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実相哲学を論じる部屋
413
:
初心者
:2014/03/30(日) 22:48:21 ID:k.9Qtig6
>自分を「神の子」と信じないから、実績が上がらないのです。(教えを理解出来ないと自分で仰っています)
これが、真理によってしかその正しさを支えることができない言表です。
414
:
ユタカ
:2014/03/30(日) 22:53:56 ID:N20ePDNw
実績を上げてから 何か言えば?
415
:
ユタカ
:2014/03/30(日) 23:19:25 ID:N20ePDNw
>これが、真理によってしかその正しさを支えることができない言表です。
全く意味不明。
416
:
ユタカ
:2014/03/30(日) 23:27:36 ID:N20ePDNw
あ、それと
マサノブ総裁の本は理系の大学生には面白い本らしいですよ。どういう風に面白いかは知りませんが・・・
417
:
初心者
:2014/03/31(月) 09:59:23 ID:k.9Qtig6
>>これが、真理によってしかその正しさを支えることができない言表です。
>全く意味不明。
あんたにいってるんじゃない。
418
:
ユタカ
:2014/03/31(月) 15:16:48 ID:N20ePDNw
>417
じゃ、誰にいっているんだ?
別にいいけど。
419
:
トキ
:2014/03/31(月) 22:14:34 ID:5C.JbqME
初心者様
私は、まだ初心者様の言う事を理解しているとは思えないですが、
初心者様が言いたい事は、せんじずめれば、生長の家の信徒の「暴走」が
起こるのは、生長の家の「理論」に原因があるのだ、という事かと感じてい
ます。
自分勝手にこの前提に立つと、私は逆で、「理論」が正しいから、「暴走」
が起こるのだ、という考え方をしています。
だいぶん前に「反核運動」というものが流行しました。「ダイ・イン」とか
言って、死んだふりをするのが「正義」だ、という事もパーフォーマンスとし
てなされました。このときに、民族派や保守派から批判がありましたが、同時に
新左翼の吉本隆明が、「反核異論」という本を書いて、これを激しく批判しまし
た。つまり、原子力の戦争利用という誰も反対できない目的を使って、手段への
封じる事や、異論を許さない運動のあり方は危険だ、と言っていました。
ただ、こういう事を言い出したのは、吉本が最初ではなくて、ソルジェニーツイン
が有名な「収容所群島」の中で、もっと詳しく書いていたはずです。要するに、自分
がしている事が「悪事」だ、と認識をしている人よりも、自分がやっている事が
「正義」だ、という人のほうが、エグい事をする、という話です。
まあ、この本は、ノーベル賞を受賞し、今ではロシアの教科書にもなっている
のですから、それなりに評価もされているのでしょう。
(つづく)
420
:
トキ
:2014/03/31(月) 22:30:37 ID:5C.JbqME
これは、仮想の話ですが、例えば、初心者様が自分の思想を
ネットや本で世に発表し、広く共鳴者が出たとしましょう。
そこで、初心者様が次々に著作を発表し、テレビでもラジオでも
ネットでも高い評価を集め、ついには、ソシュールの本を「聖典」に
して、宗教か哲学の団体が作られ、数十万人の共鳴者が出たとします。
そうなると、絶対に、内部で派閥争いが起こり、外部に対して、
「無知蒙昧な連中よ、早く、初心者様の教えに帰依するのだ」
と言い出す人間が確実に出て来ます。あるいは、部内で、
「私の解釈こそが、正しいソシュールの解釈である」
と言い出す人が出て来ます。
まあ、これが人間の「業」なんでしょうが、「正しい理論」を
作っても、人間は「完全」ではないので、絶対に脱線します。
と、言うよりも、人間が使いこなせる理論が「正しい理論」で
あると考えています。
だから、私は、たいへん失礼ですが、初心者様が「正しい理論」を
作られても、それは新しい「暴走」の始まりかと考えています。
421
:
初心者
:2014/03/31(月) 23:26:42 ID:k.9Qtig6
トキ様
>自分
がしている事が「悪事」だ、と認識をしている人よりも、自分がやっている事が
「正義」だ、という人のほうが、エグい事をする、という話です。
自分は善人だと信じている99人の日本人が、自分たちの悪を隠ぺいするために1人の人物を悪人に仕立て上げてエグイことをするという構図はたしかにありますね。
>まあ、これが人間の「業」なんでしょうが、「正しい理論」を
作っても、人間は「完全」ではないので、絶対に脱線します。
と、言うよりも、人間が使いこなせる理論が「正しい理論」で
あると考えています。
だから、私は、たいへん失礼ですが、初心者様が「正しい理論」を
作られても、それは新しい「暴走」の始まりかと考えています。
シュタイナーは、地球はいま4回目の転生にあるといっています。最初の土星紀に物質体があらわれ、次の太陽紀にエーテル体があらわれ、次の月紀にアストラル体があらわれ、いまの地球紀に自我があらわれたのだそうです。
自我はまだ誕生したばかりで未発達な段階にあるといいます。そのままでは手に負えないわがまま坊主だそうです。そんな自我であっても、すでに完全な発達を遂げた物質体である肉体の加護を受けることで、なんとかまともな状態をたもっていられるのだとシュタイナーはいっています。
トキさんがいっておられるように、たとえ正しい理論であっても、それによって自我は暴走をはじめます。どんなに立派な人たちを集めて、どんなに立派なグループをつくっても、それはどうしようもないグループになると、シュタイナーはたしかにいっています。
しかしそれでもシュタイナーは、物質体には宇宙の叡智が埋め込まれているといっているのです。しかもシュタイナーは、いまという時代をポストアトランティス期の第五時空と名づけ、この時空において自我は宇宙の叡智が埋め込まれた物質体にようやくつながることができたともいっているのです。
シュタイナーのいっていることは空理空論の絵空事なのでしょうか。哲学者のハイデッガーは、どうやらこの事実に気づいていたようです。ハイデッガーは「思考はそれからの到来である」といっています。「それ」とは物質体であるにちがいありません。ここから先の話はやめにします。
これから人類はどんな時代をむかえるのでしょうか。いずれにしてもこの話はここまでとさせていただきます。
422
:
トキ
:2014/04/01(火) 20:39:40 ID:c/T6qleY
>>421
初心者様
この「暴走」の問題ですが、人類はかなり悩んだのではないでしょうか。
議会制民主主義は、先進国で常識になっている存在ですが、それでも、「暴走」
はありました。ヒトラーのナチスは、民主主義の手続を通して政権を獲得して
います。
そこで、多様な意見の存在を許し、少数意見にも発表の機会を与える事で、
統制を取るというのが現在の主流となっています。
ここで、多様な意見と言いましたが、これは言うのは簡単ですが、実行はか
なり難しいと思います。
政治史の本で読んだのですが、英国は普通選挙の発祥の地として有名ですが、
平等選挙についてはかなり遅れていたそうです。例えば、選挙権はみんな持って
いたが、学歴で投票数を複数にしたとかで、これは少し酷い話だと思います。
確かに教育の価値というのは素晴らしいものですが、知識や教育だけで「暴走」
を防止できるか、疑問はあります。
それで思いだしたのですが、少し前に在日韓国、朝鮮人の人達の北朝鮮への
「帰国運動」というのがありました。在日韓国人や朝鮮人は、北朝鮮へ帰国して
戦争で荒廃した北朝鮮を再建するという運動でした。当時はたいへん「人道的」
な行為であるとして、自民党から共産党、人権援護論者や朝日新聞などインテリも
積極的にこの運動を支援しました。世論の大半もそうでした。反対したのは、右翼
とか当時の韓国政府を支持する人達でしたが、この人達はガラが悪く、「右翼 暴力団」
の扱いでした。
しかし、今日、私達はどちらが正しかったかを知っています。高い知性と崇高な良心
を持った人達が間違い、ごろつきと言われた人達が正しかったのです。
もちろん、教育というのは大切なものです。しかし、知識や教育があっても、間違える
という事は否定できない事実です。(ちなみに、現在の英国は、一人一票の原則を採用
しています。)
初心者様が言われた通り、現在の宇宙は何度目かの存在だという意見があります。米国
のネイティブ(いわゆるインディアン)の人達もそう言っています。そして、初心者様が
言われた通り、まだ、人類はプリミティブな段階だとは思います。
そして、人間が暴走をする、という事は、魂がまだその段階である、という事と関わり
があるような気がします。
すると、私達がなすべき事は、自分達はまだ霊的な発達の段階では、プリミティブで
あることを自覚する事だと思います。人間は神の子であり、素晴らしい存在であるのは
自覚すべきですが、同時に、自分達の自覚の程度がまだまだ至らない段階であるとも
感じます。その上で、今、為すべき事をなすのに集中すべきだと思います。
喩えると、小学生は小学校での課程に集中すべきであり、小学生の勉強を無視して、いき
なり中学や高等学校の本を読んでも身に付かない、という事だと思います。
ただ、私もこの問題については、よく知っている訳ではないので、このあたりで
終わりにさせていただきます。
合掌 ありがとうございます
423
:
愛と追憶の日々
:2014/04/02(水) 13:16:07 ID:0j.Pql5I
奇蹟を生ずる實相哲学
http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E8%B9%9F%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%9A%E3%82%8B%E5%AE%9F%E7%9B%B8%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E4%B8%8A-%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6%E5%85%A5%E9%96%80%E8%AC%9B%E7%BE%A9-%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5/dp/4531050940
424
:
神の子さん
:2014/04/06(日) 14:45:45 ID:frWJexvM
「部室」板で、「虚説」に関する議論がなされています。
私個人は「虚説」というコトバを使った記憶はありません。
もともと、私は、教区の人間ですから、理論的な見地よりも、
現実の情勢に基づいた意見を開陳するほうが多かったと思い
ます。
総裁の「ご指導」に関しては、賛成できる部分も反対する
部分もあります。ただ、最近は残念ですが、反対する部分の
ほうが多いのは事実です。例えば、総本山の「鎮護国家」の
問題、「新経本」の問題については、私は総裁を支持するつ
もりはありません。
ところで、この「虚説」というコトバは、以前、幸福の科学
の大川隆法が、「谷口雅春霊言集」等を出版した時に、機関誌
に「虚説に惑わされるな」と題した反論が掲載されたように、
「似て非なる」教えに言及する時に、使われると解釈できると
も考えています。同時に、表現としては厳しいものなので、相手
の教えの全否定という意味を含む場合もあります。
ですから、本流復活派が使うように、総裁の教えの根底にある
価値観そのものをさして「虚説」と言うか、教えのある部分、
例えば、鎮護国家の問題などに言及して「虚説」というか、に
よって、内容が変わって来るとは思います。さらにいうと、教え
について、「虚説」か、どうかは読む人の判断に任せられるので
「虚説」であるという意見もあれば、そうでない、という意見が
あっても良いかと思っています。
以上は、あくまでも私見でありますから、スルーして下さい。
425
:
うのはな
:2014/04/06(日) 15:36:45 ID:orV7GVjo
> 以上は、あくまでも私見でありますから、スルーして下さい。
関係ない話かもしれませんが、なにかいったあとで、スルーしないで下さい、
反論しないで下さい、というのも、場合によっては卑怯ですね。
426
:
初心者
:2014/04/07(月) 14:49:47 ID:k.9Qtig6
トキ様
>すると、私達がなすべき事は、自分達はまだ霊的な発達の段階では、プリミティブで
あることを自覚する事だと思います。人間は神の子であり、素晴らしい存在であるのは
自覚すべきですが、同時に、自分達の自覚の程度がまだまだ至らない段階であるとも
感じます。その上で、今、為すべき事をなすのに集中すべきだと思います。
おっしゃるとおりだとはおもいますが、いま必要なのは、「自覚」ではなく「一念不生」ではないかと考えます。一念不生こそが、ヨアキムのいう「精霊の時代」にふさわしい生き方であると考えます。
427
:
神の子さん
:2014/04/08(火) 19:40:22 ID:X3cdxedw
『大祓祝詞』の私解
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2238
428
:
神の子さん
:2014/04/08(火) 19:43:47 ID:X3cdxedw
666 『新・聖経』決定 雅宣総裁の正体とは
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2407
429
:
トキ
:2014/04/08(火) 22:22:12 ID:r8BJKVNU
>>426
初心者様
ヨアキムのいう「精霊の時代」・・・と解らなかったので、調べたら、面白い人みたいですね。
余談ですが、初心者様は、難しい事を知っているのですね。感心しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
ヨアキム主義
総裁がこの考えと関係あるかどうかは知りませんが、総裁を支持する人とこのヨアキム主義の
考え方は、親和性があると感じます。一つの仮説として、この考え方を頭に入れると、総裁の
方針は説明がつくとは思います。
個人的には、面白い考え方だし、宇宙工学や生命科学などは、かなり高い段階に至っているの
で、「精霊の時代」と言えるのかもしれません。しかし、それは人類でもごく一部の部分で、
トキを含めて、大多数の人類はそんな状態ではないと思います。
その意味で、私は、前提となるヨアキム主義自体を全面的に支持するまでには至っていない
というのが感想です。
せっかくご紹介下さったのに、すみません。
430
:
神の子さん
:2014/04/15(火) 02:54:27 ID:u9w/1zYY
初心者様
色々よく勉強されており、うなりつつ拝読しております。
今後ともお教えください
431
:
うらら
:2014/04/15(火) 15:24:42 ID:u9w/1zYY
430 書き込みはうららです。
なぜか 神の子さんになっています。
すみません。まちがっています。
432
:
神の子さん
:2014/05/10(土) 14:16:10 ID:6a1CD17A
日時:2014年05月10日 (土) 13時13分
名前:中仙堂
私が一昨年止めて学ぶ会に移りましたのも、当時、相白青の幹部会議で、各代表が活動報告をした際、青年会は会長代理でしたが、関心は「婚活」との事、代表の皆様の前で臆面も無く囀っていました。
「嗚呼〜 駄目だこりゃ!!」
私は ↑ これで 教団を止めました。
青年よ夢を描け!!(婚活の事じゃ無い!)
恥ずかしい奴め
433
:
あめり
:2014/06/07(土) 10:52:00 ID:H3PMcaFg
本流対策板
>>7914
訊け管理人様
久遠の今」 ―― 谷口雅春先生御講話(約15分)
https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ&feature=youtu.be
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
素晴らしい動画をありがとうございます。
実は、昨夜「限りなく日本を愛す」を拝読していて、
「久遠の今」と同じ箇所に、胸を打たれたり、
また、聖典板に、SAKURA様が、謹写して下さってる箇所(■□【 生長の家とは 如何なるものか 】
本当の信心というのは「ここに神が生きる」「ここに仏が生きる」この自覚で生ききるのが信心であります。)
も心に残っていて、そんなシンクロが、私の心にピタリ!っときて、とても嬉しくなりました。
それを朝から雅春先生のお声で聞けるという…喜びに満たされています。
『生長の家の生き方、あるいは生長の家の哲学の中で、
一番重大な問題は今ということであります。』
と雅春先生が仰って下さっていますね。
「今、ここに生きる」というのが、嬉しくて仕方ないですよね!
