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実相哲学を論じる部屋

447あめり:2014/06/11(水) 07:02:15 ID:H3PMcaFg
志恩様

合掌ありがとうございます。

御文章を多数転写頂き、お手数おかけしまして、誠にありがとうございます。(縹様も書いておられましたが、本当にご親切にありがとうございます。)

皆さんご存知とは思いますが、信徒の方に改めて総本山の建立の歴史に思いを馳せる機会になりますね。

先に転写して下さった建立の霊的意義はもちろんですが、
雅春先生が、ご多用の公務の中で、信徒の為に、そして国益の為にと、建立の想いを描かれたことが伝わって参りまして、やはり生長の家の魂のふるさとという想いがいたしました。

>>八十萬坪の西彼町の山林原野をどのように開発し経営するかを実地に定住して見て考えたいと思っている。それに先立って、
霊的中心をつくることが必要であるので住吉神社を建立する。

住吉神社を造営し住吉大神を表に出さない限り、日本の國はよくならないと思ふ。全國の信徒及び誌友の諸賢から、
その造営費を献資して頂くことにしたい。
・・・(中略)・・・

神社が造営され、靈の中心が出来ると、霊園をつくって信徒及び信徒の家族の霊の安息所をつくる。八十萬坪は広いけれども山林は、
炭焼きにつかっていた雑木が多いので、檜とか杉とか将来大きくなるので国益にもなり、子孫に喜ばれる資源をつくりたいのと、
それぞれの傾斜面にそれぞれの適する果樹の栽培をする。
・・・(中略)・・・
川の一部を堰き止めて人工湖をつくったので、それに鰻(うなぎ)の養殖をしたいと思ふ。
・・・(中略)・・・

病院ではなく、無公害食品による「健康院」も建てたいと思っている。本山の対岸に中学が出来ているので、
その上の高等学校を建てることにして、日本精神の青年を養成したい。

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また、鎮護国家としてあるのは、世界情勢の変容に関わらず、「精神の顕現」である、ということも分かります。



生長の家は、神の啓示から始まった信仰運動なので、その中心に霊的柱がなければ、
環境運動であれ政治運動であれ…どんな立派な運動でも、生長の家である意味がなくなると思います。
聖典でさえ、裁判やそれぞれ解釈の違いをしてしまえば、「意見」9が違うなど論争の種となり得ているわけですから。

神が働く信仰運動でなければ分裂してしまうのではないでしょうか。
総本山は、信徒の信仰が一つになれるの中枢としてあって欲しいと願っています。

縹様が、深い角度で重要性を説いて下さっていて、私には全て理解は仕切れませんが、
信徒が一つになって総本山がお護りされることは願います。
「氣」という言葉がありましたが、信仰は我の力でするのはなく、神様の氣に満ちて力となるのですね。

この話は、鎮護国家を外した本部の方針の問題という話になりますが、もちろんその方針は責めを負うべきところであり、その「現実」は、よく知っています。

では、信徒の信仰の問題として、どうかといえば、
ここは、教団や本流関係なく一つになって祈れるところだと思うのです。

志恩様も共に祈って下さり感謝いたします。

ありがとうございます。




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