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「記者クラブ」関連スレッド

57・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:39:30
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/doumeituushinnsyanotannjyou_040728.pdf
 一九三六年十一月九日、内閣情報委員会と各社編集幹部との初顔合わせが帝国ホテルであった。
 席上、藤沼庄平委員長(内閣書記官長)は「情報委員会設立当時、一般に新聞統制を行うとのウワサ
があったが、左様な事実はなく、官制に示されている通り、政府部内の情報を統合調整し、正確な
ニュースを迅速に提供するのが目的」とあいさつし、あくまで真のネライを隠していた。
 しかし、「事実は歴然言論統制の存在を立証している。積極的に弾圧を加えなくとも、陰性な、
片意地な官僚的秘密主義には、新聞も腐ろうし、国民も暗からざるを得ない。
 こうなると、われらは新聞よりも官報を読んだ方が、むしろ物事がはっきりするかも知れない」と
『文芸春秋』(同年十二月号)の「新聞匿名月評−『無冠の帝王』再吟味」はズバリと書いている。
 こうした同盟誕生によってもたらされた通信取材の一元化は新聞の経営、編集面で一大合理化を
もたらした。首切り、合理化が新聞界に吹き荒れた。政府の言論統制により、末端の新聞社員は
生活の恐怖にふるえたのである。
 『文芸春秋』(一九三六年十月号)の新聞匿名月評「新聞街統制禍」によると、「電通」では約百人、
『朝日』も自発的退社申し出を募り九十人、経営難に苦しんでいた『国民新聞』は同年七月に
同盟ニュース配信で記者は必要なくなったとして編集局員四十人の大量首切りが行なわれた。
 『報知』も編集陣を大幅に縮小した。上昇気流に乗っていた『読売』と夕刊発行を検討していた
『都新聞』以外の新聞人は生活不安と首切りの寒風が吹いたのである。
 同盟の歴史的な役割について、戦後、同盟関係者らが次のように総括している。
「同盟の出現は戦時における新聞界の自主統制を促進して、軍による破壊的干渉を防止する役割を
果たした。同盟はいかなる悪条件でその強力な無線電報によって絶えず豊富なニュースを全国の
新聞社、放送局に供給し、半日たりとも新聞発行を不能にしたことはなかった。この無線電信電報は
国家代表通信社であってこそだ」 (9)
                                     (つづく)


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