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実相哲学を論じる部屋
438
:
志恩
:2014/06/10(火) 10:55:07 ID:.QY5jUA6
光明掲示板
🇯🇵「鎮護國家」顕祭への道 ④−3 (8346)
日時:2014年05月19日 (月) 23時28分
名前:亀の子
4.入龍宮幽斎殿と出龍宮顕斎殿との不思議なリンク
今回も、最初に『生長の家五十年史』から、入龍宮幽斎殿と出龍宮顕斎殿の不思議な因縁をみておこう。
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こうして住吉神社の建立計画は「神癒の社・入龍宮幽斎殿」建立へと変更され、
昭和四十五年九月二十九日にその上棟式が行なはれ、翌昭和四十六年十月十四日に落慶されることになるのである。
ところが、神慮といふべきであらうか、この時期にはのちに建立されるところとなった龍宮住吉本宮の敷地が購入されてをり、
谷口雅春先生は幽斎殿の上棟式の前日、九月二十八日に長崎県西彼杵郡西彼町の六十万坪の購入地を視察されてゐるのである。
入龍宮幽斎殿の建立と龍宮住吉本宮の建立地となる九州の土地が購入された時期が、奇しくも重なり合つてゐる・・(後略)・・
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上記が、引用。
「「鎮護國家」顕祭への道③」で、「1.落慶大祭前の神秘的現象」として、
昭和47年の九州別格本山の開所式から、53年11月の落慶大祭までの七年間に行われた、地鎮祭、起工式、上棟式、
、落慶式、完成式(練成道場や社務所、金龍湖、飛龍の瀧等々)などの祭式は、二十数回に及んだといわれているが、
この全ての祭りが素晴らしい晴天に恵まれて行われた。
と紹介したが、この「入龍宮幽斎殿」の建立と「龍宮住吉本宮」の建立地となる九州の土地が購入された時期が重なった、
昭和四十五年九月二十八日と翌二十九日の神秘的天候の事を、
谷口雅春先生は『生長の家』誌の昭和四十五年十二月號の「明窓浄机」で紹介されている。
つづき
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(ここの④は、長文すぎます、、というエラー表示が画面に、出たため、2つに、わけます)
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