ありがとうございます。
私は総本山に行って奥津城から、海を見渡した時、
「何もないのに、全てがある」という、本当に満たされた自由な心を体験し、総本山の本殿も灯台も奥津城も、自然も…私たちの命を祝福するように躍動して見えたのを覚えています。
そこには、全ての命を神の命と礼拝する、雅春先生の祈りが生きていると思います。
『生命の實相』もまた、
「今」、私たちを「神の子」の命として礼拝する祈りがあるからこそ、素晴らしい真理であり神殿なのだと感じます。
だからこそ、私たちもまた、「生長の家」の真理に触れると、全ての命を礼拝せずにおられない、という感に打たれるのですね…
なので、個人的には、聖典を根拠に、解釈の違いというか、論点で争うというのは、
少し悲しいというか…違和感を感じるのも、事実です。
訊け管理人様は、素晴らしいブログをなさっておられるのですね。
身近な問題を相談したくなる方ようなですね。
ぜひ、色々ご教示下さい。
拝
434
:
あめり
:2014/06/10(火) 09:49:03 ID:H3PMcaFg
本流掲示板に、「亀の子様」の以下のご投稿があり、
私は光明掲示板を拝見しておらず、存じないのですが、
③ということは、①②があるのですね。
(もし、ご存知の方がいらっしゃれば、教えて頂けたら嬉しいのですが…。)
実は、私は練成以外では皇居遥拝と伊勢神宮礼拝を、怠っておりました。これからはさせて頂きます。
【鎮護國家大いなる意義③−神秘的側面】
『生長の家』昭和五十五年九月号に当時の生長の家福岡県教化部長 八日市屋二三雄先生(故人)が、
「“すめろぎ”と“尊師”と」と題して、
「山本山」様の、
>総本山と伊勢の神宮と皇居が一直線に並んでいるという事を書いておられます。
改めて深く読んでみると、なんとも、おそれ多くももったいないことに、深い感銘を受けました。
「天皇陛下の毎日在します新宮殿の「御座所」から西の方向に、八神殿、賢所、皇霊殿の「宮中三殿」があり、
同じくその延長された西の方に「伊勢神宮」が鎮座まします。
陛下の毎日は、その西の方「宮中三殿」と「伊勢神宮」への御遙拝の後、御日常の一日が始まるのであります」
「生長の家総裁谷口雅春先生も、生長の家総本山の総裁室に於いて、
宇宙浄化の神想観とともに、
先ず東方の「伊勢神宮」並びに天皇陛下のおわします「皇居」に毎日毎日、日本国家の隆昌と世界の平和を、
そして陛下の御長寿を祈願されてから御多忙の一日が始まるのであります。」
「また、「龍宮住吉本宮」も「鎮護国家出龍宮顕祭殿」も、
朱の大鳥居も、同じく東の方、「伊勢神宮」と「皇居」の方角に正対して、
法爾自然(ほうにじねん)に建立されています。」
「「皇居」におわします天皇陛下と、生長の家の総本山の地にお住まいの谷口雅春先生は、
一直線上に於いて、東と西から「伊勢神宮」の天照大御神をおろがまれ、おそれ多きことながら、
毎日毎日、相倶(あいとも)に礼拝されていることを知ったのです。」
新宮殿の「御座所」の御床の高さと、宮中三殿中央の「賢所」の御床の高さと、
「伊勢神宮」の「内宮」の御床の高さが、海抜標高に於いて、「同一平面上」の高さに建てられており、
「住吉本宮」建立の際、総裁先生(雅春先生)が地図の上に○印で示された位置が、
「大神平(おおかみだいら)」という字(あざな)という土地で(亀註:「大神平」という地名だったことは後で判った
との事)地形の関係で、「住吉本宮」の御床の海抜標高が「賢所」の御床の高さとほぼ同じになっていた。
「即ち、「陛下の御座所」と「賢所」と「伊勢神宮」と、
「住吉本宮」の四つの御床は、相等しい高さで建立されていることの不可思議を知ったからであります。」
「そして、「衆生仏を臆念すれば、仏、衆生を臆念し給う」の通り、日本の東「皇居」と、日向の地「総本山」に於いて、「総裁先生、陛下を礼拝さるれば、陛下も“住吉本宮”と総裁先生を毎日毎日礼拝遊ばします」ということで、まことに、唯仏与仏の世界が今ここに現状しているのであります」
435
:
志恩
:2014/06/10(火) 10:36:05 ID:.QY5jUA6
あめり様
亀の子様は、🇯🇵「鎮護国家」については、他にも光明掲示板で、①〜⑥のスレッドに分けて、投稿されてますが、
どういうわけか、②が、見つかりません。それで、すみませんが、②抜きで、ご紹介させて頂きます。
①から、転載します。
その前に、破邪様と、他の人が、
「学ぶ会」の運動の目的は、
(雅宣総裁が、はずしてしまった)🇯🇵「鎮護国家」と「天皇国・日本」を護る事だ,と述べらている文が
ございますので、
それを、先に転載して、そのあとに
亀の子様の🇯🇵「鎮護国家』に関するご投稿文を載せさせて頂きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
光明掲示板
“八ヶ岳教団”と「谷口雅春先生を学ぶ会」の運動の違いとは (8765)
日時:2014年06月03日 (火) 18時14分
名前:破邪顕正
かつて、磯部理事長がこう言ったことをいまだに忘れることができません。
「環境問題は、国家を超えた 問題です」
だから、🇯🇵「鎮護国家」を外したのだと私は見ています。
つまり、“八ヶ岳教団”がやっている環境運動というのは、別に「日本」がなくなっても構わない運動なのです。
有体に言うならば、「日本」への愛着がないということです。
谷口雅宣総裁は、ときとして、それを悪しきナショナリズムだとして嫌悪の情すら表明したことがあります。
しかし、「谷口雅春先生を学ぶ会」の運動は、「日本」がなくなっては成り立たない運動であります。
「日本」とは言うまでもなく「天皇国・日本」にほかなりません。
「第五条」を広めることこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」の使命だと私は思っております。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何もしなくてよい。 (8556)
日時:2014年05月28日 (水) 18時22分
名前:ああ紅の血は燃ゆる
何もしなくていい。
“『鎮護国家』”を戻し、「人間神の子」を語るだけでいいのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つづく
436
:
志恩
:2014/06/10(火) 10:40:57 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
🇯🇵「鎮護國家」顕祭への道 ① (8252)
日時:2014年05月15日 (木) 23時10分
名前:亀の子
0.はじめに
この試みは、谷口雅春先生の説かれた「鎮護國家」とは何だったのかを自分の内に闡明(せんめい)にしたいとの思いから
手元にある資料を繙き、皆さんのご参考に供したく存じます。
これらの試みは、既に当時の先達たち(教化部長、本部講師、本部職員等)によってなされてきましたが、
谷口雅春先生が御帰幽されてより三十年になろうとしていることで、
改めて「鎮護國家」の意義を明らかにして行きたいと思う次第です。
主に聖典、神誌等からの公(おおやけ)な資料から引用させて頂くが、
個人的な資料については、個人名は伏ますので、ご了承いただきたい。
また、できる限り、正漢字、歴史的仮名遣いのを使用するつもりであるが、
変換不能な漢字等は、ご容赦いただきたい。数字は、漢数字を用いるのが本来と思うが、
転記ミス等の間違いを減らすためと皆さんにわかりやすくしたいので、算用数字(アラビア数字)を用いたいと思う。
重ねてご了承いただきたい。
では最初に、「龍宮住吉本宮・鎮護國家出龍宮顕齋殿の御造営のあゆみ」を振り返ってみたい。
1.「龍宮住吉本宮」の構想
谷口雅春先生が、『理想世界』昭和四十九年十二年号「法語」の中で、「人類光明化運動の神々の系譜」を発表され、長崎県西彼杵郡西彼町の地に「護国の神霊・住吉大神の神殿」を建立される旨の「龍宮住吉本宮」の構想を打ち出された。
(亀註:この「人類光明化運動の神々の系譜」の御文章は、『神の真義とその理解』の「第三篇 龍宮住吉本宮建立の意義」の第二章に「龍宮住吉本宮建立に至る神々の系譜」という名称で、一部加筆され収録されている)
2.「龍宮住吉本宮」の建立
四年の歳月を経た昭和五十三年十一月二十一日、「龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕祭殿」が建立された。
3.龍宮住吉本宮・鎮護國家出龍宮顕齋殿 御造営のあゆみ
昭和45(1970)年
7月18日 長崎県西彼杵郡西彼町の敷地(当初六十万坪)を購入
9月28日 谷口雅春先生、購入地を視察
昭和47(1972)年
1月19日 生長の家九州別格本山開所式
2月 8日 生長の家九州別格本山道場竣工式
2月11日 生長の家九州別格本山練成道場開所式
5月18日 生長の家総裁公邸地鎮祭
昭和48(1973)年
10月 8日 総裁公邸竣工式
昭和49(1974)年
11月22日 谷口雅春先生、住吉大神の神社建立の御決意を生長の家秋季記念日祝賀式にて御発表
昭和50(1975)年
1月 7日 “神剣鍛造の儀”無事進み、この日奉納さる
1月13日 谷口雅春先生御夫妻、本山総裁公邸に御移転
2月10日 住吉本宮敷地造成のための地鎮祭
2月28日 住吉本宮御造営奉賛会を結成・献資活動開始
6月13日 本部最高首脳者会で、「龍宮住吉本宮」(本殿)「鎮護国家出龍宮顕齋殿」(拝殿)の正式名称が
決定さる
昭和51(1976)年
8月28日 龍宮住吉本宮立柱式
10月12日 新練成道場地鎮祭
12月 5日 金龍湖掘削式
12月17日 総裁先生、本部最高首脳者会で、霊園等を含む生長の家九州別格本山の構想を御発表
昭和52(1977)年
3月15日 龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕齋殿上棟祭
6月21日 龍宮住吉本宮社務所地鎮祭
昭和53(1978)年
3月18日 龍宮住吉本宮大鳥居地鎮祭
6月 4日 新練成道場竣工式、金龍湖・飛龍の瀧完成式
7月 1日 第一回生長の家龍宮住吉本宮練成会開始
7月14日 本部最高首脳者会にて落慶大祭後「生長の家總本山」とする旨を決定
11月21日〜28日 龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕齋殿落慶鎮座祭執行
落慶鎮座奉祝大祭執り行われる
参考資料:『神の真義とその理解』『神ハ愛也 谷口雅春先生九十年の足跡』より
(つづく)
< 平成26年5月15日 記 >
437
:
志恩
:2014/06/10(火) 10:44:55 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
🇯🇵「鎮護國家」顕祭への道 ③ (8284)
日時:2014年05月17日 (土) 13時36分
名前:亀の子
0.はじめに
今回は、破邪顕正様のスレッド「なぜ、谷口雅春先生は「鎮護国家」のお社を“長崎”にご建立なさったのか?」の子スレッドで
「鎮護國家大いなる意義③−神秘的側面より」では、昭和五十三(1978)年落慶大祭後の神秘的な事柄を書かせて頂いたが、落慶大祭前の神秘的現象を紹介したい。
1.落慶大祭前の神秘的現象
昭和47年の九州別格本山の開所式から、53年11月の落慶大祭までの七年間に行われた、
地鎮祭、起工式、上棟式、、落慶式、完成式(練成道場や社務所、金龍湖、飛龍の瀧等々)などの祭式は、二十数回に及んだといわれているが、
この全ての祭りが素晴らしい晴天に恵まれて行わ れたとのことである。
さらに、住吉本宮が落慶する一年前から、台風が長崎を遠慮して通るようになったという事である。
落慶後も多くの台風が長崎県に接近したが、急に方向転換したり、たとい上陸しても急に勢力が衰えて、消滅したりしたというのである。
上記は、実際に総本山で練成を担当された先達の文章を基に書いたが、落慶大祭後も神秘的現象は、枚挙にいとまがない。(後日、発表する予定)
2.「神に第一義、第二義、第三義あり」
1.では、天候の不思議な現象を書いたが、ここで思い出されるのは、「神に第一義、第二義、第三義あり」との谷口雅春先生の教えである。
聖典『神の真義とその理解』の「第一篇 神の本当の意義」で、
谷口雅春先生は、「自然霊のこと」という項で、
「これらは第三義の神様に属するのですが」とことわられたうえで、「先ず神通力のあるのでは、天候を左右したり気圧を変化したりする竜神と云うのがあります。
竜とか竜巻とか申しますと、迷信みたいに聞こえるけれども、迷信じゃないのです。
−(略)−
科学者は、何故低気圧が生ずるのか、何故台風が生ずるか、その原因を知りません。」
「人間の心が調和して天候を 司る自然霊を怒らせぬ様に、調和した状態になりますと豊作が実現すると云うことになる訳であります」
以上が、引用。
上記の言葉は、“森の中”に隠(こも)る方々に、是非、読んで頂きたいものである。
豊作とは、何も稲や植物、食物のことだけでなく政治も経済も平和も、さらに宗教で云えば信徒もさらに魂が向上し豊かになることである
−即ち、迷える衆生が、光明化して行くのではなく、神の子なる人間(人類)がさらに光明化していく姿こそが、本当の人類光明化運動の事であると思う。
参考資料:『神の真義とその理解』その他
(つづく)
< 平成26年5月17日午前 記 >
438
:
志恩
:2014/06/10(火) 10:55:07 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
🇯🇵「鎮護國家」顕祭への道 ④−3 (8346)
日時:2014年05月19日 (月) 23時28分
名前:亀の子
4.入龍宮幽斎殿と出龍宮顕斎殿との不思議なリンク
今回も、最初に『生長の家五十年史』から、入龍宮幽斎殿と出龍宮顕斎殿の不思議な因縁をみておこう。
-------------------------------------------------------------------------------------
こうして住吉神社の建立計画は「神癒の社・入龍宮幽斎殿」建立へと変更され、
昭和四十五年九月二十九日にその上棟式が行なはれ、翌昭和四十六年十月十四日に落慶されることになるのである。
ところが、神慮といふべきであらうか、この時期にはのちに建立されるところとなった龍宮住吉本宮の敷地が購入されてをり、
谷口雅春先生は幽斎殿の上棟式の前日、九月二十八日に長崎県西彼杵郡西彼町の六十万坪の購入地を視察されてゐるのである。
入龍宮幽斎殿の建立と龍宮住吉本宮の建立地となる九州の土地が購入された時期が、奇しくも重なり合つてゐる・・(後略)・・
-------------------------------------------------------------------------------------
上記が、引用。
「「鎮護國家」顕祭への道③」で、「1.落慶大祭前の神秘的現象」として、
昭和47年の九州別格本山の開所式から、53年11月の落慶大祭までの七年間に行われた、地鎮祭、起工式、上棟式、
、落慶式、完成式(練成道場や社務所、金龍湖、飛龍の瀧等々)などの祭式は、二十数回に及んだといわれているが、
この全ての祭りが素晴らしい晴天に恵まれて行われた。
と紹介したが、この「入龍宮幽斎殿」の建立と「龍宮住吉本宮」の建立地となる九州の土地が購入された時期が重なった、
昭和四十五年九月二十八日と翌二十九日の神秘的天候の事を、
谷口雅春先生は『生長の家』誌の昭和四十五年十二月號の「明窓浄机」で紹介されている。
つづき
-------------------------------------------------------------------------------------
(ここの④は、長文すぎます、、というエラー表示が画面に、出たため、2つに、わけます)
439
:
志恩
:2014/06/10(火) 10:58:30 ID:.QY5jUA6
つづき
(上記、④の🇯🇵「鎮護国家」の後半)
○熊本の講習会が終わった二十七日(註:九月)、私(雅春先生)は熊本発の全日空機で、長崎県大村空港に到着した。
大村空港附近で最近、六十萬坪購入した土地を今度の計画のために一応見て置く目的で、
「大安」という縁起のよい日の九月二十八日に宇治市の生長の家別格本山で建設中の“入龍宮幽祭殿”の上棟式をあげる筈であったのを、
一日延ばして貰って九月二十八日にその土地を見たのである。そして二十九日に宇治で上棟式に参列した。
ところが宇治は二十八日は大雨であったので、もしこの二十八日に上棟式を執行していたら・・・(略)・
・・ 大変困る筈であったのだが、長崎の土地視察のために一日延ばして貰ったお陰で、
まことにそれは快晴で、空には一點の雲もなく、日光が直射する会場で直射温度が急上昇して、真夏のやうな日照りであった。
しかし、私自身は氣がつかなかったらしく、多くの参拝者も氣がつかなかったらしいが、
当日参列した和田秀雄氏の報告では、私が上棟式の祝詞をあげ始めると、
潔めの霧雨が祭壇の周囲に暫く降るのを京都の誌友が三人同時に見たという報告であった。・・(後略)・・
-------------------------------------------------------------------------------------
上記のように、九月二十八日と二十九日の交叉による天氣の神秘と上棟式に於ける潔めの霧雨といい、
入龍宮幽斎殿と出龍宮顕祭殿の出現には、天(神)の氣(心)が大いに関係していると思われる。最近の事はよくは知らないが、
10年以上前の宇治の全国流産児無縁霊供養供養大祭では、私自身、そして先輩諸氏もお祭りが始まると霧雨が降り、
お祭りが終了すると霧雨が挙がるという現象を数回、目撃している。
ちなみに熊本の講習会の前に、鹿児島で講習会をされておられ、
熊本では、鎮西学園体育館に四千七百二十余名が集まったとのことである。
