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実相哲学を論じる部屋
433
:
あめり
:2014/06/07(土) 10:52:00 ID:H3PMcaFg
本流対策板
>>7914
訊け管理人様
久遠の今」 ―― 谷口雅春先生御講話(約15分)
https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ&feature=youtu.be
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
素晴らしい動画をありがとうございます。
実は、昨夜「限りなく日本を愛す」を拝読していて、
「久遠の今」と同じ箇所に、胸を打たれたり、
また、聖典板に、SAKURA様が、謹写して下さってる箇所(■□【 生長の家とは 如何なるものか 】
本当の信心というのは「ここに神が生きる」「ここに仏が生きる」この自覚で生ききるのが信心であります。)
も心に残っていて、そんなシンクロが、私の心にピタリ!っときて、とても嬉しくなりました。
それを朝から雅春先生のお声で聞けるという…喜びに満たされています。
『生長の家の生き方、あるいは生長の家の哲学の中で、
一番重大な問題は今ということであります。』
と雅春先生が仰って下さっていますね。
「今、ここに生きる」というのが、嬉しくて仕方ないですよね!
ありがとうございます。
私は総本山に行って奥津城から、海を見渡した時、
「何もないのに、全てがある」という、本当に満たされた自由な心を体験し、総本山の本殿も灯台も奥津城も、自然も…私たちの命を祝福するように躍動して見えたのを覚えています。
そこには、全ての命を神の命と礼拝する、雅春先生の祈りが生きていると思います。
『生命の實相』もまた、
「今」、私たちを「神の子」の命として礼拝する祈りがあるからこそ、素晴らしい真理であり神殿なのだと感じます。
だからこそ、私たちもまた、「生長の家」の真理に触れると、全ての命を礼拝せずにおられない、という感に打たれるのですね…
なので、個人的には、聖典を根拠に、解釈の違いというか、論点で争うというのは、
少し悲しいというか…違和感を感じるのも、事実です。
訊け管理人様は、素晴らしいブログをなさっておられるのですね。
身近な問題を相談したくなる方ようなですね。
ぜひ、色々ご教示下さい。
拝
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