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「記者クラブ」関連スレッド

1カマヤン:2004/02/21(土) 18:43
「記者クラブ」関連の情報を集めます。

52・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:04
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/0301016_sensouhoudou.htm
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
                                   <2004年7月>
  『兵は凶器なり』(33)    15年戦争と新聞メディア      1935−1945
   国策通信会社「同盟通信社」 の誕生
                                    前坂 俊之
                              (静岡県立大学国際関係学部教授)
 一九三六(昭和十一)年は、新聞統制の一つの分岐点となった。二・二六事件の軍部テロによって
新聞の自由は完全にトドメをさされたが、もう一つ忘れてならないのはこの年一月一日をもって発足
した国策通信会社・同盟通信社の誕生であった。
 国家による言論統制のシンボルである「同盟」の誕生によって、軍部や政府の圧力のほか、
ニュース通信そのものまで政府の意のままにつくられ、既存の新聞ははさみ打ちにされた。
 迫りつつある新聞統制のなかで、朝・毎・読の大新聞は遠からずそうなるならば、少しでも自分たちの
自由になる組織を政府に協力してつくったほうが得策と考えた。
 もともと、日本の主要な日刊通信社は一九二六(昭和元)年十二月当時で、東京だけでも三十三社
あったが、そのなかで最大手は「日本電報通信社」 (現在の電通の前身、以下「電通」)と「新聞連合社」
(以下「連合」)の二つであった。
 「電通」がアメリカのUPと提携、「連合」はAP、ロイターと契約しており、両者は激しい競争を繰り広げていた。
 第一次世界大戦で敗れたドイツのルーデンドルフ元帥は「ドイツは連合国ではなく、ロイター通信社に
敗れた」と叫んだように、近代戦での宣伝、ニュースの占める比重はますます大きくなっていた。
 英米では世界的な通信社が世界中に通信網をはっているのに対し、日本では「電通」「連合」が対立。
一九三一年九月に発生した満州事変では、陸軍寄りの電通と、外務省寄りの連合が激しい報道合戦を
展開。
 外務省、陸軍がそれぞれ都合のいい情報をながすのに、電通、連合がさらに輪をかけたため、
食い違ったニュースが流れ、国内的には混乱を招き、国際的にも一層、不信感を増幅した。
 その後日本は満州事変の処理をめぐって国際的に孤立し、国際連盟から脱退したが、政府はこの時、
日本にナショナル・ニュース・エージェンシー(国家代表通信社)がないことを痛感。
 これが「電通」「連合」合併による「同盟」設立の引き金になった。

53・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:22
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
「(国際連盟脱退まで)我が日本がいかに国際的に悪人呼ばわりされたか。日本は平和の反逆者で
あるかの如くののしられた。日本の正当なる要求、正義の声が世界的に封鎖された結果に他ならない。
強力で国家的な大通信社を持っておれば敗れたりとはいえ、あれほどみじめな窮地に追い込まれずに
すんだであろう」というのが同盟発起人の共通した考えであった。(1)
 これと並行して、同盟通信社ができても、これを指導監督する宣伝機構が陸海軍、外務省、内務省など
バラバラであってはどうしようもないと、国論統一のために内閣直属機関の必要性が叫ばれた。
 これが、各省申し合わせによる情報委員会として一九三二(昭和七)年九月に発足、同盟への結成に
向けて「百難を排しても実現する」と「電通」「連合」に合併を申し入れ、強力に推進した。
  ●一九三六年七月一日には官制による内閣情報委員会が正式に発足した。
 この同盟に対しては「帝国政府が企画した数多くの事業のなかで最も成功したものの一つ」と
内閣情報局は折り紙をつけたが、発足は、スンナリでき上がったものではなかった。
 「電通」「連合」を合併して同盟をつくるという構想に、「電通」は強く反対、「連合」は賛成の態度をとった。
 もともと「連合」は『朝日』 『毎日』 『報知』 『国民』 『時事』 『中外』などが出資した非営利の新聞組合
であったが、電通は営利企業であり、まずその買収価格で折り合わず、それ以上に連合主体で話が
すすんだ点に難色を示した。
 特に電通の本店格である『福岡日日』や『名古屋』 (現『中日』) 『京都』 『河北』『秋田魁』 
『北海タイムス』などの各紙は同盟案に一斉に反対した。
 当時、中央紙の『朝日』 『毎日』が大資本にものをいわせ一九三五年には門司や名古屋で現地印刷
するなど地方へ進出。ブロック紙や地方紙と猛烈な競争をしていたため、「同盟は必ず中央紙に握られ
地方紙を破滅に陥れる」と反対した。「合併は不公平でその根底はファッショ思想である」として
「政府のニュースの統制機関になる」と主張、強硬に反対をつづけた。
 結局、強い反対で、電通をそのままに政府は「連合」だけを主体に同盟設立に向けて計画をすすめ
見切り発車した。
 同盟は一九三六年一月一日をもって正式に業務を開始したが、これに先立って逓信省は十二月
二十八日に国際放送電報規則を改正し、国内ニュースの海外への放送電報発信、外国ニュース受信も
同盟以外に許可しないことをきめた。

