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「記者クラブ」関連スレッド

45・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:35:54
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/0301016_sensouhoudou.htm
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
                                   <2004年7月>
      『兵は凶器なり』(32)    15年戦争と新聞メディア      1935−1945
    2・26事件以後、阿部定事件・新聞記者恐怖症″、腹切り問答
                                    前坂 俊之
                              (静岡県立大学国際関係学部教授)
 二・二六事件で東京に布かれた戒厳令は五ヵ月間も続き、七月十八日まで解除されなかった。
斎藤隆夫の粛軍演説が飛び出した臨時国会では「不穏文書臨時取締法」「思想犯保護観察法」
などの言論取締り法規が相次いでつくられ、メーデーもこの年から禁止されてしまった。
 戦争前夜の重苦しい雰囲気に包まれ、国民は、先行きの不安におびえた。そんな息詰まる暗い
世相のなかで、五月十八日、阿部定事件がおきた。
  ● 阿部定は「世直し大明神」
 この事件で、ファシズムの暗い予兆におののいていた人たちは、まるで暗雲に閉ざされた空に
一瞬光がさし込んだかのように興奮し、阿部定を「世直し大明神」と称し、笑いころげて、ウサを
晴らした。庶民にとっては一種の救いとなったのである。
 軍部の言論統制強化のなかで手も足も出なかった新聞は、その屈折した攻撃のハケロをこの
猟奇事件にむけ、センセーショナルに報じ、社会面はエログロ、ナンセンスに傾斜した。それは
非常時の新聞の一つの特徴でもあった。
 各社はこの事件に飛びつき、おもしろおかしくセンセーショナルに報じた。
「『待合のグロ犯罪』夜会巻の年増美人情痴の主人殺し 滴る血汐で記す『定吉二人』円タクで
行方を晦ます」 (『東京日日』五月十九日朝刊)
「尾久待合のグロ殺人、流連七日目の朝の惨劇 四十男を殺して消ゆ 変態!急所を切取り
敷布と脚に謎の血文字『定吉二人きり』」(『読売朝刊』同)
 特にアソコの表現には各社とも神経を使い、『朝日』は「下腹部」、『東京日日』は「局所」、『読売』は
「急所」「局部」とそれぞれ工夫をこらした。


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