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「記者クラブ」関連スレッド
27
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:34
http://ugaya.com/column/taisha2.html
同僚の無関心という点で、これは病的だとさえ思った出来事のことを書いておく。
2001年の春、ぼくがいたパソコン誌の編集長が突然自殺したときの話だ。
M編集長は、ぼくが朝日で出会った中でも、もっとも尊敬できる記者のひとりだった。科学部、科学朝日
編集部で科学記者として活躍しただけでなく、パソコンの将来性を先取りして80年代に『朝日パソコン』を
創刊したという先見性の持ち主でもあった。いつも穏やかな笑顔をたたえた、誠実な紳士だった。人に
向かって声を荒げるのをぼくは見たことがない。連日連夜、新しい雑誌のアイディア出しの会議がそれこそ
午前零時を過ぎても続いたが(泊まりがけで徹夜の会議もやった)、編集長は真摯につきあってくれた。
それが、4月下旬に突然「会社を休む」という連絡があり、自宅で静養しておられると聞いていたのが、
5月初旬に悲報が届いた。
ぼくはM編集長がなぜ自殺したのか、本当の理由は知らない。遺書が残っていたらしいが、内容は
知らされなかった。ご家族も内密を望んでおられたからだ。
ぼくは編集長の葬儀に行った。ご自宅は、千葉県の新興住宅地にあった。白い一戸建て住宅の二階に
書斎があって、勉強家の編集長らしく、科学学術書が壁一面を埋めていた。ふとその中に、彼の著書が
あることに気が付いた。欧米を駆け回り、ノーベル賞受賞者14人に「ノーベル賞の発想」をインタビューした
ルポである。おそろしくおもしろい本だった。ページをめくるたびに、素晴らしいルポであることが伝わってくる。
「サイエンスの素晴らしさを伝えるのが僕の夢だ」と言っていた編集長の言葉を思い出した。ぼくは涙を
こらえることができなかった。
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