54・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:37
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
 同盟への参加を拒否していた電通は、このためアメリカのUP通信社との放送電報の利用が取り消された。
この政府の強硬姿勢に電通もついに折れた。一九三六年三月末に、電通は政府の裁定により同盟から
百八十万円を支払うなどを条件に合併に応じ、六月一日に電通やそれまで反対していた地方紙も
加わった組合組織の真の意味の国家代表通信社が誕生したのである。
 一九三五年十一月九日の設立総会で広田外相は「政府が通信社の経営に不当の干渉を試みるとか、
報道の自由と編集の独立を制肘して、通信の統制を行わんとする意味ではない」とし、設立の目的を
「外国に伝えられる我国関係のニュースの正確公平であること」を望むと述べた。(2)
 床次逓信大臣も「将来政府がこの種の機関に与える通信上の特典便宜はすべて同盟に与える」と
説明した。(3)
 同盟は「参加した全国の新聞社の自治的共同機構であり」決してニュースの統制機構でない、と政府も
各社も何度も強調した。
  ●しかし、実質は全くの〝言論統制機関″だったのである。
 同盟通信社に対して、政府は毎年ばく大な助成金を支給した。
 一九三六(昭和十一)年度分は三百万円、三七年度は当初予算で百五十万円、三八年度分は
二百二十万円、三九年度分は三百万円、四〇年度分は三百九十六万円と、年々増加、大東亜戦争が
起きた一九四一年には四百五十一万円の助成金を交付した。
 言論統制やニュースの統制機構ではないどころか、全くそのための機関であり、ばく大な交付金には、
何を目的とし報道すべきか、毎年度に「助成交付金示達書」という命令が内閣総理大臣名で出されていた。
 内閣情報委員会は表向きには「各省情報に関する重要事務の連絡調整」を掲げていたが、秘匿された
重大な任務は同盟の指導、監督だったのである。
 各年度の具体的な付帯命令とは一体どんなものであったのか、みてみよう。

55・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:38:56
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
   同盟通信社助成交付金示達書(昭和十二年度)=極秘=(4)
 ソノ社(同盟)ハ国策二照応シ、公正ナル報道ヲ普及シテ、内国民思想ヲ指導シ、健全ナル世評ノ作興
二務メ外、海外世論ヲ啓発シ、国際的了解ノ増進二寄与スル使命ヲ負フ……
 ①、東亜ニオケル報道通信網制覇ノ目的ヲ以テ、在支那支局ヲ強化スルコト②、国内通信網拡大ヲ行フト
共二、中央オヨビ地方ノ通信施設ヲ強化シテ「ニュース」弘布ノ円滑普及ヲ図ル

  (昭和十三年度)=極秘=(5)
 ①ソノ社(同盟)本年度ノ業務ハ支那事変対処第一主義二則り、外ハ海外流布ノ悪宣伝ノ粉砕ト、
ワガ正義ノ普及ノタメ、内ハ政府ノ施行スル国民精神総動員運動二対応シ、挙国一致時難克服ノ報道陣ヲ
張ルベキコト
 ②支那就中上海北京及香港ハ、事変報道ノ世界的中枢地点ナルニ鑑ミ、右各地二於ケル機関ヲ
整備強化シ、東亜報道ノ主流ヲ形成スヘキコト

  (昭和十四年度)=極秘=(6)
 支那大陸二於ケル我軍ノ作戦就中第一部隊ノ行動、新支那建設二関スル報道ハ国民精神作興二
関連スルコト大ナル処、之二対スル新聞報道ノ関心漸ク遠サカラムトスル傾向アルニ鑑ミ、此種報道ノ
普及ニッキ特別ノ手配ヲ実施サレタキコト
          
  (昭和十五年度)=極秘=(7)
 ①其ノ本務二徹シ、更二厳正ニシテ権威アル報道ヲ発シテ、全国新聞ヲ響導シ、国策二順応スル、
潤達ナル世論ノ昂揚二努ムヘキコト
 ②欧州情報二関スル海外報道ハ、我カ国論二影響スル所大ナルヲ以テ、厳正公平ナル欧米情報ヲ
適時供給シ、イヤシクモ国論ヲシテ外国ノ宣伝二惑ヒ、偏奇スルコトナカラシムヘキコト

56・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:39:15
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
 以上のように、一九三七(昭和十二)年七月に勃発した日中戦争が進展していくとともに、中国を中心
とした迅速で国内世論を指導する報道を任務の重点においていたことがうかがえる。
 政府は同盟を意のままに操縦して、世論指導の中心に据え、『朝日』 『毎日』 『読売』の大手中央紙を
けん制しながら統制を巧妙に行ったのである。
 一九四〇(昭和十五)年八月に内閣情報部第二課によって作成された極秘文書がある。言論統制を
いかにすすめるかを検討した文書である。

