで報じられた。
 この改革案は一九三四年度の商工省内の取引制度調査委貞会で継続審議されていたもので、
内容がもれると経済界に与える影響が大きいため、秘密裡に審議され、商工省当局も、このニュースは
慎重に扱うよう各社に要望していた。いわくつきのものであった。
 庶政一新をスローガンにしている広田内閣の誕生によって、取引所改革も大幅になるのではとの
見方も流れていた。『朝日』は取引所株の市場上場禁止など内容の骨子をスクープしたのであった。
 この記事に証券界はショックをうけ株価は大暴落し、東京の取引所は立会停止となり、大阪、神戸など
全国的に波及、各取引所も休会する異常事態となった。
 新聞報道によって株式市場が休会したのは取引所開設以来初のケースであった。大混乱に陥ったため、
商工省、大蔵省は『朝日』の記事を全面否定した。二十二日午後、この記事を書いた『東京朝日』経済部、
政治部の記者二人が取引所法第32条「相場の変動を図る目的を以て偽計を用いる」などの容疑で
警視庁に逮捕され取り調べられた。
 二人は山一証券の店員にこの記事を内通して金銭を授受したとの情報も流れ、警視庁は証券会社
店員ら三人も合わせて逮捕した。この間『中外商業』 (現『日本経済新聞』)は号外を発行して、この
スクープの後、この記事が虚偽の風説であると主張、『読売』その他は2記者が二千五百円もらったとか、
五千円もらったとか書きたてた。
 驚いた『朝日』 は二十四日、上野社長が幹部を集めて事件の説明を行い自制自粛を訓示、二人の
記者と当日のデスクを退社処分にし、この処分を社告に掲載、経済部長も辞職した。「記事を漏洩悪用し
社規を紊る」と社告にはいちはやく罪名までつけられた。東京の経済部はこの事件で六人が交代すると
いう騒ぎへ発展した。

48・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:36:50
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
 ところが、東京地裁は『朝日』の2記者については報道内容は虚偽でなく根拠がある、金品授受の事実は
証拠不十分として、八月十九日に不起訴に決定した。また他の証券会社の店員らも合わせて不起訴となり、
大山鳴動ネズミ一匹の感じとなった。
 真相は取引所改革について、大蔵省国債課長が立案したものがプリントとして印刷され、流れていたのを
『朝日』がキャッチして、スクープしたことが判明した。
 この事件は思わぬ余波を引き起こした。国債課長は直ちに専売局参事に左遷され、ついで官規紊乱の
かどで免官された。このため役人は〝新聞記者恐怖症″に陥り、取材制限へと発展したのである。
 八月十日開かれた内閣情報委員会、定例次官会議でこの間題が取り上げられ、情報管理の徹底が
論議され、各官省内に「公表以外記者団にニュース材料を提供すべからず」という厳命が下された。
 さらに十八日の定例閣議で取引所事件が藤沼書記官長より報告され、次のような申し合わせが
決定した。(2)
  一、今後新聞への発表は責任者たる大臣、次官より行う。
  二、局課長は大臣及び次官諒解のもとに、既定の事実についてだけは記者団の質問に速やかに、
かつ詳細に語ることはさしつかえなし。
  三、ただし、原則として局課長以下はなるべく新聞記者と接触せざるよう心がけるべし。
 陸軍当局もこれと歩調を合わせ、記者団に通達した。
「今後、記者団は大臣、次官との共同会見並に軍務局長との会見を自由とする以外、各局課長及
中央部将校に面会する時はあらかじめこれを新聞班に届け出て、その許可を得ることを要す」
 この結果、新聞記者は政府からニュースソースを完全に封鎖されてしまった。
「ヒョ一夕ンからコマではないが、東朝の取引所記事がはしなくもこんな結果をもたらそうとは誰しも
夢想だにしなかったであろう。政府のこのニュース統制強化の態度は実にわが新聞市場空前のもの
であり、全新聞衝に深大な反響を呼んだ」 のである。(2)
 さらに、官庁の発表ものは同盟通信を通じてやればよい、クラブは廃止し、記者は減員か他に回して
自由に取材させれば、という合理化の論議が大きく台頭しはじめたのである。
 一方、軍部は「広義国防」をスローガンに一九三六年から三七年にかけて大幅な軍備増強計画をたてた。
陸軍は軍備増強五ヵ年計画、海軍は一九三六年の軍縮条約脱退によって、戦艦大和、武蔵の建造などを
含む大建艦計画をすすめた。

