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「記者クラブ」関連スレッド

53・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:22
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
「(国際連盟脱退まで)我が日本がいかに国際的に悪人呼ばわりされたか。日本は平和の反逆者で
あるかの如くののしられた。日本の正当なる要求、正義の声が世界的に封鎖された結果に他ならない。
強力で国家的な大通信社を持っておれば敗れたりとはいえ、あれほどみじめな窮地に追い込まれずに
すんだであろう」というのが同盟発起人の共通した考えであった。(1)
 これと並行して、同盟通信社ができても、これを指導監督する宣伝機構が陸海軍、外務省、内務省など
バラバラであってはどうしようもないと、国論統一のために内閣直属機関の必要性が叫ばれた。
 これが、各省申し合わせによる情報委員会として一九三二(昭和七)年九月に発足、同盟への結成に
向けて「百難を排しても実現する」と「電通」「連合」に合併を申し入れ、強力に推進した。
  ●一九三六年七月一日には官制による内閣情報委員会が正式に発足した。
 この同盟に対しては「帝国政府が企画した数多くの事業のなかで最も成功したものの一つ」と
内閣情報局は折り紙をつけたが、発足は、スンナリでき上がったものではなかった。
 「電通」「連合」を合併して同盟をつくるという構想に、「電通」は強く反対、「連合」は賛成の態度をとった。
 もともと「連合」は『朝日』 『毎日』 『報知』 『国民』 『時事』 『中外』などが出資した非営利の新聞組合
であったが、電通は営利企業であり、まずその買収価格で折り合わず、それ以上に連合主体で話が
すすんだ点に難色を示した。
 特に電通の本店格である『福岡日日』や『名古屋』 (現『中日』) 『京都』 『河北』『秋田魁』 
『北海タイムス』などの各紙は同盟案に一斉に反対した。
 当時、中央紙の『朝日』 『毎日』が大資本にものをいわせ一九三五年には門司や名古屋で現地印刷
するなど地方へ進出。ブロック紙や地方紙と猛烈な競争をしていたため、「同盟は必ず中央紙に握られ
地方紙を破滅に陥れる」と反対した。「合併は不公平でその根底はファッショ思想である」として
「政府のニュースの統制機関になる」と主張、強硬に反対をつづけた。
 結局、強い反対で、電通をそのままに政府は「連合」だけを主体に同盟設立に向けて計画をすすめ
見切り発車した。
 同盟は一九三六年一月一日をもって正式に業務を開始したが、これに先立って逓信省は十二月
二十八日に国際放送電報規則を改正し、国内ニュースの海外への放送電報発信、外国ニュース受信も
同盟以外に許可しないことをきめた。


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