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実相哲学を論じる部屋
454
:
あめり
:2014/06/16(月) 08:32:21 ID:H3PMcaFg
>>453
うのはな様
合掌ありがとうございます。
ご親切に、的を得た真理のお言葉を謹写してくださったのですね。
ありがとうございます。
聖書に出てくる”知恵の果実”というのは、外から何かたさないと人間は不完全だという渇欲(まよい)であり、
神の子の「そのまま」の姿を覆い隠してしまうということでしょうか。
既存の宗教観で、修行をしたり知識を得ないと悟れないという心も、渇欲(まよい)ということなのでしょうね。
>>だから、自己自身をそのままで完全な人間だという自覚をもたないで、自分は何か他物によって補われなければ完全になれないものだと思っている。この何か他物によって補われる必要があるという渇欲(まよい)がある。<<
『生命の實相』頭注版第11巻、p.72
>>このように自分は不完全で欠陥だらけだという「迷い」が多くの人間にあるために、何かの知識や技術を獲得して自分を補う必要があると考え、外から「善悪を知る木の実」を食べたいなどの欲求が起こってくる、と生長の家では考えるーー<<
唐松模様
(雅宣総裁のご文章では、
雅春先生や生長の家の「解釈」とか「考え」ということを書かれていますが、
生長の家のみ教えは、個人の「考え」や「解釈」ではなく、
雅春先生を通して”神の啓示”にて説かれたみ教えということの力がなくなるようですが、)
『生長の家』信徒行持要目のなかには、
「そのままの心を大切にすべし」
(そのままは零なり、一切なり、○なり、円満なり、無礙なり、無限供給なり、調和なり、病なきなり、一切不幸、災厄、病難はそのままを外したるときあらわれるなり、顧みてそのままの心に復るとき、一切不幸は滅す)
がありますが、これは「天地一切に感謝すべし」の次にある大切な項目でしたね。
(初めて読んだときは「そのままの心」なんて、自分のこんなにだらしない心のままでいいのかしら…と思ったりしました(笑)が、)
もうすでに神様から与えられた命の”完全さ”に気づきよろこべは、秩序に則って「そのまま」で自然と智慧が湧き、周囲と調和するようになっているのでしょう…
ほんとうに、そのままで救われている…嬉しいですね。
人間が色々頭脳で策して、一見良いと思ってしても返って全体の調和が崩れることはよく散見しますし、私もよくやってしまうことでした…
たいせつなことを教えて下さりありがとうございます。
ありがとうございます。再拝
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