49・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:37:11
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
  ● 浜田国松の「腹切り問答」
 このため、一九三七年度の予算は前年度の一・三倍にのぼる三十億四千万円に達した。このうち
軍事費は何と全体の半分近い四六・四%を占めた。
 二・二六事件を反省するどころか、若手陸軍官僚が公然と議会政治を否定するような改革案を発表
するなど、軍部の横暴は目にあまるものがあり、軍拡路線を走る広田内閣に対して国民の不満はつのる
一方だった。
 一九三七年一月二十一日。第七十通常国会が新装なった国会議事堂で開かれた。大増税の軍拡予算
を審議する国会だが冒頭から軍部と政党が真正面から衝突した。いわゆる浜田国松の「腹切り問答」 
である。
 浜田は政友会の長老議員でこの時七十歳。衆議院議員当選十一回、議員生活三十四年の大ベテラン
であった。初日の二人目の代表質問者として登壇した浜田は声をはりあげて軍の政治関与を厳しく批判した。
「軍部は近年自ら誇称して我国政治推進力は我等にあり、乃公(だいこうい)出でずんばの概(おもむき)がある。
『五・一五事件』然り、『二・二六事件』然り、軍部の一角より時々放送される独裁政治意見然り。
要するに独裁強化の政治的イデオロギーは常に晴々として軍の底を流れ、時に文武格盾(かくじゅん)し
堤防を破壊せんとする危険があることは国民のひとしくまゆをひそめるところである」
 さらに浜田は「国民的政治機構である政党によって憲政は運用されるべきである。もし軍人が政治活動
をしようとするならば、軍服をぬぎ、サーベルをすて丸腰になって政党をつくるべきだ。軍という立場で
政治を動かそうとするところに危険がある」と語気鋭く寺内陸相に追った。
 浜田は、議会のかけひきに長じた百戦錬磨の闘士であったが、寺内陸相は寺内正毅元帥の長男で、
お坊ちゃん育ちのうえ、中央の軍政にたずさわったのは今回が初めてであった。寺内陸相は浜田の術策に
まんまと引っかかった。
 答弁に立った寺内陸相は「中には或は軍人に対していささか侮蔑するような如き感じを致す所の御言葉を
承りまするが……」と反論した。
 再び立った浜田は「私の演説のどこが軍を侮蔑したか、具体的に答えてほしい」と追及。
 言葉に窮した寺内陸相が「侮蔑するが如く聞こえるところの言辞はかえって浜田君の言われる国民一致
の精神を害するから御忠告を申したのであります」と答えたのに、浜田は憤激し、「速記録を調べて、
僕が軍隊を侮蔑した言葉があったら割腹して君に謝す。なかったら、君、割腹せよ」と詰め寄った。
 互いに興奮し、言葉じりをとらえた子どものケンカじみてみえるが、その背景には軍部と政党の引くに
引けぬ対立があった。国民は浜田の一歩も引かぬ軍部批判と対決に拍手を送ったのである。