「破邪顕正」様の「なぜ、谷口雅春先生は「鎮護国家」のお社を“長崎”にご建立なさったのか? (8081)」のスレッドをキッカケに
はじめたこの試みも、
>いわば“鎮西”の思いから、長崎に定められたのだというような話を聞いたことがあるからです。
鎮西学園をネットで調べてみると、熊本や長崎にもあることがわかったが、これも不思議な因縁を感じたことである。
私は、「入龍宮幽斎殿」と「出龍宮顕斎殿」は、喩えは悪いかもしれないが、宇宙に於けるブラックホールとホワイトホールの関係に似ているのではないかと感じたことがある。
神想観を厳修して龍宮界に入り(入龍宮)、「人間・神の子」の自覚から「神の子・人間」へと新生(神生)し、
“住吉大神の全身全霊”としての人間観に起って行動を起こす(出龍宮)ということが「顕斎」なのではないかと思う次第である。
(つづく)
< 平成26年5月19日 記 >
440
:
志恩
:2014/06/10(火) 11:02:45 ID:.QY5jUA6
🇯🇵「鎮護國家」顕祭への道⑤ (8388)
日時:2014年05月21日 (水) 23時39分
名前:亀の子
0.はじめに
いままで、「「鎮護國家」顕祭への道」というタイトルで、「顕斎」(本当は、「顕斎」という字が正しい。
「顕祭」と「顕斎」の違いも考察してみたい)の方を中心に取りあげて来た。しかし、「鎮護國家」の方の思想や意義については、あえて触れて来なかった。
「顕斎」の意義としては、谷口雅春先生の『神の真義とその理解』に詳細に記されているし、「年史」の方では、
『生長の家五十年史』(特に、「第五篇 信仰集団の確立と住吉大神の顕斎」に詳しく記されている)に時代背景とともに、詳しく記されている。
また、総本山の情報誌である『顕斎』に以前、『生長の家五十年史』をまとめられた阪田成一先生の「顕斎とその後の歩み」という連載の文章があった。
しかし、自分の中では、谷口雅春先生に於ける「鎮護國家」の思想とは、いかなる意味なのか、ハッキリして置きたいという思いがあり、
「鎮護國家」の思想について、触れて行きたいと考えている。また途中に谷口雅春先生の思いなども『生長の家』などから紹介したい。
そもそも「鎮護國家」とは、どういう意味なのか。昨日は、「鎮護國家」の思想、「鎮護國家」と「神道」の関係等にについて、
色々調べていたため投稿できなかった。
しかし、「鎮護国家」というワードで書籍を探してもそう多くはない。また、ネット上で「鎮護国家思想」の説明は、思ったより短い。
※ 生長の家関係では、田中忠雄先生著『現代への警鐘 (田中忠雄著作集9巻)』 (内容−生命の論理と天皇/鎮護国家思想他)がある。
1.「鎮護国家思想」とは
まずは、ネット上で拾った「鎮護国家」の思想を二・三あげておく。
-------------------------------------------------------------------------------------
1.鎮護国家思想とは、奈良の大仏建立と共に東大寺が建立されたように、国を仏教によって纏めようとした思想です。古くは聖徳太子に始まり
、奈良時代は聖武天皇が実践し、平安京では東寺と西寺とが建立されて鎮護国家護国の寺として存在しました。
-------------------------------------------------------------------------------------
2.鎮護国家(ちんごこっか)は、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策、または、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想。
思想としては『仁王護国般若波羅蜜経』や『金光明最勝王経』に説かれているが、この経典を供養することで国家が守護されるとされているところから、
南北朝時代の中国や奈良時代の日本で盛んに仁王会や最勝会などの法要が行われた。
また、鎌倉時代には、時代の転換期であり、また蒙古の襲来など、社会情勢が不安定であったことから、栄西の『興禅護国論』、日蓮の『守護国家論』、
『立正安国論』など、鎌倉新仏教の開祖たちによって、仏教の思想(自派の教義)こそ国を救うものであると盛んに説かれている。
特に、日蓮は立正安国論の中で盛んにこれを喧伝し、政府による国立戒壇の建立によって国家と人々は救済されると説く。
-------------------------------------------------------------------------------------
3.日本思想
2.中世思想
封建制度が定着する以前の日本の古代・中世の思想は,仏教がその主流をしめた。聖徳太子によって政治的に導入された仏教文化は,
奈良時代に鎮護国家思想として完成。平安時代にはいると,鎮護国家の仏教にかわり私的な現世利益を呪術的に実現しようとする密教がさかんになる。
-------------------------------------------------------------------------------------
上記のネット上の文章1と3の中に「聖徳太子」の名前が見える。
自分の手元には、生長の家本部に居た先達の記した「鎮護国家の思想的系譜」という纏まった文章の一部がある
(昭和五十四年二月から昭和五十五年十二月まで14回に分けられたものであるが、残念ながら引っ越し等で散逸してしまった)。
この「鎮護国家の思想的系譜」の内容は、聖徳太子を中心に鎮護国家思想について記されているが、今読んでも、とても難解であり、何回も咀嚼する必要がある。
(その12)の最後には「鎮護国家思想を吾々が調べるのは、決して過去に対する郷愁でも何でもなく吾々の今日的課題に真直ぐに繋がっているからであり、
文字通り、“温故知新”であるのである」と述べられている。
これらの日本思想としての「鎮護国家思想」というものと谷口雅春先生に於ける「鎮護国家」の思想を考えていく予定である。
(つづく)
< 平成26年5月21日 記 >
441
:
志恩
:2014/06/10(火) 11:09:24 ID:.QY5jUA6
🇯🇵「鎮護國家」顕祭への道 ⑥ (8411)
日時:2014年05月22日 (木) 22時31分
名前:亀の子
0.はじめに
「鎮護國家」顕祭への道⑤の最後において、
>これらの日本思想としての「鎮護国家思想」というものと谷口雅春先生に於ける「鎮護国家」の思想を考えていく予定である。<
と書いたが、毎回、長文となり、またスレッドも深くなって来た事もあり、
取り扱うテーマも変化すること(「顕祭」→「鎮護国家思想」)もあり、
この「「鎮護國家」顕祭への道」としては、最後に、「年史」に収録されていない御文章を紹介しておきたい。
別スレッドに於いて、後日、改めて谷口雅春先生に於ける「鎮護国家」の思想を考察してみたい。
1.九州別格本山へにて何をなさんとするか獻言を求む
谷口雅春先生は『生長の家』誌の昭和五十年新年號の「明窓浄机」に信徒に対して九州別格本山(現在の総本山)にて何をなさんとするかを
信徒に献言を求められている。
ここでも、谷口雅春先生と現総裁の違いが如実に表れている。
※ 下記の引用の御文章の中の「わたし」とは、谷口雅春先生のことである。長文であるので、一部、割愛させて頂きます。
----------------------------------------------------------------------------------
○わたしは一月十三日に東京を出発して九州別格本山の総裁室にて執務する。毎日三十分位はその道場で修行者のために話したいと思っている。
無論六誌(亀註:『生長の家』『白鳩』『光の泉』『理想世界』『理想世界ジュニア版』『精神科学』誌)の執筆はしなければならぬし、
東京の本宅はそのままで、東京へは毎月白鳩会、實相研鑽会、首脳者会議のために出て来る。
前よりも忙しくなるが、関係団体から距離が遠くなるので、その方面の雑務が少なくなって時間を生み出したい希望である。
八十萬坪の西彼町の山林原野をどのように開発し経営するかを実地に定住して見て考えたいと思っている。それに先立って、
霊的中心をつくることが必要であるので住吉神社を建立する。
住吉神社を造営し住吉大神を表に出さない限り、日本の國はよくならないと思ふ。全國の信徒及び誌友の諸賢から、
その造営費を献資して頂くことにしたい。
・・・(中略)・・・
神社が造営され、靈の中心が出来ると、霊園をつくって信徒及び信徒の家族の霊の安息所をつくる。八十萬坪は広いけれども山林は、
炭焼きにつかっていた雑木が多いので、檜とか杉とか将来大きくなるので国益にもなり、子孫に喜ばれる資源をつくりたいのと、
それぞれの傾斜面にそれぞれの適する果樹の栽培をする。
・・・(中略)・・・
川の一部を堰き止めて人工湖をつくったので、それに鰻(うなぎ)の養殖をしたいと思ふ。
・・・(中略)・・・
病院ではなく、無公害食品による「健康院」も建てたいと思っている。本山の対岸に中学が出来ているので、
その上の高等学校を建てることにして、日本精神の青年を養成したい。
----------------------------------------------------------------------------------
上記のように、より忙しくなられることをご承知の上で、色々な構想を抱いておられた様子が窺える。
そして、谷口雅春先生においては「第一のものは第一」ということで、まず霊的中心(ここでは住吉大神)をつくられることを第一にされ、
その他は、國のため、信徒のため、子孫のためになられることを優先せられている。
谷口雅春先生においては自分よりも、先ず神様が先(それも國のことを思われてのことである)、その次は信徒を大切にされていることがよくわかる。
そしてあくまでも民主的に、物事を進められるお姿に、もったいなさをしみじみと感じ胸が熱くなるのである。
そして「日本精神の青年を養成したい。」という最後の御言葉に尊師に対し申し訳なさを感じる。
今の「青年会」を谷口雅春先生が見られたら、どのように思われるか・・・。
このスレッドは、一応、これにて閉じさせて頂き、日を改めて「鎮護国家」の思想に思いを馳せたい。
感謝合掌
< 平成26年5月22日 記 >
442
:
志恩
:2014/06/10(火) 11:21:07 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
🎌「鎮護国家」について、破邪様と 亀の子様が 対話されているスレッド
なぜ、谷口雅春先生は🇯🇵「鎮護国家」のお社を“長崎”にご建立なさったのか? (8081)
日時:2014年05月09日 (金) 11時32分
名前:破邪顕正
これは、私のうろ覚えなので、明確な論拠を示し得ません。
もし、これをご覧の方で、それをお示しいただける方があれば、大変、ありがたいという思いで、
ここに投稿させていただく次第です。
それというのも、なぜ、谷口雅春先生は「鎮護国家」のお社を長崎にご建立になられたのか、ということなのです。
それに対して、谷口雅春先生は、日本の国難は、いずれ、「中共」並びに韓半島から来る。
それを鎮める、いわば“鎮西”の思いから、長崎に定められたのだというような話を聞いたことがあるからです。
今の状況を目の当たりにして、もし、それが「事実」であるならば、
谷口雅春先生の予見は見事に当たっていたということになります。
「先見の明」があるということであれば、それこそ、それは谷口雅春先生のためにある、と言ってもいいのではないかと
思う次第です。
「鎮護国家」を外した“八ヶ岳教団”。
それに対して、心から「真理国家・日本」を永遠に守護しなければならないとして
「鎮護国家」のお社をご建立なされた谷口雅春先生。
この対比をつきつけることで、少しでも、“雅宣教”に洗脳されている信徒の蒙を啓くことができればと思い、
この投稿をしたためさせていただきました。
これにつながるようなことをご存知の方があれば、お知らせいただくと大変、ありがたく思う次第です。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
鎮護國家大いなる意義① (8197)
日時:2014年05月14日 (水) 00時24分
名前:亀の子
>なぜ、谷口雅春先生は「鎮護国家」のお社を“長崎”にご建立なさったのか?
「鎮護國家」の問題を取りあげて下さり、ありがとうございました。
>それに対して、谷口雅春先生は、日本の国難は、いずれ、「中共」並びに韓半島から来る。
>それを鎮める、いわば“鎮西”の思いから、長崎に定められたのだというような話を聞いたことがあるからです。
「鎮護國家」ということの大いなる意義は、判っていたような感じだったのですが、
「なぜ、“長崎”なのか」という問題は、一つには、「破邪顕正」様のいわれるように
「中共」、「ソ連(当時)」からの“鎮西”の思いからということは、霊的見地から何となく判っていましたが、
聖典からは、明確な論拠を見つけることが出来ませんでした。
次に神誌『生長の家』誌を中心に繙いてみました。
そして該当すると思われる箇所をようやく見つけることが出来ました。長文ですので、一部を紹介します。
『生長の家』誌、昭和五十年九月号掲載の昭和50年6月13日「生長の家本部大道場(亀註:原宿本部)」にて行われた
「實相研鑽会」テーマ「久遠を流るる生命」の結語で、谷口雅春先生が、
「鎮護國家安泰のために“龍宮住吉本宮”を造營」の中で、
(前略)「宇治には“入龍宮幽祭殿”といふのがある。それで九州の本山に建てるのは、
鎮護國家、國家を鎮め護る、國家を安泰に護る−その目的であの住吉本宮といふものは建てるわけであって、
吾々個人が御利益を得るために建てるのではないのです。」(雅春先生の御言葉)
その後に、三木内閣が、半分、赤化している状態を述べられています。−(この行は、要約)
「その次に一番恐怖しているのが韓國です。」(雅春先生の御言葉)
−アメリカ軍が駐留しているためバランスが保たれているが、駐領している理由がなくなったら(この行は、要約)
「背後から中共やソ連の武器援助を受けた北朝鮮が南下してたら、
韓國は南ベトナムみたいになって危なくて仕方ないというやうな状態になるんですね。」 (雅春先生の御言葉)
「前の朝鮮事變の時、アメリカ軍が釜山から北朝鮮を押し返さなかったら、
北鮮軍(ママ)は日本へ上陸して日本を解放すると、そういふ目的を持ってをったと言われてゐるのですが、
それが今度は實現するかも知れないといふやうな危機が迫ってゐる状態において、
日本では自衛隊が日影者(ひかげもの)である−(後略)」 (雅春先生の御言葉)
(つづく)
443
:
志恩
:2014/06/10(火) 11:40:56 ID:.QY5jUA6
つづき
以下の亀の子様のご投稿文は,先に 転載済み のものなので、簡略で...。
🇯🇵鎮護國家 大いなる意義③−神秘的側面より (8239)
日時:2014年05月15日 (木) 11時08分
名前:亀の子
略
>総本山と伊勢の神宮と皇居が一直線に並んでいる
「天皇陛下の毎日在します新宮殿の「御座所」から西の方向に、八神殿、賢所、皇霊殿の「宮中三殿」があり、
同じくその延長された西の方に「伊勢神宮」が鎮座まします。陛下の毎日は、その西の方「宮中三殿」と「伊勢神宮」への
御遙拝の後、御日常の一日が始まるのであります」
「生長の家総裁谷口雅春先生も、生長の家総本山の総裁室に於いて、
宇宙浄化の神想観とともに、先ず東方の「伊勢神宮」並びに天皇陛下のおわします「皇居」に毎日毎日、
日本国家の隆昌と世界の平和を、そして陛下の御長寿を祈願されてから御多忙の一日が始まるのであります。」
「また、「龍宮住吉本宮」も「鎮護国家出龍宮顕祭殿」も、朱の大鳥居も、同じく東の方、
「伊勢神宮」と「皇居」の方角に正対して、法爾自然(ほうにじねん)に建立されています。」
「「皇居」におわします天皇陛下と、生長の家の総本山の地にお住まいの谷口雅春先生は、
一直線上に於いて、東と西から「伊勢神宮」の天照大御神をおろがまれ、
おそれ多きことながら、毎日毎日、相倶(あいとも)に礼拝されていることを知ったのです。」
新宮殿の「御座所」の御床の高さと、宮中三殿中央の「賢所」の御床の高さと、「
伊勢神宮」の「内宮」の御床の高さが、海抜標高に於いて、「同一平面上」の高さに建てられており、
「住吉本宮」建立の際、総裁先生(雅春先生)が地図の上に○印で示された位置が、
「大神平(おおかみだいら)」という字(あざな)という土地で(亀註:「大神平」という地名だったことは後で判ったとの事)
地形の関係で、「住吉本宮」の御床の海抜標高が「賢所」の御床の高さとほぼ同じになっていた。
「即ち、「陛下の御座所」と「賢所」と「伊勢神宮」と、「住吉本宮」の四つの御床は、
相等しい高さで建立されていることの不可思議を知ったからであります。」
「そして、「衆生仏を臆念すれば、仏、衆生を臆念し給う」の通り、日本の東「皇居」と、
日向の地「総本山」に於いて、「総裁先生、陛下を礼拝さるれば、陛下も“住吉本宮”と総裁先生を毎日毎日礼拝遊ばします」と
いうことで、まことに、唯仏与仏の世界が今ここに現状しているのであります」
以上のような内容ですが、谷口雅春先生の如何に祈られていたのか、
谷口雅春先生の観ておられる世界とはどのようなものなのか。信徒は、谷口雅春先生の「志」(こころざし)に思いを
馳せるべきであるという感を強くしました。
そして日本の裏側の、ブラジルの地に宝蔵神社があることも、霊的な意義からの検証も必要だと思います。
また、長崎は原爆を落とされた場所であり、総本山は、九州(日本)の西の端であるという深い意義も考察の必要があると思います。
(後略)
合掌 つづく
444
:
志恩
:2014/06/10(火) 11:43:11 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
もはや🇯🇵「鎮護国家」を外す理由が消えたのでは?
