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実相哲学を論じる部屋

473あめり:2014/06/27(金) 09:08:27 ID:0qE6T79M

合掌ありがとうございます。
>>471
雅春先生のご文章をご紹介頂きありがとうございます。

活動経験の浅いわたしでも、
以前の練成会では、「日本国の素晴らしさ」類のご講話を聴いた青年の目が、みるみる輝いていくのを見ると、
…この喜びを体験できる光明化運動はやめられないな、と感じていたことでした。

青年にこそみ教えを学んで欲しいと思うのは、雅春先生の御悲願でとありましたし、
そういう御悲願を含めて、本流派といわれる諸先輩方や、学ぶ会の皆様が担ってくださっているのだと思っています。

いまの教団が、偏狭なナショナリズムや宗教を利用した政治活動を排除したいということで、
教えの核となる、生命的国家としての日本の使命や、日本の實相の教えまで学べなくするというのは、
本当に致命的なことだと思います。

このことを正しくお伝え出来なければ、やはり「人間神の子」の真の意味を、お伝え出来ないのではないでしょうか…

そして、縹様が一貫してご投稿して下さっている、日本の生命的国家の實の相(すがた)を現象界に顕してくださった、総本山の意義も、見失うのではないでしょうか…
それは、生長の家の出現の使命そのもののように思うのですが…、
とても重要なことだとおもいます。

また日本の生命的国家としての使命を果たすのは、政治活動には限らないということを思います。

日本の「實相を観る」ことを行じる生長の家の信徒が、
自分の置かれた立場において、生活において、行につとめることで、

社会人なら仕事で、主婦には家庭で、学生なら勉強で…、
そこが、その人にとっての人類光明化運動の「最前線」ですから、
その中でできる使命を果たすことで、何か特別なことをすることをするのは、やはり、神の秩序を顕す、光明化運動とはずれる場合が出てくるのではないでしょうか。
あるべきところに、あるべきすがたで顕れるのが、神の御働きであり實相とあります。

清超先生の、ゴミをひろうというその行為も、日本を美しくしようという、「愛国運動」であったと、わたしは思っています。

ですから、教団が、雅春先生の日本の實相をといたみ教えを、偏狭な政治活動につながるからと、教えなくするのは、
やりすぎであって、その真意を曲げている方向とおもいます。

森に行くのは仕方ないとしても、教区や他の場所では、
生長の家のほんらいをお伝えする環境を護って頂きたくねがっています。


再拝


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