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「記者クラブ」関連スレッド

50・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/01/29(土) 18:37:30
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
 しかし、この「腹切り問答」で、寺内陸相は「議員に反省を求めるため解散すべし」と閣議で強硬に
主張して譲らず、議会は二十二日から二日間停止することになった。
 さらに、「政府が解散に同意しない場合は陸相単独でも辞任する」と他の閣僚が全員反対しているなかで、
ただ一人強引に政府を突き上げた。傍若無人な陸相の行動についに広田内閣は崩壊する。
各紙はこれをどう報道したか。約七ヵ月前の斎藤隆夫の粛軍演説と同じく大々的に取り上げたが、
社説での軍部批判はいっそうトーンダウンしていた。
 『東京朝日』の社説「突如たる停会」(1月22日)は「政府が物の怪でも怖るるが如く最初から議会の
攻撃を回避せんとするの態度は甚だ取らない。興奮は特に今日の政情において禁物である」
 『東京日日』は「議会停会−政府も政党も反省せよ」(同日)で「政党側からいっても、単に政府攻撃
ばかりが能ではない。政府の立場から見ても議員を威嚇して法案の成立に専念するだけが手柄ではない」
とケンカ両成数的な内容となっており、肝心のマトをはずしていた。
 『文香春秋』の「新聞匿名月評」はこの点を厳しく衝いてこう書いた。
「如何なる点が軍人を侮蔑したのか、新聞はかたく口を閉ざしていた。かつて尾崎愕堂が大臣席を
指して『あれは国賊だっ』とやらかした帝国議会は、もはや外国の議会であり、新聞もまたこの国の
拡声器とは思わない」
「東日の如きは善意か悪意か、見んごと肘鉄を食らわした。翌日、各紙が社会面で追っかけたが、
東日だけは依然としてそっぽを向いていた。幹部が三宅坂に脱帽するのは差支えないにしても、
本山精神と福地精神と福沢精神(時事が解散したのに、合同とは大分変だが)とを買う読者こそ
可愛そうだ」(4)
 『東京朝日』でこの腹切り問答を編集した整理部員はその時の思い出をこう語った。
「『侮蔑の言あらば割腹せんー浜田氏憤然詰寄る』という三段見出しの記事を見ながら溜飲が下がった
気持で、うれしくてひとり悦に入っていた。するとうしろで『こんな馬鹿野郎のいうことを何でデカデカ
扱うんだ』と吐いて捨てるように言うやつがある。ふりむくと『こんな下手な編集をしたのはお前か』と
いわんばかりの顔つきで政治部次長が立っていた」(5)
 すでに新聞社の空気もこのように変わっていたのである。
 そこには浜田演説を支持する言論はなかった。広田内閣を倒し、宇垣一成への大命降下もつぶした
陸軍はいよいよ大手をふって暴走し、半年後に日中戦争を引き起こした。
                                           (つづく)


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