却って、今こそ「鎮護国家」が喫緊の課題となったのでは? (7842)
日時:2014年04月30日 (水) 20時31分
名前:破邪顕正
ご存知のように、谷口雅宣総裁は、生長の家総本山の祈願から「鎮護国家」を外しました。
その理由は、時代状況が変わって、「冷戦」が終結したからというものでありました。
谷口雅春先生は、東西冷戦下、日本が危殆に瀕したから、その危機感から、「鎮護国家」を説かれたのではありません。
これは、つとに三島由紀夫先生が喝破されたことでありますが、谷口雅春先生の説かれるものは、たといそれが情勢論であっても決してそれのみに留まるものではありませんでした。
…『占領憲法下の日本』には、幾多の政治的事象がとらへられ分析されてゐるけれども、それらは決して現象論でもなければ情勢論でもない。すべては烈々たる精神の顕現である。(『占領憲法下の日本』本書に寄せる)
この「烈々たる精神の顕現」がわからないのが、悲しいかな、谷口雅宣総裁なのです。
だから、平然と「鎮護国家」を外すという愚行ができるのです。
よし、百歩譲って谷口雅宣総裁の見方、捉え方を容認することにいたしましょう。
しかし、それならそれで、その状況論からしても、
今こそ「鎮護国家」を説かなければならないのではありませんか!
なぜと言って、谷口雅宣総裁の唯一の根拠とみなした「冷戦」が、今再び、
世界を覆い始めているからです。
クリミア半島はどうですか?
尖閣諸島はどうですか?
文字通り、力と力のぶつかり合いが、現実としてそこにあるではありませんか?
世界の警察官たるアメリカが、その役割を担いきれなくなったことにすべてこれは起因しています。
だからこそ、再度、言わなくてはなりません。
「冷戦」が終わったから、「鎮護国家」を外した!
ならば、それと同じ論理をもって、谷口雅宣総裁は、今日の新たな「冷戦」を見据えて、
「鎮護国家」を説かなくてはならないのです!
もし、それでも「鎮護国家」を説かないとしたら、
「冷戦」終結の状況認識が「鎮護国家」を外させたのではない、
ただ「鎮護国家」が嫌いなだけなのであると、私はみなすものであります。
445
:
志恩
:2014/06/10(火) 11:52:08 ID:.QY5jUA6
あめり様
「「鎮護國家」大いなる意義」も、「「鎮護國家」顕祭への道 」と同様に、
②が、見つかりませんでしたので、①と③のみを 転載しました。
これは、破邪様と亀の子様の対話のようになっていますので、
お二方の ご投稿文を ご紹介させていただきました。
446
:
トキ
:2014/06/10(火) 12:15:18 ID:9sJZx5xo
時間がないので、簡単に。
総本山の建立についての谷口雅春先生の御文章を拝見すると、この総本山を軽視する事は、
教団の指導部にとって命取りになると危惧しております。
447
:
あめり
:2014/06/11(水) 07:02:15 ID:H3PMcaFg
志恩様
合掌ありがとうございます。
御文章を多数転写頂き、お手数おかけしまして、誠にありがとうございます。(縹様も書いておられましたが、本当にご親切にありがとうございます。)
皆さんご存知とは思いますが、信徒の方に改めて総本山の建立の歴史に思いを馳せる機会になりますね。
先に転写して下さった建立の霊的意義はもちろんですが、
雅春先生が、ご多用の公務の中で、信徒の為に、そして国益の為にと、建立の想いを描かれたことが伝わって参りまして、やはり生長の家の魂のふるさとという想いがいたしました。
>>八十萬坪の西彼町の山林原野をどのように開発し経営するかを実地に定住して見て考えたいと思っている。それに先立って、
霊的中心をつくることが必要であるので住吉神社を建立する。
住吉神社を造営し住吉大神を表に出さない限り、日本の國はよくならないと思ふ。全國の信徒及び誌友の諸賢から、
その造営費を献資して頂くことにしたい。
・・・(中略)・・・
神社が造営され、靈の中心が出来ると、霊園をつくって信徒及び信徒の家族の霊の安息所をつくる。八十萬坪は広いけれども山林は、
炭焼きにつかっていた雑木が多いので、檜とか杉とか将来大きくなるので国益にもなり、子孫に喜ばれる資源をつくりたいのと、
それぞれの傾斜面にそれぞれの適する果樹の栽培をする。
・・・(中略)・・・
川の一部を堰き止めて人工湖をつくったので、それに鰻(うなぎ)の養殖をしたいと思ふ。
・・・(中略)・・・
病院ではなく、無公害食品による「健康院」も建てたいと思っている。本山の対岸に中学が出来ているので、
その上の高等学校を建てることにして、日本精神の青年を養成したい。
----------------------------------------------------------------------------------
また、鎮護国家としてあるのは、世界情勢の変容に関わらず、「精神の顕現」である、ということも分かります。
生長の家は、神の啓示から始まった信仰運動なので、その中心に霊的柱がなければ、
環境運動であれ政治運動であれ…どんな立派な運動でも、生長の家である意味がなくなると思います。
聖典でさえ、裁判やそれぞれ解釈の違いをしてしまえば、「意見」9が違うなど論争の種となり得ているわけですから。
神が働く信仰運動でなければ分裂してしまうのではないでしょうか。
総本山は、信徒の信仰が一つになれるの中枢としてあって欲しいと願っています。
縹様が、深い角度で重要性を説いて下さっていて、私には全て理解は仕切れませんが、
信徒が一つになって総本山がお護りされることは願います。
「氣」という言葉がありましたが、信仰は我の力でするのはなく、神様の氣に満ちて力となるのですね。
この話は、鎮護国家を外した本部の方針の問題という話になりますが、もちろんその方針は責めを負うべきところであり、その「現実」は、よく知っています。
では、信徒の信仰の問題として、どうかといえば、
ここは、教団や本流関係なく一つになって祈れるところだと思うのです。
志恩様も共に祈って下さり感謝いたします。
ありがとうございます。
拝
448
:
あめり
:2014/06/12(木) 10:53:04 ID:H3PMcaFg
合掌ありがとうございます。
遅ればせながら、光明掲示板を拝見させて頂き、
「コスモス様」や皆様の素晴らしいご愛行で、
谷口雅春先生御著の絶版のご著書を拝読させて頂けて感謝いたします。
bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1340
この「はしがき」を拝読しただけでも、やはり総本山がなくてはならないものだと思い、学ばせて頂いてありがたいです。
『大聖師 谷口雅春先生御著『類纂 神の真義とその理解―住吉大神顕斎の意義』生長の家本部編 謹写1「はしがき」と「目次」《完》
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=940
「われに姿かたちあるようにいう者あれどもわれは姿なきものである」と宣言し給える、絶対者としての神もあり、森羅万象の中にその姿をあらわいてい給う普遍的存在なる神もある。
その普遍的存在たる実相を媒介として、人間は神と霊交し、森羅万象の生命と互いに交通する、その霊的交通によって、われわれは森羅万象に向って話しかけ、意のままに楽園の天国を地上に建設することが出来るのである。
絶対者としての神は無言でわれわれに話しかけ給う。しかし顕現者としての神は、聴(きこ)える声でも話しかけ給う。顕現者としての神と吾々は交通し得たとき、神は吾々の“天の父”ともなって、人格的な神との交通が得られるのである。
その人格的な神との接触を、具体的に実現するために、神社や拝殿を造営して、神との人格的接触の“場”とすることも出来る。
その造営に必要な布施又は荘厳供養の実践によって、人間は“愛”というものを生活の具体的営みの中に体験し、霊魂が進歩し向上するのである。
神は“一”であると同時に“全”であり“多”である。“一即多”“多即一”であり、一神即万神であり、一仏一切仏である。
しかし神は自己の個性化的顕現をもって、自己内在の無限を表現し給うのであるから、同一個性をもって万人又は万物があらわれることを嫌い給うのである。
それ故に“一神即万神”として色々の使命をもつ神々を顕現し給う。また“一仏一切仏”として無数の如来を顕現し給い、その使命又は役割も、個性をもって各々異なり給うのである。
住吉大神の如く宇宙天地の万物万生を浄め給うて、地上に天国を建立(こんりゅう)する使命をもち給う神もあるのである。
最近私は、日本の国情が混乱汚濁(おじょく)して、日本国本来の美しき荘厳なる秩序がなくなりつつあることを憂え、住吉大神を鎮護国家、無限の宝蔵を開顕(かいけん)したまう“場”であることを希(こいねが)いて、
龍宮住吉本宮を、九州長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡西彼(せいひ)町の“大神(おおかみ)平(だいら)”と称せられた土地を朴(ぼく)して、建立したのである。この地を彼杵郡と称したのは、嘗て天から神の祝福の黄金の杵(きね)が降って来たという故事にもとづくと謂(い)うことである。
吾々人間の礼拝の“場”が出来ることは、神がそこから祝福の霊派を放送し給う“放送局”が一局増加したようなものである。
詳しいことは本文を読んで頂いて、神人の関係を尚(なお)一層(いっそう)よく認識して、諸賢が、龍宮無量の寿福を享受(きょうじゅ)し給わんことを庶幾(しょき)して、この前文を擱筆(かくひつ)する。
昭和五十四年一月十六日
著者しるす』
449
:
あめり
:2014/06/12(木) 10:55:59 ID:H3PMcaFg
訂正
合掌ありがとうございます。
遅ればせながら、光明掲示板を拝見させて頂き、
「コスモス様」や皆様の素晴らしいご愛行で、
谷口雅春先生御著の絶版のご著書を拝読させて頂けて感謝いたします。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1340
450
:
他掲示板転記
:2014/06/13(金) 12:10:29 ID:g8I0RbfI
日時:2014年06月10日 (火) 18時21分
名前:画龍点睛
拝復、合掌ありがとう御座います。
確か「本流宣言掲示板」が発足して暫く時間が経ってからだと思いますが、「訊け管理人」氏が投稿を始められました。そのころ、私は投稿はせずもっぱら読む側に居りました。今でも覚えておりますことは、「訊け」さんが投稿する時には必ず自分のブログ「谷口雅春に訊け」のhttpを一番下に帰して、閲覧誘導をしておられました。そしてそのブログを拝見致しますと、入信当時の記述があり、『生命の實相』を確か7回くらい一気に通読し、すばらしい心境を獲得されたことが書かれてありました。いわゆる頓得の悟りを得られていることが解りました。その後彼は、『生命の實相』のWEB誌友会を企画実現されましたが、その運営は第一巻を重要点を抜かして一回で一巻を終了するというスピード振りであったのでした。結果的には不評で一回だけでWEB誌友会は終わりとなってしまったのでした。
彼の個人ブログ「谷口雅春に訊け」も、真っ黒な画面に白抜きの文字、挿入写真もきれいな芸術的風景写真もあれば、地獄の底を思わせる薄気味悪い写真も載せられていたことを思い出します。また、自宅の重厚な雰囲気のある書斎で、ダンディーな服装をして豪華な椅子に坐った男前の容貌の写真も掲示板で発表されていました。総合しての私の感想では、頓徳の悟りの生命的体験を得ながらも、その後の「トキ掲示板」への書き込みを読んでいくにつれ、彼の自己顕示欲の強さ、求道に対する独善的態度の強さが目立ち、その頓徳の悟りに酔い、その頓得の悟りから漸得の悟りへの磨きを怠られて悟りの道から逆行された方向へ進んで行かれていることが感じられ、まことに惜しい御仁であると思っている次第であります。そして最近では議論と理屈で霊的真理を理解しようとして本当の求道の道からますます離れていかれていると感じます。そして、現在の「訊け」さんの投稿内容を見る限り、本流復活を望むというよりは実質的には“マサノブ君擁護派”に分類できる御仁と思われます。残念なことであります。再合掌
451
:
あめり
:2014/06/13(金) 20:46:24 ID:H3PMcaFg
合掌ありがとうございます。
この掲示板は、生長の家の信徒様がご覧になる掲示板なのか、分からなくなる時がありますが…拝見されている信徒の方もいらっしゃると思い書かせて頂きます。
「総裁憎し」で、総本山のことも、組織も潰れてもいいと思われてる方がいると思うと残念な以上に、
生長の家という団体がますます「外部」に利用されやすくなるように思いますが、どうなのでしょうか。
また、それぞれが教えを解釈に終始し、霊的な中枢を失い、
骨抜きの「環境運動」やいつの間にか信仰抜きの「政治運動」になることも、真理を求める信徒は困ってしまいます。
ところで、トーキングスティックボード板で、解説者様と破邪顕正様の
「如何にせば」
という対話の中で、
生長の家の出現精神の原点と言える「生長の火を掲げて」(人類光明化運動発進宣言)のお話がされました。
組織の事情に振り回されると、喜びを忘れ、
「如何にせば」というを私は考えさせられましたが、みなさまはいかがでしょう。
破邪顕正様は、別の解釈が置き換えで書かれてありましたので、
生長の家にとって大切な精神を、改めて謹写させて頂きます。
真理を、学ぶ本当の”素直”な姿勢とは、
自己の解釈や他への疑問に終始することではなく、
「人間は神の子である」
という真理に、
「ハイ!ありがとうございます。」
と”素直”に生きることだと教えられました。
皆様とともに真理に生かされている喜びに感謝いたします。
ありがとうございます。
拝
452
:
あめり
:2014/06/13(金) 20:46:57 ID:H3PMcaFg
「生長の火を掲げて」
(人類光明化運動発進宣言)
『自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。
起たざるを得なくなったのである。
友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。
人類は今危機に瀕している。生活苦が色々の形で 押し寄せて人類は将に波にさらわれて覆没しようとしている小舟の如き観はないか。
自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを 受けることを恐れていたのだった。一求道者としていつまでも謙遜でいたかった。
併し今は謙遜でありたいと云うことが自分にとっては安易を貪る一つの誘惑と感じられ る。
自分はこの誘惑に打ち克って人類を救わねばならない。自分の有っている限りの 火で人類を救わねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずにはおかないだろう。此の火は天上から天降った生長の火である。
火だ!自分に触れよ。 自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上っ た。
見よ!自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のようにみずからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。
自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が 如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。
如何にせば境遇の桎梏から脱け出 し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、 また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得る か……等々。
今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみ踠がきあせっている。あらゆる 苦難を癒やす救いと薬を求めている。しかし彼らは悩みに眼がくらんでいはしないか。 方向を過っていはしないか。探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。
自分は今彼らの行手を照す火を有って立つ。』
〈『生長の家』誌創刊号「巻頭のことば」より〉
453
:
うのはな
:2014/06/14(土) 09:30:20 ID:kEHamEcQ
唐松模様より引用
これに対して、「善悪を知る木」とは、実は「神の創造世界には善もあれば悪もある」という考え方そのものを象徴しているとする解釈がある。これが『生命の實相』で説かれている谷口雅春先生の解釈であり、生長の家の解釈だ。これによると、「神のように善悪を知りたい」と願うこと自体が、「神の創造世界には善悪いずれも存在する」という前提にもとづくという点に注目する。これを言い換えれば、人間を含め、大自然には善も悪もあるということだ。同じことを「個人」の立場に引き寄せて表現すれば、人間は生老病死を経験し、悩み苦しむ肉体的存在だということである。このように自分は不完全で欠陥だらけだという「迷い」が多くの人間にあるために、何かの知識や技術を獲得して自分を補う必要があると考え、外から「善悪を知る木の実」を食べたいなどの欲求が起こってくる、と生長の家では考える−−
「霊によって生まれ霊によって支えられている無限の生命であるという自覚の代わりに、自分はアダムの肋骨すなわち物質によって造られたものだという自覚が反映して生まれた人間である。だから、自己自身をそのままで完全な人間だという自覚をもたないで、自分は何か他物によって補われなければ完全になれないものだと思っている。この何か他物によって補われる必要があるという渇欲(まよい)がある。この渇欲(まよい)があるために、その渇欲(まよい)を充たすために、これを食べたらどうだと誘惑すべく蛇によって差し出されたのがこの知恵の果実であります。」(『生命の實相』頭注版第11巻、p.72)
454
:
あめり
:2014/06/16(月) 08:32:21 ID:H3PMcaFg
>>453
うのはな様
合掌ありがとうございます。
ご親切に、的を得た真理のお言葉を謹写してくださったのですね。
ありがとうございます。
聖書に出てくる”知恵の果実”というのは、外から何かたさないと人間は不完全だという渇欲(まよい)であり、
神の子の「そのまま」の姿を覆い隠してしまうということでしょうか。
既存の宗教観で、修行をしたり知識を得ないと悟れないという心も、渇欲(まよい)ということなのでしょうね。
>>だから、自己自身をそのままで完全な人間だという自覚をもたないで、自分は何か他物によって補われなければ完全になれないものだと思っている。この何か他物によって補われる必要があるという渇欲(まよい)がある。<<
『生命の實相』頭注版第11巻、p.72
>>このように自分は不完全で欠陥だらけだという「迷い」が多くの人間にあるために、何かの知識や技術を獲得して自分を補う必要があると考え、外から「善悪を知る木の実」を食べたいなどの欲求が起こってくる、と生長の家では考えるーー<<
唐松模様
(雅宣総裁のご文章では、
雅春先生や生長の家の「解釈」とか「考え」ということを書かれていますが、
生長の家のみ教えは、個人の「考え」や「解釈」ではなく、
雅春先生を通して”神の啓示”にて説かれたみ教えということの力がなくなるようですが、)
『生長の家』信徒行持要目のなかには、
「そのままの心を大切にすべし」
(そのままは零なり、一切なり、○なり、円満なり、無礙なり、無限供給なり、調和なり、病なきなり、一切不幸、災厄、病難はそのままを外したるときあらわれるなり、顧みてそのままの心に復るとき、一切不幸は滅す)
がありますが、これは「天地一切に感謝すべし」の次にある大切な項目でしたね。
(初めて読んだときは「そのままの心」なんて、自分のこんなにだらしない心のままでいいのかしら…と思ったりしました(笑)が、)
もうすでに神様から与えられた命の”完全さ”に気づきよろこべは、秩序に則って「そのまま」で自然と智慧が湧き、周囲と調和するようになっているのでしょう…
ほんとうに、そのままで救われている…嬉しいですね。
人間が色々頭脳で策して、一見良いと思ってしても返って全体の調和が崩れることはよく散見しますし、私もよくやってしまうことでした…
たいせつなことを教えて下さりありがとうございます。
ありがとうございます。再拝
455
:
あめり
:2014/06/16(月) 08:32:55 ID:H3PMcaFg
「”そのままの心”になって潜在意識を浄化せよ」
潜在意識は受動的であり、現在意識が知覚をもって感じるところの印象や、それによって反応する現在意識の感情の起伏が潜在意識に蓄積されていて、潜在意識の司る生理作用の調節を混乱状態に陥れるのです。
「そのままの心」になるということは、このような混乱から、自分の心が自由に解放され、大生命の叡智の”そのまま”になるということである。
泳ぎを知らぬ人が水に跳び込んでも、”そのまま”の心でいれば沈むことがないのである。水面に”大”の字に寝て全身が平等に浮いて沈まなければ、その人の心に偏りがなく、不安がなく、恐怖がなく、そのままの心であるしるしである。
「悟りによって人間が健康になる理由」
人間が”そのままの心”になるとき、潜在意識は偏光のない歪みのないレンズのように、大生命の叡智を”そのまま”素通しに生理作用に反映し出すことになり、大生命”そのまま”の叡智は人体の設計者であり、最初の創造の技術者であるから、”そのまま”の叡智に生理作用が導かれるとき、人体は自然に健康を恢復するのである。
谷口雅春先生御著書『如意自在の生活365章』P218〜219
456
:
あめり
:2014/06/18(水) 11:07:16 ID:H3PMcaFg
合掌ありがとうございます。
トーキングスティックボードにて、縹様が返信下り(ありがとうございます。)以下のお言葉賛同いたします。
>>『生命の實相』は、元々、会員の人だけしか読んではいけないというものではなく、書店で誰でも手に入れる事が出来て、一般の方でも読む事が出来ましたので、失ったというのは誇張表現のような気がしています。
私個人の考えですが、失ったが最後戻らないのは、総本山のほうではないでしょうか。
>>またこのインターネットの時代に、完全に焚書することは、不可能なのではないでしょうか?
