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実相哲学を論じる部屋

462あめり:2014/06/19(木) 16:31:26 ID:H3PMcaFg
>>461つづきました

聖書のお言葉も拝読させて頂きありがとうございます。
聖典が変わっても共通する真理は普遍ですから、中心から教えの真髄に流れているものを観ることが万教帰一であり、それを説いているのが生長の家のみ教えですね。

外に神を求めるのではなく、我がうちの神性を礼拝することを、我がうちに神があることを教えてくださる真理は、やはり本物だとおもいます。

それと同時に、トーキングスティックボードにて縹様のお言葉も以下もとても重要なことだと思います。

【トーキングスティックボード】
>3881

 唐松模様のご文章が、”内在神”を自覚することによる”万教帰一”で、”光明化運動”という言葉に戻っていたので驚きましたが、

>外に神を求めている限りに於いて、魂の内部に住んでいるところの神を強く否定することになるのである

 というハードマン博士の一文には、内心ひやりとさせられました。 外の神を求めると内在神を否定する、と言うのが、総本山売却の理由にされないと良いのだが…と思いました。

私は、内なる神を認めて拝めるので、外なる神も認めて拝めるのだと思います。

神示にも、「天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである」とございますように、

内在神の自覚の行く先は、外なる神をも大切に出来るという事になっていると思います。

 そして、本当に内在神を自覚すると、實相は必ず”相”を有しますので、それは、秩序性を持ち、何でもごちゃまぜではなく、自ずと配置が分かり、

総本山が、たまたま長崎に存在するのではなく、理由があって、その場所に存在すべく存在していることが分かるようになるのだと思います。

 ですから、内在神を自覚するという事は、総本山の大切さが分かるということだと思います。<<



人間神の子を自覚することと、両親に感謝すること、そして天皇をいただいた日本国の実相の秩序を理解することは、
不可分にして一体だとおもいます。
それらどれが欠けていて分からないというのであれば、
やはり神の愛といっても観念的で、実質的に湧き上がる信仰にはならないのではないかと感じてます…

私の場合も個人的なある体験から生長の家のみ教えに触れ、
人間神の子が理解できて初めて、両親への感謝、そして生長の家で天皇の御恩徳がしみじみ感じるようになり、
実相の秩序についての真理を感動のうちに拝読出来るようになったのだと思います。
ですから、内なる神のみたいせつに出来れば良いというのではなく、
それが分かればなおさら、人の内なる神性を拝めるし、家庭や国の正しい秩序性を重んじ、天皇を頂いた日本の実相の秩序を礼拝できるのだと思います。

総本山の意義についても同じではないでしょうか。
(つづく)


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