50・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:37:30
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
 しかし、この「腹切り問答」で、寺内陸相は「議員に反省を求めるため解散すべし」と閣議で強硬に
主張して譲らず、議会は二十二日から二日間停止することになった。
 さらに、「政府が解散に同意しない場合は陸相単独でも辞任する」と他の閣僚が全員反対しているなかで、
ただ一人強引に政府を突き上げた。傍若無人な陸相の行動についに広田内閣は崩壊する。
各紙はこれをどう報道したか。約七ヵ月前の斎藤隆夫の粛軍演説と同じく大々的に取り上げたが、
社説での軍部批判はいっそうトーンダウンしていた。
 『東京朝日』の社説「突如たる停会」(1月22日)は「政府が物の怪でも怖るるが如く最初から議会の
攻撃を回避せんとするの態度は甚だ取らない。興奮は特に今日の政情において禁物である」
 『東京日日』は「議会停会−政府も政党も反省せよ」(同日)で「政党側からいっても、単に政府攻撃
ばかりが能ではない。政府の立場から見ても議員を威嚇して法案の成立に専念するだけが手柄ではない」
とケンカ両成数的な内容となっており、肝心のマトをはずしていた。
 『文香春秋』の「新聞匿名月評」はこの点を厳しく衝いてこう書いた。
「如何なる点が軍人を侮蔑したのか、新聞はかたく口を閉ざしていた。かつて尾崎愕堂が大臣席を
指して『あれは国賊だっ』とやらかした帝国議会は、もはや外国の議会であり、新聞もまたこの国の
拡声器とは思わない」
「東日の如きは善意か悪意か、見んごと肘鉄を食らわした。翌日、各紙が社会面で追っかけたが、
東日だけは依然としてそっぽを向いていた。幹部が三宅坂に脱帽するのは差支えないにしても、
本山精神と福地精神と福沢精神(時事が解散したのに、合同とは大分変だが)とを買う読者こそ
可愛そうだ」(4)
 『東京朝日』でこの腹切り問答を編集した整理部員はその時の思い出をこう語った。
「『侮蔑の言あらば割腹せんー浜田氏憤然詰寄る』という三段見出しの記事を見ながら溜飲が下がった
気持で、うれしくてひとり悦に入っていた。するとうしろで『こんな馬鹿野郎のいうことを何でデカデカ
扱うんだ』と吐いて捨てるように言うやつがある。ふりむくと『こんな下手な編集をしたのはお前か』と
いわんばかりの顔つきで政治部次長が立っていた」(5)
 すでに新聞社の空気もこのように変わっていたのである。
 そこには浜田演説を支持する言論はなかった。広田内閣を倒し、宇垣一成への大命降下もつぶした
陸軍はいよいよ大手をふって暴走し、半年後に日中戦争を引き起こした。
                                           (つづく)

51・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:37:46
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
<引用・参考文献>
(1) 『なぐれ記者』 小坂新夫 印象社(非売品) 一九七八年三月 58−59P
(2) 「新聞街統制禍」 辻民部 文芸春秋 一九三六年十月号
(3) 「同上」
(4) 「政変狂躁曲譜」 M・Y・S 文芸春秋 一九三七年三月号
(5) 『言論昭和史』 三枝重雄 日本評論新社 一九五八年八月号  99P

52・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:04
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/0301016_sensouhoudou.htm
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
                                   <2004年7月>
  『兵は凶器なり』(33)    15年戦争と新聞メディア      1935−1945
   国策通信会社「同盟通信社」 の誕生
                                    前坂 俊之
                              (静岡県立大学国際関係学部教授)
 一九三六(昭和十一)年は、新聞統制の一つの分岐点となった。二・二六事件の軍部テロによって
新聞の自由は完全にトドメをさされたが、もう一つ忘れてならないのはこの年一月一日をもって発足
した国策通信会社・同盟通信社の誕生であった。
 国家による言論統制のシンボルである「同盟」の誕生によって、軍部や政府の圧力のほか、
ニュース通信そのものまで政府の意のままにつくられ、既存の新聞ははさみ打ちにされた。
 迫りつつある新聞統制のなかで、朝・毎・読の大新聞は遠からずそうなるならば、少しでも自分たちの
自由になる組織を政府に協力してつくったほうが得策と考えた。
 もともと、日本の主要な日刊通信社は一九二六(昭和元)年十二月当時で、東京だけでも三十三社
あったが、そのなかで最大手は「日本電報通信社」 (現在の電通の前身、以下「電通」)と「新聞連合社」
(以下「連合」)の二つであった。
 「電通」がアメリカのUPと提携、「連合」はAP、ロイターと契約しており、両者は激しい競争を繰り広げていた。
 第一次世界大戦で敗れたドイツのルーデンドルフ元帥は「ドイツは連合国ではなく、ロイター通信社に
敗れた」と叫んだように、近代戦での宣伝、ニュースの占める比重はますます大きくなっていた。
 英米では世界的な通信社が世界中に通信網をはっているのに対し、日本では「電通」「連合」が対立。
一九三一年九月に発生した満州事変では、陸軍寄りの電通と、外務省寄りの連合が激しい報道合戦を
展開。
 外務省、陸軍がそれぞれ都合のいい情報をながすのに、電通、連合がさらに輪をかけたため、
食い違ったニュースが流れ、国内的には混乱を招き、国際的にも一層、不信感を増幅した。
 その後日本は満州事変の処理をめぐって国際的に孤立し、国際連盟から脱退したが、政府はこの時、
日本にナショナル・ニュース・エージェンシー(国家代表通信社)がないことを痛感。
 これが「電通」「連合」合併による「同盟」設立の引き金になった。