“消滅”さすことが出来るのは、総本山では…。<<
団体の都合や方針に関係なく、求める方に、『生命の實相』が行き渡ることを第一に考える発想や、
人類光明化運動の目的を見失わなければ、
本来はむずかしいことはないと想われますし、
雅春先生が残して下さった生長の家の出現の使命を受け継ぐためにも、これからも生長の家総本山を大切にして頂くことを願います。
眞理の学びは、個人の考えや解釈に終始していれば、
バラバラのようですが、
出来ることを、素直に実践すれば、
人間神の子、両親への感謝、天皇国日本の実相、大調和の教え、神の実相の愛…などが、
どの眞理も矛盾なく中心を貫いていて、ほんとうに「生きた」教えであることが有難く思います。
神縁を大切にして、波長を合わせれば、未来に繋がっていくそうですから、
信徒は安心して、三正行をしっかりしていくことと確認いたしました。
生長の家の御本はいずれも、生活、人生、歴史感…微に入り細に入り、具体的でありながら普遍的に通ずる眞理が書かれていて胸に響きます。
全人類方のために書かれていながら、まるで自分一人に語りかけてくるように、「わたし(たち)」が何を求めてきたか、どんなことに悩んできたか分かるように…ぴったりの言葉が見つかるようですね…
一人も欠くことなく救わおうとされる、神様のお心が顕れているようです。
ありがとうございます。再拝
457
:
あめり
:2014/06/18(水) 11:09:59 ID:H3PMcaFg
大聖師谷口雅春先生を尊敬することは言わずもがなですが、
神様から授かったみ教えであるということを忘れずに、
「生長の家」を大切にするということは以下のことからも賛同いたします。
>>あと、生長の家が高級霊の教えであることは、
「形に現れたる神を讃むること勿れ。(中略)汝ら吾が示すところの神を崇めよ。吾れを崇めよと云うには非ず。」という文句にも認める事が出来ると思います。
谷口雅春先生も、かつてのキリスト教が、「イエスを通してしか救われない」と定義づけていたのを、イエスを真理と呼び変えられて、「真理を通して救われる」として下さいました。
とても大切な所で、谷口雅春先生の偉業と私は思っていました。
イエス本人も、そう指示されていましたよね、祈る先は天の父でした。<<
>>これは、高級霊の教えの証のような気がします。
教祖を崇めさせず、讃えるのは天の父だけ、とする。
生長の家が、本物の教えであった証だった気が致します。
ここを修正するために、生長の家は出現したとも言える程の修正だったと私は思っていました。
それを、谷口雅春先生を崇める事にしますと、谷口雅春先生を泣かすことにならないか心配しています。<<
ほんとうにすべて眞理のことばに書いて残して下さっておられるのを感じます。
「天使の言葉」を(以下一部抜粋になり申し訳ありませんが…)謹写させて頂きます。
『………
吾れは喇叭なり。
汝らよーーー
吾れ個神を善しと云う事勿れ。
形に現れたる神を讃むること勿れ。
吾れに宿る善きものは皆普遍なる神より来る。
汝ら吾が示すところの神を崇めよ。
吾れを崇めよと云うには非ず。
吾れはただ天使なり、
吾れみずからの本性の神なることを観たれば、
吾れ汝らの本性の神なることを悟らしめん。
汝らの先ず悟らざるべからず真理は、
『我』の本体がすべて神なることなり。
汝ら億兆の個霊も、
悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。
喩えば此処に一個の物体の周囲に百万の鏡を按きて
これに相対せしむれば一個もまた百万の姿を現ぜん。
斯くの如く汝らの個霊も
甲乙相分れ、
丙丁互に相異なる相を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互いに兄弟なりと云う。
すべての生命を互いに兄弟なりと知り、
すべての生命を互いに姉妹なりと知り、
分ち難くすべての生命が一体なることを知り、
神をすべての生命の父なりと知れば、
汝らの内おのずから愛と讃嘆の心湧き起らん。
………』
ありがとうございます。再拝
458
:
縹
:2014/06/18(水) 20:26:24 ID:oeUx5MQw
456番 あめり様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、あめり様、昨日はお返事が出来ずに申し訳ございませんでした。
総本山の事を大切に思って下さってありがとうございます。
総本山は大切だという発言が、立場を悪くするものだったとは、まだ信じられない思いです。
もう総本山は汚染されたので要らない、と激しく主張されるので、途方に暮れてしまって。
あめり様は大丈夫でらっしゃるのですか?
私は今でも、掲示板に入るのが辛くて、もうやめようかやめようかと思ってしまいますよ。でも、勿体ないなと諦めきれず。
縹が悪人でも、総本山が残りさえしたら、人類にとっては幸福なので、悪人かどうかは関係ない気も致します。
”まだ教団にも、雅春先生の御著書が残っています”という意見は、希望を失わない為に申し上げたのですが、
今まで裁判で苦労して下さった先生方のご事情を考えますと、色々と申し訳ないです。
他の皆様も、それぞれ複雑な思いですよね。
それから、既にお持ちかも知れないのですが、谷口雅春先生が、総本山で御講話して下さった時のCDが、まだ販売されています。
http://www.ssfk.or.jp/p/a/078150.htm
459
:
縹
:2014/06/18(水) 20:28:54 ID:oeUx5MQw
457番 あめり様
合掌 ありがとうございます
生長の家は、再臨のキリストの教えで、本物の教えですから、従来の宗教の過ちを繰り返して消滅させてはいけないように私は思ってしまうのです。
キリスト教も、イエスを神にまつりあげて、それで失敗し、谷口雅春先生の御登場を待つまで、完成の教えになりませんでした。
生長の家は、キリストが再来して、その過ちを正した、完成の教えですから、
谷口雅春先生も、かつてイエスが、自分を尊敬させなかったように、ご自身を尊敬させず、真理を尊敬するように仰られていました。
しかし、いつの世も、弟子は、教え祖を教祖や神と崇めて、排他的な態度になってしまうものなのかも知れませんね。
教祖が、「決してしてはいけない」と教えていても…。
私は、これが本当に実行出来るかどうかが、生長の家が、続いて行けるかどうかの分かれ道になるようにも思えるのです。
生長の家が、本物の教えのままで居れるかどうかは、ここにかかっているような気がします。
それほどまでに、重大ないいつけだと思います。霊的な法則の中でも、鉄則の部類に入るのではないでしょうか?
特に、生長の家は、本物の再臨のキリストの教えですから、絶対実行しないといけないように思います。
偶然、聖書の同じ内容のページが見つかりましたので、掲載させて戴きます。
マタイ伝福音書
19-16 視よ、或人みもとに来りて言ふ『師よ、われ永遠の生命をうる為には、如何なる善き事を為すべきか』
19-17 イエス言ひたまふ『善き事につきて何ぞ我に問ふか、善き者は唯ひとりのみ。汝もし生命に入らんと思はば誡命(いましめ)を守れ』
マルコ伝福音書
10-17 『善き師よ、永遠の生命を嗣ぐためには、我なにを為すべきか』
10-18 イエス言ひ給ふ『なにゆゑ我を善しと言ふか、神ひとりの他に善き者なし。(略)」
あめり様、いつもありがとうございます。心より感謝を込めて… 再拝
460
:
縹
:2014/06/19(木) 02:31:38 ID:oeUx5MQw
追伸:
ずっと考え続けているのですが、
聖典は、当初、“著者の無い書物”ということでしたね。その事実は、変らないと思います。
ですから、出来るだけ多くの方に読んで戴けるのが本来の目的だと思います。
寄付が目的で、『生命の實相』『聖経』等を、社会事業団が著作権を持つことになったそうですが、
それだけを持って、「生長の家」を継承したことになるのか考えました。
それでは、教団所有の聖典は、社会事業団側に無くても、正統なのでしょうか?
教団に残っている聖典は、聖典とは認められないのかというと、そんなことは無いと思います。
それと、「総本山」が無くても、正統足り得るのか、考えてみました。
「総本山」という事は、通常の宗教なら、お城の本丸のようなものである気が致します。
しかし、神示には、『生命の實相』が神殿であると書かれています。
ところが、それでも必要だということで、総本山が造営されました。
総本山は、無くても、正統足り得るのでしょうか、
それでは、雅春先生は、御判断を誤られた事になりませんか。
私は、正統であるためには、総本山は、必要だと思います。
これは、単なる“社殿”にはとどまらないと思います。
實相と現象をつなぐ方法になっている気が致します。
461
:
あめり
:2014/06/19(木) 16:24:38 ID:H3PMcaFg
>>458
〜
>>460
縹様
合掌ありがとうございます。
こちらの板にまで、返答のお手数おかけして申し訳ありません。
夜遅くのお時間のようでしたが、あまりご無理されませんよう…
こちらこそ、気遣いのない私の言葉で縹様にご迷惑がかかるようでしたら、申し訳ないです。
しかし、私も信仰の想いに忠実になれば、やはり総本山を大切にするという想いはほんとうですし、
(知識が少なく分からないことが多く申し訳ありませんが…)
縹様のご投稿で、聖典からも納得できることとしてこころ支えに勉強させて頂いており、感謝しております。
…
文字だけで、深い信仰の想いを分かち合うのはむずかしい場合もあるかとおもいますし、
また縹様は特に言うに言えないお心もあるかとお察しいたしますが、
私には縹様のお言葉の核の部分は心に染みて伝わってくるものがあります。
縹様のこちらのご返答を読ませても、縹様のご覚悟や生長の家がほんとうに深く素晴らしい教えだということが伝わるようで胸があつくなりました。
たいせつなことをお伝え頂きありがとうございます。
>>”まだ教団にも、雅春先生の御著書が残っています”という意見は、希望を失わない為に申し上げたのですが、
今まで裁判で苦労して下さった先生方のご事情を考えますと、色々と申し訳ないです。
他の皆様も、それぞれ複雑な思いですよね。<<
組織に関係なくご自分で勉強されたい方は、なにも「生命の實相」が消えたわけではないので、
色々な情報を目にして心騒いでいらっしゃるだけのこともあるかともおもわれますが…
信徒の立場で言えば、実際教区活動の中では勉強会に使えない、新しい人にお渡しする分が足りない、他の教区や道場から送って頂いたり、これからは写本やコピーで対応するなど…なぜ生長の家において「生命の實相」が手に入りづらくなるのか、聖典配布できなくなるのか、正直上層部の責任を責めたくもなるのも理解できます。
裁判自体は、ただの争いということではなく双方の対話では解決できない問題を法的に判断してもらうものですから、
そのようになったのは今や致し方ないとは思いますが、
「生命の實相」を求める方に行き渡るようにして頂くことは、
どちらの幹部の方にも、まず人類光明化の目的を思い出して頂きたいと願っています。
CDのご紹介もありがとうございます。
こちらは以前もっていたとおもいます。
コピーしてお配りさせて頂いたりしたことがありました。
またこの機会に聞き直してみたいとおもいます。ありがとうございます。
>>谷口雅春先生が、総本山で御講話して下さった時のCDが、まだ販売されています。
http://www.ssfk.or.jp/p/a/078150.htm
(つづく)
462
:
あめり
:2014/06/19(木) 16:31:26 ID:H3PMcaFg
>>461
つづきました
聖書のお言葉も拝読させて頂きありがとうございます。
聖典が変わっても共通する真理は普遍ですから、中心から教えの真髄に流れているものを観ることが万教帰一であり、それを説いているのが生長の家のみ教えですね。
外に神を求めるのではなく、我がうちの神性を礼拝することを、我がうちに神があることを教えてくださる真理は、やはり本物だとおもいます。
それと同時に、トーキングスティックボードにて縹様のお言葉も以下もとても重要なことだと思います。
【トーキングスティックボード】
>3881
唐松模様のご文章が、”内在神”を自覚することによる”万教帰一”で、”光明化運動”という言葉に戻っていたので驚きましたが、
>外に神を求めている限りに於いて、魂の内部に住んでいるところの神を強く否定することになるのである
というハードマン博士の一文には、内心ひやりとさせられました。 外の神を求めると内在神を否定する、と言うのが、総本山売却の理由にされないと良いのだが…と思いました。
私は、内なる神を認めて拝めるので、外なる神も認めて拝めるのだと思います。
神示にも、「天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである」とございますように、
内在神の自覚の行く先は、外なる神をも大切に出来るという事になっていると思います。
そして、本当に内在神を自覚すると、實相は必ず”相”を有しますので、それは、秩序性を持ち、何でもごちゃまぜではなく、自ずと配置が分かり、
総本山が、たまたま長崎に存在するのではなく、理由があって、その場所に存在すべく存在していることが分かるようになるのだと思います。
ですから、内在神を自覚するという事は、総本山の大切さが分かるということだと思います。<<
人間神の子を自覚することと、両親に感謝すること、そして天皇をいただいた日本国の実相の秩序を理解することは、
不可分にして一体だとおもいます。
それらどれが欠けていて分からないというのであれば、
やはり神の愛といっても観念的で、実質的に湧き上がる信仰にはならないのではないかと感じてます…
私の場合も個人的なある体験から生長の家のみ教えに触れ、
人間神の子が理解できて初めて、両親への感謝、そして生長の家で天皇の御恩徳がしみじみ感じるようになり、
実相の秩序についての真理を感動のうちに拝読出来るようになったのだと思います。
ですから、内なる神のみたいせつに出来れば良いというのではなく、
それが分かればなおさら、人の内なる神性を拝めるし、家庭や国の正しい秩序性を重んじ、天皇を頂いた日本の実相の秩序を礼拝できるのだと思います。
総本山の意義についても同じではないでしょうか。
(つづく)
463
:
あめり
:2014/06/19(木) 16:33:01 ID:H3PMcaFg
>>462
につづきます
聖なるものは、見えないものにあるといって、自分の内なる神性にさえ気づけば、外の秩序を軽んじて良いわけではなく、
やはりその反映である神聖なものへの尊重や実質的な礼拝の儀式を通してはじめて、
内と外、実相と現象といういうことを超えて、
それが生きた道となり、教えとなるように感じます。
…そういう意味でも、いまの生長の家が間違った方向に行かないように、心より願っております。
【トーキングスティックボード】
>3883
>>丁度、結論として申し上げさせて戴きたかった事が、『神の真義とその理解』249頁に、谷口雅春先生のお言葉の記録として残っておりましたので、抜粋させて戴きます。
「龍宮界すなわち”生みの本源の世界”に既に成就し給える神の国の秩序を、この地上に実現する道を開き給え。
われらその道を開かんがため住吉大御神の御舎殿を建立し以て大神の御心を地上に実現せんことを期し」
「住吉大神を實相世界の秩序に従いて顕斎し奉り」
総本山には、實相と現象をつなぐ役目がある、という風に申し上げて参りましたが、ここに的確に表現されておりますように、
<實相世界を地上に実現する”道”>
<實相世界の”秩序”に従って顕斎>
これが総本山の”存在意義”なのだと思います。
絶対に失ってはならない拠点になっているのだと思います。<<
縹様、私などは理解が浅く申し訳ないのですが、生長の家のためになることですので、
どうぞご教示を続けてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
読みにくい文をたくさん書いてしまい、申し訳ありませんでした。
ありがとうございます。
再拝
464
:
縹
:2014/06/22(日) 19:06:00 ID:oeUx5MQw
あめり様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、あめり様、お返事をありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ございませんでした。
あめり様は切実に総本山の存続を願っていて下さるのですね。
私も総本山無くして、生長の家の教えは、成り立たないように思うのです。
森のオフィスのためにもなるので、残すしか方法はないと思えるのですが…。
多くの方に、生長の家の本当の凄さを知って戴けましたら、
総本山はやはり大切だと思って戴けるかも知れないと思って書かせて戴いておりますが、
「独断で強行されるのに、そんなことをしても意味が無い」という意見が多くて、気が萎えがちになります。
生長の家大神様は、宇宙の創造神でいらっしゃいますから、時には天照大御神様ともなって顕れられますので、
霊的な重要さで見ると、総本山は、伊勢神宮と同じくらい大事であるとも思えるのです。
まさかと思われる方が多いような気がするのですが、
生長の家の大神様は、本当に凄い神様で、宇宙を直接お創りになられた御方なのです。
その中には、太陽神も、物質の太陽もあるでしょう。信じられないですが、現実なのです。今お話しさせて戴いております私自身も、半ば信じられないような気持ちですが、証拠の様なものを見て参りましたので、理性で判断致しますと、確かにそうだと思います。
感情的には、キツネにつままれたような信じられない思いですが。
その住吉大神様の御出御のお宮なのです。
生長の家の教えは、そもそも凄すぎるので、“まさか”という言葉がついてまわるのだと思います。
トーキングスティックボードにも書かせて戴きましたが、
日蓮のセイチョウ山という所は、千葉ですので、皇居や浅草寺に近く、
天照大御神様は、伊勢にお祀りされています。
そして総本山と、大体三拠点に別れていて、
造化三神も、住吉大神様も三位一体の神様ですが、
天の父―――救い主―――我々
天の父を中心に「民は君を拝み、君は民を拝む」の形になっているように思うのです。
<實相世界の”秩序”に従って顕斎>
と、雅春先生が総本山の意義についてお示し下さった通りになっていると思いました。
オリオンの三ツ星の真ん中の星は、「真珠の連なり」とも呼ばれているそうですが、伊勢神宮では、真珠が採れます。
そう言えば、神武天皇様の、「建国の理念」のようですね。
また、「實相額」の實の字の中にある、“貝”という字は、あこや貝をさすとも聞いた事がありました。
続く
465
:
縹
:2014/06/22(日) 19:07:07 ID:oeUx5MQw
続き
>聖なるものは、見えないものにあるといって、自分の内なる神性にさえ気づけば、外の秩序を軽んじて良いわけではなく、
>やはりその反映である神聖なものへの尊重や実質的な礼拝の儀式を通してはじめて、
>内と外、実相と現象ということを超えて、それが生きた道となり、教えとなるように感じます。
あめり様は、理想と現実をつなげる事が出来られて凄いですね。
鎮護国家の為に、総本山が必要ではないのか…という事を、つらつらと考えていたのですが、
国の為に祭祀が要らないのでしたら、伊勢神宮も要らない事になりませんでしょうか。
伊勢神宮は絶対に必要です。
でしたら、伊勢神宮があるから、生長の家総本山は要らないでしょうか?
