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「記者クラブ」関連スレッド

23・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
 不気味だったのは、同僚やデスクが職場で意見を交わすという光景がぼくの周囲からはほとんど
消えてしまったことだ。みんなそれぞれの机で黙々と仕事をこなすばかり。他愛のない雑談くらいは
するのだが、いま自分たちが直面している仕事のことを話し合おうとしても、みんな逃げる。
 よく「95〜96年はオウムや阪神大震災があったからネタに困らなかったでしょう」と後輩に言われた
のだが、これは逆である。オウムや震災のような大事件があると、テレビも雑誌も一斉に報道に加わる
から、他の媒体に出ていない視点をどう見つけるかが極端に難しくなる。だからぼくらは必死でアイディアの
出し合いをせざるをえなかったのである。逆に、こうした大事件のない「平時」は、どういう視点を構えるかで
記事のおもしろさがゼロから問われるので、ネタをいっそう厳密に磨かなくてはならない。どっちにせよ、
ディスカッションを重ねなくてはいい記事はできないのだ。
 ところが、このオウム騒動が一段落した96〜97年あたりから、こういうデスク、記者同士の意見交換が
極端に少なくなった。ぼくはこれではヤバイと思って「毎週月曜日午後8時から、編集部応接セットにて
お話会開催。言論の自由保障。院外責任を問わず」などと、張り紙を出し、自腹で飲み物やつまみを
買ってきては、同僚たちを待つのだが、誰も来ない(逆に編集長はちゃんと来た)。同僚や後輩と食事に
行っても、上司や同僚の陰口や社内人事の噂話を延々と続けるばかりで、どんな記事が書きたいとか
どんなネタを持っているとか、そういう生産的な会話がほとんど出ない。社宅の奥様族の井戸端会議
みたいな非生産的な話ばかりしているものだから、つきあうこちらもだんだん疲れてきた。ぼくらは
仕事=生産活動の同僚として席を同じくしているのに、である。98年から99年にかけてニューヨークの
駐在に出かけ、帰ってきたときには、もう編集部内は死んだみたいに静かだった。
 どうしてこうなったのか、ぼくにはよくわからない。


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