53・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:22
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
「(国際連盟脱退まで)我が日本がいかに国際的に悪人呼ばわりされたか。日本は平和の反逆者で
あるかの如くののしられた。日本の正当なる要求、正義の声が世界的に封鎖された結果に他ならない。
強力で国家的な大通信社を持っておれば敗れたりとはいえ、あれほどみじめな窮地に追い込まれずに
すんだであろう」というのが同盟発起人の共通した考えであった。(1)
 これと並行して、同盟通信社ができても、これを指導監督する宣伝機構が陸海軍、外務省、内務省など
バラバラであってはどうしようもないと、国論統一のために内閣直属機関の必要性が叫ばれた。
 これが、各省申し合わせによる情報委員会として一九三二(昭和七)年九月に発足、同盟への結成に
向けて「百難を排しても実現する」と「電通」「連合」に合併を申し入れ、強力に推進した。
  ●一九三六年七月一日には官制による内閣情報委員会が正式に発足した。
 この同盟に対しては「帝国政府が企画した数多くの事業のなかで最も成功したものの一つ」と
内閣情報局は折り紙をつけたが、発足は、スンナリでき上がったものではなかった。
 「電通」「連合」を合併して同盟をつくるという構想に、「電通」は強く反対、「連合」は賛成の態度をとった。
 もともと「連合」は『朝日』 『毎日』 『報知』 『国民』 『時事』 『中外』などが出資した非営利の新聞組合
であったが、電通は営利企業であり、まずその買収価格で折り合わず、それ以上に連合主体で話が
すすんだ点に難色を示した。
 特に電通の本店格である『福岡日日』や『名古屋』 (現『中日』) 『京都』 『河北』『秋田魁』 
『北海タイムス』などの各紙は同盟案に一斉に反対した。
 当時、中央紙の『朝日』 『毎日』が大資本にものをいわせ一九三五年には門司や名古屋で現地印刷
するなど地方へ進出。ブロック紙や地方紙と猛烈な競争をしていたため、「同盟は必ず中央紙に握られ
地方紙を破滅に陥れる」と反対した。「合併は不公平でその根底はファッショ思想である」として
「政府のニュースの統制機関になる」と主張、強硬に反対をつづけた。
 結局、強い反対で、電通をそのままに政府は「連合」だけを主体に同盟設立に向けて計画をすすめ
見切り発車した。
 同盟は一九三六年一月一日をもって正式に業務を開始したが、これに先立って逓信省は十二月
二十八日に国際放送電報規則を改正し、国内ニュースの海外への放送電報発信、外国ニュース受信も
同盟以外に許可しないことをきめた。