それならどうして、雅春先生は、総本山をお造りになられたのでしょう…要るからだと思います。
天照大御神様の御出御の為に、住吉大神様をお祀りさせて戴くと、『神の真義とその理解』に書かれてありました。
鎮護国家の為には、総本山が必要なのだと思うのですが…。
「総本山は要らない」、と沢山の方々に、かなり強く言われていますので、長い間悩みましたし今も頭が混乱しておりますが、このように自分なりに考えさせて戴きました。
鎮護国家の為には、総本山はやっぱり必要なのではないでしょうか…。まだ思考が混乱していますけれども。
あめり様、いつもありがとうございます。
あめり様があらわれて下さらなければ、どうなっていたでしょう…。
誠にありがとうございます。 感謝を込めて… 再拝
466
:
縹
:2014/06/22(日) 19:34:47 ID:oeUx5MQw
追伸
生長の家で言う、“クニ”とは、“宇宙”の事である、と言うのは、本当なのです。
地上の三拠点は、宇宙の實相を、地上につなぎ止めている、フォークによって“撞”かれた場所のようになっていて、
総本山は、龍宮を地上に顕した場所ともなっていますし、
<實相界を現象にあらわす“道”>と、雅春先生が仰られました通りになっていると思います。
467
:
縹
:2014/06/22(日) 19:38:10 ID:oeUx5MQw
「いま實在世界の常住平和を知るものは寥々たる暁天の星であるぞ」
『”心の法則”と”平和への道”の神示』
468
:
神の子さん
:2014/06/22(日) 20:48:26 ID:???
生長の家創始者 谷 口 雅 春 大聖師
鎮魂でも坐禅でも神想観でも現象界の利益を得るために行うならば、それは邪道である。
469
:
あめり
:2014/06/23(月) 20:22:37 ID:QTizqkds
縹様
わざわざ返信を頂いて申し訳ありませんでした。
どうぞ私の返信にはお気遣いなく、ご教示をお続けくださいね。
縹様が掲示板にて書いて下さっているのを拝見しなければ、
私はこちらでの投稿もおそらく拝見もいたしませんので、
お話から、大きな次元で真理が今、生きて働いていることを感じられたり、
また、お言葉から重みを改めて感じます。
>> 総本山を失う事は、“生命的国家”を欠落させることのように感じています。
単に、生命的国家“論”を失うのではなく、“實”を失うようでとても気になっております。
>>「”生命的国家”とは、このようなものだよ」と総本山のように、体現する事は出来ないのだと思います。
>><實相世界の”秩序”に従って顕斎>
と、雅春先生が総本山の意義についてお示し下さった通りになっていると思いました。<<
生長の家は、<生命の實の相>、神の秩序を顕す運動と思いますが、
み教えで説いて下さっているその秩序や中心の相を”観る”ことでなければ、
政治や環境など外界の”悪”を直す運動や、
ただ悟りや”奇跡”を求めるような、既存の宗教観と変わらなくなるのではないでしょうか。
實相の秩序を説いているからこそ、生長の家は類のないみ教えですし、
縹様のお話で、それを体現して頂いたのが、総本山なのだと改めて示されていることに、感謝いたします。
やはり、無くしてはいけないと感じますし、信仰の中心を見失ってはいけないのでないでしょうか…
”生命的国家”ということを書いて下さいましたが、
やはり生命体として秩序(国家)があるからこそ、
愛と感謝が血液のように循環し、生命を生かしていくようなことが浮かびます。
自己の生命の本質(神の子)を理解すれば、自己の家庭の実相(両親に感謝)を実現し、先祖への感謝や自国への報恩感謝が湧いてくることは、
特別な思想に関係なく、自然な情愛であり、
自国への自尊心や道徳心の高い国は、世界になくてはならない役立つ国になり得ます。
日本国はそのままその国体が、天皇を中心とした<實相>を顕し、
自他一体といっても、観念的な愛を説いているのではなく、
天皇の神子として、他国にも、家族のような愛情と思いやりを惜しみなく与えられる国民性が、本性に備わっているのではないでしょうか…
生長の家では、そういう信仰の喜びや、日本国の誇りを実感をもって教えていただいていたと思います。
総本山へ団体参拝のおり、鳥居をくぐりながら、教区のみなさまと
「雅春先生、ただいま帰りました!」と声を揃えてご挨拶したのを思い出しました。
生長の家は、人類の「家」としての教えなのではないかと、縹様のお話からも、伝わってまいります。
また、”クニ”というのは、ただ日本国一国を顕すのではなく、宇宙のことであるとは、
大調和の歌(みすまるのうた)にても、確認いたしました。
「天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙(くに)静かなり」
…思うまま書かせて頂き、失礼いたしました。
み教えを学べる喜びの場を、
取り戻して頂きたく願っております。
ありがとうございます。
再拝
470
:
縹
:2014/06/25(水) 17:05:14 ID:oeUx5MQw
469番 あめり様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、あめり様、お話しを受け止めて下さってありがとうございました。
でもきっと、周りの皆様は、私のお話しが間違っていないか心配しておられると思います。
私は偉い人ではございませんので…。
>生長の家は、<生命の實の相>、神の秩序を顕す運動と思いますが、
>み教えで説いて下さっているその秩序や中心の相を”観る”ことでなければ、
>政治や環境など外界の”悪”を直す運動や、
>ただ悟りや”奇跡”を求めるような、既存の宗教観と変わらなくなるのではないでしょうか。
>實相の秩序を説いているからこそ、生長の家は類のないみ教えですし、
仰られますように、生長の家は神をあらわす運動でしたね。
そして、谷口雅春先生は、人生の最後に、神様を顕して下さったのだと思います。
単なるお社に見えていますけれども、とても重要な意味があったのだと思います。
しっかり三位一体の形を取り、オリオン座の住吉三神三ツ星のように、日本の生命的国家の姿を表現して下さったのだと思います。
偉大な方過ぎて、涙が出るのですが…
私は他にも、日本の国土が、生命的国家になっていることを見て参りましたので、
本当に日本は、“神の子の姿”をしているのだと思っています。
神が顕れた状態とは、お聖経の中にも、
「神があらわるれば“乃ち”
善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、
相食むものなく、
病むものなく、
苦しむものなく、
乏しきものなし。
神こそ渾ての渾て、
神は渾てにましまして絶対なるが故に、
神の外にあるものなし。
神は實在のすべてを蔽う。
存在するものにして
神に依って造られざるものなし。」
と書かれてございます。この“乃ち”は、通常でしたら、“即”という字が当てられますが、
わざわざ、“乃ち”という字にされているのは、
「たちどころに
たちまちに
すぐさま」
という意味合いになるからであるそうです。
これが、神様が顕れられた状態であるそうです。
弥勒の大楼閣も、この状態である、と第39巻に書かれていますね。
華厳の真理である、日本に関する真理は、このようにして観るのだと教えられています。
物質的に見たら、ただの山に見えていても、“生命”を把握して眺めれば、そこに秩序性が認められ、
神が顕れた姿に見えるのだと思います。
そして神が顕れたら、自然にこの世界は良くなるのでしたね。
私たちの運動は、神を顕す運動でした。
まるで勝敗を決める為に戦っているようですが、勝利者は居なくても良いのだと思います。
勝利者は、ただ神様だけで良いような気がします。
>大きな次元で真理が今、生きて働いていることを感じられたり
私は、預言の通りになっていると思います。
そして今後は、生長の家に、スピリチュアル系の人々も、流れ入って来られるような気がします。
すべての人が追い求めている真理が、生長の家にあると思います。
いつも本当にありがとうございます。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。感謝を込めて… 再拝
471
:
神の子さん
:2014/06/26(木) 03:05:35 ID:uyBUgXxg
生長の家の光明思想とは何か
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=1536
472
:
あめり
:2014/06/26(木) 11:20:04 ID:ClZ7/aC6
縹様
合掌ありがとうございます。
いつも温かいお言葉、そして大きな視点で総本山の重要性をご投稿頂き、感謝いたします。
縹様のお話の底に流れる本質には、なにも生長の家の教えに反するものなど感じられませんし、
まだまだ自分の段階にあったようにみ教えに教えて頂くことばかりですが、
生長の家の信仰とご意見を混同することなく受け止めたいと思いますので、どうぞお気になさらないでくださいますよう…。
お気遣いには、いつも感謝いたします。
>>そして、谷口雅春先生は、人生の最後に、神様を顕して下さったのだと思います。
単なるお社に見えていますけれども、とても重要な意味があったのだと思います。
しっかり三位一体の形を取り、オリオン座の住吉三神三ツ星のように、日本の生命的国家の姿を表現して下さったのだと思います。
偉大な方過ぎて、涙が出るのですが…
私は他にも、日本の国土が、生命的国家になっていることを見て参りましたので、
本当に日本は、“神の子の姿”をしているのだと思っています。<<
このお言葉に流れる想いが、間違えということがあるでしょうか…
「日本の生命的国家の姿」を讃え、誇りに思うことこそ、
生長の家が語るべきことではないでしょうか?
とても有難いことと感じます。
実は、縹様のご文章を拝読し返信したところ、
縹様が謹写して下さいました「甘露の法雨」の一節が幾度も胸にこだまし写経していましたので、不思議な気がします。
(雅春先生のお書きになられたものは、
なんどか読み流してしまっていたご文章でも、
その時々のこころに響きが合うと、ご文章が生きて浮き上がるように、ピタリと胸に落ちてくることが多々ありますね…、
やはりみ教えは、表面の意味を理解するより、
その時々の自分の段階で、
自分のこころや魂の響きで、拝読させて頂くものと改めて感じています。
どの解釈がいちばん正しいというより、
その方の貴重な人生の学びに応じた、それぞれの方のこころの響きが、とても貴いという気がしますね。)
善とは何か、義とは何か、慈悲とは何か、調和とは何か…など人間はどうしても頭で考えて、自分の力でなんとかしようと策略を練って、その時にはいちばんいいようにしますが、
それで世の中はほんとうに「良く」なっているのでしょうか…。
「「神があらわるれば“乃ち”
善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのずから備わり、
…」
とあります、”乃ち”ということは、
「たちどころに
たちまちに
すぐさま」
ということなのですね。
目の前がパッと開かれるような感じがします。
「まず神の国と神の義を求めよ」の聖句の如く、やはり完全な相(すがた
)は、神こそいちばんよくご存知なのだから、神を求めれば大安心いうことでしょうか。
人間が策略を練って、「調和」を無理やり実現するわけではなく、
「…調和おのずから備わり…」
という、
まず、神を顕わすことこそ第一にする、生長の家の光明化運動でありたいですね。
…生長の家では、實相を顕す近道を教えて頂いているのですから、
なにもわざわざ複雑にして遠回りをする必要がないとおもい、
こういう時は、複雑に考えられないアホなあたまで良かったなとも思います。
(…アホになるまではずいぶん遠回りしましたが(笑)
>>そして今後は、生長の家に、スピリチュアル系の人々も、流れ入って来られるような気がします。
すべての人が追い求めている真理が、生長の家にあると思います。<<
いちじに流行ったスピリチュアル系というのは、ある段階の予兆だったとは思います、
人間の異次元的な世界や超越的な力への憧れは、人間の本性的な性質ですから、その流れは当然なのかもしれませんね。
これからは、超越的な力を特別な方法で求めることよりも、
人間の内に備わる「スピリチュアリティ」の目覚めが注目されるのではないかと感じることがあります。
「奇跡をなくすのが、生長の家」だといいますが、
ほんとうに人間は神の子であるという真理ほどの奇跡はないのかもしれませんね。
奇跡は、人間が生きていることそのものであるという気づきが、人間存在のスピリチュアリティに目覚めることのようにも思えます。
…その目覚めは、宗教に起こるのは限らないので、あるいは、生長の家を知らない人が、「生命の實相」を読んで目覚めることが早いかもしれませんし…、
「生命の實相」は、そういう意味でも広く普及して頂きたいですね。
書かせて頂き、誠にありがとうございます。
ご活躍お祈りいたします。
再拝
473
:
あめり
:2014/06/27(金) 09:08:27 ID:0qE6T79M
合掌ありがとうございます。
>>471
雅春先生のご文章をご紹介頂きありがとうございます。
活動経験の浅いわたしでも、
以前の練成会では、「日本国の素晴らしさ」類のご講話を聴いた青年の目が、みるみる輝いていくのを見ると、
…この喜びを体験できる光明化運動はやめられないな、と感じていたことでした。
青年にこそみ教えを学んで欲しいと思うのは、雅春先生の御悲願でとありましたし、
そういう御悲願を含めて、本流派といわれる諸先輩方や、学ぶ会の皆様が担ってくださっているのだと思っています。
いまの教団が、偏狭なナショナリズムや宗教を利用した政治活動を排除したいということで、
教えの核となる、生命的国家としての日本の使命や、日本の實相の教えまで学べなくするというのは、
本当に致命的なことだと思います。
このことを正しくお伝え出来なければ、やはり「人間神の子」の真の意味を、お伝え出来ないのではないでしょうか…
そして、縹様が一貫してご投稿して下さっている、日本の生命的国家の實の相(すがた)を現象界に顕してくださった、総本山の意義も、見失うのではないでしょうか…
それは、生長の家の出現の使命そのもののように思うのですが…、
とても重要なことだとおもいます。
また日本の生命的国家としての使命を果たすのは、政治活動には限らないということを思います。
日本の「實相を観る」ことを行じる生長の家の信徒が、
自分の置かれた立場において、生活において、行につとめることで、
社会人なら仕事で、主婦には家庭で、学生なら勉強で…、
そこが、その人にとっての人類光明化運動の「最前線」ですから、
その中でできる使命を果たすことで、何か特別なことをすることをするのは、やはり、神の秩序を顕す、光明化運動とはずれる場合が出てくるのではないでしょうか。
あるべきところに、あるべきすがたで顕れるのが、神の御働きであり實相とあります。
清超先生の、ゴミをひろうというその行為も、日本を美しくしようという、「愛国運動」であったと、わたしは思っています。
ですから、教団が、雅春先生の日本の實相をといたみ教えを、偏狭な政治活動につながるからと、教えなくするのは、
やりすぎであって、その真意を曲げている方向とおもいます。
森に行くのは仕方ないとしても、教区や他の場所では、
生長の家のほんらいをお伝えする環境を護って頂きたくねがっています。
再拝
474
:
あめり
:2014/07/15(火) 08:46:09 ID:PttnPLL6
トキ様
合掌ありがとうございます。
「実相哲学」版に聖典謹写などは趣旨にあうかわからないのですが…すこし投稿してもよろしいでしょうか?
