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実相哲学を論じる部屋

436志恩:2014/06/10(火) 10:40:57 ID:.QY5jUA6
光明掲示板

🇯🇵「鎮護國家」顕祭への道 ①  (8252)

日時:2014年05月15日 (木) 23時10分
名前:亀の子


0.はじめに
この試みは、谷口雅春先生の説かれた「鎮護國家」とは何だったのかを自分の内に闡明(せんめい)にしたいとの思いから
手元にある資料を繙き、皆さんのご参考に供したく存じます。

これらの試みは、既に当時の先達たち(教化部長、本部講師、本部職員等)によってなされてきましたが、
谷口雅春先生が御帰幽されてより三十年になろうとしていることで、

改めて「鎮護國家」の意義を明らかにして行きたいと思う次第です。

主に聖典、神誌等からの公(おおやけ)な資料から引用させて頂くが、
個人的な資料については、個人名は伏ますので、ご了承いただきたい。

また、できる限り、正漢字、歴史的仮名遣いのを使用するつもりであるが、
変換不能な漢字等は、ご容赦いただきたい。数字は、漢数字を用いるのが本来と思うが、

転記ミス等の間違いを減らすためと皆さんにわかりやすくしたいので、算用数字(アラビア数字)を用いたいと思う。
重ねてご了承いただきたい。


では最初に、「龍宮住吉本宮・鎮護國家出龍宮顕齋殿の御造営のあゆみ」を振り返ってみたい。


1.「龍宮住吉本宮」の構想
谷口雅春先生が、『理想世界』昭和四十九年十二年号「法語」の中で、「人類光明化運動の神々の系譜」を発表され、長崎県西彼杵郡西彼町の地に「護国の神霊・住吉大神の神殿」を建立される旨の「龍宮住吉本宮」の構想を打ち出された。

(亀註:この「人類光明化運動の神々の系譜」の御文章は、『神の真義とその理解』の「第三篇 龍宮住吉本宮建立の意義」の第二章に「龍宮住吉本宮建立に至る神々の系譜」という名称で、一部加筆され収録されている)


2.「龍宮住吉本宮」の建立
四年の歳月を経た昭和五十三年十一月二十一日、「龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕祭殿」が建立された。


3.龍宮住吉本宮・鎮護國家出龍宮顕齋殿 御造営のあゆみ

  昭和45(1970)年
     7月18日 長崎県西彼杵郡西彼町の敷地(当初六十万坪)を購入
     9月28日 谷口雅春先生、購入地を視察

  昭和47(1972)年
     1月19日 生長の家九州別格本山開所式
   2月 8日 生長の家九州別格本山道場竣工式
     2月11日 生長の家九州別格本山練成道場開所式
   5月18日 生長の家総裁公邸地鎮祭

  昭和48(1973)年
   10月 8日 総裁公邸竣工式

  昭和49(1974)年
    11月22日 谷口雅春先生、住吉大神の神社建立の御決意を生長の家秋季記念日祝賀式にて御発表

  昭和50(1975)年
     1月 7日 “神剣鍛造の儀”無事進み、この日奉納さる
     1月13日 谷口雅春先生御夫妻、本山総裁公邸に御移転
     2月10日 住吉本宮敷地造成のための地鎮祭
     2月28日 住吉本宮御造営奉賛会を結成・献資活動開始
     6月13日 本部最高首脳者会で、「龍宮住吉本宮」(本殿)「鎮護国家出龍宮顕齋殿」(拝殿)の正式名称が
            決定さる

  昭和51(1976)年
     8月28日 龍宮住吉本宮立柱式
    10月12日 新練成道場地鎮祭
    12月 5日 金龍湖掘削式
    12月17日 総裁先生、本部最高首脳者会で、霊園等を含む生長の家九州別格本山の構想を御発表


  昭和52(1977)年
     3月15日 龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕齋殿上棟祭
     6月21日 龍宮住吉本宮社務所地鎮祭

  昭和53(1978)年
     3月18日 龍宮住吉本宮大鳥居地鎮祭
     6月 4日 新練成道場竣工式、金龍湖・飛龍の瀧完成式
     7月 1日 第一回生長の家龍宮住吉本宮練成会開始
     7月14日 本部最高首脳者会にて落慶大祭後「生長の家總本山」とする旨を決定
    11月21日〜28日 龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕齋殿落慶鎮座祭執行
         落慶鎮座奉祝大祭執り行われる


参考資料:『神の真義とその理解』『神ハ愛也 谷口雅春先生九十年の足跡』より

(つづく)

 < 平成26年5月15日 記 >


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