54・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:37
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 同盟への参加を拒否していた電通は、このためアメリカのUP通信社との放送電報の利用が取り消された。
この政府の強硬姿勢に電通もついに折れた。一九三六年三月末に、電通は政府の裁定により同盟から
百八十万円を支払うなどを条件に合併に応じ、六月一日に電通やそれまで反対していた地方紙も
加わった組合組織の真の意味の国家代表通信社が誕生したのである。
 一九三五年十一月九日の設立総会で広田外相は「政府が通信社の経営に不当の干渉を試みるとか、
報道の自由と編集の独立を制肘して、通信の統制を行わんとする意味ではない」とし、設立の目的を
「外国に伝えられる我国関係のニュースの正確公平であること」を望むと述べた。(2)
 床次逓信大臣も「将来政府がこの種の機関に与える通信上の特典便宜はすべて同盟に与える」と
説明した。(3)
 同盟は「参加した全国の新聞社の自治的共同機構であり」決してニュースの統制機構でない、と政府も
各社も何度も強調した。
  ●しかし、実質は全くの〝言論統制機関″だったのである。
 同盟通信社に対して、政府は毎年ばく大な助成金を支給した。
 一九三六(昭和十一)年度分は三百万円、三七年度は当初予算で百五十万円、三八年度分は
二百二十万円、三九年度分は三百万円、四〇年度分は三百九十六万円と、年々増加、大東亜戦争が
起きた一九四一年には四百五十一万円の助成金を交付した。
 言論統制やニュースの統制機構ではないどころか、全くそのための機関であり、ばく大な交付金には、
何を目的とし報道すべきか、毎年度に「助成交付金示達書」という命令が内閣総理大臣名で出されていた。
 内閣情報委員会は表向きには「各省情報に関する重要事務の連絡調整」を掲げていたが、秘匿された
重大な任務は同盟の指導、監督だったのである。
 各年度の具体的な付帯命令とは一体どんなものであったのか、みてみよう。

55・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:56
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   同盟通信社助成交付金示達書(昭和十二年度)=極秘=(4)
 ソノ社(同盟)ハ国策二照応シ、公正ナル報道ヲ普及シテ、内国民思想ヲ指導シ、健全ナル世評ノ作興
二務メ外、海外世論ヲ啓発シ、国際的了解ノ増進二寄与スル使命ヲ負フ……
 ①、東亜ニオケル報道通信網制覇ノ目的ヲ以テ、在支那支局ヲ強化スルコト②、国内通信網拡大ヲ行フト
共二、中央オヨビ地方ノ通信施設ヲ強化シテ「ニュース」弘布ノ円滑普及ヲ図ル

  (昭和十三年度)=極秘=(5)
 ①ソノ社(同盟)本年度ノ業務ハ支那事変対処第一主義二則り、外ハ海外流布ノ悪宣伝ノ粉砕ト、
ワガ正義ノ普及ノタメ、内ハ政府ノ施行スル国民精神総動員運動二対応シ、挙国一致時難克服ノ報道陣ヲ
張ルベキコト
 ②支那就中上海北京及香港ハ、事変報道ノ世界的中枢地点ナルニ鑑ミ、右各地二於ケル機関ヲ
整備強化シ、東亜報道ノ主流ヲ形成スヘキコト

  (昭和十四年度)=極秘=(6)
 支那大陸二於ケル我軍ノ作戦就中第一部隊ノ行動、新支那建設二関スル報道ハ国民精神作興二
関連スルコト大ナル処、之二対スル新聞報道ノ関心漸ク遠サカラムトスル傾向アルニ鑑ミ、此種報道ノ
普及ニッキ特別ノ手配ヲ実施サレタキコト
          
  (昭和十五年度)=極秘=(7)
 ①其ノ本務二徹シ、更二厳正ニシテ権威アル報道ヲ発シテ、全国新聞ヲ響導シ、国策二順応スル、
潤達ナル世論ノ昂揚二努ムヘキコト
 ②欧州情報二関スル海外報道ハ、我カ国論二影響スル所大ナルヲ以テ、厳正公平ナル欧米情報ヲ
適時供給シ、イヤシクモ国論ヲシテ外国ノ宣伝二惑ヒ、偏奇スルコトナカラシムヘキコト