お世話になりありがとうございます。
拝
475
:
a hope
:2014/07/15(火) 09:32:53 ID:cEpBaIdo
あめりさま
はじめまして。
聖典謹写は、聖典引用板にされたらいいのではないかと思います。
最近は、SAKURAさまが登場されなくて、ほとんどわたし一人の投稿になってしまっていてちょっと気になっていました。
わたしはなかなか他の方々のご投稿を拝見する時間が取れませんので、あめりさまにはこれからもこのトキ掲示板でご活躍いただけるととてもうれしいです。
また、わたしの投稿内容にご意見ご感想などございましたら、web誌友会板等でどうぞ遠慮されることなくa hope宛にご投稿下さいね。
わたしが一番恐れているのは、増上慢になってしいまうことですから、他の方のご指摘、ご批判ほどありがたいものはなくて、
わたしの魂の向上につながりますし、真理の研鑽にもなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 感謝 合掌
476
:
トキ
:2014/07/15(火) 09:37:16 ID:Y1hbTAC6
>>474
あめり 様
いつも弊掲示板をご利用下さり、深く感謝申し上げます。
ご質問、ありがとうございました。
聖典の謹写のみの場合や、謹写がメインの目的の場合は、聖典板が適当かと思います。
が、謹写をもとに、ご自分の御文章を展開される場合は、「実相哲学」版が適当かと
思います。
以上、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
477
:
トキ
:2014/07/15(火) 09:38:09 ID:Y1hbTAC6
a hope 様
そう言えば、最近、Sakura様が投稿をされなくて、心配をしております。
お元気な事をお祈りしております。
合掌 ありがとうございます
478
:
あめり
:2014/07/15(火) 21:06:50 ID:PttnPLL6
>>475
a hope様
合掌ありがとうございます。
この度は、深切にお声掛け下さり、ありがとうございます。
トキ様からも返信をいただいておりますので、
個人の感想も書くかもしれませんし、
また他の方のご感想もおご投稿いただきやすいよう、
こちらをお借りさせて頂きますね。
>>わたしが一番恐れているのは、増上慢になってしいまうことですから、他の方のご指摘、ご批判ほどありがたいものはなくて、
わたしの魂の向上につながりますし、真理の研鑽にもなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 <<
これは、個人の感じ方なのですが、それぞれ真理に対するご批判などは、
魂の向上には、むしろ、関係ないように感じています…
a hope様にはahope様の、他の方には他の方の生活や体験での実感、
人生において課題にされることや使命が違うと思いますので、
それぞれが、貴重な学びの最中なのは同じように思いますし、
ほんとうの真理の学びには、試験資格のように「模範回答」(笑)があるものではないと思いますので、
その方にとっての「正解」があるとすれば、神と自分との関係の中に存在するのかもしれないですね…
きっと、ahope様は、ahope様の生活の中で、すでに生長の道を歩まれておられると思いますでの、こちらで批判や指摘を待つ必要はないのではないかと…
ただ、個人的には、生長の家に触れて少なくても一年は、
時間があれば毎月のように練成道場に通い、
そこで、実感的に生長の家を学べたことは、いまでも信仰の支えになっていると思っていますので、
生長の家を体型的に学びたい方には練成道場をおすすめしたい気持ちはあります。
しかし、それも、それぞれお忙しいことと思いますし、ご縁ですから、
ahope様らしい生活の中での学びがありますことをお祈りしております…
この度はありがとうございます。
感謝拝
479
:
あめり
:2014/07/15(火) 21:08:43 ID:PttnPLL6
トキ様
合掌ありがとうございます。
この度は返信ありがとうございます。
お聞きしておいてなんですが、時間がなかなかとれないかもしれませんが…、
では、時間があるときには、皆様もご投稿頂けるよう、
お言葉に甘えましてこちらをお借りすることにいたします。
お世話になり、誠にありがとうございます。
感謝拝
480
:
あめり
:2014/07/17(木) 21:23:27 ID:PttnPLL6
合掌ありがとうございます。
「住吉大神がこの現象世界に出御」とは、具体的にどのようなことなのか」
というテーマをHONNE様が提供して下さっているのを拝見し、
誰もが新生し、現象界で誠を尽くして生きることに相応しいテーマだと思いました。
ふと浮かびまして、こちらでは、
『如意自在の生活365章』
谷口雅春先生ご著
を謹写させて頂きたいと思います。
(あまり時間がとれないので少しつづ…)
こちらは謹写独占ではありませんので、
信徒皆さまの普段の感想や体験、ご教示など御座いましたら、
お気遣いなくどうぞお気軽に、ご投稿ください。
(「實相哲学」板ですので、
その学びの趣旨にあったご文章をご投稿頂けましたらと思います。)
現象処理は、一見にして強く力を持つように見えますが、
やはり宗教としては、神意を第一に大切にする使命があると思いますので、
本部の方針としても、
神意を第一にすることで、
現象が整ってくることを願っております。
感謝拝
481
:
あめり
:2014/07/17(木) 21:24:16 ID:PttnPLL6
『如意自在の生活365章』
谷口雅春先生御著
はしがき
わたしは『幸福を招く365章』をその第一冊として「何々の365章」と題して人生に生き甲斐を与え、健康を増進し、企業が自然に繁栄する「心の法則」又は「心の科学」の本を数冊書いてきたのである。
一年三百六十五日に分けて、読者に毎日約一ページ前後の”霊感”を与える”真理の言葉”を提供して、その人の生き甲斐を鼓舞し、人生を爽快なものとし、調和と健康と繁栄を自己の人生に創造する書物を書くことをこのシリーズの目的としたのは、あまりに此の人生は科学知識の発達と共に多忙すぎるようになって来たからである。
しかし物質科学の知識は発達したけれども”心の科学”は発達せず、人間の生活は跛行的なものとなり、ただ物質の豊富と肉体の快楽とを追求して、狭い地球上に多勢の人間が犇めき合い摩擦し合っていて、彼ら人間は真の幸福を得る道を知らな過ぎたからである。
イエス・キリストは「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」といったが多くの人達は物質の豊富と肉体の享楽を追求して忙しく、東奔西走すればするほど、人生は益々複雑にして摩擦多きものとなり、多くの若い人たちはノイローゼのようになり、相当の年輩に達した人たちは色々の原因不明の変な病気や治療不可能の癌症状の病気にかかり、繁栄を求むれば、他の繁栄を追求する人たちの利益と衝突し、人生は修羅の巷と化し、人々は真の幸福から遠ざかって行きつつあるのが現代人の人間模様であると言ってよい。
このような跛行的な人間生活が生まれて来たのは、結局、物質と肉体の科学は進歩したけれども、人間は心の科学も霊の科学も知らない片手落ちの発展を遂げた結果、彼らは真理を知らず、古代の巨大動物があまりに角が大きく発達した結果、全滅してしまったのと同様に、自分の巨大知識によって自縄自縛の状態に陥り、真の自由を失って、今や全人類が精神的に滅亡しようとしているのである。
そして彼らは藻掻けばもがくほど足を海中の藻にまつわられて煩悩海深く沈没して行きつつあるのが現状である。
この際、この時、何が必要であるかといっても、イエスがもう二千年も前に警告した如く「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」である。
煩悩海中深く溺没しつつある人間を海上に浮かびあがらせて、人間に真に自由と解放とを与え得るものは、もう物質方面の知識ではなく、人類が「真理」を知ることである。
(つづく)
482
:
あめり
:2014/07/18(金) 22:48:16 ID:PttnPLL6
(つづき)
その真理を三百六十五日の「毎日の言葉」として提供せんとするものが、此の、人間に真の幸福を知らせるこの365章のシリーズである。
このシリーズは人間知によって書かれたものではないのである。
このシリーズのうち、この『如意自在の生活365章』は、恐らく365章ものの最後のもっとも圧巻とも称すべきものであり、わたしが激しく霊感的状態になり、天界からのインスピレーションを最も受け易い状態になり、わたしの霊が西アフリカのガーナ国の黒人の求道青年プリンス・J・ブラックソン君の夢にあらわれて人間・神の子、本来完全自由の真理を説いた結果、彼がその夢中のうちに授かった真理を大衆に向かって説きはじめると数年のうちに六万の信徒を得、大きな教会建物を造営し、やがて彼ブラックソンは一昨年、日本に来たって、わたしが彼の夢中にあらわれた真理の伝授者であることを確かめ、二ヶ月間日本に滞在して更に深く真理を伝えられてガーナ国に帰ると、今では彼からの通信によると、彼は既に六十万人の黒人信徒を獲得したということである。
それはさておき、そのように私が霊感的状態になっていた頃の期間に「法語」として書きつづけて来た真理を一冊にまとめたものが本書であるから、本書の全巻は、生きてピチピチ現にはねている”真理”の書だということが出来、読者のたましいに真理が直接つたわると思う。
わたし自身が本書出版のため校正をしながら、自分でその真理の表現に感動し、読みながら、今や八十五歳に垂んとするわたしが、自分の書いた本に感動して若返った感じがするのである。
特にその第一章には深い真理が書いてあり、それにつづく各章には、実際に処する場合の心の法則が詳細に説明されているのである。
老いも若きも、本書を読むことによって無量寿の人間生命無限力の自覚を、新たに生まれ変った自覚を得ることになるであろうと信ずる。
本書は今後、生長の家の各県の道場で毎日催されている神性開発一般練成会のテキストとして用いられることになるが、先ず最初に今年の十月の京都府宇治市塔の川にある生長の家別格本山での三日間にわたる詳蜜講習会のテキストとして用いるべく、校正を急いでいるのである。
各県の道場での神性開発練成会に参加して、真理の直接伝授を受けたい方は、本書の巻末に、その道場所在地を書いておいたからそれを参考にせられるがよい。
読者諸賢が真の祥福を得られんために祈りつつ、この序文を終わる。
昭和五十二年九月十日
著者しるす
483
:
あめり
:2014/07/20(日) 09:16:50 ID:PttnPLL6
『第一篇 実相界に超入し
霊の洗礼による”新生”を得よ
新たに生まれるための祈り
われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。
古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終わりぬ。
ここにわれ住吉大神に導かれて竜宮海に入り、竜宮城の”神癒の社”に入り、大神の御前に坐して大神を礼拝し奉る。
大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下し給いて霊をもって我を浄め給う。
古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、わが実相完全のすがたここに顕れたり。
今より後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病いあることなく、老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂いあることなし。
久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。
われ住吉大神の御禊を受けて霊によって潔められ、霊によって復活の命を受けしことを、大神に感謝し奉る。
今後、われ現象界に帰還したる後も、永遠にこの自覚をもちて生活せんことを大神に誓い奉る。
ありがとうございます。』
484
:
あめり
:2014/07/22(火) 08:29:40 ID:PttnPLL6
『 霊的・宇宙の本質について
霊によって今われ復活せしめられ、物質的肉体意識のヴェールを脱ぎ棄てて、
この世界を観、このわが全身を観ずるに、われを含めて天地一切のものが、
すでに’’霊’’であり、’’霊’’を本質とする霊的実在であることを知ったのである。
この世界、この宇宙には、ただひとつの霊的実在があるのみである。
霊には、物質のごとき、固定した劃壁はないのである。それゆえに宇宙はただ一つの霊なのである。
霊は宇宙に普遍して限りなく隔てなく、極微の一点の中に存在し、極大の宇宙の中にも充ち満ちているいるのである。
これを’’神’’または、’’本源神’’または’’創造神’’とも呼び奉るのである。
その霊的実在の中に、神の御心より、’’想念’’浮かび来たる。この’’神の想念’’を、’’理念’’と称するのである。
神の’’想念’’(理念)とは神のいのちの意識的振動である。意識的振動をコトバと称する。
’’意識的振動’’すなわちコトバには意味と形相とを内在せしめているのである。』
「如意自在の生活365章」p22
ありがとうございます。
485
:
あめり
:2014/07/23(水) 08:53:04 ID:PttnPLL6
『’’神の国’’’は理念の世界である
原始の、神の’’意識的振動’’の中に存在する’’形相’’は、まだ物質は顕われていないのであるから
’’物質ぬきの形相’’(すなわち理念)なのである。
この’’物質ぬきの形相’’によって成り立っているの世界が、実相世界なのである。
キリストが「み心の天に成る世界」と、その’’主の祈り’’の中に言及している「神国」なのである。
その祈りに「神国を来たらしめ給え、み心の天に成るが如く地にも成らしめ給え」とあるのは、
理念的存在であるところの天国の完全な状態が、それを地上すなわち物質形態の世界なる地上にも
実現せしめ給えという祈りなのである。
人間は、その祈りを成就せしめんために地上に遣わされたる’’天の使い’’であるのである。』
「如意自在の生活365章」p23
486
:
あめり
:2014/07/23(水) 09:33:25 ID:PttnPLL6
余談
先日、わたしのある技能の先生のお話の中で、
技芸の伝承の世界では
『「師を見るな、師が見ているものを見よ」と言われる』、という話をお聞きしました。
弟子が’’いまの自分を基準’’に、師の技芸を解釈していると、
技芸は代を重ねるにつれて劣化し変形することになってしまう、ということでした。
ですから、師の視点、師の感動を照準にして、師がその作品によって何を実現しようとしていたかを
目指さなければ、その伝統を伝承していることにはならないそうです。
技芸も、厳しい世界がありますね…
この話を聞いて、仏教の「指月の喩」の話を思い出し、
自分の信仰も同じで、’’月’’(真理の本質)を指してもらっても、ついつい、その’’指’’の方を見て、
解釈している自分に気づきます。
技能の稽古も、日々の訓練でだんだんに、見えてくるものがあります。
日々の信仰も、聖典を拝読し、神想観、生活の中の行や実践をすることで、
’’師’’の見ていた、道が見えてくることと、思っています。
謹写とは関係ない話でですが。。
ありがとうございます。
487
:
あめり
:2014/07/24(木) 13:24:49 ID:zIFYk3Ag
『 霊的世界を現実世界に投影するための’’心のレンズ’’
’’理念’’によって創造せられたる霊的世界(実相世界)を物質を材料とする現実世界に持ちきたす
ために遣わされたる人間に与えられた’’媒介’’または道具’’が’’心’’なのである。
’’心’’を媒介とし道具として、天国の完全状態が地上に、物質界に姿をあらわすのである。
わたしは時々’’心のレンズ’’と称する語を使うことがあるが、それは映画のフィルムを銀幕に映写
する機械に喩えて説明したのである。
フィルムの上に印画せられたる光景は、時間を超えた光景であって実相の世界の理念的世界の喩えである。
それが’’時間’’の持続を通してスクリーンと称する’’空間’’面に映写されるための道具が’’心のレンズ’’であって、
’’心のレンズ’’のはたらきにより、時間を通して空間に展開する’’地上世界’’の現象としてあらわれるのである。』
「如意自在の生活365章 」p23〜24
488
:
あめり
:2014/07/25(金) 22:52:29 ID:PttnPLL6
『 なぜ、現象世界に不完全な光景があらわれるのか
フィルム面上の光景を、スクリーンの上に投影するためにの媒介または道具が
’’レンズ’’なのである。
レンズによってフィルム面上(神が現像された理念世界)の光景を現象界の
広がりの面に表し出すのである。
その場合、レンズが不整形で歪になっていたり、レンズにヒビが入っていたり、
レンズが曇っていたりすると、映像の世界すなわち現象世界にあらわれる光景に
不完全な’’形の崩れ’’や、曇りや、暗黒な光景が生ずるのである。
それゆえに常に注意して’’心のレンズ’’を曇らせたり、感情を高ぶらせたり、
憎しみ悲しみ怒り等、心がひきつり痙攣して歪むような状態を起こさないように
することが大切である。』
「如意自在の生活365章」p24
489
:
あめり