 ① 新聞紙面(記事編集) ノ指導統制ニッイテハ中央紙二主力ヲ注グ (政治・経済・社会・整理、 
部長会議ノ実質ヲ整備ス)
 ② 地方紙記事はオオムネ同盟通信二依存シァルヲモツテ中央ニオケル同盟ノ指導卜地方庁ノ
ニラミニ委シテ可ナリー、
 ③ 中央有力紙(朝日・毎日・読売)ニ対スル政府ノ指導力ヲ有権的ナラシムルタメ特殊ノ工夫ヲ施ス。
スナワチ右新聞社ノ企業オヨビ編集ノ両面ニワタリ政府ノ発言権ヲ確保ス
 ④ 〔註〕新聞社内ニオイテ真二実権アル代表者ヲ(情報部ノ)参与二任命シ、新聞統制ノ機務二参与
セシメ、編集局長ヲ世論対策委員会(仮称)ノ委員二加フルコトニヨリテ、政府ノ指揮二服セシムルト共ニ、
他面新聞社株式ノ過半数ノ買収ヲ断行ス
 ⑤統制促進手段トシテハ各種新聞立法ヲ実行スル外、同盟二対スル地方新聞ノ依存関係ヲ利用シ
更二広告収入二干渉(電通二対スル同盟ノ支配力ヲ強化シ之ヲ通シテ政府ニヨリ干渉ス)ヲ加フルト
共二新聞協会ヲ改組シ(又ハ新協会ヲ創設シテ)テ新聞側ノ自治的(新聞社互ノ利害関係ヲカミ合サシム)
統合ヲ行ハシムル等ノ手段二訴フ
       
 この「新聞統制具体案」は内閣情報部の情報官が書いたものだが、巧妙な方法で新聞統制を断行
しようと工作していたことを如実に示す文書である。
 このように「同盟」は政府から新聞界に打ち込まれた強力なクサビであり、地方紙と中央紙の間で
同盟をうまく利用し、新聞界を内部から切りくずしていく武器に使われたのである。

57・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:39:30
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
 一九三六年十一月九日、内閣情報委員会と各社編集幹部との初顔合わせが帝国ホテルであった。
 席上、藤沼庄平委員長(内閣書記官長)は「情報委員会設立当時、一般に新聞統制を行うとのウワサ
があったが、左様な事実はなく、官制に示されている通り、政府部内の情報を統合調整し、正確な
ニュースを迅速に提供するのが目的」とあいさつし、あくまで真のネライを隠していた。
 しかし、「事実は歴然言論統制の存在を立証している。積極的に弾圧を加えなくとも、陰性な、
片意地な官僚的秘密主義には、新聞も腐ろうし、国民も暗からざるを得ない。
 こうなると、われらは新聞よりも官報を読んだ方が、むしろ物事がはっきりするかも知れない」と
『文芸春秋』(同年十二月号)の「新聞匿名月評−『無冠の帝王』再吟味」はズバリと書いている。
 こうした同盟誕生によってもたらされた通信取材の一元化は新聞の経営、編集面で一大合理化を
もたらした。首切り、合理化が新聞界に吹き荒れた。政府の言論統制により、末端の新聞社員は
生活の恐怖にふるえたのである。
 『文芸春秋』(一九三六年十月号)の新聞匿名月評「新聞街統制禍」によると、「電通」では約百人、
『朝日』も自発的退社申し出を募り九十人、経営難に苦しんでいた『国民新聞』は同年七月に
同盟ニュース配信で記者は必要なくなったとして編集局員四十人の大量首切りが行なわれた。
 『報知』も編集陣を大幅に縮小した。上昇気流に乗っていた『読売』と夕刊発行を検討していた
『都新聞』以外の新聞人は生活不安と首切りの寒風が吹いたのである。
 同盟の歴史的な役割について、戦後、同盟関係者らが次のように総括している。
「同盟の出現は戦時における新聞界の自主統制を促進して、軍による破壊的干渉を防止する役割を
果たした。同盟はいかなる悪条件でその強力な無線電報によって絶えず豊富なニュースを全国の
新聞社、放送局に供給し、半日たりとも新聞発行を不能にしたことはなかった。この無線電信電報は
国家代表通信社であってこそだ」 (9)
                                     (つづく)

58・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:39:46
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
<引用資料・参考文献>
(1) 『日本新聞年鑑 昭和十一年版』 新聞研究所 一九三五年十月 15P
(2) 『同上』 11P
(3) 『同上』 11P
(4) 『現代史資料(41) マス・メディア統制2』 内川芳美編・解説 みすず書房一九七五年十月 557P
(5) 『同上』 129P
(6) 『同上』 237P
(7) 『同上』 263P
(8) 『同上』 272P
(9) 『通信社史』 同盟通信社史刊行会編 一九五八年十二月 414P


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