56・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:39:15
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
 以上のように、一九三七(昭和十二)年七月に勃発した日中戦争が進展していくとともに、中国を中心
とした迅速で国内世論を指導する報道を任務の重点においていたことがうかがえる。
 政府は同盟を意のままに操縦して、世論指導の中心に据え、『朝日』 『毎日』 『読売』の大手中央紙を
けん制しながら統制を巧妙に行ったのである。
 一九四〇(昭和十五)年八月に内閣情報部第二課によって作成された極秘文書がある。言論統制を
いかにすすめるかを検討した文書である。

 ① 新聞紙面(記事編集) ノ指導統制ニッイテハ中央紙二主力ヲ注グ (政治・経済・社会・整理、 
部長会議ノ実質ヲ整備ス)
 ② 地方紙記事はオオムネ同盟通信二依存シァルヲモツテ中央ニオケル同盟ノ指導卜地方庁ノ
ニラミニ委シテ可ナリー、
 ③ 中央有力紙(朝日・毎日・読売)ニ対スル政府ノ指導力ヲ有権的ナラシムルタメ特殊ノ工夫ヲ施ス。
スナワチ右新聞社ノ企業オヨビ編集ノ両面ニワタリ政府ノ発言権ヲ確保ス
 ④ 〔註〕新聞社内ニオイテ真二実権アル代表者ヲ(情報部ノ)参与二任命シ、新聞統制ノ機務二参与
セシメ、編集局長ヲ世論対策委員会(仮称)ノ委員二加フルコトニヨリテ、政府ノ指揮二服セシムルト共ニ、
他面新聞社株式ノ過半数ノ買収ヲ断行ス
 ⑤統制促進手段トシテハ各種新聞立法ヲ実行スル外、同盟二対スル地方新聞ノ依存関係ヲ利用シ
更二広告収入二干渉(電通二対スル同盟ノ支配力ヲ強化シ之ヲ通シテ政府ニヨリ干渉ス)ヲ加フルト
共二新聞協会ヲ改組シ(又ハ新協会ヲ創設シテ)テ新聞側ノ自治的(新聞社互ノ利害関係ヲカミ合サシム)
統合ヲ行ハシムル等ノ手段二訴フ
       
 この「新聞統制具体案」は内閣情報部の情報官が書いたものだが、巧妙な方法で新聞統制を断行
しようと工作していたことを如実に示す文書である。
 このように「同盟」は政府から新聞界に打ち込まれた強力なクサビであり、地方紙と中央紙の間で
同盟をうまく利用し、新聞界を内部から切りくずしていく武器に使われたのである。

57・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:39:30
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
 一九三六年十一月九日、内閣情報委員会と各社編集幹部との初顔合わせが帝国ホテルであった。
 席上、藤沼庄平委員長(内閣書記官長)は「情報委員会設立当時、一般に新聞統制を行うとのウワサ
があったが、左様な事実はなく、官制に示されている通り、政府部内の情報を統合調整し、正確な
ニュースを迅速に提供するのが目的」とあいさつし、あくまで真のネライを隠していた。
 しかし、「事実は歴然言論統制の存在を立証している。積極的に弾圧を加えなくとも、陰性な、
片意地な官僚的秘密主義には、新聞も腐ろうし、国民も暗からざるを得ない。
 こうなると、われらは新聞よりも官報を読んだ方が、むしろ物事がはっきりするかも知れない」と
『文芸春秋』(同年十二月号)の「新聞匿名月評−『無冠の帝王』再吟味」はズバリと書いている。
 こうした同盟誕生によってもたらされた通信取材の一元化は新聞の経営、編集面で一大合理化を
もたらした。首切り、合理化が新聞界に吹き荒れた。政府の言論統制により、末端の新聞社員は
生活の恐怖にふるえたのである。
 『文芸春秋』(一九三六年十月号)の新聞匿名月評「新聞街統制禍」によると、「電通」では約百人、
『朝日』も自発的退社申し出を募り九十人、経営難に苦しんでいた『国民新聞』は同年七月に
同盟ニュース配信で記者は必要なくなったとして編集局員四十人の大量首切りが行なわれた。
 『報知』も編集陣を大幅に縮小した。上昇気流に乗っていた『読売』と夕刊発行を検討していた
『都新聞』以外の新聞人は生活不安と首切りの寒風が吹いたのである。
 同盟の歴史的な役割について、戦後、同盟関係者らが次のように総括している。
「同盟の出現は戦時における新聞界の自主統制を促進して、軍による破壊的干渉を防止する役割を
果たした。同盟はいかなる悪条件でその強力な無線電報によって絶えず豊富なニュースを全国の
新聞社、放送局に供給し、半日たりとも新聞発行を不能にしたことはなかった。この無線電信電報は
国家代表通信社であってこそだ」 (9)
                                     (つづく)