:2014/07/27(日) 08:38:28 ID:PttnPLL6
『’’神の国’’に誕生した自分
人間は’’神の子’’として、神の全徳を備えた’’理念’’の姿を持って神の国に誕生したのである。
今もなお、わたしたちは’’神の国’’すなわち’’実相世界’’に生きているのである。
それがわれわれの実相すなわち’’実の相(じつのすがた)’’であるから、その世界を’’実相世界’’
と名づけたのである。
神は’’霊’’であるから、その神のいのちを受け、神の本質を受け継いで生き、存在を保ち、
行動しているところの、われわれ人間は’’霊’’であって物質的存在ではないのである。
自分の全身が「物質でできている肉体」だと見えているその姿は、五官(目耳鼻口皮膚)
を通して空間面に翻訳されている光景にすぎないのである。
自分の全身は、現象的にはいかに’’物質’’として翻訳されようとも、その実相には異変あることなく、
いぜんとして実相世界に住む’’霊的実在’’であり、全身そのまま’’霊’’であるのである。』
(如意自在の生活365章p25)
490
:
あめり
:2014/07/27(日) 08:39:57 ID:PttnPLL6
余談
合掌ありがとうございます。
勉強会では、よく体験談をお聞きしますが、
先日はこんなお話がありました。
線維筋痛症という病気があるのをご存知でしょうか。
アメリカでは、ベトナム戦争の帰還兵に発症して病名がついたそうですが、原因不明の難病とされるようです。
おそらく過度の心身ストレスが関係していると思われるそうですが、
一度発症すると、なかなか治りにくい病気のようです。
このご病気を発症された方は、
長年、借金や異性関係を繰り返す親との不調和に悩んでいたそうですが、
いい旦那様との出会いがあり、なんとか共に働いて親の借金を返し、マイホームまでたてたそうですが、
その時、恨みのあるはずの親と和解され、
この治りにくい病気が、嘘のように治ってしまったということです。
やはり、こころの調和や和解が、いかに現実に癒す力をもたらすかということを、感じ感動しました。
生長の家は奇跡がなくなったと言う方もおられますが、
真理の法則を生きることは、時代に関係なく普遍だと感じます。
ありがとうございます。
491
:
あめり
:2014/07/28(月) 08:56:56 ID:PttnPLL6
『自己を霊身・金剛不壊であると想え
今ここに霊的実在の人間があると想え。
それが自分自身であると想え。
この身このまま霊身であり、金剛不壊であり、不壊身であり、仏身であり、如来身であり、
非物質身であり、完全身であり、自在身であり、無碍身であると想え。
それを瞑想し、信じ、その自覚を常に深めて、日常生活を営むがよいのである。
霊身、金剛身、不壊身、仏身、如来身に対しては、現象界のいかなる破壊武器も、
病菌も、ヴィールスも、物質的公害も、これを冒すことも傷つけることもできないのである。
それが冒されたり、傷つけられたりするのは、まず、自己が霊身であり金剛身であり不壊身
であるという自覚を自己放棄または自己忘却した時においてのみなのである。』
492
:
あめり
:2014/07/28(月) 08:57:28 ID:PttnPLL6
『あなたが何物にも冒されないためには
自分を冒し傷つけるものは、外来の攻撃武器でも、病気でも、ヴィールスでも、公害でも、
年齢でもないのである。
そのような外物や年齢の影響を信ずるところの’’自分の心’’であり、それらの影響力が、
自分の存在力よりも強いと信ずるがゆえに、みずからが、その影響力を受容する心の態勢を
築きあげ、自分自身の信念の結果、自分が冒され傷つくことになるのである。
「天地一切のものと和解せよ」とは、そのような「自分を傷つける者」すなわち
「自分に敵対するもの」の存在を信じない事によってのみ本当に和解したことになるのである。』
(如意自在の生活365章p26)
493
:
転
:2014/09/04(木) 03:42:22 ID:fm0e2lyQ
37 :さくら:2014/05/11(日) 13:51:49
「さらに、尊師谷口雅春先生は、仮に教団を組織されているが、
これは、『聖使命菩薩讃偈』にもある通り、「応化して仮に聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給えり、名づけて生長の家と謂う」であって、
あくまで仮の応化が生長の家であると言われている。
即ち、教団も組織も仮の姿即ち現象として否定されているのである。
教団を組織されても、光明化運動をされていてもその中には居給わないのである。
尊師は教団もなく、組織もなく、光明化運動もないそのままで救われたのである。たった一人で救われたのである。
教団によって救われ給うたのでもなければ、組織愛行によって救われたのでもないのである。救われ給うてからこれらをつくられたのである。
これらのことについては、尊師はどこにも書いておられないが、それは尊師にとって至極当然のことでありすぎるからなのである。
教団、組織、愛行によってどころか、感謝によってでもなかったのである。
『大調和の神示』は、一番最初にかかげられてはいるが、尊師が受けられた啓示は、汝ら天地一切のものと和解せよではなかったのである。
むしろ、すべては心の影だと、解ってはいたが、その心が支配出来なくて、感謝出来なくて自分の心というものにあいそがついた時に、
感謝してからでなく、心を直してからでなく、先づ光であり、先づ実在であり、先づ神である實相を讃える神の声を聴かれたのである。
そして立ち上がって光明化運動をはじめられたのである。」
榎本惠吾先生「弟子像」より
494
:
杢(もく)
:2014/09/17(水) 11:08:40 ID:???
web誌友会板のこと
ユタカ様 a hope様
お休み中の志恩ですけれど、ユタカ様が、このたび、宇治別格本山の練成会を受けられて、
その後に、「生命の實相」の内容に照合された質問を、a hope様に投げかけられました。
閲覧者の皆様は、(私も含めてですが)a hope様が、どのように答えられるか、楽しみに待っている。
質問は「生命の實相」に関することなので、web誌友会板が、まずかったら、他板でもいいです。
a hope様に質問された ユタカ様へのお答えを、閲覧者の方々のためにも、a hope様に お答えして頂きたいです。
私自身も,随分まえに、数回、宇治練成会へ参加させて頂いております。
が、ユタカ様のような考え方にはなれませんでした。
その時の練成会の長も、楠本先生ご指導でしたけれど….
ですが、私が練成を受けた時代は、今の雅宣総裁の時代ではなかったことと、指導されるされる先生方も違うので
指導される方針も昔と今とでは、異なるのかも?
今の練成会を指導されてる長◯先生、堀◯先生は、雅宣総裁、絶対!!の方々だそうですね。
そこのところは,最近は行っていないので、私には よく、わかりません。
実際に行ってみれば,様子が分かるのでしょうけれど、私は今は、行きたくありません。
生長の家では、実相は,神の子であるから、その人の実相を、拝み賛嘆すべしと教えられますが、
その人の現象的な行為までを、まるごとすべて、善しとするという真理は、身近な人と家族のみに
当てはまる真理ではないかと、私は,受け取ってまいりました。
雅春先生が、共産主義者や創◯学会を、はげしく批判されていることは、様々な雅春先生の著書にも載っていますから、
皆様、ご存知でいらっしゃいますよね。
しかし、この真理を、個人対個人ではなく、個人対公人のことまでそうだとすると、
われわれは、各政治家達や各他国軍のことまで、やることなすこと、全て善しと受け取らなければならない事になります。
吾々個人が、公人に対してまで、やることなすこと善しと、見るべしということになりますと、、
われわれ個人も、日本国も、次第次第に、想像つかぬ危険にさらされるのでは??
日本人全員が、中国や左翼たちの家畜になるかもしれません。
世の中、ハチャメチャになると予想されます。
創始者の孫であろうが、ひ孫であろうが、創始者自身ではないのですから、
創始者の弟子のひとりに過ぎないのですから、自称、継承者だといわれている孫のやることだからと言って、
何でもかんでも相手のする事を、鵜呑みにして 現総裁を、まるで,現人神の如くに,崇め祀るのは、
時代が変遷していく上で、生長の家だけではなく、
全ての宗教が 初期の理念とは異なる方向へ行ってしまうおそれがある危険性大なる考え方ではないでしょうか。
雅春先生は、決して、そのように説かれておられません。
環境問題も、いいことはいいと認めましょう。
ですが、もともとの聖経をやめて、三代目が作ったお経に変えてしまったり、
もともとの国家間や、もともとの教えを、巧妙なやりかたで、自分流の教えに変えて行ってしまうやりかたは、
どう考えても、間違っているのですから、間違っている事は,間違っているといわないと、われわれも弟子なのですから
いけないと思います。
そうしないと、贋作だらけの作品を飾っておきながら、本物だと言い張っている美術館の館長みたいになり、いづれは、それに
きづいた民衆に、見捨てられる運命に落ちぶれると存じます。
いいことは、いい。わるいことはわるいと、何事も、人類のために、是々非々に捉えて、
勇気を持って発言していくことが大切だと思います。
495
:
杢(もく)
:2014/09/17(水) 11:22:48 ID:???
494訂正
×国家間 ◯国家観
496
:
神の子さん
:2014/10/26(日) 17:59:44 ID:zl6evHNo
生長の家 宗教情報
http://www.rirc.or.jp/xoops/modules/xwords/entry.php?entryID=278&categoryID=5
497
:
トキ
:2014/12/13(土) 19:57:58 ID:sdkUorTk
十七日の箴言 極楽とは場所ではない
一たい極楽とは如何なる境であろうか。それは一定の面積をもった場所のことではないのである。
完全に繫縛から脱して、何ものにも縛られなくなった自由解脱の境なのである。極楽は場所ではな
く境涯である。
「白鳩」 昭和48年4月号 15p 谷口雅春先生
498
:
トキ
:2014/12/20(土) 19:53:37 ID:OfWqgBQI
今回は、霊友会会長の久保継成先生のご著書を紹介させていただきます。
久保先生は、霊友会創始者の久保角太郎先生のお子様で、霊友会の三代目の会長に
なられます。しかし、路線対立や、不倫の相手を妊娠させるというスキャンダルで
会長を更迭されます。もともと東大で宗教学を先行された久保先生は、失意の中で
法華経をサンスクリットの原文から日本語に翻訳する、という作業を始めます。
*久保先生は他の宗教団体の方ですが、敬意を表するという意味で「先生」と
敬称をつけます。ご理解ください。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「法華経」には数ある大乗経典の中でも、特筆すべき教えが説かれています。
大乗仏教が、「一切衆生悉有仏性」、つまり、例外なくみんな仏の性質を持っている
ということを教えていることは有名です。「法華経」もそう説いています。ところが、
そうだけども、私たちが今、現実に”どこに心が向いているか”が問われなければ何も
始まらない、ということが、実は「法華経」の教えなのです。
「法華経」を通して、仏の教えも宝のもちぐされでは意味がない、そうお釈迦様は
私たちに訴えておられるのです。(中略)
”一人の例外もなく、仏になれる可能性を持ち合わせているのだ” こう呼びかける
大乗仏教の教えは、お互いが持ち合わせている善意や平等観と響き合って、誰しも
”納得”という受け止め方をされるものだと思うのです。
しかし実はここに落とし穴があるのです。そして、「法華経」はそこを教えてくれ
ているのです。「法華経」の現代日本語訳を始めて、改めて精読する翻訳作業の中で
私たち夫婦は、そこに気づくことができました。
落とし穴とは何かです。一切衆生悉有仏性と聞くと、納得もし、場合によっては救われた
気にもなって、真に大事なことを忘れてしまうということです。大事な事、それは誰
が考えても、ごく当たり前のことです。宝もうずもれたままにしておいては、何の価値
もないということです。お互いに現実に、価値あるものを生かすという発想がなければ
価値も何の意味も持たないということです。
「自ら人生を拓く」 久保継成著 128pより
(つづく)
499
:
トキ
:2014/12/20(土) 19:59:10 ID:OfWqgBQI
「一切衆生悉有仏性」の解釈については、谷口雅春先生の教えと異なる事を
最初にお断りしておきます。
しかし、自分が感じたのは、仏性、生長の家では神性とも言いますが、それ
を人間があっても、それを現さなければ、意味がない、ということです。この
点は、私も感じる点が多々あります。
久保先生は、ご自身の苦しい体験から、それを感じられたのでしょう。
今回、生長の家の本ではないですが、少々感じた点があったので、紹介させて
いただきました。ご容赦ください。
500
:
神の子さん
:2014/12/20(土) 21:16:43 ID:gIqbBcwY
馬さんは、訊けさんから質問をされて、まだ答えていないですよね。あなたが訊けさんからの質問に返答するのが筋ではないのですか?
もし、返答したくないのなら、この場から去るのが礼儀でしょう?
********************************************************************************************************************************
豚小屋の豚はぶーぶーなくだけ 筋だ礼儀だと云うのは自分がしてから まあなんにしても君ら二人はあきれるだけ
馬や鹿の畜生に落ちると人間でいてさえ真理が理解出来ない輩は 畜生界に落ちて永劫人間界に生まれることはむつかしいらしいので
簡単に私を畜生呼ばわりしてくださるな 私は馬と云ったことはない これが礼儀を言う嘘つきトキ&訊けの心なんだね
今度は表の顔で人気取りかね ごくろうさま 嘘つきトキ&訊け&?総裁
501
:
神の子さん
:2014/12/20(土) 21:23:21 ID:gIqbBcwY
人には答えろ応えろと云うが 自分が訊かれると何にも答えない 嘘つきトキ&訊け&?総裁
そんな人間が神性だ仏性だと人を騙す
502
:
神の子さん
:2014/12/20(土) 22:12:59 ID:gIqbBcwY
世に嵐があるとすれば 嘘つきトキ&訊けは 荒らさせる人といえる 版が荒れることにより何かの目的を果たそうとしている
503
:
トンチンカン
:2014/12/21(日) 00:42:50 ID:r6TJQSCM
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
嵐吹く 荒れる大地に 意地張るも
爺さん一人じゃ 踏ん張れぬ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・また始まったのかい? マサノブ爺さん・・・
・「アラシ」していて、楽しいのかい? マサノブ爺さん・・・
・空(むな)しいね〜〜〜 マサノブ爺さん・・・
504
:
神の子さん
:2014/12/22(月) 12:42:38 ID:???
>:神の子さん :2014/12/22(月) 10:25:42 ID:sSJqw/0.
* 此れいかに 集めし聖典 焼却と
* 梵書とは 尊師の教え 無き物に
* 痛まぬか 焚書の炎 師の涙
* 高弟と 自称した者 口つぐみ
* 背教の 自己処罰から 逃げられぬ
* 罪はなし 病もなしと 師は偉大
505
:
神の子さん
:2014/12/22(月) 12:55:43 ID:sSJqw/0.
* 宮仕え 退職金までの 頬かぶり
* 焚書して 賛歌をたたえ 裏で舌
506
:
「訊」
:2014/12/22(月) 14:02:53 ID:???
そこまでは 馬鹿じゃなかった 教団派
・・・・みたいですよ、トキさんのご説明では。詳しくは教区会員板1628をご参照ください。
507
:
トンチンカン
:2014/12/23(火) 20:24:24 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
508
:
トンチンカン
:2014/12/23(火) 20:25:00 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
509
:
トンチンカン
:2014/12/23(火) 20:25:30 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
510
:
トンチンカン
:2014/12/23(火) 20:26:12 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
511
:
トンチンカン
:2014/12/23(火) 20:26:45 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
512
:
トンチンカン
:2014/12/23(火) 20:27:20 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
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