58・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:39:46
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
<引用資料・参考文献>
(1) 『日本新聞年鑑 昭和十一年版』 新聞研究所 一九三五年十月 15P
(2) 『同上』 11P
(3) 『同上』 11P
(4) 『現代史資料(41) マス・メディア統制2』 内川芳美編・解説 みすず書房一九七五年十月 557P
(5) 『同上』 129P
(6) 『同上』 237P
(7) 『同上』 263P
(8) 『同上』 272P
(9) 『通信社史』 同盟通信社史刊行会編 一九五八年十二月 414P

59・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 19:00:03
>>45-51
15年戦争と新聞メディア 1935−1945
2・26事件以後、阿部定事件・新聞記者恐怖症″、腹切り問答
>>52-58
15年戦争と新聞メディア 1935−1945 国策通信会社「同盟通信社」 の誕生

60・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/02/07(月) 15:18:43
NHKと「公平中立」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1064494691/293-296
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1064494691/298-302

61・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/02/09(水) 07:36:51
国会TVマガジン 号外
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メディアの裏側(第八回)  第二章 「記者クラブ」というギルド社会
   警察庁記者クラブ
 ロッキード事件が「中締め」となって、私は司法記者クラブから警察庁記者クラブに異動した。と言っても警視庁記者クラブに移るまでの半年足らずの一時的な在籍であった。その短い期間に私は記者クラブから「登院停止」という処分を受けた。何故処分を受ける事になったのかを紹介する。
 警察庁は、各都道府県に置かれた警察を指揮監督する国の行政機関である。直接に事件捜査を行うのではなく、事件捜査を行う都道府県警察を監督する役所なのである。全国およそ二十五万人の警察官のうち、国家公務員上級職試験を通ったいわゆるキャリア警察官は五百人と言われる。彼らは警察庁と都道府県警察を往復しながら出世していく。警察庁はそのキャリア警察官の牙城なのである。
 警察庁記者クラブの記者達は「事件記者」ではない。仕事と言えば新聞の切り抜き位で、原稿を書くのは年末に発表される「今年の犯罪情勢」や「初詣の人出予想」、それに年明けに発表される「初詣の人出ランキング」位だと前任者から言われた。もっとも近年では警察不祥事が相次いでいるから、原稿を書く機会が増えているに
違いない。
 旧内務省の名残りなのか警察庁は自治省と同じ人事院ビルにあり、記者クラブはその四階にあった。警察庁長官の部屋と同じフロアーで、隣は広報室である。役所ではどこも記者クラブは大臣室や広報室と同じフロアーに配置される。後に警察庁長官になった田中節夫氏が広報担当課員として最も頻繁に記者クラブに出入りしていた。各社とも常駐しているのは古参の記者たちであった。原稿を書くことの少ない警察庁記者クラブが何のために存在するかと言えば、それはメディアが警察のキャリア官僚との人的関係を深めるためである。まもなく社会部長になろうとする人やそれを卒業したいわば大物記者が警察庁記者クラブに配属されていた。警察官僚との人間関係は、取材面だけでなくメディアが何かトラブルに見舞われたときに生きてくる。従って記者達の日常は、三々五々幹部の部屋を訪れては雑談をしながら「君子の交わり」をするのである。官僚が最も関心を持つのは人事である。警察幹部との雑談は人事情報が話題になる事が多く、記者達は様々な人事情報を仕入れてきては、それを武器に官僚との関係を深めていくのであった。この大物記者達は、将来の警視総監、警察庁長官候補と思われる人物に取り入ることには熱心だったが、反対に広報担当者や若手の官僚に対しては驚くほ
どに居丈高な態度を見せた。若手の官僚に対して「君は何年入省か」、「俺は君よりも長くこの役所にいる」、「○○が警視総監になれたのも、俺が人事を動かしたからだ」などと言っている記者を見た事がある。

62・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/02/09(水) 07:37:12
 ある時、若手の官僚がブリーフィングの際、記者の質問に的確に答えられないことがあった。すると記者達は猛然と反発した。「けしからん」という訳で、広報担当者に対し「納得のいく説明があるまで、警察庁長官を庁内に待機させろ。帰宅する事を許さない。ブリーファーの上司である局長がクラブまで来て謝罪をせよ」と宣言した。しかしそのような事が実現するはずはなかった。曲折はあったが結局ブリーフィンクをした本人が謝ることで決着した。腹の虫が治まらないのか、記者達はその官僚に対して、「一週間のクラブ立入禁止」を宣告し、記者クラブの入り口に「○○を当クラブ立入禁止にする」と書いた紙を貼り出した。クラブの部屋というのは警察庁から無料で提供されているもので、記者クラブの所有物ではない。立入禁止を言うのもおかしな話だが、立入禁止を宣告されてもその官僚には痛くもかゆくもない話である。妙な処分をするものだと思った。
 若輩の私が大物記者に意見を言える立場にはなかった。何かの折りに広報の係官に自分の意見を述べると、その係官は面白いエピソードを教えてくれた。記者クラブには必ず麻雀卓があって、暇なときに記者達は卓を囲む。大抵金を賭けている。警察庁は暇なクラブであるから、記者達はその日も午前中から卓を囲んでいて、昼食に庁内にあるそば屋から出前を取った。出前持ちが到着したとき麻雀は熱を帯びていた。出前持ちが注文された品々を一人ずつに渡そうとすると、記者達は、「うるせえな、そこに置いて帰れ!」と怒鳴った。これに出前持ちはキレた。憤然として店に戻ると警察に一一O番した。「今、警察庁記者クラブで賭け麻雀をやっています。現行犯で逮捕して下さい」。警察は困った。困ったが何もしないわけにはいかなかった。警察庁記者クラブに捜査員が赴いた。勿論逮捕はされなかったが、記者達は大いに慌てた。その話を広報の係官は愉快そうに話した。日頃から記者達に反感を抱いている様子が窺われた。
 さて私が処分を受けた話だが、警察庁記者クラブで書く原稿は急を要する内容でないためか全て「シバリ」がかけられていた。「シバリ」とは原稿を書いてもすぐに発表してはならず、発表の解禁日時が決められることである。通常は役所の都合で解禁日が決められる事が多い。しかしメディア側の都合で「シバリ」をかける事もある。例えば正月用の記者会見を年末に行って、それに「シバリ」をかけ、年が明けてから解禁にした。正月用の記事などは分からないでもないが、警察庁記者クラブの場合には「シバリ」をかける意味が全くなかった。「今年の犯罪情勢」や「初詣の人出予想」を発表の時点でニュースにしても何ら問題はない。役所の側に「シバリ」をかける意志があるわけでもない。しかし警察庁記者クラブでは全ての発表に「シバリ」がかけられた。そのためこちらは原稿の冒頭に「○月○日○時解禁」と断りを書いて社のデスクに送稿する。その原稿が社内でどう処理されたかは知らないが、解禁日より前にTBSのワイドショーが「初詣の人出予想」を放送し、その内容が翌日のスポーツ新聞に掲載された。


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